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戦やまず死んだ奴の腹が減る
とんぼ群れだしたあたらしい青を生むために
パンデミック からだという重い私有地
白雨覚めた夢の総重量として
白雨 鷹は兎を待っている
ひとりの猫と 白雨の向こうの夢のひとしさ
白雨巨大な心臓のある密室
まどの蛾にかお
人新世幽霊屋敷でダンスダンスダンス
とらん。ぽりん。かんがるうばたけのこびとはふたり
からっぽの胃と翼 数万の空にぶら下がっていた
数万の空 六道に咲く石の花
数万のそら閉じて鯨去る
踏切がありました
耳鳴りのような
遮断機の音が聞こえます
赤いがま口を開いた夕焼けが見えます
森は白い目で見ています
踏切は
生き物のにおいがしました
あるとき
雨が降りました
森から一頭の狼が現れ
誰かいないか と
遠く 山の向こうに一声吼えたあと
どこかに去っていきました
ひとしずくの水が 雲をはなれ
海の底に届くまで
長い時間が経ちました
もう電車も通らない
夏草が遠慮なく膝の高さまで
伸びているような
鉄路のそば
踏切がありました
耳鳴りが聞こえます
Ⅲ さかなだったころ
わたしがさかなだったころ
太陽のしるしはまっすぐにおりてきた
わたしがさかなだったころ
世界にはひとつとして名前がなかった
わたしがさかなだったころ
水馬は全幅の青を下ろして海を満たした
わたしがさかなだったころ
海は数万の青色に染まり光っていた
わたしがにんげんになったころ
神さまはみづからの罪を告白していた
赤く汚れた歯をむいていた
わたしがにんげんだったころ
世界は名前であふれていて
薄暮色の図書室の窓はすでに閉じていた
かなしみは
かなしい表情をしていない
さみしさは
さみしいという表情をしていない
伝えたいのに伝わらない
口にした途端に
半分だけウソになる
少しだけよそ行きの顔になる
それから
よそ行き同士が
いたるところで
笑顔で
挨拶する
こんにちは
こんばんは
今日はいいお天気ですね
お加減はいかがですか
残された半分は
仔犬のように足元にじゃれついて
上目使いで
いつまでも私たちを見つめている
毛玉飲み込んじまった
毛玉飲み込んじまった
毛玉飲み込んじまった
毛玉飲み込んじまった
毛玉飲み込んじまった
人に会うたびに
胃のなかで増える
俺はもうおしまいだ
まだ死ねる
と思うまに
もう死ねない齢になっていた
もう
かみそりでは
切れない掌の大きさだった
何よりもそれは
社会の大きさだった
この貧しい貝殻をどこに埋めよう
集まれと
夜のふみきりが開いた
切りきれない掌を連れて
いっしんに駆けてゆく人たちの路に
何よりもそれは
まずしい供物だった
街燈で
やいばのうすわらいをみていた
まだ死ねる
と思うまに
もうこんなにも遠い淵まで来ていた
羽根印安全カミソリ
一枚
安浪雄嗣「羽根印安全カミソリ」/詩集「星のオルゴオル」(サンリオ)
やなせたかし責任編集の「詩とメルヘン」から出てきた方にしては、「生に対する痛み」を奥に持つ詩人でした。もっとも、地方で同人誌に参画していたことや、私も掲載していただいたことのある「詩学」や「現代詩手帖」等の投稿欄で何度かお見掛けしたことがありますので、よりライトなものを「詩とメルヘン」に掲載していて、それが先に目に留まったのかも知れません。
『集まれと夜のふみきりが開いた』『やいばのうすわらいをみていた』などという不気味なフレーズはこの詩人ならでは。他の詩でも『みてくださいと花が咲いていた』というフレーズもありました。美しいことばの向こう側に鬼面が透かし見えるような印象を残す詩人です。
この詩を読んだ頃でしょうか。一時期、多分一年くらいだと思いますが、遺書をポケットに入れたまま生活していたことがありました。なぜそんなことをしたのか、今では覚えていません。大した理由がなかったのかも知れませんし、切迫した何かがあったともいえます。経済的な理由で大学に行けなかったことや友人を亡くしたこと、タッパーに白菜の漬物と白米だけ詰めてバイトしていた貧乏な頃を思い起こしますが、一方で東京の古本屋街を嬉々として歩いていたり投稿詩誌に名が載って嬉しかったことなども同時期です。「もう死ねない年齢に」なりつつある、という自覚があったかどうかさえわかりません。約三十年前のこの詩を、当時も今も忘れていないことだけが事実です。
ただひとつ、現在確実に言えるのは、そのような若いときの経験を、「若気の至り」のようなあいまいで雑な言葉でごまかすことを良しとするのが、「社会」であるだろうということです。どんな感情であれ、類型化し平準化してしまう社会というものは恐ろしいもの。言ってみれば、わたしたちの感情やことばには「社会」という不純物がすでに混じっている。詩人の掌のなかで「社会」が膿のように大きくなってしまったように。(この感覚、私は非常にわかるのですが、わからない人にとっては、詩人が頭の中で編み出した、気の利いた、もしくは突飛なフレーズにしか感じないのでしょうね、きっと。)
あいまいで雑なことばは、「やさしさ」とか「男(女)らしさ」とかもそうですね。しごく観念的で社会の手垢のようなもの。詩歌の作品のなかで使うときは、この不純物が混じらないように気を付けているつもりなのですが。失敗しても指摘してくれる方はいないでしょうね。逆に、手垢まみれのほうが一般受けするのも、皮肉ですが事実でしょう。ラジオ・テレビによって普及したと思われる流行歌には、適度の手垢と適度に巧みな言い回しが溢れていて、逆に現代の多くの短歌・俳句はそれらに影響されているのでは、と感じるほどです。一般的な、文学というものに触れることにあまり慣れていない人々が「詩」というものに何を求めているのか、この事実は考えるきっかけになるように思えます。と、冷静に考える余裕があるときもありますし、なんだ、この人は文学が好きなわけではなく、コミュニケーションの具材にしているだけなのだなあ、とがっかりすることも実はあります。仕方のないことかもしれませんが。
安浪氏は、生きていれば、まだ七十歳になっていないはず。岩佐なを氏(詩集「霊岸」でH氏賞)のブログでは、結婚式に出席して以来詩歌の表舞台では消息が分からないようなのです。
「もうこんなにも遠い淵まで来ていた」と最後に詩人は書いています。作品の評価とは別のことですが、これは、中原中也の「思えば遠くへ来たものだ」というような甘ったるく切ない望郷とは全く異なるものです。詩を書かねばならない人の多くは、まさにその書かねばならないことの為に、余儀なく社会というものから孤立せざるを得ないのだろうと、その苦さをつくづく思うのです。
ゼーバルトの小説にこんな一説があります。
『ときどき思うのですよ、この世にとうとう慣れることができなかったと、そして人生は大きな、切りのない、わけのわからない失敗でしかない、と。』
ゼーバルト『土星の環』(鈴木仁子 訳)
「ゆきゆきて進軍」という映画を観た。太平洋戦争に従軍した元兵士が、戦時中に仲間を処刑された事件の真相を追うドキュメンタリー。元上官の人間くさい言い訳や、元兵士の、苛烈なまでに天皇や国の戦争責任を追及する姿、極度の飢餓による人肉食など、かなり踏み込んだ内容でした。この、元兵士がどのくらい苛烈かというと、のちに、元上官への殺人未遂で収監されてしまう、という事実が物語るほど。「戦争の現実」とは、こんなところにも残っているのだと、あらためてつくづく思わされたものです。同じくらいショッキングな映画では「異端の鳥」という作品もありました。
私個人が、戦時の飢餓や人肉食の事実を知ったのは、多分、辺見庸(詩集「生首」はここに一編紹介したいほど印象に残ります)「もの食う人々」だったろうと思います。東京上野のスラム街の生活を詳細に描いた「東京の下層社会」(紀田順一郎)も丁寧なドキュメンタリーでした。戦争に関する詩歌で、「戦争をやめよう」「九条守れ」のような政治的倫理的な主張や、犠牲者を悼む心情を書いたものに関しては、同意はするがたいていつまらない、と正直思ってしまうことが多いのですが、もっと、戦争(ひいては戦争を起こした・経験した人間の「こころ」)という現実を直視してほしい書いてほしい、という不満からくるものだろうと思います。
戦やまず死んだ奴の腹が減る
原爆忌目も鼻も口もない花が降る
これは自作の俳句ですが、太平洋戦争終戦二十年後に生まれた私が書く戦争は、亡くなった兵士の「怒り」や「(からだが溶けて死んだ人の)どうしようもない苦しみ」に目が向くようです。広島の原爆資料館には一度行きましたが、痛ましすぎて二度と行きたくはありません。
どれもこれも日本が正しくて夕刊がぱたぱたたたまれていく
栗林一石路
このような句を読むと、怒涛のような現実を書くには、俳句・川柳においては、定型を崩したほうが良いのかもしれないとさえ思えます。
ビル、がく、ずれて、ゆくな、ん、てきれ、いき、れ
なかはられいこ
松林だっただっただっただった 広瀬ちえみ
水際に兵器性器の夥し 久保純夫
一句目は9.11テロ、二句目は洪水もしくは、東日本大震災(光景そのものは宅地造成とも考えられますが、「だった」の繰り返しの偏執的迫力は、宅地造成による心情とはちょっと異なると思える)、三句目は戦争の、まさに現場の光景でしょうか。
一句目の、世界貿易センタービル崩壊の壮絶な美しさ。句点の使い方ひとつで、崩落の様子をまざまざと表現していて巧みです。
さきほどの話に戻るのですが、初めから倫理的な視点で崩壊の現象をとらえてしまうと、「きれい」などという言葉はでてきません。感覚的に「きれい」だったからこそ、ことばを絶するような「恐ろしさ」があるわけです。倫理というのは、本当は頭の中だけで考えた後付けのもの。石牟礼道子の「苦界浄土」は、(水俣病を発症した)人間の現実を書いたものが、社会的倫理的な問題提起となっていますが、この順番は、私にとっては結構重要な問題だと考えています。倫理や社会性を先に考えてしまうと、作品は、「戦争やめよう」「自然は大事」「いのちはかけがえのないもの」というような主張のための「題材探し」となって陳腐になりがちになる。街中や学校によくある彫刻、「希望」や「夢」と題された作品群がことごとく似通っていることがいい例のように思います。
以前、よく読んだ作家で島尾敏雄という方がいます。(文芸誌「viking」を創刊した作家で、その雑誌には詩人・矢山哲治、まるで太宰治を彷彿とさせる「落ちていく世界」を書いた小説家・久坂葉子がいました。)「出発は遂に訪れず」という小説は、私はとても好きだったのですが、特攻隊として出撃命令を待ちうちに終戦を迎えてしまう、兵士の心理的抑うつを淡々と描いたものです。ブッツアーティの名作「タタール人の砂漠」も、タタール人の襲撃に備えながらおびえながら、結局は何も起こらない物語なのですが、これですら「戦争の現実」なのでしょう。生きることも死ぬこともできないという「現実」。
たしか寺山修司だったと思うのですが、「戦争を経験したやつがそんなにえらいのか」という愚痴をどこかに書いていました。戦争の現実を書けるかどうか、よりも、戦争を経験したかどうかを問題にしてしまう、詩歌というジャンルの指導者たちの愚かさ、権威主義的志向に対する不満だと私は受け取ったのですが、真意はわかりません。ただ俳句では、商業誌で「戦火想望俳句の是非」というような特集があったと記憶しています。どなたかが(これもうろ覚えですが、加藤楸邨だったような)、戦争のリアルを書けるかどうかが問題であって、戦地と銃後を分ける意味はないという発言が記憶に残っています。
根本的に、作者が経験した「現実」や作者の感じた「実感」を書いているのであれば、詩歌の題材は戦争や災害であってもいいし、日常であってもいいわけです。手法や作風は問わず、「現実」や「実感」の根っこのところを見ているのであれば。ただ「現実」や「実感」は、他人からはピンと来ないもの、ときには不快にするものも含めてたくさんあるだろう、と思っています。倫理や、わかるわからないを基準にしてしまうと、「ひと」という個人からは逆に離れていく。読もうと思わないと詩(に限らないですね。小説も)はわからないものです。と、自分の読解力のなさを痛感することもありますが。
こういう詩があったことを思い出します。「ちぎって」の繰り返しは作為が浮いている気もするのですが、自分の指先を食べさせる姿からは、たしかに「落莫」が伝わってきます。
生きて帰ったということは なぜ
こんなにも落莫たるものであろうか
飛行服も脱がず
ひっそりと 木かげに黙って しゃがんで
自分の小鳥に餌をやっている
草の葉を
いつもより細かくちぎって
ちぎって
それがなくなってしまうと
草色に滲んだ自分の指先を
食べさせている
西村皎三「小鳥」(山雅書房「野戦詩集」より)
エッセイ「詩はどこにあるのか」。ひとまず予定していた10回分を終えました。
これは、自分が「詩」について考えていることの再確認、という意味合いで始めたエッセイです。
まだ2回分ほど書きたいテーマがあって、ひとつは、日常の心理を的確に理知的にとらえる大切さ、として、エミリ・ディキンスン、トーベ・ヤンソン、清水哲男などを引用。
もうひとつは、「抽象的」でも確かな世界観を築ける例として、高屋窓秋、嵯峨信之。
いつか書くかもしれませんし、書けないかもしれません。
一部、現在所属している俳句誌「青穂」に載せていただいたとはいえ、個人誌だからこそ好きなように書けたものではあります。「書く」という行為は、ときに、消え入りたいような恥ずかしさをともなうもので、尻込みしてしまうこともありました。「自分の非力」を言い訳にして(自分の非力が露見することを恐れて)物陰からことばを投げつけるような書き方はしていなかったつもりですが、その真偽は読者の方の判断にお任せします。
世の中には、詩論風エッセイ、グルニエのような哲学風エッセイなどもたくさんありますが、遠く及ばなかったなあ。
個人詩誌「午前」第9号をお届けします。
以前、ベランダガーデニングに凝っていたことがありました。
草花よりも木の花が好きで、ジャスミン、空木(うつぎ)、梅、匂い蕃茉莉、桃、沈丁花、くちなしなどを育てていました。くちなしは虫がつきやすく苦労しましたが、沈丁花は手がかからなかったことなど覚えています。一番の好みは空木(いわゆる「うのはな」)でしたね。梅に似た、幹の外観のごつごつ感と控えめな白い花が。
表紙写真は、育てた花たちを実家の庭に移植したもの。左から、沈丁花、姫空木、小手毬。
花が咲いているのは、私の生きている時間に比べてごく短いのに、逆に、花のほうが永遠を生きているように感じられるのはなぜでしょうね。花というものに対して、時間(私たちが生きている時間)のそとがわにいると感じるからなのでしょうか。
あるとき、自宅マンションの目の前を観光バスが通り過ぎました。花がらを摘んでいる私と花と、観光バスの中から私たちを見つめている人と。みんなそれぞれ違う時間のなかで。交わることなく。
花というものが、私と私たちの世界のなかで、私にはどう見えているか。
そんなことを考えているときに作った俳句です。自作では一番好きかもしれません。
白梅 いっしんに未完を背負う
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過去未発表だったいくつかの詩編を推敲して今号に載せましたが、既視感ありありで、助けられそうにはありません。
2022年7月31日 久坂夕爾
2022年7月31日 発行 初版
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