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ナチュラルメイクのモデルを捜して

さら・シリウス

さら・シリウス出版



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  この本はタチヨミ版です。


目次

ナチュラルメイクのモデルを捜して

槌が舞う炎の中で

知らぬが仏・勘違いのふたりの一生

ふたつの世界

壁の声

おわりに



ナチュラルメイクのモデルを捜して

 加奈子は誰にも気づかれないため息を吐いた。
 この景色を見るのは何回目だろうか。と。
 汚れ一つない真っ白な壁に映えるような色とりどりの花の絵。
 それが加奈子の唯一の世界だった。
 そもそも加奈子もその花のことを悪く言えるような立場ではない。なぜなら彼女自身も、一枚の絵画だからだ。
 不自然ではない白い肌とくっきりとした目鼻立ち。そしてまるで作り物のように美しいしっこくのロングヘア。たたえた笑みが愛おしげなものを見つめるように、けれどぎこちなく見えるのは画家の腕によるものだろうか。
 来る日も来る日も全く同じ景色、たまに絵画を求めてくる人の中には面白い人間もいて、買ってくれないかな、とは思うが結局加奈子は今日も同じ景色の中に閉じ込められていた。
 そんな日々が続いたある日のこと。
 いつもの切り取られた世界の中に急に男の顔が飛び込んできて、加奈子は思わず声を上げてしまった。
 だが、もちろんその声は誰にも届かない。
 加奈子を真っ直ぐに見つめ吟味するように頷いている彼は高い位置の加奈子と同じくらいに顔があり、身長が高いことがわかる。そしてとても整った顔立ちで、加奈子は恥ずかしくなって視線を逸らしてしまう。
「いかがなされましたか?」
「ああ、いや……」
 声をかけられた男は返事をしつつも視線を加奈子から逸らさない。
 そしてまた二度ほど頷いた。
「これもください」
 その一言に加奈子の動かないはずの心臓が高鳴っているような感覚に陥った。
 俗的な考えかもしれないが、加奈子とて一人の女であり、意識は人間と同じだ。彼のような人間に買われることに喜びを感じずにはいられなかった。
 大切に扱ってくれる彼の腕で運ばれ車に乗せられる時。
 連れて行かれた高層マンションを見た時。
 そしてその最上階に連れて行かれた時。
 いちいち加奈子は感動したように声を漏らした。もっともそれはその男にも届くことはないのだが。
 寝室に飾られた加奈子は彼との時間が大好きになっていった。
 彼の横顔、時々じっと絵の中の加奈子を見つめる瞳。少しずつ彼との時間に心躍らせていたのだ。
 若い彼が絵画を買ったり、高層マンションの最上階に住んでいることに違和感を覚えないわけではなかったが、その理由はすぐに分かった。
 男、尚樹は人気作家だったのだ。
 そんな彼の仕事をしている姿も見てみたいと思っているうちに、加奈子は絵画を飛び出せるようになった。
 とは言っても尚樹に気づかれるわけではないし、話しかけても聞こえない。
 それでも彼の真剣な表情を見に行ったり、広い部屋を歩くのはとても楽しかった。
 寂しい時間がない訳ではない。
 尚樹は食事を外で済ませることが常で、夕方になるといつも外出してしまい、帰ってくるのは遅く、日によっては夜中の二時、三時に帰ってくることもあった。
 その間、加奈子はただ部屋を歩き回り、彼の思い出に触れるように色々なものに触れた。
 彼の引いたままの椅子や開いたままの手帳。転がっているペンにも。
 そんな日々を続けていると、加奈子はものに触れることができるようになる。
 相変わらず姿を見られることはないが、それでも加奈子は嬉しかった。
 これでペンを握れば尚樹と会話ができるかもしれない。
 でも、そんな加奈子の思いとは裏腹に物には触れられるだけ。
 ペンを持って文字を書くなどということは、いつまで経ってもできはしなかった。
 いつかいつか、と思い続けるけれど加奈子は進歩せず、たまに尚樹が勝手にずれている物に首を傾げるだけ。
 もどかしい日々を繰り返して早くも半年が経とうとしていた。
 相変わらず加奈子は物には触れられるだけ。ほんの少しだけ時間は長くなったけれどペンを持って文字を書くことはできない。せいぜいがペンを持って投げつけるだけだ。
 でもそんなことをしても彼は加奈子には気がついてくれない。
 それどころかあの絵画を買ってから変なことが起こるから、と捨てられてしまうかもしれない。
 加奈子はできるようになったことでさらに自分を苦しめることとなってしまった。
 尤も、進歩がない訳ではない。
 加奈子は尚樹について外にも出歩けるようになっていったのだ。
 彼と会話することも、歩いている姿を見てくれる訳でもないが、隣を歩けるだけで加奈子は幸せを感じていた。
 彼は様々なところに加奈子を連れていってくれた。
 けれど、そのどこにも彼目当てであろう女が多いことが最近の悩みの種であった。
 彼女たちは一様に彼の外見とお金に必死になっているようで、人によってはトイレに入り必死に化粧を重ねている者もいた。
 話の流れで尚樹がナチュラルメイクが好きだと言った時には慌ててトイレでナチュラルメイクに戻そうとする人間も居て加奈子は可笑しくなってしまった。
 もしかしたら、一方通行ではあるが一緒にいられる自分に優越感を感じていたのかもしれない。
 いくら必死にメイクをしようと一緒にいるのは自分だけ。彼の寝ている顔も、仕事に真剣な横顔も、彼女たちは知らない、と。
 そんな淡い優越感は、触れ合える男と女の前には簡単に崩れ去ることになるのに。
 加奈子の飾られているのは尚樹の寝室。
 それが、いかに残酷なことなのか、加奈子は身を以って知ってしまった。
 尚樹の見たこともない情熱的な表情と、女の媚びるような甘い声。
 きしむベットの音に怯えるように加奈子は耳を塞いだ。
 出て行きたいけれど、外に出るには尚樹が居ないといけない。その彼は今、加奈子ではない女に夢中だった。
 荒い吐息と熱い身体をほんの一瞬だけ羨ましそうに睨みつけてから、加奈子は耳を塞ぎ、目を強く強く閉じたのだった。
 そんな残酷な時間は何度も訪れた。
 料理をしたり甲斐甲斐しく尚樹の支えになろうとしている女に、尚樹も心を許しているようで、二人の中は加奈子が見ている中でどんどんと深くなっていく。


 そしてそんなある日のこと。
 仕事で外に出た尚樹についていく元気もなく、ただ加奈子は一人寝室で膝を抱えていた。
 すると扉が開き、一瞬顔を明るくさせた加奈子はすぐに目を細めうつむいてしまう。
 そこにいるのは、電話を耳に当てながら部屋に入ってくる女の姿だった。
「ふふ、ええ! 明日も会えるわ……私も、早く会いたいから待っているわね」
 何度も聞いた媚びるような甘い声で話す女から加奈子は見えないから仕方のないことではあるが、そんな電話聞きたくもなかった。
 けれど五月蝿い声は耳を塞いでいても一言一句聞こえてしまう。
 やがて電話をしながら料理をするのだろう、キッチンに移動したのだがそれでも彼女の声は部屋中に響き渡っていた。
「もう! そんな事ばっかり言って!」
 笑う声ですら加奈子には耳障りだった。
 何が悲しくて自分にはできなかった関係を見せつけられなければならないのだろう、と。
 勝手に浮かんでは溢れていく涙すら誰にも見つからず、加奈子は遂に膝の間に顔を隠してしまう。
「ふふ、愛してるわ……ええ、竜二」
「……っ!」
 加奈子はバッ、と顔を上げるとすぐにキッチンに走った。
「もう、付き合って何年も経つのにまだこんなこと言わせるなんて、あなたって本当に子供っぽくて可愛いわ」
 口元に手をやってクスクスと笑う女の顔を見て、加奈子は怒りに身体を震わせた。
 自分にはいくら望んでもできなかったことだというのに、この女は尚樹のことを本気で愛していないのだ。
 それであればいつかは諦めもつくかもしれなかったのに。
「……ああ、サイアクよ。下手くそだし……まぁでもお金はあるから、もう少し稼いでから別れるわ。ふふ、愛しているのは貴方だけよ、じゃあまた明日ね」
 そう言って女は電話を置き、上機嫌に包丁を持ち始めた。
 きっとこの料理も尚樹を思ってのことではない。尚樹の金が目的で、心をもてあそんでいるだけなのだ。
 そう思うと加奈子はいてもたってもいられなくなる。そして自分が自分でない感覚で、勝手に体が動いてしまう。
 飾られている植木鉢を持ち上げると、鼻歌を歌う女に背後から近づいていった。
 これは自分のためではない。
 尚樹の、目を覚ましてやるためだ。
 勝手に頭の中に流れた言い訳を聞いて、加奈子は薄く笑った。
 そして、思い切り植木鉢を投げつける。
 けたたましい音を立てて割れた植木鉢と女の倒れる音。
 いつの間にか激しくなっていた呼吸を取り戻そうとしていると、また部屋の扉が開く。
 そこから見えた愛しい人の横顔を見て、加奈子は自分のやったことに初めて気がついた。
 そして、今だけは姿が見えなくてよかった、と急いでその場を離れていく。
 目を見開き、驚きつつ心配と不安を混ぜたような尚樹の表情の横をすり抜け、加奈子は絵の中へと逃げていった。
 真っ暗な寝室でも眩しいと思ったのか、加奈子はぎゅっと目を閉じ、体を震わせていた。
 どうしてこうなった。と呪うのは自分の意志と絵である自分の運命だ。
 確かに自分のしてしまったことは悪いことかもしれない。
 けれどそれもこれも絵である事実が悪いのだ。
 そうでなければ尚樹に近づく悪い女から平和的に守れたというのに。
「なんで、なんで私は絵なの……っ⁉︎」
 質問ではなく、慟哭。
 だが、加奈子の知っている中で初めて、自分の言葉に返事が返ってきた。
「何故って……貴女が望んだことでしょう?」
「……誰っ⁉︎」
 加奈子は初めて自分に向けられる言葉が怖くて悲鳴のような返事をするのだが、返ってくるのは呆れたようなため息のみ。
「……貴女、そこまで忘れているの?」
「…………」
「私は、天使よ。貴女の望みを叶えるように神様と繋いだ天使」
「てん、し?」
「私が何者かなんてこの際良いでしょう? それより、貴女の呪うその運命は、他ならない貴女の望みだったんじゃない」
 天使の言葉の意味がわからず加奈子は首を振った。
「違う! 私はこんな……誰にも、好きな人にも見てもらえない運命なんか望んでいない!」
 加奈子の言葉に、天使は深いため息を吐いた。
「……貴女は、今と同じように恋をしていたじゃないの?」
 相手は、彼ではないけれど。
 女を病院に連れていったのであろう尚樹のいない部屋に、天使の声が虚しく響き渡る。
「何度も何度も恋をして、それでも結婚はできなくて。これが最後だと思った本気の恋。相手は、画家だったわよね」
「………」
 加奈子は両手を耳に当てる。
 でも、天使の声は優しくも残酷に加奈子の脳内に響き続けた。
「売れないグラビアアイドルとして生きて、少しずつ年と共に体の線も崩れて。コンビニのバイトと絵のモデルだけでなんとか食い繋いでいた貴女をモデルにしたいと言ってくれた画家。貴女は必死に振り向いて欲しかったけれど、それが叶うことはなかった。……だって、彼にはもう二人の子供と奥さん。愛する家族が、もう居たんだものね」
「もうやめて‼︎……やめて」
 加奈子は涙をこぼしながら天使に懇願する。
 それはまるで、加奈子が絵に閉じ込められた時と同じ光景だった。
 いくら頑張っても実らなかった最後の恋。
 もう生きている理由など無い、死んだ方がマシだと信じてもいなかった神に祈ったその瞬間を、加奈子ははっきりと思い出していた。
 こんな人生、嫌です。死んだ方が……彼の愛する絵の中にでも入った方がマシです。そうすれば家賃の心配も、ローンの心配もない。叶わぬ恋に苦しみ続けることもない。
 そう、必死に訴え続けたのだった。
 そこから、加奈子はその願い通り絵の中に入ったのだ。だが、いつの間にかそんなことを忘れてしまっていた。
「神様は貴女の願いを聞き届けたわけだけど、どうするの?」
「……どう、って」
「貴女が襲ってしまった彼女、無事よ。その代わり、病院で尚樹くんと竜二くんが鉢合わせて全てがバレたようだけど」
 その言葉に、加奈子は思わず安堵してしまった。
 許せはしないし恨んでもいる女だが、自分のしたことで命を奪うようなことにはならなくてよかった、と。
 そして尚樹も目を覚ましてくれたかもしれない。
 その事実が希望に変わり始めていた。
「でも、今更どうしようも……」
「加奈子。貴女の身体は病院にあるわよ。あの日からずっと、意識のない植物人間として扱われて、家族もずっと心配している」
「……!」
「私……私は………」
 悩み、迷う加奈子を天使はずっと待っていた。
 優しげで、それでいて選択を迫る厳しさをもつ母のような視線だった。
 絵に入ってから初めて加奈子を、加奈子自身を本当の意味で見つめる視線を、加奈子は鋭く見つめ返した。
「もう一度……もう一度人間として生きたい! そのためならなんでもします! もうグチをいったり、人に迷惑をかけたりはしません!……もう、自分の運命を呪わない!」
 絵に入ってから初めて。いや、もしかしたら加奈子が生きてきた中で初めてだったかもしれない。
 恨むわけでなく嘆くわけでもない強い言葉を聞いて、天使はただ笑った。
 そして段々とそこからいなくなっていく感覚を覚えながら、加奈子は固く閉じていた目を開き、耳を塞いでいた手を伸ばした。
 そこにはいつもの寝室………ではなく、真っ白な天井と、薄桃色のレースカーテン。そして僅かに香る消毒液の香りが広がっていた。


「加奈子、無理はいけないわよ」
「ふふ、大丈夫よ、お母さん!」
 心配そうに家の玄関まで見送ってくれる母に心配はいらないと笑顔を向ける。
 退院してから伸ばし、毎日手入れを怠っていないロングヘアが振り向くときにふわりと舞う。
 加奈子が目を覚ましてからどれくらい経っただろうか。加奈子自身もそこはもうおぼろげだった。
 目を覚ましてからの人生は忙しくて、いちいち数えてなどいられなかったのだ。
 衰えた筋肉をリハビリし、崩れていた体のラインを鍛え美しく整えていく。
 そして毎日ナチュラルメイクの練習をして、身体や髪の手入れも怠らない。
 人生で一番美しい姿を手に入れた加奈子は、自信を付けて毎日レストランに顔を出していた。
 そこは初めて行くけれど、何度も行った場所。
 絵の中にいた頃、尚樹に何度もついていった彼の行きつけのレストランだ。
 彼が来そうな時間にいつも顔を出し続けたのは、綺麗になった自分を見て欲しかったからかもしれない。



  タチヨミ版はここまでとなります。


ナチュラルメイクのモデルを捜して

2022年2月14日 発行 初版

著  者:さら・シリウス
発  行:さら・シリウス出版

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さら・シリウス

 私がヒーリングを生業としてかなりの年月が経ちました。  いつからか瞑想中に小説のプロットが天空から降りてくるようになりました。  最初は気にもとめていませんでしたけれど、それがちゃんと起承転結のある面白いストーリーだと気付き、そしてそれがハイアーセルフからもたらされているというのにも気付きました。  自力で肉付けをして書いた物が十冊ほどになりましたが、やはり中々時間がとれません。  暫くは多忙を言い訳に、数年間、プロットの山を放っておきました。  けれど、ハイアーセルフがプロットを下さったのにも訳があるのだと思い立ち、形にしなければと一念発起したのです。    そこで2021年の始めから、才能のある人に私が書いたプロットを渡して書いて貰うことにしました。  小説は時間がかかります。筆の遅い私が一人でこのプロットの山を形にするには、数百年かかります。  私のプロットと、才能ある方のコラボ、どこまでできるかわかりませんが、形にしていきたいと思っています。  勿論、時間の許すかぎり、自分でも書いていきたいと思っています。  宜しかったら応援してくださいね(#^.^#)               さら・シリウス

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