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テン王国は雲南省西双版納のすぐ北にある。

あらすじ
 西双版納で熱にうなされた。額がぼ〜として疼く。振り返ってみると私の第3の眼が覚醒したのはこのときだった。
 中国雲南省に西暦109年頃、青銅器文明で繁栄を極めたテン王国があった事をつきとめた。その町は2つの大きな湖に挟まれた桃源郷。そこから出土した金印が同じデザイン。立体レリーフが多数出土した。何を信じどんな生活をしていたか、街も再現できた。生贄、斬首、奴隷、踊り
文字を発明できなかった日本人は中国からもたらされた金印が真実の証と知り伝承神話を理解しようとするが、それは学問とは呼べるものではなかった。証拠がない。証明していない!
わたしは、
 バンコクを拠点に置いたジャーナリストだが東南アジアの扇子の要から見えた真相。それが北タイ探検記〜永遠に封じ込められた愛〜
タイ北部を越えて中国雲南省西双版納への旅はコロナウィルスの起源の銅鉱山を探す取材だった。現在の先端を追う記者はまさか、テン王国を壊滅させた同じ銅鉱山の入り口に立っていたのだ❗️ 武漢ウィルス研究所の人間はコロナウィルスの起源DNAと、テン王国を崩壊させた鉱山、、。
テン王国の本殿(青銅器3D)の特殊な形状を手がかりに、インドネシアに飛んだ。あった。
スラウェシ島のブギス族の人たちは日本人の顔をしていた。あの青銅の王族の「4人の鈴舞」で被っていた同じ帽子❗️
 ブギス族は伝統を極度に重んじ死者と共に生きる街と知られていた。なぜ、そこまで? 
その理由がわかった時、2000年の時間がまるで雪のように積雪する様が目の奥に見えた。
 DNAが一気に100世代を貫いた瞬間だった




  この本はタチヨミ版です。

 目 次

消えた日本人故郷の滇王国Lost Kingdom Dian, อาณาจักรที่สาบสูญ, テン王国, タァン

「銅鏡」の秘密 2千年も解けなかった難問 日本始祖雲南テン王族がインドネシアで建国を証明

西暦109年、テン王国から分かれた日本支族 シンガポールでブギスモール開設 英国ラッフルズより成功 北タイ探検記19

エウクレイデスの背理法

湖の底に沈んだ都市

五百年間の記憶を無くした日本人 ←越人が大挙して日本列島へ到達! モン族/苗族の壮絶な旅/五戦全敗の謎? 身長139cm王の煌びやかな死装束

モン族=苗族の謎2なぜ、記録的な敗戦?文字を持たなかったばかりに永遠の不幸が積み重なる

Yuyuanと呼ばれる都市が南北朝時代まで存在していた2つの違う時代の複合体

進化した海底都市は3000年前から?

238キロの洞窟が隣の貴州で発見されるアジア最大の地下空間

アンダマン海諸島オンゲ族は滇人・日本支族 伝承神話を信じて30m津波を全員生き抜いた❗️

隔絶

ジャラワ族

TJチャンネルの威力タイ有力テレビ局とコラボした映像に、

囚人のジレンマIn アンダマン諸島

西南シルクロード探査紀行 「蜀–身毒絹道」の謎 日本人王はなぜインドネシアへ脱出したのか? 先祖はアンダマン海の囚人島へ!

西南シルクロード エキスパート篇 北タイ探検記25BC122年 成都〜雲南〜ミャンマー〜インドへの道!

テン王国の脱出グループの行き先がなぜ、インドネシアだったのか?

消えた日本人故郷の滇王国

Lost Kingdom Dian,
อาณาจักรที่สาบสูญ
テン王国,
タァン

 中国では本当に忽然と消えた、そう思われている。日本人との血の繋がりには薄々しか気づいていない。決定的な証拠を発見した!


 私は探検家リヒトフォーフェンを追いかけて西暦109年の西南シルクロードの拠点に辿り着いた。彼に追いついたが、振り返ると背後に死神が追いついている❗️伝説が真実だったと分かった時、衝撃を受けた。世界最大の元陽の棚田出現を解明出来た。そこは日本人の故郷だったのだ。そこかしこに日本人の顔をした人たち。最先端をゆく遺伝子ゲノム解析チームが公開したデータを追跡した旅はあなたを驚愕の紀元前1世紀後の日本に足を踏み入れる。



日本人の信じられない魂が凍えて震えるほどの旅 それはあなたの旅でもある❗️




Beyond Northern Thailand ExpeditionⅨ


日本人の故郷 古代王国滇が滅亡した謎が解けた

モン族は中国政府に苗族と改称された。中国人ではない少数民族は国を取り上げられて、奴隷にされるか、新天地に逃れるしかなかった。

日本人の花嫁はなぜ、角隠しをかぶるのか? その理由は彼女たちの出自にあります。もとは銀ではなく布や櫛。支配者ハン(漢)に嫁ぐのが、苦痛で、ハニ族の象徴、雄牛の角を隠したのです。同時代を生きたモン族(苗族)は隣国です。夜郎と書きイェレンと発音。彼女たちは主人をわからないように毒殺して国に帰る使命を帯びていた。「婚礼衣装の美しい花嫁はなぜ泣くのだろうか、、」。そんな歌が日本人に残っています、、。



元陽の棚田の冬

消えた日本人故郷の滇王国


      Lost Kingdom DIAN



      อาณาจักรที่สาบสูญ



        テン王国



 中国では本当に忽然と消えた、そう思われている。ただし日本人との血の繋がりには薄々しか気づいていない。決定的な証拠はわたしは発見した❗️


 私は探検家リヒトフォーフェンを追いかけて西暦109年の西南シルクロードの拠点に辿り着いた。彼に追いついたが、振り返ると背後に死神が追いついている❗️伝説が真実だったと分かった時、衝撃を受けた。世界最大の元陽の棚田出現を解明出来た。そこは日本人の故郷だったのだ。そこかしこに日本人の顔をした人たち。最先端をゆく遺伝子ゲノム解析チームが公開したデータを追跡した旅はあなたを驚愕の紀元前1世紀後の日本に足を踏み入れる。



日本人の信じられない魂が凍えて震えるほどの旅 それはあなたの旅でもある❗️



Beyond Northern Thailand ExpeditionⅨ


日本人の故郷 古代王国滇が滅亡した謎を解いた研究論文


 日本人の花嫁はなぜ、角隠しをかぶるのか? その理由は彼女たちの出自にあります。もとは銀ではなく布や櫛。支配者ハン(漢)に嫁ぐのが、苦痛で、ハニ族の象徴、雄牛の角を隠したのです。同時代を生きたモン族(苗族)は隣国です。夜郎と書きイェレンと発音。彼女たちは主人をわからないように毒殺して国に帰る使命を帯びていた。「婚礼衣装の美しい花嫁はなぜ泣くのだろうか、、」。そんな歌が日本人に残っています、、。


 伝説の滇王国(紀元前278年-紀元前109年)は、主に雲南省の中央部と東部に分布し、滇池湖地域を中心としていました。

後の考古学でも古代滇の存在が確認されました。




雲南省の略称は 滇 タァン Dian



 今日はこの王国がなぜ、消えたのかを書こうと思う。
 王墓はなんと、王の遺骨の下の層にも王と思われる人物の遺骨。身体に異常はない。上を見て横たわっている。なんと、それは5層だった。

 正式に王を戴冠した人が5人いた。恐らく2体は正妻と思われる女性の遺骨と寄り添っていた。後に王墓の5人は名前と古テン王国という紀元前200ー300年頃の人物だった。


 以下は黄懿陸の著『滇国史』から整理した。文字史料が不足しているため、大部分の滇王墓の主はその本名と年代を確認することができない。
荘蹻(紀元前278年 - 紀元前256年)
M33墓主(紀元前256年 - 紀元前224年)
M12墓主(紀元前224年 - 紀元前178年)
M3墓主(紀元前178年 - ?)
M13墓主
M71墓主(? - 紀元前123年)
嘗羌(M6墓主)(紀元前123年 - 紀元前85年)



 驚愕する事は、王墓以外にも貴族集団、一般人と3つの大規模な墓地がDIANには存在した。

地元の考古学チームが20年以上も発掘調査を続けた結果、まだ、出土するはずだが、少なくても10,000柱に登った。




 その中で研究チームの興味をひいたのは、親子3人が埋まった墓。

 両親はともに20代。二人は互いを懐き亡くなった。そこまで普通だが、足元に5才程の女の子の首がない遺骨が発見された。上半身は完全ではなかった


 地元大学の考古学者クリスティン・リー教授はこの家族の埋葬までのストーリーをどう説明したら納得出来るか、考えた。

 湖が汚染されて、赤痢やコレラの蔓延によるものか? それとも溺死? 夜郎王国の軍の襲撃? 


 答えは見つからなかった。

しかし、次に幼年の子供ばかりが埋葬された墓地complexを発見した。



子供の遺骨は身体を伸ばした姿勢で1体づつ収まっていた。
しかし、どの頭蓋も見る影がないほど破損❗️

頭骸骨が形をなしたまま、酷くひび割れ、肉でつながった状態で見つかった。
地震など天災によるものなのか?

思い当たるのは巨石を寝た状態の子供の頭めがけて落とす生贄の儀式だった
それは凄い数だ。

これほど凄惨な生贄の儀式をさせた巫女とは?

 そして、Dianは 池の王国ごと、歴史の波に呑まれてしまった



なぜ、これほど酷い生贄の儀式に人々を駆り立てたのか?

教授はずっと考えた。

ここからわたしの推論

湖が汚染されて魚が湖面に浮かび大量死した。
理由は思い当たるのは、凄い量の青銅器の製造。日本にもあった

 足尾鉱山の足尾鉱毒事件は,銅製錬後の鉱滓が洪水のたびに大量に流出し,下流の農民mxの健康や農作物に被害を与えた事件で,のちのイタイイタイ病事件と同じ性格のものである。古河財閥と政府は,被害農民の反対運動を権力によって弾圧した、、。

 魚は食べられない。水は飲めなくなる。

事実、脚の長さが片方がかなり短い遺骨が見つかった。また、曲がった下腿骨の遺骨もある。
骨がツイストした形状に。



その時、時間が墜ちてきた❗️


ハニ族はアカ族系

アカ族の意味は「川から離れて生きる」「水から遠くに生きる人」。


すべてが 理路整然と直列した



彼らの一部は大きな河を2つ渡河して元陽に辿り着いた。
そこが世界一の棚田を産んだ❣️


 正確な答えがタイ政府観光局のホームページにあった。チェンライのページだ。
チェンライはタイ最北部の街で雲南からすごく近い。

 メーサロンの中心地から1234号線沿いの約18km手前にあるアカ族の村。「アカ」とは「川から遠く離れる」ことを意味する言葉で、かつて川沿いに暮らして伝染病にかかった経験から、先祖代々川から遠く離れた山間部の急斜面で暮らすようになりました。

アカ族の村があるここメーサロン・ノークには、約300人が居住しているといわれています。

もともとは、ミャンマーから紛争などを避けて1972年に移動してきた移民で、当初はケシの栽培をしていましたが、現在はトウモロコシを栽培したり、茶畑などを営んでいます。村に住む子どもたちは近くの学校へ通っていて、タイ語も達者です。す。アカ族にとって神聖なものとされていますので、訪れた際には触れないようにご注意ください。


元陽の夏

 伝説はほんとうだったのだ❗️チェンライ県に約300グループ、5万人のアカ族が住んでいると言われているが、アカ族訪問の際特にお薦めの村はメーサロンだ。

タイ人たちも憧れる避暑地で1500mの高所にあり夏でも涼しく、景色がいい。

周りにはアカ族の村が点在する。


王国の民は四方へ旅立っていた。まさか、あの棚田の製作者がハニ族だったとは!
そして、南越国へ下り、インドネシアのタホ湖やスラウェシへたどり着いたグループも。
さらに揚子江から日本へ渡ったグループ。

 この王国のスケールがいかに大きかったかがわかる。ハンと呼ばれる漢民族の巨大な帝国がなければ、イェレンとともに生き延びたかも知れないが歴史に呑まれた。


テン池と同じ規模の湖がすぐ南東にある。そこもテン王国。その現在。


雲南省元陽の棚田ーライステラス
2段目の写真はフィリピンのライステラス
そして、ベトナムの棚田



あなたならこれをどう説明する❓




前人未到の探検記

日本人が解明出来なかった西暦0年の頃のすべてを解き明かす事に成功した。
1-8は公開済みです。一部は伏せています。理由があるのでお許し下さい

ここを訪れてくれた友人に心からありがとうございます。



  タチヨミ版はここまでとなります。


第三の眼覚醒 日本人の故郷を探し当てた探検記

2022年3月15日 発行 初版

著  者:hiroyuki shintani
発  行:Royal Gio Graphic in Bangkok

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evan hiroyuki shintani

経済専門のジャーナリスト。バンコク駐在中

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