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「…これから一体どうするの?」
彼が重い口を開いた。
「ん…」
私は、彼の肩にもたれ掛かったまま生返事をする。
はあ。と彼がため息をついて何か言いかけたので、私は慌てて立ち上がった。
「とりあえずね!こっちに来たら連絡するように言われてたからさっき電話したん。そしたら
明日の午後三時に、お茶席に来るように言われた。」
スカートをパタパタと払いながら、立ち上がってそう言った。
「電話って…あの子のとこ?」彼が私を見上げながらまぶしそうな顔をした。
「うん、何のあても身寄りもないやろうから、とりあえず来てみればって」
「そっか…わかった。」彼は、目線を落として暗い声を出した。
「大丈夫!きっとなんとかなる!今日は、何処か泊まるところ探そ!」私は明るく努めて言った
翌日、約束通り彼女の実家に行くと女中さんに、茶室まで通された。
「ここでお待ちください…」
「ありがとうございます。」私と彼は女中さんにお礼を言って茶室に入った。
茶室なんて二人とも初めて入る。一体どんなお作法が要るんだろうか?と不安げにして彼女を待っていると襖がスッと開いた。
そこには、薄い紫色の着物に白い桜が散りばめられている着物を着た美しい女性が立っていた。
「ひさしぶりやな。」彼女は、ニヤリと笑って言った
あまりに違う風貌の彼女を二人してぽかんと眺めていると
「なんや、そないに驚かんでもええやろ」と彼女が苦笑いした。
「あ、ごめん…大阪のときとえらい違うから…」と彼が思わず言ってしまった。
「相変わらず、正直者やな。ま、其処に惚れてたんやけど」
「あ…」パッと顔を伏せてうつむくとすかさず
「今更、そんな顔せんといて!もう、諦めてるから。それより、これからどないすんの?」
「え」と顔を上げると彼女はため息をついて呆れて首を振っていた
「…案の定、なんも考えてへんのやなあ。まあ、ええわ。とりあえずうちの家にしばらく居り。
それからから考えたらええやろ」
「えっ!それは、いくらなんでも悪いわ…どっかでアパートでも探して…」と私が言いかけると彼女はすかさず
「あほ。部屋借りるんにもお金要るんやで?もちろん、タダちゃうで。うちで働いてもらう。」
「働く?」
「そや。うちの料亭で裏方の人手足りてへんし、雑用とか厨房とか幾らでも仕事はあるんや。
その方が、あんたらも居りやすいやろ?新しい仕事とかやりたいこと見つかるまででええから。」
「ほんまに、ええの?」私は彼女の顔を覗きこんで聞いた。
「ええんや!こっちは猫の手も借りたいくらい忙しいんや。ありがたいくらいや‼部屋もなんぼでもあるから好きな部屋二人で選んで使うてもろてええから。」彼女は口角を上げて片目をつぶってそう言ってくれた。
「ありがとう…ほんまに、ありがとう」二人で深々と頭を下げてお礼を言った。
「…そないにせんでええから、それより、早よ生活できるようにせえよ!とりあえず、お茶立てたるから、飲んでから今日はゆっくりしとき。明日の朝から働いてもらうで!」
「はい!よろしくお願いします!」私は涙を浮かべて彼女に感謝した。
暫くして、お茶席にお菓子が運ばれてきた。
美しい上生菓子で、桃色の椿の形をしている。私はそれをそっと懐紙に取っていただいた。
口に入れた瞬間---。
お茶を立ててどうぞ。と言って出してくれた彼女の手が止まった。
「…あんた、どないしたん」
「え…?」彼女の方を見ようと顔をあげると、ぽたっと畳に水滴が落ちた。
「なんで、泣いてるん…?」
「え、ええ…」自分の頬を触ると、確かに涙がつたっていた。
目から涙が溢れて、目の前がぼやけてきていた。どうして涙が出るんだろう。
自分でも全然わからない。でも、止まらない。
「ひッひッひっく…」声をうわずらせながら号泣してしまう。
彼が、そっと肩に手をあててさすってくれた。
「ご、ごめ…なんで…ひっ…」目をこすって涙を拭おうとしても勝手に溢れてくる。
「…」彼女は、黙ってスッと立ち上がり、茶室から退室した。
小一時間程経ってから、襖をトントンと叩く音がした。
「は、はい。」目をこすりながら答えた。
襖がスッと開いて彼女があたたかいお茶を煎れ直して持ってきてくれた。
「あ、あの…」といいかけると、彼女がスッとお茶を目の前に置いた。
「無理せんでええの。いろいろあったんやろ」とほほ笑んで言った。
「…」
どうしていいかわからず、暫くうつむいていたが…
「あ、あの、さっきのお菓子、どこのお菓子なん?」と彼女に聞いた。
「は?え…ああ、うちの専属の和菓子職人さんが作ってくれたもんやけど…どして?」
「なんや、あのお菓子食べてたらなんや、懐かしゅうて…それで…」とモジモジしながら言うと彼女は、あっはっはーと思いきり笑った。
「なんや、お菓子が美味しゅうて感動してたん?うちは、てっきりなんぞあったんかと…」
「そやなくて、どっかで食べたような気がするんや。あのお菓子…」
「ええ?そら、有り得んわ。あの和菓子は、うちの料亭でしか出してへんからな」
「でも…確かに食べたことあるんよ」
彼女は、あごに手をあててうーん…と考え出した。
「あの職人さん、うちに来る前は余所のとこ居ったし、そこで食べた可能性はあるかもな。でもこっちやないしなあ。」
「前は、何処にいてたん?」
「ええと…そういや、岡山出身やて言うてた気がするな」
………岡山?………
その言葉を聞いた瞬間、胸がザワザワと襲われた。
「その職人さん、何処にいてるん?」
「ああ、今日は休みやけどな、明日なら出勤してくると思うで」
「そうなんや…」お茶をすすりながら、彼女を上目遣いでみた。
「?会うてみたいん?」
「い、いいや、そこまでは…」
なんだか、逢うのは怖かった。岡山、和菓子、あんこ…。
胸がザワザワザワ…と湧きあがるのを何とか堪えてお茶で、無理矢理胸の奥に流し込んだ。
翌日、早朝に起きて彼と私は、彼女に店の裏まで呼ばれた。
彼は、薪割り、私は厨房で野菜の切りこみをするように言われた。
厨房なら、和菓子職人さんは、いらっしゃるだろうか?とドキドキとした。
が、厨房での仕事は忙しく、そんなことを考えている暇はなかった。
気が付けば、時計の針は、もう夕方六時を回っていて、彼女が様子を見に来てくれた。
「もう、あがりよし。厨房はこれからが忙しいけどな、早朝からきてくれてるから早番の人と一緒に帰り。」と言ってくれた。
「う、うん。ありがとう…」
薪を割っている彼の元へ急ごうと厨房の裏を走っていると…
「あほが‼時計に頼るな言うたやろがい!」と怒鳴り声が聞こえてきた。
びっくりして、声が飛んできた方を見ると、お弟子さんが職人さんに叱りつけられていた。
「時計にばっかり頼ってぼおっとしてしてるからこないなことになるんや!」
コンロの上に乗っている鍋からは、もうもうと煙が立っていた。
カラメルが溶けたようなにおいと、焦げ臭いにおいが混じったものが鼻に流れ込んでくる。
どうやら、何か焦がしてしまったようだ。
「餡子いうんはな、和菓子の基本や!それもよう炊けんとどないすんねん!」
…あんこ…?
もしかして、あのひとが彼女の言うてた和菓子職人の人?
それにしても、怖いわあ…そないに怒らんでもええんちゃうかなあ。と柱の陰に隠れてその様子を見ていたら、足に何かふわっとしたものが絡みついてきた。
驚いて足元をみると、三毛猫がすり寄ってにゃーなあーと鳴きだした。
「ちょっ…やめてえな!シッシッシ!」と、猫を追い払おうと手を払っていると
「おねえちゃん、なにしとんのや?」と声が被さってきた。
えっと顔をあげると、厨房で怒鳴っていた和菓子職人さんが私の顔を覗きこんでいた
「あっ!ひゃーーーーーーー!ごめんなさい!」と叫んで思わず尻餅をついてしまった。
「あ、あっはっはっははー!、ごめんごめん、そないに驚かんでも…」と和菓子職人さんが笑って手を差し伸べてくれた。
顔をくしゃくしゃにして笑っているその姿は、さっきの怒鳴っている人と同一人物とは思えないほど優しい顔だった。
「す、すいまへん…。」と顔を真っ赤にして手を取ってなんとか立ち上がった。
「はは…おねえちゃん、餡子づくりに興味あるんか?」と笑顔で聞かれた
あんこ…あんこ…あんこ…。胸がザワつく。
「おねえちゃん?大丈夫か?」職人さんが心配そうに私の顔を覗きこんだ。
「あ、あんこなんか興味ありません!」
「えっ」
「ハッ!ご、ごめんなさい!そやなくて…!えっと…」鼓動がドコドコドコ!と胸を突き上げてくる。
「ほんまに、すんません!」勢いよく頭を下げて踵を返し、全力でその場を立ち去ることしかできなかった…。
料亭の裏道をトボトボと歩いていると、彼が向こうからやってきた。
「お疲れ様!…どしたん?」彼が心配そうに顔を覗き込んできた。
「ん?いや、なんでもないよ」
「なんでもないことないやろ?どないしたん?昨日からちょっとおかしいで」
「うーん…」
「もしかして、僕と一緒になったん後悔してるとか?」
「!何言うてんの?違うわ!」
「だったら、どうしたん?」
「それは…あんこが…」
「あんこ?」彼が不思議そうに言った。
「…ごめん、自分でもようわからん。気持ちの整理つかへんの。でも、心配してるようなことで悩んでんのと違うから」
「…うん、わかった。話せる時が来たら話してくれる?」
彼は、不安そうに言葉を飲み込むようにそう言った。
彼の寂しそうな後ろ姿を見て、ちょっと不安にさせてしもうたかなあと思った。
これからのこともどないしようかってのは、あるけどそれ以上に私の心をかき乱しているもの。言いたくないのではなくて、うまく言えない気がするだけなのだ。
翌日、和菓子職人さんにきちんと謝ろうと仕事帰りに、厨房に立ち寄ってみた。
あまーいあんこの香りが厨房に広がっていて、思わずスウっと息を吸い込んだ。
厨房には、夕日の橙色の光がいっぱいに差し込んでいて、彼の顔も照らしていた。
厳しくも優しげな顔であんこを炊いているその姿にハッとして動けなくなった。
しばらくみていると、パッと火から鍋を下ろして作業台の上にどんっと置いた。
その瞬間、私は和菓子職人さんとバチっと目が合ってしまった。
「おう、昨日のおねえちゃん、どないしてん?」彼は笑って言った。
「あ、あの…昨日は、本当にすみませんでした」私は深々と頭を下げて謝った。
「いや…ワシがこないな怖い顔しとるから、びっくりしたんやろ?よう言われるんや」
「い、いえ!そやなくて…!ほんまにすいません」
「ええんや、ええんや。ほんまのことやから。弟子にも怖がられてしもうてな。」
なんと返答していいか分からず、下を向いて黙っていると、そや!と和菓子職人さんが手を叩いて冷蔵庫から何か取り出してきた。
「これ、よかったら持って帰り。新作の試作や。」可愛らしい薔薇の形の上生菓子を差し出してくれた。
「え。ええんですか?」
「ええ、ええ!みんなの感想聞きたいしな。ご家族は?人数分持って帰りよ。」
「えっと、夫が一人おります。」
「ほな、旦那さんの分と二つ。また、感想聞かせてえな」と丁寧に懐紙に包んで持たせてくれた。
「ありがとうございます。あ、あの、若女将から、椿のお茶菓子いただいてほんまに美味しかったんです。特にあんこが…」
「そうか!そら嬉しいなあ。そうか、若女将の友達ってあんたのことやったんやな。これからよろしゅうな。」和菓子職人さんは、笑ってそう言ってくれた。
2022年3月29日 発行 初版
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