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この本はタチヨミ版です。
「あれ。兄ちゃん、どこ行くんだ?」
お昼を過ぎた頃にようやく二階にある自室から降りてきた弟の悟に、青山優は思わず弱り顔を浮かべてしまった。
世間から人嫌いの変わり者と言われる優が言うのもなんだが、弟は結構な変人だ。
「ミーとポチの散歩だよ」
ミーは優の愛猫、ポチは優の愛犬だ。
ふたりと二匹で、この山奥の一軒家に暮らしている。
引っ越してきたのは、つい三日前のこと。
優の言葉に窓の外を見た悟は、あぁ、と呟く。
「もう、お昼なんだ」
「あぁ。……おそよう、だな」
「うん。兄ちゃん、おそよう」
ちょっとした憎まれ口のつもりだったのに平然と返されて、優は小さく笑う。
悟の方はこれで、厭味のつもりも、煽っているつもりもないのだ。
「じゃあ、ちょっと行ってくるからな」
優はそう声をかけて、二本のリードをそれぞれポチとミーの首輪に繋ぐ。
「……ミーもリード付けるんだ、ここでも。っていうか、こんな山奥じゃポチもリードいらないくらいじゃないか?」
その様子を見ていた悟が、そんな口を挟んできた。
「あー……。でもまぁ、山道は危ないし、ポチもミーもまだ慣れてないからな」
確かに、猫にリードというのは珍しいかもしれない。
けれど、優たちが前住んでいた地区では猫が行方不明になる事件が多発していたのだ。
飼ったばかりの猫だけでなく、その家に住んで長い猫も突然に帰ってこなくなることが多かったので、猫攫いの仕業だろう、と囁かれていた。
もちろん、自治体や警察がパトロールを強化してはいたが、犯人は捕まらず、また、帰ってこない猫の数もそう減りはしなかった。
ミーになにかあったら、と不安になった優はすぐにミーを部屋飼いにして、代わりにポチの散歩に一緒に連れて行っていたのだ。
目を離した隙に猫攫いに狙われることのないように、しっかりとリードを付けて。
この山奥に猫攫いがいるかどうかは知らないが、数年続けてきた癖だし、ミーがそれに慣れ切ってしまっていたら、山道で自由にするのは少し危ないようにも思える。
悟は「ふぅん」と気のない返事をして、優が昼食を用意しておいたテーブルに着いた。
訊いてみたものの、元々そこまで興味はなかったのだろう。
それを横目で確認しつつ、優は今度こそ、二本のリードを手に玄関を出た。
ポチもミーも散歩には手慣れたもので、大人しく優の隣に並ぶようにして歩き出す。
歩き出しながら、ふと、隣家が優の目に留まる。
隣家といっても、間には大袈裟なほどに広い庭や空き地を挟んでいるので、これまで住んでいた地域の距離感で考えれば、四軒隣、くらいだろうか。
隣家とはいえ、この距離であれば挨拶は不要だろうと、引っ越しの挨拶には行っていない。
こんな田舎に引っ越してきたのも、あまり人と関わりたくなかったからだ。
隣家との距離も、競売に出ていた中でこの家を選んだ理由のひとつである。
「あの……」
「うわっ!」
考えに浸っていたところに突然声をかけられて、優は飛び上がるほどに驚いた。
ぼんやりとしていた意識をハッと取り戻すと、一メートルほど先に年配の女が立っているのが見えた。
ちょうど、優の亡くなった母と同じくらいの年頃だろうか。
その眼は明らかに優を見ており、他の誰かに声をかけたという様子ではない。
まるで優を庇おうとするかのように、普段は決して優よりも前には出ようとしないポチとミーがすかさず優と女の間に立ち塞がっている。
小型犬と小型猫のため、あまり護衛にはなっていないけれど。
「あーっと……」
なにか、気の利いた言葉を言うべきだろうか。
そうは思うのに、滅多に人と話さない優には咄嗟に言葉が浮かばなかった。
「突然すみません。私は向こうの家の者で、杉木と申します」
女はゆったりと頭を下げてみせた。
その頭が上がるまで、優は呆然と固まっていた。
まさか人に会うとは、そして話しかけられるとは思っていなかったから、予想外のことに硬直してしまったのだ。
どのくらい、固まっていただろうか。
おずおずと様子を窺う女にハッと気付いた優は、慌てて「どうも」とこちらも頭を下げた。
そのあと、慌てて「青木です」と言葉を続ける。
こうして名乗り合ったのだから話は終わりだろうか。
そう思った優が「では」と話を切ろうとするよりもほんの一瞬早く、女は「実は、青木さんにお願いがありまして」と話を続けてしまった。
こうなってしまっては、こちらに話すことなどない、と切り捨てるわけにもいかない。
「お願い、ですか」
はて、と優は首を捻った。
本当の隣家であれば、例えば騒音などに関する願いもあるだろう。
こちらが煩いのかもしれないし、隣家に幼子がいるから騒がしくなるかもしれない、という謝罪かもしれない。
けれど、優の家と杉木家は、街であれば四軒先ともいえる距離である。
そんな距離からのお願いの内容なんて、優にはいくら考えてもわからなかった。
「先日、お祓いをされていらっしゃいましたよね」
「……えぇ、まぁ」
ーーなるほど。
優は納得すると同時に歯切れ悪く頷いた。
相手の目どころか顔も見られないので、視線は足許や横を彷徨ってしまう。
確かに、優はこの家に引っ越してくる四日前、つまりは今日から一週間前に下見に来た時に、家やその敷地にお祓いをしていた。
この家を買ったふたつめの理由が、前の住人が残していった家具をそのまま使っていいということだった。
優だって金に困っているわけではないけれど、一軒家に家具を揃えようと思うとそれなりに金がかかる。
家の中にサイズの合ったものがすでに用意されているのはラッキーだろう。
「家を買った時に前の住人の家具が一式ついてきたんですが、弟がそれを気味悪がったもので」
正常な感覚だと思う、と悟は言っていたけれど、優はあまり気にはならなかった。
けれど、もしも悟がそれを気にしなかったとしても、優はお祓いをしていただろう。
視界の隅を横切っていった半透明の影に、優はそう思った。
「……このあたりは、古戦場跡を潰して開発した土地だそうです」
女は静かな声でそう言った。
優の先の発言とは、噛み合っているようで噛み合っていない。
頑なに逸らしたままの視線。
それでも視野に入ってしまう女の顔。
窺うように優を見る、眼が見えた。
女の唇は閉じたまま。
新たな言葉は吐き出されないのに、それでもその眼が語りかけてくる。
「ーー見えて、いますよね」
ぐっ、と優は言葉に詰まった。
喉の奥で吐き出せなかった言葉が絡まり合って、おかしな音を立てる。
気付かなかったふりでさらりと流してしまえばよかったのに。
この年までの人付き合い経験値の低さが、優に妙に素直な反応をさせた。
「初対面でこのようなお願いをするのも心苦しいのですが、どうか、どうか。うちも見てはいただけないでしょうか」
優はなにも答えていないのに、女は勝手に優が本物の祓い屋であるかのように決めつけてかかってきた。
いや、確かに。
お祓いができるというのは、本当のことだけれど。
「……申し訳ないですが。本職ではありませんので、お断りさせていただきます」
これ以上会話を続けられてはたまらない、と優は女の返事も聞かずに軽い会釈だけをして歩き出した。
人付き合いを嫌ってこんな山奥に来たというのに、引っ越して早々近所付き合いだなんて冗談ではない。
いつもより少しだけ早足になった優に、少しだけ駆けることができて嬉しいのか、ポチが楽し気についてくる。
ミーの方はあまり駆けたくはないのか、ほんの少し、リードに抵抗を感じた。
少しだけ首を回しながら横目で背後を確認にして女が付いてきていないことを確かめてから、優は歩く速さを調整した。
逃げるためだとはいえ、ミーの首を絞めるわけにはいかない。
家から離れれば離れるほど、眼に映る半透明の影が増えていく。
優がお祓いをしているから、家の中や周りにはこの影はない。
この家を買った理由の三つ目が、この半透明の影……霊の存在だった。
これだけ多くの霊がいるのだ、前の住人はよっぽど早く出て行きたかったに違いない。
そう睨んだ通り、家は大きさの割に安く買うことができた。
お祓いができる優には、霊の多さはそう大きな障害ではなかった。
とはいっても、優は神主や坊主などを本職にしているわけではない。
高校を出たあとに、ちょっとばかり神道にのめりこんだ時期があったというだけの素人である。
だが、それなりに長い期間、それなりの師を仰いで修行を積んだため、大抵のことはできるようになっていた。
それが、霊を見ることであり、祝詞をあげることであり、お祓いをすることである。
「まさか、見られていたとは思わなかった」
優は、思わず呟いてしまった。
朝早いうちに、周囲に人気がないことを確認してからお祓いをしたはずだった。
もしかしたら、隣家の窓からでも見られていたのかもしれない。
ひっそりと暮らすつもりだったのに早々に声をかけられるなんて迂闊だった、と反省しながらぼんやりと歩くうち、優は三叉路に行き当たった。
引っ越してきてからまだ三日目。
どの道がどこに繋がっているかは、まだわからない。
「ポチ、どっちにするんだ?」
優に判断を委ねられたポチは、少しだけ悩むような素振りをみせてから、右側の道へと一歩踏み出し、窺うような視線を優へと向けてきた。
本当に頭のいい犬だな、と優は思う。
「よし、じゃあ今日はその道にしよう。帰りも期待してるからな、ポチ」
優がそう言って頭を撫でてやると、ポチは任せろとばかりに「ワン」と一声鳴いた。
一時間程度の散歩を終えて家に帰って来た優は、ポチとミーのリードを外してやってから二階の自室へと向かった。
連日の引っ越し準備や荷解き作業で滞っていた仕事を、そろそろ片付けなくてはならない。
座り心地のいい椅子に座って、万年筆を手に取る。
最近はパソコンで仕事をするのが主流になっているが、優は紙とペンでの作業が好きだった。
メールで送られて来た依頼書に今一度目を通してから、優は万年筆を紙に走らせた。
こうして人と対面しなくてもいい仕事に就けたことは、優にとって僥倖だった。
ほんの偶然、ちょっとした興味本位もあって応募した小説が評価され、優は小説家となった。
最初のうちは、さすがに小説だけで食べていくことはできなくて普通の仕事にも就いていた。
けれど順調に仕事が増え、ちょっとしたコラムの執筆や、月刊誌での連載の仕事がもらえるようにもなり。
なによりも、単行本を六冊も出版することができたのだ。
これまでの積み重ねた実績のおかげで、優はこうして、山奥で生活しても許される社会基盤を得たのだ。
コンコン、とドアが鳴った。
この家には優と悟しかいないから、ドアを鳴らしたのは悟で間違いないだろう。
優の仕事中に悟がこうして書斎を訪れるのは珍しい。
「どうした、なにかあったのか?」
優は椅子に座ったまま、背もたれに体を預けながら首だけをドアの方へ向けて、そう声をかけた。
ちょうど集中する瞬間だったせいで、掴みかけていた集中の尻尾がフワフワと逃げて行ってしまう。
今日はもう無理かもしれない、なんて、まだ一行だって書けていないのに。
「手紙が来た」
「手紙?」
優は思わず、誰もいない部屋の中で眉をひそめてしまった。
玄関先に貼り付けた「広告お断り」の文言シール。
外へ買い物に出かけることも少ないし、ポイントカードや会員登録の類も断っている。
ダイレクトメールの類が届いた経験は、前の家を含めても一度もない。
さすがに行政からの連絡は来るけれど、青木家に届く手紙なんてそれくらいのものだ。
玄関には行政から届いた手紙を入れる箱が用意されているし、もしも差出人が行政であれば、悟は素直にその箱に手紙をしまっただろう。
「誰からだ?」
優がさらにそう問いかけると、悟がドアを開けて、隙間からチラリと顔を覗かせる。
「杉木、って人」
「……杉木」
優はオウム返しのように悟が口にした名を呟いた。
聞き覚えがない……というのが難しいほど直近に耳にした名だった。
優が伸ばした手に、悟は素直に手紙を乗せた。
思った通り、消印もなければ、切手も貼られていない。
お世辞にも良好だったといえない出会いだったはずだ。
これから隣人になろうという相手の申し出を、優はすげなく突っぱねたのだから。
恨み言か、嫌がらせか。
真っ先に思い浮かんだのはそんな危惧だったけれど、封筒から嫌な気配はない。
悟がどこか心配そうに見守る中で、優は封を切って、中から手紙を取り出した。
ーーどうか、どうかお助けください。
書き出しから不穏なその手紙に最後まで目を通した優は、つい、嘆息してしまう。
「兄ちゃん、どうしたんだ?」
「隣の家も、お祓いが必要らしい」
優の言葉に、悟が顔を潜めた。
口を開かずとも、ゲッ、という声が聞こえてきそうな表情だ。
「やっぱりこの辺、おかしいんじゃない?」
悟はどうやら、幽霊の類があまり得意ではないようだった。
優と違って神道になど触れたこともない悟には見ることもできないはずなのに、不思議なものである。
優は「ふぅ」と息を吐いた。
手紙には、まだ幼い孫娘が家の中に見える影に怯えて落ち着かない、といったことが書かれていた。
懇願という言葉がピタリとあてはまるほどに遜りながら何度も頼みこんでくるその文面から、孫娘の精神もギリギリなのだろうと察しがつく。
タチヨミ版はここまでとなります。
2022年4月10日 発行 初版
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私がヒーリングを生業としてかなりの年月が経ちました。 いつからか瞑想中に小説のプロットが天空から降りてくるようになりました。 最初は気にもとめていませんでしたけれど、それがちゃんと起承転結のある面白いストーリーだと気付き、そしてそれがハイアーセルフからもたらされているというのにも気付きました。 自力で肉付けをして書いた物が十冊ほどになりましたが、やはり中々時間がとれません。 暫くは多忙を言い訳に、数年間、プロットの山を放っておきました。 けれど、ハイアーセルフがプロットを下さったのにも訳があるのだと思い立ち、形にしなければと一念発起したのです。 そこで2021年の始めから、才能のある人に私が書いたプロットを渡して書いて貰うことにしました。 小説は時間がかかります。筆の遅い私が一人でこのプロットの山を形にするには、数百年かかります。 私のプロットと、才能ある方のコラボ、どこまでできるかわかりませんが、形にしていきたいと思っています。 勿論、時間の許すかぎり、自分でも書いていきたいと思っています。 宜しかったら応援してくださいね(#^.^#) さら・シリウス