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この本はタチヨミ版です。
永い時間の中で変わっていくものはなんだろうか。
良いようにも悪いようにも物事は移ろい行く。
そもそも永い時間とはどれほどのものを指すのだろうか。
500年―――それは人の命からすれば相当に永いものであるが、地球ができてからと考えるとほんの一瞬の時間だろう。
高司浩二郎が生きてきた40年の時間はそれよりも短いものであるが、彼の肩にのしかかっているのはその五百年だった。
彼が生まれたのは、戦国時代から五百年にもわたって続く伝統的な金物職人の家であり、浩二郎もその十六代目の職人だった。
高司の家はその永い歴史の中で力も富も手に入れていた。
浩二郎が住む家はお世辞にも新しく綺麗なものではないが歴史を感じさせる趣のある造りと、何より家と呼ぶより屋敷と呼ぶ方が正しいほどの広さを持ち合わせていた。
更に立地はこの土地では良い方だ。彼の住む街の中にある一際大きい山の中腹ほどにあり、その山全てが高司の所有物であった。
都会の人間からすれば不便な面も多いかもしれないが、ここで生まれるほとんどの人間はこの地を出ることはなく、何かできずに困ったこともない。
狭い世界ではあるが、街の中では一番恵まれているのが浩二郎だった。
浩二郎だけではないが高司の歴史の中でそれなりに財産を蓄えており、地元では力のある名家だ。そんな浩二郎に言いよる人間も男女問わず多くいる。
彼はその悉くに辟易としており、最近の癒しといえば一人街を見下ろして屋敷の縁側でゆっくりとした時間を過ごすことだけであった。
その時間だけは体裁も、家のしがらみも。職人としての悩みも何もない。
高司浩二郎という一人の人間に戻れる気がしていたのだ。
側から見れば彼は寂しい人間だと言われるだろう。両親はとうに亡くなり、兄弟も家族もいない。40にもなって友人関係もなく、独り身である。だが、財産目当てや権力目当ての人間を信じられるはずもなく、彼はその寂しい人生こそ正しいと思って生きているのだった。
それに、野良猫で屋敷に住み着いた猫を引き取り一緒に暮らすようになった。猫のミーが唯一の家族である。
40年、代わり映えのない人生を歩んできたのだ。今更何か劇的に自分の人生が変わるはずもないとある種の諦めを孕みながら、彼は今日もミーと一緒に時間を消費していく。
「それでは本日はこの街で一番の物産である金物をご紹介させていただきます。高司という名前はこの街で知らない人間はいないと言われておりますし、実際ここで生み出された包丁などの金物は日本の至る所に届けられています。さらにそれだけでなく、宝飾品も一級品のものばかりです」
浩二郎は十人ものクルーの目の前で、すらすらと原稿を読み上げていくアナウンサーを何処かぼんやりと見つめていた。
よく通る鈴を転がしたような声に澱みのない言葉たち。
プロの仕事とはこういうものか、と感心して見る先はまだ25だと話していた新人の柳川千鶴。アナウンサーらしく清潔感のあるスーツ姿に160を超えないほどの身長。肩口まで伸ばされた黒髪はフワッと切り揃えられている。
最初の挨拶もそこそこだったので今日も適当に仕事を流して終わらせてもらおうと考えていたのだが、実際カメラが回り始めると彼女は予想を超えて真剣に話し始めていた。
そして何より、時間が経てば経つほど彼女は彼女らしさというのか、とても素の部分を見せるようになったのか、リポートにも熱が篭ってきていた。
こういった取材は多いのだが、実際、金物の話などをしても皆面白い顔はしない。
実際興味のない人間を楽しませるほど仕事内容は面白くはないし、浩二郎自身も面白いとは思っていない。それに自分の口下手な所も合わさって大体は何の波風も立たずに終わっていくのが常だ。
だが、千鶴は違った。演技ではなく心から仕事内容に興味を持ってくれ、熱意を持って対応してくれたのだ。
おかげか浩二郎の口も軽くなり、取材はあっという間に最後の工程を紹介するまでになっていた。
最後に紹介するのは紋入れ。
この包丁は誰が作ったのか、それが使う人間にわかるように入れる、ある意味ブランドマークとも言えるものだ。
最近ではダマスカス模様や漣、包丁にも色々な模様が入っているものが増えてきたが、彼が入れるのはただ高司と漢字で焼き付けるのみ。
だが、戦国時代から続く由緒正しい高司の名を冠するのだ。
この包丁は一級品であるという証になる。
実際、この文字が入っているだけで包丁の価値は数倍に跳ね上がる。
これまた戦国時代から使い続けられている焼鏝を用いて包丁に押し付けると、まだ赤みが残った文字が包丁に浮かび上がる。
千鶴はそれをキラキラとした目で見つめていた。
「わぁ、すごいですね!」
「……いや、ただ熱して押し付けるだけではあるんですが」
「いえいえ! きっとこの焼鏝にも文字にもわたしたちでは計り知れないほどの歴史があって……数百年の時を超えて今ここに新しく包丁に命が宿るんですね」
大袈裟な、と一笑に伏すことは簡単だ。
あまりにも派手な言い回しだったが、浩二郎は正直に嬉しく思った。
金物職人という仕事は昔から生活の一部だった。
だから嬉しくも悲しくも思わない、あって当たり前のこと。興味のない人間がいることも当然だと思っていた。
今まで興味を持った人間は、包丁や仕事内容ではなく、その先にある高司の力や財産に目を向けている人間ばかりだ。
素直にここまで喜んで貰える姿は嬉しいものなのだと浩二郎は初めて知った。
断る理由もないから、となんとなく引き受けた仕事ではあったが、浩二郎はすでに満足げ だった。
「様々な高級料亭にも卸している高司の金物。昔は刀で今は包丁。目的も造りも違うけれど、そこには大和魂が間違いなく受け継がれているのでしょう……今日は、本当にありがとうございました」
「こちらこそ、わざわざ取材ありがとうございました」
満面の笑みの千鶴はカメラが止まっても笑顔のままだった。
クルーが慌ただしく撤収の準備をしている中で、千鶴は道具を片付け始めた浩二郎の斜め後ろからその作業を見守っていた。
「……何か?」
「あ、すみません!邪魔しちゃって………本当にすごいなって」
浩二郎はさっさと道具を片付け、何処か足取り軽く千鶴の元に戻る。
彼女は変わらない笑顔を浮かべながらずっと浩二郎を待っていた。
だが戻っても何か話したいことがあったわけでもない口下手の浩二郎はただ挙動不審に彼女の前で立ち尽くすだけ。それなのにも関わらず彼女は気にしないかのように先ほどテレビカメラの前で作り、プレゼントした包丁を眺めていた。
「別に包丁に限った話ではないですが……私達が当たり前に使って知っているものでも、それを一から作るのを見ると圧巻でした」
「ありがとうございます」
浩二郎は自分の口下手を呪った。
ただ礼を言うのではなく何か言えるべきことがあったのではないか、と悔しく思ってしまう。
「あの、高司さんって高級でなかなか手に入らないものなのですか?」
よく聞かれることであり、浩二郎はいつだったか話したような内容を思い出しながら饒舌に見せて話し始めた。
「いえ、確かに一級品ではそうなのですが……この街に住んでいる方のも作っていますよ。確かに使っている鋼が違ったり手間が違ったりはするのですが、自信を持って一流の包丁をお届けはできると思います」
ガチャガチャと音を立てながら作業台を漁った浩二郎は今制作途中の包丁を手に取った。
それは街の主婦が注文してきたもので、浩二郎の言葉通り使っている素材は一級のものではないがしっかりと高司の名を冠するものである。
値段は普通の包丁に比べれば高くはなるが、それでも一般の人間が手に取るのには問題のないものだ。
料理が趣味だとか少しその辺りにお金をかけたりする人間からすればむしろ安いと言えるくらいのものだ。
そんな包丁を受け取った千鶴は頷いてチラリとまだ熱の残った炉を見つめた。
「そうなんですね…あの、今度わたしも注文して良いですか?」
「あっ、もちろんもちろん……電話してもらえたら、ああいや、明日にでも作り始めるので……連絡はテレビ局に連絡すれば良いですか?」
浩二郎は思わぬ提案に舞い上がってしまったのか緊張気味に早口で捲し立てる。口下手とは言葉が出てこないだけではなくこういう時もあるのか、と浩二郎は笑う。その言葉が心の中にあるのか話しているのかすらも、今の彼にはなぜか判らなかった。
そんな浩二郎をニコニコと見つめながら千鶴は口元に手をやって微笑む。
「ふふ、浩二郎さんって職人さんで立派なのに可愛らしいんですね」
「あぁ……いや、そんな」
参った、と自分の頭を掻きむしった浩二郎にさらに笑みを深めながら千鶴はスーツの内ポケットから自分の名刺を取り出す。
ちょっと借りますね、と言って汚い工房の床に片膝を付き、作業台にその名刺を置く。そしてそこにペンを走らせた。
浩二郎が見ると遠くて読むことはできなかったが090から始まるそれは彼女の電話番号だと言うことは想像に難くなかった。
「包丁はわたしが個人で注文するものですし……こちらに連絡くれたら嬉しいです」
わかりました、と浩二郎は立ち上がった千鶴に軽く頭を下げた。
「あの、もしよかったらまた作っているところを見ても邪魔ではないですか?」
「え? えぇ……それは構わないですが」
「本当ですかっ⁉︎ じゃあ、浩二郎さんのお時間が取れそうな時にでも……急ぎの注文ではありませんから」
喜んで、と言うのは軽口だろうかと浩二郎が悩んでいると千鶴はだらりと下がっていた浩二郎の手を両手で取って笑顔を向ける。
「おーい、何話してんだー?」
工房の外から声が聞こえてくると千鶴は何処か慌てた様子で手を離した。
その行動はどんな意味があるのだろうか、と浩二郎が眉を顰めると工房に先ほどのテレビクルーの一人、吉野というディレクターが入ってきた。
彼は雑多な工房にずかずかと入って、埃っぽいことに軽く口を抑えて無言の文句を浮かべた。
「外の空気吸ったら? 次の撮影もあるから喉は気にしないと」
「……あはは、すみません」
そう言う千鶴は吉野に対応しながらチラッと浩二郎を見つめた。
もしかしたら彼女は今の謝罪は自分に向けてだったのかもしれない。自分はあまり気にはしないが確かに失礼だと言えるような発言だったから。
そんな風に思いながら軽く会釈すると千鶴はそっと吉野の背中に触れて彼を押していくように工房を後にしていった。
残されたのは、彼女の置いていった名刺を見ている何処か嬉しそうな浩二郎だけだった。
それからひと月ほどして、浩二郎の所へ来たテレビの放映があった。
それは楽しみな日ではあったのだが、浩二郎の楽しみはそれではない。
流れている自分の姿をぼんやり見つめていると家のインターホンが鳴り、浩二郎は直ぐにテレビを無視するように立ち上がった。
柄にもなく駆け足で玄関を開けにいくと、そこにはあの日と変わらず可愛らしい笑顔を浮かべた千鶴が立っていた。
「こんにちは、遅れてすみません浩二郎さん」
相変わらずよく通る綺麗な声を聞くと、浩二郎は思わず笑顔になってしまう。
放映があると言うことで一緒に見てから注文の包丁を作っているところも見せてほしいという彼女からの誘いに、にべもなく頷いての今日だ。
慣れない旅路で遅れてしまった千鶴と共に放映を見ることはなかったが、浩二郎にとっては些細な問題だった。
千鶴と共にいられること。それが一番重要だった。
とは言っても、実は彼女が取材の日以降浩二郎の元を訪れたのは初めてではなかった。
一度、改めて番組からのお礼のお便りだと手紙を土産に足を運んできたときは、浩二郎も社交辞令ではなく本当に来てくれたのかと喜びより驚きの方が勝っていた。
それに、いきなり女性一人で来るのもおかしいから、と彼女は友人を連れて来ていたのだ。
結局その日は二時間ほど話しただけで帰ってしまったのだが、帰り際に「今度こそ一人で来ますね」と囁かれて以降、浩二郎は今日という日を心待ちにしていた。
私服だと言うのに相変わらず華美ではなく清潔感と透明感を合わせたような出立で、レポーターという職業上衆目に晒されるのであるから、普通はある程度着飾ったり派手になっていくものだと思うのだが、彼女はそんなことはなかった。
それは、浩二郎の今まで見てきたどの女とも違う、唯一のものだった。
「……浩二郎さん?」
遅れたことに怒っているのか、と探るように下から覗いてくる千鶴の視線に刺されて、ようやく浩二郎は動き始めた。
「あ、いや!……なんでもないんです」
ごまかせているとは到底思えない一言だが、千鶴は気にしないような笑みを浮かべた。
「もう、浩二郎さんてば………それに、敬語やめてくださいって前お話ししたじゃないですか」
「ああ、はは……そうだったな」
自分の頭を手慰みに掻きむしりながら、いい加減中に入れてあげなければと思い立った彼はぎこちない素振りで千鶴を居間へと案内した。
というのも、この家に人を招き入れたのはいつぶりだろうか。
この前の千鶴と友人も工房だけであったし、もっぱら彼の関係する人間は工房にしか行かないような関係だ。
居間に通したのは年単位以上で久しぶりだった。
「わぁ、外から見るよりももっと素敵ですね……!」
「古いだけだよ」
「いえいえ、趣がありますし………あ、見てくれてたんですね放送!」
千鶴は嬉しそうに笑うがすぐに恥ずかしそうに首をすくめた。
「って、そりゃ自分も出てますし当たり前ですよね……すみません」
「いや……別にいいさ」
そんな天然気味なところも可愛らしい、と口には出せないが浩二郎は嬉しそうに笑っていた。
「っと、この家は街から遠いから店屋物も時間がかかるんだ。いきなりで申し訳ないが何が食べたいか教えてくれるかな」
そう言ってずらっと、というには物足りない量のメニューを広げた浩二郎だったが、千鶴は笑顔のまま首を横に振った。
「ふふ、今日は大丈夫です! それよりせっかくのいい天気ですから、どこか空気が良かったり見晴らしが良いところを教えてください!」
「………ん?」
食事を断って景色とは。浩二郎は理解ができなかったが、もしかしたら何か失礼なことをしてしまったのかもしれない。
時間帯的に問題はないと思ったのだが。
これも普段から女性はおろか人付き合いをまともにしてこなかった弊害だろうか。
タチヨミ版はここまでとなります。
2022年4月14日 発行 初版
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私がヒーリングを生業としてかなりの年月が経ちました。 いつからか瞑想中に小説のプロットが天空から降りてくるようになりました。 最初は気にもとめていませんでしたけれど、それがちゃんと起承転結のある面白いストーリーだと気付き、そしてそれがハイアーセルフからもたらされているというのにも気付きました。 自力で肉付けをして書いた物が十冊ほどになりましたが、やはり中々時間がとれません。 暫くは多忙を言い訳に、数年間、プロットの山を放っておきました。 けれど、ハイアーセルフがプロットを下さったのにも訳があるのだと思い立ち、形にしなければと一念発起したのです。 そこで2021年の始めから、才能のある人に私が書いたプロットを渡して書いて貰うことにしました。 小説は時間がかかります。筆の遅い私が一人でこのプロットの山を形にするには、数百年かかります。 私のプロットと、才能ある方のコラボ、どこまでできるかわかりませんが、形にしていきたいと思っています。 勿論、時間の許すかぎり、自分でも書いていきたいと思っています。 宜しかったら応援してくださいね(#^.^#) さら・シリウス