spine
jacket

───────────────────────



美しき誘惑に潜む復讐の牙

さら・シリウス

さら・シリウス出版



───────────────────────




  この本はタチヨミ版です。

 

目 次

 美しき誘惑に潜む復讐の牙

 海峡

 紙の海

 おわりに



美しき誘惑に潜む復讐の牙

 男はテーブルの上にある一枚の葉書を何とも言えない表情で見つめていた。葉書には「同窓会のお知らせ」と書かれている。宮本哲也の通っていた高校では毎年秋に同窓会が開催される。哲也もこれまでに何度となく同窓会には参加しているが、今年は欠席しようかと思っていた。
 というのも、自営の会社がうまくいっていないのだ。こんな気持ちで同窓会に行ったって、面白くないのは最初からわかっている。同窓会なんて同級生たちの見た目の変化を楽しみ、自分の成功を見せびらかすための場だ。飲み食いするためだけに同窓会に参加するなんて馬鹿らしいし、正直なところ、今は会費の一万円すら厳しい。
 哲也は欠席のところに〇印を書いて、ポストに投函した。ああ、同窓会で何を言われるのだろうか。その場にいない人間は学生時代の失敗を掘り返され、悪口や変な噂話のネタにされるに決まっている。まぁ、もちろん話題にすらされない可能性もあるが、哲也には思い当たる節が多すぎた。
 葉書をポストに投函して三日ほど経った頃、電話がかかってきた。
「はい、宮本です」
「宮本哲也さんですか?」
「はい、そうですが」
「あー、よかったよかった。お前、同窓会来ないの?」
「はい? ええと、どちら様ですか……?」
「ああ、ごめんごめん。俺、戸塚だよ。戸塚仁志」
「おー、戸塚か。どうしたんだ?」
「いやいや、お前、毎年同窓会来てただろう? でも今年は来ないって幹事から聞いてさ。何かあったのかと思って」
 仁志とは小・中・高と親しくしてきた。……というよりも、金持ちの息子で気の弱い仁志をいいようにしていただけだった。金持ちの息子なら金持ちの息子らしく自信満々で堂々としていればいいものを何かとビクビクする仁志が哲也は気に入らなかった。もちろん、自分が持っていないものをすべて持っている仁志への妬みや嫉みがあることは哲也自身も自覚していた。
 仁志も哲也のいいようにされているのはわかりきっていたはずなのに、なぜか「宮本、宮本」と哲也のところにばかりやってきた。自分を明らかに馬鹿にしている相手にそれでもすり寄るのかと哲也はそれも気に入らなかった。仁志が哲也のことを毛嫌いするようになれば、そのほうが溜飲は下がったのに。
 哲也は自分でもよくわからない感情に振り回されていた。そのうち、仁志への要求はどんどんエスカレートしていった。鞄持ちをさせては、意味もないのに走らせるようなこともあった。さっさと鞄を投げ捨てて、逃げればいいものを仁志は愚直なまでに哲也の言うことを聞いた。
 そのうち、哲也は仁志の持っている家族カードに目を付けた。仁志自身がその家族カードを使うことはほとんどなかったものの、哲也が「あれがほしい」「これを買え」と言えば仁志は何でも家族カードで買った。ブランドもののトレーナーや好きなアーティストのCD、他にもいろいろなものを仁志に買わせた。
 哲也が金を貸せと言えば、仁志は財布から札を出した。もちろん、哲也が仁志に金を返したことは一度もない。仁志の持っている財布は学生には不相応ないかにも高級そうな財布だったし、そこにはびっしりと札が詰まっていた。哲也はそれも気に入らなかった。仮に財布が空っぽになってもすぐに親が札を入れるのだろう。財布が丸ごとなくなっても、別の高級財布が買い与えられるだけだ。
 すでに暴虐の限りを尽くしていた哲也だったが、何をしても気が済まないときもあった。そういうときには、仁志をサンドバッグ代わりに殴ったり、蹴ったりした。さすがに骨が折れるようなことや、根性焼きをしたりするようなことはしなかったが、それでも痣ができることはしょっちゅうだった。
 ここまでのことをされても、なぜか仁志は哲也から離れなかった。仁志が周りに泣きつけば、誰もが仁志の味方になっただろう。仁志が親に言いつければ、裁判沙汰になってもおかしくない。それでも仁志は哲也の理不尽な扱いに耐え、哲也の後を追いかけたのだった。
 仁志の家は先祖代々の開業医だった。両親ふたりで小さな野菜屋を営んでいる哲也とは違って、金の苦労とは無縁の暮らしをしていた。つくづく羨ましいと思ったものだった。何もかもが満たされている。いや、満たされ過ぎているくらいなのだから、少々自分が仁志のものをいただいてもバチは当たらないだろうと考えていた。なくなれば、なくなった分だけ、ときにはなくなった分以上のものが入ってくるのだから。
 哲也は高校を卒業してから五十を過ぎた今日まで、本当に金の苦労ばかりしてきた。仁志にやってきたことの報いを受けているのだろうかと思うこともあった。そう思うたびに、いやいや、腐るほどあるものを腐る前にちょっといただいていただけだし、仁志は仁志できっとあの関係を楽しんでいたはずだ……と自分を無理やり納得させてきた。
 久々に仁志の声を聞いて、いろんなことが頭の中を駆け巡った。どうやら仁志は哲也を心配して電話をかけてきたらしい。だが自分の現状を素直に打ち明けるわけにはいかない。打ち明けられるわけがない。どうしたものかと考えていると、仁志から意外な提案が飛び出してきた。
「なぁ、宮本。今日は金曜だろう? 土日は休みだし、一杯飲もう」
「あー……」
 酒は好きだが、今はとてもそんな気分にはなれなかった。余裕もない。同窓会の会費ですら厳しいのに、飲みに行けるわけがない。どういう風に説明すれば、恥をさらさずに済むだろうかと考えあぐねていると、仁志はいろいろなことを察したらしい。
「もちろん、俺から誘ったんだからおごるよ。仕事もあるだろうから無理にとは言わないけど、前の同窓会でもあんまり話せてないしさ。久々にゆっくり話したいんだよ」
 確かに前回の同窓会に限らず、哲也と仁志は同窓会で会っても二言三言交わすくらいだった。学生時代の関係は特殊なものだったが、お互いが社会人になってからは疎遠と言った方が正しい関係になっている。言ってしまえば、今では二言三言交わす程度の、その程度の関係でしかなかったのだ。そんな仁志から誘いがあるとは。
 正直なところ、最近は金の心配ばかりで旨い酒を飲んでいない。下衆な考え方かもしれないが、人の金で飲む酒ほどうまいものはない。いろいろあったものの、かつての同級生がせっかく誘ってくれているのだ。哲也は仁志の言葉に甘えて出ていくことにした。
 仁志に指定された店は今流行りの個室作りの居酒屋だった。哲也が絶対に選ばないタイプの店だ。さすが、金持ちは店の選び方からして違う。自腹だったら腹も立っただろうが、今回は仁志のおごりだ。人の金でいい店で飲める……これ以上のことはない。
 哲也は浮かれに浮かれていたが、仁志の表情は暗かった。電話で話したときの声とはだいぶ印象が違う。何かあったのだろうか。まさか開業医が不景気でもあるまいに。今度は哲也が仁志を心配する番だった。
「今日は誘ってくれてありがとな。それで……どうしたんだ? 俺ならともかく、ブルジョアの開業医さんらしくもない顔をして」
「ああ……ちょっとな……」
 最初は口が重かったが、哲也が酒をすすめて飲ませると酔いが回ってきたのか少しずつ口がほぐれてきた。何もかもに恵まれた仁志のような人間でも悩むことがあるのかと思うと、哲也は少し嬉しかった。それが悪意からなのか、純粋な共感から来るものなのかは自分自身でもよくわからなかったが。
「ほら、もう全部話しちまえよ。話を聞いてるのは俺だけだ。他には誰もいない。俺だって誰にも言やあしねぇよ」
「……実はな、俺の女房が……麗子が浮気してるみたいなんだ……」
「浮気?」
「ああ、探偵にも調べさせたんだが、ボロを出さない。でも、浮気してるのは確かなんだ」
「確かってのは何か証拠があるのか?」
「夜中に寝言で『まさるさん!』ってよ……本当に嬉しそうに男の名前を呼ぶんだよ。それも一度や二度じゃない。何度も聞いた」
「ああ、それは……俺でも浮気を疑うな……」
「どうしたもんだろうか? 俺はそれでも女房を愛してるし、あいつと別れたくはないんだよ」
「……子どもは?」
「子どもは三人。全員もう独立して出て行ったよ」
「そうか……」
「あいつももう今年五十になった。だが、四十前に見えるほど若々しい。……実際、今までにも麗子に言い寄る男は多かったんだ。それも人妻だと知ってて声をかけるやつばかり。いくらでも声はかかるだろうし、麗子がその気になればいつ男ができても不思議ではないんだが……」
「……なぁ、さっき探偵にも調べさせたって言ったよな?」
「ああ」
「それってどれくらい調べさせたんだ?」
「ええと、確か……最初は二週間。探偵もそれくらいで何か情報が出てくるはずだって。でも何も情報が出てこないってんで、さらに一週間追加したんだよ」
「それでも何も出なかったのか?」
「そうなんだよ……探偵雇ったのもバレてるのかもな……それかよほど隠すのがうまいのか……」
 哲也は考えた。探偵と言えばその道のプロだ。それが二週間調べても何もわからず、さらに一週間追加しても何も出ないなんてことがあり得るのだろうか。仁志のことだ。金は有り余っているだろうし、それなりの実績のある探偵に依頼しているはずだ。それでもボロを出さないなんて、仁志の女房は本当に浮気しているのだろうか……。
「なぁ、宮本。調べてくれないか? あいつはお前の顔を知らないし、ちょうどいい」
「いや、でもプロの探偵でも何も出ないんだろ? 素人の俺なんかじゃますます役に立たないって」
「俺の依頼した探偵が悪かったのかもしれない。最近は素人が浮気や不倫の証拠集めをうまくやって復讐した話も多いだろう? こんなことお前にしか頼めないんだよ、宮本」
「でもなぁ……」
 哲也は仁志の結婚式の前日に事故を起こし入院していて、式には出ていない。確かに麗子には顔を知られていない。その点では適役なのかもしれない。だが、仕事もうまくいっていないこの状況で、探偵の真似事などしていてもいいのだろうか。哲也が悩んでいるのを見て、仁志は哲也がおそらくもっとも喜ぶであろうものを謝礼として提示した。
「結果が出ても出なくても、謝礼を払うよ。百万。もちろん、かかった費用は別に払うから宮本が損することはないと思う……どうだろう?」
 こういうとき、古い友人の頼みだからと謝礼はいらないと言うのが大人なのだろう。だが、今の哲也にその余裕はなかった。今の哲也にとって百万は大金だ。探偵の真似事に多少の時間を費やしても、十分プラスになる。確かに損をすることはない。
「……わかった。謝礼はいらない……なんて言えたらよかったんだが、謝礼はいただくよ。ホントいうと今、金欠で。悪いね」
「いやなに、引き受けてくれてありがたいのはこっちのほうだよ。悪いね」
 できればすぐにでも……と言われ、哲也は次の日からすぐに麗子の尾行を始めた。不謹慎だとは思ったが、探偵の真似事で誰かを尾行するのはなかなかに面白い。何よりも麗子は美しかった。事前に写真を見せてもらったときはまるで女優やモデルのようだと思ったが、実物を見てみるとそれ以上だった。実際に道行く人も麗子とすれ違うと思わず振り返っていった。
 最初はいけないことをしているかのような罪悪感もあったが、それも徐々に落ち着いてきて、一週間が経つ頃にはもうこの探偵ごっこに飽き飽きしていた。というのも、あまりにも動きがなさすぎるのだ。ただ美人な人妻の日常を追いかけているだけで、仁志に特別報告するような情報も得られなかった。
 金持ちらしく高級スーパーへ行き、そこでろくに値札を確認することなく気になった商品を次から次へとカゴの中へ放り込んでいく。会計を済ませると、荷物を自宅へ届けてもらうように手配したのか手ぶらで帰っていく。見ている限り、万引きなどの怪しい動きもないようだった。
 買い物をしない日には一等地にある美容院へ通っていた。派手な美容師と楽しげに話をしていたが、美容師は全員もれなく女性だった。どこが変わったのかわからないレベルでカットしてもらい、トリートメントやヘッドスパなどもしてもらっているようだった。もしかして浮気相手は女の可能性もあるのでは……と思ったが、こちらに関してもやはり怪しいところはなかった。
 二週間が経っても、やはり麗子に何もおかしな点はなかった。結果が出ても出なくても謝礼は払うと仁志は言っていたが、さすがに何も報告できることがないとなると何もせずに謝礼だけ分捕ろうとしていると思われるのではないか……哲也は焦りを感じるようになっていった。

 ある日のことだった。その日、麗子はデパートに向かっていた。デパートに到着すると、まず一番上の階まであがった。そこから一階ずつおりていき、それぞれのフロアで好きなものを好きなだけ買っていった。いかにも高そうなジュエリーも金額なんて気にしている様子はなかった。
 買い物を終えてデパートから出た後、麗子がふと立ち止まった。どうしたのかと思っていると、麗子はふらっとバランスを崩し、その場で倒れそうになった。下は大理石だ。倒れて頭でも打てば大怪我をしてしまう。哲也は探偵として尾行していることも忘れ、慌てて麗子のもとへと駆け寄った。
 左手で麗子の背中を支える形になったが、その瞬間、今までに経験したことのないようないい香りに包まれた。艶やかな髪がはらりと舞い、ふっと麗子が顔を上げる。長いまつ毛に縁どられた大きな瞳が美しく潤んでいる。毛穴など存在しないのではないかと思うくらい、透明感のある陶器のように滑らかな肌。小ぶりな鼻に、ぷっくりと艶めいて形のいい唇。すべてが完璧だった。美しい。哲也はその一瞬で、麗子に心を奪われた。
「ごめんなさい……ちょっと眩暈がして」
「あ、いえ……大丈夫ですか? 救急車、呼びますか?」
「いえいえ、大丈夫です。よくあることなので。少し休んでから家族に迎えに来てもらうことにします」
「そうですか……では」
「ええ、ありがとうございました」
 哲也は帰宅後もしばらく呆けていた。麗子の美しさに魅了されてしまったのだ。左手で触れた麗子の体は華奢で、そのまま抱きしめてしまいたいとすら思った。仁志のための麗子の尾行は、翌日から哲也自身のためにおこなうこととなった。ずっと見ていたい! 一緒にいたい! その衝動が常に哲也の内奥から湧き上がり、麗子の魅力に抗うことはとても出来なかった。
 麗子の毎日には大きな変化はなかったものの、改めて見るとうらやましい限りだった。庶民には縁遠い高級スーパーで好きなだけ買い物をし、美容院では優雅な時間を過ごし、デパートへ行けば高級品を買い漁る。そして、時折、近所の奥様方とアフタヌーンティーを楽しむのだ。だが、何をしていても麗子だからこそ様になった。

 眩暈事件から数日後、麗子はよく利用するコーヒーショップのカウンターでひとり、午後のティータイムを楽しんでいた。白いシルクのブラウスに、薄いブルーのシフォンのスカート。細い指でカップを持ちながら本に眼を落とす姿はまるで名画のようだった。
 美しい……哲也は少し離れた席からうっとりと麗子を眺めていた。すると突然、麗子がくるりと哲也のほうを見た。ばっちりと目が合う。まずい……どうしようかと動揺していると、麗子が席を立ち哲也の方に歩いてきた。
「こんにちは」
「ど、どうも……」
「あの……私の勘違いでなければ、少し前にデパートで助けてくれた人ですよね?」
「あ、ええ、まぁ……」
「よかった! このあたりにお住まいなんですか?」
「いえ、仕事でこのあたりに来ることが多くて……」
「そうなんですか? よかったですわ。改めてお礼が言いたかったから」
「いえいえ、そんな……大したことはしてないですし」
「ふふふ、謙虚なんですね。素敵。ねぇ、よかったらたまにこのコーヒーショップで話し相手になってくれませんか? もちろん、仕事が暇なときだけでいいですから」
「は、話し相手ですか?」
「……ダメですか?」
「いえ、いいですよ」
 悲しげな表情をしながら上目遣いをする麗子に負けて、哲也は麗子の話し相手になることを了承してしまった。そうすれば男が言うことを聞くのをわかった上でやっているのだろう。だが、それがわかっていてもいざ目の前であの表情をされるとNOとは言えない。魔性の女というのはこういうタイプを言うのだろう。
 仁志には報告しなかった。というよりも、報告できなかった。探偵役がターゲットの話相手になるなどと言えるわけがない。だが、直接話すことによって得られる情報もあるかもしれないと、哲也は自分自身にそう言い聞かせた。もちろん、自分の中で麗子と話せることの喜びのほうが勝っていることは十分に理解していた。



  タチヨミ版はここまでとなります。


美しき誘惑に潜む復讐の牙

2022年5月5日 発行 初版

著  者:さら・シリウス
発  行:さら・シリウス出版

bb_B_00173514
bcck: http://bccks.jp/bcck/00173514/info
user: http://bccks.jp/user/149942
format:#002t

Powered by BCCKS

株式会社BCCKS
〒141-0021
東京都品川区上大崎 1-5-5 201
contact@bccks.jp
http://bccks.jp

さら・シリウス

 私がヒーリングを生業としてかなりの年月が経ちました。  いつからか瞑想中に小説のプロットが天空から降りてくるようになりました。  最初は気にもとめていませんでしたけれど、それがちゃんと起承転結のある面白いストーリーだと気付き、そしてそれがハイアーセルフからもたらされているというのにも気付きました。  自力で肉付けをして書いた物が十冊ほどになりましたが、やはり中々時間がとれません。  暫くは多忙を言い訳に、数年間、プロットの山を放っておきました。  けれど、ハイアーセルフがプロットを下さったのにも訳があるのだと思い立ち、形にしなければと一念発起したのです。    そこで2021年の始めから、才能のある人に私が書いたプロットを渡して書いて貰うことにしました。  小説は時間がかかります。筆の遅い私が一人でこのプロットの山を形にするには、数百年かかります。  私のプロットと、才能ある方のコラボ、どこまでできるかわかりませんが、形にしていきたいと思っています。  勿論、時間の許すかぎり、自分でも書いていきたいと思っています。  宜しかったら応援してくださいね(#^.^#)               さら・シリウス

jacket