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この本はタチヨミ版です。
一、オリンピックあれこれ
JOC竹田前会長の功績/ ザハ氏設計の新国立だったら/ 世界選手権を東京五輪の代替に/ 東京五輪1年延期ならば、マラソンと競歩は東京へ/ 五輪の目的は平和 政界へ出よアスリート/ 石原都知事の功績/ 五輪開催すべし/ 五輪と延期/ 和田勇氏の功績/ 北朝鮮 五輪不参加の真意は/ 五輪のあり方/ 残念。北朝鮮不参加/ 内村翌日、一二三と詩/ 文田、銀の涙/ 消えた金メダル ゼロ県/ 五輪を総括すべし/ 北京五輪に思う/ 五輪招致の立役者
二、スポーツの歴史と人類学
遠足、学芸会、運動会 行事こそ人材育成へ/ 火葬に立ち会えない 悲しすぎるコロナ禍/ ナイナイ岡村発言 弁天信仰の昔なら/ 相撲に5つの特殊性 日本人の尻を見ろ/ 工夫重ねて禁止令乗り越え、文化に大衆エネルギーあり/ 馬が好き 競馬も好きだ/ ケーオーとシーソーの父/ ナイルのワニがクロール生んだ/ コーチの由来/ 米国発祥スポーツ/ サムライの原点/ 遺跡の土産もの/ お釈迦様は文武両道/ 武士道の起源/ レルヒさん/ 未知の文化に学ぶ/ 火葬が出来ない
三、からだにまつわる話
男の魅力は腹筋とお尻/ 潰れた耳 レスラーの勲章 身体変工 美の追求/ 割礼は必要だ 2千学生調査 不要45%/ ステイホームで実感「体操」は素晴らしい/ ブルマーにメロメロ/ 日本女性の魅力/ ペルシャの金太郎/ 仁王像とギリシャ/ 祝! ちょんまげ/ 筋肉は美しい
四、スポーツよもやま話
スポーツ紙の役目とは/ スポーツ武器に国際人たれ/ どう捉える? eスポーツ/ モントリオール五輪レスリング、全勝で銅 工藤章/ NY競馬場に夢と散った 私のアメリカンドリーム/ 稽古が人をつくる/ チームとクラブ/ 体育≠スポーツ/ 侮るな自転車事故/ 鈴木が日本初4分台/ 女王・高木美帆/ コロナと視力/偉大なり白鵬/ ズラリHERO/ サッカー界、努力の30年
五、野球こぼれ話
野球と狩猟の類似性/ スピーチは聞き手との勝負/ 待ち遠しプロ野球観戦 日体大OBの躍動期待/ 南海沿線のヒーロー 背番19の4番で捕手/ やはり野球は別格だ/ 監督もユニフォームなのは野球だけ/ 悲願の教員採用 / 阿部くんあっぱれ/ 野球で町おこし/ フェアこそ球技の本質/ 高校野球に名監督/ 活字人間たれ/ 模範たれプロ選手/ 野球よ本気で普及を
六、大学スポーツの今
紺地に金「體大」まわし 愛校心たぎる土俵入り/ 体育やスポーツは、すべての児童に必要だ/ 国技館の優勝力士額 日体大へ引っ越しも/ 学生スポーツのアメリカ化/ トレーナーに国家資格を/ 加盟大学増えないユニバス/ 専大が箱根駅伝走る/ プロ転向を思う/ おもしろい大学に/ ドンキの奨学金/ 学生プロ選手/ 日体大からパラ10人輩出/ 合掌。千葉真一さん/ オリパラと大学/ 恐怖の少子化/ 箱根で勝つには
七、プロレス万華鏡
馳浩こそ文武両道/ 入魂「チョークすれすれ」/ 2月引退中西から学んだ、練習はウソをつかない/ 覆面の目でプロレス デストロイヤー/ ジャンボ鶴田の修士論文/ 猪木さんからの電話/ 引退タイガー服部先輩 紳士な名レフェリー/ 秋山準移籍に馬場の心中は/ 力道山の引き出物/ 古代遺跡にコブラツイスト/ 長州力からの電話/ プロレス愛
八、あの人たちとの交流
逆タマ=私の造語/ カタール政府が「資金出す」ドーハにできた日本人学校/ 昔「ジャマナカ」今ノーベル賞学者/ ふるさと納税裁判逆転勝利。泉佐野市バンザーイ/ 安部総理の思い出/ 日本より米国で轟く大山倍達/ 同期の菅氏が総理に!/ 渋沢栄一と日体大/ 小野さん、古賀さん悲報続く/ 親愛なる失言王/ 雄弁は銀/ 水玉のワケ
九、不思議な人間の心
「集団」は人間の通性、心の拠り所失うと/ ステイホーム励行。こんなに真面目に人の発言を守ったのは初めて/ ラグビー福岡医師の道。五輪断念モッタイナイ/ 人の不幸は「蜜の味」心鍛え、断密したい/ 大学を選ぶには/ がんに負けない/ 職業、収入より健康/ 日本ペンクラブ/ 挨拶の3Cと3F/ 朝青龍追え豊昇龍/ 五輪後をどうするか/ 障がい者レスラー ’64銀 アクバッシュ/ 「健全」とは/ 気合いだ気合いだ/ 夢と訓練と犠牲/ 「コップの水」から20年/ 教師は聖職だ/ 昇格! なしよ/ パラ観戦で涙/ 嫌いでも行くべき がん検診/ 野蛮性と教育/ スポーツと順法/ なお高く 高木美帆
十、スポーツは平和のツール
扉動かすスポーツ交流/ 広島レガシー旧陸軍被覆支廠。カープよ守ってくれ/ 横田滋さんは待ってる、北朝鮮の扉開ける人/ あってはならぬ人種差別 スポーツ界に学ぶべきだ/ スポーツで平和に貢献する/ 長崎平和祈念像のモデル/ 教え子を戦場に送る悲劇/ イスラムとアスリート/ フジヤマのトビウオ/ 学生と平和/ 弾薬庫から調整池へ/ タリバン政権/ ユウェナリスの金言/ 猿芝居だよボイコット
十一、スポーツの文化を学ぶ
人生とはギャンブルだ 熱く本気で打ち込もう/ 実りあるコーチの国際交流とは/ ウイズコロナの相撲中継/ 照ノ富士から学ぶこと/ ホンモノの剣道家/ TotoをBリーグに。バレー、ラグビーも続け/ 男女平等 いまだ努力目標/ どこ行った?「秩父宮博物館・図書館」/ アンチドーピング/ 最初のヒーロー テニス清水善造
あとがき
著者執筆刊行書籍一覧
新型コロナウイルスで世界中がパタパタしだした頃、『日刊スポーツ』新聞社から原稿の依頼をいただいた。ステイホームの始まり、原稿を書くのに好都合、ボケ防止のためにも嬉しかった。それで、今まで活字にしたことのなかった事柄を、エッセイ風にして書くことにした。
連載は、丸々2年間、自由に書かせていただいた。スポーツ、身体、健康、教育、身体文化、プロレスまで、幅の広いコラムとなり、1回につき800文字、楽しく記述した。タイトルは、「正面タックル」として、やや辛口でペンを走らせもしたが、161回も続いたのだから、『日刊スポーツ』に感謝せねばならない。2年間、多くの読者に恵まれ、こうして一冊の本にまとめて刊行できる幸福は、執筆者冥利につきる。
筆者が4度もがんに襲われ、入退院を繰り返したが、掲載に穴をあけることはなかった。筆者のプレッシャーが、がんという大病を吹き飛ばし、私を勇気づけてくれた。本書は、私の48冊目の著書である。書くのが趣味とはいえ、テーマを見つけるのに苦労したのは他言を俟つまでもなく、いつもスラスラとは書けなかった。苦しい時は、専門のスポーツ史やスポーツ人類学の分野から執筆した。
編集部は、時々、プロレスに関する原稿も期待された。が、近年のプロレスに疎いにとどまらず、知識も欠落していたために困った。プロレスラーの昔話ばかりで恐縮するしかなかった。昔のごとく茶の間にまで人気の届くプロレス界であって欲しいものだ。
オリンピックが1年延期され、様ざまな問題が起こったが、無事に終了して安堵した。私の日本体育大学からは、卒業生・現役を入れて59名が出場、活躍してくれた。最も古い体育大学だけに、書く事柄が多くて助けられた。パラリンピックにも10名を代表として輩出、共生社会のリーダーとして君臨できたのも光栄であった。日体大のトップとして責任は大きく、国民に勇気や希望、元気を届けることができた。子どもたちにも「夢」を与えることができたと喜んでいただけた。
コロナ禍は、社会のあり方、人々の考え方、生き方を大きく変えさせたといえる。大学までもが変化し、スポーツ界の状況までも変更させようとしている。十分に本書に書きつくすことはできなかったが、いずれ未来を示唆できる内容の出版物を出したいと考える。
本書は、日体大の法人秘書室の大須賀雅美さんの絶大な協力をいただいて刊行できた。私の読みづらい原稿を活字にして新聞社や出版社に送って下さった。心から感謝したい。また、刊行するにあたり、古くから私の出版書の編集を手伝って下さっている渡辺義一郎氏のお世話になった。謹んで御礼を申し述べさせていただきます。
最後に『日刊スポーツ』の金子航氏や久保田昭彦氏に御尽力いただいたことを感謝して追記しておきたい。
2022年初夏 吉日
松浪健四郎
2024年のパリ五輪、野球とソフトボールはペケとなった。サッカーの普及している国々は、野球は盛んではない。米の野球用具の大手メーカーだったスポルティング社が、欧州に輸出しようとしたが失敗したのは約100年前。手の文化たる野球、足の文化たるサッカー。野球はサッカーに負けたのである。
2020年の東京五輪、ダイヤモンド・スポーツとして、男子は野球、女子はソフトボールが正式種目として採用された。JOCの竹田恆和前会長の功績である。私が使いとして、クウェート国の皇太子殿下(OCAアジアオリンピック評議会議長)に陳情のために赴いた。韓国の仁川(インチョン)で開催された2014年のアジア大会の3年前であった。
皇太子のシェイク・アハマド殿下は、日体大の名誉博士で、IOC委員かつアジア・ハンドボール連盟の会長でもあられた。広島での1994年のアジア大会は、初めてアジアのすべての国々が参加した。東ティモールやアフガニスタン選手団の費用は、殿下のポケットマネーで賄われた。それらの業績を日体大が評価したのだ。
アジア大会の正式種目でない競技が、五輪種目に押し込むのは難しい。仁川、そしてインドネシアのジャカルタでのアジア大会でも野球とソフトボールが実施された。これで東京五輪が決定すれば、正式種目として日本が大きな顔をして主張することができる。
はたして、そのとおりになった。野球とソフトボールが、五輪種目でなくなれば、2020年は盛り上がらないに違いない。五輪の成功のために奔走した竹田恆和前会長の慧眼に敬意を表したい。竹田氏は元皇族であられ、外国ではプリンス竹田と呼称されていた。ご尊父をよく知る私は、二代続いてJOCのためにご尽力いただいた竹田家を忘れることはできない。日本スポーツ界の父でもあられたのだ。
IOCにしてもOCAにしても、各競技団体のIFにしても、ロビー活動のできる人材が必要不可欠。JOCにその人材はいるのか。 (2020年3月31日)
イタリアの新型コロナウイルスの惨状ぶりに驚く。テレビでは、観光客のいないコロッセウムを映し出し、首都ローマもゴーストタウン化しているかのように報じていた。
紀元1世紀、立見席を入れて5万人の観衆を収容できるコロッセウムを造築したローマ人。莫大な費用と労力をかけた建築物だが、観光地ローマの名所となって金を稼ぐ。片やニッポン、アラブ人のザハ女史設計の国立競技場が、国際コンペで決定したにもかかわらず、建築費が高すぎるとボツ。
北京五輪、あの「鳥の巣」といわれる競技場は観光名所となっている。東京には、外国旅行者が期待して訪れる名所なんて多くはない。ザハ女史の競技場が出来ていたなら、まちがいなく名所となっていただろう。後々、名所として稼いでくれると発言した人は、残念ながらいなかった。「ハンターイ!」の声だけ。
日本人は、どんなことでも多数の声になびく。五輪だからこそ建築できるという発想は消され、ただの競技場にしてしまった。屋根がないから使用目的も限られてしまう。ケチくさい考えで2020のレガシーを潰し、歴史的な高度な技術力を発揮して世界に誇るチャンスも逸した。日本人は小ツブになってしまったのだ。
1964年の東京五輪、政府は世界銀行から借金をして開催準備をした。新幹線、東名・名神や首都高速道路、東京地下鉄網の整備、ハード面でも金をつぎ込んだ。戦後、わずか10数年後のこと。先人たちの心意気に頭が下がる。借金は、平成2年に完済した。
施設は、その国の国力や国民性を象徴する。訪日した外国人は、富士山には感嘆するだろうが、建造物で驚くことはない。国力も技術力もあるのに、私たち国民がだらしないために、ローマ人を凌駕(りょうが)することができなかった。優秀な国民とよくいわれるが、大胆さも、勇気もなかった。自虐的にならざるを得ないのは情けないかぎりだ。(2020年4月15日)
安倍晋三首相と国際オリンピック委員会(IOC)のトーマス・バッハ会長が、電話会談によって東京五輪の延期で合意したとの報道に接して頭がクラクラした。たった2人の合意で、簡単に五輪を動かせるとは知らなかった。
森喜朗組織委員会の会長や橋本聖子五輪担当相、小池百合子都知事たちは、どんな意見を持っていたのか知りたかった。JOCの山下泰裕会長は、どう考えていたのか、どこも報道してくれなかった。それだけ新型コロナウイルスの世界的な感染拡大に全員で腰を抜かしていたのであろう。
想定外の事象に、五輪関係者は全員とも頭の中を真っ白にしたに違いない。スポーツマネージメント、いやリスクマネージメントの研究者の登場もなく、延期が決定。1年後には新型コロナウイルスを完全に退治できると、だれが保障したのだろうか。WHOは、ワクチン開発に1年か1年半かかると言うが、これとて希望と期待でしかない。
このウイルスは、人類にとって測定できる放射能以上の敵である。感染拡大を防止するため、人々は集まるなとのお達し、練習も満足にできない。日体大のトレセン、小体育館の使用禁止でも理解できるが、公立の施設は使えないのは当然であろう。
感染があまり拡大していないアフリカ等でも、1年後はどうなっているか予測できない。すでに、世界中の選手たちが、公平な状況下でトレーニングや練習には打ち込めない。
そこで、新型コロナウイルス感染が終息した来年以降の各競技の世界選手権大会を東京五輪の代替え大会にすればいい。大会の冠に東京五輪を付ければいいと思う。東京開催にこだわっていると「中止」という文字に落胆させられる可能性だってあるだろう。何も汗だくの最悪の夏に拘泥する必要はないではないか。
そして、金のかかる五輪について、IOCをはじめ関係者は再考すべきである。東京五輪の火を消さないためには、世界選手権の活用しかあるまい。 (2020年4月21日)
東京五輪を1年延期するのなら、マラソンと競歩は東京に戻すべきだ。IOCが勝手に札幌に移したが、小池百合子都知事は音無しの構え、猛烈に反対しなかった。
夏のカタール国ドーハでの世界陸上選手権のマラソンで棄権者が続出、IOCが東京の夏にびびってしまったのだ。マラソンと競歩は日本の有力種目、都知事が騒がなかったのは不自然に映った。小池都知事らしくない。
ドーハのマラソンコースは、浜風を受ける道路もあった。乾燥地帯にあっては、汗を流すと気化し、気化熱が奪われ体温が下がる。その連続、体がもつわけがない。1973年のレスリング世界選手権は、イランのテヘランで開催された。標高は1200m、それほど高くないが、大会は屋外のテント下で行われた。極めつけの乾燥地、バタバタと日本勢が敗退。
しかもテヘランの水は硬水、選手団は下痢に泣く。試合中にトイレに走るレスラーの多いこと。その地の風土を研究し、慣れるために早く現地入りする必要があったと反省。
1968年のメキシコ五輪、標高2200mの高地都市、日本選手団は高地トレーニングを重ねた。酸素が薄いゆえ、世界的に高地トレが流行。現在も高地トレが常識だ。大会開催地の環境や風土を研究し、練習に時間をかける。
日本の夏は高温多湿、相当な発汗量だが、各国選手団は研究を重ね対応すべく努力していたに違いない。が、突然、マラソンと競歩は札幌へとすんなり移された。クライマックスの舞台を、一銭も出していない札幌へ。
小池都知事は、20年7月が改選。組織委員会の森喜朗会長との対決を避けたようだ。自民党の選挙対策委員長は、旧森派の下村博文元文科相、もめずに静かにしていた方が得策、五輪よりも選挙を優先したと私は読む。
私は小池都知事と政治活動を共にした仲間。アイデアマンだしケンカ上手、何よりも時代を洞察する能力はピカイチ。コロナ禍の対応、世論は五輪よりも普通の日常の日々を求めている。
(2020年7月8日)
モスクワ五輪ボイコットから40年が経つ。国民もマスコミも選手がかわいそうの大合唱、TVカメラの前で泣く選手もいた。が、私の心は冷めていた。五輪の目的は「平和」であるからだ。ボイコットの理由は、五輪開催国のソ連(現ロシア)が隣国のアフガニスタンに軍事侵攻したにつきる。
平和ボケしては困る。日本の北方領土は、いまだロシアの手にあり、日本返還は夢物語。この現実を忘れてはならない。ソ連がアフガンになぜ侵攻したのか。アフガンを支配下に置こうとしたのだ。そんな国が、平和の祭典を開催する資格があるわけがない。なぜ、IOCが主導して中止させなかったのか。
私は78年春までアフガンで3年暮らし、レスリングを教えた。その国民が軍靴で踏みにじられ、多数の犠牲者を出す。許せるわけがなかった。なのに日本の一部の五輪選手たちは、出場を希望し、マスコミも国民も同情したのには閉口した。みごとな平和ボケだった。
ボイコットを発表する柴田勝治JOC会長は、淡々としていたばかりか、当然という顔をしていた。やはり戦争体験者、平和の意味を理解されていた。柴田会長のニックネームは「王様」、常に堂々とされていた。
スポーツは、政治と切り離すべきだという声もあった。ならば、スポーツ団体やJOCは、国からの金を拒否するがいい。サッカーくじの収益も拒否すべき。スポーツは政治によって普及し、保護されてきたのは歴史が教えてくれるとおり。スポーツマンは、勝利至上主義や独善主義にこり固まらず、一般教養や常識も身につけてほしい。だれ一人、アフガン国民の立場に立って発言したオリンピアンは不在だった。
平成24年から、中学校の体育授業に武道とダンスを文科省は必修にした。武道場を造る予算は大きかった。日本文化を義務教育の中で教えることが重要だと政治が判断したのだ。アスリートは、どんどん政界へ進出して活躍してほしい。国会の中で大局からスポーツを考えるべし。 (2020年8月11日)
どこへぶっ飛んで行ったのか、あの熱気と歓喜。2020東京五輪決定、私たちは深夜、パブリックビューイングを観て万歳をした。石原慎太郎都知事の英断、リオデジャネイロに敗退したが諦めず再立候補。イスタンブールと競って勝利。でも、コロナ禍に「待て!」をかけられ、期待も夢も沈下気味だ。
マドリードに国際会議のために訪れた。旧知の吉川元偉日本大使と再会。大使は、「都知事は五輪招致に外交官を利用すべき。各国のIOC委員やIFの幹部を大使公邸に招待して、売り込むべきです。石原都知事に伝えて下さい」と進言された。開催地決定は選挙なのだ。
都庁で都知事とお会いした。「分かった。ボクから各国にいる大使にお願いする」と知事。毎年、年に1回、東京・外務省で大使会議が開かれる。アフリカ・中東・アジアのグループ、欧州・東欧グループ、北米・南米等のグループの3グループ別の会議。その会議を終えると翌朝、自民党本部での外交部会に大使たちが出席する。で、石原都知事も出席。
席上、都知事は、各国に駐在する日本大使に頭を下げてお願いした。東京五輪を開催したいという執念と熱意が大使たちの心に響いた。これで外交ルートを通じて初めて招致活動が展開されるようになる。
石原都知事のイメージは、高圧的で一般人を寄せ付けない雰囲気を漂わせる。が、その知事が頭を下げて、招致活動の本気度を吐露したので外交団が動き出したのだ。
で、「チーム・ジャパン」が勝利、東京開催が決定した。あの時の喜びと熱気を私たちは忘れない。名古屋がソウルに、大阪が北京に、そして東京がリオに敗れた後の五輪招致活動であった。日本国の面子のかかった選挙。都知事は石原氏ではなかったが、国連大使に昇格されていた吉川大使が喜びを伝えて下さった。
当時、自民党の外交部会長は私であった。やがて日本料理が世界遺産となったが、この魅力を大使公邸での接待によってIOC委員が学んだに違いない。石原慎太郎氏の味付けであった。
(2021年1月6日)
昨年末、東京オリ・パラ組織委員会の森喜朗会長と会った。オリ・パラの開催には積極的、「中止」なる考えは微塵(みじん)もない印象を受けた。正月早々、二階俊博自民党幹事長も強気発言、開催は当然だと主張する。私の知るかぎり、政界には中止論者は不在である。
二階幹事長には、五輪開催に対して、他ならぬ強い理由がある。1964年の東京大会開催の立役者は、幹事長と同じ和歌山県御坊市出身で米国で大成功した和田勇氏だ。氏は、全米水泳選手権に古橋広之進、橋爪四郎選手等を招待して、戦後の日米友好に尽力された。スポーツが友好親善になるばかりか、人々に希望と勇気を与えてくれると悟り、私費で東京五輪開催のために世界中のIOC委員をくどき落とした。
その和田氏のご母堂の主治医が、二階幹事長のお母さんであった。幹事長は和田家の人たちに可愛がられ、帰国の際にも和田氏とよく会ったという。和田氏のレリーフが、御坊市役所前に設置されていることからして、二階幹事長からすれば和田氏の意志に続かねばならないと覚悟しているかに見える。私は幾度も「開催は困難では」と問えども、二階幹事長は「やる!」と説明された。
「開催できる方法を考えて欲しい」と体操の内村航平選手が発言した。「安全安心の五輪をやりきる」と、神奈川の黒岩祐治知事が年頭インタビューで語ったが、小池百合子都知事も同意見だと私は思っている。
さて、和田勇氏へは、政府の扱いや評価は高くなくて勲四等の叙勲だけだった。あの東京五輪が世界へ「日本は先進国の仲間入り」と発信し、数々のレガシーを遺したにもかかわらず、移民同邦には冷たかったといえる。
タチヨミ版はここまでとなります。
2022年6月20日 発行 初版
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