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走る新宿

藤原洋

モリタ出版



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新宿は走る。神田は歩く。澁谷は上る。

澁谷は谷から出発した。
神田は江戸城近く、歩くスピードで良かった。
新宿は違った。
新宿の駅回りは 昔から分かりにくかった時期が有ると思う。
今また 再開発中なのだろう。
再開発が有るとすると、回廊の問題があるのだろう。それは立川が挑戦した。
その回廊は 新宿駅は高低差が有るので 2階層にしないと 無理なのだろう。
従って、駅全体を すっぽり被せて トンネルにして 広場を求める。
これをしない場合は、駅はそのままにして 東京駅のように 周囲に高層ビルを建てるのかである。
恐らく 将来 どちらかに 研究されていると思う。
空中交通の時代は、すっぽり被せた駅の場合 その上の空間を使用する。

これからの夢の話は じっと見ていただくとして 過去の事を書きます。

1内藤新宿で やって来た新宿

内藤家は 相当広い土地を持っていた。家康は 新宿方面の守りは 服部半蔵に任せた。
内藤家と言えども 何が有るか分からない 守りを半蔵に 全幅の信頼で 実行させた。
この新宿から 四谷方面 半蔵門は直線に有ると思う。この時期 直線を守る城は少ない筈
である。
さて家康は最悪の場合、どこに逃げようとしたのであろうか。
江戸城を出る場合は 敗走になるがどっちに行っただろうか。
先ず考えるのが 水戸であろう。何故なら 御三家を作ったのも理由の一つ。
そこで水戸をどうしておきたかったか。
尾張和歌山と違う作戦を樹てた。将軍が水戸に落ち延びたとしよう。並んでいる時
両者が大納言でいると 具合がわるいのではないか。
尾張では 将軍職が欲しくて騒いだ者がいたようだ。
紀州では将軍を出した。吉宗である。なのに水戸が 静かなのはなぜか。
これは、家康の意向が伝えられていたのではないか。将軍が水戸に来るのは緊急時である。
天下に影響がなくとも、暫くは鎮静化の時間が必要である。
その事は水戸は よくよく理解し 最悪の状態の回避を心にしていた。それは長く続いた。
その理解は、いかに江戸を助けるかに繋がる。
だまって見ていても、世の中の状態は判らない。
それが 日本地図なり 水戸黄門になってくる。
ここのところは どうしたかをかなり詳しく調べないと 説得できない。

徳川の260年は 水戸のバックアップが 有ったと思いたい。

内藤新宿を じっと考えると ここまで書いて来たような 妄想を引き起こしていた。

でもそれだけでは 面白くないので 少し新宿に関って来た一人として 書きます見て下さい。

2 新宿の地形
澁谷が谷に対して 新宿の苦労はこんな感じがする。
鉄道線を 見るとよく判る。
小田急線 京王線 地下鉄丸ノ内線 JR中央線 総武線 山手線 大江戸線 副都心線
他に
成田エクスプレス JR湘南新宿ライン 
まだあるのだろうが この数は ターミナル駅としては 最大に近いのだろう。

これが現在の出来上がり図であろう。

横浜に直に行ける これは従来とてもできないことだった。
横浜は 品川か 澁谷が専門だった。勿論今でも 京急が最も早く着く。(品川横浜)

面白いのは 新宿・横浜を 澁谷・横浜と ほぼ同じ所要時間になっているのが いい。

3 新宿との出会い
うんと 古い方もいようが 小生は 昭和30年代初頭だった。
まだ傷痍軍人の方が 駅に見えた。
映画館は 武蔵館が 時代劇をやっていた。「武蔵と小次郎」だった。

よく覚えている。30年代後半は 通勤の駅になった。
まだ歌舞伎町も静かな方だった。まして ゴキブリ横丁も良く知らなかった。
飲食なのに 良く名前を付けたものだ。此の時の新宿西口の正面ビルが Y生命ビルだった。

当時 ビル前を掘り下げ 空間にしていたから 下から見上げるビルは 何倍か得をした
光景だった。羨ましがるものも いただろう。小生もその一人だった。

そのビルが 約60年後 静かに解体された。実況を放送していたが 感無量だった。


4 新宿界隈

 新宿の特徴は JR新宿駅の東口にある

駅東は 紀伊国屋書店 ビッグカメラ 伊勢丹 三越新宿店 高野フルーツパーラー
アルタ 等々がある

昔のものや 現在のもの 混ぜてお話している
 しかし 駅東は駅ビルが無かった。駅自体は ビルが出来たのだが、東口は以前から
そのまま という感じであった。
そのゆったり 古い やや暗い雰囲気を 一手に受けたのが 地下の喫茶店だった。
タキザワと言ったと思う。今も有るかも知れない。
静で 和服の店子さんが 喫茶の注文を取りに来る。
 喫茶で息を吹き返す そんな 店だった。
勿論 お寿司や ラーメンは 多い。
その中で 少し離れて ウナギ屋が有る。今も有るのだと思うのだが。
「わらじ」
という うな丼が 有名だった。わらじは 足にはく 草鞋か 名付けていた。
わらじ のように 大きかった。
そこは もう角筈の交叉点に近かった。

店を出て
道を殆ど南に 行くと 高島屋 バスタ新宿がある。
この場所は 澁谷区というから 面白い。
夜行の スキーバスは ここから出ているか
以前の 新宿駅西口の 路上から 出ているのだろうか。

東口に戻る。
歌舞伎町は 東口から アルタ脇を 通って さがる感じで行く。
トラブルなどは もう無いと思うが
健全に伸びて欲しいものだ。

この新宿区 成人式 歌舞伎町界隈か
半分以上が 外国出身者という 国籍は 判らないが
恐らく 日本国籍を取って居るのだろう。

いい意味で国際化して欲しい。
安全安心の 歓楽街を 現出し続けて欲しいと思います。



















新宿駅西口にある 
換気塔であります。
丁度60年前に 出来ました。当初は 簡単な筒のようでしたが 現在の貫禄は
とても 当時想像は出来ません。
そして これからの60年を 何事もなく 無事に迎えて欲しいと思います。
朝日新聞から

走る新宿

2022年5月31日 発行 初版

著  者:藤原洋
発  行:モリタ出版

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