spine
jacket

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古事記及び日本書紀に現はれたる樹木に就いて

大野俊一

記紀怪界書房



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目  次


緒 言


其 一 神 代


其 二 神武天皇より清寧天皇まで


其 三 顯宗天皇より持統天皇まで


結 言


古名、和名一覧


出 現 順 序 表


樹種分布一覧(*印は神代に現はれしもの)


樹種別生育地及利用表(*は和歌にあり)


発行にあたり

緒  言

 本稿は古事記及び日本書紀に現はれたる記載にしるして、の樹種、生存地、分布状熊、初用、樹名に使用せる文字、古名と現在名が如何いか變化へんくわせるや、其の出現の順序年代の如何いかん等の大要を知らんとして試みしものなり。考究かうきふ餘地よちも少なからざるべくあるひ錯誤さくご遺漏ゐらうもあるべしと思料しりゃうす。識者の叱正しっせいにより是正ぜせいし得ば幸甚かうじんなり。
 添付の表によりて前記目的の大要は了知りょうちせられやうと信ずるも、多少補足の意味において若干の說明を附記せんとす。以下古事記を記、日本書紀を紀と記し、樹おの〱も主として現左げんさの名をもって記し、生育場所のごときも現在の地名をもって述ぶ。

其 一 神 代

 記、紀に現はれたる神代の樹木中林業上有用なるものは、クスノキ、クハ、メダケ、ヤダケ、ウハミヅサクラ、サカキ、カヂノキ、カウゾ、ヒノキ、スギ、マツ、カヤ、マキ、ムクノキ、カツラ、ヤマウルシ等にして、の内記に現はれざるもの、カヤ、マキの二種、紀に現はれざるもの、ウハミヅサクラ、ムクノキの二種なり。
 夫等それら大樣たいやうを出現の順は述べん。
 最初に現はれしものをクスノキとす。イザナギのみこととイザナミのみことがオノコロ島におい八尋殿やひろどのを見立て、ここおいてクス船を生みたまふとあり。紀にはの船で蛭兒ひるこを載せて順風に放ち棄てたまふとあり、當時たうじはクスノキ船が水上交通上重要なる役割を演ぜしを知るに足る。
 又ワカムスビの神のみづらの上にかいことクハとりとあり。
 イザナギのみことがイザナミのみことをヨモツ國に見たまひて逃げ還ります時に、ヨモツシコメ追ひしかば、ミカヅラを投げ玉へばエビヅル生ず、更にユツツマクシを引ききて投げ棄て玉へば、竹筍たけのこ生ず、ほ追ひしかばヨモツヒラ坂(記には今の出雲國の伊賦夜いふや坂となも謂ふとあり)に生ぜる桃子もものみを取りて投げ撃ち玉へばもシコメ等逃げ返へるとあり。其處そこでイザナギのみことはイナシコメキタナニ國に至りてありけりとて、ツクシヒムカのタチバナのヲドのアハキ原にてみそぎ玉ふ。アハキ原は福岡市附近にてアハキは植村博士によれば淡木即ち落葉濶葉樹かつやうじゅの一部のとなへと解するをアヲキ、カシと解するよりも良しとせらる。都久志、第三號所載筑紫の檍原あはぎはらと大木のくす埋木に就て、參照。
 紀にはアシハラのナカツ國にウケモチの神あり。この神の眉の上にまゆれり。記にはオホゲツヒメの神の頭にかいこなりとあれば前掲のワカムスビの神がかいことクハを生ぜると云ふに同じく、當時たうじ養蠶えうさんわざ行はれをりしなるべし。
 スサノヲのみことのタカマノハラに上られるにあたりて、アマテラスオホミ神、弓矢を取り稜威みゐづのタカトモをきとあれば、弓材に何にが使用せられたるかは不明なるも、アメワカビコがアシハラのナカツ國に降るに際し、ハジ弓をたまひ、又天孫降臨の時にもハジ弓をりとあれば、ヤマウルシの材の弓にてありしなるべし。白井博士の樹木和名考においては徳川時代において山ウルシをヤマハジと呼びしは琉球ハジにたいする名にして古代にありては今日の所謂いはゆる山ハジすなはちまことのハジなりしなり草木圖說づせつのヤブウルシすなはち植物名彙めいいのヤマハゼも古代にありては矢張やはりハジと呼び、山ウルシのハジとの間に區別くべつを立てざりしものと思はる、しかして弓材はもっぱら山藤のハジよりれを取りしものと思はるるは弓木又ヤマアヅサの方言あるにて知らるるなりと。又えびらには當時たうじよりヤダケが使用せられしならん。タカトモは竹製發音器はつおんきなればメダケが用ひられしなるべく、マウソウチク、ハチク、マダケは古代には自生せざりしところなれなり。竹類は區別くべつ出來がため記載より判斷して便宜メグケ、ヤダケ、ササの三種に區別くべつして表示せり。
 アマテラスオホミ神がアマのイハヤにこもりましぬ時に諸神アメのヤスのカハラに會合あひあひまして、アメのカグヤマのウハミヅサクラを取りて占合うらなひあひ、サカキの下枝にはニギテ(カヂノキ、カウゾの繊維より作りしもの)をけ、テイカカヅラをかづらとなし、ササ葉を手にもちて舞ふとあり。
 スサノヲのみこと。イヅモの國のヒノカバ上のトリカミの地に降ります。その地に大蛇をろちあり、その身にヒノキ、スギ、マツ、カヤ等ひとあれば、今の船通山つうせんざん一帶いったいの地は之等これらの樹種生育せしなるべく、マツは普通アカマツ、クロマツに分別するも當時たうじ兩者りゃうしゃを包含するは勿論更に廣義こうぎに用ひられしものなるべし。
 紀は更にイソタケルのみこと朝鮮より多くの樹種こだねもたらしツクシより初めてオホヤシマ國を全部青山になすとあれば何處いづこも美林存せしなるべし。又スサノヲのみこと吾兒わがこ所御しらするの國に浮寳うきたから(船)なかるべからずとて、ひげき散したまへばスギとなり、胸毛はヒノキに、尻毛はマキに、眉毛はクスノキとなる之等これらの用途を示したまひてのたまはく、スギ、クスノキは船材に、ヒノキは瑞宮みずかきの材に、マキはひつぎにと。すでに樹の性質が一般に悉知しっちせられ居りしを知るに足る。又みことくらふべき多數の木種をよく播殖はしょくしたまへり。
 タクヅヌ(栲綱たくづの)の白き云々うんぬんとて白の枕詞まくらことばにクケが用ひられあるひ千尋ちひろ栲繩たくなはふやうな言葉が用ひられ居るも、これは前記のカヂノキ、カウゾの繊維より作れるものをふなり。白井博士はタクはヒメカウゾなりとせられるも、牧野博士はカヂノキ、カウゾの兩者りゃうしゃがダクーとしょうせられしものとせらる。植物硏究雜誌第八卷第五號、白井博士、古事記に見えたる植物及同文中の(牧野云フ)の項を參照。
 宮を造るには柱は高大たかきおほいに。板は廣厚ひろきあつきに。海に遊ぶために船を作り云云うんぬんとあれば神代の末期まつごおいては製材の技術も多少の進步を示すものとすべきなり。あるひはアシハラシシコヲとふ神ムクノキのと赤土をくら唾出つばきせばとあるゆゑ當時たうじからムクノキのは⻝用に供せられしか、天詔琴あめののりごと樹にれてひびくとあば樂器の存せしを知るに足る。
 マナシカタマの小船を作りてあるひはこれを浮木ウキケ(船)につくりてとあるがカタマは竹籠たけかごにしてマナシすなはち密に組めることをふから今の竹筏てっぱいのことなるべし、これが薩摩地方では船に代用せられしなるべし。この竹筏てっぱい海神わだつみの宮に至れば宮は城闕じゃうけつ崇萃しゅうすゐ樓臺らうだい壯麗さうれいとあれば建築の術更に一段の進境を示すものと解し
 アシハラナカツ國のアメワカビコが門前にカツラあり又海神わだつみの宮にもカツラありとあるもれが現在のカツラ科のカツラなりや否は疑問なりと岡不崩氏は萬葉集草木考に述べらるもここにはカツラ科のカツラを掲げをりけり若し支那產のものなれば Liquidambar formosaua なり。
 神代においては天石楠船アメノイワクスフネ眞坂樹マサカキ湯津香木ユツカツラ等のごとく、天、眞、湯津を事物の名稱めいしょう前置まへおきしあるも省略せり、天は美稱びしょう、眞は接頭語、湯津は清淨と解して可ならん。更にクカマノハラ、オホヤシマ國、アシハラナカツ國が現在の何處いづこ相當さうたうするかは不明なり。

其 二 神武天皇より清寧天皇まで

 神武天皇御即位前六年より清寧天皇(紀元千百十四年)に至る間に記載せらるる樹種は可成かなりの多數なるも、紀になく記にあるものはツクバネガシ、イチヰガシ、アヲツヅラフヂ、ナネカヅラ、フヂ、シャシャンポ、ニハトコ、ビラウなり。しかして記になく紀にあるものはシヒノキ、クハ、ツタ、ヤマサクラ、ヒヒラギ、シラカシなり。しかして記は清寧天皇以降推古天皇の御世まであるも記すべき樹木なし、紀はほ持統天皇までの古史あり、清寧天皇以降持統天皇まで約二百十年中にあらたに記載せられしもの次の九種、エノキ、ヌルデ、ヤナギ、スモモ、イヌザンセウ、ヂンカウ、センダン、クチナシ、ナシなり。しかもヂンカウ、センダンは佛教の傳來でんらいに伴ひ恐らく印度インド產の品がせられしものならんゆゑの二種を除けば自生樹木はわづかに七種に過ぎざれば、平均三十年間に一種が記載されしこととなる。以下大體だいたいに現はれたる重要樹木の槪要がいえうを述べん。
 神武天皇 天皇御卽位前六年薩摩國より東征の軍をおこさるるに際して、ちん聞く東に美地うましくにあり青山四周すと宣べ玉ふ。これ大和地方が一帶の欝蒼うっさうたる森林ありしことと解して可なるべし。天皇みづか舟師ふなしひきゐて豊後ぶんご國佐賀ノせき町にて漁人い稚サヲの末を授け玉ひて海導者となし玉ふ。とれ薩摩地方一般に當時たうじシヒノキを舟さをに用ひしなるべし。又天皇大和國宇陀うだ郡の宇陀川の上流榛原はいばら町附近にて川にしづめ玉ひて、若しマキの葉の浮くがごとくば云云うんぬんいのり玉ひ、よつてサカキを取りて諸神を祭ひ玉ふとあれば附近にマキ、サカキの生育せしなるべく、サカキを廣義かうぎに解して榮樹えいじゅなりとなすものあるも狹義けうぎに解す。想ふに神代より現在 までサカキは神前に供する樹として用ひられきたりしなり。
 東征以來六年になりね、まさに山林を披拂ひらきはらひ宮室を經營けいえいしてつつしみて寳位はういに臨み云云うんぬんと宣べ玉ひしより考ふるに當時たうじ橿原かしはら町附近は密林なりしなり。
 垂仁すゐにん天皇 この御世に注意すべきは尾張の相津(未詳)の二俣スギで舟を作りて、香久山かぐやま村にありし池にうかべて遊びきと、スギ材の船として明瞭に記錄きろくせられたり。クスノキ船よリスギ船に移行せるは木材加工の技術の進步せるを示すものなり。神代においては空洞利用のてんよりクスノキが適當てきたうなりしならん。
 又曙立王アケタツノミコ大和でツクバネガシをいのからし又いかし玉ひきとか。出雲に於て檳榔あぢまさ長穗宮ながほのみやましませまつりてとあり、古代に於てはビラウがアゲマサと呼ばれしも、出雲地方にビラウが古代に生ぜしや否やは疑問なり、何んとなれば現在ビラウは日本海岸では福岡縣を北限とし、太平洋岸では高知縣を北限とすればなり。あるひはシュロ科の植物にてビラウと呼ばれしものありしや、又はたんに葉の長きより長穗の枕詞として用ひられしか考究を要するも表には掲げ置げり。
 天皇常世國とこよのくに今の朝鮮近海の島ならんにトキジクのカクの、これ今のたちばななりと記されしを取りに遣はし玉ふ、恐らくはミカンの類にてありしなるべしとして表にはミカンを掲ぐるごととせり。
 又倭姫ヤマトヒメ命大神を以て大和國磯城しき郡織田村の嚴橿イツカシの下に鎭めましませてまつるとあり、嚴は神聖の意にしてたんにカシとあるは常綠ブナ科の總稱そうしょうとして用ひしなるべし。
 景行けいかう天皇 注意すべきは坂手ノ池(大和國磯城郡川東村)を作りての堤に竹を植ゑしめ玉ひしことなり。當時が鞭根ぶちねが堤の強固化に役立つことが判明しをりしなるべし。これ竹植栽勅命の最初にてあらん。
 天皇土蜘蛛つちぐもを討ち玉ふ時豊後でツバキの根棒を作らしめ玉ひて兵器とせられ、日本武尊ヤマトタケルノミコト出雲建イヅモタケルを殺すにイチヰガシで詐刀こだち(木劍)を作り玉ふ。又尊の東征に際しては天皇ヒヒラギの八尋矛ヤヒロボコを賜ふとあればヒヒラギは大和地方に自生せしなり。又尊は伊勢國桑名郡多度村にて一つ松の許にて御歌よみしたまふ、これ松が和歌に詠ぜられし最初となさる。この場所は海岸近くであれば恐らくはクロマツにてありしならん。又御歌によれば當時大和地方ではツクバネガシ、シラカシが髪飾に用ひられしが如し。素朴なる風俗偲ぶべきなり。
 紀には此の御世に筑後國三池郡三池町附近に大木の僵樹きょうじゅありそのたふれざるの前には朝日の輝くどきは杵島きしま山をかくし夕日に輝くときは阿蘇山をかくした、長さ九百七十丈のものありしかば、天皇問ひてのたまはく、れ何の樹ぞ、一老夫ありてクヌギなりと答へければ天皇其處そのところ御木國みけのくになづけ玉へり。歷木クヌギ國木クニキで國の名稱となりし木の意なり。或は巨大なる埋木うもれぎでもありしか。日本山林新聞第百四十四號の薗部博士の大木と名木、大日本地名辭書の三池郡の項參照。
 仲哀ちゅうあい天皇 新羅を討たんにはマキの灰をひさごに入れ箸、比羅傳ヒラデ(葉盤にして當時は樹葉が⻝器に代用せられしなり)を多く作りて海に散せと敎ヘ玉ふ神ありとあるも、此等これらのものが何に使用せられしかは不明なるも勝利の呪か、靜波、起波の法か、追風を起す法か、或は魚類を集める法にか用ひられしならん。
 直木とある故通直な木とも解し得るも筑前國香椎村にてのことなればマキと解す。
 神功じんぐう皇后 皇后武内宿禰に命せて忍熊王ヲシクマノワウを討たしめ玉ふ時に熊之凝クマノコリと云ふ者己が衆を勸めむとて高唱せる歌にしるするに山城國宇治町附近には荒れた松原あり又當時ケヤキの材の弓が用ひられしなるべし。軍逃げるに及んで近江國膳所ぜぜ町附近で多く斬り、其處そのところの栗林に血つける故その栗林のコノミ御所オモノに進めすとあり。當時膳所町附近に栗林存せしなるべし。
 應神おうじん天皇 天皇豊明トヨノアカリ聞こしめす日、髪長カミナガ比賣ヒメに大御酒の柏を取らしめとあり、これ當時柏の葉が酒杯に用ひられしなるべく、ただに柏のみに非ざりしも柏が代表的なりしを示すものなり。又天皇の御製ぎょせいに三栗のなる枕詞まくらことばあり。これ栗が一苞いっぱう中に普通三を包みその中央のものとところから中の枕詞として當時用ひられしものならん。又サネカヅラの根よりナメを取りて人のふるる樣に箸橋に塗りてとあり。又宇遲能和紀郎子ウヂノワキイラツコの山代國宇治町附近の御歌にアヅサ弓マユミとえいじ玉へるものあり、これ今のヨグソミネバリ及びマユミがその當時たうじ弓材として用ひられしと同時にその附近に之等これらの樹が生育せるを示すものなり。更に此の御世に伊豆國船をみつがれり。これを枯野とがうし官用にせられしところ、朽ちたればこの船材をたきぎとしてしをき、五百かごを得て、れを諸國に施して船を作らしめたまひしところ一時に五百の船をたてまつれりとあり、且又かつまたの船材の餘燼よじんを琴に作らしめたまひしところその音さやかにして遠くきこゆと、これは足柄山のスギで造りし船なりとはる。
 仁德にんとく天皇 天皇淡路島にて遙望えうばうしまして前略オノコロ島、アヂマサの島も見ゆ、サケツ島見ゆと、このアヂマサの島は紀伊方面の島なるべきも所在不明なり。しか往昔わうせき紀伊方面にビラウが生育せしはうたがひなき所なり、何んとなれば今もオホタニワタリが生育すればなり、しかし現在ででビラウ生育せず。
 大后熊野岬にかうでまして御綱柏ミツナカシハを取られたとあり、これ今のオホタニワタリにて草本に入るべきものなるも最近まで樹木と見做されしものなれば特に表に掲げしなり。
 荒陵アラハカの松原(大阪市茶臼山)に二本のクヌギが生じ路を挾んで末合へりと、珍らしき木ありしなり。
 更にの御世に、河内國龍華町に一高樹あり、丁度景行天皇の御世の筑後のクヌギに似たり、朝日には高安山を超え、夕日には影淡路島に及ぶと、この木にて船を作りてそれを枯野となづけ、ちにたきぎとしてしを餘燼よじんは琴に作りしところその音よくひびくとあり。これスギの大木にてありしか。
 又大井川の河のまがりの大きな十かかへもとひとつで末ふたつの木流れとどまれりとの上言ありしかば、天皇それで船を作らしめたまふとあれば大井川の上流に生育せるスギにてもありしか。
 履中りちゅう天皇 の御世に室山(大和國南葛城郡秋津村)にサクラとあればおそらくはヤマサクラなりしなるべし。
 允恭いんぎゃう天皇 輕大郎女カルノオホイラツメ衣通王ソトヲリヒメ)の御歌にヤマタヅの迎へをふとてこれを迎への枕詞として用ひられしはニハトコにてれはたい生物狀複葉なるより、むかひ合つて居るところから由來せるを用ひられしものならん。
 雄略ゆうりゃく天皇 注意すべきは桑に宜しき國縣に桑を殖ゑしめ玉ひ、又宮中にて養蠶えうさんを行ひ玉ひしことなり。
 又天皇大和國初瀬町にありし百枝のケヤキの下にいましけるとき、三重婇ミヘノウネメによりて、マキサク、御門ミカドと云ふ歌詞あり、これはヒと云はんとしてマキサクを用ひしなり、これマキ榮える所の意にて、眞木を通直な木と解し得るもマキと解してよろしからん。又平群へぐり山にツクバネガシ、メダケ生ずるの御歌あり。更に葛城山にはハンノキありしと。

其 三 顯宗天皇より持統天皇まで

 顯宗けんそう天皇 ヤナギ初めて記されたり。
 繼體けいたい天皇 メダケで笛を作り又琴を作るとの御歌あり。
 安閑あんかん天皇 大阪市姫島町にありし松原に牛を放ちたまひき。放牧の最初にてあらん。
 欽明きんめい天皇 佐渡島にてシヒのひろひて熟し喫せんとし灰の裏に置きし所その皮二人になりて火上にあがるの上言あり。
 クスノキの沈木しづみぎが和泉國の海岸にありき。それで佛像を作らしめ玉ふ。それは吉野寺で光を放つものこれなりと。
 崇峻すしゅん天皇 河内國にて大連おほむらぢエノキの枝に昇りて弓を射ると、又厩戸うまやど皇子がヌルデで四天王の像を作りて頂髪たきふさに置きていのり玉 ふとあれば、小さき像にてありしなるべし。
 推古すゐこ天皇 沈木しづみぎ淡路島に漂着す。の大きさ一かかへたきぎまじへて燒くとき烟氣ケブリ遠く薫りしかば 、れをささげるとあるが、沈香ヂンカウの材が漂着せりとも考へられざれば何か芳香性の木の漂着せしものならん。
 二十四年正月にモモ、スモモみのれり、三十四年正月にモモ、スモモはなひらけり。大和國平坦部の事にてあるべし。
 舒明じょめい天皇 十年九月モモ、スモモはなひらけりと、大和平坦部での事なり。
 皇極かうぎゃく天皇 法興寺のケヤキの下に打毬だきゅうかいあり。これよりちる屢々しばしばとこのケヤキ現はれるも省略することとす。又富士川のほとりの人、常にタチバナとイヌザンセウに生すると云ふ常世とこよの神なるむしを村里に祭ることを勸めたり。
 孝德かうとく天皇 白雉はくち四年に薩摩國川邊かはなべ加世田かせだ村附近の海にて難船し、竹筏てっぱいを作りて助かりし人あり。
 齊明さいめい天皇 かごに乘れる者が大阪市住吉區の松のイタダキより西へ馳せたとあり。又大和國多武峰たふのみねタカトノの頂上の二本のケヤキのほとりタカトノを起てたまふ。
 天智てんぢ天皇 天皇使つかひを遣はして法興寺の佛に沉水香ぢんすゐかう栴檀香せんだんかうを奉るとあればこれ印度產のものならん。
 天武てんむ天皇 大阪市玉造たまつくり町附近の松林に綿の如きものこぼれり。時人甘露かんろと云ふと。
 九年正月に神戸市神戸區附近一帶のところにモモ、スモモみのれり。七月には法興寺のケヤキの枝自然に折れて落ちたりと。
 十年八月に種子島より使人つかひかへへりてクチナシを其他の產物と共にたてまつる。染料に用ひられしものなるべし。
 十三年に吉野の人、白ツバキをたてまつる。
 十四年ヤダケを二千れん、大和より筑紫に送り下す。
 持統ぢたう天皇 注意すべきはクハ、カラムシ、ナシ、クリ、カブラ等の草木を勸殖せられしことなり。

結  言

 以上にてはなはだ簡單に大要を說明せることとす。記、紀に現はれたる樹種は五十三種にして二十七科四十ぞくな り。の内和歌中に現はれをるもの三十種の多數なり。分布表より古代の文化中心點に多くを、それを離るるに從ひて少なく佐渡島以北と種子島以南は表はれす。當時の交通關係によるものなるべし。更に此等これらの生育地は現在とほとんど同樣なるは、これ植生に變化へんくわ惹起にゃっきする人爲的及び自然的激變げきへん生ぜざりしによるべし。
 出現順序の表より何が最も早く表はれしかを見るを得べく、利用表では古代と現代とでは其の用途の種類を増加せるに過ぎざるが如く、根本的には何等の變化へんくわもなきなり。花の美しきもの香のよきものは觀賞用に供せられたるべし。
 古名和名及學名がくめいの表より誤まり呼ばれしもの、變化せしもの、何等の變化なきもの及び使用文字を知り得るなり。これは主として樹木和名考によれり。
 更に各代の天皇はおほむあらたに帝宅を御造營あらせられ且又欽明天皇より持統天皇に至る約七十年問に大和地方に二十有餘の大寺が作られしなり。想ふに營時は翠嶺すゐれい萬里ばんり等の形容詞が如實にょじつ當篏あてはまりしものなるべく、之等これらの用材は他地方より移入するを要せずして、大和地方に存せしものを利用して充分なりしなるべく、山林繁榮のさま想起するだに快感をおぼゆ。
 其他のりゃう書に現はれたる林業關係事項は他日に讓る。
 本稿を草するに際して懇切なる御教示を賜ひし植村博士に深甚の謝意を表し尙ほ學名に對して一覽を煩はせる初島學士に謝意を表す。

古名、和名一覧

 表記は古名、和名、屬名、科名の順とする。


阿豆佐アヅサ阿豆瑳アヅサアヅサ
ヨグソミネバリ
シラカバ
カバノキ

阿遲摩佐アヂマサ檳榔ビラウ
ビラウ
ビラウ
シュロ

伊知比イチヒイチヰ
クヌギ
カシ
ブナ

赤檮イチヒノキ
イチヰガシ
カシ
ブナ

エノキ
エノキ
エノキ
ニレ

蒲 子エビカジジラノミ、エビ蒲 陶エビ、エビカヅラノミ
エビヅル
ブダウ
ブダウ

加斯カシ加志カシ伽辭カシ白檮カシ橿カシ
カシ
カシ
ブナ

カシハ
カシハ
カシ
ブナ

カツラ香木カツラ社木カツラ可豆邏カツラカツラ杜樹カツラ
カツラ
カツラ
カツラ

カヤ
カヤ
カヤ
イチヰ

クスノキ櫲樟クスノキ樟木クスノキクスノキ
クスノキ
クスノキ
クスノキ

攴子クチナシ
クチナシ
クチナシ
アカニカ

歷木クヌギ
クヌギ
カシ
ブナ

クハ愚破クハ
クハ
ヤマグハ
クハ

久麻加志クマカシ隱白檮クマカシ
ツクバネガシ
カシ
ブナ

倶利クリ具理クリ愚利クリクリ
クリ
クリ
ブナ

賢木サカキ坂樹サカキ佐加紀サカキ佐介幾サカキ柃木ヒサカキ
サカキ
サカキ
ツバキ

サクラ佐區羅サクラ
ヤマサクラ
サクラ
イバラ

小竹ササ佐佐ササ
ササ
クマザサ
イネ

佐斯夫サシブ烏草樹サシブ
シャシャンポ
コケモモ
シャクナゲ

佐那葛サネカヅラ
サネカヅラ
サネカヅラ
モクレン

シノ小竹シノ斯奴シノ士怒シノ箭竹ヤダケ
ヤダケ
タダケ
イネ

シヒノキ
シヒノキ
シヒ
ブナ

志邏伽之シラカシ白橿シラカシ
シラカシ
カシ
ブナ

スギスギ須擬スギ
スギ
スギ
マツ

スモモ
スモモ
サクラ
イバラ

栴檀センダン
センダン
ビャクダン
ビャクダン

多久タク、タヘカウゾ
カウゾ、カヂノキ
カウゾ
クハ

タケ(高)、節竹タケ陀氣タケ多氣タケ駄開タケ余㐮開タケ
メダケ
メダケ
イネ

タチバナ多到播那タチバナ多知婆那タチバナ多智麼那タチバナ
タチバナ
ミカン
ヘンルウダ

沈水香ヂンスヰカウ
ヂンカウ
ヂンカウ
ヂンチャウゲ

菟區ツキ菟岐ツキ都岐ツキ都久ツキツキ
ケヤキ
ケヤキ
ニレ

兎怒ツタ都奴ツタツタツタ
ツタ
ツタ
ブダウ

都豆良ツヅラ黑葛ツヅラ
アヲツヅラ、フヂ
アヲツヅラ、フヂ
ツヅラ

波岐ツバキ海石榴ツバキ都婆岐ツバキ椿ツバキ
ツバキ
ツバキ
ツバキ

登岐士玖能迦玖能木トキジクノカグノキ非時香木トキジクノカグノキタチバナ
ミカン
ミカン
ヘンルウダ

ナシ
ナシ
ナシ
イバラ

白膠木ヌルデ農利埿ヌルデ
ヌルデ
ウルシ
ウルシ

波士ハヂハヂ
ヤマウルシ
ウルシ
ウルシ

波波迦ハハカ
ウハミヅサクラ
サクラ
イバラ

波毘呂久麻加斯ハビロクマカシ葉廣態白檮ハビロクマカシ
ツクバネガシ
カシ
ブナ

ハリノキ波理能紀ハリノキ婆利ハリノキ
ハンノキ
ハンノキ
カバノキ

ヒノキヒノキヒノキ
ヒノキ
ヒノキ
マツ

比比羅木ヒヒラキ
ヒヒラギ
モクセイ
ヒヒラギ

布遲フヂフヂ
フヂ
フヂ
マメ

曼椒ホソキ褒曾紀ホソキ裒曾紀ホソキ
イヌザンセウ
イヌザンセウ
ヘンルウダ

マキ麻紀マキ莾紀マキ摩紀マキ眞木マキ
マキ
マキ
イチヰ

磨佐棄逗羅マサキヅラ眞拆マサキ眞木葛マサキカヅラ
テイカカヅラ
テイカカヅラ
ケフチクタウ

マツ麼菟マツ麻菟マツ
マツ
マツ
マツ

麻由美マユミ麻由彌マユミマユミ麻由瀰マユミ
マユミ
ニシキギ
ニシキギ

御綱柏ミツナカシハ御綱葉ミツナカシハ(草本)
オホタニワタリ
トラノシダ
ウラボシ

牟久木ムクノキ
ムクノキ
ムクノキ
ニレ

モモ
モモ
サクラ
イバラ

野儺擬ヤナギヤナギ
ヤナギ
ヤナギ
ヤナギ

夜麻多豆ヤマタヅ山鶴ヤマタヅ
ニハトコ
ニハトコ
スヒカヅラ

出現順序一覧

神代
クスノキ、クハ(オノコロ島)
エビヅル、モモ(イヅモ)
タチバナ(ツクシ)
メダケ、ヤダケ、ウハミヅサクラ、サカキ、カヂノキ、カウゾ、テイカカヅラ、ササ(タカマノハラ)
ヒノキ、スギ、マツ、カヤ(イヅモ)
クハ、スギ、ヒノキ、マキ、クスノキ(オホヤシマ國)
ムクノキ、カウゾ、カヂノキ、メダケ(イヅモ)
ヤマウルシ(タカマノハラ)
カツラ(アシハラノナカツ國)
メダケ(ヒムカ)
カツラ(ツクシ)

神武天皇
ヒシノキ(薩摩)
マキ、サカキ(大和)

垂仁天皇
スギ(尾張)
ツクバネガシ(大和)
ビラウ(出雲)
ミカン(常世國)
カシ(大和)

景行天皇
メダケ(大和)
メダケ(美濃)
サカキ(豐前)
ツバキ、カシハ(豐後)
イチヰガシ、アヲツヅラフヂ(出雲)
ヒヒラギ(大和)
マツ(伊勢)
シラカシ(大和)
クヌギ(筑後)
クハ(東海道地方)
ヤダケ(筑前)

仲哀天皇
サカキ、マキ(筑前)

神功皇后
タチバナ(筑前)
クヌギ(攝津)
マツ、ケヤキ(山城)
クリ(近江)


應神天皇
クヌギ、クリ(山城)
オホタニワタリ(紀伊)
タチバナ、カシハ、クリ(大和)
サネカヅラ、ヨグソミネバリ、マユミ(山城)
フヂ、メダケ(但馬)

仁德天皇
ビラウ(紀伊)
シャシャンポ、ツバキ(山城)
ツタ、クハ(淀川沿岸)
ケヤキ、カシハ、マツ(攝津)

履中天皇
ヤマサクラ(大和)

允恭天皇
クヌギ、ササ、ニハトコ、ケヤキ、ヨグソミネバリ(大和)

雄略天皇
ハンノキ(河内)
ハンノキ、クハ(大和)
クハ(各地)
ヒノキ、ツバキ(大和)

淸寧天皇
メダケ(播磨)

顯宗天皇
ヤナギ(播磨)
スギ(大和)

繼體天皇
テイカカヅラ、ツタ(大和)

欽明天皇
シヒノキ(佐渡)
クスノキ(和泉)

崇峻天皇
エノキ、ヌルデ(河内)
メダケ(和泉)

推古天皇
モモ、スモモ(大和)

皇極天皇
タチバナ、イヌザンセウ(東海近畿地方)


孝德天皇
メダケ(薩摩)

天智天皇
クハ(百濟)
ヂンカウ、センダン(印度)

天武天皇
モモ、スモモ(攝津)
クチナシ(大隅)
シロツバキ、ヤダケ(大和)

持統天皇
ナシ、クリ(各地)

樹種分布一覧(*印は神代に現はれしもの)


アシハラノナカツ國
*カツラ

和泉
クスノキ、メダケ

出雲
イチヰガシ、*カヂノキ、*カウゾ、*カヤ、*ムクノキ、*マツ、*エビヅル、アヲツヅラフヂ、*メダケ、ビラウ、*ヒノキ、*モモ、*スギ

伊勢
マツ、ヤダケ

印度
ヂンカウ、センダン

近江
クリ

オノコロ島
*クハ、*クスノキ

大隅
クチナシ

オホヤシマ國
*クハ、*クスノキ、*マキ、*ヒノキ、スギ

尾張
スギ

各地
ナシ、クハ、クリ

河内
ハンノキ、ヌルデ、ツタ、クハ、エノキ

紀伊
オホタニワタリ、(草本)ビラウ

百濟
クハ

薩摩
*メダケ、メダケ、シヒノキ

佐渡
シヒノキ

攝津
カシハ、ツタ、クハ、クヌギ、マツ、ケヤキ、モモ、スモモ

タカマノハラ
*カヂノキ、*カウゾ、*ウハミヅサクラ、*ヤダケ、*ヤマウルシ、*テイカカヅラ、*サカキ、*ササ、*メダケ

但馬
フヂ、メダケ

東海近畿地方
イヌザンセウ、タチバナ、クハ

常世國
ミカン

筑後
*クヌギ

筑前
*カツラ、*タチバナ、マキ、サカキ、タチバナ

播磨
ヤナギ、メダケ

豐前
サカキ

豐後
カシハ、ツバキ

美濃
メダケ

山城
ヨグソミネバリ、ツバキ、ツタ、クハ、クリ、クヌギ、マツ、マユミ、ケヤキ、サネカヅラ、シャシャンポ

大和
ハンノキ、ニハトコ、カシ、カシハ、ヨグソミネバリ、タチバナ、ツバキ、ツタ、ツクバネカシ、クハ、クリ、クヌギ、ヤダケ、ヤマサクラ、マキ、ケヤキ、テイカカヅラ、サカキ、ササ、メダケ、シラカシ、ヒノキ、ヒヒラギ、モモ、スギ、スモモ

樹種別生育地及利用表(*は和歌にあり)

アヲツヅラフヂ*(出雲)
鞘を卷く

イチヰガシ(出雲)
詐刀こだち

イヌザンセウ(東海近畿地方)

ウハミヅサクラ(タカマノハラ)
占に用ふ

エノキ(河内)

エビヅル(ブダウ科ブダウ屬)(出雲)
⻝用

カウゾ*(タカマノハラ、イヅモ)
綱、木綿(ゆふ)、ふすま、布

カシ*

カシハ(大和、攝津、豐後)
酒杯
カヂノキ*

カツラ(アシハラノナカツ國、ツクシ)

カヤ(出雲)

クスノキ(和泉、オホヤシマ、オノコロ島)
佛像、船

クチナシ(大隅)
染料

クヌギ*(山城、大和、攝津、筑後)

クハ*(各地、オホヤシマ、百濟、淀川沿岸、オノコロ島)
養蠶ようさん

クリ*(大和、近江、山城、各地)
⻝用

ケヤキ*(山城、大和、攝津)


サカキ*(大和、豐前、筑前、タカマノハラ)
神前にそな
ササ(クマザサ屬)*(タカマノハラ、大和)
舞踊に用ふ

サネカヅラ(山城)
滑汁なめじる採取

シヒノキ(薩摩、佐渡)
⻝用、櫓

シャシャンポ(シャクナゲ科コケモモ屬)*(山城)

シラカシ*(大和)
髮飾

スギ*(大和、イヅモ、オホヤシマ國)
宮建築、戸、門

スモモ(大和、攝津)
⻝用

センダン(ビャクダン科)(印度)
薫香

タチバナ*(大和、筑前、東海近畿地方)
⻝用

ヂンカウ(印度)
薫香用

ツクバネガシ*(大和)
髮飾

ツタ*(大和、淀川沿岸)

ツバキ*(大和、山城、豐後)
棍棒

テイカカヅラ*(大和、タカマノハラ)
髮飾

ナシ(各地)
⻝用

ニハトコ*(大和)

ヌルデ(河内國)
佛像

ハンノキ*(大和、河内にまたがる)

ヒヒラギ(大和)
矛の柄

ヒノキ*(伊勢、攝津、山城、イヅモ)

ビラウ(シュロ科)*(出雲、紀伊)
宮の屋根を葺くに用ふ

フヂ(スギ屬)(大和、尾張、イヅモ、オホヤシマ國)


フヂ(マメ科)(但馬)
衣服等

マキ*(筑前、大和、オホヤシマ)
ひつぎ、灰を利用す

マツ*(播磨)

マユミ*(山城)


ミカン(常世國)
⻝用

ムクノキ(イズモ)
⻝用

メダケ*(美濃、播磨、薩摩、ヒムカ、但馬、和泉、タカマノハラ、イズモ、大和)
とも、笛、琴、いかだかご、釣竿

モモ(大和、攝津、イヅモ)
⻝用

ヤダケ*(大和、伊勢、タカマノハラ、出雲)


ヤナギ*(和泉、オホヤシマ、オノコロ島)
佛像、船

ヤマウルシ(タカマノハラ)


ヤマサクラ*(大和)

ヨグソミネバリ*(大和、山城)

発行にあたり

 この論文は、林學會雜誌 第十六卷 第四號に掲載されたものである。
 昭和八年十月十六日受理。

古事記及び日本書紀に現はれたる樹木に就いて

2022年6月16日 発行 初版

著  者:大野俊一
発  行:記紀怪界書房

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嶋内正樹

昭和48年(1973年)1月22日生まれ。 会社員。 旋盤工。 自称妖怪研究家。 古代日本最大の謎、邪馬台国と卑弥呼の正体に迫ります。

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