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本稿は古事記及び日本書紀に現はれたる記載に徴して、其の樹種、生存地、分布状熊、初用、樹名に使用せる文字、古名と現在名が如何に變化せるや、其の出現の順序年代の如何等の大要を知らんとして試みしものなり。尙ほ考究の餘地も少なからざるべく或は錯誤遺漏もあるべしと思料す。識者の叱正により是正し得ば幸甚なり。
添付の表によりて前記目的の大要は了知せられやうと信ずるも、多少補足の意味に於て若干の說明を附記せんとす。以下古事記を記、日本書紀を紀と記し、樹各も主として現左の名を以て記し、生育場所の如きも現在の地名を以て述ぶ。
記、紀に現はれたる神代の樹木中林業上有用なるものは、クスノキ、クハ、メダケ、ヤダケ、ウハミヅサクラ、サカキ、カヂノキ、カウゾ、ヒノキ、スギ、マツ、カヤ、マキ、ムクノキ、カツラ、ヤマウルシ等にして、其の内記に現はれざるもの、カヤ、マキの二種、紀に現はれざるもの、ウハミヅサクラ、ムクノキの二種なり。
夫等の大樣を出現の順は述べん。
最初に現はれしものをクスノキとす。イザナギの尊とイザナミの尊がオノコロ島に於て八尋殿を見立て、茲に於てクス船を生みたまふとあり。紀には此の船で蛭兒を載せて順風に放ち棄てたまふとあり、當時はクスノキ船が水上交通上重要なる役割を演ぜしを知るに足る。
又ワカムスビの神の頭らの上に蠶とクハと生りとあり。
イザナギの尊がイザナミの尊をヨモツ國に見たまひて逃げ還ります時に、ヨモツシコメ追ひしかば、ミカヅラを投げ玉へばエビヅル生ず、更にユツツマクシを引き闕きて投げ棄て玉へば、竹筍生ず、猶ほ追ひしかばヨモツヒラ坂(記には今の出雲國の伊賦夜坂となも謂ふとあり)に生ぜる桃子を取りて投げ撃ち玉へばもシコメ等逃げ返へるとあり。其處でイザナギの尊はイナシコメキタナニ國に至りてありけりとて、ツクシヒムカのタチバナのヲドのアハキ原にて禊ぎ玉ふ。アハキ原は福岡市附近にてアハキは植村博士によれば淡木即ち落葉濶葉樹の一部の稱と解するをアヲキ、カシと解するよりも良しとせらる。都久志、第三號所載筑紫の檍原と大木の樟埋木に就て、參照。
紀にはアシハラのナカツ國にウケモチの神あり。この神の眉の上に蠒生れり。記にはオホゲツヒメの神の頭に蠶なりとあれば前掲のワカムスビの神が蠶とクハを生ぜると云ふに同じく、當時養蠶の業行はれをりしなるべし。
スサノヲの尊のタカマノハラに上られるに當りて、アマテラスオホミ神、弓矢を取り稜威のタカトモを著きとあれば、弓材に何にが使用せられたるかは不明なるも、アメワカビコがアシハラのナカツ國に降るに際し、ハジ弓を賜ひ、又天孫降臨の時にもハジ弓を把りとあれば、ヤマウルシの材の弓にてありしなるべし。白井博士の樹木和名考に於ては徳川時代に於て山ウルシをヤマハジと呼びしは琉球ハジに對する名にして古代にありては今日の所謂山ハジ卽眞のハジなりしなり草木圖說のヤブウルシ卽植物名彙のヤマハゼも古代にありては矢張ハジと呼び、山ウルシのハジとの間に區別を立てざりしものと思はる、而して弓材は専ら山藤のハジより之れを取りしものと思はるるは弓木又ヤマアヅサの方言あるにて知らるるなりと。又箭には當時よりヤダケが使用せられしならん。タカトモは竹製發音器なればメダケが用ひられしなるべく、マウソウチク、ハチク、マダケは古代には自生せざりし處なれなり。竹類は區別出來難き爲め記載より判斷して便宜メグケ、ヤダケ、ササの三種に區別して表示せり。
アマテラスオホミ神がアマのイハヤにこもりましぬ時に諸神アメのヤスのカハラに會合まして、アメのカグヤマのウハミヅサクラを取りて占合ひ、サカキの下枝にはニギテ(カヂノキ、カウゾの繊維より作りしもの)を著け、テイカカヅラを鬘となし、ササ葉を手にもちて舞ふとあり。
スサノヲの尊。イヅモの國のヒノカバ上のトリカミの地に降ります。其地に大蛇あり、その身にヒノキ、スギ、マツ、カヤ等生ひとあれば、今の船通山一帶の地は之等の樹種生育せしなるべく、マツは普通アカマツ、クロマツに分別するも當時は兩者を包含するは勿論更に廣義に用ひられしものなるべし。
紀は更にイソタケルの尊朝鮮より多くの樹種を齎らしツクシより初めてオホヤシマ國を全部青山になすとあれば何處も美林存せしなるべし。又スサノヲの尊、吾兒の所御の國に浮寳(船)なかるべからずとて、髯を拔き散したまへばスギとなり、胸毛はヒノキに、尻毛はマキに、眉毛はクスノキとなる且つ之等の用途を示したまひてのたまはく、スギ、クスノキは船材に、ヒノキは瑞宮の材に、マキは柩にと。已に樹の性質が一般に悉知せられ居りしを知るに足る。又尊は噉ふべき多數の木種をよく播殖したまへり。
タクヅヌ(栲綱)の白き云々とて白の枕詞にクケが用ひられ或は千尋の栲繩と云ふやうな言葉が用ひられ居るも、これは前記のカヂノキ、カウゾの繊維より作れるものを云ふなり。白井博士はタクはヒメカウゾなりとせられるも、牧野博士はカヂノキ、カウゾの兩者がダクーと稱せられしものとせらる。植物硏究雜誌第八卷第五號、白井博士、古事記に見えたる植物及同文中の(牧野云フ)の項を參照。
宮を造るには柱は高大。板は廣厚。海に遊ぶために船を作り云云とあれば神代の末期に於ては製材の技術も多少の進步を示すものとすべきなり。或はアシハラシシコヲと謂ふ神ムクノキの實と赤土を咋ひ唾出せばとある故當時からムクノキの實は⻝用に供せられしか、天詔琴樹に觸れて響くとあば樂器の存せしを知るに足る。
マナシカタマの小船を作りて或はこれを浮木(船)につくりてとあるがカタマは竹籠にしてマナシ卽ち密に組めることを云ふから今の竹筏のことなるべし、これが薩摩地方では船に代用せられしなるべし。この竹筏で海神の宮に至れば宮は城闕崇萃。樓臺壯麗とあれば建築の術更に一段の進境を示すものと解し得。
アシハラナカツ國のアメワカビコが門前にカツラあり又海神の宮にもカツラありとあるも夫れが現在のカツラ科のカツラなりや否は疑問なりと岡不崩氏は萬葉集草木考に述べらるも茲にはカツラ科のカツラを掲げをりけり若し支那產のものなれば Liquidambar formosaua なり。
神代に於ては天石楠船、眞坂樹、湯津香木等の如く、天、眞、湯津を事物の名稱に前置しあるも省略せり、天は美稱、眞は接頭語、湯津は清淨と解して可ならん。更にクカマノハラ、オホヤシマ國、アシハラナカツ國が現在の何處に相當するかは不明なり。
神武天皇御即位前六年より清寧天皇(紀元千百十四年)に至る間に記載せらるる樹種は可成の多數なるも、紀になく記にあるものはツクバネガシ、イチヰガシ、アヲツヅラフヂ、ナネカヅラ、フヂ、シャシャンポ、ニハトコ、ビラウなり。而して記になく紀にあるものはシヒノキ、クハ、ツタ、ヤマサクラ、ヒヒラギ、シラカシなり。而して記は清寧天皇以降推古天皇の御世まであるも記すべき樹木なし、紀は尙ほ持統天皇までの古史あり、清寧天皇以降持統天皇まで約二百十餘年中に新に記載せられしもの次の九種、エノキ、ヌルデ、ヤナギ、スモモ、イヌザンセウ、ヂンカウ、センダン、クチナシ、ナシなり。然もヂンカウ、センダンは佛教の傳來に伴ひ恐らく印度產の品が輸せられしものならん故、此の二種を除けば自生樹木は僅かに七種に過ぎざれば、平均三十年間に一種が記載されしこととなる。以下大體に現はれたる重要樹木の槪要を述べん。
神武天皇 天皇御卽位前六年薩摩國より東征の軍を興さるるに際して、朕聞く東に美地あり青山四周すと宣べ玉ふ。これ大和地方が一帶の欝蒼たる森林ありしことと解して可なるべし。天皇親ら舟師を帥ゐて豊後國佐賀ノ關町にて漁人い稚㰏の末を授け玉ひて海導者となし玉ふ。とれ薩摩地方一般に當時シヒノキを舟棹に用ひしなるべし。又天皇大和國宇陀郡の宇陀川の上流榛原町附近にて川に瓮を沉め玉ひて、若しマキの葉の浮くが如くば云云と祈り玉ひ、よつてサカキを取りて諸神を祭ひ玉ふとあれば附近にマキ、サカキの生育せしなるべく、サカキを廣義に解して榮樹なりとなすものあるも狹義に解す。想ふに神代より現在 までサカキは神前に供する樹として用ひられ來りしなり。
東征以來六年になりね、當に山林を披拂ひ宮室を經營して恭みて寳位に臨み云云と宣べ玉ひしより考ふるに當時橿原町附近は密林なりしなり。
垂仁天皇 この御世に注意すべきは尾張の相津(未詳)の二俣スギで舟を作りて、香久山村にありし池に浮べて遊びきと、スギ材の船として明瞭に記錄せられたり。クスノキ船よリスギ船に移行せるは木材加工の技術の進步せるを示すものなり。神代に於ては空洞利用の點よりクスノキが適當なりしならん。
又曙立王大和でツクバネガシを祈り枯し又生し玉ひきとか。出雲に於て檳榔の長穗宮に坐せまつりてとあり、古代に於てはビラウがアゲマサと呼ばれしも、出雲地方にビラウが古代に生ぜしや否やは疑問なり、何んとなれば現在ビラウは日本海岸では福岡縣を北限とし、太平洋岸では高知縣を北限とすればなり。或はシュロ科の植物にてビラウと呼ばれしものありしや、又は單に葉の長きより長穗の枕詞として用ひられしか考究を要するも表には掲げ置げり。
天皇常世國今の朝鮮近海の島ならんにトキジクのカクの實、これ今の橘なりと記されしを取りに遣はし玉ふ、恐らくはミカンの類にてありしなるべしとして表にはミカンを掲ぐるごととせり。
又倭姫命大神を以て大和國磯城郡織田村の嚴橿の下に鎭め坐せて祠とあり、嚴は神聖の意にして單にカシとあるは常綠ブナ科の總稱として用ひしなるべし。
景行天皇 注意すべきは坂手ノ池(大和國磯城郡川東村)を作りて其の堤に竹を植ゑしめ玉ひしことなり。當時が鞭根が堤の強固化に役立つことが判明しをりしなるべし。これ竹植栽勅命の最初にてあらん。
天皇土蜘蛛を討ち玉ふ時豊後でツバキの根棒を作らしめ玉ひて兵器とせられ、日本武尊は出雲建を殺すにイチヰガシで詐刀(木劍)を作り玉ふ。又尊の東征に際しては天皇ヒヒラギの八尋矛を賜ふとあればヒヒラギは大和地方に自生せしなり。又尊は伊勢國桑名郡多度村にて一つ松の許にて御歌よみしたまふ、これ松が和歌に詠ぜられし最初となさる。この場所は海岸近くであれば恐らくはクロマツにてありしならん。又御歌によれば當時大和地方ではツクバネガシ、シラカシが髪飾に用ひられしが如し。素朴なる風俗偲ぶべきなり。
紀には此の御世に筑後國三池郡三池町附近に大木の僵樹ありその僵れざるの前には朝日の輝くどきは杵島山を穩し夕日に輝くときは阿蘇山を覆した、長さ九百七十丈のものありしかば、天皇問ひてのたまはく、是れ何の樹ぞ、一老夫ありてクヌギなりと答へければ天皇其處を御木國と號け玉へり。歷木は國木で國の名稱となりし木の意なり。或は巨大なる埋木でもありしか。日本山林新聞第百四十四號の薗部博士の大木と名木、大日本地名辭書の三池郡の項參照。
仲哀天皇 新羅を討たんにはマキの灰を瓠に入れ箸、比羅傳(葉盤にして當時は樹葉が⻝器に代用せられしなり)を多く作りて海に散せと敎ヘ玉ふ神ありとあるも、此等のものが何に使用せられしかは不明なるも勝利の呪か、靜波、起波の法か、追風を起す法か、或は魚類を集める法にか用ひられしならん。
直木とある故通直な木とも解し得るも筑前國香椎村にてのことなればマキと解す。
神功皇后 皇后武内宿禰に命せて忍熊王を討たしめ玉ふ時に熊之凝と云ふ者己が衆を勸めむとて高唱せる歌に徴するに山城國宇治町附近には荒れた松原あり又當時ケヤキの材の弓が用ひられしなるべし。軍逃げるに及んで近江國膳所町附近で多く斬り、其處の栗林に血つける故其栗林の菓を御所に進めすとあり。當時膳所町附近に栗林存せしなるべし。
應神天皇 天皇豊明聞こしめす日、髪長比賣に大御酒の柏を取らしめとあり、これ當時柏の葉が酒杯に用ひられしなるべく、ただに柏のみに非ざりしも柏が代表的なりしを示すものなり。又天皇の御製に三栗のなる枕詞あり。これ栗が一苞中に普通三顆を包みその中央のものと云ふ處から中の枕詞として當時用ひられしものならん。又サネカヅラの根より滑を取りて人の仆ふるる樣に箸橋に塗りてとあり。又宇遲能和紀郎子の山代國宇治町附近の御歌にアヅサ弓マユミと詠じ玉へるものあり、これ今のヨグソミネバリ及びマユミが其當時弓材として用ひられしと同時に其附近に之等の樹が生育せるを示すものなり。更に此の御世に伊豆國船を貢れり。これを枯野と號し官用にせられし處、朽ちたればこの船材を薪として鹽を燒き、五百籠を得て、之れを諸國に施して船を作らしめたまひし處一時に五百の船を貢れりとあり、且又此の船材の餘燼を琴に作らしめたまひし處其音さやかにして遠く聆ゆと、これは足柄山のスギで造りし船なりと云はる。
仁德天皇 天皇淡路島にて遙望しまして前略オノコロ島、アヂマサの島も見ゆ、サケツ島見ゆと、このアヂマサの島は紀伊方面の島なるべきも所在不明なり。然し往昔紀伊方面にビラウが生育せしは疑なき所なり、何んとなれば今もオホタニワタリが生育すればなり、然し現在ででビラウ生育せず。
大后熊野岬に幸でまして御綱柏を取られたとあり、これ今のオホタニワタリにて草本に入るべきものなるも最近まで樹木と見做されしものなれば特に表に掲げしなり。
荒陵の松原(大阪市茶臼山)に二本のクヌギが生じ路を挾んで末合へりと、珍らしき木ありしなり。
更に此の御世に、河内國龍華町に一高樹あり、丁度景行天皇の御世の筑後のクヌギに似たり、朝日には高安山を超え、夕日には影淡路島に及ぶと、この木にて船を作りてそれを枯野と號け、後ちに薪として鹽を燒き餘燼は琴に作りし處、其音よく響くとあり。これスギの大木にてありしか。
又大井川の河の曲に其の大きな十圍の元一で末兩の木流れ停れりとの上言ありしかば、天皇それで船を作らしめたまふとあれば大井川の上流に生育せるスギにてもありしか。
履中天皇 此の御世に室山(大和國南葛城郡秋津村)に櫻を得とあれば凡らくはヤマサクラなりしなるべし。
允恭天皇 輕大郎女(衣通王)の御歌にヤマタヅの迎へを云ふとてこれを迎への枕詞として用ひられしはニハトコにて夫れは對生物狀複葉なるより、むかひ合つて居る處から由來せるを用ひられしものならん。
雄略天皇 注意すべきは桑に宜しき國縣に桑を殖ゑしめ玉ひ、又宮中にて養蠶を行ひ玉ひしことなり。
又天皇大和國初瀬町にありし百枝のケヤキの下に坐しけるとき、三重婇によりて、マキサク、檜の御門と云ふ歌詞あり、これはヒと云はんとしてマキサクを用ひしなり、これマキ榮える所の意にて、眞木を通直な木と解し得るもマキと解してよろしからん。又平群山にツクバネガシ、メダケ生ずるの御歌あり。更に葛城山にはハンノキありしと。
顯宗天皇 ヤナギ初めて記されたり。
繼體天皇 メダケで笛を作り又琴を作るとの御歌あり。
安閑天皇 大阪市姫島町にありし松原に牛を放ちたまひき。放牧の最初にてあらん。
欽明天皇 佐渡島にてシヒの實を採ひて熟し喫せんとし灰の裏に置きし所その皮二人になりて火上に騰るの上言あり。
クスノキの沈木が和泉國の海岸にありき。それで佛像を作らしめ玉ふ。夫は吉野寺で光を放つものこれなりと。
崇峻天皇 河内國にて大連エノキの枝に昇りて弓を射ると、又厩戸皇子がヌルデで四天王の像を作りて頂髪に置きて祈り玉 ふとあれば、小さき像にてありしなるべし。
推古天皇 沈木淡路島に漂着す。其の大きさ一圍薪に交へて燒くとき烟氣遠く薫りしかば 、之れを獻るとあるが、沈香の材が漂着せりとも考へられざれば何か芳香性の木の漂着せしものならん。
二十四年正月にモモ、スモモ實れり、三十四年正月にモモ、スモモ華けり。大和國平坦部の事にてあるべし。
舒明天皇 十年九月モモ、スモモ華けりと、大和平坦部での事なり。
皇極天皇 法興寺のケヤキの下に打毬の會あり。これより後ちる屢々とこのケヤキ現はれるも省略することとす。又富士川の邊の人、常にタチバナとイヌザンセウに生すると云ふ常世の神なる蟲を村里に祭ることを勸めたり。
孝德天皇 白雉四年に薩摩國川邊郡加世田村附近の海にて難船し、竹筏を作りて助かりし人あり。
齊明天皇 龍に乘れる者が大阪市住吉區の松の嶺より西へ馳せたとあり。又大和國多武峰タカトノの頂上の二本のケヤキの邊に觀を起てたまふ。
天智天皇 天皇使を遣はして法興寺の佛に沉水香、栴檀香を奉るとあればこれ印度產のものならん。
天武天皇 大阪市玉造町附近の松林に綿の如きもの零れり。時人甘露と云ふと。
九年正月に神戸市神戸區附近一帶の處にモモ、スモモ實れり。七月には法興寺のケヤキの枝自然に折れて落ちたりと。
十年八月に種子島より使人等歸へりてクチナシを其他の產物と共に貢る。染料に用ひられしものなるべし。
十三年に吉野の人、白ツバキを貢る。
十四年ヤダケを二千連、大和より筑紫に送り下す。
持統天皇 注意すべきはクハ、カラムシ、ナシ、クリ、カブラ等の草木を勸殖せられしことなり。
以上にて甚だ簡單に大要を說明せることとす。記、紀に現はれたる樹種は五十三種にして二十七科四十屬な り。其の内和歌中に現はれをるもの三十種の多數なり。分布表より古代の文化中心點に多くを、夫を離るるに從ひて少なく佐渡島以北と種子島以南は表はれす。當時の交通關係によるものなるべし。更に此等の生育地は現在と殆んど同樣なるは、これ植生に變化を惹起する人爲的及び自然的激變生ぜざりしによるべし。
出現順序の表より何が最も早く表はれしかを見るを得べく、利用表では古代と現代とでは其の用途の種類を増加せるに過ぎざるが如く、根本的には何等の變化もなきなり。花の美しきもの香のよきものは觀賞用に供せられたるべし。
古名和名及學名の表より誤まり呼ばれしもの、變化せしもの、何等の變化なきもの及び使用文字を知り得るなり。これは主として樹木和名考によれり。
更に各代の天皇は槪ね新に帝宅を御造營あらせられ且又欽明天皇より持統天皇に至る約七十年問に大和地方に二十有餘の大寺が作られしなり。想ふに營時は翠嶺萬里等の形容詞が如實に當篏まりしものなるべく、之等の用材は他地方より移入するを要せずして、大和地方に存せしものを利用して充分なりしなるべく、山林繁榮の狀想起するだに快感を覺ゆ。
其他の兩書に現はれたる林業關係事項は他日に讓る。
本稿を草するに際して懇切なる御教示を賜ひし植村博士に深甚の謝意を表し尙ほ學名に對して一覽を煩はせる初島學士に謝意を表す。
表記は古名、和名、屬名、科名の順とする。
阿豆佐、阿豆瑳、梓
ヨグソミネバリ
シラカバ
カバノキ
阿遲摩佐、檳榔
ビラウ
ビラウ
シュロ
伊知比、櫟
クヌギ
カシ
ブナ
赤檮
イチヰガシ
カシ
ブナ
朴
エノキ
エノキ
ニレ
蒲 子、蒲 陶
エビヅル
ブダウ
ブダウ
加斯、加志、伽辭、白檮、橿
カシ
カシ
ブナ
柏
カシハ
カシ
ブナ
楓、香木、社木、可豆邏、杜、杜樹
カツラ
カツラ
カツラ
栢
カヤ
カヤ
イチヰ
楠、櫲樟、樟木、樟
クスノキ
クスノキ
クスノキ
攴子
クチナシ
クチナシ
アカニカ
歷木
クヌギ
カシ
ブナ
桑、愚破
クハ
ヤマグハ
クハ
久麻加志、隱白檮
ツクバネガシ
カシ
ブナ
倶利、具理、愚利、栗
クリ
クリ
ブナ
賢木、坂樹、佐加紀、佐介幾、柃木
サカキ
サカキ
ツバキ
櫻、佐區羅
ヤマサクラ
サクラ
イバラ
小竹、佐佐
ササ
クマザサ
イネ
佐斯夫、烏草樹
シャシャンポ
コケモモ
シャクナゲ
佐那葛
サネカヅラ
サネカヅラ
モクレン
篠、小竹、斯奴、士怒、箭竹
ヤダケ
タダケ
イネ
椎
シヒノキ
シヒ
ブナ
志邏伽之、白橿
シラカシ
カシ
ブナ
榅、杉、須擬
スギ
スギ
マツ
李
スモモ
サクラ
イバラ
栴檀
センダン
ビャクダン
ビャクダン
多久、栲
カウゾ、カヂノキ
カウゾ
クハ
竹(高)、節竹、陀氣、多氣、駄開、余㐮開
メダケ
メダケ
イネ
橘、多到播那、多知婆那、多智麼那
タチバナ
ミカン
ヘンルウダ
沈水香
ヂンカウ
ヂンカウ
ヂンチャウゲ
菟區、菟岐、都岐、都久、槻
ケヤキ
ケヤキ
ニレ
兎怒、都奴、蘿、角
ツタ
ツタ
ブダウ
都豆良、黑葛
アヲツヅラ、フヂ
アヲツヅラ、フヂ
ツヅラ
波岐、海石榴、都婆岐、椿
ツバキ
ツバキ
ツバキ
登岐士玖能迦玖能木、非時香木、橘
ミカン
ミカン
ヘンルウダ
梨
ナシ
ナシ
イバラ
白膠木、農利埿
ヌルデ
ウルシ
ウルシ
波士、梔
ヤマウルシ
ウルシ
ウルシ
波波迦
ウハミヅサクラ
サクラ
イバラ
波毘呂久麻加斯、葉廣態白檮
ツクバネガシ
カシ
ブナ
榛、波理能紀、婆利
ハンノキ
ハンノキ
カバノキ
檜、避、比
ヒノキ
ヒノキ
マツ
比比羅木
ヒヒラギ
モクセイ
ヒヒラギ
布遲、藤
フヂ
フヂ
マメ
曼椒、褒曾紀(裒曾紀)
イヌザンセウ
イヌザンセウ
ヘンルウダ
柀、麻紀、莾紀、摩紀、眞木
マキ
マキ
イチヰ
磨佐棄逗羅、眞拆、眞木葛
テイカカヅラ
テイカカヅラ
ケフチクタウ
松、麼菟、麻菟
マツ
マツ
マツ
麻由美、麻由彌、檀、麻由瀰
マユミ
ニシキギ
ニシキギ
御綱柏、御綱葉(草本)
オホタニワタリ
トラノシダ
ウラボシ
牟久木
ムクノキ
ムクノキ
ニレ
桃
モモ
サクラ
イバラ
野儺擬、柳
ヤナギ
ヤナギ
ヤナギ
夜麻多豆、山鶴
ニハトコ
ニハトコ
スヒカヅラ
神代
クスノキ、クハ(オノコロ島)
エビヅル、モモ(イヅモ)
タチバナ(ツクシ)
メダケ、ヤダケ、ウハミヅサクラ、サカキ、カヂノキ、カウゾ、テイカカヅラ、ササ(タカマノハラ)
ヒノキ、スギ、マツ、カヤ(イヅモ)
クハ、スギ、ヒノキ、マキ、クスノキ(オホヤシマ國)
ムクノキ、カウゾ、カヂノキ、メダケ(イヅモ)
ヤマウルシ(タカマノハラ)
カツラ(アシハラノナカツ國)
メダケ(ヒムカ)
カツラ(ツクシ)
神武天皇
ヒシノキ(薩摩)
マキ、サカキ(大和)
垂仁天皇
スギ(尾張)
ツクバネガシ(大和)
ビラウ(出雲)
ミカン(常世國)
カシ(大和)
景行天皇
メダケ(大和)
メダケ(美濃)
サカキ(豐前)
ツバキ、カシハ(豐後)
イチヰガシ、アヲツヅラフヂ(出雲)
ヒヒラギ(大和)
マツ(伊勢)
シラカシ(大和)
クヌギ(筑後)
クハ(東海道地方)
ヤダケ(筑前)
仲哀天皇
サカキ、マキ(筑前)
神功皇后
タチバナ(筑前)
クヌギ(攝津)
マツ、ケヤキ(山城)
クリ(近江)
應神天皇
クヌギ、クリ(山城)
オホタニワタリ(紀伊)
タチバナ、カシハ、クリ(大和)
サネカヅラ、ヨグソミネバリ、マユミ(山城)
フヂ、メダケ(但馬)
仁德天皇
ビラウ(紀伊)
シャシャンポ、ツバキ(山城)
ツタ、クハ(淀川沿岸)
ケヤキ、カシハ、マツ(攝津)
履中天皇
ヤマサクラ(大和)
允恭天皇
クヌギ、ササ、ニハトコ、ケヤキ、ヨグソミネバリ(大和)
雄略天皇
ハンノキ(河内)
ハンノキ、クハ(大和)
クハ(各地)
ヒノキ、ツバキ(大和)
淸寧天皇
メダケ(播磨)
顯宗天皇
ヤナギ(播磨)
スギ(大和)
繼體天皇
テイカカヅラ、ツタ(大和)
欽明天皇
シヒノキ(佐渡)
クスノキ(和泉)
崇峻天皇
エノキ、ヌルデ(河内)
メダケ(和泉)
推古天皇
モモ、スモモ(大和)
皇極天皇
タチバナ、イヌザンセウ(東海近畿地方)
孝德天皇
メダケ(薩摩)
天智天皇
クハ(百濟)
ヂンカウ、センダン(印度)
天武天皇
モモ、スモモ(攝津)
クチナシ(大隅)
シロツバキ、ヤダケ(大和)
持統天皇
ナシ、クリ(各地)
アシハラノナカツ國
*カツラ
和泉
クスノキ、メダケ
出雲
イチヰガシ、*カヂノキ、*カウゾ、*カヤ、*ムクノキ、*マツ、*エビヅル、アヲツヅラフヂ、*メダケ、ビラウ、*ヒノキ、*モモ、*スギ
伊勢
マツ、ヤダケ
印度
ヂンカウ、センダン
近江
クリ
オノコロ島
*クハ、*クスノキ
大隅
クチナシ
オホヤシマ國
*クハ、*クスノキ、*マキ、*ヒノキ、スギ
尾張
スギ
各地
ナシ、クハ、クリ
河内
ハンノキ、ヌルデ、ツタ、クハ、エノキ
紀伊
オホタニワタリ、(草本)ビラウ
百濟
クハ
薩摩
*メダケ、メダケ、シヒノキ
佐渡
シヒノキ
攝津
カシハ、ツタ、クハ、クヌギ、マツ、ケヤキ、モモ、スモモ
タカマノハラ
*カヂノキ、*カウゾ、*ウハミヅサクラ、*ヤダケ、*ヤマウルシ、*テイカカヅラ、*サカキ、*ササ、*メダケ
但馬
フヂ、メダケ
東海近畿地方
イヌザンセウ、タチバナ、クハ
常世國
ミカン
筑後
*クヌギ
筑前
*カツラ、*タチバナ、マキ、サカキ、タチバナ
播磨
ヤナギ、メダケ
豐前
サカキ
豐後
カシハ、ツバキ
美濃
メダケ
山城
ヨグソミネバリ、ツバキ、ツタ、クハ、クリ、クヌギ、マツ、マユミ、ケヤキ、サネカヅラ、シャシャンポ
大和
ハンノキ、ニハトコ、カシ、カシハ、ヨグソミネバリ、タチバナ、ツバキ、ツタ、ツクバネカシ、クハ、クリ、クヌギ、ヤダケ、ヤマサクラ、マキ、ケヤキ、テイカカヅラ、サカキ、ササ、メダケ、シラカシ、ヒノキ、ヒヒラギ、モモ、スギ、スモモ
アヲツヅラフヂ*(出雲)
鞘を卷く
イチヰガシ(出雲)
詐刀
イヌザンセウ(東海近畿地方)
ウハミヅサクラ(タカマノハラ)
占に用ふ
エノキ(河内)
エビヅル(ブダウ科ブダウ屬)(出雲)
⻝用
カウゾ*(タカマノハラ、イヅモ)
綱、木綿(ゆふ)、衾、布
カシ*
カシハ(大和、攝津、豐後)
酒杯
カヂノキ*
カツラ(アシハラノナカツ國、ツクシ)
カヤ(出雲)
クスノキ(和泉、オホヤシマ、オノコロ島)
佛像、船
クチナシ(大隅)
染料
クヌギ*(山城、大和、攝津、筑後)
クハ*(各地、オホヤシマ、百濟、淀川沿岸、オノコロ島)
養蠶
クリ*(大和、近江、山城、各地)
⻝用
ケヤキ*(山城、大和、攝津)
弓
サカキ*(大和、豐前、筑前、タカマノハラ)
神前に供ふ
ササ(クマザサ屬)*(タカマノハラ、大和)
舞踊に用ふ
サネカヅラ(山城)
滑汁採取
シヒノキ(薩摩、佐渡)
⻝用、櫓
シャシャンポ(シャクナゲ科コケモモ屬)*(山城)
シラカシ*(大和)
髮飾
スギ*(大和、イヅモ、オホヤシマ國)
宮建築、戸、門
スモモ(大和、攝津)
⻝用
センダン(ビャクダン科)(印度)
薫香
タチバナ*(大和、筑前、東海近畿地方)
⻝用
ヂンカウ(印度)
薫香用
ツクバネガシ*(大和)
髮飾
ツタ*(大和、淀川沿岸)
ツバキ*(大和、山城、豐後)
棍棒
テイカカヅラ*(大和、タカマノハラ)
髮飾
ナシ(各地)
⻝用
ニハトコ*(大和)
ヌルデ(河内國)
佛像
ハンノキ*(大和、河内に跨る)
ヒヒラギ(大和)
矛の柄
ヒノキ*(伊勢、攝津、山城、イヅモ)
ビラウ(シュロ科)*(出雲、紀伊)
宮の屋根を葺くに用ふ
フヂ(スギ屬)(大和、尾張、イヅモ、オホヤシマ國)
船
フヂ(マメ科)(但馬)
衣服等
マキ*(筑前、大和、オホヤシマ)
柩、灰を利用す
マツ*(播磨)
マユミ*(山城)
弓
ミカン(常世國)
⻝用
ムクノキ(イズモ)
⻝用
メダケ*(美濃、播磨、薩摩、ヒムカ、但馬、和泉、タカマノハラ、イズモ、大和)
鞆、笛、琴、筏、籠、釣竿
モモ(大和、攝津、イヅモ)
⻝用
ヤダケ*(大和、伊勢、タカマノハラ、出雲)
矢
ヤナギ*(和泉、オホヤシマ、オノコロ島)
佛像、船
ヤマウルシ(タカマノハラ)
弓
ヤマサクラ*(大和)
ヨグソミネバリ*(大和、山城)
弓
この論文は、林學會雜誌 第十六卷 第四號に掲載されたものである。
昭和八年十月十六日受理。
2022年6月16日 発行 初版
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昭和48年(1973年)1月22日生まれ。 会社員。 旋盤工。 自称妖怪研究家。 古代日本最大の謎、邪馬台国と卑弥呼の正体に迫ります。