映画って、何から見ればいいんだろう。どこを見ればいいんだろう……?
映画観賞に親しみのない方の中には、ふとそんな疑問を持つ人もいるのではないでしょうか。多様なジャンル・映像から自分好みの物語を見つけ出すことは、一朝一夕では難しいかもしれません。けれど、自分なりの映画の見方を発見すれば、きっと好みを超えた新しい作品との出会いに繋がるはずです。
この本では、十人十色の映画の見方や着眼点、楽しみ方などを、具体的な映画タイトルを取り上げながらご紹介します。映画初心者の方でもきっと視点を広げる手助けになるはずです。
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「映画とテレビドラマの違いはなんですか?」
私が映画を見るときに、常に考えている問題です。動画の長さや放映媒体などを別にして、物語の構成と主人公の描写から、その区別がつけられるでしょう。
映画の主人公がどんな人物かは、その映画のタイトルに明示されている、あるいは視点人物となる、それに加えて「境界」を超えている人物であると簡単に説明できます。視点人物というのは映画の中で焦点化された存在です。情報量が一番多く語られる人物のことを言います。「境界」を超えることは日常から非日常に至ることであり、また映画の最後にその日常に戻る展開のこと、と説明するとわかりやすいでしょう。
それでは具体的に映画作品を紹介しながら、その面白いポイントを教えます。
私が最近一番好きな映画は『海よりもまだ深く』です。是枝裕和監督の作品の一つですが、『海街diary』や『誰も知らない』などの名作よりずっと無名な映画かもしれません。
主人公の良多は生計のため探偵をしていますが、一方で小説家の夢を続けたいと考えています。彼はギャンブルも好きで、いつもお金のことで困っています。さらに、妻と離婚した後、別れて暮らす息子に会うためには養育費を出さなければいけない、という条件を課されていました。どう見てもダメな男だと映画の最初に多くのシーンから伝わるでしょう。良多の日常生活はこのようにだめですが、ある日、ようやく息子と面会ができ、買い物や食事などをしたあと、お婆さんに会いに行くことを決めて、離婚した元妻もお婆さんのところに訪れたので、台風のためさしぶりの家族四人の一夜を展開しました。その一夜良多は息子と嵐の中に外出し、将来の夢を話し合い、いいお父さんの姿がこの夜だけ現れました。夜が明けて、みんながお婆さんのところから帰り、良多も日常生活に帰って映画もこれで終わりました。
私からの映画紹介を見たら、あまり観たいと思えないかもしれません。映画の物語自体もそれほどインパクトがなくて、生活感が強いです。それはおそらく是枝監督の映画の特徴と言えます。静かな生活の中で、平凡もしくは失敗を繰り返す中年人の生活を覗いてみたら、どう思うでしょう。人生は必ず成功するとは限らない、なりたかった大人になれた人はこの現実世界にどのぐらいいるでしょうか。映画が観終わっても、味わいがあります。
映画が一旦終わっても、主人公の良多の人生はまだ続いていて、これからも生活費に困ると想像できます。このような、結末が一言で言えない映画の方が私は好きです。まるで現実世界を生きる人のように、明日のことは知らない、関心もない、さらに推測しても当たりません。映画を観た視聴者が良多をどのような人物だと感じるかは、それぞれの価値観次第です。これは「ヤバイ」人間と思う人もいれば、これは「現実世界」と思う人も少なくないと思います。物語の展開から、多くの視聴者の共感を得るのは是枝監督の狙いです。「自分の人生はどうだろう?」という質問がつい出てしまいます。
映画を建築、絵画、彫刻、音楽、舞踏、文学に続く第7番目の新しい芸術と捉える考え方があります。しかし、現在の映画は、映像やストーリー、音楽など芸術の分野を合わせて一本の作品を創造する例が多く挙げられます。初期映画はどうだったか、気になりませんか。モノクロあるいはサイレントは初心者には勧めませんが、ここでは一九四〇年代の作品を少し紹介したいと思います。
ヒッチコックという監督の名前を聞いたら、恐らく一番最初に思い浮かべるのはホラー映画ではないでしょうか。今回紹介する『ロープ』はホラー映画ではないので、ご安心ください。
時代背景を見てみれば、映画撮影技術は発展していたものの、現在よりまだ未熟と言えます。この映画は元々舞台劇として上演されたので、実験的な試みで映画化され、撮影技法と編集方法は現在の映画世界でも大胆と思われます。
映画の内容は人により物語の解釈が異なるので、要約文を省いて、皆さん一人一人が観て実体験してみてください。
さて、それではこの映画は、一体何が大胆なのでしょう?
八十分の映画では、わずか十本のフィルム数しか使っていません。当時の撮影用フィルムの限界は十分から十五分なので、映画は舞台劇を一本のフィルムに入れたかのように見えるかもしれません。視聴者が作品を見るとき、この映画は本当にカットされているのだろうかと疑問に思うくらい巧妙に、カットが繋がっています。『ロープ』を観てみたい方がいれば、ぜひそのカットの切り替わる瞬間を探してみてください。
偽ワンカット以外に、撮影場所を一室に限定して撮影したのも面白いところです。映画はできるだけ多くのカットや衝撃がある方が話題が出て、そうではないと、すぐ飽きられてしまい、最後まで観てもらえません。現在の視聴者は新鮮感を求める傾向があるのです。真逆の『ロープ』は一室内で大量のセリフを話して、登場人物の間の雑談のような内容から、事件被害者がどんな人か、どんな事件があったかを観た視聴者がこれで把握できます。一言も逃したくないと思いながら、映画を最後まで観た私は「スッキリした」と思いました。
映画紹介はこれでおしまいですが、映画にはどんな面白さがあるのか、ぜひ自分の目で探してみましょう。
私の持論ですが、日本の実写映画の魅力として、まず挙げられるのが「予算をかけられないからこそ、描かれている機微が繊細である」という点だと思っています。
ハリウッド映画では、高度なCG技術やカメラワーク、ド派手なアクションなど、予算がかかっている映像技術自体に魅力がある場合があります。
しかし日本映画はそう予算もかけていられない。では何で勝負するか。人間の細やかな機微なんです。
今回、この場を借りて『生きてるだけで、愛。』という作品を紹介したいと思います。これを読んでくださった皆さんには、この作品を観て頂きたいと思ってますし、これからの人生で触れていく日本映画を「繊細な機微」という観点で愉しんて頂きたいな、と思いながらこの文章を書いていこうと思います。
今回紹介するのは、趣里、菅田将暉主演『生きてるだけで、愛。』です。
監督脚本は関根こうさい、本作が長編デビュー作です。デビュー作ということは彼の今までの人生で溜めていた渾身のクリエイティビティが、存分にふんだんにぶつけられているということです。そういう観点で映画を選ぶのも楽しいかもしれませんね。
最初にあらすじです。
過眠で悩む躁うつ病を患った女性・寧子は、ゴシップライターとして出版社で働く恋人・津奈木の家で引きこもっていた。
仕事で疲れている津奈木に、鬱を理由に八つ当たりすることが多かったのだが、津奈木は寧子と向き合わないことでそれをやり過ごしていた。
寧子はバイトに申し込むも面接にも行けない、買い物も一人でできない、それが自己嫌悪やストレスになってつなきに八つ当たり。
津奈木は津奈木で、文芸誌志望で入った出版社で書かされるゴシップ誌の「下衆さ」に嫌気がさしてフラストレーションが溜まっているのに、疲れて帰宅したら発狂する彼女の相手をしなくてはならない。
二人の関係は序盤から限界のように見えます。そんな危うい同棲生活を続ける二人ですが、
ある日、津奈木の元カノを名乗る女性が寧子のいる津奈木の家を訪ねてくる。
用件は「津奈木と別れてこの家を出ていってほしい。いま津奈木に必要なのは津奈木支えられる元カノである私だ」というものだった。断れない寧子はその元カノの言うままに
出ていくためにはお金がいる→ならば働こう! と、その元カノが斡旋してくれた知り合いのカフェで無理矢理アルバイトをすることになり……という物語です。
寧子はバイトを通じて社会復帰をして、津奈木の元を離れることになるのか、それは寧子にとって、津奈木にとって、幸せなことなのか、その点も、この映画を観ていくにあたって気になる点なのですが、私が思うにそれはあまり重要ではなくて。
私がこの映画で注目したい点は、なぜこの二人は一緒にいるのか、です。仕事もできない家事も何にもしないでつなきに文句を言い続ける寧子と、寧子の話を真面目に聞かない、寧子に自分の話もしないような津奈木が、なんで交際して一緒に暮らしているのか。なんで好きなのか。
仕事とかお金、社会的なものではない、もっと感情的で曖昧なものが彼らを結んでいるのです。
そこに明快さ、わかりやすさはない、当の本人もなぜ惚れたかはっきりわからないしお互いのこともよくわかっていない、それでも一緒にいたいと思える二人なんです。
しかし確かに理由がそこにはあります、その理由を目撃してみてください。
今回は機微がわかりやすく現れている恋愛映画を取り上げました。もしあなたが『生きてるだけで、愛。』を観て、「日本の恋愛映画、捨てたもんじゃアないな」と思ったなら、さらに観てほしい私が大好き(微妙な機微が描かれているという観点で)な作品を列挙しておきましょう。
・『花束みたいな恋をした』
・『愛がなんだ』
・『ちょっと思い出しただけ』
観たら感想・批判を言語化してみてください。きっと自分の恋愛観・人生観を振り返る羽目になります。それが面白いのです。
恋愛映画は批評するまでが恋愛映画だということです。
物語の作品の中にはただ見るだけでは理解できない内容がある場合があります。主人公が何を思って何を考えたのか、この世界はどんな社会構造なのか等の様々な説明は語られることは少なく、横画面の映像に入っている物もあれば現実世界の知識を必要とする物もあるのです。それは背景や道行く人々、ある時は登場人物の身体動作などに現れることがあるのです。
私がこれから取り上げる作品の『ジョーカー』もそうだと言えるでしょう。二〇一九年上映でトッド・フィリップスが監督した作品です。今回はこの作品を考察する一つの判断材料として、いくつかネタバレにならない程度に紹介していこうと思います。もし『ジョーカー』をより理解したい場合、『タクシードライバー』と『キングオブコメディ』を先に見ることをお勧めします。
まずは軽い作品紹介からしていきます。主人公のアーサー・フレック役のホアキン・フェニックスの演技力は本物です。予告編だけ見ても彼の演技力の素晴らしさの片鱗が見られます。彼の表情に注目すると、彼は笑顔の練習をしながら片目だけ涙を流しているのです。この表現こそがこの作品の重要なポイントだと言ってもいいでしょう。これから話してしまうと話の一つの山場を語る必要があるので後々説明させてもらいますが、予告編を見れば世界観は大体理解できると思います。
場所はゴッサム・シティ。ゴミ問題が深刻だとラジオで流れ、主人公であるアーサーはピエロのメイクをしている。彼はメイクの最中に鏡を見て指で笑顔を作る練習をしながら、片目だけ涙を流していた。ピエロのメイクと衣装をしたアーサーは楽器屋の看板を持って客引きをするが、数人の青年たちに看板を盗まれてしまい、アーサーはそれを取り戻すために青年たちを追いかける。ここまでが予告編の映像です。
次に、この映画の説明文の内容に何が書かれているのかをざっくりと要約すると、「母から笑顔で人を楽しませなさいと言われてきたアーサーはコメディアンを目指す、心優しき主人公」という趣旨のことが前半部分で書かれており、後半では「笑いのある人生は素晴らしいと信じ、どん底から抜け出そうとしていたアーサーだが、何故狂気溢れる悪のカリスマになったのか」というニュアンスで説明されています。
さて、この描写とこの説明で理解できた方が居れば察しがいいですよ。この世界に置いてアーサー(彼)は「ピエロ」として働いており、「ピエロ」は抑圧される・馬鹿にされる・必要とされていない存在として描写されています。
「ピエロ」というのは人を笑わせるコメディアンなのですが、彼は人を笑わせることはありませんでした。なぜ彼が他者を笑わせることが出来なかったのか、それは彼は「笑われる」存在だったからと言えます。映画を見てください。そして彼の「ノート」を見てください。スペルや文章に注目して頂けるとその理由の一つが分かります。ついでに「ノート」を見ればなぜ彼が「ピエロ」という仕事をしていて、しかも孤独なのかが分かります。
少し笑いについて説明させてください。笑いには主に2種類存在していて、それは「加虐的な笑い」と「防衛的な笑い」です。お笑い芸人が我々にどのように人を笑わせているか覚えていますか? 彼らは人を貶したり、常人がしない行動を取って笑わせていますよね。それは「加虐的な笑い」なのです。私達人間は、誰かを見下す時やいじめる時は笑う存在なのです。その証拠に、テレビで罰ゲームを受けた人を笑います。「ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!」で年末の「二十四時間笑ってはいけない」シリーズでは罰ゲームで尻を叩かれた時反応を見て笑う人が近くにいるのでは無いでしょうか? 笑っていたのならそれは攻撃性を含んだ笑いだという事です。
では「防衛的な笑い」は何かというと、恥ずかしい事をした時に照れ笑いをして誤魔化したり、なにか間違えをした時に出る言い訳の際に出る弁解笑い等がそれに当たります。つまり「笑わせる」存在は加害者で「笑われる」存在は被害者として捉えることが出来ます。
話を戻しましょう。彼は抑圧された存在だと書かせていただきました。それは家の中でも同じ事です。映画の説明文では「どんな時でも笑顔で人々を楽しませなさい」と子供のころから言われ続けたアーサーの過去が語られていました。捉え方によっては、アーサーはそのように洗脳されながら生きてきたのだと解釈することもできますね。だからこの映画ではアーサーがコメディアンになりたい理由として、「母に笑顔で人々を楽しませなさいといわれたから、コメディアンになりたい」とよく口にするのです。だけども、この作品において彼が本心ではコメディアンになりたいと自分の言葉で語ることはないのです。母に笑顔でいろ、楽しませろと抑圧され続けていたのと、更に彼には「問題」があってそうせざる得なかったのです(ネタバレになると思うので「ノート」を見てください)。彼は本心でコメディアンになりたいとは思っていないから自然と涙が出たと言えるのではないでしょうか?
映画で注目して欲しい表現を紹介しましょう。
まず最初に、映画の監督は「アーサー(彼)が本心から笑ったのは最後のシーンだけ」と言っています。それを踏まえて彼の笑いに注目してください。
次に彼が階段を下りるシーンに注目して見てください。彼が階段を上るシーンは暗い雰囲気で描いています。逆に下るシーンでは光が増え明るい演出で表現しています。何故そう描いているのか……それは階段を上る事を普通の人としての生活と捉え、逆に下る事を悪の道に進むと捉えれば納得がいくと思います。
三つ目に、警察に追いかけられているとき電車に乗った際の騒動に注目してください。このシーンはそれほど重要では無いのですが、世界観を知るためには重要なポイントとなっています。乗客は「ピエロ」の見た目をして電車に乗っています。ですが、彼らは会話をしていたでしょうか? 仲良しこよししていますか? 答えはNOです。「ピエロ」の見た目をしていた乗客は誰一人として会話がありませんでした。それはつまり彼らは孤独な存在、社会から見捨てられた人々だという表象でもあるからです。乗客たちの間で喧嘩が起きていました。そして警察が「ピエロ」に向けて発砲しました。そこで乗客たちは「ハッ!」と気付くのです。誰が「敵」で誰が「味方」かをこの描写では表現していて、孤独な存在達が初めて「仲間を意識した」という場面です。だから、一瞬のうちに喧嘩は収まり「ピエロ」達は「暴徒」へと変わり果て警察を襲ったのです。
あとはこの作品の山場が殆どなので伏せさせていただきます。
この作品の面白いところはアメリカ社会の背景にもあります。この作品を上映する際、警察や軍隊の出動が騒がれていたこともありました。それは「現実でも暴動が起きるんじゃないか」と懸念していたからという理由です。何故、フィクションの物語なのに暴動が起きると懸念したのかを考えてみましょう。
アメリカはパーティー社会であり差別社会でもあります。パーティーの輪に入れない大人しい人たちや地味な人たちに対して差別や抑圧していたという自覚があったからで、その抑圧されていた存在からの暴動に対する恐怖心があったからでは無いのでしょうか? アメリカの歴史の中に南北戦争があり、最近ではブラックライブズマターと呼ばれる運動の中で暴徒と化した人々が現れたのです。今まで白人は、黒人や黄色人種を抑圧してきました。それに対して黒人はデモを起こしやがて黄色人種の人々もデモを起こしはじめた……これは、アメリカの人々がそれらを「おとなしくしとけ」とあしらい抑圧した過去があり、この映画ではその抑圧された人々に対して「我慢する必要は無い」という事をアーサーが行動で示したからです。だからアメリカの人々はこの映画に恐怖したのだと思います。
私からこの映画を紹介するとしたら、これは悪のカリスマとしての作品ではなく、抑圧された存在から抑圧する存在への逆襲する作品であると言えるでしょう。言い換えるとしたら、失うものが無い人間が唯一社会に抵抗する方法を教える作品ともいえます。
説明文には悪のカリスマと紹介されていましたが、寧ろこの作品は悪のカリスマを否定して、悪は「愚鈍で感情的になり暴れた奴」として描かれています。
これは今までの悪の表象を現実路線に引き戻したとも言えます。物語の悪の表象は「インテリ系もしくはカリスマ性のある大物」として描かれていました。だけどもこの作品の悪の象徴であるアーサーはごく平凡な人間……むしろ普通の人より劣った存在として描かれているのです。しかも物語の序盤では優しい人間で、物語が進むにつれて犯罪者へと変わっていきました。これは、この作品が私達に対して「誰もが犯罪者になる恐れがある」と伝えているとも言えるのかもしれません。
ネタバレになる恐れがある場面の紹介はしていませんので、この作品を見る際はこの内容を頭に入れて見て見るとより映画を楽しむことが出来ると思います。ですがこの映画は説や考察が様々ある作品です。私のこの紹介も考察の一つでしかありません。鵜呑みにしないでください。
最後に、チャップリンの台詞を紹介しておきます。「人生は近くで見ると悲劇だが、遠くから見れば喜劇だ」です。ワンシーンだけしか出てこないチャップリンの映画ですが、全てのシーンに意味があると思ってもよいでしょう。「ジョーカー」のような解釈の幅が広い作品ほど面白いと感じてしまうのは私だけでしょうか。
2022年7月30日 発行 初版
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