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血雨のオルゴール

さら・シリウス

さら・シリウス出版



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  この本はタチヨミ版です。



目次

◆陰湿な復讐者

◆同じ穴の狢

◆土気色の景観

◆ブリーダー

◆解体ショー


 おわりに



陰湿な復讐者



 何となく、今日は嫌な客が来るような予感はしていた。
 女の勘、というものだろうか……?

 夜が更けてきた。
 さっきまでの喧騒が嘘みたいに静まり返った店内に、堀内佐代子はいた。
 佐代子が一人でやっている小さなスナック。
 ウィークデーは暇だが、金曜日ともなると結構お客で賑わう。カウンターの上の皿に洗ってふせていたグラスを拭いて棚にしまう。片付けも終わり、店の看板も消した。
 ふと、ドアが開いて一人の男が入ってきた。
「あっ。もう閉店ですけど…………」
 男は佐代子の顔を見て「あっ?」と言った。
 佐代子も男の顔に見覚えがある。
 ――誰だったかしら――
 しばらく数分の間、記憶を巡らせて思い出す。
「堀内さん?」
 男は懐かしい呼び方で佐代子の苗字を呼んだ。佐代子はこの店を去年、開業するまでは山本という姓を十年間使っていた。つまり離婚して、今は旧姓。
 思い出した。張った顎と大きなどんぐりまなこに見覚えがある。
 小学校の時の同級生だった男の子だ。香山かやま伸司しんじ。確か、五年生の終わりに転校していったんじゃないかしら。
「あっ、看板消しちゃったけど、少しならいいわよ」
 男に郷愁を感じたわけではないが、小学校時代そのものが懐かしい。
 男はゆらゆらと入ってきて、枯葉のようにスツールに座った。
「懐かしいわね。確か、五年生の時に転校していったわよね」
「そうそう。俺んち下っ端の銀行マンで、二年に一度は転勤だったから」
 男は、少し陰を帯びていたような表情をしていた。
「堀内さんも元気そうだね」
「まあね。色々あったけれど、三十五歳の今も渦中ではあるけどね」
 男は佐代子に酒を勧めた。
「そうね、もう帰るだけだし。もう一杯いただこうかしら」
 杯を重ねて、小用がしたくなった。
 お手洗いから帰ってきて、また水割りを飲んだ。しばらくして男の顔がボヤけてくる気がした。
「ねえ、堀内君って、どうしてあの頃、転校生だった僕をいじめたの?」
 ――いじめた? 私が? そうだ、思い出した。同級生の女の子に意地の悪い子がいて、皆をいじめていた。そして、それが全部、私のせいにされていた。ある意味、それもいじめよね。私は誰もいじめてはいないのよ――
「俺さ。事業に失敗しちゃって、死のうと思ったんだ。女房も子供を連れて実家に帰ったから腹立って、女房一家全員を殺して来たんだ。もちろん子供もだよ。俺をないがしろにしやがってっ! だから、一人で死んでいくのはつまらないよな? 俺をいじめた奴らも殺そうと思っている。今、小・中・高と俺をいじめた奴らを殺して回ってるところだ! お前で三人目だっ!」
 男はカウンターに乗り出し、佐代子につかみかかる。
 喉に冷たい刃物が触れる。
 佐代子は薄れていく意識の中で叫んだ。
「私はいじめられていた方よっ! あんた、それも分からないから事業にも失敗したんじゃないの? 見る目の無い奴は何もしてもダメよっ!」
 男の手にはナイフが光っていた。
 佐代子の顔面に強い衝撃が走った。
 彼女の意識は消えていった。



 それから数時間後、佐代子は倉庫のような場所で目覚めた。
 身体は柱に縛り付けられている。
 ロープが皮膚に食い込んでいる。
 男はくちゃくちゃとガムを噛んでいた。
 香山伸司は眼が空ろだった。
「勝悟と尚哉は殺したんだよね」
 ……聞いた事の無い名前だ。
 猿ぐつわははめられていない…………。
「誰? ショウゴとナオヤ、って…………?」
 佐代子は訊ねてみる。
「ああ。中学校時代に俺をいじめていた奴。まあ、君は知らないよねえぇ」
 そう言うと、伸司はガムを地面に吐き捨てた。
「そもそも、元を辿れば、小学校時代にいじめられて、いじめられ癖が付いたのが問題だったんだよね……」
「どんなイジメを受けたのよ……?」
「子供って残酷だよねぇ? 高校生、大学生くらいになると、いじめは格好悪いっていう話になるけど。中学生時代はいじめている奴が格好いいみたいな風潮があったよねえ。小学生の時もだったかな? ほら、リーダー格みたいなのがいてさあ」
 伸司はナイフを研いでいた。
「よく体育館の裏側に連れていかれたなよあ」
 闇の中、凶刃が鈍く光る。
「恥ずかしい写真を撮られて、バラまかれたりもしたよねえ」
 伸司の声は暗い。
 鈍く憎しみに満ちた感情がくすぶっている。
「中学校、不登校になってさあぁ。志望の高校にも入れなかった。もちろん、志望の大学にも。それでも、俺、かなり努力したんだよおぉ? 立派なサラリーマンになる事が出来て、必死で働いて、事業も行った、俺をいじめていた奴らを見返そうってねえぇ。もっとも、見返しても、俺の事なんて本当に覚えちゃいなかったけどさあ」
 佐代子は周りを見渡した。
 此処は一体、何処なのだろうか?
 先ほどから異様な臭いが彼女の鼻に入り込んでくる。
 油…………?
 いや、ガソリンだ。
「何が目的なの?」
 佐代子は訊ねた。
 もし、自分を殺すつもりならとっくに殺しているだろう。
 でも、自分はまだ生かされている。
 苦しめて殺す算段なのかもしれないが、何となく伸司からは別の意図があるような気がした。
「貴方の話をもう少し聞かせて」
 佐代子は言う。伸司は少しだけ悲しげな顔をしていた。
「それよりも、君の話を聞かせてくれないかい?」
 彼は物憂げに言った。
 何故、自分をイジメたのか? と問うているのだろう。
 佐代子は素直に自身の心境を言う事にした。
「イジメたなんて誤解だと思う。当時、私から見て嫌な性格の女の子。名前は朝子だったかな? 朝子が執拗に貴方の靴箱の中や机の中に、画鋲やカミソリなんかを入れていた。接着剤を椅子の上に付けた、なんて事もあったかな? 当時、内気だった貴方を標的にしてたのよ」
「ふうん。君は友達だったんだろ? 朝子と」
「うん…………」
「偽善者」
 伸司は冷たく、それだけ言った。
「…………。私が貴方をイジめているって事にされていた…………」
「それだって、君が朝子と関わらなければ済んだ筈だろ? 君は分かっていないみたいだけど、君がやったか、朝子がやったか、どちらが本当の事か知らないが、そのせいで、便乗する連中が現れた。その事については言わないんだ」
「…………なんの事…………?」
「男子の中にも便乗して、俺をイジめる奴が出てきた。イジめられっ子ってレッテルを貼られるとな、他の奴らもイジめてくるんだよ。こいつはイジめてもいいんだ、ってな。俺は給食に虫を入れられたし、裏でランドセルの中にゴミも入れられた。他にも色々ある……、なあ、逐一、言ってやってもいいんだぞ? 勝悟と尚哉の時みたいな」
 伸司はナイフの刀身の部分をばしぃ、ばしぃ、と、自らの掌に叩き付けていた。彼の瞳の奥には深く暗い憎悪が篭っていた。十年以上、あるいはもっと、長い間、その恨みは堆積していたのだろう。彼の心はあらゆる人間に対する憎悪にまで及んでいた。
 可哀想な自分。
 可哀想な自分の人生……。
 女々しいな、と思ったが、同時に行動に移せる異常な執念が恐ろしい……。
 佐代子は、何とか、伸司の言動を逐一見ながら自分が生き延びる事を考えていた。
 十年以上に及ぶ水商売でのキャリアが、今の瞬間、生きるかもしれない。
 そう。
 この伸司という男は、完全に自分に酔っているみたいだった。
 かえって、それが薄気味悪い。
「俺の復讐はまだ終わっていないんだよね。君を除いても」
 ねっとりとした口調だ。
 彼はナイフを舐めながら自己陶酔を続ける。
「別の部屋の彼はどうかなあ?」
 どうやら倉庫にはもう一つ、部屋があるようだった。
「君に選ばせてあげる。どちらを殺してもいいんだけどね」
「何を…………?」
 この男は何を言っているのか?
 考えがまだ読めない。
 とにかく、話を聞くしかない。
「大学時代に俺をイジめていたグループのリーダーが反対側の部屋にいる。君とそいつ、どっちを生かそうか考えているんだよね」
 大学生になってまでイジめを受けていたのか。
 つくづく運が無いというか、そもそもイジられる原因を持っているような人間なのだろうか。どんな風にイジめられたか聞こうかと思ったが止めにした。どうせ、勝手に話し出すだろう。
「そいつに生き延びる為の条件を提示したんだよね。俺の借金を八百万程、肩代わりしろって。そしたら、そいつそんな大金、どうやっても用意出来ないって言ってきやがった。だから、まだ生きているけど、絶対に死んで貰うよ」
 佐代子は必死で生きる為に考えた。
「私が生き延びる為の条件は…………?」
「俺の犯罪を手伝って貰う事かな」
 伸司はニタリニタリと笑っていた。
 佐代子は息を飲む。
 伸司の次の言葉を待った。
「壁の向こう側に男が縛られている。君が生き延びる為にはその男を殺す事だよ」
 伸司は凄むように言った。
 ……抗えない…………。
 佐代子は伸司にナイフを突き付けられて、倉庫の裏側に連れて行かれた。
 別の倉庫の入り口がある。
 血塗れのワイシャツ姿の男性が椅子に縛られていた。
 口をガムテープで塞がれている。
 どうやら身体の至る処をナイフで刺されたようだった。
 佐代子は伸司からナイフを渡される。
「ほら、こいつを刺すんだ。そうしたら、お前を生かしてやろう」
 佐代子はナイフの柄を握り締めながら涙声になった。
「ダメ……無理…………」
「君は死ぬけど、いいんだね……」
「人なんて殺せない……。怖い…………」
 伸司はわざとらしく、大きな溜め息を吐いた。
 伸司は男の首を切っていく。
 ぴっ、ぴっ、と。血の飛沫が佐代子の身体に掛かる。
 男は絶命した。
 佐代子は男の死体を一緒に運ばされた。
 倉庫の近くは海らしく、大量の重しを括りつける作業を手伝わされる。
「あー。どうなのかなあ。水死体になったらガスで膨れ上がっていくから、どんな重しでも浮かび上がるらしいんだけどねぇー」
 伸司はまるで他人事のように言う。
「まあいっか。俺は死刑になっても、俺を馬鹿にした奴らに復讐出来ればいいんだから。それまでに捕まらなければいいわけでさぁー」
 そう言いながら、佐代子に一緒に死体を沈める手伝いをさせた。
 佐代子はようやく気付く。
 男を殺すように言ったのは、最初にムリな大きな要求をした後、断られるのを分かって、小さな要求を飲ませる。詐欺師や犯罪者などの手口そのものだ。
 少なくとも佐代子は死体遺棄の共犯者になったと言える。
 倉庫には火が付けられた。
 火災は色々な場所に飛び火していった。
 


 佐代子は伸司に犯罪を手伝わされる事になった。
 彼の復讐はまだ完遂されていないのだと言う。
 サラリーマン時代に事業を一緒に行った人間に復讐する。
 借金の連帯保証人にされた。
 伸司はそう言っていた。
 伸司いわく、今は八百万の借金を抱えているのだと。
 事業の内容はネット上の電子データである仮想通貨を新しく作ろうとして、一緒に事業を行った人間に逃げられたらしい。
 二人共、どうにか楽に稼げる仕事をして脱サラをと考え、流行りの仮想通貨に手を出したという。
 仮想通貨で損をする人間が多い中、自分達で仮想通貨を作ってみようと。
 結果、一緒に脱サラした人間は伸司から逃げて、伸司は八百万以上の借金を背負ったのだと。
 元手は二百万くらいだったらしい。
「そいつ、殺そうと思うんだよね。見つける為の手伝いしてくれないかなあ? 俺には。あるいは俺達には、もう時間が無いし」
 中学の同級生二人。
 35歳男性が殺された事はニュースになっている。
 犯人の指紋、他、DNAも検出されているらしい。
 佐代子が伸司と共に海中に沈めた男の死体は、運搬関係者にあっさりと発見された。
 二つの事件は別々の事件として扱われているが、いずれ関連性を見つけられるだろう。
 佐代子は心の中で、復讐する元ビジネス・パートナーの居場所くらい特定しておけよ、と、毒づく。
 あまりにも、無計画な男だ。
 短絡的で幼稚。陰湿的、典型的なストーカー体質の男。
 それが数日間、見てきた中での伸司の印象だった。
 今回はイジメの復讐で連続殺人という形を取っているが、過去に女に対して執拗なストーカーを繰り返してきたのではないのか。
 この頃になると、佐代子は伸司の行動が手に取るように分かった。
 ――志津恵は今、どうしているのだろうか――
 佐代子は伸司に感化されたのか、ある事を思い付いた。



  タチヨミ版はここまでとなります。


血雨のオルゴール

2022年9月1日 発行 初版

著  者:さら・シリウス
発  行:さら・シリウス出版

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さら・シリウス

 私がヒーリングを生業としてかなりの年月が経ちました。  いつからか瞑想中に小説のプロットが天空から降りてくるようになりました。  最初は気にもとめていませんでしたけれど、それがちゃんと起承転結のある面白いストーリーだと気付き、そしてそれがハイアーセルフからもたらされているというのにも気付きました。  自力で肉付けをして書いた物が十冊ほどになりましたが、やはり中々時間がとれません。  暫くは多忙を言い訳に、数年間、プロットの山を放っておきました。  けれど、ハイアーセルフがプロットを下さったのにも訳があるのだと思い立ち、形にしなければと一念発起したのです。    そこで2021年の始めから、才能のある人に私が書いたプロットを渡して書いて貰うことにしました。  小説は時間がかかります。筆の遅い私が一人でこのプロットの山を形にするには、数百年かかります。  私のプロットと、才能ある方のコラボ、どこまでできるかわかりませんが、形にしていきたいと思っています。  勿論、時間の許すかぎり、自分でも書いていきたいと思っています。  宜しかったら応援してくださいね(#^.^#)               さら・シリウス

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