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ラドニス英雄譚
〜修行の旅路〜
第四章 善と悪のコカトリス

雨音多一

三日月編集室



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          一

 白いラパの群れが、ラドスの村から伸びる街道を横切っていく。ラパは、ラクダと牛と馬を掛け合わせたような動物で、砂地の多いこの西ルティア大陸に多く棲息している。そのミルクは、滋味に溢れ、この地で愛飲されている。
 天空には初夏の太陽があり、鳥の群れが空を舞っている。あれはオオガラスだろうか。

 静かに、ゆったりと時が過ぎていく。それは詩人である私タリエと、その旅の仲間である青年ラドニス、そして淑女ゼルに等しく流れていた。

「タリエさん、もうすぐラパの群れが通り過ぎますよ」
「ああ、この辺りはのどかでいいな」と私。
「本当にそうですね」ゼルがそう応じた。

 緩やかに風が舞った。
 今、旅は四日目を迎えていた。ファルムを出発し、街道を東へ行くこと二日で、ラドスの村に着いた。ラドスの村で、水と食糧を補給して宿に一泊した。
 そして今朝、ラドスの村を出立したのである。今は「ベーデル大橋」をこえて、ブルグの村へと向かっていた。

「こんなに天気が良いと、歌いたくなりますね」
 ゼルが私とラドニスに、にこやかに声を掛けた。私はほほえみを返し、ラドニスは声を出して歌を口ずさんだ。

「雨の森を越えて行け。旅の空は高い。今、旅人の誓いのため、我は行く」
 ラドニスの声が、天高く響いた。

「次にめざすのはブルクの村だ。あと半日くらいで着く。そこで少し路銀を稼いでいくか」
 私の問いにラドニスとゼルが頷いた。
「何をしたら良いのでしょうか」とゼル。
「カフェ・ダイアリーという店があります。ご存じですか?」
 私は二人に問いかけた。
「聞いたことがあります。ブラウン先生が『旅人の誓い』の者たち向けに、仕事を世話してくれる施設があるのだとか」
 ラドニスの答えは、淀みなかった。

「私は初耳です」ゼルは首を横に振った。

「大陸全土に系列店を持つカフェなんだ。今、ラドニス君が言ったように、仕事の紹介をしてくれる」
「そうなんですね」とゼル。
「若い旅人向けの簡単な仕事が多い。運搬屋や手紙屋などの仕事が中心だ」
 ラドニスが微笑んだ。
「さて、どんな仕事があるかな」

          二

 私たちは夕刻にブルクの村に着き、宿「幸福のワシ亭」に入った。そしてすぐにカフェ・ダイアリーへと向い、仕事を探したのだった。

「あなた方は旅人ですか?」
 カウンター越しに、四十代位の女性が話しかけてきた。
「私はカリムと申します。このカフェ・ダイアリー ブルク店の店長をしています。お仕事をお探しですか」
 私は頷いて言葉を返した。
「いかにも。私が先達者のタリエです。この二人が旅の仲間なのですよ」

 先達者と云うのは「旅人の誓い」で旅に出た若者を補佐する年配者のことである。旅の経験の豊かな三十代から四十代の男性が多い。女性も居るのだが、女性の場合は旅の商人(あきんど)となって各地で行商などをする者がかなりいる。私の場合も、旅の経験を活かして、若者を支援する先達者の役目に就いているのだ。

「僕はラドニスと申します。初めての仕事なのですが、何か簡単な仕事はありませんか?」
 ラドニスが、すこしはにかみながら問いをかけた。
「今ある仕事だと、『森と湖の町 ルティキア』まで手紙を運ぶ仕事と、町の商家の用心棒の仕事があります」
 女店長のカリムが、にこやかに教えてくれた。
「まずは何かお飲みになりませんか? 今日はあと少しで店じまいですが……」
「そうですね。ちょうど喉が乾いていたところでした。何がありますか?」
 私の問いに女店長のカリムが答えた。
「今なら、『レモネード』か『ラパのミルク』がお勧めです」
「あの、レモネードというのは……」
 ゼルがおずおずと尋ねた。
「天然の発泡炭酸に、レモンと砂糖を加えたお飲み物よ。喉ごしがすごく良いのよ」
「僕、ラパのミルクより、レモネードの方が良いです
「私もだ」
 ラドニスと私が声を揃えた。ゼルも続ける。
「私もレモネードにします」
「かしこまりました」

 私たちは、すぐに木杯で運ばれてきたレモネードを飲みながら、仕事の話を聞きはじめた。
「まず手紙を運ぶ仕事の話を聞かせて欲しい。あまりこの村に長居できないからね」
 カリム店長は頷いた。
「ルティキアへ行ったことはありますか?」
 女店長のカリムが口火を切った。
「ルティキアは、古くからの伝統ある街で、『古都』と呼ばれる時もあります。大王アルガの時代、神聖暦六〇〇年に、本神殿を現在の王都ララバルに移動しました。この時、大規模な移動があり、現在ではそれを『六〇〇年の大移転』と呼んでいます。ここまではよろしいですか」
 私とラドニス、そしてゼルが静かに聞いている。
「ルティキアには一万人程が住んでいるそうです。森と湖がすぐ傍にある都で、古い風習が今でも残っています。今回の依頼では、ルティキアの大聖堂まで、ペンダントと手紙を運んでもらいたいのです。ルティキアの聖堂には、皆さんもご存知の神さまが三神、祀っております。
 火と文明の神であるラーヴァ神、平和の神のアリウス神、そして美と愛の神レポク神の三神です」
「聖堂はルティキアの町のどの辺りにありますか?」
 ラドニスの問いに、女店長のカリムが答える。
「少し北の丘にあるのよ。聖堂は大きくて目立つからすぐ判ると思うわ」
「報酬はお幾らですか」私はそう問い掛けた。
「うまく成功したら、お一人あたり金貨一枚、三名ですから金貨三枚を差し上げたいと考えております。引き受けて下さいますか?」
「悪くない話だと思う。私は引き受けたいとけれど、ラドニス君とゼルさんはどうだろうか」
 私は二人に確認を求めた。
「僕、頑張ってみようと思います」
 ラドニスの語には、力が込められていた。
「私、少し不安ですが、微力を尽くします」ゼルもそう応じた。
「分かりました。有難うございます」

「ルティキアまでは、二日程かかるな」
 私は簡単に行程を説明した。
「ブルクから東へ一日程行くと分岐路があり、そこから北へ針路を変えて一日でルティキアだ。そのまま東へと向かう道を行けば、城塞都市ライザスだよ」
 ゼルが頷いた。
「お詳しいのですね」
「かれこれもう三十年も旅をしているからね」
「頼もしい限りです」ラドニスがそう相槌を打った。
「では、こちらのペンダントと手紙を聖堂まで届けて下さい。そして、この受取書にサインをもらってきて下さい。ルティキアから戻ってきてから、この店で金貨三枚を差し上げます。よろしいでしょうか」
「もちろんだとも」
 私は力強く答え、ペンダントと手紙を受け取った。

          三

 ブルクの村の宿「幸福のワシ亭」で、私たちは一泊した。田舎の村の宿ではあるが、料理が旨いことで有名な宿だった。料理は肉類が中心で、山の果物や野菜が添えられていた。なかでも「ラパの照り焼き」は絶品で、思わずお替わりを注文したほどだった。

 旅の愉しみのひとつには食がある。
 各地の名物を食べ歩くことに、至上の悦びを覚える旅人も多い。次に向かう街「ルティキア」では、湖が近くそこで獲れる魚介類が名物で、特に「川魚のシーラス」が名物だった。

「私、久しぶりにお腹一杯食べました。もう動けません」ゼルが笑いながら咳を立った。
「私は一息ついたら、部屋へ戻ろう」
「ここで体力をつけておきます」
 私とラドニスは、そう言ってゼルに応じた。


 翌日、朝の鐘が鳴る頃に、私たちはブルクの村を出発した。ルティキアとライザスの分岐路まで保を進めること丸一日。日暮れ頃に分岐路へと辿りついた。

「ここが分かれ道か……」
 ラドニスが溜め息混じりに呟いた。
「ラドニス君、ゼルさん、お疲れ様。この近くに野営地があるから、今日はそこでテントを張ろう」

 野営地とは町と町の間にある宿営地のことで、テントを張って休むことが出来る。旅人の多くがこの野営地を利用するので国が運営しており、無料で泊まることができた。
 その日は野営地にテントを張った。たき火をおこし、干し肉を炙(あぶ)り、リンゴと梨の皮をむいた。初夏の野営地の夜が穏やかに過ぎていく。


「ラパのミルクはいかが? ライ麦パンもありますよ」
 私とラドニスがたき火を囲んで話していると、行商の女性が近寄り声を掛けたきた。ゼルはテントの中で休んでいる。
「旅の商人か。何か旨い食べ物はありますか?」
 私がそう尋ねると、女商人は得意になって売り口上を述べ始めた。

「ナッツ、木の実はいかがです? お酒のつまみにも、栄養を採るにも向いていますよ」
 商人はそう言って、背負袋から包みを取り出した。
「ナッツは銀貨二枚ですよ」
「いただこう」
 私たちは木の実を買うと、それを食べながら夜を明かしたのだった。

          四

 私たちは、翌日の夕方にルティキアへと入った。

「あれが大聖堂か……」
 白亜の建物が、町の北部の小高い丘に建てられていた。「神の庭」と呼ばれる聖域に建設されているのであった。
 私たち三人は、静かな聖堂へと歩を進めた。

「こんにちは。カフェ・ダイアリーからの依頼で、手紙と品物を届けに参りました」
 私が大声でそう伝えると、聖堂の一段高くなった所にいた青年が振り返った。
「わざわざ、どうも有難うございます」
「こちらがお届け物です。手紙とペンダントになります」
 ラドニスが奥へと進んで届け物を青年に渡した。
「受取書にサインをお願いします」
「こちらにですね、……はい」
 聖堂の青年が受取書にサインをした。
「どうも有難うございました。せっかくいらっしゃったのですから、聖堂で祈りを捧げられてはいかがでしょうか」
「そうですね。私、レポク神のことを信仰しておりますの」ゼルが少し言葉を洩(もら)した。
「僕はラーヴァ神に力を貸していただけるよう、祈りたいと思います」


 その時、不意に声がした。
「諸君は、旅人か?」
 私が振り返ると、三十才位の赤い帽子を被った男がこちらを見ていた。
「いかにも。旅人とその先達のタリエと申します」
 私は帽子を取って会釈をした。
「かなり腕の立つ戦士(もののふ)と見受ける。ひとつ、魔物退治の仕事を引き受けてくれないだろうか」
 私とラドニスは目を合わせた。

「魔物ですか?」
「このルティキアの西に洞窟がある。そこに『悪なるコカトリス』という魔物が住んでいるのだ。その魔物を討ち取ってもらいたい」
「悪なるコカトリス?」
 ゼルが反復した。

「その魔物は私の分身。悪さをする、私の悪なる部分なのだよ」
 赤い帽子の青年はそいう言い、ゆっくりと此方へ近づいて来た。
「私は善なるコカトリスだ」と男は名乗り、帽子を取った。

「目を合わすな」
 私がラドニスを制すると、赤い帽子の男は薄く笑った。
「石化視は使わない。私が聖堂にいることでも判る通り、私に悪心はない。もしあるならば、体が消し飛んでいるだろう」
「確かに。時に何故、私たちに魔物退治を頼むのか。ご自身の悪なる部分なら、みずからの手で滅ぼすのが普通だろう」
「私に自分自身を討つことはできぬ。情け容赦が入ってしまうからだ。金貨五十枚で引き受けてくれないだろうか」

「どんな魔物なのですか?」
 ラドニスが訊いた。
「肉体を石化させてしまう眼力を持っている。それから、精霊術を使う時もある。その力は岩を砕き、空を裂く。恐ろしい魔物なのだよ」

 ラドニスが息をのんだ。
 ゼルは心細そうに、私に視線を送った。

「だが勝機はある。手鏡を持って入れば、石化視を防ぐことができる。あとは力押しで勝てるだろう」

 私は頷いた。
「宜しかろう。その仕事、引き受けましょう」
「有難い。討ち取った証に、アンクレットつまり足輪を持って来て欲しい。それから、これが報酬の前渡金の金貨十枚だ」

 私は金貨を受け取ると、言葉を発した。
「この怪物退治の物語を、酒場などで吟じてもいいでしょうか。私は旅の詩人なのです」
「いいだろう。ただし、私の実名を出してもらっては困る。『善なるコカトリス』を呼んでほしい」
「承知した」 私は頷いた。


「他に、何か弱点はありませんか?」
 ゼルはようやく落ちついてきたらしく、穏やかな表情でそう訊いた。
「精霊術を使う時に、隙ができる。その間隙を突くのがいいだろう」
 善なるコカトリスは、袋から何かを取り出した。
「石化視を防ぐ手鏡は、こんな物で良い。見てみるか」
 ラドニスが恐る恐る近付き、手鏡を受け取った。
「割に普通にの手鏡ですね」
 ラドニスがつぶやいた。
「呪物だからな。重要なのは装飾ではない。その存在なのだ」
 ラドニスは頷いた。

「では、早速洞窟へ向かおう」
「その前に、何か食べて行きませんか。僕お腹がペコペコなんです」とラドニス。
「私は、少し体を休ませたいです」ゼルはそう言うと、荷物を置いた。
「少し急ぎすぎてしまったようですね。よし、これから食堂へ行きましょう」

「私たちは、これで失礼します。依頼主の赤い帽子の方、いろいろと教えてくれて有難うございました」
 ゼルが聖堂を出る前に、善なるコカトリスにそう告げた。

「君たちに、ファーガ神の武運があらんことを」
 赤い帽子の青年の祈りが、背中から追いかけてきた。

          五

 私たちは、ルティキアの町の食堂で夕食を摂りながら作戦を練った。食堂はピトレ・ザ・キッチンという名前だった。名物の「シーラスの丸焼き」を食べながら、ラドニスが言葉を発した。
「洞窟までは、どの位の距離があるのでしょうか」
 私はラドニスの問いに答えた。
「おそらく、『虹の洞窟』のことだろう。あの辺りに、魔物が棲んでいると噂に聞いたことがある。徒歩で一日位のところだよ」
 ゼルが食事の手を止めてつぶやいた。
「洞窟の外でなら、雷神さまを召喚することができます。何とか外におびき出せないでしょうか」
 私は頷いた。
「雷神召喚はかなり強力な術だからね。是非、ぶつけたい所だ。ラドニス君に何か策はないかな」
「そうですね。『風の神の小剣』を振るうと、『風刃(ふうじん)』の精霊魔法が発動します。それを使ってみるのはどうでしょうか」
 ラドニスの言葉には、迷いがあった。どこか不安を抱えているようだった。

「いい案だと思う。『風刃』は洞窟の中でも使えるからね。けれど、乱戦になっている時には、使えないかも知れないな」
 私の言葉にラドニスは頷いた。
「確かに。前衛のタリエさんが敵に近づく前に使う必要がありますね」

 ラドニスはそう言うと、串に刺した川魚を頭から食べた。豪快な食べっぷりに、思わずゼルが笑い声を挙げた。

「ラドニスさん、本当にお腹が空いていたのですね」
「この機に食べておかないと、ね……」


「兄(あん)ちゃん、いい食いっぷりだな」
 近くの席にいた大柄な男が声をかけてきた。眼帯をかけ、筋肉が隆々としている無頼漢だった。
「俺は『隻眼のザック』だ。このピトレ・ザ・キッチンの常連だよ。見ない顔だが、旅人か?」
「いかにも。私が先達者のタリエです。この二人は、旅人のラドニス君とゼルさん。以後、お見知り置きを」
「なかなか挨拶のうまい旅人じゃないか。一杯どうだ」
 ザックは、木杯のエール酒をひとつ、私たちのテーブルに持ってきた。
「ありがとうございます。でも、僕はまだ旅人の修行中で、お酒を飲むことは認められていないのです」ラドニスがかたくなに断った。
「僕がいただきましょう」
 私はエール酒の杯を受け取ると、一気に呑み干した。

「いい飲みっぷりだな」
「もし、良かったら、シーラスを一尾いかがですか」
 ゼルが、串焼きをザックに手渡した。
「ありがとよ、姉ちゃん」
「私たちは、明日『虹の洞窟』に行くんです。何かご存知ありませんか?」
 ゼルが尋ねた。

「あの洞窟には恐ろしい魔物が棲んでいるって話だぜ。生きて戻った者はいない。悪いことは言わねぇから、近づかないほうが無難だぜ」
 私たちは顔を見合わせた。
「わかりました。でも、僕たちは、その魔物を退治に行くんです」
 ラドニスが胸をはった。ザックは驚いた様子で、つばを飲んだ。
「そうか。無事に帰ってこれるといいがな」

 ピトレ・ザ・キッチンの夜が更けてゆく。

          六
 翌朝、私たちは宿を出立し、夕方頃には「虹の洞窟」へと着いた。

「ここか……」
 ラドニスが辺りをうかがった。
「魔物の邪気を感じます。洞窟のずっと下に、何か居るようです」
「進むしかないか……」

 私たちは、ゆっくりと洞窟の中へと歩を進めた。
 辺りは、暗く静かだった。音という音が、闇の中に吸い込まれてゆく。ラドニスが松明に火種から炎をつけた。辺りが、静かに照らし出された。

 私たちは、洞窟の中をゆっくりと進んだ。

「タリエさん。悪とは何でしょうか。悪とは闇でしょうか」
「闇と悪は等しくは無いだろう。似てはいてもね。闇は心を休める場所なのだよ」

「私たちが討ち取りに行くのは『悪なるコカトリス』ですよね。闇ではなく……」
 ゼルが言葉を発した。

 私は昨日、町の道具屋で手に入れた手鏡をまさぐった。
「光のあたる部分の後ろには、必ず影が生まれるな。悪とはむしろ、影のことだよ」
「まさしく、そうですね。光と闇ではなく、対となるのは『光と闇』ですね」
 ゼルが相槌を打った。

「善なるコカトリス、赤い帽子の男は言った。『善なるものが、悪なる者を統御しなければならない』と。光の後ろには必ず影が生まれる。それを知ることが出来るのは、傍で見ている者だけだろう。光の存在でも、闇の存在でもなく、傍にいる者のみが、光と影を知るのだよ」

 ラドニスが不安そうに呟いた。
「僕にも影は出来るのでしょうね。一体誰に見てもらえば良いのでしょうか」
 ゼルが優しく告げた。
「私たちにお任せ下さい。必ず、影のラドニスさんを諌(いさ)めてみせます」
「ゼルさんは、頼もしいなあ。なあ、ラドニス君」
 私はにこやかに笑った。

        七

 その時だった。地の底から、魔物の雄叫びが響いた。洞窟の壁に声が反響する。

「近いな」
 私は広刃剣を鞘から抜いた。ラドニスも、小剣ーー普通の剣ではなく、刃の部分が樫の木で作られた剣ーーを構えた。その剣は「風の神の小剣」と呼ばれており、剣に魔法が込められていた。
 ゼルは、純白のローブのフードを脱ぐと、額にかけられたペンダントの位置を直した。ペンダントは、ゼルの家に伝わる家宝で、「雷神のペンダント」というものだった。

「来る!」
 大きな叫びと共に、漆黒の姿が松明の明かりに揺らいだ。
「風の精霊よ、汝の姿を刃となりて、いまここに現せ! 風刃(ふうじん)!」

 ラドニスの詠唱とともに、風の刃が魔物を目がけて疾(はし)った。風が幾筋も辺りを切り裂く。魔物ーー悪なるコカトリスの羽根らしきものが宙に舞った。
「ウギャー!」
 悪なるコカトリスの雄叫びが、辺りに響いた。

 悪なるコカトリスの翼が、羽ばたかれた。そこから放たれた風で、私とラドニス、そしてゼルは後方へと押しやられた。凄まじい風圧だった。嵐のような突風が、洞窟の中に現れたのだ。

「くっ!」
「突風の精霊魔法か!?」
 ゼルが片膝をついた。

「ここは一旦引く」
 私はそう言って、後ずさった。私が離脱した離れた場所に、ラドニスがもう一度魔法をぶつける。

「風刃!」

 ゼルが立ち上がり、召喚の呪文を唱えた。
「大いなる岩山の向こうにおわす、大亀さまよ。今、この地にその姿を現わし給え!」
ゼルの声と共に、半透明の巨大な龍鱗が現れ、私たちの体を包んだ。大亀さまの召喚術だ。これによって、身体を物理的な攻撃から守ることが出来る。

「ヤァ!」
 私は腰に下げた短刀を引き抜くと、悪なるコカトリスに向けて勢いよく投じた。
「グガァー」

 その時、天井の一部が崩れ、洞窟に光が差し込んだ。先ほどの風圧の衝撃で、天井の一部が崩落したのだ。
「ゼルさん、今こそ雷神召喚の術を!」

 私の叫びに反応して、ゼルが天を仰いだ。夕方の暮れの空に星があった。
 ゼルが印を結んだ。
「古えより天に棲まう雷神クスナよ。今こそ、その姿を大空に現わせ!」
 ゼルの呪文が響いた。
「雷の神よ、降臨され給え!」

 轟音とともに稲光が閃いた。同時に、洞窟全体を衝撃が走った。
 悪なるコカトリスの頭上の岩が崩落し、コカトリスを押し潰した。天井に大穴が空いた。
 それが悪なるコカトリスの最後だった。

          八

 辺りが静まり返った。天井の岩の崩落もおさまった。

「タリエさん、あの辺りにアンクレットが見えます」
 ゼルが指さした先に、アンクレットが落ちていた。近くに悪なるコカトリスの脚が見えていた。

「証拠として、取って参ります」
 ゼルが近づき、アンクレットに触れた。その時だった。

 ーーお前の術を封じてやる。
 悪なる念波が辺りに満ちた。

 パリン、という音と共に、ゼルの額にかけられた雷のペンダントが割れた。

 ーー呪文封印。
 ゼルが真っ青になって、私たちのもとへと帰って来た。

「どうしましょう。家宝の『雷のペンダント』が割れてしまったのです」
「大丈夫? 他に怪我は?」
 ラドニスの問いに、ゼルは首を振った。

「ほかは大丈夫です。ですが、これで『雷神召喚』の術は使えなくなってしまいました」
 ゼルは小さくそう言ってうつむいた。
「今、目指しているチャンツーの村は、召喚術発祥の地と聞いている。そこへ行けば、術の封鎖を解く手がかりが、何か見つかるのではないだろうか」
 私は、思いつきを述べてみた。
「そうですね。私のルーツを辿れば、何とかなるかも知れませんね」
 ゼルは頷いて、ペンダントの欠片を、丁寧に小袋に収めた。

          九

 私たちはそれから、ルティキアの町の聖堂へと戻った。夕方、虹の洞窟を出立し、日が完全に落ちるまで歩いた。その日は、野営地ではなく、適度な土地を見つけてテントを張った。ルティキアの町に着いたのは、お昼頃のことだった。

「善なるコカトリス殿は、いらっしゃるか」
 私たちは聖堂で、赤い羽帽子の男を探した。
「その様子だと、見事討ち取ったようだな」

 聖堂の椅子から立ち上がり、赤い羽帽子の男はこちらを向いた。
「左様、これが討ち取った証です」
 私は、アンクレットを男に手渡した。
「これが残りの報酬の金貨四十枚だ」
「確かに」私は続けた。「赤い羽帽子の方、この冒険譚を、宿や酒場などで吟じさせて頂いても、よろしいでしょうか?」
 赤い帽子の男は、いいだろう、と頷いた。
「ただし、私の名を出すときには『善なるコカトリス』と呼んで欲しい」

「ラドニス君とゼルさん。また吟じさせて頂いても良いかな」
 私がにこやかに聞くと、二人とも頷いて微笑んだ。
「少し照れますね」とラドニス。
「私の微力が、物語になるのですね」
「東の城塞都市『ライザス』辺りなら、聴衆も多い。ライザスには私のよく行く宿があるから、そこで吟じよう」

 それから私たちは、城塞都市ライザスへと向かったのだった。

          十

 城塞都市ライザス、旅人たちの宿「走る兎亭」に私たちは居た。ラドニスとゼルとの冒険譚を吟じる為である。
 夜の鐘が七回鳴った。
「それでは定刻となりましたので『悪なるコカトリスとの戦い』を吟じさせていただきたいと存じます」

 私は二十人程の観衆の前で、朗々と吟じはじめた。

「ラドニスとその仲間は、赤い羽帽子の男に、魔物退治を頼まれた。その男の悪なる部分を討ち取って欲しいと頼まれたのだ。善なるコカトリスは云った。『悪なる部分は、善なる部分に統御されなければならない』と。
 そのために、ラドニスたちが雇われたのだ。
 激しい戦いは、虹の洞窟で巻き起こった。
 ラドニスの魔法剣に込められた精霊魔法が悪なるコカトリスと激突する。風刃はコカトリスの羽根を散り飛ばした。そして、天空の雷神を召喚士ゼルが呼び起こす。雷神の一撃が轟音とともに悪なるコカトリスの頭上の岩天井を打ち壊し、悪なるコカトリスは生き埋めとなったのだった。
 かくして、英雄ラドニスによって、この地に悪名高かった魔物が、討ち取られたのだ。
 英雄ラドニスの冒険は続く。

 ご静聴、有難うございました」


 拍手と歓声が巻き起こった。私の帽子に、小銭が投じられてゆく。私は宿の端に座る二人の旅人を盗み見た。


「ラドニスさん、早く行きましょうよ」
「チャンツーの村までは、あとどれ位なんですか、タリエさん」
「あと一週間位だよ。さあ、準備が出来た。いくぞラドニス君」
「はい。今行きます」

 私たち三人は、いよいよ砂漠の地エルザラードへ向けて、出発したのだった。


            ラドニス英雄譚 第四章 善と悪のコカトリス(結)

善と悪のコカトリス

2022年10月18日 発行 初版

著  者:雨音多一
発  行:三日月編集室

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雨音多一

ポエムと小説、ときどきピアノ。
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