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生身登山禁止条例 他四篇

森山智仁

森山劇場



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  この本はタチヨミ版です。

 目 次

生身登山禁止条例

道迷遭難激増ノ怪

死霊送還強行作戦

三首黄龍山脱出行

歩荷要員廃業危機

 

 また追突された。
 ドローンはドローン専用の山に行け。ヒトが登れる山はもう残り少ない。
 勘弁してくれ……と、睨みつけながら道を譲る。
 黒い機体が会釈のサインも出さずに通過する。
(こんちくしょうめ)
 叩き落としてやろうか。見通しの良いまっすぐな道だ。誤ってぶつかるはずがない。明らかに体当たりだった。免許の剥奪理由になり得る。
 だが、故意と証明するのは難しい。ヒトが泣き寝入りさせられているのが現実である。
 黒い機体はみるみるうちに遠ざかっていく。時速五キロの設定だろう。荷物を背負っての登り坂では、ヒトはせいぜい時速三キロぐらいしか出ない。
 静音ブレードが普及して、ずいぶんマシになったとは思う。
 昔はひどかった。山という山でドローンの群れが唸りを上げ、冬の穂高が夏の低山の蝉時雨に匹敵するやかましさであった。耳をやられて山を去った仲間も多い。
 騒音問題は長引いた。初期は「技術的に仕方のないもの」とされ、誰もが我が物顔で風を切り散らかしていた。ところが、ドローン登山ブームが過熱してきて、ようやく問題視された。ユーザー同士、お前の音がうるさいと言い始めたのである。
 ヒトは最初からずっと文句を言っていたが、メーカーも行政も重い腰を上げようとしなかった。今の世の中はドローンを中心に回っている。お客様でない層からの声は右から左へ流されていた。
 技術的に仕方ないというのは、半分ウソだったと思っている。頑張ればもっと早く解決できたはず。カメラの画質や操作性などアピールしやすい改善事項を優先して、ユーザーから静音化の要望が出るまで後回しにされていたに違いない。

 K峠のベンチでザックを下ろして小休止していると、また別のドローンが追いついてきた。
 機体の色はショッキングピンク。物珍しげにあたりを飛び回っている。
 ドローンには構わず、ぼんやりと景色を眺める。背伸びを一つ。S村の巨大ソーラーパネルが夏の陽を浴びて輝いている。
 とっくに廃道になっているが、ここは昭和初期まで、S村とF市の中心部を結ぶ、山越えの道の最高地点であった。「峠」と名の付く場所はそういった過去を有していることが多い。
 三度笠の旅人や籠を背負った商人もここで一息ついていたのだ。駆け落ちの男女もいたかもしれない。彼らは、その道がやがてヤブで覆われて、新たに登山道が作られ、そこを小型無人航空機が飛ぶようになるなんて、夢にも思わないだろう。
「すいませーん!」
 声のしたほうを振り向くと、ピンクのドローンがスピーカーのランプを点灯させてホバリングしていた。
「すいません、そのベンチ入れて写真撮りたいんですけど、ちょっとどいてもらっていいですか?」
(おいおい……)
 呆れ果てながら、条件反射のように場所を譲る。
 トラブルを起こしてはならないのだ。今やドローン様のほうが上級国民。ヒトが迷惑をかけると、この山もリアル登山禁止条例の対象になりかねない。
「ありがとうございまーす」
 若い女性たちが声を揃えた。
 本人たちはどこにいるのだろうか。きっと冷房のきいた部屋で、服だけ山ガールの格好をして、大型モニターで「登山」を楽しんでいるのだろう。そういう写真を登山雑誌で見たことがある。
 雑誌もドローン登山の黎明期は抗う姿勢を見せていたが、今ではすっかり軍門に下った。彼らは、それを「登山」と認めた。雨風に強い機体や高性能カメラの紹介まで行っている。スポンサーがいなければ成り立つはずもなく、グッズ紹介に多くのページが割かれているのは昔からのことではあるが。
 ピンクのドローンはベンチを含めた写真を何枚か撮り、去っていった。
 いなくなってから、腹が立ってきた。
 どけとは何事だ! 後ろ姿なら勝手に撮ってくれて構わないし、ヒトが入らない景色を撮りたいならベンチを諦めるべきだ。
 もしリアルなら、と思う。もし君たちが自分の足でこの山に登ってきて、生身でおれと相対したなら、写真撮りたいからどいてくれなんてとても言えなかったのではないだろうか?
 ドローンだから、現実味が希薄なのだ。おれのことはゲームのNPCか何かに見えていているのだろう。相手が実在の人間だと感じられていないから、失礼なことを平気で言えてしまう。
 まったく嘆かわしい……と思うが、頭の中に留めておく。決してSNSに書いたりはしない。若い頃、憐憫の情で眺めていた老害に、自分がなりたくはない。世界は変化してゆく。価値観をアップデートできないなら、せめて黙っていることだ。

 山頂に辿り着くと、そこは色とりどりのドローンの巣であった。
 ヒトは一人もいない。
 静音化されていると言っても、これだけの数が集まるとブレードの音はかなりのものになる。
 もっとも、ヒトも大勢集まれば騒音は出る。あまり騒がしくしないのがマナーではあるが、子供たちの団体などが賑やかにおにぎりを頬張る様は微笑ましく見守っていたものだ。
 今の小〜中学生世代で、将来、本格的なリアル登山をやる子など現れるだろうか? 想像し難い。何しろきっかけがない。連れていく大人もいなければ、動画配信者も消えた。古い漫画やアニメに触れることならあるかもしれないが、昔々の話として処理されるだろう。
 子どもたちや高齢者の体力低下の問題は、サプリメントと電気マッサージがほぼ解決した。誰でも汗水を垂らすことなく、苦痛なく、健康的な肉体を維持できている。電気マッサージで「運動神経」は鍛えられないから体育の授業は残っているが、生活習慣病や健康ブームは完全に過去のものだ。
 自分の足で山に登り、爽やかな汗を流すことの意義を、もう大多数の人間が感じていない。
 おれはおそらく、リアル登山に打ち込んだ最後の世代となるのだろう。
 ドローンにぶつからないよう注意して、空いている場所を探す。視線が突き刺さる――カメラだが。ヒトが珍しいのだろう。
 山頂の標識の裏手、少し離れたところにいい感じの木陰を見つけた。眺望はないが、この山からの景色は何度も見ている。ドローンの皆様にお譲りしよう。
 ザックを下ろし、調理器具の袋を取り出す。ガス缶とコンロを接続し、クッカーに水筒から水を入れる。
 ギャラリーが増えてきた。せっかく遠慮したのだから景色を見ていてほしい。というか、こんなにジロジロ見るのはマナー違反ではないか。ただメシの支度をしているだけだ。
「見世物じゃねーぞ」
 怒鳴りたい気持ちをグッとこらえる。
 見られていると、手の込んだ料理でないことが恥ずかしくなってきた。ただ湯を沸かしてカップ麺を作るだけだ。一応の工夫として、イカ天を追加する。色々試してきたがこれが一番美味い。
 ガスの栓を開け、着火装置をカチリと鳴らして点火。クッカーを乗せる。
 わざわざこんな風に沸かさなくても、湯を手に入れる手段はいくらでもある。高速で沸くジェットボイルという道具もあるし、家で沸かして魔法瓶で持ってきてもいいし、振るだけで中身を沸騰させられるボトルも去年発売された。
 便利なのは結構。おれは手間をかけたいのだ。理解されないだろうが。
 他人には強いないから、どうか放っておいてほしい。
 沸いた湯をカップ麺に注ぎ入れる。
 待つ間もじっと見られている。動物園の動物の気分になってきた。こちらはただ生活しているだけなのに、見ていてそんなに面白いだろうか。
 三分経った。フタを開ける。うん、いい香りだ。イカ天を開封してぶち込む。箸を取り出す。手を合わせる。
(う、近い)
 ギャラリーが寄ってきている。
 かくなる上は、CMのつもりで思いきり美味そうに食ってやろう。
 見ろ。これがヤマで食うメシだ。景色を見なが……いや、今は景色は見えないが、風に吹かれながら、自分の足で運んできたメシを食う。どうだ、美味そうだろう。
 盛大に音を立ててすする。
 部屋にいてはわかるまい――汗をかいた分の塩気の嬉しさ、青空の下で食事を摂る喜びが。
 スープを吸ったイカ天にかぶりつく。
 リアル登山、楽しそうだろう。もちろんメシだけじゃない。色々あるんだ。ドローンじゃ体験できないことがいくらでもある。どんなに道具が進化しても……
「どうも〜! うまそうッスね!」
 メタリックパープルの機体が真正面に来た。チャラそうな若い男の声だ。
「ええ、うまいです」
 なんとなく即答してみた。
「さっき火ィ使ってましたけど、山火事になったりしないんですか?」
「焚き火や喫煙は禁止されてますけど、普通にコンロ使うのは大丈夫ですよ」
「へ〜、そうなんですか。でももし山火事になったら一大事ですね!」
(……なんだこいつは)
 この厚かましさも非リアル特有の……いや、考えても仕方ない。テンポよく応答してしまったのが運の尽きだ。
「お一人ですか?」
「ええ、ご覧の通り」
「単独行は危険だからやめましょうって登山関係のサイトに書いてありましたけど、大丈夫なんですか?」
「ずいぶん古いサイトを見たんですね。今は圏外のエリアもほとんどないし、単独行のリスクなんてあってないようなものですよ」
「へ〜。でも、万が一ってことがありますよね?」
「もちろん。それが山ですから」
「万が一、おじさんが滑落して、足が折れてスマホも壊れたらどうします? ってか、スマホ使えてもですけど、救助のために警察が動いたら税金が使われますよね?」
「そうですね」
「申し訳ないと思わないんですか?」
「そうならないように注意しています」
「でも絶対ってことはないじゃないですか。ないですよね? 僕が払った税金をおじさんが遊びのために使っちゃうんですか?」
 面倒なことになってきた。人を煽って楽しむタイプの輩だ。リアルならこの手合いは少し声を張ってやればすぐ逃げ出すものだが、ドローン越しだから始末が悪い。
「ねぇおじさん、ドローンで良くないですか? 遭難して人に迷惑をかける可能性があるのに、なんでリアルで登るんですか? 意味あります? 何が面白いんですか?」
 語りたいことはいくらでもある。

 己の力量を考えて計画を立てること。
 体を使いこなす喜び。
 つらい急登を抜けて稜線に出た時の開放感。
 岩場との格闘。
 雨風や不慮の事態に対応すること。
 力量が上がってより高度な計画に挑む時の高揚感。
 飯のうまさ。
 水のうまさ。
 たっぷり汗をかいた後の温泉とビール。
 テントで迎える夜の不安と太陽への感謝。

 どれも、ドローンでは味わえない。
 景色なんて登山のほんの一面に過ぎないのだ。
「もしもーし、聴こえてます?」
 なぜ登るのか。こいつに言ったところで、伝わらないだろう。
 かつて犬養毅は「話せばわかる」と言った。だが、話しても絶対にわかり合えない層は残念ながら一定数いる。人生観、宗教や政治信条、育ってきた環境やIQが違い過ぎる時、対話は成立しない。何しろ犬養自身、それを言った直後に射殺されている。
 人種が違うなら、距離を置くのみ。
 このふざけたドローンがリアル登山の良さを理解する日は永遠に来るまい。真面目に回答すればこちらが損をするだけだ。はぐらかそう。
「もしおれが遭難したら、あなたに罰金を払いますよ」
「は?」
「だから連絡先を教えてください」
「いや、うける。てか、そういう話じゃなくないですか? なんでドローンがあるのにリアルで行っちゃうのって聞いてるんですけど」
「知りたかったら、来てみればいいでしょう」
「来てますよ、ドローンで。それで、リアルの意味わかんないなーって思ったから聞いてるんです」
「そうですか。それは残念です」
「えー、おじさん、会話成立しないですね」
「ちょうどおれもそう思ってるところです」
 ああ、無為な時間だ。
 山でのトラブルの中で最もくだらないのが、人との戦いである。
 待ち合わせの遅刻に始まり、渋滞のストレス、山小屋での気遣い、挨拶を無視される不愉快。社会を離れ、自然と向き合いに来たのに、なぜ社会の続きをやらねばならないのか。
 初心者の頃は周りに人がいたほうが安心だったが、ある程度慣れると、混みそうな山は避けるようになった。仲間と行くよりソロが増えた。どんなに気の置けない相手でも、誰かといる限りそこは社会である。
「残念だな〜。リアルでやってる人なんて珍しいから、色々教えてほしかったんですけどねえ」
 さて、目の前のこいつをどうするか。
 皮肉なことに、おれがドローンなら対処は簡単だ。相手の識別番号をブロックすれば、マイクは声を、カメラは機体の映像を拾わなくなる。相手を殺害せずとも、自分の世界から一瞬で消せる。
 こう比べてみると、リアルは不便だと言わざるを得ない。
(仕方ない)
 今さらだが、無視することに決めた。
 羽虫のようなものだと思おう。飛んでるし。
「じゃあさ、なんで登山始めたんですか?」
「他の趣味とかあります?」
「ドローン登山は登山じゃない! けしからん! とか思ってます?」
「ねえねえ、なんで無視するんですか? 無視はイジメだって小学校で習いませんでした?」
 ヒトには適応する能力がある。
 有名なのは低酸素に耐える高度順応や、夏の暑さに備える暑熱順化あたりだろうか。他にも、様々な不都合に、ヒトは慣れる力を持っている。
 羽虫の鬱陶しさにも、適応し得る。
 最初は本当に耐え難い。払っても払っても寄ってくる。気にし過ぎると発狂しかねない。だから気にしないようにする……と、不思議なもので、やがて本当に気にならなくなってくるのだ。
「――」
 まだ何か言っている。元気だなあ。
 無言で手を合わせてごちそうさまと念じ、道具を片付け、ザックにしまう。
 さぁ、下山だ。

 幸い、追ってはこなかった。
 山道を下りること二時間、林道を歩くこと四〇分。途中、何度かドローンとすれ違ったが、ドローン登山ではリアル登山ほど挨拶の文化が定着しておらず、こちらから声をかけてもスルーされることが多いので、あちらから挨拶してきた時だけ返すようにしている。
 L峠駐車場に到着。駅とここを繋ぐバスは五年前に廃線となった。
 懐かしいな。微妙な空模様の日に雨具を忘れてきて、迷った末に結局登らず、帰りのバスを待ったことがあったっけ。その後バケツをひっくり返したような豪雨になって、強行しなくて良かったと胸をなで下ろした。



  タチヨミ版はここまでとなります。


生身登山禁止条例 他四篇

2022年11月4日 発行 初版

著  者:森山智仁
発  行:森山劇場
デザイン:sugiura.s(ヨロシクデザイン制作所)

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森山智仁

1984年1月10日生まれ。 早稲田大学第一文学部卒。 大学時代に劇団を立ち上げ、現在はフリーのライター・脚本家として活動中。 エンターテインメント性の高い歴史劇やシュール&シニカルな現代劇を得意とする。 Novel Jam2018の選考を通過、『その話いつまでしてんだよ』にて小説家デビュー。 山田章博賞を受賞。 ブログ「それにしても語彙がほしい」 http://moriyamatomohito.hatenablog.com/

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