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童顔の暗殺者
新装版

土方足腰

Jirokudo Studio



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  この本はタチヨミ版です。

 目 次

ベイビーフェイスド・アサシン
麻薬カルテル
出逢い
仕事
恋心
密輸
DEA捜査官
サイモン・フェリクス
隠蔽
犠牲者
未遂
依頼
悪銭
最後の標的

あとがき

ベイビーフェイスド・アサシン

 アメリカ西海岸にある巨大な都市は、夜の闇に包まれている。椰子がならぶ高級リゾートホテルのエントランスは、投光器によって気品溢れる空間を演出していた。
 車がやってきて停まると、ひとりの男が降りてくる。男はロブ・シーボルト。四〇代後半のスラブ系白人で、口髭を蓄え、背丈は高くないが、肩幅が広くて丸太のような腕をしている。彼は、アーリアンブラザーフッドと呼ばれるプリズンギャング、ならびにその外部組織と何らかのつながりがあった。
 ロブは、待機していた部下の男四人を引き連れて中に入っていく。はじめての客人と顔合わせをすることになっていた。
「おい、客人の身体検査は入念にやれよ」
 とロブは部下の男たちに向かって云う。
「はい」
 男たちは頷く。
「武器を持っていたら、おまえらが預かれ」
「わかりました」
 五人は最上階のスイートにやってくる。ロブは、部下たちに部屋中を隈なく点検させ、異状がないことを確認して中に入っていく。
「客人は、あとどれぐらいでやってくる?」
「まもなくです」
「よし。ドアまえにふたり立て」
「わかりました」
「きたら、無線で知らせろ」
「はい」
 ふたりの男は無線機を手に取って出ていく。ロブはカウチに腰かける。
「何か飲みますか?」
 男が訊く。
「いらねえ」
 とロブは首を振る。
 ふたりの男がドア前に立っていた。その様子を高齢女性の客が不審げに眺めながら通り過ぎていく。すると、給仕係がテーブルワゴンを押してやってくる。
「ルームサービスです」
 男たちはたがいに顔を見合わせる。
「何も聞いていないぞ」
「えっと、こちらのお部屋ですが……」
 給仕係は伝票を確認する。
「ルームサービスがきていますが……」
 無線からの声に、ロブは男たちの顔を見る。
「ルームサービス? だれか頼んだのか?」
 いいえ、と男たちは首を振る。
「そんなもの、だれも頼んでないぞ」
 無線に向かって云う。そのときだった。ウッ、と声を残して途絶える。
「おい、どうした?」
 ロブが呼びかける。だが、返事はない。
「おもてを見てこい」
「はい」
 もうふたりの男が出ていく。ひとりになって、ロブはじっと坐っていた。部屋の中は静寂に包まれる。しかしだれも戻ってくる気配がない。やけに長い。一体、何をしているのだ。
「おもてはどうなっている?」
 無線に呼びかけるが、反応はない。
「何をやっているんだ……」
 そう呟きながらカウチから立ち上がり、拳銃を掴んでドアに近づく。
「おい、何があった? 返事しろ!」
 応答はない。ドアに耳をつけてみる。静かだった。覗き穴から外を見るが、人が動いている様子はない。ドアを開けて、隙間から様子をうかがう。だれもいなくなっていた。廊下に出て辺りを見る。テーブルワゴンだけが、ぽつんと佇んでいた。
「一体どこへ……?」
 屈強な男たちがいなくなってしまった。ロブは、ふと何かに気づいて壁に近づく。小さな斑点がついていた。よく見ると、血飛沫だった。額からどっと汗が噴き出る。慌てて部屋に入ろうとして、ハンドルレバーを押してもドアが開かない。
「しまった、オートロックだ」
 いそいでエレベーターホールまでやってきて、下降ボタンを何度も押す。そのとき、後ろから抱きつかれるように口を塞がれ、背中から刃物で肝臓を裂かれる。
「ウッ」
 ロブはくたくたと倒れる。見上げると、刃物を右手に下げたスーツ姿の男が立っていた。顔立ちは日系人である。澄んだ目の奥に殺しの光を放っている。男はロブの手から拳銃を蹴り離す。ロブの意識が徐々に薄くなっていく。肝臓を裂かれては助からない。赤黒い血がじわじわと絨毯に広がる。ほどなくして、ロブは眠るように目を閉じる。部下の男たちは、スイートの向かいの部屋で折り重なるように死んでいた。
 日系人の男は、非常口から階段を下りていく。すると踊り場で給仕係が屈み込んで震えていた。
「ぼ、ぼくは何も見ていません……」
「…………」
 男は何も云わずに刃物を丁寧に拭ってホルスターに収める。血は脂である。付着したままホルスターにしまうと、汚れて斬れなくなる。
 男は非常階段からロビーに出てくる。クロークカウンターにやってきて、従業員に番号札を手渡す。
「ただいまお持ちいたします」
 そう云って、従業員は奥から鞄を手にやってくる。
「お待たせいたしました」
「どうもありがとう」
 と云って、男は鞄を受け取る。どこから見てもビジネスマンだった。だれも疑わない。悠々と歩いて正面のエントランスから出ていく。
 男の名は、セス。もちろん本名ではない。四〇歳前後の日系人、もしくは日本人。凛々しい目鼻立ちに髪は短く整えられていた。背丈は標準だが、からだは締まっていて筋張っている。フリーランスのガティジェーロ(殺し屋)だ。そしてその顔のつくりが若いことから、ついた暗号名が「ベイビーフェイスド・アサシン(童顔の暗殺者)」であった。


 ダウンタウン南は中南米移民の人々で賑わっていた。この界隈はあまり治安がよくない。ごみがあちこちに散乱した歩道では、ホームレスの男が寝そべり、柄が悪い若者たちがたむろしていた。スーツを身にまとったセスが通りを歩いていく。若者たちは彼を目でじっと追っていた。セスは市場までやってくる。広い敷地に様々な食材がならび、屋台では酒盛りをする者もいた。
 セスは搬入用通路に入って階段を上がる。殺風景な廊下を抜けて奥の扉にやってくる。鋼鉄の扉横にあるブザーを押し、監視カメラのレンズを見上げる。ガチャンと解錠されると、扉を開けて中に入っていく。乱雑に物が散らかったオフィス奥にデスクがある。マリオは椅子に腰かけてテレビに目を向けていた。
「セス。報道されているぞ」
 高級ホテルで男性の死体が数人発見された、と報じている。セスはそばにある椅子の埃を手で掃って腰かける。
「うむ、見事だ」
 マリオは上機嫌でテレビを消す。彼は、四〇代後半のメキシコ人だった。小柄でぽっこりと突き出た腹に口髭を蓄えている。仕草がどことなくユーモラスだ。メキシカーナレストランのオーナーでもある。壁には、妻子の写真がかけられていた。
「仕事の報酬は、どうするね?」
 マリオが訊く。
「いつもどおり、預かっていてくれ」
 最低限の金があれば充分だった。
「ああ、わかった」
 とマリオは頷く。セスはオフィスから出ていく。
 闇夜に街灯だけが路上を淋しげに照らしていた。セスは、バス停に立って路線バスがやってくるのを待つ。辺りに人は殆どいない。
「よう、日本人か?」
 黒人の男が反対側の歩道からセスのもとに駆け寄ってくる。彼はまがった眼鏡をかけ、ぼろぼろの服を着ていた。強盗の類いではなく、ホームレスだろう。
「…………」
「金を持っているか?」
「残念ながら、持ち合わせていない」
「何も食べていないんだ。パンか何か、くれないか?」
「すまないが……」
 わかった、と云って男は立ち去っていく。このような物乞いは日常茶飯事だった。
 やがて路線バスがやってくる。セスは乗り込んで運賃を支払う。男性運転手はスーツを着たセスをまじまじと見ていた。バスがゆっくりと走り出す。青白い蛍光灯の車内は数人の乗客がいるだけだ。セスは座席に腰を下ろす。
 車窓を流れる風景は、貧困が暗い影を落としている。自由市場資本主義は、貧富の差を生んでいた。自由の国を謳っているが、もはや自由なんて皆無に等しい。やたら広くてまとまりがない。繁栄と退廃。だれもが他人には無関心だ。なんともいえない孤独感がこの街を覆っている。
 バスが停車すると、黒人女性がひとり乗ってくる。彼女は揺れる車内を掴まりながら歩いてきて、セスの隣りに腰かける。
「こんなに席が空いているのに……」
 セスは胸でそう呟きながら、車窓の外を見ていた。すると隣りから視線を感じる。ちらりと横を見やる。彼女はセスの顔をじっと見ていた。
「ハイ……」
 と彼女は蚊の鳴くような声で挨拶してくる。セスは軽く目礼する。彼女の髪には枯れた葉や小枝が絡まっていた。ホームレスなのか。しかし身なりは普通だった。
 セスはバスを降りると、ねぐらにしているホテルまでやってくる。アパートメント型ホテルだ。トイレ、キッチン、そしてシャワー室は共同で、宿泊費が安価なことからアジア系の留学生などが多く出入りしていた。建物一階には中国料理店がある。その横の階段を上がると、ホテルのフロントにたどり着く。セスは階段を上がっていく。すると扉は閉まっていて施錠されていた。
「もうそんな時刻か……」
 腕時計を見ると、二三時をまわっていた。防犯のため出入口扉を施錠してしまうのであった。裏手にまわって広い駐車場にある勝手口から非常階段を上がっていく。
 セスは部屋の中に入る。ベッドとクローゼット、そしてデスクがあるだけの味気ない室内だった。窓はあるが、陽が射さない。セスはジャケットを脱いで、ホルスターから刃物を抜く。鹿のなめし革を使って刃を磨くように拭う。白く浮いた脂を丁寧に取っていく。これは日本の刀鍛冶に特注で作成してもらった。とはいえ、短刀や匕首とはちがう。またシースナイフのようなものでもない。セスが考案した独自の刃物なのだ。手入れを終えると、刃物をホルスターに収めて枕元におく。


 深夜、丘の雑木林には闇が覆っていた。車のヘッドライトを頼りに若者ふたりが地面にせっせと穴を掘っている。汗にまみれたその顔は、いまにも泣き出しそうな表情であった。シャベルを持つ手をひたすら動かしている。そのふたりを、自動小銃を携えた数人の男たちが黙って見ていた。そこに車がやってきて停まる。中から長身の男が出てくる。彼は、ビンセント・ボズワース。四〇代半ばの白人であった。ビンセントはふたりに近づく。
「おまえたちか、俺の店で強盗をやらかしたのは?」
 そう陽気に云う。
「警察に出頭しますから、殺さないでください」
 ふたりは泣きつく。
「ふむ、そうか。だが、俺は警察に被害を届け出てないんだ。なぜか、わかるだろ?」
 ビンセントは笑う。
「あなたの店だとは知らなかったんです」
「おまえたちを見つけるのに苦労したんだぜ」
 なあ、と彼はまわりの男たちを見る。部下の男たちは黙って頷く。ビンセントは掘った穴を覗き込む。
「だいぶ掘ったな。疲れただろ? シャベルをおいて休憩しろよ」
「…………」
 ふたりはその言葉に安堵する。
「これだけやる根性があれば、充分だよ。もういいさ。悪い冗談だ、勘弁してくれ」
 ビンセントはひとりの頬に、ぽんぽんと触れる。
「シャワーでも早く浴びろ、な」
 そう云って、ビンセントはくるりと背を向けて車に向かって歩き出す。
「あ、ありがとうございます」
 ふたりは、助かった、とホッとする。ビンセントは、部下の男に向かって頷く。それを見て男は手を上げる。合図だった。一斉に銃口がふたりに向けられる。次の瞬間、銃声が連続して夜空に鳴り響き、いくつもの薬莢が地面を弾く。無数の銃弾を浴びたふたりは、みずから掘った穴に崩れるように倒れていく。それを見届けてビンセントは、地面に唾を吐く。そして車に乗り込むと、砂埃を上げて走り去っていった。


 夜が明けて、空が白みはじめる。セスは、ロードバイクに跨って通りを走っていた。およそ六〇分の道のりを向かった先は海岸だった。日中は多くの人で賑わうところだが、早朝とあって人は殆どいない。ロードバイクを停めて砂浜にやってくる。額には汗がにじんでいたが、潮風が心地いい。水平線に向かって、静かに目を閉じる。自然な呼吸を繰り返す。立禅だ。やがて目を開けると、ヨガの動きをはじめる。
 砂浜にはアスレチックジムが備えつけてあった。セスは、吊り輪にとびついてぶら下がる。まずは腕の力でからだを持ち上げる。つづけてゆっくりと腕を水平に開いてそのままからだを支持させる。朝焼けに染まった空の下、セスは黙々とこなしていく。汗が頬を伝って顎から滴り落ちる。


 朝の出勤時刻を迎えて、ダウンタウン中心部のフリーウェイは渋滞し、クラクションが絶えず鳴り響いていた。ビジネス街の大通りには大勢の人がせわしなく往来している。いつもどおりの風景だった。
 その通り沿いに一軒のコーヒースタンドがある。清潔に保たれた店内はこぢんまりとして、いくつかのテーブル席が設けられてあるだけだ。オーナーのアルフォンソが、ひとりで店を切り盛りしている。彼は六〇代後半で、頭髪や髭はだいぶ白く、面長の顔には皺が深く刻まれていた。
 セスが本を小脇に抱えてやってくる。店内に漂うコーヒー豆の香りが好きだった。壁に飾られた風景写真を見やる。青い空にターコイズブルーの美しい湖が写っている。
「セス。おはよう」
 アルフォンソは陽気に云う。
「おはよう」
 とセスも微笑む。
「調子はどうだ?」
「いいよ」
「コーヒーでいいのか?」
「ああ、頼む」
 セスはコーヒーを受け取ってテーブル席に腰かける。コーヒーにミルクだけ加えて、ひと口飲む。うまかった。本を開いて読みはじめると、そこにアルフォンソがやってくる。
「おまえさんも毎日、飽きないものだねえ。そんなに本が好きかい?」
 そう云われてセスは顔を上げる。
「本には、様々な物語が詰まっているじゃないか?」
「俺にとって本は、強力な睡眠薬だよ」
 アルフォンソは、がはは、と笑う。
「わかったよ、向こうへいって仕事してくれ」
 と云ってセスは苦笑する。この店ではいつものどかな時間が流れている。セスはコーヒーを飲みながら、本を読んで過ごすひとときがとても気に入っていた。



  タチヨミ版はここまでとなります。


童顔の暗殺者 新装版

2022年11月20日 発行 初版

著  者:土方足腰
発  行:示禄堂スタジオ

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土方足腰

1975年東京都生まれ。
都立高等学校卒業後、監督を目指して自主映画を制作。のちにハリウッド映画にも参加。また日本でも映画、テレビ、CMなどにちょっぴり出演。米国で生活した経験を活かして作品を執筆。本書が初の著書。

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