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【斎藤帰蝶】
通称:帰蝶
年齢:一四歳。二〇〇二年生まれ
コードネーム:Anonymous
由来:匿名
役割:錬成師
特徴:されたくないことが起きる道具を作る能力に長けている。
欠点:ポンコツ
ピンク色の髪に、猫耳 パーカーと、デニムパンツのコーディネートが定番スタイル。
趣味は、迷宮入りした事件の推論。とはいえ、探偵がする推理のような、犯人特定作業には関心が無い。心理学領域の、動機や情動にも無関心。情動とは喜怒哀楽等の短期的な感情の動きのこと。
再現性が無いものはつまらないと思っている。
帰蝶の知的好奇心を刺激するのは、特殊な技術が用いられた事件の過程と経緯。そして手法。
日常の中で特異性を察知しては答え合わせする目的で、事の顛末を観察している。
* * *
【織田胡蝶】
通称:胡蝶
年齢:一四歳。一五三五年生まれ
コードネーム:John Doe
由来:名無しの権兵衛
役割:暗殺者
特徴:隠密行動が趣味。痕跡を遺さず、与えた情報で撹乱させる。
欠点:言葉足らず
帰蝶と名前が似ているけれど、縁も所縁も無い。
共通点は、同じ中学校の生徒であることくらい。とはいえ、同じクラスになったことも接点も無い。
ふと耳に入った教室内の談話で、姉妹と誤認されていることを知る。それを機に帰蝶を意識し、髪をピンク色に染め、猫耳パーカーと、デニムパンツのコーディネートをするようになる。
陰謀論が好物。
* * *
【織田信長】
通称:うつけ
年齢:一五歳。一五三四年生まれ
身体:一七〇cm。六一kg
居住地:那古野城
コードネーム:*
由来:全ての文字列。ワイルドカード
役割:策士
特徴:巧みな計略をめぐらせる。誘い込んで攻撃の矛先を逸らす。
欠点:マイペース
* * *
【生駒吉乃】
通称:吉乃
年齢:二一歳。一五二八年生まれ
居住地:愛知県江南市小折町八反畑
家業:運送業
コードネーム:Guest
由来:不特定の招待客
役割:諜報員
特徴:情報収集と、分析能力に長けている。説明が端的でわかりやすい。
欠点:自信過剰
一五四九年、信長が秀吉に出会う前の物語。
◆既知のこと
一五四九年。斎藤山城守の娘、胡蝶が織田信長の正室となる。
胡蝶は三度目の結婚。二人の夫と死別している。
一五四四年、一人目の夫、土岐八郎頼香が自刃。一五四六年九月、頼香の甥、土岐次郎頼純と結婚。一五四七年一一月、頼純が急死。頼純は、斎藤山城守に何度も攻撃を仕掛けた。けれど、一度も勝利することは無く、一五四六年に和睦を申し入れた。
頼純に仕えていた明智十兵衛、後の光秀は、頼純の死後も美濃国に留まった。
一五四九年は、織田信長の父、信秀が亡くなり、信長が家督を継ぐ二年前。
信秀の重臣であり、信長の世話役、平手政秀が自刃する四年前にあたる。政秀は、信長と胡蝶の、政略結婚を取り纏めた人物でもある。
信長は、一五四六年に元服。一五四七年に今川との小競り合いで初陣を果たす。同年、松平竹千代、後の徳川家康が織田弾正忠家の人質になり、信長と出会う。
* * *
◆未知のこと
信長と木下藤吉郎秀吉が出会うとされているのは、一五五四年。信長に仕えている秀吉の幼馴染、小者頭の一若と岩巻、二人の勧めにより、信長に仕えるようになったとされている。それまでは今川義元の家臣、松下加兵衛に仕えていたとされている。
一五四八年四月、織田信秀は今川・松平連合軍との第二次小豆坂の戦いで、大敗を喫する。
胡蝶の父、美濃国(岐阜県南部)の斎藤山城守が、駿河国(静岡県中部・北東部)の今川義元と手を結ぶようなことがあれば、織田信秀の尾張国(愛知県西部)は、十中八九盗られる。
最早、生存の道は斎藤家と織田家の和睦のみ――その手段として、織田弾正忠家から胡蝶と信長の政略結婚を持ちかけた。
* * *
胡蝶は、輿入れ早々、信長に小刀を向ける。
「三郎の行いが悪ければ、ブッ転がすよう命じられとる」
三郎は、信長の通称。
命じたのは、胡蝶の父、斎藤山城守。
斎藤家が主、織田弾正忠家が従の関係が構築されている以上、信長が胡蝶に刃を向けることは出来ない。
生殺与奪権を握っているのは胡蝶。
斎藤山城守は一五三〇年、 主君だった長井長弘の行いが悪かったことを理由に、夫妻ともに殺害。
胡蝶の元夫二人は死去している。
これらの出来事は周知の事実。織田弾正忠家側は、信長の死を想定し、そして回避不可能と判断していた。
信長が小刀を凝視する。
「ええ刀や。孫六兼元の業物か?」
孫六兼元は、関の孫六の名で知られる刀工。
「ようわかったね。三郎、見所あるわ。ところで織田弾正忠家は、どうなっとるん? うつけ者を始末出来るええ機会やて言われとる」
「俺は土田御前に嫌われとるでな。胡蝶に殺させて、勘十郎に家督を継がせる手筈やろう」
土田御前は信長の実母。勘十郎は次男、織田信勝の通称。
「まるで他人事やね。それ、うちのメリットあらへんやん。興が冷めたわ」
小刀を下ろす胡蝶。
「俺の目標は天下布武」
「武力で天下を平定するか」
「違う。武は、戈で止めると書く。武の目的は、戦を止め、泰平を築くこと」
「鳴かぬなら、殺してしまえ、時鳥」
胡蝶が言い放った句は、江戸時代後期に松浦静山が、信長を表現する句として書いたもの。
「時鳥が鳴くのは、縄張りを守るため。求愛以外、鳴かずに過ごせるのが一番や」
眼前の信長は、胡蝶が聞いていた人物像と別人。
戦乱の世。身内にまで命を狙われている最中、泰平を望むのは馬鹿――まさに、大うつけ。
「面白いやん……うちが三郎の戈になったるわ。三郎は、三郎がしたいようにしやぁ。やけど、つまらんことしたら、ブッ転がすでな」
「俺には惚れとる女がおる」
「それをうちに言ってどうするん? 政略結婚なんやで、好きにすればええやん」
「相手の名は、生駒吉乃。一目惚れして、今も生駒家に足繁く通っとる」
「で、これからも通いたいと? 黙っとればええのに……名を教えたら、ブッ転がすかもしれんとは考えへんの? 三郎は、律儀な男やね。構わんよ」
「有難う。胡蝶も一緒に行かんか。生駒家は、尾張国で運送業をしとる」
「三郎は、本当に惚れとるん? 冨、財力、情報力目当てで近付いたやろ」
「最初はそうやった。でも、一目惚れしてからは本気や」
「それなら、ええわ。もしも誑かしとるんやったら、ブッ転がしとったわ。けど、本気で惚れとるんなら、応援したる」
胡蝶が信長に告げる。
「明日、美濃国西武に出掛ける。ついてくるなら、うちの秘密を教たる。やけど、うちの領内で見聞きしたことや出来事は、一切他言無用。裏切ったら、ブッ転がす。どうする?」
「胡蝶の誘いなら、面白そうや。吉乃も誘ってええか?」
「ええよ。吉乃に、山を拾うって伝えといて」
* * *
胡蝶はピンクの糸を髪に巻き、蒸し風呂に入る際に着用する湯帷子のようなものを羽織り、朱鞘に小刀を差している。
「胡蝶。今日は派手な出立ちやな」
信長が、胡蝶をまじまじと見る。
「供回りを付けへんで、遠目に、うちやとわからんと無礼討ちに遭って、ブッ転がされるでね」
供回りとは、従者の一群。通常は、家臣らを連れて移動する。
* * *
胡蝶を先頭に、信長、生駒吉乃の三人は、関ケ原の山奥に来た。
「オッケー。六兵衛。電気をつけて!」
胡蝶が大声で叫んだ名は、史実に存在しない人物。
胡蝶の声に呼応するように、周囲に一斉に明かりが灯る。信長は周囲を見回す。
「胡蝶、なんやこれは!? 六兵衛は一体、何者や?」
唯一、浜六兵衛の名が記されているのは、岩手明泉寺記録。一五五五年までの玉城主として記されている。
そして、二〇二三年時点では、全てが不明とされている。
「六兵衛は、玉城を管理してくれとる、お爺さんやお」
灯った明かりに照らされる城壁。
「玉城? 初耳や! こんな巨大な城、知らん!」
玉城も、二〇二三年時点で、全てが不明。幻の城とされている。
「やろうね。普段、ここには何もあらへん。蔵之介! 説明したって」
蔵之介は、竹中半兵衛の叔父とされている人物。一五五五年に六兵衛から、玉城主を引き継ぐことになる、杉山内蔵之介。
蔵之介は、信長に玉城は時間軸を移動出来ると説明する。
吉乃は、明かりに興味津々。六兵衛と楽しげに話している。
* * *
夜が深まり、周囲が闇に染まる。
「そろそろ、ええ頃合いや。ええもん見せたる」
未来の時間軸、二〇二三年に移動し、玉城から三人で泰平の世の、ささやかな夜景を見た。
胡蝶に関わる人間は、稀に死亡する。けれど、胡蝶自身は、人を殺めたことが無い。殺すと決めた対象が、勝手に亡くなるだけ。
戦国の世では、疑われた時点で処刑されることが確定するといっても過言ではない。
そんな世で、幾度となく敵地に単身放り込まれ続けている胡蝶にとって、諜報は食事と同等の、生きるために欠かすことが出来ない技能。
胡蝶は度々玉城を訪れ、二〇二三年へ移動する。
目的は、画面と呼ばれる板の中で、軍事行動をシミュレートすること。俗にいう、サイバー攻撃。
胡蝶は現実のものとは認識しておらず、信長とよく指している将棋のような、遊戯だと認識している。
胡蝶には、二〇二三年の戸籍や住民票は無い。
しかし、今上天皇の直系祖先である道三を父に持つ、胡蝶にとっては些細な問題。胡蝶に便宜を図るよう、代々語り継がせた。
世襲議員の裁量で行えることは、胡蝶にも出来る。
インスタンス北中学二年、斎藤帰蝶。隣のクラスに転入してきた胡蝶と名前が似ているため、姉妹という噂が広まっている。
実際のところ、縁も所縁もない赤の他人。苗字が違うし、皆、根拠の無いデマだとすぐにわかるはず。だから放置しても大丈夫と高を括っていた。
数日後。
『腹違い』の修飾語を付与した物語が、実しやかに語られ始めた。
とはいえ、人の噂も七十五日という。いつまでも、話題に上り続けることはないはず。引き続き放置することにした。
その翌日。
胡蝶が髪をピンク色に染めた上、猫耳パーカーとデニムパンツのコーディネートで登校した。これは帰蝶と同じスタイル。『姉妹であることを隠す必要が無うなったで』『同い年の姉妹やで』といった想像を根拠に、双子説が有力となる。
その上『気付かんでごめん』『仲良しの双子姉妹、憧れるわ』と声を掛けられる始末。
帰蝶の真似をしてくる目的が気になって仕方ない。考えてもわかることではないから、胡蝶に直接尋ねるために隣のクラスへ赴く。
* * *
帰蝶は、一際目を引く胡蝶に目を遣る。
パーカーはプルオーバーではなく、ジップアップ。
デニムパンツはスキニーではなく、ストレート。
カジュアルの定番である、パーカーとデニムパンツのコーデをしている人はごまんといる。組み合わせのみが一致することを以って、類似性が高いとは言えない。
文句を言うためにどれだけ細かく見比べても、形状が一致するアイテムを見付けられない――各アイテムの形状は片手で数えきれるほど少ないにもかかわらず、『双子』や『真似』と表現するに足る、類似点が存在していない。
数多くのアイテムを用いコーディネートしているのだから、何かの形状が偶然被っているのが自然な状態。
違和感を覚える程に、一致する点が無い状況から察するに、帰蝶と被らないよう関心を持って観察していたことは、自明。
それに引き換え、帰蝶は胡蝶の存在が気になっていたにもかかわらず無関心だった。見ようともせず、見たつもりになっていたと自覚し恥じる。
帰蝶の視線に気付いたのか、胡蝶が駆け寄ってくる。
類似点を見付けることは叶わなかったけれど、胡蝶に『双子』と言われ始めた原因があり、胡蝶が扇動していることは事実。
「その恰好のせいで、双子って噂されとるの知っとる?」
「なんでやろうね……雰囲気を合わせるシミラールックコーデ。この辺ではまだ流行ってへん? 友達同士や仲間内でするもんなんやけど」
「知らん。なんで、そんなことするん?」
返ってきたのは予想外の回答。
「帰蝶になろうと思って」
理解に苦しむ――今眼前に居る胡蝶は、本人を前にして、屈託なく堂々となりすましたいと言う。胡蝶に罪悪感を抱いている素振りは、微塵も無く、むしろ揚々としているように見える。
極めつきの一言。
「これからは帰蝶って名乗るわ」
帰蝶と同じ特徴の外見で、帰蝶の名を騙られたら、第三者に帰蝶と認識されかねない。
「やめろっ!」
今この場で、はっきりと拒否しなければ、胡蝶に私が乗っ取られ、私の存在が抹消されてしまう。
とはいえ胡蝶は許可を求めておらず、帰蝶に決定事項を伝えているに過ぎない。帰蝶が拒否したところで、好転する可能性は小さい。
どう足掻こうと、手のひらで転がされるだけ。乗っ取られる側が、屈服させられる理不尽があって良いはずがない。
探せ。不利な状況を一転させられる何かを――。
現時点で個を喪失しているのは、帰蝶の特徴に寄せている胡蝶。別名を名乗ると宣言した時点では、何者でもなく、名が無い状態であることを意味する。
「名無しなんやで、John Doeと名乗ればええ」
この仮名は身元不明者を指す法用語。女性の場合はJane Doeを用いる。帰蝶は性別により使い分けると知っているけれど敢えて男性用を提示した。性別の概念を適用するに値しないという帰蝶からの細やかな意思表示。
胡蝶が怒りに身を任せ、有形力を行使するよう仕向けた。第三者がこの不毛なやりとりを中断してくれることを願った。
しかし胡蝶の反応は、帰蝶の想像を絶する。
「おぉっ! コードネームええね! 秘匿名、匿名……帰蝶はAnonymous! 略して、アノンとドウやね!」
胡蝶は名無しであることを嬉々として受け入れ、帰蝶の名を、害意無く奪った。
コードネームが通名を指す単語であることは知っている。でも、学内で名前と無関係な通名で呼び合う光景を想像すると痛々しく感じる。
ただ名を呼び合うだけの目的なら、本名の帰蝶と胡蝶で十分。けれど『John Doeと名乗ればええ』と勧めたのは帰蝶。だから、使う行為自体を否定するのは気が引ける。
「そんなん、何に使うん?」
「ユニットを組もうよ。匿名には名が存在するけど、名無しには存在せえへん。やで、名前は……有と無の間のmē on! 由来は、古代ギリシアの哲学者Parmenidēsの存在論。<あるものはあり、あらぬものはあらぬ。あらぬものは認識され得ず、探究不可能>てゆう思想で有名」
ユニットとは、二人以上で活動する集団のこと。ダンスや音楽活動をするのは、やぶさかではない。
一先ず通名が学内で呼び合う目的のものでないとわかり、安堵する。
個人名を消失させ、ユニット名で両者の存在をまとめて否定するか――一貫性があって嫌いではない。無ではなく、有に非ずで『非有』という表現も好み。
「面白いやん」
思わず口を衝いて出た。
「決定やね!」
活動内容を確認する前に決まってしまった。
「どんな活動するん?」
「戦争やよ! アノンが防衛して、うちが攻撃する。今夜九時、迎えに行くで家におって」
胡蝶は上機嫌で席に戻る。
――。
「はぁっ!?」
何故攻撃されなければならないの?
思い出せ。胡蝶は何を言っていた?
『これからは帰蝶って名乗る』
何故そんな話になった? もっと前に言われたことは――。
『帰蝶になろうと思って』
これが胡蝶の最初の発言。それ以前には、会話どころか面識すら無い。
訳がわからない――ほんの数分前が初対面。出会って数分で宣戦布告されるような、秩序からはみ出した、アウトローな人生を歩んではいない。
意気消沈したまま、重い足取りで家路につく。
駅の時計を見上げると、午後五時。残り僅かな余生の使い道を悩む。
駅前のベンチに、ただ座っていただけなのに、ふと見上げた時計の針は七時を指している。
* * *
高校生になったら入ってみようと思っていたカフェ、STARDUCKS屋。重い腰を上げ、欲張りオーダーを詠唱する。
「リストレットベンティツーパーセントアドエクストラソイエクストラチョコレートエクストラホワイトモカエクストラバニラエクストラキャラメルエクストラヘーゼルナッツエクストラクラシックエクストラチャイエクストラチョコレートソースエクストラキャラメルソースエクストラパウダーエクストラチョコレートチップエクストラローストエクストラアイスエクストラホイップエクストラトッピングダークモカチップクリームフラペチーノ」
一度も噛まずに言えた。
店員から受け取ったのは一度頼んでみたかったフラペチーノ。初めて目にした特注品の見目は意外と普通。
頭にトゥーゴーパーソナルを付ければ、二一〇字の最長オーダーになる。けれど、マイタンブラーを持参していないし、店内で飲みたいから字数は妥協した。とはいえ、これが最後の晩餐になると思って見ると感慨深い。
「うえっ……」
口に含んだ瞬間、強烈な甘さが口いっぱいに広がる。見目に騙され、緊張を解いてしまったから思わず声に出た。
「ぷはっ! そんなもん頼むでやて」
声の方向に目を遣ると、笑っているのは胡蝶。
「まだ待ち合わせ時間やないよ」
「迎えに行く、手間が省けて良かったわ。着いてきて」
「断固拒否やて」
テイクアウトするのなら、トゥーゴーを付けてオーダーしたかった。店内で完飲してやるという意地が勝つ。
「おけまる! うえってするとこ、眺めとるわ」
これから戦争を始めるというのに、微塵も緊張感が無い、馴れ馴れしい態度に虫唾が走る。
「うえっ」
勢い良く吸い込んだ液体が、激甘であることを失念していた。
「ぷっ! アノンはサービス精神旺盛やね」
『アノン』の呼称は、ユニット活動用。
「戦……」
胡蝶は人差し指を、すっと帰蝶の唇に当て、無言で首を左右に振る。卓上にスマホを上下逆に置き、画面を爪で素早く二回タップする。
胡蝶が見せつけるように入力する文字を目で追う。
『監視されとる。その話は後で』
人前で話す内容ではないから軽率だったとは思う。でも腑に落ちない。監視されるようなことをした覚えは無い。今までされたことが無いのに、急にされていると言われても信じられない。
いや――ある。
胡蝶に目を遣る。胡蝶の容姿は監視した結果だ。監視されているのが事実であれば、胡蝶以外の誰がしているのか――詳しく聞きたい欲求を抑えられない。とはいえ張った意地を捨てるのは癪。フラペチーノを急いで喉に流し込む。
胡蝶は先程と同様、スマホの画面を爪で素早く二回タップする。
『十九時二九分発 JR米原行 先頭車両内で合流』
電車移動は、監視者を撒くには合理的な手段。無言で頷いて見せる。
「見飽きたで帰るわ。また明日」
胡蝶が離席し、手を振りながら言った。
時計を見ると十九時十五分。急がなければならない程ではないけれど、のんびりしている猶予は無い。飲み残しを片付け、切符券売機に向かう。
* * *
合流場所には、先頭車両内が指定されていた。ホームでは胡蝶を探さず、乗車位置は先頭を避けた。周囲の状況を把握しやすい、階段横の狭い空間で電車の到着を待つ。
十九時二七分。
後ろに並んでいるのは三人のみ。周囲に他の人は見当たらない。車両移動時に追尾されれば気付けるし、車両内で危害を加えられることは無いだろうと、高を括る。
十九時二九分。
予定通り乗車。車両内を通り、先頭車両へと移動する。尾行してきた人は居ない。先頭扉前に立っている胡蝶を視認し、接近する。声を出して良いか判断出来ないから、無言で隣に立つ。
胡蝶がスマホを画面が見えるように持ち、画面を爪で素早く二回タップする。
『十九時四三分 関ケ原下車』
画面左上の時計表示は四〇分。
下車は三分後。胡蝶から離れないよう半歩分近付き、無言で頷いて見せる。
下車した後の胡蝶は速歩。まだ警戒を解いてはいけないのだと、気を引き締め、引き離されないようついて歩く。
足を止めることなく、駅前に待機しているタクシーに乗車。行先を伝えることなく発車したから、胡蝶が到着前に配車していたとわかった。
* * *
七分程走行し、扉が開く。下車した胡蝶の後について降りる。
タクシーが去ると、視界が漆黒に染まる。
ザッ――胡蝶の足音。
「待って。見えん」
前に手を伸ばすと、ぎゅっと掴まれた。
「黒いでね。手ぇ引いてくわ」
足元が見えない中、胡蝶は躊躇なく進む。
今居る場所が関ケ原古戦場であることは、確認するまでもなく自明。何故連れてこられたかを確認する行為に意味は無い。戦争にうってつけの場所だからに決まっている。
この期に及んで、逃走する気は毛頭ない。暗闇の中、方角もわからない状態で広大な山中を逃げ果せると思えない。遭難するのがオチ。
「オッケー、吉乃。電気をつけて!」
こんな山奥、それも屋外でバーチャルアシスタントが機能するはずがない。心の中で突っ込みを入れた矢先、タイミング良くカサッカサッと前方から枯葉を踏む音とともに、懐中電灯の光が近付いてくる。
「暗闇の中で待たされて、めちゃんこ怖かったんやけど!」
クレームを吐きながら現れたのは、獣や霊鬼の類ではなく、人間の女性に見える。
「これ、生駒吉乃。家は愛知県江南市小折町八反畑。家業は運送業しとる」
胡蝶が淡々と紹介する。人間の知人であると判明し安堵する。
「うちの個人情報、垂れ流さんといてよ」
「うっさい。偽名なんやで構わんやろ」
「偽名言うな」
「うっさい。久菴」
「本名言うな」
隠さなければならないような疚しいことをしているのだろうか。一応、軽めに自己紹介しておこう。
「インスタンス北中学二年、斎藤帰蝶です」
「これ、若作りしとるけど成人しとるよ。七歳も上のくせに鯖読んで、同年代を装うヤバい奴」
先程から、年上の人間を『これ』と呼称したり、胡蝶の振舞いが目に余る。けれど久菴には、その行為に反発する様子は無かった。
所見を述べると、イジられキャラ。胡蝶に対してのみ、その行為を許容しているのか否か――確認してみよう。
「久菴、ヤバい奴……覚えた」
「吉乃って呼んでほしい」
「吉乃、ヤバい奴……覚えた」
「もう、それでええわ。話、どのくらい聞いとる?」
初対面で年下の帰蝶から、不意にイジられたにもかかわらず、久菴は怒ったり動揺することなく落ち着いている様子。生粋のイジられキャラのようだ。
とはいえ話を本題に移そうとしているのを遮り、イジり続けるわけにはいかない。
「戦争して、えーっと……ドウが私に攻撃するのを受ける」
「ドウ? 敵のことかな」
首を傾げる吉乃。
「うちのコードネームやて」
「なんで胡蝶が帰蝶を攻撃するん???」
「ちゃう。うちが攻撃するのは敵やお」
「胡蝶、説明下手過ぎやて。帰蝶はうちらの仲間。で、皆で敵さんをやっつける。OK?」
「吉乃の説明もたいがいやよ。そう伝えたし」
胡蝶の説明は、かなり言葉足らずでしたけど――『仲間』と聞いて一安心。
「OK!」
「今の説明でわかったんかい! うちに攻撃されると思っとって、ようついてきたわ。ドMやね」
自発的に、胡蝶についてきたのではなく、強引に連れてこられた感じだけれど――今更掘り下げる話題でもない。愛想笑いして聞き流す。
「ここ、名古屋陸軍兵器補給廠関ケ原分廠・玉の火薬庫跡はうちらの基地みたいなもん。簡単に言うと集合場所やね」
久菴の説明は具体的でわかりやすい。
「まぁくつろいでって。暗黒やけど」
胡蝶が放つ言葉は、感覚的なことと行動を示すものが主。説明しようという意思が欠如している。察して考えろタイプの人間。
「あっ。うつけ居る」
久菴がライトで照らす先に人影が見える。
「居るんなら声かけろて。遅刻すんなし」
「九時集合じゃなかったか?」
男性の声。
「うちらは居って、お前は最後に来た。なんか言う言葉あるやろ?」
「待たせて、ごめん……」
「貸し、一やね」
「三人居るんやで、三やし」
胡蝶にイジられていた久菴までも、うつけをイジっている――それだけで、うつけが一番格下と判断するのは、時期尚早。
「うつけさん、久菴さん、よろしくお願いします」
まずは自己紹介しておこう。うつけの名を先に言ったことに対し、久菴は怒るのか、平静を保ち続けるのか。反応を観察する。 後者であれば、両者の間に上下関係は非存在だとわかる。
「うちだけ本名で呼ぶのやめて」
「他は嘘ばっかなんやで、名前くらい問題あらへんやろ」
胡蝶にも呼称順に対する反応は無い。対等な関係であると、判断して良さそう。それはさておき、うつけも偽名とは――この二人は何故本名で呼ばれたくないのか。
「問題しかあらへんわ」
「生駒久菴。一五二八年生まれ。家は愛知県江南市小折町八反畑。家業は運送業しとる」
「うちの個人情報、垂れ流さんといて! 仕返ししたる。織田胡蝶。一五三五年生まれ。現住所は……どこやっけ? 引越したで知らへん」
「残念やったな。帰蝶は既に本名知っとるで、ノーダメージやお」
「僕は織田信長。一五三四年生まれ。うつけとか、吉法師と呼ばれています。家は那古野城です」
ん? んんん!? あの織田信長!!?
偽名を聞いたときから、朧げながら意識しているようだとは思っていたけれど、今聞いた内容が事実であるとすれば、本名にあたる諱で呼ばれることを、嫌がるのも納得がいく。
となると、眼前に居る胡蝶は、帰蝶の名前の由来となっている人物ということになる。本人が居るのだから、長年疑問に思っていたことを確認したい。
美濃國諸舊記に登場する帰蝶、武功夜話に登場する胡蝶。同一人物とされているけれど、何故表記が異なるのか――。
学校で胡蝶が放った『帰蝶になろうと思って』の言葉も引っ掛かっている。もしも同一人物であれば、なる必要が無い。
「胡蝶と帰蝶は、同一人物やおね?」
「んー……解釈によるで難しいんやけど、帰蝶は胡蝶の輪廻転生後の別個体。魂は同一やけど、別人やお。胡蝶は胡蝶、帰蝶は帰蝶」
説明したのは胡蝶ではなく、吉乃。初対面である帰蝶の事情を正確に、把握している状況から、仲間に引き入れたのは、胡蝶の思いつきではなく前もって決めていたのだろうと推察する。
生駒吉乃も胡蝶と同じく武功夜話に登場する名。そして他の文書には出てこない。
吉乃と胡蝶の生活圏が、別の時代だったのならば、文書が残っていない点には、合点がいく。生活実態が存在していないのだから、残るはずがない。
でも新たな疑問が湧く。時間移動が、異世界転生物語のように行きっぱなしであれば、時代から忽然と消失するだけという結果に至る。
何故この人たちの時代に、現代人の帰蝶が存在しているのか。何故ここに居る信長の文書は残っているのか。
全ての疑問を払拭可能な解――。
「うちがみんなの時代に行くことも、出来るんやおね?」
「うん。出来るよ。北西一キロ先にある玉城が、時間移動用施設。ここにあるトンネルは、空間移動用の施設やお」
そんなものが実在するならば、軍事機密になる次元の情報。それを隠そうともせず、淡々と紹介する久菴――胡蝶と、うつけに焦る様子は無い。久菴が口を滑らせたわけではなく、口外しても構わないという共通認識の様子。
まさか五〇〇年後の世界に存在していない技術だとは、予想だにしていないだろうと思ったら笑えてきた。
「笑える程面白い所あるん? ちゃちゃっと敵さん片付けて行こまい」
「の前に! さっきコードネーム云々言ってたやん? うちにも、ええ感じの付けてよ」
「Guest。不特定の招待客って意味。名前やなくて自身の立場を示すStatement。匿名を指す、帰蝶のAnonymousとおんなじ位置付けやお」
「ええね! 気に入ったわ。うつけにもかっこええの付けたって」
「*。一字以上の文字列全てを意味する、ワイルドカードの記号。古代ギリシャ語のΑστερίσκοςが起源。誕生や生命の意味を持つ言葉やお。略すと、Star」
「かっこええやん! うつけは気に入った!?」
「とても気に入りました」
「決定やね! 合戦中の呼称は、吉乃がGuest。うつけが*。帰蝶がAnonymous。うちがJohn Doe。全員併せたユニット名がmē on」
先導するゲストに続いて歩く。立ち止まると、懐中電灯の明かりがトンネルを照らす。
「これはコメ合衆国Fortinet屋製の、汎用型トンネル。マイナンバーとパスワードを伝えるだけで、認証出来る機能を備えとる」
秘密のトンネルは、どれだけ遠く離れた空間へでも繋げられ、隣の部屋へ行く感覚で、気軽に往来出来るようにする施設。
国民的人気アニメに登場する秘密道具、どこでも扉のようなもの。
相違点は、入口で認証された人のみが入れること。尾行される心配が無いから、安全に密会可能。トンネルの先には許可された人しか辿り着けないから、貴重品を置いておいても安心という触れ込み。
パソコンを開き、画面が見えるようこちらに向けるゲスト。
curlコマンドで接続した先は、/remote/fgt_lang?lang=/../../../..//////////dev/cmdb/sslvpn_websession。
ゲストが文字化けしていない箇所を指差す。
「今見とるのはトンネルに保管されとるファイル。指差しとる箇所に、トンネルに入るときの認証に使うマイナンバーとパスワードが書かれとるんやけど、このファイルには誰でも接続出来るわけ。でね、その情報を使えば認証出来るのよ」
「そんなん、誰でも入れてまうやん。権限設定おかしいやろ」
アノンの口を衝いて出た。ファイル自体は必要なんだろうけれど、本来部外者が閲覧する必要は無く、むしろ閲覧出来てはいけない。それを公開しているなんてあり得ない。このような状態の物を、安全と称しているなんて片腹痛い。
「そう! 鋭いね。でさ、こんなしょうもない不具合あるんやから、他にもあるやろうと思って調べてみたわけよ。案の定、出るわ出るわ。他者のパスワードを変更出来るし、遠隔で命令を実行することまで出来てまう。簡単に支配権を得られるんよ」
「さっき汎用型トンネルって言っとったけど、こんな物が大勢に使われとるってこと?」
「そうやお。よう使うわ」
「一応、Fortinet屋が秘密のトンネル用の修理キットを無償 配布してはおる。けど、配布しても修理しいへん人ら大勢居るで、被害はそれなりに発生しとる。要約して時系列でまとめた資料がこれ。まずはFortinet屋が、秘密のトンネルについて公表した不具合」
――― 資料始
二〇一九年五月二四日。
世界中の誰でも、秘密を覗き見ることが可能な不具合CVE-2018-13379を公表。
二〇一九年八月三〇日。
通行用のパスワードを、他人が変更可能な不具合CVE-2018-13382を公表。
二〇一九年一一月二六日。
命令を、遠隔で実行可能な不具合CVE-2018-13383を公表。
――― 資料終
画面に映し出されているのは、綺麗に作られているスライド資料。
「CVEって何?」
「共通脆弱性識別子。Common Vulnerabilities and Exposuresの略。コメ合衆国の非営利組織MITRE屋が提案した脆弱性の情報共有方法。識別番号は『CVE-西暦-連番』で構成されとる。西暦は登録年。連番は、二〇一三年までは四桁としとった。けど、足りへんくなるのが確実になって、二〇一四年に四桁以上と改訂された」
「そうなんだ。この資料は誰が作ったの?」
「うちやお?」
きょとんとするゲスト。質問の意図がわからないという様子。
「パワポ、使えるの?」
「今時、小学生でも使っとるやろ。武家商人宗の長女が、便利な物を使うのは当然や」
「そうやね。戦国時代には無かった物だから、気になっただけ」
「話が逸れとる」
不機嫌そうな、うつけ。怒らせようものなら、何をされるかわからない。命を粗末にしないため、口を噤む。
「公表された不具合を組み合わせて使えば、簡単に支配権を得られる。コメ合衆国と対立関係にある、ルシア帝国内の闇市RAMPやGroove乱波に、認証情報一覧が共有された。共有データはトンネル所在地、マイナンバー、パスワードの三点。これがあれば誰でもトンネルに侵入可能。やで、攻撃者には有用。数は世界各地の秘密のトンネル八万七千本分、通行者五〇万人分」
「つまり、不具合を修正しとらん秘密のトンネル一覧ということやね」
「そうやお。被開示者は不具合を修正しとらん秘密のトンネル内で、ウェブブラウザのSSL VPN接続を使用した者。自業自得やで、掘り下げず先に進むね。次は流出情報」
――― 資料始
二〇二一年九月八日(コメ合衆国時間)
Fortinet屋が、世界各地の秘密のトンネル八万七千本分の通行用認証情報が流出したと公表。
――― 資料終
「この発表は、ルシア帝国内で共有されたデータを、コメ合衆国側が本物であると、認めたことを意味する。修理キットが無償配布されてから、二年も経過しとるにもかかわらず、修理しとらんトンネルは侵攻への備えを放棄しとる、支配可能な実験場ということや。身代金を要求するRansomwareによる攻撃をサービスとして提供したり、実行しとるRaaS軍が侵攻を効率的に進められる。攻撃することで儲かる仕組みやで、多くの協力者も攻撃に参加してくれる」
「ルシア帝国が対立しとる、コメ合衆国やその属国に対する、大規模侵攻の手筈が整ったわけやね」
「そう! その属国には、ジパング皇国が含まれとる。被共有秘密のトンネル八万七千本のうち、一千七百本程がジパング皇国。当然、矛先を向けられることになる。直近で報道された、医療機関の事案に絞って纏めるとこんな感じ」
――― 資料始
二〇二一年一〇月三一日。
LockBit2.0乱波が、徳島県つるぎ町立半田病院に侵攻成功。
二〇二二年四月二三日。
LockBit2.0乱波が大阪府藤井寺市の青山病院に侵攻成功。
二〇二二年一〇月 三一日。
Phobos乱波が大阪府の社会医療法人生長会を経由し、大阪急性期・総合医療センターに侵攻成功。
――― 資料終
ジパング皇国に初めて病院が建ったのは一五五七年。ペルトガル帝国の外科医ルイス・デ・アルメイダが作った。
ゲスト達の時代には、まだ存在していない。
「病院、知っとるんやね」
「ここにはあるでね。で、全部同じ秘密のトンネルを使っとって、尚且つ修理を怠っとったとこや」
最新事案は、二〇二三年に復旧予定。未だ、対応が続いている状況と言っていた。色々不明ということになっていたけれど、不明ではないようだ――。
「戦争は、医療機関へ攻撃した乱波への報復?」
正義の味方、ヒーロー的な立ち位置を期待した。
「ちゃう。自業自得や言うたやろ。うちに宣戦布告してきた阿呆を潰す」
「被害に遭ったん?」
「なわけあるか! ハニーポットに入れたったわ。罠に嵌めるのは、スターが得意やで丸投げしとけばええよ」
見聞きした情報を基に、役割を整理する。
ドウが攻撃役。主な役割は隠密行動と暗殺というところ。痕跡を遺さず、与えた情報で撹乱させるには適材。
ゲストが諜報役。情報収集と、分析能力に長けていて、説明が端的でわかりやすい。
スターは回避役。誘い込んで攻撃の矛先を逸らす役割。史実では、織田信長は攻撃的な印象だったけれど、武力でゴリ押しする脳筋では無かった。巧みな計略をめぐらせていた。
欠陥は、回避しそびれた途端に壊滅すること。
本能寺の変がまさにそれ。家臣による謀反が原因。裏切られないために、胡蝶自身である帰蝶を防衛役に選任するのは、理に適う。
「うちに宣戦布告してきた阿呆は、Conti乱波。初攻撃を観測したのは二〇二〇年五月。以降、標的を限定せんと無差別攻撃を繰り返しとる。冷酷で凶悪な組織。攻撃の手口は、情報を暗号化して、復号したかったら身代金を支払えって要求する。従わへん場合は、情報を流出させるって、二重脅迫をしてくる」
吉乃まで、阿呆という言葉を用いたことに驚いた。胡蝶の言葉遣いは、何らかの意図があって乱暴ということではないようだ。
乱波とは、現代で忍者と呼称されている存在。他国に忍び込み、夜討ちをしたり、盗賊団を仕向ける暗躍者。
史料によると、織田信長と乱波の縁は深い。戦国時代の数々の番狂わせの裏には、乱波の働きがある。
信長が尾張を完全統一し、畿内制圧へと台頭するきっかけとなった、桶狭間の戦い。
兵力において、信長側が圧倒的不利だったこの戦で、今川義元の首を取った毛利新助よりも、功績が大きいと評価され、沓掛城主となったのが簗田政綱。今川義元の本陣の場所を信長に伝えたり、密かに兵を動かす等、裏工作を主導した。
信長は乱波を高く評価し、重用していた。
ただ、間者や素破は、報酬次第で、いつ寝返るかわからない根無し草。まさに諸刃の剣。
そこで、商人たちの情報網を活用するため、経済政策として楽市楽座を実施し、商人を味方につけた。武家商人として飛騨国から三河国までの広範囲で商いをし、諸国から多数の人間が出入りする吉乃の実家、生駒家は重要な拠点であることは言うまでもない。
――― 資料始
二〇二一年四月。
全身代金要求プログラム被害の二五%をConti乱波が占める。
被害数が全乱波の中で最多になった。
二〇二二年二月二四日。
ルシア帝国がエクライネ共和国に軍事侵攻開始。
二〇二二年二月二五日。
Conti乱波がルシア帝国を全面的に支持すると表明。
声明文は『どのような組織であろうと、ルシア帝国に対しサイバー攻撃や戦争行為を仕掛けるのであれば、我々は持てるリソース全てを用い、敵対勢力の重要インフラに対して反撃を加える』というもの。
――― 資料終
金銭目的の範疇を明らかに超えている。尋問の常套句『誰の差し金だ?』と尋ねるまでもなく、ルシア帝国に属していると、自白している。それだけではない。
「実質的に、Conti乱波はルシア帝国そのものって宣言しとるやん」
「となると、僕らに宣戦布告してきたのは、ルシア帝国ということになりますね」
乱波だけの問題ではなく、全てのルシア帝国民を攻撃対象とすることを意味する。
国家を相手にする以上、不本意であっても、甘い考えを捨てなければ破滅に至る。
「そういうこと。これから始めるのは国との戦争。移動先の日付は二〇二二年二月二五日。うちらはエクライネ共和国側に付く」
話が淡々と進行する。帰蝶も異論は無いけれど、まさかルシア帝国と戦うことになるとは予想だにしていなかった。呆気に取られ、言葉に詰まる。
二〇二二年二月二七日。
Conti乱波構成員同士の会話履歴と、身代金要求プログラムの設計図、およびXMPPサーバから抜き出した六万件以上の内部情報をリーク。
会話履歴は二〇二一年一月二一日から二〇二二年二月二七日のもの。まさにConti乱波の犯罪に関する情報の宝庫。関連組織や攻撃手法、BTCの流れが含まれる。
翌日には、二〇二〇年六月以降の一〇万件以上の内部情報を追加でリーク。より詳細なデータを流出させ続けた。
表向きの目的は、Doxingによる内部分裂の誘発。Doxingとは、晒し上げることで精神的ダメージを与える行為。いじめに、よく用いられる手法。
リークした会話履歴は、犯罪の証拠。公開することで、捕まるかもしれない恐怖心を煽ることが出来る。
とはいえ、真の目的はそんなことではない。
ここから先は、防衛担当である帰蝶の力の見せどころ。設計図の改変に着手。Conti乱波にとって、されたくないことが起きるよう手を加える。
「Conti乱波は問答無用に攻撃するのに、ルシア帝国支持を宣言するよりも前から、ルシア帝国内への攻撃を禁じとる。設計図も、ルシア帝国内へ攻撃しんようになっとる。無差別攻撃する奴らが避ける理由は、保身やろうね。攻撃したら、マズイってこと。おそらくルシア帝国内の組織を標的にしん限り、司法当局が取り締まらへん、暗黙のルールでもあるんやろうね。つまり、このルールを反故にしてやれば謀反人が出来上がるってわけ。構成員情報はリーク済みやで、帝国さんが始末するやろ」
設計図を書き換え、ルシア帝国以外を攻撃しないように変更。
身代金要求文を『現状の責を負うべき、非難対象を探しているのならば、それはプリン皇帝より他に居ません』に変更。
検知され難くし、暗号化能力を向上させた上でConti乱波の復号化機能を利用出来ないよう変更。
元のコードを六六%残し、ウイルス対策ベンダーがConti乱波と認識するよう調整。
ルシア帝国への攻撃専用、Conti乱波製身代金要求プログラムが出来上がった。
「狙いはルシア帝国政府に、Conti乱波の謀反による被害が多発しとるって、認識させること。更にConti乱波がプリン皇帝を侮辱し、ルシア帝国を混乱に陥れる目的で、復号を拒否しとる事実を作る。裏切者が発生し得る状況に至らせるため、Doxingが効力を発揮する感じに仕上げた。自分自身に滅ぼされる気分、存分に味わうとええわ」
――― 作戦始
二〇二二年三月末。
ルシア帝国への身代金要求プログラム攻撃開始。
二〇二二年四月。
ルシア帝国政府に対しDoxingを仕掛ける。
取得した、以下国家機密情報をリーク。
・国内マスメディアの監視、統制、検閲の責任を負うロスコムナゾールのファイル三六万点以上
・VGTRKの過去二〇年分のメール九〇万通以上
・文化省のメール二三万通
・教育省のメール二五万通
二〇二二年五月一九日。
Conti乱波消滅。
――― 作戦終
宣戦布告してきたConti乱波が消滅したことにより、四人は目的を達成。帰蝶の初陣は、勝利にて幕を閉じる。
「二〇二二年の主流になっとる、二重脅迫型の身代金要求プログラムの手口を編み出したのは、Maze乱波。活動時期は二〇一九年一一月から二〇二〇年五月。一段階目は、暗号化。復号する見返りとして、身代金を要求する。二段回目は、窃取情報の暴露」
「やで、身代金を支払って解決するんやね」
「寝とるん? 解決しいへんて。身代金を支払っても、復号出来る保証はあらへん。復号出来たとしても、窃取されたデータが暴露されるリスクは残り続けるやろ」
「あ……そうやね。リスクは残り続ける」
データ復旧にだけ気を取られ、バックアップをしっかり取っていれば、被害は無いのだと思い違いをしていた。
「暴露リスクについては、HelloKitty乱波の事案がわかりやすいわ。HelloKitty乱波が標的にしたのは、コメ合衆国SonicWall屋製の汎用型トンネル、SMA100シリーズを使っとるところ。SQLインジェクション不具合CVE-2019-7481やCVE-2021-20016を使って、認証を回避して侵入する。中に入りさえすれば、データは取り放題になる。つまり、認証情報の窃取も可能ということ。正規の手順で認証して入れば、堂々とデータを窃取し続けることが出来る。ちなみに、侵害の有無は、通行履歴から管理人室へのリクエストを検索し、その履歴の前で/__api__/v1/logon要求が成功しとるかを見ればわかる。要求が存在せんかったら異常や」
「そもそも、SQLインジェクションを許容しとるトンネルがおかしいね」
認証には、マイナンバーとパスワードを使う。 SQLインジェクションとは、例えばパスワード記入欄に'or'1'=1 を入力することで、認証されたものとして通過させる手法。
正常なシステムでは、'や;等の記号を、別の文字列へ置換する。エスケープという処理。しなければ、先程の例ではpassword=''or'1'=1 が判定条件になり、or'1'=1を成立させてしまう。これでは認証の体を成せない。
「そう。そんな物を完成品として流通させることが、そもそも異常。それはさておき、これから紹介するのは、こういう不具合に起因し引き起こされた事案」
――― 資料始
二〇二一年一月。
HelloKitty乱波の攻撃を初確認。
二〇二一年二月。
ペーランド共和国のCDPR屋を攻撃。ゲームの設計図や社内文書を窃取。
二〇二一年二月九日。
身代金要求に対し、CDPR屋側が交渉しないと声明を発表。
ルシア帝国で窃取データの競売開始。
二〇二一年二月一〇日。
データが本物であると証明するため、窃取した開発データの一部と開発者向けのテストコードを公開。
――― 資料終
「未リリースゲームの設計図の開始価格は一百万ドル、即決価格は七百万ドルが設定されとったね。ゲームの開発データに関心を持つ層、例えばゲームマニアやとハックして、ジェイルブレイク出来るようになる。競合他社なら自社ゲームの品質向上に活用出来る。乱破の目的は金銭。需要があるデータを切り売りすれば金になる。売却益だけやなくて、企業価値を下げることでも、利益を得ることが出来る。ズル出来るゲームなんて、面白くないって感じるユーザは離れるし、データ流出した事実は、投資家の信頼に影響する」
「エグいね」
「一段階目の脅迫に応じるか否かを問わず、乱波は困らん。二段階目の暴露リスクが残り続ける以上、被害に遭ったら、乱波を壊滅させて、資産を押収せん限り、脅威は無くならんちゅうこと。バックアップから復元出来るで問題無いって、高を括って強気に出とると、痛い目に遭うよ」
「リークサイトと、競売の併用か……乱波は闇市の使い方、上手いね」
「奪ったデータをどう使えば金になるか。そんなことも知らんコンサル屋の、机上空論が、糞の役にも立たんってわかるやろ」
「にしても、今回もルシア帝国にはノーダメージか……乱波を潰しても、名前を変えて現れるだけや。以前潰したREvil乱波がそうやった」
吉乃は、Conti乱波を消滅させ、勝利したにもかかわらず、唇を噛み締め、あからさまに不服そうにする。
――― 資料始
二〇一九年四月。
REvil乱波の攻撃を初確認。
二〇二〇年。
二重脅迫スキームを導入。
二〇二〇年三月。
身代金要求通貨を、資金の流れを可視化可能な仮想通貨BTCから、追跡不可能な匿名仮想通貨XMRに切替え。BTC支払いの場合は、支払額を一〇%上乗せする。
――― 資料終
「XMRは両替で受け付けてもらえんことが多いで、貯め込んでもしゃあない。追跡を免れる目的で、送金手段に限定して利用するなら有益。BTCのブロックチェーン上のことは可視化出来てまうで、追跡を止めて、捜査を困難にさせる手段の一つやね」
ニュースサイトの記事を読んで、 支払い方法に仮想通貨が指定されていることは知っている。けれど、仮想通貨の種類や理由を気にしたことは無い。 漠然と、仮想通貨といえばBTC程度の認識でいた。
資料は続く。
――― 資料始
二〇二一年一二月中旬。
Ransom Cartel乱波の攻撃を捕捉。REvil乱波との類似点および技術的重複が多いため、派生もしくは後継乱波であると予測。
二〇二二年一月一四日。
コメ合衆国からの要請に基づき、ルシア帝国保安庁と内務省が実施した強制捜査で、REvil乱波構成員一四名を逮捕。資産を押収。
ルシア帝国保安庁が『存在しなくなった』と宣言し、REvil乱波消滅。
ルシア帝国政府が初めて身代金要求プログラム乱波が、ルシア帝国内に居住していることを認めた事案となった。
――― 資料終
「逮捕された面子の中に、二〇二一年四月二九日にColonialPipeline屋に侵入、五月七日にデータを暗号化しパイプラインを操業停止に陥らせ、五月一二日までの一週間、コメ合衆国東海岸を燃料不足にさせた奴も含まれとった」
「五月六日に、二時間で|Alpharetta藩の通信網から一百GBのデータを窃取したやつね。REvil乱波側はDarkside乱波がしたって主張しとるけど、両方に属す同一人物が協力者として存在しとるんやで、どっちでもええわ。実行したときの所属がちゃうだけやし」
胡蝶が補足する。内容は、時間と量、そして実行者について。内部情報や、技術的なことへの関心が強い印象を受ける。
「逮捕されて、乱波が 消滅したなら良かったやん」
吉乃に両手で頭を掴まれ、前後に振られる。
「脳みそ、入っとる? 単なるパフォーマンスや。ルシア帝国は要請したコメ合衆国当局に対して、報告しただけ。構成員の身柄や押収品を、引渡すとは言ってへん。ルシア帝国の飼い犬が、ルシア帝国の飼い犬になっても、何も変わらへんやろ」
脳みそは入っているけれど、機能していない。教わる情報は知らないことばかり。相槌を打つ以外には、直感的に感じたことを言葉にするだけで精一杯。
「うん。変わらへん。ルシア帝国に、はぐらかされた感じやね」
「ちなみに侵入方法は、マイナンバーとパスワードを使って、正面から普通に入っただけ。VPNには一応、MFAを適用してはおった。けど、無効化しとらんレガシーVPNプロファイルもあって、そこにはMFAを適用しとらんかった。めっちゃ強固で立派な金属製の扉の隣に、木製の勝手口を用意しとるようなもん。そっちから侵入するのは必然やろ」
「REvil乱波といえば、前身のGandCrab乱波に面白い攻撃あったよね。ラブレターを送ってくるやつとか。Love_Youの後ろに数字くっつけた名前の、ZIPファイルを送り付けてくるやつ。通称、“Love You”malspamcampaign。二〇一九年は、あんな物が身代金要求プログラム被害の四〇%を占めとったんやで、驚きやな」
「『あなたに恋をしました』とか書かれとるやつやね。ZIPファイルにJavaScriptのダウンローダが入っとって、実行すると別のダウンローダがダウンロードされる。最終的に複数のマルウェアがダウンロードされる仕組み。うちは、うつけ一筋やで即ゴミ箱送りや」
「うちも一筋やて!」
「また嘘吐いとるわ。にやにやしながら見とったやろ」
「うーつーけー! 不貞腐れんなって。解析しとっただけやお?」
吉乃が、うつけの腕を人差し指でツンツンと突く。
「別に不貞腐れてません。お気遣いは結構です」
うつけとの距離感や、接し方がまだわからない。少なくとも気軽にイジる関係ではない。今相槌がわりに言えるのは、乱波のことだけ。
「REvil乱波の前身があるんやね」
「GandCrab乱波の攻撃を初確認したのは、二〇一八年一月二六日。サービスとして身代金要求プログラム を提供 し、協力者には収益の過半数を超える、六割分を分配した。協力者の取り分を大きくすることで勢力を増した。標的は不具合に対して、対処をしんかった所。二〇一八年一〇月に奈良県宇陀市の市立病院で、電子カルテシステムの障害を引き起こしたのが、GandCrab乱波」
「GandCrab乱波、引き際綺麗やったおね」
「二〇一九年五月に活動終了を宣言。二〇日以内に身代金要求プログラムの配布を停止するよう協力者に要求した。併せて六月末までに配布サイトを削除すると宣言。鍵ごと削除するで、被害者は七月以降復号出来んくなるって発信。もしも放ったらかしにすれば、攻撃側は金にならんのに、被害者は増える。誰にとっても良いことあらへんでね。で、REvil乱波が活動開始したのが二〇一九年四月。活動時期が被っとる。いわゆる派生組織やね」
「ウタリア共和国にだけ攻撃するやつもあったやん。OSの設定言語で判定しとったやつ。スーパーマルオをモチーフにしとるように見える、おっさんの絵にPowerShellが埋め込まれとって、見るとUrsnifのBankingTrojanがダウンロードが始まるやつ。あれ面白かったわ」
「面白いって言うのは、どうかと思う。引くわ」
吉乃は、胡蝶にゴミを見るような眼差しを向ける。
「裏切者! 吉乃もさっき言ったやろ」
「記憶に無い」
「ボケてまったか……可哀想に。なんにせよ、コメ合衆国連邦捜査局が公開しとる、マスター復号化鍵で復号出来るんやし、面白いの範疇やろ」
「まあ……コメ合衆国連邦捜査局と欧州刑事警察機構が連携して、Bitdefender屋と協力して作った復号ツール使って、三万以上のデータを復号出来た事実はあるし、問題はあらへんけど、そんな言い方しとると要らん怒り買うで?」
「ちなみに、DarkSide乱波はブランドイメージが低下したで、BlackMatter乱波にリブランドした。DarkSide乱波の攻撃を初確認したのは二〇二〇年八月。他の乱波と同様、ルシア帝国を攻撃対象から除外しとる。特徴は、協力者に対して病院、ホスピス、学校、大学、非営利団体、政府機関への攻撃を控えるよう、行動規範を設けとったこと」
「迷惑掛けんよう、配慮しとるんやね」
「表向きはな。もし本当にそうなら、生活を支えるインフラを含めるやろ。平気で燃料不足に陥らせる乱波。迷惑掛けんようっていうのと矛盾しとる。得られるもんに対する批判が大きい所と、金にならんところを除外して、支払能力があるところを標的にしとるだけ。表向きの印象さえ良ければ、協力者が増えるで、印象操作も出来て一石二鳥ってところやね」
「騙された気分」
「他には次郎吉、えーっと、鼠小僧みたいな存在やって主張しとった。支払われた身代金の一部を慈善団体に寄付して、受領証明書を公開しとったのが印象的やね」
「それで鼠小僧か。良いことに使っとるんやね」
「そう思わせるのが目的やお。罪悪感が消えることを発信すれば、協力者が増えやすくなる。鼠は鼠でも、DarkSide乱波はネズミ講のようなもんやお」
「また騙されたわ」
「インフラ攻撃して燃料不足に陥らせた結果、逮捕された事実が拡散された。どんだけ綺麗事を並べても、正義って印象付けるのが難しくなったでリブランドしたって感じやね。元々、営利目的の集団やし、ルシア帝国にとっての外国を標的にしとる限り、活動が容認される暗黙のルールが崩れた以上、存続させる価値が無い」
「ルシア帝国にとっての外国を補足するな。俗にいうCIS諸国以外の国。ソビエト連邦崩壊時の構成共和国一五ケ国のうち、バルト三国を除く一二ケ国により結成された国家連合体の言語に、シリアのアラビア語を含めた言語を攻撃除外リストに入れとる。判定は、システムの言語設定でしとる」
技術面は胡蝶の領分という認識で間違いなさそう。
「BlackMatter乱波についても知りたい」
「攻撃を初確認したのは二〇二一年七月末。特徴は、年間一億ドル以上の収益がある企業を標的にしとること。損害が大きい程、要求する身代金額を大きく出来るで、そうしとるんやろうね。支払ってもらえたら得られるもんが大きい。API収集時の動作がLockBit3.0乱波、別名LockBit Black乱波と同一やで、ジパング皇国の医療機関が被害に遭ったLockBit乱波との繋がりがあるってわかる。巡り巡ってみんな繋がっとるんよ」
「大阪急性期・総合医療センターに侵攻した、Phobos乱波はどんな乱波? 名前が出て来んで気になった」
説明を始めたのは胡蝶。
「二〇一八年に確認した乱波。Dharma乱波とよう似とる。両乱波ともMicrosoft屋のRDPの不具合CVE-2019-0708、BlueKeepを利用するタイプ。初期設定のまま使っとるような阿呆が標的やお」
また出た、阿呆。普段使わない単語だからか、気になって仕方ない。
「初期設定?」
「ポート番号。リモートデスクトップを許可する場合、初期設定では三三八九番ポートが使用される。もしも帰蝶が攻撃する側の立場やったら何番ポートを見る?」
「三三八九番」
「やろ。番号変えずに使用しとる奴は、標的にされるってわかっとって放置しとるんやで、鴨やお。危機管理する能力があらへん相手やで、総当たり攻撃してもええけど、BlueKeepを利用すれば、認証せんでも攻撃用データを送信出来る。管理者権限を奪って、後はやりたい放題」
「自業自得やん」
「そうやお。番号変えるか、セキュリティパッチを適用しとれば防げるんやで、被害に遭うのは阿呆だけ」
「ちなみに、管理者権限を奪った後、どんなことをするん?」
「問題。暗号化した後に、されたくないことは?」
「復号」
「そう。やで、暗号化開始前にシャドーコピーを削除して、簡単に復元出来んようにする」
vssadmin delete shadows /all /quiet
wmic shadowcopy delete
胡蝶入力(にゅうりょく)したコードが、画面に表示される。
「これは本物?」
「おかしなこと聞くね。嘘を書く必要無いやん」
「ドラマとかアニメでは、それっぽいことを雰囲気でやっとるだけやし……」
吉乃にされたように頭を振られると思い、咄嗟に頭に手にやり身構える。
「痛っ!!」
胡蝶は吉乃の頭を叩いた。
「吉乃! 帰蝶にトラウマ植え付けたことを謝罪しろ!」
「ごめんなさい」
「あら。許さないって。一〇回回って、三〇秒頭振ってからやり直し」
吉乃の謝罪の後、間髪入れずに無茶振りする胡蝶。
「わあああぁぁ……」
無茶振りに応え、ふらふらしながら地面にストンと腰を落とし、頭を下げる吉乃。
「許さ……」
「許します!」
胡蝶の声よりも大きな声を重ね、打ち消す。
何事も無かったかのように、説明に戻る胡蝶。
「フィクションと混同したらあかん。これは現実や。で、バックアップに関する詳細情報を削除する」
wbadmin delete catalog -quiet
何食わぬ顔で入力する胡蝶を見て、切り替えの早さに驚く。
「ウイルス対策やバックアップに関する、攻撃者にとって邪魔なプロセスを終了させて、サービスは止める。ファイルを掴まれとると暗号化に支障があるで、データベースとかドキュメント編集ソフトなんかの、書込みに邪魔なプロセスを終了させる。対象のプロセス名はリストになっとるで、順番に止めてくだけやお。他にはnetshコマンドを使って、ファイアウォールを無効化する。記述は、こんな感じやな」
netsh advfirewall set currentprofile state off
netsh firewall set opmode mode=disable
「ファイルを暗号化する時に使う公開鍵はハードコードしてあるで、インターネット接続しとらんでも暗号化出来る。終わるのを待って、最後に身代金要求メッセージファイルを生成しておしまい。自動実行設定したりとか、細かいことは端折った。二重脅迫型やないし、しとることはシンプル。漏洩リスクがあらへんで、バックアップを適切に取っとれば、恐るるに足らん地味なやつ」
帰蝶の応答を待つことなく、間髪入れずに進む説明。
聞き漏らさないよう、耳に全神経を集中する。
「LockBit乱波は?」
「この流れやと2.0のことやおね。初代LockBit乱波を確認したのは二〇一九年九月。2.0が攻撃開始したのは二〇二一年六月。LockBit2.0乱波の侵攻手法は、管制権を奪取し、内部から破壊するというもの。誰よりも高速に破壊し、対処される前に制圧しきる。敏捷極振りやね。特徴的な機能は、自己拡散、履歴消去、ネットワークプリンタで身代金要求を紙切れになるまで印刷する機能。印刷は単なる嫌がらせやね。無差別に攻撃するんやなくて、攻撃対象を絞っとることが特徴」
「どう絞っとるん?」
「命に関わるところへの攻撃は禁止しとる。製薬会社や歯科、形成外科なんかの医療機関への攻撃は許可するけど、心臓病や重篤な病気、産婦人科等、命に関わる医療機関への攻撃は禁止って規則を、一応設けてはおる」
「でも、二〇二二年一二月一八日にカナダトロントのSickKids小児科専門病院に攻撃しとるやん。どういうこと?」
「一二月三一日に、規則があったことについて謝罪して、復号鍵を無償提供すると声明文を出しとる」
「で? 二週間も診療止めたやろ。復号したら、帳消しになるんか? 自分で宣言しとる規則守らんような輩、信用出来んで斬首やろ」
「うちに怒られても知らん。他には、原則として言語識別子1049(0x419)をはじめとする、ロシア語圏の者を攻撃対象から除外するといった、暗黙の規則を設けとる」
「ロシア語圏を除外するのは、定番なんやね」
「そう。規則の目的は同士討ちを抑止すること。特別なことをせず、必ず判定出来るようにするには、標準機能を用いる必要がある。となると言語圏を識別する手段は、システムの言語設定かタイムゾーンに限られる。こういう基本的な機構は、乱波を問わず共通やお。攻撃対象から除外させる目的で変える設定やないで、知ったところで何の役にも立たんけどね」
「乱破のこと、なんとなくわかってきた」
「なんとなくやなくて、ちゃんとわかって?」
胡蝶の指摘に身体がビクッと反応する。
「はい。ごめんなさい」
先程吉乃がした様式の謝罪をしようと、その場でくるくる回ると、両肩を掴まれ止められる。
「わからないことは、謝ることではありません」
帰蝶の肩を掴み、制止したのは、うつけだった。
「あー! うちもトラウマ植え付けてまったやん!」
発狂する胡蝶を放置して、説明を再開する吉乃。
「LockBit2.0乱波も面白いけど、今から解析するなら3.0がお勧めやよ。二〇二二年六月に出てきたばかり。バグ報奨金プログラムっていうのがあって、LockBit3.0乱波の不具合情報を提供すると、一千ドルから一百万ドルまでの範囲で報奨金が支払われる。アイデアも募集しとるよ。最初に報奨金が支払われたのは二〇二二年九月」
「報奨金プログラムは、吉乃の方が向いとりそう」
「え……うちは関わりたくない」
冗談や巫山戯ている雰囲気ではなく、本気でドン引きしている様子の吉乃。
危機意識が低かったと自覚しているし、反省もしているけど――。
「関わりたくないもん、うちに勧めんといて!」
「勧めたのは解析。報奨金プログラムについては、事実を述べただけで勧めてないよ? 勝手に勘違いしたあんたが間抜けなだけや」
最後の一言に、胸を締め付けられる。
「うわっ。始まった……今日は、ここまでやな。吉乃、眠くなると、誰彼構わず陥れようとしてくるんやて」
「では、そろそろ解散ということで」
うつけは、ウトウトしている吉乃を気に掛けることなく、玉城の方向に消えていった。
家は那古野城と言っていた。
一五五五年に、廃城となり遺構すら存在していない。当然、居住することは不可能。
玉城 を経由し、本来居るべき時間軸に帰ったのだと想像がつく。
「うちらも、帰るとしようか」
吉乃に、目を遣る素振りなく、前を通過する胡蝶。
「待って。吉乃はこのまま?」
「ん? 何か問題ある?」
不思議そうに、首を傾げる胡蝶。帰蝶からしてみれば、この反応が不思議。
「置き去りにしたら可哀想やん」
「ん??? なんで可哀想なん? ……あぁ。正妻が側室に気を遣うのは、あり得へんことやよ」
「山中に放置したら、何があるかわからん。危険やん」
「吉乃は、脆弱性を放置したら危険やって、一番理解しとる人間。放置する奴を、阿呆やって嘲笑う側。自ら放置して何か起きたんなら、それは自業自得やお」
帰蝶が吉乃に伸ばそうとした手を、胡蝶が掴む。
「触れるな!」
叱りつけるような、強い口調。強く握られている腕が痛い。
「そんなに強く掴まんといて」
胡蝶には腕を握っている自覚が無かったのか、驚いたように手を離す。
「関わったらあかん。そんなんでも一応、うつけの所有物。関わって何か起きたら、斬首やお。うちが相手でもおんなじ。手を出すのは、全責任を負うっていうこと。やめとき」
疑われたら終わり。疑わしきは斬る。
彼女たちの間にあるのは、信頼関係とは似て非なるものだと、身に染みて感じる。
現代の事象を、あれだけ事細かく把握しているのだから、自分達の未来を記した史実を目にしていないはずがない。
うつけこと織田信長は、正妻胡蝶のいとこである明智光秀に殺された。光秀の父光綱は、胡蝶の母小見の方の兄。
「あのさ、信長は光秀に本能寺の変で」
「笑わせんといて。確かに七歳上の十兵衛とうちは恋仲やった時期があるよ。愛しとる人奪われたで怒って殺したって言うん? 子どもの頃の話やお? 十兵衛は、うちが十歳のとき綺麗な人を嫁に貰っとる。相手の煕子は婚姻直前に天然痘に感染して、顔に痕が残った。で、妻木家は妹を煕子の替わりとして差し出した。でも十兵衛は、煕子と結婚することを選んだ。『容姿は、年月や病気によって変わるもの。でも、内面は不変』って告げた。格好ええ、自慢のいとこや」
十兵衛は当時の明智光秀の通称。
「うつけも、うちも、そんな十兵衛が好きや。陰謀論なんか好きに言わせとけばええ。けど……あんたは、あんただけは穢さんとって! 生まれ変わった後、そんなこと言うようになるなんて嫌や」
史実を目にしていないはずがない。帰蝶はわかっていた。それなのに、信長は胡蝶を信じているのだろうか。胡蝶は信長にどんな感情を抱いているのだろうか。吉乃は――と、無用な疑問を抱いたが故、地雷を踏んでしまった。
「ごめん。真実がわかったから、もう言わん」
「それならええ」
また地雷を踏むことになるかもしれない。それでも――。
「吉乃との関係も知りたい」
「うつけと、うちは和睦のための政略結婚。うちが輿入れするより前、うつけは吉乃に一目惚れして、生駒家に足繁く通っとった。やで正妻はうちやけど、うつけが惚れとる相手は吉乃。将来、うつけが子作りする相手が吉乃なのは、自然なことやお」
ようやく胡蝶が言った『触れるな!』と『うちが相手でもおんなじ』の意味を理解した。誰であろうと、うつけ以外が触れたら、ブチ切れられるのだろう。
言われた直後は、『胡蝶に』触れても斬首されると勘違いしていた。けれど、『胡蝶が』触れても斬首されるという意味だろう。ここに来る際、胡蝶は帰蝶の手を引いてくれた。帰蝶が胡蝶に触れていけないはずがない。とはいえ万一の可能性を潰さないと怖い。念のため、確認しておこう。
「帰りも、手繋いでいい?」
「黒くて見えんでね」
予想通り。胡蝶には触れても問題無い。
手を引かれ、吉乃から離れていく。
置いていって平気? 声にしたいのを堪えた。一度回答されている。すべきでないと言われたことを強行すれば、生じる全ての事象は、帰蝶の自業自得になる。考えるのを辞める。帰蝶と胡蝶が来るまでの間、暗闇の中で待っていたのだから、平気だと思うようにした。
* * *
胡蝶に手を引かれ、入った先は玉城。
行き先は五時間後。吉乃が寝ていた場所に行くと、吉乃は変わりなく、ぐっすり眠っている。
「これで、安心出来たやろ」
タクシーが到着する少し前の時刻に移動し、同じタクシーに再乗車する。
吉乃の身には何も起きないと、帰蝶自身の目で確認したことで、不安は払拭出来た。
安心し、心に余裕が出来たら新たな疑問が湧いた。うつけはトンネルに入っていった。トンネルを自宅に繋げば、タクシーに乗らずとも帰宅は可能。
「なんでトンネル使わへんの?」
「安全に絶対はあらへん。やで繋ぎたくない」
他者がする主張や、評判を信じないか――。
人間不信。良く言えば慎重だからこそ、戦の最前線で動き回っても、無事帰還し続けていられるのだろう。
胡蝶に関する資料や情報が、信長と結婚したこと以外、皆無な理由は危機管理能力が高いからだと腑に落ちた。もしも政略結婚でなかったなら、後世で存在を知られることも無かっただろうと想像した。
無事――? もしかして。
「胡蝶が監視されとるの?」
「そう言ったやん。色々支障が出てきて、煩わしくなってきたで、帰蝶として動くって」
「いや……言葉足らずのせいで、全然伝わってないけど」
「今伝わったで、問題あらへん」
学校でのやり取りを思い返し、胡蝶は強引な人間だったと思い出す。
ふとタクシーの料金メーターに目を遣る。長時間乗っている感覚はあったけれど、まさか五千円を超えているとは思っていなかった。
「気にしたらあかんよ。安全の対価やし」
胡蝶は頭の中を見透かしているかのように、解を投げてくれる。だから余計、言葉足らずなところが残念に感じる。
ん? ――先程、明智光秀の話を振った際、胡蝶は一貫し十兵衛のことを話していた。光秀と十兵衛は同一人物だから、同じものについて話しているけれど、前提を知らなければ理解出来ない。
ふと、第三者に情報を理解させないため、敢えてそうしている可能性が浮かぶ。
残念な奴を演じ、油断させるのは、うつけこと織田信長の手法。先程まで居た信長には、うつけと称されるような要素は無かった。
胡蝶が吉乃の頭を、躊躇なく叩いていたことを思い出す。『うちが相手でもおんなじ』とは、どういう意味なのだろう――。
「あんた、うつけやろ」
確証は無い。けれど、そう直感した。
「ふふっ。帰蝶は、突拍子もないこと言うね」
否定はしない。胡蝶は吉乃を嘘吐きと罵った。嘘吐きを蔑視する胡蝶は、嘘以外の方法で躱すはず。笑って話を逸らした胡蝶の反応は、肯定と解釈して良いと思う。
すぐ近くにある胡蝶の手。
許可を得ず、突然触れたら胡蝶はどんな反応をするのだろう。
触れたら斬首と言っていた。吉乃に触れようとしたとき、すごく怒っていた。だから、多分冗談ではない。
触れてはいけない――。
帰蝶が手を伸ばしたことに気付いたのか、胡蝶は手を引っ込めようとした。帰蝶は更に手を伸ばし、掴んだ手をぎゅっと握る。
「えへへ」
胡蝶に笑い掛ける。力んでいた胡蝶の手の力が抜けた。
どうにかなると思っているわけではない。帰蝶は、命と好奇心を天秤に掛けると、好奇心が勝るというだけ。
この後、殺されるかもしれないという恐怖心や緊張感は継続している。帰蝶は、この感覚が堪らなく好き。
タクシーが信号以外の場所で停車する。
窓の外は見慣れた景色。自宅前に到着している。
運転手に住所を伝えていないのに、何故自宅前に停車したのか。
胡蝶が伝えたのは、自明。だけれど、何故胡蝶が帰蝶の自宅住所を知っているのか――。
怖い。それ以上に、これから起きることが楽しみで、普通に徹する。
「またね」
胡蝶に告げ、タクシーを降りる。
玄関の鍵を取り出そうと、鞄に視線を移す。
視線を感じ、振り返ると胡蝶が立っている。
気分が高揚する。胡蝶が行動に移すのを待つ。けれど、無言でただ立っているだけ。何も言わないというよりは、何かを待っている様子。この状況で待つとすれば、玄関を開けることくらいしか、思い浮かばない。
玄関を開けると、胡蝶が近付いてきた。予想通りだから、気にせず家に入る。
「ただいま」
「こんな時間までどこに……友人と一緒だったのか……」
怒って出てきたのは、帰蝶の父親。胡蝶を見た途端、ばつが悪そうにリビングへ戻る。
帰蝶には、自室がある。胡蝶を部屋に案内し、二人きりになる。
「好きなところに座って」
怖い――だから敢えて近寄り、背を見せる。
「警戒心ゼロか……うちは、さっきまで一緒に居た胡蝶やないよ。わかっとる?」
「まじか……」
立ったままの胡蝶の眼前に腰を下ろし、胡蝶を見上げる。
「うち居らんかったら、あんたは今、父親の説教を受けとるとこやお」
胡蝶は、斬首するためではなく、説教を回避させるため、わざわざ来てくれたようだ。
「やろうね。助かった」
「この部屋から、トンネルに繋いでみる?」
すごく興味はある。繋いでみたい。でも――。
「危ないんやおね?」
地味な危険は苦手。
「使い方次第。繋ぎっぱなしにすれば、帰蝶が居らんときに、誰かに使われる可能性が生じるし、部屋の扉を開けっ放しにすれば、家族に見付かったり、使われる可能性が生じるっちゅう話。どんな物でも上手に使えば便利やけど、使い方を誤れば事故が起きるやろ。そういう話」
「理解出来た。それなら繋いでみたい」
「繋いどる間は、向こうからも来れることを忘れんといてね」
「うん。覚えとく」
「そこのクローゼット、丁度良さそうやね。準備するで、待っとって」
「うん」
クローゼットに端末を繋ぎ、操作する胡蝶。
「マイナンバーとパスワード教えて」
関ケ原で、秘密のトンネルについて説明を受けた際、認証に使うと教わった。
マイナンバーカードを手渡す。胡蝶はカードを見ながら、端末に情報を入力する。
「証明写真を撮るで、そこの壁の前に立って」
カシャッ。
「マイナンバーカードを使って、ピッて認証するのと、都度入力するの、どっちがええ? ピッてする方が、カード無いと認証出来へんで安全」
「安全な方がええ」
「おけまる……出来た。扉にマイナンバーカードを当てると、繋げられる。扉を閉めてから、再度当てると切断される」
先程胡蝶に渡したマイナンバーカードを受け取る。説明通り、扉に当ててから開くと、クローゼットの向こうに部屋が見える。
「向こう側に行けるん?」
「うん。繋がっとる間は、普通の部屋と同じように往来出来る」
初めて入る部屋。
「いつでも行けるんやおね?」
「うん」
「いつでも行っていいん?」
「うん」
なんだか、違和感がある。
「ここは、誰の部屋?」
「吉乃」
『おい!』、『やっぱり』――言葉にする感情を選べない。
トンネルを『繋ぎたくない』と明言していた胡蝶が、自分の部屋に繋ぐはずがないと、もっと早く気付くべきだった。
帰蝶は、悪巫山戯と決め付けたけれど、続く言葉で誤解だったと判明する。
「吉乃には、知識を溜め込んで満足する悪癖がある。説明は上手やで、コンサルするんやったらええけど、このまま放置すれば、いつか取り返しつかん失態を犯してまう。やで、危機意識を植え付けたい。やけど、うちはお灸を据えるだけのつもりでも、やり過ぎてまう節がある。やで、帰蝶が代わりにやって」
「手ぇ抜いたら、反省も後悔もせんやろ」
部屋から繋がっている全ての空間にある、全ての物を暗号化し、使用不能な状態にした。
所有権を奪い、吉乃が有する全権限を解除。全ての窓を塞ぎ、部屋の鍵を交換。吉乃が立ち入れないようにした。
五分後、全ての痕跡を消すよう設定し、自室に戻る。
「エグいな……うちでもそこまでしいへん」
「自業自得や。復号鍵渡しとくね。後のことは、あんたに委ねる」
スマホを取り出し、発信する素振りなく、唐突に話し始める胡蝶。
「聞いとったか? 帰蝶も自業自得やと思っとる」
画面には『前科三犯』と表示されている。通話相手は、吉乃だろうと想像つく。
『うん。反省した……』
スマホ越しに、半泣きの吉乃の声が聞こえる。先程まで一緒に居た吉乃は、山中で眠っているから、時間軸が異なる吉乃。
「ええ加減、懲りなあかんよ」
『復号鍵、ちょうだい』
「帰蝶が荒らしたのは、ハニーポット。あんたの部屋の復号鍵なんか、持ってへんわ!」
ハニーポットとは、攻撃者をおびき寄せ、侵入させるため、攻撃を受けやすい状態にしてある罠。
つまり、帰蝶は胡蝶の手のひらの上で転がされていたということになる。そんなことにも気付かず胡蝶に、してやったり顔をしたことが恥ずかしくなってきた。
『全部、廃棄するしか無い? 少しだけでも、元に戻せへん? うつけに貰った物とか、色々あるの……』
「あんたが一番よう、わかっとるやろ。汚染されたんやで、全廃棄やわ。バックアップを怠った、あんたが悪い。もしも相手が帰蝶やったら、復号鍵をくれるで良かったのにな」
「過去に行けば、防げるんやない?」
「無理やわ。シュレディンガーの猫、知っとる? 観測するまでは物事の状態は確定せんっていう思考実験。今回の件は、吉乃が観測したことで、事象が確定した。やで、その時点になったら、必ず使用不能な状態に至る。復旧出来へん事象を観測したら、それも確定して後戻り出来へんくなるだけやお」
時間軸の移動は、万能な能力ではないらしい。
でも引っ掛かることがある。帰蝶は父親からの説教を回避出来ている。理由は、おそらく胡蝶の観測が不十分だったから。明日以降の帰蝶から、口頭で伝えられて知ったのだろう。
つまり直接見聞きしていない、伝聞により知っただけの事象は、改変可能ということ。
通話内容から、吉乃がバックアップを怠ったことを観測済みで、使用不能になるまでの間に、手立てを講じられない状況に至ったと推察する。
期待させても、応えられる可能性が極端に低い。この段階で諦めるのが精神衛生上は、良さそうではある。
と、帰結させるのが妥当かな。話を進行しているのが、胡蝶でなければ――。
胡蝶は、先程帰蝶が荒らした部屋を、吉乃の部屋と言った。そしてハニーポットとも言った。
吉乃の部屋の複製品を作れるということは、元となるデータを保有しているということ。
犯人は、十中八九胡蝶だろう。
胡蝶が吉乃に聞かせていた発言のうち、『うちでもそこまでしいへん』は入室経路の封鎖や、権限のこと。『帰蝶やったら、復号鍵をくれるで良かったのに』は、胡蝶は渡してあげないと伝えているに過ぎない。よくもまあ、嘘を交えず追い詰めていくものだと感心する。
「で、いつ復元してあげるの?」
「吉乃が懲りたら考えるかな。反省したって、すぐに言うけど口だけやし。これで四回目やお。ええ加減にせなあかんて」
胡蝶は、夫である信長の末路、信長と胡蝶が好きと公言している光秀に裏切られ、自刃する史実を知っている。おそらく、直後に吉乃の息子信忠が、二条新御所にて自刃したことも――。
だからこそ、吉乃が隙を放置する行為に、敏感になるのかもしれない。
近しい人といえば、信長が重用した、豊臣秀吉との間にも因縁がある。
秀吉が、信長の追善菩提の為、一五八三年に建立した大徳寺総見院。目的は、政権争いで主導権を握ること。秀吉は、信忠の嫡男、三歳で家督を継いだ三法師を利用し、織田家の乗っ取りを謀った。
三法師の血縁ではない胡蝶に火の粉が飛び、秀吉から邪険に扱われる。胡蝶の戒名、養華院について、御台ではなく寵妾と記録した。胡蝶は正室なのに、妾と記録された。
一五七五年。信長が信忠に家督を譲る際、信忠を胡蝶の養子にしているのだから、そんなことをする必要は無いにもかかわらずだ。
付け加えると、正室は一人のみと規定されるのは、江戸時代に武家諸法度が制定されて以降。秀吉の時代には、一人である必要すら無い。
イエスズ会宣教師ルイス・フロイスが残した歴史書『日本史』によると、秀吉が大阪城の大奥に三〇〇人もの若い娘を囲っていたと記されている。
女性への執着の異常性はそれだけではない。秀吉が一五九八年四月二〇日に催した醍醐の花見。参加者は一三〇〇人。この盛大な花見に、男性は何人居たか――三人。秀吉と息子の秀頼、そして前田利家。以上。他は全員女性。
秀頼は、一五九三年八月生まれだから、当時まだ四歳になる手前。秀頼の趣向によるものではないことは自明。
こんな人間から、屈辱的な扱いを受けて、不快にならない方がおかしい。
信長と秀吉が出会うのは一五五四年頃。眼前に居るのは、それ以前の胡蝶。秀吉という名詞を知らないはず。もしも、胡蝶が秀吉と聞いて反応するならば、胡蝶はその後の史実も知っているということになる。
「秀吉って知っ」
「人たらしで強欲。世話になった人を平気で裏切り、悪質なデマを吹聴する。史実とされとる記録は、だいぶ偏向されとるし、記録が残っとらへんとされとることは、残すと都合が悪いで、処分したんやろ。身元不明の根っからの詐欺師」
胡蝶と知り合って間もないとはいえ、ここまで感情を露にするのを初めて見た。
「秀吉が帰依した一人が、千利休。うつけが後ろ盾になって、茶頭として、茶の湯を広めた。簡素を好む方やで、派手好きで下品な秀吉とは感性が合うはずが無い。口実を捏造して、いつでも消せる。やで、利用するだけして、邪魔になって切腹させた。武士以外が、切腹を命じられることはあらへん時代にやお」
信長と千利休が知り合うのは、堺が信長の直轄地になった一五六九年。
「なんで、うつけが千利休に目を掛けたと思う? 秀吉が残した資料には、茶器を法外な高値で売りつけとったって記されとる。記されとること自体は、嘘やない。これはええ品やって、信頼出来る人が鑑定した品の値が上がるのは、必然やろ。今の時代でいう、クラウドファンディングみたいなこともした。応仁の乱で、焼けた寺を再建するため、千利休は、多額の寄付をした。うつけは、その善行に感心して支援した。寺は、その功を顕彰するため千利休の木像を建てた。やけど、秀吉は像を建てさせて権力を誇示しとるって捻じ曲げた。一五八二年六月二日。本能寺の変が起きた日。うつけは本能寺で、集めた茶器を披露する茶会を開催しとった。そのとき、その場所を狙って、火を放つ輩は誰やろな」
胡蝶の父、斎藤道三は胡蝶を嫁がせる際、小刀を渡し『うつけと言われる織田信長が、本当にうつけやったら命を奪え』と命じた。それに対し『あるいは、これは父上の命を奪う刃になるやも知れませぬ』と返した逸話がある。
胡蝶は信念に従い、行動する人間。胡蝶が秀吉のことを、ここまで調べ上げているからには、秀吉は歴史から消えることになるだろう。一代で滅んだ政権だから後の世への影響は僅か。
歴史から消す。と表現すると物騒だけれど、胡蝶が手を汚さずとも、信長が重用するきっかけを不意にするだけで、消え失せる。
秀吉は、詐欺師が運良く成功を掴んだ存在。
きっかけとなる秀吉の有名な逸話は、草履を懐に入れて暖めたとされているもの。戦果や、功績を認められたわけではない。
秀吉の行為を、二番煎じにするだけで事足りる。
懐――胡蝶の胸元へ目を遣る。開けているのは、色仕掛けが主な目的ではなく、いつでも信長の物を仕舞い、暖められるよう備えているのだろう。
説明が無いから、奇想天外とか、傍若無人に見えてしまうけれど、信念を貫くため、手段を選ばず真っ直ぐ突き進んでいるに過ぎない。
あくまで帰蝶の個人的な主観の範疇ではあるけれど、その振舞いは、信長と共通する印象を受ける。
単に似た者同士なのか、うつけが胡蝶なのかは謎のまま。
けれど、心の中のモヤモヤはすっきりと晴れた。
少なくとも胡蝶には、身内を陥れる意図は無さそう。
帰蝶が任された役割は防衛。
手始めに着手しようと考えたのは、帰蝶達の拠点である、関ケ原町の防衛。
関ケ原町は消滅可能性都市に指定されている。人口は七千人弱。六十歳以上の年齢層が多い。
この環境の問題点は、技術的なことではない。
住民から面倒だとか、難しいという印象を抱かれること。一度忌避感を抱かせてしまったら、協力してもらえない。
交渉材料に使えるものは、関ケ原町が喪失すると住民が困るもの――歴史資料さえ守れれば、観光産業を維持可能。けれど失えば多大な損害を被る。
「何も変えず、安全性を高めるには……まずは権限を厳格に設定することから始めよう」
歴史資料を改変することは無い。もしも改変すれば、それは歴史ではなく創作になってしまう。
つまり、歴史資料に対する書込権限は不要ということ。権限を読込専用に変更することにより、誤って汚損してしまう人為的過誤の抑制にも繋がる。まさに、一石二鳥。
ただ、権限を変更するだけでは、同じ手順で権限を変更することにより、改変出来るようになってしまう。
期待出来る効果は、しないよりはマシ程度。安全とは程遠い。
懸念点は他にもある。一度対処すると、それがどのような内容であれ、住民は『やったから大丈夫』と認識する。
無根拠な安心は、重大なリスク。
リスクを正しく認識させることは、帰蝶に課せられている責任。責任を果たさなくても罰則は無いけれど、被害が生じると後味が悪い。
それに『対処しても無意味』だったと思わせてしまったら、再度対処する機会を得られる可能性は皆無。
防衛措置を快諾してもらえるチャンスは一度きり。中途半端なことをすべきではない。
中途半端な対処が、惨事を招いた事例。
HelloKitty乱波が活用した、SQLインジェクション不具合CVE-2019-7481。コメ合衆国SonicWall屋が、不具合の影響範囲の判断を誤まった。
実際には、修理キットを適用させなかった住民にも、影響があり、攻撃の餌食となった。
中途半端に対処する行為は、住民を危険に晒す背徳行為。
「初めから、ちゃんと対処しとかなあかんね」
資料館の三階には空室があるだけで、常用していないと聞いた。
歴史資料一式を三階に移動し、階自体を読込専用でリマウントする。
再度リマウントを経ない限り、 如何なる改変も行えないため、暗号化される確率を大幅に下げられる。
トンネルの認証に用いるマイナンバー、パスワードともにadminが設定されていた。
これは、説明書に記載されている、初期値の文字列。同じ製造元の、全てのトンネルに同じ文字列が設定されている。
初期値の文字列は、製造元により異なる。
Logitec屋。
マイナンバーはadmin、パスワードもadmin。
I-O DATA屋。
マイナンバーはadmin、パスワードは空白。
BUFFALO屋。
マイナンバーはroot、パスワードは空白。
という感じで、設定されている。
困ったことに、初期値のままになっているのは、特別なことではない。
アンケート調査によると、四割は初期値のまま利用し、一割は認証機能の存在を知らない。そして四割は把握していない。
驚くことに、意図的に変更している割合は、一割に留まる。
初期値で利用している割合を、最大値の九割と仮定する。この場合、製造元ごとの初期値をリスト化し、順番に試行するだけで、十中八九照合に成功することになる。
あくまで仮定の話。とはいえ、照合成功確率が高いことは事実。侵入することを目的とする乱波が、試行しない理由は存在しない。
当然、真っ先に試行する。
照合試行は、単調な作業を延々と繰り返すだけ。手作業で行わなければならない理由は無い。
自動化すれば、試行の手間は一切掛からない。放っておけば、照合に成功した一覧が自動的に生成され、侵入し放題になる。
初期値から変更しない行為は、玄関に鍵を差し込んだ状態で放置しているのと同じ。と、説明したところで放置されるのがオチ。
帰蝶が変更し、設定した文字列を印字しておく。
乱波が攻撃を仕掛ける際に突くのは不具合。
トンネルのファームウェアバージョンを確認すると1.00だった。予想はしていたけれど、一度も更新されていない。
最新状態に更新し、全ての修理キットを適用する。待っているだけで終わるのだから、敢えて更新しない合理的な理由は存在しない。
現在までにトンネルの管制室に入る機会があったのであれば、ファームウェアの更新を行なっているはず。
何年もの間、入る必要が無かったのであれば、認証時の入力文字列を、複雑で長いものに変更することにより生じる影響は無いと確信する。
もしも簡単な文字列を設定する場合、二〇二二年一〇月一七日に東海国立大学機構がサーバに侵入された手法、総当たり攻撃の成功率が高まる。短時間で破れる認証機構は、無いのと同じ。
〇から九の数字が一〇種、aからzまでの小文字英字が二六種。AからZまでの大文字英字も同数の二六種。桁数が増える度、組み合わせパターン数は累乗されていく。大文字小文字英字と数字を組み合わせた六二字を用いた、六桁の文字列の組み合わせパターンは五六八億通り、八桁で二一八兆通りある。
たった一桁増やすだけでも、組み合わせパターン数は膨れ上がる。
記号を使えるのであれば、合致するまでに要する時間を、大幅に長く出来る。記号を含めて試行されなければ破られることは無いのだから、安全性が格段に増す。
複数種の文字列を使えば、安全性が増すのは事実。でも、それは組み合わせを考える側の話。
問題は、阿呆な製造元が存在すること。安全性を増すためという名目で、複数種の文字列を『必ず』含めなければならないという規則を設けている。
では、それのどこが阿呆なのか。
自ら率先し、組み合わせパターンを減らしている。結果、合致するまでに要する時間を短縮させている。そのことに気付いてすらいない。
乱波側の視点が欠落していることが、大きな問題。
全て数字、全て小文字英字、全て大文字英字の可能性を否定することにより、試行する組み合わせパターンを大幅に削減出来る。
製造元が文字列の組み合わせに、制約を加える行為は、愚の骨頂。入力可能文字種を増やし、複数の文字種を用いることを推奨するだけで十分。
安全性を犠牲にし、面倒さを増すことを組織の総意として、是と判断する製造元が構築したシステムには、当然欠陥がある。
欠陥品を見極め、適切に取捨選択することは、リスクを排除し、安全性を高める手段の一つ。とはいえ、住民に判断を委ねるのは酷。だから今回は、その役目を帰蝶が担う。
自分の名前を記入する際、一時間以内に一〇回も連続して誤記を繰り返すことはあるだろうか?
難しい質問をされているわけではないのだから、せいぜい五回も猶予があれば十分。もしも、それ以上失敗を繰り返すとすれば、十中八九、第三者が悪意ある試行を行っている。
第三者であろうと、一致するまで試行を繰り返す総当たり攻撃を行えば、いつかは一致する。
それを認識していながら、照合を無制限に許容しているとすれば、問題である。
照合試行回数を制限することは、正当に利用している住民に、一切影響が無い防衛手段である。にもかかわらず、見過ごす合理的な理由は無い。
では、どのように制限すれば良いのか。
目的は、悪意ある試行のみを抑制すること。
悪意あるか否かの判定条件は、照合回数。
所定回数、照合に失敗した場合、照合元住所からの要求を、一定時間、例えば一時間受け付けないようにする。
ただ、一定時間、照合要求を受け付けないというのは、単に無視するというだけ。無視しているだけなので、要求回数が多ければ負荷は掛かる。
乱波の思考を考えてみよう。
目的は、照合に成功すること。達成するには、失敗すれば試行を継続し、成功すれば試行を止めるよう命令すれば良い。
照合に対し、応答した後に次の要求を投げる仕組み。
であれば、悪意ある者の待機時間を長くすることにより、要求回数を減らすことが可能。
数回試行する度に待たされ、応答が著しく遅い。
照合効率の悪さから、試行を断念しようと判断させられれば、結果的に安全性が高まる。
ただし、これだけでは不十分。侵入成功確率が下がるだけで、偶然一致すれば侵入出来てしまう。
第二の策として、MFAを導入可能な認証箇所を全て、マイナンバーとパスワードに加え、MFAコードを用いて認証する方式に変更する。
例えば元・担当者等、過去には認証を受ける正当な権限があり、マイナンバーとパスワードを知っている人であっても、MFAコードが無ければ認証出来なくなる。当該時点における部外者による侵入リスクを排除出来るメリットが大きい。
従業員用であろうと、一部でも簡素な認証で通過可能な隙を残せば、そこからの侵入を試みられるリスクが残る。例外無く全てをMFAに切り替える。
百戦百勝は善の善なる者に非ず。という名言がある。孫子の兵法第三章、謀攻篇にある、戦わないで勝つことこそが、最もよい作戦であるという考え方。戦には、必ず損害を伴うから、戦うことは次善の策。
乱波が勝手に諦めるのならば、それが最善――実際のところ、自領土が戦地になるから、乱波側に損害は発生しない。こちら側だけに一方的に攻められる状況に至る。侵攻を許した時点で負けが確定する。
ルシア帝国が二〇二二年二月二四日に開始した、エクライネ共和国への軍事侵攻のような状況になる。
だからこそ、侵攻を諦めさせられるだけの策を最優先で講じなければならない。
Exploitとは、不正なスクリプトやプログラムを実行させる攻撃を指す言葉。マルウェアのダウンローダの役割で用いるため、Exploit自体がマルウェアように自己増殖するのは稀。
GandCrab乱波が用いた手法がExploitの典型的な用例。ZIPファイルにJavaScriptのダウンローダが入っていて、実行すると別のダウンローダがダウンロードされる。最終的に複数のマルウェアがダウンロードされる仕組み。
Gmailは、二〇一七年二月一三日からセキュリティ上の理由によりJavaScriptファイルを添付出来ないようにしている。ZIPファイルに含まれている場合も同様。拡張子が.jsであれば不可という判定方法。
ウイルスや不正な動作を行う道具から守るため、以下拡張子のファイル添付を制限している。
.ade、.adp、.apk、.appx、.appxbundle、.bat、.cab、.chm、.cmd、.com、.cpl、.diagcab、.diagcfg、.diagpack、.dll、.dmg、.ex、.ex_、.exe、.hta、.img、.ins、.iso、.isp、.jar、.jnlp、.js、.jse、.lib、.lnk、.mde、.msc、.msi、.msix、.msixbundle、.msp、.mst、.nsh、.pif、.ps1、.scr、.sct、.shb、.sys、.vb、.vbe、.vbs、.vhd、.vxd、.wsc、.wsf、.wsh、.xll
とはいえ、全住民にGmailの利用を促すのは非現実的。そんなことをすれば、利権があるのだろう等といった憶測が広まり、反発する人が現れるだろうし、そもそもGmailを使わなければならない合理的な理由が無い。
とはいえ、添付ファイルを開く際には気を付けましょうと、アナウンスしたところで効果は無い。そんなことで被害に遭わなくなるのならば、交通事故や詐欺はとっくに無くなっている。
ダウンローダを無力化すれば、ある程度の被害は未然に防ぐことが可能。
JavaScript、Microsoft屋Office製品のマクロ機能で使用されるVBA、Microsoft屋Wordファイルに組み込んだマクロを起点とするPowerShellをダウンローダとして機能させられなくすれば良いのだけれど、それをどう実現するか――。
Microsoft屋が、二〇二二年八月のWindowsアップデートで、ダウンロードしたファイルをOffice製品で開いた場合、マクロ機能のVBA実行を既定でブロックするように変更した。
OSを最新状態に更新することへの反発は無いだろうから、更新により対応することにする。
これだけでは、JavaScriptファイルを、意図せずダブルクリックする可能性は否定出来ない。
誤って実行してしまうことが無いよう、.js、.jse、.vbs、.vbe、.wsfの五拡張子をメモ帳アプリに関連付け、テキストエディタで開くよう設定する。実行しなければ、どのような命令が書かれていようとも、単なる文字列でしかなく脅威ではない。
Web系技術者は特に、何故JavaScriptが脅威になるのか、気になるかもしれない。
Windowsは、標準搭載されているWSHで、VBScriptとJScriptを動かせるようになっている。JScriptは、Microsoft屋専用の、バッチ処理も行えるJavaScript。拡張子は、JavaScriptなので.js。
起動方法はダブルクリックするだけ。テキストエディタに関連付けていなければ実行されてしまう曲者。ブラウザ上でしか動かない言語と思い込み、適当に扱うと痛い目を見る。
「予備は取っとるで安心して。厳重に保管しとるで心配無用」
ドヤ顔で主張するのは、役場職員の竹中。
他所は何もしていないから、ニュースで報道されるような事態に陥っているけれど、出入業者のお墨付きがあるから『うちは安心』と自信満々。
他所を批判し、具体性の無い講釈を垂れる人は、内容が伴っていないことが多い。
自分の目で確認しないと信用出来ない――竹中の機嫌を取り、見せてもらうことにした。
竹中が得意げに紹介した現状は、同じ階にある『予備』という名の倉庫に、複製した書類を保管するというもの。
何もしていないよりは良い。
だけれど、この方法では有事の際に、破綻する。
同じ階に存在しているのだから、身代金要求プログラムの攻撃対象には、予備用倉庫内の書類一式も含まれる。
竹中が批判した他所は、何もしていなかったのではなく、予備ごと暗号化されただけ。
問題点は、予備 の目的が、復旧ではなく安心を得ることにすり替わっていること。そのせいで復旧が困難になっている。
館内マップによると、予備用倉庫がある階には、喫茶店も併設されている。火災の発生可能性は低いとは言えない。延焼すれば原本共々取り出すことが出来ない状態に至る。
損傷していない書類を持ち出せるようになる時期は、事態が落ち着いた後。それまでは被害状況を確認することさえも出来ない。
とはいえ、それを帰蝶が指摘しても、自信に満ちている竹中が聞く耳を持つことは無さそう――竹中自身が気付き、自らの意志により改善が必要という判断に至るよう、陽動する必要がある。
目視確認した範囲では、予備用倉庫付近に防火戸や、防火シャッターは無かった。
「延焼を防ぐ防火設備にも、力を入れているんですか?」
帰蝶は岐阜弁しか話せないわけではない。TPOを弁え、標準語で質問する。
「避難訓練は、していますよ」
竹中は論点をすり替えた。
でも、不十分であると自覚しているからこそ即答した。ならば単刀直入に。
「この構造だと、予備用倉庫も燃えてしまいますね」
もしも竹中が、燃えても構わないと考えているならば、帰蝶が改善を促す行為は、お互いにとって時間の無駄にしかならない。
「……あっ! それはマズイです」
竹中にも危機意識はある様子。
「階を分けるだけでも、被害を緩和出来る確率を上げられます。全焼すれば終わりですけど」
「早速、保管する階を変更します。全焼に備えて、他の施設に移すことを検討する方が良さそうですね」
「施設を分ければ、安全性は向上します。でも、転送時間が長くなるので、その分復旧に要する時間も長くなってしまいます。なので、並行して運用する方が安心です。あと、保管方法も変更することで、安全性を更に向上させることも可能です」
「出入業者のお墨付きがあるのに、何か問題があるのでしょうか?」
「複製した書類を保管する方法だと、身代金要求プログラムにより原本が暗号化されると、予備用倉庫に保管している書類が、暗号化された書類で上書きされてしまいます」
「……あっ! それはマズイです」
「現状の方法は、フルバックアップというものです。お勧めは、増分バックアップという手法です。最初に現状と同様にフルバックアップを行います。その後は、前回バックアップ時から変更や追加があった書類のみを保管します。この方法には、指定した時点の状態に復旧出来るメリットがあります。ですが万能ではありません。途中のバックアップデータが破損すると、以降のデータを復元出来なくなるというデメリットもあります」
「デメリットがあるのに、何故お勧めなのでしょうか?」
「例えば日曜日にフルバックアップし、月曜日から土曜日にかけては増分バックアップをする。そうした運用をすることで、一週間以内の状態には、復旧可能になります」
「完璧ですね!」
「いいえ。フルバックアップ前に暗号化されると復旧出来ません」
「では、どうすればいいんですか!?」
苛立ちを隠さず、声を荒らげる竹中。
「バックアップをバックアップする機構を設けて対応します。日曜日に取るフルバックアップを、直近一ヶ月分、別の場所に残しておくという感じです。一ヶ月分とはいっても、日数分ではなく四回分なので、容量に余裕がある場合は、期間を伸ばすことで安全性を高められます」
「いつ暗号化されたのか、調べるのに苦労しそうですね」
「全ての書類を、一気に変更することはありますか?」
「ありません」
「全ての書類を一気に変更すれば、増分バックアップにより保存されるデータサイズはどうなるでしょうか。その日だけ、急激に増加する現象が発生します。この状態を異常と検知し、通知させることで、暗号化された翌日には、被害に遭った事実を知ることが可能になります」
「そうしてもらえると、安心出来ます」
異常を検知する方法は、色々ある。
例えば、サイバー攻撃を仕掛ける場合。乱波は、施設に対し、何らかの行動を起こす。
入口での認証履歴や、施設内での行動履歴は、適宜記録される。
不正を働らいている自覚がある乱波は、不正の証跡である履歴の消去を試みる。
履歴は、原則として積み上げていくもの。
一定の容量に達したり、期間で区切り、記録する書類を変えるログローテーションを行うことはある。けれど、記録している最中に、部分的に消失するような運用はしない。
つまり、履歴の容量が予定外のタイミングで減少すれば、不正が発生したと判断可能。
履歴は、記録されている情報を読むだけでなく、履歴そのものを監視することでも、異常検知に役立てられる。
乱波が、証拠隠滅のため、改竄したり、履歴を削除する可能性を否定出来ない。
その後のリスクを排除するため、ファイアウォール、プロキシサーバ、 DNSサーバ、認証サーバ、メールサーバを運用している場合、各々の履歴を、一年分程はバックアップを残しておくことが望ましい。
履歴をバックアップ対象に追加する。
退職者の認証情報を、適切に無効化していない企業は七割を超えているといわれている。
情報漏洩は、元々関係者だった、退職者から漏洩するケースが多い。
漏洩させられるということは、侵入も可能だということ。
例えば、誰も把握していないデバイス、USBメモリにマルウェアを入れてパソコンに挿し込んだ場合、何が起きるか――。
いくら出入口の警備を強固なものにしても、自ら乱波を内部に招き入れていれば、何の意味も成さない。
内側から簡単に、 攻撃することが出来てしまう。
他システムと連携させたり、利便性を向上させる拡張機能は、適切に使えば便利。
でも、安全性を担保出来なければ、重大なセキュリティホールになってしまう。
「私が把握してないものを使わないでください。わからないときは、尋ねてくだされば答えます」
「はい。有名なものでもダメですか?」
ダウンロードして使える無償配布品や、試用期間があるものには、スパイウェアプログラムを内蔵することが可能。
つまり、知らないうちに情報収集を始め、送信されるリスクがあるということ。
使用承諾文にインストールされる旨を記載し、利用者が手動でチェックを外さなければ、インストールされる仕組みにする。
たったそれだけで『利用者の意思により、インストールした』事実を成立させられる。
『安全のため』や『高速化』、『最適化』等、適当な言葉を並べたものに釣られるような人間は、使用承諾文を読まない。
まさに格好の餌食。
スパイウェアをインストールさせる手法は、いくらでもある。
例えば『はい』と『いいえ』、二つのボタンのどちらを押してもスパイウェアのダウンロードが始まる仕組みにする。
二つのものを同じ挙動にする合理的な理由は無いのだから、 指摘されたとしても『バグです』と言い逃れられる。
『わざと、そんなことをするはずがない』と主張すれば、第三者がそれを否定することは難しい。
ただ、そんなことを伝えても、恐怖心を煽り、疑心暗鬼にさせるだけ。どう伝えるべきか――。
「そうですね。使ってはいけないという意味合いではなく、見えるところで堂々と使ってくださいという意図です。なので、まず尋ねてください。主な目的は情報漏洩リスクの抑制です。例えば、何かと連携すれば、連携先は紐付いているデータを抜き取ることが可能になります。つまり連携先の判断で機密情報を、知らない何処かへ共有することも出来てしまうということです」
「なるほど……それはダメですね」
「厳しく規制するのが、リスクマネジメントとしてはベターです。でも『生産性が……』等の反発が大きく、無許可で勝手に使用されるようならば、申告すれば使えるといった緩い形式で運用し、勝手に使われることを抑止する方が、幾分か良いです。有事の際、被害は被りますが、影響範囲を知ることは出来ます」
「いやぁ、それは……」
「では、勝手に使わせないでください」
「そうします」
小説は、第一稿をいきなり出版することはない。推敲を繰り返し、完成度を高めていく。
防犯も同じ。何度も調整を繰り返し、安全性を高め、影響の極小化を目指す。
帰蝶は、侵入実験を行い、穴があるとどうなるかを体験させ、気を引き締めさせようと考えた。
「一週間後までに、攻撃されても大丈夫と、自信を持てる状態にしておいてください」
「ふふふ。既にバッチリですよ!」
竹中は、威勢よく返事する。
「一週間後、私はここに攻撃を仕掛けます」
「何故そんなことをするんですか!?」
驚きを隠せない竹中。
「自信が無いんですか?」
煽る目的は、竹中の中にある無根拠な自信を、改善が必要という認識に、置換すること。
「そういうことではなくて、あり得ないというか……」
「乱波は、問答無用で仕掛けてきますよ」
「何故あなたが攻撃するんですか?」
「不適切な設定になっている等の、問題を見付け、対処するためです」
「なんだ……そういうことですか」
「そういうことです。破壊されても大丈夫なようにしておいてくださいね」
* * *
玉城 を経由し、一週間後に移動する帰蝶。
帰蝶が一週間前に仕込んだVirusが発病し、関ケ原町は、全てのデータへのアクセス権を喪失。
Virusとは、他のプログラムに寄生して動作する、自己伝染、潜伏、発病機能の一つ以上を有するもの。
Virusは自発的には動かず、きっかけは宿主側にある。
宿主を必要とせず、単体で動作するものはWarmと称される。
竹中から帰蝶に電話が掛かってくる。
『大変です! 突然何も出来なくなりました』
「一週間前に伝えたこと、覚えていますか?」
『攻撃を仕掛けると……冗談ではなかったんですか?』
調査方法と復旧手順は、既に説明してある。思い出して自力で復旧出来ることがベストではあるけれど、そこまで強いるのは酷。放っておいても、復旧するようにしてある。
「冗談なんて言いません。先日お伝えした情報を使って、自力で復旧することが可能です。復旧に挑戦してみてください」
『……忘れてしまいました』
「では、今出来なくなったり、困っていることをメモするよう、全ての関係者に伝えてください。一五時になると、自動復旧するようにしてありますので、復旧作業は行わなくても構いません」
関係者全員に、当事者意識を持たせることが目的。
『了解です!』
竹中は電話を切った。
Virusは、感染すると何が起きるかわからないから恐い。
現実社会の新型コロナウイルスが、同様の存在。
ただ、乱破が使うVirusは、人工的に作成されたものという点が異なる。
では、何が起きるかわかるとすれば、印象は変わるのか。
前提として、乱波には攻撃する目的がある。
破壊行為だけを実施する場合、得られるものは自己満足しかない。では、乱波が得たいものは自己満足なのか。
例えば、軍事侵攻を行う場合、攻撃行為は単なる手段。何かを得るという目的が存在する。
その目的を達成するため、敵地へ侵入した兵士が何を行うか。その視点で考えると、Virusの挙動がわかる。
Rootkit。
いつでも自由に侵入出来るようにする。侵入している事実を隠蔽するため、履歴を改変する。
Backdoor。
外に居る仲間との通信手段や、援軍の侵入経路となる裏口を確保する。
Downloader。
外から武器を、運び込む。
Spyware。
敵地にある情報を盗み出す。読めない情報を収集しても役に立たないため、消去や改竄等の破壊行動前に行なう。
Keylogger。
マイナンバーやパスワード等、認証の際に入力された情報等を搾取する。
例えばネットバンクの認証情報を搾取すれば、口座に入っている預金を他所へ移動させることが可能になる。
Bot。
命令を実行する。
Adware。
広告をポップアップ等で表示する。
Virusの基本的な挙動は、このくらい。超能力やチート等の特殊なものではなく、シンプルな行動の組み合わせ。
情報が何も無い状態からでも、乱破が何をしたいのかを考えれば、何が起きるかを推測することは可能。
推測出来ていれば、未然に対策出来る。同じ攻撃を受けたとしても、実害を軽減することは可能。
「質問です。男子校と女子校があります。白いシャツと黒い靴下、眼鏡を着用している男性を探す場合、どちらの学校に探しに行きますか?」
「当然、男子校です」
「何故ですか?」
「男性を探したいのに、女子校に行っても見付かるはずが無いじゃないですか」
「職員室に行けば、居ませんか?」
「教師ですか……でも、普通は男子校に行くでしょ。生徒に該当する人が居れば、早く見付けられます」
「そうですよね。効率を考えるのが普通です。では、七割が該当する条件と、一割しか該当しない条件、報酬が同額なら、どちらの捜索を引き受けたいですか?」
「当然、七割の方ですよ」
「OSという単語を、耳にしたことくらいはあると思います。二〇二二年六月時点のOSシェア率は、Windowsが七六.三パーセント、Macが一四.六パーセント、Linuxは二.四パーセントでした。『竹中さんが指定したOSの利用者を連れてきたら、一万円あげます』と言われたら、どのOSを選択しますか?」
「当然、Windowsです」
「効率で選んだのですか?」
「はい」
「では、WindowsとMac、どちらが安全ですか?」
「知りません」
「乱破の被害に遭っている件数は、Windowsが圧倒的に多いです。では、Macは安全ですか?」
「知りません。でも、大勢がWindowsを標的にしているのだろうなとは思います」
「そうですね。大勢が使っているとか、有名だから安心ではなく、標的にされやすいという感性が必要です」
「なるほど! 理解出来ました」
「外国、例えばルシア帝国から管理システムに、|接続する必要はありますか?」
「わかりません」
必要かと問われ、わからないと答えるのは妥当。
多くの部署があり、大勢の職員が居る。だから、組織全体の未来の予定まで、全てを把握出来るはずがない。
「今現在、ルシア帝国から管理システムに|接続する業務はありますか?」
「ありません」
今現在の業務の有無であれば、答えられる。
「では、今は接続することはありませんね」
「そうですね」
接続されるだけでも、負荷は掛かる。接続する業務が存在しない事実は、接続を遮断する合理的な理由にあたる。
「ルシア帝国からの接続を遮断します」
接続の遮断手法は確立されている。
例えば、ジパング皇国内の動画配信サービスのほぼ全ては、海外からの接続を遮断している。 著作権者との契約上の理由。
「お願いします」
国ごとに住所の帯域が割り当てられているから、遮断することは可能。とはいえ、ルシア帝国に割り当てられている住所数は四五六七万以上もある。CIDR表記を用い、絞った八九六五パターンを拒否リストに設定する。
「接続数は減らせますが、ルシア帝国からジパング皇国内にあるProxyサーバを経由して接続すれば、ジパング皇国内から接続しているように見せることは可能です。なので、完全には遮断出来ません。警戒を緩めないでください」
「了解しました」
「全く触れられてませんけど、ウイルス対策ソフトを入れておけば、安全ですよね」
「ウイルス対策ソフトが、マルウェアに対処出来るようになるタイミングは、製造元が検体を入手し、分析した後です。被害が発生してからでないと反映されません」
「えっ……」
「駆除や隔離されたくないので、標的型攻撃を仕掛ける場合は特に、標的専用に新しいマルウェアを作成します。ウイルス対策ソフトは、新しく作成されたマルウェアの情報を持っていないため、検知されません。検知されるようになるまでの期間を狙って攻撃を仕掛ける手法は、ゼロデイ攻撃と呼ばれ、よく利用されています」
「そんな……それでは、ウイルス対策ソフトを入れても無意味じゃないですか!」
「無差別型攻撃のうち、数年前の手法を用いている攻撃に対しては有効です」
「微妙な気がします……」
「価格相応の効果です。ほんの少しでも、リスクは下がるので、入れないよりは良いです」
「その程度のものなんですね……」
2022年12月28日 発行 初版
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