紀暁嵐の『閲微草堂筆記』は、中国の清代に書かれた著作である。内容は、主に明代・清代の怪談、奇談、論談(物ごとの是非・善悪を論じ述べること。議論)である。日本では知られていない神や精霊、幽霊の話が次々と紹介される。『閲微草堂筆記』中の「灤陽消夏録」四、五、六である。
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この本はタチヨミ版です。
一四三、無知な青年をいましめる 一四四、占い師は言う 一四五、度帆楼の幽霊 一四六、自死を幽霊は解決できる 一四七、銭を贈り、女色を拒否する 一四八、泥棒が牛に会う 一四九、ちょっと生まれ代わる 一五〇、夢で判決を左右する 一五一、明察な県令 一五二、落雷毒の母 一五三、二姑娘・アールクーニャン 一五四、生きる人と幽霊 一五五、死んだ人が生き返る 一五六、江西の術士 一五七、詩の予言 一五八、自ら汚れて人を救う 一五九、 疫病の幽霊との戦い 一六〇、魂は昼に現れる 一六一、王秃子 一六二、空飛ぶ害虫 一六三、美女の幽霊が憑りつく 一六四、白昼幽霊を見る 一六五、道学を叱られる 一六六、神仙が描いた絵 一六七、汚された頭蓋骨の幽霊 一六八、先祖の幽霊
一六九、放蕩息子はお断り!
一七〇、嫁の死 一七一、口は災いのもと一七二、邪悪なシラミ 一七三、赤い服の女 一七四、廖おばあさん 一七五、キツネの友達との話 一七六、心無い者への報い 一七七、殺生をいましめる 一七八、当て推量をいましめる 一七九、巫女の郝(ハオ)婆さん 一八〇、蛇が心臓を噛む 一八一、偽善者を暴露する 一八二、妖怪との儒教論争 一八三、天道はよく環る? 一八四、ボツ 一八五、幽霊がいないはずがない! 一八六、仏経典を守る神 一八七、職工、芸人のあらゆる祖神 一八八、キツネの夫婦ケンカ 一八九、弟の田地 一九〇、五台山の僧 一九一、旧情を忘れない 一九二、両妻争座
一九三、鄭五 一九四、不正直者の刑務所 一九五、債鬼 一九六、強い幽霊 一九七、悩みの原因 一九八、幽霊の訴訟 一九九、犬の妨害 二〇〇、馬が驚いて走る 二〇一、張福 二〇二、守銭奴 二〇三、古寺の幽霊が言った 二〇四、キツネの仕返し 二〇五、周将軍 二〇六、冥界の役人が“生まれ代わり”を語る 二〇七、文昌司禄の神が語る 二〇八、キツネの側女 二〇九、善人への道 二一〇、河川工事の役人 二一一、代わりに死んで神になる 二一二、心で交わる 二一三、気が弱く幽霊を見る 二一四、明器 二一五、人生は運命 二一六、李玉典はいった 二一七、比類なき美女 二一八、あの世のお仕置き 二一九、幽霊もすごい 二二〇、ロバ語
二二一、キツネの戦い
二二二、幽霊の理屈 二二三、泥人形 二二四、凶神に変装 二二五、芸妓の絶句 二二六、まじない師の書と絵 二二七、じゃじゃ馬 二二八、天雨と龍雨 二二九、昼中に幽霊を見た 二三〇、私の三女の死 二三一、義と义の争い 二三二、忠義の犬、四児 二三三、変幻超能力 二三四、始めて見た怪奇 二三五、羊は恨みを返す 二三六、牛の怪物 二三七、迷宮入りの容疑者は? 二三八、毒を吸う薬石 二三九、安産のお守り札 二四〇、雷神 二四一、大工と樹木の妖怪 二四二、誠実さと知恵の神 二四三、スッポンと小人 二四四、お経を聞くキツネ 二四五、大きな筆が炎を吐く 二四六、晩年に子を授かる
二四七、大きな顔の巨人 二四八、老僧が冥界に入る 二四九、幽霊男の林が幽霊に会いに行く 二五〇、白以忠、幽霊に仕える 二五一、幽霊は公平を求める 二五二、幽霊と神についての論争 二五三、広東東部の怪僧 二五四、江南の崔寅 二五五、許南金先生の勇気 二五六、幽霊 二五七、よく出来た連句 二五八、キツネの仕返し 二五九、金持ちの家族でも 二六〇、盗賊と戦う二頭の牛 二六一、瑞草は瑞ならず 二六二、梵字の大悲呪(だいひじゅ) 二六三、黄教と紅教 二六四、キツネも人も純朴 二六五、さまよう魂 二六六、禿げ馬 二六七、妖しげなものは人が起こす 二六八、報復は誰の手で 二六九、幽霊の頑固さ 二七〇、大猿の棲家 二七一、山怪のやり方 二七二、青苗の神
二七三、陳太夫人
二七四、生死三回を見た 二七五、古代の街並が見えるか? 二七六、君子の礼とは 二七七、何に殉ずるか 二七八.墓の前で何をした 二七九、董天士 二八〇、そもそもこの文章は 二八一、果報の速さ 二八二、盗賊、斉舜庭を捕らえる 二八三、王蘭州の懺悔 二八四、死者の服の魂 二八五、人まねの上手なキツネ 二八六、銭が七千 二八七、死者に助けられる 二八八、幽霊も名を惜しむ 二八九、黒いロバが人を食べた 二九〇、醜女は反抗的 二九一、まじないの一種 二九二、戸部郎中 二九三、夢で見た詩 二九四、試験のおみくじ 二九五、某公(あるお方) 二九六、借金は返さなければならない 二九七、神のご加護
一四三、無知な青年をいましめる
占い仙人の卧虎山人は田白岩の家で祈り(扶乩。占い、まじない)、神がかりして、皆がお香を焚いて祈った。 傲慢な一人の青年が長机に斜めに座って、「各地を雲游する文人は熟練の技術で、ただ人々とたわむれているだけだ。どうして神仙は人々のいうことを聞くことができるのか」と言った。占い仙人は祭壇で神を呼び降ろすときの詩(うた、呪文)を書き言った。
「不吉な鳥は驚き鳴かず、章台の上から振り返れば柳は緑々。花は開くもおよそ空腹で、何もかも消えて無くなり迷う、たたずんで密かにタンスのカギ金具を弾き、半笑いし勧める玉の杯。あの琵琶は昔のままか? 潯陽(今の江西省九江市。白居易が『琵琶行』を詠じた所)の商人に妻がいるか問う。」その傲慢な青年は驚き、ひざまずいて礼拝せざるを得なかった。
*田白岩:田中儀。字は無昝、号は白岩、詩人田雯の子、徳州の人。貢生、鑾儀衛(儀仗兵を管轄)となる。詩詞に『紅雨書斎詩集』がある。
この詩はその傲慢な青年が数日前になじみの妓女に密かに送ろうと作ったものだが、詩文は送らなかった。卧虎山人はさらに言った。「この詩を送らなくて幸いだった。送り届けていれば歩非煙(小説・演劇の女主人公、側女。私通して打死される)の二の舞になるところだった。
その妓女はもう他へ身請けされたから、あなたは良家の娘を誘ってください。白居易は、たまたま彼の悲しみを表現するために愛の詩を書いたが、あなたはこれを本当のことと思っているのですか? 色ごとの物語は、みな地獄への入り口の根本的な原因となります。昨日、たまたま冥界の役人の記録簿を見たので、記憶していたのだ。
(種々の罪悪は尽きることなく)悪の海波は無限であり、振り返れば岸がある。私は話し過ぎで、本当は心が折れそうです。余計なことまで話したかもしれないが私を責めないでほしい。青年よ!」
傲慢な青年は傍らに立って、彼の顔は青ざめていた。それから彼は一年以上たった後に亡くなった。私が今まで会った、神がかりする(仙人のような霊能者のような)占い師でこの人だけは幸運や不運について話すことをしないで、人々に間違いを正すように説得していた。彼は占い師、霊能者の中でほとんど正直で紳士的であった。
亡き父・姚安公はいつも、訳の判らない怪しげな祭祀を嫌っていた。ただその占い師に会ったときだけ、彼は敬意を表してお辞儀をし、「このように厳格で正直な方であれば、幽霊、精霊でさえも尊敬するべきです。」と語っていた。
一四四、占い師は言う
姚安公がまだ科挙の試験に通らなかったとき、彼は占い師に会い、自分が功名を得れるかどうか尋ねた。占い師は「前程万里(まだ先が長い)」とお告げを言われた。彼は科挙を通るには何年かかるか尋ねた。占い師は「それは一万年待たなければなりません。」と言われた。姚安公はそれを聞いて、合格には何か別の方法があるのではないかと思った。癸巳万寿恩科(康熙帝の六〇歳の長寿を祝い設立された科挙試験)で合格し、「一万年里」の意味を悟り、理解できたのである。科挙を通り役人となり、雲南省姚安府の知府(知事)となった。後に養父母との同居を要請し(郷里へ戻り)、再びの出仕をしなかった。あの「前途は万里」のことわざが裏付けになっていた。
ほとんどの幻術の手法は素早く巧妙で、占いやお告げでもやるべきことは一つだけ、それは確かに、そのやり方に依存しているが、筆と墨で遊ぶ幽霊のようなものとも言える。もちろん、いわゆる特定の神や仙人と称する者は偽物で、自らある時代の誰々と称する者は、それを偽りだと言えないようである。私の集めている詩や散文について尋ねても、それらのほとんどは、古い話で忘れたと言い、答えることができない。その占い師はきちんと字を書くことができ、詩が得意な人もいるし、それが得意でない人は非常にゆっくりと字を書いているようである。
私は詩を書くのは少し得意だが、字を書くのは上手くない。いとこの坦居は書くことは得意だが、詩を創るのは得意ではない。占い師に会ったとき、私は詩を即興で走り書きした。坦居が占い師に会ったとき、字はきちんと書いたが、詩は意味の浅い荒いものであった。実際、私と坦居は何も注意を払っていなかったと思うし、おそらく私たちは人の精神(力)を借り、はじめて動いているのであろうか。幽霊は霊魂ではなく、人に対するときは霊的である。占いに使う細い棒や亀の甲羅はもともと枯れた草と腐った甲羅で、吉凶を知ることも一種の精神的なもので、運、不運が分かるのは人の扱い次第。人に対するときは霊的なのである。
一四五、度帆楼の幽霊
私の母の父親は衛河の東岸に住んでいて、屋敷の中には河を見渡せる建物があり、これを“度帆”と呼んでいた。度帆楼は河に面して西向きで、楼の下の入り口は東向きで、上層階とは繋がらず中庭へと続いていた。 かつて史錦捷という使用人がいて、その妻が中庭で首をくくって自殺して亡くなったため、そこの部屋では長い間住む人がいなくなり、利用されない中庭になっていて、普段は鍵がかけられていなかった。若い使用人の男女がいて、中庭で自殺した者がいたことを知らなかった。夜半に肝試し(きもためし)と称して中庭で逢引しようと向かった。
彼らがちょうど入り口にいたとき、門の外から声が聞こえ、誰かが歩いているように見えたので、彼らは見付けられるのを恐れて、あえて動かなかった。門の隙間から覗くと、首をくくって死んだ妻の幽霊が門前の石段の所を歩いていて、月を見てため息をついていた。
二人は恐怖で身震いし、すぐに門の中で凍りついてしまい、外に出られるものではなかった。門の所は二人がいたので、幽霊はあえて入って来ることはなく、しばらくその状態が続いた。そのとき突然、犬が幽霊を見つけて激しく吠え、犬の群れが集まって吠え続けた。家人は泥棒が入ったかと思い、灯りと武器を持って中庭に駆け込んだ。
その結果、幽霊は姿を消したが、二人が中庭で逢引していたことが露わになった。その女中は恥ずかしくてたまらず、ある夜、中庭で首をくくろうとした。人々は彼女を見つけて助けた。しかし、目が覚めると、彼女はまた中庭へ忍び込み、再び自殺しようとして、二回も騒ぎを起こした。その後、この女中は両親の元へ帰され、自殺することはなかった。そのため、人々が気づいたことは、幽霊があえて中庭へ入らなかったのではなく、若い二人の召使いらの淫らな行為を暴き、その女中に恥をかかせて、悟らせるためだったということであった。
祖母はこう話している。「あの妻の幽霊だが、彼女の人生はとても暗くずる賢いものだったが、死んでも変わらなかったか、浮かばれなくて、このようになったのでしょう。」と。母の太夫人は言った。「あの女中さんが、隠れて逢引をしなかったら、幽霊も出て来なかったでしょう。だから、罪を幽霊のせいにすることはできません。」
一四六、自死を幽霊は解決できる
辛彤甫氏が宜陽(今の河南省洛陽市に属す県)の知県(県の長官)に任命されたとき、ある老人が書状を手渡していった。「昨日、私は東城門の外にいたのですが、絞首刑になった五、六人の幽霊が門の隙間から入ってくるのを見ました。彼らは身代わりの人間を探して乗り移ろうとしているのではないかと思います。人々に知らせてください。使用人や側女たちにも知らせてやって差別しないでください。(幽霊たちが)借金のある者を追いかけたりしないように、お互いに皆に知らせて、このことで争わないようにしてください。そうすれば幽霊は何もできません。」辛彤甫は激怒し、老人をムチ打った。 老人は文句も言わず後悔もせず、階段を下りて膝を撫でて、「残念ながら、これでは五、六人が身代わりとなって彼らの命を救うことはできない」と言った。
数日後、町内で四人が首をくくったと報告があり、辛彤甫はショックを受け、急いであの老人を探し、話を聞いた。老人は「数日混乱して何も思い出せないのです。今日、この状況になることを案じて書状を手渡したことを思い出しました。幽霊や精霊が怒って、私をムチ打つように頼んだのでしょうか? 」当時、このことが広まり、町中が警戒したが、案の定、首をくくろうとした二人が救われた。一人は義母に拷問されて自殺しようとした女性であり、義母はそれを深く後悔した。もう一人は借金のために自殺しようとした男で、金貸しはすぐに証文を燃やしたので、どちらも死なずにすんだ。
人は前もって運命づけられているが、毎日、生活のために最善を尽くすことができれば、間違いなくその一〇分の一、二は良い方向に向かい、人を救えることが分かった。人間の生命が危機に瀕していることも知られていることだが、幽霊や精霊は人が死ぬことを前もって知っていても、希望がわずかでも見えれば、彼らは間違いなく救助のために人の力を頼ることも分かったのである。運が良ければ、厳しい冬の風と吹雪のように、大地は極寒となる。身を護るために毛皮の服を着て、風雪を避けるために門戸や窓を閉めるのは、人間に任されたことであり、神は人の行動のすべてを禁じてはいない。
一四七、銭を贈り、女色を拒否する
献県の史某は、何という名か忘れてしまった。彼は大らかな人柄で、些細なことは気にしなかった。彼がバクチ場から戻って来ると、村中で夫婦と子供たちが抱き合って大泣きしていた。近所の 村人が言うには、「金持ちから借金したために、妻を売って返済しようとしているのです。彼ら夫婦はとても仲が良く、子供はまだ乳離れしていないので、妻はまだ買われた所へ行かずにいる。本当に気の毒で可哀想です。」
史さんは、夫がいくら借りているか尋ねた。隣人の話では銀三〇両だという。史さんは妻をいくらで売ったか尋ねると、隣人は銀五〇両で売ったという。史さんは、その金で借金は返せるだろうと聞くと、隣人は「売却証文が書かれたばかりで、金を受け取っていないので、まだ借金は返していません」という。」
史さんはすぐにバクチで勝った銀七〇両を村人に渡して言った。「このうち三〇両は借金を返し、四〇両は生計を立てるために使いなさい。奥さんを売らなくてもいいでしょう」夫婦は とても感激して、鶏を殺して料理し、史さんに酒を飲ませた。酔いが回り始めたころ、夫は子供を連れ出し、妻に目配せした。これは、彼女が史さんに言い寄って身体をまかすことを意味していた。それで史さんに報いようとしたのである。妻はうなずいた。彼女は卑猥な誘惑の言葉を次々と口走った。
史さんは厳く言った。「史某は生涯の半分は強盗であり、生涯の半分は警察官であり、まばたきもせずに人を殺していたかもしれない。人の危機につけ込んで他人の女を犯すようなことは、私、史某は絶対にやらない!」と言って奮然と立ち去った。
半月後、史さんの村で夜中に火事が起こった。そのとき、秋の収穫がちょうど終り、家々の前も後ろもみなワラや柴草が山積で、ワラぶき屋根と、コウリャンの乾燥柵はいっぱい、周りは燃えやすいものばかりで、火は勢いを増していた。史さんは家から逃げることができず、ただ妻と子供たちともに死ぬのを待っているような状態であった。
もうろうとする中で、屋根上の遠くから叫び声が聞こえた。「東岳神の火急文書がある、史家の家族は死を避けるため名前が削除される!」と。それから大きな音がして、家の後ろ壁の半分が崩壊した。史さんは、妻を左手で引きつなぎ、息子を右手に抱え、誰かが彼を後ろから押し出しているように飛び出した。火が消えた後、村全体で九人が焼死した。隣人は手をたたいて彼の無事を喜び、「昨日あなたを笑ったが、悪かった! 銀七〇両が三人の命を救った」と言った。私が思うに、史さんは司命神(人々の一生の命運を掌握する神様)の助けを受けたと思う。そのうち、あの夫婦に贈った金銭の功徳は十分の四を占め、女色を拒絶した功徳は十分の六を占めている。
一四八、泥棒が牛に会う
姚安公が刑部の役人だったとき、徳勝門外(徳勝門は明清時代の北京城、内城九門の一つ)で七人が強盗をはたらき、五人が逮捕されたが、王五と金大牙の二人は逮捕されなかった。王五は潡県鎮(今の北京市通州区)に逃げた。そこの道は穴だらけで通りにくく、唯一の小さな橋は、人が一人渡ることしかできなかった。道端に強い牛が横たわっていて、それに近づくと、今にも襲いかかって来そうで、他の道を探すために戻ると、突然、巡回中の警官と出遭った。
金大牙は青河へ逃げ込んだが、橋の北側に牛飼いの少年が二頭の牛を連れて来て、(虫除けに)牛を泥の中に追い込んだ。牛が金大牙にぶつかって彼は転んだので怒り、牛と闘った。清河は首都の近くにあり、やがて金大牙は人目につき李首長に通告され、逮捕された。王五と金大牙は二人とも回族で、仕事で牛を屠畜していたが、牛のために正体を暴露された。
屠畜ほど悲惨で残酷なものはなく、動物でさえ復讐しようと憎しみと悪意を持っているのだ! だから邪気が乗り移った牛は悪人を見れば怒るのであろう? そうでなければ、牛にぶつかるのはよくあることだ。理由もなく橋が渡れなかったりするのは、誰かがそうさせたのであろう!
一四九、ちょっと生まれ代わる
宋蒙泉は次のように語っている。「孫峨山先生はかつて高郵(今の江蘇省揚州市)の船の中で病気になり倒れた。突然、まるで岸辺に降り散歩しているかのように感じ、とても軽やかで快適であった。しばらくして、誰かが先生を前へ連れていき、そして自分はなぜ前へ歩いているのか、ぼんやりとして忘れて、尋ねようともしなかった。それから先生は豪華な門ときれいな中庭のある屋敷へ着いた。だんだんと奥の部屋に入ると、若い女性が出産しているのが見えた。 彼は戻ろうとしたが、彼を連れてきた人に後ろから平手打ちにされ、意識を失ってしまった。
*宋蒙泉:宋弼(一七〇三~一七六八)のこと。字仲良、号は蒙泉。清の德州(今の陵県宋家集)の人。乾隆十年(一七四五)の進士、歴官編修、『続文献通考』纂修官、甘肃按察使等を歴任。著に『蒙泉詩集』『思永堂文稿』など。
*孫峨山:孫勷のこと。号は莪山。康熙乙丑の進士、大理寺少卿(今の最高法院、刑獄案件を担当その審理にあたった。)を務め、『鶴侣斋集』の撰者である。
どれほど時間が過ぎたのか何日かたったのか、久しぶりに目が覚めると、自分の身体が小さくなり、(赤ちゃんをくるむ)おくるみに包まれていた。孫先生は自分が生まれ代わったのだと心の中で解っていた。そして彼にできることは何もなかった。話をしたいと思った途端、頭上のひよめきから冷たい空気が体内に入り込んでくるのを感じ、話すことができない。先生が部屋を見回してみると、家具、器具、対聯絵などは非常にはっきりと見えた。三日目、女中さんが産湯をさせてくれたとき、手を滑らせ床に落ち、また意識を失った。孫先生が目覚めたとき、彼はまだ病気のままであの船に乗っていたのであった。
家に連れ帰り、家族の話では、孫先生はもう三日間も気を失ったままで、ただ、手足は柔らかく、心臓がまだ温かいので、あえて棺桶に入れてないとのことであった。(孫先生は)急いで一枚の紙を求め、この数日、自分が見聞きしたことを書き留め、生まれ変わった家へ使いを出させ、そこの主人に、手を滑らせ自分を床に落とした女中を殴らないでほしいと記した。それから、家族にこれまで何が起こったのかをゆっくりと説明した。その日に孫先生の病気は完全に治ったので、生まれ代わった家へ行って、女中さんたちを見ると、まるで昔からの知り合いのようであった。その家の主人は年老いて子供がいなかったのだが、彼は孫先生にに奇妙なことを話してため息をついた。
近年、通政司(内外の章典文書処理と臣民の訴えを審議する役人)の夢監溪も同じような病気になり、道路を進み生まれ代わる家と思われる門の所へ行った。その後、私はそこを訪ねてみたが、確かに、その日、出産直後に家族が亡くなったということであった。
少し前に官舎で、内閣の学者である图時泉がその状況について詳細に説明した。【これは孫先生の状況とかなり似ている。唯一の違いは、孫先生は生まれ代わりに行ったときの状況を覚えているが、目覚めて戻ったときの状況を覚えていないことである。夢監溪は行き来については非常によく覚えており、途中で亡くなった妻に会っている。そして彼が家に入ったとき、彼は妻と娘が一緒にいるのを見ているのである。】
仏教でいう、生まれ代わりの学説は、儒教では話すことを避けているものである。実際、生まれ代わりはしばしば起こり、生前の生き様と生まれ代わりの原因と結果に問題はない。ちょうど二人の紳士、孫峨山と夢監溪が一時的に生まれ代わりの輪廻に入り、その後、元の体に戻っただけである。理由もなくこのような生まれ代わりの泡影があり、これは通常の仏教の輪廻転生の学説では説明できない。六合(天地四方)の外には、存在するかどうかに関係なく聖人が存在するが論ぜないことなので、当面は難しい問題には早急に判断を下さず、調査しないで、疑念としておくほうがいいであろう。
一五〇、夢で判決を左右する
遠い親戚にあたる叔父の灿臣公は、次のように語っている。昔々、ある県令(県の長官)が殺人事件について判決を下すことができなかった。その遅れにより、ますます多くの人々が関与するようになった。そこで彼は城隍祠の神に夢判断をしてもらおうと町の廟へ行った。彼は神が幽霊を連れてくる夢を見ていた。そして幽霊は大きく膨らんだ小さな口の付いた磁気の壺を持っていた。壺には十本以上の竹が植えられていて、緑色をして綺麗であった。目覚めると、彼は事件の中で祝という名前の者を調べていた。祝・竹は同じ発音で、殺人の犯人は彼であるに違いないと考えた。しかし、拷問と尋問を繰り返したが、証拠は見つからなかった。
捜査を進めていくと事件で節という名前の者を見つけたとき、彼は心中で思った。竹には節(ふし)がある、殺人者は彼に間違いない! それで彼らはまた尋問と拷問を行ったが、しかし判決に足る証拠はでてこなかった。そして、これら二人の者は無罪となり九死に一生を得て、彼らはとにかく生き残った。 他に事件解明の方法がなく、県令はそれを疑わしい事件として報告し、別の部門に犯人を追い詰めるように依頼した。結局、殺人者を捕まえることはできなかった。謙虚な捜査が困難な事件の例として、真実を知ることの難しさがあるのも現実である。
神に夢の中で教えを願うことは、愚かな人々を怖がらせ、彼らをだまして真実を明らかにしないことでもある。夢の中の恍惚状態を評決の根拠にするのは、それは良いことではない。古くから、事件の黒白を夢の中で探し決めた話は、事後の無理なこじつけだと思っている。
一五一、明察な県令
雍正一〇年(一七三三)六月のある夜、激しい雷雨があり、献県の西の村人が落雷で死亡した。県令の明盛は現場を視察し、遺体を棺に入れ埋葬するよう命じた。半月以上たって、県令が突然一人の男を逮捕し、「火薬を買った目的は何か?」と尋ねた。その男は「鳥を撃つためだ」と言った。県令は反論して「銃で雀を撃つのに、火薬を買う費用はわずか数銭だ、一日に使うのはせいぜい一両か二両であろう。お前はどうして二〇斤も、三〇斤も火薬を買ったのだ?」 男は言った。「私は弾を作り準備をして何日も使うつもりです」。
*県令:戸数が一万戸以上の県域では長官は県令と呼ばれ、それ以下は知県と呼ばれた。
県令は言う、「火薬を買ってから一ヶ月も経っていないのに、使ったのはたった一斤か二斤だ。残りの火薬はどこだ?」と。男は答えなかった。取り調べの結果、男は強姦がばれてそれを見た男を殺害したことが明らかになり、側女とともに処刑された。
ある人が県令に聞いた。「彼が殺人者である証拠は何ですか?」と。県令はいった。「火薬は数十斤なければ雷のように偽ることができない。その調合には必ず硫黄も使わなければなりません。今は夏の盛りです。年末に爆竹に使う以外、今ごろ硫黄を買う人はほとんどいません。私は密かに市場に人を送り、誰がたくさんの硫黄を買ったのか調べさせたところ、皆職人の某々だと言う。また、職人の某々が誰に火薬を売ったのかも密かに調べました。そして彼らは皆それがあの男だと話したのです。そしてその男こそ彼だったのです。」
その人はまた聞いた。「落雷がウソ話であることをどうやって見破ったのですか?」県令は次のように語った。「落雷は、地面を破裂させることなく、上から下へと人々を襲います。また、家を上から下まで破壊します。今、家の茅葺き屋根の梁が飛んでおり、火が下から燃え上がって来たことが解り、オンドル(床暖房のようなもの)の表面も剥がされており、火は下から燃えてきたことが解ったのです。
また、その場所は街から五〜六里離れているので、雷と稲妻は同時のはずです。その夜の雷と稲妻は非常に強かったのですが、すべて雲に巻かれていて、落雷はどこにもなかったことが解りました。すべてが偽造されたことだったのです。そのとき、落雷で亡くなった人の妻は、すでに実家に戻っていて、尋問できなかったため、先に犯人を捕まえ、それから妻に問い正したのです」と。この県令は明察だといえる。
一五二、落雷毒の母
太仆寺卿(今の日本でいう国土交通省大臣にあたる)の戈仙舟氏は次のように述べている。乾隆一三年(一七四八)に、河間の西門外の橋の上に落雷があり、一人が亡くなった。彼この人は、ひざまずいたまま倒れずに亡くなっており、紙袋を手に持っていたが、袋は焼えていなかった。調べてみるとその紙袋の中はすべてヒ素であったが、燃えなかった理由は判らなかった。
その後、被害者の妻はその知らせを聞き、それを見ても泣かずに言った。「今日になるかと思っていたが、亡くなるのが遅すぎた! この男は昔から、お母さんを侮辱していた。昨日、彼は突然悪い考えを抱き、母親を毒殺しようとヒ素を買いに出かけたのだ。私は止めようと、一晩中泣いて説得したが、言うことを聞いてくれなかった。」と。
一五三、二姑娘・アールクーニャン
はとこの旭升はこう言っている。村の南にキツネの女の子がいて、多くの若者を迷わせていた。いわゆる“二姑娘・アールクーニャン”と言い、これがキツネの女の子である。ある一族の某はキツネの女の子を生け捕りにしようと考えていたが、そのことを誰にも話さなかった。ある日、彼は畑で一人の美女を見かけた。それを二姑娘のキツネだと疑った。それで彼は彼女に挑発的な歌を唄い、誘惑を込めた流し目を送り、草花を採って彼女の前に差し出した。その美女は花を取ろうと身を乗り出したが、突然数歩後退してはっきり言った。「あなたは悪い考えを持っていますね!」と。そして彼女は壊れた垣根を越えて行ってしまった。
その後、二人の書生が東岳廟の僧房で勉強していた。そのうちの一人は南の部屋に住んでいて、キツネの女の子と怪しげな関係にあった。もう一人は北の部屋に住んでいて、女の子を見ることはまったくなかった。南の書生はかつてキツネの女の子が来るのが遅いと非難し、北の部屋から来たのではないかと冗談めかしていった。「あなたは左手の袖を向こうへ振り、右手でこちらの肩を軽くたたいた。私と同時に他の人と仲良くしていませんか?」キツネの女の子は言った。
「私は何でも自由に出来る異界の者ではありません。あなたは私を軽蔑していませんか? 私は自分を喜ばせてくれる人のためなら、あなたと仲良くなりたいのです。北の部屋の方は心が木や石のようで、愛想がありません。どうやって彼に近づけますか?」
南の書生は言った。「塀に上って彼を誘惑してはどうか。三年間不動心でいたかどうか判るかもしれない。もし彼の誠実さが変わるならば、程伊川のように彼が他人の前では道教徒の顔をしていることがバレるだろう! キツネの女の子は、「磁石は鉄の針しか引き付けません。種類の違う人を振り向かせることは無理です。屈辱を与えないようにしましょう、心配することはありません。」
*程伊川:宋明時代の朱子学の主要な創始者の一人。彼の朱子学の確立は儒学に基づく。現在、伊川の朱子学を研究する人はほとんどなく、その新儒教の本質を把握することは困難である。
当時、はとこの旭升と私は亡き父、姚安公のそばにいて、姚安公はこの話を聞いて言った。「このことは以前に人々が話しているのを聞いたことがありますが、順治の末年に起こったことのようです。北の部屋にいた書生一族の祖先は雷陽公で、雷陽は古い科挙考試の優秀合格者(副榜・貢生)で、飛び抜けた方だと聞いています。心が純粋で誠実で、キツネの妖魔も近づかなかったのです。この話で分かるのは、妖艶な魅力に誘惑されるのは、誘惑された彼らが最初に邪悪な考えを持っているからです。」
タチヨミ版はここまでとなります。
2023年2月15日 発行 初版
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