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 中国昆明(クメール)で発見した新事実。そこは列島に渡る前の日本人の王国だったところ。全編ドキュメンタリー。
 インドのコルカタから報道し続ける記者
 探し当てたのは日本人の祖先だけではない。アイヌ人、北米へ渡る前のインディアンまでいた。インパールのタラートにはミャンマーからの商品がずらりと並んでいた。西南シルクロードの2つ目のルートを見つけた瞬間。
 第一ルートはチンランド国防軍のハッカからMizoramへの道。今回の旅でインパールルートを発見した。16世紀頃、この「マザーズ・マーケット」が出来たいう。インパールへはミャンマーをを越えてタイへ入れる。
 それはインパール作戦で逃れた日本軍の敗走ルートと重なっていた。
 2022年、インドの東北部のミャンマー国内では信じられない殺戮が行われていた。チンランドを殲滅しようとミャンマー国軍が総力を結集。ミャンマー国内の大学生軍隊が立ち上がる。そして、チン州の女性たち、サガインの女子高生、主婦が銃をとって立ち向かう。失った民主主義がどれほど大切なものか、わかった時、あなたは日本人が辿った哀しくも勇気あふれる民族の2000年の旅が、一気に積み重なる光景を目撃する

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東インド探検記

新谷宏幸

Royal Geographic Society in Bangkok



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  この本はタチヨミ版です。

 目 次

宇宙一、邪悪な街

不条理の極限コルカタ

辞表

北米インディアン源流を印度で発見した❣️アイヌ源流も 日本人源流も発見

貴州の謎 日本の伝統はどこから? 新酒杉玉、瓢箪、牛ツノ、神飾り、餅つき、なれ寿司、納豆、コマ、角隠し、どこまで

日本の紋章X字 岸田首相の伊勢神宮参拝映像に! 出雲に続き伊勢神宮に千木ーそれは雲南最大の牛ガウル

史上初 インパールで出雲大社紋章X字を発見❣️ 東インドー日本人の血筋が繋がる

西南シルクロード探査紀行 「蜀–身毒絹道」の謎 日本人王はなぜインドネシアへ脱出したのか? 先祖はアンダマン海の囚人島へ❗️

身毒国と書いてインドへの道

Mycenaeミケーネの貯貝器の謎

西南シルクロード Mizoram ルート 2021年4月発見

西南シルクロードインパールルート

コニャク部族のコレクション

コルカタトラムの謎

ヒンドゥー語

第Ⅱ幕 生命をかけなければいけない時

国境を越えてミャンマーの恋人たち

女子高生16才は兵士になった❗️

万人の生命に関わったnote

宇宙一、邪悪な街

わたしが働くバンコクのアソークの街角にたつバイオリニスト。彼の演奏が好きだ。彼の話いつか出来たらいいな
この本を見た人は彼に教えてあげてください。本のタイトル曲になったと


別の宇宙の存在、、。
それは、確かにあります。


ニューヨークの劣化版が
インドのコルカタの様に



 サダルストリートにあるMARIAというまるで、昭和の映画館の様なホテル。
 長い間、休業してたが、新オーナーが見つかって、また、オープンするかも。


マリアに隣接するパラゴン。サイアムパラゴンを日本の怪獣と言ってたのは視野が狭い日本人だった

なわけないか



 バングラディッシュ人が大挙して、コルカタに押し寄せており、それで、バックパッカーのホテルが軒を連ねて再オープン❣️



 バングラ人はなぜか、ドルを握りしめてサダルストリートに降り立つ。


 宇宙でもっとも邪悪な場所
コルカタ
カルカタ
カルカッタ




 英国のロバート・クライヴ将軍が「宇宙で最も邪悪な場所」と称したメガシティ・カルカッタ。その邪悪な大都市の住民をして「あそこはカルカッタで最悪の場所だ」と言わしめたのがかつてのサダル・ストリートである。麻薬、売春、殺人、そして貧困。世界のありとあらゆる負の部分が集結する一帯だった。



 20世紀後半、そのサダル・ストリートに外国人旅行者が集まるようになり、かつての売春窟がバックパッカー宿へと業種転換することによってアジア有数の安宿街が形成された。

 歩道全体が路上生活者で埋め尽くされ、少し歩いただけで「バクシーシ(お恵みを)!」と連呼する人々が群がって足首や腕を掴んで来るような場所。通りにはゴミが溢れ、腐敗臭と糞尿の入り混じった匂いが絶えず漂ってくる。


ひとたび大雨が降ると、その貧弱な排水設備のせいで下水もへったくれもないようなおぞましい汚水が膝上までやって来る。
 そのなかを裸足で人力車をひく男

 そんな悪夢の光景を目の当たりにした旅行者が宿から一歩も外に出られなくなって本国へと逃げ帰る、いわゆる「カルカッタ・ショック」という言葉すらあった。

少なくとも'90年代まではそんなカオスな安宿街だった。

 ホテルパラゴンにはイギリス人らしい60過ぎの女性が常宿していた。
 ドアは美しいミントカラー。
 だが、ドアノブがドアのど真ん中にある。

 入ると部屋と同じ大きさのベッドは2つあるだけ!

 寝るしかない




イギリス人冒険家

 初代クライヴ男爵ロバート・クライヴ (Robert Clive, 1st Baron Clive、1725年9月 29日 - 1774年11月22日)は、英領インドの基礎を築いたイギリスの軍人、政治家、 貴族。


冒険家の一生
1725年、イングランド・シュロップシャーの名門の家に生まれる。幼くして冒険を 好み、学業成績は悪く学校を転々とした。1743年18歳でイギリス東インド会社の最 下級の書記として入社し、翌年マドラスに赴いた。この年、たまたまマドラスがフ ランス軍に占領され(マドラスの戦い)、捕虜となるが、脱出に成功、1747年英軍 将校に任命される。軍人としてインドの覇権をめざすフランス東インド会社と戦 い、1751年にはマドラス西方の仏軍要塞アルコットを占領した。1753年帰国すると 英雄として迎えられた。
1756年セント・デーヴィッド要塞知事として再びインドに赴くが、この年フランス と同盟したベンガル太守がカルカッタを奪取したため、1757年クライブは600人の イギリス兵、800人のセポイ(インド人雇用兵)、500人の水兵を率いて34,000の ベンガル太守軍をプラッシーの戦いで破った。この勝利によってベンガルにおける イギリスの覇権が確立する。1760年再び帰国して下院議員の席を買い、1764年には ナイトに叙爵された。
1765年にはベンガル知事として再びインドに赴き、ムガル帝国皇帝からイギリスの ベンガル支配を公認する勅書を受ける。これによって英領インドの基礎は完成し た。1767年帰国すると、インドで私腹を肥やしたとして議会で弾劾を受け、1773年 ようやく無罪の決定を受けるが、相当な屈辱を受けた。健康が悪化したうえ、アヘ ン中毒にかかり、1774年にロンドンの自宅(45 Berkeley Square)で自殺した。











不条理の極限コルカタ

コルカタでしか見られないアンバサダー。丸みがある近未来のイメージは、ターバンを巻いた運転手がいたりするから、素敵

宇宙1の地獄コルカタ
最下層女子学生19才 弁護士目指すがレイプ殺される 不条理の極限


バリスタとポロ選手たち


手が4-6本もあると思わせるほど、忙しくビンから、何やらえたいの知れないコナを釜に放り込む男

オーバースロー、
次はサイドスローだ

 ひっきりなしにお客はやってきて、休まる暇がない。

水のボトルを宇宙に浮かせ、口をつけずに器用にのむ。

 ガネーシャの様な男は恐らくバリスタ兼調理師兼社長。
 そのほかのボーイは、揃いの赤いポロシャツを着ている
 1-15番の数字が大きく背中に書いてあり、その番号の上に円弧の文字

 KONA DUKAN

男は沸騰する大きなミルク鍋に紅茶葉を放り込んだ。
丁寧に柄杓を上下させて、チャイを混ぜる。

覚え難いのでカルカッタの「粉図鑑」と書けば覚えれる

 場所はイギリス統治下に建設された街並みの中心地、中央ポストオフィスの裏にある。

 不思議なテイストのチャイは、この界隈で働くビジネスマンを魅了してやまない

 普通のチャイ屋さんは一杯6ルピーなのに対して、倍以上の15ルピーもする❗️

愛と勇気の粉図鑑ー間も無く映画化されます!

 どうだ!

 まいった?





 あ〜も〜、疲れたよ
 コルカタ生活。

 何が疲れるかと言えば、絶えず狂魔(クルマ)が鬼の様にクラクションを鳴らし「どけろ❗️」とばかり威嚇すると、「うるせー」と30秒以上も続く、ビェーンというクラクションの応酬。さらに、イラだったインド人は目を血走しらせて狂犬の様に吠えたてる。

 「きみたちは犬じゃないのに」

 こんなところで、粉図鑑はがんばっているのだ。つくづく偉いなと思う。

 クラクションとチャイはセットです

 熱気のこもるインドのコルカタ。
そのコンクリートに籠った熱が湯気の様に揺らぐ。
そのなか、カマユデオヤジは素焼きのカップにチャイを目にも止まらぬ早業でついで行く。ゼッケン3のぽろポロ選手はそれを大切そうにただ一つのカップをもってお客に渡しには行く。

 なんで、背番号15番まであるんだ、と思ったあなた。

きっと、ポロチームの選手がウェーターのアルバイトしているのかも知れません

コルカタのビジネス街の裏路地のチャイ屋さん。コナズカン
スタッフはゼッケンがついたポロシャツで身を固める

コルカタの殿堂
INDIAN COFFEE HOUSE

地獄の川を渡すルピー貨

ガンジス川の向こうに渡ったら、舟底に板の切れ目からルピーを置いていかなければならない。この話は2-3話先に書けるかな? 



この原稿をコルカタ大学の向かいにある由緒正しいカフェ館で書いています

本屋さんと本屋さんの間に「INDIAN COFFEE HOUSE」という看板があるので、写真の細い入口を入っていきます。



2階はオペラの観客席の様に一階の大広間を見晴らせる!





  タチヨミ版はここまでとなります。


東インド探検記

2023年2月1日 発行 初版

著  者:新谷宏幸
発  行:Royal Geographic Society in Bangkok

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新谷宏幸

ジャーナリスト。バンコク駐在

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