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花が咲いていたのは在りし日のまぼろし。偽ったのはお
そらく己。本筋はとうに忘れて、残り香だけを追いかける。
春。一瞬は押し花のように、記憶をとどめて。
白昼の気絶の俯瞰のような、どこか遠くで呼吸している感覚。同報無線が行方不明の人を探している音声が遠くで鳴っている昼下がりにも似た、意識の表層をただよう既視感覚。穏やかな日常はどこか他人事だ。
紅茶 / セロファン / 明度を落とした照明 / うずくまる猫
忘れないでねと願ったかつての自分を放棄する。望んだはずの約束を反故にする。なぜなら、優しさも時間も本質的に残酷な物だから。
行き場がないのであれば、そこには確かに過去が見え、景色は霞んだ。未来がもしも到達できないものであるなら、逆光にしなだれたその腕で、嘗て希ったものをつかみそこねた晩年の私を、今日の私が迎えに行くと約束しよう。
掠れた文字で書かれた「希望」や「平和」を、取り返しのつかなくなった未来の人たちが哀しそうな目で追っては、何度も、何度も、指先でなぞっている。
愛や信頼などという不確かなものよりも即物的なものを信じている。
別れの花びらは湖面に浮き、世のはかなさは水底に沈む。その急流と緩流のまざりあう地点で、祈りだけが透き通っている。
かげろうのように揮発していく外気温に揺れながら、闇が支配しはじめた夕暮れの公園で草むらに横たわった自分の死体を静かに見下ろしている。ひとことでいえばそれが彼岸であり、夏という季節が内包するぼんやりした暗さの正体だ。
言葉というものの重みと薄情さを、おなじくらい知っている。言葉とはペテンであり、同時にそのひとの体温である。
おそらく人間には感情があるからという理由であろうが、ときに主観が客観を断罪することがある。
市井の営みや人々の情緒の盈虧など気にも留めず、無関心にひろがる空はどこまでも青く、存在しない消失点にむかって果ては白んでいる。
縄を綯うように感情で美徳を織りなすとき、ある種の優雅さもときにまたその人の悲鳴であり祈りであるかもしれない。美しく生きるためには、ときに優しく狂れていなくてはならないのだ。声にならぬ声が明日を問うとき、私はただ雨に打たれつづけることしかできない。
永遠という甘いまどろみが私を磨り減らし、記憶を溶かしてゆく。
縛めるものは現実であり、記憶であり、期待であり。
名前の付いていない個性がその人らしさを語る。孤独というものはいちいち名札をぶら下げたりはしていない。
移ろえる秋の残り香と冬の静けさ。吐息は白くかすれ。仰ぐ空は遠くに滲んだ地平線へと透き通った眼差しを向ける。季節をもたない私は曖昧な現実の淵を無自覚に溺れつづける。
少しずつ異なる引力は、まじわることのない軌道を描いて遊星を宙に浮かす、落とす。孤独もまたそれに等しい。
確かに手に入るはずだった穏やかな楽園は遠くに霞み、届かなくてよかった到達点としての精度だけがむなしく己を祝福する。指には絶望との"engagement ring"──白昼は空に吸い込まれる。
花は落日に燃え。うつくしく青ざめた夕暮れが行き場を失ってさまよう。
かつては選択次第で手が届いた色んな物が、随分遠くなったなと思う。選べなかったのは、私。選ばなかったのも、私。在りし日に愛しくなぞった景色だけが、記憶の淵で飴色にかがやいている。
去り際の目配せのような春の陽射し
愛とは結局のところ実践。概念としての「愛してる」など何の意味もなくて、そこでしかできないこと、そのときやらなければいけないことの絶えざる実践なのだ。それを疎かにして、或いは放棄した人間が、後から「ずっと好きでした」とか「愛してる」と告げたとして、それは愛という名を借りたおままごとに過ぎない。
信頼できる相手だからという理由で結果的に依存してしまう、というのはよろしくないし可能ならば避けるべき事柄だ。受け止めてくれる相手だからこそ、投げてはいけないボールもある。
望めば、出会うことなく、すれ違える距離感で放たれる言葉の奥行きについての覚え書きのような物と戯れている。
たとえば整ったかたちの指先に塗られた爪色の、深みと鮮やかさだけが信じられる。それが誓いとは無縁だから。曖昧な現実感への片思い。それだけが私たちの交わせるすべてだ。
大人というのは見てくれを繕うのは上手くなるし、それなりに経験も積めば安易な愚行にも及ばないものだが、記憶の隅にこごりのように溜まりをつくる幼い頃の拙い悪意に復讐されつづける。
凶相の夜の莟を淡い朝の滴が伝って落ちた。
希望は首を括り、讃歌は蒼褪め、栄光は逃げ出そうとしている。
善良な人と悪人がいるのではなく、おなじひとりの人間の中に善人と悪人の両方がいるから、誰しもがどちらにもなりうる。
追いつめる。張りつめる。登りつめる。
足跡すらも自らの気配を消せない。ひとつの署名のような個性は何度も足を搦めとる。それでも橇が滑るように、自らの重みで筆は止まることなく、私以外の何者でもない文字をなぞってはほつれて、夜は深さを増してゆく。
選びとるものと同様に、切り捨ててゆくものもまた、その人の本質を浮き彫りにする。
ころころ。殺殺。
過ちは、すべて手ずから。
瑣末な何かについて言語化するとき、自分のなかに過不足の無い小さな確信を得ると、それは自己を癒す。
同じ言動をとっても赦せる人と赦せない人がいるのは、つまるところその人物への信頼に還元される。
元の鞘に収まるだとか反りが合わないという言葉があるように、ある刀に合う鞘はある程度決まっている。そんなに種類は多くない。そして残酷なことだけれど、たぶん収まる鞘のない刀もある。
思い込み以外ではほとんど存在できないような「安心」という概念をあてにしないほうが良い。
──記憶を回遊する春
──白んだ空に揮発する夏
──映写機から投影される秋
──明滅をくりかえす冬
白く曇った窓に指先でねがいをしるす。誰かに見られたら叶わないから、見つかるまえにもう一度指先でなぞって消す。そうやってあなたに見つからないままのねがいを私はもうじゅうねん持ちつづけている。
100%の人を愛するというのは愛というよりは恋だろうし、自分にとって100%じゃないけれど、その人と決めて関係性を大事に育むというのが愛であろう。自分にとってメリットばかりではない対象に自分を差し出すこと、そういう相手に勝ち負けを譲ること、そういうのがおそらく愛と呼ばれる物に近い決断だろう。
過剰か不足しかない。
遠ざかり、見送り、震え。
炭酸水に沈む、自罰感情とレモン。
叶うはずのない願いを夢みる愚かさや、躊躇を伴う逡巡、日常に収まりきらずに食みだす弱音や甘え、そういうもののほうが人間らしくて安心するし、苦境にいる人を励ます力を持ちえる。
ノブを回せばドアは開いてしまう。その向こうがわを歩いて進むことが正解なのかはわからないのだけれど、すでに右手はノブに触れている。
悲しみにはいつかの消印が押されている。
曇天と日々の渦。
意味のないものに意味を求めるのが人間。
日々に照らされて、燃えかけの炎は消える。この世界はもしかしたらかつての人々の憧れがつくりあげた蜃気楼のようなものかもしれないけれど、灰のように体温を喪失した未来の淵で、燃え残りのかすのように存在していたい。
この残酷な世界で、私たちは問うことしか許されないのでしょうか。断崖に咲くカトレアのように。答えは摘み取られる前に朽ちてゆきます。私たちは一等うつくしく、残酷に降るこの雨にきっとこれからも打たれつづけるのです。
どういった事象について沈黙するかという選択が、ときにその人物を雄弁に語る。
いつか愛した指先も、ひさしくなぞった面影も、「さよなら」はそのぜんぶに背を向けて屋上から身を投げる。
くゆる煙草から立ち昇る白いすじを見つめて吸い込んだひかりには、別れがつまっている。
過ぎ去った情景ほど鮮やかに語る。
不安定な足場で、これ以上ないステップを踏む。人生はそんな繰り返し。
助言というもの自体がそもそもいびつで不完全なものです。誰も相手のすべてを知り得ないし、もしもあらゆる背景や状況を考慮して語られるアドバイスがあるとしたら、それは唯一イコール何も語らないことです。他愛ない個人的な動機で語られる言葉に意味があります。
底なしの穴に突き落とすのが絶望なら、真綿で首を締めつづけるのが希望だ。
落ち葉は蝶のようにひらひらと。
微笑ましい怠惰。愛すべき傲慢さ。
弱さを武器にするのがたぶん甘えなんだけど、強さに溺れるのもある種の甘えに見える。
桜も落葉もひとしく、地を染めるのは時に与えられた仮初めの命のしるし。美しくその断片を散らす花々も、朽ちた処からほころび、やがてその身を枯らす。それは過ぎてゆくものの影であり、或いは私たちが追いかけているすべては、その移ろいが落としていったただの残像に過ぎない。
手毬歌 / リトグラフ / 白い双曲線 / 死に化粧
サヨナラだけが人生だとは思わないけど、おはよう・おやすみ・或いは「またね」その延長にある様々で人生は色を染めていると思うことがある。人が他者との関わりの中で存在するなら、些細な日常の挨拶は、そこに流れる時間・境遇・光の射しかたと突き合わせたとき、ときに差し出された手にも似る。そして、そのとき差し出される手の名前を人は孤独と呼ぶ。
言葉はその名によって騙られる。
月に捧げる断末魔。
生は死の幕間。迎えを待つ踊り場で、洋燈の点滅と点滅のあいだに二拍の歓喜。そして願いは息の根を止める。
夜の匿名に溶けてゆく。
愛していると告げるよりも君を愛していないと告げるときのほうが言葉としての決断性は重いし、たぶん勇気が要る。
正解のない問いは見送ることしかできないが、人生ではときどき、そういう問いに答えなくてはならない。
幕間劇だけが続いていく。
首からぽとりと落ちた椿の花のように、既に事切れた死だけが何の齟齬もなく整合している。生きているかぎり、すべては矛盾だらけだ。覚悟でも惰性でもなく、そういう生をただ生きてゆく。
理想というのは結局、たぶん届かないもので報われないものでしょう? そう思う。だけども、それを捨てることもまた自分が自分であることを貶めてしまうことに等しく。だから叶うとか叶わないとか正しいとか正しくないとかそういう概念とは無関係に、自分だけの理想は持ち続けたほうがいい。
記憶は蜃気楼。写しとられた陽炎に揺れて。
問いとは絶えざる反復であり、その強度は答えの多様性に比例する。
派手なことはしない、誰も振り向かないフックの地味な練習をくりかえす。花に水を遣るように、そうやって日々はまわってゆく。世界には答えがあふれているけれど、誰も救いはしない口先だけのしあわせばかりだ。そういうものに全部さよならして、私は誰にも期待されていない、自分の歌をうたい続ける。
赤と橙で編んだ金魚。記憶のあやとり。
淡くかさねる、花の色のように。
濃く滲ませる、記憶のフィルムのように。
遠野物語に迷い込んだアリス
執着とは抜けなくなった指環のように思える。誓いや幸福も過ぎたるものは自らを締め付ける。
果物籠をいっぱいにあふれて、まぶしく注ぐ幸福がけだるい。
夢遊病とアルコールランプ 鍵束と水槽 寒天とレンズ 地下室からつづく洞窟にならぶ余命の蝋燭 釘とパズル 死者の血で香るVanilla 過眠症の猫 3/4拍子でくりかえす殺人教唆 砂糖菓子の媚薬 だれもいない葬列
数学的な集合論とはまったく整合しないんだけれど、ある人の絶望と別のある人の絶望、その重なったところが、重なり合いそれ自体が、その二人にとっての希望なのだろう。そこに生じる引力は、少なくとも好きなものや愉楽のたぐいの共感とは孤絶した、強い力になって引きあう。
撒き餌のような幸福と、それに群がる従順な日常と。
色んな意見が飛ぶなか「もっとも熟慮された正解は何だろう」と発される言葉が私見という物で、自分の考えを持つことの大事さをいうならそれはさもありなんだけれど、一貫して黙っているとか何も見ていないふりをする人からスマートな印象を受けるのは、そもそも言葉という物が溺れる者の藁だからか。
赤は、血の色。裏切りの赤。
氷菓子と夏空。
それを背負う責任も覚悟もなく、一等美味しいところだけを美しく貪る。どうしようもない不公平と矛盾を孕みながら、一方で世界は何も禁じてはいない。
大人とは自分の孤独の面倒を自分で見られること、そしてそれを他人に見せないことではないだろうか。孤独の飼い慣らしの難度には個人差があって、それは人間に降る苦楽が偏っており、決して等しくはないからだ。
説明は尽くせても背景の質量を共有できない。それゆえに言葉は一方通行で私たちはかけちがいのボタンだ。だからもしかしたら分かり合えたかもしれない誰かや、過去や未来とも、いつだってこんなにもすれ違っている。
息も絶え絶えな内省が仰ぎ見る視界には、匿名の住人たちが振り下ろした正しさで撲殺された死体が山と積まれている。
夏の夜に冒されてゆく。
空に描ける祈りはわたしやあなたが思う以上に限られていて、リボンが結ばれたプレゼントは紐解かれることなく。夜はやさしく、等しく、今日も名前のない星が流れてゆく。
人は崩れると解っている積み木を積み上げる。壊れると判っている約束を愛する。報われないと分かっていて、それでも誰かを思う。生きることそれ自体が最後にはまっさらな更地に戻ることを運命づけられているのに、まるで皮肉そのものではないか。
送り火のように、不要になった愛や詮無い羞恥やありきたりの憐憫が無造作に火にくべられては、ぱちぱちとはぜる。夏の終わりは羽ばたけなかった者たちの墓場だ。だから夕焼けは復讐の赤にも似て、あざやかに燃えている。
人生はほどけない絡まりと踊るダンスのよう。
世界のどうしようもない不条理や矛盾と戦いつづける人々を斜めに見て、滅びた言語でふたこと、みこと。
急に訪れた秋はなぞる間もなく、無傷の少年少女がする恋のように、深く落ち。
孤独には等高線が引けない。
とってつけたような幸福と、急に降り止む雨。
昨日と今日のあいだに返り点が打たれている。
自分の中で何かが整合しないため、それなりの輝きとわかっていても、あえて手のひらの隙間からこぼれ落とす。ぽつりぽつりと。
最後は全部引き算されていって、これ以上もう引くものが無くなって絶える、という終わりがよろしい。
幼さも愚かさも、時間とともに年輪が刻まれる。その皺のそれぞれに付与された質量が、かつての羞恥であったり、惑いであったり、後悔であったり、そういうものを滲ませてゆく。人は、老いゆくのだ。
バランサーとしての無主義と無信仰、あるいは極論。
誰かが信じてくれることは祝福であり、同時に、祝福は成就しなかったとき呪いにもなりうる。
出来ることと、出来ないことが明確になっていくが、それは敗北ではない。
日記にしるす文字のように、おやすみを結ぶ。明日もまた、容赦のない現実に殺されに行くのだ。
誰も、どれも、自分の手のひらに残らない、すり抜けていく誰かの幸福をにらみつけては、やさしく微笑む、そういう人生が今日も世界のどこかを流れていく。
過去とは暗渠の流れ。普段は地面の下で見えなくとも、その地面の下をいつだって静かに流れている、現実という主旋律の伴奏者。
道理としての正しさはときに必要だけれど、正しさを振りかざすとともすれば悪になるのは、正しいことに追い詰められたとき逃げ場がどこにもなくなるからだ。正しいことは往々にして傷ついた者を救わない。
針に糸を通すような祈りを、ブルドーザーのような思想が我が物顔でめちゃめちゃにしていく。そういう世界で、信じる何かを何度でも組み直して生きていくことの意味を、ときどき知りたいと思う。その手が虚無を掠めるとしても。
叶わぬ願いと、少し足りない角砂糖。
等身大すぎるのも、必ずしもすべての場合において良いわけではない。
独房の壁にとりとめなく記される文字も、閉め切ったプライベートルームで崩れ落ちる飴色の片想いも、やせこけた夕焼けを讃美する四分の三拍子の円舞曲も、たったひとり打たれるこの美しい雨に、まざって、溶けてゆけ。
それによって己をゆがめる羞恥の類いは、生まれくるたびにその場で撃ち殺して、何度でも正しく私を整列しろ。
黒塗りにされた正解を何度でも書き直す。
音なく、沙汰なく、季節は移ろいゆく。
傍から見たら無駄とか失敗にしか思えない人生でも、あるいは当事者自身にすらそう思えても、それを褒めて肯定してやれるのは自分だけで、自分だけは評価してあげなくちゃいけない。そうでなければ、精一杯そこをくぐり抜けてきた過去の自分に失礼だ。
ひとはみんな、それが赤かったことだけを思い出しながら、齧りかけの林檎を残して死んでゆく。
ときに介入は賢しく、狡く。善意であるからこその限りない悪意になりうる。
真新しい白い服が、似合わないような人生だった。いつでも、出来合いの幸福でお茶を濁して滑り込んでは、そそくさと逃げ出すような、そういうありふれたその他一名だった。それこそが人生の愛おしさそのもので、同時に蛇足だった。
かつて選べた中で、後悔するような選択は一度もしていないけれど、納得して死んでいけるかとか、そういうことに関して、自分の人生が何とかなるとはもう思っていない。適当に人生の袋小路に迷い込んで、適当に野垂れ死ねたらいい。フィクションの中で、知らない誰かがしあわせになれたらそれでいいよ。
殊、言葉の海では、舟を編むほどに溺れる。
退屈な「愛している」を出し抜いて、その場かぎりの「好き」が略奪する。
良くも悪くも、敗北した事柄ではなく、承服できなかった事柄がその人を形づくる。それはイコールそれがその人の能動的な選択だからだ。
今日やれるだけのことをやって、あとは明日の自分に丸投げ。そのくりかえしの日々。季節は過ぎゆき桜は舞う。
問い、疑い、改めよ。
深海の墓石を水底に沈んだ花びらが重なりあうように弔い。涸れ、朽ち、ほつれ、崩れ落ち。
時折り、冷たい麦茶に口をつけては、そうかなぁ。そうだねぇ。などと言いながら、何かのついでのようにやわく向き合う。君や、あるいは誰かと。どこかで風鈴が鳴り、そんな夏がどこまでも続いてゆけばいい。
「やり残した過去」に嫉妬する「手垢のついた未来」。
指紋をつけすぎた約束と、結べなかったリボン。
君臨する、簒奪者としての夏。
何かを分かったような言動に傷つきながら、別の局面では自分も分かったようなことを言ってしまう、というのが人間だと思う。矛盾に苦しみながら、あるときは矛盾に救われる。描くすべては運命の行きずり。
時間は波のように浚ってゆく。
嫌いな物の多さは、イコールそれだけ傷ついてきたという痕跡です。
人間はどれほどのものを自分で選べるのか。先天的な才があれば早くから頭角を現し、稟質の欠落があれば遠からず馬脚を露す。それはほとんど労して獲得される要素ではなく、生まれながらに決まっている運命のようで。糸を引いている神がいるなら、それはとても残酷だと思う。
借り物のドレスで踊る。足はつま先を忘れて。小気味良いリズムは能動性を浚い。タンタンタン。タンタンタン。どんどんどん。どんどんどん。かつて優しく睨みつけるように押し殺した瞳で将来を見つめていたあの頃の私が、約束を違えた未来の私を、きっと殺しに来るでしょう。
畏敬する人物であったり、影響を受けた人や物の開示を恥ずかしく感じることがあるのは、おそらくそれがその人自身の限界に関係しているからだろうと思う。人は自分にない物を求め恐れる。
逆しまに置かれた鏡と、佯狂。
自分以外の誰かの渇き、そしてそれゆえの必死さだけが癒すものがある。生をすり減らし、止まることなく走り続けても地べたに倒れ込んで潰えるような、絶望がどうしようもなく美しい。
2026年7月23日 発行 第3版
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1979年、長野県生まれ。A型。うお座。