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夜明けの太陽を撮り続けた。 それにしても、「地球交響曲第七番」には、たくさんの夜明けのシーンが登場する。アリゾナ砂漠地帯の夜明け、グリーンランド氷山の夜明け、熊野古道山岳地帯の夜明け、紀伊半島大海原の夜明け、伊勢神宮、明治神宮、天河神社の夜明け……極めつけは、奄美大島で撮影した白昼の夜明け皆既日食。
監督である私が言うのも変な話だが、今でも「なぜ、こんなにたくさんの夜明けを撮ることになってしまったのか?」とフト考えてしまう。それは多分、「第七番」のテーマを「自発的治癒力」と定めた時、既に、無意識の内に決まっていた事なのかも知れない。夜明けの太陽を身に浴びることが自分の生命力を活性化する、ということを、私達人類は太古の昔から知っていた、と私は思う。
この生命力のことをアンドリュ・ワイル博士は「自発的治癒力」と名付けた。物質的には常に生々流転を繰り返し、一刻一瞬たりとも同じ状態に止まっていない生命システムの「統一と調和」を整えようとする目には見えない力、この力のことをワイル博士は「自発的治癒力」と呼んだのだ。
自発的治癒力は、この世の全ての生命体の中に宿っている。人間はもちろんのこと、草にも木にも鳥にも、山や森や海にも、岩や風や水にも、そして母なる星地球そのものにも……。自発的治癒力こそが、38億年の昔、太陽系第三惑星に奇跡のように初めての生命体を生み出し、度々の大絶滅の危機を乗り越えて今日まで生かし続けて来た「宇宙の大いなる意志」の現れなのかもしれない。
By 龍村 仁
月に向かってロケットを発射するときは、近代科学は有効だが、十五夜の秋の名月を家族とともに見るとき、お互いの心と月とをつなぐ心の内面を語るのには、月で兎が餅つきをしているお話の方が、ピッタリくるのだ。
しかし、科学技術の発展した今日に、今さら月の兎でもあるまいとつながりを否定してしまったために、現代人の多くは「関係喪失」の病に苦しみ、孤独に喘いでいるのではないだろうか。
科学の知のみに頼って世界を見るとき、人間は孤独に陥るが、関係回復の道を示すのが「神話の知」であると、哲学者の中村雄二郎が指摘している(哲学の現在」岩波新書、一九七七年)。
彼は「神話の知の基礎にあるのは、私たちをとりまく物事とそれから構成されている世界とを宇宙論的に濃密な意味をもったものとしてとらえたいという根源的な欲求で」あると言う。そして、神話の知は「ことばにより、既存の限られた具象的イメージをさまざまに組合わすことで隠喩的に宇宙秩序をとらえ、表現したものである。
そしてこのようなものとしての古代神話が永い歴史のへだたりをこえて現代の私たちに訴えかける力があるのも、私たち人間には現実の生活のなかでは見えにくく感じにくくなったものへの、宇宙秩序への郷愁があるからであろう」と述べている。
短い説明であるが、これで現代の心理療法家が神話に関心をもつ意味がわかって下さったと思う。われわれは常に現代人の「関係回復」の仕事を助けねばならず、そのためには「神話の知」が必要なのである。
河合隼雄氏「ナバホへの旅・たましいの風景」から
里は、(サ)と(ト)に分けられる。(サ)は早乙女、小百合などの(サ)で、いわゆる接続語だが、充足した共寝を(さ寝)というように、特別な状態を表した。
五月、早乙女の田植えとのかかわりから、(サ)を穀霊とみる説があるが、小百合やさ霧など、必ずしも穀霊でなくてもいいわけで、霊威の満ち満ちている状態を表すとみたほうがいいだろう。
(ト)は、場所、霊威がおもてに現れた場所をいう。大和(ヤマト=山の霊威が現れた場所)や、港(ミナト=水の霊威が現れる場所)などの例からいえる。したがって、(サト=里)は、霊威の満ち満ちて現れる場所のことである。
そういう場所だからこそ、そこに集落を営んでいることになり、集落の呼び方としてふさわしいことばである。
共同体は、なぜそこに営まれているかという村立の神話をもっていた。始祖の神がよい土地を求めてさすらった果てに、選んだ土地というのが、その神話の基本型である。
つまり人がそこに集落を営むのは神に選ばれた場所だからである。そのような場所だから、神に守られており、また豊かでもあった。サト=里は、そのような内容から言った言葉だった。
By 古橋信孝(日本古代文学者)
※写真は、秋の津和野・永明寺境内にて。
我々の言葉で、「生きる」ことは「呼吸」と同じです。宇宙の全ては呼吸しています。 ですから、命を授かった時点から地球のサイクルに入り、宇宙の全てと呼吸を共有しているのです。
生命を授かったことに責任を持ち、自らを啓蒙しながら自分の道を歩まねばなりません。それこそが地球を通過している本来の意味なのです。
私たちクレナック族の伝説の中では、命が絶たれたあと、我々は宇宙全体の命を支えている全宇宙的なパワーの一部となるのです。
一個の生が個人的体験を超えて、全宇宙的に広がっていくのです。それは一つの「希望」です。「死」に恐れを感じる必要はないのです。
人間は鳥のように静かに飛び去っていくことができるのです。
地球を通りすぎるだけなのに、なにか記念碑を残してゆくような人は、それだけ自分に自信がないのです。
なにかを成すために人間は存在していると西欧の人は考えるが、なにも成さないためにいてもいいじゃないでしょうか。
人間は宇宙の一部であり、その宇宙そのものが素晴らしい記念碑であり、創造物なのですから。
アマゾンに住むクレナック族の賢者の言葉より
すでに鎌倉時代にあって道元は、大著『正法眼蔵』の「山水経」の巻において、目の前に広がる山水そのものに本来の生命がまっとうされていることを指摘し、だからこそその山水にも仏の教えが実現しているのだといった。そしてさらに道元はここで「山が動くことを疑ってはならない」という。私たちがもし、山を景観として眺めるならば、山はむしろ動かざるものとして見えるだろう。
だがもし私が、山中深くに分け入り、そこに生きる草木虫魚が放つ生命エネルギーを全身に受け、山が私なのか、私が山なのかという生命の一体感にふるえるならば、山そのものが生き、山が動いているということを疑うことはできない。道元にとって山水という自然は、仏法がそのまま実現しているに等しい、本来の生命のあり方そのものであったのだ。ここには自然観・世界観と同義の宗教観が率直に吐露されている。仏教者に限らない。芸術家に限らない。日本人は長いあいだ、生と死の観念を、その実感を自然観とつねに分かち難く抱いてきた。
山は動いている。いっときもとどまることなく。そこが生命エネルギーの源流であり、生命存在の原理を情報発信する始原にあることを、古代の日本人はいち早く気づいていたにちがいない。日本人はその、いのちの情報を発信する本体を神と認識したのではないだろうか。だから日本人は、唯一神教を信じる人々が思い、口にするような自然を支配する圧倒的な神を認識することがない。する必要がなかったのだ。神は気配としてあり、生命の根源としてあるのだから。
久保田展弘氏「さまよう死生観・宗教の力」より
泉や滝、川や海浜など、水のある場所、山や社寺の森など、大きな樹木のある土地は、聖地の中でもとりわけ心身にやさしい癒しの空間であった。水や樹に触発され浄化されて、おのずから人はシャーマンになってゆく。さらに深い自然との融合を求めて、山中深く分け入る者もいる。川をさかのぼり、岩を越えて、山ふところ深く入るにつれて、汗が流れ落ちるように、心身が清浄になってゆく。
山は五感だけでなく六根を清浄にする聖なる道場、行場である。そして六根清浄となった身体に、自然のもつ霊力がしみ透ってくる。自然治癒力の賦活である。かつて山伏修験者が山中にこもって呪力を身につけ、自ら癒されるとともに癒す人となって帰還してきたように、山は、内なる自然治癒力をよびさまして、人を自然の行者に変容させる。またしてもシャーマンが内にめざめてくる。
ノンヒューマンなものとのナチュラルな出会いを求めて、人は日常を離脱して聖なる場所に向かって歩く。なぜ人は離脱にかられるのか。この日常そのものに離脱の誘因がある。日常の生活が着実に営まれ、現実がゆるぎなく、社会が堅固であればあるほど、その中から離脱の誘いが頭をもたげてくる。安定すればするほど日常は危険となってくる。
人は、生きるためにつねに能動的に生産活動に参加し、そしてつねに受動的に官僚機構や行政組織の利用者として社会に加えられている。人はこの官僚機構に取り囲まれているという感じにいつもとらわれており、昂じれば、捕縛されているという息苦しさとなる。
BY 藤原成一
日本人はやはり日本人であり、日本の自然はほとんど昔のままの日本の自然である。科学の力をもってしても、日本人の人種的特質を改造し、日本全体の風土を自由に支配することは不可能である。
それにもかかわらずこのきわめて見やすい道理がしばしば忘れられる。西洋人の衣食住を模し、西洋人の思想を継承しただけで、日本人の解剖学的特異性が一変し、日本の気候風土までも入れ代わりでもするように思うのは粗忽(そこつ)である。
余談ではあるが、皮膚の色だけで、人種を区別するのもずいぶん無意味に近い分類である。人と自然とを合して一つの有機体とする見方からすればシナ人と日本人とは決してあまり近い人種ではないような気もする。
また東洋人とひと口に言ってしまうのもずいぶん空虚な言葉である。東洋と称する広い地域の中で日本の風土とその国民とはやはり周囲と全くかけ離れた「島」を作っているのである。私は、日本のあらゆる特異性を認識してそれを生かしつつ周囲の環境に適応させることが日本人の使命であり存在理由でありまた世界人類の健全な進歩への寄与であろうと思うものである。
世界から桜の花が消えてしまえば世界はやはりそれだけさびしくなるのである。
by 寺田寅彦
「古代人」の世界では、生者と死者はおたがいがごく身近なところにいた。最近の縄文遺跡の発掘でいよいよあきらかになってきたことは、縄文人たちが自分たちの村を円環状につくり、その真ん中にできた広場に、死者を埋葬していたという事実である。
昼間は広場に立ち入ることを慎んでいた人たちが、夜になると広場に集まってくる。そして、死者を埋葬した上で、踊りのステップに合わせて、地中から死霊が立ち現れてきて、生者といっしょになって踊りだす。
いまの盆踊りの原型である。そのとき、死者と生者の間の距離は、ほとんどなくなってしまっている。「古代人」はそういう状況を、別に怖いとも恐ろしいとも、思っていなかったのだろう。
むしろ、生と死は分離できないというのが、「古代人」の基本哲学であったから、生者と死者が一体となって踊っている、こういう夜の状況こそが、この世界の真実のあり方をあらわしているもの、と考えられたのではなかろうか。
しかし弥生時代になると、早くも死者の分離がはじまる。もう村の真ん中が死者の埋葬地という古い考えは捨てられて、村から少し離れた山裾に墓地が設けられるようになった。そうなると、一般の人のもとには、夜、気軽に死霊があらわれてきて、いっしょに交流するなどということはなくなってきた。特別な巫女や男巫女のようなシャーマンのもとにだけ、死者の霊は訪れるようになる。
中沢新一氏「古代から来た未来人・折口信夫」より
今日、日本の伝統について考える誰でもが、ムクで粗野な流れと、装飾的形式の両極の間でとまどわされる。相反する相。素朴なモチーフが形式上の洗練でおおわれている。能の美学にもそれが見えるし、茶道にもいえる。お茶室などは生活の素肌の感動を生かすのが、そもそもの動機であるのに、些末な美学、気どりやいや味におちいって、つまりは装飾になってしまっている。
表現をとると、モチーフが稀薄になってしまう。日本人の奇妙な弱さであり、不幸である。視野を狭くする器用さ。しかし私はその奥深く底にある、無償といえば、あまりに無償な純粋性を指摘したい。その姿は、いわば日本刀の透明で鋭い切れ味を思わせる。
すうっと物体を通りぬけてしまって、刃あとも残らないような。力で押しつけ、傷つけるというのではない…。武士道などそれを汲みあげて、 一つの厳しいモラルを構成した。しかしこの資質はどうも、量には転換できない脆さをもっているようだ。
マッスになると、いつでも崩れ、本来の透明さを失う。
非思想的なゆえに、説得力をもたない。同質的な少数者に対しては「以心伝心」だが、無言の言葉は、しかしひらかれた大きな組織の中では呪力を失う。
日本人は個性が強くないのに、単独でバラバラだ。個々の間に気あいは通じても、空間的・時間的にはなかなか拡がりがもてない。
By 岡本太郎
社会とはそもそも同質の人々が同じ目標に向かって、競争的に生きる場所ではないはずだ。ぼくは、競争をいちがいに否定するつもりはない。ただ、競争原理こそ社会の基本原理だという思い込みに反対するのである。そんな社会は、仮にあったとしても長続きするわけがない。本来人間の生き甲斐とは、生産性や効率性の観点からみれば無駄にしか見えないような時間にこそあったはずだ。
時間を「無駄に過ごす」ことにかけては幼い子供たちにかなうものはない。そういう時間の過ごし方を「遊び」という。遊びは日常の現実生活の論理性から逸脱しているから、そして合目的性から自由であるから輝いている。「無駄」だからこそ充実している。思えば我々は誰もみな、遊ぶためにうまれてきたのではなかったか。
ぼくたちは今ではもうめったにブラつかない。寄り道、回り道、遠道、脇道、横道。ぼくたちがかってもっていたこれらの道はまっすぐではない。目的地へ向けての一本道ではない。目的地などない道もたくさんある。あったはずの目的がなくなったり、他のものに変わってしまうこともよくある。ひとつひとつの道が違い、同じ道も昨日と今日では違う。雨と晴れでは違うし、連れによって違うし、冬と夏では違うし、桜とツツジでは違う。
「道草を食う」・・・。馬に乗ってみて初めてこのことばの意味が実感できる。辞書に「目的地に達する途中で無駄な時間を費やすこと」とある。馬に自分の目的を伝えようにも、文字通り、「馬の耳に念仏」。それにしても、道草とは、いいことばだ。
むだ草や 汝も伸びる 日ものびる ( 小林一茶 )
by 辻信一
古い話になるが 『日本書紀』によると、イザナミノミコトは火の神を生んだため陰部を焼かれて死んだという。死んだのち、彼女の遺体は熊野の有馬村に葬られたが、その墓前に旗を立て、花が供 えられた。それのみではない。笛を吹き鼓を打って、歌い舞い、この神の魂を祭ったという。死者の魂を慰めるのに、笛や鼓を鳴らし、歌舞の効果に期待しているということに注意しよう。神の死という異常な場面で、一種の興奮と狂躁の演出が意図的におこなわれているのである。
そのうえ、この送葬の場における意外な賑いは、実をいえばたんなる神話上の作り話などでもなかった。古く大王が亡くなったとき、その喪葬儀礼に従事する専門の集団がおり、それを 「遊部・あそびべ」と呼んだ。かれらは埴輪をつくったり、大王の陵を造営したりしたが、送葬の場面ではさまざまな儀礼を担当した。酒食のような供物を用意する者もいるし、武器を手にとって王の荒ぶる死魂 を慰撫するようなこともした。そういう死体処理の仕事につく人びとの振舞いが、さきのイザナミノミコトの送葬の場面にもよくあ らわれていると私は思う。
死んだ人の魂にむかって楽器を奏し、歌舞を奉る人びとの影が浮かんでくる。そういう人びとの集団「遊部」(あそびべ)と 呼んでいると ころが面白い。ここではむろん、「遊び」はたんなる消閑 ・慰安のための遊戯などではない。死者の遺体を安置する「殯宮(もがりのみや)」というせまく限 られた空間で、歌舞と酒食をたてまつる儀礼にそれはかかわっている。身を慎しむ籠りの状態のなかで、目に見えないものと交歓するところに 遊び」の本義 がかくされていたのである。「あそび」が同時に「とむらい」を意味していた時代があったということだ。
BY 山折哲雄
生命の根源が何であるかについては、今の生命科学でも明らかでない。古代の中国人は、天地の間に充つる気は、すなわち天地の息吹きであり、同時に人の息吹きであり、
あの雲となびき、風となって吹きめぐるものが、すなわち天地の生命の姿であると観じた。
それで最も重大なことは、この字宙の根源である気に祈ることにした。その行為を「乞ふ」という。
古い字形では「气(気)」と「乞」とは同じ字であった。気を動詞化した字が乞であり、気と乞とは名詞と動詞との関係にある。
by 白川静
太古、航海術も造船技術も幼稚であった時代に、南の人びとが日本列島にたどりつくのには黒潮を利用するほかなかった。この黒潮は台湾の東海岸から出発するが、はじめは緩慢な流れである。それが日本の近海に近づくと速度をましてくる。この海流には季節風の働きがくわわるから、黒潮の利用は、つねに不確定な要素をともなわずにはすまない。
つまり地中海がヨーロッパ文化のゆりかごであったようには、黒潮は人間の計画性にとって信頼できる相手ではなかった。南の文化や人間をはこぶ黒潮は一方的に送り手の文化に終始し、受け手である日本列島の人びとはそれを期待するだけで、計画的に、進んで摂取することがむずかしかった。こうしたことは日本人の意識を受動的なものにせずには置かなかった。『万葉集』に海に関する歌のすくないことはよく指摘されるが、それは当時の日本人が航海に関心を示さなかったことを物語っている。しかし、それだけにいっそう、日本人の感覚は海の彼方にむかって研ぎ澄まされたのである。
日本人は海外にはかって,つねに烈しい願望と期待をもって望んだのである。日本人が海外のある国にたいする冷静な客観的な認識をもつのは、それはその国にたいして日本人の関心が本質的になくなるときに限られていた。日本列島は資源の乏しい島である。これが日本人の海外に関心をもたないではすまない最大の理由である。それは物質のみならず精神についても言い得る。これは一口にいって「孤島の感情」である。常世を存立させるものは、日本人の中につたわるこのような「待つ」感情にほかならなかった。
日本の海村を訪れた旅びとは、地元の老人などがつねに海のなぎさに関心を払っているのに気がつくにちがいない。とくに嵐のすぎ去ったあくる朝などは、大勢の人びとが海岸に出ている。それは海からの贈物である魚介類や流木や海藻などが打ち揚げられていないかを見まわる姿である。こうしたものは、流木が寄木の神とみなされ、寄鯨が海神の贈物とされたように、すべて常世から送り届けられたものと思われた。日本の常民は、それらを待ち受けるという感情の中に身をひたしてすごしてきたといえる。それは年の折目ごとに訪れるマレビトや祖霊の到来を待つ感情とも重なり合う。
By 谷川健一
依代(よりしろ)とは。「依る」は「そこへ依って来る」という意味で、「代」はエージェント代わりという意味です。日本ではつねにこの「代」が大事で、何の代わりかというと、ここでは神様の代わりということなんですね。日本の神というのは、実体をもっていません。ごくまれに神像をつくることもありますがそれは仏教の影響であとから作られたものであってめったにつくらない。神の実体というのはわかったようでわからないものですよね。ミアレするものです。おとづれるものです。
そのかわりエージェント、代わりをするものはいっぱいある。その代表的なものが木ですが、岩や山も依代になるし、何もなければ柱やポールのようなものを立てて、それを依代にします。これが各地のお祭りに立つ梵天とか左義長です。依代が決まると、そこに界を結び、御幣を飾り、注連縄を張る。そして結界を印すための四囲四方の目印の木を決める。結界の境目に立てる木なので、これを境木といいます。いまは、「榊」と書きますが、じつはこの漢字は中国にはないもので、日本の国字です。
日本はこういう漢字をもっと作ったほうがいいですね。たとえば「峠」とか「裃」という字も国字です。とてもわかりやすい、編集的でおもしろい字です。このように境木が結ばれると、この結界の全体もまた「代」になります。そこで、ここに屋根をかけると「屋代」になる。これがのちに社になり神社になるわけです。あるいは、車輪を付けて依代全体を台として持ち上げると、祭りの山車や鉾になる。それを人間が担ぐようにすれば、神輿になります。
松岡正剛氏「神仏たちの秘密」より
縄文人が住んでいた海進期の日本は、現在の地形と全く異なり、大都市の多くは海の下にあった。そんな時期に育まれた「野生の日本」の痕跡を歩き回れば、その呪縛がどれほど強く現在の都市社会の成り立ちに作用しているかが分かる。この「アースダイバー」手法をもって探訪される大阪は、南方や大陸から来る海が押し寄せる文明の孤島だった。その大秘境へ歴史ダイビングを敢行する本書は、大阪こそ日本に成立した「ホンマモンの都市」だったと、スリリングに謳(うた)いあげる。たとえば、あの自治都市、堺。そこには、濠(ほり)や壁を巡らせた城塞(じょうさい)都市を母形とする、自由を死守する市(シティ)と市民が生まれた。一方、海の中から現れた砂州だった大阪市内では、農地から発生する権力だの地縁だのに属さない、無縁で自由な海民が、壁をめぐらす代わりに物と金銭を機軸とする「市(マーケット)」を築いた。その異質な無縁社会を律する新たな規範、「信用」を武器にして、船場の商人は都市をつくる。しかし、本書のダイブはさらに深海へと進む。たとえば、大阪のお笑い興行と「差別」の根っこにまでも。いまミナミと呼ばれる界隈(かいわい)は、笑いや官能や快楽の一大歓楽街だが、かつて広大な墓地や火葬場、刑場にあてられた場所だった。芸能は死者を葬る儀礼から生まれる。通夜の席や死者の口寄せに付き物だった謎かけや「掛け合い萬歳(まんざい)」から、ボケと突っ込みをセットとする大阪漫才が発展する。また上町台地でも、墓地に隣接し巫女(みこ)が神懸かりする場所だった生玉(いくたま)(生國魂〈いくくにたま〉)神社に最初の落語「彦八ばなし」が掛かった。大阪のお笑いの古層には、神々や死者との交流・交渉を担った「聖地の思考」があるのだ。吉本のお笑い芸や大阪のおばちゃんの性格を通して論証していく語り口が、すでに「芸」の域に達している。
荒俣宏「大阪アースダイバー」書評より
上古代の人びとは、そうした土地の精として、なかでも植物、とくに 『樹木』に心を寄せていたようだ。植物が天空と大地を結ぶ循環路の「毛細管」に当たり、その代謝の担い手であることはすでに述べた。
人びとはこうした樹木の群れに天地の『生の拍動』、ここでいう「いのちの波」を直観的に感じとっていたのではなかろうか。
こうして見ると、森こそ「生きた精霊」となる。それは天地の『はらわた』 ではないか。
わたしたち人間は、ときに自然の巨大なうねりに出くわして、この肉体に隠された本来のリズムをとり戻し、宇宙交響の原点に還ろうとするのではないか。
三木成夫『胎児の世界』より
秋になると、よくアスファルトの落葉を掃いてゴミ袋につめて燃えるゴミに出している光景を見る。どれだけ無駄で、なおかつ環境や健康に負荷がかかっているか、お解かりになるだろうか?もし土のままであったなら、落葉は微生物たちの働きにより、時間が経てば朽ちて土に戻り、腐葉土が積み重なった生産性の高い土になる。しかも、ほうきで掃いたりする手間もなく、それを燃やして二酸化炭素を排出することもない。
自然がどれだけの生産力を持ち、バランスを保つシステムを持っているかを理解していたら、便利さや快適さだけを優先して、こんなにアスファルトだらけの場所を作ったり、雑草が邪魔だからといって除草剤をまいたり、草を刈って丸坊主にしたりしないはずだけれど、現代人は平気でそういうことをする。生まれたときから消費するのが当たり前の世界に私たちは生きている。そしていつの間にか消費するために、あくせく働く羽目になる。昔は自然が衣食住を提供してくれていた。そして癒しや医についても自然の恩恵を受けてきた。
現代の都市生活も自然の恩恵の上に成り立っているが、それが昔ほど日常生活で直接感じることがなくなっている。しかし、生物多様性を失い、生産力を失った自然の上では、人間は生きていけない。今は一刻も早く自然のシステムを理解し、その生産性を高めることを助ける必要がある。「自分=自然」「環境の健康=人間の健康」という感覚は日本人には刻み込まれているのではと思う。便利な現代を超えて、新たな価値観を創造する必要があるが、異常な消費文化の中に生きているという自分の立ち位置を認識することが出来たなら、われわれ日本人は自分達のやり方を見つけることができるのではないかと思う。
By 安珠
人間の所業は、自然と敵対するものであってはならない。かといっても、「自然と人間との共生」論にも私は与しない。本心は、こうだ。「共生」とはおこがましい。人間は自然の「寄生虫」なのである。おのずからそこには「本来果たすべき役割」もあろうが、「わきまえるべき分」もあろう。
人間はほかの生物の利用度を高めながら生活を進歩させてきた。そしてその利用度は今や搾取のレベルに達している。使える間はこき使い、いらなくなれば「ハイ、それまで」である。しかしこれは言葉を換えれば他の生物に対し「一方的な依存度が高まる」ことに他ならない。搾取の対象を広げ続ければいずれすべての対象は枯渇する。待ち受けるのは人類の、そして地球の破滅である。終わりが何年先にやってくるかはわからないが、この方向に進んでいるという事実、そして方向転換は早いほど修復は容易であることは意識しておくべきであろう。今こそ現代人の柔軟性、すなわち生命力が試されているのである。
by 田中一( 元・赤目養生所の医師)
「文化」は広がり、「高度化」していく。
この「文化」の高度化というものは、個人の段階で見ると「上達」という言葉で表現できると思う。「上達」は、ある段階までは人間らしい身体構造・機能によって担われる。
しかし、そこからさらに上の段階になると、人体の中に温存されてきた過去の遺産、つまり魚類や「四足動物」から伝承されてきたDNA情報や身体構造、あるいは潜在的な機能というものを、進化の流れとは逆に、発掘し直していく作業が必要になるのだ。
「四足動物」からさらにさかのぼって、爬虫類、さらにはその先の魚類の構造・機能まで開発すれば、不世出と呼ばれるような選手になれるはずだ。実は、こうした考えが、私の言う「運動進化論」の定義なのだ。我々人類は、自然の中に埋没している動物たちの中から、「文化」というものを作り出す存在として抜け出した。
しかしもっと大きな「文化」的な意味、要するに「文化」の高度化という現象に関しては、人間の中に隠されている自然性への回帰が、大きなカギを握っているのだ。ただし、それは、外側の自然に回帰するのではなく、「内なる自然」に回帰していくことだ。
「文化」の高度化、個人の段階では「上達」、つまり多様化の方向ではなく質や水準が高まるという方向での「文化」の豊かさは、「内なる自然への回帰」によると言えよう。
by 高岡英夫 「究極の身体」より
二十世紀の幸福の達成感は、「幸福=物的欲求分の物的充足度」といった図式で説明できるように思えます。
私たち人間もまた自然生態系の一部であり、「命の運び手」である以上、環境との断絶、自然との断絶はありえないのです。
景観は目に見える環境の総和です。ただ、物理的に美しい、文明的な美の有り様を景観と称しているのではありません。
風土・風景との文脈を有し、人と自然のつながりが正の状態であることが望まれる景観の姿です。
自己実現が成熟した社会の幸福感の基盤であるとするならば、それを果たし得る、目に見える環境の総和としての景観、人の顔色にその健康状態を見るのと同様、地域の健康状態を表す景観を整え、未来へ向け、
「つながりを見ることができる社会」を心で観ることができる社会を構築すべきでしょう。
BY 涌井雅之
昼なお薄暗い静寂の森では、光の動向と眼のすえ方、風の訪れと呼吸の息のリズムは一体化する。鈴木秀夫はこれを「判断中止の思想」とみなした。砂漠では判断中止はそのまま死を意味するが、森林ではその死を見つめることすら発達するということだ。梵我一如の思想の萌芽であった。
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※ 鈴木秀夫とは : (東京大学名誉教授・気候学が専門であり、前線帯で気候を区分する考えを示した。特に氷河期以降の気候の変動についての研究をすすめた。研究対象は気候学にとどまらず、周氷河地形研究やアフリカ地誌研究、風土論、宗教学、言語学など幅広い分野で多くの業績を残した。
気候などの自然環境とそれに関連した人間生活や文明の変化についても多くの論考を著し、地理学を基礎とした文明論を展開した。一般向けの著作も多い。
※ 梵我一如(ぼんがいちにょ)とは : 梵(ブラフマン:宇宙を支配する原理)と我(アートマン:個人を支配する原理)が同一であること、または、これらが同一であることを知ることにより、永遠の至福に到達しようとする思想。古代インドにおけるヴェーダの究極の悟りとされる。不二一元論(advaita, アドヴァイタ)ともいう。
松岡正剛「空海の夢」より
中国の鬼の影響を受けつつ生み出された日本の鬼も、大蛇・龍ととともに、古代から現代まで人びとの心をとらえ続けきた妖怪である。鬼の姿かたちは日本人ならば誰でも知っている。しかし、鬼が鬼になるまでの来歴が千差万別である。死者も鬼になる。生きながらにして鬼になる者もいる。
疫病や雷や風の猛威も鬼として表現され、異人・異邦人も、地獄の獄卒や龍宮などの異界の住民も、鬼として表現された。さらに中世になると、道具の妖怪たちも鬼の仲間として登場してくる。いわゆる「つくも神」と呼ばれる古道具の霊たちは、自分たちに感謝の念を示すことなく捨てた人間どもに鬼となって復讐しようとした妖怪であった。
このように、中世の妖怪たちの多くは鬼の子孫なのである。天狗は仏教文化のなかで培われた妖怪で、平安時代から登場してくる。天狗はもともとは仏教を滅ぼすために、僧侶を魔界に転落させるために出現した。だが、やがてその活動領域を世俗の政治の世界にまで広げて王権破壊者となり、民俗的世界に入ると神隠しなどを引き起こすどこか間抜けな山の妖怪に変貌した。
小松和彦「 妖怪 」より
これは私見であるが、空海の思想はたしかに一見して豪華絢爛の趣がある。その表面に螺鈿(らでん)の装飾をほどこした宝石箱に似ている。だから、その表面をたどってかれの思想の概要解説することはできるかもしれない。
しかし、それでは豪華な衣装の内側にどのような身体がかくされているのか、美しい宝石箱の中に果して宝石が収められているのかどうかわかりはしない。空海は宝石箱をあける鍵を残さなかったのである。
鍵を残そうとして残しえなかったのか、鍵はすでに古今の経文の中にあると考えたのか、あるいは当時の文章表現の技術にわざわいされて自分自身の鍵を作り忘れたのか、いずれにしろ、かれはかれの鍵を残してくれなかった。
だからわれわれ自身がその鍵を作らなければならない破目に立ち至っているのである。かれの宝石箱をあける鍵、実はそれはアニミズム空間(新・アニミズム空間といってもよいが)であり、アニミズム世界なのである。
この世界に入り、この鍵を手に持ってその扉をあけるのでなければ、かれのマンダラ世界もやがては砂上の楼閣なのである。空しい絵にすぎない。
岩田慶治「コスモスの思想」より
私たち修験道の教義で最も重要なことは、「自然は既に悟っている」という世界観です。難しい教義で申しますと、「本覚」と「始覚」といいますが、もともと自然は悟っているから、修行することによって煩悩を持った始覚山伏(私)が本覚(仏)になれるのです。
すなわち、「大自然は既に悟っているから、そこへ分け入って修行することで、人間も悟ることができる」というわけです。ですから、本覚になるための修行の場は大自然ということになるのです。
一神教というのは、イスラム教でも、ユダヤ教でも、キリスト教でも、人の上に超越(絶縁)した存在としての「神」がいます。それに対し、われわれ日本人の感性においては、「自然の中に神も仏もいる」、あるいは「自然そのものが宇宙神である大日如来(天照大神)」であったりする訳です。そして、人の営みもまた、自然の一部なのです。
環境問題を考える時、自然をもの(対象物)として突き放して見ている限りは、本当の意味における環境問題の解決策は生まれてこないと思いますが、これからは「人の営みも、神も仏も自然の一部であって、自然そのものがすでに悟っている大きないのちである」といった視点が必要であり、森林保護や木の文化財保全には欠かせない視点であると思います。
逆に、これを妨げる存在は何か?というと、それが明治以来蔓延する、一神教的な価値観が生んだ近代合理主義なのではないでしょうか。
吉野金峯山寺前執行長 田中利典氏の講演録より
私達は全て「場」の中の存在であり、自分自身でしっかりとその「場」のエネルギー、いのち(生命)のレベルを高めていかなければならない。
また「旅情」とは患者の心のことであり、慈しみ育てながらいろいろな感情を溢れ出させ、相手と分かち合い、しっかりと尊敬、尊重しあうことが大切である。
そして、医療においても非常に大切な「祈り」。だたしこれは「よくしてください」と祈るのではない、祈りに満ちた心(スピリチュアルな場に感謝しながら)、万物と一体になる心が大事。
最後に「直感」であるが、これは魂が体を離れ、虚空に登りつめたときに生まれる。エビデンスのないものについては直感を働かすことが大切である。
身体にだけ焦点を合わせていたのが壁にぶつかってしまい、不安になる場合がある。理屈で解決しようとするよりも「そういう風にできている」と考えて理解した方がいい。
死後の生ということについても、知る必要はない。「ある」ものだ。
「命の目的とは成長すること」である。とにかくそれを信じ、生き方の問題や医学の問題を考えることが大切である。
By 帯津良一
二十世紀は、多くのことを発明しながらも、その成果を回収しきれなかった世紀である。戦争や飢餓や疾病が解決できなかったことを言っているのではない。そのような問題はおそらく二十一世紀の半ば近くまで持ち越されるにちがいない。そこまで二十世紀人類の努力は届いてはいない。そうではなく、この百年間の二十世紀が到達した英知、たとえば相対性理論や量子力学、分子生物学や精神医学、言語思想や文化人類学などに見られる英知を、どのように一般化し、どのように活用したらいいのか、そのような自分たちが創りあげた思想成果の活用にすら、ほとんど手がまわらなかったのである。もっと端的に言うのなら、われわれは自分たちが創りあげた極上の思想さえ咀嚼できない自己思想の砦にとどまったまま、二十一世紀を迎えるのである。むろんいくつかの試みはあった。たとえばフランスに興ったディコンストラクション(脱構築)の動向である。またポストモダンの動向である。あるいは脱工業思想や「イデオロギーや知識人は終焉した」という宣言もそうした試みのひとつだった。「歴史の終わり」という観点を持ち出した試みもあった。しかし、これらはおおむね流産していった。なかでは「成長の限界」を認識できたことや環境破壊の脅威を認識できたことが大きな成果であったが、それとても新しいプログラムを組み立てることまでは進めなかった。むしろ明確な英知の形をとることなく勃興したヒッピー運動やエコロジー運動やボランティア運動などが、かえって何かのヒントをもたらしているのかもしれない。しかし、もうひとつ大きな問題が積み残されている。それは、二十世紀以前の英知をどのように取り扱ったらよいかという問題だ。その最大な成果が宗教や論理や生死の哲学である。これらは現状では、もはや英知ではなく、ただの習慣や記憶になってしまったのだろうか。
by 松岡正剛
生き物としての人間が変わったわけではない。神経には自分の意思で操れる知覚運動神経と、自分の意思とは独立して内臓をコントロールする自律神経とがあり、自律神経によって動いている心臓は、自分の意思で一鼓たりとも止めることはできない。同じように、意識の面でも、「進歩」を追求する合理的・科学的な意識だけで暮らしや仕事が成り立っているわけではない。たとえば、家畜がいなくなりまったく金にならない畦草刈りを、ほとんどの農家が今も続けているのはなぜだろうか。草刈り作業の労働時間を考えれば、除草剤をかけたほうがはるかに効率的である。草がなくなると畦が崩れやすくなるという科学的な意味もあろうが、枯れて土が露わになった畦を心地よく感じない深層の意識がそうさせているのではないか。畦はさまざまな草やバッタや蝶や鳥などの生き物の生息の場であり、草刈りは彼らと関わる場でもある。刈り終わってイネが美しく映えた田んぼを見ると、田んぼやイネや多くの命との一体感に包まれ、時には田んぼやイネに働かされているのではないかという心境になる。それは、自分がその田んぼの自然や生き物の一部となり、一体となって生きている、生かされているという一体認識である。百姓ならではの至福を感じるひとときだ。『写真ものがたり・昭和の暮らし』を見て圧倒されるのは、人は生きるために、かくも肉体を使って自然と対峙してきたのかということである。過酷な肉体労働一般を賛美するわけではないが、自らのエネルギーでなく石油エネルギーや化学資材を使う労働がほとんどとなり、前述のような命と命のつながりのなかで生きている至福を感じることが少なくなった。肉体を使って直接、自然に働きかけることによってこそ、一体的に、総合的に認識できるようになるのではなかろうか。
By 農文協論説集
人が旅をして、新しい土地の風景を自分のものにするためには、誰かが介在する必要があるのではないだろうか。
どれだけおおくの国に出掛けても、地球を何周しようと、それだけでは私たちは世界の広さを感じることは出来ない。
いや、それどころか、さまざまな土地を訪れ、速く動けば動くほど、かつて無限の広がりを持っていた世界が有限なものになってゆく。
誰かと出合い、その人間を好きになったとき、風景は初めて広がりと深さを持つのかもしれない。
星野道夫・アフリカ旅日記より
東洋が選んだ道は概して、私たちを無常なる世界の外へ連れ出す方法である。これは特にヒンドゥー教と仏教に当てはまる。東洋の諸宗教の基本は、こうした無常なる世界からの解放を説いている所にある。
この方法は、東洋の特徴である、現実に対する非人格的なヴィジョンと軌を一にしている。これとは対照的に、西洋あるいはセム的な態度は圧倒的に歴史的であり、私たちを〔過去の歴史的な〕出来事や約束事へと突き返して止まない。
救済とは世界の外に出ることではなく、神の国に入ることであり、その意味するところはただ一つ、神のもとで″生きる″ことである。
By ヒロシ オオバヤシ
写真のフィルム(地球の小さな一片)が光のエネルギーを記録し、オーディオ・テープ(地球の小さなもう一片)が音のエネルギーを記録できるように、同様に、聖地(地球の大きな一片)も、そこで儀式を執り行う何百万もの人間のエネルギーと意図を記録し再生する、あるいは何らかの方法でその媒体となることができます。
寺院や聖域(サンクチュアリ)では、無数の聖職者や尼僧、巡礼者たちが何百年あるいは何千年もの間集まり続け、歌い、踊り、祈り、瞑想してきました。
彼らはこうして、愛と平和、癒しと英知のエーテルの場を絶えず充電し、増幅しました。
巨石のストーンサークル、ケルト人の癒しの泉、道教の聖なる山、マヤの神殿、ゴシック式大聖堂、イスラム教シーア派のジヤラート、ヒンズー教のジョティル・リンガ、仏教徒のストゥーパおよびエジプトのピラミッドは、濃縮された霊的大望の器(うつわ)であり、これは全人類によって達成されてきたものです。
これらの地は、また、ブッダやイエス、マホメット、ゾロアスター、導師ナーナク、マハーヴィーラ、その他の賢人やシャーマンたちが、霊的な英知の最も深い顕現に目覚めた場所でもあります。
マーティン・グレイの「世界の聖地」より
山は死者の霊がいく場所であると同時に、豊かな恵みをもたらす場所とされ、死と生が同居する。そこでの修行は死んで甦る、擬死再生の実践でもあり、人間の永遠の主題である死の克服をめざした。そこでは冬には、雪に覆われ生命が絶えたかとみられる山が、再び春になると水々しく復活するという植物の循環に由来する生の投影もある。山では神仏は一体である。修験は神仏習合を基本として民衆のなかに入り込んだ。その後、本地垂迹(ほんちすいじゃく)思想を通じて、インドの神が仏・菩薩となって出現するとされる一方、仏はホトケつまり、死霊や神霊(タマ)としても受容されて大地に根を下ろす。神仏は民衆精神の光と間を巧みに統合して根づいていく。かくして山川草木すべて物言う世界は、仏教風には山川草木悉皆成仏と表現され、ものすべてに仏性が宿り、生あるものはすべて宇宙の大生命の顕現となる。仏性、神性、霊性という表現をつうじて、人格的な神仏概念を流動化し習合化して受け入れるようになった。その原点に自然の力の読みとりがあった。
「大地と神々の共生」より
現代人は、一度「里」を捨てようとした。そうして、「里」を喪失した人々が生まれた。それが進歩だと私たちは、教わった。私たちは、「里」を捨てて、もっと広い世界に出て行かなければいけないのだと。ようやく、その虚しさに気付いて来た。もちろん私たちは、広い世界で活動することができる。私たちの前には、都市があり、世界がある。だが、広い世界とは深い世界だったのだろうかと、いま私たちは問い返す。私たちは、広い世界に目を奪われて、深い世界を失ったのではなかったかと。還りたい世界をもちながら、広い世界で活動することもできたはずだ。私たちは、二十世紀の終わりになって、知性だけに依存していたことの敗北を味わった。知性に依存するとは、知性によってつくられた科学や技術、言語や概念、論理、政治や経済に依存することである。知性がつくりだした人工的な世界に依存したといってもよい。人間がつくりだしたものに依存した生。そのとき、人工的なものがつくられていく前からあった、人間の根源的なものは、何に依存すればよいのだろうか。
二十世紀の社会の中で、人々は平和を求めながら戦争を繰り返してきたではないか。自由を求めながら、どこか自由には生きていない私たちをみつめなければならなかったではないか。豊かさを求めながら、何が豊かさなのかさえ、わからなくなっていたではないか。自然についても、生命についても、それが何であるかをつかめなくなっていたではないか。知性がつくりだしたものは、こういう世界であった。何か根源的なものが欠落している。すべてが私たちの手のなかにあるのに、つねに何かがない。私たちの社会は、根源的なところで敗北していたのではなかったか。おそらく、そんな思いが、現在私たちに、「里の在処(ありか)」 を探させている。私はそう感じている。
By 内山節
逃げない社会(定住社会)のなかにあっても、人々が逃げる衝動を完全に失ったわけではないだろう。定住社会の間隙を縫ってすり抜けるノマド(遊動民)たちは、その後も絶えたことはなく、また、定住社会における不満の蓄積は、しばしばノマドへの羨望となって噴出する。だからこそ定住社会は、ノマドの衝動をひたすら隠し、わけもなくノマドたちに蔑視のまなざしを投げ、否定し続けてきたのであろう。人類がノマドとして生まれたことからして、あるいはノマドとして生きた時間の深さからして、その生き方は人類の体内の深くに染み入っているにちがいない。だが、たとえノマドへの衝動を持つにしても、すでにこの社会の人類が定住者としてしか生きられないこともまた明らかである。だとすれば、この社会がなすべきこは、ノマドの否定でも蔑視でもないはずである。定住することによって失ったものにも想いを馳せねばならない。ノマドの生き方とその歴史に向かい合う時がきた。
『人類史の中の定住革命』より
物質自身の持っている魅力への飢餓感は、日本だけではなく全世界的な傾向だと考えています。
ヨーロッパやアメリカで日本のインテリアがブームになっているのも、素材の質感、素材感への関心からでしょう。西洋の近代建築は、人工物であり、自然の質感を殺した建築です。日本の建築は、最終的な仕上がりに自然の質感を残していて、そこが西洋と日本との違いなんだと思う。
そして、日本の伝統的な建築手法を用いることによって、新しい建築空間を築くこともできると思っています。西洋の伝統的な建築では、壁と窓などの開口によるフレーミングが支配的になります。
そうすると、外部と内部は壁によって仕切られ、風景とか自然は額縁によってフレーミングされたひとつの絵画、つまり静止した画像へと収束してしまう。これに対して、日本の伝統建築ではフロアや床など、水平面によるフレーミングが支配的です。
この手法ですと、壁のようなフレームによって切断されることなく、連続した時間と空間が生まれます。つまり空間が、絵画のように静止したものではなく、動画的になって、空間と時間が入り混じるようになる。
By 隈研吾
※ 写真は西中国山地の古民家
アメリカ先住民・ダラコタの伝統の考えでは、霊魂は誕生したその瞬間にその体に入る。そこで良い霊魂が体に入ってくれるよう偉大なる神秘に、儀式を催して祈るのである。
ひとが死ぬとその霊魂は銀河に行って、それを南に向かう。その南の終りに年老いた女性が座っていて、あなたの地上の生活を審判する。
あなたが赤い道を歩き、またひとびとに寛大で、他を助け、すべてのものと調和のなかに生きたのであったならば、その老いた女性はあなたに、長い方の道、つまり宇宙の中央にいたる左の道を取ることを許す。
もしあなたが黒い道を歩み、どん欲で自己中心的であったなら、彼女は右の道を示し、あなたを突き落とす。
そこであなたの霊魂はふたたび地上に落ち、新しい肉体に宿ってこの世に誕生するのである。
それはあなたがふたたびすべてのものと調和に生きるため、新しい機会を与えられたということなのである。
もしひとが非常に若いうちに、そのような機会もなく死んだ場合は、長老がよばれ、その霊魂を一年間守護する。
この間その長老はその若い魂が銀河の左の道を行き、進化の旅を完成して、宇宙の中心に帰ることが出来るよう毎日祈るのである。
by A・C・ロス
人間を超えた存在を認識し、おそれ、驚嘆する感性をはぐくみ強めていくことは、どのような意義があるのでしょうか。自然界を探検することは、貴重な子供時代をすごす愉快で楽しい方法のひとつにすぎないのでしょうか。
それとも、もっと深いなにかがあるのでしょうか。わたしはそのなかに、永続的で意義深いなにかがあると信じています。地球の美しさと神秘を感じ取れる人は、科学者であろうとなかろうと、人生に飽きて疲れたり、孤独にさいなまれることはけっしてないでしょう。
たとえ生活のなかで苦しみや心配ごとにであったとしても、かならずや内面的な満足感と、生きていることへの新たなよろこびへ通じる小道を見つけ出すことができると信じます。
地球の美しさについて深く思いをめぐらせる人は、生命の終わりの瞬間まで、生き生きとした精神力をたもちつづけることができるでしょう。
鳥の渡り、潮の満ち干、春を待つ固い蕾のなかには、それ自体の美しさと同時に、象徴的な美と神秘が隠されています。
自然が繰り返すリフレインー夜の次に朝が来て、冬が去れば春になるという確かさーの中には、かぎりなくわたしたちを癒してくれるなにかがあるのです。
レイチェル・カーソン著「センス・オブ・ワンダー」より
修験や巡礼におもむく人々は、険しい道を一歩一歩登りつつ、その苦しい息遣いの中にこそ、自分の有限生命が無限生命の中に呑み込まれてゆくことを体感していたのではないだろうか。生と死をもつ小さな生命を数珠つなぎに繋ぎ止める大きな生命、それが山だ。山こそ、すべての生命のふるさと・・・、日本人は太古の昔から、そのように感じ取ってきたのである。(中略)
葬式仏教と揶揄される現代の日本仏教が、魂の原郷である山岳に帰還し、人間中心主義に冒されない、ホリスティックな精神性を獲得すれば、とかく方向性を見失いがちの現代文明人にも、大きな救いとなるはずである。仏教には、まだまだ地球文明に貢献しうる精神遺産が包含されていると確信しているが、そのためにも、(いのち)の山奥深くに帰還し、今ひとたびの脱皮を遂げるべきだろう。
町田宗鳳著・「山の霊力」より
その自然と人間とは、どこかで一体であるという意識がある。
かつて宗教学者の岸本英夫は、宗教意識の三要素として、実在感・拡充感・清純感をあげ、その実在感については、「すくい型」「つながり型」「さとり型」を分類した。
この、自力(さとり)と他力(すくい)の中間に置かれた「つながり型」とは、「当事者の意識として、極小なる自己が無限のひろがりの中に溶け込んで、自分自身もまた、無限大にまで拡大するのを覚えるものである。
自然現象の空間的ひろがりや、歴史の時間的な流れの中に、さまざまな形で、永遠なるもの、無限なるものが見出され、それが実在感の内容となる」と説明している。
岸本英夫『宗教現象の諸相』より
仙骨という概念がある。生まれながらにして神仙になり得る性をいう。福地の山野をめぐって仙薬を求め、清静恬淡として精神を錬えて修行に努める。山野を跋渉して仙薬を求めるのは足腰を鍛え体力をつける。無為清静の修行は欲を去り何事にも動じない精神を育む。仙骨がなければ、崖から落ちて死ぬし、修行に耐えられず山を下りる。あるいは病を得て衰弱はなはだしくついには死去する。要するに淘汰されるわけである。残ったものは、強い体力と精神力、それに高い免疫力をもち生きる知恵と運の良さをもった人物ということになる。運という科学的には解明できない確率論を加えるのは、いささか抵抗があるが、一秒差で命を救われた人のいることは確かだし、五秒差で前の人が買った宝くじが一等に当たったというのもある。運が良ければ崖から落ちることはないし、虎や毒蛇に襲われることもない。こうした過酷な生活に耐え残ったものだけが神仙となるのに相応しいが、それでも仙骨がなければ神仙にはなれない。こう考えると福地の性格はより鮮明になる。つまり神仙淘汰の場なのである。神仙を志す修行者全てに仙骨がない以上、脱落するものが必ずいる。神仙の階位に天仙・地仙・尸解仙という三つの種類がある。天仙は天上世界に昇る神仙、地仙は地上にあって不死を得た神仙、尸解仙は修行未熟にして一旦は死ぬが屍体の外形はそのままに、その本身が仙化する。仙運つたなく修行の中途で死に、屍体のあるものは尸解仙と理解されたし、屍体のないものは先刻まで生活していた洞窟や庵もそのままに、忽然として姿を消して仙去したと解釈される。こうした事例も存在したであろう。なぜなら六朝期の志怪文献や唐代の伝奇文献には、道士達のこうした記事が少なくないからである。ところでここでは福地を「理想の大地」と標題した。それは神仙信仰にもとづく理想の条件を備えた土地であるからで、通常の人々が生活する場ではない。まして桃源郷ではない。しかし、自然という側面からみれば、森林と清流という景観は一つの理想として位置づけられる。 山田利明氏「森と神仙思想について」より
かつて境界とは眼に見え、手で触れることのできる、疑う余地のない自明なものと信じられていた。しかし、わたしたちの時代には、もはやあらゆる境界の自明性が喪われたようにみえる。境界が溶けてゆく時代、わたしたちの生の現場をそう名付けてもよい。
たとえば、生/死を分かつ境界。ほんの十年か二十年足らず昔には、死の訪れはだれの眼にもあきらかな劇的な瞬間であった。今は違う。病院の白い小部屋に横たわる肉身の死を、わたしたちはもはや、心臓に端子を結んだ機械の画像のなかの波が少しずつうねりを弱めつつ、一本の線と化す瞬間としてしか体験できない。
死は機械が告知するもので、わたしたちが自身の眼で確認できる性質のものではなくなった。脳の死。心臓の停止。肉体の腐敗…、生/死を隔てる境界はどこにあるのか。
あるいは、男/女、大人/子供、夜/昼、そして、想像/現実・・・、を分かつ境界、いや、おそらくは境界という境界のすべてが今曖昧に溶け去ろうとしている。
異界ないし他界という、超越的な彼岸がわたしたちの日常の地平から根絶やしに遂(お)われたとき、いっさいの境界が自明のものとして存在しつづけるための根拠もまた、潰えてしまったのかもしれない。
異界=他界という、差異の絶対的な指標の喪われた場所では、境界はたえざる浮遊状態のなかに宙吊りされている。
赤坂憲雄『境界・生と死の風景をあるく』より
伝えるところでは、空海は、放浪時代に役小角ゆかりの河内の香貴寺を復興したといわれている。その事実の当否は別にしても、彼の行動パターンが、役の行者の系譜をひく民衆的修行者の流れに属することは明らかである。
日本仏教の土着過程について考える場合、この事実は十分注意しておくベき点であろう。古代神道と仏教の交流という点からみても、空海は最澄よりいっそう積極的な態度をとっている。
空海が中央の文化から遠い地方出身者であり、また民衆修行者としての青年時代を送ったことから考えれば、彼の基本的発想が、大陸からの渡来僧やエリート出身の僧たちを中心にした都の仏教とちがって、底辺の庶民の古い呪術的習俗に親近感を示したのも当然である。
たとえば彼は、平安京の南端・羅城門の東側に東寺(教王護国寺)を建立したときには、洛南の稲荷山の神を地主神として祀っているし、高野山(金剛峯寺)の建設にあたっても、寺を建てる前にまず土地の山神である丹生明神を寺域内に勧請している。
これは、その土地に住む精霊である神々から許可を得て新しい寺社の地域を定めるという、古代的信仰にもとづいた考え方からきたものであろう。この種の信仰は、世界の未開民族の間には共通して見出されるものである。
湯浅泰雄氏「気・修行・身体」より
今日の西洋化した日本人は、抽象的な一般概念や、哲学的な思考には無関心であるという特徴は抜きにしても、知性の面では、教養あるパリやボストンの人々とほとんど対等といえる。
ところが、日本の知識階級は、超自然的なものに関する認識については、はなから過度に侮辱する嫌いがあり、刻下の宗教的な大事となると、完璧に無関心である。
大学で近代哲学を学んでも、社会学とか心理学とか、その学問的関連性を独立して研究しようなどという気はほとんど起こらないようだ。
彼らにとって、迷信はただの迷信でしかないのだ。迷信と日本人の情緒との関連性などに至っては、まったくもって興味の対象外である。
それというのも、日本人がみずからを徹底して理解しているからというだけでなく、その知識階級が、きわめて当然のこととはいえ、いまだに訳もなく、自分たちの古い信仰を恥じているせいでもある。
小泉八雲氏「 日本の面影」より
たとえば、非常に受け入れがたい困難な現実にぶつかったとき、人間はほとんど無意識のうちに自分の心の形に合うようにその現実をいろいろ変形させ、どうにかしてその現実を受け入れようとする。もうそこで一つの物語を作っているわけです。あるいは現実を記憶していくときでも、ありのままに記憶するわけでは決してなく、やはり自分にとって嬉しいことはうんと膨らませて、 悲しいことはうんと小さくしてというふうに、自分の記憶の形に似合うようなものに変えて、現実を物語にして自分のなかに積み重ねていく。
そういう意味でいえば、誰でも生きている限りは物語を必要としており、物語に助けられながら、どうにか現実との折り合いをつけているのです。作家は特別な才能があるのではなく、誰もが日々日常生活の中で作り出している物語を、意識的に言葉で表現しているだけのことだ。自分の役割はそういうことなんじゃないかなと思うようになりました。
小川洋子氏「物語の役割」より
コケが森というコミュニティを一つに繋ぐ互恵というあり方は、私たちに、生き方のビジョンを与えてくれる。コケは、自分たちが必要とするわずかばかりのものを森から受け取り、たくさんのものを還元する。彼らの存在は、川の、雲の、木々の、鳥や藻の、そしてサンショウウオの生命を支えているのに対し、私たち人の存在はそれらを危険に晒す。人間がデザインしたシステムは、奪うばかりで何も還元せず、森で起きている健全な生態系の創造とは似ても似つかないものだ。皆伐林は、ある一つの生命種の短期的な欲望は満たすかもしれないが、それはコケやウミスズメやサケやトウヒにとっての、同様に正当なニーズを犠牲にしたうえでのことだ。私は、近い将来私たち人間が、自己抑制のための勇気と、コケのように生きる謙虚さを手にすることができるという展望にしがみつく。それができたとき、私たちが立ち上がって森に感謝を捧げれば、お返しに森が人間に感謝するこだまが聞こえるかもしれない。
ロビン・ウォール・キマラー氏著「苔の自然誌」
合理的に考える近代的な人は、超自然的な神や仏の「意志」や、目に見えないところで働く「因果応報」などという考え方はとらないから、このような「運」も「不運」も「偶然」にほかならないと考えるであろう。
むしろ自分にとって好都合な偶然が「幸運」であり、不都合な偶然が「不幸」であって、それが自分の身に起こったことには、特に理由はないと思うであろう。そして「偶然」とは、必ず起こるとも起こらないとも言えないものであり、その起こりやすさの程度には差があり、それを表現したものが「確率」であるということを学んだことがあるかもしれない。
そこで好都合なことが起こる確率がなるべく大きくなるように、不都合なことが起こる確率がなるべく小さくなるように行動することが「合理的」であると教えられたかもしれない。
最近の数学的理論の中では「偶然」は「不確実性」ということばで置き換えられ、それにともなう損失は「リスク」と呼ばれる。
そうして確率論を中心とする数学理論によってそれを処理する「リスク·マネジメント」の方法が考えられている。それによって人は「運」、「不運」というようなわけのわからないものに左右されることなく、「偶然」に合理的に対処することができると教えられたかもしれない。しかし、それで話は終わりだろうか。
つまり、「偶然」の問題はそれで解決ずみなのだろうか。すべてを「確率」と「期待値」で割り切ればよいのだろうか。
竹内啓氏「偶然とは何か」より
これは一体何なのか。これは人間であり、女性であることは間違いない。そして、よく見るとこの体の線には女性の体の柔らかさがある。しかしこれが生身の女性であるとしたら、何故こんな形に表現しなければならなかったのだろうか。この土偶の作者は、恐らく具象的な女性像を作らせても素晴らしい女性像を作ったに間違いない。それは、その部分における人体把握の的確さを見ればわかる。にもかかわらず、彼或いは彼女のこのような奇妙な像を作った。この作家の背後に隠されている造形意識は一体何だったのか。この像を見てピカソなどの前衛画家の作品を思い出す人が多いかもしれない。岡本太郎の造った「太陽の搭」も、どこかこれと一脈通ずるものがある。
ピカソなどの前衛画家がこのようなものを作った意図もよく理解できる。それはリアリズムの彫塑にあきて、できるだけデフォルメされた斬新な、或いは人の目を驚かす像を作ろうとする意思から作られたものであろう。しかしこの土偶の像には、何かもっと別の不思議な意思が働いているように思われる。
太郎は、一度私の所へ来たことがある。急いで寄ってきて、梅原君、国立民族学博物館に行って梅棹忠夫氏に会った、そして、色々な面白い彫刻があった、みんな岡本太郎のまねをしている、梅棹さんに聞くとそれは400年前のもので、400年前から岡本太郎のまねをするやつがいるんだと。そして、それを聞いたとき、この人は面白い人だと思った。
結果、ハート形土偶は岡本太郎をまねしたんだ、4,000年前から岡本太郎をまねするやつがいるんだと言うことになります。やはり、芸術家というのは無邪気で子供っぽい。子供ぽっくないと良い芸術は出来ないのです。少し子供っぽ過ぎますが、太郎は縄文土器の芸術性を発見した、大した人だと思います。
何故、太郎が縄文土器を発見したのかと言いますと、太郎は抽象芸術、前衛芸術なのです。抽象芸術の親元はピカソですが、フランスのピカソの前衛運動に一番若くして20代で参加した。そして、縄文の芸術は抽象芸術だと考えた。
梅原猛氏「岡本太郎に関する講演録」より
反近代主義者たちのように近代を否定するためにではなく、<近代>をもまた来るべき世界のための一つの素材として相対化し、あらたな生命をふきこんで賦活することのためにも、こんにちこの作業は必要なのだ。
権力と差別の問題=分業と所有の問題、
育児と教育(人間の再生産)の問題=食べること・着ること・住むことの意味の問題、
幻想と反日常性の問題=生と死の基礎的なイメージの問題、
時間と空間の枠組みの問題=宇宙感覚と自然への基礎的な態度の問題、
狩猟と農耕·農耕と都市の問題=共同体相互の関係の問題、
といった、たがいに重層し関連しあうさまざまな主題の交錯する総体において、これら異世界の素材から、われわれの未来のための構想力の翼を獲得することができる。
真木悠介氏「気流の鳴る音」より
今までの歴史観にとって過去は終わった世界でしょう。そして進歩こそが価値なんです。だけどやはり歴史というものの見方が変わってきて、過去は生きているんですよね。
3つの時間について考えてみましょう。
1つ目は、一日一日、春夏秋冬と回帰してくる時間、地球の時間、太陽系の時間、永遠に進歩せず、ただ回帰・循環する時間、生まれては死ぬことの循環であり回帰です。自然時間。
2つ目の時間は、歴史的な時間、まっすぐに過去から未来に向かって進む時間です。3つ目の時間は、ふたつの時間の背後にあって、それを生み出している、(大宇宙という)母なる無の時間とでも呼べる時間です。
ゲーリースナイダー氏の『聖なる地球のつどいかな』より
①質素な手段を用いる。②反消費主義をとる。③民族的・文化的な違いの価値を理解し、これを尊重する。④欲望ではなく不可欠の必要を満たす努力をする。⑤刺激の強い経験ではなく、深く豊かな経験を得ようとする。⑥自然のなかで生きることを心がけ、利益社会より共同社会の発展に努める。⑦すべての生きものの真価を認め、これを尊重する。⑧身近な生態系の保護に努める。⑨人間が飼う動物と競合する野生生物を保護する。⑩非暴力などに基づく行動をとる(同時に菜食主義に向かう)。⑪第三世界、第四世界の状況を考え、自分の生活のあり方が貧困のなかで暮らす人々の生活に比べ、あまりにも高水準であまりにも違ったものにならないようにしようとする。ライフ・スタイルの地球規模の連帯をめざす。⑫どこででも、だれにでも実現可能な生活のあり方の真価を理解し、これを尊重する。このようなライフ・スタイルとは、他の人々や人間以外の生きものに対しても、不正を働くことなく維持できる可能性を持つ生活のあり方である。
アルネ・ネス著・「ディープ・エコロジーとライフスタイル」より
「おもかげ」は漢字では「面影」あるいは「俤」と綴ります。とても美しい綴り文字です。「おもかげ」はイメージとも印象とも記憶像ともいえそうですが、そこに「おも」という言葉が使われていることに意味があります。「おも」は「主」とも「面」とも綴ります。その「おも」が動いている。今日でも「おもむく」「おもむき」(赴く.趣き)という言葉が使われていますが、そこにも「おも」が動こうとするニュアンスが出ています。一方、「うつろい」は「移ろい」と綴るのでだいたいの見当がつくでしょうが、移行·変化·変転などを意味しています。
しかし、ここにも「うつ」という言葉(語根)が使われていることに重要な意味があると思います。この「うつ」は「うつる」「うつし」とも使って漢字で綴れば「写る」とか「映る」というふうになり、「うつろい」が単なる移行ではなく、そこに写し出すものや映し出されるものがともなっているということを暗示するのです。
松岡正剛氏「 おもかげの国、うつろいの国 」より
2023年4月9日 発行 初版
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二十歳の時にダライ・ラマ十四世と個人的に出会った事が、世界の山岳・辺境・秘境・極地へのエスノグラフィック・フィールドワークへのゲートウェイだった。その後国内外の「辺(ほとり)」の情景を求めて、国内外各地を探査する。三十歳代にて鍼灸師と山岳ガイドの資格を取得した後は、日本初のフリーランス・トラベルセラピストとして活動を始める。そのフィールドは、国内の里地・里山から歴史的、文化的、自然的に普遍価値を有する世界各地のエリアである。また、健康ツーリズム研究所の代表として、大学非常勤講師を務めながら、地方自治体における地域振興のアドバイザーとしても活躍している。日本トラベルセラピー協会の共同創設者でもある。