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旅立つ動機はさまざまだろうが、信仰無き時代にもなぜ巡礼路は人々をそこまで引き寄せるのだろうか。
物の不足をあまり感じることのない日常生活。
しかし、ふとこれまでの人生を振り返った時、満たされていない心に気がつくことがある。
何か人生で置き忘れたものはないだろうか。大切な何かを失ってはいないだろうか……。
目には見えない心の不足感に気がついたとき、人は巡礼路へと旅立つ。
それは自分の心の辺境にある空白地への旅ではないだろうか。
イスタンブールに着いて十日目、とほうもないような、恐ろしいものを見た。そこにはメデューサの首が横たわっていた。美しい女神の顔。だが、その顔に流れる頭髪は、おびただしい数の蛇に変容し、にらみつけたもののすべてを石に変えてしまうという目が、しっかり見せらせた。
地下宮殿のいちばん奥まったあたりの天井を支える二本の柱だけが、ほかの柱とちがって、その柱脚にこのギリシャの妖女の顔を逆さのまま、柱に押さえつけられたメデューサの首は、ふたつとも半分ほど水に浸っている。
ひたひたと女神の顔を、地下のつめたい水が洗いつづけている。水を受けて、まるでメデューサは生きているようだった。ステルス·ジリウスがはじめてこの地下宮殿に降り立ったとき、ここに水が満々とたたえられていたことは、彼にとっては幸運だったかもしれないね。
彼はこれほど深く、このメデューサの首が横たわっていることに気づかなかった。それを発見したのは、ここにボートを降ろして探検しようなどと思いついたトルコ人だった。
彼はたいまつに照らされた水中に、女の姿を発見して、ほとんど腰をぬかさんばかりだったそうだよ。水中に漂うような女の目にみつめられているだけで、彼の心臓はそのまま止まってしまうかとも思われた。
水の中のメデューサは、にらみつけたものをたちまちにして石に変えてしまう力を失ってはいなかった。その魔力は、信仰堅固で善良なイスラム教徒まで、石化してしまおうとしたんだからね。
中沢新一・ゲーテの耳から、
自分やものごとに執着しないのが縁起の理を知る者の作法であった。しかし執着を去ることはむずかしい。そこで執着を弱め、ぼかし、互いに融通し合う場、緩衝帯が、空間にも時間にも世間にも設けられた。これまで見てきた住空間における縁の場、縁の工夫である。
時間や世間においても「間」を入れたりして緩衝帯を設けた。連句のべったりと付けない作法も一座の緩衝の工夫であった。緩衝帯では、こちらとあちらがじかにふれ合うことを避け、 こちらの色を薄め、あちらの色ににじり寄り、ゆずり合い、表情を互いに相手に向かってやわらげた。 緩衝帯にあっては自他はともにおぼろである。おぼろにするのが縁である。緩衝帯は時空間や世間におけるアジールでもあった。
藤原成一・結縁する場の演出
ネパールという国は、ほんとうに不思議な国である。その不思議の国ネパールヘの私の渡航回数が百回に近づいてきた。それでも飽きることがない。行くたび毎に、この土地の放つエネルギーによって充電してくることができる。まさにそのエネルギーは、地球(ガイア)が秘めている、人間の心身への効果ある栄養補助剤(サプリメント)ではないかと感じている。古来より、人間は文明を進歩させることで、過酷な自然から距離をとり始め、安楽に暮らせるようになった。
それは、同時に人生から「手ごたえ感」という感覚を奪い取っていく過程でもあった。いつもどこかに不足感を覚えながら、ぼんやりとした曖昧で不機嫌な空気が漂う日常を過ごしている。心の病に悩む人や明日への希望を見出せなく、内なる苦しみに悶々とする人も多い昨今である。
自分の充足感・満足感というものを、絶えず他人と比較することで確認しようとする生活は、エンドマークのない追跡劇を演ずることになる。その追跡の先にあるのは、「手ごたえの無い幸福感」。そこでは、おおいなるモノに抱かれる極上の至福感を味わうことはできない。
味わえるのは、他人への嘲笑と自分へのエクスキューズくらいである。問題は、これらの味が人間の心身や社会に与える「病の連鎖」を構成してゆくことである。「未病を防ぐ」とは、東洋医学の大きな柱でもある。
自己治癒力を高め、疾病に罹患しないような体質改善をおこなうことが、「未病を防ぐ」ことに繋がる。ヒマラヤにあたる朝陽のドラマのみならず、故郷の小さな里山で出会う一瞬の自然が放つ輝きからも、私達は「なにが大切なものか」ということに気づかされることがある。
山や自然を愛すると自称する者たちは、自然からの恩恵を社会の未病を防ぐための処方箋として、自分たちの住む社会に還元してゆくことが問われているのではないだろうか。
清水正弘
森というのがわれわれの帰っていく存在の根底である。それに対して村というのは、それに浮かんでいる島のようなものである。
われわれはつかの間、そこに現れて森にまた帰っていく。森からこの世に来る、そしてまた森の世界に戻っていくということです。
そして森にこのような力があるからこそ、それが神話化されたり、物語になることが可能なのです。
森が神々や祖霊の場所であるからこそ、それがイニシエーション、通過儀礼の場所ともなります。このような観点で見ると、『ヘンゼルとグレーテル』の話も通過儀礼の話として考えることができます。
ですから、二人は親といっしょにいたところを無理やりに引き離されて捨てられ神々のいる、あるいは魔女や悪霊のいるところにつれていかれる。
そういうこと自体が一つの死を意味しています。そしてまたむこうでイニシエーションを経て人間の世界に戻ってくることになるのです。
もし心理学的にいうならば、意識から無意識の世界に行くということですが、人間の世界から神々の世界へ行って殺される、そして戻ってくるというイニシエーションの物語として考えることができます。
河合俊雄・森の意味、森の宗教


日本の普遍性・・、三つめの要素は、仏教である。
この当時の東アジアに成立したどの国家も、仏教を必要としていた。それは、インドに発生したこの宗教には、新しい「普遍」の概念が、明確にしめされていたらなのである。
この教えでは、それまでの宗教のように、絶対ないし普遍の神というものと、それぞれの土地に所属した人間の関係を問題にしているのではなしに、人間そのものの実存条件が、主題化されていた。
つまり、どこの地方の、どこの民族の、どんな環境に生まれようとも、仏教が問題にしている普遍的な「人間」であることには変わりない、とこの教えは説いたのである。
そうなると、当時成立しつつあった、さまざまな「国家」が、仏教を国の宗教として取り入れることには、深い政治的かつ人間学的な意味があった、ということがわかるのだ。
仏教を導入すれば、たしかに土着の神々のご機嫌は悪くなるだろう。だが、それを代償にしても、その頃の「国家」に仏教と一緒に導入される、新しい普遍の概念が必要だった。
これからつくられようとしているのは、これまであったような大地と一体になった部族の連合体とは、本質的な違いを持った『国家』なのだ。
それは、部族や土地の境界を超える、普遍性を備えていなければならない。
中沢新一・日本文学の大地
健康にもっとも深い指導的意義をもつ思想は二つある。その一つは「心身統一論」である。つまり、人間のこころと体を、互いに対立しながらも補って、関連性をもつ一つの全体、と見なす考えである。
もう一つは「天人合一論」である。つまり、人体は宇宙の縮図であり、宇宙は人体の拡大図である、という考えである。
宇宙と人体は構造的同一性をもっている。そのために、気功の重要な課題の一つは、内面から体と心を整えてそれを統一させる練習であり、もう一つは、人体の内部環境を自然という外部環境の波動に同調させて、自然のルールに合った生き方をすることである。
寥赤虹・気功、その思想と実践
大梵鐘ー。まず、私は宇宙を心に描いた。マンダラである。ゴーンと一撞きすると、宇宙全体、森羅万象が、もろ手を挙げて、叫ぶ。よろこび、苦痛、嘆き、悲しみ、怒り、哄笑、うめき、、あらゆる響きをふきあげて。下部の中央に、瞑想する仏陀を置き、そのまわりに野獣、オバケ、とぼけた人間、信仰者、サカナ、いろいろなものがぐるぐる回っている。
そして上の方は飛翔する人間、菩薩群。天に向かって両手をあげ、躍り、身をひるがえす。エスキース(下描き)のまま、ながく引出しの中に放っておいた。それから毎日の生活、私自身、そして世のもろもろの喜び、苦しみ、哀しみの動きの中に、この発想の核から出発したイメージがもりあがってくるのを待った。
岡本太郎・久国寺よりの梵鐘依頼
自分たちは、太平洋をひとつなぎにむすぶ巨大な環がつくりだす世界を生きてきたのだ。その環は、いたるところで国家によって寸断されているように見えるが、それはうわべだけのことで、そのことに気づきさえすれば、いつでもその環の記憶はよみがえってくる。ここはエッジなのだ。中国のかかえこむ、南の危険なエッジ。
だから新しい漢民族の中国をつくりだそうとする偉大な運動のシンボルであるあの「長征」が、
揚子江の最上流にあたる、少数民族の住むこの世界から出発したことは、けっして偶然ではない。
ここは中国の国家が非国家的な部族の世界に接触するエッジの領域なのである。そのエッジで、古い国家はいちはやく解体をはじめる。部族の伝統が調合したあの解毒剤が、まっさきに効力を発揮しだすからだ。
しかし、彼はそのなかから自分たちの国家をつくりだそうとはしない。それをするのは漢の人々だ。紅軍は出発する。新しい国家の創出にむかって。それはエッジから中心への長い長い旅だ。しかし、私はその反対に、中心からエッジのほうにむかって旅立っていこうとしていたのだ。南中国の少数民族の世界のなかに発見されるそのエッジは、長いこと歴史の大地の下に埋もれてきた。
万里の長城よりも長大な長さをもつ大きな環が地上に頭をだした、その一部分にはほかならない。その環は遠くアメリカ·インディアンの世界にまでつながっていく。そしてその途中で、日本の列島のそこここにも露頭の痕跡を残していく。そういう記憶を封じ込めたモノリスに私は触れた。遠い呼び声が聞こえてきた。中国の南のエッジへの旅がはじまる。九月二十日の朝。テレビは夜どおして日本列島の「王」の肉体の危機を伝えていた。
中沢新一・『ゲーテの耳』から。
これまでの人生で、地球上のさまざまな土地を訪れた。その多くは、「秘境」や「辺境」と呼ばれる土地だった。二十一世紀にこんな生活を送っている人たちがいるんだ、とか、それまでに獲得した常識の範囲では、なかなか理解できない人たちやその文化背景があった。
市場経済至上主義やひとつの思想信条だけが地球を席巻していないことも確認できた。秘境や辺境の土地から帰国するたびに、私の脳は見事に「時差ボケ」に陥る。
言ってみれば、「価値観」「人生観」「死生観」「幸福感」の時差ボケである。
日本の、見えない常識の枠に左右されながら、ボーダレスのグローバル時代のリアリティとの狭間で、心のメトロノームが揺れるのだ。
とある哲学者が言っている。「日本人はいつからキツネにだまされなくなったのだろう?」
社会のすべてが、合理的な論理で動いてゆき、あやふやで、危うく、霊性を持った世界はすべて拒否されてしまう。
人間の体への不思議さが残されているにも関わらず、社会には「不思議」を追求する時間も余裕もない。
不思議というのは、「答え」がすぐには見つからない事と等しい。そうなのだ、私たちは「すぐに答えがでる」ことに馴らされすぎているのではないだろうか。
清水正弘
自分というミクロ宇宙。こういうときにこそ、われわれは自分自身を宇宙として、猛烈に彩らなければならない。
たとえ自分の存在はささやかであっても、生きるよろこびは宇宙をおおう。人間は即宇宙、対宇宙としてこそ生まれてきたのだ。
そのためには、自分を用心深く、大事にしては駄目だ。逆に自分を瞬間瞬間に分断し、切り捨てて行くことだ。
自分の存在に切り口をあたえる。すると、瞬間にまた新たな彩りが忽然とひらく。
今日もし多くの者が誠実に、勇気をもって、そして平気で、己れを変えて行ったならば、私はこの絶望的と思われている世界の情況、非人間的なシステムも変え 得ると思うのだ。
でなければ、何で人類が生きてきた、そしてこれから生きて行く意味があるだろうか。ところで、自分を切断し、変えるとは、言いかえれば、瞬間瞬間に自分を殺すことと言っもいい。
殺して、再生する。ちょっど季節の周期が、春夏秋冬と終結しながら再生するように、人間個々も、日に日に新たに生まれかわるのだ。
昨日の己れにこだわることなく、明日の不安におびえず、現在にこそ新鮮に輝く。
岡本太郎・人生は遊び
ところで、最近自殺者がふえた、というようなことがよく報道されています。
もっとも、こんなことをいってよいのかどうかわかりませんが、自殺にもブームのようなものがあって、かつても吉円山心中とか、三原山が自殺の名所のようになったときとかいろいろありました。
ただ、かつての自殺と今日の自殺との問には、ひとつの違いがあるような気がします。昔はとても立派な遺書を残す人がたくさんいたのですが、最近ではそういうものを残す人が少なくなった。
つまり、それは、自分か生まれて死ぬまでの物語を残す人が少なくなったことを意味します。かっては、人間の一生のなかに、物語を感じられるものがあったと思うのです。
それは大冒険に出たとか波乱方丈の人生を送ったということではなくて、自分が家族の存在に気づいていく物語とか、自然の偉人さに気づいていく物語とか、一人前の仕事人になっていく物語とかといったようなもので、誰にでも手にすることができる物語でした。
この物語に照らし合わせて、人々は人生とは何か、人はなぜ生きているのかを考えました。だから自殺を決意したときにも、なぜ自分は死を選ぶのかを語る物語が必要だったのではないでしょうか?
つまり、死に至るしかない自分の物語を語ることによって、自分の死に納得することができた。
内山節・地域の作法より
五体投地は、まず自分の体を地面に投げだす。そして尺取り虫のように起き上がり、また体を投げだす。延々とこの動作を繰り返しながら聖地へと向かうのであるが、一回に背丈分くらいしか進まないので、一日にほんの数キロ程度しか動けない。
全身埃まみれの服は、肘や膝の部分がボロボロになっていて、額から血を流している人もいる。聖山カイラスは、チベットでも隔絶された辺境の場所にあるので、巡礼に一年以上かける人もいると聞く。
聖地への巡礼者は、所属する社会をひととき離れ、自らの精神と肉体に負荷をかける。その苦行の果てには、心の充足感という信仰上の至福の瞬間が待っている。
清水正弘
ラマたちの夜遊び好きは、さらにエスカレートする。夜になっても一睡もしないのだ。狭い部屋のなかに何時間も座りこんで、こんどは自分の体内宇宙の探検を、はじめるのである。大脳のなかをくまなく探査するだけでは、彼らはおさまらない。
大脳と視床下部を結び、そこを下丹田のチャクラと結合し、全神経と生理組織をまきこんだ、はでなサイバー·ナイト·プレーにうちこむのだ。これをヴィデオ·ゲームにしたら、さぞ面白いだろうな。
からだのなかには虹がたちのぼり、月や星が旋回し、太陽が火を放つ。からだのなかは、そのままで宇宙空間と連続していくのだ。オルガスムスは朝までつづく。しらじらと夜が明けてくる。ぼくは小屋の扉を押しあけて、外の空気を吸いに出る。小鳥たちのさえずり。不思議だな。ぼくは、小鳥が何を歌っているのかわかったような気分になっている。
ちっとも眠くない。もう一週間もこんな夜遊びをつづけているというのに、ぼくは眠らないでも平気なからだになっている。お酒やドラッグでは、こういうわけにはいかないな。
コンピュータ·ハイに必要なおおげさな道具もいらない。タントラの夜遊びは過激で、安上がりなのだ。こういう夜遊びの味をおぼえてからというもの、ただの夜遊びでは満足しないからだになってしまったぼくは、地球上の夜遊びの達人をもとめてさまよい歩くようになった。
よくしたもので、達人はそういう 欲望のまなこの光をみつけて、むこうから誘惑をしかけてくるのだ。このあいだもそうだ。バリ島の空港におりたったぼくのまえに見知らぬ男があらわれて、ほほえみながら握手をもとめてくるのだ。
中沢新一・『ゲーテの耳』から。
東アジアの思想的伝統には、人間と自然の関係について、西洋とは対照的な見方が見出される。
東アジアでは、登山の習慣は神仏の世界に近づく行為、つまり修行法として始められたものであった。葛飾北斎や安藤広重の描く風景画では、人と自然はとけ合っている。北斎の富士は現実にはありえない急峻な山容を描き出しているが、それを印象派的とか超現実主義的などというのは的外れだろう。
それは何よりも、この山の姿に神聖なものを感じた日本人の情感を象徴的に示しているように思われる。東アジアでは、自然は、老子の言葉をかりれば、万物を生み育てる「母」としてとらえられてきた。このような自然観は道教、仏教、神道などの基礎に共通して見出されるものであるが、この問題を最も深く哲学的思索の課題として追求したのは中国と日本の禅であった。
湯浅泰雄・瞑想と東アジアの自然観
バザールででの着眼点は、「歩き方」にもある。人種が違えば肌の色、言葉の差異が当然生まれてくる。
さらに民族がその遺伝子によって伝承する、体格、骨格、食生活、そしてその背後には、色とりどりの文化がある。
個人個人の歩き方に注目し、身体が素晴らしいハーモニーを奏でる歩き方が、健康と長寿の秘訣であるとの仮説もたててみた。
医学や健康学の文献を渉猟し、さらに、インドやアジア諸国、そして世界の辺境地の伝統医療の根本精神も現場で直かに体験した。
世界中の民族が往来する国際都市カトマンズという町には、欧米やアジア各地の国籍のツーリストたちが集う。世界のさまざまな民族の身体を見ていると、俄然、最近の日本人の「歩き方」が心配となってくるのである。
日本人の多くが「軸のない歩き方」をしているように見える。大地との接点である足裏から股関節、そして背骨、首、頭に至るラインに「筋がない」ような歩き方である。
確かに山歩きの世界においても、どこか「シャンとしない」歩き方の人が増えてきたようにも思える。これは、骨格や体型だけの理由ではなく、もっと他に原因を求めるべきなのでは、とも感じている。
「軸が無い」という言葉の前後には、もしかすると「日本の政治」はもとより、「生き様」や「人生観」などの単語が見え隠れしているのではないだろうか…。
清水正弘
芸術が本物だったら、もし、そうであればあるほど、既成の枠から外れている。ことに、現代芸術はそうだ。とすれば、もっとわからないということに真面目に、真剣に取り組まなければならない。いいかえればわからないということにこそ、責任をもつべきなのだ。
絵のことなんか、どうでもいいが、これは人生すべてに通じる。なにごとにも、ほんとうのシロウトだったら、かえって曇りない眼をもっている。こだわらないで直接ぶつかるから正しい判断ができるのだ。ありのままであればいいのに、シロウトと自称する人間の中にひそんでいる、わずかばかりの「専門家的常識」が、かえって邪魔をする。
岡本太郎・人生は遊び
節くれ立った手、日焼けしたシワだらけの顔、そして威勢のいい呼びかけ声と、豪快な笑い声。アジアの下町やバザールには、屈託がなく、闊達でいて涙もろく、ちょっとお節介な肝っ玉オバサンがいるから楽しい。
飾らない彼女たちのちょっとした親切が、一人旅の心の隙間を埋めてくれる。かかとをしっかりと大地につけながら、アジアのオバサンは生きている。茶髪のニイちゃんを胸をはって諌めたり、堂々と言葉の通じない外国人と交渉してゆく。
どうも、パワフルなオバサンの存在が、その国の心の大地のエネルギーではないかと最近感じている。
清水正弘
もしかすると『豊かさ』とは、自分の暮らしている風土が生みだした経済倫理と結びついているのかもしれない。だから日本では、多消費だけでは豊かさを実感できない。日本の社会では,豊かさを感じるためには、有意義に働き、有意義に暮らしているという確認が必要であり、経済はそのための手段でしかないのだから。
その結果、有意義な労働と生活のためには、ときに経済的利益の追求に、冷ややかな態度をとった。それは次のように考えればよいのだろう。
人間には、自分の人生に対する了解の仕方がある。いわば了解できる人生を手にしているという感覚が、豊かさを感じさせるのである。ところが、その了解の感覚は風土によって異なる。だから、自分の暮らす風土が育んだ感覚と一致しない基準では、私たちは何となく豊かさを了解できない。
そのことが、豊かに暮らしているはずなのに、何となく豊かさを感じとれないという、今日の私たちの状態を生みだした。それは今日の豊かさの基準が、アメリカ的多消費にもとづいていて、私たちの風土が生みだした基準ではないからである。
私にはこれから、この問題がますます顕在化していくような気がする。経済はローカルな風土と結びついていたほうがよいと、これからの人々は発言しはじめるかもしれない。経済が豊かさの手段であり、その豊かさの基準がローカルなものだとすれば、経済の単純な国際化は、何かが違っているのである。
そして実際今日の私たちは、経済の国際化には一定の節度が必要だと思いはじめている。
内山節・里という思想
音楽が触覚の芸術である事は今更いう迄もないであろう。私は音楽をきく時、全身できくのである。音楽は全存在を打つ。だから音楽には音の方向が必要である。蓄音機やラジオの音楽が大した役を為さないのは、其れが音の方向を持たないからである。どんなに精巧な機械から出て来ても此複製音は平ったい。四方から来ない。音楽堂の実物の音楽は、そこへゆくと、たとい拙くとも生きている。
音が縦横に飛んで全身を包んで叩く。音楽が私を夢中にさせる功徳を、ただ唯心的にのみ私は取らない。其は斯かかる運動の恐ろしい力が本になっているのである。私は昔、伊太利(イタリー)のある寺院で復活祭前後に聴いたあの大オルガンの音を忘れない。私はその音を足の裏から聞いたと思った。その音は全身を下の方から貫いて来て、腹部の何処かで共鳴音を造りながら私の心に届いたようにおぼえている。
高村光太郎
「あと数年かそこらで、この国の高齢者の死生観がまるっきり違うものに変わる可能性を感じています。それが現実のものになると、今の介護のありようまで変えてしまうでしょう」、とある教授が根拠に挙げるのは、「世代」で違う価値観だ。
教授によると、大正や昭和の初期に生まれた高齢者は、生き延びることへの意思が強い。せっかく戦争を生き延びた命だから、少しでも長く生きたい、だから治療も最後までやってほしい、こう望む声が多いという。
「あの戦争を大人として生き抜いた人に、共通した価値観と言えるのかもしれません。家族や知人の死を見ているから、なおさらです。大体、今、九〇歳以上の人たちですね」
しかし、それが十歳程度下の世代になるとどうなるか。
「終戦時に子供だったため戦後教育の影響のほうが強く、基本的に個人主義なんです。八〇歳前後の人一〇〇人ほどに、『人生の最終段階で、オムツ交換や食事介助をしてもらっても生き続けたいですか』と聞くと、大半の人が『まっぴら、ごめんだ』と答えます。
ましてや、これより下の世代、特にこれから後期高齢者になっていく団塊の世代には主張する人が多い。より『亡くなり方の質』にこだわるようになるはずです」
とある記事から。写真は、ネパールの『死を待つ家』
禅に代表される東アジアの思考様式には、観察される事実について経験的記述をつみ重ねてゆく態度よりも、世界の全体像を芸術的な直観によって把握しようとする態度がつよい。このような態度にもとづいて、東アジアの思考には、自然に対するつよい関心が生まれるとともに、自然は人が心情的共感において、その働きを感得する、生ける生命的自然としてとらえられてくる。
このような自然観は、人と自然の基本的関係を、対立においてとらえる西洋の思考様式の伝統とちがい、また自然に対して無関心であった、インドの思考様式の伝統ともちがった、東アジアの独特な伝統を示している。
湯浅泰雄・禅の人間観
とある若い女性芸術家の言葉を紹介しよう。
『山を歩いていると、心の棘がぽろりと落ちた、と感じる瞬間がある。その瞬間、日々の生活の中で積もっていた圧迫感や苛立ちから解放され、心が息を吹き返す。そう、私にとって山は「禊(みそぎ)」の場でもあるのだ。「五体と五感をフルに使って楽しめる」というのも山の大きな魅力のひとつだろう。』
山歩きの魅力をこの芸術家は表現しているのだが、この「禊」の場が決定的に現代社会においては不足しているのではないだろうか。
身も心も浄化され、なにか「大いなるもの」に抱かれた、満ち足りた気持ち…。「禊」の場で得られるのは、このような至福のひと時ではないだろうかと思う。
ヒマラヤにあたる朝陽が織り成す、一瞬の自然のドラマを見終わった時に、人々の口から洩れる「人生観が変わった」という言葉は、「禊」の場で体得した至福感から発せられていたのではないだろうか。
私もヒマラヤ山中で幾度もこの「至福感」を体感してきた。その至福感は、私の身体に潜在している「自己治癒力や自然治癒力」をあるべき姿へと導いてくれる。
清水正弘
宗教者もまた職人として、テクネーにたずさわっている。とくに仏教の僧の職人性は、強く意識されていたようだ。彼らの関心がおもに、死や無や彼岸の領域にむけられていたことと、これは関係をもっている。彼らが、じっさいに死体の処理にあたっていたこともさることながら、この世にあってすでに、この世にはないような生きかたをめざしているその生のスタイルや、山のなかに長い期間籠もって自然の諸力と直接的にわたりあおうとするその修行法も、(彼らは、いったん死の領域にかぎりない接近をおこなったあと、ふたたびこの世界にもどってくるのだ)、彼らを超越的なるものにかかわる職人にする。
アジアの仏教僧が真理に近づいていくために採用したやりかたは、ギリシャの哲学者たちよりも、はるかにテクネー的技術者的職人的であった。金属の採掘の技術者でもあった、山岳修験の修行者たちなどに、このことは、もっとはっきりあらわれている。
中沢新一・技術のエコソフィアへ。
ルネサンスはオカルティズムと科学革命が同時に発展した時代で、両者は表裏一体の関係にあったというべきでしょう。
この時代を支配した新プラトン主義の世界観は、霊的汎神論ともいうべき性質のもので、わかりやすくいえば、宇宙の万物はすべて霊的な作用に満ち満ちた生き物であるという生命的自然観です。
コペルニクスやケプラーは、この新プラトン主義の世界観から科学的な自然観を考えるようになったのです。たとえばケプラーは、占星術を研究した人で、天体はすべて霊魂をもっていて、一種の意志に従って運行していると考えました。
つまり、自然は霊的エネルギーが満ち満ちた空間だと考えたのです。(彼は、この作用は当時発見された磁気に関係があると思っていたようです)
ケプラーの宇宙観では、この霊的エネルギー場そのものは観測が不可能な、見えない次元の作用なのです。
科学的観測は、現象が「如何にあるか」、How ? ということを明らかにできるだけなので、それ以上の問題は信仰上の世界観に属しています。
ケプラーはキリスト教の三位一体論について新しい霊的解釈をしているのですが、それは光の中心である神から発する霊的エネルギー(聖霊の働き)が、宇宙空間に広がっているという自然観です。
湯浅泰雄・気を語る
もうひとつは、人の立ち止まる場所のつくりだす雰囲気は、不思議なほど変わらないということである。
たとえば、神社や寺院の境内の景色がある。あるいは、峠や海辺やちょっとした街の曲がり角を写した写真がある。
その場所と出会った時、人はふっと立ち止まって辺りを見渡したことだろう。いわば、そこは人が一服する場所である。
いつもの忙しさを少しだけ忘れて、ふっと厳粛な気持ちをいだいた場所かもしれない。つまりそこは、人がいつもの動きを止めて静止する場所なのである。
そんな感じを与える場所の雰囲気が、百年たってもほとんど変わっていないということは、僕にとって大きな発見であった。
僕達には時々、人間としての原則というものを思い出してみようとする時がある。そうしてそんな思いをいだかせる場所、それが心を静止させる場所なのであろう。
その雰囲気が変わらないということは、この百年の間、人々は同じような気持ちで、人としての原則を探しつづけてきたのであろうか。
内山節・自然と労働
シナイ半島の砂漠を横断してシナイ山を訪ねたことがあるんです。砂漠で野宿しながら行った。砂漠の野宿というのは、一種の宇宙体験ですね。あのへんは空気がまったく違うんですね、こっちと。
野宿すると、ほんとに星が降るようなという、表現はとういうことかという感じなんです。日本ではどこに行ってもああは見えない。空気がちがう。
どこにも電気も何も明りがない。周囲に何もない。音も、風の音しか聞こえない。することが何もないから、地面にあお向けになって、寝つくまで降るような星を黙って見ている。
そのとき、世界の大宗教の三つ(ユダヤ、キリスト、イスラム)までこの地で生まれたわけがわかるような気がしました。
そうやっていると、神とか宇宙とか、深遠なものに思いをこらさなくてはいられない気がしてくる。そういうのは、宇宙に行っての宇宙体験ではないけれども、地球上にいて宇宙を感じるという宇宙体験ですね。
これはやっぱり荒涼たる自然の中に放り出された個人という関係があって初めて感じられた体験だと思うんです。
立花隆・宇宙飛行士と空海
つまり、時間軸や三次元の空間など物理的に決定されているはずのものに、別の、たとえば音や振動、光や色、においなど他の感覚要素、あるいは相手の表情、お互いの関係性までおよそさまざまな要素が入り込むと、受け止める側の感覚は歪められます。
雷や台風、地震など、周囲の環境に激しい変化があるとき、私たちはある時間を一瞬のように、あるいは永劫のように感じたり、轟音を重く感じたり、自分を小さな存在に感じたりします。
高速道路で百キロ以上のスピードで移動しているのに止まっているかのような感覚があったり、逆に嵐の中で立ちすくんでいると自分が動いているような気になるではありませんか。
時間や空間や光や音の境界がなくなり、混ざり、溶け合い、歪んだ状態になるということを、そういった非日常的なエネルギーの場において、私たちはしばしば体験します。
ところが、密息によって身体が静止していると、感覚は小さな変化にも敏感になります。フォーカスイン・フォーカスアウトをすることや、倍音によって、時間や空間など物理的な枠に縛られない感覚の広がりがあります。
すなわち、日常においても、さまざまな要素によって私たちの感じる時間、空間は歪んでいく。いわば、日常のなかにも静謐な嵐を感じるのです。
中村明一(尺八奏者)・密息で身体が変わる
たとえば技能と技術の関係もそうである。前項でも述べたように、技術は秩序だった生産工程をつくりだすのに対して、技能は腕としてその人のなかに蓄積されていくという性格をもっている。技術は秩序としてあらわれ、技能は非秩序的なもの、その意味で混沌としているのである。
ところで、西洋でも東洋でも世界ははじめは混沌としていて、次第に秩序だったものに変わってきたと考える共通の考え方をもっていた。日本の『古事記』でも国づくり以前の世界は、つかみどころのない混沌とした世界として描かれている。
ただしそのあとの考え方は違う。西洋では新しく生まれた秩序にこそ真理も美も存在していると考えるのに対して、東洋では本質的なものはつねに混沌とした世界のなかに秘められていると考えてきた。
東洋では混沌とした世界が整備されて生まれた秩序だった世界は、皮相的な世界だとみなしてきたのである。この東西の違いは、たとえば庭園のつくり方などにもあらわれてきて、西洋の庭園が多くの場合シンメトリー(左右対称)を基調にした、秩序だった造形としてつくりだされているのに対して、日本の庭園は、たとえば竜安寺にみられるように非秩序的なのである。
とすると、技能を解体して技術に置き換えていくことを進歩と考える思想は、混沌と秩序に関する酉欧的発想が生みだしたものだということになる。
そして明治以降の近代化のなかで、西欧的なものを進歩、東洋的なものを遅れと考えていた日本人たちもまた、技能の技術化を進歩として受け入れつづけた。
それが今日、技能=腕に裏づけられた労働こそ素晴らしいと考える人々がふえてきている。それは本人も気づかぬうちに、東洋的な発想が復活しつつある今日の状況を表現している。
内山節・新しい思想を求めて
日本は、縁を大切にし縁によって演出される文化であった。ことばの世界では縁語や掛詞があり、ことばの縁によってことばの連鎖が生み出されるように、生存の場では接し合う近隣との縁やゆかりによって共に生きるものの空間が生み出された。さらにその空間に住むためには、空間でのつき合いだけでなくひととひと、家と家、心と心とのつき合い、しきたりや礼節の交換にも意をはらうのが空間に共に在ることの作法であった。
この世に在ることはすなわちあらゆる事象との縁につながることである。とりわけひととのつき合い、空間とのつき合いには連句の心得や作法が重視された。べっとりつかずさりとて離れすぎもせず、うつりを読みとり、ひびきをかわし合い、においやけはいを感じとる、そんな微妙な気くばりと繊細な気づきが、ひとの世間での付き合いの基本であった。
旅のガイドブックは、夢やロマンヘのモチベーション、そして感動を呼び起こす情感といったものまで教えてくれる。でも何かおかしくないだろうか。旅とは本来「行きたい」「知りたい」という好奇心に突き動かされた行為のはず。ガイドブックで知識を頭に入れ、現地でその通りであることを確認するだけでは満たされないだろう。
朝、ボストの中に新聞が入っているのは予想できるし、安心もする。しかし心がときめくのは、ある日、予想していない人からの手紙が入っていたときなのである。人生にガイドブックはなく、一日が終わるごとに、自分の足跡を残したページを重ねるしかない。明日のぺージは白紙だからこそ面白いと思うのだが。
清水正弘
メタファーとしての「ゆらぎ」を、「相対性理論」の場合と比較してみるとき、二十世紀を生きる精神の特徴がよくわかる。
世紀のはじめの「相対性理論」というメタファーには、世界を解釈しなおしたり、それを変革しようとする人々の強い意志が反映されていた。だが、「ゆらぎ」には、そういうものを感じとることができないのだ。
分子は身動きのつかないようなリジッドな構造をもっているのではなく、それぞれの位置である幅をもったゆらぎの運動をつづけているのだという科学的な事実を表現する、「ゆらぎ」という言葉を、自分たちの生きている時代の本質をあらわすためのメタファーとして使おうとするとき、人々はまるで「世界はすでにじゅうぶんよく解釈された。
それに、それはすでにじゅうぶん変革された。私たちがいまなすべきことは、別のことなのだ」
とでも、言おうとしているような気さえする。
たぶんそこには、まだはっきりとした姿を浮かびあがらせてはいない、来たるべき地球的な時代にとって必要な「自由」の考えが、荒けずりのかたちで、表現されようとしているのだ。
その「自由」は、なによりも生命体の本質にフィットしたものとなるだろう。私たちの認識はまだそこまでたどりついていない。しかし私たちは、前方に大きく石を投げだすようにして、メタファーを未来の闇のなかにほうり投げてみる。
「ゆらぎ」はそういう斥候のひとりなのだ。それが闇のなかから何をつかみだしてくるか、期待をこめて、人々はメタファーを前方に投げだそうとしている。
中沢新一・『ゲーテの耳』から。
自分を自覚することは自分をとりまく因縁を知ることであり、存在の根拠をわきまえることである。
自分は因により縁によって、ここにあり、生かされている、この感覚と認識がかつて私たちみんなに深く浸み透っていた。
自分は先祖や世間のひとさまに生かされ、モノやコトに培われ、神仏に見守られて、いまここにある。この素朴な実感から、私たちはモノを大切にし、近傍や隣人たちを大切にし、神仏を大切にしてきた。
それらを粗末にし、ないがしろにすれば、自分の存在を失いかねず、そんな行業は自分をわきまえない、身のほど知らずの恥しいことであった。そこから、縁を大切にし縁につながるものを立てるという処世法が生まれ定着する。
自よりも他を立てる、そんなつき合いが身につき、そして他を生かすことが結局は自を生かすことになるという、めぐりめぐる因縁の力を知るようになる。
相依相関の縁起のめぐりである以上、他を利すればおのずから自を利することになるという縁起が教える知恵である。
仏教は世俗に浸透して、そういう生き方の導きとなった。
藤原成一・結縁する場の演出
世界がまだま新しい無垢を呼吸していた状態をもとめて、旅をしていこうとしている君たちは、ばかなツーリストよりも ずっとましだ。だいいち哲学をもって、旅をしようとしている。でも、君たちの哲学は、重要な点で、まちがっている。君たちは、世界の純真、無垢、原初との出会いをもとめて、旅をしようとしている。君たちは、自分の外の世界に、まだそういうものが実在していると、期待しているわけだ。
しかし、はっきり言おう。地球上には、もはやそのような純真も、無垢も、原初も、実在していない。冒険も不可能だ。だいいち、冒険などに、なんの意味があるのだろう。君たちは、幻想を追っているにすぎない。
幻想をもった人間は、外の世界にいつも何かを期待する。外の世界へのその期待が、君たちの旅の哲学をつき動かしているのだとすると、それは愚かな哲学ではないか。
このように語る賢者の旅の哲学は、「自分の部屋にじっとこもったままで退屈しない人間こそ豊かに成熟した人間だ」という、パスカルの言葉に源泉し、現代では、六○年代の情熱的な青春の旅人の同時期にあらわれたレヴィ・ストロースの本『悲しき熱帯』によって、みごとな表現をえた『旅に抗う旅の哲学』だ。
賢者の旅の哲学にとっては、アドレッセンスの旅人たちが、未知の世界への冒険の旅をおえたあと、意気揚々とふたたびもとの世界にもどってきてしまうことのできる「オポチュミズム」が信じられない。
外の世界になにかがあると期待し、幻想して、その幻想や期待にみあうものを発見できたとき、旅人は欲望をとげることができる。でも、それはほんとうに未知なるもの、異質なるものに触れたと言えるのだろうか。
旅の冒険は、旅人を変えない。お金をかけて広大な空間を移動したあげく、またもとの自分に着地しているだけだ。だから、「旅に抗う旅」の方法を発見しなければならない。すべての鍵は、日常のなかにある。
もしも、人間が自分のまわりにあるもののすべてを、ていねいに、細心の注意と愛をもって観察し、とりあつかうことができるようになれば、その人間には、この宇宙と生命がつねに別のものにむかって変化し、動いている存在だということがわかってくるはずだ。
そして、その動きに自分を同調させていくことができるようになれば、ぼくたちはそのとき、たえず未知のなかに踏み込んでいく、宇宙と同じ生命体でいることができる。宇宙自身がつねに自己探究をつづけ、未知の形態に自己変容をおこなっている、巨大な旅人なのではないか。
そのことに気がつくとき、ぼくたちのまえには、新しい旅のすがたが、あらわれてくるようになる。人間の内なる世界と外の世界を媒介するものとしての旅、宇宙のなかにあって、旅人である宇宙とともに動き、変化していく自分をつくりあげるための、きっかけをあたえる旅。欲望の空間のなかを行くブルジョア的ツーリズムの前方に、新しい旅のかたちが、かいま見えている。
中沢新一・『ゲーテの耳』
2023年4月14日 発行 初版
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二十歳の時にダライ・ラマ十四世と個人的に出会った事が、世界の山岳・辺境・秘境・極地へのエスノグラフィック・フィールドワークへのゲートウェイだった。その後国内外の「辺(ほとり)」の情景を求めて、国内外各地を探査する。三十歳代にて鍼灸師と山岳ガイドの資格を取得した後は、日本初のフリーランス・トラベルセラピストとして活動を始める。そのフィールドは、国内の里地・里山から歴史的、文化的、自然的に普遍価値を有する世界各地のエリアである。また、健康ツーリズム研究所の代表として、大学非常勤講師を務めながら、地方自治体における地域振興のアドバイザーとしても活躍している。日本トラベルセラピー協会の共同創設者でもある。