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俄かファーマー日記

清水正弘

深呼吸クラブ出版



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 目 次

内山節・地域の作法より

桜の季節

四月三日      井手さらい
四月二十日     タケノコちゃん
四月二十一日    畑の土起こし
四月二十三日    田に水張り(アラジロ用)
四月二十五日    雨後のタケノコ
四月二十九日    ホンジロの前日
四月三十日     ホンジロ当日
四月三十日     ホンジロは田植え前大仕事

五月一日      またまたタケノコ
五月一日      タケノコ調理
五月二日      晴耕晴読?
五月三日      田植え
五月四日      コシヒカリ
五月四日      田植え後の仕事
五月十日      キュウリの添え木
五月十二日     水管理の日々
五月二十八日    田の妖精たち
五月三十一日    持ち山整備

六月三日      竹林整備
六月四日      休耕田の耕作
六月六日      玉ねぎ収穫
六月七日      ドクダミ茶
六月八日      イノシシとの戦い
六月九日      防虫害ネット張り
六月十日      玉ねぎの日干し
六月十一日     田の水抜き
六月十二日     お遊び
六月十三日     田の草取り
六月十四日     動物のフン
六月十五日     動物の足跡
六月十六日     庭木の剪定
六月十七日     草刈り
六月十八日     トマトの成長
六月十九日     アナグマとの遭遇
六月二十日     爽快な早朝
六月二十二日    田干し
六月二十三日    梅の実収穫
六月二十四日    庭の池修復
六月二十六日    燕のヒナ・巣立ち
六月二十六日    ラベンダー満開
六月二十七日    野菜収穫
六月二十八日    フンザからの便り
六月二十九日    田の水位管理

七月一日      蛍狩り
七月三日      豊作のジャガイモ
七月五日      朝露とご来光
七月七日      野菜大収穫
七月十日      野生獣対策
七月十三日     ナス収穫
七月十五日     チェーンソー整備
七月十六日     著しい稲の成長
七月十七日     山仕事もどき
七月二十三日    草刈り十字軍
七月二十五日    とれたて野菜群
七月二十六日    第二次草刈り十字軍
七月三十一日    暁の空

八月一日      稲の成長
八月五日      天空のアーティスト
八月九日      初めての稲穂
八月十一日     豪雨に備え水路管理
八月十二日     みちうち共同作業
八月十四日     豪雨襲来
八月十五日     石垣崩落

九月十二日     トンボ指先に留まる
九月十五日     イノシシ来襲
九月十七日     オーマイガー!
九月十九日     頭を垂れる稲穂
  
十月四日      稲刈り
           (コシヒカリは九月頭)
十月四日      稲刈りに思う
十月のある日    ネパールとの対比
十月二十日     ひこばえ刈り
           (コシヒカリ対応)

十一月九日     大イチョウの黄葉

奉納神楽

十一月十二日    イノシシ来襲

十二月二日     来年用に荒おこし
十二月十六日    降雪はじまる

時の刻み方

内山節・地域の作法より

かつて人々は「時間」ではなく「時」を生きていた


昔から人々は、時間に管理されるかたちで働き、暮らしていたわけではありません。むしろ重要なのは「時=刻」のほうでした。種まきの時、田植えの時、稲刈りの時がある。農民は、その時が来るのを侍っていたのです。

しかもその時は、毎年同じ月、日に来るわけではありません。その年の自然がその年の時を決めますし、田植や稲刈りを結でおこなうときには、共同体の都合によっても、「その時」は調整され変わっていきます。

人間たちには、いろいろな「時」がたえず到来していたのです。

朝という時もあるし、夕方という時もある。祭りの時もあるし、雪に閉ざされる時もある。子供の時もあるし、死を迎える時もある。


「時」は「時問」のように経過するものではなく、つねに「その時」でしかありません。「時」を誤らないことは大事ですが、「時」は進歩の要素ではない。

今年田植え田の時が来たように、来年も田植えの時がくるだけであって、時自体のなかには、進歩という要素はふくまれていないのです。進歩という観念が入りこむのは、経過するものとしての「時間」にあります。

つまり、「時」を生きた人々が、「時間」のなかで生きるようになった時、そこに進歩という観念が芽生え、次には、時間に進歩を求めて時間の合理的消費をめざすようになった。それが徹底されたのが、二十世紀だったと考えればよいでしょう。

この変化が、物語を消滅させたのかもしれません。なぜなら、かつて感じられた人生の物語とは、時を生きた人々の物語だったからです。村の時を生きた人々の物語。

職人なら、修業時代という時を生き、親方という時を生きた人々の物語。自然の偉大さに気づいた時の物語や共同体に生きる自分を感じた時の物語。

そんな人々が進歩という時間のなかで生きるようになったとき、時間が経過するように履歴は経過していっても、過去はつねに踏み台であり、物語を生みだす「時」ではなくなったのです。


桜の季節


近隣の廃線駅にある花公園にて。

まだまだ「農」活動は始動していない。


四月三日

井手さらい。

田圃への水路の掃除をする日である。母屋の裏手から土手の下(土管パイプ)を伝い、田圃方面めと流れる水路の掃除である。

掃除というのは、一年でたまった砂などを取り除き、水の流れをよくしておくことを意味している。

水路にたまった砂をかきあげ、横の小道などへとかきあげておく作業である。

この作業は、水路の下流に田圃を所有する宮本さんなどとの共同作業であるが、担当エリアがほぼ決まっている。

清水家の担当エリアは、家の南側にある池の横手水路から、小田のおばさんの家の横手水路が終わる場所くらいまでである。

※2024年夏くらいには、栗岡さんの田圃、宮本さんの田圃(一部)が、太陽光パネルが設置される予定となっている。


四月二十日

アグリカルチャーシーズンが到来した。

昨日は所有する竹林に入り、ニョキニョキと伸びてくるタケノコちゃんに、

『ごめんね~』と一声かけてから、『えいや~』。

十本近くの収穫であったが、これがまた数日後には、同じくらいの本数の収穫となるのである。

田植え前の荒代(アラジロ)かきも目前に迫ってきている。アグリ&ケアに追われる日々が続く。


四月二十一日

今年もこの季節が到来した。マスクはもちろん感染予防用ではなく、粉塵対策用である。

まずは、畑の土起こしである。

旧式の耕運機によって、硬かった土がほどよい柔らかさに変化していくのである。

そして、土の間から、なんともいえない香しい匂いも漂ってくるのである。

生命の匂いとでもいえようか・・。

四月二十三日


今朝五時三十分。

自宅から走って三十秒の距離にある、廃線の土手から撮影。

今週末には田植え前の『代かき』なので、田に水を張っている。

土手には、芝桜と水仙が咲いている。


四月二十五日


雨後のタケノコって、やはりホンマやなぁ〜。

今日の午前中に収穫。

自宅から、徒歩三分程度の距離にある、所有している竹林にて。


四月二十九日


昨日来の雨で、荒代(あらじろ)をかいた田にも、十分な水が張れている。

明日は、本代(ほんじろ)かきである。そして、来週には『田植え』となる。

本代かき、とは、田植えの前に、田圃の土を鋤く作業のことである。

本代をかく作業の前には、荒代(あらじろ)をかく作業がある。

荒代をかくのは、本代かきの約一~二週間前である。


四月三十日


にわか雨もあったが、無事に『本代(ほんじろ)かき』は終了した。

来週の『田植え』までは、水管理が重要となる。

この水管理は、田植え時に適度な深さの水を注入しておかないといけないからである。

少ないと苗に影響があり、水を入れすぎたら、田植え機が稼働しなくなる。

(注)田植えの約1週間前には、本代かきを予定しておく。そして、本代かきの終了後すぐ(同日中)には、除草剤(液体)を田に撒いておく。水が田から抜けないように、荒代から本代までの間に田の周囲の水漏れがないかどうかしっかりと確認しておく。


四月三十日

田の『本代(ほんじろ)かき』が始まる。田植え前の大仕事。


五月一日

雨後のタケノコ、とはまさにその通りだな。お隣の桜の木には、なんの遠慮もしてないな。季節の変わり目に、まるで気まぐれのように降った、『五月雨』

漂う湿り気の中に、光と温かさを希求するかの如く、ニョキニョキという音まで聞こえてきそうだ。かぐや姫がわずか三ヵ月で大人になるのは、若竹が親竹と同じ大きさに育つ期間と一致する。

それだけに、竹の不思議な成長力に魅了された昔日の日本人が、「竹取物語」の礎を育んだのだろう。今日のランチは、青椒肉絲(チンジャオロース)で決まりだな。本場中国では、タケノコは入れないみたいだけど。


五月一日

今年は、タケノコの豊作だべさ~。

田の水回りチェックや畑の柵づくり、そして草刈りなどをしながら、竹林に日参する日々がここ数日続いている。

家の周縁においても、トラクターや耕運機、そして田植え機、草刈り機などなどのエンジン音が鳴り響いている。

西中国山地の中山間地では、このGWに田植えするのが通例となっている。田植え前の田の整地や畔の草刈りなどで賑やかな日曜日となっている。


五月二日

農作業の後、夕刻の日差しを受けながらの晴耕・晴?読。本名は、『現代日本人の死生観』
今日も、タケノコを十本あまり収穫したが、ご近所も含めて食べきれないので、
涙を飲んで処理、、。


五月三日

土地はふんだんにあるなか、力仕事の担当となった。『男』の漢字の成り立ち(田に力)をいやほど再認識したものである。稲刈り後(秋)の田起こし、雪解け後(春)の田起こしに手押しの耕運機が稼働する。田植え前の荒代かき、本代かきなどは、親戚の大型耕運機を有償依頼している。

田植えと稲刈りは、町内にある農業法人(百姓屋)に事前依頼する。ただ、田の辺(ほとり)の手植えと苗運び、そして稲刈り時の手狩り作業と脱穀機までの運搬などの手伝いをする。田植え直前は、水は浅い(土より五ミリ~一センチ程度上が水面ぐらいがいい)くらいにする。水深が深いと田植え時に苗が倒れやすい。一番いいのは、田植え前日に水を少し多め(土から五センチ程度上)くらいに水位を調整しておく。そして、田植えの日の朝に、少しづつ水を抜きながら、土から上に五ミリ~一センチ程度に調整していく。


五月四日

今年の田植えも無事終了。きしくも昨年も五月四日が田植えであった。

今年は、『コシヒカリ』を植えた。コシヒカリ種は風には弱いが、刈り取り時期が早いのが特性。
秋口になり、イノシシなど野生動物の被害が出る前に刈り取りできるよう、田圃の師匠が選んでくれた。

これからの日々は、田の水位管理がしばらく続くのである。刈り取り前に早目の台風が来ないよう、今から神頼みである。

(注)田植え後、約1~2週間後には、除草剤(パック袋に入っている)を田の各所に撒く。また、雑草の具合を見ながら『クリンチャー(除草剤)』を撒くようにする。


五月四日

田植えの後の、えぶりにての整地をさせていただいています。

と、田圃の神様へ敬語でごあいさつ。

えぶり、とは現代ではほとんど死後に近い。

だが、先代から使用している、この簡素な農機具は、

なんとも肌にしっくりとくるのである。


五月十日


畑作業の日。キュウリ用の添え木設置。

家のすぐ前にある、猫の額(といっても、通常の家庭菜園の数倍はあるかな?)ほどの、

面積に、旬の野菜を植えていくのである。


五月十二日


田植え後の一~二週間は、日毎に苗の成長が手に取るようにわかる時期でもある。

毎朝・毎夕の水位管理の度ごとに、まるで鏡のような田の風景に出逢うのだ。

※ 写真は、田植え後約一週間の撮影。

今年はすでに梅雨入りしており、はたして『田の鏡に映える暁空』は見れるだろうか。


五月二十八日

まるで、『田の妖精たち』みたいだな。

水面に映る明けの空を舞台に、稲の妖精たちによる妖艶な舞い。

その幕があがりはじめている。

妖精たちは、ものの十日前後で、

『晴れの舞台』に登場してきたのである。


五月三十一日

田植えから約ひと月弱。苗も順調に育ち、後はこまめな水管理なので、次は持ち山整備に主軸を変えていく。本日、小型チェーンソーを購入し、山の斜面での伐採用とする。里山暮らしは、草刈り、水管理、枝打ちなどまさに百姓(百ほどの種類の仕事をするカバネ)仕事。

作業中には納屋で巣作りをしているツバメとだけ目で会話し、作業終了後は、多量の汗を早めの入浴にて洗い流した後、蛍の飛翔時間を待つ、、。

まさに、ソーシャルディスタンスとともに、自然との距離(ナチュラル・ディスタンス)を程良く保てていると実感する毎日である。



六月三日


チェーンソーにての、持ち山である竹林整備仕事。

まずは、導線(樹木帯への入り口)の整備から。

まさに、雨後のタケノコは、あっと言う間に伸びる。

充電式チェーンソーは、エンジン式に比べて圧倒的に『音量』が少なく鼓膜に優しい。


六月四日


休耕田の耕作手伝い。

やはり、土の匂いを嗅ぎながらの作業は、デトックスに繋がる。

旧式の耕運機は、手押しスタイルなので、歩く運動にもなる。

ただ、エンジン音がとても大きく、鼓膜クンには申し訳ないけど・・。


六月六日

この玉ねぎクンは、自ら『収穫が近いですよ~』というサインをくれるのである。それは、『葉が倒れ始める』こと。では、なぜ葉が倒れるのがサインなのか? それは、食用部分にあたる玉が肥大化するにつれて、逆に葉の中身はスカスカになって空洞化していくからである。

球の部分への栄養がより必要とされ、葉への供給まで廻らないのである。そして、葉はコケはじめ、玉は収穫されるべく栄養分を蓄えていくのである。なんて、偉そうなことを書いているが、近くに住む農業の師匠さんからの『受け売り』なのである。

しかし、自然物のサイクルというのは、知れば知るほど『腑に落ちる』なあ~。そして、近日中には、この玉ねぎクンたちも、味噌汁か炒め物の具材に変身して、私自身の内臓の『腑』に落ちてくるんだろうな~。本日の午前中に収穫予定。玉ねぎクン、ごっつぁんです!


六月七日


午後は、ドクダミ茶の造茶作業(天日干し)

う~ん・・、普段は洗濯物を干している場所に、

逆さドクダミさんが・・・。

都会では、ありえへん光景だな。


六月八日

早朝五時。朝イチのお仕事は、雨の切れ間に、イノシシさんとの『知恵比べ』。ウェルカムバック・アゲイン。今年も帰ってきたな、イノシシ君(メスかもしれないけど)。ここ一両日、なんか妙な胸騒ぎもあったんだよね。今朝、柿と梅の祇園精舎林(と私は呼んでいる)に行ってみると、イノシシ君、やってくれてるやないの~。頼みもしないのに、笑いながら鼻先で、いや、鼻先で笑いながら(どっちでもいいけど)夜間掘削作業に従事してくれている。

あのね、どうせなら田起こし前に、田んぼを掘削してくれよ。バイト料も支払うから。

イノシシ君との『知恵比べ』戦略を速攻で練る。熊のぬいぐるみを着て夜通し監視することも検討したが、間違えて撃たれたらイチコロである。策略としてここは無難に、野獣除けの『柵』にての防御とした。かなり簡易なまでに省略した柵なので、まさに『策略』ならぬ『柵略』。ちゃんちゃん。


六月九日


予想がつきにくい梅雨いり時。

長雨の季節前に、

早朝から休耕畑にマルチを張ったり、

野菜畑に防獣ネットを張るお手伝い。


六月十日

本日の作業は、ここで終了。

玉ねぎクンたちを日陰干しする為に、納屋の軒下に吊るしてあげる。明日からは雨だかんね。

改めて農家の納屋って、多目的使用可能にできてるなと思う。先代や先々代が使ってきた時代物の器具が所狭しと保管(処分してないだけ)されている。

それらを見てると、『最低限の器具と人力』とで行うアグリカルチャーが、本来の『生産の喜びを実感できる労働の姿』なんだろうな、と自戒を込めて感じ入る。


六月十一日

朝五時。

朝イチの仕事は、田の水抜き作業から。

明日から数日雨予報に伴い、予め水位を調整する。

このように、梅雨時の水管理はなかなか気を遣う。

専業での農業の時代はいいだろうが、サラリーマンなどの兼業は・・??

泊りがけの出張なんて、なかなか難しいかもね。


六月十二日

自宅庭池の上に『マウンテンバイクの生け花』を盛り付ける。これをチャリ盆栽⇒『チャリ盆』と呼ぶ。今日から数日雨予報なので、昨日の午後にはチャリ君に充分な日光浴をしてもらう。昨日の日中は気温およそ三十度。池の水をシャワーのようにバイクと自分にかけてやりたいくらいの暑さだった。

背後に見えている、逆お椀型の山は『鍋山(なべやま)』と呼ぶ。おそらくや、古墳時代には『霊山』として崇められていたはず。自宅から見える範囲に、その古墳(横路小谷古墳群)はある。一号から六号まで並ぶ古墳群が、この鍋山に向かって配置されている。

おそらくや、この地域の豪族らが鍋山の山容の美しさを崇拝し、墳墓を霊山に向かって一列に配置したのではないだろうか。鍋山という山名は、意外と歴史が浅いのかもしれない。古墳時代などには、もっと神々しさを感じるネーミングだったのかもしれない。


六月十三日


田の草取り。

昔の田舎では、殆どの老人の腰は曲がっていた。

延々と草取りをしていると、その理由が明快に理解できるのである。

現代人は、八頭身などに(美)を見つけようとする。

ひと昔前は、胴長短足が農作業には向いていたのであるが・・。


六月十四日

早朝五時。

朝イチの仕事は、イノシシ君のご機嫌伺い。昨日の(柵)略などにより、被害は進んではいない。

しかし、人間の対抗策に対して『フ~んだ!』と言わんばかりに、通り道に複数の『糞』をマーキングしてくれている。

あのね、そのうちに『糞詰まり』の状態にしてやっからね。新たに、通リ道そばに、『チカチカ・ライト』を設置した。


六月十五日


オーマイ・ガ~~ ‼️

この野郎~! 人の領域に、ズカズカ? 

いやいや、ソロリソロリと、すり足・抜き足で入り込みやがったな~

足型をとって、永久保存版にしてやろうか!


六月十六日

雨が小降りになったので、庭木の剪定作業をはじめる。

午後は、読書の代わりにチャリチョイに出掛けるかな、、。

チャリチョイ、とは、チャリ(自転車)で、チョイっと出掛けることである。

農作業をしていると、どうも腰が曲がってくるような気がしてならない。

そこで、たまに、チャリっと背筋をのばしてチャイくりんぐ、である。


六月十七日


今日は、爽やかな朝を迎えている。

そして、休耕田の草刈りである。

六月も中旬くらいになると、身体が農作業に慣れてくる。

そして、早寝早起きが、苦痛でなくなってくるのである。


六月十八日

この頃(六月中旬)は、気温(火)と降雨(水)の上昇により、一気に陰陽の均衡値の充満加勢が促進されているのだろう。

現象面とすれば、野菜の成長率が加速している。

ピーマン、トマト、サヤエンドウなどなどが、畑で『背伸び』し始めている。

こりゃ、昨年よりも収穫時期が少々早まる可能性もあるな。

徐々に、陰陽・乾坤・剛柔・などなどの、天地の間を循環する不可視エネルギーが螺旋形に捻転上昇し始めている気配が感じられる。(最近は易経の書籍にハマっている・・)


六月十九日

朝イチの見回り時に、アナグマ(もしくはタヌキ)に遭遇。アライグマかとも思ったが、口周りの白髭と、尻尾の黒い縞模様は見られなかった。

映像をとり始めるまでは、ぼ~とした表情でコチラを見ている。俊敏な警戒心には疎い。

まぁ、北海道みたいにデカいクマとの遭遇でなくて良かったが。これからは、峠道などで轢死タヌキを見かけることだろう。

夜の道路に出たタヌキが、接近してくる車のライトに興味を示してしまい、その車のスピードに対する反応があまりにも鈍い結果であろう。昨夜は、今年最初のホタルも出現。やはり、野菜や花々もそうであるが、動物、昆虫の世界も活気づいてきている。


六月二十日


今日も、良き日となりそうだ。早朝五時。

こんな景観を目にする為には、

やはり、早起きは必須である。


六月二十二日

田植え後、約五十日目。『田干し』である。稲の品種や耕作地環境によって、この時期は全国で異なる。

我が田は標高二五〇メートルの、準冷涼地にあるので毎年この時期(梅雨の前後もしくは最中の晴れ間)となることが多い。

この状態で二~四日間、田には水を入れない。そして、その後の水管理は、毎日ではなく数日毎に水入れの作業となる。いわゆる、『安定期』に入っていくのである。

毎年のように米づくりをしているが、海外などに出掛けるとその期間はほとんどノータッチとなる。コロナちゃんのお陰で、今年は山整備のみならず、田仕事にも連続性を持たせられている。


六月二十三日

朝イチ五時からの、梅の実収穫。

爽やかな一日のはじまり。

自宅から徒歩二分圏内に、この梅の木はある。

その梅の木の、すぐそばには、柿の木が・・。

考えれば、恵まれた食環境にあるな~。


六月二十四日

昨日、庭の池に『お月見台』を修復設置する。

来月七日(七夕)直前に訪れるフルムーン。

お月見台に旬の花を生け、水面には揺れる満月を浮かべる・・。

ついでに俳句でも詠もうかな〜。

背景の山は『鍋山』。この山の端からお月さんは顔を出してくる。手前にある隣家の、ソーラーパネルと電柱がチョット無粋なんだよね〜。


六月二十六日

ツバメのヒナ、巣立ちの朝。三羽のヒナが親鳥に飛翔の仕方を教わっている瞬間に立ち会うことができた。

数日前から賑やかな声が響きだしたので、巣立ちの日が近いのだろうな、とは思っていたが、まさかその瞬間に出逢えるとは・・。

親鳥が低い電線から高い電線へとゆっくり飛翔し、その姿をヒナたちの視線が追いかける。そしてヒナたちは一羽づつ勇気を出して、上空へと羽根を震わせ始める。そして空との相性を確かめていったのである。


六月二十六日

早朝五時、田畑の見回り。

連日の降雨にて、ラベンダーも色、匂いとも全開状態となっている。

また、自室の前には季節の花々が咲き誇っている。

田では稲が順調に伸びている。

さて、今日も降雨予報。雨の止み間にちょいっと、チャリチョイかな・・。


六月二十七日

雨が二日連続した。昨日昼前にようやく上がったので、畑から野菜を収穫。キーマカレーで、若き日のインド滞在時を思い出しながらのランチとした。

網ネットは、子ザル対策である。一昨日、子ザル君は、なんとネットの上部の隙間から中に入り、ナスビに手を伸ばしていた。

さすがに、ジャガイモ、ニンジン、玉ねぎなどの根菜類には手を出さない。

彼らの手足は、『掘る』という行為には適していないのだろうか。確かに、『握る』と『掘る』は、指の関節の動かし方に違いがあるようにも思える。


六月二十八日

遥か遠方の知人からも、ファーマー便りが届いたので紹介しよう。遠方とは、「世界の桃源郷・パキスタンは不老長寿の里フンザ」である。

このフンザの地にて、十年の歳月をかけて果物の有機栽培をしている Mr.Karim Hunzai である。日本にも留学経験がある。

彼と彼の一族は、(チェリー、アプリコット、柿)などの栽培ファームを持っている。そして、チェリーは約七〇本前後になるそうである。また、この農園からは名峰ラカポシやウルタル峰が、手にとるような距離にある。

この桃源郷・フンザも一時は、毎年のように訪れていたことがある。


六月二十九日

朝の見廻り(田の水位管理)が楽しくなる季節になってきた。

畔のアジサイや稲も梅雨の水分を吸収し、生育度を速めている。

やはり、この時期(六月~七月)というのは、あらゆる生命の息吹が垣間見える。

五月の新緑の芽吹き、そして六月の梅雨入り、

七月の太陽光線の輝き・・・。生命の躍動に必要なものたち。


七月一日

昨夜の蛍狩り。

河鹿カエルの鳴き声が静まると、淡い月光を浴びながら蛍の点滅飛翔、

そして集団乱舞が始まった。

車で二十分。

鄙びた温泉宿近くにある、ホタルの里にて。スマホにて撮影(星空撮影アプリにて)


七月三日

豊作のジャガイモ。家の前にある畑で作付けしたジャガイモ。土壌の中では三密状態だったにも関わらず、こんなに元気な表情をした『不揃いな掘り出しモノ』として収穫できた。

それぞれが土壌の下で、マスクを着けずにどんな会話をしていたのかな~、と想像するだけジャガ、、イモの気持ちにちょっと寄り添えた気分に浸れるのである。

これからひと月以上、毎日三食ともカレーか肉じゃがか、はたまた丸いジャガイモで『お手玉遊び』でもするかな?

なんにしても、食材自給生活は、災禍時にとても威力を発揮することが再確認できた。次の収穫はトマトちゃんかな? もうちょっト、マトいてね~!


七月五日

朝露に射す『始まりの光』

本日の朝五時半。

写真の外枠には、私の農業における師匠Kさんもいた。彼も朝の水回りパトロールに来られたのである。

このような『天地創造』をイメージする雲と光の芸術は、

皮肉なことに、往々にして『自然災害』の前後に、天空に描かれることが多いのである。


七月七日

七夕の本日、これだけの収穫物である。

雨の止み間をみて、急いで畑(と言っても家の前)へ。

トマト、キュウリ、ナス、ピーマン、オクラ、アスパラ・・・。

緑モノの収穫に合わせて靴下もグリーンにしてみた、

なんちゃって、タマタマ偶然なんだけど・・。


七月十日

雨の止んでいる間に、急いで次の野菜収穫への段取りをした。カボチャ、落花生、里芋のフィールドに小猿ちゃん来襲予防ネットを設置。

まあ、家の前にある畑なだけに、出没する小猿ちゃんとはある意味共存関係なんだけどね。今度キミの写真も撮ってあげるからね。

小猿ちゃんも、畑仕事を少しでも手伝ってくれれば、惜しみなく収穫物のお裾分けをしてあげるんだけどな。世の中は、テイク & テイクではなく、ギブ or シェアなんだぜ~。

しかし、この木槌。先代が山仕事で使っていたものなんだけど、なぜかしら江戸時代の職人さんになった気分にさせてくれるんだなぁ~。


七月十三日

野菜のエネルギーってすごいな、と改めて感じ入る。

昨日の集中豪雨にも、野菜クンらはビクともしていない。そしてなんたって、毎日毎日『実を結ぶ』。

水・土・風・熱・光・闇、など森羅万象から『いのちのチカラ』をお裾分けしてもらい、

『実』には、そのすべての生命エネルギーを凝縮させている。イキモノとしての人間の『身』も、本来はこうあるべきなんだろうなぁ~。

え? オヒゲちゃんにもミが入ってしまっているってかい・・?


七月十五日

メンテナンス編。先日は、久しぶりに山へと向かった。といっても、山歩きのプログラムではなく、持ち山の状況視察。ここ数日前の大雨にて、どのように山林が荒れているのかを、先達とともに視察に出掛けたのである。

持ち山は先々代の時代から、当時の家のすぐ裏山という至極便利な場所にあった。それだけに、先々代や先代の『山や森への思い入れ』には強いものを感じていた。山林の中を歩いていると、先々代や先代の『息づかい』がふとしたはずみに聞こえてきそうにもなった。状況視察にはチェーンソーを携行し、導入路などの整備をおこなった。

そして作業終了後に必ず行わないといけないのがメンテナンス作業である。チェーンソーのメンテナンスにおいて、一番神経を使うのが『刃研ぎ』である。


七月十六日

著しい稲の成長。(※稲穂が付き始めたら水は常に一定を保つ)

梅雨も次第に終わりを告げようとしている。今年の梅雨は、大雨の連続で各地にて被害が多発した。被災地の水田などの映像がニュースで流れると、ほんとうに心が痛む。

我が水田は、ありがたいことに大雨の被害は出なかった。皮肉なことにこの雨は、我が田の稲にとっては恵みの雨ともなっている。

いつものこの時期は、水田から水が干上がらないように補水に神経をくばらないといけない。しかし、今年は逆に、水田から適度に水を抜くような、出水柵調整のみの作業であった。


七月十七日

久しぶりの好天だったので、林業もどきの一日とした。先代が昭和二十年代後半から三十年代にかけて植林した持ち山を視察。場所は自宅から車で四十分の距離。先々代の時代に、ダムに沈む集落から現在の土地に引っ越してきたため、持ち山の多くは隣りの自治体にある。

現代社会では、林業のように一つの商品サイクルが五十~六十年スパーンとなるものは全くないであろう。情報機器やプログラムは、ものの二~三ケ月単位で刷新され、派遣労働も同じような月単位で変転する。今の日本列島は、『次世代の為に自らは育成に徹した』人たちの労働の結晶である、森や山が残念ながら荒れ放題となっている。

そして『次世代の為にナニかを育成する』行為のほとんどは、スポットライトが当たっていない。


七月二十三日

明日から再び大雨予報となっている。前回の大雨にて雑草クンたちは、ものの見事に成長してやがる・・。

このままであれば、明日から四日間程度の大雨にて、熱帯雨林化してしまい、せっかく整備した竹林に入域できなくなってしまう。

そこで、小雨の中を強行して『草刈り十字軍』を派遣した。といっても、単独行ではあるが。あ、ちなみにフェースガードはコロナ対策ではない。こんな田舎にはコロナ君は出張してきていないので・・。

日本の季節感は狂い始めたのだろうか? 梅雨はいつ終わるんだ~。


七月二十五日

我が家の三和土(たたき)にて。梅雨時の長雨は、『畑の命水』となっている。家の前にある畑では、連日のように野菜ちゃんが、『早う穫ってえや~』と呟いている。

今日は、ナス君とキュウリ君、ピーマンちゃんとトマトちゃん、そして『ドヤ顔』のアタクシと、みんな獲(撮)れたてで大賑わ~い。

もう少ししたら、カボチャちゃんが熟れ時となるな~。あ、アスパラ君やエンドウ豆君、君らの存在も忘れてはいないよ~。

さっそく、トレタテトマトを丸噛り〜❣️ 甘〜い! ナス君は、はさみ揚げかなぁ〜? キュウリ君は酢漬けに、ピーマン君はご近所へのお裾分けかな?  


七月二十六日

草刈り十字軍。なんと今日は、早朝六時から草刈り十字軍が聖地・花のエルサレムに向かって出陣した。午前中には降雨となる予報なのだ。聖地・花のエルサレムにては、一輪(一凛でもある)の可憐なお花ちゃんが、雑草軍(イスラム教徒ではないが)に包囲されていた。

この可憐で凛として咲く、聖なるお花ちゃんを守るべく、我が十字軍は派遣されたのであった。それも、いつものように単独行にて。傍を流れる河川では、濁流が清流に戻ろうとしていた。水量はまだまだ多いが、清澄度が次第に増してきている。

今年の梅雨は多雨であるので、畑の野菜軍も活気があると同時に、雑草軍の勢いも衰えることがない。あっという間に、援軍がどこからか駆けつけ、ものの見事にグリーンジャングルを形成してしまう。


七月三十一日

久しぶりの、ホームで迎える暁の空。

何度も繰り返すが、やはり早起きは三文の得である。

こんな景色が、一日のはじまりに見られるなんて、ね!


八月一日

今朝五時三十分過ぎ。
稲も順調に成長してくれている。
八月にもなると、さずがに太陽光線が厳しくなってくる。

しかし、稲はどうだろう。ますます緑の深さを濃くしていくのである。
やはり、自然の生命体は、元来頑強にできているものなんだな。
人間も本来は、そうだったんだろうな。

(注)コシヒカリなどの品種では、七月中~下旬ころには出穂する。そして、八月下旬~九月初旬頃には稲刈りとなる。


八月五日

早暁を彩る、天地のアーティスト達。

朧げな金色に染まる、明けの東空である。

連日、このような目覚めのひと時を迎えている。

これをもって、幸せと呼ぶのだろうな。


八月九日


昨日までは全く無かった『稲穂』がつき始めている。

稲田は、はや秋へと移ろいはじめている。

稲の種類によって、早く収穫するものと遅いものとがある。

早米となると、この時期には、すでに稲穂がたれはじめるものもある。


八月十一日

深夜からの『線状降水帯』の来襲に備えた水路管理。

このように水流を制限する対応を取らないと、田圃への過剰な流水を阻止できないのである。

そして、降雨の収まりに応じて水路を再び元に戻すのである。田植えから稲刈りまで、五月〜十月までは毎日この『水管理』が必須となる。

コロナ禍前の海外出張時には、この『水管理』を農業の師匠に託していた。コロナ禍により、小まめな対応の頻度を体感している。


八月十二日

お盆前の『みちうち作業』。村落共同体がおこなう、集落周りの道の整備作業があった。十三戸でひとつの共同単位となっている集落。各家庭から男手一人が出陣?する。そして、約一時間程度の草刈り、道の掃除、などをおこなう。作業終了後には、午前中ではあるがビールで『お疲れさん会』となる。

昨年までは『集落自前でのお葬式』も行われていた。故人の家が葬儀会場となる。男衆は会場設定や進行役、そして帳場(受付)の仕事を分担する。隣家のひとつがお斎(とき)の宿となり、女衆が葬儀用料理を用意する。料理のお膳や食器は集落共同の小屋から運んでくる。中山間地域の田舎では、まだまだ伝統的な因習に従っての各種行事というのが、小さな変化をしながらも脈々と息づいている。


八月十四日

アマゾン河化した、太田川上流。皆さんのお住まい地域では、豪雨による被害は出てないだろうか? 我が居住地域は、道路不通や斜面崩落などは発生しているが、大事には至ってはいない。

ただ、本日も線状降水帯の来襲が予報されており、注意は怠らないつもりであるが。昨日は、雨が止んだ昼前に『ヨシ!今だ〜!!』とばかりに、免疫力を下げない為の、体力気力増強・単独チャリチョイツーリングへ。

いつもの川沿いルートをとり、戸河内方面へ。アヤヤ〜、ここはブラジル奥地か?と、勘違いするほどにミニアマゾン河が眼前に展開していた。なかには、ポロロッカのように逆流している。


八月十五日

野外瞑想の実践フィールド。その傍にある石垣が、豪雨の為に先人が積んだ石垣が一部崩落。観測史上最大の降雨量は、『民衆の在来知=人力のみによる石積み』にアタックをかけた。しかしその被害損傷はというと、ひと世代前の人達であれば、コミュニティーによる協力作業にて数日で復旧できる程度である。

毎年のように、各地にて『数十年に一度の○○』というフレーズが頻繁に報じられる昨今。百年に一度のパンデミック。数十年に一度の記録的天候不順。そして年々拡大・拡幅していく気候変動。極めつけは、必ず発生すると言われている巨大地震・・・。やはり、『ホモ・サピエンスの驕り』に対する、自然界からの『何らかの予兆への警告』ではないだろうか?

※ 二〇二一・二・三年とも、早米のコシヒカリにしたので、稲刈りは八月末もしくは九月の第一週になっている。


九月十二日

季節はすっかり秋に流れはじめている。昨日、梅の木と柿の木の剪定作業をした。

このスペースは、いずれ『川のせせらぎを聞きながらの、樹下瞑想スペース』にしていくつもりである。

その作業の傍らでは、すでに彼岸花が一輪咲き誇っていた。その近くには、明日にも開花しそうな一群も・・。

そして作業を終え、縁側にてチェーンソーの刃を研いでいた時のこと。大きなオニヤンマが私の鼻先で、ホバリングを開始したのである。網戸越しに家人がスマホで撮影しても逃げない。

なもんで、人差し指を立てて、『この指と~まれ』とやってもみた。

九月十五日

禍福は糾える縄の如し、とはよく言ったもんだ。樹下の瞑想スペースでは、彼岸花が咲き誇り、さながらシャングリラ(桃源郷)の様相を呈しはじめている。これからしばらくは、目の保養とともに、桃源郷にてのメディテーションタイムを楽しめる。(⇒これは福)しかし、その隣の田圃では台風による大雨の中、『イキモノたちの夜間舞踏会』が開催されたようである。(⇒これは禍)昨夕の行政からの有線放送にては、『熊の目撃情報』が告知されていた。この舞踏会の痕跡を見る限り、舞踏会出席者はクマ君らではなく、どうやらイノシシ君親子のようであった。イノシシと特定できる爪先跡の大小がそこかしこに・・。稲穂を食べるのではなく、田んぼに生息するミミズちゃんをお探しのようである。雨が降ると田の土が柔らかくなり、イノシシ君らもその鼻先でミミズちゃんを容易く探せるのだろう。

※ 二〇二一・二・三年とも、早米のコシヒカリにしたので、稲刈りは八月末もしくは九月の第一週になっている。


九月十七日

オーマイガー!(二回目かな?) 台風接近の前にと思い、持ち山の整備をしていた・・・。下草を刈り取ろうとして、笹の藪を手(手袋あり)でかきわけていた、その時。『ウゥ~』と思わず上半身が屈っするほどの痛みが走った。その場所は左手の中指(手の甲側)であった。

慌てて、作業用手袋をはずし、痛みが走った部分をつまみ上げ、なるだけ毒のマワリを防ごうとした。しかし、あまりの痛みにその動作も休み休みしかできない。口で吸い上げ、すぐに水でうがい、という行為も続かない。

尋常でない痛みに耐えきれず、家に戻りステロイド軟膏、そしてステロイド剤も服用した。が、時間が経つにつれて、写真のように手の甲側が、膨満という表現が適切なくらい、パンパンに腫れあがってきた。皮膚の赤みもどんどん増してきている。まるで、手の甲が『モデルナアーム』のようでもあるな・・。


九月十九日

本日の早朝、稲田を見回る農耕民の目線。

しだいに、稲穂が垂れ始めている。

実るほど、頭(こうべ)を垂れる、稲穂かな・・。

人間も、かくありたいもんだね~。ご同輩諸君!

(注)コシヒカリなどの品種では、出穂は七月中~下旬頃となり、稲刈りは八月下旬から月初旬の期間となる。稲刈りの時期は、品種によって異なることを注意してほしい。昨今の台風襲来時期が早くなっていることを考えると、コシヒカリなどの早稲刈り品種はありがたい。


十月四日

西中国山地の秋・収穫の時期である。稲刈り機での『あっという間』の刈り取り風景を見ながら、古代の稲作時の収穫風景を想像していた。写真左上の『こんもりとした森』は、古墳時代の墳墓であるらしい。ここから出土した品々からは、この一帯には豪族が居住していたことが分かっているらしい。

豪族の居住地域ということから、古墳時代の稲作風景も連想してみることができる。ものの一時間足らずの収穫完了ではなく、おそらくや一日仕事であったはず。そして、腰を曲げてのキツイ労働であるので、『労働歌』などを謡いながらの作業だったに違いない。そして、収穫終了と同時に、『田の神』や『稲穂の神』への感謝の祭儀が執り行われたのであろう。

近代から現代にかけての農村でも、収穫終了後には『泥落とし』という楽しい行事が待っていた。これは、女性を中心に、収穫後に巡礼やら温泉湯治の小旅行に出かける行事なのである。

※ 二〇二一・二・三年とも、早米のコシヒカリにしたので、稲刈りは八月末もしくは九月の第一週になっている。


十月四日

稲刈りなど農作業について。写真は、数年前の稲刈りの時期のもの。ちょっと、おぼつかない手つきであるが。農業というのは、人工物や人が作ったシステムで管理できない。よって、刈り取りの日時も、あらかじめ予定することができない。

まあ、「予測可能性が未知数」とでもいうこととか・・。天候などの諸条件にて、予定が狂うことがしばしば起きるのである。

しかし、それが自然のユニークさでもあり、不思議さをあわせもつ理由なのだろう。レイチェル・カーソンも言っている。「センス・オブ・ワンダー」=不思議さや未知の世界に、感動を覚える感性。これが、現代社会の解毒剤である、と。

※ 二〇二一・二・三年とも、早米のコシヒカリにしたので、稲刈りは八月末もしくは九月の第一週になっている。


十月とある日

(これは二〇〇九年に記述したもの)

昨日、再び津和野を再訪してきた。今回は、ネパールからのお客さん(ラケシュ君)を案内しての津和野。彼は、カトマンズの田んぼでの稲刈り時には、ほんとうに多くの働く人の姿が見られるが、これだけ広い田んぼの稲刈りに、ものの二名でおこなっていることに、にわかに信じられないようでだった。

その彼の疑問に答えながら、ふと「手間をかける」ということに思いを巡らせていた。農家の仕事は、確かに重労働ではあるが、オフィスの仕事とはちがって「手間」をかけざるを得ない。もちろん、機械化が進んでゆくのは時代の流れなのだろうが、「人手」と「手間」をかけた作業というのは、それだけで「共有感」を育む素地にはなっていたことだろう。


十月二十日

今日は、『ひこばえ刈り』。今年ははじめて早米(コシヒカリ)にしてみた。

稲刈りは八月末であったので、九月の台風頻来はなんとか影響を受けなかった。

稲刈り後約二ケ月で、ひこばえもこれだけ成長してくるものなんだな~と、

感慨深く思いながら、草刈り機で半日の作業であった。

近未来の食糧危機に備えて、稲刈り後には『麦』などの作付けなど二毛作を検討してみるか・・。

2022年は稲刈りを8月末におこなっている。


十一月九日

秋深し。我が町の霊木・大銀杏。(昨夜のベストショット)

推定樹齢一二〇〇年(平安時代・空海が高野山を開山した前後頃に相応)の大銀杏がライトアップされている。

今年はコロナ禍で、秋祭り(奉納神楽舞)が中止となっている。ただ、神楽が舞われる各宮では、恒例の『幟建て』が施されている。

そんな秋祭りの幟と平安時代から生きている巨樹が、闇夜にくっきりと浮かび上がっている。石造りの鳥居も、今夜ばかりは賑やかな応援団を得て、どこか嬉しそうであった。


秋の奉納神楽

中国山地では各地で「神楽舞」がおこなわれる。出雲神楽の影響を受けたり、石見(いわみ)神楽の影響を受けたりする各神楽団が伝統的な舞いを軸として、さまざまな新しい試みもされている。

収穫時前から、各地区にて神楽の幟が立ち、笛や太鼓を練習する音色が聞こえている、というのが古来西中国山地の「秋の風物詩」なのである。

秋祭りの時期が近づくと、私の村では幟が秋風に揺れ、夜には神楽を練習する囃子の音色が流れはじめる。

祭りの夜には、親戚が集い、子供たちはお宮で神楽を朝まで毛布持参で見ている。大人たちはストーブの周りで、背中を丸めながら振る舞い酒を飲んでいる。


十一月十二日

中山間地域での『感染?予防対策』 再びイノシシ編。今年もまた、この季節がやってきた。イノシシ君らが、「ハードワーク」をしてくれている。その重労働は、十日くらい前から力を発揮し始めていた。それ以降、乱暴狼藉は収まるかと思いきや、彼らの猪突猛進はヒートアップ!春先の苗植え前の田起こし時期であれば、拍手喝采しバイト料まであげるのに。

冬前に掘り起こされると、この状態で土壌が固まってしまうのである。地主に黙っての掘削感染は、ステージⅢの許しがたい限界線を超え始めたので、専門家委員会の対策班が出動せざるを得なくなった。放っておくと、次から次へと「猪~鹿~蝶?」と、賭博場クラスターの発生を促してしまうことになりかねない。そこで掘り返した穴を埋めなおし、その上からワクチンである『トンガラシ』を振り撒き、夜間の接待を伴う会食除けに『点滅・警報ランプ』を設置してやったのだ~。


十二月二日

降雪前の「土おこし」。今年の冬は例年よりも降雪量が多くなるとの予想がなされている。

私が居住する中山間地域も、昔は結構な降雪量があった。自宅前にカマクラを造ったこともある。

なので、昨日はトマト、ピーマン、ナスなどを作っていた畑エリアに耕運機をかけた。これで気がかりなく、来春を迎えることができる。

来年の雪解け時期には、再び耕運機のエンジン音が響くことだろう。この耕運機も二十年以上稼働の年代物となってきたが、よく働いてくれる。


十二月十六日

西中国山地で迎える、冷え込んだ朝。

これくらいの量の降雪があると、やはり農作業は一切中断される。

そして、この雪が解けるまでは、農家は休眠?状態となるのである。

そうなれば、晴耕雨読ではなく、晴休・雨休・雪休だ・・。

ば、ば、ばんざ~い(と、小さな声で囁く)



『 時の刻み方 』



かつて時間には、さまざまな様相があった。それは風土に応じた時の刻み方と言い換えてもいいだろう。個人にとっての「人生の刻み方」も、本来は独自の「針」を持っていたはず。

しかし急速に変転するグローバル時代の時計の針は、世界共通の均質性ある進み方を加速させてきた。その針のスピードを新型コロナウイルスは、一時減速させている。

これは見方を変えれば、「世界共通の針」の束縛から解放され、「自分だけの針の刻み方」を見直す絶好の機会なのではないだろうか。

我々現代人は、時が身体や人生に刻まれていくことよりも、時の間を浮遊し浪費していくことに毎日を費やしているのではないだろうか。

コロナウイルスは、半ば強制的にそんな日常をストップさせ、時は静かに刻まれていることに改めて気付く契機を与えてくれているのかもしれない。

一方でコロナウイルスは、自然環境には全くアタックをかけない。社会が行動自粛期間中でも季節の巡りは確実に循環しているのである。

なかなか抜け出せない負の連鎖状況下では、我々の目線はどうしても足元に落としがちになる。

そんな時こそ、ふっと顎を上げて窓の外を眺めてみよう。木々が放つ淡い香りを緑風が柔らかく包み込もうとしている。その流れるささやき音が聞こえてくるだろう。

さらに耳を澄ませば、遠くの山の端から近づいてくる、ほのぼのとした初夏の足音が、あなたの鼓膜を揺らすことだろう。

そして静かに瞑目(めいもく)し、過去に接した風、波、せせらぎなどの「記憶の残響音」に身を浸してみてはどうだろうか。

もしかすると、普段思い出す頻度の少ない、遠くに住む友人や疎遠となった知人、さらには亡くなった親族らの「面影と気配」が漂い始めるかもしれない。

ソーシャルディスタンスと同時に「自然との距離感(ナチュラル・ディスタンス)」への新たな取り組みは、我々現代人へ「静かな時の刻み方」とともに「自分らしい時の刻み方」への再考を促してくれるはず。

俄かファーマー日記

2023年4月16日 発行 初版

著  者:清水正弘
発  行:深呼吸クラブ出版

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清水正弘

二十歳の時にダライ・ラマ十四世と個人的に出会った事が、世界の山岳・辺境・秘境・極地へのエスノグラフィック・フィールドワークへのゲートウェイだった。その後国内外の「辺(ほとり)」の情景を求めて、国内外各地を探査する。三十歳代にて鍼灸師と山岳ガイドの資格を取得した後は、日本初のフリーランス・トラベルセラピストとして活動を始める。そのフィールドは、国内の里地・里山から歴史的、文化的、自然的に普遍価値を有する世界各地のエリアである。また、健康ツーリズム研究所の代表として、大学非常勤講師を務めながら、地方自治体における地域振興のアドバイザーとしても活躍している。

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