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現地時間・2015年04月25日午前11時55分にネパールの首都カトマンズ北西77キロメートル、ガンダキ県ゴルカ郡サウラパニの深さ15キロメートルを震源として発生した大地震は、マグニチュード七・八と推定されている。
地震が発生する、ほんの数日前までネパールにトラベルセラピーのフィールドワークで滞在していた私は、現地の知人友人関係の安否の確認とともに、被害実態の情報収集に努めた。
そして、すぐに被災地や被災者への実態に即した支援活動体制を整えていった。被災から数か月程度は、医療、食糧、など生存に不可欠な物資の支援活動である。
被災から一年前後になると、医療・食糧の継続支援とともに、住まいや職などの新しい生活への支援活動が中心となっていく。そして、大地震発生から6年間の期間に、計6度の現地への支援活動を展開してきた。その中でも、一番印象深い出来事がある。
それは、新しい生活を始める際に、被災者の多くが希求した最も重要な事案が、「祈りの場所の復興」ということであった。衣・食・住の支援活動以上に、被災者が望んでいたのが「祈りの場」への復興支援活動なのであった。
被災者にとっての、「祈る」という行為は、衣・食・住の環境面での充足感以上に、心の環境整備を求める上での、大きな支柱となっていたのである。
ヒマラヤ現地支援パートナーであるマハビール・グルン君。すでに30年以上の付き合いになる。これまでのネパールでの全てのフィールドワークをはじめ、震災復興支援活動などに必ず彼の存在が必須であった。
彼とは家族ぐるみの付き合いでもある。私の3人の息子が小学校を卒業する年の春休みを利用して、父親(私)との3度にわたる、其れぞれ2週間の父子ヒマラヤ旅を彼が現地にて同行してくれた。
敬虔なチベット仏教徒の彼からは、無欲で真摯な生き方についても学ぶ面が多くある。これまで多くの知人のネパール各地への旅のサポートに彼を紹介してきた。その全員から彼への賛辞を聞いている。誰一人、彼へのほんの僅かなクレームなどを聞いたことがない。私にとっては、民族・国籍を超えての「弟分」的存在である。
海外災害への支援では、公的な(政府間での)支援体制も重要ではあるが、やはり、一般庶民の声をどれだけすくいあげ、その声にどのように寄り添うかが大きく問われると思う。
そんな時に、現地側に100%以上の信頼をおけるネットワークがあれば、そのサイドからの支援も必須ではないだろうか。
2018年1月31日
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ネパール震災復興・継続支援活動。『 被災民への生活支援』。ダディン県ドーラ村(被災タマン族の人々が建設をする、新しい村)の事をリポートしている。
チベット仏教ニンマ派の活仏、チョキ・ニマ・リンポチェ師が筆頭になっている、Seto寺院と、その関連する尼寺が、被災タマン族集落からの震災孤児を引き受けてくれている。
2016年に記録された、その剃髪入山式の様子である。
活動期間は、残すところ約1週間となった。
これまで約1ヶ月の滞在にて、医療巡回キャンプへの帯同、山間地被災キャンプ地への物資搬入、居住地改善プラン策定、また、各地被災復興状況・映像記録調査、ならびに状況情報発信などの作業を推進してきた。
残りの滞在期間においては、映像による記録調査を継続しながら、再び医療巡回キャンプへの帯同、さらには、継続支援をしているチベット仏教寺院・プラハリゴンパへ、支援金譲渡の為の訪問を予定している。
ここ数日は、午前3時前後に起床し、早朝のチベット仏教寺院にての勤行に参座している。日中には、他の活動をこなした後、午後20時前には、見事に夢の中にいざなわれている。滞在するロッジのすぐ隣は、チベット仏教寺院併設の小僧さん養成寄宿舎である。
私も気持ち的には、年の行きすぎた小僧さんのようでもある。今、まさに、お昼前のボーイソプラノ読経が聞こえている中で、この文章を記述している。
幾多のヒンズー教の神々、仏教の御仏達の御加護なのか、今までのところ体調を崩すことはなかったことに感謝している。日中は、20度位の気温であり、照りつける太陽光線により、我が顔はフェイスブラック状態。
大雪だという日本のニュースをネットでチラ見しながら、我が身は外面(ソトヅラ)までチベット風に変幻したのかと、鏡の前で覚えたてのマントラを唸っている。
ほぼ毎年のように、ヒマラヤのある国・ネパールへ出掛けている。来年も早々から約ひと月ほど、2015年に発生した地震被害復興支援の第六次プロジェクトにて現地へ出掛けてくる予定である。
第一次支援から第二次支援プロジェクトは、食料や衣料などの緊急性必要度に応じた編成とした。
第三次(震災発生後約半年経過後)くらいからは、地域経済の立て直しへの側面支援とともに、『祈りの場・再興計画』がメインの柱となっている。
ネパールでは、首都カトマンズにおいても、まだまだ『祈る』行為が、日常の生活と密着している。ヒンズー教、仏教、イスラム教、そして少数だがキリスト教などが混在しながらも、それが社会不安の大きな要因となったことがない国である。
お隣の大国インドでは、イスラム対ヒンズー、ヒンズー原理主義などなどが社会問題化している。世界の中でも宗教混在の国で、『祈り』が原因によるトラブルがない、そんな世界的な希少さも持ち合わせている。
宗教が平和に混在している長所として、年がら年中、どこかでお祭りがあることも言えよう。いつも、どこかで誰かが祭に興じたり祈ったりする。
そして仕事はもちろん休みとなる。と、こうなれば、必然的に日常はゆっくりとリズムを刻むしかない。
そして、『経済的には、世界最貧国』のリストにも掲載されてしまう。しかし、よく言われることだが、物質的には最貧国かもしれないが、精神的には、最富国のひとつであることは間違いない。
その、精神的最富国の基盤をなしていた、『祈りの場所』の多くが、地震の被災を受けたのである。
ネパールの復興は、経済面の支援も大切であろうが、この『日々の祈りの場』の再興プロジェクトは、もっと大事なことだと思っている。
なので、第三次支援からは、ご縁のあるチベット仏教寺院の崩落壁(お釈迦様の生涯が描かれていた)への復興支援・募金活動を継続している。(写真)
もうひとつは、30年以上の付き合いのある弟分的ネパール人が関与する、被災キャンプ地(タマン族)復興支援へも募金・支援物資運搬活動も継続中である。
これらの活動の主たる目的は、もちろんのことながら『震災被害発生から継続する募金・支援活動』である。
ただ、私個人的には、この活動を継続していく上においてもう一つの関心事がある。それは、『ネパールの人にとって、(祈る)という行為の社会的意味とその影響』といったことである。
我々日本人がすでに忘れてしまっている『日々の祈り』。物質的に豊かな国に発生する、悲惨で陰湿な事件の数々。
自分の身体に流れている、命の連鎖を実感できず、安易にその鎖を断ち切ってしまう人々。日本は外的には平和かもしれないが、内的には、『心の内戦状態』にあるともいえよう。
それに比して、ネパールなどを始めとする、世界の辺境地に住む人々の『日々の充足感や手ごたえ感』。
もしかすると、募金などの支援活動を通じて、私自身が、ネパールの人達から『心の被災への支援』を受けている側なのかもしれない。
★ タマン族の被災キャンプ地の記録から。
ダディン県ドーラ村(被災タマン族の人々が建設をする、新しい村)の2年半ほど前の写真である。上の写真にある、支援活動ボードの左下に「sinkokyou club」の文言が見える。私が主宰する、ボランティア活動の窓口にも指定している、「深呼吸クラブ」である。
文字の間違いは、ご愛嬌である。この写真は、第一次支援時のものである。震災発生後の夏季に撮影している。丘の斜面に急拵えの、被災キャンプ地へは、バイクと徒歩でしかアプローチできない狭い道しかなかった。
当時の被災キャンプ地は、掘っ建て小屋や、ボロ布や工事用シートを掛けただけの、悲惨な居住環境が報告されていた。それから2年半の歳月が過ぎている。この集落には、強力なリーダーシップを発揮する30歳代のまとめ役がいる。
さらには、集落のまとまりレベルも高く、チベット仏教への厚い信仰心にて結ばれてもいる。昨年同時期の支援訪問時には、まるで野戦テントのような空間にて連泊していた。それが、本年度は集落民自らが、その技術を習得し、現在の現金収入源ともなっている、
「レンガ積み式居住家の建築術」によって、見事な居住棟群を完成させているのである。まだまだ、内装などのメインテナンスや、チベット仏教の寺院建設が、進行中や検討中であると聞いた。しかし、ほんの2年半にて、ここまでの村づくりを成し遂げた、村民全員に「脱帽」である。
今後の諸課題などを、ヒアリングしながら、これからのサポート体制を整えていきたい。再建の主体は、あくまで「村民全員」である。当たり前だが、決定権や諸判断は、彼等にある。我々はサイドサポーターや、資金援助に徹しながら、これからの活動を話し合いながら進めていきたいと願っている。
この集落では、被災による「震災孤児」が数多く発生したのである。継続支援活動の中には、彼等震災孤児への未来ケアも含まれている。ある程度自分の意思が確認できる年齢の孤児には、本人と受け入れ先双方の許諾、了解を得た上にて、チベット僧院、尼寺にて預かって貰ってもいる。
第四次・ネパール震災復興支援の風景・第二回医療巡回キャンプにて。
秘境ドルポからのラマ僧などを鍼灸・整体治療する。
今回のフィールドワークの目的は、2015年に発生したネパール大地震の継続支援・経過調査を主に、クムジュン村へ母校山岳会が寄贈した校舎の木柱腐食への対応調査もする。
2015年の大地震の後、母校山岳会は日本の建築設計事務所の協力を得て、クムジュン村に耐震性に配慮した校舎を1棟寄贈した。その校舎の木柱が腐食している情報が入っている。
またネパール大地震以降、個人的にもコロナ期間(3年間)を除いて、計7回にわたる継続支援活動を行ってきた。第1~3回は主に医療品や日用品などの支援や医療活動。そして4回目以降は、生活復興を主とする(特に祈り場の復興)への活動展開であった。
発生から約10年。カトマンズを中心に経済復興は進んでいるとはいえ、大地震時の大規模土砂災害によって、集落そのものを失った家族たちのその後は大変な道のりでもあった。集落、家屋、家族を失った人々にとって、『祈りの場』は心の安寧と明日への希望の光を宿す貴重な空間でもあったのだ。
その『祈り場』復興の為に、避難民キャンプ地でのゴンパ設立、そしてカトマンズの中核僧院の修復などへの募金を集め現地関係者へお渡ししてきた。また、チベット僧院などは両親を災害にて失った孤児を引き取り、現在に至るまで寺院内にて生活支援をおこなってきている。
今回は、フィールドエリアをクーンブ地方(エベレスト街道沿い)に絞り、現状の実態を把握してくる予定である。海外における諸災害は、いつのまにか記憶の彼方へと遠ざかってしまうものであろう。ただ、ヒマラヤの国ネパールは、私にとって第二の故郷といってもいい国である。
それだけに、個人的な小さな支援活動であっても、継続性を持たせ続けたいと願っている。ネパールへは、本年12月にもフィールドワークを予定している。この時には、ポカラ近郊やネパール西南部のルンビニ(お釈迦様生誕地)を主とする予定である。
(※ 写真は2015年12月・第二次支援活動・避難村ヘルスキャンプでの鍼灸治療風景である)
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2023年4月19日 発行 初版
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二十歳の時にダライ・ラマ十四世と個人的に出会った事が、世界の山岳・辺境・秘境・極地へのエスノグラフィック・フィールドワークへのゲートウェイだった。その後国内外の「辺(ほとり)」の情景を求めて、国内外各地を探査する。三十歳代にて鍼灸師と山岳ガイドの資格を取得した後は、日本初のフリーランス・トラベルセラピストとして活動を始める。そのフィールドは、国内の里地・里山から歴史的、文化的、自然的に普遍価値を有する世界各地のエリアである。また、健康ツーリズム研究所の代表として、大学非常勤講師を務めながら、地方自治体における地域振興のアドバイザーとしても活躍している。