───────────────────────
───────────────────────
この本はタチヨミ版です。
今井 純志
第一話 アトリエの孫娘様
第二話ようこそ喫茶店 香風へ
第三話絵日記のような感じ
第四話変でしょ、私
第五話私の場合は
第六話微妙な「ズレ」
第七話目指す頂きは同じ
第八話久しぶりに声を出して笑えたわ
第九話無理には言わない
奥付
海の波音がよく聞こえる。
窓から見ればキラキラと光る波が美しい。
そしてカーテンを靡かせる風は潮の香り。
そんな海辺の一日に朝昼夕と僅か五回しかバスが停まらないバス停の隣に喫茶 香風がある。外観は店内の趣がある雰囲気とは真逆な海にマッチさせるようにマリンブルーの店。
今はまだ誰も来ていない店内で大きな鍋に火をかけて黙々と杓文字を回す。あれから直ぐに生豆の選別をして今に至る訳だ。中身はまだ焦げ茶色になっていないコーヒーの生豆。しばらくするともくもくと煙が立ち上り店内にアロマを焚いたようにコーヒーの匂いが広がる。
十分後。
パチパチと爆ぜる音がした後にコーヒーの豆の色がグラデーションのように変わっていく。
「よし」
真っ黒でもなくて薄い茶色でもない普通の茶色よりも濃い色の茶色のコーヒー豆が出来上がる。
鍋の火を落とし、茣蓙に豆を広げてすぐに扇風機で冷やす。
「おいしくなれ」
おまじないをかけるように豆を混ぜる。
手で触る豆の温度を感じながら。
がざがざ、がざがざ。
海のさざ波のような音を立てながら。
しかも早く。
時計を見る。
針が八時を指していた。
「そろそろ…、ご来店かな」
ドアのプレートをcloseからopenに変え、黒板のウェルカムボードに白いチョークで書いた。
『本日のモーニングの貸し切り アトリエの孫娘様一名』
何せ電話の主が本人では無いから仕方がない。本人からの指定では無いからメニューも何もかも不安しかない。
ドアの右隣にボードを置くとバスが停車する音が耳に入る。
バスから降りる一人に向かって言う。
「いらっしゃいませ」
ドアを開けて店内へと案内をした。
入ってきたのはおそらく私より年上だ。背は私よりも低く眼鏡をしているが反射が無いから伊達だ。そして面食らったのはその容姿だ。あの人の孫娘とは想像がつかない。まぁ、そもそも依頼主の祖母でさえ対面でなく電話だけだが話し方でだいたいの気品に溢れた方だろうと想像はつく。
「ようこそ喫茶店 香風へ」
エスコートをする。容姿で入店拒否は無い。ここの「主人」は来店する客であり、私はただ話を聞き客の「本日のメニュー」を出すだけだ。だが本人じゃない依頼の場合は本人を見て声を聞くまではメニューを出すのは流石に難しい。
席に座り私は氷をカットする。口が開いた。
「祖母から話は聞いていますか?」
「内容まではまだですが話を聞いて欲しいとは聞いています」
幸運が舞い降りた。メニューが出来る。グラスに割った氷を入れ水を入れる。
「まずは乾いた喉と体のクールダウンに」
「ありがとう」
だが飲まない。
じっと見ている。
ゴーと鳴る扇風機の音が聞こえる空間になる。グラスが飽和状態になる頃、突然彼女は筆箱と小さなスケッチブックを出した。
シャシャと鋭利なカッターで紙を切るかのような音が鳴り出す。私は何を描いているのか分からない。
「あ…じっとしなくて結構です。これは私の絵日記のような感じです」
彼女はこの行為が自然なことだと言い切った。
「そうですか…お飲み物は?」
「ブルーマウンテンにガトーショコラ。生クリームを少し」
「わかりました」
私は豆を挽く。
「ブルーマウンテンに砂糖は要らないから」
彼女は切って捨てる口調で伝える。
それにしても凄い。確かに筆箱には消しゴムらしき物は見えているが、まだ一度も使っていない。それどころか鉛筆も持ち替えていない。同じB2の鉛筆で描いている。鉛筆には10段階程の濃さがあると高校の授業で聞いた事がある。筆箱には他の鉛筆があるから彼女が持っている鉛筆が何かは自ずと分かる。ミルで豆を挽きポットで湯を沸かすなどの音すら興味がないようだ。
彼女は忘れていたかのように付け加えた。
「すみません、言い忘れていました。先に白湯を」
白湯?
「コーヒーの前に水を知りたいので」
あゝ、なるほどねと私はうなづく。コーヒーを知る人は豆にも興味があるが実は水にある。水を知りたいと言う人は初めてだ。
ポットに湯気が立つ。私は一度手に取ってカップに注ぎ「お湯です」と出した。彼女は描き続ける。私はガードーショコラを切り分ける。
「変でしょ、私」
彼女が切り出した。
「いいえ、私も変ですよ」
と私。
「そうなのですか?同世代なのにお店まで経営しているのに」
「だから変なのです。成り行きで経営していますが、私、様々な話を聞くのが好きなのかもしれません」
「そうですか」
彼女は微笑した。
「私、本当は旅をしたいんです」
彼女の口から聞いた口調は真剣だった。スケッチブックに鉛筆を走らせながら。
「素敵ですね」
「勝手気ままに空に浮かぶ雲のように足を向けて感じる。これだけは裕福な家でも無理なこと」
「そうですね……でも勇気が必要ですね」
彼女は顔を上げた。私を見る眼差しは何かに気づいた様だ。
「そう、その言葉。祖母にも話したのに無かった言葉」
コーヒー豆をサイフォンにセットしながら疑問符が浮かぶ。あの人に限って?そんなはずはないと。
「私の両親に気を遣っていたんだと思いますが祖母が初めて否定したんです」
だからかぁ……私に聞いて欲しいのは。直接聞けない感じはあるなぁと思ったが。
「だから画で大成してからだと私は思って描き続けてはいるんですが今一度合わないんです」
「合わない?」
タチヨミ版はここまでとなります。
2023年6月1日 発行 初版
bb_B_00176597
bcck: http://bccks.jp/bcck/00176597/info
user: http://bccks.jp/user/137411
format:#002t
Powered by BCCKS
株式会社BCCKS
〒141-0021
東京都品川区上大崎 1-5-5 201
contact@bccks.jp
http://bccks.jp
1973年12月 長野県伊那市にて生誕 1974年 現在在中地である兵庫県姫路市に転居 2009年 株式会社 日本文学館主催『第1回 日本文学館出版大賞』にて題『アイの才能』が特別賞受賞 2013年8月『アイの才能』及び『CHANGE!! 『漂泊のジャズメン』』(デザインエッグ社)を出版 2016年6月 掌編小説アンソロジー企画「彼女」にweb参加