この本はタチヨミ版です。
はじめに
本書は、私があれこれエッセイ風に綴っているnoteでのシリーズの一つ『悲しきガストロノームの夢想』の第一話から第三十話をまとめたものです。先日、第六十二話「鱧の箱寿司と焼き鱧」の話を書き終えてnoteに投稿し、冷たい緑茶を飲みながら、投稿したのを読み返していて、早くも六十話を超えたのだとハタと気づきました。二〇二二年五月一日に第一話「オマール海老の握り寿司」を投稿したのが遥か昔のようでしたが、ようやく一年あまりが経ったところでした。第一話から第三話までは『美味いものを食べたい』というシリーズ・タイトルをつけていましたが、二〇二二年五月十日の第四話「ホット・ドッグ」からは現在のシリーズ・タイトル『悲しきガストロノームの夢想』に変更し、現在に至ります。
何故、『悲しきガストロノームの夢想』というシリーズ・タイトルに変更したかは、本書の後段で「『悲しきガストロノームの夢想』論的な話」として、少しだけ生真面目な話をつけ加えましたので、お読みください。
本書では前述の第一話から第三十話「コッペ蟹の話じゃなく、ひと手間の話」までを収録しました。第三十一話以降については、いつの日かまとめます。
では、ボナペティ!
第一話 「オマール海老の握り寿司」
FacebookなどのSNSで食べたり調理したりした話を度々投稿しつつかれこれ十年近くなるので、一品一品、少しだけ生真面目に書き綴ってみてはどうかと考え、今回からシリーズ化を試みました。noteでは、これまで「プロダクション・ノオト」(私がエグゼクティブ・プロデューサー兼配給者である小編映画『Kay』/『終点は海』(監督:鯨岡弘識)についての話)、「場のストーリー編」と「私の好きな映画のシーン」を書き綴ってきましたが、映画の劇場公開(@下北沢トリウッド)を四月二十九日に終え、六月十八日からのアンコールまで日にちがあるので、「プロダクション・ノオト」を一旦休止し、今回から「美味しいものを食べたい」シリーズを始めさせていただきます。
で、今回は「オマール海老の握り寿司」です。小田原のあるお寿司屋さんで、それに初めて出会ったとき、海老蟹好きな私は狂喜乱舞しました。自称甲殻類機動隊隊長の私ですから当然の反応だったと思います。恐る恐る注文し、皿を手渡されたときは「どのように食べれば良いか」と一瞬考え込みました。鮮やかな海老色のプリプリの身、その下には赤酢の硬めのシャリ。そうそう、硬めのシャリが好きな私です。右手の指三本でそろりと摘むと、オマール海老のプリプリ感が味覚脳にビンと伝わってきました。身にお醤油を少しだけつけ口に運ぶと、プリプリ感と上品な海老の香りが口中に広がり、食の幸福感に満たされたのは言うまでもありません。甘海老、牡丹海老…等々、海老類は大好きな握り寿司のネタですが、何十年も生きてきて初めて味わったオマール海老の握り寿司は、海老握り寿司界のラスボス的な存在として、私の「美味しいものを食べたい」ノオトに記録されました。単価はちょっと高めなのでしょっちゅう食べられませんが、数カ月経つと「オマール海老の握り寿司が食べたい!」と叫ぶや、世田谷の自宅から西湘バイパスを車で飛ばし、オマール海老の握り寿司に会いに行く私です。
第二話 「野母(のもん)アジ」
拙書「音酒麒ノ介日乗」の長崎取材旅行で出会ったのが「野母(のもん)アジ」でした。海岸線の長さは北海道より長いとタクシーの運転手が語るように、長崎に来てはうちわ海老やイカなどの海鮮を楽しんできたので、タクシーの運転手の自慢めいた話は納得です。そして、ある夜のこと、適当に暖簾をくぐった海鮮居酒屋で注文したのが、この「野母(のもん)アジ」でした。刺身を大皿に見繕ってもらった魚のうちのひとつで、特段大きな期待はありませんでしたが、ひと切れ口に入れるや驚きました。身の締まり具合やアジ特有の味わい……。店員さんに訊ねると、野母崎近くで採れるアジだとのこと。早速スマホで地図を調べると、軍艦島の南西に突き出しているのが野母崎という岬でした。関門海峡の関アジ関サバは有名で知っていましたが、「野母(のもん)アジ」という、おそらくローカルなブランドのアジは初めての食体験でした。ただ、何が初めてかをこと細かく語るのが難しく、特にアジという魚の美味さを語るのは難しく、感激したと言うしかありません。東京の自宅に戻り、何年も経過した今も野母アジを忘れられぬ私は、海鮮推しの居酒屋に行っても、アジの刺身を注文できずにいます。
第三話 「中華粥」
食の専門家でもないし記録家でもないので店の名前をわざわざ覚えようとは思いませんが、美味しいものに出会ったらその場所には目を瞑っても辿り着く自信があります。さて、今回は中華粥。今のところ第一位は、十年ほど前に香港で食べた中華粥。その前夜、紹興酒を呑みながら上海蟹を堪能し、目が覚めると二日酔い気味でしたが、炭水化物をほとんど食していなかったので胃の腑がキューッと鳴いていました。とりあえず、ベッドの枕元のミネラル・ウォーターを二口ほど飲み、着替えてホテルを出ました。何かを食べたいけれど、何を食べれば良いのか分からない二日酔い気味の朝の散歩。季節は十月。日本ならパーカーを羽織るでしょうが、香港は朝から蒸し暑く、Tシャツに汗がジワリと浮かんでいました。さて、どうしたものかと、店の看板などをチェックしていたところ、ありましたね。中華粥のお店が。中を覗くと、お客さんがハーフー言いながら、中華粥に黙々と立ち向かっていました。その店の名前は何で、何の中華粥を食べたのか……記憶には残っていませんが、「美味い、こりゃあ美味い」と食したこと、そして店の情景は覚えています。もちろん、その絶妙な味わいは、私の味蕾にしっかり刻み込まれました。それから十数年。東京でたまに中華粥を食べましたが、どれもこれも何かが足りず、いつの間にか美味い中華粥を諦めていました。ところが、知人が教えてくれた横浜中華街のとあるお店に行ったところ、我が人生第二位となる中華粥に出逢いました。海鮮だったかの中華粥でしたが、余計な調理が加えられていない、とてもシンプルかつ滋味深い味わいの中華粥でした。自分で料理を作るのが大好きな私ですが、中華粥には手を出さないようにしています。美味い中華粥とは、お店の雰囲気、そして長年の調理テクニックが必須に違いないからです。しかし……美味い中華粥が食べたいものです。
第四話 「ホット・ドッグ」
これまで三回に渡り「美味いものを食べたい」のタイトルで、食のあれこれを綴ってきましたが、先日古本屋で買ったレイモン・オリヴェ著「フランス食卓史」を読むにつれ、私は三流ガストロノーム(食通)なのだろうと気づきました。健啖家と呼ばれるほど東西あれこれの食べ物に食指を伸ばし、むしゃむしゃと口に運ぶほど食欲はありませんし、そうした積極的な興味もありません。というよりも、誰もが美味いと言い喧伝するものが、本当に美味いのかと立ち止まることがしばしばあるので、困ったものです。さらにさらに、誰もが褒めちぎる有名店に行っても、その「褒めちぎる」理由が分からぬことが多々あります。ましてや、行列に並んでまで食べたいと思ったことが生まれてこの方一度もないから厄介です。行列に並んでまである食にたどり着くぐらいなら、さっさと家に帰り、チキンラーメンを丼に入れお湯を入れて蓋をして、二分三十五秒という絶妙なタイミングで蓋を開け、ずるずる啜る方が良いと思っています。予約がなかなかとれぬ名店というのがあるらしいのですが、それを珍重する感覚も一切ありません。というか、何故珍重するのかが本音のところで分からないのです。なので、行かなくても良いではないかという結論に達します。「稚蟹やシラス鰻が激減して高騰化だ!」とテレビで叫んでいると「じゃあ当分食べなくても良いじゃないか」と思いますし、「小麦粉が高騰し関連商品が軒並み価格上昇だ!」とテレビで叫んでいると「じゃあ米を食べれば良いじゃないか」とも思ってしまいます。人にすれば、私の味覚が我儘なのか発達していないと罵られても仕方がありません。とはいえ、食べることは大好きで、私なりに食通だとは思っています。威張って言うのではなく、こっそりと言っています。ま、だからさらに困ったものですね。つまり悲しき食通という感じなのだろう、いやそうに違いないと思っています。これまで「美味いものを食べたい」と幼児的なタイトルを掲げてきましたが、よくよく考えると、悲しき食通が夢想している話を綴っているのだと今さらながら気がついたわけです。ので、今回からは、フランス人のオリヴェ氏に敬意を払い、少し気取って「ガストロノーム(食通)」という言葉を使い、タイトルを「悲しきガストロノームの夢想」とさせていただきます。このタイトルに、私が好きなレヴィ=ストロースとルソーという隠し味も入れさせてもらいました。気の利いた香辛料だと思ってもらえればありがたいです。
で、「ホット・ドッグ」が今回のテーマです。LA在住時、ドジャース・スタジアムやウェスト・ハリウッドのご近所にあった有名ホット・ドッグ店、ニューヨークの露店など、アメリカのあちらこちらでホット・ドッグを食べ散らかしましたが、どうも納得せぬまま帰国となりました。別にホット・ドッグを食べ歩くためにLA在住だったわけではありませんが、ホット・ドッグの本場のアメリカで美味いと唸るようなのにはとうとう出会えませんでした。出張で行ったドイツ各地の駅ではカリー・ブルストなるカレー粉をまぶしたソーセージをパンに挟んだのが流行っていたので、ケルンやミュンヘンで食べましたが、「まぁ、こんなもんかいな」的でした。頭のどこかに私が理想とするホット・ドッグがあるのですが、家で何度も作っては、まだその理想とかけ離れたものになります。少なくとも関西風のカレー味の炒めキャベツは必須なのですが、これもなかなか理想にたどりつけないし、ソーセージの種類や焼き加減(茹でたのは嫌いなのです)、ソーセージをはさむパンの種類や焼き加減(パンの表面が薄っすら焼けた感じが良い)…。これから何年も、理想のホット・ドッグを追い求め、調理しては「違うなぁ」とため息をつくのだろうと思います。
第五話 「おにぎり」
さて、おにぎりの話です。京都に住んでいた子供のころ、祖母や母が握ってくれたおにぎりは俵型で、三角形のおにぎりを食べたことがありませんでした。結果、遠足などに持っていくお弁当には、俵型のおにぎりが並び、バラン(あの緑色の先がギザギザのやつ)で隔てて、おかずは玉子焼き、焼きタラコとなり、幕の内弁当的な様相を見せていました。テレビアニメや教育テレビ(今のEテレ)で描かれるおにぎりは必ず三角形のものだったので、三角形のおにぎりに憧れていたように思います。お菓子の「おにぎりせんべい」が発売されたときは、異文化に出会えた気がしたものです。そうした子供のころ、祖母や母が俵型のおにぎりを握る手元をじっと見つめていた記憶があり、絶妙な硬さに炊かれたご飯を、絶妙な加減で握る祖母や母の両手のひらがマジシャンのように見えていました。
東京暮らしが何十年も経ち、私の好みのおにぎり屋さんも何軒か見つけ、おにぎりライフはそこそこ充実してきたようです。最初に「これは!」と歓喜したのは三軒茶屋の交番横の路地にあったおにぎり屋さんでした。たぶん、寿司屋さんの跡を居抜きで借りた店内で、少々雑然としていましたが、注文を受けてから握るおにぎりは格別の美味さでした。が、ある日忽然とお店がたたまれ、おにぎり喪失感に落ち込みました。本当に残念でなりませんでした。その後なかなか「これは!」というおにぎり屋さんには出会えませんでしたが、小田急の南新宿駅近くのおにぎり屋さんに出逢えたのは幸せでした。普通のおにぎりの1・5倍はある大ぶりのおにぎりですが、やはりお米の炊き方、握り加減、そして巻かれた海苔の香り…この三拍子が揃っていて、満腹になった腹を笑顔でさすっていたのを覚えています。新型コロナ禍で出不精になると、近所の美登利寿司本店の売店で販売されているおにぎりばかりとなりましたが、今日、下北沢から三軒茶屋へと散歩する道すがら見つけたのが、お米屋さんが店頭で販売するおにぎりでした。「お米屋さんのおにぎりが不味いわけがない」と確信した私は店頭に立ち、タラコ、梅、鮭を購入し、いそいそと帰宅しました。もちろん、前述の三拍子は完璧でした。
おにぎりを巡る冒険を何十年も続けてきましたが、避けるおにぎり屋もあります。気を衒ったおにぎりや、何故か高めの価格のおにぎりです。安価で何でもない美味さこそ、おにぎりの醍醐味なのになぁ、と思うことしばしば、です。
たまに、自分で握っても良いかとは思いますが、祖母や母のマジックハンドには敵わないと諦めているのと、おにぎりは誰かが握ってくれたものが一番美味いという固定観念があります。
死ぬまで、おにぎりの旅は続くと思いますが、祖母や母のおにぎりはもはや無い旅路の先は、少しだけ寂しいものです。
第六話 「ハンバーグ」
食についての変なこだわりが多々あって、その一つがハンバーグです。世の中、合い挽きや大豆タンパク質のハンバーグが勢力をじわりじわりと広げている気配があります。その背景には成長著しい子供になるべく安くハンバーグをたくさん食べさせたいという親心や、メタボにならぬよう身体に気を使っている等の理由があるでしょうから、その勢力拡大は時勢として仕方がないのかもしれません。が、私は、牛肉百パーセントのハンバーグをハンバーグとしたい古典派であり、数少なくなった保守派なのだと思います。ただし古典派であり保守派ですが、曖昧ではなくしっかり筋を通した古典派・保守派です。例えばカニカマは好きですが、カニではないので「これはカニカマで、カニカマが好きです」と胸を張って発言しますし、スパークリング・ワインを愉しむときも、スパークリング・ワインはシャンパンではないので「これはスパークリング・ワインで、スパークリング・ワインを愉しんでいる」と嘘偽りなく発言します。発言したところで何も変わりませんが、理由は何であれ、違うものは違うと発言したい、困った古典派・保守派なのです。
とは言え、スーパーの肉コーナーを覗くと、ミンチ肉は合い挽きが目立ち、牛肉百パーセントのパックは一種類だけポツンと隅っこに追いやられたりしています。合い挽き肉ばかりで残念です。時には大豆タンパク質で成形しそのまま焼くだけのがあると、ハンバーグ風大豆焼きと言えば良いのにとさえ思ってしまいます。(やはり、厄介な古典派・保守派です)よくよく考えると、月に数回しか食べたいとは思わないハンバーグなので、古典派・保守派の私は、食べようと決めると牛肉の塊や厚めのステーキ肉を結局買うことになります。いそいそと帰宅し、包丁でザクリザクリと切り、さらに細かく切り刻みます。もちろん無心に。側から見ればハリウッドのホラー映画の主人公的な狂気が宿っているかもしれません。昼間から、台所に立ち、牛肉を無心に切り刻む謎の男です。まな板の上の牛肉百パーセントの手製ミンチ肉を皿に移し、次は玉ねぎを切り刻みます。学生時代、真夜中の喫茶店で何十個もの玉ねぎを、カレーのルーを作るために黙々と切り刻んでいたので、玉ねぎはお手のもので、ようやく笑みが溢れ始めます。その先に待っている美味いハンバーグを思い浮かべるタイミングですから。炒めた玉ねぎを冷まし、牛肉百パーセントのミンチ肉に、パン粉や卵等とともに混ぜ合わせ、成形し、お腹のところに窪みを作り、冷蔵庫で一時間ほど寝かせます。あとは、じゅうじゅうと焼いて完成ですが、チーズの布団をしっかり乗せるのが、ここ数年のお好みとなっています。
タチヨミ版はここまでとなります。
2023年8月10日 発行 初版
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時代に振り回され、喜怒哀楽を重ねながらも、日々力強く生きる大人たちに、少しでも安らぎを感じてもらえれば幸いです。 2020年を超えて、日本および世界に向けて、「大人の為の物語」を拡げていきたいと考えています。見たい映画や演劇、そしてテレビ・ドラマを、物語という形で描き出し、織り紡ぎ出してゆければと願うばかりです。(代表:中嶋雷太) Established for weaving stories for adult people. For them, who are always struggling daily lives, we hope they enjoy the stories. Welcoming Mr. Ray Bun as a main writer (story teller), we would like to expand our stories over the world as well as in Japan, over 2020. Also, we would like to weave the stories for future theatrical films, theatrical play or TV dramas. (Rep: Raita Nakashima)