spine
jacket

中上健次ノート

菅原 正樹

知人書謀



───────────────────────


中上健次  作家。一九四六年、和歌山県新宮市で生れる。一九七六年、「岬」で芥川賞受賞。戦後生まれで初の受賞作家となる。一九九二年、癌により死去。四十六歳。



「現場へもどろうと、一人美智子のアパートの前へ来た。ダンプカーを三方から取り囲むように十五台ほどのオートバイが置いてあるのを知った。秋幸は舌打ちした。一台を足で蹴った。秀雄の仲間がこんなことをやるのだと思った。そう思いむかっ腹が立ち、ダンプカーの運転台のそばにある骸骨のシールを貼った一台を蹴り飛ばした。」



「路地の美恵の家にもどる前に、盆踊りを見に寄ろうと三人で、路地が小高い山に沿ってのびて切れたところにある空地に向かった。その空地は駅からの通りに面していた。ヘルメットをかぶった警察官がいた。骸骨のワッペンを一様に貼ったオートバイが十五、六台、空地に接した通りに置いてあった。通りからの交通がその並べて置いてあるオートバイに邪魔されたし、通りから空地への出入りも遮断された。」(『枯木灘』)

中上健次ノート

1 文学の終わり
2 侍と暴走族
3 詐欺の群れ
4 父殺し、母殺しを超えて
5 補説――通俗小説と真理
6 羽衣の思想
7 あとがき

「差別――被差別の構図は絶えず転倒しなければいけない。何によって転倒出来るかというと、無頼の精神――なにいってやがんでーという居直りしか、現実を逆に撃ち返す事はできない。それは基本的に悪の精神だ。国家にぶつかる時でも、自分をつきつめる場合でも、それはそうだが僕は駄目なんだというのでは悪でなくなる。」(『中上健次全集8』)

1 文学の終わり


 江藤淳は、日本の文学史上において、1600年くらいからの数十年だけが空白状態だった、それくらいの激動が起きたということなんだ、と発言している。いわば戦国時代の16世紀、社会の釜の底が抜けるようなことが起きて、扱う言葉の根底もが揺らいで、書くことができなくなる時代だったのだ、という認識である。

 20世紀の後半を生きた中上健次の作品履歴においても、1983年に『地の果て至上の時』で路地の消滅を描き切って以降、その文体や作品の密度が散漫になったと指摘されてきた。『地の果て―』は、1989年のソ連邦崩壊を予言し、「歴史の終わり」と言われるようになっていく時代を先取りしていた、とも指摘された。中上の友人である柄谷行人が、「文学の終わり」を説いたのも、そんな時期であったろう。

 もちろん、その間、それ以降も、文学作品は書かれ、発表され続けてきた。相変わらず量産されて来る出版状況に、先の柄谷や蓮見重彦といった批評家が、作品形式的に、「物語」と「小説」の区別を導入し、量産的に再生産される「物語」に抵抗する姿勢として「小説」という言葉の運動(エクリチュール)があるのだという評価を実演してみせた。しかしその頃から、パソコンの普及をとおしてインターネット環境が整えられ、電子媒体が拡大していった。近代の当初から、新聞を中心とした紙媒体に依拠した文学作品は、具体的に売れなくなり、いまや新聞紙や書籍を販売する会社の存続自体が危ぶまれる時代となった。そういう現状から振り返る時、たとえば、スマホゲームなどの電子媒体でも援用される「物語」的な趨勢に対し、時代のスピードに抗う描写や分析といった書記技術を挿入させたと抽出された「小説」というジャンル自体が、新聞を読んでくれるという知的大衆を前提としていたことこそをあからさまに露呈させてしまう。ストーリーに性急されない凡長な分析描写も、それでも読んでくれる出版界、つまりは近代を支える社会制度に寄生していたのだと。

 戦後の安定を維持させてきた世界の東西構造が崩れ、むしろ不安定や激動を増していった20世紀終末期にあって、『地の果て―』以降の中上は、文芸誌というよりも、新聞や週刊誌にむけて作品を発表していった。「文学(出版ジャーナリズム)」が終わりはじめた時期に、近代を創起させるに一躍かった媒体にこそ積極的に関わり始めたのだ。そしてその書記運動(エクリチュール)の評価は、低くなっていき、同時進行した多くの作品は、未完結のまま終わった。

 しかし、崩壊したソ連邦の後を継いだロシアのウクライナ侵攻の最中で中上健次の作品群を読み返してみると、その想像力の射程にまず驚かされる。がまずは一番に目につくのが、書記運動に感じられる試行錯誤な様なのだ。

 全集版の挟み込みの解説で、高橋源一郎も、指摘している。

<はっきりした「輪郭」から「朦朧」とした文章へという道筋を日本文学は二度たどっている。一度目は明治、二度目は昭和の終わりで、どちらも「朦朧」は「口語体」と呼ばれた。それは、いってしまえば「歴史の必然」としか表現のしようのないものだった。まず作家は言葉を捜しはじめる。その段階で、作家には「朦朧」としたカオスの如きものしかなく、「輪郭」が必要なのだ。だが、一度「輪郭」を得た作家は、その「輪郭」に支配されはじめる。「輪郭」とは、整理された文体であり、システムであり、絶対的な形式である。そして、作家と「輪郭」との闘争がはじまる。作家は「輪郭」に戦いを挑み、破壊し、新しい「朦朧」へさ迷い出る。「朦朧」には「自由」があり、熱がある。だが、「朦朧」の熱はやがて冷え、カオスは固まり、そこに明瞭な「輪郭」が生まれはじめる……。>(「小説という奇蹟」)

 高橋はなお、当時ヘゲモニーを取っていたと言っていい「物語」と「小説」を区別する批評枠に囚われているが、低評価の傾向にあった中上の模索を「朦朧」として評価している。文学とはいえ、あくまで近代文学史までの射程だから、その「朦朧」次期も、明治以降の視野に限定される。高橋がここで論じているのは、まだ『地の果て―』以降では評価の高い『奇蹟』であるが、さらに「朦朧」な模索がうかがえるのは、未完に終わった作品群だろう。

 むしろそれらの作品群を目にするときこそ、私は、明治以前へも遡行して、世界をエクリチュールの水準からも捉えようとする中上の模索を感じるのだ。それは、言ってみれば、柄谷行人の『日本近代文学の起源』を逆戻りし、この歴史過程で絡まってきた文のもつれをほどいていこうとするかのような試行である。さらにその向こうには、江戸の戯作が依拠した中国の古典、『水滸伝』もが念頭にあったであろう。そういう文学的な営みの向こうに、あるいは平行して、地政学的な洞察が物語的に追及されていくのである。

<たとえば、『妄想』(明治四十四年)のなかで、鴎外はこういっている。「自分」は、死に際して肉体的な苦痛を考えることはあっても、西洋人のような「自我が無くなる為の苦痛は無い」。

  西洋人は死を恐れないのは野蛮人の性質だと云ってゐる。自分は西洋人の謂う野蛮人といふものかも知れないと思ふ。さう思ふと同時に、小さい時二親が、侍の家に生れたのだから、切腹といふことが出来なくてはならないと度々諭したことを思ひ出す。その時も肉体の痛みがあるだらうと思って、其痛みを忍ばなくてはなるまいと思ったことを思ひ出す。そしていよいよ所謂野蛮人かも知れないと思ふ。併しその西洋人の見解が尤もだと承服することは出来ない。

 これは一見すると、「驚きたい」という独歩の作品と似ているようにみえる。しかし、独歩において、あの不透明な「膜」がいわば内側にあったとすれば、鴎外においては外側にある。鴎外にとって、「自己」は実体的ななにかではなく、「あらゆる方角から引つ張てゐる糸の湊合してゐる」ものであり、マルクスの言葉でいえば「諸関係の総体」(「ドイツ・イデオロギー」)にほかならなかった。いいかえれば、鴎外は「自己」を西洋人のように直接的・実体的にみる幻想をもちえないことを逆に「苦痛」にしていたのである。
 したがって、鴎外の本領は、「侍」的人間を書いた歴史小説で発揮されている。>(柄谷行人著『日本近代文学の起源』「内面の発見」 講談社 ※ルビは割愛)

 中上も、「自己(内面)」を持ったインテリをほとんど描かなかった。鴎外が「侍」を描くことを本領としたというなら、中上は、とくには『地の果て―』以降、「暴走族」を主人公に据えることが多くなった。彼らの起用は、「内面」を前提にした透明な近代文体から離れて、「朦朧」と化す文の試行錯誤と切り離し得ないのだ。鴎外がゆえに明治にあっても歴史小説を書いたというなら、中上は近代文学の終末期にあって、地政学的な小説を、つまりは「諸関係の総体」としての作品を構築模索しようとしたのである。むろんその地政学は、「路地」における人間の内面(葛藤)ではなく、そこにおける人間関係の力学を見ようとした洞察作法の応用から来るだろう。

 中上健次の主人公は、死を恐れない。そうした主人公を据えた物語を書いていくということが、「朦朧」からの明察、新しい文の「輪郭」を模索するエクリチュールを起動させているのである。しかもその実践は、紙上のものだけではありえなかった。中上は確かに、新聞を読むような知的大衆とその媒体の中で書いた。しかしそこに「暴走族」を呼び出す行為の内には、本を読む知識人と読まない大衆という構図自体を破壊していく意図もあったろう。
 時代は進化した。俗語革命や印刷技術の発展が、大衆に読み書き能力を与え向上させたといわれたその先で、しかし、大衆は本を読むわけではなかったのだ。長い文が自ら書けるようになれたわけでもなかった。文字には、長文には耐えられない、嗜好が向かない。相変わらずなような一定の割合の知識人、かつてなら修道僧や坊さんや、貴族・武士や商人階級の一部だけが能書の世界を占めている。その世界へのアクセスは今では開かれていると言っても、ほとんどの人がその能力を所有できず、知識は一部階級に独占され、差別の構造は再生産されている。文明の発展が、差別を温存させている構造は変わらない。

 中上は、知的とはえいない大衆週刊誌にも積極的に書いた。自分が相手にしたいのは、インテリではない。本を読まない、大衆すべてである。そこに向かって書く。書かなければ、書記技術によってこそ成立する文明上の差別構造を撃つことはできない、自分が成し遂げたいのは、作品を書くことではなく、世界から、差別をなくすことである。

 中上が、最後の未完の作品(『大洪水』)で、父殺しを敢行しえた「暴走族」あがりの鉄男を「中国」に向かわせようとするのは、そんな作家の願いの物語的形象なのだ。

2 侍と暴走族


 中上の作品の物語基軸は、ギリシア古典を背景にもして、父殺しと言うテーマだったと言われる。路地三部作での主人公秋幸が、その悲劇の主人公であると。が、秋幸は父殺しを貫徹できなかった。その様は、父自らが自壊してしまったこととして免罪された。その物語顛末は、ソ連邦の自壊という歴史の様と重ね合わされたり、父の権威の希薄な日本の土壌が想起されたりした。

 がそもそも、「秋幸」という名前自体が、父殺しとは距離のある設定であると推定される。秋に、行ってしまう人、つまりそれは、苗字の「竹原」とあいまって、「かぐや姫」を連想させるからだ。しかも、義父以前の母方兄弟姉妹の苗字は「西村」であるから、それは西方の死(異界)から竹林にやってきた、という構図になる。行幸、という天皇の外遊という言葉をも連想すれば、「秋幸」という名前自体に、貴種流離譚という設定がある。かの国(月)のお姫様、そう仮説してみると、まさに秋幸自身が、主体的に従属者を引っ張っていく男性というよりは、周りの関係や風景、自然に溶け込み染まってしまう受動的な存在とされる女性の性質を多分にもっており、その大事にされた女性的キャラが、なんだかんだと因縁をつけながら既成の縁起にはおさまらないで、ついには、自分を育ててくれた父母からも、路地(地球)からも去って遠くにいってしまうという物語なのである。

 さらに、秋幸は、産みの親としての浜村家族に当てはめてみて、はじめて長男として捉えられるのであって、母フサの先家族にあっては、三男の末っ子なのである(次男は生まれてすぐに死んでいると設定されている)。つまり、父権社会での、相続対象者とは言えない。つまり、父を殺す動機として説得力をもつ位置にいない。むしろ、秋幸自身が最後に認識するのは、殺すべきなのは母であり、彼女の価値判断を生起させている大義や筋のないような路地社会である。

 中上は、その社会を、「母系制」と理解した。だからそもそも、浜村龍造の自殺に父殺しを読み込もうとして当時の歴史と重ね合わせるのには無理があり、日本的な土壌に引き込まれた、という見方の方が正当になろう。ここでいう「日本的な土壌」とは、『地の果て―』にソ連崩壊を読み込んだ柄谷がその後、自身の作品で「日本精神分析」として説いた「双系制」とも言うべき認識前提である。むろん、その日本認識は、丸山眞男が「古層」として説いたようなもの、日本特殊論的な文脈として、マルクス主義の講座派が示してきた既存の教養と重なりもするだろう。

 が、最近になって認知されたといっていいだろうエマニュエル・トッドの家族人類学によれば、日本特殊とされた「双系」的土壌とは、文明以前的な人類の家族形態の名残・残存である、となる。欧米近代の核家族が先進的な家族の類型とされてしまったのは、ユーラシアの文明からは周辺地域であったそこが、あとから政治経済的にヘゲモニーを握ってしまった現代において発生した錯誤にすぎない、となる。この周辺性の認識は、柳田國男の日本認識とも重なるとされる。この周辺地域での核家族では、長男から先に独立していくので、女性や末っ子が親の面倒をみたり相続したりすることになる。同性愛も含めて性的にも自由がある。

 しかしその独立と自由を担保した家族類型も、文明に触れていくことによって変形されてきた。文明社会では、父権が確立し、その相続は長男となり、父が健在なうちは、子供たちはその下にとどまる共同体家族となる。この家族形態は、他の氏族を支配下におくという軍事的な要請によって形成されていったのではないかと示唆される。ゆえに、共同体家族=文明の伝播過程として、直系家族、つまり制度としては封建制となるものが、その中間形態として存在することになる。

 日本では、この中間形態、封建的な直系家族の定着は、東国から、鎌倉時代の武士政権においてであろうと推測されている。とくには、モンゴルとの軍事的交渉が、その影響として強いのではないかと、推定されてもいる。

 つまり、馬に乗って戦う侍が、父系制と父権家族の基盤となるのだ。日本において、父殺しが遡上に乗るとしたら、この文脈においてであろう。

 中上は、その歴史文脈も、『地の果て―』において刻んでいた。ジンギスカンの末裔との妄想を抱く父、路地では龍造の朋友とされる「ヨシ兄」を殺すその息子、「鉄男」という主人公を導入することによってである。この名前自体に、おそらく、意味がある。鉄とは、文明であり、男とはもちろん父権を意味する。父を銃殺した鉄男が、のちに、シンガポールへと乗り込み、異形の怪物たる中国人と香港で出会うことになるのだ。

 その鉄男は、暴走族あがりだった。秋幸が『枯木灘』で殺した義弟の秀雄が初代番長だった暴走族を引き継いだのが、鉄男だったと『地の果て―』では龍造の調査として示されている。秀雄を殺して秋幸が獄中にあった時期のことを描いた『聖餐』では、「母よ、死のれ」と歌う、「死のう団」という音楽グループを作る半蔵二世の友人として、「テツオ」は「暴走連の頭」として言及される。

 ところでその秀雄の暴走族のオートバイには、髑髏のシールが貼ってあったと描写される(『枯木灘』)。おそらくこのマークは、実在した関東の暴走族組織から引用したものである。

 中上は、1979年の2月3日に放映されたNHKテレビ「ルポルタージュにっぽん」に出演し、「元暴走族の右翼団体の若者たちをリポート」したと全集の年譜にある。私はこの番組は見ていないが、スマホ検索によると、その番組では、在日の元暴走族で右翼になっていった若者の、暴走族の取り締まりが厳しくなったので、右翼という政治的建前があれば街路で騒げるので入団したという発言などがあるらしい。未完となった『異族』での設定を連想させてくる。

 ともかく、東京に、実際に髑髏のマークを掲げた暴走族があった。「スペクター」と言う。『異族』では、「メデューサ」という暴走族名も紹介されるが、それは「スペクター」から派生したグループの名前だと私は聞いている。今でもその髑髏のステッカーがダンプカーの後ろなどに貼られてあるのを見かけることのできる「スペクター」という暴走族は、未曾有な規模になって、全国的に名を馳せたのである。暴力団なりを系譜にもたず、自然発生的にそこまで膨張していったのだ。(私の植木屋親方がその創成期の番長の一人なので、伝承を聞いている。)

 オートバイが、馬であり、暴走族とは、それを操る侍の継承として意図されている。天皇の方からではなく、将軍たる東国の方からの影響が、西域の路地にまでやってきた、ということなのだ。そしてジンギスカンを名乗る父を殺した侍が、父権確立した共同体家族たるユーラシア文明の中心たる中国に挑んでいくのである。つまりここには、父殺しというテーマが、日本特殊的文脈においてではなく、皇帝殺し、という、より普遍的な文脈において導入されているのだ。

 しかし、「中国」というユーラシア文明の中心を目指しているのは「鉄男」だけではない。遺作となった小品では、「アキユキ」は、「ヴェトナム」にいるのだ。

<そこでこの地帯は単に、主に北方から、そして副次的には北西から到来した父系原則の前進前線を具現していると考えることができる。歴史資料がこの解釈に何かを付け加えることができるとすれば、それは侵入の年代である。早くも共通紀元前一一一年には中華帝国に征服されたトンキンは、おそらく早期に父系化・共同体家族化された。中国の父方居住共同体家族は、われわれの推定によれば、共通紀元前二世紀から共通紀元八世紀までの間に、明確になったことを想起しよう。ヴェトナム文化はこの家族モデルの開花の間に形成された。それゆえトンキンでこのモデルが支配的であったとしても、驚くことではない。>(『家族システムの起源Ⅰユーラシア』上 p364 エマニュエル・トッド著 藤原書店)

 そのヴェトナムの中の、「ラー族」の村に、アキユキは潜った。「ラー族」とは、なお狩猟・採集生活を営む少数民族であり、そこの男たちは竹を編む職業にもつく。そこを統一した人びとが、「アメリカ」と「戦争」し、その近代の「核家族」組織を撃退し、共産主義(共同体家族のイデオロギー)の「革命」にもみまわれたのだと、中上は意識している。

<ホーチミン(サイゴン)の朝、ただ歩き廻る。/革命(戦争)があった。/戦争(革命)があった。/アキユキ(私)は迷路にことさら踏み込もうと角を曲がる。>(「VCR(カムラン湾)」『全集12』)

 姫(娘)という両性的具有性を印字された秋幸は、「母殺し」の系譜の方に潜伏した。芸能に性向してゆく中本一統のようにその血に併呑されることを忌避し、かわしながら、その近接で得た洞察を武器に、共同体家族たる「中華帝国」に支配されたヴェトナムの「路地」をさ迷うのだ。しかしそこは、直系家族下の「路地」ではない。まさに、文明の懐の「前進前線」へと飛び込んでいるのである。

3 詐欺の群れ


 中上がしかし、まず遺作となってゆく作品群で模索したのは、北方へと続くユーラシアへの経路ではなく、より周辺からの南方への経路である。『地の果て―』以降、すでに起点が東京へと移っていたそこから、また西域(路地へと)、そして南方へと降下する。

 東京・東国が、父系の強い直系家族の価値基盤であることを踏まえれば、その生地への帰還と、その向こうへの超越は、郷愁や後退ではない。路地での認識に、武士的な暴力性もが所持アイテムとして付加されていることになる。

 『熱風』という作品では、南米から東京へとやってきたタケオ、移民した中本の一統「オリエントの康」を親に持つ日系の青年が、その東京で詐欺集団を営んでいたもと路地の者たちと出くわし、解体され開発された親の生地である路地へと復讐のためなように乗り込んでいくことになる。詐欺集団には、産婆だったオニュウノオバの親類「九階の怪人」や、徳川家に毒見係として勤めた中本一統の一人(折戸という名字)を祖先に持つ「毒見男」、そして徳川御三家のお姫様と呼ばれる徳川和子なる者たちがいる。

 詐欺とは、言葉たくみに相手をごまかす術だ。路地とは、あることないことが噂され、渦まく地帯であった。中上はその路地の現実を描く以前の青春小説群では、詐欺電話をかけまくり脅迫する若者の犯罪のことを扱ったりしていた。路地育ちの過程で体得する話術に、現実を編んでゆく言葉の糸の絡みと力加減を読解する認識洞察が、路地解体と開発の現場で暗躍する自らの家族を巻き込んだ土建世界で鍛え上げられる。そこに、徳川将軍に連なる侍の武力と判断力が付加されたのだ。

 『異族』では、その武力は「空手」となる。我流の空手を覚えて路地出身のタツヤと夏羽は、東京へと出てくるが、右翼団体の道場の師範格となっていくタツヤと違い、中本(折戸)の血を引く夏羽は、その血に飲まれるように自殺した。沖縄からフィリピンへと凱旋する前にだった。夏羽は、毒見男の腹違いの兄弟であり、「この間、死んだらしい」ことが『熱風』の毒見男の口から説かれており、二つの作品が、平行していることが示唆されている。

 いや平行はそれだけではない。解体されてゆく路地出身の若い衆らが、オバたちをトレーラーにのせて脱出し皇居へと旅立つ『日輪の翼』では、『聖餐』で「死のう団」を組織していた中本一統の半蔵二世が、すでに一人東京へと抜け駆けしていて、売れっ子歌手としてデビューしているエピソードが挿入されている。それらの続編になる『讃歌』では、『日輪の翼』での中心人物ツヨシは、源氏名をイーブとしてジゴロ稼業をしながら行方不明となったオバたちを捜していたが、作品最後では、ツヨシという出身名に還っている。

 つまりは、路地出身の若い衆たちが、東京で得た新たな武器をもって、西へ帰り、さらには南へと目指し、東京に残っている若い衆も、武士政権崩壊後の戦後社会を覆すことを企んでいるような、不穏な潜在的な動きをみせているのである。

 が、それらが向かっている先は、日本ではない。その日本の土壌をそうたらしめている地政学的に枢要な、文明の中心地、中国である、ことが、作品群の全体像から示唆されているのだ。とくには、詐欺犯罪を素材とした『熱風』と、暴走族右翼『異族』との重なりを思う時、一頃のオレオレ詐欺から現在のアジア広域にまで拠点を広げて世間を騒がす、日本の犯罪組織の地下潜伏と、マフィア化の現実を先取りしているようにも見える。さらに、ロシアとウクライナとの戦争で喚起されたアジア領域での地政学的緊張の浮上も考慮すれば、『異族』で沖縄や台湾、フィリピンを巻き込んで構想される「台湾・琉球連邦共和国」、南沙諸島をめぐる「南海洋連邦」など、空想的な話ではなくなってきている。沖縄の血を母方に持つ佐藤優は、日本政府がウクライナ情勢にかこつけて、石垣島や沖縄の防衛強化への具体に県民の積極的協力を自明的に推進化するのならば、沖縄人は台湾や中国との独自な外交関係をのぞむようになるだろう、と忠告している。

 しかしならば、かつての文明大国の再興台頭を、どう受け止め対応すればよいのか?

 中上の未完となった作品群は、まさにそのことこそを追求している。おそらく、ヴェトナムという「中華帝国」の「前進前線」への潜伏から登場するアキユキは、「中国の帝王」の身代わりとなる鉄男と、もう一度、戦う羽目に陥るはずである。もう一度、というのは、この父殺しに邁進する後輩と、母殺しの認識の根底的な肝要さを洞察している先輩の秋幸は、『地の果て―』においてすでにやり合っているからだ。その時は、秋幸が人質のように監禁され、銃で脅され、なぐられた。

 二人は、ともにレベルアップしている。しかしその過程で、日本や中国の大企業家族をたぶらかしてゆく詐欺集団の一員となった『大洪水』での鉄男は、中国の怪奇さに直面し、その差異から、秋幸と似たような洞察を共有しはじめているのだ。

「日本の批判はいい。僕は中国や中国人に関して言っている。いいですか? 話を展開する前に了解してもらわなくちゃいけない。というのは僕は、リー・ジー・ウォンという人間だという事。蝋人形を父親として生まれていても、ジンギスカンの血を引いていてもいい。ミスター・ヤン、あなたの弟は、中国という巨大な国のそばに位置する日本に育ったんだ。
 僕はその日本でうろうろ歩き回った。日本にいて日本人でいる限り、他からどんなに言われようと条理がある。というのも日本の中心には天皇がおられる。天皇が難しいと言うなら、富士山でもよい。その中心を核に物事は動いている。
 しかし、そこから中国を見ると、一切が変形する。リー・ジー・ウォンならなおさら、中国が不思議に見える。あの古い歴史と広大な国土と膨大な人口を持つ国は、まず中心がない。天安門があるじゃないか、中国共産党があるじゃないか、と言うが、それは中心だろうか? そう考えているだけで日本にいると混乱する。」(『大洪水』(『全集13』p428)

 『かぐや姫』の物語の最後に登場する富士山は、常に私たちを見ている。葛飾北斎の『富嶽百景』から伺えるのは、私たちから富士山が見える、という感覚ではない。常にどこかから、富士山に見られている、見守られている、という感覚である。京都においても、天皇は、そういう自然体として存在している、飛鳥の里山みたいなものなのだと、鉄男は認識しだしたのだ。が、広大な中国、帝国では、そうはいかない。帝王は、むしろ、全てを見ることはできない、そこで暮らす人民も、自分が見られている、見守られているという安心感を持つことはない。ゆえにそこでは、人工的に、監視カメラ的な管理と、帝王の恣意が、命令が「条理」の代わりとして強制される。それは、自ずから受容される自然的な道理ではない。自然な中心(富士山)がないかわりに、人為的な中心、天安門や共産党が構築される。しかし鉄男は、それが「中心だろうか?」と、問うのである。「鉄(刀)」という文明の武器でと闘う「侍(男)」と設定されていても、中国を前に、路地の認識に立ち帰るのだ。そして、「混乱」する。

 シンガポールから香港へと拉致された鉄男は、そこで「中国の帝王」と呼ばれるミスター・パオに直面した。その姿形は、「肩や胸、腹についているのは人間のまともな肉でも脂肪でもなく、石くれや木ぎれだというように全体がでこぼこの塊であり、それに硬い毛が生えている」と描写される。人間離れした豪傑の登場である。『異族』が、江戸の戯作『南総里見八犬伝』を下敷きにしていたというなら、『大洪水』では、その「水」という文字の媒介を孕んで、豪快豪傑な物語『水滸伝』が射程に入ってきている。自然的な寄り集まりの群れとしての『八犬伝』から、あくまで人工的な寄木細工としての構築物語、『水滸伝』との対峙に作家は迫られたのだ。しかし、この人物描写のところで、作品は中断した。

 おそらくアキユキは、この鉄男の「混乱」の隙に乗じ、豪傑と対峙するだろう。「路地」の、双系家族の、核家族の中枢を潜り抜けてきている秋幸は、自然と文明をめぐる<真理>を、ヴェトナムにおいて深めている。いや作家中上自身が、中国とは何か、文明とは何か、人間の、自然の真理とは何か、とその地をさ迷いながら考えたのだ。

 しかし中上が、その<真理>をつかみ展開しようと試みたのは、まずはここ日本の東京、新宿においてであった。さまざまな地からやっきてきた外国人が群れる歌舞伎町。完結した作品としては遺作となった『軽蔑』の「真知子」が、女性として遣わされた「秋幸(かぐや姫)」の真意を裏書きしていくのだ。

4 父殺し、母殺しを超えて


 『軽蔑』の女性主人公の名は「真知子」である。つまり、真理を知っている女、と設定されている。この女性の捉え方は、西洋文明の哲学、形而上学的な在り方からすれば、イロニーということになるだろう。ニーチェが洞察したように、男たちが女(真理)とは何か、とその謎に囚われ、獲得しようとした争いが、世界の歴史を動かしてきたのだ、と理解でき、されてきたからである。女をめぐる男の戦い。だから、ニーチェは言い返した。女は真理を欲していない、と。通俗的には、おまえは俺のことが「本当に、真実に、好きなのか?」と男が追求しても、その探究の姿勢ははぐらかされ、かわされてしまうのが落ちだ、となる。永遠に続く問い。が、女に深淵な謎も神秘もなく、女自身は真理などに無頓着である。だから、台所に何千年といようとそこから哲学ひとつ引き出してこなかったのだ、とニーチェはそんなあり様の女性性を肯定してみせたのである。

 中上がとりあえず引き受けたのは、そうした近代以降に明白になっていった男たちの哲学的前提である。ポストモダニズム的な認識、と言ってもいい。がそこに、いや女は真理を欲し、さらに、知っているのだ、と敢えて、挑戦するように設定仕返したのだ。

 絓秀実は、<『軽蔑』が中上のターニングポイント>になっていたかもしれない、と『全集』版のとじ込み冊子で解説している。(「「路地」から鏡へ」『全集11』)
 私もこの作品の構えに、似たような感想をもった。が、その<ターニングポイント>とは、この作品で得た認識が、未完となった作品群、私の読解においては、文明との戦いへ向けての意義と武器に、つまり大義名分的な根拠になっていった、ということである。

 つまり、未完となった、男たちが戦う世界が、その背後で、この作品での認識が脱構築してゆくよう忍ばされ、裏書きされていくのだ。秋幸は、かぐや姫だった。真知子も、羽衣伝説を下敷きにした「天女」である。この「天女」の伝説は、もちろん大陸からやってきた。中上は、「韓国」からだと認定しているが(「水と空」「輪舞する、ソウル。」『全集8』)、その原型として、中国(あるいはインド)が想定されても実証的にはおかしくはない。そして浦島太郎の行く竜宮城を仕切るのは、豪傑ではなく、天女である。羽衣伝説とがそもそも、男に捉えられた女が衣の力で去ってゆく、という話なのである。

<四人兄弟の長女、一つ歳上の兄が一人、妹が二人。
 子供の頃から兄と一緒に育ったので、活発で男まさりだった真知子は女の子と遊ぶより、兄の友だちと遊ぶほうが多く、その時も、そんな遊びをすれば、男の子は無傷だが、女の子は疵を受け、血を流すという事も知らずにやり、起こった出来事に茫然としていた。
 兄が、その秘密の隠れ家と称した裏山の草や木で編んだ遊び場に来て、拭っても拭っても止まらない血に茫然としている真知子を見つけ、怒り、頬をはった。
 兄は成人しないうちに、複雑な家族関係に疲れたのか、恋愛に敗れたのか、自殺してしまったが、真知子は、子供同士の悪戯とはいえ、九歳、十歳で破瓜するという女としての決定的な粗相をした自分に、兄が毅然として優しかったのを思い出し、それは、カズさんとよく似ていると思う。
「ニューワールド」のカウンターの上では踊り子は天女のような存在だが、重力のみなぎる地上で振り返ってみれば、バタフライ一つを衣裳とし、興に乗ったチップをもらえばそれも外し、総てをさらし男たちの欲情を煽る為に交情の姿そのままに踊るのは、女として決定的な粗相を仕出かしていることになる。>(『軽蔑』『全集11』p71)

 真知子の造形には、『地の果て―』までの「美恵」と、中本の一統に連なるその兄「郁男」との関係が投影されているが、しかしそこから、美恵が「天女」としてストリッパーと重ね合わされるわけにはいかない。中上の自伝からの私の推定では、おそらく、中上は、実際の歌手「都はるみ」とのつきあいにおいて、女をめぐる「真理」の在り方を洞察したのだ。あるいは、男世界の中を渡り歩く女性歌手のうちに、差別世界での男たちとは違った戦い方のヒントを感じ取ったのである。

 それは、地上の「重力」、「諸関係の総体」に「革命(戦争)」を迫る男たちのような戦い方ではなかった。天女のように軽やかに浮遊してゆくようなものでなければならない、そしてそれはありうる、と中上は都はるみを見て思ったのだ。男と女の「五分と五分」との関係を真理だと欲し追求する真知子は、それを平然と崩す俗物男を一瞬は殺そうとするが、その試みを放棄する。ヘーゲルを援用し、女をめぐる男たちとの闘争という執拗な主題的原型を近代文学から読み解いてきた絓は、<鏡を割るというカタストロフィだけは避けられねばならない。そうしなければ、『軽蔑』という作品自体が、一挙にカタストロフィへと沈んでいくのだから、鏡を割らないことだけが、女の最後の倫理である。>と提示する。たしかに、真知子は「カタストロフィ(戦争・革命)」という男(作品)の戦い方を拒否した。が、そのことが、「女の最後の倫理」になってしまい、<秋幸以上に完璧な孤児>として<誰も、血縁を知らない>真知子が、“小説”的強度を更新させる「ターニングポイント」を示して終わった、ということではない。

 中上のサーガからすれば、明白に真知子は美恵という「血縁」を持つ。そして中上は、さらに様々な作品を書き続けた。ならば、『軽蔑』以降のそれらの作品は曲がり角を通って、どこに向かったというのか? 絓も高橋源一郎と同じく、近代“小説”という枠に囚われている。「ターニングポイント」と言いながら、結局は小説の理念型(強度)の反復であるべきであると、一つの批評的見方から作品や作家をさばいているので、その後の「朦朧」な作品群と関連付けられないのである。あるいは作家のその挑戦を失敗として遺棄する。

 『軽蔑』は、こう締めくくられた。

<「嘘」、その男の顔を見て、真知子は、息の多い声で、まるでたった一言しか言葉を知らないように、言った。>(『軽蔑』(『全集11』p405)

 この表現が、縊死してゆく浜村龍造を前に言った秋幸の言葉に対応していることは明白である。

<一瞬、声が出た。秋幸は叫んだ。その声が出たのと、影がのびあがり宙に浮いたように激しく揺れ、椅子が音を立てて倒れたのが同時だった。「違う」秋幸は一つの言葉しか知らないように叫んだ。>(『地の果て至上の時』(『全集6』p415)

 秋幸は「叫んだ」。真知子は「言った」。秋幸は「一瞬」の「声」だが、真知子は「息の多い声」だ。「一つの言葉しか知らないよう」な秋幸と、「たった一言しか言葉を知らないよう」な真知子。「違う」と認識した秋幸に対し、「嘘」と、驚く真知子。「違う」なら、本当は、本来は何なのか? つまり、真理とは何なのか? と秋幸は問うている。それに対し、真知子の「嘘」とは、死んだはずのカズさんが出現したかに見えたことへの「本当? 信じられない」という驚きであり、受け入れである。彼女は、ニーチェの言うように、たしかに真理を問うていない。がそれは、それが「嘘」である「本当」を受理していくことである。真実は「一つ」だと秋幸は前提としていた、が、真知子は、「息の多さ」、声の多数さを、真実の複数性を認める。それしか知らない「言葉」の「一言」でいえば、その現実とは「嘘」である。真知子は、真理(本当)を男のように欲しているわけではない。だから、そこでは真理をめぐる戦いは、カタストロフィとしては発生しない。が、「嘘」でもいいから好きといってくれ、夢を見続けさせてくれ、と正常性バイアスに逃げるということでもない。死を賭けた命がけの戦いとは別の、あくまで真剣な忍耐強い、女の戦い方があるのだ。

 しかも、女の戦い方とは、『地の果て―』以降の、作品の戦い方でもある。それ以前までは、あくまでストーリー的な線的な繋がりとしての作品同士の関係であったが、『軽蔑』の認識が、他の未完の作品の前提、男の戦い方を相対化し脱構築させていくように、この完結された『軽蔑』もが、未完の作品によって相対化され、脱構築されるのだ。つまり、『軽蔑』の認識前提が本当(真理)ということではなく、そういう思考自体もが「嘘」としてはぐらかされるのであり、その運動こそが軽やかな羽衣としての武器、ということなのだ。

 未完となった『鰐の聖域』は、『地の果て――』までの秋幸の姉・美恵の娘・美智子と結婚した五郎という人物が中心主人公となっている。五郎の浮気に、美智子は「男と女は五分五分」だと言い出し遊びはじめ、結局ふたりは離婚する。が、そのことはカタロストロフィな破局大団円を演じて終わるのではなく、さらに、五郎は美智子のイトコ・園美と、美智子の母の実家「竹原」家で知り合って、そのままできてしまう。
 その五郎は、秋幸との「兄弟喧嘩で死んだ」とこの作品ではされる暴走族の初代リーダー秀雄の知人であり、二代目のリーダーとなった鉄男の友人でもあることが示唆されている。
 五郎は他所から来た者であるゆえにか、路地社会の力学には飲み込まれず、それを相対化する。自身のふしだらさも、中上の実際の母の路地論理が、この実話に基づいた作品のイトコ婚も、「減るんでなしに増えるんやさかね」(「妖霊星」『全集5』p291)とそのまま受容してしまうのとは違う論理において正当化される。

<母親きょうだいも園美のイトコらも驚き、怒った、と言う。五郎が考えても確かに驚き、怒るのは当然だが、五郎の立場に立てば、美智子の産んだ麻美をのぞいて誰とも血のつながりのない男が、どの女と寝ようと、どの女を孕ませようと非難される筋合はないとなる。>(『鰐の聖域』(『全集13』p23)

 この「筋合」には、東国の(侍=「暴走族」経由の)、外イトコ婚という外婚制を意識する直系家族的な影響があるのかもしれない。が、重要なのは、路地以外の思想によって作品が錯綜としてき、その外からの相対的な距離が、路地社会の力学を客観性を超える深読みとして発揮されてゆく、という過程である。

 この作品では、その読解力のことを、「死霊」と呼んでいる。五郎は、路地に渦まく人間関係の錯綜から、自殺に追い込まれた土建会社の「親方」の「死霊の力」が自分を動かしているのではないか、と推察するようになるのである。

 この五郎の推察は、中上の未完の作品群からみれば、作家中上自身のものでもある。外からの読解は、路地を超え、日本を超え、南方、そして中国からもやってくる。『異族』では、あらぬ噂に狂喜するオバのような年寄りはどこにでもたくさんいるとその神秘化は相対化される。さらに、未完の『宇津保物語』では、日本の物語が大陸の「書物」の存在で異化されていく方向をはらみ、この擬古文的に綴られた作品自体が、おそらく、中国を意識しているのだ。いやさらに、その原古典がペルシアを取り込んでいるのだから、大陸ユーラシアとの交通こそを前提として、さまざまな世界や価値が、絓の『軽蔑』の解説から引用していえば、「鏡」のように「乱反射」して、相対化され、そのことであくまでなんらかの「全体」めがけて意識・構想化されようとしているということになるだろう。

 中上の未完の作品群は、物語的な線で絡まるだけではなく、さらに、思想性や価値観においてもお互いが牽制しあい錯綜となることが仕組まれはじめている。作品群として、多声的なポリフォニーな様をみせてくるのだ。しかし、それはいわゆるポストモダニズムな、もう「真理」などなくあるのは相対化されてゆく戯れだけなのだ、という態度に収れんしない。なぜなら、あくまで、文明の中心地、中国やユーラシアが標的にされているからである。その標的めがけて、作家は、アキユキは、試行錯誤しながら進んでいる、ということなのだ。

 「アキユキ(私)」は、つまりは作家中上は、そうした認識覚悟を体得し、携え、文明の真っただ中へと潜り込んだのだ。

 「天女」としての「かぐや姫」が、東京の路地たる「ニューワールド」な歌舞伎町で更新された認識作法を武器に、大陸の「前進前線」へと帰還した。中上は、複数の線と声を持つ物語群を、日本から外へと移動し描き始めた。男と女は、人間と人間は、人種や民族が「違う」とも、「五分と五分」であり、差別などありえない。その「嘘」は、「嘘」であっても、戯れではなく本当のこととして掲げられえる大義である。その虚構の真剣さで、秋幸は「中国の帝王」の身代わりたる鉄男とまず対峙するのだろう。『八犬伝』の志士たちや、アジア広域にわたった詐欺グループや、日本の芸能界を仕切って世論を動かす若い衆たちが、その戦いに連動し、支援する。彼らは、中本の一統の、若くして世に押しつぶされていった者たちの系譜である。郁男は死んだ、夏羽は死んだ、カズさんも死んだ、が、「嘘」のように蘇ってくるのだ。

 中上は、そうした若い「死霊」たちを引き連れて、突き動かされて、世界の力関係(地政学)を読み、文明と対峙しようとしているのだ。

 いやおそらく、路地出身の者たちやその霊(系譜)だけが協力者ではない。『讃歌』では、「ミス・ユニヴァース」の「中国の娼婦」ファ・チンが好意的に描かれている。真知子は、「ニューワールド」のストリッパーだ。だからたぶん、新世界へ、宇宙へと向けて、男と女、人と人との差別のない「五分と五分」の世界を目指して、国籍を超えた協調関係もが動員されるはずである。

 その動員の模索は、作品の形式においても試行錯誤された。絓は、『軽蔑』の<部分部分をギクシャクとして描写していくしかない>、<決して何か全体的なものをうつしてくれないのだが、同様に、話者も遅滞なく物語を語ろうとしない。視線が「全体」という重力から自由であるとは、そのような乱反射を意味している。>と言うが、それはその後の作品と作品との絡み合いを見ようとせず、あたかも完結したこの作品で作者の営みが終わった、「全体」を志向しない“小説”の在り方の方が優越的なのだ、という一時の批評の見方を押し出している。

 が中上は、未完の物語群で、超越的な語り視点をいきなり挿入させてみたりと、その機能が生きるのかどうか、未来への形式的な伏線となるのか、手探るように投機的に書いているのだ。私たちが見るべきなのは、その「朦朧」と化してしまうなかでの、文の模索の、真剣勝負な様なのだ。

5 補説――通俗小説と真理


 男女の性愛的な有り様が、「五分と五分」以上にあからさまに露出してきた現在においては、真理とは何か、という問いが、女とは何か、という問いと重ね合わされて追求される現実性は希薄であるだろう。かつては、夏目漱石の作品などが典型であったように、女をめぐる戦いを舞台に、さまざまな思考が隠喩的に追及された。ふと出会い、誘惑されていたのかもと惑わされた青年が、もしあの女性についていったらどうなったのだろうか、とその深淵に神秘さを伺い、あるいは世間を疎んで働かないインテリ人物が、俗物まるだしの男に恋人を取られて、その結婚後に煩悶し、または自身が他の男との競合に勝って女を手にしたものの、そのことで深淵に呑み込まれたように自殺してゆく。がもはや、そんなナイーブさを作品世界で維持することはできない。女性を神秘化することを前提にすることはできない。

 最近、唯川恵著『100万回の言い訳』(新潮文庫)を読んだ。ある新聞の欄で、なんとかという女優が、この作品を何回も読み返し、夫婦関係、男女関係についていつも考え込んでいる、と書いているのを読んで、私も夫婦20年の関係を考えてみたくなったのである。
 が、私としては、やはり字面の、エクリチュールの水準で、読み続けるのが困難になる。がステレオタイプになる人物の組み合わせパターンだけを追うことになるうちに、この中上ノートで綴っていることがよりわかりやすく捕捉できる素材になるのでは、と考えた。

 私には、この作品から、実際の人生、夫婦のことを考えるには、世界が違いすぎるので無理である。引きこもり、フリーターとなり、歳くってから結婚したものとしては、このトレンディー・ドラマな世界の主人公たちと、どう自分を類比していいのかわからない。強いて言えば、母子家庭を営む働き者の若い女性主人公に共感はできるが。だから考えさせられたのは、人生(夫婦)とは何か、といった哲学的な問いではなく、あくまで文学作品的な問いである。

 その作品のあらすじはこうである。結婚して七年目の子供のいない夫婦。ここで子供を作って転機を、と実行しようとしたその夜、暮らしているマンションが火事に巻き込まれてしまう。その事故をきっかけなように、夫は隣部屋の奥さんと、妻は職場の後輩と、できてしまう。そこに、後輩の金持ちの同級生の建築設計家、女性のことを道具のようにしか思っていない俗物があらわれる。かつて自分の恋人をこの俗物に寝取られていた後輩は、先輩の女がその男をあしらう姿に感動して付き合いはじめたのだ。妻は若い後輩からなお自分が女として認められているようにも感じる一方、俗物のマッチョ丸出しの強引さにも惹かれてしまう。夫の方は、隣人の人妻の直截的な誘惑と肉欲に負けはしたものの、一方で、仕事付き合いで使うキャバレーの実直な女性、女手ひとつで子育てしている若い女性の就職先の面倒などを、同じ地元同士ということの延長で、純粋行為として手伝っていた。彼女は、高校の頃のバイト先の旅館で、学生だった若い青年から言い寄られ、子を孕み、内密に産んだのだった。その子には戸籍もない。その産みの父親が、俗物男であり、その男の居場所を、夫は調査の先でつかんだ妻の後輩の口から聞き出した。いま俗物男はレストランにいる、俗物は同級生にいまおまえの付き合っている年増女と二人でいるから来い、とみせつけるために呼びつけた、つもりだった。が、レストランで、夫婦、勤め先の先輩後輩、大学の同級生、密会同士、といった関係にあった四人がかちあう。事情を知った後輩は同級生をなぐりつける。そのカタストロフィのあとで、夫婦はもう一度夫婦を始めるのも悪くないとおもい、後輩は、新しく自分をやり直すように沖縄へと向かう。

 ここでは、女性を神秘化する前提はない。男女関係に深淵はなく、謎もなく、みな世俗的である。妻の両親の「四十年以上」の関係の末に起きた別居や浮気が、男女とは何か、と言う女の神秘性を前提とした問いを相対化させ、「夫婦とは何か」、という問いとして更新されてくるが、それを追求するというより、典型的なキャラの組み合わせにおいて物語展開が試行錯誤されている、という提示の仕方である。だから、俗物男の登場といっても、もはや謎のない他の皆と同じ程度の差でしかありえないので、最後まで憎み続けるという過激さは現れずに消えてゆく。越えられない壁の向こうの謎への問いかけが、求心性(真剣さ)をもって言葉や物語を展開しだしていくのではないのだ。小説における近接の原理に忠実で、出てくる主人公はみな近づいて出会ってゆき、あとはどんな組み合わせのパターンで落ちをだすか、という物語展開の謎というより興味に収れんしてゆくしかなくなるのである。レストランでの四人かちあわせ現場での乱闘カタストロフィが、俗物がなぐられて読者の留飲が下げられる落ちというよりは、どこか大人的に落ち着いているのは、登場人物が俗物(ステレオタイプ)でしかありえないので、それを肯定するしかないからだ。大悪党ならそうもいかないが、そう想定するリアリティーをもたせる世間の合意がもはやないのだ。
 その穏やかな首肯、俗でしかない世間を認めてやる思いやりが、女性作家ならではの視点、とも提出されているようにも感じる。不倫は悪だ、とツイート炎上する正義社会のマッチョさを相対化させる作者の姿勢に、フェミニンな思想性をはさませている、ともみえる。

 そのカタストロフィ(挑発的決裂、戦争や革命)をのぞまない大人的な平和な態度は、後輩が「沖縄」に向かうということで増幅される。ここでの「沖縄」はオリエンタリズムである。ここは同じだが、あすこは違う、とここの平等、どれも同じ俗物、が保証されるように、あすこが想像的に掲揚され差別化されているのである。そうした制度体系が、無自覚に温存され、循環的な構造をつくり、反復・維持されようとしているのだ。

 中上の『軽蔑』では、登場人物のほとんどが裏社会で生きているような、欲望まるだしの、俗物であることがあからさまであるがゆえに、さっぱりしたいさぎよさの社会が前面になっている。だから真知子が、偶然目にした新幹線の中でのサラリーマンの無邪気な好機の視線だけが、あたかも後景こそが本当にみえる「風景の発見」でもあるかのように、差別(軽蔑)を感じさせない「五分と五分」な男女関係を思わせてきたりする。そのサラリーマンとの普通さを反復してみたいという思いが残っていたから、真知子はカズさんの地元の成り上がりの銀行員の罠に落ちて、体を奪われ、それが俗物関係でしかないことを思い知るはめになるのだ。

 作品に超越性が、乗り越えられない壁、絶対的な悪でもあれば、勧善懲悪的なカタストロフィは大団円になるだろう。あるいは、女という神秘が、謎があれば、物語パターンとは別の訴求力が言葉を紡いでいくことになる。

 が、ナイーブにはもうそれはできない。漱石の主人公は、女に真理(神秘)はないと打ちのめされて宗教にいったり、自殺したりした。中上の主人公たちは、母系原理的な、筋・つじつまの合わない謎からくる、神秘さを湛えた路地消滅後、肉体生理的なセックスのスポーツ的反復にのめり込みながら、やはり「沖縄」へと向かった。そこにもオリエンタリズムは感じられるが、「朦朧」的な模索がある。無邪気・無自覚なものではない。

 漱石や中上の作品が直面した物語的な規制枠(ステレオタイプ)は、現在に流通する通俗小説の問題規制としても通底している。中上はその規制を打ち破って未来をみるために、まずはパラノイアックに物語展開を押し広げ推し進めようとした。スキゾフレニックに言葉の細部に過剰さを畳みかけてゆくのではなく。

 しかし未完の『宇津保物語』では、日本語の持つエクリチュールの運動の方から、新しい古文を創起しようとしたのかもしれない。しかしそれは、内に閉じられた島国的な和文ではない。念頭に対峙してあるのは、大陸の、聳え立つ文明の巨大な悪を孕んだ大陸の作品であり、現実である。卑小な小賢しい悪しかなく、この世を絶した壁も感じさせないのは、それが日本という島国にいることからくる錯覚なのではないか、と。

 『宇津保物語』とは、遣唐使として派遣された公子が、難破して波斯国(ペルシャ)に辿り着くところからはじめられる日本最初の物語長編とされているものである。中上は、「うつほ」という言葉に、空洞、竹の筒、といった神話空間を読むが、その定型的な連想が、ファンタジーに向かうのではない。そこに、「精神の空洞、飢餓」を重ね合わせて、永山則夫事件を、“現実”を呼び出すのである。(「宇津保物語と現代」『中上健次エッセイ撰集〔文学・芸能篇〕』恒文社21)この「空洞」は、近代的な「内面」ではない。「永山はいかなる意味においても外部の人間(行動者)である」というのが中上の認識である。(「犯罪者永山則夫からの報告」『全集14』)つまり、その犯罪は、悪は、中上の未完作品群での「暴走族」と同じく、「侍」の系譜で理解されるべき歴史なのだ。

 「精神の空洞」は、わたしたちから「内面」を奪い、その心理過程のない、突発的に見える行動の契機を誘発する。わたしたちは、この穴を、現実を、歴史を見ているか? わたしたちに行動を迫る目の前の穴を? 目の前の穴とはなんだ? それは中国であり、大陸だろう、島国の目の前にある、ユーラシアだろう、と中上は直面し、わたしたちに突きつけたのだ。つまり、いま、この目の前に見えている、文字が、中国から来たはずの文字が、穴だろう、わたしたちには、それが、見えていない、見失っているのではないか? 中上は、ラカンがポーの『盗まれた手紙』で分析してみせたように、目の前の状差しに隠されていたくしゃくしゃになった手紙=letter=文字を目の当たりにし、読んでいるかぎり意識されないそれ、見失うからこそ機能していくそれを引きずり出し、もう一度、その日本の始原にあった「うつほ」の物語を書きなぞりはじめたのだ。

6  羽衣の思想


 大澤真幸は、大国間の戦争状況となった世界情勢をめぐり、次のように指摘している。

<戦争は一般に、いかにも崇高そうな理念や大義をかかげて遂行される。が、そうした理念や大義は、たいてい、もっとも現実主義的な目的を覆い隠す「口実」や「アリバイ」でしかない。侵略相手国にある地下資源(たとえば石油)が大きな富をもたらしうるとか、その国を軍事的な拠点とすることが戦略上、きわめて有利になるとか、といった現実主義的で、利己的な理由が戦争にはある。だが、それを公言するわけにはいかないので、戦争遂行者たちは理念主義を標榜してきた。従来、戦争とはこういうものであった。
 だが、ロシアのウクライナへの侵攻に関しては、現実主義と理念主義との関係が、逆転している。戦争へと駆り立てている真の動機は、述べてきたように「文明」に関連した理念主義的なものである。しかし、それを覆い隠すように、NATO云々といったような現実主義的な目的が公言されているのだ。>(「1章 ロシアのウクライナ侵攻」『この世界の問い方 普遍的な正義と資本主義の行方』(朝日新書)

 かつてこれまでの戦争は、経済利害が主要な真の動機であって、それを隠すために大義名分が説かれてきたのに、現今ではその関係が「逆転」し、価値(大義)を守ることが真の動機になって、それを隠すために利己的な話があからさまに吹聴されている、と。
つまりは、資本主義の趨勢よりも、一国を超えた思想価値の共有をめぐる戦いになっているのが真相だ、と。マルクス主義的に言えば、下部構造よりも上部構造の方が現実有意になっている、ということだろうし、キリスト教的に言えば、人はパンのみに生くるにあらず、という人間が精神であることの露呈、ということになるのだろう。

 しかしこの逆転は、突然起こったわけではない。むしろ、論理過程として推察できる。できるのではないか、ということが、まさに中上健次の作品を通して考察されてきているのだ。
 その推察は、2014年から2016年の間、1年ごとに1巻が発行されてきた、河中郁男による『中上健次論』(鳥影社)<第1巻><第2巻><第3巻>による。

 河中はそこで、中上の作品の推移を、敗戦後日本における資本主義の発展段階に重ね合わせて説いている。その段階とは、マルクスの『経済学批判要綱』による。まずは第一段階、共同体が力を持っている時代、長屋住まい(路地社会)での醤油の貸し借り、お隣のものと自身のものとの区別も曖昧な物々交換が強い時代。初期中上作品は、この世界が理想化されていると指摘される。そして第二段階、「人格的独立性」が中心となる、いわば近代民主主義の時代。『岬』や『枯木灘』での秋幸は、その枠の中で葛藤することになる。第三段階とは、「自由な個性」、つまり「自由な労働力」と「資本」が出会うことによって生まれた資本主義の時代、ということになる。『地の果て――』でフリーター(「自由な労働力」)となった秋幸は、その現実を自覚することになる。

<第三の段階が、「資本」/「労働力」の関係によって、進展していく「資本主義」の段階である。第二の段階は、「資本主義」の土台を作り出すのであるが、第三の段階の進展とともに、第一の段階である共同体的人間関係が完全に壊れるのであり、第一の段階と第二の段階で、生産の基盤であり、生産手段でもあった「土地」=「自然」は崩壊させられるのである。
 先に述べたように「土地」=「自然」は、生産の基盤であり、生産手段であった。しかし、「土地」=「自然」は、もう一つの記号論的な意味を持っている。それは、「理性」=「理念」対「自然」=「土地」という近代的関係、つまり、マルクスの第二段階で、同一性の与件となるということである。「土地」とは、記号論的にいえば、ラカンの「統一的な身体のイマージュ」と同じ位相であり、それは「理性」=「理念」の与件となる「自然」=「土地」として、「人間」が「人間」として存在することの同一性を最終的に保証する基盤なのである。つまり近代的な意味で「人間」の同一性を保証するのは、「理念」であるとともに「自然」=「土地」なのである。
 しかし、土地開発は、地盤を削り取り、「土地」の同一性を破壊し、幾層にも重なった地層が現れる。つまり、「理性」=「理念」対「自然」=「土地」という、システムの同一性を構成するもの、そして、そのことによって「人間」=「主体」の同一性を保証する関係が、根底から崩れ去ってしまったのだ。
 一般的な問題として考えていくとするなら、こうした「理性」/「自然」という「人間」の与件となるものが壊されてしまっているということ――そのことが「土地」が削りとられたという象徴的な意味なのだ。>(「路地の消滅・あるいは資本の到来」<第2巻>p481)

 河中は、戦後思想や文学を批判的に検討するにあたって、こうした時代段階によって、批評家のパースペクティブが規定されてしまっているということを詳述する。その論理は説得力があるが、一方で、河中自身の論考自体が、中上の『地の果て――』が書かれた1980年代、いわばジャパン・アズ・ナンバーワンと称揚されたバブル資本主義の時代区分までに規定されているのではないか、と現段階からみて思わざるを得ない。バブルがはじけた以降の21世紀に入って、まず2001年の9.11事件・紛争が象徴するように、資本を規制していく国家の暴力性の発動がそれ以降顕著になり、さらに、コロナ・パンデミックから今回のウクライナでの戦争勃発によって、一国を超えた帝国的基盤をもった共同国家群の価値思想が、資本主義の「享楽」イデオロギーを抑え込んでいるとも伺えるからだ。国を超えたコロナ規制により利己的な資本活動は世界的にストップし、大気汚染で見られなかった青空が垣間見えた地域も出現し、ウクライナ戦争への世論動員は、生よりも価値のある大義(=死)を推奨しているかのようだ。

 しかしこの事態は、河中個人というよりも、それが依拠しているマルクスの認識をも問わざるを得ない。本当に、第三段階としての資本主義は、「家父長」的な「古代共同体」を「崩壊」させたのか、と。父という位相の意味的機能の変遷として言えば、第一段階は「荒くれとしての父」、第二段階が「理念=規範としての父」、第三段階が「享楽としての父」とされる。戦後の日本は、まずは敗戦の混沌を生き抜くために、次には高度成長を経て安定した社会を導くために、最終的にはバブル期の楽しめと吹聴してくるような父権的イデオロギーの三段階を忠実になぞってきた。そして『経済学批判要綱』のマルクスが説くように、最後の段階に達したいま、そこまでの基盤となるものが破壊され、家族形態的にも機能不全となってしまった、古き共同体は崩壊してしまった、ように見え、そう指摘する言説は私たちには受け入れやすい。

 が現在進行している戦争のイデオロギー的な様は、その段階説的な認識に疑問符をつけてくる。ユーラシアの、ロシアや中国といった文明大国の父権専制主義的な価値思想と、アングロサクソン系の資本主義の「自由」な価値思想とが現に衝突している状況は、エマニュエル・トッドの家族人類学的な考察、文明中心の共同体家族の価値と、その周辺地域での核家族の価値の残存説の方に、むしろ説得力を与えている。いや日本での批評状況を見ても、2001年前後にNew Associationist Movement として社会活動を始めた柄谷行人は、その組織の解散間際、地域通貨運動という経済活動に現を抜かすと見えたメンバーたちをばか呼ばわりし、国家の力への抵抗の方にこそ運動の比重を置き換えようとした。が当時は、それでもなお、資本・国家・ネーションの「三位一体」の強調という程度だった。が、最近作の『力と交換様式』(岩波書店)で説かれることとは、資本主義の構造的力は貨幣的な交換の「力」によって相対化され、さらに、他の核家族的な互酬・贈与交換の力、国家共同体的な略取・再分配の力等が、資本主義の力をも超えていく可能性として示唆されているのだ。つまり三つの発展「段階」なのではなくて、それは、三つの現勢的な対等な「力」なのであり、社会とは、その組み合わせであり、三つのベクトル的な力の均衡によってその性格が変わるのであると。もしかして、資本主義が懐かしき共同体を破壊したといっても、それはユーラシア大陸の西端と東端、つまり、ヨーロッパと東アジアだけで、文明の中心地は、資本主義こそを食い物にし、その家父長的な力はびくともしていなかったのではないか、と推察してみたくもなるのである。

※ マルクス自身がこの三段階説に集約されてゆく思考のみを展開していたわけではないようなのは、マルクスの『十八世紀の秘密外交史 ロシア専制の起源』(白水社)という最近の翻訳・出版物からも示唆される。そこでの序で、アウグスト・ウィットフォーゲルは、マルクスの『経済学批判要綱』は、「アジア的復古」という観点に関し、「一時的に後退」しているのだと認識している。
 あるいは田上孝一によれば、もともとソ連や中国のあり様を「国家資本主義」と呼んできたのには「上部構造を主要な規定要素として含」んでしまうがゆえに「マルクス的観点から逸脱」した話なのであり、「資本主義によく似た独特の抑圧社会」として理解した方が現実に適っていたのだ、と指摘している。(『99%のためのマルクス入門』 晶文社)

 大澤真幸の認識も、そのような感慨を背景にしているだろう。

 が、河中の考察がより一層の推察を教示するのは、マルクスの認識を、ラカンの精神分析によって解読し、さらに、そこに東洋思想の在り方を引き付け重ね合わせて思考提示してみせたことである。

 もし資本主義による自然への搾取が、その外的な現象、環境破壊だとか生命の生存条件への脅威として理解され、それはよくないよね、と理念的な実践を指嗾するに終わるなら、その思考は、戦後理念への、大江健三郎への批判として始まった中上の作品や意図を全く無視することになる。<中上文学を(再)開発文学の視座から捉えた>と宣伝される渡邉英理の『中上健次論』(インスクリプト)は、ジェンダー問題も含めいわゆるリベラリズム的な思想へと中上の作品を還元してしまう趣の強いものだが、その参照文献に、河中への言及はない。しかし中上が、いわゆる昔なら「左翼」、いまなら「リベラリズム」と称されるような思想態度を嫌悪し、軽視していることはあちこちの文章から散見しえる。

 未完となった『大洪水』では、日本の商社で働く会社員やその妻たちが、熱帯での日本や中国企業による開拓・開発の現状を告発するが、その運動に加担を迫られた鉄男は、彼ら彼女らのよき活動が、それぞれの性倒錯、いわばラカン的な分析対象となるような享楽的な精神の在り方に由来していることを洞察する。鉄男自身、現場での、赤土が剥き出しになったジャングルの様をみて、心を痛める。が、彼は、そのエコロジカルな活動を劣等として退ける。それは、その行動が偽善になるからではない。彼は、開発側の貴族的な階層の者たちの間に潜り込んで戦っている。鉄男が認識しているのは、そんなチンケな性倒錯で、さらなる強大な性倒錯で開発を推し進めているその階層の人間たちには敵わない、戦えない、という現実なのだ。卑小な悪で、豪傑な、善悪を超越していくような複雑怪奇な倒錯の現実を撃つことは出来ない。その階級にやりこめられないで、動きを封じ込めるのは、それよりも大きな、複雑な錯綜を編んで作り上げた倒錯、大きな器をもった精神でなければ、太刀打ちできない、ということなのだ。それが見えていない善意には、現実読解と実践へ向けての知的な力が不足しているのではないか、と鉄男は懐疑しているのである。

 ニーチェは、深淵を覗き込むものは、自らが深淵に呑み込まれないように、怪物と闘う者は、自らが怪物とならないよう用心しなくてはならない、と説いた。その思想は、だから深淵に近づかず、怪物を排除すればいい、ということではない。深淵を回避するためには自らそれを覗き込み、怪物と闘うには自らが怪物的な精神の力を持つ必要があるのであり、ゆえにこそ、怪物に成りきってしまわないよう、ミイラ取りがミイラにならないよう注意せよ、ということなのだ。

 河中の中上論における東洋思想的な観点導入が意義をみせるのは、この地点においてである。彼はこの観点において、フロイト、ラカンに対し、ユングの考えを対置させる。フロイト理論はあくまで近代的な個人の意識構造や欲望の構造を対象にしたものであり、ラカンはポスト・モダンなそれ、対しユングは、前近代的な個の意識構造や欲望を対象とし、それは村落共同体の思想なのであり、その分析の構えと思想に同型的に適うものとしてユングは、「東洋思想」に関心をもったのだ、と。河中によれば、ユングが当時対象としていたのは、<極めて特殊な戦時体制の下での人間の意識形態であり、「個」は平和時には機能していた近代的な「個人」としてではなく、「個」を集団の中に埋没させる非近代的な意識体制を取らざるを得なかったのであり、抑圧されていた非近代的な「個」に対応する潜在意識内容が、被分析者に現れたのである>と、仮説される。

 しかしここで、エマニュエル・トッドの家族人類学の知見を図式的に展開してみよう。中国において、文明としての共同体家族とその価値が成立したのは紀元前後である、とされる。ならば、それ以前は、核家族的だったのである。となれば、この文明化の過程で、核家族的な「自由」の価値と、共同体家族的な父権の価値との間で、近代個人ともみまがう精神葛藤があったのではないか、とも推察される。「東洋思想」とは、この葛藤(戦争)における、核家族的な価値の敗北を合理化して納得させていくものとして生み出され、受容普及していったのではないか、と。たしかに当時、資本「主義」と呼べる経済拡大はなかったかもしれない。が、柄谷の交換様式論をふまえれば、交換Cの形態として趨勢だったとは言いえるのが文明化ということに孕まれた時期であったろう。強度な貨幣経済の前提がなかったら、官僚への賄賂社会も成立しない。そんな社会が全面を覆い、個の自由は圧殺された。そこでは、深い諦念の、絶望の思想が湧出する。

 現今のウクライナはどうか? ポーランドからウクライナ西部にかけては、トッドによれば、核家族的な価値思想が残っている地域である。そこが、タタールの軛の再来として、文明の、つまりは父権原理の強力な共同体家族の価値思想との闘争に見舞われている。が中国の地ではすでに、紀元前後にはその問題に現実的な決着がついていた。この時差は、河中がユングの思考を戦時下の特殊と仮説したのとはむしろ逆で、フロイト的な精神分析が説得性をもつ時代の方こそが特殊的な一時期であり、人類の歴史は、やはり文明化の方向へと、つまりは、世界の中国化、専制的な中央集権化の方向性へと一般的に進んでいるのではないか、そして庶民は絶望し、その精神的荒廃をなだめるために、深い諦念を前提にしたような「東洋思想」がその地では普遍化されたのではないか?

 しかし、そこでの「東洋思想」は、オリュウノオバの言葉に伺われる、親鸞の思想、いわんや悪人をや、という「日本的自然」な枠の中においてあるのものではないだろう。中上の未完の大作群の射程からすれば、皇帝に対し天皇だ、善人じゃなくて悪人こそ救われるんだ、とは、弱者の強がりな言葉にしかすぎなくなるだろう。それは、極悪人が颯爽としている『水滸伝』でも読めば明白なことである。中上はあくまで、「日本的自然」では把握できない現実に、精神に、他者に直面したのだ。その他者的な現実を、馬琴の『八犬伝』のように、勧善懲悪な卑小な思想に還元することはできない。浜村龍造ではたりない、と認識を深化させているのだ。日本には、王も、父も、大文字の他者はいない。いや見えていなかった。見ないようにしている、天皇が、富士山が、悪人をやという考えが、それを直視することを妨げている。それは、目の前の状差しにかかって、くしゃくしゃになった手紙=letter=文字のようにあった。読みやすい仮名文字が隆盛となっていく時代過程の中で、より埋没され意識されなくなった漢字。われわれが、自ら見えないようにしている中国との関係がなければ、日本は、日本語は存在していない、日本人は、考えられないのだ、と。

<ものごとは各々のラングの歴史の水準で捉えなければならないでしょう。明白なことですが、わたしたちがあまりに動転して、それ〔Ça〕をどういうわけか漢字〔caractēre〕という別の名で呼ぶことになったあの文字、名指すとすれば中国の文字のことですが、この文字は非常に古い中国のディスクールから、わたしたちの文字の場合とはまったく異なる仕方で生じてきました。分析的ディスクールから生じたために、ここでわたしが取り出す複数の文字は、集合理論から生じ得るそれとは異なる価値をもっています。それらの使い方は異なりますが、それでも――面白いのはそこです――この使い方には、やはりある種の収束関係があるのです。どのようなディスクールの効果にも長所があります、それは文字によってなされる、ということです。…(略)…今のところは、ただ次のことをあなた方に指摘しておきたいと思います――世界は、世界は分解しつつあります、ありがたいことに。世界は、わたしたちにはもうそれが成立しないのが見えます。何しろ、科学的ディスクールにおいてさえ、世界など微塵もないことは明らかだからです。原子にクォーク〔quark〕というひとつの仕掛けを加えることができるようになったときから、そしてそれがまさに科学的ディスクールの真の歩む道だとすれば、とにもかくにも問題はひとつの世界とは別のものだと悟るべきなのです。>(ジャック・ラカン著『アンコール』 藤田博・片山文保訳 講談社)

 ラカンは、アルファベットが「市場」という「集合理論」から生じたという歴史を喚起させて、以上のように、漢字について言及した。漢字が、「分析的ディスクールから生じた」とは、漢字が蒼頡という個人の趣味的な探究から発生した、という逸話を踏まえてのものと思われる。つまりそれは、あくまで個人の、奇怪な倒錯的欲望の産物なのだ。ポスト・モダンな思想立場として決して集団化しない個人特殊な「享楽」の遂行という価値をとるラカンは、その肯定的な例として、伝説的な漢字の成り立ちについて言及したのである。その上で、文字で書かれてはいても普通には読めないジョイスの『フィネガンズ・ウェイク』を持ち上げたのである。

 河中は、戦後理念としての「万人の善」が資本主義の進展によって失効させられた世界とは、個々の存在がそれ固有の幻想に閉じこめられ、自分たちが一体どこへ向かっているのか理解できないが、それでも欲求に煽り立てられていくしかない状況になっていることだという。ラカンはそこで、ストア派やブッダの考えに触れ、「欲求自体を断念することが最大の幸福であり、快楽であるという思想に関しての牽制をしている」という。

<このことは、ラカンの頭の中に、少なくともそうした道が全くなかったわけではないということを示すものであるが、それでもなお、ラカンは死を賭けて欲求することを倫理とみなす。何故なのか? それは、それがこのポスト・モダンの、ということは「資本主義」の倫理に他ならないからである。そして、そうである限りこの包括的な「資本主義」の倫理から降りることは、倫理的とみなされないからなのである。
 したがって、我々は、この行き詰まりに向き合うしかないのであって、行き詰まりについて考えるしかないのである。>(「女たちの物語」<第2巻>p321)

 『千年の愉楽』を書いた中上も、決して「東洋思想」的な「欲求自体を断念」することを受け容れたわけではなかった。むしろ未完の作品群が示唆することは、もっと大きな倒錯、もっと強靱な享楽を、ということであったろう。そしておそらく、その精神的な錯綜の文脈を、アキユキが体現するものであったのだろう。中国の豪傑を乗り越える、日本的な好漢、ドストエフスキーがその後のアリョーシャというロシアの神の造形を念頭に『カラマーゾフの兄弟』を書いたように、『地の果て――』を書いた時点で、日本の神について、しかも、これまでの民俗学的なマレビトにおさまるようなものではなく、もっとリアルな、「現実界」的な神の造形を想像しようとしただろう。むしろそんな創作意欲に煽られて、中上(アキユキ)は、ヴェトナムへと潜入していったのだ。それ自体が、中上の享楽的な倫理、作家の使命によるだろう。

 しかし、ここでまた、振り返ってみなくてはならない。秋幸は、かぐや姫であった。『水滸伝』の主人公に匹敵しうるような好漢であったとしても、それが父権の論理によることはありえない。ラカンの「分析的ディスクール」は、「全て」を包括しようとする「大学のディスクール」とは異質な、「全てではない」ものとしての女の享楽を補筆するものだった。中上が最後に書いていた実験的なエクリチュールは、『宇津保物語』に見られるものであったろう。

 もう一度、「男と女は五分と五分」という、未完大作群への<ターニングポイント>となった『軽蔑』の真知子の思想を考えてみよう。その言葉を以上の文脈で言い換えてみれば、漢字(男)と仮名(女)は五分と五分、となる。これは皇帝に対し天皇だと言ってみせたような、仮名(女)の側からの強がりにしか聞こえないかもしれない。しかし、目の前に在る漢(中国)の存在を直視する、という認識握持の覚悟をふまえれば、熟考を迫られる。

 大江批判から中上の本当の活動が始まることを読み込んでいった河中は、この作品のこの言葉をまともには受けない。

<まず、中上が民主主義の原理である平等という概念を信奉していたということはまずあり得ない、「男と女は五分と五分」と考えていたということも多分ない。我々がこれまで読んできた中上健次の男と女の物語は『天狗の松』にしろ、『重力の都』にしろ、五分と五分として向かい合えない、ということに本質があるからである。>(「女たちの物語」<第2巻>p293)

 しかし中上は、「本質」を目指したのだろうか? 本質に迫り、差別を描写してみせることが本意であったろうか? 中上が、「小説」ではなく、あくまで「物語」という言葉にこだわったのは、分析描写ではすまない実践的な衝迫を抱え込んでいたからだ。差別をなくしたいがゆえに、書き、書いてきたのではなかったのか? 「差別(穴、うつほ)」から「物語」が生まれるとは、つまりは犯罪を書く、ということのうちには、その現場での洞察を超え、それがあってはならない、反復されてはならない、という絶望的な想い、願いが孕まれている。確かに河中がブランショの『来るべき書物』をとりあげ、「物語とは、出来事の報告であり、出来事そのもの」として、中上は兄の死をめぐる精神の「穴」を埋めるべく、終わりなき反復の作業に掻き立てられているだろう。しかしそこには、願いがある。そしてそこでの願いというものは、戦後理念的なものには回収されえない。事件や事故でわが子を亡くした親の真実追求の闘争が、裁判の判決で終わることがないように。その理念は、現場を見ることができていない、絶望の深さを理解できていない。それは悪いことだから繰り返してはいけない、ということではないのだ。人はまた繰り返す、がその底なしの穴を、深淵を覗き込んだ者の内には、ゆえに繰り返させてはならない、怪物になってはならない、という願いと使命とがまた胚胎されてくるのだ。そういうものなのではないのか?

 となれば、『地の果て――』以降の中上が、『軽蔑』で説き、未完の作品群の背後に潜入させその作品の視点、声、思潮を脱構築させポリフォニックにさせていかせる「五分と五分」という認識とは何なのか?

 私は、それを思考するヒントを、河中の意図とは別に、河中の中上論から受け取った。

<このことを差別一般の問題として考えてみよう。例えば、男女差別と言われているものは二種類に分けることができる。一つは、男という性と女という性との対立としてであり、もう一つは、manとwomanとの間の関係としてである。
 人は男と女として向かい合っているとき、相対的であり、相補的である。確かに女性より、男性の体力面が優れていることが多いことから、男性が優位に立ち、女性が下位に立つ場面はある。だが、男性としての社会的役割と女性としての社会的な役割は交換できないものを含むのであって、それは相互的な関係であり、互いに補って一つとなるものである。>(「「牢獄」を出た者/入った者」<第2巻>P370)

 作品の読解対象となるのは、「manとwomanとの間の関係」、つまり、エクリチュールの活動を含めた、あくまで人の文化的な側面での事象である。そこに、「差別」問題が発生する。河中が、文化には回収されない男女の「対立」を上のように言及しても、いや上のような発言こそ、男女「差別」だ! と糾弾されかねない。つまりそれは、やはり「manとwomanとの間の関係」の問題として回収されてしまう。
 しかし、私は思うのだが、暗黙には、その男女の交換不能な役割分担による相互補完性において「一つ」、という自然的な事態を、人々は常識として想定せざるを得ない、のではなかろうか? 河中は、いくぶん無邪気な調子で上のように述べるが、しかし、そんな相互補完性のことが、科学的に証明されているわけではないのではないか? だから、おそらく、みな口をつぐむようにして、男女平等、という理念をともかく吐かせられているのではないだろうか?
 現在のLGBT問題にしても、遺伝的、ホルモン分泌的な自然身体的な齟齬と、文化的、あるいは後天的な主体性として獲得されていく性との問題がごっちゃにされて主張されている。がごっちゃにされるのは、自然齟齬が自然的であると証明されているわけでもないのだから、その区別を精確に縫い合わせる言説を作れないでいるからではないのか?

 しかしこの「対立」の、交換不可能さが曖昧になりやすいのは、男と女をめぐる性差の問題としてそれを思考しようとするから、ということもあるのではないか?

 たとえば、社会学者の宮台真司は、自分は多動性発達障害者だが、一定の割合でそうした人物が発生してくるということは、自然がそれを必要としているからなのだ、と表明している。これも、科学的に証明根拠のある発言ではないだろう。ダウン症児も一定の割合で発生してくるということは、それが人類社会において、一定の役割を持たされて来るから、かもしれないのである。いや人類社会には、人間だけが暮らしているわけではない。犬や猫や牛など、家畜にされていった動物から、家畜化できない獣まで、みな一定の役割をもってこの自然界に生れてきて「一つ」である、としたらどうなのか? 彼らが、交換不可能な、人間とは「対立」的な存在であることは明白、とは言えるだろう。ならば、男女が、あるいは同性愛者や多様なる性の在り方もが、やはり「対立」であるがゆえに、つまり交換不能であるがゆえに社会として補完的な役割を分担しているのではないか、という疑問は、より納得性をもって導入することができるのではないか? 「男と女の五分と五分」とは、実は、「差別」ではなく、「対立」としての関係を導入させていくメルクマールだったのではないか?

 秋幸は、かぐや姫として、女でもあるものとして挿入された。が、実は、『地の果て――』では、人間ならざるものとしても、登場させられている。それは、「犬」である。子供の頃の自分の家族関係の位置にいる登場人物として認識される「洋一」が、拾ってきた犬を、「アキユキ」と名づけるのだ。犬は、ひそかに虐待されてもいる。それは犬の人間関係化、つまりは「差別」という問題規制への回収ではあるが、それが人ではないぶん、収まりの悪さを呈してくる。

 中上は、あちこちの作品で、動物を素材として導入していた。その様は、ほとんど虐待的な関係である。こりゃひどいだろう、と眉を顰めたくなるような描写やあり様だ。しかし、男が、好漢を模した人物が女を嬲るとき、その描写を読むとき、読者は、虐待される動物の様を見させられるような後味の悪さを覚えるだろうか? 女は差別されている、われわれはそう前提して了解してしまう、が動物は、回収できない「対立」があからさまでもあるので、逆に、関係が宙づりにされたまま、何とも言えない居心地の悪さを人に覚えさせてくるのではないだろうか?

※ 生田武志は、大江健三郎の小説家デビューにあたっても、動物虐待という人間の位相にとっての収まりの悪さの問題があったことに注目している。<『自選短編』あとがきによれば、「奇妙な仕事」(初稿は劇作品「獣たちの声」)を文芸誌に発表するにあたり、大江健三郎はこの短編と戦争中の犬の強制供出の話を二部構造にしようとした。しかし、「小説を書き始めたばかりの自分の技術ではムリ」だったため、「死者の奢り」(1957)を書いて文芸誌へのデビュー作とした。>(『いのちへの礼儀』筑摩書房)――中上の『地の果て――』の大きな参照作品としてのドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』でも、馬への虐待の描写が強烈な印象を残すだろう。

 中上は、つまり、女を通して、獣を見、そこに「差別」には回収されずむしろそれを撃ってゆくような潜在力を孕んだ「対立」の関係を重ね合わせたのではないか? それを、「五分と五分」と表現したのではないだろうか? 漢字と仮名という差別構造の向こうに、漢という文明に抵抗しえる「対立」の次元を読み取ったのではないか?

 『宇津保物語』の主人公は、洞窟の中で、獣たちに育てられたものだった。彼は獣たちに向けて、言葉や文字ではなく、琴を奏でた。そんな始原の物語を、中上の『宇津保物語』は、獣に育てられたなどという話は父が作った「まっ赤な嘘」だと白状するところから語り始められる。小説家的な「本質」の洞察とそれを反復的に物語ろうとすることでそれを超えようとする作家態度の二重性が冒頭から指示されている。

< 仲忠の話は都の者なら知らぬものはひとりもなかった。仲忠がその整ったいかにも貴人の顔であるのも父が右大将藤原兼雅、母が清原俊蔭の娘という血筋だったから当然だった。だが時折みせる仲忠の冷たげな顔の表情はその話から出てくるものと噂された。仲忠は北山の山中深く熊が寝ぐらにしていた空洞に幼い頃母と一緒に住んでいた。仲忠が一体何を考えているのか眼が深く翳を帯びて物腰に足音も立てぬようなぬうっとしたところがあった。また仲忠には人の不幸を平然と見ている酷薄なところと、体温のあるものならなにもかも同一だというところとがあった。
  仲忠が琴の名手だとは知られていた。仲忠は帝の前で琴を奏で感涙させたが、何故自分の奏じた琴がこうまで都の人にもてはやされるのか知らなかった。いつも琴を彼は風のように奏し、弦が震えて立つ音がまっすぐ樹々の中心にある霊や花の中心にあるぼうっとかすんだ霊に行きつ戻りつするのを視ていた。霊は琴の音に身を寄せるように震える。音が鳴り始めると自分の手元に物の霊が集り来て乱舞するのが視えた。樹木の花のひとつひとつ築地の手前に置いた石に生え出した苔ら琴を弾く以前はかさとも動かなかった物らが、いま仲忠によって揺られて動き出し空に舞う。仲忠は琴を演奏しながら岩を割って涌きだした清水の音を耳に聴いた。清水は光を眩ゆく撥ねながらその空に舞う者の霊を巻き込んで岩場の陰に入りさらに強い流れの沢に入り込みしぶきをあげる。仲忠の眼は翳り昏かった。>(『全集12』『宇津保物語』「北山のうつほ」P011)

 われわれがこの中上の「宇津保物語」から読み、感じとるべきなのは、「体温のあるものならなにもかも同一だ」とみなす、平等(「差別」)の理念とは別な「酷薄」さという思想内容のみなのではない。むしろその思想を物語としてなぞり、繰り返してゆこうとする文体のほうにこそあるのだ。それはどこか、不気味ではないか。というか、挑発的である。おそらく、この漢字仮名交じりの日本語の中における漢字の散らばりの様と、そこに引率される音が響かせる文体のリズムが、そう感じさせてくるのだ。もしかして、われわれは、言葉の向こうに、獣の咆哮、唸り、地鳴りのような「獣たちの声」を、人間・文明社会への「対立」的な怒りの響きを感じとらねばならないのかもしれない。

 中上は、日本語において、文字表記という人の文明の所産に挑戦しようとしている。それは、中国という大文字の他者に突き当たったからだ。書くことの現場において、それは目の前の漢字を直視することの自覚においてだった。この漢字の群れは、ひとりの好漢の享楽によって産出された。その特殊な享楽は、文明によって簒奪されて体系化され、一地域の一般を超えて普遍となっていったかもしれぬ。もちろん、その普遍的な広範と言えども、東洋の一定の地帯においてである。ラテン文字が、西洋の一定の地帯であるように。ラカンが言うように、世界は、一つではない。が、「体温のあるものならみな同一」である、獣を含めたそれぞれの世界は、「五分と五分」として相補い「一つ」ではないか、そう言い張る挑戦的な文体自体を、エクリチュールの運動自体を、中上は実践してみせようとしているのだ。

 みな同じだ、一つだ、との嘯き、主張は、しかし「昏い眼」によってなされる。まるで狼が、低い姿勢のまま、下から人を睨み返しているように。「男と女は五分と五分」、一匹一匹それぞれの享楽が、差別される側の性の獣性が、訴え突きつけてくるのか? そう「嘘」でも言い張る「真知子」の真実は、深い絶望と諦念を深い歴史において抱えた東洋の地点から、魚や獣たちが舞う竜宮とも願われる深淵から、新世界への、宇宙への原則としてヴェールをかけようとする。彼女の知った真理が、好漢らが跋扈しはじめた文明を告発し挑発する。バタフライを外し、一糸まとわぬ姿になって舞う彼女の裸体には、男たちには見えない獣の衣が羽織られている。自由へと、飛翔する羽衣が。

     あとがき

 受験という名目で上京してきた若き日の中上は、にせ早稲田の学生として反戦運動を組織しながら、フーテンとして街をうろついていたという。結婚し、羽田での荷物担ぎの現場で生計をたてはじめ、土建屋の実家の作業にも顔をだしていたらしい。

 私が中上の作品に本格的な興味を持ち始めたのは、そんな作家の経歴が、早稲田二文卒業後の、フリーターから佐川急便夜勤での荷物担ぎ、そして新宿の植木職人へと変遷していった自身の成り行きと重なってきたからだ。とくには、職人現場で伺えた家族関係のことなどや、夜の荷物担ぎのバイトで知り合った南米の者たちとの付き合いから片足を突っ込むことになった歌舞伎町の世界との関わりは、いつしか、中上作品こそを思考の参照枠として浮上させてきた。

 しかしその間、学生時代に読んだ中上の作品群を読み返したことはなかった。

 高校に入ってからの急な引きこもり生活の中で私がはじめたのは、哲学的な読書と探究だった。中上健次という作家の存在を知ったのも、今は哲学者として肩書きしているかもしれない柄谷行人からだった。高校受験の延長で読み始めた文芸作品の読書は、学生の中途で中断したまま、現在まで続いていることになるのかもしれない。小説を読んでいても、埒が明かないからだ。しかしそれでも、自分が、小説家として考えているのだとの思いは消えることはなかった。哲学書を読み、自分の体を使って、現場で実験し、実験する現場を探り当て、潜入し、また考える。作品は書けなくなったが、そうした試み自体が、文学であると思っていた。それが、私小説家としての日本文学の伝統の一つであり、自分がその系譜にいることには自覚的だった。職人としての三十年も、今、ひとり親方として独立している植木屋の営みも、文学の一環である。

 中上も、私小説家として、肉体実験の作家であったろう。むろんその実践は、小説の素材を得るためではなく、現実に近づき、密着し、精密に考えてゆくためである。哲学は、あくまで、一般的にすぎる。

 その一方で、私は、中上とは実験目的が違い、そこに、思想的立場の違いが出てきているだろうとも感じている。中上は、歌舞伎町の世界で、同性愛セックスをはじめ、いろいろ試みていたらしいが、私はそこで、何をしたわけでもなかった。私が保証人をしていた、歌舞伎町のラテンディスコ・レストランのペルーの店長などが女を連れだすときにでくわすと、彼らはあきらめたようにその女性たち、まさに国際色豊かな女たちを私に提供しようとした。当時大久保界隈で幅をきかせていたコロンビアからの女性を中心に、ラテンレストランを営業していたビルの地下にはロシア東欧パブなどもあったから、ロシアやルーマニアからの女性たちだった。南米の者たちと一緒になって働いた夜の荷物担ぎの現場では、アルバイトの私がヤクザ者を封じ、現場の実質的なボスになり、移民労働者たちを庇護していたので、彼らは私に頭があがらないところがあったのだ。歌舞伎町の店でも、金をとりに来たヤクザ者とはにらみ合いが繰り返された。真っ黒に日焼けした新宿の職人の背後には、大きな組織の後ろ盾があるのではないかと、彼らは疑心暗鬼だっただろう。実際、私の職場関係からも、裏世界の者たちとの接触があった。が、私はそれらの関係の中を歩いていただけで、何をしたわけでもない。私はむしろ、この何もない、ということを、どこまで押し通せるのか、外交として、マッチョな論理にからめとられず、平和への道筋を開拓していくことが現実論理として可能性があるのかどうか見極めようとしていた。それが、まずは一番の実験であった。
 私以外にも店に関わりはじめた日本人はいた。組長のコロンビアの女に手をだしてしばかれた若き風俗店店長、組の金を盗んでとんずらした親子世代で風俗業界に顔をきかせていた青年、体育会系出で昼の堅気仕事でいらなくなったパソコンを外国からの女の子たちに横流ししながら売春業の運転手役についていて、スペイン語ができたからいち早く警察の手入れ情報をつかんでひとり逃れたサラリーマン。レストランの中では、女たちの護衛や薬の売人稼業をしていたイランの男たちが飲みに来ていた。
 時おり店に顔をだして私は、ただ彼らの話をきいていた。その夜の世界を、私は男女関係でみることはできなかった。とても「五分と五分」ではない。ペルーの恋人の手を握り、歌舞伎町の路地道に消えていったコロンビアからの小さな女の子の後ろ姿は、寄る辺なかった。医療費は支払えないからと、入院していたコロンビア女性と産まれたばかりの赤ちゃんをイランの男たちが大久保病院から連れだし店にかけこんできた。初めて普通の日本の女の子と友達になれて嬉しいといっていたコロンビア女性と久しく会えないとおもったら「助けてくれ」との手紙がコロンビアの刑務所から届いた、どうしたらいいの? あなたは嘘を見抜くのがうまい、あの女が嘘をついているのかどうか教えて。店長との男女関係でもめにもめた経営者のフランス女性は、とうとう店じまいをすることにした。その頃は、サルサやレゲエといった音楽も流行りでなくなり、中国人相手の店にシフトしはじめていた。界隈に残ったラテンの店は、組の経営するものと私たちとの二軒だけになり、一騎打ちの状態になっていた。フランス女性は、店を閉めることにし、その日を、ちょうどヤクザが集金しにやって来る当日にすることにした。彼らにモップをわたし、お掃除をしてもらうのだと。

 戦争(革命)にもまれてゆく論理とは違った道筋が、男たちとの連帯という国際関係の中でも可能であると、私の実験結果は示唆していると観察している。

 そうした実験に文芸形式をもたせてゆくための創作ノートとして、この中上健次論考は覚え書きされた。

中上健次ノート

2023年8月3日 発行 初版

著  者:菅原 正樹
発  行:知人書謀

bb_B_00176998
bcck: http://bccks.jp/bcck/00176998/info
user: http://bccks.jp/user/149982
format:#002y

Powered by BCCKS

株式会社BCCKS
〒141-0021
東京都品川区上大崎 1-5-5 201
contact@bccks.jp
http://bccks.jp

Seiki Sugawara

1967年生まれ。植木職人。 自著;『曖昧な時節の最中で』(近代文藝社)・『書かれるべきでない小説のためのエピローグ』(新風舎) *カニングハムは、「振り付けするとはダンサーがぶつからないようにすることだ」と言っている。盆栽に象徴される日本の植木の仕立ての技術とは、枝が交差し絡み、ぶつからないよう偶然を準備していくことにある。自然に気づかれないで、いかに生起してくるaccidentを馴化していくかの工夫なのだ。たとえ西洋のトピアリーのような造形をめざさないことに文化的な価値の規定を受けていようと、そこには特殊にとどまらない普遍的な対応がある。芥川が「筋のない話」として日本の私小説の困難な特異さと歴史的前衛性を洞察したことが、日本の植木職人の技術のなかにも潜在するのである。

jacket