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日本の山野跋渉
富士山の景

文・写真 清水正弘

深呼吸出版



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 目 次


日本人にとって富士山とは
駿河からの富士山(写真)
木曽駒ヶ岳からの富士山(写真)
駿河から・見延線から(写真)

富士山・跋渉
 五合目~八合目
 八合目で迎える日没
 八合目で迎える朝日
 八合目で迎える朝日(二)
 八合目で迎える朝日(三)
 八合目で迎える朝日(四)
 八合目で迎える朝日(五)
 八合目で迎える朝日(六)
  ※それぞれ別の年・日に撮影している。
 八合目に架かった虹
 八合目~お鉢の淵
 お鉢巡り
 八合目で迎える日没
 八合目で迎える日没(二)
  ※それぞれ別の年・日に撮影している。
 八合目~五合目(下山)
 
 機窓からの富士山


日本人にとって富士山とは

日本には目に映ずる「ながめ」を表す言葉がいくつかある。景観、風景、景色、情景など、枚挙にいとまがない。なかでも「風景」と「景観」はしばしば主観と客観という対軸で捉えられる。

私たちが富士山を見る場合、「その時その富士山は,もはやたんなる自然的物質、たんなる自然の山ではないし、自然の一断片ではない。そうではなくして、私たちはつねに風景のなかにある富士を見ている」と景観の研究者も語っている。

私たち日本人は単に自然的物質として山を眺めているわけではなく、日本という風土に生きてきたさまざまな思想や感情を込めて総合的に眺めているのだろう。このような眺め方から「富士の風景は日本人の心の表現ともなってきた」といえるだろう。

歴史的にも、多くの芸術家たちが作品の対象とし、多くの日本に住む人々が特別な思いを抱いて眺めてきたのであろう。古代以降活火山としての荒々しい山である一方で、神聖な信仰の対象として崇められ、戦乱の世においては不死の山として、勝利と繁栄を祈願するようにそれまでとは異なる信仰の対象となってきた。

さらに、江戸時代には江戸城下を見守る富士の姿が江戸の象徴として捉えられるようになり、近代には日本を象徴する山として認識され、観光登山等もされるようになり身近な存在にもなってきたのである。

私は十回前後この山に登っている。しかし、ひたすら山頂を目指す「登山」の対象としては捉えていない。前述したような、歴史的にこの山の存在が、どのように日本人の心情に訴えてきたか、を再確認する為の山野跋渉行為の一つであったのだ。

駿河からの富士山
木曽駒ヶ岳からの富士山
駿河から
駿河から
駿河から
身延線から
身延線から
身延線から







五合目~八合目







八合目で迎える日没







八合目で迎える朝日







八合目で迎える朝日(二)







八合目で迎える朝日(三)







八合目で迎える朝日(四)







八合目で迎える朝日(五)







八合目で迎える朝日(六)







八合目に架かった虹







八合目~お鉢の淵







お鉢巡り







八合目で迎える日没







八合目で迎える日没(二)







八合目~五合目(下山)







機窓からの富士山

日本の山野跋渉 富士山の景

2023年8月16日 発行 初版

著  者:清水正弘
発  行:深呼吸出版

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清水正弘

二十歳の時にダライ・ラマ十四世と個人的に出会った事が、世界の山岳・辺境・秘境・極地へのエスノグラフィック・フィールドワークへのゲートウェイだった。その後国内外の「辺(ほとり)」の情景を求めて、国内外各地を探査する。 三十歳代にて鍼灸師と山岳ガイドの資格を取得した後は、日本初のフリーランス・トラベルセラピストとして活動を始める。そのフィールドは、国内の里地・里山から歴史的、文化的、自然的に普遍価値を有する世界各地のエリアである。 また、健康ツーリズム研究所の代表として、大学非常勤講師を務めながら、地方自治体における地域振興のアドバイザーとしても活躍している。 日本トラベルセラピー協会の共同創設者でもある。

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