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日本の古道を歩く
中山道の景

文・写真 清水正弘

深呼吸出版



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 目 次



中山道とは

奈良井宿

馬籠宿

馬籠宿~馬籠峠

馬籠峠~妻籠宿

妻籠宿


中山道とは

中山道(なかせんどう)は、江戸時代に整備された五街道の一つで、江戸の日本橋と京都の三条大橋を内陸経由で結ぶ街道である。「中仙道」、「仲仙道」とも表記するほか、「木曾街道」や「木曽路」の異称も有した。

江戸の日本橋から板橋宿、高崎宿、軽井沢宿、下諏訪宿、木曽路、関ヶ原を経て近江・草津まで六十七の宿場(六十七次)がある。距離は東海道よりも四十キロほど長く、宿場も十六宿多い。

宿場数が密であったのは、比較的険しい山道が多いことに加え、冬場は寒さも厳しい内陸の地域を通り、降雪時に通行が困難であったために、一日の歩行距離は短くなり限界があったからだと考えられている。

東海道に比べ大回りをする経路で、かつ、中山道には碓氷峠越えや和田峠越え、「木曽のかけはし」通過などの難所があったにもかかわらず、往来は盛んであった。

東海道には、船の使用が許されず川越人足が置かれ、時に長期の川止めもある大井川、安倍川や、険しい箱根峠など交通難所が多い上に、江戸幕府による「入鉄砲出女」の取り締まりが厳しかったため、これらを避けて、中山道を選ぶ者も多くいたと言われている。また、中山道筋の旅籠の宿代は、東海道よりも二割ほど安かったとされる。

信濃の下諏訪では、日本橋を立ち甲府を経由する五街道の一つである甲州街道と再び合流する。また、美濃の垂井で脇街道(脇往還)である美濃路と接続し、東海道の宮(熱田)と連絡していた。

この本では、奈良井宿界隈、そして馬籠・妻籠間を軸に紹介している。


奈良井宿


塩尻市(旧楢川村)の奈良井川上流に位置する、標高九〇〇m台の河岸段丘下位面に発達した集落である。

現在は重要伝統的建造物群保存地区として、繁栄した当時の町並みが保存されている。山あいに寺社を擁し、宿場、蕎麦などの食事処、土産物店など、観光できる街並みに整備されている。

木曽路十一宿の江戸側から二番目で、十一。江戸寄りから下町、中町、上町に分かれ、中町と上町の間に鍵の手がある。江戸時代から曲げ物、櫛、木曽漆器などの木工業が盛んで、旅の土産物として人気があった。

天保十四年(一八四三年)の『中山道宿村大概帳』によれば、奈良井宿の宿内家数は四〇九軒、うち本陣一軒、脇本陣一軒、旅籠五軒で宿内人口は二一五五人であった。

今までにたくさんの賞を受賞してきたこの宿場は、連続テレビ小説「おひさま」の舞台にもなり、日本のありのままの美を感じることのできる地として、毎年国内外から多くの人が訪れ、この歴史的な宿場に魅了されているのである。


馬籠宿


馬籠宿(まごめじゅく)は、中山道四十三番目の宿場で、かつては長野県木曽郡山口村に属したが、二〇〇五年の山口村の越県合併により岐阜県中津川市に編入された。一八九五年(明治二十八年)と一九一五年(大正四年)の火災により、古い町並みは石畳と枡形以外はすべて消失したが、その後復元され現在の姿となった。

石畳の敷かれた坂に沿う宿場かつ近代を代表する作家の一人である島崎藤村の故郷として知られ、馬籠峠を越えた長野県側の妻籠宿(木曽郡南木曽町)とともに人気があり、多くの観光客が訪れる。

石畳の両側にお土産物屋がならび、商いをしていない一般の家でも当時の屋号を表札のほかにかけるなど、史蹟の保全と現在の生活とを共存させている。ほぼ中間地点に、旧本陣であった藤村記念館(島崎藤村生家跡)がある。

天保十四年(一八四三年)の『中山道宿村大概帳』によれば、馬籠宿の宿内家数は六十九軒、うち本陣一軒、脇本陣一軒、旅籠十八軒で宿内人口は七一七人であった。







馬籠宿~馬籠峠







馬籠峠~妻籠宿


妻籠宿

妻籠宿は中山道と飯田街道の追分に位置する交通の要衝であった。天保十四年(一八四三年)の『中山道宿村大概帳』によれば、妻籠宿の宿内家数は三十一軒、うち本陣一軒、脇本陣一軒、旅籠三十一軒で宿内人口は四百十八人であった。

一九六〇年代に深刻となった長野県の過疎問題の対策として、開発事業としての保存事業が基本方針となった。一九六八年から一九七〇年にかけて明治百年記念事業の一環として寺下地区の二十六戸が解体修復された。

その後、観光客が増え始めたことから観光関連施設の整備が行われるようになり、保存事業を制度面から後押しするために、一九七三年に当時としては例の少ない、町独自の町並み保存条例である『妻籠宿保存条例』が制定された(一九七六年に『妻籠宿保存地区保存条例』へ改正)。

経済成長に伴い全国の伝統的な町並みが姿を消してゆく中、いち早く地域を挙げて景観保全活動に取り組んだことが評価され、一九七六年、国の重要伝統的建造物群保存地区の最初の選定地の一つに選ばれた。他の保存地区と異なり、周辺の農地など宿場を支えた環境全体を保存するため、国有林を含めた広範囲が選定されている。

日本の古道を歩く 中山道の景

2023年8月17日 発行 初版

著  者:清水正弘
発  行:深呼吸出版

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清水正弘

二十歳の時にダライ・ラマ十四世と個人的に出会った事が、世界の山岳・辺境・秘境・極地へのエスノグラフィック・フィールドワークへのゲートウェイだった。その後国内外の「辺(ほとり)」の情景を求めて、国内外各地を探査する。 三十歳代にて鍼灸師と山岳ガイドの資格を取得した後は、日本初のフリーランス・トラベルセラピストとして活動を始める。そのフィールドは、国内の里地・里山から歴史的、文化的、自然的に普遍価値を有する世界各地のエリアである。 また、健康ツーリズム研究所の代表として、大学非常勤講師を務めながら、地方自治体における地域振興のアドバイザーとしても活躍している。 日本トラベルセラピー協会の共同創設者でもある。

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