spine
jacket

───────────────────────



マッターホルン峰 
登頂への道のり

清水正弘

深呼吸出版



───────────────────────



 目 次


マッターホルン・名前の由来
登山の歴史

登頂への道のり(あくまで目安時間)
ブライトホルン峰(事前訓練)
ツェルマットで迎える朝
シュワルツゼー~ヘルンリ小屋(前半部)
シュワルツゼー~ヘルンリ小屋(後半部)
ヘルンリ小屋周辺
ヘルンリ小屋からの景(その1)
登頂日の早朝三時
ヘルンリ小屋からの景(その2)



※ヘルンリ小屋から頂上までは、現地ガイドより写真撮影は控えるように指示される。これは、撮影する時間的余裕などはないくらいのハードなクライムとなるからである。山頂では同行ガイドによる記念撮影ぐらいは認可される。


マッターホルン・名前の由来

マッターホルン(独: Matterhorn)は、アルプス山脈に属する標高四四七八mの山である。イタリア語では「チェルヴィーノ」(Cervino、「鹿の角」の意)、フランス語では「セルヴァン」(Cervin)である。

山頂にはスイスとイタリアの国境が通り、麓の町はスイス側にツェルマット、イタリア側にブレイユ=チェルヴィニアがある。マッターホルンという名称は、ドイツ語で牧草地を表す「Matt」と、角または角のような山頂を表す「Horn」に由来している。

登山の歴史

マッターホルンが制覇されたのはアルプスの他の山々と比べれば最近のことである。これは技術的な困難によるものではなく、この山が霊峰であるということを初期の登山家達が恐れたからであった。マッターホルン制覇の試みが始まったのは一八五七年頃で、多くの登山家はイタリア側から挑戦した。しかしイタリア側の登山路は険しく、多くの登山隊は岩壁を攻略できずに退散した。

数回の失敗と民族主義的な中傷を受けつつも、一八六五年七月十四日、エドワード・ウィンパー、チャールズ・ハドソン、フランシス・ダグラス卿、ダグラス・ハドウのイギリス人パーティはミシェル・クロとタウクヴァルター父子をガイドにして登頂に挑戦して初めてこれに成功、これがアルプス黄金時代の終焉とされる。

この時に選んだヘルンリ尾根を通る登山路は他のルートより平易であった。下山中、ハドウの滑落にクロとハドソン、ダグラス卿が巻き込まれ、クライミングロープが何らかの衝撃により切れ、四人は一四〇〇m下に落下して死亡した。発見されなかったダグラス卿を除く三人の遺体はツェルマットの墓地に埋葬された。なおウィンパー著『アルプス登攀記』が岩波文庫上下と講談社学術文庫で刊行されている。

初登頂から三日後の七月十七日、ジャン=アントワーヌ・カレル率いる登山隊がイタリア側からの登頂に成功した。一八六八年にはジュリアス・エリオットが自身二度目の登頂を果たし、同年ジョン・ティンダルは二人のガイドとともにマッターホルン初縦走に成功した。一八七一年にはルーシー・ウォーカーがライバルのメタ・ブレヴォールに数週間先だって女性初の登頂を成し遂げた。一九二三年には日本人として麻生武治が初登頂を果たした。

また、一九六五年八月六日には、芳野満彦と渡部恒明が北壁を日本人初登頂。一九六七年七月十九日には、今井通子、若山美子の二人が女性パーティーとして初めて北壁からの登頂に成功している。

エドワード・ウインパー
芳野満彦(生前お会いし、山のイラスト図を頂戴したことがある)

登頂への道のり(あくまで目安時間)

ブライトホルン峰(マッターホルン峰登山ガイドとの事前訓練)

 クラインマッターホルン~ブライトホルン山頂   登り三五〇m 三時間
 ブライトホルン山頂~クラインマッターホルン   下り三五〇ⅿ 三時間半

マッターホルン(必ず現地登山ガイドが同行する)

 シュバルツゼー~ヘルンリ小屋          登り六六〇m 三時間
 ヘルンリ小屋~ソルベイ避難小屋         登り七四〇m 三時間
 ソルベイ避難小屋~マッターホルン山頂      登り四八〇ⅿ 三時間
 マッターホルン山頂~ヘルンリ小屋        下り一二二〇ⅿ四時間
 ヘルンリ山頂~シュバルツゼー          下り六六〇m 二時間







ブライトホルン峰
(事前訓練)







ツェルマットで迎える朝







シュワルツゼー~
 ヘルンリ小屋
 (前半部)







シュワルツゼー~
 ヘルンリ小屋
 (後半部)







ヘルンリ小屋周辺







ヘルンリ小屋からの景
(その1)







登頂日の早朝三時







ヘルンリ小屋からの景
(その2)

マッターホルン峰 登頂への道のり

2023年8月25日 発行 初版

著  者:清水正弘
発  行:深呼吸出版

bb_B_00177156
bcck: http://bccks.jp/bcck/00177156/info
user: http://bccks.jp/user/152489
format:#002t

Powered by BCCKS

株式会社BCCKS
〒141-0021
東京都品川区上大崎 1-5-5 201
contact@bccks.jp
http://bccks.jp

清水正弘

二十歳の時にダライ・ラマ十四世と個人的に出会った事が、世界の山岳・辺境・秘境・極地へのエスノグラフィック・フィールドワークへのゲートウェイだった。その後国内外の「辺(ほとり)」の情景を求めて、国内外各地を探査する。 三十歳代にて鍼灸師と山岳ガイドの資格を取得した後は、日本初のフリーランス・トラベルセラピストとして活動を始める。そのフィールドは、国内の里地・里山から歴史的、文化的、自然的に普遍価値を有する世界各地のエリアである。 また、健康ツーリズム研究所の代表として、大学非常勤講師を務めながら、地方自治体における地域振興のアドバイザーとしても活躍している。 日本トラベルセラピー協会の共同創設者でもある。

jacket