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秋を知らせてくれる、そんな自然からの香り。
金木犀の香り。
小学校の校庭で、幼いころの僕にも、なにか癒しを与えてくれていた。
秋が来たよぉって教えてくれて、秋がきたよなぁって、あのころからこの香りが街でしだすと、いつもそう感じたりもして。
十二歳のころの僕は秋の金木犀の香りが舞う、誰もいない小学校の校庭を一人で裸足で全力で走り回り、足の裏のマメの痛さなんてものも気にならないくらいに走り回ると、やがて疲れてしまったのか、校庭の真ん中に座り込む。
見上げた澄んだ青く白い空は疑うことなどなにもない美しい空。
ただそこには開けていく未来だけがあって、とても明るい。
どこか漠然としていて、まるでその空は心の大切な一部とこの碧い星とが繋がっているみたいにも思えて、どこまでも希望で溢れて、その希望が広がっていくみたいにも思えた。
立ち上がり、どこか頼りなく僕が歩きかけると「しっかりしろよなぁ」と秋の凛として静かな空気が僕の背中を押してくる。
僕はその見えない力に押されるようにして、いつの間にか鉄棒のまえに辿り着いていた。
なにも考えずに、小さな両手で錆びた鉄の棒を強く握り締めると、急になにかしないといけないと焦ったのか、秋の季節が持つ神秘的で見えない力のなにかのせいなのか、その場でくるりと逆上がりをする。
小さな僕の、小さな体が反転する。
すべての世界が反対に回っていく。
その世界はとても不思議なもので、この世界が反対に回っていくたびに、どこか違う世界との狭間を、僕の心が気持ちよさそうに彷徨っているみたいにも思えた。
金木犀の香りに包まれながら、僕は鉄の棒を握り締めてくるくると時計と反対回りに回転していく。
今はもう逆上がりなんてする機会もなくて、鉄棒というものを見ることも少なくなった。
不意にそのことを、なにかとても寂しく感じた。
大人になってから、無意識に手放してしまったことの一つなのだろうか。
あんなにも無邪気に、鉄の棒を友達みたいに握り締めては、ぶら下がったりもしていたのに。
鉄の錆びたあの懐かしい香りも、あの頃に見たあの不思議な世界も、でもとても薄っすらとではあるが心のなかに今もあるんだ。
まだ心のなかにあることに、そのことに安心感のような、でもちょっとばかり切ないような、そんな気持ちにもなるけれど。
秋になるとまるで自然から街への贈り物みたいに、大人になってからも変わらずに、僕のこの身を吹き抜けていく優しい香り。
金木犀。
秋になるとこの金木犀の香りが、あのころの少年の時代へと僕を連れ戻してくれる。
時が過ぎ、その香りがまた特別なものへと変わる。そんな変化に心から感謝をしたい。
金木犀の癒しを添えて漂う、この香りのなかで目を瞑ると、そこには物語を読むことでその景観が目に浮かぶように、実際にリアルな人の姿が目に浮かんできたりするかのように、いつの間にか、この秋と同じ香りがするどこかまた違う素敵な場所へと、この身を連れていってくれる。
その風景や光景はとても心に光を与えてくれるものだ。
秋の朝焼けのなかで、神々しい山を眺める人がいる。
朝の艶やかな深い緑と金木犀のその香りに包まれながら、朝のウォーキングをする素敵な人がいる。
神聖な朝の静かな風に、優しく吹かれながら。
その優しい人が、秋に吹く風をより優しくしていくのだ。
その日の朝焼けの太陽は夕日の太陽よりも温かくて、心の隅々までその光を届けてくれるみたいな光を纏(まと)っている。
そんな光に照らされている素敵な人がいる。
素敵な人には素敵な人が声を掛けてきて、素敵な人同士で素敵な会話が広がっていく。
ほのぼのとしたその光景を見ているだけで、僕の心までがほのぼのとしてくるのだ。
その光景から溢れる温かい光が僕の心を照らしてくれて、穏やかな心へと変えていってくれる。
金木犀の香りが今度は時空を超えて、遥か彼方の過去へと僕を連れていってくれる。
時代を超えていく。時を超えていく。
いや、それともここは僕が生きている世界とは、またどこか違うもう一つの別の世界なのだろうか。
そこには眩しいくらいに綺麗な自然と、とても美しく流れる川が目の前に広がっていた。
河原に流れる秋の微風(そよかぜ)を感じながら、ゆっくりと辺りを見渡すと、輝く表情でいっぱいの、男の子と女の子の二人の姿が見えてくる。
互いに楽しそうに話をしては、仲良く笑い合っている。なんて幸せそうな二人なのだろう。
とっても微笑ましい。
とっても清々しい。
こうしてそんな二人を見ていると、心が弾むのはどうしてなのだろう。
二人は小学校6年生くらいだろうか?
空の透き通った鏡にそんな純粋な笑顔で包まれる二人の姿が映し出されて、そんな二人の真上にある青い空を見上げると、僕も一緒に笑顔でいっぱいになっていた。
この二人にいつかどこかで出逢ったことがある気がする。
とても懐かしく感じるのだ。
お互いがお互いの夢について、話をしているのかな。
二人が瞳を輝かせながら、互いに夢中になって話をしている様子がとても微笑ましくて、幸せを僕の心のなかに運んでくる。
この二人からの素晴らしい贈り物を大切にしないといけない。
緑の自然から差し込む綺麗な光の流れに、二人はその身を一緒に同じ場所に仲良く置いていることがわかる。
なんて心が通じ合った二人なのだろう。そして、その絆はとても綺麗なものだ。
お互いがお互いのことを、大事に、大切に、思い合っていることがわかる。
二人のこんなにも幸せな笑顔を見ていると気持ちが洗われて、僕までがどんどん表情筋が緩んで、口角がシュッと上がっていく。気が付くと自然に笑顔になっていた。
心がとても明るい。
元気を貰うとはこういうことを言うのだろう。
僕は二人にずっとずっと幸せでいてほしいと、自然にそう願っていた。
僕の存在に気が付いて、彼らが僕のほうを見る。
僕のその気持ちが二人に通じたのか「心配いらないよ。君もだよ」とでも言うかのように、彼らは素敵な満面の笑みとともに、僕に大きく手を振った。
僕は少し照れくさくなってしまって、小さな微笑みとともに、彼らにそっと手を振り返した。
彼らは大きく手を振り返してくれている。
生きる喜びに溢れた、心からの明るい笑顔とともに。
秋に優しく香る、美しい金木犀の香りとともに。
僕は今度は彼らに大きく手を振り返した。
「ありがとう」
その言葉とともに。
2023年11月3日 発行 初版
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幸せが訪れますように…。