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静謐の迷宮・台湾

清水正弘

深呼吸出版



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 目 次


異郷の雨、あるいは頁をめくる音


九份・霧と灯りが織りなす幻想
九份旅情
十份の魅力・ランタン浮遊

天空の隠れ家・猫空(マオコン)
揺れる琥珀の波紋・日月潭(にちげつたん)
朱の迷宮・文武廟(日月潭)

台中・宮原眼科跡
嘉儀のランタンフェス
嘉儀・檜意森活村(ひのき村)

巨樹の森・阿里山森林公園
高雄 時を紡ぐ癒やしの杜・左営慈済宮
台湾の京都・台南 鄭成功所縁の地

潮風と気の調律・基隆
青い海の火星・野柳ジオパーク
時を止めた美の執念・故宮博物院

孫文を偲ぶ・国立国父紀念館
記憶を揺さぶる街・油化街
隠れ郷の秘湯・川湯温泉


異郷の雨、あるいは頁をめくる音

旅の記憶というのは、往々にして、現地で買った絵葉書の色あんばいや、あるいは通り雨の匂いといった、他愛のないものから呼び覚まされる。

私の机の引き出しには、数年前に台北の古本屋で手に入れた、古い文庫本が眠っている。活版印刷の少し凹凸のある文字を指先でなぞるたび、あの街の、湿り気を帯びた生暖かい風が部屋に吹き込んでくるような錯覚を覚えるのだ。

台湾という土地は、訪れる者に「懐かしさの予感」を抱かせる。初めて歩くはずの路地裏なのに、なぜか、ずっと昔にここを知っていたかのような錯覚に囚われる。


軒先に干された洗濯物、原付バイクの騒々しいエンジン音、そして角の食堂から漂う八角と出汁の混ざり合った匂い。それらが渾然一体となって、私たちの内側にある、とうに忘れていた「日常の原風景」を優しく揺さぶる。九份の階段を上ったとき、不意に霧が立ち込めてきた。

周囲の赤い提灯が、乳白色の闇の中にぼんやりと滲んでいく。その光景は、まるで誰かが丁寧に描いた水彩画のようであり、同時に、現実から数センチメートルだけ浮き上がった白昼夢のようでもあった。

茶藝館の片隅で、小さな茶杯から立ち上る湯気を眺めていると、時間の流れがゆっくりと、しかし確実に形を変えていくのが分かる。都会の喧騒の中で私たちがすり減らしているものは、ここでは、ただの心地よい静寂へと昇華されていく。

だが、台湾の本当の魅力は、その景色の美しさ以上に、そこに暮らす人々の「眼差し」にある。
台南の古い市場をあてもなく歩いていたときのことだ。店先に座っていた年配の女性と、ふと目が合った。言葉は通じない。

それでも彼女は、まるで何年も会っていなかった孫を迎えるかのように、ただ、にこりと微笑んでみせた。その微笑み一つで、旅人が抱える見えない緊張の糸が、するすると解けていく。彼らの親切は、押し付けがましくない。ただ、そこにある大気のように自然で、どこまでも温かい。

台湾を旅することは、上質な短編集の頁をめくることに似ている。どこを開いても、そこには人間臭い体温と、ささやかな生活の詩が満ちている。私たちは、その頁の余白に、自分自身の心を少しだけ置いてくるのだ。

だからこそ、旅を終えて日常に戻ったあとも、私たちはまたあの温かい頁を開きたくなる。あの、少し湿った風と、優しい微笑みに会うために。


九份・霧と灯りが織りなす幻想


九份の街に足を踏み入れると、まるで時間が独自の呼吸を始めているかのような錯覚にとらわれるのである。 かつてゴールドラッシュに沸き、やがて静寂に包まれ、そして今、再び世界中の旅人を魅了するこの坂の街には、一言では語り尽くせない重層的な美しさが息づいている。

九份の真骨頂は、その独特な気候と光のコントラストにある。東シナ海からの湿った風がもたらす霧が、街全体を柔らかく包み込む。と同時に夕暮れとともに、急勾配の石段に沿って並ぶ赤提灯に火が灯り、琥珀色の提灯へと昇華していくのである。

濡れた石畳に反射する光は、失われた時代への郷愁を強く呼び起こし、それはまさに、ノスタルジーの極みとも言えるだろう。たとえば、夕暮れ時に茶藝館のテラス席に身を置き、温かい烏龍茶を口に含む瞬間を想像してみてほしい。

眼下に広がる基隆の海と、押し寄せる山々の稜線が貴方の視界を満たしてくれるだろう。そして茶葉がひらく香りと、遠くから聞こえる雑踏のざわめきが、貴方が手にした茶器の中で心地よく溶け合っていくのである。

飲茶が終わったら、メインストリートから一歩外れ、細い路地や階段をあてもなく歩いてみてほしい。観光地化された表通りのすぐ裏には、今も現地の人々の営みが静かに佇んでいる。湯気を立てる芋圓(タロ芋団子)の甘い香りが、旅の疲れを優しく癒やしてくれるだろう。

九份は単なる「写真映えする観光地」ではないのだ。それは、自然の気まぐれと人間の歴史が奇跡的に調和した、静謐な美の迷宮と言えるかもしれない。その美の迷宮にては、ぜひ詩心を優美に解放してあげて欲しいのだ。


九份旅情


坂をのぼるほどに、空気は湿り気を帯びていく。九份という街は、いつも半分ほど霧のなかに沈んでいる。

かつて金を掘り当てた人々が去り、残されたのは、斜面に続く石段と、古い家々の屋根だけだった。

ここは、忘れ去られることで、その美しさを完成させた場所なのだろう。

それはどこか、遠い記憶の底にある明かりに似ている。

夕暮れが訪れると、軒先の提灯にひとつ、またひとつと、滲んだ赤が灯っていく。

濡れた石畳がその光を反射し、街全体がかすかな熱を帯びた迷宮へと姿を変える。



茶藝館の窓辺に座り、ただ雨の音を聴く。


温かい茶が喉を潤すあいだも、眼下の基隆の海は、音もなく暗闇に溶けていく。

聞こえるのは、風の鳴る音と、遠くで誰かが歩く足音だけ。

言葉は多くを語らない。

ただ、湿度を孕んだ風が頬をかすめるとき、

私たちはこの街の孤独と、

それゆえの優しさに、静かに抱かれている。


十份の魅力・ランタン浮遊

十份の空は、いつも誰かの願いで満ちている。

炭鉱の記憶を乗せた古い線路の上で、人々はただ、一枚の紙に思いを託し、それを天へと放つ。

かつて黒いダイヤと呼ばれた石炭がこの谷あいの街を潤し、やがて時代の波とともに静まり返っていたのである。

しかし、十份が放つ独特の熱量は、今も失われてはいない。

線路の両脇すれすれに軒を連ねる古い家々と、そこを縫うように走るローカル線の気動車。その日常と非日常の危うい境界線にこそ、この街の体温がある。

十份の主役は、空へと還る無数の祈りを乗せた、色とりどりの天燈(ランタン)だ。墨をたっぷりと含んだ筆で、それぞれの願いを紙に染み込ませていく。

下から火を灯すと、天燈は自らの意思を持ったかのように、ふわりと膨らむ。

手を離した瞬間、それは重力から解き放たれ、谷を抜ける風に乗ってゆっくりと上昇していく。見上げる空には、先に出発した無数の光の粒・・。

それはまるで、地上の人間たちが放った地上の星々のようだ。

願いが叶うかどうかよりも、その祈りが空へ吸い込まれていく一瞬の静寂に、誰もが言葉を失っている。


天空の隠れ家・猫空(マオコン)


台湾の「猫空(マオコン)」は、せわしない日常の時計を止め、心の呼吸を整えてくれる天空の隠れ家である。 台北の賑やかな中心街からMRTとロープウェイを乗り継ぎ、わずか一時間ほど。 たったそれだけの移動で、目の前にはどこまでも深い緑と、静謐な時間が広がるのである。

旅の始まりは、猫空ロープウェイから始まる。床が透明なガラス張りになった「クリスタルキャビン」に乗り込めば、足元には一面の茶畑、目の前にはせり上がる緑の山肌が広がっている。まるで雲の切れ間を縫うように進む三十分間の空中散歩は、都会の喧騒を一つずつ脱ぎ捨てていくための、贅沢な助走のようでもある。

山頂の「猫空駅」に降り立つと、ふわりと香る茶葉の匂いが出迎えてくれる。ここは台湾有数の銘茶「木柵鉄観音」の故郷でもある。点在する伝統的な茶芸館のテラス席に腰を下ろし、伝統的な作法でゆっくりとお茶を淹れる。

「工夫茶」と呼ばれるその時間は、ただ喉を潤すだけでなく、茶葉がひらくのを待つ心のゆとりを教えてくれるのだ。お茶請けの「茶梅」をかじりながら過ごす時間は、何にも代えがたい贅沢であろう。

夕暮れ時になると、猫空はもう一つの表情を見せてくれる。沈む夕陽が山々を黄金色に染め上げたあと、眼下にはきらびやかな台北盆地の夜景が広がってゆく。遠くにそびえる台北一〇一の灯りを眺めながら、涼しい山風に吹かれる夜。昼間の熱気を残した街を遠くに置き去りにして、静かに更けていく山の夜は、旅人の心を深く癒してくれるだ。


揺れる琥珀の波紋・日月潭(にちげつたん)


旅の途上で出会う景色には、時折、言葉を奪うのではなく、むしろ心の中に眠っていた古い記憶を呼び覚ますような場所がある。台湾の中央、険しい山々に抱かれた日月潭が、まさにそうだった。

早朝、まだ街が眠りから覚めきらない時刻に湖畔へ立つ。霧が低く立ち込め、水面はまるで磨き上げられた巨大な翡翠(ひすい)の鏡のようだ。東の空が白むにつれ、その鏡は徐々に琥珀色へと染まっていく。風がかすかに水面を撫でると、音もなく光の粒が揺れた。

この湖が、東側は「日(太陽)」の形、西側は「月」の形に似ていることからその名がついたという。太陽と月がひとつの水盆に同居しているという事実に、古の旅人たちが覚えたロマンを思い、私は思わず小さく息を吐いた。

遊覧船に乗り込み、ラル島(光華島)へと向かう。船が進むにつれて広がるさざ波を見つめていると、自分がいつの時代を生きているのかが曖昧になってくる。この地は、古くから先住民族であるサオ族の聖地として守られてきた。彼らは白鹿に導かれてこの美しい湖を見つけたと伝わる。

近代になり、日本統治時代には水力発電の拠点として開発され、湖面の水位は上がった。自然の神秘と、人間の営みの歴史。その両方が、この深く青い水の下に静かに沈み、そして溶け合っている。湖畔に佇む「文武廟」から見下ろす景色は、ただただ圧倒的だった。

何重にも重なる山々の稜線が、水墨画のグラデーションのように淡く遠くへと消えていく。その静寂は、都会の喧騒で毛羽立った心のトゲを、一枚ずつ丁寧に押し流してくれるようだった。まさに水平線に消える時の境界とでも言えるだろう。

夕暮れ時、日月潭はもうひとつの表情を見せる。空の色が茜色から深い群青へと移り変わるマジックアワー。対岸の街やホテルの灯りが、水面に長い光の帯となって伸びていく。地元の銘茶である「日月潭紅茶(アッサム種や紅玉紅茶)」を、温かい湯気とともに喉に流し込む。

私たちは、効率や速度ばかりを求める世界に生きている。しかし、ここ日月潭を渡る風は、もっと大きな時の流れに従って動いている。太陽が昇り、月が照らし、水が循環する。そんな当たり前で、しかし最も贅沢な時間を、この湖は静かに、しかし確かに教えてくれるのだ。

宿の窓を開けると、夜の静寂の中に、遠くでかすかな波の音が聞こえた。それは、この美しい水辺が刻む、地球の穏やかな鼓動のようであった。


峻烈なる美意識、朱の迷宮・文武廟(日月潭)


日月潭の北岸に、まるで湖を睥悔(へいがい)するようにして佇む文武廟。

ここは単なる宗教的建築物という枠には収まらない、人間の持つ「静と動」のエネルギーが、台湾の大自然と完璧に融合した奇跡的な空間である。

一歩その敷地に足を踏み入れば、まずその圧倒的なスケール感に圧倒される。中国北朝宮殿様式の建築は、どこまでも緻密で、どこまでも堂々としている。

背後の緑深い山々と、眼前に広がる日月潭の穏やかな青。その境界線に、鮮烈な「朱」と「金」の社殿が峻烈にそびえ立つ。

精巧な石彫の柱や、天に向かって反り返る屋根の曲線。どれ一つとして妥協のない造形が、訪れる者の視線を捉えて離さない。

文武廟の本質的な魅力は、そこに祀られている神々の絶妙なコントラストにある。

■学問の神・孔子(文):思索を促し、人間の内面を深く見つめ直させる静かな知性。

■武の神・関羽と岳飛(武):困難に立ち向かう情熱と、圧倒的な不屈の闘志。

この「文」と「武」という、一見すると相反する二つのエネルギーが同じ空間で完璧に調和している。だからこそ、ここには他にはない濃密な空気感が漂っている。

廟を奥へ、そして上へと進むにつれて、この場所のもう一つの主役が姿を現す。最上段の展望台から見下ろす日月潭は、まるで一枚の壮大な絵画のようである。


台中・宮原眼科跡


時間のひだを歩く

旅の途上、予期せぬ場所で過去と未来が奇妙に、しかし美しく溶け合う瞬間に立ち会うことがある。台湾第一の都市・台中の駅近く、緑川のほとりに佇む「宮原眼科」も、まさにそんな建築だ。

一九二七年、日本人眼科医・宮原武熊氏によって建てられたこの場所は、かつて地域で最大規模を誇る眼科診療所だったという。戦後の激動を経て、一時は廃墟のように取り残されていた赤レンガの遺構が、今では世界中から人々を惹きつける菓子店として息を吹き返している。その再生のあり方が、じつに素晴らしい。

一歩中へ足を踏み入れると、思わず息を呑む。目の前に広がるのは、まるでハリー・ポッターの魔法魔術学校を彷彿とさせる、天高く伸びる木製の書架だ。頭上を見上げれば、古い瓦屋根の代わりに、台中の強い陽光を優しく和らげる幾何学模様のガラス天井が広がっている。

それは、古いものにしがみつくのでもなく、かといって過去を切り捨てるのでもない。歴史という「時間のひだ」をそのまま抱きかかえながら、現代のモダンな意匠を大胆に滑り込ませた、実に見事な空間設計である。

私たちは往々にして、古い建物をただの「過去の標本」として保存しがちだ。しかし、この宮原眼科が教えてくれるのは、建築とは生き物であり、人が集い、新しい記憶が積み重なることで初めて輝き続けるという事実である。

かつて病を癒やすために人々が訪れた場所が、いまや甘いチョコレートやアイクリームを手に笑顔を浮かべる場所へと変わった。これほど幸福な建築の転生が、ほかにあるだろうか。赤レンガの回廊を歩きながら、歴史の重みと現代の軽やかさが心地よく響き合うのを感じる。

台中を訪れるなら、ぜひこの「過去と未来の交差点」に身を置いてみてほしい。そこには、単なる観光地を超えた、建築という芸術が持つ本当の豊かさが息づいている。


嘉儀のランタンフェス


台湾中南部、北回帰線がかすめる街・嘉義。 かつて阿里山の広大な森林から切り出された木材の集積地として栄え、どこかノスタルジックな空気をまとうこの土地が、「台湾ランタンフェスティバル(台湾燈會)」の舞台となっている。

人間の身体を巡る気の流れを見つめてきた「トラベルセラピスト」の視点から、この光の祭典が持つ真の魅力と、土地に秘められた癒しのエネルギーを記述してみたいと思う。題して『地球のツボに灯る、太古の巨木の光』

山道を歩くとき、大樹の前に立つと、言葉にできない圧倒的な「気」に包まれることがある。ランタンフェスでのシンボル的な巨大な光の木もまた、それと同じ生命力を放っていた。三〇分おきに始まる光と音、そして映像のショーは、まるで大地が深呼吸をしながら、地底に眠る記憶を夜空へと吐き出しているかのようだ。

ハイテクな光の演出でありながら、不思議と心を穏やかに静めてくれるのは、そこにサステナブルな自然への敬意が息づいているからだろう。フェスティバルの本質は、単に美しい光を観るだけにとどまらない。

その根底にあるのは、旧正月の満月(元宵節)に邪気を払い、幸福を願ってきた人々の深い信仰心と歴史である。会場には、青森のねぶた師が一ヶ月前から滞在して制作した「台日共鳴 天妃神(媽祖)」の巨大灯籠も並び、日台の神々への畏敬の念が鮮やかに共鳴していた。

広大な夜空に瞬く無数のランタンの光は、未来へと手渡される希望のレガシーであり、私たちの心と身体を深く再生させてくれる、極上のセラピーそのものであった。


新しい価値創造の場・檜意森活村(ひのき村)


南国の強い陽射しが、黒ずんだ瓦屋根の上で柔らかく砕ける。台湾・嘉義の街中に突如として現れる檜意森活村(ひのき村)に足を踏み入れた瞬間、肌をかすめる空気が変わるのを感じる。

そこは、かつて日本統治時代に阿里山の森林開発を支えた営林局の職員宿舎群だ。数十年という歳月の眠りを経て、現代に蘇った木造建築の集落である。

この集落が刻んできた時間の始まりは、一九一二年にまで遡る。日本統治時代に台湾総督府の手によって阿里山森林鉄道が全線開通し、世界屈指の巨木地帯であった阿里山の本格的な森林開発が始まった時代だ。

山から切り出された最高級のヒノキや杉は、鉄道の終着点であるこの嘉義の街へと次々に運ばれていった。その一大林業プロジェクトを支えるため、一九一四年から約三〇年の歳月をかけて建設されたのが、この檜意森活村の前身である「台湾総督府営林局嘉義林場の宿舎区」だ。

広大な敷地には、貴重なヒノキの建材がふんだんに注ぎ込まれた。そこは単なる寝泊まりの場ではなく、明確な階級社会が反映された一つの広大な「村」だった。

最高幹部が暮らす格調高い一戸建ての「所長宿舎」、役職者のための二世帯住宅、そして独身従業員たちのための長屋宿舎。

さらに敷地内には、イギリスのチューダー様式を模した気品ある社交場「営林倶楽部」や共同浴場までが備えられ、当時最新鋭の「内地風」の暮らしが営まれていた。

一歩、敷地へ進むごとに、かすかなヒノキの香りが鼻腔をくすぐる。それは、阿里山が誇った豊かな自然の記憶そのものだ。

きれいに修復された日本家屋が整然と並び、池には錦鯉が泳ぎ、庭木が美しい陰影を落としている。

かつてこの場所で暮らした人々の生活の息遣いが、そのまま真空パックされていたかのような錯覚に陥る。しかし、ここは単なる過去の遺物の展示場ではない。それぞれの家屋の引き戸を開ければ、そこには現代台湾の新しい感性が息づいている。

地元の果物を使った洗練されたスイーツショップ、若き職人たちが手がける手仕事の雑貨店、そしてこだわりの茶藝館。

伝統的な日本の建築美の中に、台湾特有の温かみとモダンなクリエイティビティが絶妙なバランスで溶け込んでいる。

縁側に腰を下ろし、通りを行き交う人々を眺める。浴衣をレンタルして嬉しそうに写真を撮る地元の若者たちや、ノスタルジックな風景に目を細める年配の旅行者。かつて国境や時代の境界線だった場所が、今は人々を笑顔にする穏やかな憩いの場へと姿を変えている。

その光景こそが、この「ひのき村」の本当の美しさなのかもしれない。夕暮れ時、家屋から漏れる橙色の明かりが、木の壁を優しく照らし出す。

過去を否定するのではなく、記憶を大切に抱きしめながら、新しい価値を紡ぎ出す台湾のしなやかな強さ。それを象徴するかのようなこの村は、訪れる者の心を静かに、そして深く満たしてくれる。


肺胞をひらく「緑の漢方薬」・阿里山森林公園


阿里山は、傷ついた現代人の心と身体を調律する、地球上で最も贅沢な「呼吸の聖地」である。

人間の身体を見つめる鍼灸師としての私の目から見れば、台湾のこの鬱蒼たる森は単なる観光地ではない。そこは地球の生命力が地表へと溢れ出す、巨大な「気のツボ(湧泉)」そのものなのだ。

人間の乱れたバイオリズムを瞬時にリセットしてしまうこの地の魅力を、身体感覚の言葉で紐解いてみたい。

標高二千メートルを超える阿里山の森に一歩足を踏み入れた瞬間、まず驚かされるのは空気の「重さ」と「濃度」の変化だ。

頭上を覆いつくすのは、樹齢千有余年を数えるタイワンヒノキの巨木群。彼らが何世紀にもわたって放出し続けてきたフィトンチッドは、もはや単なる樹木の香りではなく、大気中に溶け込んだ濃密な「飲む漢方薬」の風情を呈している。

都会の浅い呼吸に慣れてしまった肺が、冷涼で清らかな空気を求めて自然と大きく広がる。深く息を吸い込み、そして吐き出す。

ただそれだけの行為が、滞っていた全身の血流をめぐらせ、細胞の隅々までエネルギーを注ぎ込んでいく。これこそが、大自然がもたらす最高のトラベルセラピー(癒し術)にほかならない。

夜明け前、漆黒の闇を切り裂くように走る阿里山森林鉄道の小さな車体に身を揺らす。ジグザグに坂を登るスイッチバックの特異な振動は、不思議と不快ではない。

むしろ、山肌にしがみつきながら一歩一歩高度を上げていくその規則正しい揺れは、人間の母親の胎内にいるかのような、原初的な安心感を抱かせる。

車窓の景色が熱帯のガジュマルから、温帯のヒノキへとめまぐるしく変わる。それは、数時間で数千
キロの旅を疑似体験するようなものであり、脳の硬くなった認知の枠組みを心地よく解きほぐしていく。

祝山の展望台に立ち、冷気に身を震わせながらその瞬間を待つ。眼前に広がるのは、五臓六腑を圧倒する文字通りの「雲の海」だ。

山々の谷を埋め尽くす白い波は、地球の大きな呼吸に合わせてゆっくりと脈動しているように見える。

やがて、山稜から放たれる強烈な太陽の光。視神経を通じて脳へとダイレクトに届くその黄金の光線は、夜型の生活で狂ってしまった人間の体内時計を、強制的にかつ優しく「朝」へと同期させる。

この雲海とご来光のセットは、人間の交感神経と副交感神経のスイッチを切り替える、最高のスリリングかつ完璧な自然のプログラムだ。

日の出ののち、霧が立ち込める巨木群の遊歩道を歩く。数千年の星霜を生き抜いてきた「神木」の幹に、そっと手のひらを当ててみる。冷たく、しかしどこか温かい。

その瞬間、自分のなかの「時間軸」が揺らぐのを感じる。私たちが日々汲々としている締め切りや、人間関係の摩擦など、この木の歴史に比べればほんの一瞬のまたたきにすぎない。

何かを付け足すための旅ではない。むしろ、心に溜まった余計な澱を「捨てる旅」が、この阿里山では完成するのだ。

現代社会という名の慢性的な低酸素状態から抜け出し、本当の「心身の再生」を遂げたいと願うなら、阿里山へ向かうといい。

一泊二日の滞落がもたらす効果は、いかなる名医の処方箋をも凌駕するのだから。


時を紡ぐ、癒やしの杜・左営慈済宮 (高雄)


慈済宮(じさいきゅう)の魅力は、何百年もの時を超えて息づく「生きた祈りと、圧倒的な意匠の融合」にある。台湾の歴史的な廟宇(びょうう)である慈済宮は、医学の神様である「保生大帝」を祀る、まさに人々の心と体を癒やす聖地。

病に苦しむ者、家族の健康を願う者たちが、何百年もの間、変わらぬ切実さで手を合わせ続けてきた「生きた祈りの場」なのだ。見上げれば、歳月に磨かれた柱や壁が、人々の吐息を吸い込んでなお、温かみを持って私たちを迎え入れてくれる。

慈済宮を語る上で外せないのが、屋根や壁面を彩る「交趾焼(コーチやき)」の美しさだ。色鮮やかな釉薬(ゆうやく)を纏った陶片や彫刻が、陽の光を浴びてまるで生命を得たかのようにきらめいている。細部を凝視すれば、躍動する龍の鱗、伝説の英雄たちの豊かな表情が、驚くほどの緻密さで表現されていることに気づく。

名もなき職人たちが神への敬意を込めて削り、焼き上げたその意匠。それは、気が遠くなるような手仕事の積み重ねであり、時を超えて私たちが受け取ることができる至高の芸術品そのものである。

夕暮れ時、廟に灯りがともると、堂内はさらに幻想的な光に包まれる。地元の老人が静かに拝礼し、その横を若い旅人が通り過ぎていく。過去から未来へと絶え間なく流れる時間の中で、慈済宮はただそこに佇み、訪れる者すべてを等しく包み込んでいる。

旅の終わりに、私たちは気づく。この場所で癒やされるのは、身体の不調だけではない。歴史の深みと、人々の純粋な祈りの形に触れることで、私たちの乾いた心そのものが、そっと潤されていくのだ。ここは、過去と未来を結ぶ、静謐な時空間といえるだろう。

創建年代については、清代の一七一九年に編纂された『鳳山県志』に記述が残る、三〇〇年以上の歴史を誇る古廟である。台湾の他の慈済宮と同じく、ここも保生大帝を主祀としている。もともとは左営の別の場所にあったが、日本統治時代に旧日本海軍の「左営軍港」を建設する区域に入ったため、立ち退きを余儀なくされている。その後、激動の時代を経て一九五九年に現在の蓮池潭のほとりへと移転・再建されたのである。

現在の建物は比較的近代に建て直されたものだが、堂内は中国南方の伝統的な職人技が凝縮されている。天井を見上げれば、釘を一本も使わずに木組みを重ねた「藻井(そうせい)」と呼ばれるドーム状の美しい天井建築が広がり、赤と金箔で彩られた細密な彫刻が施されている。華麗な道教建築といえるだろう。

慈済宮のすぐ目の前の湖に浮かぶ、高雄最大の観光名所である「龍虎塔(りゅうことう)」は、実はこの左営慈済宮が管理・所有している建造物である。龍の口から入り虎の口から出ることで「己の罪を滅ぼし、福を呼ぶ」とされるこの塔は、慈済宮の建築・思想の延長線上にある象徴的な存在なのだ。


鄭成功


多くの古寺廟や近代的建造物が併存する台南市は、「台湾の京都」と呼ばれている。何とも言えない風情と趣があり、随所に台湾四〇〇年の足跡が残されている。中でも至る所で目にするのが、十七世紀半ばに台湾を支配していた鄭成功所縁の史跡である。

鄭成功と言えば、近松門左衛門の人形浄瑠璃「国姓爺合戦」の主人公のモデルで知られる。長崎県で中国人と日本人のハーフとして生まれ、七歳の時に父親の鄭芝竜の故国である中国に行き、その後、文武の道を究め、軍人となる。

「反清復明」をスローガンに、当時、滅亡の淵にあった明朝の再建に向けて孤軍奮闘し、清朝に徹底抗戦を挑みながらも大敗を喫し、勢力立て直しのために台湾に向かった鄭成功は、一六六一年四月、この地を占拠していたオランダを駆逐し、鄭氏政権を樹立して、今の台南市を「大陸反攻」の本拠地とした。

三九年という短い生涯だったが、台湾では、孫文、蔣介石と並んで「国神」として崇められており、中国でも英雄扱いされている。台南市には、そんな鄭成功の歴史的遺産が数多く残っているが、中でも観光客に人気なのが、オランダ人によって築城された赤煉瓦造りの楼閣「赤嵌楼」である。

「紅毛楼」とも呼ばれ、原名は「プロヴィンティア」、鄭氏政権の時に「東都承天府」に変り、その当時、行政庁舎として使われた。国家1級古蹟に指定されており、台南市のシンボルとなっている。

その赤嵌楼の中に1人の日本人の胸像が置かれている。日本統治時代末期に台南市長を務めた羽鳥又男である。これは奇美実業のオーナーである許文龍の作品で、羽鳥の生誕百年を記念して二〇〇二年四月に寄贈されたものである。


潮風と「気」が調律する港町・基隆


台湾の北の果て、太平洋の荒波をせき止めるように突き出た湾がある。基隆(キールン)――かつて内台連絡船「蓬莱丸」や「高千穂丸」が接岸し、無数の日本人が台湾という未知の熱帯へ最初の一歩を踏み出した、海の玄関口だ。

同時に、日本統治下の時代には、青年の志を抱いた台湾の若者が、この港から心を躍動させながら、北(日本)へと向かう航路に身をまかせていたことだろう。

台北からわずか四〇分ほど車を走らせただけだというのに、車窓を流れる空気の重みがガラリと変わる。山が海へと直接落ち込むような険しい地形のせいで、ここはいつも雲を呼び、雨を降らせる。

「雨の港(雨港)」と呼ばれるこの街に一歩足を踏み入れると、しっとりとした湿気が、まるで古い記憶を呼び覚ますかのように肌にまとわりついてきた。この基隆という街は、地球の呼吸がそのまま形になったような、不思議な生気に満ちた場所に思えてならない。

新しき色彩と、古き静寂。その境界線に立ち、雨混じりの潮風に吹かれていると、時間の感覚が心地よく麻痺していく。

近代化のスピードの中で私たちが置き忘れてきた、大地の起伏、海の匂い、そして人間の生々しい営み。基隆の路地をただ歩くだけで、私の身体のバイオリズムは、自然と本来の健やかな調律を取り戻していくようだった。

かつてこの港に降り立った先人たちも、きっとこの激しい雨と潮風に、同じように心を震わせたに違いない。


風と波が紡いだ、青い海の火星・野柳ジオパーク


台北の喧騒を離れ、マイクロバスに揺られること約一時間。車窓の景色が険しい緑から一気に開け、目の前に鮮烈な東シナ海が飛び込んできたとき、そこが台湾北海岸の岬、野柳(やりゅう)ジオパークの入り口だった。

一歩足を踏み入れると、そこには地球の常識を覆すような光景が広がっている。アメリカのCNNが「地球上で最も火星に似ている土地」と評したというのも頷ける。

赤茶けた大地に、無数の奇岩怪石がニョキニョキと首をもたげているのだ。それはまるで、異星の荒野に迷い込んでしまったかのような、不思議な錯覚を抱かせる。

かつて数千万年前に海底で眠っていた砂岩の層が、プレートの衝突によって押し上げられたのが約六〇〇万年前。

そこから途方もない歳月をかけ、激しい突き刺さるような北東季節風と、容赦なく打ち寄せる荒波が硬い岩肌を削り、削り、削り続けてこの造形を生み出した。人間の一生など一瞬にすぎないと思わせる大自然の彫刻が、そこにはただ静かに佇んでいた。

● 砂時計の上の気高き女王

この広大なオープンエアーの美術館で、誰もが足を止める特別な存在がある。かの有名な「女王頭(クイーンズヘッド)」だ。気高く、すっと一本の筋が通った細い首。気品に満ちた横顔と、後ろで高く結い上げた髪。

それはまさに、遠い異国からこの海岸線を見つめ続ける本物の女王のシルエットそのものだった。大自然が偶然の悪戯で創り出したとは信じがたいほどの完璧な美しさが、そこにはある。しかし、この美しさには切ないタイムリミットが刻まれている。

風化と侵食は今この瞬間も止まることなく進んでおり、彼女の細い首は年々さらに細くなっているという。いつかその頭部を支えきれなくなる日が来る――。そう知って改めて見上げる女王の姿は、どこか儚く、だからこそ息をのむほどに美しい。

私たちは今、何千年も続いた地球のドラマの、もっとも贅沢な一瞬を立ち合わせてもらっているのだ。女王の厳かさに圧倒されたあとは、少し視線を落として歩いてみる。

マッシュルームロックと呼ばれるキノコ型の岩たちが、まるで楽しげな妖精のようにあちこちに群生している。

岩肌をよく見ると、ハチの巣のような無数の穴が刻まれていたり、まるで波がそのまま固まったかのような美しい地層の縞模様が走っていたりする。岬の奥へと進むと、片側が切り立った絶壁、もう片側が緩やかな傾斜になった「ケスタ」と呼ばれる不均等な山が見えてくる。

その下には、激しい波が白い飛沫を上げては引いていく海食崖が広がっている。潮風が髪を揺らし、塩の香りが鼻腔をくすぐる。

耳を澄ませば、ゴロゴロと岩が擦れ合う音と、轟々という波の音だけが響いている。ここにあるのは、人間の手では決して再現できない「時間の重み」そのものだ。

台北の華やかな夜市や古い街並みも魅力的だけれど、野柳で過ごす時間は、私自身のなかの何かを静かにリセットしてくれるような感覚があった。

地球が生きていること、そして私たちがその表面の、ほんの刹那を生きていること。そんな壮大な旅の記憶を、野柳の風は今も私の心に刻み続けている。


時を止めた美の執念・故宮博物院


台北の喧騒から少し離れ、陽明山の麓へと進む。

緑豊かな山容に抱かれるようにして現れる壮麗な中国宮殿様式の建築、それが国立故宮博物院である。

一歩足を踏み入れれば、そこは数千年に及ぶ中国歴史の美が集約された、巨大な記憶のタイムカプセルである。

ここにあるのは、単なる古い道具や美術品の羅列ではない。権力者たちが追い求め、職人たちが命を削って具現化した「美への異常なまでの執念」だ。

象牙を何層にも削り出し、球体の中にまた動く球体を作り上げた「象牙多層球」の前に立つと、人間の手技が到達し得る極限に目眩がする。

ただの透き通るような白ではなく、精緻な彫刻の陰影が織りなす空間は、鑑賞者を人工の小宇宙へと引きずり込む。そこには、時間を忘れさせるだけの圧倒的な力が宿っている。

誰もが知る「翠玉白菜」や「肉形石」も、実物を目の前にするとその瑞々しさに驚かされる。自然が偶然生み出した石の色の濃淡を、職人が見事に利用して命を吹き込んだ。

その機知とユーモアに触れたとき、遥か昔の職人と時空を超えて視線が交差したような錯覚に陥る。

そして、宋代の青磁が放つ「雨過天青(うかてんせい)」の輝き。雨上がりの雲の切れ間にのぞく空の色を再現したというその青は、静謐で、どこまでも深い。

何百年もの時を経てもなお、その色褪せない美しさは、見る者の心の雑音を静かに消し去っていく。

故宮の魅力は、国宝の放つ至高のオーラに圧倒されながら、同時にそれを生み出した人間の営みの温かさや息遣いを感じられる点にある。

ガラスの向こうの静かな宝物たちは、今もなお、訪れる人々に無言の、しかし雄弁な物語を語りかけ続けている。


※ 故宮博物院の展示物に関しては、別途フォートフィールド本を作成している。次のアドレスから閲覧可能である。


建国の父・孫文 国立国父紀念館

台北の空を突く「台北一〇一」の近代的なシルエットから、ほんの少し視線を落とす。そこには、まるで時を止めたかのように佇む巨大な黄色い瓦屋根がある。国立国父紀念館だ。

ここは、台湾で「国父」と仰がれる革命家・孫文の生誕一〇〇年を記念して一九七二年に建てられた場所である。一〇〇元札に描かれたあの穏やかな眼差しの人物、と言えばピンとくる人も多いかもしれない。

一歩敷地へ足を踏み入れると、そこは緑豊かな「中山公園」が広がっている。台北という街の活気あふれる喧騒の中にありながら、不思議なほど緩やかな時間が流れるオアシスのような場所だ。

広場では地元の若者がダンスの練習に励み、老人たちが散歩を楽しみ、子供たちが凧を揚げている。歴史を背負った重厚な建築の足元で、あまりにも平和で等身大な日常が営まれている。そのコントラストが、たまらなく愛おしい。

堂々たる中国宮殿風の本館へ進むと、高さ約五・八メートルにも及ぶ孫文の巨大な座像が静かに、しかし圧倒的な存在感で出迎えてくれる。

ここで多くの旅人を魅了するのが、一時間ごとに行われる衛兵交代式だ。一糸乱れぬ動き、大理石の床に響き渡るブーツの音。静寂に包まれる空間の中、若い衛兵たちの張り詰めた一挙手一投足に、思わず息を呑む。

この「國父紀念館」という場所は、歴史を学ぶだけの博物館ではない。台北の人々の過去、現在、そして未来の日常がごく自然に交差する、街のあたたかな呼吸そのものなのだ。


遠い記憶を揺さぶる街・油化街(ディーファジエ)


油化街(ディーファジエ)の空気は、いつもどこか遠い記憶の底を揺さぶる。

台湾・台北の北西、淡水河の古い港から始まったこの街に一歩足を踏み入れると、まず匂いが五感を支配する。漢方の生薬、干し椎茸やスルメといった乾物の濃厚な薫り、そして時折混ざる香ばしい茶葉の匂い。

それらが熱気を含んだ台湾の風に溶け合い、街全体を分厚い層のように包み込んでいる。通りを見上げれば、バロック調の彫刻を施した赤レンガの洋館がどこまでも続いている。間口は狭く、奥行きが驚くほど深い「手長エビ」のような長屋造りの建物たち。

かつて富を築いた商人たちの栄華が、剥げかけた漆喰や細密なレリーフの隙間に今も息づいている。ここはただの古い商店街ではない。十九世紀から続く交易の記憶が、そのまま現代の日常として呼吸している場所だ。

老舗の店先には、麻袋から溢れんばかりのクコの実や、見たこともない樹皮のような漢方が山積みになっている。天秤ばかりを操る店主の横顔には、何世代もこの地で商売を続けてきたプライドが滲む。

しかし、油化街の本当の面白さは、その頑なな古さのすぐ隣に、驚くほど軽やかな「新しさ」が同居している点にある。古い米蔵や木材商の跡地をリノベーションしたお洒落なカフェ。

若きクリエイターたちが営む、台湾の伝統モチーフを現代風にアレンジした雑貨店。古いレンガの壁に、モダンなデザインの照明が柔らかい光を落とす。

過去を切り捨てるのではなく、過去の上に新しい創造性をそっと接ぎ木するような、台湾の人々の優しい知恵がそこにある。

通りの中心に鎮座する「霞海城隍廟」には、今日も途切れることなく参拝者が訪れる。立ち上る線香の煙の向こうで、熱心に手を合わせる若者たちの姿がある。

縁結びの神様に祈るその真剣な眼差しは、どれだけ街がモダンに変わろうとも、人々の心の拠り所が変わらないことを教えてくれる。

油化街を歩くことは、時間を旅することに似ている。からすみを商う威勢のいい声を聞きながら、冷たい台湾茶をテイクアウトし、百年前のテラス席で一息つく。

新旧の熱量が混ざり合い、発酵を続けるこの街には、旅人が求める「生きた台湾」のすべてが詰まっている。


隠れ郷の秘湯・川湯温泉


台北の奥座敷、陽明山(ようめいさん)のふところに抱かれた「川湯温泉」。

硫黄の香りが立ち込める渓谷沿いには、日本の温泉街を思わせる石畳の路地が伸び、赤提灯が怪しいまでの情緒を放っている。

都会の喧騒からほんの少し離れただけで、別世界に迷い込んだかのような錯覚に陥る場所だ。荒々しい岩肌からもうもうと湯煙が上がり、川のせせらぎと混ざり合う。

ここの泉質は強酸性の白濁した湯。肌に触れるとピリリとする刺激がありながらも、湯上がりには驚くほど滑らかな素肌が待っている。

大地そのもののエネルギーをダイレクトに浴びているような、圧倒的な生命力を感じる瞬間だ。熱い温泉で火照った身体を冷ましながら、夜風に吹かれる心地よさは格別。

提灯の明かりが水面に揺れるのを眺めていると、ふと台湾のローカルな夜の匂いに包まれる。温泉の余韻に浸りつつ、地元の食材を活かした料理や台湾式のお茶を味わう時間もまた、ここを訪れる大きな愉悦の一つだ。

観光地化されすぎない、どこか生々しい風情と力強い自然が交差する台北の隠れ家。ただ静かに湯に身を沈めるだけで、身体の奥底に溜まった澱(おり)がすっきりと洗い流されていく。


静謐の迷宮・台湾

2023年11月23日 発行 初版

著  者:清水正弘
発  行:深呼吸出版

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清水正弘

二十歳の時にダライ・ラマ十四世と個人的に出会った事が、世界の山岳・辺境・秘境・極地へのエスノグラフィック・フィールドワークへのゲートウェイだった。その後国内外の「辺(ほとり)」の情景を求めて、国内外各地を探査する。 三十歳代にて鍼灸師と山岳ガイドの資格を取得した後は、日本初のフリーランス・トラベルセラピストとして活動を始める。そのフィールドは、国内の里地・里山から歴史的、文化的、自然的に普遍価値を有する世界各地のエリアである。 また、健康ツーリズム研究所の代表として、大学非常勤講師を務めながら、地方自治体における地域振興のアドバイザーとしても活躍している。 日本トラベルセラピー協会の共同創設者でもある。

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