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フットパス実践録
2021~2023

中四国フットパス推進研究所
代表:清水正弘

深呼吸出版

 
目 次

風土の在来知を識る
景観の持つチカラ
フットパス研究の最前線

二〇二二年における広島県安芸太田町での取り組み
二〇二二年・広島県安芸太田町にての年間トライアル
 第一回実践レポート(実践翌日に記載文から)
 第二回実践レポート(実践翌日に記載文から)
 第三回実践レポート(実践翌日に記載文から)
 第四回実践レポート(実践翌日に記載文から)
安芸太田町にてのトライアル後での検討課題

二〇二三年の取り組み

環・太田川フットパス
 第一回実践レポート(実践後の記録より抜粋)
 第二回実践レポート(実践後の記録より抜粋)
 第三回視察時レポート(視察後の記録より抜粋)
 第四回視察時レポート(視察後の記録より抜粋)

島根県邑南町フットパス
 第一回実践レポート(実践後の記録より抜粋)
 第二回実践レポート(実践後の記録より抜粋)
 第三回実践レポート(実践後の記録より抜粋)
 第四回実践レポート(実践後の記録より抜粋)

帝釈峡フットパス
 第一回実践レポート(実践後の記録より抜粋)
 第二回実践レポート(実践後の記録より抜粋)

二〇二一年~二〇二三年・三年間の歩み
主催・共催及び協力関係者

風土の在来知を識る

昭和を代表する民俗学者・宮本常一氏は、著書『民俗学の旅』の中で次のようなことを語っている。

「私は長いあいだ歩きつづけてきた。そして多くの人にあい、多くのものを見てきた。それがまだ続いているのであるが、その長い道中の中で考え続けた一つは、いったい進歩とは何であろうか、発展というのは何であろうかということであった。すべてが進歩しているのであろうか。

停滞し、退歩し、同時に失われてゆきつつあるものも多いのではないかと思う。失われるものがすべて不要であり、時代おくれのものであったのだろうか。進歩に対する迷信が、退歩しつつあるものをも進歩と誤解し、時にはそれが人間だけでなく生きとし生けるものを絶滅にさえ向かわしめつつあるのではないかと思うことがある。」

昨今は、コモンズ(Commons=共有財)についての論議が盛んになってきている。日本においては一九七〇年の大阪万博時に『人類の進歩と調和』がメインテーマと謳われていた。しかし、『進歩』については科学的技術の革新などに注目が当たっていたが、『調和』についてはほとんど深く言及されることはなかったと記憶している。

日本中を歩きながら民俗学的フィールドワークとともに、絶えず環境・風土の中に息づく『在来知』や『伝統知』の世界にスポットライトを照射してきた宮本氏は、風土(自然環境・社会的環境・歴史的環境)と調和しながら営みを繰り返してきた庶民の『在来知・伝統知』の奥深さを後世に伝えようとしていたのだろう。彼は、二十一世紀のSDGs社会への思考を促す先鞭者でもあるだろう。

この宮本氏と同じような考えが、十九世紀のイギリスにても静かに流布されていたのである。イギリスには、日本の入会地(総有地や共有地)に相当するコモンズが全国至るところにあった。コモンズは隣接する村落共同体に住む人々が一定のルールのもとに共同使用する場である。そこへ通ずる道はコモンズの成立期からあったと考えられている。時代が下がって、特に十八世紀後半に始まった産業革命の後、各地で勃興した産業資本家、貴族などにコモンズを奪われていったのである。いわゆる土地の囲い込み(エンクロージャー Enclosure)である。

十九世紀に入って囲い込みの撤回を求める運動が各地で起こされ、裁判の結果、かつて地域住民が通行していたことが証明された土地の道はパブリック・フットパスとして認められた。そのような道には歩く権利があるというわけである。このパブリック・フットパスは、産業革命によって田舎から都市部へと工場労働者となっていった人々にとって、余暇時間を過ごす最良の空間にもなっていくのである。それは、自分たちの出自であるカントリーサイドの風土などを見つめ直す機会になっていくのである。

法的には一九三二年制定の「歩く権利法」によって誰でもパブリック・フットパスを歩くことができるようになっていき、戦後の一九四九年には、「国立公園・アクセス法」の制定によって、この権利がより強固なものになったのである。

そして、現代においてのフットパスとは、地域にある『なにげない風景』の中を歩くというSDGsに沿うスタイルでのツーリズムスタイルにも昇華しているのである。過度な風景改変や、新たなハード構築物などは一切おこなわず、化石燃料を一切使用しないツーリズムスタイル(自らの足が動力源)は、サスティナブルな循環型ツーリズムとして今後注目を浴びていくことであろう。

また、地域に住まう人達が継承・伝承してきた、在来知や伝統知の結晶を求めて自らの足で歩く行為は、訪れる側にとってのトラベルセラピーであると同時に、迎える側(農村・山村・漁村などのカントリーサイド)にとっても、自らの生活背景への見つめ直しにも繋がっていくのである。

景観の持つチカラ

日本フットパス協会理事である神谷由紀子さんは、著書の中で『景観の持つチカラ』について下記のように記述されている。

===

いい風景を繋いだコースは、歩く過程が心地よく誰にでも受け入れられる。子供のころにみたような原風景や心に焼きついた心象風景は、人の心を掴んで離さない。春にあの花を見たが秋はどうなっているだろうか、いや、自然は一週間で趣が変わってしまうので、一度気に入ったコースは月に何度も行ってしまう。そして、その地域の魅力に惹き込まれ、ファンとなり、ついにはその土地に住みついてしまう人も多いだろう。

町田の例で言えば、フットパスのリビーター率は八十%を超えることがわかっている。では名所旧跡はどうするか?フットパスでは、まず景観的にいいみちを繋いでメインルートとしてから、ルートから漏れる近くの名所を副ルートとして取り込む。すると名所旧跡も、観光として訪れるよりも、周囲の景観や歴史とあいまって印象の強い新鮮な体験として忘れられない旅になる。

まだ日本では十分理解が進んでいないが “景観” というのは本当に大きな力があることを私たちは痛感している。不思議なことに小野路などの里山の風景には里山に育ったことがない人や、外国人でさえも魅了する。人間の生物としてのDNAが記憶している景色なのかもしれない。

※ 上記の『小野路』とは神谷さんが活動されている、東京都町田市にあるフットパスのフィールド名である。

フットパス研究の最前線

フットパスに関する研究では、若手第一人者であろう廣川祐司氏・北九州市立大学 基盤教育センター准教授の論文(下記参照)に考えさせられる文言が記述されている。
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『研究の目的』

本研究の本質は、地域住民が地域の豊かな自然環境を資源として認識しなくなった現状において、豊かな自然資源しか無いような地域社会はどのような方法によって地域活性化を達成すれば良いのかということである。現代社会においては、里山や豊かな自然環境を良好な状態で保全していくことが社会的な要請となっているが、そこに住まう住民にとっては、これらの地域資源はもはや生活に必要なものではなく、あえて管理・利用しようとすると多分にコストがかかり、自分たちの生活に支障をきたす恐れがあるものとなってしまっている。

このコストを住民自らが引き受けるに値する、地域資源の活用方法とはいったい何なのかについて明らかにし、そのための仕組みづくりを検証することが本研究の目的である。その際、地域活性化とは何なのか、また持続可能な地域社会となるための条件とは何なのかを考慮する必要がある。概して、地域活性化というキーワードが使用される際、最初にあがるのが「地域経済の活性化」である。

しかし、フットパス研究で言及する地域活性化とは、あくまで地域住民の「生活の質(Quality of Life)」の向上である。地域社会におちるお金の量や地域社会に流通する貨幣の量は、あくまでも付随的な効果として認識し、「地域経済の活性化」を達成することを地域活性化の条件として目的化することはしないということを、研究論文の最初に付記しておきたい。
=======

彼も、地域活性化の基本は、経済活性化ではなく、地域住民の『生活の質(Quality of Life)』向上にあると訴えている。生活の質(Quality of Life)の向上、という言葉も曲者ではある。物質的・経済的に豊かになるのが『生活の質向上』と捉える人はまだ多数派であろう。しかし、コロナ禍や気候変動、そしてSDGs活動などによる意識変化は、ここ数年で各段に質量ともにスピードアップしている。

過疎地に居住する者として、最近とみに感じるのは、『意識レベルの高いⅠターン者による諸展開』は増加傾向にある、ということである。それも、高度経済成長後の一九七〇年代後半以降に誕生した五〇歳前後・それ以下の世代の活躍である。田舎での高度経済成長期以前の景色を見てきた、現在七十歳代~八十歳代になった人たちから、ナマの話を傾聴するという試みも盛んになってきている。

言ってみれば、『語り部とのオープンダイアローグ(開かれた対話)』による、物言わぬ土地を相手にした、より深く、広く、そして丁寧におこなう『風景カウンセリング』のような活動展開も見られている。このような試みは、地域に住む者へ、『生活の質(Quality of Life)』と『本質の価値(well-being=ウェルビーイング)』の向上へ確実に寄与できるだろうと強く思うのである。


二〇二二年における広島県安芸太田町での取り組み


二〇二一年末くらいに、安芸太田町の地域商社(半官半民の地域振興組織)が中心となって、広島県で初のフットパス活動に取り組むことになった。中国四国フットパス推進研究会が立上げられ、二〇二二年一年間を取り組みの『トライアル年』と定め、各種のトライアルコース設定に向けた取り組みがスタートした。

中国四国フットパス推進研究会が中心となり、二〇二一年一二月からトライアルコース設定の視察を町内各地にて開始されたのである。以下にその際の視察記録などを紹介しておこう。




フットパスリサーチ 

今日(二〇二一年一二月一四日)の午後は、月例ウォークのエリア最後になる、殿賀地区のコースをリサーチした。地元の月例ウォークのコースは、イベント的な『もみじウォーク』と『龍姫湖コース』を除けば、エリア的には五カ所である。すでに先達さんらが、健康増進ウォーキングのコースとして十年以上に渡って住民主導で毎月の行事となっている。

この地域住民主導のスタイルと、コース作りを参考にさせていただきながら、フットパス構想ネットワークを前進させることができればとの思いである。今日で、その五つのエリアを一応は踏査できたのである。その結果私自身に大きな変化が生じている。それは、『なんと豊富な地域資源に囲まれていたんだ』、『地域の事をもっともっと知らなくては』といった心の内部変化である。こんなに徒歩・自転車圏内に『ささやか』で『小振り』ではあるけれど、しっかりと『営みの痕跡』が感じられる場所が多く点在していたのである。

ただ、地域外のさまざまな世界を見てきたからこそ、足元の『なにげない魅力の再発見・再発掘』ができているのかもしれないと思う。さて、今回の殿賀コースにおいての、私なりのガイディングスポットは下記のようになる。

(一)医療・保健地域包括センター=地域の拠点
(二)太田川と山岳景観=里山と里川の恵み
(三)クローバータウン=ダイバーシティへの取り組み
(四)水害被害碑=地形と気候に寄り添う生活の知恵
(五)八幡宮=流鏑馬の歴史的行事 ※ 日本一大きな石灯籠
(六)細い路地=ささやきの小径、と名付けた。
(七)猿除けスピーカー=人と野性との共生
(八)社倉=江戸時代の食料貯蔵庫・在来知
(九)教念寺=境内案内、お話し
(十)逆杉=珍しい杉

※ このコースでは、もう少し距離を伸ばして『道の駅』と繋ぐ、もしくは『加計の町・月ケ瀬温泉』と繋ぐというリセッティングも考えられる。
※ 安芸太田町は、意外にも湯処なのである。全国的に名をしられてはいないが、町内に数カ所湯処がある。その湯処をゴール地点とし、フットパス+湯っとバス(Bath)、なんてネーミングも考えられるかもしれない。

いずれにしても、先達が活動されている月例ウォーキングのコース(一部を除き)のリサーチは終了である。これからは、この既存コース以外の新設コースセッティング(さまざまな体験プログラムと併せたり、既存の活動とのコラボ展開など)のアイデアを考案していかなければと思っている。その知恵を拝借する時間も町内外にてセッティングしている。

※このレポートは、視察終了後に記録したものである。なお、他のコースにおいても視察終了後にレポートしているが、ページ数の関係で省略している。

二〇二二年・広島県安芸太田町にての年間トライアル

二〇二二年には広島県安芸太田町内にて、フットパストライアルを四コース設定している。ラインアップは次の通りである。

(一)花の駅から桜名所(与一野)めぐり、
(二)アジサイロードから深入山周回めぐり、
(三)恐羅漢セラピーロードから三段峡めぐり、
(四)津浪地区から龍姫湖めぐり。

それぞれ、四季の季節変化に添わせながらのルート選択である。また、安芸太田町内において地域性の偏りのないスポット選択にも心掛けている。

では、それぞれ実施時のレポートを写真を中心に紹介しよう。

第一回実践レポート(実践翌日に記載文から)

広島県初! フットパス・トライアル

昨日は記念すべき『フットパス・トライアル』第一弾実践日であった。広島県初の認定団体・安芸太田町ヘルスツーリズム協議会・地域商社・旅行業者などが知恵を出し合い二十九名(コロナ仕様大型バス満席)の集客となった。

フットパスとは、イギリス発祥の『歩きながら地域のなにげない風景を満喫する』というコンセプトでの地域活性化プログラムである。安芸太田町では、今年一年かけて行政・外郭団体・町民からの意見や希望を募り、協議を重ねた上で登録トレイルの策定作業をしていくことだろう。

〇 移動のバス車中にては、

『加計の町名由来』
『加計家(隅屋)とたたら製鉄』
『芸藩通志・都志見往来記』における町内記述
『太田川の河川交通の歴史的背景』
『JR可部線の歴史』などをお話しした。

〇 トレイルのポイントにては、

『戦国武将・小田一族や家臣・猪一族の来歴』
『沈下橋周縁でのアユ漁など人の営み』
『栗栖一族や厳島勢の領土背景』
『寺領という土地名に纏わる歴史的背景』
『那須与一の晩年物語』などをガイダンス。



もちろん、旬の季節である『桜』を初めとする花の名所ではたっぷりと鑑賞時間をとって満喫した。復路の車内にては、安芸太田町の特産物や地域の名物などを紹介し、町内の『道の駅』でのお土産物購買にも少しは貢献できたと思う。

また、ありがたいことに往路の道の駅にては、安芸太田町の橋本町長が出迎えてくださり、歓迎のご挨拶もいただいた。さらに、地元・中国新聞北広島支局長の与倉さんが午前の部を同行取材され、その新聞記事が本日朝刊に掲載されている。※新聞記事写真は、別途記載している。

※なお、第一回目から第四回目にわたり、実践後には詳細を記録したレポートを主催母体組織と共有しているが、ページ数の関係にて全てを掲載できない。さらに、第二・三・四回目のレポートは簡単なダイジェストとなっている。

安芸太田町長も出迎え行事に参加
午前中のコース
午後のコース


第二回目実践レポート(実践後のレポートから)

梅雨入り後の貴重な晴れ間に、総勢二十一名にて無事に終了することができた。今回は、山焼きが行われる深入山の周縁を巡るトレイル歩き。その途上にて、知人が再生活用している古民家(築一〇〇年以上)なども訪問した。

現在では限界集落になりつつある、(旧戸河内町・小板地区)の生活習俗などを振り返りながらの、『地域の民俗探訪フットパスコース編』であった。この実践のことを地元紙にて記事にしていただいている。

第三回目実践レポート(実践後のレポートから)

第三回目のトライアルコースは、安芸太田町内の横川(よこごう)集落周辺の山と川であった。午前中は、広島県の最高峰・恐羅漢山の山麓にある、広島県初の認定森林セラピーロードをフットパスしている。

ここには、百年杉を呼ばれる巨樹の森などがあり、森の癒し空間をフットパスできる。また、午後には、国の名勝指定である三段峡の隠された魅了トレイルを歩いたのである。

第四回目実践レポート(実践後のレポートから)

参加者は、二十九名。安芸太田町内の津浪地区と温井ダム湖畔をフットパスした。津浪地区では、地元の方々による地域振興のあり様をリーダー格の方にガイダンスいただく。また、西日本でも有数の規模を誇る温井(ぬくい)ダムは、人造湖である『龍姫湖(りゅうきこ)』を有している。

人工物のダムやアーチ形の橋が、無理なく自然の風景に溶け込んでいる。国土交通省のダムwebには、『大自然の精霊』と『ダム技術の粋』の融和、という冠タイトルまで付けられている。このダム湖畔の古道は、広島市内ー加計ー芸北ー(県境)ー島根県・金城ー浜田を結んでいた。

安芸太田町にてのトライアル後での検討課題

中山間地域の地域振興に寄与するフットパス・トライアルシリーズ企画(安芸太田町内)は、あくまで旅行主催会社による募集要項である。このような企画とは別に、地域住民を対象としたフットパス・トライアル設定への検討が急務であろうと思われる。

やはり、フットパスによる地域振興は、その地域に住まう一人一人の町民の協力なくしては成り立たないのである。特に、町史や村史など地域資源(地誌・歴史・習俗など)の編纂などに関係した人、地域の自然や季節の行事に詳しい古老などからのヒアリングも重要であろう。

言ってみれば、フットパスとは『民俗学的フィールド』を歩き、地域に伝承されてきた『智慧の結晶』を学び直し、現代に生きる私達に『振り返りの時間』を設定することに他ならない。それは、中山間地域ならではの(サスティナブル)で(エコロジカル)な、自然と共生したライフスタイルへの『振り返り作業』とも言えよう。

化石燃料ではなく自分の足というエコなエネルギーを使いながらの『振り返り作業=フットパス』は、新たな心身魂の健康(ヘルス)づくりや地域社会の安寧(ハピネス)づくりにも寄与できる可能性を秘めている。

その為にも、町民自らが地域の自然・歴史・文化などの潜在的な社会資源(ソーシャルキャピタル)をより深堀りし、さらに研磨した上にて、都市部からの訪問者と『共有する場』を提供することが望まれる。安芸太田町が十年前から取り組まれている、ヘルスツーリズムのキャッチコピー(都会の縁側・養生の里)とは、その『共有する場』を表現したものだと理解されるべきだろう。同時にそれは、独自性ある風土・風景に魅力を感じる『交流・関係人口』を増やすことにも繋がっていくだろう。

なるだけ早期の『町民主導型のトレイル策定協議会』や『ガイディングスキル向上の講習会』などの構想設置が望まれる。

二〇二三年の取り組み

二〇二二年に実践した、広島県安芸太田町にて四回のトライアル実践の後、広島県及び島根県各地でのフットパス・プログラムの本格導入が検討されていく。次の三つの地域におけるコース設定・ならびに実践プログラムの具体的な検討がスタートする。

(一)River do 基町川辺コンソーシアムさんとの連携
    〇 環・太田川フットパス

広島市民にとっての「命の水」である、一級河川・太田川。その水辺における自然と人間との「共生の風景」を辿りながらのフットパスである。太田川を(源流域)(上流域)(中流域)(下流域)の四ゾーンに分けて、その代表的な場所を選んで歩く。

(二)島根県邑南町田舎ツーリズム推進研究会さんとの連携
    〇 邑南フットパス

平成の合併にて羽須美村(旧)、瑞穂町(旧)、石見町(旧)の三町村により新しく誕生した島根県邑南町(おおなんちょう)。「響きあう元気の郷づくり」をテーマとする地域振興に寄与すべく、羽須美、瑞穂、石見エリアから四つのフィールドを策定してのフットパス振興策。

  
(三)広島県庄原市観光推進機構・帝釈峡観光協会さんとの連携
    〇 帝釈峡フットパス

国の名勝指定一〇〇周年を記念した一連の記念事業の一環として、帝釈峡(特に下帝釈峡エリア)における新たな魅力情報発信としてのフットパスを企画した。地元の観光推進関連組織からの情報共有を基に、レアなコースを設定。

環・太田川フットパス
 第一回実践レポート(実践後の記録より抜粋)


在来知・伝統知を、自らの足で訪ねる新ツーリズム=フットパス。

昨日は充実した一日となった。環・太田川フットパスの第一回目であった。天候と出会った人々、双方に恵まれた日であった。午前中には、『妖精が集う天空のブナ林』と私が名付けた、広島県安芸太田町の立岩山から市間山への稜線筋をダム湖畔から眺めながらのフットパス。

この稜線筋は、江戸時代には『入会山(いりあいやま)』として、そして明治時代からは筒賀村有林として、地域の共有財産(コモンズ)であり、また、天然の防災林として存在してきたのである。

地域の在来知・伝統知の結晶として、見事なブナ林が稜線筋に残されたのである。秋になると、見事な色彩美世界を満喫することもできる。さらに、西中国山地の名瀑として名高い『瀬戸の滝』への峡谷フットパスも楽しむことができた。

午後には、民俗学者・宮本常一氏も著作の中で触れている、木地師の集落・那須へと移動した。往時には四十戸・二百人前後で、その多くが木地師として活動し、近隣でも『那須盆』などの名前で知られた。

しかし、現在では四戸・六名となり限界集落となっている。六名の内、この地に長年住んでいたのは、岡田秋人さんという現在九十歳の古老のみである。その他は、Uターン、移住、地域おこし協力隊員OBである。先日の最終視察時に、岡田さんから地域の歴史などお話をお聞かせいただく約束をしていた。

なんと、九十歳の岡田さんは、この日の午前中には自らが約四十分弱運転をして、地域の病院に行かれていたそうな。また、右手にはスマホを握られてもいた。頭も、耳も、そして活舌・記憶力も滑らかな岡田さんから、約三十分弱にわたって、那須集落の歴史・風土に関するお話をお聞きしたのである。

その後、那須古道・那須集落内、そして旧・打梨小学校までの道をフットパスしたのである。日本型のフットパスは、地域の『在来知』や『伝統知』を体得・継承されている人々との語らいなどを織り込ませながら、その土地を歩くというのが魅力であろう。

今回は、まさに岡田さんという、得難い『語り部』との出会いをセッティングできたことを嬉しく思っている。

※第二回目の実践レポートは簡易報告とし、第三・四回目実践予定地については、視察時の報告で代替レポートとしている。

岡田さん

環・太田川フットパス・第二回実践レポート(実践後の記録より抜粋)

本日の環・太田川フットパス第二回目(上流編)も、無事に終了。フットパスの前に、三段峡をフィールドとして環境保全活動を展開する「三段峡~太田川流域研究会」の本宮(青葉炎)理事長からガイダンスをいただいた。

やはり、三段峡の隅々(歴史・文化・自然・環境)まで知り尽くされている。その知識量とともに、穏やかな説明口調には参加者も絶大な敬意を表していた。本宮氏の存在があってはじめて、中山間地域の着実な地域づくりの土台が築かれていると実感する。

外部資本によって唐突に発生した、在地にはそぐわない大型風力発電計画への反対運動(結果的に計画は頓挫)も、彼がいてはじめて具現化している。今回は、無理をいって冒頭ガイダンスをお願いしたのだが、なんと途中まで同行をしていただき、さらに詳しいフィールドガイダンスをしてくれたのである。本当に感謝である。※写真は、地元・中国新聞に取り上げられた本宮氏の記事である。


環・太田川フットパス・第三回視察時レポート(視察後の記録より抜粋)


昨日は、環・太田川フットパス第三回目の視察にて、小河内(おがうち)地区へ。(広島市安佐北区安佐町)地元で活動される地域振興関係者(シェア&交流スペース てらます)とともに、フットパス予定コースを定めてきた。

この小河内地区には、日本全国で二つしか命名されていないという『牛頭山(うしずやま)』がある。この牛頭山という名前の由来を探っていくと、牛頭天王という巨大な存在に引き込まれてしまったのである。(※牛頭天王についてはウェブ本で一冊にまとめている。それ以来、この小河内地区とのご縁は深まるばかり。フットパスを実践することで、少しでも恩返しすることができればと願っている。

牛頭山のみならず、この地域には地元民からとても愛され、魅力あふれる場所が多く点在している。昨日も、一人でふらっと歩いていると、近くに住む初老の方と言葉を交わしたのである。その方から、『ほな、軽トラに乗って、今からちょっと案内するわ』というお言葉をいただく。後でわかったのだが、この方は地区にある養山八幡神社の総代Nさんであった。

Nさんのご案内で、三谷地区にある石積の棚田、小河内弥太郎の墓・殿之城(とんのじょう)霊神社、そして名前が奮っている『蛆腸(うじわた)神社』などなどを軽トラで軽快にご案内いただいた。このNさんは、『限界集落』を『源快集楽』と呼び変えて地域振興の呼び文句として設定した仕掛け人でもあったのだ。

『源快集楽』とは、広島市の(源)で、(快適)な暮らしをし、人が(集)まる(楽)しい地域を目指す・・。ということだそうだ。移動車内にては、小河内に纏わる歴史・伝説などを丁寧に教えていただいたのである。その後、地域振興関係者からフットパスの予定コースを案内いただいたのだが、しっかりと予習できていたので、深く理解がすすんだのである。

養山八幡神社では、江戸時代から二〇〇年継承されており、広島県無形文化財に指定されている『吹き囃子』と呼ばれる秋季祭りが、毎年十一月最初の日曜日(今年は十一月五日)に開催される。この祭りには神楽も奉納されるらしい。

参道階段横には、杉の巨樹が林立しており、とても厳かな空気感が漂っている。また、ツクバネガシが繁茂する社叢は、広島市指定天然記念物にもなっている。この他にも、安楽寺、明見谷の棚田・城下町跡・滝山などなど、魅力あるポイントが点在している。

特に気に入ったのは、旧小河内小学校裏手にある小道であった。まさにデトックスパス(path)であった。(※写真)地元民しか知らないこのパスを紹介してくれた、テラマスの石川女史に深く感謝している。


環・太田川フットパス・第四回視察時レポート(視察後の記録より抜粋)


今回は、下流域のプログラム素案を可部という町の活性化に取り組む方(入江さん)とともに視察した。自画自賛になるが、これまた素敵なプログラムが構築できそうである。可部という町は、太田川の他二本の河川が合流する土地であり、古来河川交通を軸とした物流の集散地でもあった。

太田川の河川交通は、モータリゼーション化が激しくなる前までは山陰と山陽とを結ぶ大幹線でもあった。ヒトとモノが筏に乗って上流と下流とを往来していたのである。可部周辺は、その中継地点として栄えたのである。

また、「西の高野山」と称せられた福王寺(ふくおうじ)の門前町としても栄えた歴史を有している。真言宗本山として格式ある福王寺は、京都御室仁和寺を本寺として寺領二千石の勢力をもって以降、信仰する諸国の信徒が出入りしていたのである。

この可部に隣接する太田川の河川沿いには、明治四五年に創業したレンガ造りの発電所跡もある。町中には湧き水も出ており、この湧き水を活用した地酒なども作られている。また古い街道筋の街並み景観もほどよく保全されており、ちょっとしたタイムトリップ気分で歩けるのである。

これも地域の方々による、「文化的景観」に対する慈しみの目線の奥深さゆえだと痛感した。特に、一五〇年前・明治の初めごろからこの地で呉服の商いをした家系に生まれた入江さんは、可部の魅力をさまざまな形で発信している魅力ある青年である。

築一五〇年以上の町屋を、大枠構造を残存させながら現代風に改装され、喫茶ができるくつろぎの空間と同時に、音の旋律空間とされている。さらに、京町屋風の中庭を見ながら近未来の和服の在り方にも思いを馳せられるスペースがある。

可部の魅力を語る入江さん
入江さんの町屋風懇談スペース


島根県邑南町フットパス・第一回実践レポート(実践後の記録より抜粋)


第一回邑南フットパス。天気にも、参加者にも、そして邑南町の歴史風土、地元連携者による諸案内、全てに恵まれて無事に終了した。まずは、万葉集にも詠われた『志都(しず)の岩屋』からスタートした。

永年にわたる維持管理、そして案内冊子の作成など、地域住民の温かいまなざしを受けてきた聖地である。このお宮の背後には、山伏らが修験をしていた、巨岩・奇岩が連なる弥山という聖山がある。言ってみれば、弥山という山塊がご神体とも言えるだろう。拝殿の裏手には、『鏡岩』という巨大な一枚岩がある。

その岩壁には、小さな窪みが多数あり、その窪みにコヨリを結ぶと願いが叶うと言われている。森閑とした拝殿への参道に入ったとたん、参加者からは感嘆のつぶやきが漏れていた。近くには、珍しい花々も咲いており、視覚、聴覚、触覚、そして身体深部にある超越覚までをも刺激される時空であった。

万葉集に詠われた『志都の岩屋』にて古代にタイムトリップした私達は、その後(昭和)(中世)(近世)(近代)と、ある意味日本の鉱山史をクロスオーバーするフットパスに出掛けたのである。世界遺産となって整備管理が進んだ石見銀山とは異なり、邑南町にある『久喜銀山』一帯の鉱山遺構群は、言ってみれば野生の力強さが残存している。

森の中にひっそりと口を開ける坑道跡からは、当時の掘削音が漏れてきそうな気がする。写真は、昭和の時代の掘削跡地である。この場所をフットパスした後には、地元の食材を使ったお弁当を、これまた地元の方々が事前に掃除された学習舎にて頂いたのである。


島根県邑南町フットパス・第二回実践レポート(実践後の記録より抜粋)

本日は、島根県邑南町でのフットパス第二回目であった。秋晴れの爽やかな風が心地いいなか、津和野藩の飛び地であった『日貫(ひぬい)地区』と、『矢上(やがみ)地区』を歩いた。邑南町田舎ツーリズム推進研究会の日高さんのガイダンスを聞きながら、二十二名の参加者とともに、邑南町の特異な風土(景観・営み・歴史・文化)を堪能しながらの一日であった。

各所では、日高さんが事前にアポをつけていただいた、その地区に詳しい方が『ス~ッ』と登場され、細部に至る解説をしていただけるのである。こんな贅沢なフットパスは、なかなかないだろうな。

島根県邑南町フットパス・第三回実践レポート(実践後の記録より抜粋)

昨日は島根県邑南町フットパス第三回目であった。フットパスとは、その土地の歴史・文化・景観といった風土性に彩られた場所を、自らの足で歩くことである。その際に、欠かせないのが、在地に詳しい方々からのお話を聞くことであろう。

私が主宰するフットパスの多くは、そのような伝統知や在来知に長けた方々からのお話機会を設定している。この邑南町フットパスにおいては、邑南町田舎ツーリズム推進研究会の事務局長・日高久志さんとの連携にて実践しているのだが、日高さんの人的ネットワークの広大無辺さには、ただただコウベを垂れるばかりである。

この日も、午前中の断魚渓にては現地でガイドをされている現職の町会議員さん、午後の民俗資料館にては前・館長さん、そして篤農家・田中梅治翁宅にては、田中梅治を研究されている元・校長先生・・・。毎回のことなのであるが、日高さんのご手配によって、邑南町における多種多彩な人的資源が綺羅星の如くご登場されるのである。

邑南町フットパスの記事

島根県邑南町フットパス・第四回実践レポート(実践後の記録より抜粋)

本日の、島根県邑南町フットパス第四回目も無事に終了。参加者は十六名であった。数日前には雨予報であったが、なんとかすり抜けることができた。本日も、邑南町田舎ツーリズム推進研究会の日高さんの諸手配・ご案内により、内容豊富なフットパスとなった。私は、写真の出羽(いずは)川沿いにある土手道フットパスが、個人的にはフットパスの最高ロケーションだと思っている。


帝釈峡フットパス・視察レポート(視察後の記録より抜粋)

今日も、大感激の一日であった。明後日実施予定の「帝釈峡フットパス第一回目」の最終チェックに現地(広島県神石高原町)へ出かけていた。中国自然歩道のチェックをしていたら、なんと後ろから心地いいエンジン音が聞こえてきたのである。

振り返ると、落ち葉を掃除する手押しエンジン車と白髪の老人が接近してきた。(※写真)お話を聞いてみると、在地にお住まいのAさんであり、明後日我々が歩く予定のフットパスコースの掃除をボランティアでされているとか・・。

私自身が企画監修、そして同行ガイドをする本人であることをAさんにお伝えし、事前ボランティアへの御礼を申し上げたのである。そして、Aさんからは、在地の歴史・文化・営みなどについて様々な事項をご教授していただいたのである。

明後日のフットパスコースにおいて、どうしても再々チェックをしたい場所があり、実施二日前に再び現地に赴いたら、こんな素晴らしい行為をされる人と出会ったのである。お聞きすると、この中国自然歩道(フットパスの予定コース)は、昔から在地の人たちのボランティア活動にて整地や掃除などが時折おこなわれていたという。

しかし、昨今は歩く人も少なくなり、住民の高齢化もあり、なかなか手が付けられていなかったそうな。そして、この度のフットパス実施の話を聞いて、自主的に落ち葉の掃除をされていたのである。明後日の実施時には、必ずAさんら在地の人たちのボランティア精神に基づく、「静かなるおもてなしの心持ち」を参加者の皆さんへ伝えようと思っている。

また、別の視察時には、帝釈観音堂洞窟遺跡(神石郡神石町)も現地関係者とともに訪れている。この遺跡は、広島大学が中心となって一九六四年以来約三十回に及ぶ発掘調査が行われている。その結果、縄文時代を中心に、旧石器時代、弥生時代、中・近世の遺構・遺物が発見されている。

土層の厚さ四mに及ぶ堆積層の中からは、縄文時代の遺構や遺物が下層から上層に向かって包含されており、骨針、貝輪、貝小玉などの骨角製品や貝製品が出土している。帝釈峡周縁には、このような洞窟遺跡が数多く存在している。石灰岩地である帝釈峡は、長年の浸食によって多くの洞窟・岩陰ができている。

その洞窟などを居住空間とした、先史時代以来の生活遺跡が随所に残されているのである。その一群は、「帝釈峡遺跡群」と呼ばれている。それらの遺跡は、広島県庄原市・神石高原町・府中市、岡山県新見市にまたがる広大な地域に、五〇か所以上分布していると聞く。国の史跡指定を受けている寄倉岩陰遺跡をはじめ、馬渡・名越・豊松堂面岩陰(広島県史跡)、観音堂洞窟など十三遺跡がすでに調査されてきている。

※この古代遺跡は視察の結果、コースには含めないことになった。

事前の整備されるAさん
古代の洞窟
視察後に掲載された記事


帝釈峡フットパス・第一回実践レポート(実践後の記録より抜粋)


昨日は、帝釈峡フットパス第一回目。参加者は十七名。中国自然歩道と帝釈川ダムの堰堤を歩いてきた。このトレイルは、ほとんど人は歩かない。だが、(ポツンと一軒家)があったり、(石灰岩の洞窟テラス)(日本のグランドキャニオン展望台)(高さ二五〇メートルの絶壁)などなど、見どころ満載である。

また、永野地区の村落共同体の在来知に基づく地域振興策などは、注目するに値する内容である。このような、小さな共同体から編み出される『伝統知や在来知』に触れる事が出来るのが、フットパスの奥深さであろう。

帝釈峡フットパス・第二回実践レポート(実践後の記録より抜粋)

昨日実施の帝釈峡フットパス第二回目。天候の急変もあり直前のキャンセル者三名。それでも、最終的には二十八名の参加者。なんといっても、『ながの村』での心温まるおもてなしに深く感謝である。当初は、『花面(はなずら)公園』という日本のグランドキャニオンを遠望する野外展望台にてランチであった。しかし、朝から小雪が舞っていたので、急遽地元のご厚意にて、旧永野小学校(木造校舎)を改造された室内(畳敷き)を、事前にストーブで温めていただいていた。

ランチの後には、この『ながの村』を率いられる宮野さん(前神石高原町町長・現帝釈峡観光協会会長)からの地域振興のお話をいただいた。この室内でのひとときが無ければ、季節はずれの極寒の中での凍えながらのランチタイムであっただろう。この『ながの村』のある永野地区の方々には、事前の草刈りであったり、道の保全整備であったりと、今回のフットパス実施に際してほんとうにお世話になっている。皆さんの「郷土愛」には、心から敬意を表したいのである。

お話くださる宮野さん

二〇二一年~二〇二三年・三年間の歩み

二〇二一年度

十二月十三日  安芸太田町の『戸河内地区』にてのフィールド調査。(清水)
十二月十三日  安芸太田町の『筒賀地区』にてのフィールド調査。(清水)
十二月十四日  安芸太田町の『殿賀地区』にてのフィールド調査。(清水)
十二月二十一日 安芸太田町の『安野・程原地区』にてのフィールド調査。(清水)

二〇二二年度

四月七日    安芸太田町フットパス第一回実施。参加者二十九名
四月十三日   安芸太田町の『深入山山麓』にての最終視察。(清水)
五月七日    安芸太田町の『津浪・龍姫湖湖畔』にてのフィールド調査。(清水)
六月十六日   安芸太田町フットパス第二回目実施。参加者二十一名
六月二十八日  安芸太田町『三段峡』にての最終視察。(清水)
八月四日    安芸太田町フットパス第三回目実施。参加者十五名
十一月十日   安芸太田町フットパス第四回目実施。参加者二十九名

二〇二三年度

五月十日    環・太田川フットパス第四回目視察(入江・堀江・清水)
五月十七日   島根県邑南町フットパス『出羽川エリア』視察(日高・清水)
五月十八日   島根県邑南町フットパス『諏訪神社』視察(清水)
六月二十九日  帝釈峡フットパス視察(宮野・坂田・岡崎・清水・中国新聞社)
八月十四日   環・太田川フットパス第一回目用視察(堀江・清水)
八月三十一日  島根県邑南町フットパス第一回用最終視察(日高・清水)
九月六日    島根県邑南町フットパス第一回目実施。参加者二十四名
九月十三日   環・太田川フットパス第一回目実施。参加者十名
九月二十日   帝釈峡フットパスに関連してのNHK現地取材(坂田・岡崎・清水)
十月七日    島根県邑南町フットパス第二回目用最終視察(日高・清水)
十月十一日   島根県邑南町フットパス第二回目実施。参加者二十二名
十月二十五日  環・太田川フットパス第二回目実施。参加者十七名
十月二十六日  帝釈峡フットパス第一回目用最終視察(清水)
十月二十八日  帝釈峡フットパス第一回目実施。参加者十七名
十月三十一日  環・太田川フットパス第三回目用視察(石川・堀江・清水)
十一月一日   島根県邑南町フットパス第三回目実施。参加者二十一名
十一月十五日  島根県邑南町フットパス第四回目用最終視察(日高・清水)
十一月十八日  帝釈峡フットパス第二回目実施。参加者二十八名
十一月二十九日 島根県邑南町フットパス第四回目実施。参加者二十一名
十二月十日   環・太田川フットパス第三回不催行反省会(堀江・石川・清水)
十二月二十日  環・太田川フットパス第四回不催行反省会(堀江・入江・清水)

NHK取材(花面公園にて)

主催・共催及び協力関係者

安芸太田町フットパス関連

 地域商社おきおおた(後藤氏・栗栖氏)
 
環・太田川フットパス関連

 一般社団法人・中国建設弘済会
 River do! 基町川辺コンソーシアム(堀江氏)
 NPOさんけん(本宮炎氏)・ 那須地区住民(岡田秋人氏)
 てらます(石川華奈氏)・ かしわや入江呉服店(入江乙彦氏)

島根県邑南町フットパス関連

 邑南町田舎ツーリズム推進研究会事務局長(日高久志氏)
 農業法人志都の岩屋(日高学氏)・ 日貫公民館長(森田修氏) 
 民泊岡田屋(鹿野好明氏)
 香木の森 観光協会常務理事(村田光治氏)
 邑南町町議会議員(宮田博氏) 
 郷土史家(吉川正氏)・ 元小学校長(日高史雄氏) 
 邑南町田舎ツーリズム推進研究会会長(今手喜三氏) 
 コイサイド(河野光也氏)・ 延命寺(口羽秀典氏)

帝釈峡フットパス関連

 庄原DMO専務理事(坂田氏)
 帝釈峡観光協会(宮野会長・岡崎事務局長)

※旅行主催などの連携・ たびまちゲート広島(阿部文太郎氏)

フットパス実践録

2023年11月23日 発行 初版

著  者:清水正弘
発  行:深呼吸出版

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清水正弘

二十歳の時にダライ・ラマ十四世と個人的に出会った事が、世界の山岳・辺境・秘境・極地へのエスノグラフィック・フィールドワークへのゲートウェイだった。その後国内外の「辺(ほとり)」の情景を求めて、国内外各地を探査する。 三十歳代にて鍼灸師と山岳ガイドの資格を取得した後は、日本初のフリーランス・トラベルセラピストとして活動を始める。そのフィールドは、国内の里地・里山から歴史的、文化的、自然的に普遍価値を有する世界各地のエリアである。 また、健康ツーリズム研究所の代表として、大学非常勤講師を務めながら、地方自治体における地域振興のアドバイザーとしても活躍している。 日本トラベルセラピー協会の共同創設者でもある。

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