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千葉集 (せんようしゅう)───────────────────────



菅原 正樹

知人書房

千葉集(せんようしゅう)

一、妻恋
二、世相
三、世間
四、労働
五、生活
六、岳父
七、父母
八、故郷
九、物理
十、思考

千葉集(せんようしゅう)




日和見が朝廷の国見になるまえは天を気にする民の営み

一、妻恋

京よりは千葉に帰らんとひととせを過ごせし妻は死に給うなり


逝った妻の遺した家の庭に立つ枯芝に生える玉簾一つ


リフォームの家輝くも面影は踏みゆく露の足跡の下


白き壁青き畳の祭壇の妻の遺影は微笑むばかり


銀行にゆうちょに証券信託会社土地建物に木枯らしの吹く


月命日本当にいないのか?気配をさがしに廊下を過ぎる


淋しきは喧嘩相手の不在より喧嘩ばかりの生きた思い出


忍びがたき四十九日が過ぎるなら祭壇あとには妻の座る椅子

二、世相

テレビにてオリンピックが過ぎてゆく夏の暑さとウィルスを残して


金も増え菌も増えてと来し方の金もなくなりご臨の終かな


五輪来て台風が来て不況が来るだろう大強行の大恐慌の


スポーツの意義と設けられた祝日に不要不急なステイホーム


見栄張ってつづける嘘の塗り壁に吊り下げられるはメダルという首


紐付きの首輪をもらいに表彰台ソーリートチジとバッハ奏でる


しゃしゃりでる犬畜生の厚化粧人間様へとなりたいばかりに


また今年も帰省に悩む民草の先祖返りの道は混まぬに


次選挙、民の意向はすがすがしかな首の皮ひとつががしがしいって


世界とは5つの輪っかに入ることか? ケンケン足を罠にかけられ


はめられてもはめられても雑草のごとく歯を食いしばり生い茂る老い茂る

三、世間

新学部建物できても許可おりず同僚自殺し父は狂えり


耐え難き耐え忍び難きを忍び退職再雇用父のポストに天下り来て


母なだめ仕事やめると言う父を受験控えた息子らがおり


傘寿越し居られぬ家の神棚に還暦迎えた父の遺書あり


大学を出たけれど親の心子知らず世を見つめるフリーター


幾とせのバイト探しの雑誌飽きアパート裏の植木屋に入る


三十年庭木手入れを糧にして学ぶは人の発芽する心

四、労働

荷を背負い自転車でゆく若人のスマホ片手の行く末は何処?


世の中はスマート社会へと痩せ細るのか? AIウィルスが人削除して


身を焦がし炎天下で草を刈る日雇いの問い世界とは何か?


Black lives matter 黒焦げこそが生命を問題化できると訳す


見上げれば眼窩に溜まる汗だくの雫の中のわれ焚く太陽


身が焦がれ使いきった炭となれども細長くしてひと筋の思考

五、生活

子をもちて妻をもちても人しれず考える世界はいつぞよりつづく


力落ちて初老を悟る歳をまえになお衰えぬ「なんでだろう?」


違うとは夫婦喧嘩に露岩して人の地層がせり上がり居り


渋滞もなく日帰り送りの盆車中ライン通知の妻の病「虫垂偽粘液腫」


コロナ禍と重なるように持病増え突如の戦禍に妻は倒れり


また戦かおもう最中の脳内に妻の血流れ声もとどかず

六、岳父

妻に問う『水俣曼荼羅』観にゆかん岳父は件の会社の者なり


国策の会社潰れていいのかと銀行脅せし岳父の懐古


あれは本当に悪いことなんだ婿見つめチッソの父は怯え狼狽え


義父拒み別個の施設で義母逝かば知らせ受けずもあと追う如く


空き家なり埃かぶりし棚の上岳父書き置く般若心経



七、父母

コロナ禍の規制振り切り帰省下の施設幽閉父不在の家


コロナ禍を施設幽閉年越して痴呆の父に鐘はなに告ぐ


時を変え干支を変えても災いは施設の父の昭和とだぶる


年あけて隔離の時勢は持ち越され寝たきり父の昭和はつづく


膝折りて家に残りしたらちねの母の守るはいずこの時ぞ


おいしいのよと近づいて摘んでくれたモロヘイヤたらちねの母小便の臭い


大根干す昨日と同じ風の向き父の遺せし俳句を写す

八、故郷

霜おりて土手をいろどる枯れすすき朝日の花道影て導く


息白く空に散るかや初霜の枯れ草の土手雲間にゆくかも


朝日うけ雲に包まる浅間山姿見せずも立ち現れおり


陽を浴びて光とどまる榛名山したたる雫の赫くように


赤城山朝日に射抜かれ座りおり腹あかくして空の屏風に


地にふして刃をかくすか妙義山空を切り裂きいざ躍り出るために


空と地のあいだに広がる山々よ坂東太郎をやさしくつつむ


嵐すぎなぎたおされた川べりの木々を知らぬか玉石と水


青空の下嵐のあとの土手の上ひとりたたずむ朝の気が過ぐ


ふる里は近くにありても遠きもの風に浮き立ち揺れる幻

九、物理

人のなかに落ちてつぶれゆく幼きころの自尊心はおそらく星のなりわいと同じ


ここに在る鉄粒の動きも波なれば我と汝は大海の宇宙


観測とは私が見る見ないでなく諸星団(もろほしだん)が見せているもの


我あらわれて何処にゆくとも知れずともあまねく在るとは心やすまる


確率とは気まま気まぐれの天気ではなく嫌気がさしてる出不精な魂


嫌ならばなんで泣く泣く産まれでるたゆたう海原波動の収束


ああもありこうもあるかも世界でもなみなみならぬ他ならぬこの


現実と可能性とが重なるとも並ぶ世界にこの私はいない


人もみな土にかえるならば魂が死なずは物質と同じ粉々になろうと


粒子とて束ねた波の記憶あり我くだかれて宙に消えても


収束はこの一度だけバラバラになった私は破爪場で待つ


生を知り死を知らずんばと焦がれても生きると死ぬは同じ重なり

十、思考

マッチョなり喪に招かれぬは顔立たずそんな理知らぬは仏ゆえこそ


葬儀には神も仏もなかりけりただ悲しみの真心が吹く


我が妻の土に還れぬ骨壺の彷徨う住処死者と探さん


戦争は墓穴掘るらん誰がためにあまたのビルを墓石に変えて


押忍気概メンツの隙間の獣道の人道回路は迷路のごとし


地に足を怒りつけては泣き叫ぶ仰がれた天には黙する空


宙に散り渦まく民の慟哭は北風に千切れる葉の舞う繋がり


天もあり地もあることこそ人の世の隔絶してあるは誰のためなり


企みる盾突く論理を他所にして知恵を手向ける世界を造らむ


幾千年繁れる神は火中にあり繰り広がるは名もなき社

妻の座にりん調えた雨あがり師走の庭に玉簾一輪

千葉集

2023年12月21日 発行 初版

著  者:菅原 正樹
発  行:知人書房

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Seiki Sugawara

1967年生まれ。植木職人。 自著;『曖昧な時節の最中で』(近代文藝社)・『書かれるべきでない小説のためのエピローグ』(新風舎) *カニングハムは、「振り付けするとはダンサーがぶつからないようにすることだ」と言っている。盆栽に象徴される日本の植木の仕立ての技術とは、枝が交差し絡み、ぶつからないよう偶然を準備していくことにある。自然に気づかれないで、いかに生起してくるaccidentを馴化していくかの工夫なのだ。たとえ西洋のトピアリーのような造形をめざさないことに文化的な価値の規定を受けていようと、そこには特殊にとどまらない普遍的な対応がある。芥川が「筋のない話」として日本の私小説の困難な特異さと歴史的前衛性を洞察したことが、日本の植木職人の技術のなかにも潜在するのである。

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