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一章
自分の人生について、特に最近は自分の未来について考えることが多くなった。
考えることはそこまで好きじゃない。例えば、あと払いの延滞料金の支払い、汚く散らかった部屋の掃除、友人に借りた金の返済、結果を考えれば楽な話だが過程を考えるとどうにも気が重い。物事のすべてに隠しゴールなんてものがあればいいのにと思う。過程をすっ飛ばして結果を得るようなことがあってもいいんじゃないかと思える。
めんどくさい事に気をさくのはとてもめんどくさい。特に努力なんてものは個人的に最悪だ。こっちはひたすら必死こいてやっているのにそれに見合った対価を出されたことなんて一度もない。
友情・努力・勝利なんてレトロ気質じゃない。
子供の頃が酷く眩しく脳髄の奥から目の前に溢れ出すときがある。自分は輝いていて、間違いなくやりたいことができて、自由に生きていた気がするような、そんな日々を思い返してため息をつく。
時代は新世紀を迎えて二十数年。生きていく中で初めて年号を越える経験をした、そんな時代。もう映画館で映画は見ないし、遠くの人に気持ちを伝えるときは声より文字、人の粗相を顔を知られずにぶっ叩ける。距離が近くなったのか遠くなったのかよくわからないこんな時代だからこそ、文明が進んだ今だからこそ生まれた職業がある。
俺の職業はゲーム実況者だ。
『これからのご活躍を心からお祈り申し上げます。』
またかと思う。何度も見た同じ文面、受けた会社は違うはずなのに全員が同じテンプレートを使い回しているのではないかと錯覚するほどこのお祈りメールの文面は似ている。大学四年生の四月、もう同級生は大体が就活を終えていて仕事先を見つけていた。いくら焦っても就職先は見つからない。お先真っ暗はこういう状況で使う言葉なのだと痛感している。あの時もこんな感じだったと思い返す。
俺が動画投稿を始めたのは大学一年生の夏だった。ユーチューブでの名前はビエン、苗字が火円だったからこの名前にした。始めた当初はユーチューブで生計を立ててやると息込んでいたが、そのやる気はものの一年で潰えた。どれだけ工夫して考え抜いても増えない再生回数、努力と労力と反比例する登録者。始める前は何気なく見ていた数字が憎たらしく思え、一桁の数字で情緒が掻き回される。一人の活動はあまりにも虚しく、先の見えない未来が恐ろしいとさえ感じた。
ねてろと出会ったのも今の様に先が見えなかった時だ。当時は自分と同時期に動画投稿を始めた奴らを徹底的に調べ上げ、自分が優っている部分を見つけ自我を保っていた。そんなときにねてろの動画を初めて見て驚いた。とても面白くなかったのだ。俺とあいつはゲーム実況者の括りで活動していたが、どう考えても俺のほうが面白いと思った。こんなにも才能のない奴がいて良いのかと哀れみを抱いたほどだ。だから俺は声を掛けた。自分の身近にこんなかわいそうな奴がいれば心休まることもあると思ったからだ。当時の登録者は俺が五百人で、ねてろが四十五人。再生回数も登録者も俺のほうが上でねてろが下。これが当たり前の風景であり、それが当然の事象だった。いつかあいつが俺の登録者を超えていくことはないと確信していた。それだけねてろには才能がなかったのだ。友達付き合いを始めた最初の一年は一人で活動していたときの孤独感も消え去り、楽しみながらユーチューブで活動することができた。お互い伸びない数字を見ては笑い合いながらいつかきっと注目される日が来ると傷の舐め合いをしたものだ。俺もあいつもお互いに慰めの言葉を吐いたが、そんな日はこないだろうと下に見て同情していた。
あいつと出会ってから一年、俺が動画投稿を始めて二年が経った頃、俺の予想は大外れした。ねてろの動画がハネたのだ。俺が今まで必死にかき集めた登録者、必死に積み重ねた再生回数を嘲笑うかの様にあいつは易々と追い抜かしていった。神様というのはどうにも俺にとって不都合な存在だ。
後発の存在に追い抜かされる。そんなことは今までいくらでもあった。サムネをあけすけな女体で思春期の脳が海綿体で出来ている視聴者を釣る奴、投稿頻度を増やしコンテンツの消費を加速させる奴、誇大サムネで視聴者を騙す中身のない動画が持ち味の情報屋を気取る奴、そんな奴らが今まで何人も俺の横を通り過ぎていった。無論俺はそんなことしなかったし、しようとも思わなかった。プライドを捨てた人間がやることに価値はないと考えていたからだ。プライドのない動画のどこに価値があると言えるのか。見る価値すらない動画に嫌悪感を抱くのは疲れるだけだ。
俺はねてろに登録者を抜かされてから一ヶ月後にあいつの動画を見た。単純に伸びた理由を知りたかったのもあるが、俺に足りないものは何か確認するためでもあった。学ぶことはないだろうが、そんな下に見下ろした感情を抱きながら動画を再生する。絶句した。何も変わっていない。一年前、俺が哀れみを抱いて侮辱したままのクソみたいに面白くない動画のままだった。間の悪いジョークだが、場所を変えたくらいでそんな劇的なものが見つかるわけがなかった。同じ歳でインド辺りに旅行に行く奴は幸せものと言えるだろう。たかが、二泊三日の旅行で自分を見つけることができるのだから。俺の自分というやつはどうにも高級品らしく、インドなんぞには転がっていないコスパの悪さが目立つ。本当の自分はどこにいるのか。ここ一年くらいはずっと自分を懸賞首にしている感じだ。五百円くらいで。
だが一つ言えることがあるとすれば、あいつには伸びる才能があって俺にはなかったということだ。
お祈りメールから目を逸らすようにユーチューブを開く。登録者五千、それが今のビエンの登録者数。序盤のドラゴンボールなら大した戦闘力な気もするが、今俺が生きているこの世界は序盤のドラゴンボールなんかじゃない。普通にただの現実だ。つまり、俺はただの底辺実況者ということだ。銃持ったおっさんくらいの戦闘力しかない。流れでねてろの登録者を見るがあいつは十万人。どこで差がついたのか、俺とあいつとの差はわかりやすく離れてしまった。俺にはもうユーチューブがわからない。努力も苦労もしたはずなのに俺は報われなかった。俺は負け犬なんだ。
少し考え込んでいたら頭にモヤがかかってきた。ベッドで横になろう。所詮、俺が何を考えても一般人の夢だ。そんなもの見るなら寝るときだけで十分だろう。
将来のことを考えるのも、現実を憂うのも煩わしい。
一般人には一般人らしい営みの仕方があるだろう。
八月、俺のチャンネルの登録者は全然増えない。おかしい。大学が夏休みになり俺は投稿頻度を増やした。学生が休みのこの期間は稼ぎどきであり、リスナーを大いに増やすチャンスでもある。ユーチューバーにとって学生の長期休みは大チャンスというわけだ。それまで隔週で更新していた俺は動画の投稿頻度を週三に増やした。就活をせずにユーチューブに全ての力を注ぎ込む背水の陣。人生をかけた大博打を敢行しているわけだが、まるで結果が出ない。細かくいうとチャンネル登録者数自体は増えてるが、大幅な数字の伸びは見えないし、その傾向すらない。自分のチャンネルの情報を詳しく見るたびに背中に冷や汗が伝う。このままいけば俺は順当にニートとなる。それだけは許せない。俺がニートになるという事は自分が社会不適合者だと認めるようなものだ。それだけは、それだけはあってはいけない。俺のプライドがそこまで堕ちることが許さない。
おかしい、こんなことがあっていいのか? なぜ数字が増えない?
なぜ上手くいかない?
視聴者が馬鹿なせいで俺が苦しむことになるんだ。自分の非が思いつかないということは、原因は一つしかない。視聴者が馬鹿なせいで俺が苦しむことになるんだ。俺は悪くない。
どうしてという気持ちが頭の中を延々と駆けずり回る。なんだ、なにが足りないんだ。俺はねてろに追いつけないのか。いや違う、俺のほうが元は上だった。上だったんだ。いくら力を入れても出ない結果に頭を掻きむしり壁を殴る。俺を馬鹿にするのも大概にしろ。ここまでどれだけの犠牲を払ってきたと思っているんだ。ユーチューブを開き、検索欄にねてろと入力しエンターキーを乱暴に叩く。ねてろの動画がずらりと並ぶ。しばらく見ていなかったが、動画投稿は続けているのか。登録者数と再生回数は未だにうなぎ登りを続けていて今や十万人に手が届く勢いだ。なんて途方もない差だ。もうお前は二度と追いつけない、肩を並ばせてはいけない人間だ。大きな力が俺にそう言っているようで、それが不快だ。
カレンダーの日付は八月十二日、明日からお盆だ。お盆は社会人もユーチューブに流れてくる。ここで勝負をかければチャンスはある。本当に不本意で絶対にしたくなかった事だが、この期間に毎日投稿をする。毎日投稿・詐欺動画・エロサムネ、俺が嫌悪感と蔑みを抱いていた戦略三つのうち一つを行う事は心苦しいことだが、仕方ないと納得するしかない。綺麗なだけではユーチューブで結果を出すことはできないのだ。例えこの身が汚れ、心が闇に堕ちようとも、俺は必ずここで結果を出す。綺麗事で腹は膨れない。餓えなければ、餓えなければいけない。例えゴミ捨て場を漁るカラスの様になっても、屍肉を貪るハイエナの様になっても、自分を殺してでも手に入れなければならない未来が俺にはある。
九月、こんなはずじゃない。こんなはずじゃなかった。これまで身を削って動画を出していたはずだ。今回に至っては心まで削って動画を出した。それなのになんだこの数字は? 八月初旬の時点での俺の登録者数は三千人。そして一ヶ月経った今の登録者が三千三百人。なんだこれは? これじゃまるで俺は馬鹿じゃないか。体を酷使し、技も備わっている。最後には心を砕いたはずだ。心・技・体、持てるすべてを俺は使ったはずだ。そこまでしてたったの三百人? 一人の人間の一ヶ月のすべての結果がたかが三百人? これが現代落語で聞かされていたら、俺はきっと今頃客席で笑い転げて出禁になっているだろう。もしくは新しい喜劇の題目か? それは良い、きっとどれだけ笑ったとしても俺は後ろめたさを感じないし、出禁にならずに済む。これは現実の話、だとしたら俺も少しは神社に通うことにするべきだ。クソみたいな話だが神は本当にいるらしい。俺には貧乏神が付いているんだ。不幸だ、俺は不幸な人間として生きることを強いられている。
すべてが苛立つ、インフルエンサーなんて呼ばれてる奴らを見ると反吐が出る。インフルエンザになったら可愛そうと言われて心配されるのだろう。感情の無駄な感染を引き起こす奴らの何が偉いというんだ。そんなもんに振り回されている奴らがいるからダメになるんだ。自分の信念や思いを持っていないから格差が生まれる。根性無しどものせいで自由なネットの世界に格差が生まれた。そんなに情報の流行に敏感になりたければなってろ。お前らが手に入れているのは情報ではない。掘り起こされた物体を鵜呑みにする鵜だ。食える魚を持ってくる分、鵜のほうがまだ幾分か人間に有益だろう。
たかが目に見えない電波に踊らされる馬鹿をコケにするのは気分の良いことだ。俺は情報なんかに踊らされない。いつだって自分の意のままに我が道を行くだけだ。そうだ、今結果が出ていないのも世界に馬鹿しかいないからだ。俺を理解する知識がないから、結果が伴わない。センスの良さが仇となるのはとても心苦しいことだ。
だが、馬鹿に合わす努力をしないというのも実に怠惰だ。本当に不本意ながらこうなってしまっては仕方あるまい。詐欺動画で馬鹿に情報を掴ませれば数字は出るはずだ。四年だ。四年間俺は真摯に視聴者と向き合った。だがここまで馬鹿ばかりだといささか俺も疲れた。気の毒だが拡大解釈した動画を作り、俺の手の上で転がすしかないだろう。見た後に後悔しても遅い。それはお前が招いた悲劇に他ならないのだから。最も嫌悪する三つの動画の内、二つ目を俺が出すことになるとは思わなかった。だがこれも俺の幸せのため、悪く思うなよ。
十月、壊れたモニターに廃品回収のシールを貼り付ける。未だに左手が痛む。中指を中心に紫色に変色した指を眺めてため息をつく。多分ヒビが入っているか折れている。どうやら俺は本当に天に見放されているらしい。結果は大敗北。動画は全て爆死、馬鹿のために作った動画だったがそもそも目に入らなければ意味がない。動画がどれだけ視聴者に見られたかを示すインプレッションという数値は増えなかった。ユーチューブのインプレッションは棒グラフで表されるが、俺の棒グラフは死んだ青虫だった。これならまだ腹ぺこ青虫のほうが余程アグレッシブに動いている。
睡眠薬の消費が速い。一錠飲んでも効かないから一回で二錠服用するせいだろう。抗うつ剤も効いてるか分からない。効いているならモニターを殴り付けずに済んでいるか。不幸中の幸いとでも言うべきか、今まであげた動画の収益でモニターはなんとか新しいものを手に入れることができた。少し足りなかったので生活費でもある奨学金に多少手をつけてしまったが。つくづく思うが俺は不幸だ。この二字熟語は俺のために作られた単語なのだろう。そうじゃないならなんと言えばいい? ベストジーニアス賞みたいな賞を作ればいいのか? 悪いが俺が圧倒的な強さで優勝した上で殿堂入りはさせてもらうが。今回は明らかにユーチューブが悪い。俺なわけがない。だがさすがに天下のグーグル相手に文句は言えない。だが、馬鹿どもが俺の動画を見ないこともある種の真実だ。悪に手を染めた戦略も通じないとなれば残された道は一つだけか。だが、それだけは避けなければならない。エロサムネに頼る奴らは恥もプライドもない存在だ。同じ人間として心底軽蔑するし、中身の伴わない動画を出すことに虚しさを覚えない恥知らずと同じところまで落ちる訳にはいかない。そこまで行く訳にはいかないのだ。ここが俺の最後のデッドラインだ。人として生きるか、承認欲求でしか自己を確立出来ない怪物になるか、俺は人として生きたい。
涙が溢れる。なぜ俺ばかりが悲惨な目に遭わなければいけない? 神は俺に怪物になれと言っているのか? 人して生きることすら許されないのか?
だったら抗って見せる。その一線を守ることに意味があるのだから。それに秘策はある。俺が他のゲーム実況者とコラボをすればいいのだ。俺が有名な実況者とコラボすれば向こうの視聴者が俺に興味を持ち、チャンネル登録をしていく。そうすれば、俺が普段から出している面白い動画を見る様になり高評価や好意的なコメントを残すだろう。そうなれば後は雪だるま式にチャンネルの数字は増える。良いことづくめでしかない。懸念点を挙げるとすれば、俺にはまだ大した知名度がない。そんな奴とコラボすることにはメリットがない、と普通ならなる。それは仕方ないことだ。俺だってコラボする価値もないゴミ屑と馴れ合うのは無駄に疲れるし、効率の悪い行為だ。だが俺の面白さはまだ知られていないだけで、切っ掛けさえあれば爆発的に伸びる。現時点でのメリットは提示できないが、後々のメリット。お釣りがくるほどの出世払いなら文句はないだろう。それに俺はツイッターで、数人の有名実況者と相互フォローになっている。つまりはそれだけ有望株、目をつけられているということだ。彼らも相互フォローの俺からのコラボオアファーは無碍にできないに決まっている。さて、そうと決まれば早速ダイレクトメッセージを送ろうか年末までコラボ動画続きになるのは既存の視聴者に申し訳ないと多少思うが、母数が増えれば思い入れのないただの数字になるだけだ。俺の期待に答えろ有名人ども。
十一月、ブロック→ブロック解除、このルーティンを繰り返す。馬鹿は視聴者だけだと思っていたのはどうやら俺の勘違いだったようだ。視聴者よりもっと馬鹿な奴らがいた。二度と俺の前に現れるなよ有名人気取りのクズどもが。わざわざこっちから頼んだというのに全員断りやがった。さらに腹が立つことに自分が悪人になりたくないのか、無駄に答えをはぐらかそうとする。そんなに良い顔がしたいのか? 残念だが俺からしてみれば俺の誘いを断った時点でお前ら全員極悪人だ。とっとと死ねばいい。お前らなんざこっちから願い下げだ。なぜ生きている? 人を不幸にさせることが生業なら今度からプロフィールに書いておけ。裁判するとき言い逃れできなくなるからな。そんなに目の前の数字が大事か? そんな下らないものに振り回されているから、将来金が成る木になる俺を取りこぼすんだ。有名人に慈愛の心はまるでなかった。あいつらに通っているのは血なんかじゃない。溶かした硬貨でも代わりに流れているはずだ。
結果だけを言えば誰も俺とコラボをしようとはしなかった。格下と見做している俺の誘いを受けることはプライド的に許さないのだろうと思ったから、わざわざコラボしたい人募集とツイートしたのにあいつらは無視した。代わりに来たのはゴミカスユーチューバーくらいだ。おかげでそのツイートを廃品回収に回すことになった。なぜ俺がゴミカスユーチューバーなんかとコラボしなければならない? どう考えても時間の無駄だろうが。
何よりも許せないのはあのクズどもがこのゴミカスユーチューバーと俺を同列に扱いやがったことだ。マジでありえない。なぜそんなことができる? あいつらはたまたま人間に生まれただけで、きっと前世はなんの役にも立たない存在だったに違いない。だから俺にこんな仕打ちができる。リスペクトの心を失い、どうして人と同じ存在だと名乗れる? 俺はあいつらを同じ人間だとは到底思えない。あいつらからは人間ならば必ず持っていなければならない慈悲の心が一つも感じられなかった。きっとユーチューブにしか居場所がなかったから、数字がすべてと言わんばかりの歪んだ価値観しか育まれなかったのだろう。あいつらのことを毎日遊んでいるだけの何もしていないニートと思っていたが、それはどうやら俺の思い込みでしかなかった。実のところあいつらは人を不快にさせて泡銭を稼いで笑っているどんな人間よりも醜悪な怪物だったのだ。いつ無くなるかも分からないユーチューブというプラットフォームを安息の地だと思っている愚かさだけは同情できるが、それ以外は情の一欠片すらも湧いてこない。悪人にかける慈悲なんてないだろう? そういうものだ。
だが困った。動画の更新自体は週一で続けてはいるが、これは現状の維持だ。現状維持はいずれ停滞の未来を示唆している。だがどうにもモチベーションが湧かない。人間は見返りがなければ力を発揮できない。無償の人助けを行う者だって助けた自分に酔いしれたいからこそ、そういう行為をしている。まぁ、俺の誘いを断ったゴミカスどもは高まっている自尊心に酔いしれているから無償の人助けすらしなかったが。
だがしかし、万策が尽きたという事実は愕然と目の前にある。怒りで歯を軋ませる。いいだろう。全員人間じゃないと分かれば俺にも使える策がある。怪物が巣食うユーチューブで生きるには俺も怪物になるしかないようだ。
あぁ、こんなことをするために生きてきたわけじゃない……だが、俺はこうするしかなかった。
十二月、ユーチューブはどうにも思考回路が単純な脳がスポンジでできている馬鹿どもの集まりだったらしい。
二万円だ。
俺の四ヶ月分の収益が一ヶ月で集まった。怪物になった代償としては安い値踏みだが、今は目を瞑ろう。エロサムネの効力は絶大だった。簡単に登録者と再生回数は増える上にすべての数字が歴代最多を更新した。馬鹿にはちょうどいい目眩しとはまさにこの事だ。あまりにも簡単に数字が増えるから、試しに一度普段の労力の三分の一以下で動画を作ってみた。するとどうだ? 普段と変わらない再生回数どころか、普段より多く再生されてしまった。ここまで来ると笑えてくる。コメントもすべて俺を褒め称えるよう内容のものばかりだ。
ねてろもきっとこの感覚を毎日味わっていたに違いない。多少動画スタイルの違いは出てしまったが、ようやく俺はあいつを超えることができそうだ。元々出来損ないだった奴にしては頑張った方だが、ここからは俺の一方的な独走状態だ。あいつが上がることはもうないがきっかけを掴んだ俺は伸び代がある。今から前のスタイルに戻して、あえて視聴者の厳選を行うのも悪くはないが、それはリスクのある行為だ。今の俺の数字では若干博打になってしまう。ならやることはたったひとつ簡単なこと。今よりさらに際どいエロサムネを作成し、チャンネル登録者数を増やす。数は正義だ。母数が増えればその分博打的要素も潰せる。現在のチャンネル登録者数は一万人、ひと月で五千人増えたことになる。ならば次は一万人増やすことを目標にしよう。期限は年末、十二月三十一日。そこで伝説を打ち立てるとしようか。
一月、神経が逆立つ感覚が常に付き纏っている。俺はユーチューブから違反警告を二回受けた。九十日間のうちに違反警告を三回受けるとそのチャンネルは削除される。つまり俺はユーチューブから脅しをかけられているということだ。だがしかし、その脅しは俺になんの意味も持たない。なぜならすでに俺の目標は達成されたからだ。チャンネル登録者驚異の三万人、切っ掛けさえ掴めればこうなることは当然だが、しかしここまで上手くいくとは思わなかった。笑いがこみ上げてくる。大義を成し遂げるには多少のリスクは付き物、俺はそのリスクに打ち勝った。そう、それだけのことだ。後はガイドラインに触らない程度のエロサムネ動画を出しながら以前のスタイルに戻せばいいだけ。四年だ。俺のすべてを賭けた四年がようやく報われ始めている。俺は困難に打ち勝ったんだ。神も運も関係ない、これは俺の実力で手に入れた数字なんだ。そう思うとユーチューブが愛おしく思え、今までの記憶が輝かしいものへと移り変わっていくことを感じた。ここからだ。ここから、俺のユーチューバーとしての人生が始まるんだ。きっと数多の困難が待ち受けているだろう。だが、そんな困難でさえ、俺ならば乗り切れる。毎日が悪夢だったこの四年間を思えば、もはや越えられない壁も心が砕かれる出来事もあるわけがない。
さぁ、これから忙しくなるぞ。
二月、虹色の虹彩が四方八方に飛び散りながら集まり弾けて脳の中でキテレツダンスを踊り出す今日は満月の夜だから狼になって豚さんびきを仕留めて血をすすって貪るパーティーだ赤色は嫌いだから全部暗く塗りつぶせばいいと思ったのにペンキが極彩色に光って黒に濡れないだから周りに火を放つ今は夜だから全部が燃え尽きて消えたら黒く黒く黒く塗れるはずなんだ小人が四人高笑いすれば朝になって西の魔女がくしゃみをして東の魔女が目薬をさしたらまた夜がやってきた夜は真っ黒で光らなくなったこれでまた黒集会の舞踏会が開催される影法師のステップはイタリア仕込みだからジャックナイフで足並みを揃えるんだ頭がチカチカして目の端から白くなっていく滲む景色がひどく白くなっていくものだからゴッホのひまわりのタトゥーを目に彫ったでもダメだねすぐにまた白で滲むからどれだけ彫っても勝手に消してしまうもう白は嫌だから目を閉じたけど黒くならない白くなる眩しくて痛い痛い目が腐って落ちた痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い。
火。
頭が
腕が。
体が。
足が
熱く。
焼いて。
燃やして
画面の向こう。
人間がのたうち回る。
響く絶叫が何度も音割れ。
やがて燃えた肉塊と化した。
肉塊が動きを止めて蹲って唸る。
唸り声も小さくなり僅かに動くだけ。
画面に明るい閃光が走りノイズを届けた。
目が覚めた。
嫌な夢だ。時々自分の中の弱さがこうやって顔を出す。自分がやりたくないやり方でもやっていれば、今頃有名だったんじゃないかと時々考えるが、その考えが時々こうやって嫌な夢を見せにやってくる。どうせそんな度胸もないだろうと嘲笑いにやってくるのだ。エロサムネに関しては一回試してみた。確かに数字自体は取れたが広告が剥奪されたのでそれっきりで辞めた。投稿頻度も上げた所で大して結果がついてこないで疲れたので辞めたし、情報で騙すのも好きで遊んで実況してるゲームにやる事じゃないと思ったからやってない。
つまるところ、結局俺は結果を出すまでの今の過程の中で起こる変化に恐怖しているのだ。口だけ立派なことは言えるが、所詮それだけ。行動には移せない。
悪夢を見てると自分の汚さを改めて再認識してしまうからよくない。
時計を確認する。夜中の三時、四時間くらいは寝れたか。寝てももうどうにもならないのに寝る意味がわからない。
でも、やっぱり寝れないのは辛い。
だが、自分の行動を思い返すことはもっと辛い。
流れで俺はため息をつく。ダメだな、思い返しても結局俺とねてろの差が浮き彫りになって疲れるだけだろうに。あいつに抜かれて打ち砕かれた俺の心は未だ治っていない。色々足掻いてみたが全部上手くいかなかった。こうなることはわかっていたはずだと、考えても無駄だと何度も自分の心に言い聞かせている。あいつと俺では住む世界が違えば、見ている景色も違ったのだ。たかが、凡人の積み重ねた二年のプライドが崩れただけ。本当にただそれだけの事なんだ。ユーチューブを始めてからもうすぐで三年が経とうとしているが俺の登録者は五千人。最近ようやく収益化の条件をクリアしたところだが、ねてろはというと一年の間にあれよあれよとバズの嵐、登録者十万人の化物になってしまった。ふと点けっぱなしにしていたテレビに目をやる。放送内容よりも字幕の出し方や位置を見る。ダメだ、意識しなくとも自然とそっちに目が行ってしまう。
気付けば私生活は動画一色になっていた。テレビを見ていてもテロップやフォント、編集が気になる。バラエティ番組の出演者の掛け合いが気になる。他人の動画を見ても編集の勉強になってしまうし、楽しいと思いながら動画を見ることは過去のことだ。生活のすべてを捧げた。過言じゃない。そう思えるだけのことはしたし、自分が伸びるために流行を押さえて自分が作りたいものとはズレている動画も数多く作った。投稿頻度の高さを売りにして数字を伸ばす後発の動画投稿者が出てくれば不本意ながら真似もした。百、二百、三百、命を掛けて作った数多くの動画はその他大勢の波に飲まれて消えていった。陽の当たる水の中で悠々と泳ぐ彼らと比べ、俺がいるここはなんだ? 深海か。ここが水族館なら、きっと俺も見られるコーナーがあっただろうに。電子の海は平等じゃない。誰もが生きる権利はあるが、権利はそれしかない。残酷な世界だ。
成功の見えない作業を何度も繰り返し、そして何度も失敗していく。誰も答えを提示してはくれない。ただ、自分の背後から颯爽と駆け抜けていく顔の見えない誰かが、背中を見せて遠くへ行くだけだ。いたずらに浪費した時間は帰ってこない。同級生が人脈や資格を手にする中、俺が手に入れたのは壊れた自尊心と折れた心だけだ。
駄目だ。何かをしていないと過去を思い返して良くない思考が堂々巡りしていく。悪いことを忘れたくて俺は結局ベッドで横になる。
頭にずっともやがかかって白ける。考えるという行為がとてつもなく苦痛で、ただただ眠りたい。暗い深海の底で砂に蹲りながらそのまま死んでしまいたい。
結局その日は眠れなかった。
大学に通ういつも通りの日常をこなし、適当にゲームをして課題を出して、飯食って風呂に入って歯を磨いて寝る。実にくだらない日常だ。
深夜一時、体を起こす。少しだけ休憩しようと思ったのが不味かったか。寝てしまった。背中が冷える。冷や汗よりの汗か。夢の中にいたはずなのに無駄に思考していた気がする。俺は寝れたのか? わからない。目の奥に鈍痛が広がってる。やなんだよな、こういうの。ついでに頭痛まで持ってくるから。ベッドから降りて洗面場まで行き、コップに水を入れる。横に置いてある薬を手に取り、口に入れて水を飲む。この薬の名前なんだったかな。医者は抗うつ剤とか言ってたか。効いてるかどうかはわからない。効いてたら病院なんか行ってねぇか。動画投稿を始めるまではこんなものとは無縁の生活を送っていた。正直な話、メンタルなんてものは眠れば勝手に回復すると思っていたし、実際回復もしていたはずだ。でも、気付けば俺のメンタルは動画投稿に蝕まれていた。辞めようと何度も思っていたはずなのに辞められなかった。理由はわからない。俺は一体何をしているんだろうか。
もう寝る気分ではなかったのでパソコンを開く。そしておもむろにディスコード(チャットサービス)を開くと個人チャットが届いていた。
『ゲームやろ』
相変わらずぶっきらぼうなチャットだなと働かない頭でそう思いながら、俺は通話ボタンを押す。誘うのはあいつ、そして始めるのは俺から。奇妙なルーティーンのようにも感じるが、これは俺とあいつが遊んできた中でできた暗黙の了解的なものだ。十秒くらい呼び出し音が鳴ったあと、あいつが通話に出る。
『なん、にゃーん、おはこんば〜』
ヘッドフォンの向こうから眠たそうな声が聞こえてくる。なんだ寝てたのかよ。明らかに寝起きと分かるような声で出てきた女に俺はため息をつく。
『お〜いビエン、乙女の肌をプルプルに育成する睡眠中に起こすとはいかんことを覚えたな〜?』
「ばか、お前昼夜逆転してるだろ」
俺はあいつの半分寝言の戯言をいつもの調子で受け流しながらとあるゲームを開く。複数人で協力しながらモンスターを狩猟するゲームだ。俺とねてろが普段投稿しているゲーム実況のゲームはこれではない。お互いメインで動画投稿しているゲームを遊びの時にもするのは疲れるから普段とは関係ないゲームでいつも遊んでいる。ちなみにねてろは三人一組でチャンピオンを目指すシューティングゲームがメインで、俺は車の後ろにバナナを置いたり亀の甲らを相手にぶつけるレースゲームだ。
『はい私の勝ち〜』
弾を撃ち込まれ切りつけられたモンスターが咆哮を上げながら倒れる。一応最高難易度のモンスターだったのだが、五分くらいで終わってしまった。俺ソロでこいつ倒すのに三十分くらいは余裕でかかるのに。ねてろは基本的にゲームが上手い。なんでもそつなくこなすというか、常に俺の五歩先くらいで上手い。本人は根っからのゲーマーと言っていたが、実際その通りなのだろう。ゲームの理解が早ければ、慣れるまでもが早い。こんなこと言うのもあれだが、この時代に生まれて本当に良かった人間というやつだ。
『ねてろ君は二回も乙ったでちゅね〜』
こいつはいつもゲームをするとき、俺を煽る。的確に神経を逆撫でしてくるが、ちょっと面白い感じのゲーマー特有の煽りだ。
「たまたまだ。たまたま」
『玉玉だなんてそういう下ネタは良くないでちゅよ〜』
「俺より年上のやつが下ネタでキャッキャッしてるのやばくない?」
『おい歳の話は禁句だろ』
これが俺とあいつのいつものゲーム風景。ねてろは最近まで普通に働いていたが、ゲーム実況が軌道に乗ったことを機に辞めたらしい。本人曰く、クソみてぇなブラック会社を辞めたらお肌が白いゆで卵のようにピッチピチに若返ったとこの前、格ゲーをしてるときに言っていた。お湯に長年浸かりすぎて中身カッチカチの固茹でだけどなと言ったら、壁際でハメコンをした後に超必をぶっ放された。
こいつとゲームをしていて思うが、俺はなんでこんな登録者が上のやつとゲームをしているのだろうか? 別に自分を卑下していて言ってるわけではないが、こいつにはもっと相応しい相手がいるのではないのだろうかと思う。登録者が十万人もいれば色んな相手から遊びに誘われるものだと思うのだが、なぜかこいつは俺とずっと遊んでいる。俺の思い過ごしなら別にいいのだが、ねてろが俺以外のゲーム実況者と遊んでいるところを見たことがないのも事実だ。まぁ、俺の知らないところで遊んでいるならそれはそれでいいんだが。
「なぁ、ねてろ」
『なに?』
「お前友達とかいないの?」
あ、ねてろが乙った。めずらし。
『いや全然友達いるけどね?』
分かりやすい虚勢だ。俺はこいつにいつも何か負けそうになると分かりやすく弄れるところ、粗になりそうなところを突っついてミスを誘発させる。本当は実力で勝ちたいところだが、こうでもしないとこいつには勝てない。こいつは俺と知り合った頃から俺より半歩先くらいゲームが上手い。まぁ、紙一重というやつだ。
「彼氏もいないし」
『全然男に興味ないけどね私?』
「なぜなら〜?」
『ゲームがあるから〜!』
またねてろはミスをした。
俺の中で一番最悪だったのはこいつと俺は驚くほど気が合う相手だったということだ。正直な話、ユーチューブのしがらみを抜きにすれば俺は今まで生きてきた中でこいつと過ごすのが一番楽しい。最初は自分を安心させるために近づいたが、こうなんというか成人してから、こうも趣味だったりノリの波長が合う相手と出会うのは珍しい。言ってしまえば、親友という陳腐に思える言葉を使ってもいいくらいではある。
だが、一度ユーチューブというフィルターがかかれば、俺にとってのねてろは有名人であり、有名人アレルギーを持つ俺には耐えがたい存在だ。
有名人アレルギーという俺が持つこの病気はとてつもなく厄介で、自分と同じ土俵にいる有名人が憎くて仕方なくなり、目眩・動悸・息切れが起こる。症例だけあげれば更年期障害の薬飲めばマシになりそうなラインナップだ。今の俺の状態を分かりやすく例えると犬アレルギー持ちの犬好きだ。
『そういえばビエンさぁ』
何か思い返したかのようにねてろが話しかけてくる。
なんだ、この前誕生日プレゼントで渡した漫画の感想でもいうのか。
『就活どうなったの?』
「聞くなよそんなこと……」
普通に凹むことを聞かれた。俺はねてろによく就活がうまくいってない話をしているが、いまここで話すのは流石にルール違反だ。泣いてしまいそうになる。
俺の反応を見て撃沈していることを悟ったのか、ねてろは申し訳なさそうにごめんごめんと通話の向こう側で平謝りをしている。
「まぁ、上手くいってないからフリーターになろうって感じ」
『じゃあ動画投稿沢山できるね』
「いや、しないんじゃない?」
『え?』
困惑、空気が変わったことを通話越しで感じた。
どうしたのだろうか?
別にこれ以上続けても意味がないと思っていたから、普通に辞めて普通に暮らそうと思っていたんだが。
『なんで辞めるの?』
「俺登録者五千人よ? 続けても正直しんどいっていうか、だるいんだよね」
頑張っても意味ないし。
『だ、ダメだよそんな』
「四年やって五千、俺にしては頑張ったほうでしょうよ」
この会話はあまり続けたくないな。
『ビエンの動画面白いからこれから伸びるよ』
「今、数字にはまるで出てないけどな」
やめろ、言いたくないことも言い始めてる。
『数字があるのがそんなに偉いの?』
「ユーチューブだとそうだろ。俺はクソ雑魚なの」
ダメだ、嫌なやつだ俺。
『ビエンは十分頑張ってる』
「結果が全部の世界で努力賞求めるのは負け犬なんよな」
勝ち組に言っても仕方ないのに。
『ファンは確実にいる』
「顔も見えないその赤の他人の数で俺らの価値は決まるんでしょうに」
まずい、頭の奥から熱がじんわりと広がり始めた。
『ビエンは絶対にこのまま続けたら成功する』
「十万人もいる奴の慈悲の言葉はありがたいね」
熱が顔を伝って広がってきた。
『今僕の話はしてないじゃん』
「お前が話すからそういう話になんだろ。俺には伸びる才能なんてないんだよ」
動機が早くなってイライラする。
『それはまだチャンスが来てないだけだって!』
「チャンスってなんだよ! もう四年目だぞ俺は!」
やばい、声を荒げた。
『生きてれば良いことはある!』
「知らねぇよ! どうせ大した人生じゃねぇんだから死んでとっとと生まれ変わりてぇよ俺は! そうだな、来世はドブネズミあたりがお似合いだろうな!」
『……ばか』
それだけ言ってねてろは通話から落ちていった。なにしてんだ俺は、あいつが妙に突っかかるから苛ついて色々と自分の胸の中に溜まっていたものを吐き出してしまった。あいつは前から少しポジティブすぎるところがある。俺がさっきみたいに自分の登録者や動画について弱気なことを言うとムキになって言い返してくる。
正直な話をすると自分よりも成功してる人間にかけられる慰めの言葉は中々に堪える。悪いのは俺だということは分かっている、才能がないと思ったならそれを埋める努力をすればいい。やれることはすべて試して意地でも動画を出すのが一番の近道だ。だが今の俺にはその近道が果てしなく遠い万里の道に思えて仕方がない。
凡人にこの道を歩き続けるのは困難だ。才能のある彼らはこれを歩いてることに気が付きすらしない、この道を知覚するかどうかが凡人と天才の違いなのだろう。
あいつがなぜ怒ったのかはわからない、でも、早く俺が謝ったほうがいいんだろうな。
お祈りメールが五十通を越えたとき、俺は就活を辞めた。ねてろと話してるときは冗談のつもりだったが、まさか本当にフリーターをすることになるとは思わなかった。幸い家族は一人っ子の俺に甘かったため大学を卒業した後にフリーターでいることを許してくれた。申し訳なさと同時に就活をしなくても良くなったことにそっと胸を撫で下ろした。自分の良心が半分くらい欠けたクズで本当に良かった。俺が親孝行で良く出来た息子ならここで腹を切ってお詫びしていたに違いない。武士道スピリッツはこの世に生まれたとき、胎盤と一緒に流れ落ちていてくれたようだ。
正直、社会に出て働きたいとは思っていなかったのでちょうど良かった。大学を卒業しても心身を削って働かないで良いとなれば多少は楽に思えてきた。
だが俺がフリーターになったところでできることなどバイトぐらいしかない。動画投稿をすればいいという話ではあるが、ニートにまでなってやることが伸びない動画制作はさすがに生き地獄としかいえないだろう。
ふと、ユーチューブのデータを専用のアプリから見る。今月の収益は約二千円、俺は動画を四本出している。週に一本出したことになるが、一本あたり大体二十時間かかる。俺のユーチューブの活動を時給換算すると約二十五円。俺の二十時間は小さなカルパス二本ぐらいの価値だ。安い酒のつまみしか買えない酒のつまみにもならない話なんて笑えない。
一度、ねてろの月収を聞いたことがある。
三十万。
それがねてろの月収。
あいつは週一で動画を出している。一本につき大体8万円前後、それが世間で値踏みされたあいつの動画の価値だ。時給も俺よりは格段に良いだろう。本当に笑えない話だ。あいつがやっていることは立派な仕事だが、俺がやっている事はボランティアの様なものだ。俺がやっていることは側から見れば珍しい趣味なのかもしれない、だが当の本人からしてみれば仕事なのだ。真面目に頑張って仕事した結果が月収二千円? 学がないから細かいことはわからないが、俺が大正の人間なら高級車を買えただろう。だが残念なことに時代は令和、そして俺は一般人。高級車を買うなんて時代じゃないし、家計はまさに火の車だ。生まれた時代が悪かったか。もし今の時代にドラえもんでもいればもしもボックスでも出してもらおうか、なんて下らない考えしか出てこない。陳腐な考えを垂れ流すからセンスが尖らないということか。
俺はユーチューブになにを求めているのだろうか?
金は欲しい。
ちやほやされたい。
自尊心を満たされたい。
並べてみれば随分と退屈な答えしか出ないことに気がついた。俺には崇高な目的もなければ、この世界で一番になりたいという野心もない。普通の願いをただ普通に祈りながら普通に行動するしかできないのだ。自分のうだつのあがらなさに呆れるばかりだ。
俺はどうにも自分の評価を外部に置いている気がする。自分自身を高く見積もり評価するなどもってのほかで、自分より目上の人間であったり、優れた人間に褒められるときにこうなんというか、心が充足感で満たされる感覚がある。この外部の評価を気にしすぎるというのは誰しもあるものだと思う。例えばネットショッピングをする時、飲食店で飲食をするとき、美容室で髪を切るとき、大体が口コミを気にするだろう。この口コミを気にするタイプの人間の中には、自己の評価が含まれている者もいる。
今の話はユーチューブにも適用されている箇所がある。それは高評価とコメントだ。高評価が多いと単純に視聴者におすすめの動画として表示されやすくなる。このおすすめの動画として表示されるというのが大きく、視聴者がどこで自分の動画を見つけてくるかというと大半がこのおすすめの動画からだ。ユーチューブの動画は検索で調べて視聴されるよりもおすすめで視聴する割合のほうが大きい。だからこそ大体の動画には高評価をつけてくれという一文が入っているか、ユーチューバー自身がお願いしているわけだ。
コメントはあればあるほどその動画が賑わっているように見えるし、コメントのワードが検索に引っかかり、表示されることがあるからだ。
ユーチューバーたちは高評価とコメントにいつも踊らされている。つまるところ俺も他者の評価で生き死にが決められているということだ。
まぁ、たいして伸びてないから俺自身の自己評価が低いところがあるかもしれない。
ねてろは俺の動画のことになると口がいつも以上にべらぼうに回り出す。ここが面白かっただの、あそこのワードセンスや例えツッコミが光ってただの、随分と買いかぶってくれている。だが、俺からしてみればそれも一つの意見でしかない。あいつがいくら声を大にして俺の動画を面白いと言ったとしても、他の大多数が面白くないと言えばそれまで。俺の動画は死んだ動画になるのだ。
別に褒めてくれることに対して悪い気分を抱いているというわけではない。だが、事実と現実が俺を舞い上がらせずに地面の底に縛り付けている。
この間からねてろと連絡は取り合っていない。多分だが、これは世間一般的な言葉で表すと喧嘩という奴なのだろう。俺はネットでできた友達と喧嘩をしたことがない。だからこの場合どうすれば仲直りできるか分からないのだ。だが、あいつの態度を見る限り仲が修復できるのだろうかと思ってしまう。あいつが怒った根本的な原因を理解し、見つめ直さなければあいつは俺のことを許してくれないだろう。そもそも、あいつと俺とでは置かれている状況と価値観が乖離している。こうなることはむしろ最初から決まっていたことだと神様にでも言われようものなら有無を言わずに納得している。
この活動を通して俺の心には大小様々な傷ができた。それと同時に十代特有の無鉄砲さや、自分はなんだってできるんだという自信ですら容易に打ち砕いた。自分では乗り越えることのできない壁がある、そのことをはやく知れた分幸せだったのかもしれない。その分、俺は自分を信じることが絶対にできなくなってしまったわけだが。
心の傷はいつか時間が癒す。傷ついた分、幸せな記憶が増えるたびに悲しい気持ちは忘れていくからだ。
なら失った自信や尊厳はどうすれば元に戻る?
簡単だ。
その場所で失ったものはもう元に戻らない。別の場所で新しい自信と尊厳を手に入れて来るといい。辛い場所は離れるに限る。
だが、そこを離れたくない。そう思っているのだとすれば?
簡単だ。
その場所で失ったものはもう元に戻らない。だからこそ、もう一度作り上げるしかないのだ。辛い、地獄だとも思ってしまうその場所で、もう一度作り上げることでしか、そこで失った自信と尊厳は取り戻すことができない。
俺にそんなことができるのだろうか?
取り戻すことで、ねてろが俺に怒ったことを正面から受け止め理解し、前のような関係に戻る事ができるのか。ゲームは一人でやると寂しい。あいつと一緒にしないゲームは少し退屈に感じるようになってしまった。
そんなある日、俺に信じられないニュースが飛び込んできた。
人が燃えていた。火を付けられていた。
焼けていく彼女を見てみんなが笑っている。火の手は煌々と周りを飲み込みながら大きくなっていく。誰も消そうとしない。生まれて初めてした火遊びと似ていた。八歳の頃、祖母の家の仏壇で見つけたマッチを擦って見つめたあの日の炎と似ていた。燃えている彼が言葉を発する度、火の手は大きくなる。言葉にガスでも含まれているのか、熱のある言葉は野次馬を大いに沸き上がらせる。この光景をどこかで見たことがある。そう、魔女裁判と石打ち刑が同時に行われている様なこの感覚。彼女はきっと死なない、みんながそう思っている。彼女が逃げることが出来ないことも知っている。彼を成敗することが正義だと知っている。
燃えているあいつはユーチューバーだった。
名前はねてろ。
二章
友達のユーチューバーが燃えた。
俺は燃えてるところを見てたユーチューバー。名前はビエン。
切っ掛けは、あいつがメン限(メンバーシップ限定の略)の生放送をしてるときだ。
第二次世界大戦を題材にしたゲームを遊んでた。その日はイライラしているのが、画面の向こうから伝わってきた。理由はよく分からない。そういうときに限ってくだらない試練は降りかかってくる。ボイスチャットに暴言を言う奴、いわゆる暴言厨が入ってきたのだ。
最初はねてろも無視していたが、自分のプレイアブルキャラが死亡したときに暴言厨が激しく罵りだした。訛りがきつい喋りをしていたが、もしかすると外国の言葉だったかもしれない。話す言葉の全容は理解できなかったが怒っているということは火を見るよりも明らかだった。コメントがざわつき始めたそのとき、大きく物を叩く様な音がヘッドフォンから響く。何をしたかすぐにわかった。台パンだ。視聴者がその行為に言及するコメントをするよりも早く、ねてろが言葉を吐いた。あいつが言ったことは今でも覚えている。
『お前みたいな奴見るたびに人生ちょろいなって思うよ。人権捨ててとっとと死にな?』
燃えた。凄く、燃えた。生放送自体はすぐに終わったが、視聴者の誰かがこの発言を切り抜きSNSに載せたのだ。この切り抜きはあっという間に拡散され、ねてろは悪い意味で時の人になってしまった。確か最終的にはテレビのニュースにも取り上げられ、その発言の是非が問われることになった。争点となったのは人権捨てての部分だ。ここがいけなかったらしい。
これが今から半年ほど前の出来事。当時登録者二十万人という多いと言えば多いが、世間的に言えば中堅のユーチューバーだったねてろは炎上発言をした性格の悪い人物として扱われる様になった。
この半年でねてろは終わった。別に人生が終わっただのそこまで重くないとは思うが、あいつがユーチューバーとして活動していくことはもう無理だとしか言えないだろう。再生回数は最盛期の十分の一、登録者も増えるどころか減っている。動画のコメント欄は閑古鳥が鳴くかアンチが吠えるかのどっちかだ。
正直な話、ここまで落ちると惨めなものだ。世間の関心は常に移り変わり続け、ねてろの発言なんてとっくに昔の話だ。何なら発言の内容はぼんやりと覚えてはいるが、誰が言ったかまでは覚えてない人間のほうが多いだろう。当時は怒りで発言を拡散した人間が大多数だっただろうが、人間の怒りはそう長くは続かない。ねてろは一時の感情で身を滅ぼしたが、その身を滅ぼした社会の感情も一時的なものだ。別にあいつを庇おうだなんて思ってはいない。ねてろの発言は許されないし、世間が怒りを抱くほど問題があったのも事実だ。だが、なぜあんなことを口走ってしまったのか。あいつはそんな人間じゃなかった。
あの日の会話を思い出す。今のあいつに寄り添っている人間はいるのか、俺は孤独の辛さを知っている。だが、あいつの孤独はより悲しみが強い。飛ぶ鳥落とす勢いで伸びていたはずなのに、たった一度の炎上で落ちた鳥が自分になるとは思わなかっただろう。
ねてろはそれでも動画投稿を続けた。よく続けられると思う。再生回数が特に低い動画を幾つか視聴したが、相変わらずレベルは高い。あのとき、背中すら見えなかった動画のままだ。いや、厳密に言えば違う所がある。動画の質が以前よりも上がっているのだ。つくづくこいつを見てるとユーチューブの残酷さを思い知らされる。面白い動画を作っていたとしても受け入れられるわけじゃない。中身で勝負できる動画を作っていたとしても一度落ちてしまえば這い上がることなんてできない。この界隈での炎上で生き残れるのは本当に上位の人間だけだ。ましてや中堅のユーチューバーでこの規模の炎上は殺しにかかってる。不完全燃焼なわけがない。ねてろの動画はもう完全燃焼の後の灰だ。原型もない。自分があいつの立場になったとしたら、もしもの考えだが背筋が冷える。たった一つの発言、ただそれだけのせいで自分の職も未来もすべて失うことになるのはしんどい話だ。夢も希望もない。
一つ、二つと炎上してから後の動画を見ていく。そしてコメント欄のコメントも見ていく。多数のアンチコメントに目を通すが、そのどれもが人格否定の話ばかりだ。きっと動画なんて見られてないのだろう。動画をろくに見ずにべらべらと好き勝手に喋るアンチの付き合いも大変だ。というよりもねてろはなぜコメント欄を閉鎖しないのだろうか? そうすればアンチの言葉は少なくとも視聴者には見えないし、何よりアンチしかいないコメント欄を見せても落ちぶれた印象しか出ないはずなのに。ねてろが何を考えているかは分からないが、一つ言えることがあるとするなら多分あいつの動画投稿を続ける意思は変わってないということだ。俺には到底できそうにない。
炎上した後、ねてろは一本だけ謝罪動画を出した。謝罪の仕方でその後の炎上が変わったりするが、俺は思い切ったことをするなと感じた。動画時間が約二分しかなかったからだ。淡々と事情を述べた後にただ一言、謝罪した。短すぎる気もするがこれが正しい謝罪だったのだろか。わかりやすく声を振るわせながら肩で息をして、泣いて謝罪の言葉を吐けば少なくともリスナーは同情したはずだ。ねてろの謝罪動画には誠実さがないと言われても不思議なくらい、あいつの謝罪はただ淡々と頭を下げるものだった。普通の謝罪動画といえば、事の顛末と発言の真意、これをしっかりと感情たっぷり込めて語った上で自分を多少なりとも可哀想な人間を演じるものをよく見かける。謝罪に誠実さはいるが、真実は実の所どうでもいい。謝罪というのは自分の罪を軽くするためのプレゼンだ。自分をいかに悲劇的にプロデュースし、反省をアピール出来るかに勝負がかかっている。電線を繋いだ先にいる人間に自分の熱意や真摯さが伝わるはずがない。無料の快楽を貪り続けて目と頭を肥やした気でいる奴らに見せるポーズなんて表面上のものだけで十分だ。ねてろのアンチコメントは最初こそ数多くあったが、今ではどうだ? その時の三分の一以下だ。炎上のおもちゃとして風化しかけている、炎上しているときは巨悪を倒そうと全員が躍起になっていたはずなのに、みんなで囲んで殴っていたはずなのに、気の済むまで殴り終わった後、円の中心にいたのは虐げられた一般人だった。
季節は一月、新年を迎えて晴れやかな気持ちの人間がたくさんいるのに、俺の心はどこかパッとしない黒いモヤを吐き出せずにいた。もしかすると、あの日の俺の発言があいつをあんな行動に移らせたのか? こんなことを考えても仕方がないことは分かっている。だが、どうしても俺はあの日の自分を責めずにはいられない。俺があそこまで追い込んでしまったのではないのかと何度も自分を責めそうになる。考えすぎではあると思うが、責任を感じないほど俺は薄情な人間でもなかったようだ。初詣に行く前にこの嫌な感じを捨てることができればいいのだが。
家に帰ってきておもむろにスマホを取り出す。そしてユーチューブを開き、自分の登録者を確認する。
登録者一万人。
俺はねてろと喧嘩別れしてからも動画投稿を地道に続けた。伸びる要因になったものは一つ。自分が実況しているゲームにダウンロードコンテンツが入ったのだ。そのおかげで取り扱っているコンテンツに需要が生まれ、投稿した動画が再生されるようになった。
まだ大して伸びてやしないが、半年前と比べるとはありえない成長をしたと自分でも思ってる。近道は万里のようにはるか遠い距離のものだと思っていた。だが、伸び始めてから俺は気づいた。伸びたことが嬉しくてそれがモチベーションになって、動画制作に前よりも夢中になって、出せば出すほど結果がついて来る。それを何度か繰り返して俺は半年で四千人くらい増やした。
ここまで来るのに本当に長かった。だが、今思えば長いようで案外早い道のりだった。
成長するのは一瞬だったと感慨深い気持ちになっていると、後ろから母親がスマホを覗き込んできた。
「おー、前見た時よりすごい増えてるじゃないの」
「あ、ちょっ、勝手にスマホ見ないで!」
母親は俺がユーチューブで活動していることは既に知っている。特に隠すことでもないと思って教えたのが不味かった。教えてから母は毎回調子はどうだと訪ねてくる。今は登録者が増えているから良いものの、この前までの俺は収益化ギリ達成で代わり映えのしない登録者数だったから、教えるたびに肩身の狭い思いをしていた。
「あんた頑張ってたからねぇ。よかったじゃない」
母はスマホから目を離すと洗い物をしにキッチンへ向かう。
頑張ってたねぇ、動画の内容見てもよく分からないと言ってた母がそんなこと言うとは思わなかった。
「頑張ってた、ってお母さん内容わかんないでしょ」
半笑いで返すと水道の蛇口を捻りながら母が答える。
「わかるよそんなの」
「えー、なんで?」
「コメント見たらみんな面白いってあんたのこと褒めてくれてるじゃない」
あ、そうかコメントか。確かに盲点だった。内容が分からなくてもこの動画を見た人がどう思っているかはコメントが教えてくれるのか。
……実は嫌な感じのコメントは大体消してるからなんだよというのは黙っておこう。話がややこしくなる。
「最初あんたがユーチューブやってるって聞いたときは、変なことに巻き込まれてないか心配だったのよ」
「ユーチューブのことなんだと思ってる?」
基本的に母はアナログ色が強い人だ。どんくらいかというとワンクリック詐欺にわかりやすく引っかかり電話をかけようとしたと言えば伝わるか。
「でも色んな人に応援されて良かったわね〜」
「いやいや、ここまで成長させるの大変だったんだから」
「そうなの?」
「そうそう、たまたまチャンスが来たってだけで……」
その時、何か小さな引っ掛かりが頭の中で起きた。
チャンス?
俺はどこかでその言葉を聞いたような……
『それはまだチャンスが来てないだけだって!』
あのときのねてろの熱を持った言葉が思い浮かんだ。
違う、俺とあいつは違う。才能も心構えも結果も何もかもが俺と違う。近道が俺にとっての万里の道だという結論は既に出ている。ここであの時の喧嘩でねてろが言っていた事がすべて正しかったことを認めると、俺の言ったことはまるで、、滑稽な男の戯言でしかなかったということになる。
それを認めるわけにはいかなかった。そうだ、忘れようこんなこと。今更あのときのことを思い出してもどうにもならないだろう。そうやって無理やり思考を振り切ったとき、母親が思い出したように声を掛けてきた。
「そういやあんた今日同窓会だったでしょ、何時から?」
「6時」
「お酒飲むの?」
「飲まん」
「じゃ、自分で車運転して行きなね」
「あいあい」
俺は母親から車の鍵を受け取り、目的地の居酒屋に向けて車を走らせた。
『かんぱ〜い!』
景気の良いグラスのかち合う音が店内に響く。
今日は中学校の同窓会の日だった。普段はこういうのは断っているのだが、気分転換ぐらいにはなるかと思って誘いを承諾した。
「あ、火円くん久しぶり〜」
「あぁ、中村さん久しぶり」
愛想笑いには愛想笑いを。正直この人が何をしてたかはかは覚えてない。名前と顔を辛うじて覚えてるくらい。シンプルに値段気にせずご飯が食べれるから来ただけのようなものだ。適当に話しを合わせていれば中村さんも勝手にいなくなるだろう。
そう思っていたのだが……
「あの時私がね〜、体育祭で転んだんだけどね〜」
全然離れないなあ。
俺すごい塩対応してる自覚ありまくりなんだけど。
もしも中村さんがナメクジだったらとっくに溶けてるレベルで塩撒いてるつもりなんだけども。
俺が自分のことあまりしゃべらければ良いのかと思って、相槌打つだけの機械になってみたら不思議なもので、全然会話が途切れない。
等間隔で相槌打ちすぎて、気分はバッティングセンターのピッチングマシンといったところか。その相槌を打って返してくる中村さんが恐ろしい。彼女はこの同窓会の今瞬間だけならおしゃべり界のイチローを名乗れるだろう。
学生時代のことはもうあまり覚えてないが中村さんってこんな人だったか?
結局その同窓会は中村さんとほとんど話していた。
そして解散しようとしたわけだが。
「火円くんごめんね〜」
泥酔した中村さんを車の後ろに乗せて俺は帰路についていた。タクシーに乗せてとっとと帰ればよかったが、ここはクソ緑生茂るど田舎。そう簡単に都合よく捕まってくれるタクシーなどは無い。幸い他の参加者に送り狼は疑われていない。車に乗せる前にごめんねと謝っていたが、謝るなら歩けなくなるほどのお酒を飲むんじゃない。しかも住んでる家を聞いたら隣の県とか言い出した。ホテルを予約していたらしいが、場所を忘れたと言われてしまったらお手上げだ。本当に仕方なくだが、彼女を今実家に連れ込んでいる。不幸中の幸いだが親は彼女と邪推せずに苦笑いするだけで済ませてくれた。
「はぁ、やっと帰ってこれた……」
中村さんをリビングのソファーに下ろし、床にクッションを敷いて座り込み、適当にテレビを点ける。本当に俺は何をしているんだ。気分転換に行ったはずなのに疲労困憊になって帰ってきてどうする。
とりあえずシャワーでも浴びようと思い、体を起こして行こうとしたら背中を引っ張られる感覚を覚えた。
「行かないで……」
振り返ると中村さんが引っ張っていた。
よく顔を見ると彼女は涙をポロポロと流していた。
「えっ、な、泣いてる?」
取り敢えず彼女を宥めて落ち着かせ、目を合わせる。
突然の号泣で俺は面食らってしまった。
彼女はひょっとしたら泣き上戸なのだろうか?
「私、どうしても火円くんに謝らなきゃいけないことがあるの」
「謝らなきゃ、いけないこと?」
彼女の言葉に俺は疑問符が浮かぶ。中村さんは確かに同じクラスだったが、学生時代そこまで話した記憶はない。友達同士の関係ではなく、同じクラスの顔見知りといったところだが、そんな彼女が俺に謝らなければいけないことなどあるのだろうか?
「火円くんって神隠し事件覚えてる?」
「あぁー、俺の持ち物が定期的になくなってたやつね」
学生時代、俺の持ち物はよく頻繁になくなっていた。だが、最終的には無事になくし物が見つかり無傷だったことからみんなが面白がって神隠し事件と名付けた。
今思い返せばシンプルなイジメだったが、俺自身も面白がって放置していたんだっけ。
「あれ、私がやってたの」
「え?」
中村さんの告白に目を丸くする。学生時代の彼女の印象は薄い、だが今日の同窓会で話した彼女はとてもそんなことをする人には見えなかったからだ。さすがに数時間も話せば人のなりくらいは分かる。
「……どうして神隠しを?」
動揺はあまり表に出さず質問をする。中村さんは何かを啜る音を立てながら話し始めた。
「私初めて火円くんを見たとき、凄く鬱陶しい人だと思った。何に対しても自信満々で、自分は一般人じゃ無い、俺はお前らとは違うんだって言いたげな態度で……」
覚えがありすぎる。当時の俺は確かにこうなんというか向こう見ずな事ばかり言ったり、なんでもできるって豪語したげな言動ばかりしていた気がする。
今思えばあれが個人的に一番の黒歴史だった。
「中村さん……」
「私、なんでそんなに自己評価が高いか一度聞いたことあるの。覚えてる?」
「ごめん全然覚えてない」
「そうよね、でも私は覚えてる。あのときあなたは、自分に自信が無いやつはダサいって言った」
「あぁ、言った気がするぅ……」
「私、その言葉がハラワタが煮え繰り返るほど許せなかった」
「マジかよ」
あ、人ってこういう感じで恨みを買うこともあるのか気を付けよう。過去の黒歴史の自分が今目の前にいたら代わりに殴ってあげておきたい。
「私、自分に自信がなくて、将来どうしようかずっと悩んでた。そんなときにあなたと出会って、そのポジティブな言葉がすべて無神経で無責任な言葉に聞こえて、すっごくウザいなって思った。だから私、持ち物を隠したの」
泣きそうになっているが、過去の自分の痛さは自分が知っている。数年越しの刑罰ということでこれは普通に受け入れようと思っている。時々当時の自分を思い返すが、普通にウザいなと感じるときしかないから仕方ない。
「でも、ごめんなさい。私がやったことは絶対に許されることじゃない。私あれから何度もあなたに謝りたかったの」
「そっか……」
中村さんはその後泣き疲れたのか、お酒を飲みすぎたのか、ぐっすりと眠った。
ベランダに出て、タバコに火を付ける。紫煙が風に乗って遠くへと流れていく。その煙が見えなくなるまで見つめ続ける。
人は誰もが同じ個体、性格、特性を持ってこの世に生まれてくるわけではない。最近気づいたがその中でも、他の人間より出来ることを数多く持って生まれてきた人間が生まれてくることがある。大体のことはできるし、できないことがあったとしても練習をすれば克服することができる。陳腐な言葉で表すと才能を持って生まれて出てきた人間がいる。
だが、俺には残念ながらその才能はない。これは別に自虐ではない。二十二年間も生きていれば自分のできることと、できないことも分かっている。
だが当時の俺は分かっていなかった。だから中村さんを怒らせた。俺が一般人だということを誰よりも彼女が一番分かっていたから。
夢は願えば必ず叶うし、努力は必ず答えてくれる。それが当たり前の世界で生きて来た人間なんて一人もいない。それに気づくのにかなり時間がかかってしまった。恥ずかしい話だ。こうなったのはすべて俺のせい、なんてことは思わない、俺も彼女も同じ人間であって、間違いを犯す。ただ、俺は今日のことで自分がもっと嫌いになった気がする。
おもむろにスマホを取り出し、ユーチューブの画面を開く。何かことある毎に俺はユーチューブの数字を見るようになった。そして、登録者一万人の文字を見つめる。正直、ここまで来るのに随分と苦労した。だが来てみればあっという間だった。半年前、俺は自分自身に才能がないと見切りをつけて諦めていた。だが、気づけばあっという間に俺の登録者は増えた。才能ある無しに関わらずここまで来れたんだなと思う。
そう思った時、俺は一つの事実に気づいた。
いま万里の道を歩いてる?
それはあまりに必死で動画投稿をした事実が曇らせたたった一つの事象。
俺は動画投稿をし続けたことでチャンスが回ってきてそれを活かせたということ。
その事象は俺が過去に俺自身に見切りを付けた近道だったはず。だがその近道の上に気づけば立っていて、俺はその上を歩いていた。
ねてろとは明らかに規模が違う。
だが、百万分の一でも同じ景色を見たとしたなら。
あいつがこの感覚を知っていたから俺の弱気を否定していたのだとしたら。
じゃあ、俺が振り払ったあいつの励ましの言葉は?
それに気づいた瞬間、顔面から血の気が引いていく感覚を覚えた。俺の体温が一気に下がった気がした。
謝らないと。
そう思っていたはずなのに、頭が真っ白になってどうすればいいか分からない。俺は何かに急かされるように、突き動かされるように外へ飛び出した。車に乗り込み飛ばした。どこに行けばいいか分からなかった。だが、どこかにいかなければいけない気がした。
街が一望できる高いところへやってきた。がむしゃらに走らせたせいでここがどこかはまったく分からない。車から降りて俺は地面に膝と手をついた。時刻は午後七時、街の光が淡く俺の視界に霞んだ光を染み込ませる。霞むだけならまだいい、だが気づけば俺の視界は滲んで滴となり落ちていく。
俺は自分のことしか考えられなかった。
あいつは俺のことをずっと考えてくれていた。
俺は耳に入る言葉をすべて邪推した。
あいつは俺の言葉を真摯に受け止めた。
俺はあいつの善意を否定した。
あいつは俺の悪意を否定した。
上の立場だからあいつは俺の気持ちが分からなかった?
違う、逆なんだ。
下の立場だから俺はあいつの気持ちが分からなかったんだ。
そうだ、なんでこんな簡単なことに気が付かなかったんだ。誰だってスタートは0で、上を見るしかできないんだ。そしてねてろはどこまで高いところまで行ったとしても、自分の視点を0のときと同じように戻して上を見続けることができた人間だったんだ。だから、あいつは俺のところに堕ちていつも同じ目線で語り続けてくれていたんだ。
気づいたときにはもう遅かった。あいつは燃えて、灰になった。あいつを一人にしたのはきっと俺だ。俺があいつを孤独にさせた。一度灰になったものはもう戻らない。あいつが輝いていたあの時間はもう二度と帰ってはこない。
ごめん、ごめん、ごめん、ごめん、ごめん、ごめん。
慟哭とも言えるような叫び声が風に乗って木々を揺らし木霊した。
ただの数字に踊らされて大切な友人との縁を切ってしまった自分を殺してしまいたかった。
三章
目を開くとずっとモヤが目に張り付いてちゃんと開けることができない。まいったなコンタクトつけたまま寝てたわ。床に転がった焼酎の空き瓶を眺める。わかりやすく飲みすぎた。頭が痛い。
とりあえず洗面所に行って顔を洗う。あとついでに歯磨きして、台所行って水飲んだ。
テレビを点けると駅伝のランナーが必死こいて道路を走っている。人生に熱中出来るものがあるのはいいことだ。
最近は彼もよく頑張っていて自分のことのように嬉しい。
友達のユーチューバーと喧嘩した。名前はビエン。
私は無神経に励まして怒らせたユーチューバー。名前はねてろ。
半年前、私は炎上した。
割と軽いつもりで言った気もするし、かなり頭にきて言った気もする。
あの炎上から動画の再生回数はいまいちだ。登録者は減らなくなったが増えることもない。まぁ、気にすることはない。やれることをぼちぼちやるだけ。
私は自分で言うのもアレだがポジティブな人間だ。そして、昔から周りをポジティブな気持ちにさせることもよくあった。だから元気づけることはとても得意だと思っていた。ビエンに会うまでは。
彼はとにかく自分を卑下する。自己評価が極端に低いのだ。マイナスにプラスを掛け合わせてもマイナスのまま、私の言葉はどれも彼にとって耳障りのいいものではなかったらしい。
喧嘩したその日、私はなんというかボーっとした。まさか、応援してポジティブになるどころかネガティブ一直線に突き抜けていくとは思わなかった。ましてやビエンの発言に声を荒げた自分に驚いた。五歳も下の人間の言葉にかっかしてるようじゃ私もまだまだだなぁと一人反省会を開いたのは懐かしい記憶だ。
あれからもう半年かぁ、時間が経つのは本当に早い。彼と遊ばなくなったのも半年だ。いつも私が遊びに誘うチャットを送っていたが、あれからは送っていない。正直な話どんな顔をして一緒に遊べばいいか分からなくなってしまったというところが大きい。私が彼にできるのは言葉を贈るだけ。だがその言葉で傷つけてしまうぐらいなら、私は彼と一緒に遊ばないほうがいいのだろう。
だからあまり関わりを持たないようにしている。だが、私のユーチューブの友達はビエンしかいない。私は彼と出会う前、どうやって動画投稿をしていたのだろうか? 思い出せないことを無理に思い出しても仕方ないことだが、それでも思い出さないと多少寂しい気持ちになるのも仕方がないというのが本音だ。
ゲームで思ったようなプレイができなければ、私生活もダラダラとする日がすごく増えた気がする。退屈な日常は気持ちを堕落させて自分をズルズルと引き込んでくる。動画に対するモチベーションもかなり落ちている。彼の前では綺麗事ばかり吐いていたが、いざ自分が同じ状況になると苦しいものだ。
あのときの私は彼と同じ目線に立てて話せていたのだろうか?
いくら出しても動画が伸びずにいるこの状況はすごく久しぶりな気がする。もう少し流行も取り入れて動画を作ったほうがいいのかもしれない。ユーチューブの動画でトレンドを取り入れることはかなり大事だ。そうすることで動画がそのトレンドに興味をしている視聴者に表示されて動画の視聴回数が増える。
だが私に限ってこのトレンドを追うという行為はかなり難しい。
私の動画ジャンルはゲーム実況。ゲーム実況といえば複数のゲームをして喋る人のイメージがあると思う。だがそれは少し違い、ゲーム実況者は大きく分けて二つに分類される。
一つ目、ゲーム実況者。これは誰もが思い浮かべる普通のゲーム実況者。このタイプは流行りのゲームやインディース、レトロなものまで多種多様なゲームをしている。
二つ目、〇〇系ゲーム実況者。これは動画で扱うゲームが同じ系統の実況者のことだ。これはいわばそのゲームの専門店。私もビエンもこっち側に属しており、滅多なことがない限り動画は基本的に同じゲームのものしか出さない。
前者と後者では後者のほうがチャンネル登録を増やしやすい。昔と比べてユーチューブのジャンルというものは細分化されていて、その中ですべてを網羅して有名になることはよっぽどのことがない限り無理な話なのだ。
なら私やビエンのようなゲーム実況者は、トレンドを逃し続けるしかないのかと聞かれるとそうではない。私たちがやっているゲームにもトレンドが来るときがある。それはシリーズ最新作が発売されたときはもちろん、発売時と同じように最大瞬間風速を叩き出すときがある。
それがアップデートとダウンロードコンテンツである。
いくら人気タイトルのゲームでも常に発売初日の勢いでいるのは不可能。三ヶ月もやっていれば人間は薄情なもので離れていってしまう。そうやってゲームのトレンドも移り変わっていく。そして気づけばそのゲームで遊ぶ者がいなくなっていく訳だ。だが、アップデートで環境が変わればどうなるか? もちろん離れていたものたちが一斉に帰ってくる。これはゲーム実況者にとって伸びる大チャンスでもある。ここでいい波に乗ることさえできれば、追加されたアップデートやダウンロードコンテンツが飽きられるまで視聴者に自分の存在がアピールできる。
だが残念ながら私のメインにしているゲームのアップデートは当分先だ。ため息を少しついたそのとき、スマホに一件のメッセージが送られてきた。
それは懐かしい親友からの言葉だった。
四章
ビルにでかいビルにさらにでかいビル。道路に目を向けると見たことない形の高級車が走って行った。これが俗にいうコンクリートジャングルというやつか。俺が住んでる田舎のジャングルを分けてやりたいくらいだ。
時期は三月、穏やかな春の日光が照らすが風はどこか二月を引きずっている。
友達のユーチューバーとオフ会をしに来た。名前はねてろ。
俺は緊張して心臓が破裂しそうな田舎者のユーチューバー。名前はビエン。
「ごめん! ちょっと遅れた!」
「いや、そんな待ってねぇよ」
後ろから聞こえた耳馴染みのある声の方向に振り返る。そこには自分より少し低めの身長で黒髪ショートの美人が立っていた。
あー、ダメだ。
ほー、うーん。
なるほどね?
「なんかすごい久しぶりって感じだな!」
「なんで地面に向かって話しかけてんの」
頼むから今はツッコミを入れないでほしい。俺は異性と話すのが苦手で、エレベーターとか密室に二人きりになっただけで心臓は痛むし、目眩がしてくる。
「とりあえずこっち向いて話してくれない?」
「善処するけど顔写真か何かないか」
「スマホに入ってる自撮りで良ければ送るけど何に使うの」
「いや移動してる間に見て慣れておこうかと思って」
「顔写真で人見知り克服しようとしてる人初めて見たんだけど」
俺はねてろに連れられるがまま行きつけの喫茶店まで案内してもらった。そして移動してる間に俺はなんとかねてろの顔が見れるようになった。
「で、いつも年齢いじりしてる生ねてろはどう?」
「普通に美人だから目のやり場に困ってる」
「そうでしょ、私美人なんよ」
こいつの無限のポジティブがどこから溢れてくるかなんとなく分かった気がする。そういうと思ってました〜ドヤァみたいな顔されてるのがなんか本当に腹立つ。話せば話すほどやっぱこいつねてろだなってなる。
炎上してから話してなかったがどうやら元気だったようで安心した。
「そういえば、登録者今一万三千人なんだって? おめでとう」
「……ありがとう」
俺はあの日した後悔から、自分を追い詰めるように動画に熱を入れて今まで以上に取り組んだ。三月にねてろに会う約束を取り付け、それまでに登録者数を倍にしてから出会いたかったのだが、俺はどうもこういうときにビシッと決められる男じゃないらしい。結局自分の中では中途半端な数字で出会うことになってしまった。だが、今日俺はねてろに伝えないといけないことがある。それだけは絶対に伝えなければいけない。
「ねてろ、俺は今日お前に……」
すべてを言い切る前にねてろは俺の口に人差し指を当ててきた。異性の手が自分の口に触れている。その事実を自覚した瞬間、俺の体は後ろに跳ねた。
「アッハッハッハッ、ビビりすぎでしょ」
俺の動揺する姿があまりに滑稽だったのか、ねてろは腹を抱えて笑っている。クソこいつ、完全に俺で遊んでやがる。
「あのなぁ、俺わざわざお前に会いに来てんだぞ? あんま茶化すなよ……」
完全に向こうのペースに乗せられていることに俺は肩を落としながら、恨めがましい視線を送るがあいつは和かに微笑み返してくる。これが大人の余裕ってやつなのだろうか。
「東京だからこそじゃん。伝えたいことは観光が終わってからでも遅くないでしょ?」
「観光って、俺そんな金持ってきてねぇよ」
「いいのいいの、今日の私は機嫌が良いから代わりに払ってあげるよ」
おごりなら文句は言えないな。
いくつかの地下鉄を経由し、俺たちは水族館にやってきた。
「ちょー! ビエン見てみてこれ! クラゲ!」
「見たらわかるわこんなもん」
ねてろが水槽に入れられたクラゲを見て、テンションを上げて喜んでいる。クラゲが好きなのだろうか。特にクラゲを見ても、あぁクラゲだなぁってなるだけな気がするが彼女に限ってはそうではないらしい。
「やー、本当に凄いよねぇクラゲ」
「クラゲの何がそんなにいいんだよ」
「んー、クラゲってのは脳がない生き物なんだよ」
「え、そうなの?」
なんだこいつ、ちょっと気になるクラゲ豆知識披露してきたぞ。
「まぁ、私が知ってる知識こんぐらいなんだけどさ」
「好きならもう少し生態に興味持ってやれよ」
ねてろのクラゲ好きはどうやら見る専門らしい。せめてクラゲの特徴三つぐらいは覚えてやればいいのに。それからねてろは一時間ほどずっとクラゲを見ていた。俺は途中から完全に飽きて各水槽のクラゲの数を数えて暇を潰していた。ミズクラゲ・アカクラゲ・シロクラゲ・パシフィックシーネットルまでなら完璧に数を覚えた。今日限定の絶対にいらない知識だ。
それから様々なところを観光した。楽しいと言えば楽しいのだが、俺は言いたいことが言えずにモヤモヤしていた。ねてろはそんな俺をお構いなしに元気いっぱいに楽しんでいる。というより元気いっぱいすぎる。こいつこんなに元気印の動脈カフェインにぶち込んだようなテンションの上げ方をするやつだったっけ?
小さな違和感があったが、それを拾い上げて考えるよりも先にねてろのテンションに飲み込まれて、砂浜にかいた絵が小波に流されていくように思考も遠くなる。
気づけば時刻は午後五時。俺とねてろは展望台にいた。
「ここいいところでしょ」
「あぁ、都会にこんな綺麗なところがあるとは思わなかった」
夕焼けが地平線の彼方に落ちようとしている。俺とねてろの顔が赤く影をつけながら照らされている。
「私に言いたいことあるんだよね?」
「今日は元々そのつもりで来たからな。なんか色々と観光することになったけど」
「楽しかったよ」
「そりゃ良かったけども」
俺は伝えたい言葉を口からこぼす前に一度夕陽を見る。
大丈夫、俺は伝えることができる。
意を決してもう一度ねてろに顔を向ける。
ねてろの顔はもう先ほどのおちゃらけた顔つきではなかった。
「ごめん!」
俺はただ一言、発するとともに頭を下げた。
ねてろの顔は見えない。
言葉が何も返ってこない。
それでも俺は言葉を、伝える。
「俺は、弱かった。だからお前の言葉を聞き入れずに勝手に一人で弱ってお前の言葉を拒絶した。お前が俺のことを思って言ってくれてるのにそれを聞こうとすらしなかった。許されないことをしたと思ってる。お前がいなくなって、伸び始めてから気づくなんて大馬鹿もいいところだ。許してくれなくていい、ただ、お前への非礼だけは謝らせてくれ」
これで伝えたいことはすべて伝えた。
ずっと後悔し続けた。謝罪は外見で誠意が伝われば良くて、反省をアピールできればいいと思っていた。だが実際どうだ。俺は心からの謝意を伝えることができているか、不安で早くなる動機は一向に鎮まりそうにない。
「顔をあげなよ」
ねてろに頭を上げることを促されてから俺はようやく頭をあげた。彼女の表情は氷のように冷たく、鋭い目つきで視線を俺に突き刺している。俺も顔は絶対に逸らさない。俺にはそれしかできなかった。
「そうか、分かったよ」
時間はどれだけ経過したのだろう。一分でもあったし五分でもあったし十分でもあった。今この空間での沈黙は時間のサイクルを破壊する。緊張で額から汗が一筋こぼれ落ち、呼吸が浅くなっていく。ねてろは真剣な眼差しのまま口を開く。
「クラゲは脳がないって言ったよね」
「え、あぁ」
「私はこれまで挫折したことがない。きっと頭の出来が少しばかり違うからだと思う」
「そりゃもうよく知ってるよ」
何をそんな当たり前のことを言っているんだ。
俺はねてろの意図が読めず眉間にシワを寄せる。
「私は生まれ変わるなら出来の良い脳なんてないクラゲがお似合いだと思う」
「お前……!」
ねてろの雰囲気、発言で俺はようやく何を言おうとしているかが分かった。
「私は燃えたあの日から、熱意が消えたよ」
「笑えないな……」
冗談は勘弁して欲しいんだが、ねてろは本気で言っているらしい。俺は大きな罪を犯してしまった。昔の自分がもし目の前に現れたらボコボコにぶん殴って土下座させているところだ。
「今の私はきっと前のビエンなんだろうね」
すべてを諦めたような、ここからすぐにでも消え去ってしまいそうな、薄寒い笑みを浮かべたねてろがそこにはいた。最近ようやく自分を好きになっていたところだったが、今回のことでまた嫌いになるだろう。昔の自分が恨めしい。
「ねぇ、ビエン。数字ってなんだと思う?」
「数字? 登録者とか、再生回数とか?」
「そう、その数字で私たちは価値が決まるよね」
ビエンの言ってることは正しい。俺たちの世界は数字がすべてで、それだけが信頼できるものだ。俺たちのやっていることはこの数字すべてで良し悪しが決まる分かりやすい無法地帯だ。自己責任だからこそ、過激な企画はできるし、視聴者との距離感も調整できる。
「私は炎上してから再生回数が落ちた。当然広告収益も」
「そりゃそうだろうけど」
「でも最近頑張ってるおかげで、全盛期の半分くらいの収益には回復した。でもねビエン」
俺はその言葉の先が分かってしまった。人間のモチベーションは都合のいい再生可能エネルギーなんかで構成されていない。一度燃えたら灰になるだけだ。新しい薪でも持ってこなければ火は灯らない。
「私のモチベはもうない。なくなっちゃった」
俺の目の前にいるユーチューバーは既に灰になっていた。ここに前の彼女はもういない、死んでしまったということだ。
「今はお金を稼ぐためにやってる。私の数字はもうファンじゃない、資産だよ」
「……そうか」
俺はもうそれ以上言葉が出てこなかった。
笑顔で言うならよかった。
淡々と言い放つならまだよかった。
だが、夕焼けに照らされた彼女の顔は苦しく歪んで酷く悲しそうだった。
やめてくれ、動画投稿は自分との戦いでしかないことを教えてくれたのは他でもないお前だっただろ。自分との戦いに打ち勝って、気づけば近道をしていて、そうすることが正しい道だとお前は示してくれたじゃないか。
そう言ってやりたかった。だが、俺が彼女にそう言うのはきっと侮辱以外の何物でもないと思った。だから、言わなかった。
数字に狂わされた俺たち実況者にとってこの数字はなんの意味を持つのだろうか。
ねてろの言うように資産なのか。
それとも俺が昔考えてた自分の力を誇示する戦闘力なのか。
きっと人それぞれで考えは違うのだろう。
だが、今の俺には少し分からないものになってしまった。
ねてろの言葉を聞いてから俺は家でずっと考えていた。俺にとっての数字はなんなのかということだ。いや、これはきっともう数字という単純な話ではない。俺がユーチューブをどういう場所だと思っているかという問題だ。ねてろはユーチューブをビジネスの場という考えに切り替えた。これはきっと炎上したあいつだからこそ、たどり着いた考えだ。あれからねてろと前のように毎日ゲームで遊ぶようになった。俺に自分の胸の内を開けて気が楽になったのか、生放送するとセクハラしてくる奴とかいてウザいとよく愚痴を言ってくる。前に生放送で暴言を吐いたのもそれでイラついていたのが原因ということらしい。
女性でユーチューブをするというのも中々面倒臭いらしい。
『そういやビエンはショート動画とか作んないの?』
いつも通り通話をしているとねてろが不思議そうに聞いてきた。
ショート動画というのは一分以内の尺で構成された縦型動画のことで、ユーチューブだけじゃなくティックトックやインスタグラムでも主流のスタイルとなっている。まぁ、簡単にいうとサブスクの映画とかを早送りで見る若造あたりにはちょうどいい動画ということだ。長尺の動画も面白いからぜひ見てくれと切に願ってしまうが。
「そういや俺今までそう言う動画一回も作ってこなかったなぁ」
『一回作ってみたら? あれ一回波に乗るとえげつないくらい再生回数増えるよ』
再生回数が増える、それはユーチューバーにとっては甘美な響きで逃れられようがない殺し文句というものだ。ねてろがそこまでいうなら一度作ってみるのも悪くないかもしれない。
「ふーん、じゃあお試しで一回作ってみようかな」
『どういう動画作る? やっぱゲーム実況者ならゲーム系の動画になるよね』
「一分以内の動画で面白いゲーム実況かぁ」
少なくともゲームの内容の実況は見られないだろう。どちらかというと見られるのはゲームではなく俺自身だ。それに関しては別にいいが、仮にこれで再生全然されなかったらお前なんか興味ねぇよって言われてるみたいでちょっと悲しくなるな。
『なんか面白いことしながらゲームとかできないの?』
「まあまあな無茶振りだな」
そう簡単に面白いことができたら苦労しないだろうに。だが、面白いことは絶対にすべきではある。どうすればいいのか悩んでいると、俺は一つの案が浮かんだ。
「俺がモノマネしながらゲーム実況するとか?」
『あー、確かにモノマネのクオリティにもよるけど自分が知ってるキャラが面白いこと言いながらゲームしてたら見ちゃうかも』
「だよな、これ結構いいアイディアだよな」
『ちなみに何ができるの?』
「カオナシとカオナシに食べられたカエルとカルシファー」
『冬のジブリ祭りでも開催しようとしてる?』
仕方ないじゃん自信のあるモノマネこれしかなかったんだから。
取り敢えずいつも通りの実況スタイルで動画を作ることにした声はカエルを食べたカオナシオンリーの直球勝負だ。少し動画の作りに苦戦はしたものの二時間ほどでカオナシのゲーム実況動画は完成した。
そして適当な深夜に投稿してその日は寝た。どうせ大した結果は出ないだろうし、呑気に構えておけばいい。そう思いながらその日は寝た。
それから一週間後、俺は眉間にしわを寄せて画面を見ていた。
【もしもカオナシがゲーム実況をしたら】
五十万再生。
なんとまあ、過去最高の数字が出てしまった。やばい、ニヤつきが止まらない。
こんな適当に作った動画で再生回数を取れると思っていなかったから、最初は面食らってしまったが結局は自分で出した動画。嬉しいものは嬉しいのだ。
「気持ちいいー! この為にユーチューブやってんだよなぁ!」
思わず喜びの声が口から出てきてしまった。なんならこのまま外に出て道端で盆踊りしてもいいくらいだ。
喜びの爆発が抑えきれなくなっているとき、自分が今発した言葉をふと反芻する。
この為にユーチューブをやってる?
少し、間がたって俺は気付いた。
「俺、自分の名前が広がると嬉しいんだ」
俺にとってのユーチューブはなんてことない、自分の承認欲求を満たすためのものだった。
2024年2月3日 初版 発行
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