この本はタチヨミ版です。
サ談会#015 @渋谷SAUNAS
山形県生まれ。幼少期よりクラシックバレエを習う。'20年よりプロフェッショナルレスリングJUST TAP OUT(JTO)に所属、同年11月11日に後楽園ホールでデビュー。渋谷SAUNASのスタッフとして働きながら、「ヤナガワールド」名義でアウフグースも行う。'23年、同じく渋谷SAUNAS所属のもにか(ダンサー)、たまき(元パティシエ)とのTEAM SAUNASとしてAufguss Championship Japan(ACJ)に出場、団体で準優勝し世界大会Aufguss WMへ進んだ。
編集部 目の下に痣ができていますが、大丈夫ですか?
柳川 試合で投げっぱなしジャーマンを食らって、受け身を取った勢いで自分の脛が当たっちゃいました。体が柔らかすぎるんですよ。昔からダンスをやっているので怪我は日常茶飯事ですが、最近は治りが遅くなってきました。
編 歳を取るにつれて、跡が残るようになりますよね……。
柳 今、ちょっと技をかけて実験してみていいですか?
編 勘弁してください(笑)。ダンスはいつまで続けていたんでしょうか。

柳 5歳から19歳まではクラシックバレエ、途中からコンテンポラリーに転向して今も続けています。合わせて27年やっていることになりますね。
編 ひとつのことをそれだけ続けるって、なかなかないですよね。小さい頃のお話を聞いてもいいですか?
柳 山形出身で、実家の隣には祖父の鉄工所の跡が残っていました。物心ついた頃にはもう廃業していたので、詳しいことはわからないんですけど。父は自営業の防水工事業者で、小さい頃は現場について行ってコーキングのマスキングテープ外しを手伝っていました。もともと会社員だったんですが、急に「自由になりたい」と言って自営業になったそうです。なぜコーキングをやろうと思ったのかは不明です。祖父の工場に機材が置いてあって、父が「現場さ行ってくる~」と出かけていくのが日常でした。母は、専業主婦をしながら父の仕事の事務を担当していました。
編 ご両親のほか、家族構成はどんな感じでしたか。
柳 あとは祖父母と姉2人で、末っ子の私はおばあちゃん子でした。日本舞踊やフラダンスをやっている祖母が長女の内股と猫背を心配してバレエを薦めたんですが、姉はやりたがらなくて。代わりに私が「やりたい!」と言ったのがバレエを始めるきっかけでした。昔は2歳違いの真ん中の姉とばかり遊んでいました。幼稚園に行きたくなくて、「お姉ちゃんと一緒じゃなきゃイヤだ!」と泣きわめいて年長クラスにお邪魔していたのを憶えています。
編 幼稚園に行くのはイヤでも、バレエには通えたんでしょうか?
柳 集団行動は得意じゃないんですが、バレエは平気でした。うちはダンス一家で、父と母も社交ダンスで知り合ったそうです。次女も祖母とフラをやるようになったので、長女以外はみんな何かしらの踊りをやっています。
編 子供の頃はどういった遊びをされていましたか?
柳 当時流行っていた「たまごっち(*1)」ですね。学校に行っている間は母に預けて世話してもらっていました。結果的に「おやじっち」になっちゃったら、母のせいにして(笑)。初めて買ったCDは浜崎あゆみでしたね。
*1 '96年にバンダイが発売し、大流行した育成ゲーム。接し方によってキャラが多様な姿になる。
編 90年代ど真ん中の感じですね。幼少期に体験した印象的な出来事はありますか?
柳 私、幼少期の記憶があんまりなくて。小学生の頃から習い事で忙しくて、友達とはたまに遊ぶ感じだったんです。祖母が習字の先生だったので習字もやって、ガールスカウトにも入っていました。土日に友達と映画を観に行ったりはしましたけどね。

編 家の周りはどんな環境でしたか。その頃、何かに心を奪われた経験はありますか?
柳 住んでいたのは内陸の住宅地でした。遠くを見渡せば山があったり、ちょっと歩くと田んぼがあったり。本当にバレエが好きだったので、とにかくずっと踊っていました。学校ではジャンプしながら廊下を歩いて、授業中も座ったまま手だけ動かして。挙手したのと間違われて「はい、柳川さん」と当てられたり(笑)。通信簿に「落ち着きがない」と書かれるタイプでしたが、そのくらいバレエが好きだったんです。4年生からは年に2回発表会があって、コンクールにも出るようになりました。中学校では部活が義務だったので、バレエを優先するために休みやすい美術部に入りました。バレエのクラスはだいたい15人で、スタジオ全体では100人ほどの規模でした。
編 5歳から始めていたことで、アドバンテージはありましたか。
柳 バレエは早ければ3歳から始めるので、同じくらいの経験者が多かったです。いい役をもらって舞台で踊るのが何より嬉しくて、「今、生きてる!」と実感する瞬間でした。私、「死恐怖症(*2)」なんですよ。小学校5年生の学校帰りに青空を見上げながら、ふと思ったんです。「私が死んだら、この魂はどうなるんだろう」って。それ以来ずっと死恐怖症なんです。
*2 自分の死を恐れる症状を指す「タナトフォビア(死恐怖症)」は、フロイトによる造語。
編 死の恐怖から生きている実感を求めるという、逆説的な心理ですね。
柳 映画の予告編で突然「死」が出てくると発作が起きて危険なので、本編直前まで映画館に入らないようにしたり、なるべく自分をそういう環境に置かないようにしています。ゾワゾワする予感があると、守りに入ります。
編 恐怖をコーキングして守るわけですね。
タチヨミ版はここまでとなります。
2024年2月16日 発行 初版
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