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<ウツ1>三十五歳。妻と三歳の息子が一人。住宅ローンあり。
<アフリカ1>穴に落ちてアフリカ人のやさしさを知って、ケータイを買わされる話
<ウツ2>蝋燭と畳
<アフリカ2> 旅行ガイドでは絶対に食べてはいけないと書かれている食べ物とユンバヤクララワゲーニ。
<ウツ3>治る目途の付かない病気と、治すつもりもない人々と。
<アフリカ3>往復八時間かけて通学する少年はダルエスサラームの大学に行く夢を見る
<ウツ4>カウンセラーを探す
<アフリカ4>ぼったくるけど同意を求める人々とタンザナイトマサイ
<ウツ5>森の中のカウンセラー
<アフリカ5>便所のような味のする肉と、水はなくてもコーラはあって、全裸の黒人に朝から殴られる話
<ウツ6>曼荼羅とガンから生き延びた人と自転車
<アフリカ6>ギルバート氏とはじけ飛ぶエムアンドエムズ
<ウツ7>北海道のことと犬が来ること。金と時間がないとできない遊び。
<アフリカ7>突如激減するギブミーマネーだけどやっぱり炭火でぼっとん便所のゲストハウス
<ウツ8>最後の段でハシゴが外れる
<アフリカ8>象とライオンの国。早朝と夕方は狩りの時間なので町から出てはいけない。
<ウツ9>やってきた無駄は美しい無駄だったか
ウツとアフリカ
福田 鼠
住宅の営業マンをしていた。営業マンはストレスが多い仕事とは言うけど、割と楽しくやっているつもりだった。契約も取れていた。お客さんも良い人が多かった。でも、ウツになって、仕事には行けなくなった。
ウツ病と言っても、そんなに深刻なものではなかったので、一年もせずに、じきに復帰できるだろう。それでも、あっさり死ぬかもしれない。今は元気でも、ほんの少し時間が経ったら、いろんなことが心配になって、生きていることがやりきれなくなる。そのタイミングで死ぬ材料が揃ってしまっていたら。そういった不安は恐ろしいものだった。
ウツになって少しした頃に、昔、アフリカを自転車で旅した時の話を書こうかなと思った。昔は小説家になりたかったけれど、もう随分と長いこと小説は書いていない。
「久々に君の文を読みたいね。別に面白くても面白くなくたって良いからさ。君の文が読みたいね」
と声をかけてくれたのは映像屋のSだった。
若い頃、Sは映画監督を目指して、オレは小説家になりたいと思っていた。Sはコツコツと映像の技術を身に付けて、今は映像関係の仕事をしている。三十五になってもやっているということは、一生を映像の仕事で食っていくことになるだろう。映画監督ではないにせよ、志した道で生計を立てる。偉いなと思う。
それにしても、彼についてはサイコパスだと思っていたので、何年も会っていないのに友人づての噂だけで連絡をくれたのは意外だった。
子供の頃にペットボトルいっぱいにカエルを詰め込んで、蓋をするというエピソードが彼にはある。子どもは誰しも多かれ少なかれ残酷な面がある。それでも、そのカエルのペットボトルが陽に当たって腐敗したガスが出てパンパンに膨らんで、それが楽しかったという。サイコパスなのだ。もちろん、大人になってからはそんなことはしていないけれど、どこかサイコパスなところは抜けない。ふとした時に冷たい。かと思えば、今回のような優しさみたいなものがある。芸大なんかに行くような人種はそういうのが多いのかもしれない。そんなSが心配してくれて、そういう暖かい言葉を言ってくれたというのは意外だった。それでも、やっぱりSはサイコパスだと思うけれど。
アフリカの話は、書こう書こうと思いながら書かずに、気付けば帰国から七年も過ぎていた。もし、死んだら、アフリカのことは書かずにそのまま風化する。別に書かなかったからと言って差し支えることもない。Sのようなプロと違って、オレはアマチュアですらない。もう随分と長く書いていない。
若い頃にはオレが書いた小説でSが映画を撮って賞に出したこともある。何にも引っかからなかったが、一週間まるまる撮影のためにあちこちで映像を撮った。
絵本作家になりたいけれど、ストーリーが書けなかった女の子に童話を一本あげて、やっぱりそれはどの賞も取らなかったけど、その子は今はちゃんと絵本作家として本を出している。
オレは住宅営業をやってウツになった。
そんな対比を考えても仕方がないし、隣の芝は青いだけで、そういう生き方の苦労をオレは取らなかった。
アフリカの話はこれまでも忙しい隙間をぬって、何度も書こうと思っては止まった。どうしても面白くならなかった。今回もやっぱり書こうと思っても、どうせ面白くならないと思うと止まってしまった。ウツだからネガティブに感じるというのもあるかもしれない。それでも、ウツになる前から何度試みてもうまくいかなかった。どうしても面白くならない。多分、理由は三つだ。
一つにオレの文が下手くそということ。もうこれはどうにもならない。受け入れるより他ない。
二つ目に旅慣れてしまっていてハラハラした冒険のような感じがないということ。初めての海外自転車の南米編は割と面白く書けた。アフリカは旅慣れてしまったのか、そういう気持ちが薄い。
三つ目に悪い意味で学んでしまったということ。人生が進んで、いろんな失敗が積み重なって、頑張っても上手くいかない。努力して書いても、それが面白いかどうか、何かの役に立つかどうかは別問題。オレの脳みそはそんな風に思い込んでしまっている。
面白くならないかもしれない。書き終わっても意味がないかもしれない。そのことを改めて考えると、オレの人生が今、ドン突きで止まってしまったことも納得できた。
これをやり切ったら面白くなるだろうか。
完成させたら何か意味があるだろうか。
この考えは恐ろしい。
書くに限ったことではない。自分がやっていること、仕事にせよ何にせよ、これを完成させたら意味があるだろうか、面白いことになるだろうか、誰かの役に立つだろうか。それはオレの人生に何かをもたらすだろうか。オレが頑張って生きたところで、何か意味があるのだろうか。
人生を生きていくというのは力がいる。体力や気力。大変なことがある。それを乗り越えていかないといけない。
ただ、その先にあるものは実のところ何の意味もないんじゃないか。
この考えは恐ろしい。
前に進むことはおろか、立ち上がることさえできなくなってしまう。今目の前にあることに意味を問う。
けれど、書かずに死ぬとやっぱりどこか寂しいと思った。
元気な頃と違って、ウツなんだから別に面白いものが書けなくたって当然。面白かろうが、つまらなかろうが、どっちでも良いんじゃないかと思えるところがある。面白いどころか小説にすらならなくて良い。書かないまま死ぬのは寂しい。
面白くなくたって良いや。小説じゃなくてもいいか。何か書いてみるか。書いたらそれだけで楽しいだろうか? いや、楽しくは無いんだろうけど。それでも、少なくともこのまま書かずに死んで風化するかもしれない、そういう心残りはなくなるんじゃないか。それだけでも良いじゃないか。もちろん、書ききったら死ぬということでもないけれど、ふとした勢いで自殺してしまったらどうしようという馬鹿げた心配からは解放される。
それで、アフリカの話とウツのことでものんびり書くことにする。
タンザニア、ダルエスサラーム。アフリカ有数の大都市で、治安の悪さもアフリカ有数と言われている。
アフリカ到着二日目にして、オレは道路の真ん中の謎の穴に落っこちて、さっそく旅が終了しそうになっている。マンホールにしては浅すぎる。そもそも道路の真ん中だ。ただ、太ももまで落ちて、まだ、底にはついていない。荷物満載の自転車が倒れかかってくる。これ、足の骨が折れてるんじゃなかろうか。痛いんだと思う。興奮していて分からない。初めてのアフリカ、町の真ん中、黒人いっぱい、秩序なく走りまくる車たち。
二日目にして旅終了か。
前回の南米の自転車旅が終わってから四年ほど経った。オレは自転車屋を退職して、アフリカに出発した。自転車は売るものじゃなくて、乗るものだ。
僕が旅に出る理由はだいたい百個くらいあって。誰かがそう歌っていたけれど、オレが旅に出る理由ってどうなんだろう。あんまり理由とか目的って思い付かない。
かの有名な松尾芭蕉先生は、
「そぞろ神のものにつきて心をくるわせ、道祖神の招きにあひて、取るもの手につかず」
と言っている。
そぞろ神って何だかよく分からないけれど、確かに、オレもそぞろ神には何度も会ったことがある気がする。
眠っていると、夜に自転車旅の夢を見るのだ。それはだいたいすごく困っている夢だ。突然、全く知らない土地に放り出されて、言葉も通じなくて困っているとか。テントで寝ていて、外がすごい風でどうしよう、もしかすると肉食獣が外まで迫ってきているんじゃないかとか。自転車で走っていて、目的地だと思っていた土地がどんどん遠くに行ってしまって、いつまで経っても辿り着かない、いくらペダルを踏んでもなぜか自転車は前に進まなくて、代わりに道がずるずると伸びて目的地の方が遠くに行ってしまうとか。
はっと起きると、汗をかいていて、ああ、夢か、夢で良かったと思うんだけれど、夢だったのか、そうか、と残念な気持ちになる。
多分、そういうのがそぞろ神さんの仕業なんだろうと思う。
旅行雑誌の良い景色を見て、ここに行きたいとか、美味しいもの食べたいとか、そういうのはない。自転車旅というのは、ただ走るだけ。本当に驚くほど走るだけ。道中に観光名所があれば、一応、観光もするけれど、基本は走って、食って、眠る場所を探して、人と話して。本当にそれだけだ。
だから今回のアフリカというのも、特別な理由はなくて、そぞろ神さんが寝ている間のオレの耳に吹き込んだのだろう。インドも良いなとか、なんたらスタンとかの名前の中央アジアも楽しそうだなとか、いろいろ考えはしたけれど、アフリカ以上にしっくり来るところはなかった。芭蕉先生は道祖神の招きと言っているが、アフリカにも道祖神はいるのだろうか。
そぞろ神の夢が増えてきた頃、オレはアルコール依存症で、ポケットにウォッカを忍ばせて、休憩時間にトイレで一口含むなんて馬鹿なことさえ試していた。
仕事が終わったら、家に帰る途中のセブンイレブンで、仏壇なんかにお供えする用の小さいスーパードライを買って一気飲みする。それで気分が晴れれば、その道を直進して帰宅して一人でのんびりと飲む。寂しいような気がしたら、左に曲がっていつものバーに行って誰かと飲む。誰かと話したいのか。でも、話すことなどない。音楽の話をしたって、小説の話をしたって、どこか虚ろなのだ。そんな話をして、その先に何があるんだ。同世代はほとんどいない。おじさんばかりだ。安くないきちんとしたバーだから、飲み屋のような雰囲気じゃない。話を楽しむというより、静かに酒をたしなむ。ビールとズブロッカを頼んで、チェイサー代わりにビールを飲んで。もう一杯ズブロッカを飲んだら二千六百円だ。それでも、まだ気が済まなければ、二つ隣の駅の米軍基地の隣のうらぶれたバーに行って、焼酎を飲む。
十一時を過ぎたくらいに小説家の先生のおばちゃんがやってきてUFOについて話し合って、最後は数年前に殺人事件があったベトナム料理屋に行く。朝まで開いているが、深夜は店員もソファで寝ていたりする。入ると、起き上がって、片言でいらっしゃいと言ってくれる。
「からいだろう、本場のからさだろう」
還暦近い小説家の先生は元気だ。日の出が来るまであと少しの時間に、なんでこんなに辛い物を食わなくちゃいけないんだろうと思いながら、しーしー、言いながら水をがぶがぶ飲むと、アルコールでくたびれきった胃袋に激辛のものが入って、何だかんだで癖になる。
そうやって自転車屋の安い給料をほぼ全て酒に溶かして、休みの日だけは朝の三時に目覚ましかけて自転車で走りに行く。夜の九時まで走ると、十八時間、三百キロくらい走れるので、関東平野のたいていのところと西は富士山の裾くらいまで行ける。
「アフリカか、良いな、どんどん行け行け! お前は体験するタイプの人間だ。アフリカには大地溝帯ってのがあるらしくてな、そこから人類が始まったとか何とかで、多分、UFOなんかにもつながるぞ」
先生は相変わらず小説についてはほとんど教えてくれないけれど、UFOの話は長い。朝までUFOだ。仕事の方も小説の方はあまりやっていない。小説は金にならない。とはいえ、ちゃんと出版社から小説も出した先生なので、何かしら文の仕事はあるらしい。
「お前、ダメだよ、先生にUFOの話振っちゃ、止まらないんだから」
先生がいないときにマスターは言う。
「UFOの話したって良いけど、周りに振るなよ、お前のところで先生と二人で完結させる。先生には奥に座ってもらって、お前がその手前、お前がこの店のUFO砦だ」
酒におぼれてぼんやり音楽聞いているか、UFOの話をしているか、はたまたずっと自転車こぎ続けているか。そんな具合なので、しらふの時間がきつかった。そぞろ神の正体はアルコール依存症だったのかもしれない。
飛行機の高度が下がって窓の下に広がる本物のアフリカは実に良かった。テレビ番組の動物奇想天外で見るサバンナってやつの本物が広がる。
関空出発、韓国、ドーハと乗り換えてたどり着く。本当にサバンナである。自転車一台であんなところを走るのか。確かに道らしきものがあるように見える。
おいおい、本当のアフリカだな、冗談みたいに本物のアフリカだ。
恐怖心よりも、心躍る気持ちの方がはるかに大きい。
タンザニアのダルエスサラームの国際空港は小さい。国際空港とは信じがたい。日本だったら地方空港より小さいかもしれない。とにかく舗装されている場所が少ない。もちろん、ランディングに必要な滑走路があれば他は舗装されている必要などないのだけれど、何というか土だ。土が多い。アフリカの土。
一時間半のディレイで、夕方五時の到着。
アフリカ有数の治安の悪い都市。日没までに宿に到着しないと厳しい。急がねば。
自転車を組み立てる。心臓がどきどき鳴るのが聞こえる。手が震える。四百ドル両替する。札束になる。両替する金額が大きすぎる気もするが、国際空港の両替所ならぼったくりや偽札のリスクは低い。
走り出す。空港の外の道路のわきには黒人たちが座り込んでいる。大人たちが座り込んでいるのは日本だと大阪の西成くらいだろう。商品を広げている人もいれば、西成と同じようにただ座り込んでいるらしき人もいる。ただ、西成のような頽廃的な雰囲気はない。
車は多い。信号が上手く機能していない。みんな自由だ。
地図はよく分からない。
「これ、ネルソンマンデラストリート?」
通りの曲がり角で聞く。
真っ黒な黒人。日本人のオレにはそれだけで怖い。だが、話しかけると、意外にもにこやかに教えてくれる。
とは言え、オレの英語はつたないし、相手もどうやら英語はつたない。
どんどん歩道が狭くなって、露店が増えて、人も増える。
ごみごみしていて、人が多くて、何となく汚い。これって、スラムってやつじゃないのか。赤道に近いといえど、どんどんと日は傾いて、暗くなっていく。オレ、大丈夫なのか。
黒人の群れの中を、日本語で、ごめんよごめんよ、と言いながら、荷物満載の自転車を押しながら進む。
暗くなってきた。オレは死ぬかもしれない。たどり着くのか。
ホテルに辿り着く。
「アイムフクダ、ブッキング」
しかし、相手ははてなという顔をする。
予約の紙を見せると、
「君がブッキングしているのはDown town Suite。ここはDon Suite hotel。Down Town Suiteはあっち」
「そうなの? でも、ごめん、オレは今日がアフリカ初めてで、夜出歩くのが怖いんだ。部屋が空いていたら泊まらせて欲しい」
そうして、何とか生き延びることができた。
そして、二日目の今、オレは穴に落ちている。
痛い、と思う。緊張と興奮と恐怖がごちゃまぜで、本当の痛みがどの程度か分からない。折れていたら旅は終わりだ。やっぱりアフリカはさすがにオレにはレベルが高過ぎた。もうダメだ。
「おいおい、大丈夫か」
黒人がかけよってくる。それも一人じゃなくて、あっちからも。オレを穴から引き上げてくれて、自転車も道の端まで運んでくれた。
「うん、大丈夫。アイム、オーケー。サンキューベリーマッチ」
「良かった良かった、この辺、穴あるから気を付けろよ」
なんて言って去って行った。
これが、アフリカ有数の治安の悪い都市ダルエスサラームなのか。
自転車の旅でのトラブルはこれまでにも何度もあった。穴に落ちるのは初めてだけど、真夏にのどが渇いて街はずれでぐったりしゃがみ込んでしまうようなことは何度かあった。
それでも、今みたいに、一瞬で人が駆け寄ってくれて、手を差し伸べて助けてくれたことは初めてだ。穴に落ちたとは言ったって、片足がはまった程度だ。大事件っていうほどじゃない。それにも関わらず、彼らはノータイムで駆け寄ってくれた。当然、チップなども要求するでもなかった。
深呼吸して落ち着きながら、痛みが骨折じゃないか確認する。
アフリカ人の優しさに感動しながら、アフリカ人に対しての偏見を恥じた。
大丈夫、問題ない。
多分、アフリカも最後まで走れる。
ダルエスサラームではやることがあった。予備のチェーンを買わないといけなかった。
飛行機で間違えて手荷物に入れてしまって、没収されていた。アフリカではちゃんとしたチェーンを売っている自転車屋さんがない。出発前の情報では、スポーツ用の自転車を売っているちゃんとした自転車屋さんは、北はエジプト、南は南アフリカと隣接する国の大きな町にしかないということだった。つまり大陸の一番北と南でしか買えないということだった。
ダルエスサラームにもそういう店はないようだったが、チェーンくらいなら見つかるかもしれないと、宿のWi-Fiで調べると、バイシクルドクターというフェイスブックページが見つかった。
情報を頼りに、バイシクルドクターの店を探す。
海沿いを歩いて、中心地から離れていく。生まれて初めて目にするインド洋。ダルエスサラームの中心は、アフリカとは思えないような高層ビルが建っている。少し離れると古びたアパートみたいになって、さらにもう少し離れるとトタンの掘っ立て小屋になる。その落差たるやすごい。
古いアパートのエリアが始まる辺りで、さすがにこれ以上深追いするとまずいと思い、引き返そうとしたら、おじさんが歩いていた。
「ハロー、バイシクルドクターって知らない? この辺にあると思うんだけど」
「ん、オレがバイシクルドクターだよ! オバザキっていうんだ、よろしくな!」
そんなラッキーがあるのだろうか。しかし、彼の風貌を見るに、どうも、スポーツ自転車を扱うような雰囲気には見えない。日本でさえ、スポーツ自転車なんて、そこそこ良い値段する。ましてやアフリカで、スポーツ自転車なんていうレジャー用品を扱う人って、そこそこ富裕層だろう。彼にはそんな雰囲気はない。
それでも、チェーンを探していることを伝えると、宿に一緒に行くから、自転車を見せてくれという。一緒に宿に戻る。
「ちょっと、あんた、ローカルを宿に入れちゃいけないよ」
宿のおばちゃんに叱られる。
「いや、彼は自転車を修理してくれる人なんだ。オレは自転車で旅しているから、修理が必要なんだよ」
どうして、ローカルを宿に入れてはいけないのか分からないまま、自転車を見せる。オバザキは変速機周りをチェックすると、
「よし、街に行こう」
と出発する。
オレ一人では入りづらかった細い路地をどんどん行く。
途中で煙草を買う。少年がカゴに煙草を入れて歩きながら売っている。
「何本?」
「え、ばら売りしてるの? でも、一箱で良いよ」
バイシクルドクターも一本くれと一緒に煙草を吸う。
「ハロー、ミスター」
よく分からない通りがかりのやつまでやってきて煙草を吸う。オバザキが煙草を回してやる。一本の煙草を四人くらいで順番に吸う。
「ジャパン! ホンダ! トヨタ! ソニー!」
彼らは英語は話せない。スワヒリ語だろう。それでも、煙草を吸いながら、好意的に接してくれた。
タバコ一本でわいわいと話は盛り上がる。タバコを吸い終わると、彼らは去って行った。
「腹は減っていないか?」
「減ってる。どこか店に連れて行ってくれないか。安くて美味いところない?」
「オーケー、オレの行きつけの店にしよう」
やはり細い路地をくねくねと抜けて、現地人しか入りそうにない定食屋らしいところに入る。スワヒリ語でやり取りして注文してくれる。
フライドポテトを卵でとじたようなものにソーセージ、そしてコーラ。
マクドナルドのようなきれいなファストフードという感じではなく、芋を素揚げしたものを卵を落として焼いたという質素な感じのものだ。ケチャップをかけて食う。美味い、悪くない。
オバザキの英語も流暢ではない。それでも、最低限の意思疎通はできる。タンザニアはスワヒリ語がメインだから、英語を喋れる人が少ないということ。隣のケニアは英語が喋れるんだけどね。そんな話をする。
当然のごとく、オバザキの分もオレの支払いだ。そんなに高くはないが、アフリカだから数十円で食えるというわけでもない。
その後もローカルの人しかいない細い路地をぐるぐる回りながら、オバザキは観光案内のようなことを説明しようとしてくれるが、お互いに英語がつたないので、あまり会話にならない。それでも、ローカルしかいない道を歩くのは楽しい。元の道に戻るのが分からなくなるくらいぐるぐる回った頃、お目当てのチェーンを売っている店についた。がっしりした扉を開けて中に入ると、駅のキヨスクのカウンターのようなスタイルで、パーツ類がぎっしりと並んでいる。新品なのかどうか怪しいようなものも多い。
シマノのチェーンが欲しかったが、見つからない。聞いたこともない謎の中華メーカーのようなチェーンしかない。
「あー、ダメだ。ヘンテコなチェーンしか置いていない。あっちの店に行こう」
オバザキはバイシクルドクターと名乗るだけあってこだわりがある。
道向こうの店でもオバザキがスワヒリ語でやりとりする。
シマノじゃないが、YBNのチェーンがあった。シマノほど信頼できないが、日本でも一応は流通しているチェーンだ。
「ミスター、百ドルだけど良い?」
「え、百ドル? チェーン一本で? そりゃ高すぎるよ」
日本でもシマノのチェーンでも三千円ほどだ。YBNだったら、もっと安い。とはいえ、アフリカだとなかなかものが入ってこないだろうから、それで高いのかもしれない。
オバザキは自転車屋とごそごそ話していたが、
「ミスター、ごめん、やっぱり百ドルだって」
という。
仕方がないので、百ドル払う。ダルエスサラームを出れば、百ドルあってもチェーンが手に入る保証はない。
ぼったくられたとは思うが、チェーンが手に入ったのだから、良しとする。
それから、ケータイのSIMカードの話をする。SIMカードはその辺りの露店で売っている。それを買ったのだが、自分の日本から持ってきたスマホにはサイズが合わなかったのだ。
「じゃあ、ケータイごと買おう。百ドルもしないよ」
そう言って、次はケータイ屋に行く。
こちらはちゃんと値札が付いていた。日本円で約三千円だった。
しかし、そのスマホをオバザキはなぜか道で会ったおばちゃんに渡してしまう。
「マイシスターなんだ。オレたちが散歩している間に、設定をしといてもらおう」
本当だろうか。
しかし、その後もオバザキとぶらぶらと町を歩くのは楽しかった。他に特に買うものはなかったけれど、日本人観光客が一人じゃ入れないような普通の路地裏をぶらぶら歩くのは楽しい。
夕方になって、
「そろそろ帰ろう」
と切り出すと、オバザキはにこやかにチップが欲しいと言った。
確かに、彼は一日付き合ってくれたのだ。ケータイはどうなったんだろうと疑問にも思ったが、下手に深追いしてトラブルになっても困る。
十ドルを渡すと、オバザキは、
「サンキュー、それじゃ、また明日!」
と言って去って行った。
翌日、オバザキは現れなかった。
時間を間違えたのか、オレが英語を聞き間違えたのか分からない。
ウツになって最初に欲しいと感じたのが畳だった。
家から出られなくなって、妻にも会いたくなくて、三歳の子どものまだ使っていない子ども部屋にこもって、地べたに座る。電気を消して、キャンドルに火を付ける。スマホの光が目に痛い。スマホが鳴ったらどうしようと恐ろしくて電源を切った。
カーテンに微妙な隙間があって、外の光が入って来るのが何とも不安だった。とにかく暗くしたい。ダンボールをガムテープで窓に貼る。窓を開けなかったら、蝋燭の炎で酸素が消費されて、窒息しないか、そんなわけないのに、恐ろしくなって窓を開けて三十秒数えて換気する。短すぎると酸素が入って来ないかもしれない。かといって、何分も開けるのは恐ろしい。窓を開けると酸素が入って来るからか、蝋燭の炎が大きくなって、空気の動きに揺れた。その動きを見るのは癒しだった。窓を閉じると蝋燭の炎はまた静かに止まった。火が小さくなって来ると、また窓を開けた。
死にたいと思うのに、蠟燭の炎で酸欠になって死なないか不安になるのは変だと気付く。
息子と二人の時に聞く。
「お父さんがいなくなったら困るかな」
三歳の息子は話し始めて、言葉もいくらか分かってきたところだ。そんな難しいことは話しかけても内容は分かるまいと、特に暗い口調でもなくさらっと一言だけ聞いたのだが、
「お父さんとお母さんが一緒が良い」
と言って泣いた。普段あまり泣かないので驚いた。悪いことをしてしまった。
言葉を喋る前の子どもにはテレパシーのようなものがあるのだろう。漫画のような超常能力じゃなくて、言葉が喋れない分、周囲の雰囲気から、致命的な問題を避けるための観察力のようなものがあるんじゃなかろうか。
とは言え、オレが死んだって、家はある。住宅ローンについては死んだら団体信用生命保険で完済される。営業マンとして家を売るときに散々使ったフレーズを思い出す。
「アパート暮らしだと、もしもの時、残された家族が住まいを失ってしまうんです。でも、住宅ローンを組めば団信に入ることになりますので。家を建てるって、家族の住まいを確保できるっていうことなんですよ。ローンを組むリスク、持ち家を所有するリスクも確かにあるんですけど、それより、もしもの時に残された家族が安全に生きていく住まいを確保できるっていうのは大きいんですよ」
皮肉なことに自分にそのフレーズは返ってくる。
多くはないが普通の掛け捨ての生命保険にも入っている。日本国民なので遺族年金も出る。もちろん、それだけで生きていくことは難しいにせよ、あとは妻が月に五万円ちょっとパートで働けばひとまず暮らしに困ることはない。この土地を離れて実家に帰るにしても、家を売れば、それなりの金になる。
「オヤジ! 金の問題じゃないんだよ」
「そうは言ったって、オレに出来ることなんて、あんまり思い付かないぞ。料理、洗濯、掃除くらいの家事はするけれど。もう仕事復帰も難しそうだし。もう立ち上がるのがしんどいんだ。どこまで行っても終わりがない。それにお前も三歳くらいだから、今なら、父親の記憶も消えるだろう。人間、三歳くらいの記憶はほとんど残らないって聞くよ。だからさ、あれだ、記憶には残っていないけれど、母から聞いた父親像ってやつで生きていける。オヤジのことは何も知らない。三歳の頃に死んだと聞いた。良い人で赤ちゃんの頃、よく遊んでくれたと母から聞いているが。事故で死んだと母は言っていたが、大人になるにつれ、周囲の人の反応を見るに、父は事故ではなく自殺したんじゃなかろうかということは察しがついた。もちろん、誰も、真実を教えてはくれなかったし、どこか公式な記録を探したわけじゃない。本当に事故で死んだのかもしれない、なんて具合にさ。お前の傷にはならない、一番良い方法じゃないかなと思うんだ」
「そんな未来のことまで分かんないよ。でも、家事してりゃ良いじゃん。専業主夫。あんた、昔、結婚する前の頃、憧れてただろ」
「いや、暇じゃん。仕事せず家事だけして、そりゃ、やっぱり厳しいよ。それこそ糞袋だよ。うんち製造マシン。何もしないなら、やっぱり死んで、保険金が入る方が良いじゃん。新しいお父さんで良い人が来るかもしれないし。新しいお父さんが来なくたってさ。下手に父ちゃんとかいない方がケンカもないし、家の中、平和で良い面も多いと思うんだ」
「良いじゃん。うんち製造マシン! うんちうんち! うんちって言ってたら楽しいじゃん」
「そうだな、お父さんも小さい頃はうんちとちんちんって言ってたら楽しかったな」
「今はうんちって言っても楽しくない?」
「そうだな。お前とうんちって歌いながら踊ってたら楽しいかもしれないな。でも、なんだろう。ガッツが必要になっちゃうんだよ。元気を出すにもガッツを出さないと、楽しいって感じられなくなっちゃう」
「元気があるから楽しいんじゃなくて、楽しいから元気が出るんじゃないの? ほら、うんちって叫んでみなよ。うんち、うんち!」
泣く子どもを抱っこしながらそんなテレパシーの会話を想像する。おまるに座らせて、うんちを拭いてやる。オレが子どもの頃は、お腹がゆるかったけれど、息子はうんちが硬くて、出にくい。お尻を拭いたり、おまるを流すには硬いうんちの方が助かる。
自分でうんちが拭けるくらいまで大きくなったら。いや、そこまで大きくなったら記憶に残ってしまうだろう。
うんち、うんち。やっぱり今のオレには楽しいと感じられない。
だけど、まだ難しい会話もできない子どもに、
「お父さんとお母さんが一緒が良い」
と言われたのだから、そういうことだろう。
三日目に何か良い敷物がないかと考え始めた。二日目までは、尻が痛いとも気にならなかった。座布団くらいはあった。ただ、座布団は具合が悪い。背中を壁に持たれると、座布団が動いてしまったし、横になるにも座布団だけじゃ小さい。かと言って、布団は違う。眠たくはない。何かを考えている。何を。分からない。いや、考えたくない。考えると途方もない絶望に辿り着くだけだ。
子供のビニールプールを使えば、 ドアノブで首を吊っても、排泄物で家が汚れるのは軽減できるんじゃなかろうか。
ただ、ビニールプールで汚れを軽減できても、父親が死んだ家にずっと住むのも気が引けるだろうし、売却するにも自殺物件は良くない。
それに、この前、虫歯の治療をしてすごく痛かった。死ぬとなると、それこそ死ぬほど痛いんだろう。我慢できないほど痛いんだろうな。生き物として、死ぬって絶対に避けるべきことだから、とんでもなく痛いようになってるんだろうな。我慢できる程度の痛みじゃ、人間、あっさり死んじゃうから。そんなに痛い上に、排泄物に汚れて、しかも、残った家も住むには縁起が悪くて、売るにも事故物件になる。外の電柱で首吊るか。敷地の外の道路の。それなら事故物件にならない。でも、本当に迷惑だよな。ストレンジフルーツじゃあるまいし。近所の子どもが見たりしたら、一生のトラウマになってしまうし、それこそ住むのも、売るのも大変だ。
じゃあ、オレが生きていて、何かしてやれるだろうか。オレが生きていて何か意味があるだろうか。
生きていても死んでも、本当に役に立たない。
考え出すとロクなことは浮かばない。
ただ、蝋燭の炎を眺める。何も考えないように。
街から出発するというのは恐ろしいがワクワクする。
市街地が途切れることのない日本だと分からない感覚だ。
それでも、本質的には、幼い頃、一人で行ったことのないところに行く感覚と同じだ。初めてのお使いだったり、小学校の反対側の友達の家に一人で遊びに行ってみたり、初めて電車で県外に行ったり、初めて旅の自転車で県境を越えた時だったり。
ただ、大人になると、この感覚はずっと少なくなる。やったことのないものを初めてやれば、いくらかワクワクするけれど、完全に初めてのことも少なくなる。怖いという感覚も減ってくる。いろんなものが予測可能になる。経験が増えて、怖いものが減っていく代わりにワクワクすることも手放していく。初めてのことでも何となく予測できるようになっていく。大人になるってそういうことかもしれない。いろんなことに、毎回ワクワクしながら怖がっていたら、日々生きていくのに効率が悪い。
自転車で海外を走る楽しみの一つはこれだろう。
大人でも心から怖いと感じる。でも、忘れかけていたワクワクが前に進ませてくれる。
街を出る。さようなら、文明。
とは言え、道路には車も走っているし、地図を見たところ数十キロ、せいぜい数時間走れば町にも着くだろう。
しかし、アフリカの場合は、これが未知数だ。我々日本人のイメージする街は存在するのか。
ダルエスサラームを出発して、少ししたところで道路わきのレストランに入ってみた。ダルエスサラームはさすがに大都市だけあって、突然、完全な何もない地平線というわけじゃなく、小さい集落のようなものがぽつぽつある。
バナナらしいものと何かの肉。ぶんぶんとハエが飛んでくる。これ、衛生的に大丈夫なのか。
ガイドブックだと、そういうのを食べたら病気になるから、やめといた方が良いよ、って書かれているのだろう。
とは言え、問題なく食べられた。
味は美味しくはなかったが、悪くはなかった。
隣の町はビーチの町で、タンザニア国内では一応リゾート地らしく、宿もいくつかあった。何と宿にはエアコンもついていた。
リゾートの町を過ぎると厄介なことが起きる。砂漠のような木の生えていないエリアが続く。集落の頻度がぐっと少なくなり、道も細くなって、舗装も悪い。それでも、交通量はそこそこある。工事中で脇の舗装されていないところを走らないといけない箇所もあった。
そして、腹が減ったのにレストランが見付からない。
小さい集落はある。日本の村の感覚よりももっと小さい。小さな商店があり、水やビスケットみたいなものくらいは買える。だが、レストランの看板のある店がないのだ。もちろん、商店にはパンやおにぎりなんて売っていない。
そして、英語は一切通じない。
「お腹減ってるんだけど、レストランはない?」
と聞きたいのだが、英語が全く通じないことに加えて、アフリカの本物の黒人で、話しかけるのが怖い。ダルエスサラームで黒人にいくらか慣れてきたとは言っても、都市を離れた本物のアフリカ人という感じがした。
仕方がないから水とビスケットで走る。
本当はダルエスサラームでスーパーがあれば、水と食料をストックしたかったけれど、スーパーが見付からなかった。これは誤算だった。大きな街だったら、スーパーがあって、パスタと缶詰くらいは買えるだろう、それさえストックできればバーナーはあるので食については何とかなる、と思っていたのがいきなり崩壊する。
レストランが見つからない。何よりも、そのことを誰かに聞く勇気が出ない。
バイシクルドクターオバザキのようなやつがいれば助かるんだけど。もう、ケータイは返してくれなくて良いから、助けに来てくれ、オバザキ。
これは困ったなと思ったが、日本ではあまり見たことのない謎のフルーツを売っている。
「これなに?」
路上のフルーツ売りというのは、不思議と声をかけやすかった。
「むえんべ」
「むえんべ? どう食べるの?」
適当にかじって皮をはいで食べれば良いとジェスチャーで見せてくれる。マンゴーだった。マンゴーってこんな外見なのか。これが美味い。アフリカに来て食べたものの中で一番美味いかもしれない。そして、安い。
それで、ひとまずマンゴーだけ食って走ることにする。これで何とか生きていける。
一日走って地図に書いてあった町に着いたが、想像していたよりも小さくて、町というより、それまでの小さな集落のちょっと大きいバージョン、やはり日本でいう村よりも小さいくらいのものだった。
「この辺でチープホテルない?」
「ホテル? ホテルはないよ」
え、ホテルがない?
仕方ない、もう少し走るか。
でも、これ以上先に走っても大きな町はなさそうだけれど。でも、ホテルがないんじゃどうしようもない。砂漠のような地形が終わって、周囲に緑が増える。
早速、アフリカ野宿か。
それもわくわくするけど。そうは言ってもさすがにいきなりのアフリカ野宿は無理がある。
「ライオンは出そうにないけれど、シマウマくらは出るのかな、どう思う?」
「大丈夫じゃないか。危険な肉食獣が出るなら、村がフェンスなんかで囲まれているだろ」
「そうだよね」
「ただ、強盗とかはあるかもね」
「やっぱりそうだよね」
「でも、これまでだっていろんなところで野宿してきたし、何とかなるんじゃないか」
「そうかな。英語が出来る人がいれば、何とか一泊野宿させてもらえるように交渉できるんだけど」
「これまでの感じ、英語が出来る奴はいないだろ。でも、多分、大丈夫だよ。何とかなるさ。南米走った時も、スペイン語が分からなくても何とかなって生きてきたんだから。さあ、そろそろ限界だぞ。次の集落で誰かに話しかけてみようぜ」
一人きりの旅、誰がいるわけでもない。ぶつぶつと一人で語り合う。
道路沿いの集落が来る。人ならたくさんいる。何をしているんだか分からないが、ダラダラしてる。
「ハロー、アイム、ジャパニーズ。チープホテルはないかな。それかキャンプでも良いんだけど。イングリッシュは難しい?」
やはり、イングリッシュはダメだった。
それでも、ここで頑張るしかない。次の集落までアテがない。
インターネットが高速で走ってくれれば、グーグルマップの衛星写真なんかで次の村を探せるんだけど、SIMカードの入手には失敗している。
わらわらと人が集まる。
なんかこのジャパン君、困ってるみたいなんだけど。
でも、ホテルはないもんな。
そんな具合で何か話し合っている。
これは厳しいのかもしれない。参った。
「ハロー、キャナイヘルプユー?」
まさかの英語が来た。
「イングリッシュオーケー?」
「オーケー」
どうも、彼は村の教会の牧師のような人らしかった。
イングリッシュオーケー? と聞いておきながら、オレも大してイングリッシュなど出来ない。それでも、言葉の部品が通じれば、意志は疎通できる。安いホテルを探していることを伝える。
「この村にはないけれど、ここから十キロほど先の村にはゲストハウスならあるよ。一万シリングも出せば泊まれるよ」
一万シリングというと五百円ほどだ。
「本当に? ありがとう。でも、ここまでも、チープホテルないかって聞いたんだけど、タンザニアには宿は少ないの?」
「ああ、そういうことか。宿はちょっと大きい村ならだいたいあるよ。ただ、ホテルっていうと、タンザニア人には高級なホテルのイメージだから、ないって言われちゃったんだと思うよ。ゲストハウスって言うと通じるよ。それか、ゆんばやくららわげーに」
「ゆばやららら? それがゲストハウスってこと?」
「ユンバヤクララワゲーニ。スワヒリ語だとそういうんだ。まあ、ゲストハウスでも通じると思うよ」
「ユンバヤクララワゲーニ、ゲストハウス」
急いでメモ帳に書く。生きるための単語が一つ増える。
「レストランもある?」
「レストランじゃないけど、バーがくっついてるよ。だいたいどこのユンバヤクララワゲーニも、表がバーで奥が宿みたいになってるよ。看板とかは出ていないと思うけど、村の人に聞いたら、連れて行ってくれるよ」
その他にもアイムハングリーはスワヒリ語でジャーと教えてもらう。ジャンボ、こんにちは。アサンテ、ありがとう。
ジャー、ユンバヤクララワゲーニ、ジャンボ、アサンテ。この四つがあれば生きていける。
彼にお礼を言って、ボールペンを渡した。日本のボールペンはノック式でインクが最後まで使えて、アフリカでは喜ばれると聞いていたので、プレゼント用に日本で準備しておいた。
三十分ほど走ると次の村についた。ジャンボ、アイムジャパン、ユンバヤクララワゲーニ、ゲストハウス。ジャンボとユンバヤクララワゲーニの言葉があるだけで、話しかけるのに緊張しなかった。村人はジャパンか、と盛り上がりながらスムーズにユンバヤクララワゲーニまで案内してくれた。
初めてのユンバヤクララワゲーニは想像に反して清潔で、ベッドも快適だった。トイレも水洗で、トイレットペーパーも渡してくれた。現地の人は、わきにあるバケツの水を手ですくってお尻を洗うらしい。せっかくなので、オレも試してみたら、確かに紙でふくよりもお尻がすっきりした。カバンに入れたマンゴーを食べてぐっすり眠った。
ほんの少しの言葉が分かると旅は楽になる。
とはいえ、いきなり現地人にぺらぺら話しかけられるようになるほど、社交的な人間ではないから、しばらくはマンゴーだけ食って生きていた。
マンゴーはエネルギーになってくれた。緊張感からか、マンゴーだけでもさほど腹は減らなかった。
とは言え、マンゴーだけで生きていくわけにも行かない。村の入り口で暇そうな人にジャーと言えば、食堂なのか、普通の民家なのかよく分からないところに連れていってもらえた。
土壁にトタンの屋根を乗せただけのような小屋で、テーブルが一つとベンチがあるだけ。ハエがぶんぶん飛んでいて、小麦か何かを焼いたナンのようなものと、ものすごく甘いミルクティーをもらえた。ミルクティーはプラスチック製の魔法瓶に入っていて、注ぎ口にいっぱいハエがいる。ハエたちは、このミルクティーは甘くて美味い、やみつきだなと盛り上がっているようだった。おばちゃんが手をかざして振り払い、プラスチックのコップに注いでくれた。すこぶる甘ったるくて、暖かくて美味しかった。
大人は英語が分からないけれど、子どもは英語が分かる子も時々いた。
「モスキートクリーム持ってないの? マラリアになっちゃうよ」
宿の女の子は笑いながら言った。中学生くらいの年齢だろうか。
「え、現地の人ってちゃんとモスキート対策してるの? もう、マラリアになったら諦めるしかないと思っていたよ。どこで買えるの?」
「そこら辺のお店で売ってるよ」
宿のベッドには蚊帳のネットは付いていたけれど、蚊は大量にいて、だいたいネットに入ってくる。長袖を着て対策していたけれど、薄手の長袖なんかへっちゃらで貫通して刺してくる。マラリア予防薬を飲むのも考えたけれど、現地の人も飲んでるわけじゃないし、副作用もあるようなので、まあ、良いかと思っていた。
モスキートクリームは買ってみたけれど、あんまりモスキート対策の効果は薄いようで、相変わらずモスキートたちはやってきた。クリームのふたがきちんとしまらなくて、カバンの中でこぼれて大変なことになった。
走るにつれて言葉が増えた。
ビールは英語のビアで通じる。キリマンジャロというビールが美味しい。暑い地域のビールらしい薄くてさっぱりした味で、ぐびぐび飲める。何も言わないと常温のものが出てくることがある。ベリーコールドはバリディサーナ。良く冷えたキリマンジャロビールは、ビア、キリマンジャロ、バリディサーナで通じる。ワリは米。ニャマが牛肉。ククがチキン。ワリ、ナ、ニャマで、米と肉。ウガリ、お餅みたいな現地のメインの主食。手でこねて食べる。
とはいえ、だいたいは選択肢はない。その日、その場所で料理しているものが、プラスチックの皿に盛られて出てくる。
キリマンジャロに近い地域になるとマサイ族を見かけるようになる。写真を撮ろうとすると、ワンピクチャーワンダラーとにこやかに言われる。
一週間もしないうちに日本から持って行ってたスマホが急に壊れた。SIMカードがないので、あってもなくても変わらなかったけれど。むしろ、壊れたおかげで、SIMカードを手に入れたいとか面倒なことを考えなくても良くなった。
今回は本当にまずいなと思う。何せ妻と子どもがいる。
どうしてこんなことになったのか分からない。うまく行っていた。契約は順調。給料も悪くない。土日は休みにくいものの、コロナウイルスでリモートワークの時代になってから、出社は自由。契約さえ取れていればいつ休んでも問題ない。会社が公認してくれていた。仕事時間中に気晴らしにランニングに行ける。
住宅営業という仕事自体は面白かった。打ち合わせて、希望を読み取って、プランを練って、それが形になる。物が大きいだけあって、完成すると嬉しいし、打ち合わせのプロセスも面白い。お客さんから感謝もされる。夢のマイホームの実現、感動もある。
営業というとストレスの多い仕事のイメージが強いけれど、契約が取れたら金も良い。オーナーとランニングという趣味も合ったので優遇してもらえた。高級なGPSウォッチをボーナス代わりに買ってもらえたり、レースのエントリーフィーも出してもらえたりした。
ストレスゼロかと言えば、それも嘘になる。
契約は取れたから、ノルマなんかのストレスはない。そういう点では珍しいだろう。ただ、契約がもらえると、クレームも出る。客としては、一生に一度のマイホーム。それこそ人生を賭けている。契約の後の詳細な打ち合わせで、あれ、そんなこと聞いてないぞ、もっとオシャレな提案をして欲しい、工事が進むとスイッチの位置が違うと思う、図面に描いていますし、打ち合わせもしましたよ、そんなの聞いていない。そして、そういう現場に限って施工ミスが起きたりする。現場のミスなんて営業のオレには分からない。それを責められても改善のしようもないし、たまったもんじゃない。
だけどさ、日本で生きるにはそれなりに金が必要で、ましてや子どもがいるといくらでも金が欲しい。金が欲しいんじゃない。金がないと不安なのだ。子どもを育てるのには色々金がかかると言う。いくらあれば安心だろう。分からない。
自転車屋の店長していた頃よりも倍以上に年収は増えた。もちろん、それだけ苦労もした。
フーテンの自転車放浪ルンペンみたいな暮らしから、カタギのサラリーマンになるのは大変だった。家のプランなんて最初は書けるわけもなかった。家のことなんて何も分からないのに、客に説明しないといけない、提案しないといけない。
三十歳を過ぎてからの転職はつらい。二十代の若者と違って手取り足取り教えてはもらえない。新卒みたいにルーキーがたくさんいて、一緒にシステマティックに教わっていくってことはない。
地方の工務店の営業。当然、同期などいない。
普通の三十過ぎと言えば、一通り仕事はできて、その会社ではすでにエース、部下を持って教える立場だ。言うなれば人生の働き盛りとでも言うのだろう。普通は転職だって同業からある程度スキルがあって入って来るのが一般的だろう。
それが、自転車で放浪していて、職歴は山小屋と自転車屋だけ。住宅営業から遠すぎる。
それでも、住宅営業として上手く行ったのは、運が良かったとしかいえない。百万円の自転車を売ってきたスキルもあったし、プランを考えるのが楽しいと感じられたというのもあったにせよ、周りの人が良くしてくれたし、いろんな巡り合わせが良かった。苦労は多かったが、社会に馴染めなかった自分にも、きちんとできる仕事に出会えた。神に感謝するより他ない。
それが、ある日、突然にダメになった。
別に大きなクレームではなかった。
完成して引き渡しの三日前にキッチンが水浸しになった。
「おいおい、なんでキッチンが水浸しなんだ。食洗機につなぐ水のパイプが上手く締まっていなかった? そんなバカなことありえないだろ」
お客様に平謝りして、濡れた部分の床を全て新しいものに張り替えることになる。現場に行ってみると、ほんの一部しか張り替えていない。
「どうして? 濡れた部分とその周辺は全て張り替えるって言ったじゃないか」
現場監督は困ったような顔をしながらも、
「いや、でも、濡れたと言っても、別にフローリングが水を吸ったわけじゃないから。目立つところだけ変えたんだ。完成したフローリングを切ると逆に目立っちゃうから」
フローリングを張り替えるのは確かに厄介だ。フローリングというのは部屋の端から貼っていく。ただの板ではなく、サネ加工といって溝が付いていて、その溝に合わせて端から順番にはめこんで行くようになっているので、一部分だけ変えるのは難しい。かといって、キッチンとそれに面するリビング、さらにその家は、隣の部屋まで同じフローリングで通していたので、そこまで全部変えるのは厄介なのは分かる。
「そんなこと言ったって、お客さんには全部変えるって言ったじゃないか」
「いやいや、お客さんには目立つ部分だけ変えるって言ってるよ。それに社長だってこれで良いって言ってる」
そんなわけないだろう。
修理が終わって現地でお客様に説明するが、当然不服そうだった。そりゃオレだって自宅で同じことをされたら、怒るだろう。
それがまたお客様の方も、
「それじゃあ、外のカーポートや外構をサービスでやってくれ」
と言い始める。カーポート周りの百万円くらいで片付くならと社長にも話して承諾したら、とんでもなく高いカーポートにフェンスやら何やらで五百万円くらいを言ってくる。社長が直接謝罪にくるのが遅かったというのもあって、お客様はもうどうにも腹が立って収拾が付かない。
ただ、大変には違いないけれど、どうにもならない深刻な事件ではない。
解体して建て直すわけでもない。
別に事故で怪我人や死人が出ているわけでもない。
そもそも五百万円の損失とは言っても、オレが払うわけじゃない。そもそもオレのミスではない。
施工ミスはしょっちゅう起きる事件じゃないにせよ、大なり小なり施工ミスはある。人間がやる仕事だからこればかりは仕方ない。深刻に気にするようなことではない。
現場監督の事情も分かるし、職人の事情も分かる。お客様が怒るのも分かるし、五百万円の外構をタダでやって欲しいと言ってくる気持ちも分かる。
大した事件ではない。
だけど、それから、仕事に行けなくなってしまった。
三日も休めば気分も変わるかと思ったけれど、一週間無断欠勤しても全く良くならず、休職させてもらうよう会社に頼んだ。
会社は理解してくれた。
死んだら気楽なもんだけど、生きている限り、何かしら金を稼いで来ないといけない。
一人なら住宅ローンなんかも心配しなくたって、家は手放したって良い。金がなくたって毎日万引きしながら全国行脚したって良いかもしれない。逮捕されたら刑務所でのんびりと飯が食える。
そんな違法なことをしなくたって、若い頃みたいに、山小屋でワンシーズン働いて、その金を持って、異国を旅して、金がなくなったら帰国して、春になったらまた山にこもって、また好きな国を放浪する。そうやって呑気に暮らすのだって悪くない。
住民票を置くために、ボロアパートを借りたって良いし、バブルの遺産の別荘地の二束三文の中古別荘を二百万円ほどで買ったって良い。
だが妻と子どもがいると、そうもいかない。
四人家族で自転車で放浪し続けているヨーロッパ人もいるけれど、そういうわけにもいかない。
どうして?
オレが日本人だから?
オレもヨーロッパ人だったら出来たか?
いや、多分できないだろう。
日本人でもできるやつはできるだろう。
結局、オレはそういうことは出来ない人間だというだけのことだ。
そう考えると使える方法はすべて使って生き延びる必要がある。大学を辞めて、自転車で放浪するような人生だから、これまでにも何度も危機はあった。頭の中がハッピーだから、そういうアウトロー、社会のはみ出しものみたいな生き方やっているわけじゃない。
中には本当に頭がハッピーで、はみ出しものだろうと、社会不適合だろうと、自分がやりたいように生きていれば幸せだから、そうやって生きているっていう人もいる。
例えば、高校をサボりすぎて、日本国内の大学はまともなところはどこも行けなくて、でも、大学は行きたいし、面白いことしたいからって、アメリカの大学に行った。アメリカでちゃんと大学生していると思ったら、実は、最初の半年の語学学校の時点でこけていて、大学には入学できず、それを隠して、そのままアメリカのジャパニーズフードのレストランで焼き鳥焼いて、ガンジャのし過ぎで、ホームレスして、最後は国外追放で日本に帰ってきて。かと思ったら、今度はヨーロッパに行く。
「日本人で焼き鳥焼いて、天ぷらあげてたら、世界中どこでも食っていけるんだよ、むしろ、日本にいるより給料良いし。ドイツなら比較的簡単にグリーンカード取れるから」
そう言って、今度はベルリンに住んだ。それでも、結局、ドイツのグリーンカードを取る前に、ジョージアに住んでいた。
「ジョージアってどこだっけ?」
「東ヨーロッパ。ロシアの隣らへん」
「ああ、グルジア?」
ジャックケルアックの小説に出てくるような、ネジが飛んでるやつは現代にも確かにいる。
でも、オレはそうはなれないんだ。
とにかく病院に行く。
最初に行った病院がひどかった。
まず、建物が古い。鉄筋コンクリートではなく、木造で、明治時代の洋館のような建物で、ドラマのロケに使われそうだった。精神病院じゃなくて、美術館とかだったら趣があって素晴らしい建築だと言えるのだが、歴史のある精神病院、これ、今でも電気ショックで治療しているんじゃないか、そんな雰囲気がある。
その上、予約が不要なせいか、とにかく待っている人が多い。待ち時間が長くて、待合室が狭い。精神に問題のある人が箱詰めにされているような具合だ。かくいうオレも相当参っていたから、これは本当に効いた。オレも頭がダメな人の仲間入りか。人に会うのがつらいのに、精神病患者の箱詰めで、時間が本当に長い。
随分待たされて、初回のカウンセリングをするために部屋に通された。
待合はあんなに狭いのに、この部屋だけすごい広くて豪華だ。面積も広いが、天井も高い。そして、立派な本棚があり、革で装丁された分厚い本が並んでいる。立派なソファがあり、腰掛けると深く沈む。洋館の応接間という雰囲気である。
対面に座ってカウンセリングするのは、医師ではない。若い女性で、胸のネームプレートには臨床心理士とある。
そんな広い立派な応接間の、深く沈みすぎるソファにちょこんと精神病患者のオレと、臨床心理士のお姉さんは対面して座る。
どういった症状で困っているかなど、細かく聞いて、メモを取る。ただ、ソファが柔らか過ぎて沈んでしまうので、上手くテーブルに紙が置けず、膝の上で書き取るのが難儀そうだった。業務のことを考えれば、普通の机と椅子で、もう少し狭い部屋にして、待合の缶詰状態を緩和すれば良かろうに。
それでも、話しやすい雰囲気のお姉さんで、助かった。
じっくりと時間をかけて聞き取りが終わると、また、箱詰めの待合に戻った。座れる椅子はなかった。
待合の隅に入院病棟に続く扉がある。「午前七時から午後一時までは外来のため、この扉は締切です。」という紙が貼ってあった。その扉の向こうは想像するだけでも嫌だった。外来の時間が終わると、入院患者たちもこの待合の方に出て、庭に散歩に行ったりするのだろうか。
最初の聞き取りは随分と立派な部屋でじっくりと行われたのに、医師の診断はひどく短い。
医師は臨床心理士のメモを読みながら、ふんふん、と言って、
「会社の方に診断書とか必要? 必要だったら書きますが」
それから、診断書を書いてもらって、デパスと睡眠薬の処方箋をもらった。診察は五分もかからなかった。
ひどいもんだとも思ったが、座る椅子も足りないほどの大量の患者を相手に、丁寧に話を聞いて、一緒に解決を模索するなんて出来るわけもない。何せその病院の外来は朝七時からやっている。早朝からやらないと見切れないほどの人が来るのだろう。
金額の問題もある。医師のような給料の良い人間が、じっくりカウンセリングしていたら、患者の支払いはとんでもない。臨床心理士くらいの給料なら、初回の一回は、じっくりカウンセリングしたってペイ出来るだろう。だけど、臨床心理士だと、処方箋も診断書も書けない。
かと言って、全く話も聞かず、医師も処方箋や診断書を書くわけにもいかない。臨床心理士が患者の話を要約して、医師にしかできない書類作成だけ医師がする。効率の良い分業とも言える。
ただ、このプロセスは治療で治す見込みはないと思った。症状に対して処方箋と診断書を出すだけなら、それこそオンラインで話を聞いて、その内容を踏まえて後日処方箋と診断書が届けば良い。
じゃあ、医者が丁寧に話を聞いて、カウンセリングをして、コツコツ治療すれば治るのかと言えば、そういうものでもない。もし、それで治るなら、そういう病院がもっと増えているだろう。
そもそも、内科も外科も、精神科も同じ医師ライセンスなのも疑問がある。
ウィルスも腫瘍もなく、原因が目に見えない、治る目途の付きにくい病気、それに毎日向き合って、何かをしないといけない。それで処方箋を書く。だけど、本質的には医師も、処方箋を出しているだけで何かが治るとは本当のところ考えていないんじゃなかろうか。ただ、そんなことを考えていたって、それこそ精神病になってしまうだろう。
素人の自分でも、そう思うのだから、毎日診療し続けているドクターたちは当然その違和感など分かっているだろう。
薬が出るのを隣の薬局で待ちながらそんなことを考える。
昔、大学の頃、ウツになってどうしようもなくなった女の子がいたけれど、そりゃ、治るわけないよな、と改めて思う。
三十五歳、社会人としての経験もして、いろんなことが分かって、誰に指示されることもなく、それなりに動けるようになったオレは、自分で病院も探せるし、車を運転して来ることもできた。この病院に通っても治ることはなさそうだから、別の病院を探すか、何か別の方法を考えなければと考えることもできるし、行動もできる。
大学生だったあの子は、親に面倒を見てもらっていた。
面倒を見てもらうというと響きは良いけれど、じゃあ、病院に行って、この病院じゃダメだなと思ったとしても、
「いやいや、あなた病気なんだから、お医者様の言うことをきちんと聞いて、治療を受けないといけないわよ」
って話になってしまう。
そもそも、まだ世界が広くないから、この病院じゃ治らないよな、なんてことにも気付かないかもしれない。
その子と最後に会ったのは、総合病院の精神科病棟で、たえず薬を飲んでいるからか、表情がだらしなく緩んで不自然だった。五分ほど会話したら泣き出してしまって面会終了。それきり会っていない。
病院によっても違うだろうが、これはいかんな、少なくともこの病院に通っていても治るどころか、あの待合で、頭がおかしくなるだろうなと思って、カウンセラーを探す。
村の入り口にはいつも暇な大人たちがたむろしていて、宿まで案内してくれるとチップを欲しがる。
意外なまでに早くアフリカには慣れていった。アフリカは感覚的に生きていける。こうしたら良いんじゃないかということをしたら不思議と生きていけるようになっている。初めてiPhoneを買ったときに似ている。取説なんか付いていなくても、何となく、ここを押せば良いのかなという操作をしていけば使えるようになる。お店の看板もないし、メニューもないし、言葉も通じない。ただ、人々は優しいというか、そこらへんに誰かがいて、話しかければ何とかなった。チップをくれと言われることも多いけど、チップをあげなくても問題はなかったし、基本的にみんな親切で良い人たちばかりだった。
ダルエスサラームから北上して約一週間、キリマンジャロ登山の拠点の町モシに着く。
それまでの村と違って外国人観光客もいる大きな町だ。大きな町とは言っても日本の地方の小さな町よりも小さい。
宿も現地人の泊まる宿じゃなく観光客の泊まる宿が多い。高いきちんとしたホテルもあればバックパッカー向けのゲストハウスもある。安くてもきちんと掃除は行き届いている。宿泊していると、現地人スタッフが床を雑巾でふいてくれているのを見かける。日本だと掃除機だけで済ませるような廊下の床まで雑巾がけしてくれるのはちょっと驚いた。もちろん、英語で問題ない。食事もアフリカのモチ、ウガリじゃなくて、普通のパンが食べられる。レストランもちゃんと看板が出ていて、メニューもある。金額も書かれている。観光客が困らないよう一通りが揃っている。
登山ガイドのオフィスに行くと日本人のおにいさんが値引き交渉をしていたので、そのまま、
「じゃあ、オレも同じ値段でツアーに入れてよ」
と言って、入った。
「ああ、こんにちは、日本人が入ってくれると助かります。今、この金額まで値引きできてるんですけど、この金額で良いですか」
入山料を含めて約十五万円で五泊六日のテント泊のツアー。千百五十ドルで、そのうちの八百四十ドルが国立公園入園料ということだ。ガイドたちには三百ドルしか行かない計算になる。それは安すぎるんじゃないかと心配に思ったが、別途で最終日にガイドたちにチップを渡してくれということだった。
「聞いてたより安いんだね。もちろん、オーケーですよ」
値引き交渉なんかが苦手なので、こういう話に乗っかれるのは助かる。
オレとその日本人のIさんの他にイギリス人二人とフランス人一人の合計五人のパーティーで登ることになった。
はいていた普通のコンバースで登るとガイドに言ったら、用品のレンタルはツアーの料金にインクルードだから靴と防寒着を選んで行きな、最後のピークのところは雪もあるから、と。
ものすごく綺麗というわけじゃないが、そんなにひどいものでもない。もちろん、日本人の普通の登山装備と比べるとボロボロだし、六千メートル近くまで登る装備として考えると、立派なものとは言えないが、難しいクライミングなどの要素はないので、十分すぎると思った。少なくともコンバースよりは良いだろう。登山客の落し物なんかをストックしているのだろうか。あるいはタンザニアという国にとってはキリマンジャロは貴重な外貨調達の観光資源なので国として予算を計上しているのか。確かにコンバースなんかで登られて遭難が頻発するのは困る。
キリマンジャロの日々は快適だった。
チーフガイドとサブガイド二人、それからポーターが十五人ほど。
キャンプサイトまで歩くと先回りしていた彼らがテントを張って待ってくれている。食事もダイニングのテントを張ってくれていて、パスタやスープなんかがおかわりし放題だ。これが美味い。町中で食べる下手な食事よりずっと美味しい。テントもI氏と二人のテントで、ゆったりした広さだ。
I氏は某大手上場企業社員。独身。年末年始の休みに七日の有給をくっつけた二週間のアフリカ旅行。年末年始と盆休みの度にそうやって旅行を楽しむ。
イギリス人二人は五十過ぎくらいだろうか。今回のメンバーでは年齢が高いので少し心配ではある。どうもお金持ちな雰囲気で、ゆったりといろんな国を旅している。
フランス人のクリモ君は一番若い。二十四歳。ルーファー、屋根職人。
みんないろんな国を旅している。かくいうオレは海外旅行二回目。一回目が南米を自転車で走った。車酔いするので、自転車以外で旅できない。
日本の山とは全く違う景色の中を歩く。標高が高いのに赤道近くなので、日本では見たことのない植物がにょきにょき生えている。
食事も宿も保証されていて安心だ。何日か雨が降ることもあったけれど、手ぶらで歩く初めて見る景色のトレッキングは終始快適だった。
最後のピークへのアタックだけ大変で、天候の安定する深夜から朝にかけて登る。五九八〇メートル。寒い。とはいえ、赤道に近いからか、温度はなんとかなる。もちろん、ゼロ度よりは寒いが、マイナス何十度とかにはならない。ネックウォーマーが吐いた息で凍ってくるけれど、何とかなる程度。レンタルのへたれた登山靴でも何とかなる。コンバースだとちょっときつかっただろう。問題は呼吸だ。酸素が薄い。十歩進むと息が切れる。本当にしんどい。毎日自転車で旅して体力のあるオレでもつらかった。I氏を励ましながら登る。
山頂からの景色は良かったと思う。息苦しくて、登り切れたという感動ばかり強くて、きちんと覚えていない。
少し悲しかったことと言えば、パーティーで一番お金を持っていそうなイギリス人二人がチップをしぶったことだった。
「私たちはちゃんと正規の金額をツアー会社に支払っているのだから、百ドルも払う必要はない。それに五十ドルでも彼らにはかなりの大金のはずだ」
チップ文化のあるイギリスなのに意外だった。
確かに正規の金額を支払っているのだから、それ以上はあくまで気持ちの問題なのだから、筋は通っている。一ドルなどではなく、五十ドルも払えば十分だろうという言い分はおかしくない。
さらに言えば、オレとI氏は値引き交渉をしている。根本を言えば、それも問題なのだ。I氏が最初にいくらを提示されたのか分からないが、百ドル単位で交渉しているだろう。
英語がロクに出来ない日本人の我々でさえ値引き交渉しているのだから、他のツーリストもするだろう。アフリカは金額を明確に提示しないので、交渉しないとものすごい高い金額を言われてしまうというのもある。人数が埋まらないと、利益が減るので、いくらか値引きされても、取る方が得なのだろう。
それで、ツアー会社は、ガイドやポーターの給料を引いて、その代わりにチップを払うような仕組みになってしまっているんじゃなかろうか。
恐らくだが、最初に支払ったツアー代はツアー会社が大半を持って行ってしまうだろう。
現地で案内してくれたガイドにもいくらかは行くにせよ、十人以上いるポーターの子たちにはほとんど行き渡らないだろう。ポーターの子たちは登山靴などはない。ボロボロのスニーカーだ。リュックもない。大きな荷物を頭の上に乗せて運ぶ。
「登山の仕事をして、またお金が溜まったら学校に行くんだ」
キャンプサイトで話したポーターの子は言っていた。もしかすると、それもチップのための営業トークかもしれない。ただ、そういう狡猾な感じはしなかったから、本当のことだと思う。
いくらアフリカ人が収入が少ないとは言ったって、ここまで自転車で旅をしたオレには分かる。ローカルの食費なんかは意外と安くない。もちろん、先進国に比べれば安い。高くても二百円もあれば食べられる。とは言え、二十円とかじゃ食べられない。五泊六日で働けば、どんなに少なくても、やっぱり一人二十ドルくらいは欲しいだろう。
チーフガイドからも明確にチップの依頼があった。ギブミーマネーとかじゃない。
「明日、最終日のテントから出発するときに、チップをお願いします。ツアー料金は頂いていますが、キリマンジャロは入山料が高いですし、このチームはテント泊なのでポーターの数も多いです。みなさんから頂くチップは我々にとって重要です」
全員を集めて、そんな内容を英語で話した。
最終日にチップを渡すと、ガイドたちはあからさまに不満そうな顔をした。全員がまとめて払う方が良いという提案で一人五十ドルずつを出して渡した。二百五十ドル。チーフガイド、サブガイドの三人で百五十ドル取れば、残りのポーターの子たち十五人は一人十ドルにもならない。
とは言え、本当のところツアー会社に支払ったお金のうちどれだけの内訳で、彼らに渡っているかは不明だ。もしかすると、ちゃんと最低限の賃金は支払われているのかもしれない。
後でI氏とオレはこっそりと追加で百ドルをチーフに渡した。
「オレの登山経験の中でベストなトレッキングだったよ。飯も美味かった。ちゃんとピークも踏めた。すごく楽しかった。みんなで分けて欲しい。オレも日本では登山の仕事もしているから、山で働く人が良い暮らしをして欲しいと思う」
「あんたは良いやつだよ。ヨーロッバ人は厳しい」
だけど、オレは本当はきちんとイギリス人たちに言うべきだったんだろう。きちんとした英語で、
「ポーターたちの人数のことを考えればこの金額では足りない。確かにツアー会社に正規の値段を支払っているのだから、ツアー会社の責任かもしれないし、そこで働くことを選択している彼らの問題でもある。それでも、良い登山だったし、共に過ごした仲間なんだから、それに見合う報酬を彼らに払うべきだ」
つたない英語もそうだが、日本人の事なかれ主義だった。
とは言え、彼らも旅行をしていて、彼らにも旅費の都合はある。
仮にオレの英語が流暢だったとしても、反論されただろう。
チップはあくまでサービス料、支払う側の感謝の金額で、五十ドルでも十分な金額だと言える。五十ドルあればアフリカの宿なら何泊か出来る。収入として必要な金額であれば、最初のツアー代金で正規の金額の中に含めるべきだし、かわいそうだからチップを多く払うというのは、それこそ失礼だ。彼らの考えは間違っていない。理解はできる。納得はできないが。
下山してから百ドルでスマホを買った。ちゃんと画面をタッチできるスマホで、写真も撮れた。写真の画質もそんなに悪くない。マップをダウンロードして、これでGPSで現在地が分かる。道はそんなに多くないので、紙の地図でも問題はなかったが、やはり現在地を確認できるのは助かる。SIMカードもさしてもらった。スマホじゃないボタン式のガラケーも売っていた。ガラケーの方は半額以下である。ダルエスサラームでバイシクルドクターオバザキと買ったのと同じくらいの金額だった。チーフガイドもスマホじゃなくてボタン式のガラケーだったなと思った。
キリマンジャロから下山して、モシの町を出発すると、大都市アルーシャがある。モシと比較しても大都市だ。とはいえ、ダルエスサラームと比べればずっと小さい町だ。予備の自転車のチェーンが二十ドルで買えた。そう何本もチェーンが切れることはないだろうが、次に手に入る町が見付かる保証はなかった。ダルエスサラームで入手した100ドルのチェーンは大陸を横断するには心許なかった。
アルーシャを過ぎると、また田舎の村しかなくなった。
ユンバヤクララワゲーニに泊まりながら進む。宿がない村で村人の家に泊まらせてもらうこともあった。キリマンジャロでのご飯は美味しかった。寝る場所の心配もなかった。
だけど、やっぱりこっちの方が生のアフリカを感じられて、楽しい。
自転車の少年に出会った。
タンザニアではレトロな自転車が走っている。昨今の日本のママチャリではなく、ジブリの映画に出てくるような昔ながらの自転車で、新聞配達などのプロユースの重い荷物を運べるような頑丈なものだ。チェーンリングなんかに装飾が入っていたりして、古き良き時代の自転車。ヨーロッパなんかから寄付みたいな形で来るんだろう。逆に日本なんかに輸出したら、マニアが高く買うかもしれない。
ただ、彼らの乗る自転車はパンクしていたり、チェーンが切れていたりする。チェーンが切れていると意味がないように思うが、料理の燃料である石炭や水を積んで押して歩くのに使える。宿があるような村は水は問題ないようだが、大きなタンクの水を運んでいる人々を見ると、水を遠くまで汲みに行かないといけない村もあるのだろう。石炭はかさばるから、人の背よりも高いくらいの束になって、自転車の後ろの座席にくくりつけられていたりする。
速く走るためというより、荷物を運ぶためのツールなのだろう。
だから、少年が自転車に乗っているのは珍しかった。
「ハロー、どこから来たの?」
英語でにこやかに話しかけてきた。
「ジャパンだよ。英語出来るのかい?」
「うん、学校で習っているからね」
「へー、じゃあ、今は学校帰り?」
彼の村はタランギレ国立公園の入り口のゲートの近くの方らしい。タランギレはサファリツアーなんかが出来る公園だ。
彼の自転車の速度はゆっくりだ。でも、オレの旅も別に急ぐものじゃない。それに自転車の一人旅で、誰かと会話しながら一緒に自転車をこぐっていうのは本当に貴重だ。癒しがある。
彼の夢はエンジニアで、学校の勉強を頑張っているということ。だから、英語もできる。確かに彼の英語は十分に通じる。自転車についているフロントライトも学校で学んだことを活かして彼が自分で配線をつないで修理したということ。今の学校を卒業したら、ダルエスサラームの大学に行って車やオートバイを作るエンジニアになりたいということ。
ただ、問題なのは、彼は学校に行くのに自転車で片道四時間かかるのだということ。お互いにつたない英語なので、もしかすると往復四時間の間違いかもしれない。
「ハウストゥースクール、フォーアワーズ、アンド、スクールトゥーハウス、フォーアワーズ。ソー、エイトアワーズ、ワンデイ?」
そんな簡単な英語でのやりとりだから間違えることはないだろう。
「合計八時間もかけて学校に行くの? で、学校では何時間勉強するの?」
「二時間だよ」
彼の自転車はぼろぼろだ。
それは彼らには普通のことだろう。
ただ、毎日学校に行かずともテキストをメインに勉強する方法ってのはないものだろうか。オレも高校は嫌いだったから、よく休んで一人で勉強して、分からないところがあれば教師や友人に聞いていた。先生が良い人だった。よく世話を焼いてくれた。授業はかったるいから聞きたくない、一人で勉強してる方が効率が良い、でも、分からないところだけ教えてくれなんてやってくる。嫌な学生だっただろう。勉強法もいろんな選択肢があって、学校に行って聞けばいつでも教えてくれる先生がいて、書店に行けばいくらでもテキストが豊富にある環境で、それを買う金にも困らないから出来たことだ。
それにしたって、通学に八時間でたった二時間のために学校に通うなんてのはもったいない。ケータイも普及してきている。
彼らがケータイを持つのは贅沢ではない。離れた町の間を有線の固定電話を引っ張る方がコストがかかるのだ。ケータイなら、電波の中継地点を作れば村でも無線で通信ができるようになる。小さな村でも意外なまでに電波はつながって、インターネットも使えた。ただ、現地人はネット通信の通信料は高いので、もっぱら電話を受けるために使っている。
「今はセカンダリースクールが終わって、次のユニバーシティに行くための試験の結果待ちなんだ」
「結果待ちだったら、結果が出るまでは学校に行かなくても良いんじゃないの?」
「村でのんびりしてるより、勉強する方が良いと僕は思ってるからね。エンジニアになりたいんだ」
途中の村の商店でコーラを買った。彼にも一本。
そのお釣りを彼に渡した。
「多くはないけれど、ノートやペンを買うのに役立ててよ」
改めて思うと、彼は本当に珍しい。普通は、向こうからチップくれだったり、ジュース頂戴とか言う。彼は自分からは一切言わなかった。
彼と別れてから改めて考えたけれど、彼がユニバシティに行けるか。片道四時間かけてセカンダリスクールに通う。確かに、彼の家は自転車が買えるくらいに裕福なのかもしれない。でも、大都市のユニバシティに通えるだけの金があるのか。そして、ユニバシティに行ったところで、タンザニア国内にユニバシティで学んだことを活かせるような産業はあるのだろうか。
病院に行っても治る気がしない。カウンセラーを探す。
カウンセラーというのは実に高い。休職して収入が無くなるのに本当に心折れる。一回話すのに一万円くらいは平気でかかる。
GoogleMapによると意外と近くにもカウンセラーがいた。ただ、高い。一万円か。カウンセラーなんて役に立つのか分からないのに。せめて五千円で勘弁して欲しい。
とはいえ、メンタルが弱った人間の話を小一時間聞くって大変だし、五千円でやるには割に合わないというのも納得できる。仕事としてやっていれば、毎日、そんな話を聞かないといけない。
ググっていると今の時代、オンラインカウンセラーというのがあるらしい。電話でカウンセラーと話せる。一分二百円から三百円ほど。相談が二十分で終われば、五千円ほどで済む。登録して、専用アプリを入れれば電話代もかからない。家から出なくて良いし、人に会わなくて良いのは助かる。
それにしても、一分二百円だと十分で二千円か。大昔、ダイヤルQ2なんてものがあった。テレフォンエッチと言ってエッチな声が聞こえる電話なんかにつながる。もちろん、アダルト以外のものもあったんだろうが、少年の興味と言えばそういうことになる。これが一分いくらというシステムなのだがベラボウに高い。すごい金額の請求書が家に来て怒られるやつがいて、そいつのあだ名はしばらくキューちゃんになる。
アダルトサイトがゼロ円で無修正動画まで見放題になった今の時代に、一分数百円なんだから、オンラインカウンセリングも決して安くはない。
それでも、一万円まではつらくても、五千円なら試せる。
カウンセリングなど役に立たないのか。はたまた話を聞いてもらえるだけでも救いはあるだろうか。
そう、話せないのだ。
死にたいなんて、誰にも。
「そんなの話されたって困るだろ。元気出せよ、大丈夫さ、良いことあるよ。カラオケでも行ってさ、ファミレス行こうぜ。ボーリングもやっちゃう? あの子のアドレス聞いてやるからさ!」
高校生ならそれで良かった。いや、本当は大人になってもそれで良いんだ。でも、オレにはもうクラスメイトもいないし、昔の友達は遠くにいる。仮に近くにいたって、みんなそれぞれ家族がいて生活があって仕事をしている。昔と違って、いろんなことを抱え過ぎている。
サクサクと会員登録して、すぐにつながるカウンセラーということで一分二百三十円のおじさんにつながった。傾聴とうなずき。カウンセリングの本に出てくる通りの対応だった。
住宅営業をやっていくには、心理学は必須だ。ミラーリング、相手の動きを真似して同調意識を持ってもらう。オウム返し、相手の言葉を全く同じフレーズで繰り返してから、うなずいて、その上で話を進める。ザイオンス効果、単純接触回数、会う回数が増えるだけで相手のことを好きになる。様々なテクニックを重ねて、何千万円の契約に辿り着く。傾聴と頷きは基本中の基本。
時計を見ながら、二十分のところで話を切った。
オンラインカウンセリングは役に立ったか、役に立たなかったか。
傾聴と頷きでは活路は見出せなかった。
そう、神様と話したいんだ。オレにどうすべきか教えてくれて。これをすれば今の問題から脱却できるよ。すぐには脱却できなくても、これさえしていれば大丈夫、これをやりなさい、って。
でも、ダイヤルQ2くらいの金額で神様につながるなら、みんな電話してるよね。神様を求めてる時点で、そもそも無理がある。十万円の壷を買ったって、神様とは会話できない。そもそもお金を多く払えば話ができる神様というのもどうなんだ。
インターネットに聞いてみても「今すぐ相談する。こころの健康相談統一ダイヤル」が一番上にドンと出てくる。かけてみようかとも思ったが、やっぱりそこも神様とはつながらないだろう。
せめてインターネットくらいは、楽に死ねる方法とか、よりそった返事をしてくれたら良いのにと思う。
オンラインカウンセリングは誰にも話せないこと、死にたいということを言葉にして話せたことは良かった。死ぬなとも、死んでも良いとも言ってくれなくて、傾聴と頷きだけなんだけど。それでも、自分の声で、死にたいという音が聞こえると、改めて自分が考えている以上にとても心を傷めているんだと感じた。
三年以上働いているから、傷病手当を一年半もらえるというアドバイスもくれたが、これはやっぱり住宅営業は知っている。FP資格、お金に関する知識も勉強している。住宅営業って本当にいろいろ知っている。それにしても自転車屋のおっさんから数年でいろいろ勉強したもんだ。
役に立たなかったとまでは言わないけれど、まあ、やっぱり五千円。
二十分じゃなくもっと長く話せば、役に立つこともあったんじゃないか。
いや、ダイヤルQ2もそうだけどさ。長くしたって仕方ないんだよ。
神様はいない。
いや、神様じゃなくたって良いや。高校の頃の帰り道の、いつも隠れてタバコを吸った神社の裏の時間が欲しいんだ。
「なんかさ、オレ、やっちゃったんだよ。仕事行けなくなっちゃってさ。何ていうかさ、死にたいなー、なんて思っちゃうんだよ」
いつもの友達に、話したい。背伸びしてタバコ吸って、カッコつけてジッポで火付けたりして。
「でさ、おれ、本当はあの子のこと好きなんだよ。なんかデートに誘う良い方法とかないかな」
「なんかおもしれーことないかな」
神社の裏でタバコを吸って、内容すっからかんな会話をして、それだけですごく幸せだった。
まったく三十五歳にもなって何言ってるんだか。
でも、アフリカの村の入り口みたいにおっさんたちが昼間から地べたに座り込んでぼーっとしている、そんな場所があって、気楽に内容すっからかんの話をできる場所があれば、それで良いような気もする。
五千円でダメなら一万円にかけてみようじゃないか。電話じゃ難しくても、会って話せば、こちらの意図を汲んでくれて、何とかアドバイスしてくれるかもしれない。
行ける範囲にあるカウンセラーのホームページを見ていく。田舎なのでそんなに多くはない。これも、傾聴と頷きだろうな。ダメそうだな。
傾聴と頷きでは解決は難しそうだと思う。いくらか気休めになるかもしれないが、何回も通うのは財布に厳しい。財布が厳しくなると、それも精神的にダメージになる。
だが、三つめに見たページで凄いことが書かれていた。
「症状じゃなく根本にアプローチするので、リバウンドしにくいです」
「延々とカウンセリングを続けなくて大丈夫です。カウンセリングを受けた多くの方が三回から五回程度で元気になり、セッションを終了しています」
とんでもないと思った。本当だとしたら、これは本当に神様かもしれない。普通の風邪とかじゃない。精神の病気が五回程度で治るっていうのはちょっと聞いたことがない。
嘘だとしても、ここまでのことを堂々と書くだけでもすごい。普通のカウンセラーのページは丁寧なカウンセリングを心がけてうんたらかんたらとかで、何回以内で元気になるなど一言も書かれていない。
地図を見ると、山奥の別荘地にある。
初回九十分で一万五千円。その後は一回一時間のカウンセリングが一万円。それが三から五回程度。安くはない。それでも、十万円の壷よりは安い。それで神様と話せるか。
カウンセラー氏は森の奥の家に看板も出さずに居を構えていた。
毎日毎日腹が減る。
村の入り口で誰かにジャンボ、ジャーと身振り手振りで言えば、ご飯が食べられるところに案内してくれる。
ただ、電子レンジはもちろんないし、冷蔵庫もないこともある。何よりもガスじゃなくて炭火なのですぐに調理できるわけじゃない。だから、お昼ご飯時じゃないと、料理がない。昼ごはん時の良いタイミングで町に着かないといけない。小さい村でも、彼らは何かしら食べられる場所に案内してくれる。レストランとうより普通の民家くらいの狭い掘っ建て小屋のようなところだ。観光客なんて来ることもないような小さな村だから、客人用と言うよりも村人用なのだろう。やはり調理がガスじゃないので、各家庭でちょっと料理して食べるのが大変で、みんながそこで食べるんじゃないかと思う。ただ、その割にはコンパクトだ。順番で食べるのだろうか。その辺りは分からない。
それでも、「この村ではご飯は食べられない」と断ることはない。小さい村でも何かしら食べられるところに案内してくれる。
少し大きな村、大きいとは言っても村だけど、トラックなんかのドライバーも食べるようなところだと、鍋が何個かあって、米かウガリが選べるような時もある。ただ、注文が上手く出来ているかが分からない。彼らは何事も急がないというカルチャーがある。何事もポレポレ、スワヒリ語でのんびり行こうぜという意味だ。注文は当然英語は通じない。スワヒリ語でのやりとりに自信がない。注文が通っていないまま座っていたらどうしようかと思って話しかけると、まあ、待てというようなことを言われる。ご飯が出てくるまでに随分時間がかかるということがある。それでも、食べられるので、それだけでもありがたいのだが。
ワリ、米が出てくると嬉しい。ウガリは僕ら日本人にはちょっと合わない。まずいことはないのだが、味がない。どうも腹が膨れない。モチみたいなもので、それをちぎって手でにぎにぎして、食べる。タンザニア人は米よりウガリが好きで、ウガリはソウルフードだよ、みたいなことを言っていた。我々日本人がパスタなんかも食べるけれど、やっぱり米が一番の主食というのと同じような感覚だろう。
彼らは食が細い。いや、意図的に食が細いわけじゃないだろう。貧乏で食べられないというわけでもないのだろうが、何杯もおかわりするようなカルチャーはないらしい。食が質素だ。おかずにもあまりバリエーションはない。一番多いのは煮込んだような肉のかけらに豆、そしてウガリというプレートだ。あとはほうれん草みたいな野菜のおひたしみたいなものがたまに付いている。どれも、不味いわけではないのだが、美味しいとも言えない。もちろん、空腹で食べればありがたいし、美味しいとも感じるし、何よりありがたいのだが、どうも腹一杯にならないというのが本音だ。ワリ、ナ、クク、米と鶏肉が出ると本当に嬉しい。あとはチプシ、フライドポテトを卵でとじたようなものも美味しい。でも、いつも腹八分目くらいで、腹一杯の量は出ない。毎日腹が減る。
マンゴーは安くて美味しいし、どこの村でも道端でバケツに入れて売っている人がいる。疲れたら道端にしゃがみこんでマンゴーをかじる。村がなければ、何もない。動物奇想天外のような野生動物がうようよいるわけじゃないが、インパラだかガゼルという鹿のような動物がひょこひょこ歩いていることもある。アスファルトの道路にはあまり近寄らないので、遭遇率は低い。とにかく何があるわけでもない。砂漠というわけでもないが、森というわけでもない。エリアによって緑が多いこともあるし、少ない土ばかりのところもある。アフリカっていう雰囲気の木が生えていたりする。
村から離れた誰も歩いていない道端でぼんやりとマンゴーをかじる。意外とマンゴーの汁というのはベタベタにならない。美味しい。アフリカの大地で育ったエネルギーが体にしみていくのが感じられる。
小さな村でスーツにサングラスの黒人にタンザナイトという宝石を買わないかという話を持ちかけられる。
村に着いて、ちょっと早いけれど今日はここで終わりにして、宿でも探そうか、ひとまずビールでも飲もうか、うろうろしていたところで、スーツのジャケットを着た黒人に英語で話しかけられる。ジャパンから来たと言うと、タンザナイトの話が始まった。
宝石のことなど詳しくはないが、タンザナイトという名前は何となく聞いたことがある気もする。現地で買えば安いんじゃなかろうか。日本に持ち帰って売るか、誰かにプレゼントしたら喜ぶんじゃなかろうか。
それにしても、その男の服装は怪しい。上だけスーツのようなジャケットを着て、サングラスをかけた黒人。ネクタイはしていないし、シャツも襟付きのものじゃない。
タンザニアは暑いのだが、時々、上着を着ている人がいる。この暑さで厚手のジャンパーを着ていたりする。最初はモスキート対策なのかと思っていたが、どうも、上着を買えるというのはお金持ちということで、上着を着るのはちょっとしたステータスであり、一種のオシャレらしい。ただ、スーツのジャケットは初めて見た。
確かに黒人がスーツを着ているのはかっこいいと言えばかっこいい気もするのだが、怪しい。小さな村でそんな服装をしている人は初めてだし、そもそも英語を喋れるのが珍しい。
絵に描いたように怪しいやつだなと思いながらも、やることもなくて暇なので、少し話していたが、
「ちょっと先に宿を取って自転車なんかを置いてきても良いかい?」
と離れて、宿を取ってからまたビールを飲みに戻ってみると、マサイ族の服を着た年長のおじさんを連れていた。
「こちら、タンザナイト・マサイさん。この辺のタンザナイトの権利を握っている」
タンザナイト・マサイさんは何と言うか威厳のようなものがある。五十歳くらいだろうか。黒人というだけでも年齢が分かりにくいが、マサイ族はさらに分からない。おじいさんというほどではないが、若くはない。そして、珍しく恰幅が良い。小さい村ではほとんどの人が痩せてひょろひょろなのだが、タンザナイト・マサイ氏は、良いもの食ってるんだろうなと言わんばかりの恰幅の良さである。もちろん、英語は喋れない。
若いスーツのあんちゃんと、タンザナイト・マサイが揃うと、お芝居のギャングという感じがする。小さい村の、商店の外のテーブルでビアキリマンジャロを飲みながら、ボロボロの日本人と三人でタンザナイト貿易の話が始まった。
ありがたいことに、ビールを奢ってくれた。
ビア・キリマンジャロは味が薄くてさっぱりしているので、本当にごくごく飲める。暑いタンザニアの気候で飲むには最高だ。一日自転車を漕いだ後だとなおさら美味い。とは言え、普段は一本だけにしている。日本と比べれば安いとは言えど、一ドルはする。何本もグビグビ飲んでいると、旅費を圧迫する。ビア・キリマンジャロ以外にも店によってはセレンゲティやサファリというビールもある。キリマンジャロが一番薄くて爽やかだ。サファリの方が日本のビールに近いしっかりした苦さのある味だ。常温でも美味いのはキリマンジャロだ。
スーツのあんちゃんがスマホでタンザナイトの宝石の写真を見せてくれる。青い綺麗な宝石だ。ただ、宝石などさっぱり分からないので、ガラス玉を渡されても分からないだろう。それでも、写真を見たところ、何とも立派で美しい宝石なんだろうと思う。アフリカの安いスマホの画質の悪い写真なのだが、何とも説得力がある。
「へー、綺麗だね。でも、オレ、そんなにお金持ってないよ。いくらなの?」
「ものにもよるけど、この写真くらいのものなら二百ドルくらいからあるよ」
二百ドルか。何ともリアリティある数字だ。
これが五十ドルとか言われたら、そんなの偽物じゃないの? とすぐに思っただろう。
日本での流通価格など全く分からないが、現地での金額が二百だとして、あれこれ乗せて、指輪なんかにくっつけて日本で千ドル、十から十五万円とかで売るような感じなのだろうか。女性に縁のない人生だったので、そんな大きな宝石のアクセサリーの相場観も全く分からない。
「二百だったら良いかもしれないね。ただ、問題はオレは今、そんなにキャッシュを持ってないんだ。この辺はお金を下ろせる銀行がある大きい街はないだろう」
「今すぐじゃなくても良いよ。南アフリカ経由でヨーロッパにはルートがあるんだ。でも、ジャパンにはまだないんだ。ミスターがジャパンの窓口になってくれよ。ミスター、ビールがカラになっているけれど、もう一本どうだい?」
おいおい、そんな大きな話されたって、こんな小汚い自転車で放浪してるようなやつが出来るわけないだろう。
タンザナイト・マサイは英語が分からないので、ただ威厳を発して座っているだけだ。それでも、このマサイがいると、この話は本当なんだろうなと思わせられる。
「いやいや、オレなんかが買えないよ。ビールはありがたく頂くけど」
そう、ビールを奢ってくれるということも、信憑性を増している。こんな小さな貧しそうな村で、面白半分で異国の人にビールを何本も飲ませるような人はいない。とは言え、五ドルも飲んでいないのだが。
「じゃあ、日本人の友達を紹介してくれないか」
「どうかな、オレの友達にそんな貿易が出来るようなやつはいないよ」
五本目のビールを頼もうとするところで、ストップをかけた。ビア・キリマンジャロは一本が五百ミリじゃない。でかい。さすがに酔ってきた。泥酔するとまずい。地方の村は治安が良くて、いくらフレンドリーな良い人たちとは言え、アフリカに違いない。
ビールは一本一ドルとはいえ、これは現地人にとってはそれなりに高い。現地人と一口に言ってもいろんな人がいるのだろうが、月の収入が百ドル程度というのが普通だとも聞いた。そもそもサラリーマンのような安定した収入のある仕事はなく、仕事がある日もない日もある。だから、現地人はビールを全く飲めないほど貧乏ということはないのだが、あまりビールを飲まない。
とは言え、つたない英語力で、たまに英語が喋れる現地人との会話から手に入れた知識なので、真偽のほどは定かではない。
ただ、タバコは箱で買う人がいなくて、一本ずつバラ売りで、その一本のタバコを何人かでマリファナのように回して吸うのを見ていると、ある程度本当のことなのだろうと思う。
現地人はビールの代わりにキロバという名前の、ビニール袋に入ったジンを飲む人も多い。一袋に二十ミリリットルほど、つまりショットグラス一杯分くらい入っている。四十度くらいの強い酒なのだが、これをコップなどには入れずに、袋を切ってチュルっと吸うように飲む。これが効く。キンキンに冷えたのをショットグラスに入れて飲むのと違って、常温をビニール袋で飲むのはまた格別だ。まずい、効く、たまらない、病みつきになる。
そんなキロバを買って飲んでいると、現地人は喜ぶ。
「このジャパニーズ、キロバが好きなんだってよ。仲間だな!」
と言った具合だ。
キロバはさておき。
これだけビールをご馳走してくれるということは、やはり彼らは本物なのだろう。オレも最初から明確に買えないよと伝えていて、相手が勝手にご馳走してくれるのだから、別にこちらに落ち度はないし、買わないからと言って怒ることはないだろう。それだけ裕福だったら、貧乏自転車旅行者を襲って金を強奪したりすることもなかろうとは思う。とはいえ、オレがいくら図々しくて、もらえるものはもらっておく主義とは言っても、さすがに悪い気がしてくる。
買えなくてゴメンね、ビール、ありがとうと言って宿に行く。
別に嫌そうな顔もしていなかったし、別れ際に一緒に記念写真も撮ってくれたし、その後も、別段、無理に「タンザナイト買ってくれ」と宿に来るわけでもなかった。
タンザニア人は本当に人が良いと思うことが多い。
タンザナイトマサイに限らず、現地人と一緒にお酒を飲む機会は多かった。
タンザニアは宿にバーがくっついているというか、バーの方がメインで奥に宿がくっついているようになっている。それで、現地人が飲みに来るので、うるさいところは結構夜遅くまでうるさい。ビールを飲む人もいれば、例のキロバをコーラに入れて飲む人だったり、はたまたコーラだけ飲んでいる人や、何も飲まない人もいる。テレビが付いているところもあって、みんなでサッカーを見ることもある。
自転車で走っていると、子どもから大人まで、
「アズーング、ギブミー、マネー」
などと言ってくる。アズーングとはヨーロッパ人とか、外国人とかっていう意味らしい。オレはヨーロッパ人じゃないけれど、こういう自転車で旅する異邦人ということで同じくくりなんだろう。貧しさは随所に見受けられる。
タバコを買うにしても、最初の頃は気付かなかったけれど、随分高い金額をふっかけられていた。小さい村の商店のおばちゃんが、
「このタバコはそんなに高くないわよ」
と教えてくれたが、それまでずっと気付かなかった。
自転車のチェーンでも随分ぼったくられたが、基本的にどんなものも値札がないので、簡単にぼったくられる。
でも、こっそり盗んだり、強盗するとかっていうことはしない。辺鄙なアフリカの小さな村で、日本人が一人殺されたって、分かりっこない。特に自転車の旅人なんて、どこを走っているんだか、本国の知人でさえ消息が分からない。しかも、自転車の旅人はそこそこのキャッシュを持っている。次にお金を下ろせる銀行がある町まで日数がかかるので、どうしてもキャッシュを多く持つしかないのだ。逃げ足も遅いし、カバンなんかには鍵も付いていない。食事や何か買い物をするときでも、自転車から離れるのに、重いカバンを全部持って行くなんて出来るわけもないから、その気になればカバン一つ盗むくらい簡単なはずだ。
それでも、そういう事はしない。
同意の上でぼったくることはするけれど、悪いことはしない。
カウンセラー氏の家は良い家だった。看板も出していない、別荘地の一番奥の森の中の家。自宅のリビングでカウンセリングをしている。
そんなに広くはない。森のどんつきの土地。窓からは森が見える。面積は広くないリビング。だけれど、窓が美しい。軒が深く、小さいウッドデッキがあり、その先の庭が美しい。ちょうど行った時には大きな青みがかったクロアゲハが飛んでいた。コーナーには薪ストーブがある。屋根なりに斜め天井で高くなっていて面積は狭くても、とても広々した感じがする。そして、ほの暗い。東向きの庭は、森の中で木々の影になっている。さらに深い軒であまり光が入ってこない。高い天井から下がっているペンダントライトの灯りは優しい。
カウンセラー氏は、カウンセラーらしくないと感じた。当然、医者のような強い感じや固い感じはない。診療心理士や看護士のような丁寧で親切そうな感じもない。かと言ってカウンセラーらしいにこやかにリラックスさせようという感じもない。猫背で気の弱そうな人だ。ただ、安心感はある。
歳は分かりにくい。オレより上のような気がするけれど、もしかすると同じくらいかもしれない。おじさんというより、おにいさんと呼ぶ方がしっくりくる。若く見積もってオレと同じくらい、つまり少なくとも三十五歳以上なのに、おじさんというよりおにいさんと呼びたくなるような雰囲気。若く見えるわけじゃない。おじさんという固さや強さがない。言い方は悪いが、弱そうな柔らかい雰囲気なのだ。しかし、芯のようなものは感じられる。これからプロのカウンセリングが始まるのだ、と思わせるものがある。
ダイニングテーブルの庭の方が見える椅子を勧められ、熱いほうじ茶を出してもらい、自己紹介から始まり、状況を話していく。
「うん、何というか、営業、向いてなさそうですよね。まだ少ししかお話し聞いてないのに失礼なこと言っちゃってすみません」
驚く。カウンセラーが相手を否定するようなことを言うとは。カウンセラーじゃなくとも、初対面の相手にこんな失礼なことを言う人は初めてだった。
「でも、契約は取れちゃうんですよ」
「契約が取れるかどうかっていうのとはまた違う問題ですよ。そもそも、こういうメンタル崩しちゃう人って、仕事出来る人が多いですから。仕事できない人ってあんまりウツとかならないです」
「そうなんですか。どうしてですか?」
「どうしてでしょうね。仕事ができないから一生懸命悩む暇もないとか? ちょっと分からないですけど、割合としては仕事できる人の方が多いですよね」
気の弱そうな見た目通り、優しいしゃべり方なのだが、話す内容はザクザクと遠慮なく話す。無難な会話をするのではない。本当の問題に迫るには、きちんと話しにくいことも率直に話すことが大事なのだ、といわんばかりだ。ただ、無神経に切り込むという感じではない。表には出さないが、きちんと様々なことを考慮した上で計算して話を進めているような感じがする。
今の状況を話し終わると、
「ちょっとカードで占いみたいことをしてみませんか?」
と言ってきた。
「はあ、カードですか」
トランプより少し大きいくらいで、タロットとは違う絵柄のカード。順に三枚引く。
「それじゃ、一番左のカードから行きますか。これは未来を表しているカードです。このカードの絵を見てどんなことを思いますか?」
「どんなことと言うと?」
「例えばですが、このカードの中の人は何をしているように見えますか?」
そんな具合で三枚のカードを解説しながら、オレの本音を引き出していく。ただ、占いを伝えるのではない。そのカードから連想することを言葉にさせる。穴から出ているように見える。一人が先に出て、次に出てくる人に手を差し伸べているように見える。穴から出た先には明るい世界が広がっているように見える。二人はその世界に出るために穴から脱出してきた。
実際には、もっと違う見え方もあるのだと思う。何とでも解釈ができるようなカードだ。
カードにトリックがあるのかどうかは分からない。さすがに完全に神頼みで引いたカードがオレの人生を示しているというわけにはいかないだろう。神様ではないのだから。
相手はプロなのだ。
どういうカードを引かせるか、そして、どういう解説を付けるか、相手の顔色や反応を見ながら話を組み立てているんじゃなかろうか。その中で、相手の心理状態を引き出して、観察しているのだろう。
しかし、カウンセラー氏を見ると、やはり気の弱そうな人だ。計算高く、相手を見抜く心理スペシャリストには見えない。
しかし、話はずっと的を射ていて、オレはまさにこういう風に自分の話を聞いて欲しいと思っていたのだと感じた。
三枚のカードを順に説明し終わるとカウンセラー氏は言った。
「小さい頃に家庭で問題はありませんでしたか?」
「問題と言うほどじゃないですが、幼稚園くらいの頃、母によく殴られていました」
「やはりそうですか。恐らく今回の一番の原因はそのトラウマです」
「え? 確かに母にはひどく叩かれましたし、ヒステリックなところもあり、困ってきましたけど。実家は遠いので今はもうほとんど帰りませんし。当時は、母も教育というか、私が長男で、多分、子どもとの接し方が分からず、心配のせいでそうなっただけだと思うんですが。実際、過去の嫌な思い出ではありますが、今は全く気にしていませんし、問題なく会話もしますよ」
「そうですよね。そう思っていますよね。だからこそ問題なんです。逆に原因に気付けていたら、ダメージになる前にコントロール出来るんですよ。本人が気付いていない原因が一番厄介なんです」
「原因ということだったら、大学時代に友達がウツになってしまったんです。そのせいで僕も随分メンタルをやられて、大学をやめる原因の一つになってしまったんです。いや、別にその子のせいだけで辞めたってわけじゃないんですが。何とかその子を助けられなかったか、今でもそのことが引っかかることがあります」
「うん。それもトラウマかもしれません。でも、多分、今回の原因ではないと思います。というのも、大学の頃だから、いくらかはコントロール出来ることだったはずです。もちろん、助けられなかったのが、あなたの力がなかったせいとかじゃないんですよ。それはまた別の問題。ただ、幼少期って、本人に圧倒的に選択肢がないんですよ。だから、すごく根深いし、それを抱えたまま、その上に人間形成されていく。今回のような深刻なメンタルの不調って、そういうのが表に出たような形が多いんです」
そう言われても、母親が問題の原因とは思えなかった。
それから、ちょっとした催眠のようなことが始まった。
椅子を対面させて並べる。片方に座って目を閉じるように言われる。
「目の前の何も座っていない椅子に、お母さんがいると思って下さい」
誰も座っていない椅子に母をイメージする。
子どもになったと思って下さい、と続く。母親が怒っているとイメージする。どう感じますか。
怖いんだと思います。
それでは、お母さんに向かって、怖いと言葉にして伝えて下さい。
そんな具合で進んでいく。最初は何ということはなかった。だが、途中から徐々に本当に気分が落ち込んで来た。そして、涙が止まらなくなった。
おいおい、嘘だろう。そんなにオレは母親の暴力の過去に心を痛めていたのか。大人になってすっかり気にも留めていなかったのが、こんなに人前で涙を流して止まらなくなるほどに。
ショックだった。
「でも、大丈夫です。実際のあなたは子どもの頃のあなたではないから。ちゃんと大人になっています。その頃のお母さんと同じくらいの年齢になっています。子どもにとって親っていうのは、それこそ神様、世界のすべてですから。仮に親が間違ったことをしていても、それも分からない。絶対的に逆らえない恐怖にもなります。だけど、今のあなたは大人だから、きちんと伝えれば大丈夫です。大人のあなたとして、目の前のお母さんに怖いという気持ちや怒りの気持ちを伝えて下さい」
「最後に、子どもだった頃の自分の手を取ってあげて。大人になったあなたは、子どもの頃のあなたにどうして、あげたいですか? 伝えてあげて下さい」
そんな風にして催眠のようなことは終わった。
実際には催眠ではないと思う。明確に記憶もあるし、操られたという感覚もない。
「大人になって以来、涙が止まらなくなるなど初めてのことで驚きましたし、正直ショックでした」
「そうですよね。誰しも、心の中に、子どもの頃の自分っているんですよ。大人になった感覚で客観的に考えると、全く怖くないはずのものが怖いと感じたり、原因不明の不安って、その子どもの部分が感じていることなんです。あなたの場合なら、誰かに怒られたらどうしようっていう感覚ですね。客観的に冷静に考えたら、大人になってるんだから、そんな誰かに怒られるって滅多にないし、怒られたとして、何とでも対処できる。怒り返したって良いわけですし。だけど、中にいる子どもの自分は怖がっている。それが分からないんですよ。中にいる子どもの自分の感情を今の自分の感情と勘違いしてしまって怖いと感じちゃうんです。だから、まずは子どもの自分が存在する事、その子どもがどう感じているかを理解しないといけないんです。今のワークは、そのためのワークでした。
これが分かっていないと、ふたをしてしまう。
本当に深刻な問題だからこそ、自分を守るためにふたをするんです。
でも、一概にそういう内側の子どもの自分が存在するというのがダメってわけでもないんです。そのトラウマのおかげで伸びてきた人間的な長所もあるんですよ。怖いからちゃんとしないといけないとか。人の顔色を読むのが上手だったり。トラウマの種類にもよるんですが、トラウマのある人って仕事の能力が高かったりすることって多いんです。言うなれば、自分の心の傷を引き受けて来てくれた、内側の子どもの自分のおかげで強くなって生きてきている側面もあるんです。
だから、過去のトラウマを理解しながら、子どもの自分にちゃんと感謝して受け入れてあげる。その上で守ってあげる。引きずられないようにするというのが必要なんですよ。
なので、今やったワークを家でも時々で良いのでやってあげて下さい。
過去のトラウマはなくならないし、子どもの自分は消えないし、完全に変えることもできない。だから、これから先の人生でも時々問題は発生するでしょう」
たしかにワークの前の時には、トラウマに蓋をしていた。昔話として、母親にひどいことをされた経験があった、としか思っていなかった。
それが今の自分の問題の根本の一つとは思わなかった。そんなに恐ろしいと感じていたとは分からなかった。
タンザニアからマラウィに入ると、英語が通じるようになる。
国境のゲートは驚くほどチープだ。ちょっとした小屋とゲートがあるくらいだ。タンザニア側のイミグレで出国のスタンプを押して、少し行ったところで、マラウィの入国手続きをすることになる。
その国境ですこぶる失敗した。
前の晩、バーで仲良くなったタンザニア人のジョブ氏が迎えに来てくれ、国境まで行く。
ジョブ氏の弟のオフィスで無事、タンザニアシリングからマラウィクワチャへの両替も出来た。
問題はその後のイミグレーションだった。
タンザニア側は出るだけなので、すんなり出国スタンプをもらえた。
少し歩いて国境のソングウェ川の橋を渡りマラウィ側イミグレーション。
こちらは入国のビザを手に入れなければいけない。
七十五ドルとのことだが、問題はマラウィクワチャしか持っていない。
「ダメダメ! USドルでしかビザは出さないよ、駄目だよ!」
前情報は手に入れていたが、やはりか。タンザニア側でもUSドルを手に入れようとしたのだが、タイミングが悪かったのか、両替出来なかった。
それにしても、マラウィに入るのにマラウィの金は使えないなんて、どれだけ自国通貨を信用していないんだ。
マラウィは世界最貧国の一つとは聞く。それにしたって、入国管理が自国通貨を信用していないってどうなんだろう。タンザニアシリングが使えないなら納得できるが、マラウィクワチャが使えないというのはどういったものだろう。
でも、それが世界の事実なのだろう。
暴落暴騰当たり前。
日本の円は世界中、大きい国の首都なら両替できる。日本円には信頼がある。当然、USドルは世界どこでも最強だ。
改めてジャパンってすごいんだなと思う。まあ、もちろん、日本円でもビザは買えないんだろうけど。
そんなわけで雑に追い返された。
このまま、国境と国境の間にいたら、どうなるんだろう。脱出できないのか。タンザニア側には入れるんだろうか。
近くにいた警備員だかソルジャーだかのにいちゃんに、声をかけてみる。
「ねえ、USドル欲しいんだけど」
「そこの両替屋に行けばいいよ」
そう、すぐ近くにオフィシャルな両替屋があった。
しかし、そこに行っても、
「ん? 土曜だから休みだよ」
ああ、そうか。土曜か、土曜なんかに国境を越えようとしちゃいけないな。自転車で日々ぶらぶらしてると曜日感覚とかなくなってしまう。
「でも、あんちゃんたちは休みなのになんでいるの?」
「いや、本当は土曜は半日はやるんだけどね、ボスがだるいから今日は休むってさ」
「なるほどね。土日は駄目なんだ?」
「いや、日曜は人もいっばい動くからやってるよ」
よりによって土曜日に来てしまった自分が残念過ぎる。
「そっか、どうしようかな、入国ビザのために百ドル欲しいんだよ」
「信頼してくれるなら、おれがタンザニア側にいる闇両替から換金してきてやるよ」
「どうしようかな。ねえ、この人信頼できる?」
隣の男に聞く。
「ああ、こいつは同僚だから大丈夫だよ。これでも、おれらオフィシャルな銀行の両替屋の従業員だから信頼してくれて問題ないよ」
まあ、それもそうか。国境と国境の間の中立な場所だもんな。でも、気分で土曜も休みにしちゃう程度だから、あんまり信用は出来ないのだが。
国境のタンザニア側には闇両替はたくさんいる。
昨晩ジョブ氏が言っていたが、
「闇両替はみんな嘘つきと思った方が良いよ。闇両替では両替はしちゃダメだぞ」
とのことだった。
オフィシャルな両替屋の閉まっている土曜で、闇両替屋たちも再繁忙日なのもあろうが、本当にものすごい数がいた。
「そうだなー、八万クワチャあれば百ドルになるとおもうよ。十分ほどくれる?」
いや、七万で行けるだろ、と思いながらも、
「じゃあ、頼むよ」
とお願いした。
八万マラウィクワチャは、最高額が二千クワチャ紙幣なので、百ドル分、八万クワチャとなるとちょっとした札束になってしまう。
しばし、待つ。
帰ってこない。
「ねえ、帰ってこないね」
「ああ、大丈夫でしょ、帰ってくるよ、心配するな」
まあ、良いか。
「マラウィは英語大丈夫なの?」
「英語大丈夫だぜ。そうだよな、タンザニアはスワヒリだもんな」
「そう、スワヒリは苦労したよ。数字さえ英語は厳しいから、お金を払うのも大変だったよ」
「マラウィは言語が大量にあるから共通語の英語はみんなしゃべれるよ」
一ヶ月ぶりの言語に困らない世界は助かる。まあ、英語もロクにできないんだけど。
少ししたら男はちゃんと戻ってきた。
「ごめん! 九万だって!」
嘘付け! まあ、良い、とにかく手に入れてきてくれ、本当じらせたり心理作戦上手いな。
プラス一万渡して、またしばらく戻ってこなかったが、何とか無事に百ドルを手に入れた。
「いや、USドルは手に入れるのが大変なんだよ。ねえ、ファンタおごってよ」
「ああ、分かったよ、ちゃっかり儲けた上にファンタかよ。良いよ、おごってやるよ、ほら、他の仲間の分も買ってきてやれ」
地味にファンタは一ドル弱と高かったが、これでビザが手に入るのでありがたい。
再びイミグレに行く。
相変わらず高飛車な態度のオフィサーだが、百ドル札とパスポート、ビザ申請書を渡すと何とか仕事を始めてくれた。
入国カードやらビザ申請書に記入する欄は何を書くのかよく分からない。適当に書いたが問題なかった。名前とパスポート番号とあとは金さえ払えば自転車の場合大丈夫らしい。車の方はいろいろチェックなんかもあるらしい。
「座って待っててくれ」
三十分以上待って、やっとビザがもらえ、入国スタンプをもらえた。
随分と待たせられたが、
「マラウィへようこそ」
と満面の笑みで言ってくれた。
時計を一時間遅らせる。タンザニアは北に南にも走ったが、西にも時差一時間分走ったのだ。
マラウィに入ると、タンザニアより明確に貧乏なんだろうなと思う。
道が悪い。細い。国道というか、日本でいうと、ちょっと広いサイクリングロードみたいだ。そして、車が少ない。
集落の間隔がタンザニアよりも近い。タンザニアでは集落と集落の間は何キロも離れているので、歩いている人はほとんどいなかったが、マラウィではよく人が歩いている。町と言うほどの規模じゃないのだが、ぽつぽつと民家があって、完全な無人地帯のような雰囲気にならない。
道端で炭火で何か焼いて売っているので食ってみた。焼きバナナと何かの肉だった。結構美味い。
何よりも英語でやりとり出来るのが楽だ。
マラウィ湖のほとりのキャンプ場は砂浜が綺麗だった。
その肉を口に入れた瞬間に口いっぱいに便所のにおいが広がった。
美味い、安いと味をしめて、道端の小汚い炭火焼きの食べ物をちょくちょく食べていた。二日目に少し慣れて来たこともあって、いつも通り小汚い炭火焼きの店で肉を買った。そしたら、とんでもない臭さが口の中に広がった。吐き出したい。でも、目の前で吐くのも悪いし、多分、これが食えないとマラウィでは生きていけない。これが、マラウィの洗礼だと飲み込んだ。
それから、下痢の日々が始まった。
自転車で下痢をすると本当に困る。日本でも困る。それでも、日本はどこでもコンビニがあって、清潔なトイレが無料で使わせてもらえる。
海外を自転車で走る時にトイレ事情は結構大事だ。タンザニアは町から離れると歩行者があんまりいないので、道から少し離れてアウトドアトイレができた。マラウィは歩いている人も多いので、アウトドアトイレも難しい。
ちょっとアフリカに慣れてきたからと調子に乗ったらこのザマだ。
下痢になると力が入らない。水分が抜けてしまう。
それで水が欲しいのだが、マラウィの村の商店ではボトルに入ったミネラルウォーターが売っていない。
マラウィは本当に車が少ない。自転車で走る分にはすこぶる快適だ。
車が少ないということは、基本的に現地の村人ばかりなのだ。タンザニアはトラックやバスが多かった。乗用車が走ることもあった。つまり人が移動しているのだ。マラウィはそれがない。
世界最貧国と言われるほどの国の現地人がミネラルウォーターなど買って飲むわけがない。
「水はないけど、コーラはあるよ!」
「ああ、コーラ。コーラ好きなんだけど。下痢で水が抜けちゃって、水が欲しいんだよ。でも、コーラで良いからちょうだい」
渡されたコーラはぬるい。
冷蔵庫はあるけど、電気は来ていない。
参った。
下痢はつらかったが、マラウィは素敵な国だ。
マラウィ湖が美しい。
道は車が少ないので、自転車にとっては走りやすい。のどかだ。
牛の群れがモーモー言って、道をふさいでしまうこともあった。
内陸の湖なので、海のように塩でベタベタもしないし、波もなく風も穏やかだ。
砂浜が綺麗で、外国人ツーリスト向けのキャンプ場が多い。十ドル以内と金額も高くない。ツーリスト向けなので、トイレなんかもそれなりに綺麗だし、レストランもあって食事も出来るし、美味しい。お酒も飲める。ちょっと高いが、下痢しているときに、安全な食事が取れるのは助かった。
ツーリスト向けではあるのだが、道路事情が悪くアクセスが悪い上に入国ビザも安くないので、外国人ツーリストは少ない。
そして、米が美味しいし安い。日本の米と同じようなふっくらした米が炊ける。現地人の定食屋で食べると、塩を入れて炊いてしまうのだが、それでも美味しい。道端や商店でビニール袋に入れた米を売っているので、それを自分で炊けば日本にいるような気持ちになれた。特にキャンプ場が多いので、米を炊く機会は増えた。野菜が売っていたら買って、米と一緒に炊いて、塩をかけて食べる。日本から持ってきたインスタント味噌汁も活躍した。
タンザニアも優しかったけれど、それ以上にマラウィ人は穏やかで暖かい人が多いように感じた。
テントで目を覚まして、外に出て椅子に腰掛け湖を眺める。朝からマラウィジンを飲みながら、のんびりとタバコを吸う。
ンカタベイ。マラウィ湖沿いの町の中でも、ビーチが綺麗な人気の観光地らしい。とは言え、ツーリストは多くない。ロッジに泊まっている人はいるようだが、キャンプサイトには他に人はいないようだった。観光客には現地人もいない。静かで良いところだ。
下痢の調子が悪いので、連泊することにした。
やはり有料のキャンプサイトは良い。安全で平和だ。これがヨーロピアンたちのエンジョイするバカンスなんだろうな。日本にはこういうところはない。キャンプ場と言うと何だか人工的すぎたり、狭い森の中だったりする。そして、隣のテントが近い。こんな静かな美しい湖のわきで、しかも離れたところにちゃんとトイレやシャワーの設備があって、バーにレストランもある。
とにかく時間が緩やかで優雅だ。
当初、ンカタベイには寄る予定はなかった。少しルートから外れる。下痢のおかげだ。体が限界に近かったので、静かでゆっくりできそうなところに連泊しようと、現地人たちのオススメもあって、ンカタベイに寄った。それが素晴らしく良い場所だった。
ぼーっとしていると、突然、目の前に全裸の黒人が現れた。
何だコイツは? とりあえず、話しかけてみよう。
「ハロー」
「うおー!」
全裸の男は雄叫びを上げて、飛び掛かって来た。
ボロい椅子の足は折れて、後ろに倒れ、上に乗られ、マウントを取られる。そして、殴られる。痛い。
「ヘルプミー!」
人生初の本気のヘルプミーだった。声が裏返って上手く叫べなかった。
近くにいた宿の人が走ってきてくれ、すぐに助けてくれた。とは言え、随分殴られて痛い。宿の経営者らしい白人女性もやってきた。
「ごめんなさい。彼の名前はジョンバナナっていうの。精神に障害がある可哀想な人で、うちで保護っていうわけじゃないんだけど、面倒を見ているの。普段はおとなしいんだけど、時々、興奮してパニックになってしまうの」
彼女は本当に申し訳なさそうに謝るのだが、そんなバカなことあるか、わざわざセキュリティのために敷地をぐるりとフェンスを付けて警備員までいるのに、肝心の敷地内にそんなやついたらダメだろ。
だが、アフリカの暮らしも一ヶ月ほど経っていると、変なことに慣れてしまっている。
「ああ、そうなんだね。うん、大丈夫だよ。ジョンバナナ? 痛いけど、まあ、何ともないと思う」
「病院に行く?」
「いや、良いよ。大丈夫」
病院というと、マラウィに入ってから看板でファミリーセーフとか書かれたHIVに関する看板を時々見かけた。マラウィはHIVが多いというのは聞いている。だからと言って別に怪我して病院に行くのとは関係はないんだけれど、世界最貧国の病院って何だか怖い。そもそも日本でもオレは病院に行くのが嫌いだ。若い頃、医学部志望だったくせに、病院が怖い。
痛いと思いながらも、気晴らしに町に散歩でも行ってみると、カフェの前でアフリカの太鼓、ジャンベが売っていた。中でジャンベの音が聞こえる。
「ヘイ、ジャンベ叩いていかないか?」
「ああ、良いね。楽しそう。叩き方分からないから教えてよ」
中に入ってビールを注文する。ツーリストらしい白人女性が先にいて、ジャンベを教えてもらっていた。その隣に入って一緒に教わる。
基本は太鼓の叩く位置と、指先で叩くか、手のひらの付け根の方で叩くか、あるいは手のひら全体で叩くかで音色が変わる。端っこを指先で叩くと高い音が出る。どの叩き方でも共通なのは、脱力して打つこと。ポンと叩いたら、太鼓の反発力で手が跳ね返されるような感じが理想らしい。力が入っていると、手が太鼓を抑えるような感じになって、綺麗な音が響かないという。
手の脱力の感じを覚えると、確かに音が綺麗に響く。高い音、低い音が何となく打ち分けられるようになると、簡単なエイトビートの叩き方や、シンプルなアフリカっぽいビートの打ち方も教えてくれた。
「じゃあ、そのビートをそのまま叩いててくれ」
と言われ、そのまま叩いていると、それをベースにするようにアドリブを入れながらセッションしてくれる。
何とも素敵な時間だった。
「良いね、このジャンベっていくらなんだい?」
「そうだね、そのサイズは三万だ!(約五十ドル)」
「えー、そりゃ厳しいな」
「いくらなら良い?」
「えー、どうかな、五千(約十ドル)くらいなら一つ欲しかったな」
「じゃあ、八千はどうだい?」
「え、そんなに安くて良いの? 八千くらいなら良いねー。自転車にくくりつけて走ってもカッコイイしね、じゃあ、宿に戻って金とってくるよ」
「オーケー! ところでミスター、古いスマホを持ってないかい?」
「あー、あるよ、でも、完全に壊れちゃってるからな」
今回の旅が始まって一週間せずに壊れてしまった日本のスマホだ。
「じゃあ、それも持ってきてよ、いくらかで買わせてよ!」
「良いけど、本当に壊れてるけど良いの?」
キャンプ場のテントに戻って、金と壊れたスマホを持っていく。
もし直せてしまったら、個人情報なんかが厄介だが、まあ、直せないだろう。多分、日本に持ち帰っても修理は難しそうだった。
「お、良いスマホだね。じゃあ、ミスター、このスマホと二千で太鼓ってことでどうかな?」
「え? この壊れたスマホにプラス三ドルだけで太鼓くれるの? ありがとう」
そんなわけで太鼓を手に入れた。
適当に叩くだけで割と楽しい。自転車につけても、むちゃくちゃ重いわけでもない。邪魔ではあるけど。
太鼓を片手にぶらぶらとキャンプ場に戻っていると、
「ヘイ、ミスター。ボブマーリーシガレットはどう?」
と声をかけられる。
「また、お前か。マリファナはいらないよ」
昨日、到着した時にも同じように声をかけられた。
「あれ、ミスター、顔が腫れてるね。何かあったの?」
ジョン・バナナに殴られたところが腫れているらしい。確かにまだ痛い。
「ジョン・バナナにやられたのか。あいつはクレイジーだからね。ドラッグのやり過ぎで、クレイジーになって、ザンビアの方から流れて来たんだよ」
そういうボブマーリーシガレット君からは、ぷんぷんとマリファナのにおいがする。君もクレイジー一歩手前じゃないか?
「ところで、ミスター、ハニーはいらない?」
「ハニーって、ハチミツ? ビーから取れるハニー?」
「そうそう」
「それなら欲しい。自転車で走るのにハチミツはエネルギーになって助かる」
「じゃあ、うちに取りに行くから一緒においでよ」
そう言って彼について行く。舗装された道を外れ、畑みたいなところの畦道を抜けて、奥に行く。
自転車旅はローカルの人の目線に近いとは言っても、やはり舗装された道までが大半だ。特に我々日本人には、道は舗装されているものであって、舗装されていないところを歩くということ自体が珍しい。運動場や公園、砂利の駐車場、あとは登山なんかのアウトドアになるんじゃなかろうか。昔、初めて山小屋で働いた時、三ヶ月、下山できなくて、久し振りにアスファルトを踏むと、アスファルトって硬いんだなと感じたのを覚えている。
ただでさえ、舗装されていないところを行くというのは、慣れていなくて何とも抵抗がある。
その上、アフリカの小さな村の、奥に入っていくわけだから、ワクワクもするが、やはり怖いところもある。それも先導するのはボブマーリーシガレット君だ。
彼の家に着くと、ハチミツを持ってくるから家の前で待っているように言われる。外で待っていると、彼の姉だか、母だか分からないが、
「ちょっとあんた、それ、商品なんだから持っていっちゃダメだよ」
といったような会話をしているのが聞こえた。
マリファナくさい彼は、やっぱりぷらぷらしている問題児なんだろう。
大きいボトルに入ったハチミツと、空の小さいペットボトルを持ってきて、小さい方のボトルにハチミツをを入れてくれた。お金を払うと、
「で、ミスター、ボブマーリーは? 二千クワチャで楽しんで行かない?」
「いや、だからいらないって」
「ちょっとだけ寄っていこうよ」
悪意もなさそうなので、ついて行っても良いと思ったが、そそくさと宿に帰った。
ンカタベイを出てからも下痢が治らず、本当につらかった。
町の定食屋で昼ごはんを食べていると、突然、トラックのドライバーから声をかけられた。
「にいちゃん、トラック乗って行かないか? 四千クワチャでサリマまでどう?」
まさかの逆ヒッチハイクだ。サリマは百二十キロほど先の町で六ドルほどで行けるなら魅力的な話だった。
「良いね。でも、オレ、自転車あるんだよ」
「知ってるよ。この前、タンザニアの道で自転車で走っているのを見かけて、今日ここで見付けて気になったからさ。自転車はトラックの荷台に積めば良いよ」
それで、トラックの運ちゃんに乗せてもらってワープすることにした。
下痢で体力もなかったので本当に助かった。
彼のトラックは日本じゃ見かけない巨大なものだった。自転車を積んでも、まだまだ余裕がある。
「おれもタンザニアのンベヤまで行って、今、帰りなんだよ」
彼は音楽を流しながら言う。
「へー、そうなんだ」
彼はマラウィの南部のプランタンという町に住んでいるらしい。
「ンベヤまで一日で行けるの?」
「いや、トラックでも二日はかかるな、千三百キロくらいあるからな」
「そんなに遠くまで二日で行くの? すごいな」
「いや、自転車で走ってるお前の方がすごいよ」
「それにしても、マラウィは道が狭いしでこぼこだね」
「全くな、本当に駄目な道だぜ。でも、サリマから南は綺麗になるぞ」
「リロングウェって大きい町?」
「そりゃ、首都だからな!」
「ンズズよりも大きい?」
「もちろんさ、リロングウェ、プランタン、ンズズの順番だな!」
トラックは実によく揺れた。道が悪い。それでも、快適だ。トラックの座席は背が高く、自転車とは視線が全く違う。これまで走って来たのと変わらないような湖沿いでも、アングルが違うと景色の見え方が違って楽しい。道に人がいれば、彼はすぐに大きな音でクラクションを鳴らした。
途中で仲間のトラックと合流し、家で使う石炭を買った。一メートルほどもあろう大きな袋を荷台に積むのを手伝った。石炭もこの量になると重かった。
助手席て途中少し眠ったりしつつ、二時間ばかりでサリマに着いた。
「リロングウェはこっちに行けばいいからな。良い旅をな!」
名前を聞き忘れたが本当に良い人だった。
カウンセリングは劇的な効果があったと言って良いだろう。
部屋にこもってロウソクの火を見続ける日々からは脱却出来た。家から出ることにもさほど抵抗を感じなくもなった。子どもの保育園の送り迎えについても、何とか出来るようになった。
毎日の保育園の送り迎えはハードルが高い。おっさんが毎日、延長保育も早朝保育もなしで、送り迎えに来る。先生たちも何かあったんだろうなとは思うが口には出さない。そもそも健康な時でもおっさんにとって保育園の送り迎えっていうのは、ハードルがある。周りの目を気にしたって仕方がないんだけれど。
それでも、送り迎えは何とか出来るようになった。
友人の絵描きに曼荼羅の描き方を教えてもらう。
子どもが生まれてからやめていたタバコを吸うようになる。
子どもを保育園に送って、洗濯を回して、食洗機をセットして、ルンバを走らせて。それから紅茶を入れて、ウッドデッキで煙草を吸って、目を閉じる。プランターのバジルを千切って少しにおいをかぐ。それから曼荼羅を描く。
「楽しい曼荼羅を描くんですね」
友人は言う。
オレの曼荼羅はお世辞にも上手とは言いにくい。
彼女は優しい。カナダ生まれの韓国人で、オレよりも二十歳近く年上の女性だ。自身も心を病んだ経験もあってか、理解がある。
彼女の教える曼荼羅は、正統派の曼荼羅とは違う。正統派のものは、補助線を引いて、厳密に描く。曼荼羅とは絵ではなく、お経なんかと同じものだからだ。心を無にして、幾何学模様を連ねる。写経に近いのだろう。
彼女の曼荼羅はフリーハンドで自由に描いて良い。中心の点を決めて、そこからは心に浮かぶ模様をにょきにょきと生やしていく。一つ模様を描いたら、紙をくるっと回して、同じ模様を三つ描く。四つでも良い。その辺りも自由だ。ただ、偶数だと完成するのが四角くなりやすいので、奇数の方が丸い曼荼羅らしい形になる。模様の間にまた新しい模様を生やしていく。ただの丸でも、蓮の葉のようなものでも、唐草模様でも、ラーメン丼の模様でも何でも良い。
色も自由に選んでいい。一色で書いても良い。色ペンを変えていっても良い。色鉛筆やクレヨンで塗ったって良い。
下手くそな曼荼羅を、書き終わる頃には昼も過ぎている。
畳で昼寝をして、保育園の迎えに行く。
子どもと図書館によって、絵本と、自分の読みたい本を借りる。息子は飛行機の本ばかりで、自分は建築の本と心理学の本が多い。
無為徒食とは言うが、本当に生産性などまったくない。曼荼羅はいくら描いても上手くならなかった。
上手くなろうという気持ちもなかったが、せっかくなら上手くなって、特技にでもなって何か役に立てば良いのに、そんなこともチラと思ったりもした。
それでも、そうやって動けるようになって、立ち上がれるようになると、人生に抵抗できる。
調子が良い時には近くの山を登りにも行けるようになった。子どもを送って、家で魔法瓶にお湯を入れて、おにぎりをラップに包んで、途中でカップ麺を買う。子どもの迎えまでの時間なので六時間ほどなので走る。ピークまで行けることもあるが、行けなくても良い。昼になった時点でカップ麺を食べて、走って下山して、子どもを迎えに行く。
何も怖いことは現実には起きていない。
ぼんやりとした不安や心配は自分の中の子どもの自分の感じる恐怖のことだった。
もちろん、それが全てじゃないだろう。
心理学でいうところのフロイトのインナーチャイルドと言ってしまえば安易な話だ。それですべてが解決するなら楽なもんだ。
それでも、カウンセラー氏の話は納得出来るものだった。こじつけと言えばそうかもしれない。
だけれど、過去に原因をかぶせることで、逃避しているだけかもしれない。誰かの責任にすると、その誰かが困るかもしれないけれど、過去の記憶に責任を押し付ければ、今現在の誰も傷付かない。そういう手法なのかもしれない。過去は文句も不平も言わない。もはや変えることのできない過去に罪を背負わせる。
だけど、一つの問題に突き当たる。
過去は変えようがないのだから、オレの人生にはずっとその問題が付きまとう。
いくら大人の部分、理性でインナーチャイルドをコントロールしても絶望の影はいつだって人生についてくる。
誰しもインナーチャイルドを抱えていて、それをコントロールして生きている。仮にそういう過去がなかったとしても、やっぱり別の何か事件は起きる。事件が全く起きなかったとしても、やっぱり何か問題を抱える。
どうしてそんな問題と対峙して生き続けなければいけないのか。
自身が経験したユダヤ人強制収容所の話「夜と霧」を書いた心理学者のヴィクトールフランクルは究極の答えを出している。
どんなに過酷だろうと、それでも人生にイエスと言う。毎日同胞が死んでいく収容所の中であってもだ。クリスマスが過ぎて、年越しが過ぎて、それでも戦争が終わらない、まさにそのタイミング、終わるかもしれないと期待したところで戦争は終わらない、いつまで絶望が続くのか、先の見えない絶望に心折れた人から順に死んでいく。
こんな人生に何の意味があるのか。
違うのだ。人が人生に意味を問うのではない。人生があなたに意味を問うているのだ。あなたが問う側ではない。人生から問われる側なのだ。
どんなに過酷でも、人生にイエスと言い続ける。
フランクル心理学は究極だ。
究極過ぎて、実践が難しいように感じる。
畳を買って、精神科に行って、カウンセラー氏と話して、本を読んで。些細だけれども抵抗する。戦う。
これに勝利した先に何がある?
多分何もない。
別にオレが生き延びたところで、そんなに世界にとって良いことはない。
知っている。
それでも、人生に絶望してしまわないように、ほんの部分的でも、人生にイエスを積み重ねていく。
住宅営業になる前、店長をしていた自転車屋のお客さんから偶然連絡があって、久々に一緒に走ろうということになった。
車に自転車を積んでいこうと思ったが、毎日ヒマしているし、隣の県なので途中に峠はあるが百キロちょっとの距離なので、自転車で行って、宿を取って、一緒に走って、また帰りも自転車で帰ってくることにした。久しぶりのちょっとした自転車旅にしよう、と。
しかし、百キロ走るだけでおしりが痛くなる。お尻が痛いなんて初心者の頃以来で、アフリカを旅していた時はもちろん、自転車屋の頃も、どんなに走ってもおしりが痛くなるなんてことはなかった。
子どもが生まれて、煙草もやめたし、自転車もちょっとしか乗れなくなった。
いや、時間はあったはずだ。
でも、自転車に乗る心のゆとりはなかった。
少ない隙間の時間でも出来るということで、自転車からランニングに切り替えた。
それにしたって、そんなに仕事をしていたのか。こんなにお尻が痛くなってしまうほど。速度も出ないし、登りもきつい。
失ってしまったものを感じるようでつらくも感じたけれど、やはり自転車に乗って遠くに行く、日帰りじゃなくて、走りたいだけ走れるというのは心が軽かった。
次の日、昔のお客さんたちと合流して、また百キロ走る。
誰かと一日のんびりと走るというのは、僕の人生の中で本当に少なかった。自転車旅は基本的に一人きりだったし、自転車屋で働いている頃は、お客さんたちが休みの土日が自分は仕事なので、一緒に走りに行けない。日曜日の朝に走行会というものを開く。お店で買った人ならだれでも参加できるサイクリングで、店が開く前の二時間だけ走る。そこで仲良くしてもらっていた人たちだ。
それにしても、全員、速くなっていて参った。
自分が遅くなったというのもあるにせよ、みんなすこぶる速くなっていた。
ルートもお任せしたら、随分と峠を登るハードなコースだった。
店長していた頃には、みんな初心者でそんなに速くなかったはずだ。
昼に蕎麦を食べて、おやつに牧場でソフトクリーム休憩することになった。
「店長、まあ、人生いろいろあるけど時々は走りに来て下さいよ。オレもこれまで転職したりいろいろありましたけどね。自転車乗っていれば楽しいですから」
今回、誘ってくれたKさんが言う。オレよりも少し年上の独身の人だ。
「実はね。去年、ガンしてたんですよ」
「え、ガンって、ガンですか? 自転車なんか乗ってて大丈夫なんですか?」
「そう、ガンって、ガンですよ。しかも、ステージ3。死んだと思いましたけど、無事に治りました。そう、自転車乗って治したんですよ」
「え、どういうことですか?」
「抗がん剤なんかの治療をするときにね、医者から、少しで良いから有酸素運動すると、治療後の回復が良くなるっていうから。そりゃ、自転車乗るしかないって」
「え、でも、抗がん剤治療なんかしてたら、自転車乗るなんてしんどいでしょう」
「そうなんですよ。自転車乗らなくても、ふらふらなわけですよ。げーげー吐くから。病院に行くんですけど、病院に着いて、これから抗がん剤治療だと思うと、体が反射で嘔吐しちゃったりね。待合でゲロ吐くなんて最低ですよ。ましてや自転車なんか、もう歩くのもふらふらだから。ぼたぼた変な汗かくわけですよ。走行会で行ってたパン屋のルートあるじゃないですか。とてもじゃないけど、パン屋まで行けない。坂の最初のコンビニまで行くだけで、ふらふらで帰れなくなりそうになりましたよ」
「そうなりますよね。医者の言う回復が良くなる有酸素運動ってちょっとした散歩とかのことですよね。自転車とか、ましてや坂とかじゃないですよね」
「うん、多分ね。でも、出来ることってないじゃないですか。有酸素運動、自転車乗って生き延びられる可能性がちょっとでも増えるならって。それで、ふらふらになりながらも、生きるために自転車乗ってましたよ。それに、しんどいけど、オレはまだ生きてるぞって思える。まあ、そんなわけで、まだ病み上がりなんで、すっかり脚も衰えちゃいましたけど。自転車って良いもんですよ。だから、店長もいろいろあるけど。まあ、頑張らなくても良いけど、たまにはこっち来て、一緒に自転車乗りましょうよ」
オレが店長を辞めて、自転車屋はつぶれた。雇われ店長ではあったけれど、趣味用品の専門店って、店長の顔で売れているところが大きい。お客さんは店長と自転車の話がしたくて店に通ってくれる。何十万円もする自転車を買ってくれる。店が潰れるのはお客さんからすると本当に困ることなのだ。本当に申し訳なく思った。でも、そんなこと全く気にしていないように、みんな、店長、また走りましょう、と言ってくれた。
ガンになって、生き延びるために自転車を漕ぎ続ける。
そんなこともあるんだなとしみじみ思った。
首都リロングウェに着くと驚いた。
これまで走ってきたのと同じマラウィなのか。首都だけあって大きな町だ。
まず、スーパーマーケットがあった。冷蔵された肉も売っていた。これまでのアフリカは冷蔵庫とはビールやジュースを冷やすためにあった。肉は蚊帳のような網に入れてあった。
ファーストフードの店もあった。
車も多い。これまであんなに車が少なかったのに、どこから湧いて来たのかと思うほどだ。
目星を付けておいた宿に着く。ホテルという名称ではなく、キャンプアンドロッジ。旧市街のゴルフ場近くにある安宿の群れの一つだ。
安すぎないところを選んだ。
キャンプが出来る、つまり外人向け、値段は少々するが悪くない宿じゃないかという作戦だ。
作戦は上手く行った。宿は清潔だった。一万クワチャで個室で朝食付き。十三ドルほど。マラウィの地方の町のローカルの使う宿は四千前後なので、安くはないが、首都リロングウェの立地と清潔感を考えれば悪くない。
海外旅行に詳しい友人は、
「そういう時は、現地の最高クラスの宿で三日ほど休んで回復を待つと良いよ。どんな国でも首都なら最高クラスのホテルはあるし、高いって言ったって日本でちょっと良い温泉旅館に泊まるくらいだから二泊ぐらいしても大したことは無い。それで回復できるなら安いもんだよ」
そうは言っても、金が足りなくなるかもしれないというのは苦しい。
どうしても手ごろな宿が見付からなければ、そういうホテルに泊まっても良かったが、その宿はオレにとってベストだと思えた。
下痢が治らないので、日本大使館に電話して、医務官がいるか聞いたが、医務官は来月まで不在とのことだった。ただの下痢なので、放置して様子を見ることにした。
それよりも厄介なことが起きた。のんびりとインターネットで次のザンビアの情報を調べていたら、入国するのに、黄熱病予防注射の証明書、イエローカードが必要かもしれないという。ケニアはイエローカードが必要だった。タンザニア、マラウィは不要。ただ、ザンビアの国境では、タンザニア、マラウィは黄熱病予備軍という扱いで、ごくまれにイエローカードの提示を求められることがあるという。インターネットの情報なので真偽のほどは定かではない。それでも、マラウィ入国の時には、アメリカドルがなくて難儀した。アメリカドルくらいなら難儀とは言ったって、その辺の闇両替なりにちょっと多めにお金を払えば解決するが、イエローカードはそういうわけにはいかない。
「ねえねえ、この辺に病院あるかい? イエローフィーバーワクチンを射ってイエローカードが欲しいんだ」
中年の宿の男に聞く。
宿の人間は、とりあえず最低限は信じられる。
彼の名前はギルバートと言った。
「ああ、もちろん、あるよ。個人医院も近くにあるし、中央病院もバスですぐ行けるから、明日連れて行ってあげるよ」
中央病院は確かに間違いない。ただ、やはりネットの情報によると巨大過ぎて、旅行者には何が何だか分からないほどだそうだ。
「プライベートとガバメント、どっちが良い?」
「ん、なにそれ?」
「無料かお金払うかだよ」
無料の病院があるのか。ただ、それって、現地の人専用で、旅行者は無理じゃないか。それにお金を払う方が良い。公営の病院を信頼しないわけじゃないが、お金のやり取りがある方が間違いない。ただより高いものはない。
「オッケー。じゃあ、すぐそこにプライベートのクリニックがあるから行こう」
「そうだね、多分、イエローカードとか普通の現地民はわからないだろうから医者に聞くのが間違いないね」
二人でふらふらと歩くと一分と経たずに着く。先進国にあっても違和感ないような清潔な建物だった。病院と言うよりは、ちょっと大きめの住宅といった感じ。ドクターのご自宅を兼ねたクリニックなんだろう。それにしても、マラウィとは信じがたい。
「先生は今、向こうのクリニックに出てるよ」
また、ふらふら三分ほど歩いて、そのクリニックに向かう。今度のはもう少し大きい。今の日本の最新のクリニックという感じじゃないが、一昔前の日本の病院という感じの建物だ。
ただ、イエローフィーバーのワクチンは生ワクチンと言って管理が難しく個人のクリニックには存在しない。日本でも、大阪と東京くらいにしかない。
「イエローフィーバーのリスクがあるエリアは通っていないんだね」
初老の先生は親切に話して下さった。
「はい、アフリカで旅行したのはタンザニアとマラウィだけです」
「一年以上滞在してる?」
「いえ、一カ月ちょっとです」
「この後のルートは?」
「ザンビア、ボツワナ、ナミビアまで行ったら日本に帰ります」
「分かった。ザンビアに入るのに提示するのに必要というだけなんだね。それ以外には使わないでね」
ドクターはデスクの引き出しからイエローカードを出して、サインしてくれた。
宿に帰りながら、ギルバート氏は、
「ミスター、すぐに何とかなって良かったね」
と喜んでくれた。
ドクターは金儲けのためにやったわけじゃない。実際、請求された金額はたったの数ドルだった。端的に言えば、ドクターは忙しいのだろう。マラウィという貧困国でドクターをするのは、本当に大変なことなのだろう。
最初は簡単に手に入って良かった良かったとギルバート氏と一緒に喜んでいたが、イエローカードがあるからと、安易に入国して問題になるのもまずい。それなりの理由があるからこそ、そういう決まりがある。そもそも完全に公文書偽造だ。それも、一つの国の法律ではなく、国際的な取り決めに対して効力のある文書だから、深刻な問題だ。
宿に戻ってから改めてWHOの詳細なページを調べると、やはりタンザニア、マラウィには黄熱リスクのチェックは入っていない。一年以上滞在した場合にはイエローカードを要求されるというところにチェックがある。やはり今回の場合は不要なのだ。それを取り違えて、一人で大騒ぎして、イエローカードを偽造してもらったわけだ。
とはいえ、ドクターは手慣れたものだったことを考えると、やはり同じようにイエローカードを求めて来る人が一定数いるのだろう。国境などというのは、向こうの言い分が正義だ。向こうがダメと言ったらダメだ。WHOの規定を見せて説明したってダメと言われてしまったらダメだ。入国管理官の判断で、こいつは入国させたら危険だと判断されたらダメなのだ。イエローカードがあれば、話は早い。そういうことをしているから、病気が広がったりして問題になるのだが。
だが、現実的な問題として、黄熱病エリアを通過していない旅行者が隣国に入るためだけにイエローフィーバーのワクチン注射に列が出来ると困るのだろう。もっと他に必要な医療がある。ただ、国がイエローカードを要求していて、患者として来ているのに、治療を拒否するわけにもいかない。
ギルバート氏はその後も暇をしているようで、オレの会話に付き合ってくれた。旅ではいてきた短パンが擦り切れてあまりにぼろぼろになっていた。マラウィなら服なんかは安く手に入りそうなので、暇だったら案内してくれないかと頼んだ。
最初はショッピングセンターに行ったのだが、お高い。高いわりに全然品質も良くなさそうだった。これなら、今はいているズタボロの穴の空いたパタゴニアの短パンでも良さそうだ。
「結構、お高いんだね」
「ああ、ここは外国人向けのところだからね。現地民が使うマーケットに行ってみる?」
「良いね、行ってみよう」
ギルバート氏は、ショッピングセンターから離れて、どんどん進んでいく。市場に入る。地面にいろんなものを広げて売っている。でも、服は売っていない。食品のようなものが多い。そして、におう。魚のにおいだろうか。
どんどん奥に入っていく。当然ながら、黒人の現地人しかいない。
最初の頃は物珍しく、楽しんでいたのだが、奥に進むにつれ怖くなってくる。ダルエスサラームでバイシクルドクターオバザキと散歩したのとは明らかに違う現地人しかいない空気がある。現地民の行く本物のマーケットは怖い。
途中で橋が現れた。
「この奥で良いアイテムが揃うんだよ」
ボロボロの木の吊橋。人がいて、そこを渡るには三十クワチャ必要だという。
下の川からは下水のにおいがする。さっきまでいたマーケットの魚のにおいと混ざりあって、ひどい悪臭になる。
橋を渡っても彼はどんどん奥に行く。日暮れも近い。
しまった。もう短パンなんかいらない、帰りたい。ただ、もう一人で帰れる自信がない。
冷や汗が出る。
ギルバート氏から絶対に離れないようについて歩いた。一周しても短パンは見付からず帰ることに。
「うーん、時間も遅いし、みんなしめちゃってたな。明日来よう」
「いや、明日はもう良いよ。短パンはいらないよ。あそこはオレたち外国人ツーリストには怖すぎる」
「そうだな、絶対に一人で行っちゃいけないよ。あと、夜は宿から絶対に出ちゃ行けないよ」
リロングウェ。ショッピングセンターにケンタッキーフライドチキンもある大都会。ショッピングセンターから歩いて十分ちょっとの現地民のマーケットの現実。ただ、それはツーリストであるオレの目線だ。現地民のギルバート氏にとっては、普段のお買い物に行く普通のマーケットなのだ。
リロングウェには三日ほどのつもりだったが、一週間ほど滞在して休養した。
下痢が回復しないのもあったが、居心地の良い宿だった。現地民だけのマーケットは怖かったが、そこにさえ行かなければ怖いことは何もなかった。
ギルバート氏が教会に行っていたのが、どこか僕には心に残っている。
ギルバート氏は宿の中でも下っ端らしかった。
彼のメインの仕事は警備ということだった。
この宿は非常に変わった宿で、客は滅多に来ないのに、ドミトリー、相部屋のベッドが十ほどもあり、個室も四種類くらい値段の違うものがある。一番良い個室にはテレビもあるし、バスルームもかなり広いものが付いていた。オレは一番安い個室を使っていた。
宿の外周はしっかりした壁と門に囲われてセキュリティも十分だった。テラスは決して豪華ではなかったし、マラウィ湖のリゾートのような景観もなかったが、のんびりと横になって過ごしていると気持ち良い椅子もあった。スーパーも近かったし、宿の人たちが良い人たちで、本当に快適だった。椅子に横たわって、日本語の電子書籍を読みながら、マラウィジンとフルーツジュースを飲んで過ごすのはとても気持ち良かった。
ホテルという感じでも、安宿という感じでもなく、現地人の金持ちのちょっとした別荘みたいな建物だった。
そんなに部屋があって、快適なのに、一週間ほど滞在している間、どの日も客は基本的には僕を含めて三人もいなかった。
それでも、スタッフはたくさんいた。五人くらいだろうか。客よりもスタッフが多い。赤字だろう。多分、ギルバート氏が一番歳上だろうと思う。
下痢をしている僕の面倒をギルバート氏はよく見てくれた。
面倒と言ってもやたらと話しかけて来てくれて、日々、スーパーに昼ごはんの食材を一緒に買いに行ってくれるだけなのだが、それでも精神的にとても助かった。正直、アフリカの旅に参ってしまっていた。
ギルバート氏の仕事はよく分からない。
宿帳やお金を管理しているのは、もう少ししっかりした感じの男だった。三十過ぎくらいで、肥満しているわけでもないが、ヒョロヒョロした細い体型の多いアフリカの人の中では恰幅良く、シャツなんかも似合う男だった。ボスといった立場なのだろう。
もう一人、その補佐みたいな男がいて、彼はボスのいない時には宿帳も管理していたみたいだし、パソコンで何か印刷物をタイピングしたりなんかもしていた。
あとはおばさんがいて、食事を作ったり、洗濯なんかする。
それから、夜にはガレージに二人ほど警備らしい男が座って何か話などしていた。
ギルバート氏は、自分の仕事は警備と言うのだが、別に警備らしいことをしているのは見たことがない。
そもそもギルバート氏に限らずこの宿の人たちは、仕事らしい仕事をしている時間は短いように見える。
それでも、ボス的な男、その補佐の男、ご飯やら家事をするおばちゃんには一応は仕事があった。たまにコックという男も来た。この宿はレストランはやっていないのだが、なぜかたまにコックという男が来て何か作る。現地人らしい客、あるいは経営者の知り合いか何かの人物がやってきて食事をする。その料理を作りに来る。
ただ、全員の仕事を合わせてもせいぜい一人か二人で出来そうな程度の仕事量のように見える。だいたいみんなのんびり過ごしている。
宿の人々の一番の仕事は午前中の掃除らしかった。小学校の掃除当番表みたいなものが貼られていて、当番制でそれぞれの箇所を掃除しているようだ。
それにしても、ギルバート氏の警備という仕事だけは謎なのだ。掃除はしている。それ以外は謎だ。
上下とも濃いブルーの作業着がギルバート氏のいつもの服だ。警備の人間の制服だそうだが、実際、一番、警備が必要そうな夜にはギルバート氏はいない。夜は別の警備員が来る。
ギルバート氏は朝に来て、掃除が終わるとオレとスーパーまで散歩する。ギルバート氏が食材を選んでくれて、買って帰ると、その食材でおばちゃんが全員分の昼ごはんを作ってくれる。
みんなでランチを食べる。食材のお金はもちろんギルバート氏も他のメンバーも払わない。オレの財布から出ている。とはいえ、外食するほどの金額ではないし、宿の調味料を使って料理してくれている。
ちょっとした雑用みたいなことをギルバート氏はする。誰かが手伝いが欲しい時にギルバート氏に声をかける。いつでも手の空いた暇している何でも屋のような立ち位置だった。でも、そんなにたくさんやることはないらしく、基本的には誰かを捕まえてよくおしゃべりをしていた。
下痢で精神的にも肉体的にも元気のなかった僕にはギルバート氏の仕事を観察する元気もなく、日々、テラスの寝椅子に横になり小説などを読みながら日を過ごしていたので、実は僕が知らないだけでギルバート氏はいろいろ働いていたのかもしれない。
でも、多分、そんなことは無いだろう。
みんな大抵暇そうにしていて、オレにしゃべりかけてくれた。その中でも特にギルバート氏は一番暇していて、いつもオレと話してくれた。
そして、夕方になると帰宅して行った。
ギルバート氏は帰り際に冷蔵庫からペットボトルに入れた水を数本持って行く。帰りに市場で売るらしい。中身は宿の水道水だが、飲料水として市場の連中は売るのだ。ツーリストのオレには飲むのがはばかられる水だが、宿の水道水は現地人にとっては安心して飲める綺麗な水だと言う。
ギルバート氏は、会話の中で、
「帰国して、日本でお金が出来たら少しで良いから支援してくれ」
とよく言った。ミスター、名案でしょ、と言わんばかりに明るい顔をして言うのだ。
「世話になったし、ほんの少しだったら良いよ。でも、銀行口座なんかは持ってるの?」
基本的に現地人の多くは口座を持っていない。口座に預けられるような額の余裕のお金がない。月収ではなく年収で十五万円程度が普通か、あるいは少ない人も多いという世界だ。多くの人は口座を持っていない。代わりに口座がなくても、同じ国の中でならケータイ電話の番号で電子マネーみたいなものをやりとり出来るということを教えてくれる。
「でも、日本からその番号にお金は送れないでしょ」
「海外から送ったことがないから分からないけど。でも、支援してよ」
と明るい表情で言う。
「日本に帰ったら、次はいつマラウイに戻ってくるんだ?」
「え? アフリカは遠いからな、なかなか簡単には来れないよ」
「来年か?」
「いやいや、難しいよ」
「今度来た時にはオレの村にも連れてくよ、両親に兄弟も子どもたちにも会わせるよ」
「ありがとう、でも難しいかもな。やっぱりアフリカは遠いよ」
アフリカは遠い。
距離も遠いけれど、本当の意味で遠い。
南米は機会があればまた行きたいと思える。アフリカは機会があっても、再び来るのに心の準備が出来る自信がない。良いところだ。楽しい。人々は明るい。パワフルだ。エネルギーがもらえる。日本にはない。本当の意味で日本からすごく遠いと思う。
支援の話は、ギルバート氏に限った話じゃなかった。
一度、宿のおばちゃんスタッフが子どもが病気だから支援してほしい、と頼まれたので、ポケットに入っていた3ドルほどをあげた。こちらでは一番大きい金額の紙幣だが、かわいそうだと感じてしまったので、チップ代わりに渡したのだ。
そのことについて宿のマネージャーに話すと、それはチップとしては多すぎるし、良くないよ、とのこと。あまり大きな金額を現金で渡すと外に出た時に噂を聞いた悪いやつに襲われるかもしれない、みたいなことも言っていた。
ある日、ギルバート氏が珍しく昼過ぎに宿を出ようとする。
「どこか行くの?」
と聞くと、教会に行くとのことだった。
アフリカにはキリストの教会もイスラムのモスクもある。
キリストの力もイスラムの力もなかなかアフリカには効果が薄いのか、少なくとも経済的な面ではどうも明るい未来が見えにくい。
でも、きちんとした教会やモスクがちょっとした大きい町にはあるらしかった。
どの程度熱心に信仰しているかまでは分からないが、きちんと教会に通っているからには、それなりに信仰しているのだろう。
ただ、彼の生活が貧乏から脱却できそうには見えなかった。
神様の効果というのは、実際にお金が入るという以外の事もあるのだろう。心の拠り所であれば十分効果があると言える。
実際に、ギルバート氏もアフリカの多くの人々も、信仰を深くしても、なかなかお金持ちにはなれないことくらい分かっているんじゃないだろうか。
実際、神に祈りを続けてもお金には困り続けているのだから。
でも、やはり信仰するのだ。
そこには多分癒しみたいなものがあるのだろうか。
その不思議な宿には癒しがあった。
安全で便利というだけじゃなく、そこにいると不思議な心地良さがあった。
彼らと昼食を食べて、ちょっとした会話を交わす。オレの英語はつたないから、あまり複雑な会話はできない。
「ミスター、また朝から酒飲んでるのか? 下痢が治らないぞ」
そんな他愛もない会話だ。
三日もすると、
「え、この宿から出発する? アフリカなんて危なくて自転車なんかで走れるわけないじゃないか。ここでみんなとのんびり話しているのが良い。もう無理だよ。アフリカを走るなんて怖い。まあ、急ぐことは無い。もうちょっとゆっくりしよう」
と感じるようになった。
一週間経つと下痢もかなり良くなった。完全には治らなかったが自転車で走れる程度には回復した。
ただ、心理的に宿から出発するのが本当にきつかった。
本当に良い人たちだった。別に何をしてくれるわけでもない。暇つぶしの相手として話しかけてくれるぐらいだ。でも、その宿で彼らと過ごす時間には癒しがあった。
別に無理して出発しなくたって、マラウィから飛行機に乗って帰ったって良い。飛行機代はかかるけれど、安全第一だ。残念だけど、僕の実力では、ここまでだった。勇気ある撤退とも言える。
ここで撤退したって、何も困らない。逆に最後まで完走したって、何が手に入るわけでもない。誰かに表彰状を書いてもえらえるわけでもないし、学歴にも職歴にもならない。
だけど、出発しよう。
走ろう。
ウツになる前に北海道の飛行機のチケットとキャンピングカーを予約していた。もったいないが、回復しなかったら諦めるしかないと思っていたが、回復も順調なので行くことにした。
お金と時間の両方がないとできない遊び。
子どもがいると、またアフリカに行くようなことをするのはさすがに難しい。
家族が出来れば金が要る。
そのために自転車屋を辞めて、住宅営業になった。でも、本当のところ、子どもにそんなにお金がかかるかというと微妙なものだ。実際に、自転車屋の先輩でも子どもがいる人もいた。その人は、本店で主任メカニックをしていた。オレに自転車を教えてくれた人でもある。三店舗しかない小さい会社だが、本店の主任メカニックなので、重要な立場ではある。とはいえ、店長だったオレと大きく給料の差があるとも思えない。休日については上手く立ち回っていくらか多く取っていたにせよ、給料など含めても大きな差があるとは思えない。
転職しないと子どものために必要な金が作れないというのは、そういう点で嘘だろう。
裕福な暮らしは難しいにせよ、子どもは育てられる。別にお金がなくても、家族が仲良くて、家の中が明るければ、子どもは順調に成長する。
それこそ、子どもを殴ったりしなければ、トラウマも抱えないし、人生で直面しなくても良いような困った問題にぶつからなくて良い。
それでも、オレは金が欲しいと思った。
何に使うんだか分からないけれど。
もう旅にはしばらく出れない代わりに、子どもが手を離れたら、南極点に自転車に行きたい。
だが、それも幻影のような気がする。
住宅営業は、何千万円という金額、日本で最も高額な商品の営業マンだと言える。もちろん、工場向けの機械なんかの営業はもっと高額だが、対企業だから、個人向けの商品としては住宅は最も高価なものと言える。
一軒売ったら、百万円の自転車が二十台以上売れたのと同じだ。
それでも、自転車も車体や用品まで含めれば、店舗で月に一千万円近く売っていたわけだから、そう考えると、住宅もずば抜けて利益が高いわけでもない。
それでも、ウツになる前の頃には、自転車屋の頃の倍近い収入があって、年間休日も六十日近く多かった。自転車屋の待遇が悪すぎたということもある。
何にせよ、好きな仕事を手放すことで、金と休日が増えた。
だから、手に入れた金と休日で、ただ楽しいことをするのではなく、金と時間の両方がないと出来ない遊びをしたいと考えた。
それもウツになってしまえば、馬鹿馬鹿しい話だと思う。
稼いだ金を使って、楽しいことをする。
それ自体は悪いことじゃないが、好きな仕事をやっていれば、そもそも金がなくたって日々仕事が楽しいのだから。お客さんにも慕われていた。
家族と過ごすために金と休日が欲しかった。
そして、ウツになる。
馬鹿げた話だ。
当然、家族も金と休日を増やしてくれなんて一言も頼んでいない。
当初は三歳の息子が一週間もキャンピングカーで過ごせるか心配もしていたが、息子はキャンピングカーの暮らしを随分と気に入っていた。
普通の車と違って、移動中も後ろのテーブル席で母親と遊んでいられる。空港で買った飛行機のおもちゃとYouTubeでいくらでも遊んでいた。キャンピングカーで夜眠るのも、楽しいようだった。妻の方は、眠りにくいようで、疲れていたが。
五泊六日とのんびりしたが、別段何をしたわけでもない。富良野の花畑を眺めて、小さな美術館に立ち寄って、旭川の動物園に行って、旭川家具を見たぐらいか。
あんまり長距離移動すると、移動ばかりで楽しくない。
食事は肉を買ってキャンプ場でバーベキューを楽しむこともあるが、スーパーの駐車場で、刺身や総菜を食べることも多かった。北海道のスーパーの刺身は美味しい。キャンピングカーには冷蔵庫もついていたし、炊飯器もある。テーブルもあるし、カセットコンロに簡単なシンクもついている。家と同じとまでは言わないが、アフリカの野宿の日々とは違う。
キャンプ場じゃなくて、温泉施設なんかにあるRVパークという車中泊専用のスペースに泊まることもあったし、一泊は疲れたということで普通のホテルにも泊まった。
宿代も食費も大してかからない。
そういう意味では自転車の旅とどこか似ていた。
何をするわけでもない。
ぼんやりと移動する。疲れたらその辺で休憩する。
一人じゃなくて家族がいて、乗り物にエンジンが付いたっていうだけ。
良い時間だった。
小さい子供を連れて回るのは確かに疲れた。
だけど、やっぱり旅の時間は気疲れしなかった。
実際にやってみたら、お金はそんなにかからないということに気付く。金がかかるのは、飛行機とキャンピングカーくらいだ。とは言え、飛行機じゃなくたって、家族で新幹線なんかに乗ったってそれなりに金はかかる。キャンピングカーにしても、キャンピングカーじゃない普通のレンタカーを借りてもそれなりの金額する。
時間についても、五泊六日までは必要ないだろうが、三泊四日くらいはしたい。
それでも、四連休くらいなら、普通の二連休に二日有休をくっつければ作れる。そんなに難しいことはない。自転車屋だとちょっと大変だったかもしれないが、毎年じゃなくて、数年に一度くらいなら不可能じゃないだろう。
そう考えると、そんなに金と時間がかかる遊びでもなかった。
北海道から戻ると家に犬がやってきた。
一人っ子だと寂しかろうと犬を迎えることにした。というのは建前で、ウツになってから、犬が来てくれると良いのになと思っていたのだ。
犬は高かった。それこそ、飛行機代とキャンピングカーのレンタル代以上した。
国からもらっている傷病手当で、北海道をキャンピングカーで回って、犬を飼う。もちろん、傷病手当だけでそんなことは出来ない。健康な頃の給料の六割程度だ。住宅営業で作った貯蓄のおかげというのは事実だ。
もしかすると、ウツになってしまう前に、もう少し早くそうやって遊んでいれば良かったのかもしれない。
随分休んでしまったが、もうそろそろ仕事に戻れる気がしてきた。
マラウィを抜けてザンビアに入ると、大きく変わることがある。ギブミーマネーと言われることが激減する。タンザニア、マラウィの間は終始ギブミーマネーだ。一時間に一度くらいの割合でどこかで誰かに言われる。
特にマラウィはすごい。同じ学校の制服を着た子どもたちが一列に並んで、声を合わせて全員で同じ振り付けでこちらに手を差し出してギブミーマネーと合唱されたのには笑ってしまった。
もちろん、本心からマネーが欲しいのだろうが、どこか挨拶のようなニュアンスさえある。何としてもこの外国人からマネーをゲットしようというのではない。
日本人だって戦後はギブミーチョコレートと言っていた。オレもその時代を生きているわけじゃないから詳しいことは分からないが、今日を生きていくためにチョコレートがどうしても欲しいというわけじゃないのだろう。子どもたちの他愛ない遊びのようなもので、もらえたら嬉しいし、もらえなくたって仲間と一緒に米兵さんを追いかけて走ってギブミーチョコレートと叫んだら楽しいという遊びなのだろう。
もちろん、中には切迫したギブミーマネーもゼロではないかもしれない。
マラウィの最後でパンクした。修理のために道端で自転車をひっくり返して作業していると、あっという間に十人以上の子どもたちに囲まれた。別にお金をたかりに来ているわけじゃない、外国人がヘンテコなことしてるな、と好奇心で集まってくる。ただ、集まれば、やっぱりギブミーマネーになる。本当に切迫していれば、子どもと言えど十人以上いるのだから、カバンからいろいろ盗むなんて簡単だ。子どもたちは近寄り過ぎず、絶妙な距離感で見物しながら、隣りの子といろいろ話して笑っている。
パンク修理が終わって、
「人数も多いし、マネーはあげないけど、チョコレートあげるよ」
とカバンからチョコを取り出す。首都リロングウェで手に入れたエムアンドエムズだ。タンザニア以来ずっと手に入らなかった貴重な先進国の味だ。
次の瞬間、一人がエムアンドエムズの袋を奪い去って走り始める。それを他の子どもたちが一斉に追いかける。ラグビーさながら、エムアンドエムズを持って走る。そして、引っ張られたエムアンドエムズの袋は破けて、空中に色とりどりのエムアンドエムズが飛び散って、それを子どもたちは必死に拾うのだった。
キリストは五つのパンを五千人に分け与えて、みんなが満腹になったが、エムアンドエムズは無残に地面に落ちて泥が付いてしまった。もちろん、泥が付いたくらい平気で食べるのだが。
ギブミーマネーについては、あまり気にする必要もないが、時々、ひどく考えさせられた。
そのギブミーマネーがザンビアに入るとすっと消える。集落の間隔が長くなり、集落の外をあまり人が歩いていないからということもあるだろう。マラウィはどこにでも村があった。イメージ的には、タンザニアに戻るような感じなのだが、タンザニアはギブミーマネーは多かった。不思議とザンビアはない。国境線を越えるだけで、ギブミーマネーが無くなるのか。
国境を越えたチパタはちょっとした町だ。もちろん、リロングウェほどではない。ただ、スーパーもある。タクシーも走っている。自転車タクシーもある。
ただ、人々がものすごくお金持ちになったかと聞かれると、どうだろう。見たところマラウィよりは豊かに見えるが、タンザニアと比較するとそんなに違わないようにも思う。スーパーがあるのは助かるが、スーパーを使えそうな人は多くないように見えた。
下痢が治りきらないことと、ザンビアのルートは見どころが少ないという前評判もあったので、チパタから首都ルサカまでは高速バスで移動する。
ルサカは正真正銘の都会だ。本当に日本にあってもおかしくないような大きなショッピングセンターがあってビックリした。リロングウェも大きいと思ったが、ルサカは都会と言っていいだろう。全体的に町が綺麗だ。白人が歩いている割合も増える。都市の規模で言うとタンザニアのダルエスサラームの方が人口的には圧倒的に多いと思うし、国連の高層ビルなんかが建っているなど都市の規模としては大きいだろう。だが、ダルエスサラームはどこか土っぽい。ローカルの色が強い。暑いからそういうイメージになるのだろうか。あるいはスワヒリ語の持つパワーだろうか。その点、ルサカは洗練されている。ところどころ見かける白人たちの需要を満たせるだけのものがルサカにはある。随分とアフリカっぽさが抜ける。とは言え、もちろんアフリカなのだが。
ルサカで数日過ごして、ショッピングセンターのドラッグストアで手に入れた下痢止めを飲むと、ぴたりと下痢は止まった。
ルサカを出た後も、どこか洗練されたような感じがする。ルサカ以外の地方の町はそんなに裕福でもなさそうだった。
ただ、ガソリンスタンドと併設されたショップがアイスなんかも売っていたり、サンドイッチなんかまで売っていたりする。ジュースも瓶のコカコーラだけじゃなくて、缶のエナジードリンクなんかまで現れる。
何よりもパスタと缶詰が買えるようになったのがすごく楽だった。
パスタと缶詰さえあれば、どこでも簡単に食事が取れる。とはいえ、ガソリンスタンドのショップでサンドイッチが食べられる世界となると、無理して自炊しなくても、金を払って食べれば良いかとなる。もちろん、すべてが欧米化するわけじゃなくて、相変わらず現地人の入る店では、シーマ、タンザニアではウガリと言われていたモチのようなアフリカの主食も食べられる。
もうアフリカの雰囲気は随分薄くなったと思っていたが、小さな村で宿を求めると、随分とボロボロの宿しかなかった。これまで泊まった宿の中でも一番ボロボロだった。
ボットン便所の宿は、意外にもここがアフリカに来てから初めて。
漆喰の床と壁にトタンを乗せただけの屋根。ベッドと車の座席が一つ椅子代わりに置かれている。ベッドの上にはコンドームが二枚。
それでも、五ドル、安いので良しとする。タンザニアで一度、三ドルしない安宿があったが、そこよりボロボロかもしれない。
レストランもくっついていて、パンと鶏肉と野菜と紅茶で一ドルしなかった。
「シーマは好き?」
宿のおばちゃんに聞かれる。
「ん、好きだけど、パンがあればパンの方が嬉しいな」
チキン、野菜、シーマのたれは作り置きで机の上のボウルにフタをかぶせておいている。
味は美味しい。
紅茶はアフリカらしい鼻血の出そうなほど甘いミルクティー。
そういえば、アフリカの牛乳はやばいとは言うが、ミルクティーはタンザニアの頃からちょくちょく飲んでいるけどヤバイ感じはない。熱しているからか、砂糖てんこ盛りなので気付いていないのか。
それにしても、汚い。雨季なので地面がぐしゃぐしゃで、さらに汚く見える。一晩泊まったら、また下痢か何かの病気になりそうだ。
それでも、くさくはない。掃除なんかはきちんとしているんだと思う。
宿の中庭みたいなところで昼に買ったチブクというお酒を飲む。一リットルの大きなペットボトルに入っていて一ドルもしない。白い濁ったような色の液体だ。
店のおじさんが言うには、アフリカのビールということだった。ラベルの文字を見るとホワイトメイズと書かれていた。タンザニア、マラウィでは見かけなかった。ペットボトルの蓋を開けると微炭酸のような軽いプシュッという音がする。味は発酵飲料だ。そこまで甘くないヤクルト、甘酒、少しだけ炭酸っぽくて、ほんのりアルコール。どぶろくが近いかと言うと、そこまでアルコールの感じは強くない。ジュースみたいな感覚でちょこちょこ飲める。
スマホをポチポチいじって、日記を付けていると、おばちゃんがやってきて、
「外に言って誰かと話すのが良いわよ! ビールは好き?」
と村のバーに連れて行ってくれた。
大音量でテレビが付いていて、ヨーロッパサッカーの試合があってみんな集まっていた。壁が鏡張りで、暗いバーの中のネオンの電飾がキラキラしていた。この辺りは、タンザニア、マラウィと本質的には同じなんだなと思う。
タンザニア、マラウィも貧しそうな村でも、テレビのあるバーでは全力をこめて爆音だった。そして、謎のミラーボール、ネオン。そういうことには惜しみなく力を注ぐ。みんながテレビに集まる。金があるやつはビールを飲むし、お金があんまりなければコーラ、お金がまったくなければ何も飲まないでいる。この辺りはやはり共通だ。
タンザニアと違うのはバーカウンターに防犯のための檻のような柵がないくらいか。
別に誰と話すわけでもないけれど、この空気の中でビールを飲むのは何となく力が出てくる。ビールを一本飲んで宿に戻って眠った。
「おばちゃん、朝ごはん食える? 紅茶とパン」
「良いわよ、準備するわ。さあ、ついて来なさい!」
そう言って、朝食の準備を一緒にすることになった。
アフリカン七輪の中にまだ火の付いていない炭がある。おばちゃんがどこからか手に入れてきたしっかり火の付いた炭を入れる。
「さあ、これであおいで!」
おばちゃんにプラスチックの皿を渡される。せっせとあおいで周りの炭に火を移す。
「そうか、紅茶一杯沸かすのも炭を使うから大変なのか、悪いことしたな。ルサカで電気ケトル買ってきてプレゼントしてあげたら良かったな。でも、電気の方が無いか」
などと思いつつ、炭火が完成したら、
「さあ、次は卵を焼きに行くわよ」
おばちゃんに言われる。火を起こした七輪は紅茶用らしい。
フライパンと卵を持って、てくてくと歩き出す。
昨夜のバーの近くに藁葺屋根のあずまやがある。どうも村の共同キッチンらしく、大きい丸太みたいな炭みたいなものが燃えている。炎を上げているわけじゃなく、炭のように燃えている。普通の木ってこんな風に燃えるのだろうか、それともこんな丸太のような巨大な炭があるんだろうか。
フライパンにたっぷり油を入れて、火の上にかざして、しっかり熱して卵を投入していく。フライパンに油を引くのではない。卵を油の中に投入して素揚げするような具合だ。
「ほら、次の卵はあなたがトライしてみなさい」
「はあ、やってみます」
普通に卵を割って落とす。
無事に卵の素揚げが三つ完成し、皿に移す。
アフリカの人々は妙なところで衛生面に気を遣うので、料理を乗せた皿には上から別の皿をふた代わりにかぶせる。
戻って紅茶の鍋にたっぷりミルクを入れる。
インドのチャイ方式だ。片手鍋に水と茶葉を入れてぐらぐら煮詰めて、ミルクも入れてまだまだ煮詰める。
「あなた、結婚は?」
アフリカの人々はこの質問が好きだ。
「いや、してないよ」
「なんでしないの? あなた何歳?」
「二十八歳だよ、おばちゃんは?」
「私は二十五歳よ。あなた子どもは?」
おばちゃんだと思っていたら、まさかの年下なのか。
「いや、結婚してないからいないよ。おばちゃん、いや、おねえさんは?」
「私は四人子どもがいるわよ」
「じゃあ、旦那さんと子どもで六人家族?」
「旦那はいないわ」
「え、なんで?」
日本人相手じゃ聞けない質問だが、アフリカの人々には普通に聞ける。
もしかすると失礼なのかもしれないが、多分、大丈夫だろう。そもそも、向こうが始めた話だ。
「旦那だった人はノープロブレムなのよ、良い人だったわ。ただね、旦那のお父さんが私を愛しちゃったのよ。それは私としてはノーでしょ? それで旦那はいなくなったわけよ」
ほう、そんな話があるものか。でも、何となく納得する。アフリカとは何でもアリなのだ。朝からジョンバナナに殴られた辺りからオレの感覚はおかしくなっている。
逆を言えば、アフリカの人から見たら、日本の方がよほどヘンテコで、何でもアリと感じるのかもしれない。
とにかく全ての根本が違うので、我々日本人からすると全くわけの分からないような話が普通だったりする。
「チャリこぐからパンたくさん食べて良い?」
「もちろん、良いわよ」
食パンを四枚ばかり取る。
「もっと食べないと!」
おばちゃんがさらに8枚ばかり積む。
「いや、さすがにそんなに食パンばかり食べられないよ」
笑って言うと、
「そうね」
と笑いながら4枚だけ引っ込めた。
三つの卵の素揚げの内、二つを僕に、おばちゃんは一つとパンを三枚ほど。
「ありがとう、朝ごはんはいくらかな?」
と言うと、
「え、払うの?」
「そりゃ、払うよ。いくら?」
十クワチャ札を出すと、
「それは多いわ」
「じゃあ、五クワチャで良い?」
「ありがとう、十分よ」
いやいや、卵だって一つ一クワチャくらいするし、パンに紅茶、手間まで考えれば、別に十クワチャでも良いと思うよ。ペットボトルのコーラが八クワチャとかなんだから。
おばちゃん、ありがとう。
やっぱり村のローカルなアフリカの空気は不思議と力を与えてくれる。
森の中のカウンセラー氏とは合計で三回のカウンセリングをした。
「次回はどうします? もう相談することもないんじゃないですか?」
三回目の最後にカウンセラー氏は言う。それじゃ商売にならないんじゃなかろうか。でも、そういう人だ。
インナーチャイルドは消えはしないし、これからの人生でもそれで困ったことが起きるかもしれない。でも、それで良い。人生で困難が起きるのは、その困難が必要なときだったり、乗り越えられるときだから。その時にまた苦労して乗り越えれば良い。
ストレスはあるけれど、今の仕事をやめればお金に困るかもしれない。せっかくお金を稼げるようになったのに。でも、本当にしたいことはお金がいっぱい必要なことか。お金がなかったら本当に困るのか。どのくらいお金がなかったら困るのか。もし、給料が高くなかったら今の仕事はやるか。一つの会社に雇われて生きるだけが人生ではない。幸い今の時代はいろんな生き方もできる。今の仕事は嫌いじゃないので、続けたい。もちろん、それもオーケー。でも、辞めたってオーケー。別にサラリーマンしなくたってオーケー。もちろん、サラリーマンしたってオーケー。こうしないといけないってことはない。
カウンセラー氏とはいろんなことを話した。
「住宅の仕事がつらいと思うのって、私の場合、契約できなかったらどうしようじゃないんです。契約してしまった後、お客さんが期待していたような理想の住宅にならなかったらどうしようって不安になるんです」
「それは真面目すぎるんですよ。良いことではありますけど」
「そうは言っても、何千万円出して、人生に一回きりの建築なんですよ。他の会社なんかも見て、私と話す中で、この人と建築しようと決断してくれるわけですから」
「まあ、そうは言っても神様じゃないですから。気持ちは分かりますよ。僕も、昔、カウンセラーとして駆け出しの頃って、患者さんが来るのが怖かったので。特にこういうカウンセリングって絶対治るとも限らないですし、中にはメンタル不安定でものすごく怒る人なんかもいますから」
「そうですよね。でも、今は怖くないんですか」
「それこそ、治っても治らなくても自分のせいじゃないってことにしたんですよ。特にこういうメンタルのことって、治るきっかけを手伝うことはできるんですけど、最終的に治すのって当人なので」
「いや、でも、先生のおかげで私は随分良くなりましたよ」
「それは良かったです。でも、僕がやったのは本当にきっかけだけですよ。そもそもなんですけど、僕のところに来る人って、ここに来る時点でもう治り始めてるんですよ」
「どういうことですか?」
「治ろうっていう意志がないと来ないでしょう。それに、本人が良くなろうとしていない、本人の意志で来ているわけじゃない人はお断りしていますから。家族とか誰かの勧めで無理に来て治療したって、そりゃ無理です。そういうときはまだ治るには早すぎるんですよ」
「早すぎる?」
「そう、早すぎるんです。まだ、治すタイミングじゃない。風邪ひいて熱出てる時に、もう治る頃だ、無理やり外にランニングしに行こう、なんてしないでしょう? 休んで治るのを待って、治ってから外に出て体動かすでしょう」
「そうですね」
「ウツ病とかって心の風邪なんて言われたりもしますけど、無理に直そうとせずじっとしているのも必要なんですよ。風邪って、体がしんどいから、休むのが必要っていうサインっていうのはみんな分かるんですけど。ウツとかって、あんまりそういう理解がない。ウツになったらダメくらいに思っている人が多い。単純に心が休憩が必要っていうのが表に出ているだけ。それがある程度、休み終わったり、立ち上がりたいっていう時のきっかけとしてカウンセリングするわけであって。カウンセリングしても心が立ち上がれない人も中にはいますけど、それは僕の技術とかの問題もいくらかはあるにせよ、当人の問題で、まだ立ち上がるには時間が必要だったり、もう少しゆっくり過ごすことが必要なタイミングなんですよ。当たり前だけど、何でも治せるわけじゃない。だけど、自分が出来ることはやる。もちろん、今も治療が上手くいかなければ落ち込むこともあります。でも、最後は本人が治すしかないですから。住宅もそうでしょう。結局、本人が自分の意志で選んでいるわけですから」
「まあ、そうですけど」
「無理やり契約書にサインさせたりしないでしょう。本人が悩んで、いろいろ比べたりして、最終的にここで建てようって決断しているんでしょう。どんな家を建てたいか希望も伝えて、間取りなんかでも何回も打ち合わせして自分の希望を伝えていくわけでしょう。最後にそこに住んで良い家だと感じるかどうかって当人の問題ですよ。客観的に見てどんなに良い家を作ったとしても、当人たちが、住んでいて快適じゃないと思っちゃったら、それってどうしようもない。それをあなたが全部責任を背負ったり、自分のせいだと思ったって、無理がある。まあ、真面目なんですよ。多分、その真面目さをお客さんは信頼してあなたに頼むんですよ。だから、もし、上手く行かなくてもあなたを恨むってことはないと思いますよ。そもそも、極端な言い方ですが、向こうが勝手にあなたのことを気に入って家を頼んでいるわけですし、それで恨まれたって、ねえ。家にしたって、カウンセラーにしたって、上手く行かなくて他に不満をぶつけるところがないっていうのは分かりますけど。まあ、どうしても失敗したら謝れば良いじゃないですか。それで許してくれなくたって、出来ることはそれ以上ないんだから、それまでの話ですよ。もちろん、落ち込むことはありますけどね」
ただ、カウンセラー氏は、オレが住宅営業に戻ることについて、否定はしなかったけど、あまり賛成していないようにも感じた。もっと別なことの方が向いているんじゃないかという含みがあるような気がした。もちろん、そんなことは口にはしない。
当人が元の仕事に戻ろうとしている、元気を出して頑張ろうとしているわけだから、それを否定するようなことはしない。
でも、不思議とオレにはカウンセラー氏は営業には反対しているように感じられた。
思っていたよりも早く回復に進めた。犬がやってきて一週間ほどした時にオーナーに連絡を取った。
「お久しぶりです。自分で思っていたよりも順調に回復している感じがして、ちょっと様子を見ながらなんですけど、あと2、3ヶ月したら復帰したいなと思っているんですけど、復帰に向けて、少し話が出来たらなと思うんです」
「じゃあ、前みたいに軽くランニングしながら話そうか。オレも足痛めちゃったから、スロージョグくらいのペースで小一時間くらいだけど。その方が、面と向かって座って話すより、気楽じゃないか」
自分はオーナーのことが好きだと思っていた。実際に、仕事以外でも一緒にランニングしたり、マラソンのレースにも出た。会社の中で、唯一気が合ってプライベートの話をしたいと思える人だった。
建築の学歴も営業職の職歴も何もない自分を採用してくれたのはオーナーだった。
久々に会ってランニングすると、僕の復帰を喜んでもくれたし、心配もしてくれた。復帰後のケアも含めて気遣ってくれた。
会社に戻って不安なこと、心配なことを率直に話した。
それは契約の後のことだった。契約までは何も問題ない。ただ、契約した後の詳細な打ち合わせにバトンタッチした後にトラブルになる。
しかし、そこで返ってきたのは、自分の課題に取り組む、他人の課題に口を出さないということだった。ウツになる前から、オーナーがアドバイスしてくれていたことだった。
「これまで営業に契約後のこともいろいろやってもらっていたのは、負担が大きかった。戻ってきたら契約した後は完全にノータッチで離れて欲しい。君が抜けた後、別の事業展開も考えた。新築住宅は徐々に限界が来ている。生き残る会社は生き残る。うちも多分、生き残る。お客様に選ばれる会社になる」
そこでやっと分かるのだった。
確かに正しい。他人の課題に干渉しても意味がない。他人の課題は結局他人の課題であり、自分が手を出せることじゃない。逆を言えば、自分が手を出せることだったら、それは自分の課題だ。手を出すなら、自分の課題として取り組まねばならない。手を出せないなら、他人の課題についてアレコレ言っても何も解決しないし、その人の邪魔になる。その通りだ。
営業の負担が大きいから、契約の後は離れて、次の契約に専念して欲しい。そしたら、楽になる。実際、他の業界では営業マンは契約までで、契約の後は専属のチームが引き継ぐのが普通になってきている。住宅みたいに営業マンが、土地から住宅ローンから、すべてサポートした上に、プランを打ち合わせて、設計に指示して、内装やキッチンの仕様を決める打ち合わせまでして、工事中のクレームにも対応して。当然、新しいお客さんは来るし、新しいお客さんを作るために、メルマガやLINEにYouTubeの撮影などの広報、マーケティングもしないといけない。それは厳しい。営業は契約までで完全に打ち切ろう。
だけど、それじゃあ、お客さんの家はどうなるのだろう。
そんな仕事は面白いのだろうか。
チームを信じろということ。でも、これまでチームは何度もミスをしてきて、何も改善されなかったじゃないか。
オレは、お客さんに契約のハンコまで押させて、後は知らん顔で生きていくってことなのか。それはおかしいんじゃないだろうか。お客さんが信じて契約してくれて、それを完成、引き渡し、その後のお付き合いまでしていく。
それはオレの課題じゃないのか? もう他人の課題になるのか?
それじゃあ、オレはいつまでも、他人のミスのせいで傷付き続けないといけないっていうことなんだろうか。それとも、他人のミスだから、知ったこっちゃない、君はベストを尽くした、君は何も悪くない、それで良いのか。
むしろ、営業以外の部門の問題を解決して、お客さんに良い家を渡せるようにする、それは組織のリーダーの課題じゃないのか。
でも、オレはそんなことを考えていたから、壊れてしまったんだろう。それが今は分かる。
だから、君が壊れないように生きるために、君が感じている何かを壊して無視して生きていきなさい。それは幻想だ。くだらない役に立たない思い込みなんだ。
サラリーマンとして上手く生き抜くんだ。厄介なことは考えず。そう、他人の課題に口を出さず、自分の課題に取り組んで。
もう子どもじゃないんだから。
でも、オレにはそういう生き方は難しいだろう。多分、それが出来ていれば、アフリカなんて行かなかっただろう。
もう、戻るのは難しいのかもしれない。
住宅営業に戻りさえすれば収入も問題ない、それが急になくなった。
少しずつ元気になっていって、元通り、元気に仕事ができる、そう思ってハシゴの最後の段に足をかけたと思ったら、ハシゴは急に外れてしまった。
これからどうしよう。
住宅のように一軒売ったら何千万円という仕事は他には多くない。自分には住宅営業が一番簡単にたくさんお金を稼げる仕事だと思う。なぜだか知らないが、オレは住宅が売れる人間だった。
お金の面だけじゃなく住宅の事を考えるのは楽しい。人間が外の世界と線を引く境界。人間にとって住宅とはどうあるべきか。住宅の中で人は何をするのか。そういったことを考えることは楽しかった。
じゃあ、他の会社で住宅営業をするか。
それも違う気がした。
オーナーの考え方が嫌いだったら、他の住宅会社で働けば良い。年中、日本中、住宅会社は営業を募集している。
実のところ、営業以外の部分は、比較的誰でも勉強すれば出来る。工事には正しいやり方がある。設計にも正しい手法がある。今はコンピューターに良いソフトウェアもあるから、綺麗な図面がすぐに描ける。
もちろん、合う合わないの問題はある。現場監督だって大変だ。職人の中には難しい人もいる。設計も一日中パソコンに向かって図面を引いて、行政に申請を出す。大変には違いない。
ただ、営業はどんなに一生懸命やっても、全く契約できないということがある。何年頑張っても、どんなに勉強しても、だ。
実際に、契約できない人は長くても二年以内にはやめる。社内の風当たりもあるし、仮に優しい会社だとしても、申し訳なくなる。一生懸命やっている、お客さんに対してにこにこと話す。頑張ってプランを描く、見積もりを出す。土地を見に行く。実にいろんなことをやっても、契約ゼロ件だったら、何もしていないのと同じだ。
年間に十件以上は契約が取れる住宅営業。決して珍しくはない。どの会社にもそういう営業マンがいるから住宅会社は成立している。だけど、それは、多くの人を採用して、ほとんどが辞めていった後の生き残りだ。
幸か不幸かオレは生き残った。
それを手放す。
犬や北海道は? 来年からは北海道にはいけない? あるいは子どもがもう少し大きくなればニュージーランドをキャンピングカーで回りたかった。
金のことは百歩譲るとしよう。当然、住宅営業から離れれば、もう家は作れない。どんなに素晴らしい住宅を考えることができたとしても、お客さんは会社と契約する。会社に所属していないと家を作ることは難しい。
あれこれ打ち合わせて、家を作っていく。大変なこともあるけれど、家というものが完成して、そこに人が住まう。そういうことはもうできなくなる。
理屈で考えれば考えるほど、良い仕事のはずだ。今でもオーナーのことは良い人だと思う。オレの会社内での立ち位置、待遇も悪くない。
だけど、オレはもう戻れないと確信してしまった。
世界遺産のビクトリアの滝を眺めて、少し行くとザンビアも終わりボツワナになる。
ビクトリアの滝については大きな滝だった、以上。いや、本当に大きくてすごく感動もしたんだけど、やっぱり自転車旅をしてると、そういうところはあくまで通過点で立ち寄るくらいになる。
それよりも、ボツワナは今回の旅で一番楽しみにしているエリアだ。
象やライオンが出る。
アフリカと聞くとどこでも象やライオンが出るイメージを持つ人もいるかもしれないが、実際にはそんなことはない。冷静に考えれば分かるけれど、そんなにワイルドライフとの距離が近いと、現地人も生きていけない。村には当然獣は出ないし、道路にも獣は寄り付かない。ガゼルやカメレオンくらいは出るけれど、象やキリン、ライオンなんかは普通は現れない。
ただ、ボツワナは違う。
国立公園の中を道路が走り、町と町の距離も百キロは普通だ。普通なら人間の住むエリアと国立公園は明確に分かれているのだが、ボツワナは国の大半が国立公園で、その中に、ポツンポツンと人間の暮らすエリアが小さい集落として存在する。
「あなた、自転車でボツワナを走るのは危ないわよ。本当に野生動物がたくさん出るの」
入国管理のおばちゃんに言われる。
「知ってるよ。ボツワナを走るのを楽しみにして日本から来たんだ」
「ライオンや象に襲われたら死んでしまうのよ。バスとかに乗ったら?」
「うん、気を付けるよ、ありがとう」
「朝の八時より前と、夕方の五時以降は絶対に町の中に避難するのよ。ライオンの狩りの時間だから」
おばちゃんは、やれやれという顔をしていた。
決して多くはないが、ボツワナを自転車で走るサイクリストは一定数いて、多分、みんな同じような反応なのだろう。
別に危険なことをしたいわけじゃない。
だけど、走ったことのない景色を走りたいのだ。道を走っていて象が出るなんて、世界中でもボツワナだけだ。普通は象を見るには、サファリツアーなんかで国立公園の奥にジープで入らないといけない。
普通に自転車で道路を走っていて象が出るなんてすごいじゃないか。
そんなところ自転車で走れるわけがない、そう思っている大地を自分の足で走れる。
根本的には自転車の楽しみは初心者の頃からずっと変わらない。それがどんどん広がって地球の反対側の南米だったり、アフリカの象が歩き回るところになる。
国境を越えて少し走るとカサネの町に着く。
小さい町だが、スーパーも綺麗だ。ボツワナはダイヤモンドが取れることと南アフリカと隣接することもあり、アフリカの中では比較的豊かなのだ。さらにカサネはサファリのツーリストも多いので、ツーリスト向けに綺麗ということもある。
それにしても、ボツワナ、すごい。物価も高い。これまで宿に泊まっても十ドルは高いという感覚だったが。キャンプ場でも十ドルだ。キャンプじゃなくてホテルに泊まると百ドルを越えてしまう。金持ちのヨーロッパ人がサファリなんかを楽しみに観光に来る国なのだ。
そして、キャンプサイトは動物園のにおいがする。看板にはワニがいるので川に近づき過ぎないよう書かれていた。
カサネを出て、走り始めると素晴らしかった。
ズバッと無人地帯。道はまっすぐ伸びている。緑の地平線。
改めてこういう綺麗な緑の地平線はアフリカでは初めてかもしれない。無人地帯は結構あるんだけど、木が生えていたり、丘や山があったり。平らな土地がズバーッと続くというのは意外とありそうでなかった。南米の時以来かもしれない。
そして、しばらく行くと道路に象の糞らしきものが落ちている。
その日、生まれて初めて象に遭遇する。道から少し離れたところに小さい象がいてかわいかった。また象に会えたら良いな、なんてその日は思っていた。
次の日から世界で最も象の多い象地獄エリアが始まる。町も村も二百キロの間ない無人地帯。中間くらいに警察の検問所のようなところがあり、そこで野宿させてもらう予定だ。
朝、小雨だったので出発。強く降っていたら一日伸ばそうと思ったが、小雨なら問題なかろう、と。
案の定、すぐ強くなる。
大問題だ。
ただ、実際に走り始めると雨は意外と良かった。
野生動物も、雨に濡れるのは嫌なんだろう。象は思ったほど現れなかった。ただ、この雨の中、百キロなんかはやはり心折れるな、と思いながら頑張る。
「おーい、象も出るし雨も降ってるし乗せていってやろうか? チャリもつめるぜ!」
心優しい白人さん夫婦が言ってくれた。
「ありがとう、でも、ここは自転車で走りたいんだ」
自然の厳しいところでは、人は優しくしてくれる。南米のパタゴニアでも何度かこういうやり取りはあったが、走り行く心優しき人の車の後ろ姿を見ていると、「ああ、乗っときゃ良かったかな、強がり言っちゃったかな」などと思う。
車もあまり来ない。時々、思い出したように、サファリに行けそうなランドクルーザーやトラックが走るくらいで、基本的には車も来ないまま自転車で一人きり走り続ける。この時間ほど素晴らしいものはない。
難所はノーヒッチハイクで行きたい。
マラウィやザンビアのチパタの時のように、この区間は、ヒッチハイクでもバスでも何でも良いかという時は良いけれど、難所は景色も良いし、人生で何度も出来る経験では無い。
自分の足で進みたい。
雨のおかげで午前は三匹しか象は出なかった。
一匹目はかなり前の方を道路を横切っただけだった。
二匹目は割と近かったが、離れて眺めていたら去っていった。
調子に乗って、三匹目は近付いてみたら、くるりとこちらを向いてきて目が合った。
「やばいやばいやばい!」
慌てて自転車を止めると、象の方も急いで茂みへと逃げて行った。
象は急ぐと速い動きが出来るんだなと驚いた。
最初は象が見えると嬉しかったが、この辺りから深刻な命の危険を感じる。いや、危険なことは走る前から頭では理解している。
目の前で見る象の速さとプレッシャー。大きな質量の生き物が力強く動く。そして、牙と鼻が予想以上に迫力があって怖い。目前に迫る命の危険として体感する。
動物園の柵の向こうの象はゆったりしているが、あれはオリが狭いせいだ。大きい動物園でも、象が走れるほどの広さはない。物理的にも走れないし、その中で育ち、彼らは走ることをもう思い出せないのかもしれない。
それが今、目の前の象は自由に走れる環境で日々サバイバルを生き抜いている個体だ。エンジン音とともにすごい速さで動く鉄の塊、自動車にさえ臆さない。
今の象が茂みのほうじゃなくて、こちらに向かって本気で襲ってきていたら、間違いなく逃げられなかっただろう。距離が離れていたとしても象が本気で走れば、旅の自転車なんてすぐに追いつかれてしまうだろう。
逆を言えば、気にしても対策なんてできないから、気にしなくても同じとも言える。象が本気で怒ったら為すすべなく死ぬ。
攻撃を向けられなくても、やはり迫力が違う。目が合うだけで、命の危険を感じる。
でも、ヒッチハイクはしない。
昼過ぎにやっと晴れてくれた。
道には時々象の道路標識が立っている。何もない地平線の道端に休憩用のベンチが時々ある。その隣には、「THIS IS A WILD LIFE AREA YOU ARE STOPING HERE AT YOUR OWN RISK」という看板が立っている。野生動物のエリアだから、止まるのは自己責任だよということだ。でも、自転車以外でだれがこんなところで休憩するのだろうか。自転車にとっては、一息付けるベンチはありがたい。
そこからまさかのパンク。
アフリカ二回目のパンクをこういう象だらけのエリアでするのがオレの運の強さだろう。
パンク修理している間に象がやってきたらどうにもならない。タイヤのワイヤーがほつれているのか、尖っている部分が抜けない。ベンチで無理やりねじって、あとは財布に入っていたキリクライマーズの名刺をタイヤとチューブの間に挟んで解決。キリクライマーズは、もはや懐かしいキリマンジャロ登山のツアー会社だ。かれこれもう四千キロ近く走ったのか、時間とは本当に早いものだ。
また、象。
今度は道のすぐ隣だったので、横をスルーするのも難しい。少し待つ。象は動かない。
困った。
「おい、大丈夫か? おれたちと一緒に通り過ぎれば大丈夫さ!」
車から黒人さんが声をかけてくれ、車を挟んで象の反対を通るようにして通過。
みんなやはり優しい。
その後は、もう思い切って象をスルーしていった。多分、大丈夫、襲ってこない。知らん顔して通り過ぎよう。
たくさん出るとは言っても一時間に一、二回くらいのイベントだ。十分に一匹出るわけじゃない。運試しだと思って通り抜けて行くしかない。通過するたびに心臓の音が聞こえる。やはり怖い。
あまりに近い場合は車が来るのを待つ。
車が通っても象たちは草を食べるのに夢中であまり逃げない。
なぜか自転車には反応する。
僕にとって象が珍しいように、彼等にも自転車は珍しいのだろう。
予定では百キロほどで警察の検問所のようなところがあるはずだが、なかなか着かないな。日没になるとまずいぞ、と思っているとまたパンク。今度は針金みたいな物がまっすぐ刺さってチューブまで貫通していた。日頃の行いの悪さが光る。
それでもゴールのナミビアまでは千キロほどなのでタイヤは大丈夫だろう。
五時前に警察の検問所のようなところに到着。何とか間に合った。百三十キロと予定より遠かったに加えて、雨、パンクと重なったハードデイだった。
あとは七十キロほどでナタの町に着く。
検問所の警察の人はフレンドリーにしてくれた。自転車乗りの間では、この検問所でキャンプさせてもらうのは有名なのだ。というか、ここで眠る以外に選択肢がない。一日で二百キロ走るには、朝と夕方の時間制限が厳しい。当然、象のパラダイスで眠っていれば、象に踏みつぶされるか、ライオンの餌になるか、はたまた他にも夜行性の肉食獣はいくらでもいるのだろう。
検問所の人は、朝出発するときにはコーヒーまで出してくれた。
しばらくしてキリンが五頭横のしげみを走った。子どもらしい小さいのもいた。馬のように軽やかに走る。
ナタの町に入る手前でトラックに乗った白人さんに声をかけられる。後ろの荷台に白い大きな犬が乗っている。
「よう、良かったらキャンプしていかないか。今、キャンプ場を作ってるところなんだ」
キャンプ場を新しく作ってるってことか。楽しそうだ。
「ありがとう、でも、町に行って食料を調達したいんだ。カサネから走って来て、腹も減ってるから」
「良いよ、後でトラックで一緒に町に連れて行ってやるよ。ただで泊まって行って良いから代わりにちょっと作業を手伝ってくれないか?」
「もちろん、オーケーだよ」
荷台に自転車を積んで、わきの細いダート道を抜けていくと彼の城に着いた。川沿いの土地を木の柵と有刺鉄線でぐるりと囲っている。
地面は砂で清潔だった。昨夜のテントを張らせてもらったところも砂だった。道路から見ると一見ぎっしり草がしげって緑の大地なのだが、その下は砂浜みたいになっている。
真ん中にコンテナのトレーラーハウスがあり、そこに住んで少しずつキャンプ場を作っている。
彼の名前はルーペルトと言った。トレーラーハウスの周りには作っている途中のお客さん用のコテージ、その他、水を引くためのポンプ、貯水用のプールなどがあった。彼はたった一人でコツコツとアフリカにキャンプ場を作っているらしい。男の夢だ。
「そこの川にはたまにカバもいるぜ!」
彼は嬉しそうに言った。
トレーラーハウスにはコスタという白人の老人もいた。六十歳だそうだ。
コスタ老人も旅人で自転車も時々使う。マレーシアから船で南アフリカまで来て、そこに自転車は置いて、今はバスでアフリカ南部をふらふらしているらしい。
「コスタはどこがホームランドなの?」
「ホームランド? さあね、どこなんだろうね、人生を楽しんでいるだけさ」
旅に出て、もう二年ほどになるらしい。
そういえば、キリマンジャロに一緒に登ったイギリス人も同じくらいの期間だった。そういう生き方がある。
我々日本人は長期の旅と言うと、ヒッピーのような放浪の旅、若者の冒険、モラトリアムというイメージが強い。コスタ老人は若くない。外見もヒッピーなんかの小汚さはない。もちろん、長旅なので綺麗な格好とは言えないが、一見すると普通のおじさんだ。
「どうやってここのキャンプ場を知ったの? まだオープンしてないんでしょ?」
「カウチサーフィンってやつだよ、知ってるかい?」
「ああ、聞いたことあるよ。手伝いする代わりに無料で泊まらせてくれるってやつでしょ」
「そう。自転車向けにWarm showerというのもあるんだよ、良かったらまた今度使ってごらん」
そんなのあるんだな。
コスタ老人に限らず、ヨーロッパ人は本当にいろいろ知っている。旅のバリエーションが多い。その国でレンタカーを借りて、キャンプしてまわったり。
日本のバックパッカーみたいなスタイルの人もいるが、あくまでそれは旅のスタイルの一つで選択肢が多い。お金をかけるという意味じゃない。大学生の長期休みだけじゃないし、仕事を辞めての逃避行という感じでもない。
実際には、彼らも大変なことはあるだろう。オレのつたない英語じゃそこまでの話は聞けないが、日本人にとっての旅行や旅とはニュアンスが違う。何歳であっても人生を楽しむ上で旅をするということは自然で、行きたいところに行きたい時に行く。
その後、もう一人ローカルの使用人が来て一緒に四人でソーラーパネルをトレーラーハウスの上に上げた。
ソーラーパネルを4枚、鉄のパイプを溶接でつなげて固定して、あとは力技で持ち上げた。それで仕事は終了。あとはトレーラーハウスの中でのんびりと過ごす。
コスタはやたらとコーヒーを沸かしてくれた。
一時間おきに、
「コーヒー飲むかい」
と言ってフレンチプレスで入れてくれる。
「コスタはコーヒーが好きなんだね」
と言うと、
「いや、別にそんなことはないさ。僕は何も好きじゃないし、何も嫌いじゃないんだよ」
「え、でも、やたらとコーヒーを入れてくれるじゃないの?」
「Habbits make people slaves. 習慣とは人を奴隷にするんだよ。コーヒーを毎日飲んでいると、コーヒーじゃないとおいしくないと思うようになってしまう。それで、コーヒーを買わないと生きていけなくなる。だから、目の前にコーヒーがあればコーヒーを飲めば良いし、コーヒーがなければ紅茶、それもなければ水でも良い。ワインだって煙草だって何だって良い。あるものを愛するんだ。何もなかったら何もない時間を楽しめば良い」
「なんかアジアの仏教みたいなフレーズだね、日本だと禅の精神みたいだ」
「そうかもしれないね、でも、世界中のいろんな思想で同じような考え方は出てくるよ」
と笑っていた。
「コスタは若い頃から今みたいな感じだったの?」
「どうかな? もう昔のことは忘れちゃったよ。たくさんの経験をしたからね、そして、多分その中でいろんなことが変わったし、変わってない部分もあるんだろうね」
コスタ老人は優しく微笑む。
スーパーに行くのはやめて、冷蔵庫の食材を使っていいと言ってくれたので、オレが肉じゃがを作るから、みんなで食べようということになった。無人区間を二日走ると腹が減っている。米を腹いっぱい食べたい。
彼等はボウル、丼型の底の深い椀は使いたがらず、お皿だった。オレはもちろん丼スタイルで米をかきこむように食べる。
海外で困ることの一つがコレだ。食器の違いだ。日本人は丼だが、外人はプレート。そして、皿を手に持たない。汁物もスプーンですくって食べる。ご飯も丁寧にスプーンですくって食べる。食器を手に持ち、口元まで持っていって食べるというのがないのだ。なので、おわんは持参しないと米をガツガツと食べられない。
そして、アフリカ人たちは手で食べるから、熱いものは嫌がる。食事は冷ましてから食べる。
食文化というのも実に様々だ。
米を茶碗一杯くらい盛ってあげると、
「そんなにたくさん米は食べられないよ」
と笑っていた。
それでも、彼等は肉じゃがを美味しいと言って喜んでくれた。
その肉じゃがは、肉じゃがと言ってもそんなに肉じゃがではない。たしかに肉とジャガイモ、玉ねぎは入っている。だが、醤油が美味しくない。ザンビアの大きい街のスーパーで手に入った。日本で手に入るタイプの醤油じゃない。アジアっぽい醤油だ。それでも、一応醤油の味はするが、どこか醤油ではない。砂糖はそのまま砂糖である。酒、みりんなどは当然ない。だから、味に深みがない。それから肉が固い。日本のスーパーで手に入るような薄切りの柔らかい肉はない。味がどこか獣っぽい。アフリカの牛たちは毎日放牧で歩き続けていて筋肉モリモリなんだろう。日本で食べるとおいしくない味だが、アフリカで食べると本当美味しい。米が進む。海外で醤油が手に入ると本当に嬉しい。
「ここのキャンプサイトで日本人の作る日本食なんてやったら人気になるな」
なんてルーペルト氏は笑っていた。
使わせてもらった食材のお金を払おうとしたら、
「いや、お前はゲストだから良いんだよ」
と言ってくれた。
ただで泊まらせてくれた上に、本当に、ありがたい。
「明日からも象とライオンには気をつけるんだぞ!」
「え? カサネからナタだけじゃないの?」
「おう! ボツワナは町の外はどこでも象はいるぞ! マウンを過ぎたらあまりいないだろうから、そこまでは頑張れ!」
ちょっぴり心折れた。
象はウキウキもするけれど、やはり怖い。
夜にはライオンがいる。
そして、町の間隔も広い。
だけど、楽しい。毎日、オレは生きている。
朝、ルーペルト氏は朝食まで作ってくれ、マウンに向かう道までトラックで送ってくれた。
オーナーとのランニングから一か月後、時間がかかっても会社には戻らないので退職させて欲しいことをオーナーに伝えた。
最新のアイフォンにマックブックにアイパッド、契約を持ってくる自分には良い備品が支給されていた。欲しいと言えば、最新のものが支給された。お客さんから見て、営業マンが良い商売道具を使っているということは重要だからということと、やはりオーナーは自分をかわいがってくれていたんだと思う。
それをみんな返してしまうと、不便さを感じる代わりに、身軽になる気がした。休職してから約半年、使うことは無かったが、完全に存在がなくなると違った。
備品を返すのと合わせて退職の手続きをしに行った。プランの描き方はもちろん住宅の事をゼロから教えてくれた芸大出の直属の上司は、
「君がいなくなると、仕事の上でも困るけど、ご飯食べに行って話が合うのは君くらいだったから寂しくなるよ。また、たまにはコーヒーでも飲みに行こう」
と言ってくれた。ウツなんて形で急に仕事を抜けて、迷惑をかけたのに、本当にありがたかった。
それでも、やっぱりこの会社には戻れないと思った。病気でそのまま戻れずの退職なので、引継ぎもロクにせず、同僚にはもちろん、何よりお客さんにも申し訳なかった。
「おう、元気になったか?」
大工の棟梁が偶然事務所にいた。五十過ぎで、派手な銀のネックレスをしている。いつもにこやかに接してくれる。筋トレが趣味で腕周りがかっこいい。
「おかげで元気にはなってきたんですけど、やっぱり営業で戻るのは難しいなと思って退職することにしたんです。これまでお世話になりました」
「そうか、残念だな。暇だったらうちで働くか?」
「え、良いんですか? 大工さんって憧れるからやってみたいですけど」
「あはは、でも、見習いだから給料は本当に安いよ。まあ、もし働きたくなったら連絡してよ。働かなくても、またクワガタの話もしよう」
棟梁は趣味でクワガタを繁殖させている。息子に一匹欲しいというと、ギラファノコギリクワガタという海外の大きいのをくれた。冬も死なずに一年半も生きたけれど、ちょうど犬がやってきた頃、白いカビみたいなものが生えて死んでしまった。
クワガタの世話の仕方なんかを教えてもらうこともあって、随分と仲良くしてもらっていた。
何となく大工さんというのはかっこいいし、この棟梁に教えてもらって大工になれたら良いかもしれないと思った。とはいえ、職人の見習いの給料は安い。高校を卒業したての子の給料だ。しばらくは何もできない戦力にならない上に、教える手間と時間もかかるのだから、安くて当然だ。
三十五歳で子どももいるオレには現実的にやっぱり難しいだろうなと思った。
そもそも社交辞令だろう。それに元営業マンが、下請けの大工に入るなんてのも、やっぱりいろいろと不都合が出るだろう。
でも、大工をしている自分の姿を考えると不思議と気持ち良いような気がした。
いよいよ給料が元に戻ることはなくなった。
また、一からだ。積み上げてきたものは崩れてしまった。住宅営業としてもそうだったし、自転車屋の店長としてもそうだった。こんなに売れるようになったのに、また一からだった。
ウツのピークの時よりも元気にはなったけれど、外に出て少し人と話すだけで、やっぱりくたびれてしまう。
元気になってきて、さあ、戻ってまたバリバリ働いて良い家作ってやるか、と思っていたところで、最後の段に足をかけたらハシゴは崩れてしまった。
旅で言うなら、最後の町だと思って到着したら、実は全然違う名前の町に着いちゃいました、ここからまた出発してください、なんて感じだ。
随分と心くじける。
それでも、何となく、これで良かったというような気もする。自分でも気付いていなかった違和感が積み重なって、心が壊れた。カウンセラー氏や家族の協力、心配してくれた友人たち、会社も傷病手当を受け入れてくれたことで収入にあまり心配なくゆっくり過ごせた時間、いろいろなおかげで元気になって、考え方も上向いた。それでも、ずっと違和感の棘を踏み続けながら働き続けるのは無理があった。ずっと気付かなかった違和感の棘に気付けて、辞めて、新しい人生がまた始まる。
積み上げてきたものが崩れる寂しさはあるけれど、また新しいことを始めていける。
不思議としっくり来るものがあった。
建築の仕事はやめてしまったのに、軽井沢まで建築家の先生の講演を聞きに行くことになった。
辞めるよりも少し前の頃、妻がチケットを取ってくれていた。オレがその建築家の先生の本を何冊も読んでいたので、偶然講演を見付けて聞きに行こうと言ってくれた。
休職にしても、仕事をやめるにしても妻は全面的に受け入れてくれたし、ずっと元気付けてくれた。妻には感謝しきれないものがある。
ウツになって以来、家族での外出にはおにぎりとお茶を持つようになった。収入が減るので節約のためでもあったが、息子が北海道でのキャンピングカーでの昼ご飯を気に入ってくれたというのも大きい。外食するよりも、車の中だったり、どこか外のベンチで家族で食べるのは気持ち良い。おかずを作って行くこともあるし、おかずは途中のスーパーで総菜を買うこともある。
「もう建築の仕事はしないのに、遠くまで付き合わせて悪いね」
「でも、見たい建物だったんでしょ」
「うん、見たい。レーモンドの夏の家って言ったら、今の建築のルーツになったような偉い建築家の先生たちが修行した場所だから。建物自体も素晴らしいって聞くから生で見れるのは嬉しい」
「それなら良いじゃない、別に建築の仕事をしなくたって、好きなものが見れて、好きな話が聞けたら楽しいじゃない。仕事じゃなくなっても楽しいと思えるんだから良いことじゃない」
そう言われるとそうだ。
その先生の本は仕事とは別として面白かった。休職している間も、図書館で何度も借りた。もちろん、仕事をしている頃は、建築の知識を高めるため、仕事のためにも読んでいた。とは言え、普通の一般住宅を建てる工務店の営業マンが建築家の先生の本を読んでもあまり役に立つことはない。
潤沢な予算で建築家の先生に依頼して家を建てる人は少ない。生きていくには住宅以外にもたくさんお金はかかる。経済性を求めると、そんなに凝ったことは出来ない。
お金をかけなくても良い家は作れる。それでも、建築家の先生のように芸術作品のような家を作ることはないから、建築家の先生の本を読んでも仕事に直接的に役立つことはない。
それでも、直接に役に立つかどうかは別として、単純に楽しい。建築の仕事をしなければ、細かい部分の仕事の素晴らしさに感動することもできなかった。
そうやって考えると、確かに給料としては一からスタートになる。新しい仕事になると前の仕事の知識は使わないことの方が多い。でも、積み上げてきたものが全部崩れてゼロになるわけじゃない。少なくともこうして建物を見にいくことを楽しめるようになった。感動できるようになった。
自転車屋の店長だって、いろんな人と自転車の話をして、自転車の勉強をして、人生の楽しみ方が増えた。旅だって、そりゃお金にはならないかもしれない。でも、旅をしたことで、オレの人生は楽しいと思えることが増えた。
レーモンドの夏の家にはいくつも素晴らしい部分があったが、独特な屋根形状による高さの空間と、斜めのスロープで二階に上がるのが肝だった。建築家の先生の講演も素晴らしかったが、やはり建物を生で体験するということは素晴らしい。
普通の住宅でスロープは使わず階段にするのは、面積の問題だ。階段の方が少ない面積で二階に行ける。スロープにするのは言うなれば面積の無駄なのだ。
だけど、その無駄こそが空間を豊かにしている。階段にすれば、その分、スペースを作れるけれど、スロープにして無駄にしてしまう方が空間が豊かになる。もちろん、ただスロープにするだけではいけない。独特な屋根形状で出来る天井の広がりとスロープが絶妙だった。
当然だが、無駄ばかりの建物は美しくない。でも、絶妙な無駄は空間を豊かにする。
なぜ、こんな無駄なことを取り入れているのか。建築家が直感的にそうした方が美しくなると判断したから。建築で無駄を取り入れるのは勇気がいる。建築はコストが高い。それを依頼主に納得してもらえるよう提案しないといけない。
かといって、有名な建築家になれば、潤沢な予算が出て、贅沢な建物でも建てやすいからと、無駄ばかりの建物も存在する。そういうのは、全く美しくないとオレは思う。
オレの人生で、旅は無駄だっただろうか。自転車屋の店長をしたのはどうだろう。住宅営業はどうだったろう。それは美しい無駄だっただろうか。
講演は息子がぐずって、妻は最初の十分ほどしか聞けなかったが、夏の家の周りを散歩して、楽しそうに過ごしてくれた。
「大工したいなと思ってるんだよ。いや、別にそこまで本気ってわけでもないんだけど」
帰りの車中で妻に言う。
「良いじゃん」
「いや、ぼんやりそう思ってるってくらいだよ。実際、すごく給料が悪いんだよ。休みも少ない」
「でも、やってみたいと思ってるんでしょ。怪我さえしなかったら良いんじゃない」
「どうなのかな。でも、自分で木に触れて、建物が作れたらさ、なんかウキウキすると思うんだよね。でも、やっぱり金と休みがね、引っかかるんだよ。いろいろ大変だろうし。大人しく工場での仕事を探すのが良いかなって考えたりもしてる。やっぱり金と休みって欲しいから」
「でもさ、お金のことは、わたしもこれまで通りパートすれば貯金はしばらく難しいかもしれないけど、生活には困らないよ。それに、あれこれ言ったって、結局やりたいと思ったことやるじゃん。アフリカとか行ってたじゃん」
「そうだね。そうだったね、オレはそういう人間だったな」
次の日に大工の棟梁に電話した。
ヒルトンホテルで佃煮屋の跡取りおーちゃんとコーヒーを飲む。
「今日は何します?」
「まあ、いつも通りだよね」
「うどんやります?」
「良いね、今夜は天ぷらとうどんにしよう」
ナミビアの首都ウィントフク。帰りの飛行機を待つだけの日々。ヒルトンホテルのテラス席には、すっかりアフリカの雰囲気はない。
おーちゃんも沈没。大学四年生、最後の海外旅行。大学の四年間で随分とたくさんの国に行っている。
「卒業したら、家を継がなきゃなんで、学生の間に行き尽くさないといけないと思ったんですよ。ずっとバイトと海外でしたよ」
浅草の創業百年以上の老舗佃煮屋。
おーちゃんも飛行機の日程に合わせて、滞在しやすい町ということでウィントフクに長居していた。ウィントフクは平和だ。ナミビアは南アフリカほどの経済力はないが、その代わりに治安が良い。スーパーの品ぞろえは先進国と変わらないし、ショッピングセンターも日本と変わらないくらい大きい。町も大き過ぎない。刺激的なアフリカの要素はないが、安全で快適だ。
それで、おーちゃんと二人、毎日やることもないので、日々、ビールを飲んで散歩に出かけて自炊を楽しんでいる。海外のスーパーで手に入るものだけで日本の食べ物を作るのは楽しいし、美味しい。昨日はお好み焼きだった。
ヒルトンホテルのコーヒーは安くはないが、そうは言ってもコーヒー一杯、たかが知れている。その金額でこれまでのアフリカでは絶対になかった先進国のきれいなカフェの時間を過ごせるのはありがたい。
自転車の日々では毎日、早くアフリカなんて終わってくれ、もう日本に帰りたいとあれだけ毎日考えていたのに、いざアフリカの空気がなくなるとつまらない。
じゃあ、ナミブ砂漠に向かって走りに行けば良いじゃないか。砂漠を走るのも一つの夢だったじゃないか。ナミブ砂漠は絵にかいたような美しい砂漠だ。飛行機まで二週間も早く着いてしまったんだから、十日も走ればナミブ砂漠も楽しいだろう。
でも、行かない。走りに行かない理由なら何個でもある。
砂漠を走るのは厳し過ぎる。ナミブ砂漠は本物の砂漠だ。町は少ない。野宿なんかはやりやすいだろう。とは言え、水と食料をたっぷり積んで走るのは大変だ。
ナミブ砂漠を走るとは言ったって、どこに向かって走れば良い? 観光客が目指すナミブ砂漠の最深部の一つソススフレイ? でも、当然ながら砂漠に一番奥なんてない。
ボツワナの後半辺りから自転車が壊れ始めた。ホイールのスポークが飛んだ。とは言え、スポークの予備はあるから張り直して、あとはチェーンを買って交換すれば十分走れる。ウィントフクには日本と同じようなスポーツバイクの専門店もある。
ただ、実際にはウィントフクに到着した瞬間、眼前に現れる先進国と変わりないような都市、そして、最終目的地に着いた喜び、これで生きて帰れる。
オレの緊張の糸は切れてしまった。
ウィントフクに着いたら、バックパッカー向けの安宿に着いて、庭テントのスペースを取った。プールサイドにはバーカウンターがあって、ビールを飲む。高い。日本とほとんど変わらない値段。でも、美味い。安全だ。
ビールを飲んでいたら日本人が話しかけて来た。
「いきなりでアレなんですけど、レンタカーで砂漠行きません? 自転車の人だから、やっぱり自転車で行きますよね?」
それが、おーちゃんだった。
「いや、自転車はもう疲れちゃったから。いくらぐらいかかるの? 砂漠のツアーって結構高いんでしょ?」
「ツアーだと高いのと、バスで時間も決まっておもしろくないから、レンタカーと運転手雇おうかなって思ってるんですよ。三人で割ったらツアーで行くより安いし、自由に日程組めるので、一緒に行ける人探してたんですよ」
「うん、良いよ。行こう行こう」
おーちゃんともう一人、エミリアちゃんの三人で行くことになった。エミリアちゃんはあだ名で日本人女性だ。オレよりも少し年上。旅行が好きで、旅行会社の添乗員の仕事を派遣でしながら、金がたまったら一人旅に出る。外観はごく普通のちょっと地味な日本人女性だ。そんなアクティブな人には見えない。
おーちゃんとエミリアちゃんは居心地の良い人だった。変に浮ついたような感じもない。日本人によくある集団だと、気が大きくなって調子に乗るような人も多いのだが、そういうこともない。旅の武勇伝も始まらない。当然、マリファナなんかもしない。でも、二人とも海外旅行は超ベテラン、大抵のことは知っている。
町に行ってレンタカーを借りられるオフィスに行き、そこで運転手も頼んだ。エミリアちゃんは添乗員だけあって、英語が堪能だ。
プランもあれこれ詰め込まなくて、シンプルで良かった。スワコプムントに行って、ソススフレイに行くだけ。二泊三日。
「スワコプムントで二百ドルでスカイダイビングできるらしいですよ。砂漠スカイダイビングしませんか?」
「良いね、やろうやろう」
エミリアちゃんも即オーケー。特にトラブルなく砂漠の旅は終わった。ナミブ砂漠は美しかった。良いメンバーだった。
車で旅してみるのも良いものだと素直に思った。自転車でずっと一人きりで旅してきた。日本語であれこれ話せるのは楽しかった。
おーちゃんとだらだらビールを飲みながら、町を散歩するだけの日々も楽しかった。観光地に行くでもなく、異国の見知らぬ町を目的もなくただ歩くだけというのは思いのほか楽しい。おーちゃんもそういう町の楽しみ方をよく分かっていた。
でも、やはり心に引っかかるものはあった。
砂漠には自転車で行くべきだったんじゃないか。オレの人生でもうアフリカの砂漠を走れるチャンスはないかもしれない。目前にあったチャンスをみすみす逃してしまったんじゃないか。
おーちゃんも出発してしまって、一人きりでビールを飲んでいたある日、フランク・レナガードという自転車乗りが現れた。
髪の毛が全て白くなった老人である。
歳を聞くと五十二歳、見た目より若かった。フランス人。
フランク氏は非常に素敵な人だ。
海外で出会う老人サイクリスト、老人というと失礼だが、若くない旅人というのは素敵な人が多い。
ボツワナで会ったコスタ氏もボツワナでは自転車には乗っていなかったが、南アフリカに置いてアフリカはバスでふらふらとカウチサーフィンで回っているとのことだった。南アフリカの前には東南アジアをぶらぶらしていて船でアフリカまで来たそうだ。
フランク氏は、自転車でナミブ砂漠を越えてきた。
オレはレンタカーから見た景色でナミブ砂漠は断念した。これは自転車で走るのはかなりハードだと思った。
しかし、フランク氏は、
「いや、ナミブ砂漠はそんなにきつくもないよ。観光客向けにキャンプサイトも多いし、気温もせいぜい四十度まではならない。暑いけれど、何とかなる。水も農家に頼めば一日に一回は補充できるから六リットル積んでいれば何とかなるよ。次回はぜひ行ってみたら良いよ」
とさらりと言う。
実際には楽なルートなわけがない。フランク氏の経験と技術、精神があるからこそだろう。
五十も過ぎて体力的にはピークなどとうに過ぎているのに、僕よりきついところをサラリと走る。
フランク氏のルートは、我々日本人サイクリストでは多分走っている人はいない。
南アフリカのヨハネスブルグからナミビア、ボツワナと周り再び南アフリカに戻り北東部をめぐって、ヨハネスブルグから帰国する。
南アフリカ周辺を回るだけのように見えるが距離としては五千キロ以上になる。五千キロとなると、今回のオレのルートと同じくらいだ。アメリカのアラスカから、南米の一番南のウシュアイアでも二万六千キロ。自転車での五千キロというのはかなりの距離だ。
日本人の長期旅行は自転車に限らず、とにかく世界一周になってしまうというのは昔からよく言われる。
三ヶ月程度の旅行さえ人生に何回もは出来ない。だから一回の旅行で一周したいとか横断したいとかになってしまいやすい。
やはり経験値の差だと思う。若い頃から何度もいろいろな地域を走っている。無理にたくさんの国を回ろうとしない。自分の行きたいところに行く。
フランク氏は以前にも南アフリカの別の地域を走っている。改めて南アフリカで前回行かなかった地域とナミビア、ボツワナをまわるという狙ったところ、本当に行きたいところだけを走る。
アルゼンチンで仲良くなった日本人サイクリストのSさんも六十歳を越えているが、中央アジアの何たらスタン諸国も走っている。かなり標高の高い峠が多い地域だ。かなり難ルートだ。
彼らは決まって同じ事を言う。
「まあ、僕はのんびりだからね。時間をかけてゆっくり走れば、大抵のところは行けるんだよ」
完全に悟りの境地だ。
オレなんかは三十にもならない、体力は有り余っているはずだ。
若いオレはどこか意識しないところで、自分の武勇伝を作って誰かに自慢したいとかそんな欲がある気がする。もちろん、自慢するために旅に行くわけじゃないけれど、心の底で野心みたいなのがあるのかなと時々考える。
彼らにはそういう欲がない。ガツガツしていない。ただ、自分の行きたいところに行っているだけだ。
もちろん、実際は分からない。案外、心の中ではオレとあまり変わらないようなことを考えているのかもしれないが、会って話している限り、そういうのは全く感じられない。
話していて、威圧的なところや上からの感じがなく、とてもニュートラルに、なおかつ媚びるでもなく自然体なのだ。
歳の功、長年自転車の上で過ごしてきた人がまとう空気なのだろうか。
その空気は一緒にいてとても心地良い。
フランク氏と町を歩く。買い出しなど装備を整えるのに一日滞在するというのでついて行った。
「象対策にペッパースプレーっていうのがあるんだよ」
フランク氏はこの後、ボツワナに行くのだ。
「ペッバーって胡椒のペッパー?」
「そう、象はペッパーが嫌いらしい」
「え、本当に?」
二人で笑いながら歩き、ペッパースプレーとボツワナプラが換金できるところを探す。
しかし、駄目だった。ナミビアは土日は全くやる気のない国なのだ。ほとんどの店が閉まっている。
両替屋は開いていたが、隣接国のプラを取り扱っていない。ただ、ナミビア、ボツワナはアフリカランドは使える場合が多いので、急ぐことはないということだった。
目的だったペッパースプレーもプラも手に入らなかった。
土曜日なのに空いているカフェが一軒だけあったので、二人でコーヒーを飲む。フランク氏がご馳走してくれた。
海外を走るサイクリストとの会話は楽しい。
彼は若い頃から年に一度、海外を走りに出掛けていたそうだ。
「どこがこれまでで一番素敵だった?」
「インドが良かったよ。もう三十年ほど前になるけどね」
「オレが生まれた頃だね」
彼は笑っていた。
「インドでは下痢をしたよ」
オレがマラウィで下痢したことを前に話していたからだ。
「当時は若くて馬鹿だったからね。そこらの村人からもらった水でもそのまま飲んでたんだ。今は濾過器を使っているけどね。でも、おかげでたいていの国の水は飲めるようになったよ」
「やっぱり下痢すればするほど強くなるの?」
「どうだろうね、ただ若くて馬鹿だったんだよ」
ただ、十年ほど走らなかった時期があったそうだ。奥さんが出来て、フランス国内で働いて過ごしていたという。
「どうして、また自転車旅を再開できるようになったの?」
子供が大きくなったからだと思ったら、
「彼女は死んでしまったんだ」
とフランクは答えた。
悪いことを聞いてしまった。申し訳ないと謝ると、笑って気にしないで良いんだよ、と言ってくれた。
「君は今回の旅はどこが良かった?」
フランクが聞く。
「マラウィが好きだった。湖がとてもきれいなんだ。湖畔でキャンプしていると夜に漁船と星の灯りと遠くの雲が時々雷で光るんだ。この世のものとは思えないほどに美しい。それにマラウィの人間も良かった。貧困国って初めてだったんだけど、予想していた飢えとかはなくって、何というかみんな明るいのかな。貧乏なのにすごく明るい、暖かい。元気がもらえる。もちろん、お金やいろんなことにすごく困ってるんだろうなっていうのは感じたけど、マラウィって何だかすごく良かったよ」
「なるほどね。貧困国は時々、走っていてすごく厄介な問題もあるけど、マラウィは良い国なんだね」
彼はどの話もニコニコと聞いてくれた。
オレの英語はつたない。
相手がかなり積極的にコミュニケーションしようという意志がないと会話は難しい。オレにも聞き取れるようゆっくり話してくれたり、簡単な単語に言い直してくれたり。オレの英語は単語をポロポロつなぐだけの暗号みたいなもので我慢強さがいると思う。多分、結構大変だと思う。
「でも、今回の旅が終わったらそろそろ終わりかなと思うんだ。三十歳にもなるし、ぼちぼち結婚しようかなって考えてるんだ。出来るか分からないけどね。だから、この旅が終わるって、オレの人生での自転車旅の最後なのかもしれないと思うとさ、少し微妙な気持ちもあるんだ。オレもいずれインドを走ってみたいしね」
「それは良いことだよ。君の新しい人生の生き方だよ。またいつか自転車で旅する日が来るかもしれないし、来ないかもしれない。でも、君は若いからまだまだいろんなことがあるよ。結婚して家族を持って、そういう生活は本当に素晴らしいことだよ」
「だけど、いったんは最後の旅になってしまう。でも、オレは砂漠を走りに行かなかった」
「君はまだまだ若いから、まだまだいろんなことがあるさ。サムデイ、ネクストタイムだよ。もちろん、出来るかもしれないし、出来ないかもしれない。それもまた縁だよ。ナミブ砂漠もとっても素敵だから、次回、またいつか行けたら行ってみたら良い。それだけだよ」
そう言われると、たしかにその通りなのかもしれない。
タンザニアでポレポレ、ハクナマタータ、のんびり行こうぜ、ノープロブレムの精神を学んだのを思い出す。
旅の間、アフリカが最後か、人生これからどうするか、そんなことを何度か思い悩んだこともあった。人生は永遠ではないけれど、決して短くはない。限りはある。
でも、サムデイ、ネクストタイムで良いんだ。
急がないとこれが出来なくなるとか、これをするにはあれを諦めないといけないとか。
そんな風にしてしまっているのは、自分の頭なのかもしれない。
ぼんやりと「いつかやりたいな」じゃ辿り着けないかもしれない。ぼんやりと「いつかアフリカに行ってみたいな」という考えでは多分アフリカには来れなかっただろう。
でも、本当にしたいことの前を、急いでせかせかと通り過ぎてしまったり、焦っていろんなことを犠牲にしすぎて、大事なものを大事に出来なければやはり問題だ。
やりたいことはやりたい。
でも、ポレポレ、ハクナマタータ、焦ることなく出来ることをじっくり順に大事にやっていけば良い。サムデイネクストタイムでも良いじゃないか。
この旅が最後とかの決めつけは良くないし、結婚すれば何も出来ないとか、旅を続けていればまともに生きていけないとか。
自分がやりたいことを胸に置いて、焦らずのんびり。
旅で会えた景色や人々に感謝して。
あとがきなんて野暮ったいものを書くのは好きじゃない。
でも、今回の話は、自分のようにウツとかメンタルが弱っちゃって、困っている人が元気になったら良いなと思ったので、あとがきを添えることにした。
ウツになると、周りに随分と迷惑をかけるように感じる。実際、今回の件で、妻には随分苦労をかけたし、会社、お客様、そして傷病手当を使わせてもらっているので、ある意味では健康保険を支払っている日本国民みんなのお世話になった。
でも、迷惑をかけている、悪いことと感じるのはやめることにした。
ありがとうございますで良いや、って。
実際には、そんな気持ちになれるのは、随分と回復した後のことで、メンタルが落ちていると、全てのことに申し訳ない気持ちになる。迷惑をかけて申し訳ない。そう思うなら、頑張って働け。でも、どうにも立ち上がれない自分が申し訳ない。畳なんて買いに行く元気があるなら、さっさと仕事しろ。って。
女の人は分からないけれど、現代日本の男っていうのは弱いもので、仕事ができない、働けなくなったら、金を稼いで来れなくなったら、生きている価値がないと思ってしまう。
それで、壊れるまで働き続けてしまう。
悲しいかな、日本の男は弱い。
本編の中でも書いたが、息子が「お父さんとお母さんと一緒が良い」という一言で、僕は金を稼いで来なくても自分が存在しているだけのことを心から求めてくれている人がいることに気付けた。
お話としては本当に序盤の方だけど、本質的にはその一言で僕はもう立ち直っていたのかもしれないとも思う。
もしかすると、これを読んでいる人には、
「いや、オレには子どももいないからな」
と思う人もいるかもしれない。あるいは、
「子どもはお金とか分からないからでしょ」
そう思う人もいるかもしれない。
確かに、僕にはまだ言葉もおぼつかないくらいの小さい息子がいてくれて、絶妙なタイミングでその言葉をもらえたことは幸運だった。
でも、彼の言葉は本質的なことを言っていると思う。
お金などは関係なく、自分が好きな人たちが仲良く楽しそうに一緒に生きていてくれたら嬉しい。
子どもじゃなくてもそう感じるのは自然なことだと思う。
家族であれ、友人であれ。
「あの人、元気にしてるかな」
ってふとした時に考える。別にその人が元気だからって、直接的に自分にお金なんかくれないし、何か具体的なメリットがあるわけでもない。それでも、ただぼんやりと、あの人、元気にしてるかなって考える。
かと言って、その誰かのために生きなきゃいけないとか、負担に思う必要はない。
まあ、僕も、息子にその言葉をもらった時には、参ったな、もう頑張るのは嫌だから、楽になりたいのに、そんなこと言われちゃうと参るな、と思った。本編に書いた通りだ。
でも、自分には価値がない、生きていても意味がないと感じても、誰かしらそんな風に思ってくれる人はいる。別にその人のために無理して頑張らなくても良い。頑張れない時は頑張れないので、落ち込んでいれば良い。ただ、そういう人がいるということだけは確かだ。
その点、アフリカの人たちは強いなと思う。散々走って、肌身で感じて来たけれど、どうしてそんなに強いのかは分からなかった。
先の見えない貧乏。仕事がなくて村の入り口で一日中ぼんやりと過ごすだけの日々。でも、彼らにはネガティブな雰囲気はない。ギブミーマネーについては随分と考えさせられたが、どこか明るい。
もちろん、ちょろっと走って、表面をなでただけなので、彼らの本当のところは分からない。一見、明るいように見えるが、実はすごく暗いかもしれない。でも、多分、そんなことはないと思う。
(余談だが、アフリカ人たちのその辺の事情は、小川さやかさんのアフリカのインフォーマル経済について書かれている本が詳しい。それこそタンザニアで長く暮らして研究されている。彼らが貯金を持たないのは、実のところ、お金という形で財産を持たず、複数のビジネスを所有することでまわしていくというカルチャーにあるという。ディープで面白い。)
多くの人が子どものうちに死んでしまう中で生き延びた人だけが大人になる。言うなれば、生物として弱肉強食を生き抜いた人々だからだろうか。
あるいは人間の起源の大地が作る強さだろうか。
別にアフリカに行ったら良いとは思わない。
実際、アフリカに行っても、僕はあっさりとウツになってダメになったわけだし。
でも、今、自分が考えている世界だけが全てだと思わない方が良い。
ウツになると、全てに絶望して、自分の存在は意味がないと思う。仕事に戻れないとダメだと思ってしまう。もう先に希望が見えない、絶望だと感じ、死にたいと思う。
だけど、それは今の自分が考えている限定的な世界でのことだけだ。
繰り返すけど、アフリカに行けば良いってわけじゃない。日本を脱出しろってことでもない。
物理的な場所を変えなくたって、自分が考える世界は変わる。
実際、今日まで死なずに何とか生きてきたんだから。
だけど、確かにその考え方の世界では行き詰ってしまう日が来て、ウツになる。
自分が考える世界を変えるなんて難しいことのように感じる。やろうとして出来るものじゃない。だけど、変わる必要があって、ウツとか心の不調になって現れる。
無理して変えようと思っても変えられない。何をすれば良いということもない。
ただ、今の自分が考えている世界だけがすべてじゃない。
ある日、ふとしたきっかけで変わって、また生きていける日が来る。永遠にそんな日が来ないかもしれないと絶望する気持ちはとてもよく分かる。
でも、世界は一つじゃない。
それだけは知っていたら、楽だと思う。
それから、ウツになるのも、悪いことじゃない。
例えば、ウツにならないと、僕はこのアフリカの話を書ける日は来なかったかもしれない。せっかくアフリカに行ったのに風化したかもしれない。
曼荼羅を描くこともなかったかもしれない。
本編では描かなかったけれど、ウツになったおかげで、三歳の子どもとたくさん遊ぶ時間が取れた。北海道の旅行以来、彼は飛行機がとても好きになったので、ペーパークラフトを作って遊ぶ。海外のサイトで、飛行機マニアの人たちが無料で公開してるPDFがあるので、それをコンビニでカラーコピーして一緒に作って遊ぶのだ。とても楽しかった。
住宅の仕事としても、営業だとどうしても限度がある。自分で作れるようになれば新築だけじゃなくて、リフォームなんかの技術も分かるようになるかもしれない。新築とリフォームはかなり違うんだけど。でも、営業だとマーケティングだったり、対人コミュニケーションの研究なんかに比重が強い。家のことをもっと詳しくなろうと思うと大工さんっていうのは良いと思う。ライフワークとして住宅と向き合うなら、営業から大工に転身するのは、すごく良いことだ。
ウツにならなかったら、三十代から見習い大工なんて思い切ったことは出来なかっただろう。日々が忙しくてアフリカのことなんて思い出す暇もなかったかもしれない。子どもとの時間もなかった。
ウツになったからできることっていうのは結構たくさんある。
お金の面についても、確かに、給料はすこぶる下がる。
でも、それも考え方ひとつで、来年の年収は下がるかもしれないけど、体を動かす仕事は健康に良いかもしれない。そうなると医療費なんかを考えれば安く抑えられるかもしれない。それはさすがに突飛もないかもしれないけれど、技術が身に着けばちゃんと収入も増える。少なくとも大工に定年退職はない。実際、死ぬ一カ月前まで現場で働いていた大工さんもいた。サラリーマンだと、人生百年時代、無職の老後生活が四十年近くあるかもしれない。そう考えると、人生全体での収入は、意外と高いと言えるかもしれない。
そんなお金の面でのメリットは後付けのことだ。大工しようって思って、棟梁に電話して、
「すみません、この前のことですけど、もしかすると社交辞令だったのかもしれませんが、本当に働かせてもらうことって出来ますか?」
ってお願いして、会って詳しく給料の話なんかを聞いて、悩んでから、後からどんどん付け足していったポジティブシンキングみたいな面も強い。
もしかすると、二階から落ちて、あっさり働けなくなるかもしれないし、やってみないと分からない。
でも、そのポジティブシンキングも、改めて向き合ってみて、うん、アリだな、お金のことはひとまずなんとかなるし、大工ってウキウキするな、そうやって納得できたんだからオーケーだと思っている。
ウツになる前にはできない考え方だ。
そういうのが、「自分が考えている世界が変わる」ってことだと僕は思う。
前の世界がダメってわけでもないけれど、突き当たっちゃったら、自分が考える世界を変えていけば良い。
どうしたら良いっていう具体的な方法がないのが難しいところだけど。
実際には物理的なことは変わっていないかもしれない。
辞めることになった住宅会社だって、実のところ、きちんとした家をお客さんに提供している。確かに施工ミスが起きることもある。まあ、これは建築特有のことかもしれない。残念なことに建築は施工ミスが起きる。いや、実際には、ミスっていうのはどの業種でも起きている。ただ、工場の場合は出荷前に検品して、欠陥品は外すことも出来る。家は何個も同じものを作らない。その土地に建てられる家は一軒だけで、検品してみて、粗悪品だったら外すっていうことも出来ない。もっと他の業種みたいにシステマティックにして、ミスをなくせばいいのにとも考えるのだけれど、家っていうのは、大昔から、根本的には変わらない。もちろん、木材を工場プレカットできるようになって、電動工具や大きな重機も使えるようになって、水に強い素材なんかも出来て、進化している面はあるけれど、根本の部分は、職人が手作業で建物というのは出来ていく。特に木造は、木という生き物を相手にするから、木は変形もする。いろんな職人が入って一軒の家が出来る。やっぱりその中で、ミスは起きることもある。これは、大きな有名メーカーでも、地域の小さい工務店でもどこでも同じだ。
つまり、何が言いたいかって言えば。その会社はちゃんとした普通の工務店だったということ。これは自分が所属していたからとか、今後、大工の仕事をしていく上での忖度とか、まあ、そういうのもゼロではないけれど、そういうのを差し引いて客観的に見ても、良い工務店だと思う。
じゃあ、そこを辞めた僕が悪いのか、っていうとそれもまた違う。
良い悪いの問題ではなく、以前の僕の世界では、そこに居続けられなかったし、新しく変わった僕の世界では、その気になれば、居続けることも可能だったけれど、そこにいるよりも他の何かをしてみたいという気持ちになった。その中で、大工さんっていうのは、とてもしっくり来た。それだけのことだ。
実のところ、自分の見る世界は刻一刻と変わって行っている。だけど、普段は変化が緩やかなので分からない。ただ、人生の中で、時々、大きく動くタイミングがある。
前の自分が悪い、新しい自分が良いとかそういうことではない。
よく自己啓発本やスピリチュアルなお話の中では、新しい自分、成長した自分そういうことを褒めたたえるものがあるけれど、僕はそうは考えない。
良い悪いなんていう評価は、環境の決める方向性次第だ。
アフリカと日本ではそれが全く違う。
アフリカが貧乏だから悪くて、日本は豊かだから良い。アフリカは精神性が豊かで、日本は貧しい。
そういうわけじゃない。
僕らは言葉で生きている。アフリカの人々の生き方、考え方、精神性みたいなものを高いとか低いとか、まあ、何かしら表現しようと試みる。高い低いという評価の仕方も怪しいもんだし、そもそも生き方、考え方、精神性とかっていう言葉自体も怪しい。精神性という言葉だけ見ても、何となく高尚な雰囲気のある言葉だ。言葉自体に、付随するイメージみたいなものがあり、それに引きずられる。
言葉にはプラスかマイナスかのニュアンスがある。陰と陽とでも言っても良いし、何とでも良いのだが、善悪、良い悪い、高い低い、二元的に評価を含むようになっている。これは世界中どこの言葉でもそうだ。良い悪い以外の三個目の方向性っていうのはない。中立っていうのは、あくまで良いと悪いの中間であって、三個目の方向性ではない。せいぜい、良い悪いという基準に、別の基準を組み合わせるくらいまでだ。良い悪い、に高い低いなんかを組み合わせて、高くて良いもの、低くて良いもの、高くて悪いもの、低くて悪いもの、と複雑なように見せられる。
僕らの脳みそは実はもっと複雑にものごとを感じているのだけど、言葉で表現しようとすると、二元的に良い悪いとしか表せなくなってしまう。
そして、それを繰り返しているうちに、僕らは、世界のいろんな物事を良い悪いで表すのが当たり前のようになっていて、ある事象に対して良い悪いのレッテルを貼って生きている。
これは、言葉を使う限り逃れられない。
だけれど、言葉が無いと、説明も出来ないし、コミュニケーションも取れない。
言葉は僕らが生きている世界を満たしている。
知らず知らずのうちに、言葉によって僕らは思い込んでいる。言葉に引きずられて生きている。
そういう意味でも、スワヒリ語の世界は良かったのかもしれない。言葉を覚えてコミュニケーションが出来るようになっていく楽しみはあれど、良い悪いのような難しい話は出来ない。腹が減った、冷たいビール。ジャー、ビア、バリディ、サーナ。あえて言うなら、バリディ、サーナ、英語だとベリーコールドという部分が、冷たい熱いの評価を表してはいるが、難しい価値観なんかはない。
泊まった宿が綺麗か汚いかなど、サービスがどうこうでとても良い宿だ、料理が上手くて親切だ。そういうのは心の中で日本語ではいうものの、現地の人とそんな話はしない。だから、ニュートラルでいられる。言語の通じない世界を一人きりで旅するというのは、そんな面でもすっきりしていられるのかもしれない。
少し話は脱線して言葉がどうこうという話にもなったけれど、自分の新しい世界を持つというのは、言うなればそういう自分を満たす言葉に対してのアップデートのようなニュアンスもあるんじゃないかと思う。
そう、世界は変わらないんだけれど、世界を表現する言葉は人によって随分違う。その言葉の受け取り方も違うし、その言葉から刷り込まれたイメージ、常識というのも随分と違う。
本編では森の中のカウンセラー氏が出て来て、あっさりと治ったような話になっているが。
実のところ、僕は幼い頃のトラウマから来るインナーチャイルドがすべての原因だったとは思ってはいない。そもそも何が原因と言うことはなく、世界の持ち方の問題だから、原因を探すとすれば、生きていて触れて来たもの、それをどう言葉にしてきたか、どういう言葉の表現に、どう触れて、どう世界を構築してきたかとなるから、何か一つが原因ということはない。
ただ、涙を流すというのはとても良かったんだと思う。
言葉で説明しようとしても、原因などはあるようでない。だけど、人生が行き詰ってしまっていて、それを開こうと思うと、感情だったりを一度開放するようなことが必要になるのかもしれない。
こうして言葉で書いているのに、矛盾するけれど、言葉の問題は言葉では解決できない。(繰り返すが、それは問題でもないし、解決するものでもない。あくまで言葉で説明するならそういう表現になるだろうということ)
言葉を使わずに、人間の生の感情に触れるようなことが必要になるのだろう。
そのための手段の一つとして、カウンセラー氏は幼少期のトラウマを使ったとも言えるんじゃないだろうか。
まあ、そんなのは手品の種明かしみたいなものだったり、こじつけだったりするのかもしれないけれど。
心理学やカウンセリングというのは、そういう実験を繰り返してきて、人間の心の状態をニュートラルにする、感情を開きやすくするという手法をいくつも持っているのかもしれない。
とはいえ、やっぱり言葉じゃないところにアプローチするので、本を読んですぐ身に着けられるとか、そういうものではないのだろう。
確かにお金を稼ぐのに都合の良い世界の持ち方だったり、属している環境で周囲とぶつかりにくいような世界の持ち方だったり、そういうのはあるかもしれないけれど。
お金があれば幸せか、周囲の人とぶつからないでいれば幸せかと聞かれると、それはやっぱり微妙なものだ。
ヴィクトール・フランクルの言う通り、人間が人生に対して意味を問うのではなく、人生が人間に意味を問うている。人生の段階ごとに、人生は何かを問うてくる。それに対して、都度、答えていく。だから、一概に幸せということは定義できないし、お金があれば幸せというのも、確かに人生のある段階ではそうかもしれないが、そうじゃなくなってしまうこともある。
これまでとは大きく違う新しい世界を持たないといけなくなることが人生にはあるのだろう。
「そんなこと言っても、あんたみたいなマザコンのへろへろメンタルでの軽いウツ症状じゃなくて、私はもっと重症なんだ。畳なんて買いに行く余裕もないんだ」
「そんな言葉遊びみたいな話じゃなくて、もっと具体的なハウツーみたいな方法はないのか」
と思う人もいるかもしれない。
そういう場合、どうしたら良いんだろう。
僕も専門家じゃないから分からない。
もしかすると、未来の僕がそういう状態になってしまう可能性もゼロじゃない。
絶望って本当に突然フタが開いてやってくるから、気付かないから。
でも、多分だけど、この文章をここまで読んでるってことは、心は元気になる方向に向かって準備し始めているってことだと思う。
あとは、きっかけがあれば、もう一度立ち上がって、人生に抵抗し始めることが出来ると思う。
最後に、今回散々迷惑をかけて、お世話になった人たちに、心から感謝します。
2024年1月25日 発行 初版
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文が世界の全てだとは思わないですが。文を愛する人は世界を愛する人だと思うので、僕は今日も文を書いています。