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中国清代の官吏にして作家である紀暁嵐の『閲微草堂筆記』から「槐西雑志」、卷十一 ~十四の後半(巻十三~十四)の翻訳である。内容は、怪談、奇談を中心とした作者の解説を含むもの。私たち日本人の知らない、中国の世間話、庶民から役人の生活、そして怪異の世界とその状況を覗いてみよう!

中国 明・清代 怪談 奇談 論談
閲微草堂筆記5

紀 暁嵐著

渡邉義一郎訳


CAアーカイブ出版



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  この本はタチヨミ版です。

 目 次

閲微草堂筆記 卷十三 槐西雑志 3

一四九、客死者の魂/ 一五〇、三人の妻のこと/ 一五一、夫の言いなりの果て/ 一五二、夫婦も様々/ 一五三、女の決断/ 一五四、仙人を目指した果てに/ 一五五、神の任免/ 一五六、幽霊の弁解/ 一五七、潔白の現し方/ 一五八、新郎が怖がる新婦/ 一五九、衰えの悪い気/ 一六〇、祭祀は欠かせない/ 一六一、どこでも神は見ている/ 一六二、幽霊に見える秘事/ 一六三、曖昧について/ 一六四、遠くて近き血縁/ 一六五、精霊と闘うべきか否か/ 一六六、タマゴが先か鶏が先か?/ 一六七、老キツネの見識/ 一六八、死んだときの赤い服
/ 一六九、早期の対策も時には/ 一七〇、博打の借金/ 一七一、祖先を祭る/ 一七二、人の行いを神は見ている/ 一七三、村の出来事/ 一七四、幽霊の人探し/ 一七五、銃砲を恐れる妖怪/ 一七六、自分自身をからかう/ 一七七、骨肉の争い/ 一七八、代わりを求める幽霊/ 一七九、空飛ぶ女、不思議な野獣は古代から/ 一八〇、二度目の別れ/ 一八一、夫婦円満の智慧/ 一八二、消えない精気/ 一八三、竜巻の不思議/ 一八四、仙人の住む山/ 一八五、精霊の声に呼応する/ 一八六、警鐘! 二話/ 一八七、新疆での兄弟叛乱/ 一八八、権力の乱用/ 一八九、神の警告/ 一九〇、信仰心と懺悔/ 一九一、判らない娘/ 一九二、キツネの理屈/ 一九三、キツネの友情/ 一九四、よくある女に騙される一例/ 一九五、死しても精気は尽きず/ 一九六、先に腐り後に虫がでる/ 一九七、役人の私設秘書/ 一九八、咬龍に犯された男/ 一九九、骨壺の幽霊/ 二〇〇、現世の恩怨を来世で返す/ 二〇一、君子とキツネ/ 二〇二、身に沁みる話/ 二〇三、名も知らぬ尼僧/ 二〇四、本当の愚か者/ 二〇五、天の道理/ 二〇六、嫌われる人/ 二〇七、婚約者の逝去/ 二〇八、神様は祭祀を喜ぶか?/ 二〇九、外患起これば内患あり/ 二一〇、きっかけ/ 二一一、猫の仕返し/ 二一二、二百年して生れ変わる/ 二一三、親しさの中の愚かさ/ 二一四、幽霊が出来ないこと/ 二一五、新疆の戦跡。北庭都護府/ 二一六、小さな要害/ 二一七、山中の岩画/ 二一八、神のいたずら/ 二一九、感謝に来た幽霊/ 二二〇、地獄よりも良い所/ 二二一、道を教えた幽霊/ 二二二、樹齢数千年の漢方薬/ 二二三、詩人と名妓氏/ 二二四、進退の見極め/ 二二五、夢と現実/ 二二六、骨折を治す貨幣/ 二二七、博打場と妓女と/ 二二八、牛の恩讐/ 二二九、亡き者を裏切る


卷十四 槐西雑志  4

二三〇、天女と豚/ 二三一、冥界からの災い/ 二三二、戦いの見極め/ 二三三、天地の気が通る所/ 二三四、血を吸った刀剣/ 二三五、古代の壁画書道
/ 二三六、漁業の施策/ 二三七、幽霊の議論/ 二三八、キツネに騙された儒学者/ 二三九、暗闇でも見える/ 二四〇、人を賢くする/ 二四一、幽霊についての議論/ 二四二、自分を護るウソ/ 二四三、硯のうめき声/ 二四四、毒キノコの解毒/ 二四五、気の祟り/ 二四六、他人の話を聞きすぎるな/ 二四七、才能ある巫女/ 二四八、後ろの後ろ/ 二四九、他人の呪い/ 二五〇、状況が見えない/ 二五一、小人の逆手/ 二五二、報復のやりすぎ/ 二五三、寿命を延ばす後悔/ 二五四、儒教と仏教の争い/ 二五五、旧い幽霊のふりをする/ 二五六、偉大な智恵/ 二五七、硯の名品/ 二五八、見える、見えない/ 二五九、儀礼か孝行か/ 二六〇、変身、また変身/ 二六一、貞烈の意気/ 二六二、貸借は同額返済/ 二六三、孝行は天に通ず/ 二六四、野獣の野心/ 二六五、神聖な原則/ 二六六、田舎の情報伝達/ 二六七、別居の夫を癒す仙/ 二六八、遊女対キツネ/ 二六九、思い違い/ 二七〇、狡猾な幽霊/ 二七一、キツネの愛情なのか?/ 二七二、肉体と魂の離別と結合/ 二七三、幽霊の思い/ 二七四、幽霊の心情/ 二七五、正義が抑止力/ 二七六、人形の変身/ 二七七、運命の真実/ 二七八、真実の物/ 二七九、生き物を愛した/ 二八〇、体は心によって変わる/ 二八一、死んでも自覚しない人/ 二八二、恩讐の因縁/ 二八三、神降ろしの真偽/ 二八四、皇帝の威信/ 二八五、占いの見透し/ 二八六、不思議な絵/ 二八七、キツネが恨みを晴らす/ 二八八、キツネの祟り/ 二八九、宗教の闇/ 二九〇、隠れた善人の表象

*本書は『閲微草堂筆記』4(卷十一、十二) の「槐西雑志」の後編(巻十三、十四)である。
*本文中の【】内は著者注。()は訳者注。行間の*:は訳者の説明注記。



本書の発行に当たっては、
ロンレア(隴来)株式会社の
ご支援を頂きました。


閲微草堂筆記
卷十三 槐西雑志 3

一四九、客死者の魂

 乾隆丁卯年、私と同じ時期に科挙に合格した郭彤綸氏は、戊辰科挙考試を受けるため、新中駅の旅館に滞在していた。 夜、彼はランプの下で一人詩を吟唱していたところ、窓の外で誰かが「先生、あなたは学生さんですか? 西の壁に詩が掛けてあります。何の詩か教えてください。」と言うのが聞こえた。外へ出てみたが誰もいなかった。西の壁へ行き壁のホコリを祓って探してみると、“旅舎で病に臥す”という詩、八句があった。詩文は非常に苦悩した痛みを感じるものであったが、粗雑でよく意味が判らない。壁に書かれたものは、気持ち悪いものと言われるが、書くことが好きな人は、死ぬまでそれを止めないものか? それとも、郭彤綸氏に、ここの旅館で死んだ人の名前を知らせて、その家族が彼の骨を引き取りに来て、故郷へ運んでくれることを願って書いた詩なのだろうか?

一五〇、三人の妻のこと

 下男の宋遇は、三回結婚したが、最初の妻は結婚以来一度も一緒に寝ず、後に離婚した。次の妻は双子を産みたかったが、育児が面倒で母乳も足りないと思い、妻を不妊にする薬を探した。王婆さんの言葉を信じて、包丁をとぐ砥石を粉末にして妻に飲ませると、砥石の粉が腸や胃に蓄積して死んでしまった。 その後、宋遇は重病にかかり、まるで誰かと議論しているかのように話出した。意識を取り戻した後、彼は三番目の妻に静かにこう言った。「最初の妻と離婚する前に、両親はすでにある人から持参金を受け取り、妻が別の男と結婚する日取りに同意していました。妻はまだそれを知りませんでしたが、前夜、私は彼女を誘い、一緒に寝ようとしたので、彼女は私が気が変わったと思い、喜んで私に抱かれました。
 朝の五時すぎ、彼女と私がまだ一緒に寝ているときに、太鼓が鳴り始め、妻が嫁ぐ婚礼の行列がやって来て、妻は怒りながらも連れて行かれた。しかし、仲人は後に夫となる人に『男性と寝たことはない』と話しており、母も兄も同じことを言っていた。婚礼の晩、彼女が処女ではないことが判明し、疑われ、非難され、最終的にはうつ病で亡くなりました。二番目の妻はもともと砥石の粉を飲むことを拒否したのだが、私は彼女を強く叩き、無理やり飲み込ませたのです。彼女が死んだ後、彼女が復讐のために悪い幽霊に変わるのではないかと心配したので、巫婆たちにお金を払って災難を防ぐためにやるべきことは何でもさせました。今また呆然と彼女らが見えるのて、私は決して助かろうとは思っていません。」案の定、宋遇はその後すぐに亡くなった。

一五一、夫の言いなりの果て

 ある下男の王成という男は、性質が偏屈で変わり者である。彼は妻と仲良くして笑っているかと思うと、突然妻に横になれと言ってムチで妻を打ち、その後もまた平然と妻と一緒に笑い続けていた。時々、ムチ打ちの最中に、彼は突然妻を抱きしめて笑い、それから「もう何回かムチで打たないと勘弁できない」と言い、それでまた妻に横になれと命令した。 このように、この王成は昼夜を問わず、何度か不機嫌になることがある。 彼の妻はトラと同じように夫を恐れており、彼が機嫌が良いときはあえて笑ったふりをせず、怒っているときはあえて相手にせず、耐えていた。
 ある日、彼女は泣きながら亡き義母に訴えた。義母は王成を呼んで何が起こっているのか尋ねた。王成はひざまずいて、「私は何のことか知りませんし、何でも知っている訳もありません。突然かわいいと感じたり、突然彼女が憎たらしいと感じることがあるだけです。」と言った。母は「それは人間の感情として意味がありません。おそらく仏教で言うところの、前世の恨みを言っているに違いありません!」と言い、彼女は嫁(王成の妻)が自殺するのではと心配して、二人を一緒に送り返した。後で聞いたところによると、王成は病死し、妻は赤い服を着ていたという(紅い服を着る夢は良いことの予兆)。

一五二、夫婦も様々

 夫が妻を指導するのは当然のことである。 ただし、夫は皇帝ほど高貴ではなく、夫は父親ほど親密ではないため、「妻」という言葉は夫と同等を意味する「斉」とも解釈される。したがって、夫婦の関係は合理的でなければならない。宋遇は誤って後妻を殺してしまったが、その罪はあまりにも凶悪だった。 最初の妻は離婚し、別の人に嫁いでおり、その恩義はもはや存在せず、夫婦とみなされるべきではなく、彼は他人の婚約者を誘惑したのと同じである。その結果、彼女はうつ病で亡くなったが、彼女が命を亡くした賠償を求めるのは当然のことであった。王成は残忍で暴力的であったが、妻を殺したわけではなく、二人が同じ家に一緒にいれば一日の間、妻は彼を夫として扱うべきであった。夫が亡くなったのに、彼女は喪服を着ずに赤い服を着ていたが、これは倫理に反し、無秩序であった。彼女は虐待されていたので、隣人に非難されることもない。
 
一五三、女の決断

 呉惠叔さんの話である。太湖(江蘇省南部の湖)に娘を嫁にやった漁師がいた。結婚式の船が湖の真ん中まで行くと、突風と波が起こった。急なことで舵取りは何もできず、船は傾いて沈みそうになり、乗っていた全員が絶望し、抱き合って激しく泣いた。そのとき、突然、花嫁が垂れ幕を引き裂いて飛び出した。片手で舵を持ち、もう片方の手で帆の綱を握った。船は風と波に逆らって進み、新郎の家に直行した。この出来事は吉日吉時に起こり、吉時は過ぎていなかった。洞庭地域ではこの奇談伝説が逸話として残っている。呉惠叔さんは、「この花嫁はもともと漁師の娘で、毎日船の舳先で竿を持ち、舵を握っていた。宋伯姬に似ていないからといって彼女を責めるわけにはいかない。(女でも緊急時には生き残る咄嗟の対応をとるべきだ)」と語った。
 *宋伯姬:春秋時代、鲁国王族の女性。宋の共公の夫人。宮殿で火事が起こったとき、宮中の礼を守り、宮殿内に残り焼死した。
 また、我が郡に焦という名前の娘がいて、どこの県の出身だか忘れたが、彼女の両親が結納を受け取ってある人と婚約したという話を聞いた。しかし、この娘を側室にしたいという人がいたため、この娘が不貞であるという噂が立ち、嫁ぐはずの家族はそれを聞いて婚約解消を考えた。娘の父親は役所に訴えたが、噂の元を探すことは出来ず、決定的な証拠が見つからないばかりか、娘の元恋人まで現れる始末であった。
 事が緊急重大であると判断した娘は、近所の老婆に頼み、婚約者の家に連れて行ってくれるように頼み、義母に会い、こう言った。「自分が貞淑であるかどうかは、自分で判断することができます。私は役所の中で調べられて恥をかくより、自分の恥ずかしさをお義母さんの前で見せたほうがいい。」 そう言って彼女は戸を閉め、服を脱いで義母に診察を頼んだ。訴訟は直ちに和解した。この娘は、婚礼の船を操舵した花嫁よりも礼節も何もかも超えているが、生死にかかわる重大な瞬間には、時にはこうしなければならないこともある。それらの道学者は、時として他人に死をちらつかせることをいとわないが、それは通常、人々を納得させることができることではない。

一五四、仙人を目指した果てに

 楊雨亭は言った。労山の奥深くで、樹や岩の間に直立して座っている男がいた。彼の体の色は樹や岩と同じだが、彼はまだ呼吸しており、目はまだ明るく輝き周囲を見渡すことができた。この人は水銀修煉という煉成法を行っていたが【嬰児煉成とも】、それを完成させたかに見えたが、閉じ込められて出られなくなったのである。このように生きもせず死にもせずにいるなら、道を修めることに何の価値があるのだろうか? それどころか、幽霊になって自由に生きた方が良いであろう。おそらく、仙人は(不滅の者は)不滅の骨を持ち、その本質は純粋で空虚であり、仙人は(不死の者は)不滅の運命を持ち、その唱える言葉は人に伝えられるのであろう。真の伝授を得ることなく、意のままに不死を実践して害を被った人は一人や二人ではないが、この人はそのよい教訓である。それと「刀で頭を切れば解脱できる」と言う人もいるが、これも推測だが、言うほど簡単なことではない。

一五五、神の任免

 昔は役人の大夫が五種の家神を祀っていたが、今、家では台所のかまど神だけを祀っている。例えば、門の神、井戸の神、便所の神、天窓の神など、祭るものと祭らないものがある。かまどの神様は天下に一人なのか、それともどの町や村にもいるのか? あるいは、どの家庭にもかまどの神様がいるのか、判らない? 天下に一人のかまど神様なら、火の神様と同じように、祭祀があるはずだが今はない。
 すべての都市、村に都市神と土地神と同様にかまどの神がいるなら、そこに神様を祀る神殿がなければならないが、今ではかまど神を祀る神殿はどこにもない。すべての家庭にかまどの神様がいるとしたら、ガンジス川の砂の数と同じくらい、世界中にかまどの神様がいるということになるが、そんなに多くはないようだ。こんなにたくさんのかまどの神様を監督しているのは誰なのか? それは誰が彼を任命したのか? 神様が多すぎるような気がしないか?
 人は家をしばしば移り住みかえ、盛衰を繰り返すが、何もすることがなくなったかまどの神はどこにいるのか? 新しく出来た家のかまど神はどこから来るのであろうか? かまどの神は毎日任命されたり解任されたり移動したりしなければならないが、あまりにも煩わしすぎないか? これらの質問は本当に理解するのが難しい。しかし、かまど神に遭遇することはよくある。私が子供の頃、祖父の雪峰張公の家で飯炊きをしていた老婦人が、汚れたものやゴミをよくかまどに投げ入れ、燃やしているのを見た。
 ある夜、彼女は黒服を着た男に叱られ、口を殴られる夢を見た。目が覚めると頬が大きな膿疱に腫れ上がり、数日で茶碗ほどの大きさになり、口の中で化膿して膿が出て、息を吸うと口から膿が出てきた。そして膿が喉に流れ込み、吐き気と嘔吐を引き起こし、気分が悪くなり、死にそうになった。その後、彼女はかまど神に誓いを立て、回復するまで敬虔に祈り続け、傷は癒えた。これをどう説明すればいいであろうか? ある人は言った。「人が家に神社を建てるということは、そこには必ず幽霊が憑いているに違いない。祭祀を捧げる場所があれば神も存在するが、その場所が放棄されれ神は消えてしまう。それは必ずしも天の神が一つ一つ指定するものではないかもしれない。」それは、そうかも知れない。

一五六、幽霊の弁解

 孫葉飛さんはある夜、山村の民家に泊まったとき、了鳥の声を聞いた。【それは門の鉄クサリのことである。この二つの文字(了鳥)は李義山の詩の中に使われている「叮咚・ディンドン」という音である。】 「誰だ?」と孫さんが尋ねると、誰かが門の外でささやいた。「私は幽霊でも妖怪でもありません。私は近所の娘です。あなたに言いたいことがあります。」孫さんは言った。「誰があなたを幽霊、妖怪と呼びましたか? あなたが先に幽霊でも妖怪でもありませんと言ったのです。あなたは、それを隠そうとしているのではありませんか?」もう一度それを聞くと、外は静まり返った。

一五七、潔白の現し方

 崔崇屽さんは山西・汾陽(今の山西省中部西寄りの汾陽市)出身で、ある店に雇われ絹を売って生計を立てており、数年の間、上谷(今の河北省張家口市懷来県)と雲中(今の内モンゴル自治区托克托の東北)の間を行き来していた。ある年、彼は銀貨十数両以上の損をだし、仕事仲間たちは時々不平を言った。崔崇屽さんは激怒し、刀で自分の腹を刺して自殺し、腸が数寸もはみだし瀕死の状態になった。店の主人は彼が死ぬ前に、急いで地元の役人とその妻に連絡して立ち会わせ、「何が不満なのか?」と尋ねたところ、崔崇屽さんは「私は商売が下手なので、ご主人様のお金を失くしてしまいました。本当に恥ずかしい限りです。私は自分自身のことなので、もう生きたくありません。他人には関係ありません。すぐにあの世へ送ってください。他人をこのことに巻き込まないでください。」と言った。
 店の主人は非常に感動し、葬儀費用として妻に銀貨数十枚を渡した。崔崇屽さんは瀕死の状態で、ただ死を待つばかりだった。医師が彼の腸を腹部に戻し、傷口を縫合し、薬を塗ると、やがて、かさぶたができ、そして彼はゆっくりと回復した。
 だが肛門が密閉されているので、大腸の傷跡から便が体外に出ていた。その後、彼はさらに貧しくなり、妻を売ったほどである。一緒に絹を売っていた仲間は彼を憐れみ、彼が生活できるように絹を与えた。こうして徐々に生活は好転し、妻を娶って子供も生まれたが、乾隆の癸巳、甲午年間に七〇歳で亡くなった。
 同郷の劉炳が彼の自伝のようなものを書いてやった。侍御使・曹受之が私に読ませようと、それを書き写してくれたので、その要旨を抜粋してこの話を書いた。
 商売をしていると損失が出るのはよくあることだが、崔崇屽さんは銀貨十数両のことで自殺したので、命を軽んじすぎたと言える。彼の本心は利己的な動機は全くなかったが、その行為が横領に見られる面もあり、悔しさを感じて自分の本心を表現できず、潔白を証明するために死を持って現すという厳しい人物であることが想像できる。彼は死に際に、役所に何も疑われないように公の場で告げ、家族が訴訟を起こさないように妻にも真剣に告げたというならば、彼の意図はもっと誠実なものではないだろうか。彼は死んでいるように見えたが、死んではいなかった。それは自然の法則で、物事は奇妙に見えるが、まったく奇妙ではないのである。

一五八、新郎が怖がる新婦

 文安(今の河北省廊坊市文安県)の王紫府先輩が言った。霸州(今の河北省霸州市)のある役人の家で妻を娶ったたが、新婦の被り物(紅い絹布)が外されるやいなや、新郎は荒々しい叫び声を上げながら寝室から飛び出てきた。みんなが何が起こったのか尋ねると、新郎は「花嫁は緑色の顔で赤髪をしていて、奇怪な幽霊のようだ! 怖くなって飛び出した。」と言う。花嫁が普通の顔立ちであることは誰もが知っていたので、訳が判らず、彼らは新郎を再び寝室へ押し込んだ。そして、彼はまた叫びながら飛び出て来た。両親は彼を自分たちの寝室に戻るすよう強制したが、実際には彼は首を吊る機会を見つけ自殺していた。二人はまだ結婚していないので、女性は実家に戻らなくてはならない。
 その時、祝賀客たちはまだ解散していなかったので、花嫁の父親は娘を連れて招待客全員に礼をして、「私の娘は醜いですが、死ぬほど怖いですか!」と言った。『幽怪録』(唐代の書)は盧生が弘農の娘を娶った事を記しているが、新郎が死ぬほどではなかった所が違うだけである。これはおそらく前世からの宿怨からきた出来事であり、常識では説明できない。 この件について、もし感想を求められた偽道学者たちがいれば、間違いなくこう言うだろう、「もしかしたら、新郎は精神的に混乱していて、その時はただめまいを感じていたのかもしれない」。

一五九、衰えの悪い気

 李再瀛事務官は李漢三総督の孫であり、私が礼部(祭祀部門)にいたときの部下である。明るい気質と思慮深い人で、大いに期待していた。ところが、予期せぬことに、彼は結婚式の直後に突然亡くなった。聞くところでは、花嫁を出迎えていたとき、花嫁が神前で拝んでいると、懐に抱えていた鏡が突然地面に落ちて真っ二つに割れた。人々は不吉な兆しだと驚いたと言う。そして、一晩中幽霊の鳴き声が聞こえたそうである。これは彼の死を予感させる衰気(おとろえの気。衰退の気)の誘発によるものである。

一六〇、祭祀は欠かせない

 虎坊橋(今の北京市西城区。珠市口西大街と騾馬市大街東西、南新華街と虎坊路南の交差路口附近)に家を借りているある役人候補者がいた。誰かが言った。「この家にはキツネの精霊がいるが、誰にも危害を加えません。祭ってやれば住人は安全です。」 この役人候補者は生来ケチで、供え物をして祭ることを惜しみ、何もしなかったが、特におかしなことは起こらなかった。それから彼は側室を娶ったが、彼女が来た最初の日、部屋に一人で座っていると、窓の外で彼女の美しさと醜さについてささやく多くの声が聞こえた。彼女は恥ずかしそうに頭を下げただけで、あえて頭を上げようとはしなかった。ロウソクの火を消すと、部屋中に「吃吃、チーチー」という笑い声が聞こえた。【「笑いが絶えない」というこの一文は『飛燕外伝』(漢代の飛燕姉妹の性愛小説)にある。一部の本には「嗤嗤、チーチー。嘲笑。」と書かれているが、これは間違いである。また「咥咥、シーシー。大笑の様子、咬む、飲む」と記す者がいるが、これはおそらく毛亨の『詩傳』からである。しかしこの「咥咥」は大笑する様子であり、笑い声ではない。】
 彼女が何らかの動きをするたびに、彼らは大声でそれを知らせた。この状況は数日間続き、役人候補は(著名な道士)正乙真人に訴えた。真人の法官の王氏は言った。「キツネの妖精や幽霊は、人々に危害を加えるために出てくるならお祓いできるが、彼らがただ笑って冗談を言っているだけなら、人々に害を及ぼすことはない。それは冗談を言っているようなものである」と述べた。 「お互いに争いは起こさず、笑ったり冗談を言ったりするのは争いにはならない。王の法律でもそれを止めることはできない。男女間の個人的な事柄を、神を冒涜するために利用することは、あってはならない!」役人候補はキツネの精霊を祭るために酒と供え物を用意し、祈るしかなかった。その夜は平穏だった。彼はため息をつきながら言った。「社会的礼儀作法は避け られないことがわかった。
 国王の法律ですらこの事件を禁止することはできないとは、男女間のプライベートな些細な事柄を神を冒涜するためにどうやって利用するんだ!」と候補者役人は言った。礼拝のために酒と食事を準備するしかなく、その夜は平和であった。 彼はため息をつきながら、「今になって、慣習的な事でも祭祀と礼儀は避けられないものだと実感しました。」と語った。

一六一、どこでも神は見ている

 王符九・藤宇さんは言った。鳳皇店(今の山東省德州市陵城区鳳皇店村)のある家で、子供が母親の靴で遊んでいて、家の裏の菜園の花台の下に忘れ、父親がそれを拾った。妻は夫にどうしてあんな所へ捨てたのかと聞かれ、罵られ、言い訳も聞いてもらえず、証明するものも無く、首吊り自殺をしようとした。 すると突然、その家にキツネの妖怪が出て大騒ぎになり、女性の下着など衣類が多く盗まれ、他の所へ捨てられ、その騒ぎは半月以上続いたが、そのうち収まった。このように、靴を忘れたことは弁解することもなくはっきりし、(キツネが)密かにこの妻を助けようとしていたようだが、その理由は誰にも判らない。
 ある人はこう語った。「その妻の義母はとても厳しい人だった。彼女の家に誰かと関係を持って妊娠した下女がいた。彼女は女主人をとても怖がっていて、首を吊ろうとした。妻は密かに菜園入り口の鍵を手に入れ、菜園の柵を開けて、下女を逃げさせた。義母はあまりにも厳しく邪悪な面もあったので、神は下女を救うためにキツネの精霊を送ったのです!」と。他の人が言った。「神が妻をかばいだてするのなら、先にキツネの精霊を送って、彼女の靴を家へ戻してやれば良かったのではないか? それなら菜園にもどこにも妻子の足跡が残らなかったのに。」と言った。王符九はこう言った。「神はその因果応報(良い行いには良い報いがあり、悪い行いには悪い報いがある)を示すために足跡を見せたのです」 私も王符九の話がもっともだと思う。

一六二、幽霊に見える秘事

 巡撫(本省の軍事行政、民政、官政、刑務所、関税、水運行政などを統括していた)の胡太虚氏は幽霊が見えるそうで、彼は言った。「家の修繕のため下男たちが家を点検したことがあり、どの部屋にも幽霊が出入りしていたが、一部屋だけ静かだったそうです。聞いてみると“下男の▽✕が住んでいた部屋”だとのこと。この下男はとても不器用で何の取柄も無く、妻もごく普通の下女だった。その後、夫が亡くなり、彼の妻は生涯再婚しなかった。」
 強い女性―いわゆる烈婦と言われるような女性の中には、夫の死後、一時的に絶対、再婚しないという人もいるというが、貞淑な女性は元々、確固たる信念を持っていなければ、何十年も清貧な暮らしをすることは絶対にできない。彼女の心には長い間蓄積された正義があり、幽霊は確かに彼女に近づく勇気がなかったのである。また、幽霊を見た者が言うには、「人家にはよく幽霊が出入りしている。部屋の中で男女がからかい合ったり愛し合ったりしていると、必ずいろんな種類の幽霊が集まってきて、指差して見て笑っているのだろう。ただ、人にだけは見ない、聞こえないだけなのです。幽霊がそれを見て、すぐに避けるのは、烈婦か貞淑な妻か、親孝行で賢妻といわれる女性のどちらかです。」これは胡太虚氏の言った通りのようである。

一六三、曖昧について

 朱定遠はこう言った。ある学者が夜に座って涼を楽しんでいると、突然、屋根の上で物音が聞こえた。立ちあがって見ると、二人の女性が軒先で喧嘩していて転げ落ちて来た。そして大声で尋ねた。「先生は学者ですが、姉妹が一人の夫を共有するなどということを聞いたことがありますか? そんな習慣がありますか?」学者はとても怖がって、なにも言わなかった。女がもう一度質問すると、学者は震えてためらいながら話した。「私は人間で、人間の作法しか知りません。幽霊や幽霊の作法、キツネの精霊やキツネの精霊の作法など、私が知っているわけはありません。」二人の女は彼に唾を吐きかけ、「この人は曖昧だ。世事に明るい理解できる人を探して聞いたほうがいい」と言い、彼女らは共に去って行った。
 蘇味道(唐代の官吏、詩人。武則天時代の複雑な政治環境の中で、彼は慎重で保身的な態度をとる

ことが多く、物事の対処が曖昧であったため、「蘇模棱」〈曖昧な態度、意見、言葉遣いを意味する〉というあだ名が付けられた。)は曖昧な行動をするが、これは自己保持のための巧妙な策略である。しかし、(些細なことの)責任を回避し、悪いことをして罰せられる人はどこにでもいる。あまりにも洗練され、打算的すぎる人は、賢すぎるため、避けるべきことを避け、やるべきことをやらずに、機会を逃し、災いを残すことがよくある。この学者がキツネに叱られたのは、このような些細なことである。

一六四、遠くて近き血縁

 幽霊を見ることができる男が言った。「姓が違う養子でも、姉妹の子供や妻の姪でも、死者を祭り祈ってくれるとき、喜んで出て来てくれる幽霊は、みな生みの親であり、血縁の幽霊だ。後から親になった者は来ない。同族の場合、父親の先祖から男系子孫とその配偶者、つまり先祖から玄孫までの九代以外でも、後から親族になった者の幽霊が祭祀を楽しみに来ます。ただ、それらは脇に座って、同行しているだけで、あえて主導権を握ることはできません。ただ、于某が張某の子を養い、祭祀をするときには、後から親になった于某の幽霊が出て来ます。後でその数世代前に、于家の女性が懐妊し張家に嫁ぎ、于某の祖父を生んだことが分かった。この息子が今の于家の先祖です。これはどういうことですか? 何が起こっていたのですか?」



  タチヨミ版はここまでとなります。


中国 明・清代 怪談 奇談 論談 閲微草堂筆記5

2024年2月29日 発行 初版

著 者:紀 暁嵐
訳 者:渡辺義一郎
発 行:CAアーカイブ出版

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フリーの編集ジイさん。遺しておきたいコンテンツがあるので、電子出版したい。

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