spine
jacket

───────────────────────



奥を震わす

高橋 清彦

faint出版



───────────────────────

はじめに



 勘違いされても困るので最初に書いておきますが、本書の内容は陰謀論でもなければ都市伝説でもありません。宗教でもないですし、わし自身が何かしらの集団のトップになる氣もありません。お金も地位も権力も名誉もいりません。と、言っておいて有料なのは、すみません。はっはっはー。

 当初は無料も考えていたのですが、無料だと無価値だと判断されかねないので、有料にさせてもらいました。そして一人でも多くの人に読んでもらいたいので、この金額に設定しました。ごめんなさいね。社会人の方でしたら、大したことない金額でしょうし、学生さんでも購入してもらえるかなって感じです。だからお金儲けなんて考えていません。

 なぜならば本氣でこの本の出版に命を懸けているからです。ある人達にとっては不都合な内容になっているので、消される可能性が非常に高いんですよ。はっはっはっはー。笑い事じゃないか。ほんの少しでも共感してくれる人がいたり、一緒に考えてくれたら凄く嬉しいな~とは思います。しかしラブソングの歌詞じゃないですけど、世界中を敵に回してしまうかもしれない危険性もはらんでいるんですわ。

 ここには書きませんが、ネットで検索すればすぐに住所や顔写真は出てきます。誰でも簡単に見つけることが出来ます。本書の内容が氣にいらない人は、どういった攻撃をしてくるでしょうか。素手で来ますかね?ただ、そういう人って汚い発想をするので、誰かに依頼するかもしれませんし、道具を使うかもしれませんね。自殺に見せかけるのか、事故に見せかけるのか、どういう方法でやってくるか分かりませんが、わしが亡くなったら『ここに書かれていることが真実である。』という証明になります。もしくは、そこまで考えてわざと泳がせるかもしれませんけどね・・・。ギャング映画みたいに「震えて眠れ」的な。はっはっはっはー。

 ただわしは自分から命を絶つことは、絶対にしません。まだまだやりたい事が山程あるので、そんな事をしている場合じゃないんですよ。だってさ~今この瞬間にも苦しんでいる人、悲しんでいる人が大勢いるじゃないですか。わしらは当たり前の様に食事をして、水を飲んでるけど、それすらままならない人も大勢いるんですよ。このご時世に、都内で餓死した親子もいるぐらいです。どっかの国の話しじゃないですよ。この日本で起こっているんですよ。しかも大都会東京で!

 こんなに辛いことがありますか?遊ぶお金欲しさに他人の物を盗む奴らがいて、一方ではお腹を空かせたまま何も口にせず死んでいく。何かがおかしいんですよ。

 綺麗事と言われるかもしれません。偽善だと言われるかもしれません。確かにわしは聖人君子なんかじゃありません。だからといって黙っているわけにはいかないんです。もう嘘をつくのが嫌になったんです。中学生の時に万引きをしてしまったこともあります。またオトナになってから酒氣帯び運転で捕まったこともあります。最後まで読んでいただけたら、もっともっと分かることがありますよ。何処の馬の骨かも分からんおっさんというよりも、「こいつダメじゃん。」って言われそうです。はっはっはー。

 わしも、もう50歳を過ぎたおっちゃんですから、あなたにとって説教臭く感じるかもしれません。教えるつもりは毛頭ないですし、本心はあなたと話し合いたいと思っています。
なので映像にしようか、音声データにしようかとも考えました。でもどちらにしても『ながら』で、されたら元も子もないでしょ。だから書籍になっただけです。本当は対話をしたいんです。ながらで読まれる可能性も否定できないんですが・・・。はっはっはー。

 次のページの免責事項にも書いていますが、ネットやメディアへの複製、転載、販売を禁止しています。あなたの大切な人へ本書を勧めてもらえたら、こんなに嬉しいことはありません。ただね・・・「この本読んで。」って言って渡しても9割以上の人は、読んでくれないもんなんですよ。人は支払った金額以上を求めるので、無料だと読んでくれないでしょうし・・・。しかも知らないおっちゃんの本なわけですから、そりゃあ興味ないですよ。はっはっ。

 ここでちょっとだけ知らないおっちゃんを知ってもらおうと思います。サイトやブログを見たことがある人は、ご存知だと思います。子供の頃から勉強が出来ず、俗に言う落ちこぼれでした。テストを受ければ赤点だらけで、追試や補習の連続だったんです。無い知恵を絞って出したのが、卑怯なカンニングです。しかも速攻でバレて停学処分になる始末。はっはっはっはー。グズグズのダメダメでしょ本当に。こんなおっちゃんが、人に教えることなんて何も無いんですよホントに。だから対話なんです。

 しかも役者を目指して、ず~~~~っと芝居しかしてこなかったので、誇れるものも無ければ、手に職も無し。45歳を過ぎたあたりから、加齢のせいで左目だけ二重になっちゃいましたし、先日なんか枝豆を食べて前歯が欠けちゃったんですよ。いや~驚きましたよ。だって枝豆ですよ。あんなにも柔らかいのに歯が負けるって・・・。しかも耳の穴を塞ぐような突起の部分があるじゃないですか。あそこから毛が二本も生えていて、ショックを受けたな~。毎日鏡を見ていたのに、氣づかない自分にも腹がたったし、老化が半端じゃないんですよ。それでもなんとか生きています。

 そしてビビリでヘタレで、体力や腕力もありません。もし格闘技を習っている幼稚園生が相手だとしたら、確実に負けるでしょうね。はっはー。それくらい弱いです。だから喧嘩なんか勝ったこともありません。でもですね、見た目が悪いのか、昔っからしょっちゅう強面のお兄さんに絡まれていました。めちゃくちゃ怖いんですよ。もうずっとガクガクブルブルですよ、ホント。小学校の時は、氣づかなかったんですが、どうやらクラス中からいじめられていたみたいです。氣づかないって、ねえ。

 あと『中二病か!』と言われると思いますが、おそらく精神的には13歳くらいだと自覚しています。オトナになったら、もう少し立派になっていると思ったんですが、無理でしたね。はっはっはー。甲子園で見る高校球児が年下になり、横綱が年下になり、役者として売れることもなければ、何かを成し遂げたこともありません。

 音楽は好きでよく聞くんですが、ジャンルはロック・パンク・ファンクです。ビビリでヘタレの分際でというか、ビビリでヘタレだから憧れているのかもしれません。泥臭く転がり続けて破壊と再生です。最近よく耳にする『スクラップ&ビルド』ですよ。そう、まさにロックでパンクでファンクなんです。このおかしい現状を打破して、素晴らしい世の中に変えていこうと考えています。

 少しは、わしのことが分かってもらえましたかね?こんな奴なんですよ。偉そうなことを書いているかもしれませんが、全然偉くないんです。そんなわしの願いは、地球上の人類全員が笑って過ごせる世の中にすることです。その為に、あなたに『氣づいて』『考えて』『行動してほしい』ただそれだけです。

 では、最後まで楽しんで読んでやってください。よろしくお願い致します。

免責事項



 本書に記載されている内容は、情報の提供のみを目的にしています。よって本書を用いた使用に際しては、必ず自己責任で行ってください。

 当情報の使用によって生じた直接的、または間接的な損害はについて著作者はいかなる責任も負いません。また情報の掲載について充分に注意を払っておりますが、正確性を一切保証するものではありません。

 本書の著作権は著作者に帰属しており、保護されております。著作権者の許可なく無断で、本書の全てまたは一部を複製、転載、販売することはおやめください。違反した場合には、民事・刑事を問わず法的責任を負う可能性があります。

 また自分達の都合の良い様に編集して、面白おかしく取り上げ、新聞・雑誌・テレビ・ラジオなどのメディア、ネット上等に一部または全文を使用することを禁止します。

 著作者または本書をインターネット上に悪意を持って書き込むのを禁止します。誹謗中傷、名誉毀損などで法的措置の対象になる場合がございます。

 本書の使用において、以上をご同意いただいた上で、ご自身の責任のもとご活用頂きますようお願い申し上げます。

 策定日 令和6年1月1日

 目 次

はじめに

免責事項

第一章 『木』本題の前に

お金

出版の経緯

普通とは

同じ?

年下の方が

弱い奴ほど

義務教育

校長の話し

宿題の異常さ

いじめ

第二章 『火』科学について

科学的根拠

テレビ

広告

番組

今が最新だと

切り札

性教育

スポーツ

思い出して

第三章 『土』言葉のマジック

バカ

嫌なこと

税金

式典について

民主主義

政治のこと

役人と省庁

SDGs

第四章 『風』未来

着るもの

LGBTQ+

美しさについて

便利とは

勘違い

異常気象

ミネラルウォーター

オトナとは

考えるとは

第五章 『水』嘘と隠すこと

保身

医療問題

食料問題

自然に還ろう

他人の評価

事実と真実

タバコと大麻

日本人として

おわりに

第一章 『木』

本題の前に



 「あなたは一人で生きていけますか?」無人島でも、砂漠でも、海の上でも、草原でも、森の中でもどこでも構いません。そこは架空の場所ですが、どこの国にも属していないとします。

 文明の利器など持ち込めません。洋服や下着もなく、すっぽんぽんです。さあ、どうしますか?「そんな現実的じゃない話しはするな!」と怒らないでくださいね。いつ何が起こるかなんて誰にも分からないんです。あなたはそこで生きていくしかありません。さあ考えましょう。

 その場所へ行く時期は、あなたが選べるとしましょう。季節は大事ですよ。夏や冬は結構大変です。ただし本書を読んでから一年以内には、実行しないといけないとしましょう。初めに取り掛かるのは、『水』の確保じゃないでしょうか。ハンドルを回したり、上下させて水が出てくる『今の状況』ではありません。コンビニもスーパーも無いので、ペットボトルを購入することも出来ませんね。

 水の確保が出来たら次は『寝床』の確保です。砂漠や海の上を選ぶ人は中々いないと思いますが、今日の眠るところを確保しないと、虫や動物からの被害が半端じゃないですからね。
無人島や森を選んだ人は木の上に作りますかね。さあ、木を切る道具もありません。どうやって作っていきましょうね。草原を選んだ人は、その場で寝ますか?どうしましょう。

 次にやるべきことは、『火』の確保でしょう。寝床の前に火を起こすことを考える人もいるとは思います。順番はあなたにお任せしますよ。動物などから身を守るためにも、食事のためにも火は欠かせません。さあ、どうやって火を起こしましょうね。詳しくはないですが、木を擦り合わせるだけじゃ、簡単に火は起こせませんからね。必死に考えてください。

 さあ上記の三つが揃ったら、次は『食』でしょう。海の上を選んだ人は、魚に一番近いですが道具は何もありません。無人島を選んだ人は、河や海に行って魚を捕りますか?森を選んだ人は川を目指しますかね?草原と砂漠の人は、どうしましょうね。動物を捕まえますか?

 どこであれ道具はありません。まずは道具を作るところから始めますか?包丁やナイフなども無いですし、調味料もフライパンもありません。初日なので木の実や果実で過ごしますか?では次の日は?さらに次の日は、どうしますか?ちゃんと想像してくださいね。もう日が暮れてきたから、今日は何も食べずに寝ますか?

 どこからか正体不明な動物の鳴き声が聞こえてきます。また何かが動いたのか、カサカサッと音がしてきます。さらに耳の周りでブーーーンと、羽音が聞こえてきます。何処かへ避難したくても出来ません。あなたはそこで生きていくしかないんです。

 さて、あなたは何日生き延びることが出来るでしょう。わしは一日と、もちません。アトピーで敏感肌なので、痒くて耐えられないでしょう。しかも木の実・りんご・柑橘類のアレルギーなので、口にすることも出来ません。はっはっはー。

 こうやって考えると、今の生活が本当に有り難いとしみじみ感じてしまいませんか?包丁、まな板、フライパンが揃っていて、それは『あなたじゃない誰かが作ったもの』です。指一本で火をつけて料理をすることが出来て、簡単にガスをつけてお風呂に入ることも出来ます。ガスも電氣も水道も、他の誰かの過去の実績によるものです。

 現在では、食材を手に入れることも容易です。漁師さんたちが獲ってくれた魚、農家さんたちが育ててくれた野菜などなど。そして近隣の店舗まで配送してくれる運送業の方々。コンビニやスーパーで販売してくれる店員の方々に本当に感謝です。また決まった日時に出しておけば、回収してくれるゴミ清掃員の方々。本当にありがとうございますって思いませんか?

 たまに『自分一人で生きている』と勘違いしている人がいます。もう本当に悲しくなってきちゃうんですよ。「だったら一人で無人島で生活してみなよ。」って言いたくなります。今の生活を捨てて、そんなこと出来るんですかね。人が作ったものは一切無い状況ですよ。スマホもネットもありません。

 人生80年時代とか言われていますが、仮にあなたが20歳だとしたら、残りの60年を人工物の何もない一人の状況で生きていくことになるんです。ちょっと似た内容としてトム・ハンクス主演の『キャスト・アウェイ』みたいなことですよ。あなたは出来ますか?

 いまわしらは、誰かのおかげで生きながらえてるだけなんです。それを当たり前だと思っている人の、なんと多いことか・・・。水を飲まなければ生きていけません。食べ物を食べないと生きていけません。それに対してあなたは「お金が必要だろ。」と言うでしょう。

お金



 さあいよいよ本題です。まず言わせてもらいたいのが「お金を無くしませんか?」ということです。どこかに寄付しろとか、捨てろと言っているのではありません。お金という存在自体を無くしましょうよってことです。

 世の中「カネ、カネ、カネ、カネ、カネ。」ばっかりです。GoToだの、割引だの、お得だのに人々は簡単に誘導されて、心も体も操作されているんです。先日アニメを観ようとテレビをつけたら、映ったのが民法のワイドショー化したニュース番組でした。(ニュースに関しては、また後で詳しく書きます。)とあるスーパーでの袋詰をしている映像でした。女性を中心とした多くの人が、必死にビニール袋に商品を詰めています。パンもカステラもギュウギュウに潰してます。しかも笑いながら。もう本当に悲しくなってしまいました。容姿は人ですが、鬼とか別の生物に見えて仕方ありません。

 また近所のスーパーでは、大人しそうな20代後半くらいの女性が、見切り品の商品を手にとって悩んでいます。何の氣なしに女性の買い物かごが目に入ります。するとかごの中も見切り品だけだったんです。別にわしが裕福とか言っているのではありません。ちゃんと計算したわけじゃないですけど、わしだって一食300円~400円ほどで生きてます。そこまで生活が困窮している人が、こんなにも近くいたのかと胸が締め付けられたんです。

 しかも犯罪の約8割~9割は、お金がらみですよ。お金さえ無くなれば、オレオレ詐欺も結婚詐欺も無くなります。万引きも窃盗も空き巣も無くなるんですよ。しかもお金にまつわる暴行や殺人まで無くなります。だって意味がないですからね。

 無人販売所などで、実際にはお金を入れなかったり、足りない金額しか入れない人のニュースを見ていると胸が苦しくなってきます。また幼い子供を育てながら、病氣の影響で中々仕事が出来ないシングルマザーやシングルファーザーには、本当に心が痛くなってきちゃいます。

 「年金や生活保護があるじゃないか。」って言う人もいると思います。しかし年金は支給される年齢は徐々に上がる代わりに、支給金額は下がっています。どっかの誰かが「年金を減らすしかない。」とか言っていました。生活保護も不正受給をする輩が増えたため、申請書を受け取ってくれないケースも増えているんですよ。

 何かがおかしいと思いませんか?

 仕組みはあるのに機能していない。いや、そもそも仕組みが間違っているんじゃないかと思いませんか?『年金100年安心』などと、ほざいていたのは、ほんの数年前ですよ。今の若い世代には「どうせ貰えないでしょ。」と思っている人達も多いでしょう。実際に年金なんか受け取れないでしょうし、70歳からとか80歳からと言われるのがオチです。要は死ぬまで仕事をしろ!と言っているわけです。政府や国は。

 何でこんなことになっちゃったんでしょうね。それは『お金が無いと何も出来ない』という幻想に囚われてしまっているからです。そもそも生きていくのにお金なんて必要ないんですよ。そしてこういうことを書くと命を狙われるわけです。はっはっはっはー。だから今まで誰も口にしてこなかったわけですわ。

 いや一人だけいました。その方に迷惑が掛かってはいけないので、敢えてお名前は伏せさせてもらいますが、公共の電波を使って発言されていました。「夢はお金を無くすことだ。」と。本当に勇氣のある発言だったと思いますし、わしの背中を押してくれました。心から感謝しています。「その人のアイディアをパクっただけだろ!」と言われそうですが、実は随分前から考えていたことです。(パクったと思われても良いんですけどね。はっはっはー。)

 なんせ本書の構想から執筆・販売までおよそ5年も掛かってしまったからです。自分の命を懸けて世界を変えようってわけですから、そりゃあ怖いですよ。人によっては、偽善だの綺麗事だの言われるでしょうけど、至って真剣なんですよ。ホントに。

 神様がいるか、いないかは、わしには分かりません。それについて議論する氣もありません。けど絶対間違っていないことを書きますね。神様はお金なんか要求しません!!いくつかの宗教団体でも問題になっていますよね。しかし神様にとってお金なんか意味がないし、価値が無いんです。そもそも人にとっても価値なんか無いんですけどね。はっはっはー。

 どうですか?世界で初めて日本からお金の無い世の中を作っていくというのは、ワクワクしませんか?

出版の経緯



 前述した勇氣ある発言をした人以外にも、背中を押してくれた二人がいます。まずは小学校四年生の時の同級生です。もう顔も名前も忘れてしまったのですが、同じクラスの男の子です。もう40年以上も前のことなので、つい最近まで彼の事は、全く忘れていました。

 それが執筆を始めた頃に、ふっと思い出したんです。そこまで仲が良かったわけではありませんが、休み時間には一緒に遊んだり、体育の授業の時には笑い合ったり出来るクラスメートでした。そんな彼は、心の病氣を患っていたのかもしれません。わしの通っていた小学校は、古い校舎で裏山がありました。たまに彼は授業中にこっそりと教室を抜け出して、裏山へ登っていき大声で奇声を発します。「わあ~~~。」といった感じです。

 すると先生が「また~」と言って彼を捕まえに行く。そう頻繁にあったわけではありませんが、一ヶ月に一回くらいのペースだったんじゃないかと記憶しています。わしは医者でも何でもないので、病名は分かりません。ただ裏山で奇声を発するだけです。誰かに危害を加えるようなことは一度もしていません。オトナ達からしたら、『義務教育である授業』に出席していないという点が問題だったのでしょう。そしていつの間にか彼はいなくなってしまったのです。どこかへ転校したとか、引っ越したといった説明は無かったんじゃないかなと思います。

 小学四年の時のクラスメートの記憶なんて、二人か三人程度しか覚えていません。だから彼の記憶も簡単に忘れていってしまったんじゃないかと思われます。では何故彼のことを思い出したのか・・・それは「おかしいのはどっちだ」ってことです。

 確かに授業に出ていないのは問題でしょうし、親御さんから預かった子なので、何かあったら大変だと考えたのでしょう。しかし誰にも迷惑は掛けていないんです。大声で叫んでも薄っすら聞こえる程度ですし、クラスのみんなも「あっ、まただ。」といった具合で、さほど氣にもとめていない様子でした。唯一迷惑が掛かっていたとしたら、彼を捕まえに裏山に登っていく先生くらいなもんです。

 そしてオトナ達は話し合いの末、彼を特別な施設か学校へと移送しようとしたんじゃないでしょうか。あくまでも個人的な推察ですよ。実際にどうなったのかという説明は無かったんですから、知るすべはありません。

 奇声を発したくなった彼は、クラスメートに迷惑が掛かるのを知っていて、裏山まで行って叫んでいたんじゃないでしょうか。周囲のことまで考えられる彼の方が、おかしいんですかね?オトナ達は彼を『病氣』と確定するでしょう。でも周りへの氣遣いが出来るわけですから、これは彼の個性の一面だとも考えられるわけです。もちろん「他の生徒の授業の邪魔になっている。」と考える教師がいたんでしょうし、そう考えるオトナの方が多かったんでしょう。ただ自分のところではどうすることも出来ないので、他所へ責任転嫁しているだけなんじゃないかと思ってしまったんです。

 どっちが良いとか悪いとかを決めたいわけじゃありません。「おかしくないか?」という氣づきを与えてくれたように感じます。また将来自分がそうなる可能性だってあるわけです。もしくは寝たきりや半身不随、認知症や老々介護の問題もそうです。あなたが明日にでも、この問題にぶつからないとは言い切れないんです。現代人の多くは、目の前から居なくなれば問題が解決したかの様な錯覚に陥っています。「うちの店に来なければ良い。」とか「どうせ海外の話しでしょ。」とか。実は見えないことの方が重要なことに氣づいていないだけなんです。

 例えば、あなたの親御さんを介護施設へお願いしたとしましょう。日々の介護からは開放されますが、施設でどう過ごしているのか、酷い仕打ちを受けていないか、罵詈雑言を浴びていないかなどなど。もしかしたら目の前から居なくなった方が、問題が大きく複雑になっているかもしれないということです。

 他所へ移された後の彼のことは何も分かりません。今も無事に生きているのか。出来ることなら話しをしたいですね。そんな氣づきを教えてくれた名前の知らない当時のクラスメートに感謝です。

 そして二人目ですが、元アメリカ大統領のジョン・F・ケネディです。えええ!?と思うでしょう。そりゃあそうですよね。あなたも知っているとおりケネディ元大統領は、1963年11月22日にダラス市内をパレード中に暗殺されました。わしが産まれる数年前の出来事です。何故そんな人が、わしの執筆の後押しをしてくれたのかというと、未だに公表されていない事件の真相にあります。

 当時から一部の人達の間では「宇宙人のことを公表しようとしたから暗殺された」と言われてきました。子供の頃から何度となく聞かされてきた内容ですが、どうもしっくりときませんでした。本当にそうなんだろうか?と。犯人とされてきたリー・ハーヴェイ・オズワルドは、警察署の中で銃撃をされて死亡しています。まさしく死人に口無しなわけですよ。

 そんな中で2年前に一冊の本と出会います。それが馬渕睦夫氏 著『日本人が知らない世界の黒幕』です。そこには第7代大統領アンドリュー・ジャクソンが、第二合衆国銀行の存続を最後の最後まで拒否していました。と、書かれています。そして1835年1月30日に国会議事堂を出たところで、命を狙われ暗殺未遂事件となります。この第二合衆国銀行とは、現在の中央銀行、つまり通貨発行銀行です。

 この金融資本家たち民間が主導権を持つ中央銀行は、1836年をもって存在しなくなりました。しかし1913年に第28代大統領ウッドロー・ウィルソンの政権下で復活をします。これが現在でも存続しているFRB(連邦準備制度理事会)です。当書の中で「このFRBは、第二合衆国銀行よりもさらにひどい」と書かれています。

 そして南北戦争の最末期、1865年4月14日に第16代大統領エイブラハム・リンカーンが、フォード劇場で観劇中に銃によって暗殺されました。その最大の理由とも言われているのが、政府通貨を発行したことです。そして本題のケネディ元大統領ですが、1963年6月4日にFRBの持つ通貨発行権を合衆国政府に取り戻すため、大統領行政命令11110号に署名をしています。

 第7代大統領アンドリュー・ジャクソン、第16代大統領エイブラハム・リンカーン、第35代大統領ジョン・F・ケネディの共通点が見えてきたのではないでしょうか。本書の核となる部分も理解してもらえるかと思います。そして本書の出版をどうしても2023年にした理由が、ケネディ大統領暗殺からちょうど60年だからなんです。元の暦に還る『還暦』にあたります。十二支と十干で、ちょうど60年。そもそもは植物のことらしいのですが、脱線すると長くなるのでここらへんで止めときますね。はっはっはー。

 引用させて頂いた馬渕睦夫氏 著『日本人が知らない世界の黒幕』興味があれば、一度手にとって読んでみることをお勧めします。

普通とは



 どうやら多くの人は、『普通』になりたいらしい。もしかしたらそう思わされているだけかもしれないが、最近特に目につきます。「普通とはなんぞや?」学が無いもんだから、調べました。すると
“特に変わっていないこと。ごくありふれたものであること。それがあたりまえであること。また、そのさま。たいてい。通常。一般に。”
                              引用元:weblio

“普通(ふつう)とは、広く通用する状態のこと。普通の『普』は、「あまねく」「広くーう」を意味する字である。対義語として、「特別」「特殊」「特異」「奇異」。類義語として、「一般」「通常」「平常」「平凡」「平庸」「凡庸」「平(ひら、なみ、つね)」「並(なみ、つね)」「庸(なみ、つね)」など、”
                              引用元:Wikipedia
と、書かれています。

 まあ納得をしますし、反論するつもりもありません。ですが、「普通に考えろよ。」とか「こんなこと普通出来るだろ。」と、言われた経験がある人も多いだろう。わしは何度も言われてきたタイプです。勉強だけじゃなく、スポーツなども出来なかったですからね。

 ダンスなんて、もっての外ですよ。ホントに。義務教育でダンスの授業だなんて、また赤点が増えて精神が崩壊していたでしょうね。今の子供たちは、偉いな~、大変だな~って、思っちゃいます。だって『ダンスの授業が普通』なわけですから。この『ダンスの授業』は、特に変わっていないことなんですかね?ごくありふれたものなんですかね?甚だ疑問です。

 普通という言葉で責めてくる人は、分かっていないんでしょうね。ただ単に、その人にとっての普通だということに。言われた人にとっては、ちっとも普通じゃないことだってあるわけです。今までの経験だってそうですし、蓄えた知識や情報、足の長さや身体の可動域だって違うわけです。同じ人間なんて、どこにも存在しないんです。なのに普通という言葉で括りたいわけです。おかしいですよね。

 例えば日本では、自転車に乗っている人も見ますし、車やトラックが道路を走っているのを目にします。一方ある国では、自転車や車というものを見たこともなければ、聞いたこともない人が存在しています。その国の人達にとっては、それが普通であって日本が異常なわけですよ。分かりますよね。

 そして異常な国にも一昔前には、防犯カメラなんてどこにもありませんでしたよ。それがわしらより年上の人には普通だったのです。個人をはじめ企業や自治体も、犯罪を防止・抑止する目的で、街のあちこちに取り付けられるようになってきました。そしてこの防犯カメラが付いていることが、普通になっていくんです。(実際には防犯カメラではなく監視カメラですけどね。)大義名分としては、犯罪の防止、犯罪の抑止、子供たちを守ると言っていますが、実際にはどうなんでしょうね。

 今では会社内に設置されているところもあり、さらには学校内にも設置されているんです。しかも恐ろしいことにトイレや更衣室にもあったりします。この流れは今後益々加速するでしょう。学校にいても登下校中でも、日曜日に街を歩いていても、ずっと監視カメラが捉えているわけです。家にいる時だけは安全だと思いそうですが、鳥や虫型のカメラ付ドローンが、すでに稼働していると警告している人もいます。そして、この四六時中カメラで撮られている状態が、『普通』だと思う様に育てられる子供たち。さて普通じゃないのは、どっちでしょう。

 こんな本を出版するわしは、確実に普通じゃないでしょう。そしてこれまでの傾向から考えると、普通じゃない人は刑務所や精神病院という檻に入れられる可能性が高いということです。もしくは命を奪われる・・・。どんなに不条理でも、自分の生活や命の方が大切なので、口をつぐんできたオトナたち。そんなオトナたちが口を揃えて言う『普通』。

 さて『普通』とは、一体何なんでしょう。改めて考えてみてください。

同じ?



 前述の『普通』と似ていますが、多くの人は『同じ』という言葉が好きですよね。決して全員ではないですよ。あくまでも多くの人です。「一人で生きていけますか?」の問いでも分かるかと思いますが、人工物の何もない無人島で、『同じ』という発想は出てこないんじゃないかと思うんですよ。風の吹き方、波の様子、天氣、木々の生え方、手に入った二尾の魚、どれも全て違うじゃないですか。

 わしの大好きな方丈記の冒頭で『ゆく河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。
よどみに浮かぶうたかたは、かつ消え、かつ結びて、久しくとどまりたる例(ためし)なし。世の中にある、人と栖(すみか)と、またかくのごとし。』と、あります。

 わしみたいな落ちこぼれに説明されるまでもなく、ご存知かと思いますが、一応書いておきます。目の前に流れている河は、次から次へと絶え間なく水が流れているが、もちろん同じ水ではない。よどみに浮かんでくる泡も出来ては消えて、消えては生まれていて、同じ泡が何時間もとどまることもない。この世に存在している人も住居も思えば似たようなものか。と、いった意味です。この様に方丈記の冒頭に全て集約されている氣がしてなりません。最初に読んだ時は、本当に目から鱗が落ちた氣分でした。おそらく授業でやったんでしょうけど、一切記憶がありませんでした。はっはっはー。

 一休さんの問答みたいですが、今一度よ~く考えてほしいです。「それって本当に同じですか?」って。例えばあなたの目の前に美味しそうな苺が三つあるとします。「その三つの苺は同じですか?」さらに購入した洋服を勘違いして、また買ってしまったとします。「その二着は本当に同じですか?」

 正しく言えば「同じ様な苺」とか「同じ種類の洋服」となるはずです。しかし言葉を短縮したがったり、楽をしたがったり、自分の都合の良いように略したりしているから『同じ』と使うんじゃないでしょうか。さらに社会という仕組みとして、一人ではないというのも大きな要因でしょう。あなた一人の世界でしたら、そんな感覚にならないでしょうけど、大勢の人達との生活では『同じ』と分類しておけば、脳のエネルギーを過剰に消費しなくてすみます。

 これは多くの人に知られていないのですが、我々の脳というのは、しょっちゅうサボるんですよ。いざって時にエネルギー不足にならないように、普段は働かないようにできています。それ故に日常では、考えない人が増えたんじゃないかとさえ感じてしまいます。

 こういうことを書くと「俺は考えてる!」「ふざけるな!」「バカにしてんのか!」など、罵詈雑言が飛んできます。しかし実際に脳は、緊急時のために機能をセーブしているんですよ。バカになんかしていません。『同じ』と『同じ様な』をごちゃ混ぜにして、記憶に定着させているだけなんでしょう。何故ならそっちの方が楽だからです。ね、脳を使ってないでしょ。

 さらに仲間外れにされたくないという心情も大きいかもしれません。だから同じでいたいと願ってしまう。これは『同郷』や『同世代』と、いった言葉が混同させているとも言えます。人は弱い生き物です。長い物に巻かれたい氣持ちも分かります。ただ『普通』ではないし『同じ』では、決してないということです。

 この世の全ては諸行無常なんですよ。よく言われているのが、人の体は数ヶ月から数年で全て変わるというものです。しかしこれは現段階の科学や医学では、全てではないとされていて、産まれてから死ぬまでに全く変化しない細胞もあると言います。それでは何%変われば、『同じではない』と言えるのでしょうか。1%ですか?20%くらいですか?それとも100%変わらなければ、納得しないでしょうか。

 漫画やドラマにもなり、有名なパラドックスの一つ『テセウスの船』はどうでしょう。簡単に説明をしますと、一隻の木造船があり、長い年月と航海によって木材は傷んでいきます。その傷んだ木材を新しい木材へと交換して修復をしていきます。全ての木材が元々の木材と入れ替わった時に、この船は本当にテセウスの船なのか?というパラドックスです。この問題に対する明確な答えは存在していません。

 10歳のあなたと、現在のあなたとでは、確実に違いますよね。身長や体重はもちろんのこと、筋肉量や皮膚の状態も違います。さて『同じ人』でしょうか?それとも『別の人』でしょうか?去年のあなたと今のあなたは同じですか?昨日のあなたと今日のあなたは同じですか?

 この本を読む前のあなたと、読んだ後のあなたは同じですか?よ~く考えてくださいね。

年下の方が



 昔っから本当におかしいと思っていたんですが、「俺の方が先輩だぞ。」とか「年上の人に対して失礼だろ。」っていう言葉で上から押さえつけようとする考え方です。年齢だとか経歴とかで、自分の方が上だと誇示しているんですが、おかしくないですか?年齢なんて、どう頑張っても追い越せないですし、経歴だって同様です。追い越せない盾で自分を守っているだけで、偉くも何ともないんですよ。本来自分が闘うのは、年齢でも経歴でもないはずです。

 営業の仕事だったら契約件数が、実際の闘うべき手段だからです。芸人さんだったら、面白いかどうかです。学生だったら、テスト・・・じゃないですよ。どれだけ自分が熱中できるかどうかが鍵になってきます。算数や数学が好きなら、それを突き進めていけば良いですし、建築でも、手芸でも、サッカーでも、漫画でも、合氣道でも、料理でも、何でも良いわけです。そこには年齢も経歴も関係ないんです。

 そこで闘えない奴が、「先輩」だとか「年上」を振りかざしてくるんですよ。実際にオリンピックなどを見てください。13歳、14歳が世界一になっているじゃないですか。アスリートの世界では、競技を始めて8ヶ月で日本一になった選手もいます。これらを理解出来ない、または理解は出来ても、勝てなくて悔しい奴らが、絶対に負けない力でねじ伏せてくるのでしょう。こんな考え方で恥ずかしくないんですかね。ちゃんちゃらおかしいですよ。

 また年下の人に対して「ガキ」とか「クソガキ」って言葉を吐く人がいますが、これも間違っています。そもそも『餓鬼(ガキ)』という言葉の由来は、仏教からきています。欲望が満たされず、常に苦しんでいる状態のことです。その際限のない欲望のせいで、子供などが貪り食う様が「まるで餓鬼のようだ。」と比喩されただけなんです。つまり『子供=餓鬼 ではない』ということです。

 しかも最近氣づいたんですが、もしかしたら年上よりも年下の人の方が、偉いんじゃないかと思うんですよ。偉いっていう表現が正しいかどうかは、分からないですけど、素晴らしいとか、優れているとか、まあそんな感じで読んでください。

 理由はというと、人は歳を重ねるごとに悪い事もインプットするからです。産まれたばかりの赤ちゃんは、他人を騙そうとしませんし、弱者からお金をむしり取ろうなんて考えません。権力を得るために他人を蹴落とそうともしないのです。他人に嫌なことを言われて傷ついたから、自分もやっていいなんて思考は、ある程度の年齢にならないと起こりませんし、周囲の影響も多大にあります。

 また目の前にいるオトナ達のうち、誰が偉いのか、誰がお金をいっぱい持っているのか、誰に付いていけば得をするのかなんて、これっぽっちも分からないでしょう。幼い子供たちは、こんな損得勘定では生きていないんですよ。こういった事を周りのオトナたちから学んでしまうんです。そして嘘をつき、他人を見下し、相手によって態度を変えて、悪事に手を染めていきます。こういった人の多くは、他人の意見を聞かず、反省などしません。しかも歳を重ねるごとに、悪化していくんです。

 二つ目の理由として、考えなくなるということです。人は歳を重ねるごとに考えた氣になって、実際には考えないようになっていきます。『同じ』の項で説明したとおり、普段は省エネモードでいる脳が、加齢と共により使われなくなっていきます。ファスト映画で観た氣になって、本もタイトルと帯だけで読んだ氣になります。他人のレビューを読んで、お店や商品を選択します。レビューを書いた人と自分が同じだと、間違って認識している証拠です。嗜好や好みなど全く知らない人と自分を同一視していますよね。これらを考えているとは言わないでしょう。しかも恐ろしいことに、考えていない自分に氣づいていないんですよ。トホホッ。

 例えば、おもちゃを買ってもらえない子供は、自分で考えて作り出します。ティッシュの空き箱やダンボールで、ロボットを作ったり、すごろくを作ったりします。また体育会系の部活をしている学生は、雨でグラウンドが使えない時には、室内で筋トレをしたり、階段の上り下りで足腰を鍛えます。しかしオトナになると「無いなら買おう」と、考えることを放棄してしてしまうんです。雨が降っているから「仕方がない」と言って、自分を甘やかす方法を見つけようとします。全てのオトナが、そうだとは言いませんが、あまりにも多くないですか?あなたの周りにも、きっといるでしょう。しかもずる賢くなるので、仲間に引きずり込んだり、「お前が言い出した」などと、他人になすりつけたりします。

 どうですか?これでも年上や先輩の方が偉いですか?むしろ年下・子供たちの方が偉いし、素晴らしいと思いませんか?間違ってほしくないのですが、年上の人を蔑ろにして良いと言っているのではありません。あくまでも対等に扱えば良いんじゃないでしょうか。しかし言うでしょう。「目上の人は尊敬しろ」と。敬ってほしいのなら、敬ってほしい思考・言動をすれば良いだけなんです。自分が見下しているのに尊敬しろなんて、本当に愚かだと思いますよ。

 お互いが意見を聞き、尊重して、学ぶべきところを吸収して、対等に付き合えば良いだけなんです。理解してもらえると思うんですけど、歳を取った人は理解が出来ないどころか、文句を言ってくるかもしれませんね。頭が固いせいですかね。あっ、これにも文句を言ってくるか。はっはっはっはー。

弱い奴ほど



 世の中が良くなってほしいという思いで、サイトを立ち上げて数年経ったんですが、先日はじめて誹謗中傷のコメントが届きました。それがあまりにも酷い言葉のオンパレード。ここに書くのも躊躇するほどです。いや~はじめての経験だったので、傷つくというよりも衝撃が大きかったのを覚えています。匿名で誹謗中傷する人って、本当に弱い奴だな~と思いましたよ。レベルの低い相手とは争わないので、何も対応はしていませんが、これを読んだらまた怒るんだろうな~。けちょんけちょんに文句を言った人が、お金を払ってまで読むとは思いませんけどね。はっはっはっはー。ただ、こんな人も救いたいな~とは、思っています。はい。

 弱い奴ほどバレないと思って、そういう攻撃をしてきますよね。考えが及ばないというか、浅いというか。最近ではネットなどでの誹謗中傷の問題で裁判になり、多額の賠償金請求が出されているというのに、一向に減りません。何でなんでしょうね。他人を叩いたところで、自分のレベルが上がるわけでもないのに・・・。

 そして弱い奴ほど、すぐに暴力を振るいます。大きい声を出して相手を威嚇して、殴ってきたりします。話し合うことが出来ないというか、自分が上位に立ちたいというか、腕力で何でも叶うと思っているのか、もしくはこれら全てが理由だったりします。絶対に許せないのが、腕力で女性を暴行する奴らです。また子供への虐待です。筋力・腕力に自信があるのは分かりますが、使う場所や相手が違うということを分かっていないんです。

 自信があるんだったら、プロの世界で使えば良いだけです。お金も儲かるわけですし、勝っていけば世界一という称号も貰えるわけです。それが出来ず、自分よりも力が弱い人に対して使うのは、自分自身が弱いと言っている様なものです。弱い奴ほど弱い相手を攻撃してきます。強い人は強い相手と闘うもんです。よって自分自身で『弱い』って証明している様なもんなんです。

 彼らの口癖は「文句あんのか?」「バカにするな!」「うるせぇ!」「ふざけんな!」「関係ねぇだろ!」です。筋力には自信があっても、どうやらおつむは弱いらしい。はっはっはー。怒られるだろうな・・・。

 そしてもっと弱い奴は、武器を使います。話し合いをすることも出来ず、プロの格闘家にもなれず、どんな手段を使ってでも相手に怪我を負わせ、時には命まで奪ってしまう。本当に情けないですよね。さらに弱い奴は、相手の目を見て対峙することすらしません。離れた位置から飛び道具を使ってきます。背後から突然襲ってきたり、一人に対して複数人で襲ってきたりします。

 そして最も弱い奴は、直接自分で手を下しません。お金などの報酬や褒美を用意して、他人に実行させるんです。自分では出来ないから、やりたくないから、恐ろしいから、そして弱いから他の人に依頼する。これは暴力だけとは限らず、不動産業者や企業から命じられた地上げ屋、特殊詐欺から命じられた闇バイト、大企業から命じられた孫請け会社などなど。最も弱い奴が命令・指図をして、弱い奴がそれを受ける。

 先祖代々の土地を泣く泣く手放さなければいけなくなった人達。高齢者の老後の資金を奪い去っていく奴ら。中抜きをされ建設費が少ないので、違法建築のマンションやビルを建てる業者。それを購入してしまった人々。黒幕は中々捕まらず、悲しむ人々が増えていく。なんて悲しい負の連鎖なんでしょう。

 いじめだってそうです。THE BLUE HEARTS(ザ・ブルーハーツ)の曲にもある通り、(人として)弱い奴が、(腕力的に)弱い奴を叩いているだけなんですよ。実社会では相手の身体に傷をつけ、ネットを通じて言葉の暴力で心に傷をつけます。自分が弱いが故に、相手の得意なフィールドでは闘おうとはしません。何故なら『弱いから』です。

 藤井聡太さんに将棋で勝負を挑む人はいないでしょう。大谷翔平さんに野球で勝負する人もいません。筒美京平さんに作曲の売上総数でも、パブロ・ピカソの生涯作品数でも闘いません。弱い奴らは、勉強の得意な相手に勉強では、スポーツが得意な相手にスポーツでは闘いを挑まないのです。

 こんな弱い奴らを相手にせず、あなたにはあなたの道を突き進んでいってほしいと願っています。どんな分野でも構いません。誰にも負けないことを極めてください。それが即ち、あなたを強い人間にしてくれるからです。

義務教育



 わしがこうして執筆することが出来るのも義務教育のおかげです。また本を読んだり、買い物の計算をしたり出来るのも義務教育のおかげでしょう。本当に感謝しています。

 が、しかし!日本の義務教育は、おかしなことだらけなんですよ。そうは思いませんか?一つずつ見ていこうと思います。まず同じ年の4月生まれから翌年の3月生まれの人を一括にして、同じものを勉強しろというスタイルです。だって人はそれぞれ違うわけですから、向き不向きは当然あるわけですよ。ご飯だって茶碗一杯が良い人もいれば、大盛りが良いという人もいるでしょう。お茶碗半分くらいが丁度いいって人だっているわけです。それを「もっと食べろ!」って言ったら、おかしいじゃないですか。何だかそんなダメなオトナが多いのも義務教育の弊害じゃないですかね。

 読み書きが出来る様になることと、単純な計算が出来ることくらいで、義務教育は終了で良いんじゃないでしょうか。それをテストをして、その採点で順位を決めて優劣をつける。教師の善し悪しで全国的にばらつきが起きない様に、決まりきった答えを書ければ『○』。空欄や間違っていたら『X』です。

 要は記憶力大会です。一方的に教師が喋っていること、教科書に書いてあることを覚えたもん勝ちなんですよ。つまり記憶力が良い人が、頭が良いと錯覚させているだけなんです。

 将来なんの役にも立たないものばかりを詰め込むんです。他国の温度や雨量なんかを覚えさせてどうするんですかね。それよりも先進国で廃棄された電子機器を、発展途上国へと輸出して(本当はゴミ)、そこの国の人達は、電子機器を燃やして金属を回収しています。それを売ることで生活の糧にしていますが、有毒なガスが発生して、汚染された水が地面に染み込み農作物を蝕み、健康を害している現実。

 金属を取り出して売らないと生きていけない。しかしそれをやると病氣になるという、死と隣り合わせの毎日を送っています。こういった事を教える方が、100億倍も大切なことだと思いますが、あなたはどうですか?そもそも教育というものを、はき違えているんじゃないかと感じませんか?

 小学校ではあまり聞きませんが、中学になると『とんでもない校則』で拘束してきます。はっはっはー。元々色素が薄い茶色っぽい髪の毛の子が、証明書を持ってこないと黒に染められる。って、なんじゃそりゃ~!髪の毛が黒じゃないと記憶力が悪くなるんですかね。別に赤でも金でも紫でも一緒だと思うんですよ。

 何が風紀の乱れだって思っちゃいますよ。ピアスが禁止だとか、スカートが短すぎるとか、ズボンが太すぎるとか(あっ、今はいないか・・・。)、どうでも良いでしょ。なんの根拠もないのに勝手にルールを作って縛り付けて、壊れたレコードの様に「勉強しろ!勉強しろ!」って、頭がおかしいんじゃないかな~。だって言葉の意味は「記憶しろ!記憶しろ!」なわけですから。

 宿題もおかしな話しですよね。地域によって時期や期間も違いますが、『夏は暑くて勉強に集中出来ない』から、夏休みがあるはずなんですよね。なのに、あの夏休みの宿題の量ったら何なんでしょう。わしなんて8月30日や31日に「わ~、やんなきゃ」って言って、無理やりやろうとしましたが、当然出来るわけありません。

 途中のもの、何も手をつけられなかったものを提出して、教師から目ん玉が飛び出るくらい怒られてましたよ。しかも毎年。はっはっはっはー。日々の宿題だって、おかしいですよ。あんなの学んでいるわけじゃなくて、子供たちの自由な時間を奪っているだけなんですからね。

 養老孟司さんの著書で『子供は自然である』というのが出てきます。朝から学校へ行き、夕方から夜までは塾、ましてや宿題まで出される始末です。そりゃあ電車の中で走りたくもなりますよ。だって自然の中で遊び回っているのが、本来の子供の姿だからです。でも電車やバスの中、自転車や車が飛び出し来る様な街中で走っちゃダメですよ。

 だったら小学校なんて無くして、子供は外で思いっきり遊ばせる方が良いんじゃないかと語っています。わしも全く同感です。子供たちは体を動かしたいんですよ。中には「体育の授業もあるし、休み時間にはグラウンドで遊んでるよ。」と、仰る人がいるでしょう。それこそ頭でっかちなオトナが、勝手に決めつけた運動だということです。そんなんじゃ足らんのですよ。子供たちの無尽蔵の体力をナメんなよって言いたいです。

 ここに書いたところで、何も変わらないかもしれません。しかし一人でも多くの人が、この事に氣づいて、子供たちの輝かしい未来のために、どうする事が良いのかを考え、話し合って、仕組みから変えていくしかないんじゃないですかね。人は誤った過去から、それこそ『学ぶ』ものなんじゃないですか。あれっ、役人達は人じゃないのかな~。

 この学校教育で優秀な成績をあげた人達なのに、子供の将来は考えられないのか。自分達の通ってきた道を正しいと思い込んでいるのか。利権があるのか・・・。自分たちは遊ぶ時間を削って記憶してきたから、これからの子供たちにも、同様の苦しさを味わわせたいだけなんですかね。

 なんともおかしな話しですよね。

校長の話し



 わしが思春期の頃、ちょっと上の人達は、ヤンキーだろうが、ロックだろうが、文化系だろうが、演劇人だろうが、体育会系だろうが、ほとんどの人がオトナ達への反感を持っていました。まあ、わしと同年代の人達も多かった印象です。
「オトナの言うことがおかしい。」
「若いというだけで、こっちの話しを聞いてくれない。」
「オトナは信じてくれない。」
「押し並べて、平均・平凡な人間を作っている。」
「俺たちは、ベルトコンベアーに乗せられた缶詰じゃない。」などなど。どうなんですかね。最近の若い人達は、こんな事を思ったりしないんですかね。思っていて、胸に秘めているのかな~。

 当時の彼らの熱い思いや葛藤、世間やオトナ達への不満は、どこへ行ったんでしょう。成長と共に冷え切ってしまったんでしょうか。それともあんなに嫌だったオトナ達から「オトナになれよ。」などの言葉を受けて、ゴマをすり、媚を売って、忖度して、顔色を伺い、迎合していったんでしょうか。それともベクトルを違う方向へ向けたのか。他人の悪口を言ったり、非難したり、責めたりしているのでしょうか。真相は分かりませんが、とても悲しく思います。そんな事をしても相手もそうですが、自分も痛い目にあうということを分かっていない。間違っている事は、指摘して正しい方向へと導く、建設的な発言・行動が必要なのに、そうする人が本当に少ない。はぁ~。

 こういった要因の一つが、あの長ったらしい校長の話しです。同じことを繰り返したり、理解し難い言い回しをしたりしています。一言で言えば『単調』です。この単調な話しによって、人は考える能力を奪われていくのです。「分からない」「嫌だ」「つまらない」「また言ってる」などの発言は出来るはずもなく、生徒たちには鬱憤だけが溜まります。初期の段階では、校長の話しが終わってから友人たちと、溜まった鬱憤を晴らすために話し合います。これが愚痴の始まりです。言う相手が違うので問題が解決しない、言っても仕方がない愚かな行為です。こういった事が、ベクトルを変えて違う相手へ攻撃する様になっていくのかもしれません。

 そして中期は、校長の話しを友人と話し合っても面白くないのでしなくなります。後期になると、思考を停止させていきます。「耐えれば良い」「我慢すれば終わる」と、時計とにらめっこをしたり、椅子を数えたり、他人を観察したりしだすのです。きっとあなたにも経験があるでしょう。

 なぜ考える事を放棄させる単調な話しをするのか。それは・・・ロボットを作るためです。「んっ??ロボット!?」と思われるでしょう。「はい。ロボットです。」そもそもロボットの語源とされているのが、チェコ語のロボッタ(robota)、意味は強制労働です。またスロベキア語の労働者を意味するロボトニーク(robotnik)です。ロボットは、そこから作られた造語なんですが、強制労働ですよ。分かりますか?自分の意思ではなく、他人から強要される労働ですよ。

 18世紀後半にイギリスで起こった『産業革命』によって、農業中心の人々の生活から、工業中心へと変わっていきました。そこでは文句を言わず、自分で考えることをせず、時間で拘束して、安い賃金で言うことを聞く人間が必要になってきます。単調・単純な作業を苦に思わず、心や感情を無にされていくのです。

 これに耐えられる『ロボット』を作り出すこと。これこそが校長の話しが長い理由なんです。どうですか?おかしいと思いませんか?授業の始めには「起立、氣をつけ、礼」と、まるで軍隊の様なことまでやらされます。

 ランドセルは年々大きく重くなっていきます。成長期の子供たちにはあまりにも過酷です。必ずと言って良いほど、体に影響を及ぼすでしょう。学校では税金や保険など、お金のことを教えません。(今はしているみたいですね。後述します。)知ってほしくないですし、考えてほしくないんです。実際にはお金が必要無いということを。

 最近の学校では『お金について』教え始めているみたいですが、聞く耳を持っちゃダメですよ。金の亡者を作り出したいだけです。また薄給のまま毎日毎日、同じ時間帯で同じ様な仕事をさせたいだけです。それが嫌なら投資をしろ。起業しろ。利益を上げろ。と、言っているだけですからね。

 始業と終業の時間が決められ、与えられたことだけをすれば良い。学校の教育システムは、正にうってつけなわけです。あなたも覚えているでしょう。日産の元最高経営責任者 (CEO) のカルロス・ゴーン氏。なぜ日産は彼をCEOに就任させたのか。自分達では経営を立て直すことが出来ないと判断したからだと思いますが、もう明らかに労働者の脳になっているんですよ。考える事を放棄して、他所から優秀だと思う人材をトップに起用する。なんだかな~って、感じです。

 さて、労働者の対義語を調べてみると『資本家』と出てきます。資本家は益々有利になって、労働者はいつまで経っても労働者のまま。う~ん、面白くなってきましたね。資本主義については後述しますが、こんな事は決して学校では教えてくれないですよね。校長の話しが長くなればなるほど、社会を左右するかもしれません。さあ、あなたが考える番ですよ。

宿題の異常さ



 先程も宿題について少し書きましたが、宿題の異常さについて書いていこうと思います。さてあなたは何故宿題が出されるのか分かりますか?「漢字が書ける様になってほしい。」「分からないと将来困るから、今のうちに分かるようにするため。」「勉強を好きになるように。」・・・う~ん、どれも違うんじゃないでしょうか。

 『義務教育』『校長の話し』の繋がりで、あなたも分かったかもしれません。それは他に目を向けさせないためだと、わしは考えます。つまり『氣づいてほしくない』ってことです。間違った政府、とんでもない議員、悪鬼の巣食う各省庁、おかしな判決、ダメなオトナたち、不平等・・・。世の中のおかしいことに氣づいてほしくないんですよ。

 子供たちの特権は「なんで?」です。疑問を持つから自分で調べようとする。こっちの情報では、こう言っているけど、あっちの情報では、ああ言っている。なんで正反対の意見なのか。そしてもっと知りたいと思う。それから考えるんです。

 便利な世の中になったはずなのに、どうやら不幸な人が多いのは、なんでなんだろう。とか、いつの時代も庶民が苦しめられているのは、なんでなんだろう。と、いった具合です。

 大抵の親御さんも「宿題やったの?」と聞いてきます。だからやらなければいけないと刷り込まれる。やっていないと先生に叱られるから、やらなきゃいけないと思う。「なんで宿題やらなきゃいけないの?」と聞くと、将来良い学校に入って、良い会社に入って、たくさんのお給料を貰わないと幸せにならないからと、怪しげな呪文を唱えてきます。はっはっはー。

 夏休みや冬休みの様な長い休みには当然宿題を出しますし、ほぼ毎日の様に宿題を出しているんじゃないですか?今の義務教育がどうなっているのか知りませんが、わしの時代はそうでしたね。友達との遊びの時間は削られて、趣味に費やす時間も減らされます。疑問に思ったことを調べる時間も無くなるでしょう。

 教師や親というオトナたちに「宿題しろ!宿題しろ!」と言われて、いつの間にか疑問に思うこともなくなり、それが当たり前の様な感覚に陥る。そして宿題をしてこなかったクラスメートに「あいついっつも宿題やってこないな。」「バカなんじゃないの?」「「バカだから出来ないんだよ。」という様な、簡単に他人を見下す思想が築き上げられる。

 記憶させることだけに注力して、心の教育なんて一切してこないんです。そりゃ間違ったオトナが増殖するに決まっているじゃないですか。これが現状の日本の教育なんですよ。別に宿題をやらなくて良いと、勧めているわけじゃありません。宿題が出される理由を書いているだけです。

 そもそも宿題なんて必要なんですかね?賢い子はどうするべきか、宿題なんか無くたって自分でちゃんと考えると思いますけどね。大切なのは学校の勉強なんかじゃなくて、相手の立場になって考えるとか、他人に対する思いやりとか、礼儀とか、マナーだったりすると思うんですよ。これらは宿題では絶対に学べないですからね。

 授業をどれだけ聞こうが、本を何万冊読もうが、宿題をどれだけやろうが、実際の体験に勝るものはないでしょう。百聞は一見に如かずなんですよ。ホント。

 宿題とは違いますが、わしは教師に何度となく無実の罪で殴られた経験があります。何を言っても聞いてもらえず、「口答えするな!」「言い訳するな!」の一点張りです。別に何か悪さをしたわけじゃありませんよ。本当に無実なんです。なのに子供だからとはいえ、聞く耳をもたない教師たち。当時の教師たちへの信用は完全に無くなりましたね。

 そんな教師たちが出す宿題。二度と戻ってこない貴重な時間を浪費させるだけの宿題。自分で調べよう、考えようとするのを阻む宿題。さて、こんな宿題が本当に必要なんでしょうか?

いじめ



 冒頭でちょろっと書きましたが、わしもいじめられていた経験があります。自分では全然氣づかなかったんですけどね。はっはっはー。子供の頃は今よりもひょろひょろで、握力や腕立ても女子に負けてたくらい貧弱でした。

 小学校の低学年の時だったと記憶しています。体育館での全体集会が終わり、教室への上り階段で、自分で躓いたのか誰かに押されたのか忘れましたが、階段に倒れちゃったんです。その背中の上などを何人もの人間が踏んづけていったのです。大した怪我にはならなかったですし、自分の不注意が原因かもしれないので、氣にもとめなかったんです。

 その後も、どうやら嫌われていたらしく、友人から注意してもらうほどでした。それまで氣づいていないんですけどね。中学に入ったら、誰か一人を決めて無視をするというのが流行ったみたいで、一ヶ月くらい無視をされていたみたいです。元々そんなに話す方じゃなかったので、これにも氣づきませんでした。はっはっはー。

 これはいじめじゃないんですけど、あるクラスメートに呼び出されて行ったら、「おめぇ生意氣なんだよ。」と、ポカスカ殴られました。何がどう生意氣なのか理由も教えてもらえなかったんですけどね。未だに不思議だな~。虫の居所が悪かったんかな~。

 物が無くなったり、机やノートに悪口を書き込まれていたこともありました。あと廊下を歩いていたら、いきなり飛び蹴りをされたこともありましたね。そんなに氣に入らなかったんですかね。

 前置きが長くなりました。すみません。自身のサイトでも書いていますが、いじめは本当に悪です。一刻も早く無くなってほしいと願っています。オトナたちがいじめをしているから、子供たちのいじめが無くならないのかもしれません。とはいえ、頭にきたことがあります。もう隠すことなんか何もないので、書きますね。

 子供のいじめを無くすという観点から『あだ名禁止』というのが、数年前に話題になりました。文部科学省も教育委員会も教師もPTAもバカばっかりです。自分たちから教育という匙を投げたんですよ。つまり「我々は子供たちへの教育をしません。あだ名が無くなれば、自然といじめは無くなります。」という、愚かな思考なわけです。もう教育関係者全員いらないんじゃないですか?だって必要ないでしょ。

 自分たちは頭を使わず、勝手なルールで子供たちを縛る。実際に問題になったら「わが校に限って、いじめはありません。」と回答する。しかも盗撮や淫行までする教師が出てくる始末です。もう腐っているんですよ。

 そんなオトナたちに囲まれて、本当にいじめが無くなるとでも考えているんでしょうか。自分たちも要因の一つだとは考えられないんでしょうか。

 いじめの加害者は、はっきり言って犯罪です。心が病んでいるんです。被害を受けたからといって、逃げる必要はありません。隔離するべきは加害者の方なんです。いじめをする奴なんて、無期懲役でも良いと思っています。教育関係者たちも共犯だと思いますけどね。

 そして加害者に加担した人、傍観者へ。ものすごく怖いかもしれない。後で報復されるかもしれない。けど勇氣を出してくれ。いじめの被害者は、それを全部一人で背負っているんだよ。心も身体も痛いんだよ。泣き叫びたいんだよ。でも誰も助けてくれないんだよ。こんな悲しいことないじゃないか。人は独りじゃ生きていけないんだよ。

 あだ名禁止なんかで、功績だと思っているバカなオトナたちは、役立たずなんだ。必要なのは君たちの「やめろ!」「みっともない!」「恥ずかしい!」って言葉と手を差し伸べることなんだよ。新しい時代を作っていくのは、オトナたちじゃない。若い君たちなんだ。しっかりと胸に刻んでほしい。

第二章 『火』

科学について



 科学を信じる人と信じない人がいる。そもそも信じるとか信じないという論争が、おかしいと思うんですけどね。だって信じようが信じまいが、空は青く見えますし、紙は燃えます。どれだけ信じていなくても、毎日当たり前のように呼吸をすることが出来ます。なので信じるとか信じないとかは、議論するべきではないんです。

 だからといって科学が全て正しいとは思いません。元々科学は、人々の生活を豊かにするための学問です。他の学問と同様に、未知の領域を探求するのが本来の目的なはずです。その結果として人間を幸福へと導くためのもの、それが科学です。しかし目的を放棄して、あたかも『今の科学が絶対だ』とでも言わんばかりに、印象操作をしてきています。

 あくまでも科学は仮説でしかない。「恐らく正しいだろう」ってことです。何故なら未だに人類が知らないだけかもしれませんし、過去に間違っていた科学もあったからです。

 どこまで行っても100%確かだとは言えません。どうやらティラノサウルスは毛むくじゃらだったと言い出したり、1192(いいくに)作ろうじゃなかった鎌倉幕府・・・。1990年代に過熱報道されたダイオキシン類は、でっち上げだったし、酸性雨はどこ吹く風です。結局ダイオキシンも酸性雨も、大したこっちゃなかったんですよ。

 多くの人は、新聞やテレビから情報を得ていましたが、「メディアが間違ったことを報道するはずない。」「科学は嘘をつかない。」という妄信ゆえに簡単に飲み込んでしまう。他にもネイチャーやサイエンスといった様な雑誌に載ったとか、ノーベル賞を取ったとか、自分では理解出来ないけど、どうやら凄いらしいと、権威ある人の発言に容易に従ってしまう。

 そして科学者たちは、『自分の利権』のため、『古い体制保持』のために注力していきます。そしてこれは科学に限ったことではありません。医学も歴史学も経済学などもそうでしょう。お偉い教授から教えられた学生たちが、またお偉い教授になっていく。その道には教授を否定するなど以ての外なんでしょう。困ったもんです。

 自分の地位が危ぶまれるようなことは一切しない。覚悟もなければ、度胸もない。子供の頃に頭に浮かんだ「なんで?」を平氣で捨てていきます。全ての物事は疑うことから始まります。疑わなくなったら終わりなんですよ。あっ、わしのことを疑ってます?良いですね~。

 過去の大先生が発見したものだって、間違っているかもしれませんよね。それら全てを再検証したんですかね。本に書いてあることを、そのまま覚えているだけなんじゃないでしょうか。すいへーりーべーぼくのふねって。

 疑うこともせず、自分自身の頭で考えることもせず、保守的になっていく。そしてそれは日を追うごと、歳を取るごとに加速していきます。権威主義にどっぷりと浸っている人は、まあ氣づかないでしょうけどね。

 若い人に言いたいことがあります。科学に興味をもったら、とことん深掘りしてくれ。アインシュタインやニコラ・テスラを超えてくれ。疑って、疑って、疑って、学んでいってほしいと思います。そして考えてくれ。

科学的根拠



 赤点だらけで落ちこぼれだった学生時代、唯一赤点を免れていた教科が科学でした。これには単純な理由があって、『学研の科学』を購読していたからです。別に理科や科学が好きだったわけではないんですが、付録が大好きだったからです。日光カメラセットや顕微鏡、手作りラジオやカブトガニの飼育などがありました。早く翌月になって届かないかと、胸を躍らせていたのを覚えています。

 付録がメインで、科学の本はちょっと目を通す程度だったんですが、どうやら授業にもついていけて、テストの点も悪くありませんでした。それならばと母親は思ったんでしょうね、学習も購読することにしたんです。ま~学習の方は読まない読まない。付録にも興味がもてず、すぐにやめました。テストで良い点をとってほしいという、切実な親の思いだったんでしょう。

 さて最近特に「科学的根拠」とか「エビデンス」という言葉を耳にします。エビデンスは「証拠」「根拠」「裏付け」という意味です。どちらも『確実なものにするための拠り所』ということです。つまり本当に正しいのかを判断するための、基準・ものさしだということです。

 しかし本当に科学は信用出来るのでしょうか。ノーベル賞を受賞した後でも間違っていたことが判明したり、数年・数十年経ってから訂正される内容が見つかったり、強いて言えば発展途上の最中です。完璧では決してありません。そんなものが『確実なものにするための拠り所』で良いんですかね。

 数年前に話題になった『この地球に山や森は存在しない』をご存知ですか?太古の地球には、今では想像もつかないほどの巨大な樹木が生い茂っていたというものです。そして伐採された切り株の代表例として取り上げられているのが、アメリカのデビルズタワーです。
別に巨大樹を否定も肯定もしませんが、科学者たちが口を揃えて「溶岩の固まったものだ」と言うんです。

 ネットで検索をすれば、多くのサイトやYou Tubeにも取り上げられていますし、画像も沢山あります。一度観てもらうと分かると思います。さらに北アイルランドのジャイアンツ・コーズウェーという場所は、4万本を超える石柱からなる柱状節理(ちゅうじょうせつり)であり、火山から出た溶岩が冷えて固まったとされています。しかし綺麗な六角形をしているんですよ。これが本当に溶岩なんですかね・・・。

 100回やって100回成功しないとしても、科学において再現性がないと無理があるでしょうよ。科学では解明できないって、言えないだけなんじゃないでしょうか。もしくは教授や歴代の科学者を否定できない事情があるとか・・・。

 そして養老孟司さんも「なぜ麻酔で意識が無くなるのか、科学者も医者も誰一人説明できない。」と仰っています。そんな不思議なものを科学は肯定しているんですかね。理解に苦しみます。

 近年の地球温暖化や、それに伴うゲリラ豪雨や線状降水帯などが、二酸化炭素(CO2)の影響だと言われていますが、これを真っ向から否定している科学者の方もいらっしゃいます。なぜ正反対の主張が出てくるのでしょうか。科学は両方の側面を持っているんですかね。だとしたら裏付けには使えないと思うんですけどね。

 もしかしたら最初から科学は間違った学問なのかもしれません。ただ当たっていることもあるので、全否定は出来ないだけなのではないでしょうか。そんなものが『根拠』として、信用されて良いのか、今一度考える必要があるということです。

テレビ



 子供の頃からテレビが大好きで、属に言うテレビっ子でした。テストの前日でも親の目を盗んでテレビを観ていたり、漫画ばっかり読んでいたんです。そりゃあ落ちこぼれるわな・・・。はっはっはー。

 最近ではテレビ離れが、加速していると言われています。わしも歳をとったせいか、ほとんど観なくなりましたね。ただ毎週録画をしている番組が、四つだけあります。ここでは番組名は控えさせてもらいますね。だからといって、今日からそれらの番組が観られなくなったとしても、何も問題はありません。ある事に氣づいちゃったからです。

 それは「テレビはどんな道具であるか」ということです。

 そうです。テレビとは、広告を見せるための道具なんです。それ以上でも、それ以下でもありません。企業が広告を出すために、その時間の枠の確保のために費用を出します。その費用で番組が作られる。何故なら、ず~~~と広告だけだったら誰も見てくれないからです。

 当然のことながら、自社の広告を見てもらうために番組にも口を挟んできます。不祥事を起こしたタレントには賠償金を請求したり、広告出演者には違約金の支払いが課せられます。

 なんせ視聴者が自社の商品を買ってくれたり、サービスを契約してくれれば御の字なわけですからね。番組の内容なんて、どうでも良いんですよ。要は視聴率が高ければ、見てくれている人も多く、自社の利益が上がると思っているからです。でも残念ですね・・・そう上手くはいかないんですよ。

 テレビ放送が開始したのが、1953年2月1日です。日本で最初の放送はNHKでした。あれっ、おかしいですね。これは、どこからお金が出ていたんでしょうね。そして半年ほど遅れて民放初の日テレが放送を開始します。

 話しを分けて考えなければいけないので、まずはNHKからいこうと思います。広告を流さないNHKは、放送受信料というものを各家庭から徴収して、そのお金で番組制作をしています。さて疑問なのですが、何故スクランブル放送に変えないのでしょうか?

 観たい人だけが、観られる仕組みで良いはずです。現在では動画のサブスクもあるんですから、出来ないわけではない。それなのにテレビを持っている人、スマホを持っている人、ましてやネットに繋がる状況があれば、徴収すべきだと考えているそうです。もう本当に言語道断です。

 そもそも観ないのに、全国民から無条件で徴収しようとしています。スクランブル化をしない理由も、実際に契約する人が少なくなるのを知っているからです。だからスクランブル化をしない。何でも良いからクソみたいな理屈をこねて、受信料をかっぱらう。しかも総務省の有識者会議で、話しがまとまったと言います。さらに受信料未払いの人の裁判で、NHKが勝訴の判決まで出ている始末です。もう三権分立もあったもんじゃありません。

 はっきり言います。NHKも役所も裁判官もヤクザ以下です。ちなみにヤクザとは、役立たずの意味で、自分を卑下した言い方であり、第三者が言うべきではない名称なんですよ。それも分かった上で、役立たず以下の組織、仕組みなわけです。まあ、お金を無くしてしまえば、払いようがないんですけどね。はっはっはー。

 次に民放です。前述したように『テレビは広告を観せるための道具』です。企業の出した費用で番組を作り、出演者にギャランティーを支払う。故に企業の悪口など言えません。この執筆中にも、ビッグモーターの件で騒がれていますが、あの広告を流していたテレビ局、番組に責任は無いのでしょうか。問題が露呈してから、手のひらを返して「また問題が浮上」しか取り上げず、自分たちは知らぬ存ぜぬを決め込んでいます。

 あなたは、テレビが本当のことを映していると思いますか?今一度よく考えてみてください。

広告



 冒頭でも書いたように、長い間ずっと芝居ばかりをしていました。俗に言う役者です。まあ売れなかったので、知らない人の方が圧倒的に多いでしょう。数少ないですが、映画やドラマ、CMにも出させてもらったことがあります。なので、わしも同罪であり、共犯者だと感じています。この場をお借りして謝らせていただきます。本当にすみませんでした。

 その理由は広告です。あなたはテレビCMで、DVDレコーダーやブルーレイレコーダーが、流ていないことを知っていましたか?それは広告を飛ばせるからです。何千万円から何億円という費用を掛けて、CMを観てもらえないとなると、企業としては大問題ですよね。だから家電メーカーへ圧力を掛けて、DVD・ブルーレイのCMを流さないような仕組みなんです。

 てめぇの所だけが儲かれば良いという、あまりにも身勝手な多数の企業が結託して、家電メーカーをいじめていたわけです。するとどうなったか分かりますか?日本の家電メーカーは、別の商品に力を注いだり、違う業種に着手したりしました。案の定、企画・開発・研究・実験等々と、時間も費用も掛かります。そりゃ衰退していくわけです。海外の家電メーカーに取って食われちゃったわけですね。

 知らず識らずのうちに、テレビで大々的ないじめが横行しているんですから、子供たちのいじめが無くなるわけもありません。

 もう何十年も前にキャスティングをやられている方から聞いた話しがあります。多くの人が知っている、とある役者さんは、CM一本のギャラが五千万円だそうです。契約は三ヶ月ですが、撮影は一日です。つまり日当五千万円なわけです。事務所が何%か持っていくでしょうから、全額その役者さんに渡るわけではないでしょう。しかしこの金額ですよ。驚きませんか?

 そしてもう一組、全国民が知っているであろう今はなき5人組のグループは、一人当たりだと三千万円。グループ全員で使えば、一億円だったそうです。本当に凄いですよね。

 そんな中で「私はもうCMしか出ない。」と、言い出す役者さんまで出てきちゃったんですよ。そりゃそうでしょう。拘束期間は、一日。予備日を入れても二日で終ります。こんな楽な仕事は他に無いですからね。えげつない金の亡者ですよ。自分で何を言っているのか、分からなくなっちゃったんでしょうね。それくらいお金は恐ろしいんですよ。

 そして広告の問題点は、他にもあります。それは否応なしに人々を傷つけているということです。どういうことかというと、全ての広告はあなたを否定するために作られているということです。

 現状に満足している人には物が売れません。お腹がいっぱいな人の前に、ものすごく美味しそうな料理を出しても食べないのと一緒です。なので「あなたは綺麗じゃない。」「将来不安になりますよ。」「今のままじゃダメだ。」という内容を暗に言っているだけなんです。

 感度の強い人などは、CMを観ていると氣分が悪くなったりしてしまいます。他にもスーパーの陳列棚や街の看板などでも具合が悪くなったりするんです。それはあなたを否定している数々の「だったらこれを買いましょう。」「不安を取り除きますよ。」「明日から変われる。」などで誘導しようとしているからです。

 わしは、好きな役者さんやアーティストさんはいますが、『推し』というのはいません。だからか推しがCMに出演しているからといって、その商品を購入しようとする人が理解出来ません。否定しているんじゃないですよ。ただ理解が出来ないと言っているだけです。

 若い女の子はもちろん好きですよ。はっはー。とはいえ、若い女の子が出演しているからといって、洗剤だの、食品だの、サービスの契約だのをしようとは思わないんですけどね・・・。中には、ついつい買っちゃう人がいるんでしょうね。不思議だな~。

 反対に大好きな役者さんが、CMに出てると「もうやめてくれよ。お金のために広告塔にならないで。変なイメージつけないで。」って思っちゃいます。非常に残念です。「過去に出演経験がある奴が何言ってんだ。」と言われるでしょうけどね。はっはっはー。すみません。

 さあ、自分たちの利益のみを考えている企業が出費したお金で、成り立っているテレビ局や番組、本当に必要なんでしょうか?

番組



 テレビの厄介なところは、まだまだあります。まずはコメンテーターです。

 なに!?コメンテーターって?あんなの要る?芸人だの、タレントだの、元アイドルだの、元アスリートだのって・・・。当たり障りのないことを発言して、ウン十万円もらっていかないと生活が成り立たないんですかね。

 ワイドショーなどのコメンテーターって、単なる時間稼ぎでしょ。「色んな人の意見を反映させたい。」とか言うと思うけど、本氣で要らないと思うんですよ。別に国民の代弁者じゃないわけだし、「テレビなんて無くなれば良い。」って発言する人は使わないわけでしょ。はっはっはー。そりゃそっか。

 そもそもワイドショーも要らないと思っちゃうんですけどね。本当のことなんて放送しないじゃないですか。暇な主婦層や老人たちに、適当な垂れ流しの番組でも見せておけってことだと思うんですよね。

 そしてニュースですよ。何故ニュースが朝・昼・夜・23時頃に放送されているか、あなたは知っていますか?それは食事に合わせたいからです。朝は朝ご飯と、昼は昼ご飯と、夜は晩ご飯と、23時は晩酌と一緒に『飲み込んでほしい』んです。辛いこと、悲しいこと、残虐なものをご飯と一緒に飲み込んで理解してほしい。そういう思考になってほしいんですよ。メディアは。

 その証拠に、最近では海外の交通事故まで放送している始末です。事件や事故が無かったら「今日は何も無かったですね。平穏な一日でした。この後どうしましょう。」て、いうアナウンサーを見たことがないですよね。つまりそういうことです。

 何でも良いから悲惨な状況を流しておきたいんです。そしてそれを飲み込ませたい。世の中は恐ろしいところだと、印象付けたいんです。それでなんとか尺を稼ぎたい。政権与党の不祥事なんか流したくないわけです。あたかも重大であるかの様に、芸能人の不倫や、スキャンダル、スポンサー以外の企業の不正などを流したいだけです。スポンサーや政府に頭が上がらないですからね。

 また視聴者もニュースの内容よりも、他人の家を覗き見している感覚で興奮したり、より刺激の強いものを求める傾向にあります。そういった人達がニュースを見て、その情報だけを鵜呑みにしてしまいます。こうして悪循環へと進んでいくのです。

 次はバラエティ番組です。そもそも芸能人がクイズをしたり、何かにチャレンジしたり、追いかけっこしたりって必要ですか?わしは全く観ないんですけど、視聴率はまあまあ良いわけですよね。だから続いているわけだし・・・。どえりゃあ暇なんですかね。分からんわ~。

 そしてドラマです。本当に残念なことに、最近のドラマはすっかり面白くないですね。小説や漫画が原作のドラマや映画が大半になってきて、新しいもの生み出すことも、考えることもしなくなったんでしょう。

 さらに売れなかった奴に言われたくないでしょうけど、芝居の本質というか根幹を分かっていない役者があまりにも多過ぎる。わしは元歌手だろうと、アイドルだろうと、モデルだろうと、芸人だろうとドラマ・映画に出演して良いと思っているんです。本質さえ分かっていればですけどね。

 役者のための本じゃないので、本質については、ここでは書きませんけど、由々しき事態だと感じています。

 たまに親御さんが「教育上好ましくない。」って、テレビ局に文句を言うじゃないですか。
でもね、テレビに教育なんて1mmもないんですよ。企業が払ったお金で広告を流し、その広告を観てもらう装置がテレビであって、その一環としてニュースや様々な番組がある。
要は視聴者にお金を払ってもらうためだけのパフォーマンスなんです。

 ね。教育なんて無いでしょ。

今が最新だと



 進化論のせいなのか、飽食の時代だからなのか、あまりにも便利になりすぎたせいか、理由は分かりませんが、今が最新だと思っている人が多いように見受けられます。分からないことがあれば、スマホ一つですぐに調べられます。ボタンを押すだけで電話も掛けられます。東京から福岡まで飛行機だと、約2時間で着きます。

 しかしこれらは、本人の能力ではありません。どっかの誰かが作ってくれた物が凄いだけです。あなた自身はどうですか?今が最新だと思いますか?

 昭和60年代以前頃までは、大勢の人が10件~20件くらいの電話番号が頭に入っていました。友達の家、好きな女の子の家、学校などなど、今では信じられませんよ。昨日の晩ごはんだって覚えてないくらいなんですから。はっはっはー。

 弊害は他にもあります。カーナビのせいで地図が読めなくなったり、スマホやパソコンのせいで昔より漢字が書けなくなっています。ゲームや楽しむためのコンテンツが豊富で、本を読まなくなったのもあるでしょう。

 中には、高速道路でたまに見かける猛スピードを出している人。あれは車の性能が優れているだけなのに、自分の運転技術が凄いと勘違いしています。もう二重の意味で怖いですよね。

 もう二十年近く前の話しです。とある舞台で東京公演と地方公演というのがありました。同じ演目を先に東京でやって、一週間後に地方でやるといったものです。その東京公演でのアンケートに驚愕してしまったんです。うろ覚えですが、以下の内容でした。

 「私は数々の舞台(小劇場、大劇場問わず)を観てきました。映画も他の人より多く観ていると思います。そんな私ですが、今回の公演は全く理解出来ませんでした。こんな舞台を地方公演でやったところで、誰も理解出来ませんよ。」といったことが書かれていました。

 確かに誰にでも分かる内容ではなかったでしょう。しかし東京と地方で、そんなに理解度に差があるとは思いません。実際に地方で公演をしたところ、客席は大笑いの渦で、終演後には泣いている人もちらほらいたんですよ。アンケートを書いてくれた方には申し訳ないですが、地方の方が理解度は上でした。

 東京の方が上で、地方が下だという勝手な決めつけ。しかも自分が理解出来ないことは、他人にはもっと理解出来ないと思う傲慢さ。そして今が最新だと思っている勘違いです。

 よく話題に出てくるのは、江戸の人達が米俵一俵(約60kg)を軽々と持ち上げていたという話しです。しかも一日のノルマがあるので、通常は二俵ずつ(120kg)、時には三俵(180kg)を運んでいたといいます。

 また飛脚が一日に走る距離も驚きです。通常は宿場まで届けて、次の飛脚にリレーをする『継飛脚』という方法が取られていました。しかし中には、堺から江戸まで(およそ494km)を三日で走った伝説の通飛脚(とおしびきゃく)という方もおられたんですよ。

 どうですか?現代人で出来る人いますかね~。現代人は、確実に身体の使い方を忘れてしまっているんだと思いませんか?人間一人一人を見てみると、明らかに退化していると思いませんか?

 物質が溢れれば、心は衰退していきます。世の中が便利になればなるほど、人は退化していくんです。

切り札



 この内容は、サイトの無料レポートでも書かせてもらいましたが、改めて書き直させて頂きます。多くの人が知っているカードゲームの『トランプ』です。誰しもが遊んだことのあるカードですよね。アメリカ前大統領ではありません。

 このトランプですが、正式名称を『プレイング・カード』と言うそうです。実はトランプという言葉の意味は『切り札』なんですって。当時カードゲームを楽しんでいた欧米人が口々に「トランプ」と発言していたため、カード自体をトランプだと誤解したのでしょう。なんとも悲しい現実ですよね。ネイティブな発音で「ホワイトシャツ」と言ったのを、『ワイシャツ』と聞き間違えた話しと通じるものがあります。

 良いですか。切り札ですよ。よく覚えておいてくださいね。

 このトランプですが、実に巧妙な作りになっているんです。マークは『ハート』『スペード』『ダイヤ』『クラブ』の四種類です。そして数字はA(1)~K(13)までの13枚です。これは誰でも知っている事です。つまり4×13=52枚です。これは何を意味しているのかというと、一年の週を表しています。一週間は7日ですので、7×52=364となります。そこへジョーカーを足すと、365日になるのです。さらに1~13までの全ての数字を足すと91になります。これに四種類のマークをかけると、91×4=364でジョーカーを足して365日になります。凄くないですか。

 様々なサイトや書籍でトランプの説明が書かれているので、知っていると思います。四種類のマークが意味しているところは、季節だと言います。クラブが春、ダイヤが夏、ハートが秋、スペードが冬という感じです。またスペードは剣をモチーフにしたマークであるという記述もあります。たしかクラブが棍棒、ダイヤがダイヤモンドや貨幣、ハートは聖杯だったと記憶しています。

 さらに職業や階級を表しているというものまで存在します。『ハート=僧侶・王・愛』『スペード=騎士・貴族・死』『ダイヤ=商人・お金』『クラブ=農民・知識』というものです。
さあ、これが真実なんでしょうか?

 前述したように、一年間の週と同じ52枚。また全ての数字を足して364。どちらもジョーカーを足して365という数字になります。こんなにも計算されたものが、僧侶や騎士を表しているのでしょうか。しかもまた『お金』が出てきています。おかしいですね。

 わしは氣づいてしまいました。この『トランプ(切り札)』は、性を表しているんです。まず赤いマークのハートは、女性のお尻を表しています。そしてダイヤは、女性器です。そして黒いマークのスペードは、男性器の亀頭部分をちょうど裏から見た形です。そしてクラブは、肛門から袋までの女性器に当たる部分『会陰(えいん)』が勃起した状態と睾丸を表しているんですよ。スペードとクラブを足してみてください。男性器に見えますよね。

 つまり「相手から見た形」をマークにしているんです。スペードとダイヤが近づいていき、ハートとクラブで合体というわけです。一年を表す365日と男性と女性をそれぞれ表しているんです。要は一人じゃ分からない。氣づかない。生きられないことを示しています。ね?よく出来ているでしょ。

 しかもメキシコのマヤ文明の遺跡チチェン・イッツァにあるピラミッド『エル・カスティーヨ』は、四面ある階段の数は91段で、頂上には真四角の1段があります。つまりトランプと一緒です。またエル・カスティーヨは、春分と秋分の年に2回だけ日の光を浴びて、うねうねとした影が階段側面に現れます。これを『ククルカンの降臨』と呼んでいます。ククルカンとは、マヤ神話においての創造神で「羽のはえた蛇神」です。う~ん・・・わしには龍だとしか思えないんですけどね。

 どうですか?トランプとマヤ文明の意外な一致。どうやらトランプというのは、物事の本質や真理を探るのに必要な『切り札』なんじゃないでしょうか。



 現在の太陽暦ってどうなんでしょう。30日の月や31日の月があり、2月に至っては28日までって、どうもしっくりこないんですよ。先程のトランプで考えると、やはり28日×13ヶ月で364日。正月などで1日プラスして365日の方がしっくりくるんですけどね。しかも閏年には、もう一日正月が増えて嬉しくないですか?こっちの方が良い様な氣がしてしまうんですけどね。さらに一週間が7日だということは、7日×4週間で28日。ぴったりくるじゃないですか。正月なんて曜日は必要ないでしょうからね。

 先程のトランプのダイヤでも『お金』というフレーズが出てきましたが、何なんでしょうね。日本語の曜日でも『日・月・火・水・木・金・土』となっています。ここにも『金』ですよ。本当におかしい。太陽系の惑星でも『水星・金星・地球・火星・木星・土星・天王星・海王星』です。ここにも『金』ですよ。

 頭の良い人達がネット上にアップしてくれているので、いくつかのサイトを閲覧したところ、どうやら古代メソポタミア時代に起源があるそうです。そして太陽系の惑星の名前から曜日を決めたであろうことが分かります。

 まあそうでしょうね。『太陽=日曜』『月=月曜』『火星=火曜』『水星=水曜』『木星=木曜』『金星=金曜』『土星=土曜』と当てはめられますからね。では何を元に太陽系の惑星の名前をつけたかです。これは神話の神々の名前からつけられたと説明されています。火星がMars(マーズ)だとか木星がJupiter(ジュピター))といった具合です。

 ここまでは理解出来るんですが、じゃあ何故『日月火水木金土』となったかですよね。当然ながら『太陽=Sun 日曜=Sunday』『月=Moon 月曜=Monday』となります。いくらアホなわしでも分かります。しかも陰陽説だと『太陽=陽』『月=陰』となります。じゃあ残りの『火水木金土』ですよ。これも諸説あるんでしょうが、おそらく中国の五行説から来ているのではないでしょうか。

 少しだけ触れておくと、陰陽説は宇宙のありとあらゆる現象・事物を陰と陽で説明し、そのバランスを取り合っているという思想や哲学の考え方です。そして五行説は、宇宙の全ては五つの元素(木・火・土・金・水)から成り立っているという考え方です。この二つが合わさり『陰陽五行説』が出来上がり、日本へと伝わってきました。

 でもですよ。ここで大きな問題があるんですよ。五つの元素に入っているのは本当に『金』か、ということです。

 五行説は、お互いに「相生(そうせい)関係」であり、「相剋(そうこく)関係にあるとしています。相生関係とは、ある物が他の物を促進させたり、育てたりする関係のことです。『水』を吸って『木』が育ちます。『木』が燃えると『火』の勢いが増します。といった様に隣り合ったものへ影響していき、一周すると元に戻る。まるでじゃんけんの様な関係です。相剋関係とは、相手を抑制する関係です。『水』は『火』を消します。『火』は『金(属)』を溶かします。『金(属)』は、『木』を切り倒すといった具合です。

 この五行説は他のものにも通じていて、人間の身体に転用されたのが『五臓』です。
『木=肝臓』『火=心臓』『土=脾臓』『金=肺』『水=腎臓』を表しています。さあ、良く見てください。『金=肺』ですよ。明らかにおかしいですよね。どう考えても『風(空氣)』なわけですよ。

 はるか大昔に『風』を『金』に、改変した輩がいるんじゃないかと考えちゃうわけです。過去を見れば一目瞭然です。歴史は勝者が捏造すると言われていますし、都合の悪いものは隠そうとします。何がなんでも「金、カネ、Gold、カネ、お金、カネ」にしたいんでしょう。

 そして現在の太陽暦は、季節の変化には合っていますが、出来る限り月日とのズレが少ない様に作られた暦なわけです。もうそもそもが間違っていると思いませんか?「ズレが少ない様に作られた暦?」ってなりません?

 農業や漁業に従事している方々は、今でも旧暦で仕事をしていらっしゃる方も多くいます。漁師さんの中には、「暦で漁をするわけじゃない。月の満ち欠けと経験で漁をする。」という方もいらっしゃいますけどね。はっはー。

 要するに現在の太陽暦も曜日も惑星の名前も、誤っている可能性が非常に高いんですよ。
現代人の我々は、間違った仕組みの中で生活をしているのかもしれません。まるで不安定な土台の上に建築物を建てるようなものですね。

性教育



 本当にこの国は間違った方向へ、どんどん進んで行っていると感じます。小学校でも「お金の授業」が始まり、「お金が大切」というTVCMが流され、貯蓄よりも投資を推し進めています。しかもデジタルに移行しつつあるにも関わらず、新紙幣を発行するという。さらに国の借金は雪だるま式に増えているのに、海外にばら撒き、国民への税負担は酷くなる一方、造幣局に作らせることもせず、二重課税までのうのうと行っている始末です。本当におかしいです。

 そんなお金の授業より、幼少の頃から性教育をちゃんと教えた方が、絶対に良いと思うんですよ。前述した様に犯罪の8割以上は、お金絡みです。しかし痴漢、下着泥棒、強姦、わいせつ行為と、性犯罪はお金とは一切関わっていません。しかも悪質になってきていて、飲み物や食べ物に変な薬を入れてくる輩までいるんですから本当に許せません。性犯罪の加害者も無期懲役で良いと思っています。

 わしには全く理解出来ないんですが、電車の中で女性のお尻を触って何が良いんでしょう。だって自分はちっとも氣持ちよくないじゃないですか。下着だって、ただの布ですよ。自分の穿いているパンツと大して変わらないじゃんか。分からんわ~。

 被害にあう大多数は、子供や女性といった弱い立場の人達なんですよ。それ故に3歳くらいから性教育をしたら良いと思いますが、ここにも問題があります。少なからず小児性愛者が存在していることです。しかも教育関係者に目立っているんです。他の職業の人の中にも存在しているでしょうけど、表に出てきていないだけかもしれません。

 こういったオトナ達がいるので、容易に各幼稚園や各小学校に任せられないというのもあるでしょう。また教える人によって、かなり差が出てくることも予想されます。さらに性教育だと言っておきながら、児童へ手を出していた事例もあるからです。

 おっちゃんが小学校の時にも、性教育の様なことはありました。たしか小学校5年の時だったと思います。女子生徒たちが体育館に集められて、映像を見たり、話しを聞いていたらしい時に、男子生徒はというと、校庭に集められて、ドッジボールをやってましたね。もう全然ドッジボールなんか身が入らないですよ。頭の中は「体育館では何が行われているんだ~。」ばっかりでしたからね。はっはっはー。そして別の日に男子生徒だけが体育館に集められて、同じ様な性教育の授業を受けました。内容は全く覚えてないですけどね。

 先程のトランプもそうですよ。マークの本当の意味を教えればいいじゃないですか。桃太郎もそうですよ。大きな桃と鬼の角ですよ。どう考えても女性のお尻と陰茎じゃないですか。天狗のお面もそうですよ。あれは女性専用のオナニーグッズでしょ。いつの時代もオトナたちが、隠して、嘘をついて、誤魔化してきたわけです。

 小学校高学年とか中学生になってからなんて、遅すぎますよ。ホント。大抵のオトナたちは、『性教育=SEX』だと思っているわけです。いやいやいや、子供たちは愛を知り、命の尊さ、相手をいたわる心などを学ぶんです。如何に自分の身体が大切であるか。見ず知らずの相手に対して、見せない、触らせない。強要してきた相手には、はっきり断る。そしてすぐさま逃げる。こういったことが本当に大切なんですよ。性病のこと、妊娠のことも重要です。

 ハラスメントが良い例なんですけど、『◯◯ハラ』『▽▽ハラ』『■■ハラ』って、言葉ばっかり作り出して、何しとんじゃい。どれもこれも「相手が嫌だと感じることはしない。」ってことじゃないの?性教育だってそうでしょ。相手が嫌がることをしないって、教えてないから言葉だけが先行しちゃって、バカな犯罪者が増えるんじゃないでしょうか。

 子供たちが可哀想でしょうがないです。わしは3歳から性教育を教えるべきだと考えています。あなたはどうですか?

スポーツ



 わしゃ運動も不得手なので、自らスポーツをやろうとは中々思わないですけど、友人に誘われたりした時には、やったりします。スポーツが得意な人って良いですよね。もう子供の頃から凄く憧れていましたよ。

 野球なんて全く興味が無かったのに、友達が入るってことで、わしも町内会の少年野球チームに入ったんです。あなたの想像通りです。万年補欠でした。はっはっはー。いや無理ですって。あんな速い球、取れない、打てない、避けられない。当たったらめちゃくちゃ痛いじゃないですか。

 一度日曜日の練習の時に、キャッチボールをすることになりました。そこで同い年の子に「一緒にキャッチボールしよ。」って、声を掛けたんです。すると返ってきた答えが「お前とキャッチボールすると、下手になるからやらない。他の人とやる。」だったんです。分かってましたよ。自分が下手なのは。けどショックを受けたな・・・。どうですか?あなたはスポーツが好きですか?

 スポーツって何なんでしょうね。否定しているじゃないですよ。スポーツの楽しさや爽快感、勝った時の喜び、負けた時の悔しさ、努力などは知っています。スポーツの良さも分かっているつもりです。でもですよ、何で戦うんでしょうね。練習だけだと飽きちゃうから?どの程度の実力か試したいから?相手を負かしたいから?

 本当は、競争心・闘争心・敵対心を、煽りたいだけなんじゃないかって最近思うんですよね。オリンピックを始め、世界大会やワールドカップ、それに伴う数々の大会は、間違いなく大金が動いています。しかも大抵が国同士の戦いです。つまりそれを望んでいる人達がいるってことですよ。

 応援する人達も大概が、自国を応援するでしょう。同じ国だからって理由だけで応援してます。ほらっここにも『同じ』が出てきた。はっはっ。しかもサッカーのフーリガンの様な、暴徒化する人達まで出てくる始末ですよ。さらにフェアプレーをしない選手までいます。もうスポーツの本質が無くなっているじゃないですか。

 こうなったら面白いから、国っていうカテゴリーじゃなくせば良いんじゃないでしょうか。例えば「年齢別」とか。この歳になると出場選手が限られてきますから、スキージャンプのレジェンド葛西さんくらいしか応援出来ないんですけどね。はっはっはー。

 「実際は、どっちの方が強いんだろう?」って、氣持ちはとても分かります。けど、強ければそれで良いんですかね。そもそもスポーツにプロって必要なんだろうか。「勇氣をもらった。」とか「感動をありがとう。」って、良く耳にしますけど、相手の選手の氣持ちは?
その選手を応援していたファンの失望はどうするんでしょうか?分からんわ~。

 さらに分からんのが、eスポーツですよ。何あれ?ゲームしてスポンサーがお金出すの?アカンっちゅう仕組み、そのまんまやんけ。しかも八百長問題やら、セクハラ問題やら、別人がプレーしていた替え玉問題まであり、銃乱射事件まで起きているんですよ。
こんなもの今すぐに止めないとダメでしょ。

 スポーツ選手は、我々では想像もつかない血の滲む様な努力をしているんでしょう。年齢や怪我などの問題も大変だと思います。凄いとは思いますが、全然陽の当たらない町工場で、バネを作っている職人さんの方が、よっぽど素晴らしいと思いますけどね。何かの役に立つ物を製造しているわけですからね。

 スポーツを利用して、ただ単に敵対意識を持たせたいだけなんじゃないでしょうか。ま~お金が無くなれば、プロスポーツ選手、eスポーツ選手はいなくなるでしょうけどね。

思い出して



 先程もちょっと書きましたが、本氣で「思い出して」ほしいです。若い頃にヤンキーだの、不良だのと呼ばれてきた人達は、出会ったオトナの印象があまりにも悪かったから、抵抗しただけなんじゃないの?悪さがしたくて不良になったわけじゃないでしょ。『話しを聞かない』『信じてくれない』『犯人扱いされる』『嘘をつかれる』などなど。オトナ達の態度に腹を立てていたんじゃないの?

 真面目な子も、オタクの子も、スポーツばっかりの子も、わしの様に勉強が出来なかった子も同様に、オトナ達への反感や怒りがあったはずです。それが自分がオトナになったら、平氣でそっち側に行くの?「オトナになれば、お前も分かるよ。」とか言って、自分に嘘をつき続けるの?「社会に揉まれたから」って、社会のせいにするの?ホント分からんわ~。

 食に関しては後ほど詳しく書きますが、役者志望で東京に出て、ボロアパートに住んでいた10代後半から20代の頃は、年に5、6回は風邪をひいていました。まぁ貧乏だったので、食パンの耳とか、カップ麺ばかりを食べて、ちょっとお金があると、外食やコンビニ弁当で済ませていました。絶対に真似しないでほしいんですけど、ティッシュやジャンプまで食べていたくらいです。はっはっはー。そりゃそうですよね、男の一人暮らしで自炊なんて、ま~しないですよ。食材を買うお金も無いですからね。

 当然のことながら、すぐに風邪をひきます。しかも一回ひくと、重症化して4、5日は動くことも出来ないくらいでした。異常なまでに免疫力が低下していたんだと思います。30代で少しはマシになりましたが風邪をひく回数は、それほど変わりませんでした。

 それから何やかんやあって、現在も一人暮らしをしております。書き忘れましたがバツ1です。(お相手がいることなので割愛します。)今は自炊をしており、外食なんか一年で1、2回程度です。しかもアトピー持ちなので、食べ物には充分注意をしています。もし誤ってアレルギー物質を摂取してしまうと、全身がかゆかゆになってしまい、象さんの皮膚みたいになっちゃうんですよ。

 今はというと、比較的ましになっております。さらに風邪も6年くらいひいてないんです。びっくりじゃないですか。コロナにも罹っていませんし、注射も打っていません。ちょっと体調悪いなぁと感じても、一日寝れば翌日には大抵治っています。「これが良い。」と聞けば試してみましたし、健康オタクの友人がいるのも有り難いですね。勉強をしたんじゃありません。学んだんです。(結構重要!)

 これが全員に合うとも思えませんが、和食中心にしています。朝昼兼用で、玄米と大麦を混ぜたご飯と、焼き魚、納豆、梅干し、漬物、味噌汁です。これに変えてからというもの、すっかり調子が良いんです。そりゃそうですよね、だって日本人なんですもの。また腸内環境を整えるためにも努力をしています。

 あるお医者さんが言っていました。「今すぐに止めるべき食材は、砂糖、小麦粉、牛乳だ。」と。わしは全く摂取しておりません。とはいえ日本でも古くから和菓子や煮物料理では、砂糖を使っていますし、うどんや素麺にも小麦粉が使われています。ただ摂取量が極端に少なかったのでしょうね。しかしですよ・・・

 戦後の学校給食では、パンと牛乳なんですよ。あれれ、おかしいですね。昭和21年から脱脂粉乳やパン給食が始まります。これはアメリカからの援助だと言われています。そしてこの背景には「アメリカが日本人を弱体化させるため」という陰謀論なども囁かれていますが、実際は逆です。当時アメリカは「給食には米と味噌汁が良いんじゃないか。」と提案してきました。それはアメリカ産のお米を一番輸入していた日本へ、もっと輸出したかったからかもしれません。しかしそれを断って「パンと牛乳にしてほしい。」と言ったのは日本の政府なんです。

 今ではすっかり多くの人が小麦の虜です。朝はパン、昼にはパスタ、おやつにクッキーやドーナッツ、晩ごはんにピザ。前述した様にうどんや素麺にも使われていますし、ホットケーキやパンケーキ、お好み焼きやたこ焼き、ラーメンと多岐にわたります。「誰が何を食おうが、お前に関係ないだろ。」はい。仰る通りです。別にわしは困りません。

 ただ、あなたが陥っている体調不良は小麦のせいかもしれません。もしかしたらリーキーガット症候群かもしれませんよ。これは小麦に含まれるグルテンが腸粘膜に小さな穴を開け、有害な物質が体内に漏れ出す病氣です。そして重要なのが、小麦粉を推してきたのは、当時の日本のオトナ達だということです。

 数年前にはTVCMで「砂糖を摂ろう」とやっていました。先日も「牛乳を飲もう」と言っていたのは、農林水産省と政府です。最近ではコオロギやGを勧めています。明らかにおかしいと思いませんか?

 今一度きちんと思いだしてほしいです。若い頃はどうだったのか。何を思っていたのか。どういう行動をとっていたのか。実家暮らしの時と、一人暮らしの違い。同居人や家族がいる時にはどうなのか。何を食べたのか。何を食べなかったのか。忘れているだけなんじゃないか。自分のルーツを細胞レベルで、思い出してほしいです。本当に今のままで良いのかと。

第三章 『土』

言葉のマジック



 どこの国の語数が一番多いのかは、判定の仕方が難しく一概にどこどことは言えないでしょう。新語が生まれ、誰も使わなくなった死語があり、造語も作られています。しかも日本では略すこともしばしばあります。また一本、一個、一匹、一頭、一枚、一回と、数字の後に付いてくる『助数詞』というのも独特でしょう。さらに『少々』『ちょっと』『少し』『わずか』と、多くの言い回しがあり、『1、2個』や『3、4個』と、断定しない言い方もあります。これらのことから、日本語もかなり語数が多いのではないかと思われます。

 そんな言葉ですが、実は結構大変なんですよ。同じ言葉であっても、声に出した側と、それを聞いている側で、齟齬(そご)があっては意味がありません。何のことを言っているのか分からなかったりしたら、使っている言葉を変えなければいけません。また『夢』の様に、寝ている時に見る方なのか、目標としている叶えたい方なのかを、前後の会話から読み取らなければなりません。あなたも実は物凄いことを、日々やっているんですよ。

 20年程前に、ちょっとした知り合いの人が、「うつ伏せでマッサージを受けてて・・・」って言っていたんです。だから「寝てたの?」って聞いたんですよ。そしたら「いや寝てないよ。」と返ってきました。「だったらそれは『うつ伏せ』じゃなくて『腹ばい』だよ。」って教えてあげたんです。すると相手がちょっと怒った様な口ぶりで「は?どうでも良いんだよ。そんなことは。」って、言われちゃいました。はぁぁぁぁ。もうその後は、何も言えませんでしたね。ちなみに某民法放送局のアナウンサーも、眠っていないのに「うつ伏せ」と発言していました。トホホッ。

 この様に『うつ伏せ』と『腹ばい』の違いを知らない人がいます。同様に『勉強』と『学び』をごっちゃにしている人が大勢いるんです。しかも『勉強』には正反対の意味まである始末です。一つは「一所懸命に努力をすること」ですが、二つめは「氣が乗らないことを仕方なしにやること」です。どうですか、ほぼ真逆じゃないですか。

 しかも「強いて勉める」という字からも分かるように、江戸時代までは『励む』という意味でしか使われていませんでした。この勉強に『学習』という意味をつけて使われるようになったのが、明治以降によるものです。そして現代では「一所懸命に努力をすること」としての意味が無くなりつつあり、「氣が乗らないことを仕方なしにやること」に置き換わってきていると言わざるを得ません。あと「もうちょっと安くして」っていう意味もありますけどね。はっはっはっ。

 そもそも『学び』とは全く違う言葉だったわけですよ。『学ぶ』とは『まね(真似)ぶ』から変化した言葉だそうです。日本の古典芸能や武術、楽器演奏やスポーツにも当てはまりますが、他人の真似をして自身を高めるのが本来の意味じゃないでしょうか。勉強とは絶対に、一緒に出来ない言葉なわけですよ。

 また『仕事』『労働』『働く』を混同している人が、あまりにも多いんです。おそらくテレビをはじめとするメディアが、ごっちゃに使っているのも要因の一つでしょう。さらにそれを観た視聴者が、考えなくなったのも影響していると言えます。

 この三つの違いは難しく、人によって解釈が違っていたり、ニュアンスが違っていたりしますので、もしかしたら納得してもらえないかもしれません。敢えて書かせてもらうと『仕事』とは、読んで字の如く『仕える事』です。会社などの組織に属しており、上からの指示でこなす業務。また創造性の高い芸術作品など、依頼を受けて制作すること。必要をしている人の代わりとなって行い報酬を受取ること。だと、わしは考えております。

 『労働』とは、『校長の話』でも触れましたが、要するに『ロボット』です。生活や消費をするために、仕方なくやっている活動です。創造性は1mmもありません。それ故に経営者にとっては、給料を払わなくて済むので、初期投資は高いですが、AIに取り替えたいと考えていることでしょう。

 そして『働く』ですが、テレビ番組で何度も取り上げられていますし、Googleさんで検索すれば数多くのサイトがヒットする『傍(はた)を楽にする』というのが語源と出てきます。傍とは、かたわらの人、周囲の人のことを指します。最初に聞いた時は「なるほど~。」って納得しちゃったんですけど、多分違いますね。これは単なる言葉遊びじゃないでしょうか。そしてそれなりに意味が通じているので、広まっちゃったんだと思います。

 ちょっと余談なんですが、『楽(らく)』と『楽しい』が同じ漢字を使っているのも、言葉のマジックですよね。だって楽をしている人は、楽しくないですよ。挫折や失敗を経て、努力して苦しんだ人の方が絶対に楽しいですよ。しかも『楽』の上に草冠をつけると『薬』になるんです。ちょっと怖くなってきませんか?

 話しを元に戻します。『働く』というのは、周囲の人達に対して『自分を活かす』ことなんじゃないかと思うんですよ。『学ぶ』で、自分を高めて、作り上げていく。それを『働いて』自分を活かして、社会に貢献する。これが本来の流れだと思うんですよね。

 ちなみにAIの導入で、仕事が奪われるかもしれないとメディアやSNSで騒がれていましたが、実施にお金が無くなった場合、まず銀行が要らなくなります。証券会社も証券取引所も、株式市場もFXも、先物取引も要りません。経団連も財務省も無くなるでしょう。会社の経理や会計も必要なくなります。低賃金の問題も無くなり、税金滞納者も税金Gメンも無くなります。凄くないですか?生活困窮者がいなくなるんですよ。

 さて、こういった人達は、今後どうやって働いていくのでしょう。そもそも動物は、今日の食事にありつけるかどうかで日々過ごしています。一日中探しても食事にありつけない日もあるでしょう。冒頭で述べた様に人も同様なんです。そこで一つ提案があります。それは週6日、一日に4時間だけ働くというものです。もしくは週3日に一日8時間働く。するとどうなるか。4日も自分の好きなことに時間を割けるんです。もしくは9時から13時まで働いて、あとは家族と一緒に過ごせるんです。良くないですか?

 そして『働く』ですが、ドライバー不足問題もありますので、近隣の家に荷物を運ぶのでも良いです。また近所の足の悪い人などの元へ、スーパーから頂いてきた商品を配達することも出来ます。電球の交換をしたり、庭の木の剪定をしたり、話し相手になるだけでも、働いていると言えるのではないでしょうか。

 話しが前後してしまって申し訳ありません。あなたは為替や株式、金(きん)など、政府が推し進める相場が、何故一定ではなく不安定だか知っていますか?それによって大儲けしている人達がいるからです。一定だったら誰も損もしなければ得もしないからなんですよ。あ~あ、バラしちゃった。はっはっはー。

 言葉のマジックは、まだまだあります。ちょっと調べたくなってきませんか?ほ~ら、学びたくなってきた~。はっはー。

バカ



 これも一つの言葉のマジックなんですよ。『バカ』って沢山意味があるじゃないですか。
一、愚かなこと
二、記憶力や理解力が劣っている
三、役に立たない
四、つまらないこと などなど      
引用元:Wikipedia

 高学歴でエリート街道まっしぐらの人が、女性にわいせつ行為をした時に「バカなことをしてしまった。」と発言したりします。こういった事例も不思議でしょうがないんですよ。おそらく過去にも似たようなことを、行ったことがあるんじゃないかと勘ぐってしまいます。記憶力が良いだけで優秀だとされているにも関わらず、そんな発言をしてしまう。自分の愚かさに氣づいていない。わいせつ行為がバカなのであって、自分のことは棚に上げている様に伺えます。こういった輩は、どんな職業であれ、バカです。

 大概「バカ」と言うと「バカにすんな!」と返ってきます。直接言わずに態度で示したとしても「バカにすんな!」と返ってきます。そんなにバカにされたくないんでしょうか。まだ出会っていないですが、賢い人に『バカ』と言っても、怒ってこないんじゃないかな・・・。「バカじゃないよ。」って、滔々(とうとう)と説明されてしまいそうです。はっはっ。

 わしの様に勉強の出来ないのは、バカと呼ばれるでしょう。良いですよバカにしても。だって自分でバカだと思ってますもん。否定はしませんよ。こんな本を出版しようとしているんですから、そりゃバカでしょ。はっはっはー。

 ブログでも書きましたが、先日のことです。片側一車線の道路を原チャリで走っていました。100mほど先の信号機のところで、車椅子に乗った高齢の女性がいました。信号が変わったら渡るんだろうと思いながら進んでいると、動き出そうとしているじゃありませんか。「え!?え!?え!?」ですよ、ホント。まだ車道側の信号は青です。わしはセンターラインの方へ寄っていたので、無事に信号を超えましたが、バックミラーで見ると渡ろうとしています。しかも対向車が信号へと向かっているんですよ。

 動転しながら左に原チャリを止めて、振り向いて駆けつけようと思った時に、ビッビーーーーーーー!!!と対向車がクラクションを鳴らします。対向車がブレーキを掛けてスピードを落としたので、事故にはなりませんでしたが、もうヒヤヒヤものでした。しかもその高齢女性は悪びれることもなく、横断歩道を渡りきりました。あまりのことに暫く呆然としてしまいました。

 この女性はバカな行動なんですかね?歩行者の信号は赤です。道路交通法を違反しているのは、確実に女性の方です。車にぶつけられたら痛いのも分かっているでしょう。車椅子の操縦を過信していたんでしょうか。まだ車の近づいていない、この距離ならいけるとでも思ったんですかね。本当に困ったものです。

 またプラスドライバーの番号が間違っていたために、ネジ山が潰れてしまう時や、蓋がきちんと閉まらなくパカパカの状態を「バカになっちゃった」と言いますよね。これは「役に立たない」と言う意味だと理解は出来ます。

 一方で、舞台用語に『バカロップ』という言葉があります。『ロップ』というのは『ロープ』のことです。つまり『バカなロープ』という意味です。これは舞台上の客席からは見えない上の方に、バトンというものがあります。そのバトンには幕が張ってあったり、看板や装飾品が付いていたりします。それを舞台袖にある綱引きで使う様な縄があり、それを操作することで舞台上のバトンが上下する仕組みです。この縄があるところを『綱元(つなもと)』と言います。

 ところが実際のバトンは綱本から見えないこともしばしば。なので昔は綱元に布を巻いて目印にしていました。しかし布の位置がズレていたり、外れてしまうトラブルがあったんだと思います。なのでお客様から見えない場所で、バトンにこの『バカロップ』を結わっておきます。下までだら~と長いロープが垂れていると思ってください。そしてバトンが定位置のところで、『バカロップ』の先端が床に接したところで切ります。つまりバトンを降ろすタイミングで、『バカロップ』を見ていれば丁度の位置に装飾品や幕を降ろせるという代物なんですよ。これはバカですかね?物凄く賢いと思うんですけどね・・・。名付けた人の問題ですかね。

 この様にバカという言葉にも、様々な意味が含まれているのが分かります。でも思うんですよ。他人に危害を加えたり、迷惑を掛けたりするのは、言語道断なんですけど、バカになった方が良い時もあるんじゃないかって。役者バカとか、野球バカとかと、言われるのは、必死になっている証拠だと思うんですよ。バカになったもん勝ちでしょ。

 あなたは『バカ』という言葉について、どう考えますか?

嫌なこと



 性教育の項でも少し触れましたが、ハラスメントなんて全部、相手が嫌がることじゃないですか。だから「嫌がることをするな!」で、全然良いんですよ。それなのに言葉ばっかり作って、「最近では★★ハラが増えてきていて、社会問題になっています。」なんてアナウンサーが言っちゃうわけです。あおり運転もそうですよ。「やめろ!」で良いわけですよ。

 先日たまたまテレビをつけたらニュースをやっていて、大阪では片側一車線の幹線道路に出る場所で、逆走する車がのさばっていて、しかも日常茶飯事らしいんですよ。対向車にしてみたら迷惑千万なわけです。そこで小競り合いがあって、余計に渋滞する。もう頭が悪いとしか言いようがないですね。こういったことをする人も、あおり運転をする人も、車も免許も没収したら良いんじゃないかと思うんですけど、ずる賢いから無免許で運転しだすんですよね。困ったな~。

 さらに相手に対して嫌なことをするというのは、お金になるんです。どういうことかと言うと、被害者家族へ突撃するリポーターや雑誌記者ですよ。ほとんどが「悲しい」「悔しい」「早く捕まってほしい」「真実を明らかにしてほしい」でしょ。もう分かり切っているのに、追っていくんです。相手が嫌がってるんだからやめろよな。多くの国民も、そんなの見たくないんだよ。恥を知れ。

 はっきり言ってメディアなんて腐り切ってますからね。有名人の不倫なんて、どうでも良いんですよ。汚職とか、賄賂とか、不正請求とかだったら、もっと切り込んでいけって応援もしたくなるけど、お金が無くなったらこんな事件も無くなるんですけどね。はっはっはー。

 そして広告の項でも説明した様に、広告も相手に嫌なことをして、自社の商品やサービスを売って、お金儲けしているわけです。それに便乗している、テレビ局と芸能人たちなわけです。ま~お金が無くなったら、広告費が無いのでテレビ局や多くの芸能人は消えるでしょうけどね。

 嫌なことに通じるものとして『相手を不安にさせる』というのもあります。占い師や霊媒師と呼ばれている人達が良い例でしょう。相手をポジティブにしたり、悩みを解消してあげる分には何も問題ありません。多くの占い師や霊媒師は、そうしているでしょう。しかし中には、「あなたには悪霊がついている。」とか「回避するには、これを買うしかありません。」と、相手を不安にさせ心の隙をついて詐欺を行っている奴らもいます。

 また非常時には、充分に注意が必要です。例えばトイレが詰まったとか、水が出なくなったとか、突然のトラブルに見舞われた場合です。パニックに陥って正常な判断が難しくなっています。以前にポストに入っていたチラシで決めたり、ネットで検索して一番上に出てきた業者に依頼するのは、一旦止めましょう。必要以上の金額を請求されてしまう危険があります。

 奴らもお金儲けに躍起になっています。そのためチラシを大量にばら撒き、ネット広告には大金を払っています。真面目にしっかりと、謙虚に経営をされている会社がほとんどだと思いますが、中には旨い餌で顧客を釣り、高額請求してくる輩もいるのが事実なんです。

 これらに加えて、本当は『嫌なこと』だとは教えずに、素晴らしい行為だと思わせている詐欺が『奨学金制度』です。何なんですか、あれ。本来は大学に行って、もっと学びたいという人に対しての支援じゃないですか。そもそも返済義務なんて無いはずですよ。それが「毎月返しなさい」って、ただのローンですやんか。ほらっここにも言葉のマジックですよ。

 しかも中には利子まで取っているところもある始末です。平均的にみて新卒の給料なんて、たかが知れているんですよ。毎月の返済が苦しくなり、後悔している人も大勢います。やりたかったことを断念する人や、夢を諦めるしかない人までいます。なんのための『大卒』という称号なんでしょうね。本当に可哀想だと思います。

 こうやって汚いオトナ達は、嫌なことをさせて私腹を肥やしたり、自分勝手な行動を取ったりするんです。ね、お金なんて無い方が良いでしょ。

税金



 もう何なんですかね、この税金という奴は!!本当に怒っていますよ。まずネットでも散見される『税金=罰金』を紹介したいと思います。あなたも目にしたことがあるかもしれません。

働いたら罰金:所得税
買ったら罰金:消費税
持ったら罰金:固定資産税
住んだら罰金:住民税
飲んだら罰金:酒税
吸ったら罰金:たばこ税
乗ったら罰金:自動車税・ガソリン税
入ったら罰金:入湯税
起業したら罰金:法人税
死んだら罰金:相続税
継いでも罰金:相続税
上げたら罰金:贈与税
貰っても罰金:贈与税
生きているだけで罰金:住民税
若いと罰金:年金
老いても罰金:介護保険料
出国すると罰金:国際観光旅客税

と、なっています。さらに免許の更新で罰金。車輌を持っていたら2年に一回、車検という名の罰金。ある書類を書いたら印紙税という名の罰金。しかも令和6年から『生きているだけで罰金:森林環境税』が課せられます。

 「何しとんじゃい!!」わしゃ、はらわた煮えくり返っていますよ。しかもガソリン税なんかは、二重課税だと言われているんですよ。本当に政府はヤクザより外道です。

 消費税についても一律の10%だから公平だと勘違いされがちですが、不公平極まりない税金なわけですよ。例えば年収300万円のAさんという人がいたとしましょう。貯金など出来る余裕がないので、300万円全て消費されることになったとします。実際には、270万円分しか消費することが出来ず、残りの30万円は消費税で消えているだけです。

 次に年収1000万円のBさんという人がいた場合、諸々使うお金が500万円だとして、実際は450万円にしか消費税は掛かりません。当然のことながら残った500万円に消費税は掛かりません。これを公平だと言うんでしょうか?そもそも公平な課税なんて不可能じゃないですかね。しかも様々な税金(罰金)を搾取しておいて、経団連は2012年に「消費税を19%に上げるべきだ。」と言っているんですよ。はあぁぁぁ!?じゃないですか。

 だって消費税の内訳って知っていますか?まだ消費税が5%だった時に、4%分は東京へ。残った1%を地方で割るというものです。それが10%になり、7.8%分が東京へ行き、2.2%を地方で分配しているんです。なんでこんな不平等がまかり通っているのか。しかもトヨタをはじめとする輸出大企業は、消費税を納めないどころか、税務署から巨額の還付金をもらっているんですよ。この異常さが、分かりますよね。

 さらに恐ろしいことに、どうやら小中学校で消費税のビデオを見せているというものです。それによると自身の給料明細を見ている男性が、あまりにも税金で取られすぎていて、税金の無い世界が良いと愚痴をこぼすと、税金の無い世界に移動するというものだそうです。その世界では、警察を呼ぼうにも大金が掛かり、道路は陥没してガタガタ。お金の無い学生達は、学校へ通えないので仕事をするしかないという内容みたいです。そのビデオを見た生徒さんは、考え方を改めて税金の大切さを知ったというものです。

 いやいやいや、騙されてるって。お金自体が無くなれば良いだけなんだよ。誰かが困っているなら、その道のスペシャリストが助けようと働けば良いだけじゃんか。そうやって助け合って、今日の食事にありつけるわけでしょ。騙されちゃダメだよ。

 そんなビデオまで作って、小中学生を誘導しちゃダメだって。やり方が汚すぎるだろ、オトナ達よ。って言うか、ほらっ義務教育の現場でしょ。そんな嘘までついて、無垢な子供たちを洗脳させたいんでしょうね。本当に汚すぎるわ~。

式典について



 世の中には無駄なものが多すぎます。この式典というのも、その一つですね。わしが17歳から20歳くらいまで、大好きで見ていた番組がありまして、それが『パペポTV』です。先日お亡くなりになった上岡龍太郎さんと笑福亭鶴瓶さんのトーク番組でした。上岡龍太郎さん、心よりお悔やみ申し上げます毎週ビデオ録画して何度も見直すくらい大好きだったんですよ。その番組の中で上岡さんは、こう仰っていました。

 「式典なんてものは要らないんですよ。葬式なんてしなくても人は死ぬでしょ。結婚式をしなくても、婚姻届を書いて役所に届ければ夫婦になれるでしょ。成人式をしなくても成人になれるんですから。あんなもの何も意味がないんですよ。」と。

 これを聞いて「なるほどな~。」と関心したものです。もっと言ってしまえば、入学式、卒業式、入社式、開通式などなど、本当に全ての式典は要らないんじゃないかな。中でも特に要らないのは、故安倍晋三氏の国葬ですよ。費用は12億4000万円だったそうですが、これも国民からの税金でしょ。要らないものに何で12億4000万円も掛けるのか、さっぱり意味が分かりません。しかも国民の真意を聞かずに、強行したじゃないですか。優しく言っても、愚の骨頂ですよ。

 近年でも話題になる派手な格好をして、酒を飲んで大暴れする成人式。あれも何やってんの?何十万円も出して衣装を揃えて、髪型や髪の色も変えて迷惑を掛けるって、筋が通ってないじゃんか。すっげぇみっともないって。

 そうそう、お金の無い世界になったら、宝飾品とかブランドの商品とかがタダになるわけだから、大勢が群がりそうですが、そうはならないと考えます。そもそも誰でも手に入れられる物を、高級そうに見えるからって身につけたいですか?だって無料なんですよ。自分自身が輝いていない人ほど、ああいうのに憧れていませんか。

 旦那の稼ぎが良い奥様とか、一代で財を成したおばさまって、同じ様なメガネで、同じ様な洋服着て、同じ様に指輪だ、ネックレスだ、腕時計だ、ブレスレットだってつけてません。しかもどこの国の優雅な奥様連中も、そっくりな格好をしているんですよ。あれって、ただのパフォーマンスですよね。お金があることを暗に示しているだけじゃないですか。これもこれで恥ずかしいですね。はっはっ。

 わしなんて金属アレルギーだし、元々興味が無いから、指輪も、時計も、ネックレスも、ブレスレットも持ってないですし、身につけません。洋服だってこの三年くらいで、作務衣を買ったくらいですよ。はっはっはー。車だってフェラーリとか、ポルシェ、メルセデスなんて乗る氣はありません。運転もあまり上手じゃないですし、お知り合いの方から頂いた今ので充分なんですよ。

 脱線しました。すみません。成人式といえば、はれのひ株式会社の店舗閉鎖、夜逃げ事件は衝撃でした。ホントに何やってんだよって思います。若い人達が着物を着るというのは、本当に素晴らしいことだと思います。ただ成人式が無ければ、あんな事件も起きなかったのにな~と思っちゃいますね。

 本当に式典は必要なんでしょうか。オトナ達が権威を誇示したいだけなんじゃないでしょうか。あなたはどう思いますか?

民主主義



 当たり前のことですが、我々が暮らす日本は民主主義の国ですよね。執筆にあたって、民主主義について猛勉強しました。だってあまりにも無知過ぎたからです。はっはっはー。(笑えないか・・・)

 民主主義の内容や成り立ちについては、あなたの方が詳しいと思うので省きますね。
ただ説明のために何点かは、書かせて頂きます。まずご存知だとは思いますが、『資本主義』『社会主義』『共産主義』が経済体制を表す言葉であるのに対して、民主主義は政治体制であるということです。そして民主主義の反対が独裁制です。例えば、資本主義経済でありながら独裁制をとっている国が、シンガポールやサウジアラビアなどです。一方で社会主義的な経済体制をとりながら民主主義を成しえているのが、ノルウェーやスウェーデンなどです。この様に国によって様々です。

 またスウェーデンのV-Demという研究機関の報告によると、世界人口の72%にあたる約57億人が独裁国家に暮らしており、自由民主主義国に暮らしているのは、わずか13%ほどの約10億人だという。あれ~多数決で考えると、明らかに民主主義の方が少数派ですね~。おかしいですな・・・。

 これは1989年のベルリンの壁崩壊やEU(欧州連合)発足の1993年頃と比べると顕著に現れています。この頃には民主的な考え方が正義だと叫ばれたため、多くの国々が民主化を加速していきましたが、2020年頃からは逆のことが起こっています。民主化をやめて非民主的な政治体制をとる国が増えているんです。

 一度は聞いたことがあるであろう『大正デモクラシー』の、「デモクラシー」が「民主主義」と訳されたわけだが、本来は違います。古代ギリシア語の『demos(人々)』と『kratos(力・強さ)』というのを足して『democracy(デモクラシー)』となったわけです。本来の『主義=イズム(ism)』では、ないってことなんですよ。

 ってことはですよ。民主主義って名前自体がおかしいわけですね。だって「人々の力」とか、「人々の強さ」って名前だったら、多くの人も「よっしゃ!いっっちょやったるか!」ってなると思うんですよ。何故なら日本は、はるか昔からみんなで話し合って決めてきた歴史があるからです。しかも・・・

 そしてこれこそが根幹なんですが、「民主主義で決めた結果が、必ずしも正しいとは限らない。」ってことです。最も重要なことなので、もう一度書きます。「民主主義で決めた結果が、必ずしも正しいとは限らない。」です。

 例えば、料理をしたことのない老若男女10人に、餃子を作ってもらったとしましょう。対して餃子を作り続けて25年の達人にも作ってもらいます。どっちの方が、より早く、より美味しく作れるでしょうか。当然のことながら達人でしょう。あなたも達人の餃子の方を食べたいですよね。この料理をしたことがない人が10人というのは、不利だという意見があったとしましょう。なので713人に増やしても構いませんが、それでも答えは変わらないと思いますよ。ちなみに国会議員の数なんですけどね。はっはっはー。

 この様に一定の人数を集めたからといって、良い結果になるとは限らないわけです。どれだけ烏合の衆を集めてみたところで、鉛筆一本、消しゴム一個も作れないわけです。仮に713人に、釘も接着剤も使わずに棚を作ってほしいと依頼したのと、指物師一人に依頼した棚と、あなたはどっちを選択しますか?答えは火を見るよりも明らかでしょう。

 そして民主主義の最大のデメリットが、話し合いでは解決しないということです。だから仕方なく多数決で決めるしかないってことです。つまり少数の意見は絶対に通らない。極端な例を上げれば、51%の人が支持した方の結果になり、49%の人の意見は無視されてしまうわけです。ですが、少数の意見の方が、正しい場合もあるはずです。

 この『数の原理』が、あまり理解されていない様に感じてしまいます。実は多数決というのは、良いことには適しておらず、悪いことに対して効力を発揮するからです。例えば「見知らぬ人から、いきなり殴られる社会」なんて絶対に嫌ですよね。ほぼ全員が嫌だと思うんですよ。これに対して「身体の為を思って、日曜日の16時から月曜日の7時まで、飲食禁止」なんて言われたら、いくら良いことだとしても、過半数には満たないんじゃないでしょうか。『嫌なこと』『不幸になること』『悪いこと』には、多数決は有効で、『善いこと』『幸せなこと』『心地よいこと』には、多数決は当てはまらないんですよ。

 そして民主主義が減衰していくのは、「民主主義と親和性の高い資本主義が原因ではないか。」と訴えている方もいらっしゃいます。さらに古代ギリシアの哲学者プラトンが、2400年前から「民主主義は、独裁政治に転落する危険性が多分にある。」と警告していたんです。

 さて現在の日本はどうでしょうか。政府の独裁政治になっていると感じるのは、わしだけではないはずです。今一度、民主主義を考えるきっかけになってほしいと願うばかりです。

政治のこと



 わしが子供の頃からよく耳にする言葉で、「◯◯が政治を語るな!」というのがあります。◯◯には、『アスリート』だったり、『アーティスト』だったり、『お前みたいなもん』だったりと、様々な言い回しで罵ってきます。でもおかしいんですよ。わしは納税もしていますし、日本国に居住しています。選挙権もあります。

 何百年前だろうと、縄文時代だろうと、現代であろうと、民衆が先にあるべきなはずです。民衆を後回しにしておいて、政治が先にくるなんて、どう考えてもおかしいんです。そしてそれは、全国民がそうでなければいけません。そもそも政治とは、複数人が生活をしていて、より良い暮らしを送るためにはどうするべきかを考え、実行するもののはずです。ですから全員に発言権があるべきなんですよ。それを口封じさせようってんだから、意味不明です。

 そこら辺の政治屋さんたちより、ちょっとはマシでしょ。だって「お金を無くそう。」って言っているんですから。検事さんや弁護士さんだって、学者さんや教授だって、裁判官や警察官だって言わなかったことを言っているわけですよ。ちょっと脱線しましたね。すみません。

 元々おかしいな~って、思っていたんですけど、政党って何ですか?端っから数でゴリ押ししてくる氣、満々じゃないですか。しかも政党交付金って、なんやねん!集団が大きくなると、助成金も増えるって、なんてバカバカしい制度なんだろう。『同じ』の項でも書きましたが、我々全員違うんですよ。どこにも同じ人なんて存在していないんです。こっちの件では考えは一致するけど、あっちの件では不一致なんてことザラにあるでしょ。「でも同じ政党です。」ってアホか!

 それにも増して派閥があるって・・・頭に虫でも湧いているんじゃないかと思っちゃいますよ。全然国民の方に向いていないじゃないですか。「母体は同じですが、考え方が違うので私は◯◯派です。」って、辞めちまえ!しかも当選してから政党を変更するという、とんでもないことをやらかすバカまでいる始末です。もう政党なんか無くしちゃえば良いと思うんですよ。

 そして議員の数が多過ぎる。寝てる奴がいて、タブレットで買い物を検索している奴がいて、差別発言をする奴がいて・・・・。しかも不逮捕特権だとか、自分で決断しないと議員辞職出来ないとかって、もうクソの役にも立たない法律まであるんですよ。議員の歳費も諸外国と比べて、異常に高い。納めた税金の使い方が不透明。本当におかしくないですか?

 そしてこういったことを発言して、何が悪いんでしょうか。そもそも我々の生活のために、奴らは仕事をしているんですよね。仕事をしないんだったら、辞めてもらうしかないじゃないですか。税金を使って海外旅行をしている場合じゃないんですよ。奴らの考えていることは、国民をどうやって騙して、より多くの税金を搾取するのかというのと、次の選挙のことだけです。完全に国民を舐めきっているんですわ。

 ここでちょっとだけ。工場とか企業のスローガンって、あるじゃないですか。例えば『整理整頓』とか『安全第一』とか『お客様第一で』みたいなものです。あれって大概が、「出来ていない」から全員の共通認識にするためのスローガンなんですよ。いいですか、出来ていないんですよ。すると見えてくるものがあります。『自由民主党』『立憲民主党』『国民民主党』『社会民主党』って、あれ~おかしいな・・・。『民主』って名乗っているけど、民が主になっていないじゃないですか。半島の北側にある国も『民主主義』って国名に入っているのに、全然民主主義じゃないですよね。つまり、そういうことです。はっはっはー。

 お金が無くなった世界でも、奴らは議員をやり続けるでしょうか?ほとんどの議員は辞めるでしょう。しかし権力を持ちたい人や、国民を操りたいと願う人は、残り続けるでしょうね。さらに寝ているだけで、働いた氣になれるんだから、残り続けそうだな。本当に恐ろしいわ~。

 これは国会議員に限ったことではなく、県会でも、市会でも、町会でも、一緒なんですけど、議員は三人で良いんじゃないかと思うんですよ。一人だと独裁制に偏りがちだし、二人だと意見が割れた時に収拾がつきません。だから三人です。日本の様な間接民主主義(国民の代表者が政治を執り行うこと)は、三人で充分なんですよ。しかも下手なことをしたら、即辞職させます。そして新たな人を議員にする。どうですかね、結構良いと思うんですけどね。

 さらに民主主義の国としては、驚くべき投票率の低さです。2022年(令和4年)に行われた参議院選挙では、52.05%の投票率でした。投票に行かない人というのは、先程のいじめの項の傍観者と一緒で、「今のままで良い。」という意見に一票を投じていることになるんですよ。それを理解していないのが本当に残念です。はっきり言って選挙に行かない人は「政治に口を挟むな!文句を言うな!」ってことなんですよ。分かりますよね。

 現時点での選挙システムや開票作業には、確かに疑問点が多々あります。20時丁度に当選確実って、確実におかしいだろ。「出口調査で分かるんだよ。」って言う人もいるだろうが、そんなわけない。よく聞くのは「大鍋で作った味噌汁を全部飲まなくても、ある程度の量を飲めば、濃さが分かる。出口調査もそういうものだ。」というもの。いやいやいや、対象となる人を増やして、精度を高めようとしても、あくまでも統計学じゃないですか。

 テレビの視聴率もそうですけど、あれビデオリサーチって会社が独占しているんですよ。しかも筆頭株主は広告代理店である電通です。しかも電通から送り込まれた人間が、社長になるという仕組みです。自社で企業のCMを作って流し、視聴率を操作しても氣づかれない。デジタル放送になったのですから、正しい調査が可能なのにも関わらず、敢えてそれをしない。選挙システムと非常に酷似しています。

 ただ行動(投票)しないと何も変わらないどころか、より一層悪くなる。それを政府は知っています。だから出来れば選挙に行ってほしくないんですよ。

 例えば、わしがまだ生きていたとして、投票に行っていない約48%の人が『高橋 清彦』って書いたら、簡単に自民党を超えるんですけどね。はっはっはー。わしゃ立候補もしないですし、政治家になるつもりもありません。しかも選挙管理委員会が、正しく公表するとも言い切れないので、机上の空論ですけどね。そんでもって、もし同姓同名の人が立候補していたら、その人の一人勝ちでしょうね。はっはっはー。

 つまり学校教育を変えるのも、議員の数を減らすのも、変な法律を無くすのも、お金を無くすのも、選挙に行かないと始まらないということです。そして白紙や無記名の投票は一切止めて頂きたい。奴らが何をするか、分かったもんじゃないからです。っていうか、何で未だに鉛筆なんだろう・・・ちょっときな臭いですね。

役人と省庁



 氣づいた人は行動が早いな~と、実感しているのが、若手官僚の自己都合退職者の数です。入省10年未満の退職者は、2018年度には116人、2019年度には139人、2020年度には109人と、今までからは信じられない退職者の数字です。また最初から官僚になろうとする人も、少なくなってきています。良い傾向だなと思っちゃいますね。

 だって各省庁とか役人・官僚って、要りますか?以下に記したのは、近年新設された庁になります。

・2008年10月 観光庁
・2009年9月  消費者庁
・2012年2月  復興庁
・2012年9月  原子力規制庁
・2015年10月 スポーツ庁
・2015年10月 防衛装備庁
・2019年4月  出入国在留管理庁
・2021年9月  デジタル庁
・2023年4月  こども家庭庁
・2023年9月  内閣感染症危機管理統括庁                

引用元:ヤフー・ニュース

 何これ!?要るか?こんなの?ジョジョじゃないけど、「無駄無駄無駄無駄!!」だと思うんですよ。本当に国民が怒らない方が、びっくりなんですけどね。だってこれは増えた庁だけですよ。この他にも既存の金融庁とか、財務省とか、文部科学省もあるわけです。無駄な公務員や、無駄な各省庁のために、納税しているわけじゃないんですよ。

 そして年末から年度末になると行われる道路工事。何なんあれ?「予算を使い切らなきゃ」って思っているのかもしれないけど、だったら翌年から計上するなよ。本当に政治屋と役人というのは、無駄が好きだよな~と思う。

 本人たちは否定をするでしょうけど、政治屋は国民をバカにして、官僚たちは政治屋をバカにしているんですよ。だって何、質問は前日の昼頃までに事前に通告しておいて、官僚が答弁書を作成し、大臣が読み上げるって。あまりにバカバカしいでしょ。幼稚園生に「なんで自分の口で答えないの?」「なんで前の日から質問をしなきゃいけないの?」「恥ずかしくないの?」ってのに答えられないだろうよ。

 分かってますよ。突然な質問で返答出来なければ、時間だけが過ぎていったり、「調べてからお答えします。」みたいな文言で終わってしまうのは。けど下手な芝居とか、台本を持った学芸会を見ているようで、氣持ちが悪いんですよ。

 そして要らないと思う最大の理由が、日本をダメにした諸悪の根源が官僚たちだからです。詳しくは、矢部宏治氏著『知ってはいけない 隠された日本支配の構造』を読んで頂きたいのですが、戦後ずっと日本の官僚たちとアメリカの軍人たちによって、密約がかわされ続けてきたんです。その名も日米合同委員会です。

 この会合は月に2回ほどの頻度で開かれており、日本の外務省・法務省・農林水産省・防衛省・財務省のエリートらが出席しています。そこで決まることは、日本の総理大臣やアメリカ大統領さえも知らされなかったりしているんです。

 あなたもご存知かもしれませんが、日本の空は横田空域や嘉手納空域に代表されるように、驚くほど制限されています。また度々話題になる在日軍人が日本国内で犯罪をおかしても本国へ移送されて、日本の法律が通用しない事実上『治外法権』となっていることを。これらはアメリカの言いなりになっているエリート官僚の仕業なんです。

 さらに砂川裁判・最高裁判決では、外務省・日本政府・法務省・最高裁長官と連携して、
「在日米軍の駐留は違憲ではなく、一審判決を破棄して東京地裁に差し戻す。」という理不尽な判決だけではなく、「安保条約は日本国憲法の上位にある。」ことを判決として確定したのです。

 『知ってはいけない 隠された日本支配の構造』を読んでいる時も腸煮えくり返っていましたが、改めて書いていると再燃してきます。本当にこの国は腐ってしまっています。三権分立もあったもんじゃありません。しかも国民の意思を反映していない官僚たちが、勝手にアメリカの軍人と密約を交わして、日本人に不利になることばかりが決められている。こんなことが許されていいんですか?知らないということが、如何に恐ろしいか分かってもらえると思います。

 こんな官僚・役人・各省庁・政府・最高裁なんて、要らないんですよ。この仕組みを変えるのも選挙なんでしょうね。大勢の人が早く氣づいて、日本が良くなることを願っています。興味がありましたら一度『知ってはいけない 隠された日本支配の構造』を読んでみることをお勧めします。

SDGs



 日本でもSDGsが騒がれてから、かなりの年数が経ちました。数多くのメディアでも取り上げられて、見たことや聞いたことの無い人は、ほとんどいないのではないでしょうか。実は国連サミットにて、2015年9月に採択されたため、本書の出版時期では、もう8年も経過しているんですね。ちょっとビックリです。

 以下はSDGsが掲げている17の目標である。

1:貧困をなくそう
2:飢餓をゼロに
3:すべての人に健康と福祉を
4:質の高い教育をみんなに
5:ジェンダー平等を実現しよう
6:安全な水とトイレを世界中に
7:エネルギーをみんなに そしてクリーンに
8:働きがいも経済成長も
9:産業と技術革新の基盤をつくろう
10:人や国の不平等をなくそう
11:住み続けられるまちづくりを
12:つくる責任 つかう責任
13:気候変動に具体的な対策を
14:海の豊かさを守ろう
15:陸の豊かさも守ろう
16:平和と公正をすべての人に
17:パートナーシップで目標を達成しよう

 一つ一つの目標を見てみると、誰もが賛同する内容だと思います。反対する人など、いないのではないかと感じてしまいます。しかし『貧困をなくそう』『飢餓をゼロに』と『海の豊かさを守ろう』『陸の豊かさも守ろう』は確実に相反するものです。だからなのか、数年前からコオロギを始めとした昆虫食を勧めてきています。

 また食品ロスの問題も取り上げられますが、そのほとんどは食品製造業・食品加工業なんですよ。一般家庭の食品ロスなんて、本当に微々たるものです。それを「国民全員で取り組もう」なんて、あたかも「あなたのせいですよ。」と言わんばかりに「国民一人あたり◯◯kg」とか「年間茶碗◯◯杯分です。」とかって、騙しにかかってきているわけです。

 3番目の『すべての人に健康と福祉を』と言うのであれば、何故日本だけがコロナワクチンを打ち続けているのかを、先に答えなければ筋が通っていないのではないでしょうか。また4番目の『質の高い教育をみんなに』の質の高い教育とは何なんでしょう。学校でより一層、無意味なことを教えることでしょうか。

 元々SDGsというのは、2000年に国連サミット合意されたMDGs(ミレニアム開発目標)の代替案なだけで、欧州が発端なわけです。そして何故ヨーロッパ各国で、推し進めているかというと、企業ブランドを高めるためなわけです。つまりビジネスチャンスってことです。そうです。ただ単に金儲けなわけですよ。

 例えば天然ガスなどをロシアに依存していた欧州各国が、『エネルギーをみんなに そしてクリーンに』と言うことで、今までの石油やガスに依存しないクリーンなエネルギーに変換していく。そうすることで大国と対等な立場、もしくは「NO」と言うことで、上位に立てるわけです。さらに良いことをしているという、企業イメージのアップに繋がります。それが狙いなわけです。

 綺麗な言葉を並べて、まるで素晴らしいことをしているように見えて、実は自分たちだけが儲かれば良いというシステム。お時間がある時にでも、SDGs世界ランキングを調べてみてください。詐欺に騙された日本の現実がちょっと見えてくるかもしれませんよ。

第四章 『風』

未来



 一度は聞いたことがあるでしょう。「過去と他人は変えられない。あなたが変えられるのは、自分自身と未来だ。」という言葉。これはカナダ出身の精神科医 エリック・バーン(Eric Berne)が提唱した言葉です。

 わしも小さい頃から何度も聞かされてきた言葉ですし、そうだとずっと思っていました。しかしある時にちょっとした疑問が浮かんだんです。「他人を変えられないのに、なんで宗教や教育があるのだろうか。」ということです。ましてや『同じ?』の項でも書いたように、この世は諸行無常です。細かく言ってしまえば、一瞬一瞬で変化しています。なのに他人を変えることが出来ないのか・・・。

 三十数年、芝居しかしてこなかったことは、前に記述した通りです。そこでは様々な人との出会いがありました。未経験だったのに急成長する人。突然芝居の本質が分かった人。昨日まで出来ていたのに、全く出来なくなってしまった人。などなど。稽古をしていくうちに、変わっていく他人を何人も見ているんです。こういったことも「過去と他人は変えられない。」に疑問を持った一つです。

 では過去についてはどうか。第一志望の結果が不合格だった。とか、愛する人に裏切られた。とか、大事な日に遅刻してしまった。などがあるでしょう。こういった辛い事象が起きてしまったことは、変えられないでしょうが、解釈は変えることが出来ます。第二志望の学校では、かけがえのない友人と出会ったり、恋人が出来たり、楽しい学校生活を過ごせて大満足かもしれない。ただ第二志望の学校は、友人も出来ず、楽しいことも無ければ、ずっと受験の後悔しかないであろう。まあ第一志望の学校へは行っていないので、どういう学校生活を過ごしたかは不明ですが・・・。

 愛する人に裏切られたとしても、次の恋人と出会うチャンスかもしれない。遅刻の件も、二度と遅刻をしないために必要なことなのかもしれません。要は解釈なんです。そして大切なのは『今』ということです。起きてしまった事象は、決して変わりません。しかし解釈であれば簡単に変えることが可能なわけです。

 さて未来はどうでしょう。まだ来ていないのに変えることが本当に可能なのか。確かに「今日からウォーキングを一日30分やる。」と決めて頑張ったとします。そうすれば心肺機能や筋力、血流改善やストレス解消など良い効果が現れるでしょう。しかしウォーキングをしない未来は来ていないので、実際に変わったかどうかは不明です。もし言えるとすれば「今とは違う。」ということでしょう。

 以前読んだ本に、妹尾武治氏著『未来は決まっており、自分の意思など存在しない。~心理学的決定論~』というのがあります。当書の中に自分の好きなタイミングで、手を動かすというのが出てきます。一般的に思われているのが、

一、手を動かそうと思う(自分の意思)
二、脳からの司令
三、手が動いた瞬間

という順番です。しかし実際には、

一、脳からの司令
二、手を動かそうと思う(自分の意思)
三、手が動いた瞬間

と、なっていると言うのです。他にも野球のバッティングも例に出されています。ピッチャーの指から離れて、キャッチャーのミットに入るまでの時間が、約0.4秒~0.5秒ほどであり、打とうと意識する前に脳が反応していると言うのです。

 そして養老孟司氏著『超バカの壁』でも似た内容が書かれています。分かりやすい例として、火に手を突っ込めば、誰しもが反射的に手を引っ込めます。その後に「熱い」と感じて「アチッ」と言う。講演会でも、舞台上に上げた青年に自分の席へ帰るように促した時、「あなたが右足を出そうと思う前に、脳から右足を出せ!と命令が出ているんだよ。」と仰っていました。

 つまり未来は変えられないんじゃないかということです。変えられるのは未来ではなく『今』なんじゃないかと思うわけですよ。そしてそれは、意思や意識というのではなく、置かれている自分の脳の状況・状態なのではないか、と。例えば、全く同じ物であったとしても、(自分の)脳の状態によって、嬉しかったり、そうでもなかったりと、別の感情・感覚になることもあるでしょう。さらに同じ物であったとしても、自分と他人では同じ認識にはならないでしょう。

 さあ、まだ見ぬ未来へ、どういう脳の状態にもっていけば良いでしょうね。そこに意思や意識は関与するのか・・・。本書を出版した、わしの未来は決まっているんですかね。どうなるんでしょう。頭から煙が出てきてないですか?はっはっはー。

着るもの



 若い人などは特に氣にしているであろう『服』のことを書きたいと思います。「ファッションを楽しむため」「かわいいから」「オシャレ」「流行っているから」など、人それぞれの価値観であったり、好みがあったりします。また相手に対する印象というのも少なからずあるでしょう。反対に、「どう見られているか氣にしない。」という人もいますよね。

 少し前までは、「誰が何を着ていようと、別にどうでも良い。」と思っていました。パンツ一丁とかは論外ですけどね。はっはー。あと、お腹を出していたりする若い女の子が、露出が増えて「乳の下半分、出とるやないけ~。」っていうのも、どうかと思っちゃいますよ。こういった人を見た時に、わしの脳内は一氣に親戚のおばちゃんの様になります。「もう~嫁入り前なんだから、ちゃんとしなさいよ。変な犯罪に巻き込まれちゃうよ。ほらっ隠して隠して。」って。

 なので他の人に不快感や迷惑を掛けなければ、何を着ても構わないという考えでした。しかし2年程前だったと思うんですが、考え方が変わったんですよ。それは歳も歳だし、前に買った作務衣を久しぶりに着てみた日のことです。何気なく飲み物を入れに、台所に立ち上がった時に、本当にビックリしました。腰が入った歩き方をしていたんです。普段の部屋着なんて、Tシャツとか、ジャージとかだったので、腰が入っていない日常を送っていたことに氣づいちゃったんですよ。

 そこからは何着も作務衣を買って、部屋着を全て作務衣に変えました。すると自身の身体が、凄く良く分かる様になったんです。真っ直ぐ立とうとしているとか、胸を張っているだとか、腰が常に入っているだとか・・・。今年(2023年)の夏は、もの凄く暑かったじゃないですか。だから数着持っている甚平にしようかとも思ったんですが、やんちゃな若者が甚平を着ているので、絡まれないか不安だったので甚平は断念しました。はっはっはー。

 でも不思議なんですよ。着物だったら、帯が腰を安定させてくれるので、背筋が伸びるのは理解出来るんですけど、なぜ作務衣でそうなるのか。確かに猫背になると、前が開ける(はだける)から姿勢を良くしようとするのは分かるんですけど、なぜ腰が入るのか・・・。結局分かりませんでした。すみません。

 ただ一つ分かったことは、『着るものによって、立ち居振る舞いや所作など、人の動きに大きな影響を及ぼす。』というものです。だからだと思うんですけど、現代では腰の抜けている人が、あまりにも大勢いる様に感じてしまいます。う~ん、『腰抜け』なんて書いたら、また怒られるんだろうな。はっはっはー。

 そして真実かどうかが不明なので、おそらく否定されるでしょうが、『着るもの』についてこんな話しを聞きました。時は18世紀半ば、イギリスで始まった産業革命。そして時を同じくして、スーツというものが生まれます。これは多くの人が農業に従事していた時代から、工業へと移行したことによって起こったというものです。

 それまで農業をやっていた人達が、工場で労働力として使われる様になります。すると一労働者では満足しない一部の人々も出てきました。そんな彼らは起業家を志すのです。そして広大な土地を所有している貴族に、「私達は起業をしたいと考えております。そこであなたたち貴族の様な衣装を着たいのですが、何か良いお知恵はないでしょうか?」と貴族連中にアイディアを求めたのです。

 そうして誕生したのがスーツだという話しです。貴族たちの様な上品な風格で、綺麗だということで、起業する連中はいたく気に入りました。しかし貴族達の思惑は別のところにあったというのです。

 「お前たちが起業しようと、どれだけお金儲けしようと、我々貴族が飼っているということを知らしめてやる」と。それがあの『ネクタイ』です。つまり首輪とリードの役目をネクタイがしているわけで、貴族たちがずっと管理・統制するという意味の衣装だったわけです。そんなこととはつゆ知らず、スーツをとても気に入った起業家たち。瞬く間に大衆にも広まったという話しです。

 前述した様に、この話しが真実かどうかは不明です。ただ納得させられる感じがしてしまいます。現に多くの国では、スーツは正装として扱われています。出社するときは、スーツじゃなければいけない会社も多いですよね。またノーネクタイでは、入店禁止というお店まであります。なんか闇は深くて長~い気がしてしまうのは、わしだけではないでしょう。

 アメリカのミュージック・アワードに出てくるアーティストや、荒れた成人式で有名な奇抜な格好をしている新成人も、自己顕示欲の表れでしょう。良いんですよ何を着ても。若い人達が着物や浴衣を着る機会が増えるのは、おっちゃんとして非常に嬉しく思います。ただ、だらしなく着るのは、理に適っていないというか、みっともないというか、勿体ないと思っちゃいますね。

 着るものが、あなた自身の体と心に与える影響というのも、ちょっと考えると面白くなってきますよ。

LGBTQ+



 この国のお偉いさんたちは、物事の本質が分かっていないので、より難解に、より複雑に、
よりやってる感を出すスペシャリストたちだな~と、改めて実感しました。何も知らなかったので、『LGBT理解増進法』の全文を読みました。開いた口が塞がらなかったです。こいつら落ちこぼれ以下やな~。はっはっはー。

 もう冒頭から滑稽でしたよ。そもそもの目的が『性的指向及びジェンダーアイデンティティの多様性に関する国民の理解の増進に関する法律』だそうです。おいおい!国会議員の皆様の方が、理解が追いついていないじゃないか。こんな法律を作って理解が増進するとでもお考えで?だったら過去に性差別発言をした議員やジェンダー問題の失言をした議員、女性蔑視発言等々をした議員さんたちに同じ質問をしてみてください。そして「理解は増進しましたか?」と訪ねてみると良いでしょうね。撤回すれば良い、謝罪すれば良いと思っているから、無能な政治家ばかりになるんですよ。ね、現職の政治家なんて誰一人要らないわけです。

 また第三条では、『(前略)性的指向及びジェンダーアイデンティティを理由とする不当な差別はあってはならないものである(後略)』と書かれています。ん?不当な差別???じゃったら正当な差別は許されるんかい!?これは『立憲・共産・社民(超党派議連案)』の「差別は許されない」を自民・公明が修正したんだそうです。ほらね、数で押し切ってくるでしょ。不当か正当かは、一体どこの誰が判定するんですか?他所に仕事を押し付けているだけじゃないでしょうか。

 第十一条、『政府は(中略:内閣府や各省、その他の行政機関の職員)をもって構成する性的指向・ジェンダーアイデンティティ理解増進連絡会議を設け、性的指向及びジェンダーアイデンティティの多様性に関する国民の理解の増進に関する施策の総合的かつ効果的な推進を図るための連絡調整を行うものとする。』・・・はぁ!?長~い復活の呪文か!つまりこの法律では、理解は増進されないと書かれているわけですよね。

 第十二条、『この法律に定める措置の実施等に当たっては、性的指向又はジェンダーアイデンティティにかかわらず、全ての国民が安心して生活することができることとなるよう、留意するものとする。』んん!?留意?分からなかったので調べました。『留意とは、心にとどめること』だそうです。心にとどめるだけか~い!なにこれ?

と、不可思議なことが、まだまだあるんですけど、全部を書いていても仕方がないので、ここで止めておきますね。

 わしの外見の性別は、陰茎もついていますので男性です。そして今までの恋愛は、女性だけでした。前述した通りバツ1ですし。自分でも一般的な男性だと思っていたんですが、もしかしたら『+』に該当するのかもしれないと思い始めちゃったんですよね。わしと似たような現象になると申し訳ないので、その理由は省きますけどね。はっはっはー。

 ちょっと脱線しますが、あの「ノーマル」って言い方が嫌いなんですよ。多分あのノーマルって言葉が、より差別を助長させているんじゃないかとさえ感じてしまいます。良いじゃないですか。誰が誰を好きになったって。なんだったら同棲の結婚も早く認めろよって思うんですよね。当事者の方々の意見って、そういうことじゃないんですか?

 好きな人と両思いになって、結婚という形で一緒に過ごす。なぜ同性同士では、結婚が認められないんですかね。極々当たり前のことを認可しろって言っているだけじゃないですか。それを論点をすり替えて、『理解の増進』ってアホか!最も理解していないのは、議員さん達あなたたちですよ。口では「誰も置き去りにしない」とか言って、やっていることは『差別』『いじめ』と変わらないですよ。

 地球上には約80億人もいるんですよ。そして当たり前ですけど、全員違うわけです。ただ頭の固い人達は分かっているようで、それこそ『理解』していないんじゃないでしょうか。子供を産んで育てるだけが人生じゃないでしょ。少子高齢化の原因は、他にあるんですよ。LGBTQ+の人達のせいじゃありません。

 出生率が上がったら、食糧不足問題はどうするんでしょうか?だからコオロギを出してきたのか?エネルギー問題は?水不足問題は?ゴミ問題は?格差問題は?教育問題は?そもそも年金だってアホな仕組みでしょ。若い世代に払ってもらう発想って、明らかにアホでしょ。

 そりゃ議員さん達は、高齢の方が多いから先のことなんて考えられないでしょうけど、今の若者達になんて説明するんですかね。「後はよろしく。」って、ドロンですか?そんなバカバカしい話しないですよ。

 またちょっと余談です。父(ちち)と母(はは)の子供がオトナになって、そのまた子供が産まれた時に爺(じじ)と婆(ばば)ってなりますよね。でも本来は、『し』に点々じゃなく、爺(ぢぢ)なんですよ。だって『ちち→ぢぢ』『はは→ばば』って、なっているんですから。誰かが『痔(ぢ)』を連想するからって、変えたんですよ。いやらしいですよね。テレレレ~テレレレ~テレレレ~テレレレ~(トワイライトゾーン)分かる人だけ、分かって~。

 すみません。元に戻しますね。恋愛や結婚だけじゃないですよ。就職活動の面接でも、不採用にされる事例もあると聞きます。また長年勤めた会社からLGBTだと分かった途端に、解雇や左遷、窓際族など不当な扱いを受ける被害も報告されています。ちょうど本書の執筆中にも「心は女だから・・・」とかいう男が、女湯に入ってきたという問題も噴出しています。一体どうなっているんでしょうか。

 まず異性同士の結婚と同様に、同性同士の結婚を認めましょうよ。やるべきことはそれからでしょ。その後に不当な対応をした会社に罰則を課すとか、トイレやお風呂の問題に取り組むべきじゃないですか?やるべきことをやらずに、理解を深めようって、本末転倒だと思うんですけどね。あなたはどう思いますか?

美しさについて



 わしみたいなもんが『美』について書くのもどうかと思うんですけど、書いておかなければいけないこともあるので、敢えて書かせてもらいます。多くの女性達は「綺麗になりたい。」「美しくなりたい。」「可愛くなりたい。」と思っていることでしょう。それに対しては、良いことだと思いますよ。整形に関しても肯定も否定もしません。ただリスクがあることを分かってほしいとは思います。

 いくつになっても美しくありたいと願う気持ちは、若々しくいることと直結するので、素晴らしいことだと思うんですよ。ただね・・・わしがおっちゃんになったからかもしれないんですけど、アイドルとかほとんど一緒の顔に見えちゃうんですよ。「歳のせいだ!」って言われれば、そうなんでしょうね。

 本当かどうか知らないですけど、昔読んだ本でこういったことが書かれていたんです。『普段は3割程度しか働いていない脳ですが、その半分は他人の顔の判別に使われている。』という内容でした。なので老化と共に脳の機能が衰えていると。だから同じ様な顔に見えてしまうと。

 だから個人的な問題といえば、その通りなんですけど、揃い過ぎていませんか?みんなダンスが上手で、歌唱力も素晴らしくて、似た顔をしているって、それこそロボットかな~って錯覚しちゃうんですよね。言い方が悪いですけど、美容室のモデルウィッグとか、美術室のデッサン用の首が、踊って歌っているみたいに見えちゃって、可笑しくなっちゃうんですよ。本当にごめんなさい。

 あくまでも持論なんですけど、『綺麗』って黄金比だと思うんですよ。どんな状況であっても崩れない様というか、必要なものだけで完成されたみたいにね。そして『美しい』とは、状況とか見る人の心のもちようで変化するというか、昨日まで何とも思っていなかったものが、今日は美しく見えるみたいな。あと侘び寂びも込みで美しいと感じたりとかね。で『可愛い』は完全に好みでしょ。ある人にとっては「別に」って思われても、自分には可愛く見えるみたいな。そんな氣がしているんですよね。あくまでも持論ですよ。

 でね、現代は過剰なほど『美しさ』を求める傾向があって、これが危険じゃないかと思うんですよね。昔はトマトだって大きさがバラバラだったし、きゅうりなんか曲がってるのが当然だったわけです。それをどっかの誰かが「真っ直ぐなきゅうりが欲しい。」とか言い出したんでしょうよ。曲がっててなんぼじゃろがい!それが個性じゃっちゅうねん。(すみません。ちょっと興奮してしまいました。)

 さらに「綺麗じゃないと売れない。」とか考えたんでしょうね。後で詳しく書きますけど、種をF1種に変更したり、色を良くするために精製したり、着色したりと、余計なことばっかりしているんですよ。そんなものが身体に良いわけないでしょうよ。見た目にこだわって、大切なこと(本質)を忘れているんじゃなかろうか。

 そして近い将来起こりそうなちょっと怖い話しをします。あなたは『外見重視主義』って、ご存知ですか?英語だとルッキズム(lookism)と言うそうです。要は『容姿の良い人を高く評価する』ってことみたいです。こんなの差別そのものじゃないですか。これが多くの批判を集めて問題になっているんですが、重要なのはこの後です。

 勝手に言葉を作らせてもらえば、『美形主義』みたいなことになる危険性があるんですよ。権威主義はご存知だと思います。偉い先生やお医者さん、政治家の大先生など、権威のある人の言動を盲目的に信じてしまうことです。これと同様に『美しい人の言うことは絶対正しい!』と思い込んでしまう恐れがあると言います。

 メイクやファッションのことだったら正しいかもしれませんが、「美しい人は絶対!」なんて恐ろしくないですか?思考停止させて、わしの様な奴の発言なんて何も届かないわけですよ。権威主義もバカバカしいですが、美形主義なんか起こったら世も末ですね。ただ、そうなりつつあるのは間違いありません。

 美しくなることを否定するつもりはありません。美しくなることによって、自分も他人もハッピーになるんだったら良いことだと思います。しかし見た目も大事でしょうけど、もっともっと大切なことがあると思います。これを機会にちょっと『美しさ』について考えてくれると嬉しいです。

便利とは



 『今が最新だと』の項でも少し触れましたが、便利とは恐ろしいものなんですよ。いや、有り難いですよ。けど便利過ぎるっていうのは、ちょっと如何なものかと・・・。そこで便利について書いていこうと思います。

 ぶっちゃけ便利になると、人は退化します。衰えます。愚かになります。前述した様に体力や筋力は、確実に落ちていますし、記憶力や思考力も低下していると言わざるをえません。調べたい時には、スマホ一台あれば大抵のことを知ることが出来ます。

 しかし簡単に知り得た情報は、記憶として定着しないので知識にはなりません。昔から言われている様に「知識の無いとことに、知恵は生まれない。」のです。その弊害だと感じるんですが、教えてもらおうという人が増えた氣がしてなりません。例えば外食店の評価点です。先程も書いた様に全員違うんですよ。全員違うのに、会ったこともない人の味覚や好みと、自分の味覚や好みが一緒だと思っている。他のお店の食事の方が、自分は好きかもしれない。今まで味わったことのない、最高のディナーの経験を破棄しているのかもしれない。

 そんな極上の経験のチャンスを自ら捨てて、当たり障りのない誰かも知れない人の評価で、満足している人の何と多いことか。いいんですよ。どうせ一回限りの食事の話しだし、他のお店の味なんて分からないですからね。ただわしの言いたいことは、「教えてもらう姿勢になっていないか?」ということです。

 2019年12月から世界中を混乱させたコロナパンデミック。日本でもイベントやライブなどが中止を余儀なくされ、外食産業をはじめ多くの企業や個人商店などが、深刻な被害にあいました。その後5類に引き下げられ、マスクも自由、日常に戻りつつあります。連日テレビでは、被害報告や感染者数ばかりが報道されていました。

 この約三年間で『教えてもらう姿勢の人』と『そうでない人』が顕著に表れたと感じています。前述した通り、わしはコロナに一度も罹っていません。ワクチンも一度も打っていません。大勢が打ったから、わしも打とうとはなりませんでした。ここではコロナやワクチンの是非を問うつもりはありません。誰かを責めるつもりもないです。別に自慢しているとか、そんなんでもないですよ。テレビを盲信している人や、SNSの情報を鵜呑みにしちゃう人、権威主義に弱い人などは、教えてもらう姿勢になっていませんか?

 また車もそうです。昔はMT(マニュアル)車だったので、クラッチを踏みギアを1速から2速、3速、4速と切り替えなければいけませんでした。しかもギアを繋ぐタイミングを誤れば、エンストして車が止まったんですよ。それが今ではAT(オートマチック)車が主流になってきたので、簡単に踏めば出ちゃうわけです。そりゃあ高齢者の踏み間違いが減らないわけですよ。

 あれ個人的に思うんですけど、踏み間違いをされた方って、みんな靴を履いたまま運転してないですかね。わしは常に裸足か靴下で運転しているんですよ。足の感触も重要だと思っているからです。別に昔のヤンキーみたいに土足禁止ってわけじゃないですよ。はっはー。

 もしあなたが経験したのでしたら、思い出してほしい、阪神淡路大震災や東日本大震災のことを。帰宅するのにも大変だったことを。余震に怯えながら生活した日々を。交通・物流が麻痺して、物資が輸送できなかたことを。節電を呼びかけられて、街中が暗かったことを。

 便利に頼っている現代社会ですが、いつ何が起こるか本当に分からないんです。恐怖や不安で煽っているわけではありません。諸外国ではEV車の勝手な暴走で事故が多発しています。IoTなんて自ら盗聴器を設置している様なものですよ。電子決済で益々便利になりますが、お金が無くならない以上、物質主義の生き方は変わりません。もう充分じゃないですか?これ以上テクノロジー(科学技術)に頼るのは、止めませんか?

 わしらの生活が便利になった裏側には、もっともっと多くの悪影響が隠れています。電磁波の問題、各地のソーラーパネルによって自然が破壊されている問題、大量消費による大量のゴミ問題などなど、きりがないほどです。多くは書きませんが、ちょっとでも興味を持ってもらえたら調べてみてほしいのが、ホピ族の予言です。はっきり言って我々には、そんなに時間が残されていません。行動を起こすなら早いに越したことはありません。「今度でいいや。」って、していると今度は来ない可能性もあり、それは手遅れであるという意味です。

 便利についてあなたはどう考えますか?そして今以上の便利を望みますか?

勘違い



 あなたは勘違いをよくしますか?わしは超人的なドジなので、勘違いもしょっちゅうです。持っていく物をテーブルに並べて用意して、指先確認をして忘れて出発するなんて日常茶飯事です。(苦笑)確認をしたことによって、持ったと勘違いしているんでしょうね。ホント情けない・・・。単純な忘れ物だったら痛い目をみるのは、自分なのでやむを得ないかな~と思うんです。しかし相手がいることで、その人に迷惑が掛かる勘違いだと、ちょっと厄介ですよね。

 一般的に会社の役職だったり、職業そのものだったりと、地位とか立場が上になると勘違いが生まれがちです。自分が偉いんだと思って、自分より下の人に冷たい態度をとったり、横柄な接し方をしたりします。この手の勘違いが結構厄介で、口で言っても治らないのが、ほとんどです。悲しいですな・・・。

 この本質を分かっている人は、立場が上になればなるほど謙虚になります。『偉そうな態度をとる必要がないこと』を知っているからです。立場が上の人間が、部下や下のポジションにあたる人に対して、その下に入って支えようとするからです。良い例として取り上げられるのが、自分一人で築き上げた人です。どの社員よりも早く出社して掃除をしたり、現場の声を拾う仕組みを構築したり、誰よりも遅くまで仕事をしたりしています。

 また知識や教養を得て賢くなったとしても、本質が分かっていれば、得意げに威張ったり、他人をバカにしたりしません。自分がまだまだ何も知らないことを実感するからです。そして他人の意見に耳を傾けるようになります。自分とは違う発想や、別の角度からの視点を取り入れようとするからです。

 さてあなたは、どこからどこまでが自分だか考えたことはあるでしょうか?そして自分が本当に存在しているのかを。「当たり前だろ!そんなこと!」「自分じゃなかったら、この本を読んでいるのは誰だよ!」と言われそうです。わしの尊敬している養老孟司さんの著書に『「自分」の壁』というのがあります。まあ壁シリーズは大好きで、全部何回も読みました。

 その中で「私は環境の一部」と「田んぼは私」と書かれています。簡潔にまとめると「自分と環境を切り離して考えるな!」ってことだと理解したんですが、合ってますかね・・・。あなたご自身で読んでもらった方が、理解度は増すと思います。すみません。アームストロング船長の話しでも、宇宙空間にポンって出されていたら生存できません。だから宇宙服を着ているのですが、船長と宇宙服の間は何かというと、地球環境と一緒なわけです。また田んぼの稲を見て、将来の自分だと認識できるかという話しも出てきます。これは海も同様だと書いています。

 つまり自分と環境は切っても切れない関係なわけです。それに付け加えて、体内から排泄された物も自分なんですよ。口臭や体臭、おならなどは、一定時間その場に留まり、匂いは消えて薄まっていくでしょうけど、拡散しているわけです。それも全部含めて自分なんです。

 さらに別の方の話しだと、自分を肯定する要素は実は二つしかなく、『記憶』と『他人からの承認』だと言います。もし仮にこれらのどちらか一方、もしくは両方を無くした場合、自分は自分ではなくなると言います。つまり昨日までの記憶を無くしてしまったら、自分が自分であると証明できません。また関わる全ての人が『別人』と認定してしまえば、自分は他人になってしまうのです。

 要は、「全て繋がっている」ということです。いいですか?全て繋がっているんです。(※超重要)後ほど『医療』『食料』で詳しく書きますが、自分の内なるものを考えることと、自分の外を考えることは同義なんですよ。他人との接し方、ゴミをポイ捨てしない、自然を大切にする、困っている人を助ける等々、全てが自分のことだということです。どうですか?勘違いしていませんでしたか?

異常気象



 いや~2023年の夏は異常な暑さでした。本当に驚きでしたよね。よくぞ生き抜いたものだと、自分で褒めたくなっちゃうくらいでした。何故なら我が家にはエアコンが無いからです。「嘘~!?」と思いますよね。でも本当です。去年までは耐えられないほどの暑さの日が、1日か2日しかありませんでした。それが今年は10日以上あったのですから、たまったもんじゃありません。保冷剤をタオルに包んで、首や頭を冷やしながら仕事や作業をしたものです。

 現在住んでいるのが山の上なので、窓を開けて扇風機をつけていれば、大概なんとかなるんですよ。用事があって街に降りた時などは、衝撃の暑さに耐えられず、速攻で帰宅する始末です。多分3℃ほど違っているんだと思うんですよね。だから冬だと驚くほど寒いです。はっはっはー。半纏を着て、半爪手袋をして、ネックウォーマーをして、仕事をしています。もしかしたら外の方が、少しは暖かいかもしれないです。

 自分自身でエアコンの無い生活を選んでいるわけですから、誰に文句を言うつもりもありません。ただエアコンって、世界一アホな発明品だと思っちゃうんですよね。だってそもそも仕組みがおかしいと感じませんか?

 部屋の中の温度を下げるために、室外機から下げた分の熱風を外に放出しているわけじゃないですか。つまり東京ドーム内を10℃下げたと仮定しましょう。すると10℃冷やした分だけ、外気を上昇させるわけです。しかも東京ドーム1個分。余計に暑くなったんだから、他の人達や会社、工場、施設、お店、ビルなど、あらゆる所でエアコンを使うようになります。そりゃあ暑くなるわけですよ。だって屋内の熱を外に出しているだけなんですから。

 自分たちが快適であれば、他の人達がどうなっても構わないという発想なんでしょうね。「だって他の人も使っているから。」「私だけ暑いの嫌じゃん。」「エアコンを使わないなんて馬鹿なんじゃないの。」などと言われそうです。しかしあの異常な暑さは、自分たちが作り出していると認識してほしいですね。

 それと並んで、熱中症で救急搬送されたというニュースを連日の様に見ましたが、それにもちょっと疑問が湧いてきます。とあるテレビ局のアナウンサーが言っていた内容です。「今日も厳しい暑さに見舞われました。全国で◯◯人の人が熱中症の疑いで病院へ搬送されました。その約半数がエアコンを使用していなかったことが明らかになりました。」って。じゃあ残った半分の人は、エアコンを使ってて熱中症になってるじゃないか~。なんじゃそらぁ。

 同じ様に「熱中症予防のために、エアコンを上手に使って対策してくださいね。」も、耳にタコが出来るほど聞いたんですけどね・・・。意味がなかったんですかね。実はエアコンと熱中症は無関係ってことですかね。むしろエアコンを頻繁に使っている人は、体温調節がうまくいかなかったり、身体機能の低下に繋がるんですかね。不思議だな~。

 こういった猛暑の原因をCO2の増加だとして、地球温暖化が叫ばれていますが、実際はCO2は関係ありません。寒波や干ばつ、台風や洪水などといった異常気象も、地球温暖化とは関係がないとされています。地球の大気中のCO2の濃度は、現在で約410ppmです。産業革命前の1850年頃だと約280ppmでした。なので約5割も増えているのが分かります。しかし気温の上昇はというと、0.8℃しか上昇していません。

 確かに平均気温は上昇しているのは間違いないが、CO2の増加との因果関係は全く分かっていないんです。もう何年も前から国連や日本政府、海外の取り組みが報道されているので、多くの人が間違った方向へ誘導されてしまっただけなんです。何故なら実際のCO2排出量(2018年データ)は、中国28.4%、アメリカ14.7%、日本3.2%となっていて、世界のCO2排出量は中国とアメリカだけで4割以上も占めているんです。(参照:「地球温暖化」のウソに騙されるな)

 この間違った誘導は、2020年から始まった世界的なパンデミックと似ていると思いませんか?「これからはこっちの方向へ進む。」と、世界レベルのトップダウンがあり、ストーリーが組み上げられている。そして医療関係者や専門家が出てきて「あ~しろ。こ~しろ。」って、図式がすごい似てる氣がしてきちゃうんですよね。先程のエアコンの話しもそうですが、いつも本当のことは伏せられているのかもしれません。

 地球だって生きているんですよ。そりゃ具合が悪くなったり、風邪氣味になったりするでしょうよ。もしかしたら地球の自然治癒力が、様々な災害を起こしているだけかもしれませんけどね。だって海の中なんて、9割近くも分かっていないんですよ。陸でも前人未到の未開の地だってあります。我々人類は、知らないことが実は多いということです。では何故・・・さあ、考える時間ですよ。

ミネラルウォーター



 風の章でミネラルウォーターを扱うのも、ちょっとおかしな話しですが、書かずにはいられませんでした。1980年代からミネラルウォーターが販売されました。当時は水にお金を払って購入するというのが、物議を醸したものです。「水なんかに金を払えるか!」という人と「身体に良い水を積極的に取り入れよう。」という人で二分されていた感じですね。

 ただ、そんなミネラルウォーターが消えていってるのは、ご存知ですか?有名なのは、『ボルヴィック』です。こちら2020年には日本国内での販売は終了しています。ボルヴィックが好きで愛飲していた方でしたら、「何をいまさら」って思うでしょうけど、そうでない方は気づいていない人も多いのではないでしょうか。

 販売終了には様々な理由が存在するそうです。しかし一番の理由は『地下水の枯渇』じゃないでしょうか。地下水が溜まるスピードよりも、汲み上げるスピードの方が圧倒的に上回ってしまい、枯渇してしまったのでしょう。

 ボルヴィックを販売していたダノン社が、どう考えていたのかは分かりませんが、企業がよく陥るパターンだったのではないかと思います。目先の利益を優先するがあまり、取り返しのつかない損害を出しているということです。水を必要としているのは、何も人だけじゃありません。虫や動物、植物だって水が必要です。その水が無くなったわけですから、生態系に異常が起こってもおかしくありません。

 また世界中で起こっている地盤沈下や、地面に突然ぽっかりと穴が開く原因は、地下水の汲み上げが原因だと仰る方もいます。日本でも昭和30~40年頃に、工業用水を大量に汲み上げたことにより、あちこちで地盤沈下が起こりました。昔からずっとそうですが、経済を発展させようとして、自分たちの手で公害を作り出しています。光化学スモッグ、水俣病、イタイイタイ病、四日市ぜんそくなどなど、地盤沈下もその一つです。こうやって過去を振り返ってみると、人とは何と愚かな生き物なんだろうと、改めて思い知らされますね。

 そしてこれは、ボルヴィックに限った話しではありません。日本でもいつ同様の被害が起きるか分かったもんじゃありません。スーパーやコンビニからミネラルウォーターが消える未来は、そう遠くないかもしれないのです。

 この地下水の枯渇問題を最初に見聞きした時に、ぱっと頭に浮かんだのが『チーズはどこへ消えた?』のヘムです。詳しい内容は割愛しますが、一度読んでみることをお薦めします。すぐに読み終わってしまうのに、目から鱗の要素がてんこ盛りです。

 ヘムは変化を認めようとしません。行動に移すこともしません。何かと自分に言い訳をして、過去の成功に固執しているだけです。状況は刻々と変化するのに、自分が変わるなどとは思ってもいない。変わる氣もない。新しいチーズを探しに行くことだけが、必ずしも正しいとは言いませんが、世界中の人が飲んだために地下水が無くなったのは確かです。再び地下水が溜まるようになるには、何万年から何十万年という歳月が掛かるでしょう。

 さらに世界規模の水不足に瀕しているのを、あなたはご存知ですか?日本に住んで生活をしていると、実感しにくいでしょう。ただ実感してからでは遅すぎるのです。宇宙から見た地球は、綺麗な青で『水の惑星』と呼ばれるのも納得する美しさです。何故なら約7割が海だからです。そうなんです。そのほとんどは海水なわけですよ。つまり『水の惑星』ではなく『海水の惑星』なんです。

 もちろん海水はそのまま飲料水には出来ません。生活用水・農業用水・工業用水としても使うことが出来ません。実際に利用可能な水は、地球全体の0.01%にも満たないのです。どこぞの国のトップが「異次元の少子化対策」とかほざいてますが、水不足問題はどうするのか?食糧不足問題はどうするのか?ゴミ問題はどうするのか?何一つ解決策を講じていません。あくまでも愚策な年金制度などを後回しにしようとしている詭弁に過ぎません。

 そして顕著なのが、北海道の土地や地方の山林などを、海外の富裕層に売却していることです。土地を売るということは、そこの上に建造物を建てることだけではなく、その土地の下にある地下水も一緒に売っていることになるのです。つまり近い将来には、日本に住んでいながら海外から水を購入するという異常事態になってしまうということです。目に見えるものでしか判断出来ず、見えていないものに注視することが出来ていないんです。

 この状態が加速すると、水道代が月に数十万円とか、ペットボトル一本数万円という事になるでしょう。こういったことをお偉い方々は、分かっていない。仮に分かっていたとしても、ご自身の年齢もあるので無視を貫く。「どうせその頃には、自分は生きていない。」と。

 水不足というのは、本当に死活問題です。対立・争い・強奪等が起きるのは火を見るよりも明らかです。国民の生命と権利と自由を守るのが、国の役割だと教わったと思っているのですが、未来を見据えて本氣で国民を守る氣があるのか甚だ疑問です。こんな奴らに国を任せては、いけないでしょうね。

 お金を無くせば日本の土地は買われなくなり、安心するかもしれません。が、問題は地球規模です。今あなたが本書を読んでいるこの時でも、約20億人もの人が水不足で悩んでいるのです。事態は深刻です。どうするべきか、一緒に考えてくれませんかね?マヂで!

オトナとは



 いや~オトナって何なんでしょうね。まずWikipediaによると
・十分に成長した人。成人
・考え方や態度が十分に成熟していること。思慮分別があること。
一般に「子供(こども)」という表現と対比されている。
と、あります。

 これによると、考え方や態度が未成熟な人は、オトナとは呼べないということになってしまいます。犯罪だと知りながら裏金を作っていた議員達、酔っ払ってタクシーの運転手さんのシートの後ろを蹴る奴、歩きながらスマホを見ている奴、あおり運転をする奴、暴力で解決しようとする奴、店員さんへの態度が横柄な奴、優先席に堂々と座っている奴、歩きタバコをしている奴、エレベーターや電車で先に乗り込もうとする奴、女性や児童に対して性加害をする奴、匿名だからといって誹謗中傷する奴・・・やっば、毒が止まらない。はっはっはっはー。

 上げれば切りが無いですね。こんなんばっかりですよ。これら全てオトナじゃないってことですかね?じゃあ何なんでしょう。子供なんですかね。それも違うような氣がして・・・。オトナと子供で二分されているのが、そもそも違うんじゃなかろうか。だって定義だって曖昧ですよ。交通機関の料金は、中学生からオトナ料金ですし、選挙権は18歳からで、お酒やタバコは20歳から。年齢で線引しといて、成熟していることって無理があるんじゃないかな~。

 どこぞの議員なんて国会中は寝ていて、裏金作っておいて記者に対して暴言を吐いて、還暦をとっくに過ぎた年齢なんですから驚きですよ。これがオトナですか?これが議員ですか?誰ですか、この人に投票したのは?親族は恥ずかしくないんですかね?これがオトナのやることですか?

 またこうも書いています。『辞書の説明では、考え方や態度が十分に成熟していること、思慮分別があること、としている。別の表現では、目先のことだけに感情的に反応したり単細胞的に反応したりせず、長期的・大局的なことを見失わず理性的な判断ができる状態、とも言える。』
引用元:Wikipedia

>目先のことだけに感情的に反応したり単細胞的に反応したりせず
いやいやいや、確実に目先の利益じゃんか。単細胞的に反応しているじゃんか。

>長期的・大局的なことを見失わず理性的な判断ができる状態
いやいやいや、自分の言動すら見失っているって。分からんわ~。

 こんなオトナ達を見せて子供たちに良い影響があるとは、とても思えないんですけどね。ここまで書いておいて、わし自身50歳を超えたおっちゃんですが、オトナとしての自覚があまりありません。幼少の頃は、かっこいいオトナに憧れていて、いつか自分もなれると思っていたんですが、無理でしたね。はっはー。だって心は13歳くらいなんですから。

 開き直っているわけでも、ピーターパン症候群でもなく、中二病ってわけでもないと思っているんですけどね。実は13歳の時に死にかけたことがあります。なんとか九死に一生を得たので、こうして生きて本を書くことも出来ているわけです。なので余生というか、『おまけ』というか、ギフトの様な四十数年を過ごしてこられました。もうそりゃ本当に感謝ですよ。嫌なことも、むかついたことも、悔しかったことも、関わってくれた人全員に感謝しています。

 そうやって月日だけは過ぎていき、実年齢はオトナなんでしょうけど、本当にオトナって何なんでしょうね。そしてオトナ達は、本当のことを教えてきたんですかね?宝塚歌劇団のいじめもそうですけど、オトナがやることなんですかね?先輩がやることなんですかね?そのまた上のオトナが隠蔽するのが、正しいことなんですかね?そんなことをして、お客が喜ぶと思っているんですかね?

 未来ある子供たちに言えるのは、「全てのオトナを反面教師として見といた方が良いよ。」ってことくらいですね。あなたはどう思いますか?

考えるとは



 先程も書きましたが、以前サイトで「考えない人が増えている」という内容の記事を投稿しました。すると数ヶ月経ってから、その記事を読んだ人からの罵詈雑言が送られてきたんです。まぁその時点で考えていないことを露呈しているわけですけど。はっはっはー。

 もし仮に考えていたとしたら、その人はどんな結論に至って、罵詈雑言を浴びせれば良いと考えたのでしょう。どんな結果を望んでいたのでしょうね。もちろん返信はしていないですし、記事の削除もしていません。だから罵詈雑言の前と後で、何も変わっていないんですよ。ね、考えてないでしょ。

 考えないのは、その人に限ったことではありません。あなたの周りでもいませんか?考えない人。もしくは考えたつもりになっている人。困ったことに、こういう人達は考えていない自分に気づいていません。なので「考えてないよ。」と伝えても、否定されるだけです。だって本人は考えているつもりなんですから。難儀ですよ~。

 顕著に現れているのが選挙です。考え抜いた末に出した結論が、投票に行かないってことなんですかね?こんなに生活が苦しくて、電気・ガスが値上がりして、物価も値上がりして、税金も上がる。無駄な省庁をバンバン作って、自分たちの歳費(給料)だけは上げる。審議中に寝ている奴もいたり、タブレットで買い物を選んでいる奴がいたり、こんな滅茶苦茶な政治屋たちが、片棒担いているのに投票に行かない?これが考えた結果なんだろうか・・・。

 またここ数年の与党のしてきたことを分かった上で、考えて与党に投票しているんですかね。もっと苦しみたいのかしら・・・。どう見ても考えていないでしょうよ。ただ奴らは「どうせ変わらないよ。」と言います。以前よりも悪化しているのに、そちらには目を向けません。自分の傷をペロペロ舐めて、自分に都合の良いように言い訳だけには頭を使います。

 多かれ少なかれ、誰でも一度は言われてきた言葉でしょう「考えろ!」と。では、考えるとは何なのか?まず一番最初に必要なのは、『問い』です。見るもの聞くものが珍しく、幼少の頃に両親や教師、その他オトナたちに聞いたことでしょう「なんで?」「どうして?」と。次第に答えられないオトナをそっちのけにして、図鑑や書籍、文献などを自分で調べるようになります。この『調べる』というのが二番目に大切なことになります。

・なぜコロナからワクチンの製造まで、あの短期間で出来たのか?
・なぜ20時以降の飲食店はダメで、満員電車はOKなのか?
・なぜ自分への感染予防は少ないのに、未だにマスクをしている人がいるのか?
・なぜ時代はデジタルに移行しているのに、新紙幣を発行するのか?
・なぜ任期が長いというだけで、巨額の税金を投じて国葬をやったのか?
・なぜ政府は少子化対策に必死だというアピールをするのか?
・なぜ自分の預金を下ろすのに、手数料が掛かるのか?
・なぜ生活のためにお金を稼ぎに行っているのに、サービス残業をしなければいけないのか?

 どうですか?半分以上もしくは、全部の『なぜ』に答えられますか?

 世の中の『なぜ』は、まだまだあります。まずは気づくことからです。そして『調べる』。情報過多の時代だと言われていますが、そんなことはありません。そのほとんどは、無駄な情報だからです。考えるのに必要な情報だけを抜き取らなければいけません。しかもそこには、正しい情報と間違った情報があります。それら全てを拾い集めて、はじめて考えることが出来るのです。

 わしはミステリー小説も好きで、よく読みます。映画も気づくと「あなたもきっと騙される」とか、「ラスト2分の大どんでん返し」なんてコピーを見ちゃうと、観たくて観たくて堪らなくなってしまいます。はい大好物です。

 謎を解明したり、頭の中で推理しているのが、本当に楽しいんですよ。まぁ当たったり、外れたりですけどね。はっはー。ちなみに『名探偵コナン』の黒の組織のボスは、解りました。外れている可能性もなくはないですが、おそらく正解だと思います。あっ、当然のことながら、ここには書きませんよ。そりゃそうだ。はっはっはー。

 集めた情報が足りなかったり、正しい情報が無かったりしたら、言うまでもなく正解には辿り着けません。よく毛利小五郎がミスリードされている状況と似ています。これじゃあ、考えた意味がありません。もしくは集めた情報が不足し過ぎていて、「あ~も~分からん。」って、なる人もいるでしょう。この場合、考えることを放棄したことになります。「分かりません」が口癖の人は気をつけましょう。実は「分かりません」という言葉は、「考えていません」と同義語だということを。

 あと、考えない人の特徴として、カテゴリー(種別)で判断します。よく聞くのが「だから◯◯人はダメなんだよ。」とか「◯◯人は嫌い」といった言葉です。何度も書きますが、全ての人は全員違うんですよ。それを一緒くたにして『◯◯人』で判断するな!って言いたいです。明らかに考えていない人の発言ですよね。気をつけましょう。

 要は、考えるのに必要なのは、『気づき』『問い』『調べる』『集める』をしてからじゃないと出来ないということです。のほほ~んと生きていたら、気づきもしなければ、問いを持つこともありえません。そして調べなければ、知り得ないわけです。知らなきゃ考えることも、しないということです。ちょっと恐ろしかったですかね・・・ごめんなさい。でも大切なことなので、頭の片隅にでも置いておいてください。

第五章 『水』

嘘と隠すこと



 嘘と隠すことは似ているようで、違うようで、でも共通しているようで・・・難しいですよね。自分のミスなどを隠すための嘘もありますし、女性のお化粧は、すっぴんを隠すためとも言えます。当然のことながら全員が陰部を隠して日々を過ごしていますし、女性は胸も隠さなくてはいけません。まだ幼い赤ちゃんが、全裸で水遊びをしているという例外もあるにはありますが・・・。

 「良い嘘と悪い嘘がある。」と仰る方もいらっしゃいますし、「嘘はダメだ。」と全否定される方もおられます。現在のわしは、嘘はダメだと思っていますが、若い頃はしょっちゅう嘘をついていましたね。当時の関係者の方々、本当にすみませんでした。犯罪絡みとか、誰かを騙すといったことはしていません。ただ仮病で学校や仕事を休んだのは事実です。また友人たちと飲んでいて、当時の彼女さんに「もうすぐ帰る。」と伝えたにも関わらず、2時間くらい飲み続けた経験も一度や二度ではありません。本当にすみません。

 人はなぜ嘘をつき、隠すことをするのでしょうか。一般的には、どちらも自分の身を守るための手段だと思うんですよ。責められないように、怒られないように、バレないように、嘘をついたり、隠したりしています。また話しを少し『盛る』というのも、事実ではないので厳密に言えば嘘ということになります。さらに『嘘も方便』という言葉もあるとおり、自分のためではなく、相手を正しい方向へ導く手段のための嘘というのもあります。

 ちょっと解せないのが『優しい嘘』と呼ばれている種類です。例えば、大切な家族が入院してしまい、医者からは「余命一年ほどと覚悟してください。」と伝えられたとします。それを入院している家族に、正直に伝えるかどうかというもので、「大丈夫。先生が大したことないって。絶対に治るから、頑張ってね。」などという嘘です。

 これはどうなんでしょうね。わしは正直に言ってほしいですね。とはいえ、独り身なんですけどね・・・。はっはっはっはー。その人それぞれで意見も違うので、どれが正解かなんてことは言えないとは思うんですよね。身内の優しさで正直に話しづらいなんていうのも分からんでもないんです。ただ選択権は、入院している本人にあるはずですから、本人の意思を尊重してほしいな~とは思っちゃいますね。

 もう一つの例えとして、奥さんやパートナーの作ってくれたお弁当が、そこまで美味しくなかった時に「美味しかったよ。」と言うかどうかです。「今日のは、いまいちだったな~。」など、バカ正直に伝えると「だったらテメェが作れや!」や「じゃあ作りません。」など争いの火種になりかねません。今後のことを考えると「もうちょっとだけ塩を足してくれたら、もっと美味しくなるんじゃないかな。ありがとう。」と、素直に好みの味を伝えるのが一番の解決法だと思うんですよ。どうですか?独り身が何言ってんだって感じでしょう。はっはっはー。

 人は何歳から嘘をつくのかという実験があり、早い子では2歳半から、平均的には3歳頃から嘘をつきはじめるのだそうです。ちょっと驚きじゃないですか。親を見て学習したのかもしれませんが、人は先天的に嘘をつく生き物の様な氣がして、ちょっと恐ろしくなってしまいました。

 本書の執筆時期と被っているので書きますが、議員の裏金問題に関する収支報告書の偽装、保険金の不正請求問題の中古車業者、自動車メーカーによる検査不正問題、データ流出による隠蔽、海外産の商品を国内産だと偽装した問題、古い牛乳と新しい牛乳を混ぜて出荷した問題と、枚挙に暇がありません。そして組織や企業に限ったことではなく、個人でも脱税などをしている有様です。

 そんなに皆さん「カネ・金・お金・カネ・お金」なんですかね。やっぱりお金は無くした方が良いですよ。そうすれば余計な隠し事や嘘は減るわけですから、健全な世の中に一歩近づくと思うんですよ。ただね・・・罪を犯した多くの人が、否認をします。本当に無実なのであれば「やっていません。」で良いんですけど、実際は分からないわけです。裁判だって冤罪を生み出していますから、本当に正しいとは言えません。これが難しいところなんですわ。

 もっもっとすっ~と昔の話しですが、『日本書紀』『古事記』は本当のことを書いているんでしょうか?新しい文献が見つかったとしても、偽書として認定されています。本当に偽書なんでしょうか?何か不都合な内容を隠すために、嘘を書いている可能性もありますよね。さ~て真実はどこにあるんでしょうね。

 頭の良い人でしたら、この『嘘と隠すこと』の内容だけで一冊の本になるんでしょうけど、わしには無理です。しかも嘘と隠すことは、0にすることは無理かもしれません。しかし限りなく0に近くするのは可能だと思います。我々一人一人の心の次元を、もう一段階上げなければいけないんじゃないでしょうか。

 あ~また文句言われるんだろうな・・・「じゃあ何か俺等の次元が低いって言うのか!」って・・・。

保身



 いきなりですが、多くの人が知らない真実です。『自分の事を考えるのなら、他人を第一優先にしろ!』です。「他人に優しくしよう」や「迷惑を掛けちゃいけない」とか「相手の人の事を考えろ」などと、あなたも子供の頃に言われたと思います。否定をするつもりは全くありません。しかしそんな生半可な事ではないのです。もう一度書きます。『他人を第一優先にしろ!』です。

 昔から汚職事件や不正賄賂、強盗や殺人と、オトナたちは様々な犯罪を犯してきました。これら全ては『自分本位』の結果です。自分自身の保身のために悪い事に手を染めるのです。
とある知事だった人はマニフェストで『特別養護老人ホームの増設』『待機児童の解消』を謳っていましたが、任期中に一度も視察をしていません。出来なかったのは努力が足りない、間に合わなかったと少なからず納得材料にはなりますが、『一度も視察をしていない』のです。現場を見ずに何が出来るのでしょうか。そのくせ政治資金で絵画を購入するなんて、まさしく自分本位なのです。どこかの大学の学長もそうですし、どこかの連盟の会長もそうですし、どこかの官僚の不正入学もそうです。全部保身のためなのです。

 自分の事を第一優先に考えて生きている人は、悪い方向へと進んでいくのです。例えそれが犯罪とは認められなくてもです。とはいえ「自分の人生なんだから自分の事は第一に考えるべきでしょ。」と、多くの人は思っています。それが間違いなのです。世界中の人が『他人を第一優先』に考えた時には、戦争なんて起きません。この世から一切の犯罪が無くなるのです。子供達のいじめも無くなります。

 数年前の高速道路での悲惨な出来事がありました。あれも危ないからと注意されたドライバーがしでかした事件です。あれは事故ではなく、れっきとした事件です。あのドライバーが注意された事に対して、自分を正当化しなければあんな悲惨なことは起きなかったでしょう。

 他人を第一優先にする考え方は、何も悪い事が無くなるだけではないのです。もちろん良い事も起こります。海外セレブや大富豪がなぜ寄付をしたり、現地でボランティアをするのか分かりますか?それは他人に良い事をすると自分に返って来る事を知っているからなのです。

 彼らはお金持ちになったから寄付やボランティアをしているのではありません。寄付やボランティアをしたからお金持ちになったのです。一概には信じ難いかもしれませんが、これが真実なのです。

 日本の大成功を収めたある社長さんも言ってました。「私は大切なことにお金を使います。だって何倍にもなって返って来る事を知っているから」と。わし達は目に見えているものだけしか、判断材料にしない傾向があります。ですが実際には目に見えていない力が働いています。

 こうやって書くと余計に怪しく感じるかもしれませんが、ちょっと待ってください。もう少しだけ読んでみてください。我々は日々呼吸をしていますよね。何故かと言うと呼吸が止まると死んでしまうからです。かと言って、酸素のない氣体を吸い続けてもダメですよね。人間の呼吸には酸素が必要不可欠なんです。そしてこの空氣中に酸素がある事を知っています。ですが酸素は見えません。でも信じています。どうやら「酸素が薄くなった」というのも呼吸が苦しくなって知る事が出来ます。ではなぜ酸素なのですか?

 偉い人が発見したから?学校で習ったから?当たり前だから?様々な意見があると思いますが、目に見えないものをわし達は信じているということです。バカバカしいと感じましたか?でも大昔には分かっていませんでした。だから科学者と呼ばれている人達が、研究をして『酸素』が大切なんだと理解したんです。発見ではありません。理解です。しかも仮説なのです。

 ちょっと難しくなりますよ。『科学について』で書いたとおり、科学というのはどこまで行っても仮説なんです。『酸素』だと思われているだけなのです。まだ見つかっていない物質の可能性もあるからです。そこまで科学は進歩していないだけなのです。ここ数十年の間でも世界中の科学者が「新しい物質を発見」とニュースで取り上げているように、科学はまだまだ発展途上なんですよ。Wi-Fiも電波もそうです。飛んでいるのは見えませんが、受信する機械があれば飛んでいる事を認識出来るだけなのです。

 面白い話しを一つします。子供からオトナまで大人氣の恐竜です。今まさに恐竜ブームですよね。太古の夢とロマンが詰まっていて迫力もあり凄い大きさです。こんな恐竜が地球上を支配していて、氷河期の到来で絶滅したなんて・・・。でも誰も恐竜が歩いている所を見ていません。ただの仮説です。

 本当は地球外で飼われていたペットで、地球はその墓場つまりペットセメタリーなのかもしれないのんですよ。恐竜の骨が見つかる所はだいたい限られています。同じ層に埋められていただけかもしれません。「そんな馬鹿な。だってどうやって宇宙から運んでくるんだよ。」と言われそうですが、それは現代の科学の考え方なのです。残念ながら発展途上の考え方です。私の言っているのは可能性の話しであって真実ではないですよ。しかしこの空前の恐竜ブームは異常です。誰かが儲けるために仕組んだって事もありえますよね。科学者、考古学者は認めないでしょうけど・・・。これもある意味保身なのか・・・はっはー。

 話しが脱線してしまいましたが、本題に戻ります。日本には古くから『虫の知らせ』というのがあります。胸騒ぎや悪い予感の時に使われます。あれを科学では解明されていないからと否定する事は簡単です。ですが実体験をした人は否定をしないでしょう。まだまだ我々には分からない事が多いのです。目に見えない事を信じる事もそうですが、過去にあった事もそうです。学生時代テストのために一所懸命覚えた年号が最近になって違っていたりします。本当に何が正しいんだか分かりません。

 『風が吹けば桶屋が儲かる』の様に、自分の事を考えるなら『他人を第一優先』にしましょう。絶対に自分に返って来ますから。その先にあなたの幸せがあり、大切な人の幸せがあり、家族が幸せになり、世界中がハッピーになれるんですよ。ちょっと難しかったですよね。まあ分からない人には、一生分からないままかもしれません。

医療問題

 

 さあ、いよいよ終盤に差し掛かってきました。もっと深い闇に潜り込みたいと思います。わしは子供の頃からアトピー性皮膚炎ですし、掌蹠膿疱症(しょうせきのうほうしょう)という皮膚の病気にも罹ってしまいました。なので2ヶ月に一度ほど、病院へ行っています。

 いっつも思うんですけど、何で病院ってあんなに混んているんでしょうね。9時丁度に行ったのに、もう三十人くらい待っていることもあります。そして自分の名前が呼ばれるのが11時過ぎとか、下手したら12時前頃です。9時に来院して午前の診療のギリギリになるって、やっぱりおかしいと思うんですよ。皆が痛いとか、苦しいとか、痒い、しんどいって、いうのは分かっているんですけど、改善策は無いもんなんですかね。

 そもそも製薬会社は、TVCMとかでは流れていますけど、直接患者さんに宣伝することが出来ません。では、どこの誰に宣伝するのかというと、『医師』に向けて宣伝をしているのです。まず製薬会社には医薬情報担当者(Medical Representative:通称MR)という人がいます。彼らは常に自社の薬を使ってほしいと願う営業のポジションです。

 MRは大学病院へと出向き勉強会と称して薬の説明を始めます。説明は短時間で終わったかと思うと、薬の説明書やパンフレット、製薬会社名や薬名の入ったメモ帳やボールペン、そして高級弁当とお茶まで出してくれるのです。これは製薬会社によって相違があると思いますが、概ね間違いではありません。時間がある時にでも『製薬会社 弁当』で検索してみてください。一個1500円~2500円程度のお弁当の数に度肝を抜かれますよ。全くズブズブも良いところです。はっはっはー。

 医学生にとって最初は衝撃かと思いますが、二回、三回と徐々に慣れてきて、それが当たり前の感覚になってしまうのです。慣れというのは、本当に恐ろしいものです。こうして医学生のうちから導いていくのが、MRを始めとする製薬会社の宣伝の仕方なのです。また医師になり大学病院での勤務であろうと、地方で開業医をしていようとMRは訪れてきます。大都市で開催する勉強会に参加してくれるようにお願いに来るのです。その時の交通費や宿泊費、タクシー代や食事代は全て製薬会社持ちです。さらには謝礼まで貰えたりする始末です。

 また製薬会社の作成した宣伝資料を講演会などで読み上げるだけで、数万円から数十万円の謝礼金が貰えたりします。さらに医者としての立場が上になれば、奨学寄附金という名目で使いみち自由なお金が数百万円~数千万円ほど研究室に流れてくる仕組みが出来上がっています。

 断っておきますが、医師の全てが製薬会社からの金銭の授受があるわけではありません。高額な金額を受け取る医師は少なく、断っている医師も多くいるのは事実です。しかしこうした体制が現実に存在していて、悪に染まっていく医師がいるのも事実なのです。中には自分から「グリーン車に変更しろ。」とか「女の子を連れて行くから一緒に泊まらせろ。」などと、ほざく医師もいる始末です。トホホッ。

 こうしてばら撒かれた金銭により、医師はその製薬会社の薬を処方しているのです。しかも日本の薬代は、世界の中でも高く、適当に決められているのです。これは厚生労働省が管轄する中医協(中央社会保険医療協議会)という組織によるものです。この中医協は、世界的にも珍しく日本独自の組織です。中央官庁の役人や日本医師会からの推薦人などで構成されています。2002年には日歯連(日本歯科医師連盟)が歯科医に有利な発言を中医協へ依頼した贈収賄事件を起こしています。

 こんなとんでもない組織が、解体される事なく未だに存在しているのです。そして中医協が決めているのは薬代だけではありません。診療報酬も決めているのです。医療ガバナンス研究所の理事長を務める上昌広(かみまさひろ)氏は、こう語っています。「心臓マッサージを30分間ほどこした場合の診療報酬は2500ですが、風邪の診療報酬は4000円に設定されています。生死がかかる治療の方が安くて、3分で終わる診療の方が高いなんて、おかしいと思いませんか。」と。

 厚生労働省が管轄する中医協、製薬会社、医師という腐ったトライアングルが、患者を蝕み、医療費を貪っているのが見えてくるでしょう。そもそも西洋医学なんて、切った貼ったでしょ。薬で治すという発想自体がおかしいんですよ。治すのは薬ではなくて、己の身体が行うことです。野生の動物を見てください。体調を崩したら何も食べずに安静にしているはずです。

 風邪薬なんて症状を和らげるために、熱を下げたり、関節の痛みを紛らわせたり、咳や鼻水が出ない様にしているわけじゃないですか。つまり治そうというベクトルとは真逆なわけですよ。そりゃあ風邪薬なんて完成しませんよ。間違っているんだから。

 いいですか。資本主義とは、こういうことなんです。医師の子供や金持ちの子供しか医学部には入れません。何故なら高額だからです。その医師を使って、患者に薬を処方する。製薬会社も薬が売れるので得をする。中医協には製薬会社からのばら撒き。大学もウハウハ。そして損をしているのは、患者さんだけじゃありません。高額医療を行った場合、患者さんの支払い分以外は、健康保険料や税金があてられているのです。

 お金を稼がなければ生きていけない仕組みが、間違っていると思いませんか?お金が無い世界だと、製薬会社も変な薬を作らなくて良くなります。皆が健康で、よっぽどのことがない限り病院へ行かなければ、大勢がハッピーになります。医師が「今日も患者さんは2人か・・・皆が健康で良かった。」と。待合室で長いこと待たされることもなくなるわけです。

 ちなみに処方箋薬局で、「ジェネリックの方が安いですし、変更出来ますけど、どうしますか?」と聞かれた経験があると思います。あれは本来の先発薬ではなく、ジェネリック(後発薬)を売った方が薬局が儲かるから言っているだけで、患者のこと気遣って言っているわけではありませんよ。

 さらに「塩分の摂り過ぎは良くない。」とか「減塩を心掛けよう。」なんて言葉は完璧に嘘ですからね。騙されないでくださいね。良くないのは『精製塩』であって『自然塩』は、とても身体に良いです。むしろ塩を摂るべきなんです本当は。はっきり言います。塩の摂取量が減ったから、近年体調不良を訴える人が増えているんです。

 高血圧の値もそうです。一昔前までは160だったにも関わらず、近年では130未満だとされています。何度も書きますが、全員違うんですよ。それを一概に「130以上は高血圧だ。」と、決めるのはどうなんでしょう。人なんてものは、歳を取れば自然と血圧は高くなるものです。ふっふっふっ、何か臭ってきませんか?

 健康というものは、心と同様、もしくは心の次に大切なものです。しかし現代人は健康を蔑ろにし過ぎているように感じます。睡眠を削ったり、いい加減な食事をしたり、身体を動かさなかったりと、何が大切なのかを見失っている状態です。仕事も同様です。自分の健康を害してまでやる仕事なんて、この世には無いんですよ。自分が生きていくために、他者を助ける働きをするだけなんです。

 健康を害してしまうと、治療費がまず掛かります。手術や入院ともなると、高額の出費になります。当然のことながら仕事が出来ないわけなので、収入が大幅に減るか、もしくは無しになるでしょう。通院だってそうです。病院の診察時間に合わせるため、遅刻や早退、または休みにしなければならないでしょう。

 心はもっと深刻です。元の状態に戻すのは、ほぼ不可能だと思ってください。あなたの身体と心は、それほど重要なんです。

 あなたはそれでも無理をしますか?診察室の賞状見て、素晴らしい先生だと思いますか?有名だからといって医師を判断しますか?その薬は本当に、あなたのことを考えて出された薬ですか?

食料問題



 前述した医療問題や健康と密接に関係しているのが、この食料問題です。何かを食べていかなければ、生命維持が出来ない我々にとって、大気や水と同様に無くてはならない存在であることは間違いありません。そんな食事に対して、あなたはどれくらい意識していますか?まさか減塩とかしてないですよね。

 人は海とも深く繋がっています。近年の熱中症患者の急増は、もしかしたら塩分を控えていることも一因かもしれません。だってエアコンを使用していて熱中症になるなんて、信じられないことが起こっているわけですから。他にも西洋の食文化が入り込み過ぎて、魚介類や海藻などを食べる回数が減っています。

 また仕事や家事が忙しく、自炊をしない人も増えています。外食や加工食品、お弁当などで済ませている人も多いのではないでしょうか。全てが悪いとは言いませんが、何が使われていて、何が入っているのか、ちゃんと理解して口に入れているんですかね。わし達の身体は、日々の食べ物から出来ているというのに・・・。

 ただ自炊が、とても良いとも言い切れない状況になってきているのは事実です。とある養豚場では、豚に直接ワクチンを打って出荷しているんです。もう国産が安心とも言えなくなってきた状況です。しかも人が食べるためだけに育てられる家畜達は、何で屠殺(とさつ)は良くて、鳩を殺してはいけないのか。誰も説明は出来ないでしょう。もっと深く言ってしまえば、養殖も農業も同様です。命をなんだと思っているんでしょう。もしあなたやあなたの大切な人が、出荷のためだけに育てられているとしたら、どう感じますか?納得出来ますか?それを人は平気でやっているんです。

 あっちが高いとか、こっちの方が美味しそうだとか、ボリュームが凄くてお得だとか、ホントに何を言っているんだと思っちゃいますよ。ワイドショー化したニュースでも『デカ盛り特集』だとか、『お得な町中華特集』なんてやってるのを見ると、「あ~あ、誘導しているな~。何も考えない人が、また増えるんだろうな。」と感じちゃいますね。(ニュース見てるじゃねぇか!)はっはっはー。

 何も畜産業や養殖業、農業を否定しているわけじゃありません。その方たちも生活があり、生きていかなければなりません。そして我々は、その恩恵を受けているわけですから、感謝していますよ。だからといって、このままで良いのかというと、それも違う氣がしてしまいます。そんなことを考えていた時期にやってきたのが、コオロギ食ですよ。はっきり言って食べちゃダメですよ。

 わしが子供の頃に、とある年配の方に聞いたのを今でもはっきりと覚えています。それは「国が勧めてくるものは、絶対に信じちゃダメだ。」というものです。先程も述べた様に、新札発行はタンス預金のあぶり出しや、脱税のあぶり出しなわけです。また投資を勧めているのも、「お金が無いと生きていけない」と思わせているだけです。破産したとしても国は責任なんかとりません。ワクチンに関しても・・・もう分かりますよね。はっはっはー。

 真正面から患者さんと向き合っている、勇気ある医師の発言によると「今すぐに砂糖・小麦粉・牛乳を断て!」というのがあります。わしも同感です。リーキーガットについては、先程も書きましたし、砂糖と牛乳については、あなたご自身で調べてみては如何でしょうか。我が家には砂糖も牛乳もありません。あるのは『うどん』くらいなもので、普段は全く食べません。お腹の調子が悪い時に食べる程度です。

 そして最大の問題は、トランス脂肪酸を始めとする添加物です。他所と比較することが良いのかどうかを一旦置いておいて、ほとんどの諸外国が禁止にしている添加物を日本は認めているんです。がんの発症率を高めるもの、その他の病気の起因になるものを入れて良いとされています。それを認めているのが、厚生労働省ですよ。それに加えて遺伝子組み換え食品が、5%未満だったら表示しなくて良いと決められています。あなたも知らぬ間に買わされているということです。

 さらにさらに、ラウンドアップという除草剤の主成分である『グリホサート』は、とても危険で、空気中に漂って外に干している洗濯物に付いただけで、アレルギーが悪化したり、身体の調子が悪くなったり、がんが発症したりしています。除草剤は飛散するので、近隣の方が使っただけで被害に合う可能性が高まります。しかも特許が切れているので、別の会社も販売出来る状況です。ホームセンターや百円ショップでも売られています。これを認めているのが、農林水産省なわけですよ。国をはじめ、厚生労働省や農林水産省は、国民を弱らせたい、病気にさせたいと本気で考えているとしか思えないわけです。

 このラウンドアップを販売している『モンサント』という会社ですが、『F1種』という種を販売しています。これは形を統一して、美しい野菜や果物を作るための種です。一見すごく良い様に思いますが、実は逆です。最悪の種なんです。最適な雄しべと最適な雌しべを受粉させたいのですが、その時に『除雄(じょゆう)』という作業が必要になります。不要な雄しべをピンセットで一つ一つ取り除きます。これは大変な時間と労力が掛かります。

 そんな時に『雄性不稔(ゆうせいふねん)』という雄しべのない品種が突然変異で見つかるのです。それがこのF1種です。これは男性の精子の量の激減の原因とも言われています。ただF1種から次世代の種は取れません。何故なら二回目からは、形の悪い品種が数多く出来上がるからです。つまり除草剤と種を一緒に、いつまでも買い続けてもらうためです。農家さんにとっては堪ったもんじゃありません。

 ここに取り上げたのは、食に関する異常のほんの一部です。昔から医食同源と言われています。こんなに崩壊した食料事情で、あなたはこれからも健康でい続けられますか?後悔しない人生を送れますか?命を頂くだけじゃない食料問題、あなたはどう考えますか?

自然に還ろう



 わしの半分以上を形成しているんじゃないかと思うほど、養老孟司さんの本は何度も読まさせてもらっています。詳しくは養老孟司さんの書籍を読んで頂いた方が、早いですし、理解もしやすいです。その中で何度も出てくるのが、『自然』という言葉です。

 何百年も前から人は自然を破壊し、都市化を進めてきました。多くの人も都市へ移住し、自然と触れ合う機会が減っています。わしも役者を目指していたわけですから、東京に住んでいた時期もあります。今にして思えば、東京は人が住む街ではないと実感しています。現在は自然に囲まれた山の上ですから、不便といえば不便ですが毎日が最高です。

 春には小鳥のさえずりで目が覚めて、夏には蝉の声が夕方には、ひぐらしに変わる。秋には鈴虫などの合唱で、夜を過ごす。どこかに出かけなくても、目の前に紅葉が広がっています。冬の寒さは厳しいですが、空は高く、空気は綺麗です。ちょっと散歩をすれば、デコボコの道があったり、アップダウンが激しかったり、木の温もりを感じたり出来ます。五感で自然を満喫しています。

 本当はみんな知っているんだと思うんですよ。自然に還ろうって。サウナブームにキャンプブーム、春には花見に出かけ、夏には海水浴へ行き、秋には紅葉を見に出かけて行き、冬にはスキー場へ行っているんですから。本来自然と共にあるべきなんですよ。この執筆中にも議論されている神宮外苑の樹木伐採の問題。やっぱり利権なんですかね・・・よく分からんけど。

 実は日本って凄い国なんですよ。この国土に対しての人口、しかも国土の約66%は森林なんです。知ってましたか?これは世界的に見ても不思議な現象で、世界で三番目の森林大国なんです。こんな自然豊かな国を、そんなにまでして破壊したいんですかね。都市化をするのが、そんなに重要なことなんでしょうか。

 都会で仕事をするビジネスマンなんて、本当に可哀想だな~と感じてしまいます。一年中エアコンで一定の温度にされて、段差や勾配の一切ない平坦な床で、何時だろうと照明で一定の明るさにされます。外部とは遮断されたオフィス内で一日の大半を過ごす。通勤にも混雑した箱に入れられて、お金のために不自然な檻の中に閉じ込められる。よく発狂しないな~と、ビックリしてしまいます。

 養老孟司さんのどの本だったか忘れたのですが、こんなことが書かれていました。「皆さん宇宙へ出るのに必要なのが宇宙服だけだと思っていらっしゃる。そうじゃないんです。宇宙服の中には空気があり、地球と同じ状況にされています。これが無かったら人は生きてはいけません。人と自然環境は密接に関係しているんです。それを自分以外として環境を考えるから、おかしな方向へと行ってしまう。環境省なんて作っているのが良い例でしょ。」と。仰るとおりだと思います。

 子供さんなんか特にそうですよ。自然の中で走り回ったり、川下りをしたり、見たこともない虫を発見したりと、自然から学ぶことが本当に多くあります。SPY×FAMILYでもダミアン君たち三人が野外学習をしていましたね。身体を使って得るから「身につく」んです。これも養老孟司さんの言葉ですけどね。はっはっはっはー。

 環境が変われば、人も変わります。お金と欲望に満ちた街で生活をしていると、そういう人になっていきます。都会の喧騒に埋もれていれば、ストレスが溜まり心が荒んでいくでしょう。また体調を崩してしまうかもしれません。それでも「仕事だから」「生活のために」「家族を養うため」と、自分に言い訳をして都会に住み続けるのでしょうか。

 ちなみに森のセラピー効果というのを聞いたことがありますか?以前は、葉の緑が良いとされたり、匂いが良いとされていました。しかし実際には『音』だったのです。しかも人間には聞き取れない周波数の音です。自分では認識していないが、それを聞くことによってリラックス効果を得ることが出来るんです。CDには容量が決まっていて、「どうせ人には聞こえないんだから」と、高周波をカットしています。なのでリラックス効果を謳ったCDというのは・・・眉唾ものってことです。はっはー。

 あなたと自然環境は、切っても切れない関係です。これを機に自然について改めて考えてもらえると光栄です。

他人の評価



 ビビリでヘタレですから、昔から他人の評価が氣になっていました。芝居をしてもアンケートに「木偶の坊」「ド下手くそ」と書かれた回数も数え切れません。はっはっはー。だって評価するのは、お客さんじゃないですか。劇場までの移動時間だってそうですし、電車賃だってそうです。観劇中の時間もチケット代も消費しているわけです。そのお客さんが「ダメ」と判断したんだったら、素直に受け止めるほかありません。

 流行りのファッションなんかにも全く興味がなく、「安くて良いや」とか「これで良いや」ってなもんですよ。「これ似合うんじゃない?」なんて言われたら、即購入です。だって自分で似合うと思っていても、判断するのは友人や街を行き交う他人なわけですよ。だったら尚更、他人の意見を取り入れようと考えたわけです。

 しかしですね、評価した当人は責任なんて果たさないわけです。「え?そんなこと言った?」で終わる可能性も否定できません。また他人の評価なんて、当てになりません。瞬間、瞬間で変わってしまうからです。そこまで親密ではない人の評価なんて、氣にすることないでしょう。

 充分に分かっていると思いますが、わいせつ物陳列罪とか全裸とかはダメですよ。その上で何を着ようが、どんな髪型だろうが、寝癖だろうが、奇抜だと言われようが、変人と言われようが良いんです。だって評価している人の人生ではなく、あなた自身の人生なんですから。本書を出版するにあたって、数名の友人に話しをしました。心配してくれる声は少しありましたが、否定した人は一人もいませんでした。本当に良い友人達に恵まれたな~と感謝しています。

 そもそも他人の評価で生きている人は、幸せなんだろうか。「他人から認められたい」とか「自分の存在価値を認めてほしい」というのは、どうやら承認欲求っていうみたいですね。はっはー。すみません。この歳になっても学ぶことが多いな~、バカだから。承って、認めてほしいって欲求ですよね。わしにゃあ、無いな~。どっかで落っことしてきたのかな・・・。

 別に認められなくても、ここで生きていますし、本当に幸せを実感しています。もっともっと世界中の人が幸せになれば良いと思っています。そしてその努力をしています。その一環が本書なわけです。罵詈雑言や炎上など覚悟の上です。それ以上のことが起こるかもしれないのに、「どう思われるかな?」なんて考えないでしょ。

 何かに挑戦する時に「止めといた方が良いよ。」「今からじゃ無理だよ。」「バカなんじゃないの。」「失敗するよ。」「どこ目指しているの?」と、言い方は悪いですが、足を引っ張ってくる人がいます。これもいわば他人の評価です。こういった人達は、ほぼ嫉妬や負けず嫌いで口にしていることが多いです。つまり成功してほしくないという心の表れが、言葉になって出てきているだけなんです。こんな人に振り回される人生を送りたいですか?

 何歳だろうと何かに挑むのは素晴らしいことだ。そしてそれを誰も止めることは出来ない。身体に不自由があろうと、障害があろうと、全員が反対しようと、頭がおかしいと言われようと、関係ない。挑んだことによって視点が変わる。視野が広がる。物事の見え方が変化する。挑戦したことが財産になる。失敗したって良いじゃないか、挑まずに逃げた奴よりは誇れる。

 他人の評価なんか氣にするな!あなたは、この世界に一人しか存在していない、掛け替えのない存在です。そんなあなたを操縦するコントローラーを他人に渡すな!そして迷わず突き進め!他の誰でもない、あなただけの宝物を掴み取ってほしい。そう願っています。

事実と真実



 あなたにとって、事実と真実の違いは何ですか?辞書で調べると、事実とは“実際に起ったこと。真実のことがら。”とあります。一方真実は、“嘘やいつわりのない本当のこと。まこと。”とあります。なんだか頭から煙が出てきそうで、何を言っているのか理解不能です。一緒なのか違うのか全く分かりません。

 ネットで調べてみると『事実』は、実際に起こったことであり、事実は一つしか存在しない。また『真実』は、人の気持によって左右されるため、人の数だけ存在する。と、いうものが多く表示されます。現在の日本では、国語学者や言語学者たちによって、こういう定義をされているのかもしれませんが、どうにも納得出来ないんですよ。ですので、わしなりに両方の違いを定義しました。これは押し付けているわけでも、これが絶対に正しいと言っているわけでもありません。あくまでも個人的な説です。

 以前、洗濯物を取り込もうとしたらベランダに四枚のTシャツが落ちていました。風が強かったのかと思いながらTシャツを拾おうとしたのですが、妙な違和感があります。そうですハンガーが見つからないんです。ベランダを探しても庭を探しても、どこにもありません。これは事実です。

 ここからはあくまでも私の推測ですが、カラスが針金ハンガーだけを盗んで、巣作りに使用したのではないかと思うんです。角ハンガーやその他のプラスティック製のハンガーはあり、ちゃんと洗濯物が干されています。我が家にはプラスティック製のハンガーと針金ハンガーが混在しているので、落ちていたTシャツが針金ハンガーを使っていたのか記憶が定かではありません。すみません。

 しかも二日も連チャンで、Tシャツが落ちている現象が起こります。これは益々カラスの疑いが濃厚になってきました。これは真実ではなく、あくまでも推測ですが、限りなく真実に近い推測だと思うんですよ。針金ハンガーが無くなった真実は、カラスが原因だと、わし一人だけが思っている。もしここに二人の目撃者がいたと仮定して、一人は「針金ハンガーは自然に消滅した。」と言ったとします。もう一人は、「元々針金ハンガーは無かった。」と発言します。この場合、これらも一つの真実になるんですかね。甚だ疑問です。

 例えばカラオケでも、居酒屋でも、自宅飲みでも何でも良いんですけど、四名で食事をしているとします。その中のAさんが、「ちょっと眠くなったから一時間だけ寝させて。」と言ったとしましょう。残った三人も了承して、Aさんだけ隅の方で横になります。この時点で三人は、Aさんのことを「眠っている。」と認識しています。事実眠っています。

 そして一時間が経ったので、Aさんを起こそうとすると、息をしていません。その間に誰もAさんの側には、行っていませんし、誰も席を立ち上がっていません。Aさんが寝始めた時には、三人で確認していますが、その後の一時間はお喋りに夢中になり、誰一人様子を伺っていなかったとします。この場合、三人共が寝ていたのは、事実だと証言するのではないでしょうか。そして起こそうとした時に、亡くなっているのを確認した。それが真実です。と。この様に、複数の人の氣持ちが伴ったとしても、真実は一つであり、複数存在することなど無いと思うんですよ。

 真実とは、本質のことではないかと考えます。例えば乗用車二台の事故が起こったとします。事故が起こったことは、周知の事実です。しかし事故の原因はというと、この乗用車のどちらでもない可能性があります。横断歩道を信号無視して渡っている歩行者がいたとか、実は別の車輌が最初にぶつかったが、逃走してしまったとか、ぶつかってはいないが、前方の車の急ブレーキが原因だとか・・・。つまり一見しただけでは、真実は見えてこないんじゃないでしょうか。

 また何かの事件が起こったとします。この事件を解決するため、犯人を特定するため、二度と同様の事件が起きないために、警察は真相を突き止めようとします。物的証拠・遺留品・不審人物・動機・アリバイ等々を集めて、犯人を探し出し逮捕をします。いざ逮捕をしたとしても、黙秘をしたり、否認したり、嘘をついたりするでしょう。簡単に認めないことも多いと思います。ここで犯人しか知り得ないことを、容疑者が口にした時に、初めて『真実』が判明するんじゃないでしょうか。こういった場合には、真実がいくつも存在することは無いわけです。

 それでも学者さんたちの決定した『事実と真実の違い』の方が正しいんでしょうか?それが数多くある真実の一つなんでしょうか?「上の人が言ったから」「偉い先生だから」「だって決まっているから」「別にどちでも良い」と仰るかもしれません。その常識・知識・認識は、いつ誰に植え付けられたものでしょう。

 宇宙空間へ飛び出すと、地球上の常識は通用しません。上や下、右や左もありません。水が下に落ちることもありません。火も燃え上がることはしません。宇宙船や宇宙服が無いと、人は1秒と保たないでしょう。そんな中で人の氣持ちがプラスされたからといって、真実が増えるとは、とても思えないんですよね。

 あくまでも持論ですので、反対意見も多くあるかと思います。ただ真実は隠されることが多いということです。今後さらに事実と真実の違いを、確実に見抜く力が必要になってきますので、常日頃から注意しておくことが重要になります。あなたは事実と真実の違いをどう考えますか?

タバコと大麻



 片や嫌われものの代表みたいに近年では扱われていて、一方は法律で規制されていて、犯罪として扱われます。しかし本当にそうなんでしょうか?別に勧めているわけじゃありませんし、煙が嫌いな方や気管が弱い方もおられるでしょう。その方たちの意見も尊重しなければいけません。

 まずはタバコから書いていこうと思います。まずなぜ喫煙者だけが、旧国鉄の赤字分の肩代わりをしなければいけないのか。これは当時の大蔵省(現:財務省)が仕掛けた特別税です。国が100%出資した、いわゆる国の所有であった公社にも関わらずタバコに負債を上乗せするのか、全く理解が出来ません。沖縄県の喫煙者なんか、無関係もいいところですよ。

 しかもこのタバコ特別税を加えて、商品に対して約6割もの税金が掛けられています。要は税金を吸っているようなものです。はっはー。やり方が汚いのは、全て内税にして分からない様にしているところです。2024年には新幹線の喫煙スペースも撤去されると言います。飲食店でも吸えなくなり、街中でも喫煙場所は無くなり、移動時間も吸えなくなる。これはあまりにも酷い仕打ちだと思いませんか?

 たばこ特別税は、一般会計に計上されます。つまり使い道が自由な税金というわけです。地方自治体が運営する小中学校などは、この税金が使われていることも少なくありません。仮に喫煙者がいなくなり、たばこ税が無くなったとします。こうなったら地方の小中学校は、どうやって教育費を捻出するのでしょうか?また税金を上げるんですかね?

 何故ここまで喫煙者が執拗にいじめられるのか。そこには1981年に発表された『平山論文』というのが関係しているでしょう。故・平山雄氏は大のタバコ嫌いで有名でした。そこへ厚生省(現:厚生労働省)からの委託で研究・発表されたものです。そもそも厚生省の『タバコ=悪』という図式ありきで始まったものであり、自分たちの都合の良い様に改ざんした内容だったのです。

 元々肺がん率を表すデータがあり、その中では『非喫煙者の方が肺がんになる確率が高い』というものです。その原因を副流煙のせいだとしたのです。これは吸い込む側の煙ではなく、火のついた方から出ている煙のことです。この副流煙を吸い込むことで、非喫煙者が肺がんになる確率が高くなる理由だと結論づけました。はっきり言って何の根拠も無い論文です。

 また実際には肺がんで亡くなったわけではない、真っ黒になった肺の写真を添付しています。あなたも小学校などの教科書で、見た記憶があるかと思います。これも意図的に操作した内容です。これをマスコミや医療関係者が執拗に煽っていきました。これによって国民の大半は、『タバコ=悪}という間違った知識を植え付けられたのです。

 素直にデータを見ると、喫煙者の方が肺がんになっていないので、タバコは本来肺がんを抑止する働きがある様に見受けられるはずなんですよ。なんだかここでも真実を隠している氣がしてなりません。

 わしも当然のことながら喫煙者です。ただ約十年前くらいから、通常タバコ屋さんやコンビニで購入する、メーカーが製造しているタバコを止めました。何故かというと、タバコに含まれる添加物の量が、あまりにもヤバいという事実を知ったからです。昔からマイルド・セブンを吸っていました。現在のメビウスです。これには50種類以上の香料・添加物が入っているというのです。

 なのでタバコ屋さんの勧めで、シャグ(刻んだタバコ葉)を自分で巻くようにしました。しかもオーガニックのシャグなので、無添加です。これに変えてからというもの、目覚めの時や歯磨きの時におっちゃんがよくやる「オエッ」っていうのが無くなったんです。つまり悪いのはタバコではなく、添加物なのです。非喫煙者の方がよく言う「タバコ臭い」という言葉。実は添加物の匂いなんじゃないかと思っちゃうわけです。だって非喫煙者の友人の前でタバコを吸った時「あれ、嫌な匂いがしない。」と言われたからです。

 この嫌煙運動も、健康増進法も、食品添加物の問題も、減塩の問題も、何だか意図して弱らせたい様に感じてしまいます。どんどん増えていく税金、不当な旧国鉄の赤字分、喫煙所の撤去、なぜ喫煙者だけが、こんな酷い扱いを受けなければいけないのでしょうか。ただ喫煙者のマナーが悪いのも事実です。歩きタバコやポイ捨て、飛行機のトイレで吸う輩までいる始末です。これを一緒くたに「喫煙者が悪い」と言われるのも如何なものかと思われます。

 次に大麻についてです。こういったことを書くと間違いなく「ジャンキーの戯言。」だとか「脳がおかしくなっている。」と、言われることでしょう。果たして本当にそうなのでしょうか。多くの人が誤解していることとして、大麻は麻薬ではありません。ただの植物です。日本の法律では規制薬物として、取り締まられていますが、他の麻薬とは大きく違います。

 反対する人の意見としては「他の麻薬に手を出す入り口のゲートウェイドラッグだ。」とか「大麻に起因して犯罪が増える。」というのが多いでしょう。しかし法律で規制されているだけです。日本では古くから、大麻の好影響を享受してきた歴史があります。それがGHQにより1948年に大麻取締法として制定されたのです。

 実は稲作よりも前から、大麻は栽培されていたという事実が判明しています。衣服は勿論のこと、食品、油、医療品、肥料、飼料、紙、土壌改良などなど多岐に渡ります。天皇家のお召し物にも大麻が使用されております。また神社との関係も深く、しめ縄は大麻で作られていますし、横綱の綱や化粧廻しも大麻で作られています。大関ではなく神の領域に達した横綱というのがポイントです。つまり神と大麻は切っても切れない関係だということです。

 さらに神社の関係者さんは、「近年では質の悪い海外産が多く、あと数年も保たないだろう。」と現状を憂いています。では何故GHQが規制をしたのかというと、日本に恐れていたからではないでしょうか。飛行機の製造を禁止され、日本の空はアメリカのもの、犯罪をおかしても逮捕されず、間違った教育を叩き込まされ、信仰心を削られ、お祝いごとなのに「乾杯(完敗)」と発するようにされ、氣という漢字の中を『〆』に変更させられ、政治に無関心にさせられ、大麻を規制してきたんです。

 子供の頃から予習・復習だの、大量の宿題だの、親の「勉強しなさい。」だので、大切なものへの興味・関心・疑問に目を向ける時間を与えません。また時間に縛られることを強要されてきたので、オトナになっても抜けず「仕事中のタバコが多いです。」など的外れな注意を受けることもあるでしょう。何故なら仕事が出来る人は、時間など関係なく、早く終わってしまうので、その人の能力とタバコの本数は無関係だからです。こんなことにも気づけないほど、操られているわけです。

 はっきり言って仕事中の大麻の使用や機械の操作、バイクや車の運転をするのは絶対に禁止するべきですが、それ以外で何を規制する必要があるのか全く分かりません。わしなんか本を読んだり、映画やアニメを観たりするぐらいですよ。外出なんて一切しません。後たまにオナニーをします。はっはっはー。

 もう隠すことなんて何も無いので書きますけど、五日に一回とか、気がついたらするペースです。歳も歳だし、そこまで性欲があるわけじゃないから、こんなもんですよ。中には「ものすごく気持ち良いんでしょ。そりゃ毎日やるでしょう。」という人もいるでしょうけど、2時間から3時間ほどかかるんですわ。そんな毎日やってたら時間の無駄でしょ。だからこんなペースなんですよ。

 ちなみにあなたが思春期のお嬢さんだった場合、もの凄くショックを受けると思います。洗面台のシャワーって、1980年代に登場したんですよ。寝癖直しや朝シャンなんかが目的のために発売されたんですが、多くの男性はあの洗面台で陰部を洗っていますよ。わしもそうですし、あなたの推しもそうでしょう。ただ誰も言わないだけです。はっはー。

 脱線しました。話しを戻します。大麻は、よく言われる様に多幸感に包まれます。そして全てのものへ感謝します。目の前のご飯、飲み物、家、友人、冷蔵庫、こたつ、自然とありとあらゆるものへ感謝するようになります。また物流業の人、清掃業の人、ライフラインの整備をしている人と、関わっている全ての人への感謝でいっぱいになるんです。大麻の別の言い方で、ヒンディー語で「ガンジャ」と言います。どうですか「感謝」と「ガンジャ」似ていませんか?

 本書にある様々な疑問に対して、学ぶようになったのも大麻のおかげです。そしてリラックス効果や多幸感だけではありません。要は全てが鋭くなるということなんです。眼は光を多く捉えて、キラキラと眩しく見えますし、嗅覚は良い香りをもっと嗅ぎたいとなります。食事も普段の数倍は美味しく感じますし、ちょっとした違和感に直ぐに気づくようになるんです。

 もしお金が無い世界になったとしたら、売人なんてやる人はいなくなるでしょう。だって危険な行いをしても、お金を稼げないわけですから。つまり麻薬が無い世界になるわけですよ。また警察署で身分証を提示して、大麻を受け取るなんてことが可能になれば、犯罪もぐっと減ることでしょう。ついでに書いておきますが、警察の方々、麻取の方々、いつ訪問されても構いませんよ。所持していませんからね。

 何の根拠もないまま禁止にされている大麻ですが、そんなことをやっているから危険ドラッグとか脱法ハーブ、また成分だけを抽出するなんていう、より危険なものが蔓延しているんですよ。これも科学です。タバコの添加物も麻薬も化学なんですよ。わしが若い頃の中ランとか違反ズボンと図式がそっくりです。オトナ達はいつでも規制すれば、良い人間が育つと思っている。勉強とは無関係の制服や髪型、髪の毛の色などなど、上から押さえつけようとしてきます。それ故に反発が起こり、別の道を作られているというのに・・・。

 年齢を重ねるほど凝り固まる頭を、一旦ふにゃふにゃにしませんか?こんなにも素晴らしい大麻の規制を直ぐにでも緩和するべきだと考えます。ね、国の勧めてくるものって、ろくなものがないでしょ。

日本人として



 毎週ではないですが、わしの好きなテレビ番組の一つに『世界!ニッポン行きたい人応援団』というのがあります。海外の方が『日本のあるもの』を好きになり、番組側が日本に招待して、職人さんの技術や手法を教えるという番組です。『日本のあるもの』が多岐に渡り、桐箪笥、漬物、曲げわっぱ、梅干し、竹細工、線香花火、輪島塗、三味線、醤油などなど、本当に多く嬉しく感じます。

 中には「日本の礼賛度合いが酷い。」や「ヤラセじゃないの。」といった声もありますが、他国の伝統や文化を知って、しかも愛してくれているなんて、素晴らしいことだとは思わないのでしょうか。あなたはアイルランドについて、どれだけのことを知っていますか?またジョージアの商品で、愛しているものはありますか?簡単には答えられないでしょう。

 海外の方の情熱や愛情が凄いのは勿論のこと、日本の職人さんのおもてなしの仕方、技術の伝え方、相手を想っての接し方には、本当に頭が下がります。こういった素晴らしい職人さん達が、将来的には一人もいなくなってしまう危険性があります。目の前に置かれた商品だけを見て、「お金を出せば買えるじゃん。」とか「壊れたら買えば良いだけ。」といった心の貧しい人が多くなったのが原因だと思われます。

 この様に物質に囚われた人が増えたのは、恐らくビニール傘からなんじゃないかな~。出先で急に雨が降ってきたからビニール傘を買う。強風で壊れたら、そこら辺にポイッ。電車に忘れても「どうせ500円だったし。」と諦める。コンビニなどでは、盗ったり盗られたりして、罪の意識が薄くなる。良い商品を購入して、愛でるということをしなくなった結果だと思います。

 つまり日本人が日本の伝統・文化を消そうとしているわけですよ。稼ぎが少ないから跡継ぎもいなくなる。継承していく人がいない。お店や工房が閉鎖するという悪循環になっているのです。本当にこのままで良いんですかね。やっぱりお金を無くして、職人を目指す人を育てるのが大事だと思うんですよ。我々は助け合って生きているわけですから。

 わしが20代後半の頃に「やっぱりハリウッドだろう。」という無謀な考えの元、単身ロサンゼルスへ行ったことがあります。もう無茶苦茶ですよ。だって英語も話せないですし、その日に泊まるホテルも決めず、観光ビザの三ヶ月を目一杯使って行きと帰りのチケットを取っちゃったわけですよ。あまりにもバカでしょ。はっはっはー。

 空港に着いた瞬間から軽率だったことを実感します。だってホテルが決まっていないから、空港から出してもらえないんですよ。いや~難儀でした。それでも優しいタクシーの運転手さんに、カタコトの英語であちこち回ってもらい、日も暮れてきた頃に降ろされたのがコリアンタウンです。取り敢えず今日の宿のために、近くのホテルへ行きました。すると事情を察してくれたのか、一ヶ月ごとの契約で泊まれることを教えてくれました。

 しかも三食付きで750ドルです。当時の金額で約8万円弱でした。また「この道路より向こうへは、絶対に行っちゃいけないよ。」と教えてくれたりと、韓国人の方々には本当にお世話になりました。スペイン系の方々にも本当に優しくしてもらい、バスの中で死傷事件が起きた時も、黒人さんが安心させてくれました。ホテルに帰ってから報告をすると「sometime」という返事。「ええ!?時々あるんかい!」ってなもんですよ。ただホテルで寝ていると、何日も何発も銃声が聞こえてくるんですよ。もう一ヶ月ほどで、泣きながら帰国しました。はっはー。

 また仕事関係で台湾へ行った時も、夜市や九?では物凄い人の数だったのですが、誰一人ぶつかりませんでした。もうこれは本当に驚きで、日本では考えられないことでしょう。昨日だってスーパーに買物に行っただけで、三回もぶつかってこられたんですから。しかも日本でよく見る、大声を出したり、千鳥足になっていたり、何かを破壊しそうな暴力的な、いわゆる泥酔した人が一人もいなかったのです。台湾の人というか、確か正式には中華民国の人達ってことですよね。本当に凄くないですか。

 前置きが長くなりましたが、「差別なんかするなよ!」ってことが言いたかったんですよ。そもそも格差なんか出来るから、差別なんかが生まれるんじゃなかろうか。単純にお金が無くなれば、貧富の格差は解消されます。野菜の時にも書きましたが、色や形が違うからって、何なんですか?それが個性じゃろがい!と、思うんですよね。

 で、本題です。別にどこの国の人が上だとか、下だとか言うつもりは全くありません。ですが、日本人は特別なんですよ。あなたの細胞に、あなたのDNAにきちんと刻まれているんです。本当の歴史を学べば見えてくるのですが、現代の日本人は『超混血民族』だからなんです。

 たかだか80年ほど前まで、何の規制もなく全国で大麻が流通していたことさえ、隠されているわけですから、知らない人が多いのもやむを得ないことかもしれません。四季を感じて、花鳥風月を愛でて、虫の声を聞く。食器が割れたら金継ぎをして、着物を解けば仕立て直すことが出来ます。また着物の帯や甚平や作務衣の紐は、多少体型が変化したとしても対処可能で、驚くほど合理的な服装なんです。

 猿真似と揶揄されることもありますが、日本の技術は非常に高く、こんな話しもあります。世界中から技術者が集められて、会議を行った時のこと、海外の技術者が一つの提案をしました。その時に実現が困難だと思われていたものだったのですが、日本の技術者は早速帰国して製造に取り掛かります。そして翌年の会議には試作品を持っていき、諸外国の技術者たちが舌を巻いたそうです。

 そして驚くべき日本語ですよ。あなたも当たり前の様に『ひらがな・カタカナ・漢字』を読み書きでき、『ローマ字・アルファベット』も普段使っています。これだけでも凄いことなのに、『て・に・を・は』を置き換えるだけで意味が変わることに対応しています。例えば「サメに食べられる。」と「サメを食べられる。」といった具合に、真逆の意味になる場合もあり、瞬時に理解することが出来ます。

 もしあなたがまだ知らないのであれば、調べてほしいことがあります。ニュージーランドの先住民、ワイタハ族のテ・ポロハウ長老のことを。にわかには信じられないでしょうけど、彼が命を掛けて伝えていることがあります。ご自身で調べて考えてみてください。日本人として、どうするべきか。日本人が立ち上がらなければならないことを。そこから世界が変わっていくことを。

おわりに



 ここまでお付き合い頂き、本当にありがとうございます。読んでもらって分かったと思いますが、約8割くらいは受け売りです。はっはっはー。だって落ちこぼれですから、賢い人の書籍等からしか知識を得られないわけですよ。知れば知るほど、もっと知りたくなっちゃいます。これが本来の『学び』だと思うんですよね。さて現代人は学ぶことを放棄してしまったのか・・・。

 わしはそうは思いません。オトナの言うことは絶対だと教え込まれ、大量の宿題で時間を削られ、街には楽しいことが溢れ返っています。社会人になっても何時~何時までは仕事と、自由な時間も奪われて、割引やお得という宣伝文句が飛び交い、考える暇を与えられない。国民の半分が選挙に行っていないのに、民主主義だと豪語する。給料も上がらず、生活に必要なものは、どんどん値上げしていく。税金も。大切なことに目を向けさせない様に、どーでもいい番組(ニュースを含めて)を放送するテレビ。

 このまま一生を終わらせても後悔しませんか?わしは嫌です。最後の最後まで闘います。
繰り返しになりますが、もしお金が無くなり、生きていくために『働く』のならば、一日3時間~4時間で良いでしょう。それを週に6日分です。だから一日7時間~8時間で三日間、誰かを助けるために働けば、残りの4日は好きなことに使えるわけです。

 小さいお子さんがいる場合は、一日3時間を週6でやれば、残った時間は子供さんと一緒に過ごせます。子供の成長は早いですし、二度と返ってこない日々なわけです。パートやアルバイトを掛け持ちして、ギリギリで生きていくのは、やっぱりおかしいんですよ。今の仕組みを変えなければ、輝かしい未来など来るはずもありません。

 小っちゃい小っちゃい脳で出した答えが「お金を無くす」なんですが、友人に話しをした時に言われたことがあります。「ひきこもりはどうすんの?」なんです。確かに、どこの組織にも属していない人は、自己申告か誰かが管理しなければいけません。とはいえ、管理などされたくないでしょう。なのでアイディアを出してもらえたら助かります。

 またエネルギー問題、水不足問題、ゴミ問題、いじめ問題、DV問題、性犯罪問題などなど、お金を無くすだけでは解決出来ない問題も山積みです。一人でも多くの人の知恵を足すことが出来れば、必ず解決へと向かうでしょう。全員がこの地球という船に乗っているわけですからね。

 ここまで言い放ったので、80億総パパラッチだと思って生活していきます。他人を演じる以外で、新たなステージに立ちます。良く見張っていてください。リアル・トゥルーマン・ショーです。はっはっはー。ポイ捨てをしないか、横断歩道を信号無視していないか、暴言を吐いていないか、不法投棄をしていないか等々。

 最後に、ここまで読んで頂いたあなたへ、本当に本当に感謝致します。わしと関わってくれた全ての人々に、本当にありがとうございました。まだお会いしていない人々、会って話したいですね。全てに感謝です。本当にありがとう。

 願いは一つ、全人類を幸せにしたい。何か間違っていますかね?

奥を震わす

2024年2月13日 発行 初版

著  者:高橋 清彦
発  行:faint出版

bb_B_00178613
bcck: http://bccks.jp/bcck/00178613/info
user: http://bccks.jp/user/153320
format:#002y

Powered by BCCKS

株式会社BCCKS
〒141-0021
東京都品川区上大崎 1-5-5 201
contact@bccks.jp
http://bccks.jp

jacket