「貴方とわたしの出会いは、きっと運命だったんだと思う――。」
父をガンで早く亡くし、17歳で大財閥の跡取りとなった篠沢絢乃は、8歳年上の秘書・桐島貢に初めての恋をした。
彼は真面目な性格で、自分に想いを寄せていたとしても手を出してくれないと思っていたけれど、ある日の会社帰りにキスをされたことで2人の関係は急激に変わっていき――。
大企業が舞台の、キュートな年の差・格差恋愛ストーリー。
この本はタチヨミ版です。
――「初恋は実らない」なんて、一体誰が言い出したんだろう? もし初めて恋に落ちた相手が運命の人なら、百パーセント実らないとは限らないのに。
実際、わたしがそうだった。生まれて初めて恋をした相手が運命の人になったのだ。
わたしの名前は篠沢絢乃。現在まだ十九歳という若さながら、日本屈指の大財閥〈篠沢グループ〉の会長兼CEOである。
そして、わたしが初めて恋に落ちた相手は桐島貢。わたしより八歳年上で、会長秘書兼わたしの個人秘書でもある男性だ。
彼との出会いは今から二十ヶ月前。先代会長だった父・篠沢源一の四十五歳の誕生日だった。
わたしと彼との間には年齢差や経済格差、身分の差など様々な障壁があったけれど、それらを乗り越えて無事に結ばれた。わたしの初恋は見事に実ったのだ。
わたしは今、彼が初恋の相手で本当によかったと心から思っている。彼と一緒でなければ、父を早くに亡くした悲しみを乗り越えることも、現役高校生として大きな組織の舵取りをすることもできなかっただろうから。
そして今日この日、わたしは愛しいこの男性と新たな旅立ちの時を迎えようとしている――。
――ここは結婚式場。わたしはベアトップのデザインの真っ白なウェディングドレスに身を包んで、白いタキシードの上下にブルーのアスコットタイを結んだ彼と、花嫁の控え室で向き合っている。
「貢、わたしたち、やっとここまで辿り着いたね」
「ええ。今日までに色々なことがありましたけど、今日という日を無事に迎えられてよかったです」
「ホントに色んなことがあったね。わたしがストーカー男と対決したり、その前に貴方に不意討ちでキスされたり?」
「あれは……その、暴走してしまったというか。すみません。でも、あのおかげもあって僕たち、付き合い始められたようなものですから」
「うん……まぁね」
思い出話は尽きないけれど、わたしたちにとっていちばん忘れられない出来事はやっぱり父を亡くしたことだ。あの悲しい出来事をこの人と共有できたおかげで、わたしはあれから泣くことがなくなったのだ。
「そういえば絢乃さん、お義父さまのご葬儀の後、泣かれなくなりましたよね。強くなられたというか」
「それは、貴方っていう心強い秘書がついてくれたからだよ。まあ、忙しすぎて泣くヒマもなかったからっていうのもあるけどね」
大企業のトップとして、強くありたいとわたし自身が頑張ってきたから。でも背伸びはせず、時には周囲の人たちにも助けてもらいながら、わたしは経営者としても今日まで逞しく成長してこられたと思う。
「貴方と出会ったあの日は、今日みたいな日を迎えられるなんて夢にも思ってなかったけど」
「そうですね……。僕も多分、予想できてなかったと思います」
それは一年と八ヶ月前。わたしと彼が、会長令嬢とひとりの社員として出会った夜のことだった――。
1
――わたしが彼と初めて出会ったのは、二年前の十月半ば。グループの本部・篠沢商事本社の大ホールで父の誕生日パーティーが開かれていた夜のことだった。
父の家族として、母の加奈子とともに出席していたわたしは突然姿が見えなくなっていた父を探して会場内を歩き回っていた。やたら裾が広がってジャマになる桜色のミモレ丈のドレスに、歩きにくいハイヒールのパンプスでドレスアップして。
父はその数日前から体調を崩し、体重もかなり落ちていたけれど、「自分の誕生祝いの場に出ないわけにはいかないだろう」と無理をおして出席していた。
「どこかで具合悪くなって、ひとりで倒れてたりしないかな……。なんか心配」
一度立ち止まり、辺りをキョロキョロと見回したその時だった。貢がその会場にいることに気づいたのは。
彼が明らかに会場内で浮いているなと感じたのは、彼ひとりだけが(わたしを除いて)ものすごく若かったから。着ていたのはグレーのスーツだったけれど、まだなじんでいない感じが見て取れたのだ。多分、入社してまだ五年と経っていないんじゃないかな、とわたしには推測できた。
身長は百八十センチあるかないかくらい。スラリと痩せているけれど、貧弱というわけでもなく、程よくガッシリとした体型。そして、顔立ちはなかなかに整っている。間違いなく〝イケメン〟のカテゴリーには入るだろう。何より、優しそうな目元にわたしは惹かれた。
それともう一つ、彼が周りの人たちに対してあまりにも腰が低かったから、というのもわたしが彼に注目した理由だった。この日招待されていたのはグループ企業の管理職以上の人たちばかりだったけれど、彼が役職に就くには若すぎたし、そもそもウチのグループに二十代の管理職がいたなんて話、わたしは父から一度も聞かされたことがなかった。
「もしかしてあの人、誰か他の招待客の代理で来てるのかな……?」
――と、思いがけず彼とわたしの目線が合った気がした。
あまりにもジロジロと凝視しすぎていたかも、と少し気まずく思い、それをごまかそうとこちらから笑顔で会釈すると、彼も笑顔でお辞儀をしてくれた。
……なんて律儀な人。こんな年下の小娘に丁寧に頭を下げるなんて。――彼に対するわたしの第一印象はこれで、気がついたら彼のことが気になって、彼から目が離せなくなっている自分がいた。
この感情が〝恋〟なのだと気づいたのは、その翌日のことだったけれど……。だってわたしは、それまでに一度も恋をしたことがなかったから。
「――あっ、いけない! パパを探してる途中だったんだ!」
わたしはハッと我に返り、彼のことをもっと見ていたいという誘惑を頭の中から追い払い、再び広い会場内を早歩きで移動し始めたのだけれど。その時、母が貢と何か話している光景がわたしの目に飛び込んできた。
母は楽しそうに彼をからかっているように見え、それに対して彼は何だか恐縮している様子で、母にペコペコと頭を下げているようだった。
「ママ、あの人と一体、どんな話をしてるんだろう……?」
二人の様子も少し気になったけれど、その時の優先順位は父を探すことの方が上だったので、その疑問はとりあえず頭の隅っこへと追いやっておくことにした。
「――あっ、いた! パパー!」
その少し後、わたしはバーカウンターにもたれかかっている父の姿を見つけた。
「絢乃? どうしたんだ、そんなに血相かえて」
「どうしたんだ、じゃないでしょ? パパのことが心配だったの!」
そう言いながらわたしがカウンターの上にチラッと目を遣れば、そこにはウィスキーの水割りが入ったグラスが。
「お酒……飲んでたの? ママに止められてるのに」
咎めるわたしに、父は困ったような表情を浮かべてこう言った。
「心配するな。これでまだ一杯目だから。誕生日なんだから、これくらい許してくれよ、な? 頼むから」
いい歳をしてダダっ子のような父に、わたしは思わず吹き出してしまった。これでオフィスにいる時には、堂々たるボスの風格を湛えていたのだ。そんな父のギャップを見られるのは、家族であるわたしと母だけの特権だったかもしれない。
「仕方ないなぁ……。じゃあ、その一杯だけでやめとこうね? ママもそれくらいなら許してくれると思うから」
「ああ、分かってる。すまないな。絢乃もいつの間にか、こんなに大人になってたんだなぁ」
「……パパ、わたしまだ高校二年生だよ?」
どこか遠くを見るような目をして言った父に、わたしはそうツッコんだ。けれど、多分父が言いたかったのはそういうことじゃなかったのだ。
父親にお説教ができるくらい、わたしが成長したと言いたかったのだと思う。
――わたしは初等部から、八王子市にある私立茗桜女子学院に通っていた。
女子校に入ったのは両親の意向では決してなく、わたし自身の意思からだった。「制服が可愛いから」というのが、その理由である。
父も母も、わたしの教育に関しては厳格でなく、どちらかといえば「お嬢さま=箱入り娘」という考え方こそ時代遅れだと思っていたようだ。わたしには世間一般の常識などもちゃんと知ったうえで、大人になってほしいという教育方針だったのだろう。
その証拠に、両親はどんな時にもわたしの意思をキチンと尊重してくれて、わたしがやりたいと思ったことには何でもチャレンジさせてくれた。習いごとに関してもそれは同じで、父や母から強要されたことはなく、わたしが自分から「習いたい」と言ったことをさせてくれていた感じだった。
だからわたしは、初等部の頃からずっと電車通学だったし、放課後には友だちとショッピングを楽しんだり、カフェでお茶したりといったことも禁止されなくて、のびのびと自由度の高い学校生活を送ることができたのだと、両親には今でも感謝している。
――それはさておき。
「あら、あなた。こんなところにいたのね。……まあ! お酒なんか飲んで! ダメって言ったでしょう!?」
父と二人で楽しく談笑していると、そこへ母がやってきて、父の飲酒に目くじらを立て始めた。「体調が悪いのに飲酒なんて何を考えているの」「心配している家族の気持ちも考えて」と、まるで母親に叱られる子供みたいに母から叱責されている父が、わたしはだんだんかわいそうになってきた。
「ママ、そんなに怒ったらパパがかわいそうだよ。今日はお誕生日なんだし、それくらいわたしに免じて大目に見てあげて!」
自分も父の飲酒を咎めていたことなんか棚に上げて、わたしは父の味方についた。妻と娘、両方から集中砲火を浴びせられたら逃げ場を失ってしまうからだ。ましてや父は篠沢家の入り婿で、立場が弱かったから。
「ね? ママ、お願い!」
手を合わせて懇願したわたしに、母はやれやれ、と肩をすくめて白旗を揚げた。父もそうだったけれど、母も何だかんだ言ってわたしにめっぽう甘いのだ。
「…………しょうがないわねぇ。ここは絢乃に免じて目をつぶってあげる。ただし、その一杯だけにしてね?」
「分かったよ。ありがとう、加奈子。君にも心配をかけて申し訳ない」
父は許可してくれた母にお礼とお詫びを言って、チビチビとクラスを傾けた。母はどうやら娘のわたしにだけでなく、夫である父にも甘かったらしい。
――結婚前、篠沢商事の営業部に勤めるイチ社員に過ぎなかった父は、当時の上司――営業部長の勧めで会長令嬢だった母とお見合いし、その日にすぐ共通の趣味であるジャズの話で意気投合したそうだ。そんな二人が結婚を決めるのに、それほど時間はかからなかったらしい。
二人は結ばれるべくして結ばれたので、父は母のことを本当に愛していたと思う。娘のわたしが見た限りでは、夫婦仲もよかった。
そして、父は一粒種だったわたしのことすごく大事に思ってくれていた。
わたしも父のことが(もちろん、母のことも)大好きで、尊敬もしていたので、子供の頃から「わたしが父の後を継ぐんだ」と思うようになったのもごく自然なことだったのかもしれない。
わたしたち親子三人は本当に、心から幸せだった。――あの夜から三ヶ月後までは。
2
父が倒れたのは、それからすぐ後のことだった。突然ひどい目眩に襲われ、立ち上がれなくなってしまったのだ。
わたしと母が驚いて呼びかけると、父はどう聞いても大丈夫じゃないでしょうと言いたくなるような声で「大丈夫だ」と言った。
「〝大丈夫〟なわけないでしょ!? 顔色だって悪いのに」
わたしはそんな父を叱りつけた。父の体調がすぐれないのは誰が見ても明らかで、もうパーティーどころではないだろうとわたしも思った。というか、最初から無理をして出るべきではなかったのだ。
「パパ……、今日はもう帰って休んだら? そんな状態じゃ、もうパーティーどころじゃないでしょ?」
「そうね、私も絢乃の意見に賛成。あなた、帰りましょう? すぐに迎えを呼ぶわ」
「……ああ、そうだな。申し訳ないが、そうさせてもらうことにするよ」
母は家で待機していたわが家の専属運転手に電話をかけて迎えを頼むと、わたしにも頼みごとをした。父が途中でいなくなると、会場にいる人たちが混乱すると思う。だから父の代理として会場に残り、頃合いを見て閉会の挨拶をしてほしい、と。
「うん、分かった。任せて。ママ、パパのことよろしくね」
わたしは母の頼みごとを二つ返事で快諾した。責任重大だったけれど、こうなったらもうやるしかない、と腹を括った。
――それから十数分後に運転手の寺田さんが到着し、母とともに父の体を支えて会場を後にした。多分、彼が運転してきた黒塗りの高級セダンはビルの地下駐車場に止めてあったのだろう。
「お嬢さまは一緒に帰らないのか」と彼が不思議そうに訊ねたので、母から頼まれたことを話すと納得してくれた。
その五分後に黒塗り車が夜の丸ノ内の街に紛れていくのを、わたしはホールのガラス窓越しに眺めていた。
その後はやっぱり、父の具合を心配する人たちが押しかけてきて、わたしはその対応に追われた。それも落ち着いた頃、わたしはようやく自分がいたテーブルに戻ろうとしたのだけれど……。父が倒れたショックからか、対応疲れからか軽い目眩を起こしてしまった。
「――絢乃さん、大丈夫ですか!?」
倒れそうになったわたしを支えてくれたのは、慌てて飛んできた貢だった。――あ、この人はさっきの……。わたしの名前を知っていたことは不思議だったけれど、彼が助けてくれたのが偶然だとは思えなかった。
「あ……、ありがとう。大丈夫だよ、ちょっとクラッときただけ」
「よかった。少し休まれた方がいいんじゃないですか? 絢乃さん、何か召し上がりました?」
「うん。パパがあんなことになる前に、けっこういっぱい食べてたから」
わたしがそう答えると、彼はホッとしたように「そうですか」と笑いかけてくれた。
父が倒れたばかりだというのに、わたしまで倒れていられなかった。わたしには母から託された任務があったし、初対面の彼にも心配をかけるわけにはいかなかったから。
「――じゃあ、絢乃さんはここで座ってお待ちください。何か甘いものと飲み物をもらってきます」
「えっ、いいの? 何か申し訳ないなぁ」
出会ったばかりの、しかも助けてもらったばかりの彼にそこまで気を遣わせてしまい、わたしはちょっと罪悪感をおぼえたけれど。彼はやんわりと首を横に振った。
「いいんです。僕も食べたいので、そのついでですから。――飲み物は何になさいますか?」
「そう? ありがとう。じゃあ……オレンジジュースにしようかな」
「分かりました」
彼は頷き、ビュッフェコーナーへいそいそと歩いていった。
「あの人、スイーツ男子なんだ……。なんか可愛いかも」
その後ろ姿を眺めながら、わたしは心がほっこりするのを感じた。倒れかけたのを支えてもらった時には、心臓がドキンと脈打つのを感じたはずなのに。
「そういえばわたし、まだ彼の名前聞いてない」
もしかしたら、この夜限りの出会いだったかもしれないのに、名前を知りたくなったのはなぜだろう? ……きっとこの時すでに、わたしは彼との縁を感じていたのだろう。
――父の状態が心配だったわたしは、彼を待っている間に母のスマホにメッセージを送った。
〈もう家に着いた? パパの様子はどう?〉
すぐに既読はついたけれど、なかなか返事は来なかったので余計に心配が募った。
「――お待たせしました! 絢乃さん、どうぞ」
それからしばらくして、トレーを抱えた貢がテーブルに戻ってきた。二人分のデザート皿とドリンクを運ぶのに、会場にあったトレーを借りたのだろう。
「ありがとう。――あ、そういえば貴方の名前は……」
小ぶりなケーキ四種盛りのお皿とオレンジジュースのグラスを受け取ったわたしは、改めて彼に名前を訊ねた。
「ああ、そうでしたね。申し遅れました。僕は篠沢商事総務課の社員で、桐島貢と申します。今日は課長の代理として出席させて頂いてます」
タチヨミ版はここまでとなります。
2025年2月28日 発行 6版
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生まれも育ちも兵庫県。蠍座・B型。 好きな作家はアガサ・クリスティー、赤川次郎、天花寺さやか、山口恵以子(敬称略)。 子供の頃からの愛読書『あしながおじさん』が作家を目指すきっかけ。