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思い出の長崎帆船まつり

森 幸太郎

しあわせたろう出版



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  この本はタチヨミ版です。

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思い出のアルバム『長崎帆船まつり』


 長崎帆船まつりは、2000年の「日蘭交流400周年」記念のイベントから始まった。

 

 私はもともと青年時代から、郵便局時代には電話の交換業務と内勤労働に従事し、「全逓信労働組合」の組合員として、組合運動に積極的に活動をしてきた。

 1976年末に合理化で日本電信電話公社、長崎電話局に勤務しながら「全国電気通信労働組合」の組合員としても組合運動に積極的に関わってきた。


 1980年7月に長崎電話局を退職し「社青同長崎地区本部」の専従者になった。

 その年の9月から翌年6月までの10ヶ月間、モスクワの「最高コムソモール学校」に留学した。


 このような経験から、当然「日ソ友好」に力を入れて取り組むようになった。


 だから帰国してからは、さまざまな日ソ友好のための事業などに積極的に参加した。


 1990年に開催された「長崎『旅』博覧会」では、グラバー園内にある「スチール学校」に「ソ連館」が設置され「日ソ友好」の取り組みのひとつとなった。

 また、ソ連の海運大臣が「旅」博覧会に来られたときには、留学していたときの通訳オーリャが通訳として来たので、再会を喜びあった。

 しかし、1991年にソ連が崩壊してからは、それまでときどき長崎にも寄港していたソ連人を乗せた観光船も来なくなった。


 しかしこの2000年の日蘭交流400周年の記念イベントにロシアの帆船が参加したので私は喜んで「日ロ交流」のために力を尽くそうと考え、日本人とロシア人の交流のお手伝いをした。

 その後「長崎帆船まつり」にはロシアの帆船「パラーダ号」と「ナデージダ号」の2隻が同時に参加したり、どちらかが参加したりして、私も積極的に日ロ友好のために参加してきた。


 しかし、2019年には新型コロナのためにロシアの帆船も来なくなり、その後は戦争も始まって、これから先のことはどうなるか見当もつかない。

 これを節目に2000年に始まった「長崎帆船まつり」を写真で振り返ることにした。

 始まった当時は携帯電話がやっと普及し始めるころで、私もまだ写真はカメラで写すのがほとんどだったが、後半のころは携帯電話のカメラで写すようになった。

 

 私が撮りためた「長崎帆船まつり」の写真は主にロシアの帆船やロシアの学生や乗組員、同行の教師などと、日本人の間の交流の様子を写したものがほとんどだ。

 そのことはあらかじめお断りしておきます。


 このアルバムが何かのお役に立てるならば幸いです。

 


 







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「日蘭交流400周年」から始まった

思い出のアルバム『長崎帆船まつり』

 長崎帆船まつりは、2000年の「日蘭交流400周年」記念のイベントから始まった。
 
 私はもともと青年時代から、郵便局時代には電話の交換業務と内勤労働に従事し、「全逓信労働組合」の組合員として、組合運動に積極的に活動をしてきた。
 1976年末に合理化で日本電信電話公社、長崎電話局に勤務しながら「全国電気通信労働組合」の組合員としても組合運動に積極的に関わってきた。

 1980年7月に長崎電話局を退職し「社青同長崎地区本部」の専従者になった。
 その年の9月から翌年6月までの10ヶ月間、モスクワの「最高コムソモール学校」に留学した。

 このような経験から、当然「日ソ友好」に力を入れて取り組むようになった。

 だから帰国してからは、さまざまな日ソ友好のための事業などに積極的に参加した。

 1990年に開催された「長崎『旅』博覧会」では、グラバー園内にある「スチール学校」に「ソ連館」が設置され「日ソ友好」の取り組みのひとつとなった。
 また、ソ連の海運大臣が「旅」博覧会に来られたときには、留学していたときの通訳オーリャが通訳として来たので、再会を喜びあった。
 しかし、1991年にソ連が崩壊してからは、それまでときどき長崎にも寄港していたソ連人を乗せた観光船も来なくなった。

 しかしこの2000年の日蘭交流400周年の記念イベントにロシアの帆船が参加したので私は喜んで「日ロ交流」のために力を尽くそうと考え、日本人とロシア人の交流のお手伝いをした。
 その後「長崎帆船まつり」にはロシアの帆船「パラーダ号」と「ナデージダ号」の2隻が同時に参加したり、どちらかが参加したりして、私も積極的に日ロ友好のために参加してきた。

 しかし、2019年には新型コロナのためにロシアの帆船も来なくなり、その後は戦争も始まって、これから先のことはどうなるか見当もつかない。
 これを節目に2000年に始まった「長崎帆船まつり」を写真で振り返ることにした。
 始まった当時は携帯電話がやっと普及し始めるころで、私もまだ写真はカメラで写すのがほとんどだったが、後半のころは携帯電話のカメラで写すようになった。
 
 私が撮りためた「長崎帆船まつり」の写真は主にロシアの帆船やロシアの学生や乗組員、同行の教師などと、日本人の間の交流の様子を写したものがほとんどだ。
 そのことはあらかじめお断りしておきます。

 このアルバムが何かのお役に立てるならば幸いです。


ひと区切りとして



「パラダ号」「ナデージダ号」が参加。2000年。



  タチヨミ版はここまでとなります。


思い出の長崎帆船まつり

2024年5月18日 発行 初版

著  者:森 幸太郎
発  行:しあわせたろう出版

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