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静かなしんとした夏の朝。
窓を開けると外は暗いけれど、ほんの少しだけ明るくて。
なにか夏特有の心が躍る、そんなメッセージを空気の香りから感じるのだ。
凛コは大きなあくびをしながら、外の世界を見る。
朝ではあるが、冬ならば外はきっと真っ暗な時刻。
台所で、なにか音がする。
短パンに半裸の夏ジが料理を作っている。
「なにしてんの?」
凛コの声に夏ジが振り向くと、外から爽やかな風が、まるで二人に挨拶でもするかのように部屋に訪れる。
「うん。ちょっと朝ごはん。小腹空いて作っててん」
「朝ごはん?」
「うん」
「えー。こんな時間に?」
「そやで。まぁまぁ、ええやんか」
夏ジが楽しそうに笑う。
「ほんで、なに作ってんの?」
「えっとやな。年越しそば」
「はー?」
凛コは目を丸くすると、眠たい目を擦りながら、また大きなあくびをする。
「ははは。おっきいあくびやなぁ。僕を食うたろかみたいな、あくびして」
「夏ジさんを食べても美味しないよ」
「ほー。そんなことないで。なかなかの美味やと思うけど。試してみる?」
「やめとくー」
凛コが微笑みながら即答すると、夏ジも笑った。
彼らの空間はいつも笑いが絶えない。
笑いにはなにか力があることを、二人は知っているからだ。
どんなことがあったとしても、いつも楽しんで生きるのだ。
「年越しそばって、大晦日に食べるもんやよ」
「うん。でも、そんなん気にせんでええんよ。そば好きやろ? 食べたいときに食べて、新しい気持ちでやな。よい朝を迎えよかぁ。なぁ?」
夏ジの言葉を噛み締めるようにして少し考え込んだあと、凛コはいたずらっ子のように口角を上げて、こう返事をする。
「うん。そやね。美味しいならなんでもええんよ」
「美味しいならなんでもええんかいな」
「うん。美味しいならねー」
二人はまた一緒に大きな声で笑った。
「それに年越しそばや言うても、今食べたら、ただの夏の朝に食べるそばやん」
「まぁ、それもそやなぁ」
笑い合う、楽しそうな二人を見守るように、窓から心を穏やかにしてくれる優しい太陽の光が少しずつ差し込んできている。
心がこちょこちょとくすぐったくて、思わず微笑んでしまいそうになる、そんな優しい光。
夏ジはかために茹でたそばを冷水に手際よくさらすと、その男っぽい両手で水気を切る。
つゆをはり、器に盛る。
そばが温泉にでも浸かるように気持ちよさそうにしているなか、海老の天ぷら、長ねぎ、かまぼこなどをバランスよく添えると、最後に柚子皮を入れて完成だ。
「いい匂い」
「そやろ」
夏ジが嬉しそうな顔をしている。
「年越しそばって、ちゃんと意味があるねんで」
「意味?」
「うん。そばってな、実はどんな麺類よりもすぐに切れやすいねん」
「うんうん。ほんでほんで?」
凛コが話に食いついてきたので、夏ジはさらに嬉しそうな顔をして話を続ける。
「そやから、今年の厄を断ち切るっていう意味があんねん」
「へー」
「へーって、聞いとるんかいな」
「聞いてるよ。もー」
凛コが口を尖らせると、今度は夏ジが大きなあくびをした。
「夏ジさん、眠いんかいな」
「ははは。作ったら眠くなってきた。それより、食べよか」
「うん」
二人は小さなテーブルに向かい合わせで胡坐(あぐら)をかいて座ると、夏ジ特製の熱いそばをすする。
「そばはな、細く長く伸びるやろ。健康長寿とかそんな意味もあるねんで」
「それは知ってるー」
「知っとるんかいな」
「うん」
凛コが笑って、思わずそばを口から吹きだしそうになった。
「夏ジさん。これ知ってる?」
「なに?」
「そばって、美味しいけど、わたしがなんで好きなんか」
「うーん。好きなんは知ってたけど、理由は知らんかったな」
「そやろ。これを教える人は初めてなんやけど、夏ジさんやから教えてあげる」
「なになに?」
凛コは海老の天ぷらを頬張りながら、顔を赤めてその理由を夏ジに伝えた。
「ずっとずっと【そば】にいられますようにっていう、そんな意味もあるのを聞いたことがあったから」
夏ジは凛コのその言葉を聞くと、心がじんわりと温かくなるのを感じた。
「そうなんや」
そして、こう心を込めて、夏ジは言葉を続けた。
「凛コさん。これからもよろしくな」
「はい」
凛コは迷うことなくそう返事をすると、また顔を赤らめた。
窓の外で、夏の蝉たちが、少しずつ大きな声で鳴き始める。
その命を一生懸命に咲かせるみたいに、気持ちのよい鳴き声で。
その声はまるで、二人のことを祝福し、今日という新しい希望の朝を知らせてくれているかのような、そんな美しい声でもあった。
2024年7月6日 発行 初版
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