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ミュージック・ライフ

いしころ 弱り目にあたりめ

二松学舎大学



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 目 次

音楽は背中を押してくれる存在

いしころ

音楽がもたらす「救い」

弱り目にあたりめ

ミュージック・ライフ

いしころ

音楽は背中を押してくれる存在

いしころ

音色は時に人の支えになる

真夏の炎天下、スタンドから聞こえる音色は常に私の支えになっていた。野球部時代に味わった応援は、このうえない貴重な経験であった。金管楽器、打楽器からなる美しい音色が観客の声援を先導し、私たち選手を後押ししてくれていた。きっと吹奏楽部に所属している人にも、自分たちの目標や課題があることだろう。にも関わらず当時、自分たちの時間を割いて、運動部に所属していた私たちのために慣れない空間で我々の背中を押してくれたことは感謝してもしきれないほどだ。
 当時、野球部に所属していた私は全国大会出場という大きな目標をチームで掲げ毎日のように練習に励んでいた。今、改めて考えてみると、本当によくやっていたものだ。時にチームメイトや監督と衝突したり、時に自分の怪我に悩まされたり……色々な壁に衝突したが、今では良い思い出である。そんな野球漬けの学生時代を送った私には、一つの心残りがある。それは心の支えになった仲間に「感謝」を伝えきれなかったことだ。野球部に所属していたことで、当たり前のように大会に出場していた私ではあるが、常に緊張感と不安に駆られながら臨んでいた。そんな私を支えてくれていたのが、吹奏楽部や応援団、チアリーディング部からなる、いわゆる応援団というものである。なかでも、私は感謝を伝えきれなかった吹奏楽部に所属していた仲間たちに本稿を通してもう一度、改めて感謝を伝えたい。
 「私たちに感動をありがとう。」吹奏楽部の仲間たちが夏の県大会の公式戦敗退後の全体ミーティングの際、私たちにかけてくれた言葉である。振り返れば、何か感謝されるような事をしたのかと今の私自身に多少の怒りと疑問が生まれる。私たちは、チームで決めた全国大会出場という目標に向かってただただ必死に野球をしていただけなのだ。野球を知らない吹奏楽部の仲間だって当たり前のようにいた。さらに真夏という環境下である。吹奏楽部の仲間たちにしてみれば自分の相棒とも言える楽器の状態が悪くなってしまう環境の中で、興味のない同級生の野球を応援するという最悪の状況である。それなのにも関わらず「感動をありがとう。」と感謝を伝えてくれた。仲間たちにも別の大きな目標があり、その練習の時間を割き、野球をしているだけの自分たちのために、音色を奏でて、さらには感謝を伝えるなんて、かなり心苦しかったであろう。しかし、私たちの見えない力になり、時に勇気をくれた存在であることに疑いの余地はない。この大切な仲間に今度は私が本稿を通して感謝を返したい。

応援してもらった立場の人間から、吹奏楽をはじめとする応援団に所属している、また所属していた人、さらには本稿の読者の方へ─

人は困難な事や高い壁、プレッシャーのかかる場面に向き合うと、必ず多少の不安やマイナス思考に駆られます。そんな時、あなた達の奏でる音色は私たち選手の心の支えになっているということを忘れないでください。私たちにとって、スタンドや応援席から聞こえる音色はこれ以上ない最大の支えです。試合中にあなたたちの音色を聞いて、救われたという人はこの世の中にたくさん存在します。試合以外の場面も同様です。何か、落ち込んだりした時、ある音楽や音色を聞いて救われたという人もたくさんいます。音楽関係のあらゆる活動をしている方々、また、していた方々、その音楽・音色は人の見えない支えになります。もし、今、音楽の道を退こうとしている人がいるのであれば、これだけは覚えていてください。
「あなたの音色は人を救います。」本稿の読者の皆さん、私の過去の心残りの話に最後までお付き合いいただきありがとうございました。人に感謝を伝えるという事はすごく大事な事です。その場では、恥ずかしくて言えないという人もいると思います。それでも、ゆっくりと時間をかけて、自分に言う勇気が出たら、ぜひ、その相手に伝えてみてください。たった一瞬のコミュニケーションでも幸せは存在すると気づけるはずです。このエピソードと私たちの感謝の想いが、音楽の道で頑張っている人、頑張っていた人、これから頑張ろうと思っている人に届く事を願っています。
 最後に、あの日、私たち野球部のために必死に音色を奏でて、たくさん大きい声を出して応援してくれたみんな、僕たちの支えになってくれて本当にありがとう。

音楽がもたらす「救い」

弱り目にあたりめ

音楽がもたらす「救い」

弱り目にあたりめ

中学・高校のころ

自分に関するトピックで人に言うと驚かれることの1つとして、かなりネガティブ思考になりがちということがある。今もごくまれに顔をのぞかせるが、中学・高校の頃が一番ひどかったように思う。当時は勉強もそれなりに出来、部活もしっかり取り組んで委員会にも積極的に参加しており(偉い)、はたから見れば勤勉な学生だったはずだが当時の私の自己評価ははなはだ低いものであった。何をするにも周りと自分を比べ、自分の粗探しには余念がなく自信は吹けば飛ぶほどもない、言うなればネガティブの権化のようなガキだった。幸い友人には恵まれていたので孤立こそしなかったが、まぁ迷惑をかけていたであろうことは想像に難くない。どれだけ励ましても否定したうえでよりネガティブになっていくやつが周りにいた経験のある人にはお分かりいただけるだろうか。

その時の音楽

そんな時に聴いていたのがボカロだ。中学の時に友人に勧められて聴き始めてから色々なボカロPPの楽曲を聴いてきたが、一番聴いてきたのはピノキオピーだろうか。今も「神っぽいな」や「ラヴィット」などバイラルヒット曲を生み出し続けているが、中学生の私にとってもまた最高のボカロPPであった。
 個人的に彼の一番好きな所はその「視座の高さ」である。決して偉そうにしているというわけではなく、視野を広く持ち、俯瞰で物事を見つめ、それをポップな曲調の中で歌詞に落とし込んでいる部分を、初めて聴いた時とても面白く感じたのを覚えている。彼自身の哲学というか、そうした考え方に惹かれたことで、少し肩の力が抜けたのかなと思う。今もなお私を支えてくれているピノキオピー氏が、第一線で作曲を続けてくれていることに、頭の下がる思いである。

現在(大学生)

そして今、私はなんとか大学生になり、中々に良い大学生活を送れているように思う。友人も出来たし、単位もここまで一つも落とさずに来れている(偉すぎ)。ただそれでも一時期、劇的にへこみっぱなしだった時期があった。何があったかはもう詳しく思い出せないが何もかもが嫌だったし、何をやってもダメ、『今までの努力とか全部無駄だったなぁ……もう一生このままかなぁ』というぐらいにメンタルが朽ち果て、完全に自暴自棄になっていた。それまでやっていた筋トレや洗顔などの自分磨きもそこで一度辞めてしまったし、本当にもったいなかったと思う。今改めて書いていて思うけどヤバすぎる。

その時の曲

そんな時に自分を支えてくれたのが「Too Bad Day But...(Remix)」(Kvi Baba feat.AKLO&KEIJU)だ。大学進学のタイミングでHIPHOPを聴き始めていた中で、弟から紹介されたのがこの曲であった。この曲はビートもさることながらリリックがとにかく良く、最初からいきなり「自分をだめにするのが上手いね/って言われてきたよ僕なら毎年」とちょうど怠惰に溺れていた自分に刺さるフレーズを残してくれる。また個人的に好きなところがKEIJUの「自分が逃げれる場所すら自分には与えねぇ/起きること全部俺のせい」という所で、このバースにくらいまくったことが結果として、堕落しきりだった自分が這い上がるための蜘蛛の糸になったと言えよう。作っていただいたアーティストの方々や、この曲を紹介してくれた弟には感謝してもしきれない。

最後に

今回この企画に客演……もとい著者2として参加させていただいたことで、自分自身の音楽体験や曲との出会い、今の自分の音楽の嗜好のルーツに迫れて興味深かった。これからも自分が好きな曲たち、あるいは誰かに勧められた曲に支えられながら頑張っていきたいと思う。そして、音楽には自分をより良くして行ける力があるという事を身をもって示したい。最後に、このような機会をくれた第一筆者の方、並びに今まで聴いてきた全てのアーティストたちへの感謝の言葉をもってこの文の〆としたい。今日にいたるまで、背中を押してくれて、ありがとう。

ミュージック・ライフ

2023年7月26日 発行 初版

著  者:いしころ 弱り目にあたりめ
発  行:二松学舎大学

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いしころ 弱り目にあたりめ

いしころ 2003年6月28日生
NFL・MLBなどアメリカのスポーツを中心に観戦するのが趣味
弱り目にあたりめ 2004年1月23日生
生粋のモンスター好き

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