───────────────────────
───────────────────────
この本はタチヨミ版です。
SAKIMORI(改定版)
私は撮影所で映画のシーンを見守っていた。そこには、漱石が天女のように美しいと表現した女性、藤尾がいた。彼女の声は荒々しく、感情が高ぶっているのがわかった。
「嘘ですわ。嘘!嘘!」と藤尾は叫んだ。「小野さんは、私の夫です。私の未来の夫です。あなたは何を言うのです。失礼ですわ!」
藤尾の前に立つ宗近は冷静に言った。「事実を報告しているだけだ」
「私を侮辱する気?なぜ小野さんは来ないの?」藤尾はなおも問い詰める。しかし、その瞬間、彼女の目は小野の婚約者に向かい、その場に倒れこんでしまった。
「は~い、カット!」と監督の声が響く。夏目漱石の『虞美人草』を原作としたシーンの撮影は、一時中断となった。
漱石の小説では、藤尾の死については明確に語られない。ただ、突然お線香という文字が出てきて、彼女の死を知ることになるのだ。それに対して、これまでのドラマ化では藤尾は毒をあおって自ら命を絶つシーンが描かれてきた。
私はその描写に納得がいかなかった。『アデルの恋の物語』のように、狂気に走る方が藤尾らしいと感じたのだ。藤尾は自分から死ぬような女性ではない。しかし、その点で監督と意見が分かれ、最終的には監督の意向に任せることにした。
撮影所から帰宅した私は、新たなシノプシスを書き始めた。これは長いものになりそうだと予感しながら、筆を進めた。
*
八月の暑い夜だった。
撮影所から海岸につながる道路を、
赤いポルシェが100キロ以上で飛ばしている。
運転しているのは英次で、隣に私は座っていた。
今夜飲んだお気に入りのピンクシャンペンが、
私の中で暴動を起こしていたけど、
海の風を受けて、とても心地よく、
車の中で、いたたまれない睡魔と格闘していた。
私の名前は、久留牟田沙樹子。
久留米生まれで大牟田育ちなので苗字にしたの。
「サーキー」と、呼ばれている。
年(と)齢(し)は四十歳、
顔には軽い疲労が見えるけど、
私が流してきた涙の数を考えれば、
まあ、仕方がない。
私には恥ずかしい過去がある。
二十五歳で映画出演して、女優として、
すぐに人気になったけど、
二十六歳には映画出演で得たお金をもって、
若い画家とパリに行ってしまった。
二十七歳には無名の人間になり、当然のごとく、
お金は底をついて無一文になった。
お金の切れ目は縁の切れ目で、画家はどこかへ行ってしまい、
私はパリから身ひとつで逃げ帰ってきた。
若い頃は危険な男に恋してしまう。
会社は私に、次の映画作品を考えてくれたけど、
男に捨てられた女優の汚名は、消せなかった。
私は、ほっとした。
なぜなら、週刊誌の記者に追い回されるのは嫌いだし、
世間的な名声は、自由というものを失ってしまう。
私は脚本家になろうと思った。
パリ逃避行をネタにしたら、私の脚本がヒットしたの。
何度か結婚したけど、幸福になれず、もっか独身。
現在の私の心を惑わすのは、今、私の横で運転している英次。
英次は、なかなかのハンサムなの。
映画会社の重役をつとめていて、彫りの深い整った顔で、
フランス人の香りを漂わせている。
女優が、相次いで英次に夢中になった。
隣の英次が私を、べットの深淵に沈ませようとしている。
私は憂鬱だった。いや、眠いの。
でも私は英次の目のサインに従うしかなかった。
だって、何度も電話をもらい、デートも重ねて、
私の年齢の女としては、そろそろ。
英次に、身をまかせるのが、義務だと感じた。
いよいよ今夜は避けられない日が来たと覚悟した。
午前二時
赤いポルシェは
私の「花の御殿」と言われる住まいに向かって、猛スピードで走っていた。
何かが、私たちの車に向かって、飛び込んできたの。
ヘッドライトの中に、マネキンのようなものが飛び込んできた。
英次は、すばらしい反射神経で
急ブレーキをかけ、右側の溝の方に避けた
「サーキー!」
英次が私の名を呼ぶ声で目がさめたの。
私は気絶していたようだ
私はなぜかハンドバッグを手にしていた。
不思議よね。
普段はいろんなところにハンドバッグを置き忘れる私なのに。
英次も無事で、お互いに「ああ、よかった」と安堵した。
車のエアーバッグを押しのけて外を見ても何も見えない。
飛び込んできたマネキンが気になって車を降りて探す
道路のアスファルトの上に横たわっている青年をみつけた
英次が青年の脈をみて、生きているか確認した。
タチヨミ版はここまでとなります。
2024年7月15日 発行 初版
bb_B_00179453
bcck: http://bccks.jp/bcck/00179453/info
user: http://bccks.jp/user/150628
format:#002t
Powered by BCCKS
株式会社BCCKS
〒141-0021
東京都品川区上大崎 1-5-5 201
contact@bccks.jp
http://bccks.jp
映画などのプロデューサー 著作も幻冬舎などから20冊以上