───────────────────────
───────────────────────
この本はタチヨミ版です。
マクレガーの川旅のコースについて
ジョン・マクレガーの今回の航海はライン川とドナウ川、スイスの湖が中心になっています。
この両大河にはおびただしい数の支流がそそぎこみ、また、それらをつなぐ運河も数多くあります。鉄道や荷馬車で移動した地域もあり、出発地のイギリス・テムズ川や終着点のフランス・セーヌ川を含めて、とても小さな地図には表現しきれません。
詳しいルートについては本文でお確かめください。
ジョン・マクレガー(一八二五年~一八九二年)は、旅をする手段としてのカヌー/カヤック*の価値を認めて世に広めた、現代のツーリングカヌーの生みの親ともいうべき人物です。
彼の使用したカヌーはロブロイ・カヌーと呼ばれ、帆走も可能でした。
彼自身が設計し提唱した、当時としてはまったく斬新な乗り物で、しかもそれを使って実際に自分で母国の英国のみならず、広くヨーロッパや中東の川を旅して耐候性や実用性を証明しています。
ロブロイ・カヌーは驚くほど完成度が高く、二十一世紀の現代のカヌー/カヤックと比べても、素材が木からプラスチックやFRPに変わっただけで、ほぼ同等の基本性能を備えています**。
彼はカヌーで旅をしながら、スケッチをし、カヌーの運搬をめぐって鉄道会社との駆け引きに興じ、それを率直に航海日誌につづり、さらに地元の新聞の取材を受けたり、現地の人々と交流したりしています。
カヌーによる川下りを日本で広めた最大の功労者はいうまでもなく野田知佑(一九三八年~二〇二二年)ですが、古典となった名著『日本の川を旅する』をはじめとして、彼の著作に影響されてアウトドアやカヤッキングにのめり込んだ若者や中高年も日本には多いですね。ジョン・マクレガーはヨーロッパにおけるそういう存在、その元祖ともいうべき人物だったわけです。
ライン川のような大河は複数の国をまたいで流れ、無数といえるほどの支流があります。日本最長の信濃川が上流域(長野県)では千曲川と呼ばれ、さらに同じ水系でありながら犀川や梓川とも呼ばれるように、それぞれに異なる名前がついていたりします。
ヨーロッパでは川と川をつなぐ運河も発達し、ロックと呼ばれる仕組みを利用した水運・水路網も発達しています。平野から山岳地帯に高度をあげて向かうことが可能だったりもします。
ジョン・マクレガーのカヌーによる航海記は、イギリスのみならず広く欧米を含むベストセラーとなり、自分で操船するカヌーという、まったく新しい旅の方法に欧米の若者たちは熱狂し、それに追随する者が続出しました。
後年に『宝島』や『ジキル博士とハイド氏』などの世界的ベストセラー作家となる若き日のスティーヴンソンもその一人で、無名の作家志望だった二十代の頃にロブロイ・カヌーを手に入れて、実際にヨーロッパの川を旅しているほどです***。
ジョン・マクレガーは、ドナウ川の源流からの川下りをめざすなど、未知のルートを探る開拓者であり、冒険者、旅行作家でもあり、コミカルだったり自虐的だったりするスケッチを描くイラストレーターであったりもしました。
今なら、アクションカメラを帽子に取りつけて激流を下り、その様子を撮影した動画をSNSで配信していたかもしれません。
ロブロイ・カヌーは、動物の皮を利用した北米原住民(イヌイット)の狩りのためのカヤックを参考にしつつも、カヌー競技などとはまったく異なる、自分の手と足を使って旅をする醍醐味や冒険の壮快さを教えてくれる旅、その手段となる乗り物だといえます。
* * * * * *
著者のジョン・マクレガーは自設計のカヌーによる航海を行う一方、ロンドンの法廷弁護士として活動し、キリスト教に基づく貧者救済のフィランソロピスト(社会奉仕活動家)としての側面も持っていました。
当時のベストセラーとなったロブロイ・カヌーによる航海記の印税はすべて、難破船の海員協会と王立救命艇協会に寄付されています。
*カヌーとカヤックの違い 一般に、カナディアンカヌーのようなオープンデッキでシングルパドルで漕ぐものをカヌー、上面がデッキで覆われていて中央の穴から上体だけ出してダブルパドルで漕ぐものをカヤックと呼びます。
とはいえ、オリンピックの競技カヌーはデッキがありダブルパドルで漕ぐのにカヌーと呼ばれているように、進行方向に背を向ける手こぎのボートと区別し、前を向いて漕ぐ小さなボートの総称として(広義の)カヌーという言葉が使われたりもしています。
**ジョン・マクレガーが実際に使用したロブロイ・カヌーについては、現物が現存しており、英国のカヌー&ローイング・ミュージアムに保存されています(巻末にURLを掲載)。
***若きスティーヴンソンのカヌーによる旅 『旅は驢馬をつれて 他一篇』(吉田健一訳の岩波文庫に「内地の船旅」と題して所収 現在絶版)。新訳として『スティーヴンソンの欧州カヌー紀行』(明瀬和弘訳、エイティエル出版)がある。
目 次
はじめに
第一章
第二章
第三章
第四章
第五章
第六章
第七章
第八章
第九章
第十章
第十一章
第十二章
第十三章
第十四章
第十五章
付録1 役に立ったものと不要だったもの
付録2 川下りで遭遇する岩のかわし方
凡例
一 訳文では、読みやすさを考慮し、必要に応じて、改行を追加しました。
二 訳文で、[原注]は著者自身の原文における注を指し、*は訳注を示しています。
三 本書に挿入されている図版はすべて、著者自身の手書きを復元したものです。
ただし、地図については、原著の地図を元に新規作成しました。
四 地名や人物名については、原則として、日本で一般的と思われるものを採用しました。
カヌーイスト――他の方法――ロブロイ――ハンドブック――ヒント――服装――役割
ある日のこと、ぼくは列車の事故で客車の座席の下に投げ出され、ちぎれた電信線にからまってしまった。そのためライフル射撃をやろうとすると手が震えるようになった。遠く離れたところにいる雄牛の目を狙うのは無理になったわけだ。
で、ぼくとしては、また少年の頃のように水辺の生活に戻ろうと、ベッドでカヌーを使った新しい航海を夢みたり、どういうタイプのカヌーにしようかとわくわくしながら計画を練ったりしたのだった。
川を利用する内陸の旅で、手こぎボートが役に立たないのははっきりしている。
なぜか?
舟旅に絶好の川でも、自然の河川というものはオールで漕ぐには川幅が狭すぎたり、逆に、川幅は十分に広いものの水深が浅すぎたりするからだ。
まがりくねっていたり、岩や瀬があったりするし、水草や水没した木、水車用の堰や障害物も存在している。倒木や急流もあれば、渦をまいているところもある。山間部を縫ってくねくねと流れている川には、必ずといっていいくらい滝があったりもする。
そういう場所は野性味たっぷりで、とても手こぎボートで近づけるようなところではない。また三角波で水びたしになったり、肉眼で見てもわからない水面下に隠れている岩でひっくり返ることもある。
ところが、オールを使った手こぎボートを悩ますこうした状況そのものが、逆にカヌーに乗った旅人にとってはうれしい刺激になってくれるのだ。
カヌーでは、漕ぎ手は後ろではなく前方を見ている。自分がたどるコースや両岸の景色もすべて目に入る。障害物があっても、パドルをひとかきすれば脇をすり抜けていくことができる。狭い場所でもこまかく位置を調整できるし、アシや水草が生い茂っていたり木の枝や草がたれ下がっていても楽に通り抜けることができる。
体を動かさず、帆を張って進むことだってできる*。
川底につかえたとしても、パドルで押しながら進めるし、あぶないところでは用心してカヌーから降りたっていい。浅瀬ではカヌーを引きながら徒渉し、草原や生け垣、堤や障害物や壁があっても、乾いた土の上を引きずって進むことだってできる。ハシゴや階段では、手で押し上げればよい。高い山々や広大な平原では、カヌーを荷車にのせて自分で引いたり馬や牛に引かせたりして乗りこえることも可能だ。
こうしたことすべてに加えて、船の甲板のように上面をおおうデッキもついているので、デッキ自体がない無蓋の手こぎボートなどよりはるかに耐航性がある。
深くよどんだ場所でも、水門でも、水車用の水路でも、平気で乗り入れることができる。大海原の激しく寄せる磯波や川の急流でも、水はデッキの上を流れていき、カヌーの内側はいつも乾いている。
*ジョン・マクレガーのカヌーはロブロイと命名された木製のカヤックで、マストを立てれば帆走も可能なセーリング仕様にもなっていた。
また、カヌーは座る位置が低く、体を移動させるためにオールから手を離す必要もないので、手こぎボートよりも安全だ。
何日も、あるいは何週間もの間ずっと自力で漕いで移動し続けるということについても、それが長時間になっても、カヌーには背もたれがあるので問題はない。
パドルを膝にのせたまま肘かけイスに座っているようにくつろぐこともできる。
そうやって流れや風に身をまかせながら周囲を見まわしたり、読書や食事をしたり、スケッチしたり、土手からこっちを眺めている人たちとおしゃべりしたりすることだってできてしまう。それでいて、とっさのときには両手でパドルを握ればすぐに対応できるのだ。
最後に、帆を日よけや雨よけ代わりに用いてカヌー内部で足をのばして横になることもできる。
夜はデッキをおおっているカバーの下で眠れる。ベッドの代わりとしても、偉大なウェリントン公*も満足するくらいのスペースはある。しばらく水辺はいいやという気分になったときは、カヌーから離れて宿屋に泊まればよいし、そうすれば、馬のように「下を向いて食べる」こともない。また、カヌーを自宅に送り返したり売り払ったりして旅を続け、一等車の快適なクッションにもたれて世界を見てまわることだってできる。
*ウェエリントン公 イギリスの公爵。フランスとのナポレオン戦争における英雄。
とはいえ、こんな風にカヌーの旅を礼賛していると、当然ながら「それって、別の方法で旅をした上での話なのか?」「いろんな楽しみがあっていいんじゃないか?」「氷河や火山に登ったことはあるのか?」「洞穴や地下の墓地に入ったことはあるのか?」「ノルウェーで幌のない馬車に乗ったり、アラブで馬に乗ってのんびり散歩したり、ロシアの平原を疾駆したりした経験はあるのか?」「ナイル川の船旅やトリニティ・カレッジでのボート競争、アメリカの蒸気船、エーゲ海の帆船、そり滑りやヨットでのセーリング、ラントン型*の自転車――そういうのを自分で経験した上でそう言っているのか?」と疑問があびせられるだろう。
*ラントン型自転車 前輪が小さく、大きな後輪が2個ついている三輪自転車。一八六三年にイギリスで発明された。明治維新(一八六八年)の頃には早くも日本に輸入されたという記録がある。
なお、現代の自転車の前身としてよくイメージされるペダル付きの巨大な前輪と小さな後輪というタイプのものはミショー型と呼ばれ、フランスで発明された。
そうした質問に対する返事はすべて「イエス」だ。
実際に速かったり遅かったりする他のいろんな移動手段を十二分に経験し楽しんだ上で、あえてそう言っているのだよ、ぼくは。
ヨーロッパやアジア、アフリカ、アメリカでカヌーを実際に使ってみて、やっぱりパドルを漕いで旅をするのが、すべてにおいて最高だとわかったからね。
カヌーの旅には前述したような長所があり、今回の川旅は天気や健康にも恵まれていたので、本当に楽しかった。
タチヨミ版はここまでとなります。
2024年10月5日 発行 初版
bb_B_00179971
bcck: http://bccks.jp/bcck/00179971/info
user: http://bccks.jp/user/131109
format:#002t
Powered by BCCKS
株式会社BCCKS
〒141-0021
東京都品川区上大崎 1-5-5 201
contact@bccks.jp
http://bccks.jp
エイティエル出版 電子書籍+プリントオンデマンドによる紙本の出版を行っています。