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【更新期間中無料】霊力使い小学四年生たちの畿域信仰 第六巻

坪内琢正

洛瑞書店



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第一一話 大阪北・お初天神の菊、太融寺の秋霖

 大阪(おおさか)市北(きた)区は、次第にエアコンが使われる時間帯も減りつつある九月中旬の昼頃を迎えていた。
 同区内にある梅田駅は国内有数の鉄道のターミナルであるが、一方曽根崎通りと呼ばれる国道一号線も、梅田新道交差点を境に国道二号線となるなど、道路交通上も主要な拠点であることで知られている。
 その梅田新道交差点から一つ東の交差点は、その名も梅新東である。ここでは南北の通りは新御堂筋である。地上だけでも、曽根崎通りは六車線、新御堂筋は四車線が用意されている。
 加えて、曽根崎通りの東側から、新御堂筋の北側に向かって双方向に、また、新御堂筋の北側から南側への一方向に、高架橋が設けられている非常に大きな規模の交差点で、さすがに横断歩道はなく、変わって四方に向かって✕字に伸びている、赤色の歩道橋がこの交差点のランドマークともなっている。
 梅田駅そのものが大きなターミナルであるため、目的の路線ののりばへは若干の距離を歩くことが多いが、梅新東の交差点も、同じように歩けば程なくして阪急百貨店などに辿り着く場所にある。
 さて、この交差点から新御堂筋の北行車線側を進むと、多くの高低の建物がそれに面してある。とある大手保険会社のオフィスビルもその中の一つであり、当該保険会社の他、法人向けの貸しオフィスのスペースも多く取られている。
 その一つに、様々な法人・業種の電話勧誘の業務を一括して請け負う、電話勧誘屋の作業室、即ちコールセンターも入っていた。オフィスの規模や立地も、またその中に出入りする従業員もスーツ姿を基本としていたが、見かけはそうであっても、給与はあくまでワープアの金額が圧倒的多数であった。
 また彼らの班長らであっても、その多くは嘱託社員であって、世代交代の対応は想定外とされていた。その非常に広いフロアの中の多数のスーツの男女の中で、世代交代に対応している従業員は二、三名程度で、その比率はご多分に漏れず、今の高齢者たちには全く想像もできないもので、従業員たちも高齢者から異端な存在とのマインドコントロールを受けていたが、実際には、世代交代未対応の従業員がこの比率で構成されている事業所は、あくまでスタンダードなものであった。
 さてフロアは、座れば左右も前も見えない程度の、小さな壁が三方に設けてあるデスクが向かい合わせに並んでいたが、一方でそれらのデスクとは別に、五つほど、壁を背にして独立して設置されていたデスクもあった。そこが輪番制で班長が使用するデスクだった。
 その班長用のデスクに置かれていた電話を耳にしながら、スーツ姿の若い女性の班長が声を張り上げていた。
「はぁ? 列車が台風のため五時から計画運休をするが、どうしたらよいのか相談したい? そのようなことは自分自身で決めろ! まったく、そんなこともできないからお前は社会人としての適応ができないのだ! え? 詳細な情報を駅員に聞いて再度架電する? ああ、わかった!」
 女性はそう怒鳴ってすぐに電話を切り、椅子に座り、置かれていたデスクトップパソコンを用いて作業を始めた。
 そして一〇分ほどしたとき、再び彼女のデスクの電話が鳴った。
「もしもし? は? 駅員に聞いたところ、五時から、つまりあと半日程度で止めることは確定している、また、生々しく安全に関わる危険なことだから、ぎりぎりまで待つのではなく、可能な限り早急に帰宅するよう呼びかけているだと? そんな、エアコンのない時代にありそうな、人間の体力の限界の話など、エアコンの効いた室内で業務をすることを基本としている私たちが知っているとでも思うのか? 全ては甘えだ! コンビニで二四時間、快適な消費行動をなせるが如く、私たちも二四時間を労働に捧げても、それが危険などという感覚は全て甘えとして扱うのだ! まったく、そんなこともできないからお前は社会人としての適応ができないのだ! 理論を言わずに、さっさとここまで来い、わかったな!」
 女性は再び怒鳴って電話を切った。それには、前回と一言一句違わないフレーズも入っていた。
 その一方、班長のデスクから一番近い別のデスクにいた女性が、彼女の姿を見ながら少しぼうっとしていた。
(一見すると平和に見える日本社会にあって、あたかも水を得た魚のように、労働での虐待への法的規制の稚拙さから、常にできる限り最大限の悪事を為したいと思っている悪者が、唯一生き生きと最大限かつ巧妙にそれができる場所とその内容として、とくにその業界に不慣れな者に対して、一見すると業務上の「的確な」指示の体裁を取りながら、その真の目的として、虐待の対象の、全ての行動に対して、「から」「ので」といった理由の助動詞をつけて、必ずこのフレーズを一言一句変わらず、ロボットのように繰り返し告げ続け、あげくは、その複数の内容を照らし合わせれば、それは明白な矛盾で満ち溢れていて、にも関わらず被害者本人にとっては、不慣れな業務だからその矛盾を見抜き辛いということも、令和の私たちの『正しい社会』の労働の現場では、珍しくもない……。こんな大事が起こっているのに……あの班長には過ちがいっぱいあるのに……あの子がやめるまで散々サンドバッグにされたあと……次は私かもしれないのに、それはほんの僅かな時間しか見通せないかもしれないのに……まるで同じ職場にずっといられるなんていう、過去と違って今や壊滅している幻想にしがみついて、身に危険が迫っているというのに実態から思考を止めて……今私は何がしたいんだろう……!)
 その女性は悶々と思考を続けた。
「おはようございます……」 
 それから数時間ほど経った午後に、班長の電話に出ていた、さらに若いスーツの女性従業員がオフィスの入口に現れ、か細く挨拶をした。
「あ……来たか」
 班長は彼女の姿を見るとすぐに座席から立ち上がり、すぐにその傍まで進んだ。
「え……」
「全く、正常な社会に適応できない、みすぼらしい女……、やれやれ……ちょっと疲れた……、少し休憩するか……君、ちょっと付き合ってくれないか」
「は、はい……」
 班長の女性は先ほど一番近くの席で思案をしていた従業員の女性に告げ、そしてその女性も班長に言われるままについていき、遅れてきた女性を相手にしないまま、二人はオフィスから廊下に出た。
「ついでにコーヒーでも飲むか……、お前もついてきな」
「わかりました……」
 続いて二人はエレベーターに乗り、一階まで降り、そしてビルから出て、新御堂筋の歩道に出た。
「ん、なんかあったのか? 車が来ないな……、まぁいいか」
 班長は大通りである新御堂筋に一台も自動車がいないことを少し気にしつつも、もう一人の女性従業員を従え、ビルの脇に在った自動販売機へと向かった。
 そのとき班長の背中から、黒い霧が少しずつ湧き始めたが、二人ともそれには気づかなかった。
「その鬼玉……、貰い受けよう」
 そして、続いて若い男性の声が二人の耳に届いた。
「へ? 何、コスプレ……?」
「え……」
 二人はその方を見て目を丸くした。その男性は黒の束帯を着用していた。
「……」
 そして、立ち止まったままの二人の方に進み出た。
「ああぐっ!」
「きゃああっ」
 そのままその男性は、突然班長の首を右手で掴んだ。周囲に二人の女性の悲鳴が響いた。
「う、う……」
 首を掴まれ、班長の女性は悶えた。
「は、班長……」
 その光景を見た従業員の女性も恐れおののいた。

 同じ日、下京区、洛内小学校は昼の掃除の時間を終え、四年二組では、最後の授業の前の少しの休み時間に入っていた。
「珠洲ちゃん、今日ってどこだったっけ」
「あ……下鴨神社だよ。地下鉄の今出川でバスに乗り換えるよ」
 耐の無邪気な質問に、珠洲も優しく答えた。
「ありゃりゃ、ほーたえ、また行先忘れたの」
「えへ、ごめんなさい」
 雲雀の指摘に耐は舌を小さく出して二人に謝った。
「あの、みんなっ」
「えっ?」
 そのとき、淡水の声がして、珠洲たちは振り返った。
「フィールドワーク……かづくんやたあくんと一緒にしてるんだったよね……、今日は私も一緒に行ってもいいかなぁ」
「およ? 興味を持ったの? うん、いいよ、ね、二人とも」
 雲雀が淡水に笑顔で告げ、そして珠洲と耐の方を向いた。
「うんっ」
「大丈夫だよ」
 耐も珠洲もはにかんで了承した。その声は珠洲の方が小さく、より照れていた。
「あれ、淡水ちゃんも、三人のやつ、行ってみるの……? うーん、それなら僕も行こうかなぁ……」
「おおぅ……弘くんもかね、うん、いいよ、ていうか、それならせっかくだし、たまにはみんなで行かない?」
 弘明がその様子を見て口を挟んだ。それを聞いた雲雀は、了承するとともに、別の方にいた美濃に向かって呼びかけた。
「え……? うん、僕は大丈夫だよ……、ちょっと読み物が多くて、なかなか時間が取れないけど……」
 それを聞いた美濃も了承した。
「よっしゃ、美濃くんもオッケーか……、司くんと唯ちゃんも呼ぼう」
「あ、うん……」
 雲雀の言葉を聞いて、珠洲ははにかみながら頷いた。
「天路のみんなでかぁ……今まではなかったよね」 
 耐が感慨深げに言った。
「うん……まぁ、いっつもってわけにはいかないかもしれないけどね」
 雲雀が苦笑交じりにそれに続いた。
「言い出した淡水ちゃんのおかげだよ、ありがと。やっぱり文化が違うから、興味を持ちやすいってことなのかなぁ」
「え……あ、実は私は、みんなに言いたいことがあって……」
 続けて淡水に笑顔で礼を述べた雲雀に対し、淡水は口ごもった。
「え……?」
 それを聞いた珠洲はきょとんとした。
「まぁ、いいかな……、フィールドワークに行ってからで……。雲雀ちゃん、みんな、どういたしましてっ」
 淡水は少し独り言を言ってから、雲雀たちに礼を返した。

「これが楼門だよ、結構大きいから、楼門の方が有名かもしれない……かな」
 そのおよそ一時間後、華月は、下鴨神社の楼門前で、そこに居た、珠洲、美濃、耐、司、雲雀、弘明、唯、淡水、即ち天路の従者八名全員と、正に向かって説明した。
「へえ……これが……」
 淡水はそれを感慨深げに見上げた。
「うん……あらためて言うとね、鴨氏の一族はもともと今の奈良県御所(ごせ)市を拠点としていたんだ……、初代神武天皇の東征に当たって桜井市方面への道案内をする、八咫烏という烏が出てくるけど、これが鴨氏だと言われてるよ。その後、あたかも都の遷都までも先取りをするかのように、平城京近くの木津川市、長岡京近くの京都市伏見区久我、そして平安京近くの左京区八瀬を中心に、京都の北東方面へと拠点を移してる……。京都にとってその存在感は、同じく西側方面を拠点としていた秦氏よりも上回るよ……。どちらの氏族も、政治の世界には殆どいないけど、宗教の世界では目立ってる。平安初期に石清水八幡宮が勧請されてからは、三社として、神話の世界を守るお伊勢さん、日本を守る八幡さん、首都を守る上賀茂さんと下鴨さんが定着して、現代はともかく近代でも、官幣大社や勅祭社の非公式な序列に反映されているよ」
 華月に続いて、正が穏やかに説明した。
「ほうう……」
「うん……」
 それを聞いて耐や珠洲も、あらためて感慨深く楼門を見上げた。
「そんなに日本でも大事な神社さんだったなんて、知らなかったよ……」
「うん……もしそれが忘れられていくことで、だんだん軽んじられてしまうのはマズいよね……」
 唯と雲雀が呟いた。
「うん……でも……ここは来たら凄く落ち着くし、いかにも市民の憩いの場って感じだけど……、下鴨さんのことがより知れ渡ったら、みんな、少し気持ちに距離ができてしまうのかな……」
 淡水が少し俯いて言った。
「うーん……、それは大丈夫な気がするよ」
 弘明が淡水に言った。
「え……?」
「だって、『さんづけ』で呼んでるもん、淡水ちゃん、たあくんのお話を聞いても」
「あ……そう言われてみれば……ふふっ、そうかも」
 淡水は笑顔で再び顔を上げた。
「うん……この前の……最初元田中に言ったときに、助けに来てくれたのも、格式が高いっていうことからの使命感みたいなのも持っていたのかもしれないけど……、それだけじゃないのかも……、ここで落ち着いた気持ちを少しは取り戻した、みんなにとっても親しい対象だから……その世界がおかしくなることに反発しゃはったのかも……」
「えっ……」
 司がしみじみと言ったことの重さを、耐は意外に思い、驚き、そして司の表情を見て少し頬を赤めた。
「え、あ、あの、なんとなくそんな感じがしたので……勝手な想像だけど」
 それを見た司は慌てて付け足した。
「ううん……、そうだよね、司くんが言った通りだと思うよ」
 美濃が司をフォローした。
「うん……」
 正と珠洲もそれを聞き、司の方を向きながら頷いた。
 そして、楼門前で少しだけ静かな時間が過ぎた。
「あ、あの、みんなっ」
 そのとき、淡水が声を発した。
「え……?」
「淡水ちゃん……?」
「実は今日は、フィールドワークは二の次で……雲雀ちゃんたちや、それから、せっかく集まってくれているから、天路の従者のみんなに、伝えたいことがあるんだ……」
 淡水が照れながら言った。
「伝えたいこと……?」
 雲雀が真っ先に疑問を口にした。
「うん……、前にも言ったけど、私のお母さんは教頭先生で、お父さんは二人一緒にいるって言ったと思うけど……、お母さんの夢は大きくって、私のお父さんの国、台湾で、日本語の先生になるんだ……私みたいに日本語が話せて、日本に来られる台湾の人々を増やす力になりたいって……、それがもうすぐ決まるんだ」
 淡水が言った。
「えっ、そ、それはおめでたい……でも……ちょっと待って、淡水ちゃんも、教頭先生も、日本のことはどうなるの……?」
 雲雀が尋ねた。
「うん……みんな台湾に行くよ。私も、お母さんについていきたいのが一番だから、故郷の国に帰る……、でも……みんなとお別れしないといけなくて、それがすっごく悲しくて……、いずれ教室でお話することだけど、天路の従者のみんなには、なるべく早くお話したかったんだ……」
「え、えっ……」
「淡水ちゃん、転校なの?」
 少し寂しそうに話す淡水の言葉を聞いて、雲雀だけでなく、弘明や珠洲も一斉に驚いた。
「う、うん……、突然のことになっちゃったけど……」
「そう言えば……天路の従者……、光筒はどうしよう……?」
 華月が不安そうに言った。
「あ、ほんとだ……どうしよう……、というか引っ越しの準備で放課後に空く時間もこれから減ってくるんだ……」
「うーん……新蘭さんに聞いてみないと分からないけど、とりあえずは、光筒は僕が預かっておくよ」
 正がなだめるように淡水に言った。
「ほんと? たあくんありがとうっ。よかった……」
「どういたしまして」
 正は少し緊張しながらも、淡水の光筒を受け取った。
「台湾かぁ……大人になったら、みんなで行きたいね……、まぁそれまでに、このメンバーで居るかもわからないけど……」
 雲雀が明るい声で言った。
「そうだね……あれ、雲雀ちゃん……?」
「え、あ、あれ?」
 雲雀の言葉に相槌を打った珠洲は、その声とは裏腹に、彼女の目に涙が溜まっているのを目にして驚かされた。また雲雀自身も自分が流す涙に気付いて驚きの声を上げた。
「あ……そっか……そう言えば、私、ちょっとずつみんなと似てて、違うところもあって……そんな中では淡水ちゃんが一番近いかなと思って……いつの間にか、淡水ちゃんが一番よくお話しする相手になってた気がする……、出身国も違うし、クラス委員だから末鏡への参戦の仕方も違うことが多いのに……」
 雲雀は声を咽ばせながら言った。
「え……そう言われてみれば……私も雲雀ちゃんとが一番よくお話してたかも」
 それを聞いた淡水も少し声を咽ばせながら言った。
「えへ」
「えへへ……」
 それを聞いた雲雀は涙交じりに淡水を見ながら苦笑した。淡水も雲雀の方に同じように向き合った。
「ふふっ」
「そうなんだ……」
 その二人の様子を、珠洲、耐を始め、他の子どもたちも少し目に涙を浮かべながら見つめた。華月と正も、穏やかな表情を二人に向けた。
「あ……そう言えば……天路の従者の光筒のことは……」
 少し間を開けて、正が言った。
「あっ、そうだね、どうしよう……、実は最近は放課後も引っ越しの準備で忙しいことが多くなってきたんだ……」
「うーん……新蘭さんに相談しないとだけど……、そういうことだと、ひとまず、僕の方で預かっておいてもいいかな」
 淡水の困惑に正が笑顔で提案した。
「あっ、たあくん、了解だよ、よかった……ありがとう……」
 淡水ははにかみながら自分が持っていた光筒を正に差し出し、彼はそれを大事そうに受け取り、胸のポケットに入れた。
「どういたしまして」
 正も笑顔で言った。
「ふふ、これでもう、心配事はないかなぁ」
 淡水は少し寂しそうに呟いた。
―ブーッ、ブーッ
「えっ……」
 そのとき弘明のスマホが振動した。
「え、市内……誰だろう……」
「弘くん……?」
 雲雀も不審そうに彼のスマホを見つめた。
「もしもし……? え? あ、先生……どうしたんですが、え、え? 飼育係のウサギが発熱……?」
「えっ……」
「……」
 弘明の応答を聞いて珠洲、美濃ら子どもたちは今度は不安そうな表情になった。
「はい、これから動物病院……、え? 飼育係も記録を書き込んでいた学級日誌がどこかに行った?」
「ああっ!」
 弘明がそこまで応答したところで、まだ少し涙交じりだった淡水が突然声を上げた。
「へ……?」
「しまった、まさか……」
 その声に雲雀らが驚く中、淡水は慌ててランドセルを肩から外して開けた。
「あわわ……転校を言い出すことを気にしてて……」
 そして、その中から四年二組の学級日誌を取り出し、それを見つめながら困惑した。
「弘くん、先生も動物病院に行くの? 私もこれを届けにそこに行くよ」
「え、あ、淡水ちゃん? ちょっと待って……、先生、日誌は淡水ちゃんが間違えて……」
 弘明は学級日誌を淡水が誤って持ち帰ってしまっていること、動物病院に行くなら淡水もそこに行くと言っていることを伝えた。
 そして淡水の言う通り、彼女は学級日誌を持ちながら下京区にある動物病院に直接行くことになった。
「日誌には発熱が事前にわかるようなことは見当たらない……もし書かれてたら、今頃もっと落ち込んでたよ……、でもひとまず、これを届けに行くね」
 淡水は少し落ち着きを取り戻し、笑顔で他の子どもたちに言った。
「うーん……心配だなぁ……、淡水ちゃん、私もついていくよ」
「え、え、唯ちゃん……? そんな、気にしないで……」
「ふふ、淡水ちゃんこそ気にしないで。自分で思っている以上に動揺することってあるから……お節介なのは私の癖なだけだし」
「う、うん……わかった、唯ちゃん、ありがと……」
「どういたしまして」
 淡水は少し照れながら礼を言い、唯はそれを笑顔で返した。
「んー……、一応僕も行った方がいいのかな……」
「あ……うん、弘くんも助かるよ、えへへ、ありがとう」
 弘明の問いに今度は淡水が笑顔で答えた。
「どういたしまして」
「それじゃ、私はクラス委員たちのお手伝いだね」
「うんっ」
 それを見た弘明も唯も続けて笑顔で言い、淡水はさらにそれを聞いてまた笑顔で相槌を打った。

 やがて、淡水、弘明、唯の三人と別れた、正と子どもたちは、境内の楼門をくぐり、今度は、瀬見の小川に通じていた御手洗池に、小石を敷き詰めて設けられていた、斎王代御禊(みそぎ)の儀の催行場所までやってきた。
「ここの河原みたいなところが、葵祭の、斎王代御禊の儀の場所……、ここで斎王代さんが手を洗う儀式があるんだよ」
 華月が他の子どもたちに説明した。
「へぇ……」
 雲雀がそれをまじまじと見つめた。
「やっぱり、水、きれいだよね」
「うん」
 耐が呟き、美濃もそれを聞いて感慨深げに頷いた。
「あの、皆さん」
「わっ」
 そのとき彼らの背後から突然現れた新蘭が声をかけてきて、耐が驚きの声を漏らした。
「あ……」
「出たんですね……」
「はい……」
 司、珠洲の言葉を聞いて新蘭は頷いた。
「あの、新蘭さん、事情は後でお話ししますが、今日から淡水ちゃんが向かえることが難しくなりました」
 正が新蘭に告げた。
「えっ……、そ、そうですか……わかりました、それでは、あの子の光筒は……」
「はい、今はひとまず僕が預かって、ここに……えっ?」
 正は自分の胸ポケットを指さした。すると、それとほぼ同時に、光筒は薄緑色の光を放ち、形を保ったまま気体と化した。そしてその気体状の光筒は光を放ちながら正の胸から体内に入り込んだ。
「え」
「た、たあくん、大丈夫?」
 耐、珠洲がそれを見てまた驚いた。
「う、うん……体はなんともないみたいだけど、こ、これは……」
 正も体はおかしくなっていないと言いながらも驚いた。
「わ、私にもわからないです、すみません、見たことのないことなので……。えっと、相川さん、その状態で光筒は使えますか?」
 新蘭も困惑しながら答え、そして正に聞いた。
「えっ……どうでしょう……、でも光弾なんてこんなところで撃ってもいいんですか」
「あ、はい……、まずは『光筒は、それを用いる天路の従者と、異形のものにしか効かない』という、いわゆる『モード』があるので、まずはそうなるように念じてください、そうすれば、次からは、それは念じなくても、その『モード』になりますから」
「わ、わかりました……」
 正は軽く目を閉じ、言われた通りのことを念じた。すると彼の右胸が薄緑色に光り、すぐにそれは消えた。
「言われた通りに念じました……どうでしょうか……」
「あ、うん……たあくんの胸の部分、一瞬光ったよ……、いけるかも……」
 雲雀が正に言った。
「え、わかった……それじゃ、やってみるね……」
 正は少し空を仰いだ。
「……。うーん、何も起こらないかなぁ……」
「たあくん、試しに、手で撃つポーズとかを作ってみたら? いや、実は私たちも、照準とかは全く意識していないんだけど、手を出した方が自然に念じも強くなるから、よくそうしてるんだ」
 雲雀がまた正に説明した。
「なるほど、わかった……、なんか、漫画のキャラたちがよくやっている感じに似てるよね……、うーん、一応……この世界の物に当たったら危ないので……」
 そう言いながら正はまた空を仰ぎ、そして右手で拳銃のポーズを作り、それを上に向けた。
―ヒュン。
 すると少しして正の人差し指から薄緑色の短い弾線が一つ飛び出し、空に向かって行った。
「え……」
 正はその様子を見て目を丸くした。
「あ……使えるようですね……だとすると……あの、相川さん、申し上げにくいことなのですが、謝さんの代わりに、天路の従者としていらしてもらえないでしょうか……」
 新蘭がその様子を見て正に言った。
「わ、わかりました、それは構わないです……、でも、どうして僕だけ内蔵しているような格好なんでしょうか」
「すみません、それは私もはっきりとはわからないのですが……相川さんは大人ですし、よりお気持ちが安定しているからかもしれないです……」
「あ、いや、それだと、珠洲ちゃんや美濃くんたちだって、ときどき、大人の僕なんかよりずっと大人びている気がするんですが……」
「え、えっ」
「そ、そんなことないよ?」
 それを聞いた美濃と珠洲は恥ずかしがりながら慌てた。
「はは、大丈夫ですよ……、言われてみれば確かにお気持ちが安定している方は他にもおられます……、うーん、だからといって、必ずしもそういった形態になるとも限らないようです……」
 新蘭が言った。
「あの、それと……、これ、どうやったら出てきてくれるんでしょうか」
「あっ、おそらく出るように念じれば出てくるのではと存じます。光筒を用いる者は確かに天路の従者ですが、光筒の力は能力のようなものではありません、奪おうと思えば奪えてしまえる、道具に過ぎないですから。ただ……体に入り込むということは、他の者はそれには触れられないということですから、そういう意味では、使用中は能力に近い類になりますね」
「なるほど……だいたいわかりました……えっと、じゃあ、やっぱり僕も行った方がいいですね……光筒が使えるということだと……」
「あ、はい、すみません……」
 正の言葉を聞いて新蘭が詫びた。
「えっ、たあくん来てくれるの決定?」
「えへ……」
 一方雲雀、司は喜んだりはにかんだりした。
「やったぁ!」
「うん……」
 耐、珠洲もその二人と似たような表情になった。
「あ、あの……新蘭さん、赴く前に、数分ほどいただいてもいいでしょうか」
 一方、正は新蘭との話を続けた。
「え、あ、はい」
「あの……前からみんなの大変な戦いのことは聞いてたんだけど……、この機会に、提案したいことがあるんだ」
 新蘭が頷くのを見て正は今度は子どもたちの方を向いて言った。
「え……?」
 それを聞いた雲雀はきょとんとした。
「みんなの話によると、光弾や神幹は、殆ど同時に二発が同じ目標に着弾したら、単純な二倍じゃなくて、それ以上の威力が出るって聞いたんだけど……」
「えっ……あ、うん、そうだよ」
 正の言葉に珠洲が答えた。
「うん……でも、殆ど同時の攻撃だと、焦ってしまうこともあるし、なかなかやりにくいんじゃないかなと思って……、それでね、事前に同時の攻撃……というか応援射撃の要請用の暗号みたいなのを決めておいた方がいいのかも、って思ったんだ」
「え……」
「暗号……?」
 耐と雲雀はそれを聞いてまたきょとんとなった。
「うん、まず、ターゲットは主に末鏡に惑わされた神霊さんと、それが作り出す文物の神能だと……、それなら、それぞれ、『シン』、『カン』、と二文字程度に略していいと思う……、まぁ、もしかしたら今後他にもいろんなターゲットが出てくるかもしれないけど……」
「ふむ……」
 その言葉に美濃が耳を傾けた。
「その次に、ターゲットから見た方角、『ヒダリ』とか、『ウシロ』とか、全部で六つあるから、それを言うだけで、そのターゲットに向かって撃つから、聞こえた子は応援射撃をしてほしいって意味にするというのはどうだろう……」
 正自身も少し紅潮しつつ提案した。
「なるほど……」
「うーんと、前や上の時は二文字だから、それでいくとそっちからの方がより早く撃ってもらえるのかな……」
 司が頷き、雲雀が質問した。
「あ、待って。そうじゃない方がかえっていいと思う……。二文字の方位も、『マーエ』、『ウーエ』みたいな感じで伸ばして、なるべく三文字の言葉に近づけた方が、聞きやすいよ。それと、ターゲットの先二文字と、ターゲットから見た後三文字との間に、文章で言うところの句読点があると思って、一息ついた方がさらに聞き取りやすくなるんじゃないかな……。焦ってるのはわかるけど、このくらいなら割と短いフレーズだから、一瞬だけ気持ちを『言葉を伝える』ことに集中するといいと思うよ……、もちろん、人の言葉である以上、伝わらないことだってあるだろうけど……これで伝わらなかったらそもそも焦ってもダメだというふうに考えてみたらどうかな……」
「ほほぅ」
「うんっ」
「いいね、それ」
 正の言葉に、耐、司、雲雀らが賛同の声を上げた。
「珠洲ちゃんや美濃くんは……」
 そして耐は珠洲の顔をチラ見した。
「あ……、うん、私もそれで賛成だよ」
「うん」
 珠洲と美濃も頷いた。
「えへ……よかった……、思いつく限りでは意思を伝える最短レベルだけど……、それでも言えそうにないときは、言わずに単独で攻撃して……それでもきっと、みんななら、余裕があればその子の応援をするよね……」
「うんっ」
「もちろんだよ」
「そうだね」
 今度は司、美濃、雲雀らが答えた。
「ふふ、よかった……」
 それを見た正も穏やかな表情を浮かべた。
「そう言えば、たあくん、戦闘をしていないときでもみんなのこと心配してくれてて、なんか保父さんみたい……、って私たちももう小学生だけど」
 そのとき、耐が少しはにかみながら言った。
「え、えっ」
 その言葉を聞いた正は焦った。
「あ、なるほど……」
 それを聞いた司も頷いた。
「確かに……」 
「う、うん」
 続いて、雲雀と珠洲も頷いた。
「そ、そんなことないよ? そ、それより、えっと、新蘭さん、お話はもう大丈夫です……」
 正は引き続き焦りながら話をそらし、新蘭に向かって行った。
「あっ、わかりました。それでは……皆様、そろそろ……」
 正の言葉を聞いた新蘭も少し慌てながらも子どもたちに呼びかけた。 
「うん、それじゃあ、行こう」
「そうだね……」
「うん……」
 それを聞いて、さらに珠洲が他の子どもたちに呼びかけ、雲雀や耐がそれに頷いた。
「あの、雲雀、たあくん、みんなも、気を付けて……」
 一方それを見た華月も、少し泣きそうになりながら、正と五名の子どもたちに呼びかけた。
「あ、うん……」
「えっ……」
 それを聞いた正は華月の前で方膝をついて、そっと華月の頭を撫でた。
「大丈夫、みんなも、僕も、ちゃんと帰って来るので」
 そして正は優しく言った。
「うん……」
 それを聞いた華月は、引き続き泣きそうになりながらも、小さく頷いた。

「う……ぐっ……」
 一方、虚空空間での大阪北の新御堂筋の歩道では、束帯の男性に首を掴まれた女性が、背中から黒い霧をじわじわと噴き出させながら呻いていた。
「は、班長……!」
 それを傍から見ていた従業員の女性も青ざめていた。
「ふふ……鬼玉をよこせ……」
「う……、くっ……!」
「ああっ!」
 女性はもがきながら、どうにか足で、男性の膝を蹴った。その衝撃で、男性は彼女から手を離した。
「ひっ……!」
 そして、慌ててその女性は逃げ出した。
「班長……!」
 それに従業員の女性も続いた。
「ふふ……逃がさぬ……」
 女性は必死に走った。一方束帯の男性は悠々と歩いていたが、どういうわけか、その距離はすぐに縮まっていった。
「ああぐっ!」
 再び女性は彼に首を掴まれた。
「クク……」
「ああ……」
 男性はまた不敵に笑った。それを見た従業員の女性もまた蒼褪めた。
「あ……ひ……」
 首を掴まれた女性もまた苦痛にもがき、悶えた。
「やめてください!」
 そのとき、三人の背後から珠洲が嘆願する声が聞こえた。
「な……? ちっ……」
「ああっ」
 珠洲と、そしてその周囲のあと四人の子どもたちと、正、新蘭の姿をチラ見した男性は、舌打ちをして女性を掴む手を離した。その女性は気の抜けた声を出して地面にへたり込んだ。
「複数の子どもや茶袴の巫女……、生國魂殿から聞いている……、天路の従者だな」
 黒束帯の男性は珠洲たちに向かって言った。
「あの……あなたはどちらの……」
「我はこの路地を西に進んですぐのところにある、お初天神の神霊だ。大宰府に左遷される菅公はこの地で『露とちる 波に袖は朽ちにけり 都のことを思い出づれば』と呼んでいる。元禄一六(1703)年、手代の徳兵衛と遊女お初がこの社裏で心中し、近松門左衛門がこれを題材に人形浄瑠璃曾根崎心中を制作したことで知られる……、当然遊女お初のことで知られてはいるが、周辺の鎮守の社としての性格もあり、我も単純な束帯だ……」
「え……お初天神さん……」 
 その男性はお初天神の神霊と名乗り、珠洲はそれをオウム返しにした。
「あなたは発動した末鏡に乗っ取られているんです、現世に関わらないで、どうか、幽世に戻ってください……」
 続いて、美濃が再びお初天神の神霊に向かって嘆願した。
「ふふ、そうはいかぬ……! 天路の従者ども、我に従う幽世の者どもの餌食になるがいいわ!」
 お初天神の神霊は威勢よく怒鳴り、右手を挙げた。すると彼を中心にして、周囲の空間に次第に洋服や着物、さらには裃や小袖など、近代や近世の衣服を着た人々の立っている姿が見えだした。しかしどの人も力なく膝を曲げていたり、首を垂れていたりした。
「え、な、何……」
「足だけが見えてこない……幽霊さん……?」
 耐や司がそれを見て驚き、また呟いた。
「そう、死者の魂たちを呼び出したのだ……! しかもわが鎮守の地には、最近まで……お前たちの言うところのレンタルのビデオやCDの店舗の巨大なものがあり、あたかもこの地から、日本全国の者どもの物語を見ることができた……、よって我に従う霊たちも、ここ梅田に留まらず、全国各地、果ては蝦夷や琉球までもから、近世の頃まででなら遡って集っているのだ……!」
 お初天神の神霊は引き続き高らかに言った。一方その幽霊たちは最終的には五〇名以上が出現した。
「ちょ、そんな大事な繋がりをそんなことに利用して……」
 雲雀が悔しそうに言った。
「ううん、待って、それだけじゃないよ……お初天神さん、その人たちの自我はどうしたんですか……?」
 珠洲も訝しげに聞いた。
「はは、そこは案ずるでない、我の意に従い、皆立ち上がり、お前たちを止めようとはしているが、その意思は彼らが本来持っていた自我とは別のもの、彼らの自我は遷化したままだ!」
「え……」
 お初天神の神霊は今度は珠洲の質問に答えた。それを聞いた珠洲や美濃は少し安堵した。
「しかしお前たちがこれ以上何もできなくなることは変わりない! 者ども、行け!」
 一方お初天神の神霊は幽霊たちに命令した。それを聞いた幽霊たちはじわじわと子どもたちに向かって歩みを進めた。
「っ……きた……」
「あんなにいっぱい……光弾で効くのかな……」
 正と司が呟いた。
「あ……はい、幽霊ですので、光筒の力に反応します。でも彼らも、生身の皆さんに触れられます……」
 新蘭がそれに答えた。
「わ、わかりました……」
 司がそれに頷いた。
「やろう、みんな」
「うん」
 それを聞いた雲雀が呼びかけ、耐が真っ先にそれに頷いた。
 一方、子どもたちがそうしている間にも、幽霊たちは彼らに向かって来ていた。
「……(撃って……)!」
 それを見た珠洲は光筒を胸元辺りまで持ち上げ念じた。
「ああああっ!」
 するとそのうち一人の着物の男性の霊に、それがすぐに発した光弾が直撃し、彼は濃い紫色の煙となって消えた。
「……」
 それを見た珠洲は少し俯いた。
「……やっつけたけど……あまりいい気はしないかな……」
 それを見た雲雀が珠洲を慰めようとした。
「あ……うん、仕方ないかも……、彼らを幽世に返すのは、本来の居場所に戻すってことだし……」
「うん……そうだね……」
 珠洲の言葉を聞いた美濃が頷き、そしてすぐに幽霊たちの方を向いた。
「えいっ……」
 美濃も自分の光筒から光弾を三発ほど放った。
「ぐああっ!」
「ぎゃああ!」
「あああ!」
 それはすぐに、手前の方にいた、小袖の女性、スーツの男性、洋服の女性の霊に当たり、彼らもすぐに濃紫の煙に変わった。
「うぅ……おおお……」
「おお……おおう」
 すると、その様子を見ていた他の幽霊たちのうちの二人が、引き続き子どもたちを見つつも、お互いに呻き声を出し合った。
「うお、うおお……」
「おおん、おおう……」
 そして幽霊たちは、全員がまっすぐに子どもたちに向かってくるのではなく、左右に広がりながら徐々に彼らを取り囲むように歩き始めた。



「クク、末鏡による被惑ども、難儀しているようだな」
「!」
「誰です!」
 その霧の中から聞こえた低い声に慄き、二人の神霊は顔をそちらに向け誰何した。 
「案ずるでない。我はこれより近い生國魂の神霊だ……。社はこの国にあっても、無秩序な商業主義に支配される中枢にあり、我ほどの由緒ある社ですらその圧倒的多数は我をもはや知らない……、そのような我は末鏡に我が意思を委ね、一体となったのだ」
 黒霧の声は生國魂の神霊となのり、また同時に自らは末鏡と一体となったと述べた。
「なんですと……」
「生國魂殿、なんと素晴らしい……」
 二人の神霊はそれを聞いて感嘆した。
「確かに生國魂殿ほどの由緒ある社が今のような……やはり我らが人間の発生させる鬼玉を喰らわねば……」
 お初天神の神霊が言った。
「うむ、その通りだ……。鬼玉を庇った天路どもが用いたのはおそらく移板であろう。これは一度に大勢を瞬間移動させることができる。奴らは形成が不利と見て、離隔を選んだようだ」
「なっ……それではもはや奴らを追う術はないのですか」
 太融寺の神霊が聞いた。
「心配はいらない。移板は一度に大量の霊力を必要とするため、しばらく間隔を開けないと使えないもののはずだ。しかもその移動したところには霊気の跡が残っている。それを辿っていけば……」
 生國魂の神霊が説明した。
「な、なるほど……」
「どうやらまだツキはあるということですね」
「そうだな」
 それを聞いた二人の神霊はほくそ笑み頷き合った。

 ビル街に、側道と本線の計六車線もある道路があったが、動いている車両は一台もいなかった。
 その道路の中央に直径一〇メートルほどの半球体状の白い光が突然現れ、そしてその中から、天路の子どもたちら、先ほど移板の対象になった者たちが出てきた。
「……ここは……都会の中……?」
 雲雀はそれを見て呟いた。
「はい……そして移板は自動的に、目的地は虚空の空間としたようです……おそらく、本来この道路は多数の自動車が通行しているということではと思われます……そしてまた……、移板は行先を決めていないと、たいていの場合、何らかの強い霊力に引かれるものです……、ですがここは……」
「はは、そうですよね……全然思想とかと無縁な、なんか心が擦り減りそうな感じがする都会の真ん中みたいで……」
「はい……申し訳ありません……」
「ま、まあ大丈夫だと思います……って、あ……」
 新蘭の詫びを雲雀は苦笑しながら済ませた。そしてはっと表情を変えると、一番近くで、先が切れているものの腰に縄を巻かれて倒れていた正のもとに寄った。
「たあくん……ちょっと待っててね……」
 雲雀は彼の上から光筒をかざし、治癒の薄緑の光を彼に浴びせ始めた。
「あ……う……」
 正はそれに反応し、意識を戻した。
「たあくん……よかった……」
 雲雀は少し安堵しながら、引き続き光筒を浴びせた。
「雲雀ちゃん……ありがとう……あの……」
「たあくん、もうちょっと待って」
「うん……、あの、僕は今回最初なので、筒爪はまだないんだ……嬉しいけど、他の子を先にした方が……」
「えへ……そう言われればそうだったね……でも大丈夫だよ……もう少しで立てるようになるから、そうしたらそうする……」
「わ、わかった……」
 雲雀の言ったことを聞いて正も安心して同意した。
「うん、この後ですぐにみんなも治癒していくよ」
「できないな、それは」
「――」
 雲雀の言葉に対し、お初天神の神霊が答えるのが聞こえ、雲雀ははっと目を見開き後ろを向いた。
 その先に、お初天神、太融寺二人の神霊の姿があり、またお初天神の神霊は右手に白い神幹を既に光らせ、彼女の方を注目していた。それを見た雲雀は慄いた。
「今度こそ……もはや神幹で一気に方を付けてやろう……!」
 お初天神の神霊はまた大声を出した。
「ひっ……」
 それを聞いた雲雀の表情はまた蒼褪め、目に涙を溜めた。
「……ん?」
 そのときお初天神の神霊は、足元に小石が転がってきたのを目に留めた。
「やめてー!」
 そのとき、保険会社のビルから、班長と一緒に出てきた女性の声がした。お初天神の神霊がその方を向くと、彼女は左手のひらに、歩道の脇の植え込みから集めてきた石ころを幾つか乗せ、自分を睨んでいた。
「き、君、な、何を……、ほっとかないのか?」
 その様子を見て、鬼玉を発生させてしまっていた、班長の女性も驚き彼女に声をかけた。
「ほんの少し前までの私だったら放置してしまったかもしれないですが……もう私は、前に進むことにしたから……。私は人間だから、もはや命があってもなかっても全く変わらない、出会いの喜びや別れの悲しみにも何の反応も示せない、置物のようなものになる中毒からは脱出するから……。法律でも手の届かない労働虐待……ほっておいてもすぐに自分の番が来るのは全員一緒なのに、大人しくしていたり、強がっていたりしたら逃げられるなんて、頭で有り得ないって気付いているのに見苦しくそれに見て見ぬふりをすることから……。可哀そうな一部どころか下手したら半分以上……、みんなみんなそれで、次々労働の居場所を変更させられて、まばゆいほどのあまりのお店の数の多さで、みんなみんな、人間環境としてあるべき、『誰かとともに居住すること』ができなくなって、『なのに結局は全員が入れ替わる泥仕合にばかり『熱意』を注いで』……それをどうしたらいいのか、うっすらとしか私にはわからないけど、でも今のこれは言えるよ、どうせ長続きしないともうみんな心ではわかってることなら、より正しい方……この場で言うなら……、あの子どもたちの助けになることを選ぶ方がいいってことは!」
 その女性はそこまで言うと、またお初天神の神霊を熱く睨んだ。
「ん……?」
 お初天神の神霊はちらりと自分の右の方に目をやった。そこを女性が投げた小石が飛んで行っていた。
「あ……」
 その様子を見た女性の顔が蒼くなった。
「ふん……私の妨げにならない……、天路の従者の始末が先だな」
「や……やめてあげて……!」
 その言葉を聞いた彼女はお初天神の神霊に向かって嘆願した。
「クク……終わりだ」
「あ……ああ……」
 女性の嘆きも通じず、末鏡に惑わされたお初天神の神霊はまた右手を上げ、ギラギラと白く光る神幹を作った。それを見た雲雀は涙を流しながら、声にならない声を上げた。
「いぎゃああ!」
 その悲鳴を発したのは、これで三度目になるお初天神の神霊だった。彼はその場にしゃがみ込み、そして頭をふらふらさせながらも、左大腿の傷口から噴き出す濃紫の霧を止めようとした。
「え……」
 その光景を見た雲雀は茫然としながらも背後を振り返った。すると何もないはずの大通りに一人、黒衣に輪袈裟をかけた若い僧侶がいて、落ち着いた素振りで右手を降ろしたところだった。
「あ……」
 雲雀は恐る恐る、その僧侶に声をかけようとした。
「天路の従者殿……ですね……、その向こうは被惑の異形のようで……」
「え?」
 それよりも先にその僧侶は雲雀に向かって話した。但し距離が離れていたため、それは彼自身への確かめのようにも見えた。そして、言い終わると同時に瞬間移動により、雲雀のすぐ傍まで近寄った。
「わっ……、あ、あの、あなたは……こんな都会の中ですが……」
「はは、確かに……大阪でも私は結構酷い忘れられようの最中にありますが……、天路殿、この道路、大阪の中心部である御堂筋なのですが……この御堂筋という名称の由来はご存じでしょうか……」
「えっ……」
 突然の質問に雲雀は戸惑った。僧侶は苦笑しつつも続けた。
「本町通との交差点の南北にそれぞれ、北御堂(きたみどう)、南御堂(みなみみどう)という建物があり、その門前の道路だからなんです。実は北御堂とは西本願寺の津村(つむら)別院、南御堂とは東本願寺の難波(なんば)別院……、ルーツを辿ると、蓮如が隠居のために結んだ石山本願寺です。私はそのうちの北御堂の神霊でございます……」
 その僧侶は北御堂の神霊と名乗った。
「北御堂……さん……?」
 雲雀はオウム返しに繰り返した。
「はい……、戦火を逃れ天文二(1533)年、真宗の本山は山科から石山に移り、寺領が大きくなりましたが、天正八(1580)年の石山講和以降、石山は大坂城の地となり、真宗の本山は大坂天満を含めてあちこちに移り、天正一九(1591)年には六条堀川に落ち着きました……。ですがその頃には、引き続き大坂の門徒たちは念仏講の集会を続けており、京都の東西の本願寺とも大坂に別院を置きます。うち私は慶長一〇(1605)年より本堂が設けられております。真宗の寺院のうち重要視されているものは本願寺別院の名称となるのですが、そのような創建に際しての由緒ある別院であっても、おおよそ京都と滋賀を除けば、最初の創建時の姿は全く無視されることが多いのですが、そのような中にあって、ここ大阪の北御堂はコンクリートではありますが、瓦葺で寺院建築をどうにか維持し続けている次第です……。創建時の姿とはもはや別物になっていることで、各地の別院はそのそれぞれの地域の市民たちからもあまり知られなくなってしまっているのではとはと気にしてはいるのですが……」
 北御堂の神霊は自然に少しずつ俯けていた顔を上げ、お初天神、太融寺の神霊らの方を向いた。
「あ、あの……北御堂さんは、まだ末鏡は……。そう言った、残念な思いを抱く神霊さんは、末鏡には先んじて狙われやすいですが……」
 そのとき雲雀は、気になっていたことを北御堂の神霊に尋ねた。
「あ……言われてみればその通りですね……、しかも被惑かどうかなんて、証明のしようもない……でもどうか、信じてほしいです……、ご安心ください……」
「え……」
 そう請われた雲雀はまだ半信半疑のまま、自分に弁解しながらも、お初天神、太融寺の両神霊をきっと注目し続けていた北御堂の表情を窺った。
「……うん……、わかりました……」
 それを見た雲雀も意を決し、光筒を光らせ始めた。
「お初天神殿、貴殿は三度目……、引かれた方が……」
「いや待て太融寺……、まだ撃たねばっ」
「へ……なっ……!」
 太融寺の神霊は、しゃがみ込みながらも自分にそれを告げたお初天神の神霊の目線の先を追い、慌てた。
「確かに……まだ攻めましょう……!」
 そしてお初天神の神霊に呼び掛けた。その先では北御堂の神霊が神幹を、雲雀が光筒をそれぞれ光らせていた。
「神幹も光筒もほぼ同時の着弾だと、威力は単純な2倍ではなく、その数倍にはなります……、天路の従者殿……」
「はいっ」
「せーので参りますっ」
 一方北御堂の神霊と雲雀も、お初天神、太融寺の両神霊への攻撃態勢を取った。
「ぬ……、いかん、これは……」
「あっ……」
 それに気づいた両神霊は狼狽えた。
「せーのっ!」
 雲雀と北御堂の神霊とはほぼ同時に両神霊をめがけてそれぞれ緑の光弾と白の神幹を放った。
「があああ!」
「ぎゃああっ」
 二人がそれぞれ二つの攻撃を受け、衝撃で爆発音が出、またそれと同時に二人の神霊の雄叫びが聞こえた。そして二人の神霊は一挙に大量に発生した濃紫の霧に包まれた。
「――」
 雲雀は少し冷や汗をかきながらその光景を引き続き注目し続けた。被弾した神霊たちの様子がなかなかわかりにくく、急襲されやすいタイミングであることを彼女は気にしていた。
 一方霧は徐々に晴れていった。またその中には誰の姿もなかった。
「あ……幽世に返せたのかな……」
 雲雀の表情は少しずつ緩んでいった。
「ええと……。あ……、はい、こんな距離でもあえて注意しないと神霊の霊気の存在はわからないのですが……二人の神霊のそれは完全に消えています……」
「はふ……」
 それを聞いた雲雀はため息を吐いた。
「あ……そうだ、たあくん、みんなもっ……」
 続いてすぐにはっと表情を変え、北御堂の神霊に合わせて少し移動していたことに気づき、再び、横たわっていた正や他の子どもたちの方へ戻り、まず正に声をかけた。
「たあくん、お待たせ……」
 そして少し恥ずかしがり、はにかみながら正に声をかけた。
「うん……雲雀ちゃんも……ほんとにお疲れ様……」
 それを見た正は雲雀に目を合わせ穏やかな声で彼女を労った。
「えっ……あ……ぐすっ……うん……たあくんも、他のみんなもすぐに治癒するね……」
 雲雀は少し涙混じりに答え、そしてすぐに正の上に光筒の薄緑色の光を浴びせ始めた。
「ありがとう……、さっきからしてもらってたから……、うん……、あの、もう多分大丈夫だよ」
 話している間の数十秒ほど光を浴びただけで正はそう言った。
「え……」
「わ……、よいしょ……」
 雲雀が不安そうに見つめる中、正は少しふらつきながらも立ち上がった。
「僕も順番にみんなの治癒をするね。手をかざすとできると思うから」
「う、うん、私も……」
 二人はそう言葉を交わすと、ほかの子どもたちの方を見た。既に神縄も消滅していたものの、それに強く巻かれた子もぐったりと横たわっていた。
 そんな中、雲雀はすぐ近くにいた珠洲のもとに寄り、正の時と同じように治癒の光を浴びせ始めた。
「あ……ううっ……あ……あれ……?」
「珠洲ちゃん、気がついた……? もう少しだけ待って……」
「あ……、うん、雲雀ちゃん、ありがと……」
 珠洲は引き続き横たわりながらか細い声で雲雀に礼を言った。
 一方正もすぐ近くの美濃に上から右手をかざし、その身体に注目した。するとその手のひらから薄緑色の光が発出され、美濃の身体に降り注ぎ始めた。
「あふ……あ……」
「よかった……美濃くん、あと少し待ってね……」
「うん……」
 意識が次第にはっきりし始めた美濃に、正は優しく告げた。
「あ……あの……巫女さん……」
「えっ……」
 一方新蘭の背後から、小石を集めていた女性が声をかけた。
「あのようにお初天神さんなどがおかしくなってしまったことは、やはり私たちが原因なのでしょうか……」
「ええ、より詳細には……あなたではなくて、あちらの人ですが……」
「そ、それは……」
 新蘭にそう言われた班長に代わって、その女性は表情を暗くした。
「うーん……あともう少し……」
「石橋さーん、すみません、筒爪いただけそうですー」
 その少し後、珠洲を治癒している雲雀に向かって、少し離れたところから新蘭の声がした。
「あ……だって……、珠洲ちゃん、いったん待ってね……たあくん……みんなのことを、少しの間お願い……」
 それを聞いた雲雀は珠洲と正に言った。
「う、うん……」
「わかった……ここはまかせてね……」
 横たわっていた珠洲、美濃の治癒をしていた正は雲雀に答えた。
 
 さらにその少し後、雲雀は両手を重ねて、光筒を持ち、軽く目を閉じていた。そしてその女性は雲雀の両手の上にさらに自分の両手を重ねていた。すると雲雀の光筒が少し光り、爪のように少し長くなった。
「こ、これが、私の祈りの分の力……」
 それを見た女性はあらためて驚きの表情となった。
「あ、あの、私なんかに、他にもできることが……」
 彼女は続けて新蘭に尋ねた。
「あ……そうですね……。石橋さん……あの、二〇年前、別の時間軸の瀋陽で、天路の従者でもある皆さんが、大人に化けたりして、国家財形社労委員として活躍した出来事を見ることのできるDVDですが……、私からではなくて、石橋さんも出すことができると思います……、そちらの女性と手を合わせて、二人で祈れば……」
「え、そうなんですね」
 雲雀は苦笑交じりに相槌を打った。
「確かにあなたは一人の市民で、その力は小さいかもしれないですが……」
 新蘭はあらためて女性に向かって言った。
「そうですよ……、私は自分の環境を変える力も持ってない……、このまま、世帯を作ることもできない、とても哀れな一部……。でもなんとなく、私個人がこの環境であるまま、私たちのこの畿域の地域社会は持続していくのか、なんとなく不安もあります……」
「あ……そのなんとなくの不安はおそらく大当たりしています。かつての世代からおかしなことを吹き込まれているようですが、もしあなたが哀れな一部だとしたら、例えば消費税が20%必要だとか、そのような推測は出てこないはず……、その哀れな状態は実は多数派です。それを回避するためにはいろいろとしないとならないことがあるでしょうが、受容すべきリスクを端的に言いますと、市中に出回る物品数は変わらないものの、それを提供する場所と時間は、その泥仕合は強制的に、イキっての勝ち負け以前の両成敗となるので、平成前期並みに、住居、事業所から離れた頒布地点まで、電動自転車で向かっていただくことになる、ということです。代わりに少し前までの如く、世帯がありプライベートもある住居にある者が、エリートではなく、しがない庶民と自己主張できるようになるでしょうが。欲を言えば二世帯ならなお、孤独に置かれる者がなくなり善いのですが」
 続けて自嘲する女性に向かって新蘭が言った。
「え!」
 それを聞いた女性は目を白黒させて声を漏らした。
「その少女と手を合わせて、それを見たいと願ってください。彼女たちはかつて、こことは違う時間軸の瀋陽で、そう言った社会改革をなして、今の私たちと同じように、多数の一人ひとりがそうとは気づかず孤独に追いやられ、その結果科学的に確実に迎えようとしている地域社会の破滅を回避したので……脳に直接では難しいのですが、機材、今でいうならDVDの形でそれを見せることができますから」
「は、はい……」
「えへ、お願いします」
 新蘭の説明にまた女性は驚かされた。その前で雲雀がはにかみながら自分の右掌を前に出した。
「ええ……」
 女性の側も自分の右掌をそれに合わせ、そして目を閉じた。するとすぐに二つの手は薄緑色に光り始め、その間に一枚のDVDを生成した。
「こ、これがその……」
 再び目を開けた女性はそれを自分の手に取り、まじまじと見つめた。
「はい……えへへ」
 それを見た雲雀は再びはにかんだ。
「あ、あの……厚かましいようですが、他には……もしあれば……、私たちのしてしまったことに比べたら……」
「いえ……私たちでも今の力ではそれくらいで……」
「え……」
 新蘭の言葉を聞いて、女性は暗くなり俯いた。
「あ、あのっ」
「えっ……?」
 そのとき、雲雀が女性に呼びかけ、それを聞いた彼女はぼうっとその方に顔を向けた。
「筒爪をいただいたこと……それから、私たちのことを少しでも知ろうとしていただけたこと、凄く嬉しいし、おかげで私も勇気づけられました、きっとこれからも大丈夫……、なので、ありがとうございますっ」
 雲雀は屈託なく笑顔を女性に向け、礼を述べた。
「は、はは……どういたしまして」
 それを見たその女性も雲雀につられて苦笑した。



「僕も……やるね」
 その様子を気にしつつも正が言った。そして彼は幽霊たちを注視しつつ、何も持っていない手を少し上げ、右の人差し指を前に出し、そこから直接光弾を放ち始めた。
「がああ!」
「ぐおおっ!」
 すると、自分たちを取り囲むように進んできた幽霊たちのうち、その部位に関わらず、それが当たった五、六名程度の幽霊たちの姿が霧に変わった。
「私も……!」
 それを見て少し勇気づけられた耐も、幽霊たちのうちの一部を注目しながら、光筒を持つ右手を上げた。
「……っ」
 すると正と同様、光筒から光弾が飛び出し始め、それが当たった五、六名程度の幽霊の姿を濃紫の霧に変えた。
「やった……」
 それを見た司が感慨深げに呟いた。
「うん……」
 美濃の様子を見た珠洲も少し安堵した。
「珠洲ちゃん!」
「え……あ、あぐっ……!」
 その時耐が珠洲の名を蒼褪めながら呼んだ。そしてその直後に、いつの間にか珠洲の背後にまで迫っていた、一人の着物の男性が彼女の首を両手で掴んだ。珠洲はそれと同時に悶えた。
――ヒュン。
「あ……ハァハァ……」
 すぐに光弾がその幽霊に当たり、彼は霧になり、また離された珠洲は手をついて地面にしゃがみ込み、荒い呼吸をした。
「珠洲ちゃん、大丈夫……?」
「え……? あ、うん……」
 その幽霊に光弾を当てた、右手の人差し指を伸ばしたままの正が不安そうに珠洲に尋ねた。それを聞いた珠洲は顔を上げ、少し頬を染めながら答えた。
「よかった……」
「うん……、……っ」
 珠洲の様子を見た正も、そして耐も少し安心し、また顔の向きを変え、再び幽霊たちに注目しようとした。
「ほーたえ、危ない!」
「へ? わっ」
 雲雀の叫び声を聞いて、耐は自分の背中に向かって包丁を刺そうとしている洋服の女性の幽霊に気づき、慌てて身をかわしたものの、よろけてその場に倒れ、膝を地面に強めに撃った。
「いたた……あっ……」
 痛みに一瞬気を取られ、また慌てて自分を刺そうとした幽霊の方を見ると、今にも自分を刺そうとしている彼女と目が合った。それを見て反撃が間に合わないと感じた耐は怯え出した。
「あああぐっ!」
 叫んだのはその幽霊の方だった。彼女は脇から飛翔した光弾を受けていた。
「え……」
 霧になっていく彼女のよろける向きの反対側を耐が向くと、そこに光筒を自分の胸の前に翳していた雲雀がいた。
「あ……」
 それを見た耐は恐怖から解放されかえって涙を流しそうになった。
「ほーたえ、大丈夫?」
「うんっ」
 雲雀の問いかけに、耐は涙交じりになりながらも満面の笑顔で答えた。
「ぐお……」
「おおお……ごおう……」
 一方、次第に人数が減り、二、三〇名ほどになっていた幽霊たちは、また唸り声で何か相談をしているような様子になった。
「ほごぉぉ……おおう……」
「ぐおぅ……」
「え……」
「な、何……」
 その様子を美濃や司も不安そうに注目した。
「ごおおぅ……あおお……」
「おおごおぅ……」
 彼らは何かのやりとりをしている様子で各々歩き始めた。それは彼らの真ん中の方にいた一人の青い袴姿の青年の幽霊に向かっていた。
「へ……」
「え……?」
 そして、その青年の幽霊、さらに彼に触れた幽霊は、次々と濃い紫色の光に包まれていった。また、その光は横だけではなく、大人の身長を越えて上方にも広がっていった。その光景を見た美濃も珠洲も目を白黒させて驚いた。
「ごおおぅ……」
「おおうおぉ……」
 程なくして全員の幽霊が繋がり、濃紫色の光に包まれた。すると、それとほぼ同時に、その光の輝きが一気に増し、ゼリーのように立体的に前後左右と上に広がった。
「わっ!」
「ふえ……?」
 耐、司らはその光景に驚き怯えた。
 そしてその光はまた一気に弱まっていった。
「う、嘘……」
「え……?」
「巨人……いえ、巨人霊……っ」
 よりはっきりとそれが見えた時、彼らは高さ三〇から五〇メートルはあり、また足が朧気な、巨大な一人の、最初の青年の幽霊の姿となっていて、それを見た雲雀、正、新蘭らはその出現に愕然とした。
「……っ」
 一方それを見てすかさず珠洲は光弾を放った。部位を気にする間を取らなかったので、それは彼の右肩に当たり、同時に大きな音がした。
「ふ……ぐお……」
 その肩の傷穴から、濃紫の霧が噴き出、その巨大な幽霊は呻き声を上げた。
「あれだけ噴き出るから、当たると音も大きいんだ……」
「うん……」
 それを見た耐が呟き、司もそれに頷いた。
「がああっ!」
 続いてその巨人の霊は、さらに大きく雄叫びを上げた。すると霧の噴出が止まり、また噴き出た霧もゼリーのような固形となり、その傷口を塞いだ。
「え……、くっ……」
 それを見た美濃は驚愕しながらも自分も光弾を放った。それは爆発に近い音を出し、その傷口の少し下の脇に当たり、またそこから霧が噴き出始めた。
「今度こそ……」
「うん……」
 耐、正らはその様子に注目した。
「あがあっ!」
 一方巨人霊は再度雄たけびを上げた。
「あ……」
「ああっ」
 それを見ていた珠洲、司らはそれを見て嘆きの声を上げた。美濃が作った巨人霊の傷口は、そこから噴き出された霧が固形化し、その周囲に貼り付くことで塞がれた。
「あがああ!」
 そしてその巨人霊は、自分に光弾を当てた美濃に向かって、右手の拳を一気に振り下ろした。
「ひっ」
 美濃は慌ててそれをかわした。
「ぐ……ぐああ!」
 美濃に打撃を与えることはできなかったものの、巨人霊は今度は自分が目に入れた耐に向かって同じように拳を振り下ろそうとした。
「え……あ……」
 耐はそれをかわす時間がないと気づき、愕然とし、強く目を閉じた。
「……?」
 しかし自分に衝撃が来ず、耐は恐る恐る目を開いた。
「がああああ!」
 それとほぼ同時に巨人霊の雄叫びがした。
「へ……」
 耐の眼前で巨人霊の右胸から濃紫の霧が噴き出ていた。彼女ははっと背後へ顔を向けた。その少し離れたところで、正がまだ右手で拳銃の形を作っていた。
「たあくん……!」
「耐ちゃん……、大丈夫……?」
 目に涙を浮かべ震えながら少し口を緩めた耐に、正は気遣いの言葉をかけた。
「……っ!」
 一方そのやり取りを見て、雲雀も巨人霊の方に体を向けた。
(もう、応援で倍以上の光弾にしないと……、えっと、感情に流されないで、耳に届くよう、声を伝えることに集中して……巨人の霊だから……っ)
「キョー・マーエー」
 雲雀は叫んだ。それは憤りなどもなく、ただ呪文を大きな声で唱えるような感覚でだった。また彼女は、言うと同時に光筒を胸の前辺りまで持ち上げた。
「……!」
 それを聞いた珠洲がはっと目をさらに開け、彼女も光筒を持ち上げた。
(……!)
 その直後に雲雀は光弾を放ち、巨人霊の額に当てた。
「あ……がぁ……」
「私も……!」
 爆発音に続いて巨人霊が呻き声を上げようとする中、数秒もないうちに、珠洲も自分の光弾をその額に当てた。
「ああ……おおおぐぁぁ……」
 続けての爆発音の中、その二発を受けた巨人霊は目を見開いたままとなり、また撃たれた額、さらにそこに続いて胸の二、三か所から、大量に濃紫の霧を噴出させた。その霧ですぐに巨人霊の全体が包まれた。
「――」
「……っ」
 司、耐らは巨人霊の復活を警戒して、自分たちも光筒を軽く持ち上げ、その方に注目した。
 しかしその霧はそのすぐ後には晴れていった。そしてその場所から巨人霊の姿も消えていなくなっていた。
「やった……?」
 それを見た美濃が恐る恐る呟いた。
「く……、貴様ら……っ!」
 一方、お初天神の神霊がきっと子どもたちの方を見て睨んだ。
「え……?」
 それを見て、応援要請のフレーズを使った雲雀が慄いた。
「……っ、シン・ウシロー」
「えっ……」
 続いて美濃がお初天神の神霊の姿を見ながらはっきりと叫んだ。正はそれを彼の傍で聞きはっと目をさらに開けた。
「まずは二人……!」
 お初天神の神霊はさっと右手を上げ白い神幹を立て続けに二発放った。それは美濃と正の方に飛翔した。しかしそれが着弾する前に二人の姿は消えた。
「はっ……、何っ……!」
その様子を見たお初天神の神霊はその場で狼狽した。
「どこへ行っ……ああああ!」
 そしてすぐに爆発音が二発するとともに悲鳴を上げ、前向きに倒れた。同時に彼の背中から一気に濃紫の霧が噴き出し、周囲に強風を吹かせながら彼の姿を包み込んだ。その背後には、光筒を胸元に挙げている美濃と、手で拳銃の形を作り緩やかにそれを前に出していた正の姿があった。
「二人とも……!」
 彼らの様子を見て耐が霧の渦の反対側から不安そうな表情で叫んだ。
「……まだ見えない……」
「うん……当たったら背後ってバレていそうだし、逃げた方が……」
 美濃の言葉を受けて、正が促した。
「うん……、う……風でちょっと目が開けにくいかも……」
 美濃はそれに頷いたものの、霧が作り出している風のために、すぐには視線による瞬間移動ができずに戸惑った。
「耐ちゃんたちの方……よく見ながら……」
 そしてまた美濃は呟いた。
「そうだね……」
 美濃の言葉に、正も頷いた。
「ぎゃああっ!」
「……え」
 その次の瞬間、正は美濃が悶える声を聞いた。慌てて首を曲げると、美濃はいつの間にか麻縄に腰を巻かれ、仰向けに倒れていた。それを見た正は慄いた。
 一方、それと同時に、霧の渦の方から三本ほどの麻縄が一気に伸びて飛んできた。
「ああうっ!」
 続いて正も瞳孔を細めて悲鳴を上げ、その麻縄に腰を取られて倒れこんだ。
「うう……」
 縄によって動くことはできず、また意識も朦朧としたが、正は失ってはおらず、また傷も転倒した時の軽傷で済んでいた。ただ意識が薄れていて、視点がメインになる光筒を使うのは難しかった。
「今のが天路の光弾……危ういところだった……、だが我はまだ霧と化すほどではない!」
 次第に晴れていく霧の中から、お初天神の神霊の口上が響いた。
「え……」
「たあくん、美濃くん……、嘘……」
 その様子を見た雲雀は言葉を失い、司も縄で動きが取れなくなって倒れている二人を見て怯えた。
「天路を始末するのは苦労が多いと聞いている……、こちらも疲れないよう、軽い霊力で済む神縄(しんじゅう)で押さえておくことにするか……、そして……お前たちも、神能だな!」
 お初天神の神霊は、雲雀たち他の四人の子どもたちの方を向いてまたその声を響かせ、右手をさっと上げた。
「ひっ」
「――」
 それを聞いた耐、珠洲はさらに硬直した。一方お初天神の右手には、細い草の茎と小さな菊の花が出現した。
「二人とも……!」
 その様子を見ていた雲雀が、耐と珠洲に向かって叫んだ。
それとほぼ同時にお初天神の手からは、さらにそこから、それよりも太い直径二センチほどの弾力性のある草の茎を一気に大量に飛び出させた。
「あっ……」
「わ……」
 すぐにふたりはそれに両方の手首、足首を取られもがいた。
「クク……奥州のケタイ神、持念仏の木の枝で似たような技を用いたというが……、神能では神縄のような直ちのダメージはないが、じわじわと苦しみが続くことで、光筒を使わせる隙は与えない……」
「えっ……」
「わ……」
 お初天神の神霊の言葉を聞いて、耐と珠洲はさらに慄いた。
「それは菊の茎だ。もっとも、お前たちに飛ばしたものはより太く弾力性がある……、天路に反感を抱く被惑は少なくはないだろう、締め付けた途端に倒すのでは面白くないからな……。古来よりわが国でも愛された植物で、後鳥羽天皇の時に皇室の家紋となった他、仏前の供えとしても用いられている……、今まさにその美しい花を咲かせている時期、ちょうど神能にさせてもらった……!」
 お初天神の神霊はそう言い終わるや否や再び右手を上げ直した。
「ああっ!」
「わっ」
 すると二人の両足首にそれぞれ巻き付いていたその茎は、幅を広げながら二メートル程度の高さまで上がった。さらに膝の下、足三里の付近にも別の茎が巻き付いた。そのため二人は足の下半分は地面と平行に、そこより上は逆さまにされた。
「ひっ……」
「お、降ろして……」
 足の下半分が地面と平行であったことで、通常の逆さまよりは負担は少なかったが、それでもその体勢は惨めなもので、耐と珠洲は震えながら声を漏らした。
「おっと、腕もだ!」
 続いてお初天神の神霊の言葉とともに二人の両手首にそれぞれ巻き付いていた茎も距離を取り、Y字型に二人の腕を広げさせた。
「ああうっ」
「うぅ……」
「ケタイ神が 与えた姿勢の真似事になってしまうが……、大きなダメージがなくともじわじわと……クク、くたばるまで苦痛を与えるには、我もこれがよいと思ったのでな!」
 お初天神の神霊が声高に告げる中、体勢を好き勝手に動かされ、二人は悶えた。
「二人とも……!」
 司が叫び、光筒を強く握った。
「おっと……貴様たちから先でもよいのだぞ」
 それを聞いたお初天神の神霊はすぐに、菊の茎を十分出し切った右手を司たちの方に向けた。
「え……」
「黙って見ていろ」
 司の傍で怯える雲雀に向かってお初天神の神霊が告げた。
「ぎゃああっ!」
「あああっ!」
 そのとき、耐と珠洲の悲鳴が響いた。
「?」
 それを聞いた司は不安そうにもう一度二人の方を見た。
「え、何、脇の辺り……えっ」
「ゆ、幽霊さんたち……」
 耐と珠洲は、それぞれ二名ほど傍に、町人装の若者の幽霊が二人いることに気づいた。
「え、あ、あの……ひゃっ! ははっ、こちょこちょ……?」
「ちょっ……あははっ、わたひ、それ、司くんとに続いて二回目……あふっ」
 二人にの傍にいた幽霊たちはそれぞれ、その脇や脇腹をくすぐり始めた。
「ケタイ神も同じことをしたということは知っているな、それは続けていると体力を失うだけでなく、勝手に笑ってしまうので酸欠になるということも!」
 お初天神が告げた。
「あふっ……ぎゃあっ……やめt……ひゃは……!」
「ひゃはああっ……私も助け……あはははっ!」
 ふたりはそれを聞き、怯えながら笑い続けた。
「ん……?」
「あっ……」
 幽霊たちの動きを確認してお初天神の神霊が再び雲雀たちのほうを向いたのと、珠洲、耐の様子を見て雲雀と司がお初天神の神霊の方に目を向けたのはちょうど同じタイミングだった。
「クク……同時に目が合ったな、無駄だあ!」
 お初天神の神霊が彼らに怒鳴った。
「ひっ」
「そんな……」
 それを聞いた雲雀と司はたじろいだ。
「あうっ……はぎゃっ……あははっ……いやあ……息が苦し……はははっ……」
「ひああっ……あはは……やめてえっ……ははっ……ぎゃあっ……」
 珠洲と耐は連続して笑い声で悶えていたが、どんどんその体力が奪われていき、次第にその声も小さくなっていった。
「うう……」
 その様子を雲雀は歯がゆく見続けるしかなかった。
――ヒュン。
「え」
 そしてその次の瞬間司は、自分のすぐ傍を何かが駆けた気配を感じた。その白い二つの光はすぐに、巨大な菊の茎によって逆さにされていた珠洲と耐の下で同じく巨大な菊の葉に変化した。
「なっ……ぐああっ!」
 直後にお初天神の神霊が叫んだ。
「ひっ」
 それを聞いた雲雀は、お初天神の神霊が新たに何らかの攻撃をするのではと思い、さらに怯えた。
「あ……」
「はふ……」
 一方それと同時に、耐と珠洲の二人を縛っていた茎が消え、二人はその下にあった巨大な菊の葉の上に落下した。
「え……」
 司はその光が来た背後を振り返り目を見開いた。そこに、紅の単の上に紅梅の袿を着用した若い女性がいた。同じ過去の装束でも、それは近世ではなく中古のもので、大きく違っていることは司にも理解できた。
「――」
 その女性を見て司は再び前にいたお初天神の神霊の方を向いた。するとそこで彼は右肩から濃紫の霧を発生させていた。その様子を見るに、その女性が神幹でお初天神の神霊を攻撃し、珠洲と耐を救ったように窺えた。
「あ、あの……今のはあなたが放ったのですか」
 司は恐る恐るその女性に聞いてみた。
「あ……はい、天路の従者殿。神能の菊の葉はお二人を救うために……、神幹はお初天神の神霊を撃つために……。私はお初天神と並び梅田で都心のオアシス的存在となっている太融寺(たいゆうじ)の神霊です」
 その女性は太融寺の神霊と名乗った。
「太融寺さん……えっと、女性の神霊さんということは、尼寺なのでしょうか」
「いえそうではないです。我が寺は伝承では弘仁一二(821)年、空海がこの地にあった霊木から地蔵像、毘沙門天像を祀ったことに端を発し、翌年には嵯峨天皇の持念仏であった千手観音像を本尊としますが……その嵯峨天皇の皇子で、左大臣にもなった源融によって我が寺は整備され、彼の名を採って太融寺と改称しました……。ですがもちろん、このような地での源融の活躍よりも、一般的には彼は、彼と彼を取り巻く女性たちの活躍を描いた源氏物語の源氏の君のモデルと言われていることで広く知られています……ですので私の姿も袿の女性なのです」
 太融寺の神霊は司に説明した。
「それはさておき、お初天神へは打撃を与えましたが……、天路の従者の皆様にも被害が出ているのではないでしょうか」
「えっ、あ、はい、そうです」
 太融寺の神霊の指摘を受け司はすぐに頷いた。そして次の瞬間には、先ほどまでお初天神の神霊が召喚していた神縄に巻かれ、それが消えた後も地面に倒れ込んでいた美濃と正の傍に瞬間移動した。
「あ……」
 目立った外傷はないものの、ぐったりとしていた二人の様子を見て司は言葉を失った。
「う、うぅ……」
 そのとき、美濃が呻き声を上げた。
「み、美濃くん……」
 それを見て司はたじろぎながらも美濃の名を呼んだ。そして、隣で横たわっている正の方へも顔を向けた。正はまだ意識が薄れている様子だった。
「たあくん、後できっと治すから……、ごめんなさい、まずは軽い方の美濃くんに……、また戦ってほしいから……」
 司はそう呟き、美濃の体の上に光筒の薄緑色の光を当て、それを大きく降り始めた。
「あ、あう……。うっ……え……司くん……?」
 司が治癒の光を出す光筒を十回ほど降ったとき、美濃は少し口籠り、続いて司の方に顔を向けて呼びかけた。
「あ、美濃くん……」
 それを見た司は涙交じりに呟いた。
「あ、治癒で……そっか……ありがとう……、あ……」
 美濃は少しずつ意識をはっきりさせながら笑顔で司に礼を述べた。そして自分の傍らで倒れたままの正の方に目をやった。
「たあくん……」
 そして悲しそうな目で呟いた。
「み、美濃くん」
「え」
「ごめんね、先に、一緒に戦ってほしいんだ。太融寺の神霊さんも来てくれたから」
「わ、わかった、もうちょっとの光で、立てると思うよ」
 美濃は未だ倒れたままの自分を見て涙交じりになっている司を励ますように言った。
「彼は仲間の救援に向かったようですね。私たちも……」
「え……、あ、はいっ」
 一方太融寺の神霊は、自分の傍に残っていた雲雀に言った。雲雀はそれに頷いた。
「く……太融寺……」
 その一方、お初天神の神霊は、霧の噴き出しは収めたものの、太融寺の神霊に奇襲された肩の傷が疼き、雲雀と太融寺の神霊を見る視点がおぼつかなくなっていた。
「今なら撃てる気がします」
「はい……、……?」
 太融寺の神霊の言葉を聞き、雲雀はお初天神の神霊の方を向こうとした。しかし一方で、ずっとお初天神の神霊の方を向いていてもおかしくない太融寺の神霊が彼から目を離し少し俯いたので、雲雀も一瞬太融寺の神霊の方も見直した。
ヒュンーー。
「あっ……」
「……え?」
 そのとき一筋の神幹がお初天神の神霊の後ろの方から飛翔し、雲雀のすぐ傍を通過した。雲雀が慌ててその方を向くと、紅色の縫腋袍の束帯を着用した若い男性がいた。しかし彼とは目が合わず、視線が狼狽しているように窺えた。
「む……お初天神の傍より我が方に向かって神幹を放つとは、お初天神にも加勢が現れたようですね……、これは危うい……、天路の従者殿、ここは私にお任せください。あやつも私が捕捉します」」
 その様子を見た太融寺の神霊は一足前に出て右手を白く光らせた。それを見てその若い男性の神霊はさらに狼狽えた。
「えっ、え……、あ、はい」
 一方、太融寺の言葉を聞いた雲雀も慌てて光筒を持ち上げようとした。
「う……」
 また一方、司の光筒の治癒の光を全身に浴びせられていた美濃は、呻きながらゆっくりと上体を起こした。
「あ、美濃くん……」
「よいしょ」
 続いて美濃は立ち上がった。
「治ったよ……司くん、ありがとう」
「よ、よかった……」
 その様子を見た司は、まだ少し目に涙を溜めながら呟いた。
「お初天神さんだよね……、司くんは引き続き、たあくんもお願い……」
「う、うん」
 続いて彼は美濃の言葉に頷いた。
「……あれ?」
 美濃はそのとき、右肩に何かを感じ、疑問を声に出した。
「美濃くん、どうしたの? え……?」
 司はその美濃の声を聞いて、何が起こったのか聞いた。そしてすぐに、彼の右肩を白い光―神幹―が後ろから貫通するのを目の当たりにした。
「あ……ぐ……」
 美濃は少しの呻き声を発しながら、うつ伏せに再び倒れた。
「え……、あれ、美濃くん……、……あ……」
 司はその光景を見て怯え、そしてすぐにその神幹が飛来してきた雲雀たちの方を向いた。そこでちょうど、太融寺の神霊が自分に向かって神幹を放つところだったのを見て、司は涙交じりのまま蒼褪めた。
「ひ……嫌……あああっ!」
 瞬時に逃げようとして、美濃と同様急所は外れたものの、司も右脇に太融寺の神霊の神幹を受け、悲鳴を上げながら倒れた。
「美濃くん、司くん……!」
 それを見た雲雀は愕然と声を上げた。
「太融寺……お主も被惑だったのか」
 その光景を見たお初天神の神霊は歓喜した。
「はい……、御察しの通りですよ」
 それを聞いた太融寺の神霊がほくそ笑みながら答えた。
「っ……」
 それを雲雀は悔しそうに傍で聞き、光筒を再び持ち上げようとした。
「おっと……あなた一人で何ができるというのですか」
「えっ……あ……」
 太融寺の神霊の言葉を聞き、雲雀ははっと周囲を見た。天路の従者は弘明と唯がまだいないため、雲雀だけが戦える状況で、極めて不利だった。雲雀の表情もすぐに蒼くなっていった。
「ふふ……」
 一方その様子を見た太融寺の神霊はほくそ笑み、さっと手を上げた。
「え……ええっ」
 その直後に雲雀の頭上から大量の雨水が降ってきた。しかもそれは雲雀を包んで空中で円錐状になっていて、雲雀の足元から腰へとどんどん溜まっていった。
「ひっ……」
 雲雀はその降雨している部分から出ようとしたが、水を包んでいる、目に見えない円錐は人にも壁となるらしく、そこから出ることは叶わなかった。
「な、なにこれ、溺れる……」
 雲雀は蒼褪めながら太融寺の神霊に訴えた。
「秋霖、即ち秋雨の神能です。夏から秋に変わる時、夏の暑い太平洋高気圧が南に退き、冬の日本海などからの冷たい高気圧がやってきますが……、この二つの空気がぶつかり合うところでは大気の状態が不安定になります、これがこうして今の有力な神能となっている秋霖ですよ……、ふふ、もうすぐ溺れますね、最後の天路の従者」
「ひ……あ……あふ……」
 見えない円錐に溜まっていった秋霖は、すぐにその中にいた雲雀の首まで迫った。雲雀は怯えながらなんとか声を発した。
「ふふふ、その辺りにしておきましょうか、そして……」
 太融寺の神霊はまた右手を上げた。すると秋霖は雲雀の口元ぎりぎりのところでやんだ。
「え……?」
「波です」
「へ……あふっ……ああっ……はぁっ……あひいっ!」
 空中で円錐状に雲雀を包んでいた秋霖は波打ちを始めた。すると雲雀は時には頭まで秋霖に浸かり、またときには首まで出すことができるという状況が繰り返された。
「ふふ、波に合わせて息をしないと……いつまでもつでしょうか」
 その光景を見た太融寺の神霊はまたほくそ笑んだ。
「あぐ……はう……あう……はあっ……」
 波の来ないときに必死に合わせて呼吸しようとする雲雀の声は次第に衰えていった。
――バン!
「え……ふえ……」
 その次の瞬間、破裂音がした。同時に、雲雀を包んでいた空中の水槽も水も消え、雲雀は全身の衣服がずぶ濡れのままその場にへたり込んだ。
「うぅ……」
 一方太融寺の神霊も片膝をつき、その左肩から濃紫の煙を噴き出させていた。彼がそこを貫通させた神幹が来た方に目をやると、そこに先ほどの紅色の束帯の男性がいた。
「き、貴様は……末鏡の影響は……」
「受けていないですよ」
 その男性は一言太融寺の神霊に告げ、続いて一瞬で雲雀の傍にまで飛んだ。
「先ほどお初天神の神霊とお話しているときに誤って神幹が当たりそうになり、申し訳ありませんでした……」
 男性は雲雀に深々と頭を下げた。
「あ、あの……あなたは……」
「あ……これは申し遅れました……、私はここから一キロほど東に向かったところにある、天満天神の神霊です……。旧府社ながらも我が天神祭りは日本三大祭りとしてまで知られるものとなっています……。もともとは、この地にあった大将軍社に、菅公が左遷される際に立ち寄ったのですが、それから半世紀がたった天暦三(949)年に、その社の前に突然七本の松が生え始め、例校を放ったとの伝承ができ、そのため当時の村上天皇の勅令により建立されたものです……」
 男性は天満天神(てんまてんじん)の神霊と名乗った。
「天満天神さん……?」
「はい……、あの、服がびちゃびちゃのようですが……」
「あ……大丈夫……今の季節だったらすぐに乾きそうですので……もう少し待ってくだされば……」
 雲雀は天満天神の神霊に笑顔を向けた。
「わかりました……太融寺は傷を負っています、ここは私にお任せください」
 天満天神の神霊は雲雀に告げた。
「あ……天満天神さん、これは他の神霊さんにもお伝えしたいことなのですが……、ひとつ私たち天路の従者からお願いがあるんです、今のうちにお話したいです……」
「え……?」
 雲雀の言葉を聞いて、天満天神の神霊はその場に立ち止まった。
「私たちは結果的に、結構よく神霊さんが被惑かどうかを間違えることがあって……それはお恥ずかしいんですが……、でも現場にいる私たちにとっては、例えばピンチの時なんかだと、恐怖で頭がいっぱいで、ここからどうすればこのピンチが解消されるのか……なんて、全然頭にないときだってあって……、でもどうかそれは堪忍していただいて、私たちの気持ちに寄り添うことを思ってくださるとうれしいです……」
 雲雀はずぶ濡れになりながらも天満天神の神霊にはきはきと告げた。
「あ……、そうですね……はい、天路様の仰る通りだと私も思います……もちろん他の神霊たちだって……」
「えへ……」
 天満天神の神霊の言葉を聞いて、雲雀ははにかんだ。
「さて……それでは……」
そう言うと天満天神の神霊は再び太融寺の神霊の方を向き、さっと右手を上げた。
「な……またしてもあの……天満天神……っ!」
 一方それを見た太融寺の神霊は、片膝をつきながら顔を強張らせた。
「ええい!」
 その直後に天満天神の神霊は捕捉した太融寺の神霊に向かって神幹を放った。
「ぎゃああっ!」
 雄叫びをあげつつ、肩だけではなく胸からも濃紫の霧を一気に噴出させ、太融寺の神霊の姿は見えなくなった。
「単独とはいえ二発目……果たして幽世戻しは……」
 天満天神の神霊は太融寺の神霊の方を向いて呟いた。
「――あぐっ?」
「……天満天神さん……え……?」
 そのまたすぐ直後に天満天神の神霊が声を漏らした。それを聞いた雲雀はまだへたり込んだまま、不安そうに彼を見上げた。しかしすぐに彼はその場に倒れ、肩からじわじわと濃紫の霧を出した。霧の吹き出しを抑えてはいたが、それもあって重傷の様相を呈していた。
「クク……急襲した太融寺に気を取られ過ぎたな、それは我が撃ったものだ」
 そのとき、お初天神の神霊が高らかに雲雀たちに言い放った。
「え……あ……」
 その様子を見た雲雀の表情は、ずぶ濡れでへたり込んだまま蒼褪めた。
「……今度こそ最後の一人を……」
 お初天神の神霊はそれを捕捉し右手を上げ白く光らせた。
「あ……いや……やめ……」
 雲雀はさらに硬直した。
「ああああっ!」
 そして悲鳴がその場に響いた。それはお初天神の神霊のものだった。
「え……」
 雲雀が目を丸くする中、お初天神の神霊は脇を抑えながら倒れた。但しそこから出る濃紫の霧は少なく、傷は浅いように窺えた。
「雲雀ちゃん!」
「大丈夫?」
 その時弘明と唯の声がした。雲雀が少し顔を左に向けると、そこにその二人がおり、弘明は引き続きお初天神の神霊の方を凝視していた。
「えい……」
 一方唯はそこからすぐに瞬間移動をし、雲雀の眼前までやってきた。
「わ……唯ちゃん、そして……弘くん……よかった……ありがとう」
 雲雀はそれぞれの方を向いて礼を言った。弘明の方を向いたときにはその頬は自然に少し赤くなった。
「これただの水……だけど……体力が減るから、治癒で乾かすのもできそうだよ」
「あ、そっか……えへ……お願いするね……」
 唯が雲雀に告げながら、自分の光筒を唯の頭上に向けた。それを聞いた雲雀もはにかみながら唯に乾燥を頼み、そして少しの間呆けた。
「あ……暖かいねこれ……」
「ふふっ、そう……?」
 雲雀の呟きを聞いて、頭上からそれを持つ手を揺らし、光筒の薄緑色の光を浴びせていた唯は苦笑した。
「……んー、そろそろ大丈夫かも……、唯ちゃん、ありがとう……、あれ、唯ちゃん?」
 雲雀が言うと同時に唯の光筒の光は止まった。そして雲雀は唯に礼を言い、改めて彼女の顔の方を向いた。すると唯は、雲雀の頭上にまだ光筒を向け、それを発動させずにぼうっとしていた。それを見た雲雀は不思議に思い、彼女に声をかけた。
「え……」
 その次の瞬間、雲雀の目が大きく開いた。彼女の目の前で唯は左肩から出血し仰向けに倒れた。
「少し疲れますが……治癒などされては……、神幹もありですね。左右に揺れていて急所が外れましたが……」
 その直後に太融寺の神霊の声がした。
「えっ……」
 唯の様子を見て呆然としていた弘明はその声を聞いてすぐに太融寺の神霊の方を向いた。
「あなたなどなら普通に神能でいいんですが」
 太融寺の神霊はその弘明と目を合わせて言い、そしてさっと手を上げた。するとすぐにそのさらに上部の空が白く光り、続いてそれは体長2メートルほどの巨大な鳥の姿になった。
「え……大鳥……?」
 弘明はそれを見て怯えながら呟いた。
「いえ、燕ですよ。通常より巨体ですが。七二候の四四番目は『玄鳥帰る』です。玄鳥とは燕です。その燕が秋になり、南に帰っていく、ちょうど今の時期……その燕の神能の威力……どうですか」
 太融寺の神霊はほくそ笑みながら言った。すぐにその燕は弘明の方を向いて一度羽ばたいた。
「わっ……ふっ……」
 突風が来て、少し足元を後ろに引かれた弘明は、慌てて腕を胸の前で交差させた。
「ククク……」
 太融寺の神霊がそれを見て嘲笑う中、燕は再び羽を羽ばたかせた。
「え……わ、わあっ!」
 弘明は体勢を崩し、一〇メートルほど一気に飛ばされ転倒した。
「弘くん……!」
 それを見た雲雀が声を発したが、彼は意識が失っているように窺えた。
「これは不味い……移板での退却は……。……あとちょっとだけ能源が足りない……」
 また、同じく弘明の様子を見た新蘭は胸元に閉まっていた移板をちらりと見、そして落胆の声を漏らした。
「……っ、太融寺さん、もう私は回復してるよっ」
 続いて雲雀は太融寺の神霊の方を向いて叫び、そして右手に下げた光筒を自然に持ち上げようとした。
「そこまでだ、天路の従者!」
「へ?」
 その直後にお初天神の神霊の声が響いた。雲雀が恐る恐るその方を向くと、彼も自力で、体内から出た霧を再び取り込み、回復して雲雀の方を注視しながら、その右手を光らせながら空に向けていた。
「え……」
 雲雀は狼狽え、左右に首を振り他の子どもたちの様子を見たが、彼女以外はどの子もとても戦える状態ではないように窺えた。
「気付いているな……貴様で最後だ。全員大人しくなれ、天路の従者共!」
 続いてお初天神の神霊が彼女にまた怒鳴った。
「まだ、能源は……、……!」
 一方新蘭は苦虫を嚙み潰しながら移板を再び見て、はっとその表情を変えた。
「あ……ひ、嫌……」
 その一方、雲雀の表情は一気に崩れていき、涙もうっすらと零れ始めた。
「石橋さん!」
 そのとき新蘭の声がした。
「へ……?」
「ん、なんだ……?」
 雲雀は涙交じりに、お初天神の神霊は訝しげに彼女の方に首を向けた。
「移板十分です!」
「え……」
 雲雀はそのまま少し呆けた顔になった。そしてその直後に彼女はその顔も含めて全身が一気に白い光に包まれた。またそれは、倒れたり縛られたりしていた他の天路の従者たち、天満天神の神霊、新蘭自身、そして二人の大人の女性もそれぞれ一気に包み、そして彼らはその光ごとその場から消えた。
「は……?」
「な……」
 その光景を見たお初天神、太融寺の二神霊は目を白黒させ、きょろきょろと周囲を見渡した。
「消えた……?」
「どこにです?」
 しかしもちろん天路の子どもたちらの姿は見当たらなかった。その一方、二人の背後の上空およそ一〇メートル程度の空中を中心に徐々に漆黒の霧が立ち上り始めていた。




第12話 京都宇治Ⅱ・旦椋社の薄茶、水渡社の蟄虫

 九月も下旬に入ると気温がようやくはっきりとわかる形で下がり出し、長袖姿の人々も次第に増えてきていた。
 そのある日の午後、京都府宇治市の近鉄大久保駅前も、そのような乗客で賑わっていた。
 この駅は急行電車の停車駅であり、バスも多く発着している。しかし宇治市の主な観光地はここから離れた市内の東側に集中している。近鉄電車の沿線はあくまで京都圏のベッドタウンとして機能している側面が強かった。
 かく言うこの駅も、少し離れればすぐに閑散とした住宅街になる。旦椋公園という児童公園は、比較的駅の近くにあり、またそこそこ規模の大きな児童公園でもある。しかし遊ぶ子どもたちがいなければ、静かな落ち着いた環境が得られる場所でもある。
 しかしそのような場所であることから、隠れて悪事がなされることもときどき発生していた。また今も、一目によりつかない端の方で、約6人の若者が集まっていた。
 うち一人は成人済と見られた。残りはみな高校程度で、一人が女性、残りが男性だった。
「お前は大人しくて、またそういう性格を自分でも大事にしているようだが……インターネットでときどき酷い言葉も結構使うよな、『みんながそうしているから』だろうけど……、なんでこいつにそれをしたんだ? あ?」
「ひっ、べ、別にその……」
「ほら言ったでしょ、私にあんなことを山ほど言って……、私が頼めば、『ボス』の掛け声でみんな集まるんだよ……『ゴミ掃除』のためにね」
 成人済の男性の言葉を聞いて怯える少年とは対照的に、少女は強気の姿勢で言い放った。
「クク……そうだな……駅前のスーパー……は閑散としているから、コンビニで、少年マンガ万引きしてこい。それなら少しは考えてやろう」
 成人済、リーダー格の男性が告げた。
「え、えっ、そんなこと……」
「できないのか? ああ?」
 凄まれ少年はさらに震えた。
「う、ううん……そ、そんなことはない……、やってみる……」
 彼は細々と渋々言った。
「おい!」
「ひ?」
 しかしリーダー格の男性は大声で威圧し、さらに彼を硬直させた。
「俺はできるか、できないのかを聞いたのだ! やってみるなんて言葉は聞きたくない、もう一度言う、やってみる、ではなく、できると言え! 万引きは何も関係していない、それこそがあまねく広がっている俺たちの社会で、発達した人間が口にする言葉なのだ!」
 リーダー格の男性が続けて怒鳴った。
「そそ、そんなの変だよ……。未来形のことなんてわからないはずだよ。時間的、空間的にも、そんな、ロジカルな自然科学を侮った考えがあまねく広がっているって思わされるのはごく一部、ここ二〇年ほどの、とても狭い日本国内だけだよ、これを思う方が未発達だなんて、それは過った考えだよ……」
 少年は細々と口述した。
「ああ? ロジカルで反論するのか! さてはお前、選挙とかに行く、投票をする、即ちキモいタイプだな! この論理で導き出される、そんなお前は絶対に、絶対に未発達だ! 俺たちのあまねく広がる文明社会からはじくべき存在だ!」
「ひいっ」
 その威圧に押され少年はまた震えた。
(インターネット……彼を誘ったのは俺だったっけ……)
 一方、そこに集っていた青年、少年少女らのうち、青年に従って被害者の傍にいた少年らのうちの一人だけがやや俯き、自然と思案を始めた。
(会えなくても話ができる場所……そんな素敵な場所だから、友だちである彼を誘ったんだった……、罵倒語を使っている者がいることは知っていたんだが、俺たちには関係のないことだろうと思っていた……はずだったのに……。なぜか、全く意味もなければ得もないそんな流れに乗って、同じくらい、まず信じられないような罵倒語を、いつの間にか、それまでの通常の言葉と同じであるかのような扱いとして使うようになって……、自分が言われたらたまったものではないような言葉など、自分自身が口にする行為自体が恐ろしいのに……そんな信じられない行為を、俺も彼もいつの間にか軽々とするようになっていて……。そんな中で、それが生み出した結果としてこの女が出てきて……あの大人も出てきて……、そこから先は友だちから賊に転落した。そしてそんな中で、こんなくだらないいさかいが起こって……、こんな身体の危険が彼に発生して……。しかしもう今の俺はこちら側で、あの青年の命令通りに動くか、そうでなければ傍観……、わ、わからない……俺はいったい何がしたいというのだっ……!)
「少年マンガおパクリして来る……、やるのか、やらんのかぁ?」
 青年は彼にまた怒鳴った。
「ひぃ、は、はい、行ってきm……」
 彼は次第に口籠りながら答えた。
「ふふ、そうだろう、それでいいのだ! 令和日本は実は時空間的に因習村だなど聞かない、あまねく広がっていると思ってこそ、集団主義教教徒、反文明教徒なのだ! 豊潤感受を尊重するのではなく迫害して、人間の自然感情を否定する素晴らしいことなのだ! それこそまさに、お前が俺たちに笑顔を向けても、俺たちがお前に笑顔の返事をしない理由なのだ……」
 青年は少し声のトーンを落として言った。
「見つけた……いいところにいるではないか」
 そのとき、青年の背後、公園の入口の方から、別の若い女性の声がした。
「ん……?」
 青年は振り返り、その声がした方を向いた。そこに、彼と同い年くらいで、萌黄色の小袖を着た女性がいた。
「ちっ、見つかっ……あがあっ!」
 青年は舌打ちした直後に叫んだ。女性が青年の首元を掴んでいた。また、それと同時に、青年の背中から黒い霧が発生し始めた。
「末鏡の被惑とて、私には無縁だろうと半ば諦めていたが……鬼玉……、貰い受けよう……!」
 女性はほくそ笑みながら、軽くその霧を口で吸った。
「ああああっ、痛い、痛、やめろぉ!」
 青年はもがいたが、想像以上に女性の力が強く、逃れられなかった。また周囲の少年少女たちも、その光景に慄き、何もできなかった。

 その少し前、クラス委員の唯、弘明を除いた、珠洲、美濃、耐、司、雲雀、そして正の六人は、京都市下京区松原通烏丸東入ル上ルの因幡薬師に来ていた。
「いつもの因幡薬師さんだけど……いろんなところを見てたら……、ここ……道路からすぐにお堂があるのって、結構独特だったのかも」
 雲雀が呟いた。
「そだね……、因幡薬師の他、六角堂、革堂なんかも道路からすぐに参拝できるけど、こういうのを町堂(ちょうどう)と呼んで……、当初寺院の建立が認められていなかった平安初期でも、これはOKだったから、古い歴史があるよ。それに心理的にも、市民との距離が近く、親しまれやすい造りでもあるんだ」
 それを聞いた正が述べた。
「なるほど……」
 司が頷いた。
「うん……、ご近所だから、もう知ってるかもしれないけど……、因幡国……今の鳥取県から自分でやってきた薬師さんみたいだよ」
 正が続けて言った。
「うん、知ってる……! 因幡国司の任務を終えて、帰洛した人の後を追いかけて空を飛んでここまで来た薬師さんだよねっ」
 耐がはにかみながら正の補足をした。
「そうだったね……、京都の安寧を強く願っていた薬師さんで……、それを擁するお堂の神霊さん
だったから……、僕たちのことのときも駆けつけてくれたのかも……」
 それを聞いて美濃が呟いた。
「うん……そうかも……」
 続けて、珠洲も頷いた。
「さて……お参りしたら、休憩したいけど……、せっかくだから、少しゆっくりできるところにするよ」
 正が言った。
「え?」
「お、それはそれは」
 それを聞いた司や雲雀が興味深そうに返事をした。
 
 やがて六人は一本北に上がり、高辻通烏丸西入ルへ進み、正を先頭に、一つの喫茶店『高木珈琲店』の中に入った。
「いらっしゃいませ、テーブル席でよろしかったでしょうか」
 すぐに中年の男性店員が挨拶をしてきた。
「あ……はい、お願いします」
 正は彼に答えた。
「あ……ここ……前はよく通るんだけど……、入ってみたことってなかったかも」
 珠洲が言った。
「まぁ……子どもが休憩するために、ここまでは普通は来ないかも」
 雲雀が苦笑した。
「大人と同じように結構頭を使ったフィールドワークだし……、大人と同じようなところに入ってもいいと思うよ、みんなは。それに……多分子どもでも十分楽しめる場所だろうし」
 正が言った。
「ふふ、わかってる……、さっき入ったところの左側のショーケースにあった、ケーキとかだよね」
 耐が笑顔で言った。
「そうそう」
 それを聞いた正も苦笑しながら返事をした。
「あ……でも……、コーヒーも紅茶もちょっと……」
「えっと、大丈夫……ジュースもあるはずだし」
「あは、それは助かる」
 司の言葉に正が答え、雲雀がそれにさらに答えながら、メニュー表を開けた。他の子たちもそれに続いてメニュー表を開けた。
「おやつもいろいろあるね……」
「うん……」
 美濃の言葉に、耐が頷いた。
「あ……」
 一方珠洲は、チョコレートケーキの画像のところで、少し声を漏らした。
「珠洲ちゃん……? それにする……?」
 それを傍で聞いた耐が、珠洲に言った。
「え、あ……、う、うん……」
 珠洲は顔を少し紅潮させながら小さく頷いた。
「ふふ、じゃあ私もそれで。それから……えーと……オレンジジュースなどを」
 耐が快活に答えた。
「うーん、じゃあ僕も同じにしようかな」
「えっ? 別に好きなのにしたらいいんじゃないかなぁ」
 司の呟きに、耐が少し驚いて言った。
「えっ、だって別のを頼んで、一口だけとかで違うのを食べて、そっちの方がおいしかったら大変だよ」
 司は苦笑いして言った。
「うお、それは有り得る……、うーん、給食みたいに、全員揃えちゃう?」
 雲雀が続けて苦笑いした。
「えっ、ちょっ、じゃあ、私の注文、ちょっと待っ……」
 珠洲はそれを聞いて慌てた。
「あ、あは、私は、珠洲ちゃんの最初のチョコケーキでOKだよ?」
 耐も慌てて言った。
「あは、えっと、みんないっしょで行くってことだったら、次からは、選ぶ人じゃんけんで決めない?」
 美濃が珠洲をフォローしつつ提案した。
「さんせーい」
「まぁそれで……」
 耐、司らがそれに同意した。
「ふふ、給食みたいなのでもいいよ。それで僕も計算が楽だしね」
「う、うん……」
 正の笑顔を見て、珠洲もはにかんだ。
「じゃあ、注文するよ、えっと、あ、すみませーん」
 正は店内の奥にいた店員に向かって声を掛けた。

「あっ、そう言えば……ちょっと気になったんだけど……」
 注文したケーキとジュースを待っている間に、雲雀が声を上げた。
「え?」
「これいただいているときに、新蘭さんからの連絡来たらどうしよ……? 残すのはもったいないし……」
 雲雀が少し困惑しながら言った。
「うっ。それは……。でもだからって、焦ったり、連絡が来たら一気に詰め込んだりしても、あんまりおいしくなくなるよね」
 司が言った。
「あは、確かに」
 美濃もそれを聞いて苦笑した。
「まぁ……いつもなら残さないで食べないとだめだろうけど……今、それが有り得る時間だし……駆けつけの方が大事だろうから……、連絡が来るまでゆっくりいただいていいんじゃないかな、ちょっと残念だけど、こういうときは残してしまっても仕方ないよ」
 正が言った。
「えへ」
「そうかも……」
 雲雀と珠洲がそれを聞いて苦笑した。
「お待たせしました」
 その直後に、男性のウェイターがメニューを運んできて珠洲たちに声を掛け、一人ずつに、チョコケーキとオレンジジュースとを配膳した。
「わ」
 それを見てまず司が声を漏らした。
「結構黒いんだね」
 続いて耐が呟いた。
「あは、うん、ちょっと甘めに見える……」
 美濃も苦笑しながら耐に続いた。
「せっかくなので……、えっと、では、せーのっ」
「いただきますっ」
 正の掛け声に揃えて、全員で挨拶をした。
「あれ? あっさり?」
「あっさりって……。あ、でも確かにしっとりしててさほど甘めでもないよね」
 司の言葉に雲雀は苦笑しながらフォローした。
「ここでしかないけど、おいしい……」
「うん……ほんとだね……」
 耐と珠洲もそれを聞いて頷きながらケーキを口にした。
「これだとゆっくり味わえそうかも」
「うん……」
 正と美濃も頷いた。

「えへ、ごちそうさまでした」
 やがて美濃がケーキ、そしてジュースを飲み終わってコップをテーブルに置きながら言った。
「え? あれ、僕で最後……?」
「そだよ」
 司が苦笑しながら言った。
「あれ?」
 それを聞いた美濃も苦笑した。
「――」
「……? 耐ちゃん?」
 一方、耐が司の様子を見ながらぼうっとしていることに気付き、珠洲が耐に声を掛けた。
「あっ、ご、ごめん、なんでもない……。司くんの方からツッコミ入れてるのが珍しいなぁって」
 耐はそれを聞いてはっと我に返った。
「あは」
 それを聞いた司はまた苦笑した。
「ふふっ……。それはそうと……噛む回数が多い気がする……美濃くん」
 珠洲は耐に苦笑した後、美濃の方を少し見て呟いた。
「えっ……、そうなのかな……」
 それを聞いた美濃はきょとんとした。
「でもそれ、良いことも多いよ、頭良くなりやすいとか」
「うん、ふふ、そうだよ」
 雲雀と耐とが笑顔で言った。
「あ、ありがと……」
 美濃は照れながら小声で言った。
 そして少しの間、全員が何も話さなかった。
「ところで……杞憂だったね……。連絡来るの」
 雲雀がその沈黙を破った。
「うん……」
「みんな、食べ終わっちゃったしね」
 珠洲と正はそれを聞いて苦笑しながら頷いた。
――ブーッ!
 そのとき、珠洲のスカートのポケットに入っていた、子ども用スマホが振動した。
「もしもし……、あ、えっと、烏丸高辻から殆ど離れてないです……、あ、はい、天路社さんから直接でも大丈夫な気がしますが……、みんなに聞いてみます……」
「新蘭さん……?」
「うん」
 美濃の問いに珠洲は頷いた。
「タイミングはオッケーだよね」
 雲雀がそれを聞いてまた笑った。
「それで……ここからだと近いし、みんなで天路社さんまで行って、そこから直接でどうかなって……」
「うん、大丈夫だよ」
「少し歩くけど一番早そうだしね」
 新蘭と珠洲との話し合いの中身を聞いて、耐と司が頷いた。
「りょーかい、天路社さんまで直接行こう」
「はーいっ」
「うん……」
 それを聞いて、正が告げ、それを聞いて雲雀、珠洲、美濃らが返事をした。
「あ、珠洲ちゃん……ちなみに場所どこ……?」
 続いて司が恐る恐る聞いた。
「宇治だって。京都の」
「……遠くじゃなくて少しだけ安心……」
 珠洲の言葉に耐が言った。
「あれ? 前も行かなかったっけ」
「そうだよね……」
「きっと、広い住所が同じでも、また別の所ってことかもしれないね……」
 雲雀の疑問に珠洲も頷き、それに正が答えた。
「うん……また……気をつけよう」
 珠洲が少し顔を強張らせて言った。
「うんっ」
 それに耐は笑顔で答えた。
「え……」
 珠洲はそれが意外に思え、いっとき、ぼうっと彼女の表情を眺めた。

「ひっ、ああ」
「あ……」
 宇治、旦椋公園の隅で、若い男女らが、目を回して地面に腰を付けたり、立ったまま震えて声にならない声を出していた。
「ぎゃああ! いっ、痛、や……め……」
 萌黄色の小袖を着た女性から首を強く掴まれていたが、それ以上に、自分の体から出る黒い霧をその女性が吸うことに、激しい苦痛を覚え、一人の少年がもがいていた。
「ふむ……もう少しだな……」
「その手を離してください!」
「……?」
 新蘭の声を聞いて、小袖の女性は彼女と、珠洲、美濃他六人の大小の男女を認め、掴んでいた男性を投げ飛ばした。
「ううっ……」
「ひっ」
 掴まれていた男性は力なく倒れ込んだ。またその周囲の男女も怯えたままだった。
「ちっ……天路か……。邪魔だな……足止めが要るな……」
「末鏡……そんなくだらない惚れ薬、掛かるような神霊ではないとお見受けしますが」
 新蘭が挑発しながら言った。
「クク、宇内……時空だったか。いずれにしろ、神霊たる者、今後此れを処分せねばなるまい……この空き地……裏手すぐのところに旦椋という神社がある。御香宮などと同様、府下南部に分布している割拝殿の社でもあるな……。我の如き産土の社、それこそ目を見張るほどに、住民たちの心からは消えておろう。それを気にしていたところであったしな」
「かような事、脇の話ではございませんか。旦椋さんとは思えない所業……末鏡の為でしょう」
「ふふ、そう思うのなら、勝手にそう思えばよいだろうな!」
 旦椋社の神霊と判明したその女性は、新蘭の言葉に耳を貸さず、怒鳴りながら、さっと腕を左から右に大きく振った。
 すると彼女の眼前に、四、五〇名程度、白を基調に、朱色や緑色のアクセントをつけた小袖の老若の女性たちが出現した。また一様に、彼女たちは頭に白い布を巻いていた。また右手と右脇との間に桶を挟んで抱えていた。そしてまたその全員が虚ろな目をしていた。しかしまた同時に、彼女たちは天路の子どもたちらへの敵意をむき出しにしていた。
「――」
 それに圧倒され、珠洲の瞳孔が小さくなった。
「おそらく端緒は、桂川の鮎を都に売りに赴いたのだろうな……。次第に保存の効く、なれずし、飴なども、持ち運び、それも女性の集団で売り歩いていく……桂女というスタイル……都どころか、大阪、奈良さらに、同じやり方は全国各地に在った……。まぁ、ここに召喚した者どもは、とっくに本来の自我の無い、要は足のある幽霊だがな!」
 一方、旦椋社はその召喚に成功し、誇らしげに言い放った。
「うん……」
 また一方、怯んだ珠洲も冷静さを取り戻し、桂女たちに注目していた。
「がぁぁ……ぐが……ぐぅ……」
「ああ……ぐぁぁ……」
 敵意と共に桂女の霊たちは、自我はないものの、言葉にならない言葉を上げ、珠洲たちを睨んだ。
「ふふふ……やれっ!」
 その声に勢いづいた旦椋社の神霊は、彼女らに号令を発した。
「ああがぁぅ」
「ううぐぅぁ」
 それに呼応して桂女の霊たちは声を上げ、じわじわと珠洲たちの方へと進み始めた。
「ひっ」
「わ」
 それを見た耐は怯み、美濃もまた驚いた。
「……、ジャンプして撃つね」
 一方、珠洲はさっと一言発した。
「え?」
 それを聞いた耐がそちらに目をやるや否や、珠洲の姿は一瞬薄緑色の光に包まれ、そしてすぐにその光ごと消えた。
 続いて前を向きながら進んでいた桂女の霊たちの列の中に珠洲が出現した。彼女はすぐに反転し、自分から見て後ろを向いていた、二人の桂女の霊に向けて光弾を撃った。
「があっ!」
「ぐぅぁあ!」
 その二人の霊の被弾した箇所から一気に濃い紫の霧が噴き出し、すぐに二人の姿は全てその霧になり消えた。
「ぐ?」
「!」
「うぁ?」
 それを眼前で見ていた他の桂女の霊たちが、驚きつつも、珠洲に敵意を向けた。
「あっ……」
 一方珠洲もそれに気付き、間投する他黙ったまま、さっと光筒を持つ手を緩やかに上げた。
「ぐあぁぁ」
「ぐがぁ!」
 引き続きその桂女の霊たちは珠洲にじりじりと近づいた。しかしその次の瞬間、珠洲の姿は光筒による跳躍で消えた。
「ふあ?」
「ああがぁ」
「ぐお……」
 それを見た桂女の霊たちは再び驚き、きょろきょろしたり、互いの顔を見合わせたりした。
「ああああっ!」
 その直後、その中の一人が一際大声を出した。彼女の腹部にはいつの間にか濃紫色の丸ができていた。
そしてさらにその直後にはそこから一気に霧が噴き出し、すぐに彼女の姿は全て霧と化した。その霧の奥で珠洲が光筒を胸の前まで持ち上げ、その霧に注目していた。
「僕たちも行こう」
「うん……」
「そうだね、行こう」
 一方その様子を見ていた司が声を漏らした。正、雲雀らもそれを聞いて頷いた。
「えへ……、……」
 その反応を聞いた司は少し照れ笑いをし、その直後には光筒によるジャンプをしてその場から消えた。
「ふがあ……あが……?」
 そして司は、桂女の霊たちのうちの一人の眼前に出現した。それを見た彼女は驚いた様子を見せた。
(よく目に入れて……えいっ)
 司は少し光筒を持つ手を上げて念じた。するとすぐに光弾が発射され、その桂女の霊の右肩に当たった。
「あああ! ぐがぁぁ!」
 大声を出したが、その桂女の霊の右肩から濃紫色の霧が噴き出し、すぐにその姿全てが霧と化した。
 続いてその傍らに薄緑の光が現れ、それは子どもの形になり、そして美濃の姿になった。
「――」
 美濃は無言のまますぐに上半身の向きを変えた。そしてそれまでの後ろ側に向かって光弾を二発放った。
「ぎゃあああ!」
「ふあああぐああ!」
 それはそこにいた桂女の霊たちのうち二人に一発ずつ当たった。彼女らは声を上げつつ、すぐにその姿を霧に変えさせられた。
「え?」
「……あれっ」
「……へ?」
 それらの直後、桂女の霊たちは徐々に反対側に向かい始めた。照準がずれたことで、続けて発砲しようとしていた子どもたちはその様子を見て奇妙に感じた。
「がああ! ああがっ」
「ぐがっ、ぐが……」
「ああふ、ぐぅぁ」
 桂女の霊たちは一か所に集まっていき、また何かの相談をしているような声を発し合った。
「巨霊が見られるようだ」
 そのとき、旦椋社の神霊が告げた。
「え?」
「あっ……」
 それを聞いて珠洲は不安そうに旦椋社の神霊の方を向いた。そして続いて、美濃が声を漏らすのを聞いてそちらを向き、目を見張った。
 桂女の霊たちは2,3名ごとのグループになりはじめた。集まった各グループの桂女の霊たちは同時に濃紫の光に包まれ、その光はそれぞれ一つに合体した。
 さらにそれら、これまでより大きな濃い紫の光は互いに近づき、最終的に、高さ二〇メートル程度の一つの巨大な光になり、そして、それは一人の巨人の桂女の霊になった。
「ええ……」
 美濃はそれを見て驚嘆した。
「前の幽霊さんたちも巨大化したよね……」
「うん、でも……集まっただけなんじゃ……」
 耐の呟きを聞いて司がそれに答えた。そしてそのまま、彼は光筒を胸の前まで持ち上げ、光弾を放った。
それは巨霊の左足首に当たった。すぐにそこから濃い紫色の霧が噴き出した。
「がああっ!」
 桂女の巨霊は大声を発した。しかしその霧は次第に収束し、元の足首が現れた。
「力も増しているんだ……。それだったら……、キョ―・ウシロ」
 正は伝達と共に光筒を使ってその場から消えた。
「あっ……たあくん……」
 それを最初に聞いた珠洲も呟き、同じように光筒を用いて、巨霊の後部までジャンプした。巨霊の背中を前に見ながらも、珠洲はすぐ隣に正も来ていることを確かめた。
「一緒にだよ」
「うん」
 二人は少し言葉を交わし合った。そして珠洲は光筒から、正は人差し指から、殆ど同時に光弾を発射した。それは巨霊の背中に、数十センチメートル程度離れて当たった。
「がっ! ふぐああああっ!」
 すぐに、雄叫びを上げる巨霊の背中から、大量の濃紫の霧が噴き出した。二つの光弾が同時に至近で着弾することによる、二倍を大きく上回る数倍の威力を受け、噴き出し続ける霧は再び収束に向かうことなく出続け、巨霊の姿を全て霧に変えた。
「ちっ……小賢しい……!」
 その様子を見た旦椋社の神霊は右手を上げ、神縄を一気に六本放った。
「あああっ!」
「ぎゃっ」
「わっ、えっ」
 その接近を受け、天路の従者六名のうち、美濃、司、正の三名はそれに縛られ、そのまま転倒した。
「少し変えておこう。貴様らを縛った神縄、我とは離れ、独自に霊力を維持する。貴様らのせいで我に何かあったとしても、それとは関係しない。当然跳躍などさせはしない! まったく……足止めするにも霊力を使わせるのだな!」
「え……」
「これ……誰かに、霊力で……要するに、『解いて』もらわないと……」
 それを聞いた、縛られた三名は焦った。
「で……ん? どうでもいいが……偶然女ばかりなのか……。シンプルな足止め、神縄を避けやがって」
 一方神縄を避けた珠洲、耐、雲雀の三名に向かって、旦椋社の神霊は憤りを見せた。
「ひっ」
「え……」
 その声を聞いた三人も怯えた。珠洲は縛られた方の三人に少し目をやった後、光筒を持ち上げようとした。
「今度は……!」
 しかしそれより先に旦椋社の神霊はまた三本の神縄を放った。
「あうっ」
「へえっ!」
「わっ」
 今度の神縄は三名の上半身に向かわず、右足首に飛翔した。予想が外れ、次の三名はそこに神縄が巻かれた。それはすぐに三メートル程度まで上昇し、三名を片足で逆さ吊りにした。
「実に厄介な連中だ……。ここに来るがいい」
 旦椋社の神霊は胸からカード程度の一枚の木板を取り出した。
「え……?」
「移板……? どこに向かうの……」
「あなたも持ってたんですか」
 三名にも、それは新蘭が一斉の瞬間移動に用いる移板と同じものであることは察しがつき、慄かされた。
「あっ、待っ……」
 新蘭が声を放つ間もなく、旦椋社の神霊、及び、空中で片足吊りにされた珠洲、耐、雲雀の三名は濃紫の光に包まれ、そしてその光ごと消えた。

「……え……、え」
 その光に目を奪われ、珠洲は数秒ほど目を閉じ、そして再び開け、驚かされた。そこは木々の生い茂る山の中だった。また、自分は引き続き右足首を神縄に取られ、空中で片足吊りになっていた。
「珠洲ちゃん……」
「うぅ……」
 左右を見ると、耐と雲雀も引き続き、自分と同じ姿で困惑していた。そして自分たちの前には旦椋社の神霊がいた。
「危ない場所じゃなさそう……でも……、あの……ここ……どこ……虚空じゃないのですか……」
 珠洲は旦椋社の神霊に尋ねた。
「その通りだ。貴様ら三名、足止めだけで終わらせはしない。人間共が少し前にダムを造った、天ケ瀬の山中……、ここは虚空ではない。貴様たちは人間の身ではあるが、既にその足……、ここにある、他の山の木と同じ立場だ!」
「ふえっ」
「ひっ」
 旦椋社の神霊が言い放ち、珠洲、耐ともまた怯えた。
「ここはあくまで貴様たちがいる自然の世界だ! 動物も植物もあろう。なお、人間が来るところではない。しかしながら、殆どゼロかもしれないが、虚空ではないので、人間が来る可能性はほぼゼロとまでは言えない。そういう興味深い可能性のある場所とも言えるな」
「ええ……」
「そんな……」
 再び、珠洲と雲雀の表情が強張った。
「ちなみに今の貴様たちも……人間の体をしてはいるが、もはや自然の木々と変わらないな」
「え」
「ひっ」
「うう……」
 それを聞いた三人はさらに怯えながら悔しがった。
「散々邪魔をしてくれた貴様ら三名はすぐには始末しない! ……そうだな……、クク……」
 旦椋社の神霊は不敵に笑った。
「え……」
 それを見た耐が一層強張った。



「その右腕に付けている霊力の筒も、神縄相手では意味が無かろう! 代わってだ、右手、私とじゃんけんをしないか?」
「え?」
「はい?」
 旦椋社の神霊の予想外の発言に、耐、雲雀は引き続き怯えながらも不思議がった。
「私に対して……三人か……、そうだな、パーとグーだけで、被惑である私と同じなら負け、違うなら勝ち……。全員が勝つか、うち半分、二人が勝てばお前たちの勝ち、逆に一人だけ勝つか、全員負ければお前たちの負けとしよう。これで確率も半分だろう」
 旦椋社の神霊が堂々と言った。
「勝ち負け……、え……あの、もし負けの場合は……」
 珠洲がか細い声で言った。
「一つずつ攻撃していく。じゃんけんは何度でも続けていくぞ! ふふ」
「――」
「え……」
「嘘……」
 それを聞き三名ともまた慄いた。
「やってみようか、じゃん……」
 旦椋社の神霊が言った。
「わっ」
「ちょっ、待っ」
 それを聞いた耐、雲雀が慌てた。
「けん、ほい」
 旦椋社の神霊が右手を開いて見せた。
「ひっ」
「ふわっ」
「あ……えっ」
 耐、雲雀は引き続き慌てた。耐が一人だけ、旦椋社の神霊と同じように右手を開いていた。それを目にした珠洲が小さく声を漏らした。
「あっ……」
 それを耳にしたこともあって、耐は紅潮しながら慌てた。
「これを私の勝ちとする……、一つ、神能を与えよう……我が得意のものを……!」
 旦椋社の神霊は誇らしげに右手を上げた。
「わわっ」
「えっ」
 それを聞き、雲雀、珠洲も怯えた。そのすぐ直後に、三人の真下にそれぞれ、直径七、八〇センチメートルほどの、茶筅摺りが広い、換言すれば底に向かって比較的円錐になっている、抹茶碗が出現した。
 三人が怯えていることも意に介さずといった動きで、その抹茶碗は上部の一八〇度に一か所ずつ、計二か所から神縄を出現させた。
「あああっ」
「いやああ」
「わっ」
 それは珠洲、耐、雲雀それぞれの右手首、左手首に巻き付いた。そのため三人は無理やり両腕を広げさせられ、両手首に巻き付いた神縄から、その巨大な抹茶碗を吊るされる格好となった。
「……。あまり重くない……?」
 しかしそれは見た目ほどの重さはなく、あたかもプラスチック製のようにも思われた。珠洲はそれを訝しがった。
「中身と一体で完成するものだからな、それは」
 珠洲の呟きに旦椋社の神霊は反応して答えた。
「え……えっ」
 それを聞いた珠洲は引き続き訝しがった。そしてすぐにそれは怯えに代わった。それと同時に、抹茶碗の底から薄茶が少しずつ発生し溜まり出した。
「ああっ!」
「ぎゃっ!」
 その重さを感じ、耐と雲雀も悲鳴を上げた。その薄茶は抹茶碗の三分の一程度の量を埋め、そこからは増えなくなった。
「ちょ、おも……」
「助けて……やめて……」
 珠洲、雲雀はそれが止まったときにまた少し泣きながら声を漏らした。
「先ほど私は、貴様たちは人間の体ではあるが、もはや木々と変わらないと言ったが……さらに変わったな。貴様たちはもはやただの薄茶入れだ」
「うぅ……」
「そんな……」
 旦椋社の神霊の煽りを聞き、珠洲、雲雀らはまた怯えながら悔しがった。
「さて、次をする」
「ひっ」
「え」
 そして旦椋社の神霊はそれを無視して告げた。それを聞いた珠洲、雲雀がまた慄く声を出した。
「じゃんけん、ほい」
「わっ」
「わふっ」
 旦椋社の神霊の声を聞き、慌てて三人もじゃんけんをした。旦椋社の神霊のグーに対し、今度は耐を除く珠洲と雲雀の二人が、旦椋社の神霊と同じグーを出していた。
「ふふ……、半々……これはお前たちの勝ちだな」
 旦椋社の神霊は引き続き笑みを浮かべつつ言った。
「う、うん……」
「あの、勝ったら、何かやめてほしいです……」
 それに対し耐が嘆願した。
「いや、何もないだけだ」
「えっ」
「ひいっ!」
 しかし旦椋社の神霊は冷淡に答え、それに珠洲は驚き、耐はまた憔悴した。
「また続けるだけだな……さて、じゃんけ……」
「え、えっ」
「待っ……」
 旦椋社の神霊は淡々と続けた。それを聞いた三人は慌てた。
「ん、ほい」
 彼女はまたグーを出していた。
「あっ」
 珠洲が瞳孔を縮めた。自分だけが、旦椋社の神霊と同じだった。
「ご、ごめん……」
「す、珠洲ちゃん、これ悪くないって……」
 珠洲の言葉を雲雀が慌ててフォローした。
「ふふ、人間の体をやめさせての『水入れ掛け』はそのままだが……別の道具にもなってもらおう」
 一方旦椋社の神霊はまた三人に宣告をした。そして右の手のひらを胸の前まで上げた。するとそこから、全部で一二枚の、緑の木の葉が出現した。
「ふえ?」
「え?」
「はいっ?」
 その木の葉は四枚ずつのグループになり、三人の方へ飛んだ。そして彼女らの背中の両肩と、同じく背中の両腰に貼り付いた。
「この葉っぱは何を……ふあっ」
「ひゃっ!」
「あう」
 珠洲が聞く間もなく、三人は殆ど同時に、比較的小さな声で感嘆した。
「ちょ、え、マッサージチェア……じゃなくて……ひゃーっ」
「弱い電撃……? はあぅ。これ、疲れが取れてる……?」
「きゃあ。え……むしろ気持ちいい……?」
 雲雀、耐、珠洲の順に、『攻撃』の意外さに驚いた。
「はうっ。これはどうして……、……ああああ!」
「へ? 珠洲ちゃ……ぎゃあ!」
「うぎゃああ! 強い強い! いきなり上げすぎだよ」
 そしてその直後、電流がいきなり強くなり、三人は苦痛で悲鳴を上げた。
「確かに微弱なら体力を回復させるかもな……。当然その水準などにはしない。そしてだ……、流量はこの近辺の電線の一部と連動する……、それはあくまで苦痛の水準の範囲でランダムに上下するだろう……。つまり人間の体をやめてもらった貴様らは、ただの水入れ掛けと、あと、ただの電線にもなってもらった!」
 旦椋社の神霊は声を上げた。
「ちょ、待っ、ただそれ痛いだkぎゃああ!」
「ひ、い、嫌、いあああっ! た……」
「助け……ふぎゃああ!」
 それを聞いた雲雀、珠洲、耐は悲鳴を上げ始めた。
「あぁ、はぁ、黒コゲにしないにょ?……ぎゃああっ」
「でで……れん気のマッサージチェアの上げすぎなだけあああ!」
 雲雀、珠洲は途切れる悲鳴を何度もながらも疑問を口にした。
「大した仕掛けでもないが……一瞬で終わらせなどでなく、じわじわ攻撃するつもりだからな! さて、次だ……じゃんけん……」
 旦椋社の神霊はそれに答えるとともに、また右手を少し前に出した。
「ひ、ふ、わ」
「あふっ、らっ」
「はぁ、はふ」
 三人は呼吸を荒くしながら慌ててそれを目にした。
「ほい」
 旦椋社の神霊は右手のひらを広げてみせた。
「――」
「えっ」
「お……」
 三人ともにグーを出していた。それを見た珠洲、耐、雲雀は少しばかり安堵した。
「ククク、おめでとう。今度は追加はなしか」
 旦椋社の神霊は余裕の表情を浮かべながら言った。
「ひ、あ、れ、れも、これはあああ!」
「とまっへにゃいよぅあああっ」
「あふ、こんにゃのだめれうああ!」
 しかし三人への、ランダムでの電撃は継続されており、その度に三人の悲鳴も上がった。
「では……続けよう」
 そしてさほどの時間も経たないうちに、旦椋社の神霊が告げた。
「え、もう……?」
「ふえ?」
「体力が……」
 それを聞いた三人はまた慌てた。
「じゃんけん……ほい」
 旦椋社の神霊は今度はグーを出した。ところが、三人ともそれとは異なりパーを出していた。
「え……」
「ほう……連続して……珍しいな」
 それを見た三人も、そして旦椋社の神霊も驚いた。
「う、うん……」
 旦椋社の言葉に耐が恐る恐る逆さのまま頷いた。
「では……次に移るか」
「ひっ」
「――」
「え」 
しかしその後もすぐに旦椋社の神霊は次のじゃんけんの予告をした。それを聞いて三人はまた強張った。
「じゃんけん、ほい」
「あ……」 
旦椋社の神霊はグーを出した。それを見て、自分もグーを出した珠洲が最初に小さく感嘆した。後の二人はパーを出していた。
「やっちゃっtあわああっ! 耐ちゃん、雲雀ちゃん、ごめんねあああっ」
 珠洲は二人に謝った。それと同時に電撃の点に襲われ、悲鳴も同時に出た。
「ちょ、大丈夫、これは珠洲ちゃんは悪くぎゃあああ! やめt嫌ああっ!」
「電気変なときに流れあああっ」
 フォローしようとした耐、雲雀も、同時に電撃を受けうまく話しづらくなった。
「ほう、では……ただの電線に……もう少し近づいてもらおうか」
「きゃあああ! え あひ……」
 一方旦椋社の神霊はさらに恐ろしい提案をした。悲鳴の合間に耐はそれを聞きまた怯えた。
「――!」
 それを意に介することもなく旦椋社の神霊はまた右手を上げた。すると三枚、黒色で木綿で出来た手ぬぐいが出現し、三人の方へ飛翔した。
「な、……え? ちょ」
「手ぬぐい……あっ、え、見えない」
「はへ? あ、あふ、そこはだめ見えないよ……」
 黒手ぬぐいは雲雀、珠洲、耐の顔に、特に目を覆うように巻き付いた。木綿は柔らかく痛みなどはなかった。しかし三人の視界はそれによって奪われた。
「人間の体をしてはいるが、もはやただの水入れ掛けそして電線……、ふふ、目は閉じたままでも何も変わりなかろう! じゃんけんの内容は偽りなく伝えてやる」
 旦椋社の神霊は言い放った。
「ちょ、そんぎゃああ!」
「こんなのひどいやああ!」
「外して……やめてああっ!」
 そこに時折の電撃が流れ、雲雀、耐、珠洲の順に、悲鳴の混じった声を発した。
「そうもいかないな。むしろ続けさせてもらう!」
 なおも旦椋社の神霊には彼女たちの叫びは届かず、次の告知をされた。
「ひ」
「あう……」
 その姿が見えず声だけで伝わったことで、珠洲、雲雀は余計に怯えた。
「私の声にせいぜい注意するんだな。じゃんけん……ほい、パーだな」
 一方旦椋社の神霊はまた右手を広げた。
「ふえ……みんなは……? 私グー出してる」
 それを聞いた耐が告げた。
「私と同じ者は、赤栗の者……」
「う……うん、私……そうだよ……」
 旦椋社の神霊の言葉に、雲雀は恐る恐る頷いた。
「お前一人だけだ」
「え……、あの……珠洲ちゃん……」
「うん……本当……」
 旦椋社の神霊の続きの言葉を聞き、雲雀は硬直しつつ、珠洲の名を呼んだ。珠洲は同じように震えた声で確めを返した。
「あ……ごめん……」
 それを聞いた雲雀は小さな声で謝罪した。
「ひ、雲雀ちゃんのせいじゃないって」
「うん……そうだよ……」
 耐と珠洲とが慌てて彼女にフォローした。
「う、うん、その……わかってるんだけど……なんかこれ……罪の感じがして……」
 雲雀がそれに対して呟いた。
「えっと……雲雀ちゃん……謝らなくっても大丈b……あうっ? え、何……」
 珠洲はあらためて雲雀を元気づけようと、大丈夫と言おうとした。しかし突然、口や頬に、柔らかい感触を感じて慌てた。
「長くて……えっと薄い……? 目と同じもの……なの……?」
 雲雀が恐る恐る尋ねた。
「ああ。同じ手ぬぐい……違いはせいぜい、色が白い程度だ」
 旦椋社の神霊はそれに答えた。
「これをどうするつもr……っ、んんっ、ああうう!」
 耐が気丈に尋ねようとしたが、突如彼女の声は言葉にならなくなった。
「え……あの、まさか……この手ぬぐ……ひっ、ああう! ひょ、ひょんなにょひろしゅひ(こ、こんなのひどすぎ)……」
「嘘……や、やめへえ! らめらよひょんなあっ(だめだよこんなあっ)! あっ、ふぅ、ふぅ……」
 珠洲、雲雀も話している途中で木綿の手ぬぐいを無理やり咥えさせられ、言葉にならない言葉を発した。
「その疲労……口での息が増しているだろう……。木綿の布は隙間も多い。全部口を止めはしない。せいぜい口も利用して、引き続き耐え続けるんだな」
 それに対し旦椋社の神霊は冷淡に言い放った。
「そういえば人間ではないなもう。そもそも他の木々たちと同じように片足の逆さまで、水入れ掛けで電線だが……目と口もそれだしな」
「うう……ふぐぅ」
「あうぐぅ」
「ああううん」
 旦椋社の神霊がさらに付け足した言葉を聞き、耐、珠洲、雲雀は怖さや悔しさが混じった声を発した。
「そしてまたそういえば、すぐに神幹を撃つ被惑も居ると聞いたこともあったな。天路らは鬼玉を発する獲物ではなく邪魔者だ。我は思うのだが……霊力が少なくて済む神能で、意識を失うまで、じっくり追いやればいいのではないか、とな」
 旦椋社の神霊は続けて告げた。
「あうううん」
 それを聞いて珠洲は再び声を発した。
「まぁ、貴様たちに言っても仕方ないがな……、それより、次のじゃんけ……」
「ふ……はぎゃああっ!」
「ああうあああん、はふ……はぁ……」
「嫌あああっ! やめへ……はぁ……はぁ……」
 旦椋社の神霊が話している途中で雲雀、耐、珠洲の順に悲鳴が上がった。
「ふふ、電撃の最中のようだが、準備はいいのか? 次を行くぞ?」
 旦椋社の神霊は笑みを浮かべながら催促した。
「はぁ……はぁ……へふ?」
「え……」
 それを聞いた雲雀、珠洲は、表情は見えないものの、強張った様子を見せた。
「じゃんけん……ほい。またパーだ」
 そうなったことも意に介さず、旦椋社の神霊は次のじゃんけんの声を掛けた。
「え……わはひもぱあらよ」
「わ、わはひも……雲雀ひゃんあ……」
 それを聞いて、珠洲、耐がどうにか答えた。
「う、ぎゅー……」
 雲雀が恐る恐る答えた。
「よ、よはっは(よかった)……」
 それを聞いた耐が少し安堵した。
「う、うん、ひば、ひ嫌ああっ、いいいい、いいぎいあっ!」
 それに続いて逆さまで頷きながら雲雀の名を呼ぼうとして、途中で珠洲は背中に来た電撃で雲雀の『ひ』と同じ、イ段の多い悲鳴を上げた。
「あふああぎゃああっ!」
「ふぐあああらめてええっ!」
 雲雀、耐もすぐそれに続いた。
「意識がなくなるまで、苦痛と疲労とは感じ続けてもらおう」
 それを見た旦椋社の神霊がほくそ笑んだ。
「さて、続けよう……、じゃんけん……ほい」
 さらに旦椋社の神霊はまたじゃんけんをした。
「ぎゅーらした……」
「ふぇ、わはひも……」
 今度は耐と雲雀とがお互いに言った。
「ああ、私もグーだ……、そして……清王朝の橙の者もな」
 旦椋社の神霊が冷淡に告げた。
「あ……ふあは……」
 それを聞いて珠洲が申し訳なさそうに息を吐いた。
「さてでは……」
 一方、旦椋社の神霊が呟いた。
「ふうぇっ」
 それを聞いた耐が怯えた声を漏らした。
「にゃにをする気ああああ! あふ、ら、らみぇあああ!」
「え、ひ、ふ、ふぎゃああっ!」
「あ、い、嫌あああっ!」
 その直後から、珠洲、雲雀、そして耐もまた悲鳴を上げた。
「その電撃の最大値を一段上げたのだ」
 旦椋社の神霊がまた告げた。
「えふ……はぁ……」
「あぁ……、はぁ……」
 それを聞いて、呼吸を荒くしながら、珠洲、雲雀はまた怯えた様子になった。
「意識がなくなるまで堪能してもらうからな……、痛みも苦しみもな」
「あう……」
 旦椋社の神霊の言葉に、耐がまた慄いた。
「まだまだいこうか。せえの、じゃんけん、ほい」
「はぁ……はぁ……。わはひ、グーらした……」
「……はぁ……わふ……わ、わはひもグーらよ」
 続く旦椋社の神霊の掛け声に合わせて、雲雀、耐は右手に少し力を入れ、じゃんけんを出して、何を出したか言った。
「ほう……、私は、また橙の者とだけ同じだな」
「え、え、あ……」
 旦椋社の神霊の言葉を聞いて、右手を広げたままにしながら、珠洲は声を詰まらせた。
「ふ、ふひゅひゃんのせいらなくへ(す、珠洲ちゃんのせいじゃなくて)……」
「う、うん……」
 その様子を耳にして察した雲雀がどうにか、珠洲を慰めようとした。耐も頷いた。
「れ、れも……あひいああ! いいいい、いいぎいああ!」
 珠洲はそれに答えようとして悲鳴を出した。 
「え、ふえっいやあああっ! たふけてあああっ! 重ひよううっ!」
「にゃ、にゃにが……ああああうんっ! らめ……やめぎゃめあああっ!」
 その悲鳴を訝しがるや否や、耐、雲雀も後を追うように叫んだ。
「察している通り……持たせている器の抹茶の量を増やしたのだ」
 旦椋社の神霊は少しほくそ笑みながら告げた。
「はぁ……はぁ……、ま、またそんにゃひどひことおあああっ! ふぎゃああっ! れ、れんきれ(電気で)……」
 それを聞いて返事をしようとした途端、また珠洲は悲鳴を上げた。抹茶の量が増やされたすぐ後にもまた、ランダムでの電撃が流れたのだった。
「ふぇ? 珠洲ちゃああああ! いぎゃあああっ! やめtあああっ」
「はぁ……はぅ……はうあああうんっ! たふけていあああ!」
 それを聞くや否や、同じように電撃を流された耐と雲雀も悲鳴を上げた。
「ふふ……まさしく、人間の体ではなくなって、ただの電線……あとそれと、お茶を入れる器掛けだな」
 それを聞いた旦椋社の神霊が嘲った。
「ああ、あ……」
「あう……」
 それを聞いた珠洲、耐が反応の声を出した。
「憔悴のさなかに悪いが……我の声は聞こえているな? さて……次だ、いくぞ」
 旦椋社の神霊は煽りながら告げた。
「はふ……」
「うぅ……」
 雲雀、耐が息絶え絶えになりながら声を出した。
「さぁ、じゃんけん、ほい。私は握っているのだが……ほう……」
 掛け声、続いて意味深そうに旦椋社の神霊は頷いた。
「えっ、わ、わはひも……」
 珠洲がそれを聞いて慌てて告げた。
「ふへっ?」
「えええ」
 その珠洲の声を聞いた耐、雲雀の二人が少し驚いた様子を見せた。
「え……あ、あにょ、ろ、どうしたにょ……」
 それを聞いた珠洲は恐る恐る二人に尋ねた。
「私パー出してるよ……、それれ、雲雀ひゃんは?」
「……パー出しちゃった……」
 耐と雲雀も恐る恐るそれに答えた。
「あ、あふ、にゃん回も……わはひ、ごめん……」
「ら、らいじょうぶらひょ」
「そ、そうらよう」
 珠洲が謝り、二人はそれを慰めた。
「れ、でもおおああっ、あああいいいぎいい、はふけてええ!」
「はぎゃあううっ! らめあああぎゃあああうんっ!」
「はぎいああぎゃああ! 嫌あああっ、やめへあああうっ!」
 珠洲が何か言おうとしたがすぐにそれは悲鳴に変わった。そしてそれは耐、雲雀の二人からも同様に発された。
「電撃だが、またもさらに一段上げた」
 旦椋社の神霊は冷淡に言い放った。
「そ、そんにゃ……、……っふぐあああっ! あがあああれんしぇん(電線)嫌あああっ!」
「え、あ、あっふああああっ! あああいいいい、らめあああうんっ!」
「しょ、しょんなことやめええあああうっ! たふけはぎゃああああ!」
 それを聞くな否や、先ほどから短い間隔で三人の体にまた電気が流され、彼女らの悲鳴が響いた。
ふむ……数多くの痛みで地獄を見ているな」
 それを見た旦椋社の神霊は引き続き冷淡に言った。
「ひ、ひ、そ、しょんなこお(そんなこと)なぎゃあああっ! 嫌あやめてあああいいいっ! はぁ……はぁ……ふえへ……?」
「あ……あ……」
「……あふひ……」
 珠洲はまたしても電撃を受けたことで悲鳴を上げた。そしてそれが終わったとき、息を荒くしながら、悲鳴は自分しか上げておらず、雲雀と耐とは、時折声にならない声を漏らす程度であることに気付き、奇妙に思った。
「ん……先程の電撃で、お前より先に、二人は最悪の激痛に見舞われるとともに、意識を失ったようだ……。残るはお前一人だな」
「へ……しょ……しょんな……」
 旦椋社の神霊の説明を聞いて、珠洲は戦慄した。
「お前とも……電撃があと数回でだな。それで全部だ」
 旦椋社の神霊は悠然と告げた。
「ひ、あ、う、嘘、だめ……、い、嫌……」
 その言葉を聞いて珠洲は次に自分に来る電撃に怯えた。
――ヒュン。
 その直後に、片足の逆さ吊りにされている三人の頭の下に、それぞれ一枚ずつどこからか一切れの木綿が飛んできて止まった。そしてそれはすぐに、どれも巨大な座布団程度の大きさに変わった。
「な……、ど、どこから……」
 それを見た旦椋社の神霊は、自分以外の神能が使われていることに慌てた。
「ちっ、あれは奴らの向こうから……、……なっ! あ……」
 さらにその直後、自分の他の神霊の姿を探していた旦椋社の神霊は少し叫んだ。そして自分の右肩を見た。そこを神幹が貫通したと思われ、濃紫色に服が滲んでいた。それを見てすぐ、彼女は仰向けに倒れた。また傷口からじわじわと煙のように濃紫色の霧が出てきた。
――ポトッ。
 その直後に、霊力の低下が影響して、旦椋社の神霊が出した足を縛っていた神縄や、手首に付いていた茶碗、また目や口を覆っていた手ぬぐいが消え、珠洲、耐、雲雀の三名は、巨大な座布団の上に落下した。それが柔らかかったことで、そのときの打撃は殆どなかった。
「ふへ……、え……?」
 座布団の上で少しぼうっとした後、珠洲は神幹を受け倒れていた旦椋社の神霊の様子を見て驚かされた。
「移板の霊力の後をつけてきたらこんなところで……。天路の従者殿、天路殿……、聞こえますか?」
座布団の上で横たわっている自分のすぐ傍で若い女性の声がした。
「え……。え……あ、はい……」
 珠洲はとっさに返事をしてその声の方を向いた。その女性も紅梅の小袖を着ていた。
「意識あるのですね、あなたは……。お伺いしたいのですが……旦椋社が狙っていた鬼玉はいずこへ……?」
「え、そ、それなら旦椋さんのすぐ近くの、旦椋公園です……、私の他の仲間もそこで神縄に捕らわれて……」
 その女性の質問に珠洲は答え、また状況についても説明した。
「なるほど……。この場所はあくまで攻撃のため……。鬼玉は奴のすぐ傍でしたか……。それなら、ここの天路の皆様とともに、そこに戻って、治癒に入りましょう。どの道旦椋社も、鬼玉のところに来ます」
「は、はい……」
 珠洲はそれを聞いて返事をした。
「では、参りますね」
 一方その女性も胸元から移板を取り出した。その直後、彼女と珠洲、そして別の巨大な座布団の上で倒れていた耐、雲雀の体は濃紫の霧に包まれた。
(え? 色……この色で合ってるのかな……)
 その移板の霧の色を見て、珠洲は不思議に思った。しかしそれについて考える間もなく、移板の霧はどれもより濃くなり、そしてその次の瞬間、霧ごと、中にいた者の姿は消えた。

 その直後に旦椋公園にて、直径三メートルくらいの半球体の、濃紫の霧が突如出現した。
 そしてその霧はすぐに消え、その中から、立っていた紅梅色の小袖の若い女性、珠洲、横たわっていた耐、雲雀の姿が現れた。
「え……みんな……?」
 それを見て、美濃が少し驚いた。
「神縄、解くね……」
 珠洲はそこで、美濃、司、正を捕えていた神縄に注目し、至近距離からすぐに三発光弾を放った。それは各々の神縄の一部に直撃した。
「あ……」
「……わっ……」
 するとすぐにその神縄全体が濃紫の霧に変わり、三人はそれから解放された。
「よかっ……わっ」
 珠洲はそれを見て安堵し、彼らにさらに近づこうとしてふらついた。
「珠洲ちゃん……? いや、耐ちゃんも雲雀ちゃんも気絶してるけど……どこも怪我とかはないみたいだけど……なんか凄く疲れてない……? 確か片足で逆さまだったよね……」
 その様子を見た正が珠洲を気遣った。
「あ……うん……、えへ、恥ずかしいけど……正直に伝えていいかな……」
「うん……ちゃんと聞くので」
「ジャンプの先は天ケ瀬の山の中で……、旦椋さん、神能の効力を重視してたみたいで……、じゃんけんで負けるごとに一つずつ神能の攻撃をするって……。薄茶を入れた茶碗を手首に吊るされて、目も口も手ぬぐいで隠されて……それと……、……あの……電撃……ずっとじゃなくって、ランダムに何回も流す感じで……えへ……」
 珠洲は恥ずかしがりながらも、ゆっくりと、自分たちの身にされたことをありのままに話した。
「あの、珠洲ちゃん……」
「え」
 正はそれを聞き、珠洲の前で膝をついて目線を同じ高さにし、そして右腕を彼女の背中に充て、左手で頭をゆっくりと撫でた。
「あ……」
 珠洲は引き続き紅潮しながらも、穏やかな表情になった。
「かわいそうな目に遭ったんだね……、でも、もう大丈夫だよ」
 正が言った。
「えへ……たあくんありがとう。……あの……えっと……、一人だけでも、大人がいてよかった……」
「うん……」
 珠洲の言葉に、正は相槌を打った。
「あ、あの、あなたは……」
 一方司は紅梅の小袖を着た女性に誰何した。
「あ、そういえば……あらためて初めまして。私は水渡社(みとしゃ)の神霊です」
「水渡……さん……?」
 司はオウム返しに聞いた。
「はい、今でいう城陽を代表する社です。山城国風土記にも記載がある古社、近代では府社となっています。巨椋池の干拓以降と思われますが……西宇治の地域は、同じ宇治である東宇治よりも、城陽との繋がりが深いと感じています。そのためか、旦椋社の動きも……どうにか察知したまでですね……」
 水渡社の神霊と答えた彼女は詳しく司に告げた。
「あ……そういえば……耐ちゃんと雲雀ちゃん……」
「あっ、そうだね。でも大丈夫……、僕たちは神縄に捕らわれていただけだから……二人を治癒するね」
 その一方、珠洲は二人のことを思い出しそれを口にした。それを聞いた正は珠洲に言った。
「う、うん……」
 自分の頭から手を離す正に向かって、まだ紅潮しながらも、珠洲は頷いた。一方正は仰向けに気絶している耐の下に寄った。その呼吸は浅かった。
「……、……冷たい……」
 正はいたたまれない表情で徐に座り、耐の左手を取り呟いた。心臓の鼓動の弱さから、手が普段より冷たくなっていた。
「……」
 正はその手を再び地面に置き、立ち上がった。
(僕の場合光筒は体内に入り込んでくる……、気持ちを集中……また、右手を指差しにしよう……)
 正は少し思案し、右手の人差し指を指差しの形にした。
「すぅ……すぅ……」
 一方耐は浅い呼吸を続けていた。
「耐ちゃん……」
 それを聞いて正は、指差しを作りながらも、不憫そうな表情になり、より広範囲に治癒の光を当てようと、一歩下がった。
「……、……えっ」
 そのとき彼は右脇に違和感を感じた。そこを神幹が貫通していて、銃創ができていた。
「え……」
 その様子を後ろから見ていた珠洲の表情も一気に強張った。正はそのまま仰向けに倒れた。
「へ……あ、あそこにっ」
 司が、正や耐たちのさらに前方を見て声を上げた。萌黄の小袖――旦椋社の神霊の姿がそこにあった。
「……、あ……」
 地面に座っていた珠洲もそれを聞き、旦椋社の神霊の姿を目にした。彼女はまた怯えながらも立ち上がろうとして少しよろけた。
ヒュン――。
「え……ぎゃああっ!」
 その直後、珠洲は一瞬目を見開き、悲鳴を上げて倒れた。彼女の左腰の辺りは少し赤く染まった。
「どこへ行ったのかわからなかったし、ひとまず鬼玉の元に来てみたら……、また、天路共を先に始末しないといけないようだな……。さっきの私をよく見ていなかったのか……、私の傷口からの霧は、噴出させはしなかったぞ……、ふふ……」
 旦椋社の神霊はそう言いながら右手を上げ、今度は美濃の姿を目に入れようとした。
「……ん! 消えた……?」
 その直後に美濃は光筒による視界の範囲内の瞬間移動でその場から消えた。
「な……」
 旦椋社の神霊は狼狽えた。その背後、正や珠洲たちとは正反対の方向に美濃の姿があった。
(珠洲ちゃん、たあくん……、ううん、……落ち着いて……注目して……)
 美濃はいろいろなことを考えながらも、光筒を持つ右手を胸の前程度まで上げた。
(撃って……!)
 そして強く念じた。すぐに光弾が旦椋社の神霊の方に飛翔した。但し彼女が慌てていたことで、それは彼女の左腕に当たった。
「あっ……な……あああっ!」
 しかしそれでも旦椋社の神霊は倒れた。銃創からはじわじわと濃い紫色の霧が出た。
(珠洲ちゃんとたあくんを……、二人はあそこに……飛ぼう、よく見ないと……)
 続いて美濃は二人の治癒をするため、そのもとへ飛ぼうと二人の姿を注視した。また自然と足が一歩前に出た。
「……あれ? え……」
 ところがその直後に美濃は、珠洲と同じ左腰に激痛を感じ倒れた。
「え……? へ……?」
 美濃の姿を見つけていた司はそれを見て驚愕し、神幹が来た、自分の傍らを見た。そこで、先程珠洲たちを助け出した水渡社の神霊が右手を上げていた。
「……っ!」
 司はすぐに光筒を持ち上げ、水渡社の神霊を凝視した。
「なっ……、ん……?」
 水渡社の神霊はそれを見てたじろいだが、その直後にほくそ笑んだ。
「残る天路の従者よ、私を撃つがいいでしょう。その隙を狙って、傷の浅かった旦椋社があなたを捕えています」
「えっ」
 司はその言葉に驚き、チラと背後に目をやった。するとすぐにその瞳孔が小さくなった。
「……」
 水渡社の神霊の言葉通り、地面に這いつくばいながらも、旦椋社の神霊は既に右手を前に出し、司の姿を注視していた。
「これでようやく終わりです」
 水渡社の神霊はそう言いながらあらためて嗤った。
「ひ……」
 それを聞いた司は目を強く瞑った。その涙が同時に飛び散り、また無意識のうちに一歩、旦椋社の神霊から逃げるように前に出た。
「おっと、少し動いたか」
 それを見て旦椋社の神霊も少し這い、再度司を目に入れた。
「ぎゃあああ!」
 そして公園に悲鳴が響いた。
 それは旦椋社の神霊の声だった。直前に這ったことで、彼女の右肩が光弾を受けており、またそこからじわじわと濃い紫色の霧が昇り始めた。
「え……」
「私だよ、司くん……、今の光弾……」
自分が無事であることに驚いている司に向かって、唯の穏やかな声が届いた。
「え、えっ……」
「僕も来たよ。移板でね。クラス委員会、終わったし」
 それを聞いてさらに驚く司に向かって、今度は弘明が告げた。二人は旦椋社の神霊を介して司とは反対側にいた。その近くには美濃が倒れていた。
「よ、よかった……。あっ、でも……」
 司は二人の姿を目に入れて少し安堵した。しかしながらその緊張はまだ続いていた。
「うん……、美濃くんもヤバいし……、そこの神霊さんも……っ」
 弘明は司にまた話し、そして水渡社の神霊を注視し、光筒を少し持ち上げた。
「くっ、加勢かっ……」
 その様子を見た水渡社の神霊が今度はたじろいだ。
「……、ううっ……」
 一方、自分の名を呼ばれたことで、意識が薄れているまま美濃は呻いた。
「えっ、美濃く……? あっ、わっ」
 突然それを聞いたことで弘明は彼の方を向き、少し容態を気にした。そして、すぐにそれが自分にとっても危険なことであることに気付き、再度水渡社の神霊の方を向き、そして今度はすぐに驚愕した。
「ふふ、容態が気になったのですか。名前を呼んだから、無意識に反応しただけかもしれないですが」
 水渡社の神霊は弘明の動きをフォローした。しかし彼女は既に右手を上げ、弘明の姿を注視していた。
「あ……」
 それを聞いた弘明はさらに強張り、自然に後退した。
――ヒュン。
「ああああっ」
 しかしすぐに水渡社の神霊の神幹を左脇に受け、自然に動いたことで急所を逃れたとはいえ、弘明はその場に横転した。
「ひっ……うっ……」
 その光景を見た司は絶句しつつも、自分も水渡社の神霊の方を向いた。
「あ……」
 そして司も再び強張った。水渡社の神霊は自分の姿へも既に注視していた。
「いえ、遅いです。まぁ、皆さんとてそれはご承知のこと……、どんなに屈強な精神の人だって、いつだって無心なんて無理でしょう。資格等の有無などなら別かもしれませんが、そこに能力などと言って差を見出す方が幼稚です。大なり小なり皆さんそれは正直、誰にだってあることと考えるべきです……、被惑とはいえその程度の人間への訓導であれば、神霊としてできますよ」
 水渡社の神霊は司に述べた。しかし捕捉は続いていた。
「い、嫌……」
 司はそれを見て怯え、弘明と同様に少し後退した。
「嫌ああっ!」
 そして司の悲鳴も響いた。彼は左肩に受け、仰向けに転倒した。



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2024年10月7日 発行 初版

著  者:坪内琢正
発  行:洛瑞書店

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