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Meister

(著)澤俊之(編)鈴木真生(表紙デザイン)石川龍之介

NPO法人HON.jp



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  この本はタチヨミ版です。

Meister

 ドイツ、バイエルンの楽器工房の中、よく研がれたカンナで表板の仕上げに取り掛かる。丹念に均一に木材を削り、新たな表面が露出するたびに工房内の空気が針葉樹特有の香りで満たされていく。わたしは粉塵よけマスク越しでもわかるその空気に包まれながら平らかだった木材がバイオリンとしての輪郭が形成されつつあるこの工程がいちばん好きだ。
 幼少のころからバイオリンを習い、練習すればするほど思い通りの音が出せるのが好きだった。両親や先生が褒めてくれるのは純粋にうれしかった。しかし、高校生の頃から練習を重ねても演奏力が伸びず「腕のせいだけではなく楽器の問題かも」と、考えて楽器工房の見学に行ったことを切っ掛けにバイオリン造りの沼にハマった。制作現場を目の当たりにすることで、職人がものづくりに掛ける想いに魂を惹かれたのだ。そのときにわたしの鼻をくすぐった針葉樹スプルースの放つ香りがわたしの原体験となった。高校卒業とともに日本を離れ渡独するに至る。語学留学を兼ねながら音大でクラフトを学びつつ、工房で徒弟となった。
 ドイツに来てから六年が経ち、職人として認められたいまでもバイオリンを弾く練習は欠かさないし、小さな演奏会程度ではあるものの演奏はする。もちろん興行のレベルには至らないが。
 いったんの結論として、わたしは職人としての現状に納得している。求めていたのは『理想の音』。わたしが奏でなくても作品がそれを叶えてくれればいい。作ったバイオリンたちが多くの優れた演奏家に届けば、その理想に近づくことができる。そのためにはそれに敵う技術を培い、維持しなければならない。
 機会は思っていたよりも早く訪れた。ヨーロッパの片隅でバイオリン製作にいそしむ東洋人の若い女性、というパッケージングは良くも悪くも界隈では語り草になっていた。
「エミ」。塗装用のニスを調合していると、上長にあたる名匠マイスター・エトガーがわたしを呼んだので、そちらを振り向く。「これ見てくれるか?」
 わたしはそれを見たことがあった。巨匠マエストロ、ディルク・ドルンの愛器であるバイオリン。この小さな工房にそんな大層なものが?。
「……ディルクのバイオリンに見えますが?」
「そう、ディルクのだ。ただこれはコンサート用じゃなくてサブの練習用だ。スペアのスペアのスペアってところだな」
 それに触れてみるとディルクのバイオリンの特徴を現してはいるが、木材の品質は最上品ではなく、仕上げもラフな感じがする。
「ディルクの格からすればお粗末な造りだが、ま、あのレベルの演奏者にかなう職人なんて欧州でもそういないからな。この仕上がりで練習用とはな」
「で、そのマエストロからの打診を受けたエトガーのオーダーは?」
「……ディルクからのご指名で、エミが調整するバイオリンを試したい、とのことだ」
 悪目立ちではなく、国籍も老若男女も問わずの極上な仕上がりをマエストロに示すチャンス。スペアのスペアのスペアでも、彼の手に取らせれば、それはわたしの理想を叶える大きな機会だ。
 わたしの職人としての流儀は基本を大事にしたうえでギリギリを攻める。多くの職人たちは、バイオリンの王といわれるストラディバリウスの孤高のブランド性を模倣していた。文化の継承という意味合いでは大事なことだが時代は進んでいく。価値観も変遷する。

 ディルクのバイオリン調整にしかかる前に、あらためて彼の演奏を聴きに行った。ワーグナーに由来があるプリンツレーゲンテン劇場は、客席こそ少ないものの威厳と風格を兼ね揃えていた。
 身長百九十センチを超え恰幅の良い四十がらみの男性が右手にボウ、左手にバイオリンを携えて舞台中央に進み出る。威厳ある姿は劇場の風格と調和していた。照明を浴びながら観客に一礼すると拍手が巻き起こり、鳴りやむのを見計らった瞬間に、彼がバイオリンの弦に弓をすべらせた。
 技巧派バイオリニストの雄、ニコロ・パガニーニ作曲の「ラ・カンパネルラ」。はなからクライマックスに演奏するような超絶技巧な曲をもってくるとは挑発的だ。
 指板上にスリリングかつ滑らかに指を滑らせ、高低音の落差をつける。譜面通りの音を鳴らすのにとどまらず、次の音へとつなげていくために精密機械以上の正確さと、目視では確認することのできない情感を込めた細やかなビブラートで聴衆の感情をゆさぶる。2オクターブの広い幅を十六分音符で連発するさまは、手の大きさのアドバンテージがあったとしても、並みの奏者ではこうは鳴らせない。聴衆たちはなにをされたのかわからないままに、その音に耳を奪われる。
「これでは聴衆が疲弊してしまい、コンサートの最後まで持たないのでは?」という疑念はすぐに取り払われた。激しい演奏のピークを先につくって聴衆の聴覚を慣らし、緩急や巧みな音量差で休ませながらコントロールしている。圧倒的な支配者。ディルクがベーの高音を長めに響かせる。曲は終わった。
 夢から覚めたかのような目をした聴衆は、残響が消えてから間をおいて総立ちになる。万雷のスタンディングオベーション。わたしもその中のひとりだった。
 彼の魂柱こんちゅうはわたしと似た材質でできていると感じた。

 クラッシックという概念は時代遅れとされ廃れていく。演奏者も聴衆も老齢化していくし、若者には生演奏を聴きにいくような時間や経済のゆとりがまるでない。教養の一環として学校でその歴史を学んだり、BGMとしてストリーミングでちょい聴きするくらいだろう。
 ディルクは伝統的なクラッシックも現代音楽もやるが、その演奏は際立っており、多くの聴衆を魅了していた。
 遺された譜面通りに演奏するのではなく、自身の解釈で時代に即した演奏をしているからだろう。先達から渡されたバトンをどう料理すればよいのかを追求する姿勢は、わたしと同じ性質のものだ。だからこそ自分にアプローチがあったのだろう。ディルクの演奏を思い返しながら、いつもより丹念に仕事道具を研ぐ。試金石となるディルクのバイオリン一本目のメンテナンスにとりかかる。
 バイオリンの良し悪しを決めるのには大別するとふたつの基準がある。「音の鳴り(質)」と「弾きやすさ」。彼はバイオリン自体の持つ音質を優先し、弾きやすさを捨てて、自身の技巧でそれをカバーしていた。部品をばらしていくと、奏者のパーソナリティが如実にわかる。予想通りシビアなセッティングだった。彼の紡ぎ出す音を最大化するためには、慎重かつ大胆な施術が必要だ。わたしは技術に加えて胆力と想像力を総動員して向き合った。
 数日後、可能な限りのメンテナンスを施したバイオリンを、エージェントが引き取りにきた。この後ディルクの手に渡る。できることはすべてやった。誇れる仕事はできたと思う。
 一週間後、他のバイオリンのニス塗りを終えたわたしは、工房外のベンチでランチを摂っていた。バターを塗ったライ麦パンに酸味強めなザワークラウトをのせて頬ばる。ドイツでは定番だが、職人が手早く食事するには向いているし、七年間ドイツに住んでいるので、もう舌に味がなじみきっている。まろみがあるバターがいい仕事をしていた。ときおりヴルスト(ソーセージ)を齧りながら夕日を眺める。ビールが欲しくなるところだが、まだ勤務時間中だ。手のパンくずを払ってベンチから立ち上がろうとすると、工房の駐車場に減速しながら見慣れないアウディが停まるのが見えた。
 先週バイオリンの受け取りをしたディルクのエージェントが出てきて後部ドアを開ける。現れたのは、記憶に新しい男性の姿、ディルクそのひとだった。上長のエトガーが応対して事務所に入っていくのが見える。わたしは思わずベンチの影にかくれて様子をうかがった。
 小一時間ほどすると、ディルクとエージェントはアウディに乗り込んで工房を去っていく。ベンチから屋内に戻ると早速エトガーから事務所に呼び出された。
「エミ、いましがたディルクが来た。おまえのメンテナンスしたバイオリン、ディルクのお眼鏡にかなったようだ」
「! ホントですか!?」
「ああ、大層感心していたな。そもそもディルク本人が来るくらいだ。エミに会いたかったようだが工房に姿は見えなかったし、ディルクも多忙だから時間もなくて、会えずに残念がっていたぞ」
「そう。わたしもお目にかかれず残念でした」
 びびって隠れていたとはとても言えない。
「まあ、でも近々頻繁に会うことになりそうだけどな!」エトガーがいたずらっぽく笑う。「あのな、エミ。お前ご指名されたぞ」
「はあ」
 事態がうまく飲み込めない。ディルクが都度、わたしに直接メンテナンスを依頼しに工房に来る? ありえないだろう。そんな時間もないだろうし。でも、頻繁に会える、とは?
「鈍いな! エミがディルクの専属バイオリン職人に指名されたんだよ! 練習もリハーサルもコンサートもツアーも、すべてディルクに随伴してお前がバイオリンを最高な状態に仕上げるんだ」
 エトガーが契約書をわたしに見せる。破格の条件だ。一年単位の契約で年収はいまの四倍以上。工房にマージンを払っても一流職人の収入を軽く超える。
「もちろんやるよな! 工房の看板背負ってがんばってくれよ!」
 わたしはエトガーに肩をぱんぱんと叩かれたが、あまりの事態に声が出せず、頷くことしかできなかった。

 十一月のはじめ。日中でも気温は十度以下となり、本格的な冬が訪れようとしていた。バイエルン都市部にあるディルクの邸宅を訪れた。一介のバイオリン職人からすれば超一流の建物だったが、車で送ってくれたエージェントから聞いた話によると本宅は郊外にあり、ここはアクセスのよさのために買った別宅ということだった。スケールが違う。この中の一室を与えられ、わたしの新たな生活がはじまった。エトガーは工房のことは気にするな、と送り出してくれた。
 稀代のバイオリニスト、ディルク・ドルン。四十二歳の未婚男性。バイエルンの音楽家の家庭に生まれ育ったが、両親との仲は良好ではなかったらしい。古めかしいクラッシックを追い求める環境がディルクとなじまなかったのは想像するにかたくない。若いころは数々のコンクールに挑むも軒並み落選。硬直化した審査基準は、彼を正しく評することができなかった。二十一世紀に入り時代が彼に追いついてくると、一気に評価が覆る。小さな劇場でのソロ演奏を積み重ね、波紋を大きくしつつその実力を世に示したのだ。
 リビングに通され椅子を勧められたので、ディルクと向き合って座った。
「エミ、申し出を快諾してくれてありがとう」
「はい、お気に召したようでなによりです」
「……ん? お気に召す? それはちょっと違うな。君の仕事の出来はまずまずだったが、お気に召すという段階ではない」
「ではなぜ?」
「弾いてみて僕の演奏をとてもよく理解していることがわかった。でも、まだまだ理想には遠い」
「……」
「僕にもまだ至らない部分がある。ともに手を取り合って理想の音を目指そう、ということだ」
「理解しました。万全以上を目指します。いえ、ともに目指しましょう」
 わたしとディルクは握手を交わした。この時から運命共同体として理想の音を求めていくことになる。
 スタジオでのリハーサル、小さな劇場からコンサートホールなどでの公演、レコーディング、インタビューの収録、ディルクが行くところすべてに随伴して彼のバイオリンの音を磨いた。彼が多忙になればなるほどわたしも忙殺される。そんな日々の中で会話は少なかったものの、バイオリンを通じて言葉以上に意思疎通ができていた。
 わたしはディルクの演奏をつぶさに聴き、彼のバイオリンを最適な状態に整える。そのバイオリンを使って、ディルクのサウンドはさらに理想へと近づいていく。夢のような日々が続く。
 二年が経ち、彼の集大成とも言える欧州コンサートツアーが決まった。だが、そのリハーサルを最後に夢の日々は終わりを告げた。
 きっかけはディルクの求めるバイオリンのセッティングに異変を感じたこと。いままでのような彼の身体に依存するシビアなものではなく、ゆとりをもたせないとサウンドが曇ることに気づいたのだ。身体に故障を来しているのか? わたしは彼に問うが、答えない。彼のせいではなく、もしかして自分の腕が鈍った、もしくはディルクの成長に追いつけなくなったのかもしれない。
 雑念を取り払うべく、彼の体に異常はないのか、彼の主治医に尋ねる。医師はほくそ笑みながら「首から肩にかけての一時的な疲労だから気にすることはない」と答える。おかしい。そうならディルクは直接わたしに伝えているはずだ。身体の不調は細かい調整にも影響が出るのだから、言わないことに何か理由がある。わたしはいったん診察室を出る。主治医が席を外した隙を見計らってディルクのカルテを探し、やがてそれを見つけ出す。
 投与されている薬の中に、音楽家が使うのは禁忌とされているステロイド剤「ケナコルト」が含まれていた。
 効き目は抜群によいものの、筋組織の破壊を招くものだ。繊細な動きを求められる音楽家にとっては命取りとも言える。いわゆる劇薬だ。それを使わざるを得ないほどにディルクの症状は深刻で、ツアーを成功させるために音楽生命を捧げようとしているのだ。なんとか事態を治めなければいけない。わたしはディルクの邸宅に向かった。
 しかしディルクはおらず、エントランスでわたしを迎えたのはエージェントだった。彼が紙を差し出す。「解雇通告」だった。わたしの夢は突然途絶えた。工房勤務時代に契約していたアパートメントも解約しており、行き場所を失ったわたしは魂が抜けたように街をさまよう。街角のカフェで、じっと考えようとするがなにも浮かんでこない。ディルクの存在を頭の中から遠ざけるため、わたしはエトガーの工房にも戻らず日本に帰国することにした。
 ディルクから受け取っていた多額のギャラと違約金をもとに、東京で小さなバイオリン工房をはじめる。自分にはこれしかできないから。幸いなことに、わたしがこちらから名乗らなくとも、ディルクの専任職人として日本のバイオリン業界でも知れ渡っていた。
 多くのバイオリン奏者から調整や制作を頼まれるが、どうしても依頼には、ディルクの専属職人としての価値が求められていた。仕事は安定する一方で心が揺れる。
 ディルクの影から逃れたい心を、職人魂で抑え込んで仕事をこなす。しかし、このままではいつか破綻するのは目に見えている。劇薬に頼らざるを得なかったディルクの心も、こんな闇を抱えていたのかもしれない。ああ、またディルクのことを思い浮かべてしまった! 自分の腕をいかんなく発揮するためには彼の影から逃れる必要がある。
 わたしはワゴン車を購入し、日本国内を回って流しの職人になることに思い至った。他工房の看板を使わせてもらえば、わたしの存在はわからないだろう。新規の依頼はすべて断り、年内いっぱい使って、たまっていた注文をこなした。
 全国の工房を回り、雇われの職人としてさまざまなバイオリンに触れる。ドイツとはまた違う音楽事情に直面した。時折驚くような名器に出会うこともあるが、廉価なものを大事に長く使っていることが多かった。調整に出すくらいなのだから大事にしているのは当たり前だが、バイオリンに血の通った温もりを感じるようになる。演奏者を想像しながら指になじむようイメージを込めて、どんな依頼も引き受けた。他の職人たちもわたしの技術を学べるので、どこへ行っても歓迎された。そんな日々を過ごすうちに、ドイツのマエストロの存在は意識から消えつつあった。
 あのマエストロのシビアな要求でわたしの技術水準は極めて高い次元に達していた。それはそれで尊いものだが、どんなバイオリンであっても力を引き出し、演奏者の質も高め、裾野を広げて行くことも名匠マイスターの役割なのだろう。そこから様々な才能が芽吹く手助けを行う。
 流しのバイオリン職人として他人様の工房への依頼をこなすのが主だったが、イベントなどで、私個人のワークショップを行うこともあった。演奏家だけではなく、バイオリン職人の裾野を広げる必要もあることを失念していた。この旅がなければこの考えに至らなかったかもしれない。バイオリンの制作工程を実演してみたり、バイオリンの歴史を嚙み砕いて老若男女に説いたりもした。初めのうちは拙いものだったが、数をこなすうちに上手く伝えることができるようになった。職人としての行脚あんぎゃは順調に続く。
 とあるワークショップの時のことだ。デモンストレーションで組んだバイオリンで「きらきら星」を弾いてみると、小さい子どもたちがきゃいきゃいと喜ぶ。これをきっかけにバイオリンに触れてくれれば至上の喜びだ。ワークショップを続ける中、実際に音を聴いてもらった方が伝わり易いと気づき、それ以来必ず、誰もが知っている曲を弾く事にしていた。観客の中に、中学生くらいの女の子が見える。バイオリンケースを手にこちらを窺っているが深刻そうな目をしているのが気になる。
 ワークショップを終え、車に機材を片付けていると先ほどの女の子が近づいてくる。
「すみません、お姉さん。ちょっといいでしょうか」
「どうしたの?」
「私はバイオリンを習っているんですが」そう言って彼女は手に持ったケースを差し出す。「最近うまく鳴らせなくて……見ていただいてもいいですか?」
 わたしはケースを開ける。丹念に手入れされたバイオリン。ぱっと見、なんの問題もなさそうだ。胴体部分のfホールから中を覗くと、工房のラベルが貼られていた。読んでみると見覚えのある文字が書かれていた。ドイツで世話になっていたエトガー工房の銘。まさかわたしの作品? と思ったが製造年月日は三十年以上前のもの。彼女はおろか、わたしも生まれていない。別の職人が手掛けたものだ。親御さんもバイオリンをやっていて、それを受け継いだのだろうか。ここであの工房の作品に出会うとは……ドイツの工房の外観がふと脳裏に浮かぶ。
 片付けかけていた工具を取り出し、丁寧に確認を行う。初見通りなんの問題もなさそうだ。中学生と言えば育ち盛り、体の成長で奏法に影響が出たのかもしれない。一応、音色に影響が大きい魂柱の位置だけ微調整した。
「問題ないけど?」
「……そうですか。他の職人さんに見せても問題ないと言われました」彼女は深刻そうな目のまま、肩を落として消沈してしまった。「今度バイオリンの全国大会に出るのですが、課題曲がどうしてもこなせなくて……」
 こんな姿を見て放ってはおけない。



  タチヨミ版はここまでとなります。


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2024年11月4日 発行 初版

著  者:(著)澤俊之(編)鈴木真生(表紙デザイン)石川龍之介
発  行:NPO法人HON.jp

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