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この本はタチヨミ版です。
1
学校に登校すると、同級生のみんなはまず再会の挨拶から始めるんだ。
隣の席の冴木君が「ただいま」と言って椅子に座ると、一つ後ろの席で前髪をねじっていた折村君が「おかえり」と返事をする。
僕の前の席の科内さんが「久しぶりー」と言うと、僕を飛ばして後ろに座る船井さんが「昨日ぶりじゃん」と言って笑い合う。
いずれにしろ再会を喜ぶ声に満ちた教室で、「おはよう」と言う生徒は一人もいない。
「桐井も、ただいま」
窓際の席に座る僕を見て、冴木君はみんなと同じ挨拶を僕にした。
「うん。おかえり」
愛想笑いをしながら僕も答えた。
「ホームルーム始めるぞ、席着けー」
浅黒い肌をした担任の洗井先生が教室に入ってくると、クラスのみんなはそれぞれ席に戻っていく。
今朝の洗井先生のホームルームの話は、オーグとアルパの最近の政治情勢についてという、それはそれは僕に関係のない、つまらない話題だった。
僕は先生の話を中途半端に聞きながら、窓の外、よく晴れた秋空の彼方を見上げた。
空には丸い天体が二つ、水中に浮かぶゴムボールのように滲んで浮かんでいた。
ボールの片方は赤茶色、もう片方は濃緑色。それぞれ名前が惑星オーグと惑星アルパ。僕たち、いや、僕以外のみんなにとっては分身とも言えるお隣さんの星だ。
「おい、聞いてるか桐井スナ。お前は昼休み中に進路指導室に来るように」
いつの間にか話し終えていた先生は、最後に僕の呼び出しを付け加えてから教室を出ていった。
「桐井。お前この先どうするつもりだ?」
昼休みに言われた通り進路指導室へ行ってみると、待ち構えていた様子の洗井先生がまず最初にそう言った。
「どう、とは?」
「植え替わりだよ。幼い時の事故のせいで、ずっとできないままでいるんだろ」
「……できませんし、したくもないって前にも言ったじゃないですか」
「そうは言っても、生態現象だからなぁ。進路を考える上でも、そのままは大変だろう」
「先生の次の植え替わりはいつですか?」
長くて面倒な話をはぐらかしたくて、わざと他のことに話題を切り替えてみる。
「先生は来月だ。その時に桐井と会えばまた違うことを言うかもしれない。だから高校一年のうちに何とかしてやりたいんだよ」
「なんとかできないから嫌なんですよ」
逸らした話は効果なく、進路をどう考えているのか散々聞かれて昼休みがつぶれた。
教室の窓から見えた惑星オーグと惑星アルパ、そして僕たちが住む惑星の三つが絡み合ってできた三連星。
この星々に住むすべての生物は、それぞれの惑星を意識だけが一年周期で駆け巡る生態を持っている。
惑星間を巡る意識の移動先は、次の惑星に住んでいる自分だ。だから実質この三連星には、オーグに住む自分、アルパに住む自分、そして今ここにいる自分の三人が存在していることになる。
隣の惑星で一年過ごした自分との意識の順送り、一年ごとにやってくる精神的共生を、僕たちは植え替わりと呼んでいる。
どうして植の字を使うのかは習っていない。三つの惑星の間でフヨフヨと意識が漂う様が、寄る辺のない水草かなにかにでも見えたのだろう。
「桐井、昨日のアルパのニュース見た?」
進路指導室から戻ってくると、隣の席でトランプを作っていた冴木君に声をかけられた。
「見てない、なんの話?」
「新しいコンクリートだかのニュース。環境? に配慮するから全部それに替えるって」
「初めて聞いたよ。っていうかアルパのことは知らないし」
「お前さ、いい加減なんとかしろよそれ」
後ろの席でいつまでも髪を触っていた折村君が会話に割って入ってきた。
「植え替わりできないのやばいって。お前だけ話が通じねぇんだわ」
「僕から見ると何も変わってないのだけどね」
「そういう問題じゃないって」
折村君は呆れた様子だが、確かにそういう問題ではなかった。
植え替わりが起こるのは、当事者の誕生日を起算にしてちょうど一年後。
同級生たちは毎日変わらぬ姿で僕の前に現れるが、ひとたび植え替わりをすると、次の日に僕の前に現れるのはオーグとアルパで一年ずつ過ごした同級生ということになる。はやりの曲も、話題のテレビドラマも、僕の知らない流行が二年分も蓄積されているのだ。
そんな状態でうまく友達が作れるわけはなく、小学校も中学校もほとんど友達はいなかった。少し前には好きな異性もいたけれど、昨日まで笑いあっていたはずの話題でも、植え替わり後のある日に突然、「もう好みじゃなくなった」などと言われてはどうしようもないじゃないか。
「就職したらやっていけないんじゃねぇの?」
洗井先生にも同じことを言われたが、年の近い折村君の言葉の方が深く心に刺さる。
みんなが知っている世界を自分だけが知らないということ。
植え替わりができない自分からすると、周りはどんどん変化しているように見える。
人、文化、政治、経済。変化が起こるにはきっとそれだけの理由があるのだろうけど、世界は歩みを止めてはくれず、僕を置き去りにしてすごいスピードで離れていってしまう。
変化の流れに乗り遅れた僕は、三連星の端っこで一人、淀みに留まる浮き草のように滞留している。
「できるならしてるよ」
僕には愛想笑いを浮かべるだけで精一杯だった。
その日の帰り道は気分を変えたくて、いつもとは違う道で帰ってみた。
そうするとすぐに、見慣れない白い塔が建てられていることに気がついた。妙に生白くて流線型の形をしたその建物は、一戸建てやマンションなどの周囲の建物とは明らかに調和していない。
「あ、冴木君が言ってたやつか」
確か、新しいコンクリートがどうとか言っていたっけ。じゃあこれもみんなが知っているけど僕だけが知らないことなんだ。
不意に見せられるくらいなら、沈んだ気分でもいつもの道を帰ればよかった。
2
ある日の晩のこと。
父さんと母さんの家族三人で夕食を終えたあと、父さんが僕に何度目かわからない話を始めた。
「スナ、お前のことが心配だから言ってるんだ」
三人が囲む食卓の上には薄紅色の錠剤が一粒、水の入ったコップとともに置かれている。
僕の植え替わりについて家族で話をするタイミングはいつも決まっている。家族の誰かが、実際には父母のどちらかだが、植え替わりの夜を迎える日だ。
「お前が産まれた時、植え替わりができていないことを知ってもどうすることもできなかったんだ」
「わかってる、何回も聞いたってそれは」
「でも今は、投薬治療を続ければ少しずつでも回復の見込みがある。医師もそう言っていたのはお前も聞いただろう?」
そう言って父さんは、机上の錠剤を僕の方へ押しやった。
「誘発剤はちゃんと処方してもらった。苦しいかもしれないが、飲んでみてほしい」
薬を勧める親と、それを嫌がる息子。はたから見ればおかしな光景だといつも思う。
「わかったよ」
本当はわかってない。いつものやり取りが繰り返されているだけだった。
父さんは僕の返事を聞くと自室に戻っていった。安静にした状態で一晩眠れば、明日の朝には植え替わりが終わっているだろう。
僕も自分の部屋に戻ろうとすると「スナ、少しいいかな」と母さんに呼び止められた。
普段は物静かな母さんが、この時は珍しく僕に座るように指し示した。
「なに?」
「オーグは荒涼とした砂漠が広がっていて、年中砂嵐が吹いている星なの。そんな場所で、私たちはどうやって生きていると思う?」
何を聞かれるのかと訝しんでいた僕に、学校の授業で習う、子供でも知っているようなことを母さんは聞いてきた。
「ドームを作ってその中で暮らしてる」
「そうだね。そうして私たちはオーグで忍耐力を身につけるの。それから、アルパには何があると思う?」
これも学校で習う。というか、オーグとアルパでの生活については必ずセットで学ぶものだ。
「森林資源も水資源も豊富であり、人々は樹上に構築したツリーハウスで生活しています。人々はアルパでストレスを和らげる術を身につけるのです」
僕がわざと教科書に書いてある通りの文章で答えると、母さんはふっと微笑んで、僕の目を見ながらもう一つ質問をしてきた。
「じゃあ、砂嵐に耐えるドームの中で、あるいは自然豊かな木の上で、お父さんとお母さんは何をして暮らしていると思う?」
この質問の答えは教科書に載っていない。
「知らないよ」
「スナの心配をしているんだよ」
母さんは不意に立ち上がり、父さんが眠る寝室へと入っていく。しばらくして、一枚の古い写真を持って戻ってきた。
写真には若い夫婦が写っていた。女性が大きなおなかを撫でるようにしているのが印象的だ。
「私たちの若い時の写真だよ。スナがもうすぐ産まれる頃かな」
母さんは僕に、写真についての思い出を話してくれた。
出産前の最後のチャンスで行った旅行で、海沿いのベンチに座って、写真を撮った直後に水鳥がお父さんの肩に留まってびっくりして、そんな時におなかの中のスナが動いて二人で笑って。そんな話だった。
なんの話だろうと僕が思い始めたとき、母さんは写真を見ながら呟いた。
「スナが植え替わりできない、したくないのであれば、仕方がないことだと思う」
細い糸を紡ぐように、母さんは話し続けた。
「私たちは必ず植え替わりをする。見た目は同じでも、スナはその度に違う私たちと出会うことになる。でも、スナのことを心配している気持ちは、オーグにいても、アルパにいても変わらないの」
僕は黙って母の言葉を聞いていた。
「スナはずっと同じ場所にいるけれど、あなたの周りはそうじゃない。どんなに親しい人でも、一年経てば違う星に住んでいた違う人に変わってしまうように思えるかもしれない。でもそれはあなたのことを忘れているわけじゃない。私たちはどこにいてもスナのことを考えているの。そのことだけは忘れないでほしい」
僕も母さんも黙り込み、時計の針だけが音を響かせていた。
「この薬は飲まなくてもいいから、今日はもう寝よう。明日の朝はお父さんを迎えなきゃ」
「母さん」
立ち上がった母を、今度は僕が引き留めた。
「なに?」
「生まれ変わるじゃなくて、どうして植え替わるって言うのか知ってる?」
「確か……何もない宇宙に放り出されないようしっかりとした根が張れるように、だったかな」
「ありがと、学校では習わなかったよ。おやすみ」
父さんも母さんも寝静まった頃、僕は一人で暗いリビングに戻ってきた。テーブルの上には、錠剤とコップがまだ置かれたままになっていた。
二人ともが自分のことを心配して案じてくれているのだとわかってる。できれば、その心配を解消してあげたいとも思う。
だから僕は、ぬるくなった水を一口飲んでから、薄紅色の錠剤を一粒口に放り込んだ。もう一度水を飲んで勢いで飲み下す。これで何もかも良くなるのじゃないかと淡い期待を抱きながら。
深夜、僕は強烈な吐き気を催して一晩中トイレに籠る羽目になった。薬の効果なんて到底ありそうにない。
翌朝、父さんは少し疲れた顔で寝室から出てきた。母さんは朗らかな声でおかえり、と父さんを迎えた。僕の方がよっぽどひどい顔をしていたと思うが、そのことに気付かないくらい父さんは慌てている様子だった。
「お母さん、ちょっと……」
そう言って二人は書斎で何かを相談し合っていた。何の話か、教えてはくれなかった。
3
学校に登校すると、同級生のみんなはまず再会の挨拶から始めるはずなのに。
隣の席の冴木君が「お前次いつ?」と言って椅子に座ると、一つ後ろの席で前髪をねじっていた折村君が「実は今週末なんだよ」と返事をしている。
前の席の科内さんが「大丈夫?」と不安そうに言うと、後ろに座る船井さんが青白い顔で小さく震えている。
「おかえり」と「ただいま」で満たされるはずの教室に、この日は「どうしよう」や「気を付けてね」など何かを心配する声がうず巻いていた。中には「やっぱり」や「時間の問題だと思ってたよ」と何かの予想を立てていたらしい人もいた。
「どうしたの?」
冴木君に尋ねると一瞬だけ、またかよ、みたいな顔をされた。
「アルパで内戦があったんだってよ」
「えっ!」
「ホームルーム始めるぞ、席着け!」
どうして、と聞こうとした僕の声は、いつもより大きい洗井先生の声にかき消された。いつもとは異なる先生の様子に、クラスのみんなが少し緊張した様子で席に戻っていく。
「急で悪いが、これから植え替わりをする人の名簿を作る。紙を配るから必要事項を書いて返却してくれ」
配られた紙を見てみると、自分の名前と誕生日、すなわち、惑星アルパから植え替わってくる日付を書かせる紙だった。
紙の目的を知った途端、一気に教室が騒がしくなる。
「みんな、惑星アルパの情勢が不安定だという報道は知っているな」
知らない、とは言えない雰囲気だった。
「生死に関わる状況ではないし、今は沈静化しているとも聞いている。だが、穏やかな状態ではないだろうし、精神的なショックを抱えた状態で植え替わりしてきた人もいると思う。家族が心配な人もいると思うから、もし不安なことがあったら配った紙に書いてほしい」
先生はその後も説明を続けていたが、正直、僕にはなんのことか今一つよくわかっていなかった。
僕の中にある惑星アルパは、自然豊かで、人々は心穏やかに暮らしていて、ストレスを和らげる術を身につけられる場所だ。そんな世界のどこに争いの火種が存在し得るのか、反発するような余地が人と人の間のどこに産まれるのか、見当もつかなかったんだ。
もやもやとした気持ちのまま学校から帰っていると、いつかの下校中に見た生白い流線型の建物が目に入った。あの時は近くの建物と馴染まなさすぎて悪目立ちしていたが、今ではすっかり風景に溶け込んでいた。
溶け込んでいたんだ。そのことに気が付いたとき、僕は跳ねるように周りを見回した。
向かいのマンションも、通りに面したオフィスビルも、さらに遠くに聳える電波塔のような建造物も、どれもが一様に白くて流線型をしていた。
周りの風景はいつの間にか様変わりしていた。ついに目に見えるくらい大きな変化を伴って、世界が僕を置いていこうとしていることにこの時初めて気が付いた。
「ただいま」
「スナ!」
陰鬱とした気分のまま家に着くと、見るからに不安げな顔をした父さんに出迎えられた。
「アルパのことは聞いたか?」
「学校で先生が言ってたよ。心配するほどでもないって感じだったけど」
「それは植え替わりをしている人の話だ。スナにとっては違う、もっと大事な話だ」
父さんはそう言って、青白い錠剤を二錠、僕に手渡した。
「……前の薬は、効かなかったよ」
「すまん、知っている。ありがとう、飲んでくれて」
「で、この薬は?」
「アルパの一件で植え替わりに不安を覚えた人向けに処方されている。少し効き目が強いらしいが、三つの惑星を一瞬だけ巡る誘発剤だ。これで植え替わりの安定化を図る」
タチヨミ版はここまでとなります。
2024年11月4日 発行 初版
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