spine
jacket

───────────────────────



時空警察 特別編

海田陽介

新想社



───────────────────────




  この本はタチヨミ版です。

時空警察


※この物語はフィクションです。実在する人物・団体・出来事などとは一切関係ありません。

 プロローグ


 我々は一度確定した過去は不変であると経験から信じているが、実はそうではない。変らないと思っている過去は常に変化している―――そう、この瞬間においても。
 では、何故そのことに我々は気が付くことができないのか? それは過去が書き換えられた瞬間に、我々の記憶も上書きされてしまうことになるからだ。このため、我々は今このときに過去が書き換えられたとしても、そのことを知覚することはできないのだ。とはいえ、一部例外も存在する。その例外とは―――。

     第一章 時間発生

        1

 時間管理局は、四次元時空の外側に設けられている。その理由は、意図的な時間改変を察知することができるようにするためだ。通常の四次元時空、即ち、通常空間にいた場合、過去はそれが書き換えられた瞬間に、その後の全ての時間の流れが改変されてしまうことになるからだ。なお、これは過去の事象だけでなく、人々の記憶にも及ぶことになる。つまり、四次元時空にいた場合、ひとは過去が改変されたことを認識することができないのだ。
 こうした事態を回避するため、時間管理局は、時間の流れの影響を受けない、四次元時空の外側に設けられた―――そう、高橋亮は管理局で研修を受けた際、というより、脳内コンピューターから得た情報によって学習している。
 高橋亮は、黒髪を眉にかからないくらいの長さに切り揃えている。どこか眠たそうな顔つきをしているものの、顔立ちはまずまず整っている部類に入るだろう。中肉中背で、今年二十九歳になる。時間管理局にスカウトされる前までは、高校で国語の教師をしていた。
 高橋亮が時間管理局の人間にスカウトされることになったのは、とあることが切っ掛けだった。彼が電車に乗ろうと駅のホームで電車を待っていると、ひとりの若い女性が誰かとぶつかったのか、バランスを崩し、駅のホームに転落してしまいそうになったのだ。そして運悪くまさにこのとき、待っていた電車が駅のホームに滑り込んできた。
 その光景を見ていた亮は反射的に身体が動いてしまっていた。気が付くと、亮は女性を救おうとして、彼女の身体に向かって手を伸ばしていたのだ。
 だが、しかし、結果的に、伸ばした亮の手が女性の身体に届くことはなかった。無念にも、亮は女性を死なせてしまうことになった。ばかりか、女性を救おうとした自分までも電車に轢かれて死んでしまうことなった───そのはずであった。
 ところが、実際はそうはならなかったのである。気が付くと、一体どういうわけか、亮は全てのひとが静止している空間のなか―――駅のホームに立っていたのだ。亮が死なせてしまったと思った女性は、安全な場所―――駅のホームのずっと後ろ側の位置に移動させられていた。更に言えば、彼女も他のひとたち同様完全に動きを停止していた。
 亮が一体何が起こったのかと戸惑っていると、いつの間にか亮の前には、ひとりの美しい女性が立っていた。金髪碧眼で、年齢は二十代後半から、三十代前半くらいに見えた。綺麗な二重の瞳のなかは優しそうな光と、意思の強そうな光が同時に宿っていた。彼女は何か金属質な青色のアーマーのようなものを身につけていた。
 亮が驚きに目を見開きながら、突然現れた女性の顔を凝視していると、
 あなたの自己犠牲の精神に感激した、と、女性は語った。その後、女性は自分の名前をミカエラ・スミスと名乗った。更に彼女は亮にとってあり得ない台詞を口にした。
 というのも、自分は時間管理局に勤める、所謂タイムパトロール員だと語ったのだ。亮が救おうとしていた女性は、本来この時間では死ぬはずのない人間であり、従って、自分は彼女が死んでしまったという事実を改変するためにこの時間にやってきたのだが、そこで偶然、彼女は亮の自分の犠牲を顧みない勇気ある行動を目にすることになり、すっかり感激してしまったのだ、と、続けた。ついては、自分と同じ機関で働いてみないか、と。
 当然、亮はこのミカエラの突然の申し出に困惑と驚きの両方を感じることになった。というより、亮にしてみれば、彼女の頭は完全にいかれてしまっているとしか思えなかった。亮にしてみれば、時間管理局などといった存在は、漫画や映画だけの存在でしかない。
 しかし、一方で、今信じられない現象―――現代科学では説明のつかないことが起こっていることもまた確かであった。何しろ周囲に存在しているあらゆる全ての人間が活動を停止しているのだ。それどころか、電車も動いている状態で止まっている。それはまるで動いている電車をカメラで撮影したかのようだった。これは常識的に考えてあり得ないことである───となると、ミカエラの言っていることはいよいよ本当のことなのかもしれない、と、亮が認識を改めはじめたとき、ミカエラは次のように説明した。
 亮が暮らしている世界の人々は、時間は過去から前へ向かって流れていくものだと認識しているが、実はそれは誤りである、と。実は過去も現在も未来も同時に存在しており、つまり、現在という時間が存在している時点で、亮から見て未来と思える世界も既に存在しているのだ、と。わたし自身はべつに未来からやってきた人間というわけではないが、しかし、自分が所属している機関は、未来人が創設した機関であり、我々は主に本来の時間の流れを守るための活動をしているのだ、と。
 更にミカエラは続けた。
 今亮が目にしている静止した世界は、これ以上は分割できない時間───最小単位の時間を人為的に引き延ばした空間であり、この空間のなかで活動できるのは、装置を起動させた者と、その者が許可を与えたものに限られることになる、と。
「……じゃ、じゃあ、きみは、本当に時間管理局の人間、タイムパトロール員なのか?」
 亮は次第にミカエラの言葉を信じはじめていた。というより、彼女の言ったことが本当ことでなければ、今現在進行形で自分が体験していることに上手く説明がつけられない。
「あなたが混乱するのも無理はないけど、でも、本当のことよ」
 ミカエラは少し申し訳なさそうに肩をすくめてみせた。そうして彼女は一拍間を空けてから続ける。
「で、どうする? 仕事を受ける? もちろん、これは強制じゃないわ。けど、なかなかやりがいのある仕事であることはわたしが保証するわ。それなりに危険も伴うことになるけど」
 亮はミカエラの提案に魅惑を感じないわけではなかった。正直、今の教師という職業はどうしてもやりたくやっているわけではなかった。本当は小説家になりたかったのだが、しかし、現実的に難しかったので、教師になる道を選んだだけのことである。べつに今の職業に特別不満を感じているわけではないが、しかし、かといってものすごく熱情を持って取り組んでいるわけでもなかった。
 つまり、教師という職業に特別未練はない。何より、タイムトラベルできるということは、自分が気になっている過去へ行ける───現時点でそれができると約束されているわけではないが、しかし、少なくともその可能性はあるということだ。
 亮はミカエラの提案を受けてみようかと思った。しかし、一方で恐れも存在した。それは何かというと、仕事をはじめてみてやっぱり辞めたいと思ったときに、そう簡単には辞められない、何らかの危険が伴うことになるのでないかという懸念だった。よく映画などでは、秘密を知った者は、殺されるといったような展開がある。そういったことになるのではないかと亮は不安だったのだ。
 亮が頭のなかでそんなことを案じていると、ミカエラは亮の思想を読み取ったのか、
「もちろん、合わなかったら辞めることも可能よ。仕事を続けるのも、続けないのも、完全にあなたの自由よ」
 ミカエラは付け加えて言った。
「でも、仕事を辞めるって言ったら、殺されたりするんじゃないのか? 機密情報保持の観点から」
 亮が心配になって尋ねてみると、ミカエラは亮の懸念を一笑に付した。
「あなた、ちょっと映画とかの見過ぎなんじゃない? 今どきそんなことあるわけないでしょ? もちろん、機密保持のために記憶は消されることになるけど、でも、べつに殺されたりするようなことはないわ」
「───なら。やる。やるよ。やらせてくれ」
 気が付くと、亮はミカエラに向かって頭を下げていた。

        2

 亮がタイムパトロール員になることを承諾すると、ミカエラは、じゃあ、あとのことはこちら側で上手く処理しておくわと告げた。
 気になった亮が上手くやるとはどういうことなのかと確認すると、ミカエラは、亮は世間的には不慮の事故によって死んだことになると説明された。亮は時間管理局の干渉によって、今日死ぬはずだった人間を救おうとした結果、命を落としてしまったことに世間的にはなり、従って、現在の職業を辞めるための面倒な手続きなどは一切不要になると話した。
「……い、いや、ちょっと待ってくれ」
 ミカエラの説明を聞いた亮は慌てることになった。
「それはいくらなんでも───俺にだって家族や友人はいるんだ。俺が死んだら───死んだということになったら、家族や友人はきっと悲しむことになる」
「でしょうね」
 一方、ミカエラはあっさりと亮の発言を認めた。まるで何でもないことのように。亮がミカエラのある種非情にも感じられる台詞に言葉を失っていると、ミカエラはこう続けた。
「でも、特に問題ないわ。もしあなたが将来的に仕事を辞めたいと思ったときは、あなたは、今のこの瞬間に戻ってきて、人生をリスタートすることができる。あなたがここで死んだという事実は改変され、従って、あなたの両親や友人が悲しむことはない。というか、悲しんだという事実はなかったことになる。だから、問題ない。そうでしょ?」
「───な、なるほど───しかし、もっと穏便に済ませられないものなのか?」
 亮はミカエラの説明にある程度納得したものの、しかし、これから自分が死んだことになってしまうということに、やはり受け入れ難いものを感じることになった。できることなら、友人や、家族を悲しませたくはない。最終的にはその事実をなかったことにすることができるのだとしても。
「残念ながら、これは規則なの。タイムパトロール員になるための。タイムパトロール員になる人間は、世間的には存在しない人間になる。よって、これは受け入れてもらうしかないわ。もし、どうしても嫌だというなら、タイムパトロール員になることを断ればいい。最初に言ったように、これは強制じゃない」
 ミカエラは渋る亮に対して淡々とした口調で通告した。
「……わかったよ。それでいい」
 亮はたっぷり逡巡したあと、条件を受け入れることをミカエラに伝えた。亮としては、家族や友人を悲しませたくはなかったが、しかし、今はタイムパトロール員という職業に抗い難い魅力を感じていた。それにいざとなれば、自分の死をなかったことにすることができるということなのだ───だったら、この際条件を受け入れてもいいのではないか。もし、タイムパトロールという職業が自分の思っていたようなものでなかった場合は、いくらでもやり直しがきくという話なのだから。亮は、本当にそれでいいのか、と、執拗に自分に対して問いかけて来るもう一人の自分に対して言い聞かせた。

    3

「じゃあ、これで契約成立ね」
 亮が条件を呑むことを伝えると、ミカエラはにっこりと笑って、亮に対し片手を差し出してきた。
 亮は若干後悔の念を感じらながら───本当にこれで良かったのだろうか、自分の選択は正しかったのだろうかというような迷いを感じながらも、差し出されたミカエラの手を握り返すことになった。
 ミカエラは亮と握手を交わしたあと、腕首につけていた何かスマートウォッチのようなもののボタンを指先で軽く操作した。
 すると、驚くべきことに、それまで何も存在していなかった低空に、突如として、銀色の円盤型の飛行物体が出現した。大きさとしては、一般的な乗用車を横にふたつ並べたくらいのものだった。縦の長さもやはり同様である。それが亮から見て二十メートルほどの低空に浮遊していた。なお、エンジン音の類は全く聞こえなかった。完全に無音で宙に浮かんでいる。
「ユ、ユウエフオウ?」
 亮は上空に急に姿を現した物体に目を剥くことになった。無論、亮が人生においてUFOを目にしたのは、これがはじめてのことである。
「みんな最初はそう言うのよね。というか、最初見たときわたしもそう言ったけど」
 一方、ミカエラは驚いている亮の顔を一瞥すると、自嘲混じりに答えた。
「あれはわたしたちが時間移動に利用している四次元時空移動機よ。略して移動機。タイムマシンとも呼ぶわね」
 ミカエラは微笑して続けた。
「じゃ、じゃあ、たまに目撃談のあるUFOは、全部ミカエラたち───時間管理局員が乗った移動機なのか?」
 亮が驚きに刮目しながら確認すると、
「多分、ほとんどはそうでしょうね」
 と、ミカエラは認めた。
 一方、亮はミカエラの台詞に疑念を抱くことになった。というのも、ミカエラは、亮の問いを全面的に肯定したわけではなかったからだ。
「ほとんど?」
 亮が気になって追及すると、ミカエラは軽く肩をすくめてみせた。
「つまり、わたしたちにもわからない、正体不明のものが存在しているっていうことよ」
 と、答えた。
「じゃあ、それは地球外知的生命体の乗り物なのか?」
 亮が好奇心に駆られて問を重ねると、
「その可能性もあるわね」
 と、ミカエラは、亮の問いに対して、どちらかという面倒くさそうな口調で答えた。
「もっとも、わたしたちも実際に地球外知的生命体を目にしたことはないんだけど」
 と、付け加えて言った。
「ないのか?」
 一方、亮はミカエラの台詞を意外に感じることになった。というのも、たとえミカエラが未来出身の人間ではなかったとしても、未来人から技術提供を受けているのであれば、当然ミカエラたち時間管理局の人間は、大抵のことは知っている───現在謎とされているもののほとんどのことは、解明済みなのだと亮は思ったからだ。しかし、実際はどうもそうではない様子である。
「わたしたちも何かかもわかっているわけじゃないのよ」
 ミカエラは亮の問いかけに対して、若干不機嫌そうな顔つきになって答えると、
「質疑応答はこれくらいにして、そろそろいくわよ」
 と、ミカエラは宣言した。
 と、そうミカエラが宣言した瞬間、亮は自分の身体が宙に向かって浮かび上がりはじめるのを自覚することになった。思わず、悲鳴のような情けない声が漏れてしまう。亮がミカエラに視線を向けてみると、彼女の身体も亮と同様に宙に浮かび上がりはじめていた。
「慌てなくもていいわ。今、移動機の召喚システムを起動させたの」
 ミカエラが亮の慌てぶりに見かねた様子で声をかけてきた。
 ミカエラの指摘を受けて、亮が宙に浮遊している円盤型飛行物体の方へ視線を向けてみると、その底部から青白い光線が自分たちの方へ向かって照射されているのが確認できた。恐らく、反重力装置のようなものが使われているのだろう、と、亮は納得することになった。

       4

 程なくすると、亮の目前にUFOのような形状をした飛行物体の底部が迫ってきた。なお、飛行物体の底部は閉じられたままである。というより、どこにも入り口らしものは見当たらない。このままでは機体とぶつかって怪我をしてしまうことになる、と、亮は慌てることになった。しかし、その必要はなかった。
 というのも、亮の身体は機体底部をすり抜けてしまうことになったからだ。なお、この際、亮はまるでやわらかいゼリー状の物質のなかを通り抜けていくような感覚を感じることになった。
 そうして気が付くと、亮は半球形をした乗り物の内部にいた。理屈はよくわからないものの、自分の全身を包んでいる青白い光が、物質を通り抜けることを可能にしたようだった。さすがは未来のテクノロジー、と、亮は内心で感心することになった。
 ちなみに、入り込んだ機体内部の空間は簡素な造りになっていた。ともすれば殺風景にも感じられるほどに。壁は鋼鉄製と思われる銀色の素材がむき出しになっており、そこには各種電気ケーブルのようなものが張り巡らされている。贔屓目に見れば、敢えて無骨さを演出した、硬派なデザインであるといえなくもないかもしれない。
 ところで、操縦席は、通常の乗り物とは違い、機体前方ではなく、中央部に存在していた。これはUFOのような形状をした乗り物にとって前後という概念が存在しないからなのかもしれなかった。操縦席には巨大な、ホログラムによって形成されたモニターがあり、そこには機体の外側の空間が映し出されていた。
 亮が物珍しく感じながら機体内部の様子を見回していると、
「早速出発するわよ。適当に空いている席に腰かけて」
 背後の空間からミカエラが亮に対し声をかけてきた。
 亮が背後の空間を顧みると、ミカエラは亮の脇を通り抜けて、操縦席に腰を下ろした。なお、操縦席は白い革張りのもので、未来的であるというよりも、古風でエレガントな造りになっていた。機体を操縦するためのコンソールは、車の運転席を未来的に進化させたような具合に見える。ハンドルらしきものの周辺には、亮には用途不明の各種ボタンが赤や青や黄色といった色とりどりの光を放ちながら存在していた。
 亮は取り敢えずといった感じで、ミカエラの隣の位置に存在していた助手席―――と呼ぶのかどうか、亮は知らないのだが、とにかく、そこへ腰を下ろした。ちなみに、腰を下ろした椅子の座り心地は悪くはなかった。身体にぴったりに吸い付いてくるような感じがある。というか、実際にそうなのかもしれない。
「行くって、どこへ行くんだ?」
 亮は、自分の隣で各種計器類の設定をしているらしいミカエラの横顔へ視線を向けると、尋ねてみた。亮はなんとなくの流れでミカエラについてきたのだが、これからどこへ行くのかについてはまだ何も説明を受けていなかった。
 一方、ミカエラは少しギョツとしたような顔つきで亮の顔を見てきた。それから、
「どこって決まっているでしょう?」
 と、軽く唇を尖らせて答えた。
「時間管理局本部に決まっているじゃない。あなたにはそこでタイムパトロール員になるための講習を受けてもらうことになるわ。それから所長や他のメンバーにも紹介しなきゃならないしね」
 ミカエラは続けて言った。ああ忙しいといったような口調で。
「というか、ミカエラさんが勝手に決めちゃっていいのか? 俺をタイムパトロール員として迎えるって。そういうのって、普通所長とかが俺を面接してから決めるものなんじゃないのか?」
 亮はミカエラが他のメンバーに合わせると言い出したので、急に心配になってきた。ミカエラの一存で自分のことをタイムパトロール一員に加えられるものなのだろうか、と。
「大丈夫よ。心配しないで。こう見えてもわたし所長には信頼されているの。そしてタイムパトロール員として有望そうな人材がいたら、どんどん連れて来いって言われているの。更に付け加えて言うと、最近ひとり隊員が辞めちゃって人手が足りなくなってたところだから、万が一にも所長があなたのことを拒否することはないと思うわ。というか」
 そこまで語ったところで、ミカエラはまじまじと亮の顔を見つめてきた。それから、
「あなたの名前をまだ聞いていなかったわね。あなたの名前はなんていうの?」
 と、ミカエラは改まった口調で尋ねてきた。
 一方、亮はミカエラの問いを聞いた瞬間、前につんのめりそうになってしまった。自分の職場に迎えようとする人間の名前すら彼女は調べていなかったのか、と。亮としては、てっきりミカエラは自分のことを、未来の技術を使って既に徹底的に調べ上げているものだとばかり思っていたのだが。しかし、実際は全くそうではないらしい。案外、ミカエラという人物はしっかりしているようで、そうでもないのかもしれない。亮はミカエラの適当さが心配になる一方で、同時に親しみのようなものも覚えることになった。
「俺の名前は亮だよ。高橋亮だ」
 亮は自分の名前を名乗った。
 一方、ミカエラは、
「なるほど。高橋亮ね」
 と、少し小さな声で亮の名前を復唱すると、
「じゃあ、これからあなたのことは亮って呼ぶことにするわ」
 と、一方的に宣言してきた。それから、
「わたしのことはミカエラって呼んでくれていいわ」
 と、付け加えて言った。
 その後、ミカエラは移動機を発進させたらしく、機体に僅かに振動が走り、かと思うと、亮の正面に存在するモニターには、青白く輝く超空間らしきものが映し出されていた。


        5

「今、モニターに映し出されている青白い空間は、所謂超空間、亜空間ってやつなのか?」
 亮は四次元時空移動機が動き出してしばらくすると、好奇心から尋ねてみた。
「そうよ」
 と、ミカエラは亮の問いを肯定したあと、一拍間を空けてから、
「というか、なんでそんなことを亮が知っているの?」
 と、純粋に不思議に思っている口調で尋ねてきた。
「いや、知っているというか、漫画なんかでよくそういう設定が出てくるから、そういうものなのかなって思っただけのことさ」
「───なるほど。さすがは漫画大国、日本ね」
 ミカエラは亮の発言に感心した様子で頷いた。
「というか、今更なんだけど、ミカエラはどこの国のひとなんだ? 日本人ってわけではなさそうだけど」
 ミカエラがあまりにも流暢な日本語を話すので、これまで意識していなかったが、ここへきてふと亮は疑問に思うことになった。彼女の外見は明らかに日本人とは異なっている。もっとも、最近は国際結婚も進んでいるので、外見からはなかなか見極めがつかないのだが。
「わたしの国籍はアメリカよ」
 ミカエラは簡単に答えた。
「その割にはすごく日本語が上手だな。というか、ほとんどネイティブと変わらないよ。相当努力したんだろうな。あるはもともと語学の才能があったとか?」
 亮が感心の目を向けると、
「わたしってなかなか優秀でしょう?」
 と、ミカエラは得意そうな口調で答えたあと、吹き出すようにして軽く笑った。それから、
「嘘よ」
 と、ミカエラは舌を出して告白した。
「種明かしをすると、わたしが今日本語を上手く話せているのは、全部機械のおかげよ」
 と、説明をはじめた。
「脳内にコンピューターを埋め込んでいるの。このおかげで世界中の言語を操れるの。もちろん、古代の言葉もね」
「なるほど───って、脳にコンピューターを埋め込むなんてかなり痛そうだな」
 亮はミカエラの説明に納得したあと、顔をしかめることになった。亮がイメージしたのは、頭を切開して、脳に直接金属片のようなものを埋め込んでいるところだった。すると、
「今、頭を切り開いて、機械を埋め込んでいるところを想像したでしょ?」
 ミカエラは口元に愉快そうな笑みを閃かせながら、亮に向かって指摘してきた。
「な、なんでわかったんだ?」
 ミカエラの指摘はまさに図星だったので、亮は思わず顔を強張らせることになった。すると、ミカエラはそんな亮の表情が可笑しかったらしく、楽しそうな笑い声をあげた。それから、
「心配しなくてもいいわ」
 と、ミカエラは亮の問いには答えず、というより、答える必要を感じなかったらしく、代わりにべつのことを口にした。
「未来の技術はもっと進んでいるから。つまり。口から取り込むことができるのよ」
「口から取り込む?」
 亮はミカエラが口にした言葉がよく理解できなかったので、眉をしかめることになった。
「要するに、薬を飲むようにして摂取するのよ」
 と、ミカエラは解説をはじめた。
「脳内コンピューターは、ミクロサイズのもので、それはカプセル薬みたいな容器に収められているの。そしてそれを飲み込むと、胃の中で容器が自然に溶けて、容器のなかに入っていた脳内コンピューターは血流に乗って、自動的に脳内に辿り着き、そこで脳と融合を果たすというわけ」
「もしそれが本当のことだとすれば、ものすごい技術だな」
 亮は、血流に乗って自分の脳に辿り着いた四角い形をしたロボットが、その両脇から小型の腕を出して、自分の脳を切開している様子を思い浮かべていた。
「さすがは未来人の技術よね」
 ミカエラは亮の台詞にどこか他人事のような感じで相槌を打つと、
「あと、ついでに補足しておくと」
 と、何か思い出したらしく付け加えて言った。
「脳内コンピューターと同じ要領で、わたしたち時間管理局員はみんなナノ型医療ロボットを体内に取り込んでいるの。このロボットのおかげで、わたしたちは病気になることはないし、任務中に万が一怪我をしたとしても、大抵の怪我は瞬時に治せるようになっているの」
「それは現代人からすると、ほとんど魔法だな」
 亮はミカエラの説明に感心を通り越してもはや呆れに近い感情を抱くことになった。
「とはいえ、さすがに不死の存在になることはできないんだけどね」
 と、ミカエラはおどけた口調で答えると、
「そろそろ見えてきたわよ」
 と、急に宣言した。
 一体何が見えてきたというのだろうと思い、亮がミカエラの横顔からディスプレイに視線を転じてみると、そこには巨大な建物が青白く輝く超空間のなかに浮かんでいた。それは白亜のドーム型の構造物で、その白亜のドームは透明な球形の覆いのようなもののなかに収まっていた。まるでスノードームみたいに。
「あれが時間管理局本部───そしてあなたの勤務地になるところよ」
 亮がディスプレイに表示された巨大な建物に目を奪われていると、ミカエラが振り向いて言った。

      6

 ミカエラは自分たちが乗ってきた四次元時空移動機を時間管理局本部のなかにある巨大な格納庫に停めた。亮は移動機から降りる際も例によって光に包まれながら降りることになり、特に出入り口というものを使用することはなかった。
 亮が気になってこの移動機というものには、出入り口というものは存在していないのかとミカエラに確認してみると、彼女は一応あることはあるが、しかし、それはあくまでも緊急事態用のものであり、普段は使用していないのだと返答した。
 ちなみに、ふたりが降り立った格納庫には、他にも数台の円盤型の乗り物が停められていた。亮が見た限り、それらの移動機は大きさも大小様々で、また形状にも多少の違いがあるようだった。あるいは用途によって使分けていたりするのかもしれない。
 ミカエラは亮を先導する形で歩きはじめた。ミカエラは亮に対してまず所長に会ってもらうと告げた。
 亮はミカエラのあとに続いて歩きながら、少し緊張してしまうことになった。ついついその所長が怖いひとだったら嫌だなとかそういうことを考えてしまうことになるのだ。まあ、そのときはタイムパトロール員になることを止めればいいだけのことだ、と、亮は変に萎縮してしまう自分自身に対して言い聞かせた。もともと自分はどうしてもタイムパトロール員になりたかったわけでもない。もし所長が変に圧をかけてくるような人物だった場合は、すぐに踵を返してもとの世界へ帰ればいいだけのことだ。ミカエラもタイムパトロール員になることはべつに強制じゃないと話していた。
 その後、亮はSF映画とかに出てきそうな青みがかった鋼鉄製と思われる長い廊下を歩き、エレベーターに乗り、やがてひとつのドアの前に立った。それは廊下を形成しているのと同じ青みがかった鋼鉄製と思われるドアで、両開きになっていた。ドアの右隅にインターホンらしき装置があり、ミカエラがその装置に近づいて何か声をかけると、亮から見て正面に存在していた両開きのドアが自動的に左右に開いた。
 亮が反射的に部屋のなかへ目を向けてみると、部屋の奥に、窓を背にする形で大きな木製の机が置かれており、その机の背後に所長と思しき人物が腰かけていた。それは黒人の男で、亮が思わず回れ右をしてしまいたくなるほどの強面をしていた。恐らく、年齢は四十代後半から、五十代前半といったところだろう。黒人の男は、ミカエラが現在身に着けている青色の戦闘服をもう少しゴージャスにしたようなものを着用していた。日ごろから鍛えているのか、そのスーツ越しにも彼が筋肉粒々とした逞しい身体つきをしているのが確認できた。
「所長、任務地で偶然、タイムパトロール員として適正のある人物を見つけたので、連れてきました」
 ミカエラは部屋の出入り口付近に立って軽く敬礼したのち、奥に腰かけている所長らしき黒人の男に対して短く報告した。
 報告を受けた黒人の男は鷹揚な感じで一度頷くと、
「入りたまえ」
 と、短く告げた。
 亮はミカエラに誘われる形で部屋のなかへと入っていき、所長がいる机の前に立った。
 黒人の強面の男はじろじろと亮の顔を見た。ほとんど睨みつけるようにして。その様子に亮が思わずたじろぐ───ともすれば身の危険すら感じていると、
「冗談だ」
 と、黒人の男は相好を崩して立ち上がると、亮に対して握手を求めてきた。ちなみに、黒人の男は亮よりも遥かに背が高く、百八十五センチ(ちなみに、亮の身長は百七十六センチである)を超えていそうだった。
 亮がおずおずといった感じで黒人の手を握り返すと、
「わたしの名前はマシューだ。マシュー・ブラウン」
 と、黒人の男は名前を名乗った。
 亮が彼に続いて簡単に自己紹介をすると、
「すると、きみは日本人なのか?」
 と、興味を惹かれた様子で尋ねてきた。
「日本には何度かいったことがある。日本で食べた寿司は素晴らしかった」
「そ、それは良かったです」
 亮はマシューの問いにややぎこちない笑顔で答えた。
「ちなみに、日本では何の仕事をしていたんだ? やはり警察関係の仕事を? それとも軍関係かね?」
 マシューは亮に興味を覚えたらしく、質問を重ねてきた。マシューにしてみれば、タイムパトロール員に志願するということは、きっと似たような職業に就いていたのに違いないというような思い込みがあるのだろう。
「い、いえ、日本では国語の教師をしています」
 亮は正直なところを答えた。すると、
「していた、でしょ?」
 亮の発言に、ミカエラがすかさず突っ込みをいれてきた。
 亮が振り向いてミカエラの顔を見やると、
「あなたはもうタイムパトロール員になったんだから」
 ミカエラはどこか憤慨したような表情を浮かべて続けた。
「いや、俺はまだ面接に受かったわけじゃ―――」
 と、亮はミカエラの言葉に反論しかけたのだが、しかし、その亮の言葉に被せるようにして、
「いや、きみはもうタイムパトロール員の一員だ」
 マシューが亮にとって予想外ともいえる台詞を口にした。
「―――し、しかし、そんな簡単に採用してしまっていいんでしょうか?」
 亮は戸惑って確認してみた。亮の経験上、面接というものは、もっと色々質問したりするものであるはずだ。何故この仕事を志望したのだとか、仕事についたら、どういった活動がしたいのだとか、そういったこと―――しかし、マシューと名乗った男性は特に何も自分に質問らしい質問をしていない。きみは日本人なのかという感想めいた問いと、ごく簡単な質問をしただけである。それだけでは、亮という人間が一体どういった人物なのか、何もわからないだろう。それで自分をタイムパトロール員として採用してしまっていいのかと逆に亮の方が心配になってしまうくらいであった。
「構わんよ」
 と、一方、マシューは亮の問いを簡単に肯定してみせた。
「というか、ミカエラがきみをタイムパトロール員に迎えたいと言うことは、即ち、きみにはその適正があるということだ。わたしはミカエラを全面的に信頼している。そしてそのミカエラがきみのことを信頼しているということは、わたしもきみのことを信頼するということだ」
 マシューは真剣な表情で言葉を重ねた。
「ね? 言ったでしょ? わたしは所長から信頼されているって」
 亮が所長の言葉に半ば唖然としていると、亮の隣に立っているミカエラが少し亮に顔を近づけるようにして、手柄を誇るような口調で言った。
「タイムパトロール員という仕事は、亮、きみがこれまでやってきた仕事とはかなり違いがあるので、きっと戸惑うことも多いだろうが、しかし、時期慣れるだろう」
 亮が展開の速さに上手くリアクションできずにいる一方で、所長は言葉を続けた。
「あと、タイムパトロール員としての待遇や、規則などについては、このあと、脳内コンピューターを取り込むことによってすぐに習得できるので心配はいらない。場合にはよってはすぐにでも活動してもらうことになるかもしれん。ちょうど今厄介な問題が発生したところなのでね」
「所長、厄介な問題って?」
 ミカエラが聞き捨てならない台詞を耳にしたというように所長に向かって確認した。
 すると、マシューは亮の顔からミカエラの顔に視線を転じ、
「うむ。きっとこれも何かの縁なんだろうな。どうも日本の過去のどこかで強い時間波が形成されつつあるんだ。今原因は調査中だ。ミカエラも亮に脳内コンピューターを渡したら、すぐに調査に加わって欲しい」
 と、シリアスな表情で告げた。


        7

 所長との面談を終えると、ミカエラは白を基調とした、まるでアップル社がデザインしたかのような部屋へと亮を案内した。広さは畳に換算して五十畳くらいのものだろう。部屋のなかにはコンピューターらしきものや、その他何に使うものなのかよくわからない装置が多数置かれていた。
 ミカエラはその部屋のなかにある、歯科の椅子をもっと豪華にしたようなデザインの椅子に亮を腰掛けさせた。そして自分自身は部屋の奥にあるもうひとつべつの部屋のなかへ入って行き、しばらくしてから水の入ったグラスと、ビニールラップされた錠剤らしきものを持って戻ってきた。
「それは何だ?」
 亮が思わず警戒して尋ねると、ミカエラは自分が手にしているものにちらりと視線を走らせ、それから、
「これはさっき移動機のなかでわたしが説明していたものよ」
 と、簡単に答えた。何をわかりきったことを訊くの? と言わんばかりの表情で。
「脳内コンピューターと、医療用ロボット―――それが納められたカプセル」
「今からそれを俺に飲めっていうのか?」
 亮は椅子の上で思わず身を引くことになった。
「何をそんなに怖がっているの?」
 一方、ミカエラは怪訝そうな表情を浮かべて逆に亮に尋ねてきた。
「錠剤だから痛くも痒くもないわ。これを飲むと、眠くなって、その寝ているあいだ適合は終わる。何も心配いらないわ」
「―――し、しかし」
 亮としては彼女が持ってきた脳内コンピューターや、医療ロボットが本当に安全なものなのかどうか確信が持てなかったので不安だった。それを安易に飲んでしまった結果、ものすごい副作用が出たり、最悪死んでしまうようなことがあるんじゃないかとどうしても疑ってしまうことになる。
「大丈夫よ。何も心配することなんてないわ。わたしだって飲んでるし、他の隊員だってみんな飲んでるわ。というか、これを飲んでもらわないことには、話がさきに進まないしね」
 ミカエラはどこかうんざりした口調になって言うと、手に持っていた錠剤状の脳内コンピューターと、医療ロボットを亮の手に半ば押し付けるようにして渡してきた。片方の手に持っていた、水の入ったグラスは付近にあったテーブルの上に置く。
「……ほ、本当に大丈夫なんだろうな?」
 亮は今さっきミカエラから押し付けられた錠剤へと目線を落としてみた。亮の手のひらのなかにはビニールラップされた赤と青の錠剤がふたつある。大きさは一般的な錠剤と変らない。こんなもののなかにコンピューターや、ロボットが入っているとは到底信じられなかった。
「だから、大丈夫だって言っているでしょう?」
 ミカエラは呆れた表情を浮かべると、
「つべこべ言ってないで早く飲んで。子供じゃないんだから。所長も言っていたように、すぐに働いてもらわなきゃならなくなるかもしれないし。だから、あまり時間がないのよ。適合には最低でも二、三時間はかかるから」
 と、急かしてきた。
 亮はミカエラの説明にいまひとつ納得がいかないものを感じながらも、ビニールラップを破り、なかに入っていたふたつの錠剤を口のなかへと放り込んだ。それから、もう知るものか、と、半ば破れかぶれになりながら、テーブルの上にあったグラスを手に取り、中に入っていた水で錠剤状のコンピューターとロボットを喉の奥へと流し込んだ。
 一方、その様子を見届けたミカエラは、
「じゃあ、適合が終わった頃にまたここへ来るわ」
 と、口にした。
「またそのときに他のメンバーは紹介するわね」
 と、ミカエラは続けて口にしたのだが、しかし、そのとき、亮は既に猛烈な眠気に襲われはじめていて、正直ミカエラがなんと言ったのか、理解できなかった。そしてそう思っているうちに、早くも亮の意識は漆黒の暗黒のなかに飲み込まれていた。

       8

 時間とは、宇宙とは、実に不思議なものです、と、亮の頭のなか―――墨で何度も重ね塗りしたような黒い空間のなかで女性の声が響いた。
 宇宙が誕生した瞬間に、過去と現在と未来は同時に誕生しました。またそれは時間管理局も例外ではありません。そして我々はこれまで連綿とひとつの時空を正しい形、あるべき姿に保ってきたのです。
 亮は夢のなかでこれは一体なんの夢なのだろう、と、疑問に思った。そして間も無く理解した。先ほど飲み込んだ脳内コンピューターが見せている、ある種の学習テープのようなものなのだろう、と。
 あなたがたは時間を一本の川の流れのようなものだと思っているかもしれませんが、しかし、実はそうではありません。地球が丸いように、時間も球体を成しているのです。我々はこれまでこの球体の全方位を保護してきましたが、しかし、ときの成長と共に、我々だけでは全ての領域をカバーすることが困難になってきました。そこで我々はいくつかの分署のようなものを設けることにしたのです。それが現在あなたたちの所属する時間管理局という存在です。あなたたちには、特定の分野、領域を保護してもらいます。その方法とは―――。
 亮の頭のなかで、厳かな感じのする女性は語り続けた。時間管理局の理念や、行動方針、行動の仕方や、変異時間と、パラレルワールドの存在、その他の諸々。
 やがて、亮は強制された眠りから目覚めることになった。目覚めると、ひどい頭痛がした。きっとさっきの変な催眠学習みたいもののせいだろう。亮は自分の身体の状態が気になって、自分の身体に視線を走らせてみたのだが、特にこれといった変化は見受けられなかった。こうして眠りから目覚めたということは、既に自分の身体のなかには医療用ロボットが入っていると思われるのだが、しかし、その実感はない。更に言えば、頭のなかにコンピューターが入っているというような体感もなかった。というのも、自分の頭が特に賢くなったというような感じはしないからだ。
 ―――と、亮が茫漠とそんな感想を抱いていると、
「良かった。もう目が覚めていたのね」
 と、ふいに声が聞こえてきた。亮が声の聞こえてきた方向に視線を転じてみると、部屋の入口からミカエラと、もうひとり見慣れない男性が、亮の半身を起こしている歯科用の椅子を思わせる椅子まで歩いて近づいてこようとしているところだった。
 やがてミカエラと、見慣れないひとりの男性は亮の側に立った。それから、
「脳内コンピューターを取り込んでみた感想はどう?」
 と、ミカエラがからかうような笑みを口元に覗かせながら尋ねてきた。
「……今のところその実感はないな。強いていえば、頭が痛い。二日酔いみたいな」
 亮はミカエラの問いにしかめ面を浮かべながら正直な感想を口にした。
「それはまだ亮が脳内コンピューターの使い方をちゃんと把握できていないせいよ」
 ミカエラは亮の問いに軽く唇を尖らせて答えた。
「何でもいいから、頭のなかで何かで問いかけてみて。そしたらコンピューターが解答してくれるはずよ」
「―――わかった」
 亮はミカエラの台詞に疑念を抱きつつも、言われた通り頭のなかで質問を投げかけてみた。ちなみに、亮が頭のなかで尋ねたことは、亮が所属することになった時間管理局が設立された年代のことだった。
 すると、驚くべきことに、亮の今見えている視界に重なるようにして、亜空間に浮かぶ白亜の建物の映像(それは亮が移動機のなかで目にした、亜空間のなかに浮かぶ時間管理局の建物だった)が浮かび、続いて、厳かな感じのする女性の声が解説をはじめた。
 あなたが所属する時間管理局は、あなたがたからすると、未来の人間となるひとたちの援助を受けて、西暦千九百七十九年七月六日に設立されました。初代の所長はレイチェル・レッドクリフというアメリカ人女性であり、現在の所長はマシュー・ブラウンで、彼は三代目の所長になります。
「……ほんとだ」
 亮は脳内コンピューターが解説を終えると、驚きに目を見開きながら呟いた。なお、現在はさっきまで視界に重なるようにして存在していた映像は消失している。
「ね? 言ったでしょう?」
 ミカエラは亮のリアクションににっこりとして言った。
「補足しておくと、脳内コンピューターは、状況に応じて、あなたの命令なしに動いてくれるわ。たとえば過去にタイムトラベルして、違う言語を話すひとたちと話さなきゃならない場合には、勝手に相互通訳してくれるし、戦闘しなきゃいけない場合は、あなたの身体を操作してくれる。もちろん、その必要がないときは、頭のなかで沈黙を守っているけどね。いうなれば、現代の人工知能をもっと進化させて、もっと気が利くようにしたものだと思ってくれればいいわ。彼女は必要以上に出しゃばらないし、けど、必要な仕事はこなしてくれる。頼りになる存在よ」
「そいつは驚きだな。まるでSF映画の世界だ」
 亮が軽口を叩くと、
「実際そんなようなものよ」
 と、ミカエラは簡単に言った。それから、ミカエラは一拍間を空けてから、
「ところで亮、紹介するわ」
 と、改まった口調で、ミカエラは自分の隣に立っているひとりの男性を片手で指し示した。亮はミカエラが片手で指し示してみせた男性の方へと注意を向けてみた。
 男性は痩せて背が高く、年の頃は二十代半ばくらいだろうと思われた。黒髪で、優しそうな顔立ちをしている。彼もまたミカエラと同じ青い金属質な戦闘服のようなものを着用していた。
「こちらは清水孝之さんよ。あなたと同じ日本人」
 と、ミカエラは亮に向かって紹介した。
 続いて、ミカエラに清水孝之と紹介された細面の温和そうな顔立ちをした青年は、
「どうも。はじめまして。清水です」
 と、少し恥ずかしそうな笑みを口元に広げて、亮に向かって頭を下げてきた。
 亮も慌てて頭を下げることになった。それから、
「ど、どうも」
 と、亮はやや上擦って響く声で挨拶した。
「俺は高橋亮です。ついさっきミカエラに勧誘されてタイムパトロール員になったばかりで、まだ右も左もわからない状態なんですが、宜しくお願いします」
「亮さん、僕に敬語を使わなくてもいいですよ。多分、亮さんの方が年上ですし」
 孝之は微笑して言った。
 亮が孝之に年齢を確認してみると、彼は二十四歳だと答えた。
「しかし、とはいえ、清水さんの方が、仕事の上では俺よりも先輩です」
 亮が孝之の発言に躊躇する素振りをみせると、
「僕の方が先輩といっても、せいぜい半年程度のものです。実は僕も新人みたいなものなんですよ。だから、気にしないでください」
 と、孝之はにっこりとして言った。
「……そ、そういうことなら」
 亮はやや戸惑いなが孝之の提案に頷くことになった。
 一方、孝之はそれでいいというように口角を持ち上げてみせた。
「じゃあ、自己紹介も終わったところで、早速で悪いんだけど、亮にはこれからわたしたちと一緒に初任務についてもらうことになるわ」
 亮が孝之とのやりとりを終えると、待ちかねていたようにミカエラが口を開いて言った。
 亮がミカエラの顔に視線を転じると、
「さっき所長が話していたでしょう?」
 と、ミカエラは軽く眉を寄せて難しい顔をして話しはじめた。
「日本で―――過去の日本で大きな時間波が形成されつつあるっていう話」
 ミカエラの説明を受けて、時間波? と、亮の頭のなかにひとつの疑問符が浮かぶことになった。と、その瞬間、亮の今見えている視界に重なるようにして、ひとつの映像が浮かんできた。それはスクリーンに映し出された波形グラフのようなもので、一か所だけ波が高く盛り上がっている。続いて、人工知能と思われる女性の声が脳内に聞こえてきた。
 これは時間観測器が本来の時間の流れとは違うことが発生しようとしていることを検知した際に現れるものです、と、女性の声は解説した。どのような改変が行われようとしているのかまでは、時間波から計測することはできませんが、しかし、この波形が大きければ、大きいほど、その改変が時間軸に与える影響は甚大なものになっていきます、と、AIは更に解説を続けた。なお、驚くべきことに、人工知能が亮の認知機能を拡張してくれているのか、亮はAIの音声を聞きつつ、同時にミカエラの説明を理解することが可能だった。
「亮が装置との融合を行っているあいだ、こちらで異常が発生している年代を装置を使ってわかる範囲で調べてみたんだけど、でも、具体的に何が起きようとしているのかまでは把握できなかったの。現時点でわかっているのは、本来であれば死ぬはずのなかった人間が大勢死んでしまうことになるということ。そしてもちろん、これはその後の時間の流れに大きな影響を及ぼすことになる」
 ミカエラは切迫した表情で言葉を結んだ。
「そこで僕たちが現地時間に飛んで、具体的に何が起ころうとしているのか、探ることになったんです。もしそれが僕たちだけで対処可能な問題であれば、僕たちで解決し、それが無理であるような場合は、本部に応援を要請する手筈になっています」
 ミカエラのあとに孝之が補足して言った。
「―――話はわかったが、俺みたいなド素人がそんな重要な任務に参加していいのか? 今回の問題は、時空間に多大な影響を及ぼしてしまうようなものなんじゃないのか?」
 亮は戸惑うことになった。自分はまだタイムパトロール員として一度も仕事をしたことがない人間である。一応人工知能のサポートがあるとはいえ、自分のような素人が今後の未来を大きく左右するような任務ついて果たして大丈夫なのだろうかというような不安があった。
「本当はもっとベテランの隊員にお願いしたいところではあるんだけど、でも、生憎と、今世界中で色々と問題が発生していて、ベテランの隊員はそっちの対処で手が離せない状態なのよ。というわけで、わたしたちがひとまずは調査に向かうことになったというわけ」



  タチヨミ版はここまでとなります。


時空警察 特別編

2024年11月11日 発行 初版

著  者:海田陽介
発  行:新想社

bb_B_00180159
bcck: http://bccks.jp/bcck/00180159/info
user: http://bccks.jp/user/138065
format:#002t

Powered by BCCKS

株式会社BCCKS
〒141-0021
東京都品川区上大崎 1-5-5 201
contact@bccks.jp
http://bccks.jp

海田陽介

SF小説書いてます。コーヒー好き。甘党です。

jacket