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静かなしんとした冬の朝。
少しだけ窓を開けて外を見ると、どこかこことは違うほかの別の世界にいるみたいに真っ暗だ。
心を静粛な気持ちにさせてくれるかのような、冬の空気の優しいさざ波ようなものも感じる。
つまりはどこか神聖な感じが漂う朝だ。
わたしは大きなあくびをしながらソファから身を起こすと、ネックレスにして首元にしたままでいた、夏ジとお揃いの指環が揺れた。
昨夜は夏ジに、辛いことがあったことを話した。
夏ジは黙って、わたしの話を聞いてくれた。
わたしはわたしのことを嫌いになりそうだと言うと、凛コが自分のことをどんなふうに思うかは自由やけど、僕はいつも凛コのことが大好きやからなと、そう言ってくれた。
そのことを忘れるなと。
いつの間にか、わたしはなにか安心したのか、気がついたら深い眠りに落ちていた。
気を遣ってくれたのか夏ジがわたしのお腹の上に、タオルケットをかけてくれていたことに気がつく。
朝ではあるが、まだ夜中とも呼べる時刻。
台所でなにか音がする。
見てみると、明るいグレーのよれたジャージの上下姿の夏ジが料理を作っている。
「なにしてんの?」
凛コの声に夏ジが振り向くと、開けたままの窓の隙間から外の冷たい風が入ってきて、まるで「おはよう」と挨拶をしてくれているかのよう。
「うん。ちょっと朝ごはん。小腹空いて作っててん」
「朝ごはん?」
「うん」
「えー。こんな時間に?」
「そやで。まぁまぁ、ええやんか」
夏ジが楽しそうに笑う。
「なんか、以前におんなじこと言うてた気がするよ」
「ほんまかいな」
「うん。まったく一緒。ほんで、なに作ってんの?」
「えっとやな。年越しそば」
「はー?」
凛コは目を丸くして、眠たい目を擦る。
自然にまた大きなあくびがでてくる。
「ははは。おっきいあくびやな。僕を食うたろかみたいなあくびして」
「夏ジさんを食べても美味しないよ」
「なんか以前にそれも聞いたことのある台詞やな」
「ほんま? そうやったかいな」
「それよりも僕はなかなかの美味やと思うけど。試してみる?」
「やめとくー」
凛コが微笑みながら即答すると、夏ジが思わず笑ってしまう。
彼ら二人の空間はいつも笑いが絶えない。
笑いにはなにか力があることを二人は知っているからだ。
「年越しそばって、大晦日に食べるもんやよ。大晦日には、まだまだ日があるけど」
「うん。でも、そんなん気にせんでええんよ。食べたいときに食べて、新しい気持ちでよい朝を迎えよかぁ。なぁ?」
「あー。思い出した。そう言えば、夏に年越しそばを作ってくれたことあったよね。やっぱり、その日とおんなじこと言うてるー」
凛コが嬉しそうに言う。
「覚えてるんかいな。すごい記憶力やな」
夏ジが大きな声で笑い、凛コも笑った。
夏ジはかために茹でたそばを冷水に手際よくさらすと、その男っぽい両手で水気を切る。
そばが湯に浸かるように気持ちよさそうにしている。
海老の天ぷら、長ねぎ、かまぼこなどをバランスよく添えると、最後に柚子皮を入れて完成だ。
「柚子皮、すきよ。いい匂いやね」
「そやろ」
「年越しそばって、ちゃんと意味あるねんで」
「意味?」
「うん。そばってな、実はどんな麺類よりもすぐに切れやすいねん。そやから、今年の厄を断ち切るっていう意味があんねん」
「へーって、言いたいけど、まえに聞いた」
「言うてたかいな。ははは」
夏ジが大きなあくびをしながら言うと、凛コもつられてあくびがでる。
「凛コさん、眠いんかいな」
「そんなことないよー。つられただけ。それより、食べよか」
「うん。そやな。食べよ、食べよ」
二人は小さなテーブルに向かい合わせで胡坐(あぐら)をかいて座ると、夏ジ特製の熱いそばをすする。
「そばはな、細く長く伸びるやろ。健康長寿とかそんな意味もあるねんで」
「それもまえに聞いたよぉ」
「初めて聞いたことにしとけへんのかいな」
それを聞くと、凛コが笑って思わずそばを口から吹きだしそうになった。
「初めて聞いたことにしといたるわ」
「なんで、上から言うてくるねん」
夏ジがまた笑う。
「そばって、美味しいけどわたしがなんで好きかその理由を知ってる?」
「理由か? それは知らんなぁ」
「これを教える人は初めてなんやけど、夏ジさんやから教えてあげる」
「なになに?」
凛コはそばをすすりながら、顔を赤めてその理由を夏ジに伝えた。
「ずっとずっと【そば】にいられますようにっていう、そんな意味もあるのを聞いたことがあったから」
夏ジは凛コのその言葉を以前に聞いていたが、それは初めて聞いたふりをする。
凛コも実は以前に言ったことをわかっていたが、あえてもう一度言ったのだ。
二人は心がじんわりと温かくなるのを感じた。あの夏の年越しそばの日のことを思い出しながら。
そして、夏ジが心を込めてこう言葉を続けた。
「凛コさん。これからもよろしくな」
「はい」
凛コはそう返事をすると、顔を赤らめた。
夏ジが照れくさそうにしている。
ふとした動作から、二人の首元でお揃いの指環がキラリと光を放ちながら揺れる。
夏ジが凛コの首元の指環を優しい瞳で見つめている。
「ままならへんことに、辛いことやら、なかなか開かれへん扉があって、そんな日にな。この指環が、もし、その扉を開けることのできる鍵みたいな役割をしてくれたなら、嬉しいな」
窓の外を二人で一緒に見ると、小さな白い雪が舞っていることに気がついた。
朝に降るその雪はとても美しくて、丸くて、どこまでも澄んだ白の色。
二人にとって、今日も新しい希望の朝であることを知らせてくれているかのような、そんな雪だった。
2024年12月3日 発行 初版
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