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「それにひきかえ、今の世の人間は死からも隔離された了見で生きているようで、昔の人の生きた心を思うのもしょせん身にそぐわず、埒もないことになるばかりだ、とやがて振り払い、これでも明日になれば、すこやかならぬ眠りの後でも、身心が多少は改まって、変わりもせぬ一日を、寿命も知らぬげに、先にまだ宛てでもありげに、時計のうながしに従って、殊更らしくまた繰り返すことになるのか、と長い息を吐いて立ちあがり、近頃は足も手ものろくて、めっきり閑のかかるようになった寝仕度の、一日の仕舞いの面倒に取りかかる。」(古井由吉「雨の果てから」『この道』講談社)
桜の木の下で
まだ雪の残った桜の根もとの草を抜いていると、ときおり落ちる雨音のためか、地面をこするフォークの音のためか、ミミズが顔をだして、草地の間をくねりはじめる。地中にそのままいればいいものをと、上から見おろす側はおもっても、代々モグラに追われてきた記憶にあっては、ごく自然なふるまいになるのだろう。雨上がりの晴れ間、アスファルトの道のあちこちで、ひからびて力つきたその姿をみれば、今となっては不合理な習性であるとおもわれてくるが、果たして、上から見おろすヒトとて同じになっているのではなかろうかと、またひとつ、手を入れるのだった。
年度末の公園改修工事のために、毎年の三月彼岸の草取りはしなかった。いやもともとは、そんな行事は、この都心にある寺の手入れにはなかった。一年を通した仕事が減り始めてからいつしか、親方がそんな管理の作業をとりいれたのである。いやもっともともとは、この時期、植木手入れの職人に、仕事などなかった。正月まえの大掃除をかねた庭の手入れをおえて年をむかえれば、垣根の修復がたまにあるていどで、休んでいるのが普通だったという。私がこの職につく三十年近くまえには、もうそうした生活のリズムはなくなっていたが、ついその前まではそうで、高度成長期に植えた樹木がでかくなり、手入れの管理が必要になってきてから、通年という意識が、経済力の見返りにあとおしされて、職人の間にも芽生えたのだろう。雨で仕事が無理なときのほか、休みはなかった。とにかく仕事があるときに稼ぐという勢いは、日銭で生きてきたものたちの気概だったろう。それがはじけた。稼ぎというより、儲けのいい公共仕事への参加に比重をうつしきっていた町場の植木屋はつぶれていった。少なくなったパイの発注をめぐり、秘めやかに激しくなった野丁場の争いを尻目に、昔の習性を捨てきれず生き残った者たちが、引きこもれる草地の間で、身もだえしている。
まだ春になれきれていない草々は、指でつまむだけでも、すっと抜けてくる。彼岸の時期であったら、地にへばりついたロゼッタのままのものが多くて、根からとろうとするのにはむずかしかったろう。がもう少し経ってしまえば、根が横や奥にはりはじめ、力が必要になる。無理にぬくと、コケもごっそりついてくる。いつからか自然に生えてきたコケだ。二十年前、寺を改造したとき、中庭にスギゴケを植えたはずだが、それは根付かなかった。しかしいつの間にか、この境内の真ん中にある、日当たりのいい桜の木の下のまわりに、濃艶な緑の輝きを放つコケのいく種かが生えるようになった。割竹で円形に柵をかたどった植え込みの下草には、タマリュウを仕込んであるのだが、日向が多いためか、なかなか満遍なく育っていかない。その隙間を占領するように、少し日がかげる地帯には、コケが縄張り始める。山手通りに接した喧騒のさなかで、ちょっとしたビロードの絨毯が敷かれるようになったのは、気候の変動のせいもあるのだろう。京都では、コケを保持する朝霧がでにくくなったため、だめになっているときく。アスファルトの地面の隙間にも生えてくるギンゴゲには、カンブリア紀からいるクマムシというのが住んでいるのだそうだ。緩歩動物という一種で、目でみるのはむずかしいくらい小さく、イモムシのような体形らしい。
コケの下からはえている、ツメクサの株もとに、フォークの先をいれて、引き出す。まだ株を増やしていないオヒシバは、指で抜ける。ナズナの赤ちゃんのようなのも、手でつまめる。ハコベやハハコグサといった、春の七草と呼ばれるものも、たまに生えている。カタバミの類いの根には、玉ねぎのような球になった種がいくつもついている場合もあれば、ダイコンのように奥に深いものもある。環境条件によって、生きのびる戦略を変えるのだと、どこかで読んだことがある。どこからか飛んできたのか、ここ最近、キュウリグサが目立つ。まだひとつ所に群生しはじめているだけだが、横におおきくなり、抜くのが面倒になる。中庭にも、よそから飛んできたのだろう、あまりみかけない大きなコケのようなシダが、敷き詰められた玉石の間に、密生するようになってきている。近所の地主の奥さんが、シダ類が好きで、そこで育てていた胞子がここまできたのかもしれない。が条件のあうのは、日の当たらない中庭だけのようだ。地主宅では、もう増えすぎてこまるからと、鎌で根こそぎしてだいぶ減った。ここではジャリの下から生えてきているので、上っ面をひっかくことができるだけで、どんどん増えていく。しかしその幅広のコケのようなシダを制限しようとしているのは私だけで、団塊世代の職人さんは、親方から言われているわけではないから、そのままにしている。
「もう今月で終わりにしようかとおもってるんだ」と言ったのは、その七十歳になる職人さんだった。納期の迫った工事の作業中、三代目になる若社長が、几帳面な難癖のような指示で、御老体を動かしてゆく。もうすぐ初老にあたる私も、こうこき使われるようなのは、体力的にもメンタル的にも、我慢の限度だった。「親方にいいますよ。若社長の仕事はいりませんから。休みでいいですって。」町場の仕事の方へ舵をきろうとした親方と、役所や企業間同士の仕事の方へ比重を置きたい三代目の間では、対立がおきた。当初は、そのバランスでしのごうと、親方は、役所の入札に自ら参入していくために株式会社にしたその代表取締の地位を、さっさと三十過ぎの息子にゆずったのだった。現場を任せると、しかし若い衆や、中途で採用した列記とした大人でも、人としての扱われ方に我慢しきれずやめていく。腰を悪くしてやめていった団塊世代の職人さんは、そのために呼び戻されたのだった。「会計もべつだ」、と怒りに任せてそう決断したとはいえ、同じ会社のなかでのそのあり方が、実質長くつづくわけはない。自分であつかえる従業員が誰もいなくなった息子が、それでもひとり頑張っていることも目にしている。業者の間では、受けもいい。おそらく、中卒での息子は、いまや造園会社の現場監督でも大卒でが普通となった社会で、異色な存在感をはなっているのだろう。先輩、後輩関係になれ、酒の席でも気勢をあげられる、いまや若者の間では珍しいだろう男気を発揮している。「これからの新宿区は、あいつが仕切っていく」と、私たちにもらした社長もいる。親方も、業界営業のボスたちから、自身の息子がそう認められることをうれしがっている。しかしそう認めた会社の親分たちも、もはや年寄り二人の職人しかいなくなったこちらの実状を知っていくにつれ、自身の認識を修正していかざるをえなくなっているのが、見てとれる。その実状を隠して、虚勢を張って、綱渡りのようなことをしている。番頭として親方から指定されている私の支持がなくなったら、仕事を下請けにだして管理作業だけをやるような位置も維持できなくなるだろう。地元の寺や、神社の手入れ作業から手を切るわけにはいかないからだ。植木職人の立場としては仕事のないこの年度末、仕事をもってきて与えているのだという男気は、私たち老体の身にだけではなく、今や若者の間にも通用しないだろう。私立高校に入学した息子のいる私が、別にやみくもに仕事や金が欲しいようなわけでもなく、これまでの男たちとは違うこと、違う出自であることを、親方は自覚している。とにかく本年度末の公園工事が無事おわり、なお抱えた職人がやめるわけでもなさそうなのにほっとし、お彼岸にできなかった草取りをこの二日でやって、来月の四月からは一週間休みにすると言ったのだった。
淡い色の花を咲かせた枝垂れ桜の頂のほうで、シジュウガラが、甲高い鳴き声をあげている。語尾が長く、つづけざまな、訴えかけるような声音だ。縄張りを主張したり、外敵の侵入を威嚇しているような、緊張感をもった調子には聞こえない。見上げてみると、頂上の枝先にのって、上に小さな嘴をつきだして、鳴いている。それからひとつ下の段に降りてきて、やはり上を向いて鳴いている。もう番いになって子を産む季節なのだろうけれど、異性を呼んでいる声にも聞かれない。シジュウガラにも、カラスと同じで、三十種類ぐらいの言葉をもって話していると、テレビでやっていた。違う種の仲間を呼び、巣の下で寝転ぼうとしていた猫をみなで追い出していた。猫の方も、自分が邪魔になっていると理解したように、しょうがないなあとの素振りをして歩いていく。今の鳴き声は、なんだろう? 私には、わからない。
桜の頂には、枯れがはいっていた。根もともよくみると、幹が地に着く辺りに腐りができている。蟻が巣を作るのに出した、粒子状の黄色い土の小山が、いくつか並んでいる。下枝として伸びた太い枝のひとつも、幹から分岐したところで、猿の腰掛になっていくような、透明色のキノコが生えている。ヒトの背丈ほどの辺りの幹は、こぶ病でもわずらっているように、ごてごてしている。前の枝垂れ桜がだめになって、植えかえてから十年以上は経つか。本殿の改修工事のさい、根を傷つけたか、もともとこの地盤の下は、土壌がよくないという話だったか。植え替えたこの桜も、弱ってきている。樹木としては、まだ若いほうだろう。満開の頃には、ライトアップされて、写真をとりにくる人たちが結構いる。去年は、木を活性化させようと、親方自らが木に登り、枝をおろした。しかしそれが裏目にでたように、今年は花づきがわるかった。というより、もう咲いている。葉も、出はじめている。普段は、ソメイヨシノが終わってからで、たしかゴールデンウィークくらいまで楽しめたはずだ。それが、今冬の温暖化のためか、早く咲いたソメイヨシノとおなじように花を咲かせた。しかしその花数は少ない。枝数が少なくなったぶんだけ、なお貧相にみえる。除草にはいるまえ、桜のまわりを溝堀りして、有機肥料をあげた。例年は打ち込み肥料のグリーンパイルだけだが、化成肥料はわるいかもしれない、ということで、粉末状の肥しを根回りに流しこんだ。
四月からは、休みにはいっている。そしてまた少しやれば、五月に向けての長い休みがすぐにくるだろう。実家の方では、施設に入居している認知症の父だけでなく、母もが、歩くのがきつくなっている。どのみち仕事がなくなるのなら、両親に付き添いながら、独り立ちした仕事を一から作っていくのも同じことだろうと、女房にも言って、計画をたてたのだった。が父の様子を見に帰った翌日、東京からの面会は感染の危険を増加させるということで、施設は身内もシャットアウトとなり、自分にあっても、実家のある田舎との間を行き来しずらくなってきた。実際に、これから交通遮断もなされていくのだろう。
本殿の屋根のほうで、ヒヨドリが鳴く。手元には、褐色に成長しきれていない白っぽいミミズが、じっとしている。ゆっくりとではあるが、縞模様が動いている。草に濡れた雨が、じっとりと光って、色彩のめりはりをはっきりさせる。粘り気をもった土が、薄いゴムの入った軍手の指先を、冷たく刺してくる。隣の大通りからは、車の排気音がたえない。いつもの交通量にもどっていることは、たしかめていた。いつもと、変わらないようにみえる。聞こえてくるものも、変わっていないようにおもえる。桜の木の根もとでは、彼岸花の先の長くとがった葉が小さな群れをつくって伸びている。四月に入っての数日の寒さを抜ければ、春の暖かさが夏に向けて勢いをましてゆくだろう。今年の夏は、暑いのかもしれないし、そうでないかもしれない。それでも、秋がき、冬がき、また虫たちが蠢きはじめるだろう。しかし私たちが、同じように蠢きはじめるのか……おそらく、やはりそうなのだろう。たとえ、それが不合理な現実に進化していくものになるとしても、私たちは、身もだえしてゆく。
あさ
まぶたをあけて目覚めるまえ、ほんのまえのひと時に、いま自分がおきようとしているとの意識に目覚めるときがある。いやそれもまた、眠りのなかでの意識、夢のつづきかもしれないとしても、その私は、目をあけて目覚めようとすることをやめて、瞑ったまま、まぶたの下の瞳だけをゆっくりとあけようとこころみるのだ。すると、うまくいくと、いまみていたであろう夢の画像が、みるみるとあらくなって、点描のざらついた世界があらわれてみえてくることがある。そしてそれにはふた通りの現れかたがあるようで、ひとつは原色的な輝きを背景にした、それこそまばゆいくらいにかがやいた緑や白光のなかで、なにやら、絵文字のような、単純なパターンをもった黒い線描の模様が、くっきりと浮かびあがってくる。パターンは何種類か、おそらくは数十種類はあるようで、もしかしてそれが、生きものたちがはじめて宇宙に放りだされるようにあらわれたとき、その混乱かとうかがえた混沌から逃れるために解釈してみせた原記号で、あとからヒトの形として遣わされた私たちの脳みその奥にも蓄積されていて、結局のところ、私たちがみているものは、すべてこの幾種類かの文字記号に焼きなおされて展開されているのではなかろうか、という考えにたどりついたこともあった。その想念は、眠るまえからの観察によっても、みちびかれてきた。眼をつむったまま、瞳だけをあけてみる。光のさえぎられた暗い景色を背景に、モザイクをした模様がばらついているのがみえてくる。それは、目の焦点のあわせどころによってあちこちに揺れ動いているが、暗闇になれてくれば、赤っぽい紫いろに発光した、点の集まりであることが知れてくる。さらによくみれば、といっても、ここからは注意深い訓練が必要になるのだろうが、その点、ドットのひとつひとつが、幾種類かの形、パターンによって編まれているのがみえてくる。暗闇のこの部分の模様の点は、指紋のようなパターンで描かれた点の集合だし、あちらの模様は、音楽のシャープのような記号で小さな点が描かれてある。ではあすこは、と瞳をこらしてみようとしても、目の焦点をあわせようとすることによってその模様たちは波のように動いてしまうから、とらえどころはない。そうこうしているうちに、意識は遠のき、その暗闇のなかの点描が、その模様の形の組み合わせが、緊張のほどけてきた私の記憶からなんらかのイメージを呼び出してあてはめていくのか、れっきとした絵となり画像となり映像となり、そして連想ゲームのように連なり動きはじめ、おそらく、夢の物語へとはいっていかせるのだろう。子供のころから不眠症のある私には、それが眠りにつかせるための、羊を数えていった昔の言い伝えの代わりであった。
今朝は、いや、まだそんな時刻なのかどうかはわかってはいないのだが、その眠りにつくまえのなりゆきの逆の現れかただったようだ。これから目をあけておきると気づいたとき、目をあける反射をかろうじてとめて、ゆっくりと、瞳だけを開いてみる。夢が崩れて、粗く沈んでいき、モノクロの光景があらわれる。その変化をゆっくりとすすめることがうまくいったからか、残像として、さっきまで見ていた夢が、おそらく切りたった山並みの映像が最後だったのだろうと意識されてくる。私はもういちどその画像を確認しようと、脳の緊張のネジを静かにゆるめなおして、点描をなめらかな絵画へともどしてみる。どこの山だろう、なんでこの山をみたのだろう……何度か、ネジの緩み締めのような作業を繰り返しているうちに、意識がはっきりしてきたからか、眠るまえのあの暗闇の中のモザイク模様の世界からでられなくなった。私はあきらめて、観察してみることをやめて、目をあけることにした。しかしすぐにではなく、右目からあけるのか、左目からあけるのか、と自身の癖をつきとめてみようという思わくがおきて、さて、どっちだ、と身構えてみる。それはさらに意識をはっきりとさせてきたので、もう無理だろう、意識せずには目を開けられなくなったのだからと、ふっと目を開いてみたのだった。右だ、と私はおもう。白い光がすっとはいる。もう一度、目をつむってみる。ほんとうは左からか、と目尻の筋肉加減を感じながら、そう思う。同時かなあ、と目を、ゆっくりとぱちくりさせる。飛び込んでくる白い光になれてくる。早朝なのだろう。いつもの時間だ。目覚ましが鳴らなくとも、その十分ほどまえとかに、しぜん体が目覚めるようになっていた。左横向きで寝ているのだから、左目はつぶれるように体重がよぶんかかっているから、右目が開いたのか、とぼんやりカーテンの向こうの白い世界を眺めながらじっとしていた。目覚まし時計がなる。すぐに切る。五分後には、スマホの目覚まし機能が作動することになっている。ここ数年はないのだが、すぐに起きると眩暈があったためと、腰痛ですぐには起きあがれないこともあったため、それらの予防にと、布団の中で正座のように膝を折りたたんで、イスラム教徒が祈るときの姿勢のように上体を折って両腕をのばして、しばらくしている。アラームがなる。人差し指を画面うえでスライドさせて切る。起きあがる。
さて、目を瞑った世界の現象を観察していた意識がなお夢のつづきであるのならば、果たして、いま起きてみた私の意識は、いや私という意識になるだろうそれならば、私はなお、夢をみているのか? 窓の外の光景は、白いままだ。晴れていないからだ。天気ならば、青い空の輝きが飛び込んでくる。昨日の予報どおり、今日は雨なのだろう。濡れたアスファルトの水をはじく自動車のタイヤ音が、部屋を閉めきったままの団地の六階にまでひろがってくる。雨の日は、鳥の鳴き声はきこえない。都心部に近いこの地域なのに、近所には、にわとりをたくさん飼っている家がある。日の出のだいぶ前から甲高く鳴きはじめるのだが、苦情で騒がれたとはきかない。そのにわとりも静かだったから、私も静かに夢の世界を観察できたのかもしれない。
台所にいって、まずはコーヒーの用意をする。沸かし器からはずした水入れの容器に、水道の水をいれる。蛍光灯のスイッチはつけてないが、うす暗やみの中でも、メモリをたしかめずに、蛇口のひねり加減で二杯分ぴったりの量にあわせることができる。私と、女房のぶんだ。同じ部屋に寝ていた妻は、私がトイレをすませ朝食の準備ができはじめるころか、もう少しおそくなってから起きてくるのが常だったが、雨予報だった今日は、弁当をつくる必要もないから、あと二時間は寝ていられるだろうかと、すでに私の気配をうかがっているはずだ。作業着に着替えにまた寝室にもどってくるか、着の身着のままでトーストを食べ、朝刊を読み始めるのか、と。ほぼ昼と夜とが逆転していた。高校へ入学した息子に勉強をさせるために、夜半まで取っ組み合いがつづけられるのだ。ぐったりしたように、二人は眠る。息子は、台所のあるリビングつづきの隣部屋の奥に、布団をひいて寝ている。私が天井に垂木を張ってカーテンを取り付けたが、飯を食いテレビを見、読書する居間の窓際の隅、自分の勉強机や本棚に囲われた下で、芋虫のようにまるまっているだろう。食パンに乳化剤をつかっていない硬いマーガリンをぬって、トースターにいれる。軽いラジオ体操をする。トイレからでてくるころには、コーヒーも、トーストもできあがっている。無駄がない動きになるのは、植木屋で鍛えられた職人の合理性ゆえか。
新聞をとってきて居間につづくカーテンをあけると、すぐ脇にある水槽のなかで、金魚が飛び跳ねる。四ひき飼っている。お祭りの金魚すくいでとってこれるような小さなものは、すぐに死んでしまってかわいそうなので、生きのこった一匹と同じくらいの大きさのを買ってきて加えた。鮒のようなものばかりになって、魚が泳いでいる、と勇ましい風景になるが、むしろ違和感がなくなってくると、面白くなる。息子が小学生の低学年まで何度か飼ってみた、インコをおもいだす。赤ちゃんから飼育して手乗りにし、放し飼いにしていた。だから、人の動きとはちがう、斜めの動き、斜めの線が部屋の中を横切り、描かれるのだ。水槽の中とはいえ、活発に動き回る魚も、こちらの感性を異化してくれるような、新鮮な線を部屋の隅に描きだす。餌をくれと、水槽の角の水面にみなで顔をあわせ口を突き出しているが、ばらまかれた餌をついばみおわると、底に敷かれたジャリ石や、水槽のガラス面にでもできたコケでも食べてお口直しをするのか、その間、仲間とじゃれあうように、お互いが邪魔をし合い、鬼ごっこでもするように遊びはじめる。その急な、素早い動きは、鳥も魚も獣であることをたしかめさせるが、それゆえにこそヒトを懐かしくさせる、人懐こくさせる共感が、私のほうにこそ芽生えるのだ。異質を意識させるものへの感動が、ヒトである私をして近づかせる。
トーストをのせていたからの皿を流しへ運ぶと、食卓に残したコーヒーカップだけを手に、スマホを確認してみる。パリのニコルから、メールがとどいていた。
Bonjour Masaki san,
Genki desu ka? kazoku mo genki desho ka? Ima kodomo wa gakko yasumi ma su...
Coronavirus, Nihon de sonna ni taihen ja nai, France no yori, Fransu jin shimpai takusan shinimashita. Ima wa minna dôfù shimashita....
Watashi wa soto ika nai, itsumo uchi imasu.
Kiotsukete....Dewa mata ne.
Ima Tokyo yuki kire hana iisho. Watashi no nihon go hen! comenasai!
三月の終わりころ、桜が咲いてしばらくたった東京に、雪がふったのだった。その雪と桜のいっしょになった光景を、スマホの写真でとって、フェイスブックに投稿していた。リマからマリオが、しばらくまえまでニューヨークへ家族旅行しておそらく仕事場のある六本木に帰ってきているはずのナポが、いいね!ボタンをクリックしてくれていた。ニコルの娘のナタリも、返信していたかもしれない。そのナタリは最近、フェイスブックを通して、世界のひとびとが一緒になって瞑想をして祈れば、この危機は乗り越えられると訴えていた。タロットカードのようなものをひきだしながら、おそらく家にこもりきりでいる友人たちに、気晴らしのひと時を過ごしてもらえたらと。
食卓のむこうで、息子が寝返りをうつ。いびきがきこえる。すきま風が、音をたてる。車の走りすぎる音が伝わる。金魚がはねる。私は新聞から目をはなして、窓の外をみる。物干しの向こうに、白い雨模様の空がひかる。家々が、かすんでいる。ビルの連なりが、曇り空に重なっている。
目を瞑れば、またあの暗闇のなかで、紫いろの斑世界が広がるだろう。光がロドプシンという色素にあたると、そこに組み合わさっている膜タンパク質をふくんだレチナールが反応し、その形が変化し、紫から黄いろへと変色する化学反応がおきる。目を閉じて暗闇にもどれば、またもとの紫いろにもどる。私が見ているものは、細胞の発光ということなのかもしれない。その細胞の能力は、菌類や藻類にもあるそうだ。私は、他の生きものたちといっしょに、光合成をしているということなのだろうか。新聞を読むという私の行為の本当は、原文字をなぞるというそういうことなのか。
コーヒーを口にしている私は、もはや目をつむらない。まばたきをするだけだ。この目を閉じて開いた瞬間、私が夢の世界から本当の世界へと行き来しているのかどうか、私は知らない。新聞のページをめくる音は、人の暮らす静寂を増していくばかりだ。息子がまた、寝返りをうった。金魚が、はねた。
ひる
あさ、書き終えたブログをアップして、本を読み始めたひるまえ、ようやく妻がおきてきた。いつもなら、まず一番に窓際で寝ている息子の布団をはいで、おこそうとするのだが、テレビをつけて、食卓の椅子に腰かけたまま、ぼうっとしている。顔が、まだ青白い。数日まえのよる、寝入ろうとした妻は、とつぜん咳きこみはじめたのだ。息ができないようだった。寝るのがつらくなったように、布団からでると、トイレへいって出てき、静かになった。おそらく、洗濯機などを置いた狭い玄関口にある丸椅子に腰かけて、休んでいるのだろう。洗面所と背中あわせのクローゼットを通して、タンクに水がたまってゆく勢いある音が、寝室にも響きつづけた。がしばらくして、妻のこま切れになった促音のような咳がひっきりなしになって、低音なリズムに落ち着いていった水の流れは背景にかわり、執拗な反復音が、家の中に緊張感を走らせた。
引き戸をあける重い響きがおこる。息子の、心配そうな声がきこえる。
「だいじょうぶなの?」それから間があって、「顔が、真っ白、死人みたい。コロナじゃない?」
「そうかもね。」と妻がこたえる。また間があったあとで、「死なないでね。」
息子はそれだけをいうと、またリビングにもどっていった。どうも、音を低くして、テレビをみていたようだ。スピーカーからもれてくる幾人もの声が消えて、布団にもぐりこむ気配がつたわる。息子のあとからダイニングの方へいった妻が、蛇口をひねってコップに水をくみ、喉に流しこむようにして飲む。二人は昨夜、ののしりあいながら勉強をしていた。まだ声変わりしたばかりとわかる息子の割れたままのような声音は、ガラスの破片の切っ先のように部屋を仕切る壁にささってきた。ならば妻のヒステリックではあるが甲高くも落ち着いた重い声は、切っ先をさえぎる鉄の楯であろうが、その防御の道具は武器となって相手を押しまくり、体当たりとなって倒しねじ伏せ組み敷きはじめる。その母親としての本気度に、息子は勝ったことがない。だから、相手が防御をゆるめた隙をねらって、手や足の一撃がでる。二人の間で、おさまりがきかなくなる。たいがいの場合は、息子がトイレへ逃げるか、外へとでていく。「死なないで」といったそんな息子の声は、まだ母親に甘えている子供の泣きべそのような音色があった。
ワイドショーでの話しあいのした、布団にくるまった息子は動かない。妻も、いまは咳をしていない。熱は、ないという。味覚もあるし、とくべつに背中や胸が痛いということもない。たぶん、肝炎だからなのかもしれない、と咳きこんだ翌日に答えていた。風邪気味での体調不良じたいは、年末からつづいていた。三月にはいって、ウィルスの致死性のおもった以上の高さがあきらかになりはじめてきたころ、自分はすでにかかっているからもうかからないだろうとおもう、とのようなことを言い始めた。そんなわけがない、と私は言った。ならば地域センターでの活動で接したじいさんばあさんたちにうつって、誰かひとりくらいは重症になっているだろう、それがないということは、誰も感染などしていないということだろう……。
テレビでは、韓国での一日の感染者数が、一桁になったということを伝えている。妻は、肝炎だといった。マスクを国民に配った総理と同じ難病指定の病気を抱えていた妻は、去年暮れの検査で、肝炎の気があると指摘され、再検査の指示をだされていたのだという。その大学病院では、新型ウィルス患者の受け入れはしていなかったが、自身の病状の悪化は、正常性バイアスになっていくような自己憐憫が、もう通用しないことを、妻に意識させているようだった。アメリカでは経済再開への段階が組まれはじめ、韓国では一桁となったという報道にも、楽観的な妻の強気な性格の葛藤に、とくべつな影響をあたえていないようにみえる。顔は青白いが、以前よりはだいぶよいようには見える。しかし調子がよければ、ぺちゃくちゃとなにかコメントをしゃべりはじめるのだが、口を結んだまま、椅子にすわって、じっと映像をみている。
「ちょうどいまの日本の感染者数と死者数が、韓国でのピーク時のとほぼ同じだ。一万数千人の感染者と、二百人をこえるくらいの死者数だ。いや、人口が日本の半分くらいなら、率は韓国のほうが相当たかかった、ということか。検査数が違うとしても、流れはわかる。これから日本が、下火になっていくかね?」ひとりごとのように、妻のかわりなように、私は言ってみる。指数関数的に増加していくという計算予測どおりに事態が推移していったこの一週間だともいえるが、まだ身近に実感はなかった。近所の公園では、休校で退屈に疼いた子供たちがあふれ、付き添いの親もめだち、にわかにジョキングする人たちも増えた。テレビでみる東京の繁華街での閑散さと、住宅街近辺の喧騒との落差は、ふと足をとめて考えてみれば、非現実的でもある。棺桶であふれたニューヨークやイタリアのような状況になるまえにと、先週のうちに床屋へいき、マッサージをしてもらった。自粛要請の発令があっても、経営者の気概のようなものがまさっているようにみえる。自己破産するかともらしていた草野球仲間の焼き鳥屋さんも、いつもどおり、夕刻五時には店をあけていた。体調のすぐれない女房が夕食を作れないため、そのオカズを買いにでかけたときにやっているのに気づいて、焼き鳥を買ってきたのだ。息子はうまい、と、もも串のタレを頬張った。
住む団地より坂をくだっていった職場の途中にある火葬場が、普段よりいそがしく稼働しているようにはみえない。植木手入れにはいっているお寺の客殿でも、葬儀の回数が多くなったということはない。山手通りを走る車の台数も、減っているようにはみえない。
妻が、やおら立ち上がり、台所へむかった。昼飯しをつくるのは、正常性バイアス、というより、街の店の主人のように、女房の気概なのかもしれない。世の情勢がなんであれ、自分が病にかかるかどうかは別な話だ、だからその怯えと、メディアにあおられて感じる怯えとは、別のものだ。後者が強いものは、自分をたなにあげて他人をみるだろう。しかしこの最中で、日常的に客と接する仕事をつづける人や、妻のように自身の病と向きあわざるを得なくなったものは、怯えを忘れることがない。いつも、自分をとおして他人をみる。自分のように、この人も死をおそれているだろう。自分を忘れて、こいつは何やってんだとは考えない。自分の欲せざるもので、他人をせめることができなくなる。
本にまた、目をうつす。図書館での予約貸し出しもできなくなったため、買ったまま読んでいないものを読み始めている。日本近世の仏教思想を考察したものだ。作者のまだ若い女性は、なかなか大学へと就職が決まらず、自殺してしまったときいた。東京の植木職人が以前よく造った朴石の庭をさぐっていくのに、富士塚という溶岩石の築山の技術だけでなしに、その背景となる富士信仰、江戸時代、最大数の民間信仰となったその背後にある仏教界そのものの思想の流れを把握してみたいとおもった。読み始めると、学位取得のために提出した彼女の論文の問いが、生々しいことに気づく。<日本近世において、人はどのように精神の自由を獲得し、いかにして生を超えていったか>(『近世仏教思想の独創』西村玲著 トランスビュー)――富士信仰を大衆的に再興した食行身禄は餓死にのぞんで入定した。彼女の見据えた僧侶普寂は<出定>したという。それは、どんなものなのだろう。
電話が鳴った。兄からだった。
「お、おれ」という。台所からは、麺類のゆであがる匂いがしてくる。「きょうは、雨で休みだろう?」ときいてくる。
「うん。」と返事をすると、「こっちも、ふってるよ。」どこか、どぎまぎした声がふるえている。いつもは、こちらが夕食どきの晩に電話をかけてくるのだが、天気が雨のとき、仕事休みを確認するようにかけてくることがあった。しかし、昨夜にひきつづいての、昼の電話だ。頻繁なのを気おくれしているからかわからなかったが、話しをすすめているうちに、ふるえはやわらいでくる。
「ゴールデンウィークには、かえってくるんかい? おかあさんが、心配してるんだよ。正岐も、かかってるんじゃないかって。」先週、この団地と同じ区の、ここから数キロのところにある総合病院で、集団感染が発生しているとの報道があったのだった。都知事も、クラスターがあったと認識する、と口にしていた。そんなニュースを知って、母は、すでに私たちがウィルスにかかっているのでは、とおそれたのだろう。昨晩の兄の慎吾の電話でも、そんな話しをしていた。
「もう、こないんだろう?」と慎吾はつづける。「おかあさんがさ、心配してるんだよ。だって、近くであったんだろう?」
「近いけど、まわりは、すごくのんびりしているよ。テレビでみると、大変みたいにみえるけど、かわらないよ。感染状況みて、帰るかどうか決めるよ。このままじゃ、たぶん無理だけど、裏の木を、切っておきたいんだよね。」
正岐は、砕石を厚く敷いた駐車場がわりの実家の裏庭、空き地を思い描いた。もともとそこは、大戦で退役してきたもと軍人の男が、くず屋をしていたところだった。死後、冷蔵庫などの家電製品や空き缶の山が、積まれたまま放りだされているようなかたちになった。近所と役所との協議のすえ、父が家の裏にあるそこの敷地を買い受けることにしたのだった。
「おとうさんとこには、まだいけないんでしょ?」認知症になった父は、老人ホームにはいっている。間をおいたあとで、正岐はたずねる。いつもの、形式的な問いになる。昨日も、そうきいたはずだ。
「ああまだだよ、」と慎吾は答えたが、そこからは、昨日とはちがう話になった。「だからさ、おかあさんも見舞いにいけないだろう。で最近は調子わるいみたいで、こたつで寝てばっかだよ(と慎吾には、寝起きするのが大変になった母のために、椅子に座っていてもあたれるようにしたテーブル式の炬燵の中で、横になったままテレビをみている先ほどの母の姿が思い浮かんだ。)足がいたいだろう、(いや、そんな母の姿が思い浮かんだのは、ほかのことがあったからだ、と思いあたった。)畑もいけないから、ずっとふたりでいるみたいで、緊張するんだよ。(『そうだ、俺は、いま、緊張している、どうしてだ?』)作業場にいってるときが、息抜きみたいになって……」作業場というのは、精神障害者のために役所が設けた施設のことだった。週に二度ほど、そこに通っていた。商売としての、単純な作業を請け負っていた。時給三百円。障害者年金をもらってはいたが、慎吾は、そこに通い続ける数少ない一人だった。『息抜きどこじゃないぞ。むしろ、息苦しいじゃないか!』トイレへいくのに一階へおりたそのもどり、母が見ているテレビでは、東京の街並みをうつしていた。繁華街なのか、大手の企業がはいる街並みなのか、人通りが少なくなったそこは、判然としなかった。傘をさした通行人のすべては、マスクをしている。黒と白のコントラストが、ちらちらする。人並みはまばらだとはいえ、みな忙しそうだった。そのなかに、見覚えのある姿がうつったような気がした。ひとり、マスクをつけていない。傘をささず、暖かくなりはじめた春なのに、冬もののコートをはおっているようにみえる。しかしだぶついた上着の向こうからでも、それが誰であるのか、そのシルエットを、慎吾はわかったような気がした。意識にもたげてきた姿をもういちど奥にもどしていくように、階段を踏みしめた。二階の自室にもどっても、しかしその様子から受けたいやな感じは消えなかった。いたたまれなくなって、なんとかしようと、弟の正岐に電話をかけたのだった。『あいつは、生きていたんだ…あいつが…』
島原史郎は、ぺっと、路上にツバを吐いた。『もしかりにそうだとしてもだ、(腕をあげて、ぐるっと回した。円く描かれた腕のむこう、雨雲が昼の光をさえぎって、白黒のまだら模様をにじませている。島原は、考えつづけた。)
買い物
『かりにそうだとしても、ちよにやちよに、むしたコケにもぐりこんで、生きのびていくっていうじゃないか、チェっ!』島原は、にぶい咳をした。あげた手はまた、コートのポケットに突っ込んで、下を向いて、歩いていく。信号待ちの人混みがばらければ、ひらいた傘の間隔はひろがり、まばらになった。『カンブリア紀から生きてるってからな。クマムシみたくすがた隠して、陰であやつりつづけようってか。けなげなもんだな、ウィルスといっしょに消毒しちまえばいいじゃないか。微生物も無生物も、細菌も、芋虫も!』ぺっとまた、まえに広くなったすき間をうめでもするように、勢いよくツバを吐いた。『そういえば、』と、また頭に渦巻く考えをすすめた。『さっきもニュースで大統領が言ってたってな。(アパートを出る前までみていたテレビのことを思いだした。)感染者に消毒を注射してしまえってな。(それからふと、子供のころの、青い空を思いだした。林に囲まれた瓦屋根の向こうの、青い空。少し、薄雲のまとまりがあるかもしれない。そこに、ヘリコプターの音が聞こえてくる。低空で飛んでくるそのばたばたというエンジン音は、先に流されていたであろう、「外に出ないでください」というアナウンスのこだまも呼びおこしてきた。ヘリコプターが屋根すれすれに走りすぎると、白い霧のようなかたまりが上空で発生し、花火のように消えた。爆音が、史郎の住む家の真上でおきたときには、少し音が遠ざかったあとで、ばらばらという雨音が屋根をたたいた。)ああやって、ばらまいちまえばいいじゃないか! アメリカ毛虫を殺したみたく、どうしてまたやらないんだ? スペインじゃやってるって話しだぜ。爆弾みたく、アメリカシロヒトリを、いやヒロヒトリを、ヒトリヒトリを、あいつもこいつも、みんないっぺんに、殺菌しちまえばいいじゃないか!』
島原史郎は、歩くのもままならなくなった妻にたのまれて、買い物へと外にだされたのだ。四月にはいってから、妻は咳き込みはじめた。熱はないので、近所のかかりつけの医院にみてもらった。レントゲンでは、肺炎をおもわせる影はないが、心臓が肥大していて、肺を圧迫し、そのために呼吸が苦しくなるのだろうという。詳しい検査はしたほうがいいが、症状が激しくないのならば、いまは病院にはいかないほうがいいという。
そのうち、史郎にも咳の症状がでてきた。『けっ、おれにもとりつきはじめたってわけか、イボイボの王冠が? 名誉なことさ、にわかキングだとしても、分身の術で繁殖していくクマムシ・テンノウだとしても! コケのむすまで培養してやるさ、さあやってきやがれ、子どもたちよ、王子さまよ!』そして足を止めると、大きく腕を伸ばして、深呼吸のように、息を吸い込んだ。細かい雨粒が、鼻の穴の下をくすぐった。ごぼっ、と、また咳こんだ。『まあ七十日もすれば、かってに自滅していくって話もあるけどな。感染した一億総赤子たちも、しょせんは人為の即席ザーメン、お湯いれ三分いっちょあがりで、自慰みてえなもんで想像妊娠したんだろう。それとも自家受粉の近親相姦か? いやミツバチってのは、同じ花の蜜はすわないし、花のほうだってあたしゃもう犯されましたって、色かえて知らせてやるってじゃないか。草に木をついだボタンかい? 地べたにはいつくばって生きる雑草に寄生して、汁吸ってのさばって冠を咲かせて七十日、またかえります、あなたのもとへ、草むすかばねとなりはてて、シャクにさわるかシャクヤクさん、いいきなもんだね海ゆかば、山ゆかば、ウサギおいしいふるさとにホバリングするオスプレイ、ばたばたばた、自然にかえる、おのずからかえる、死んでもあなたについていくってか!』
島原はまた足を止めて、空をみあげた。スロットマシンのような灰色のビルが、灰色の曇り空ととけあっているが、雲に切れ間ができて、うす日がにじみだしていた。この役所のある駅前は、再開発がすすんで、名前の知れた私立大学のキャンパスなどが誘致されてきた。斜めにスライスされてあるような、この地区のランドマークとなったビルも、新しく建て替えが決まっている。投資の対象になっているだけではないかといわれる、タワーマンションもできあがった。通り抜けてきたかつては路地のような道も、きれいに拡張ずみだ。そのあたらしくなった大通りの西側には、戦時中、スパイを養成していた警察学校があった。跡地には病院ができて、残った敷地は区民の災害避難所のために、ひらけたままにした公園とするか、開発するか、という議論がある。その開発途中の広場を右手に抜ければ、駅へと向かう直線の幹線道路となって、雑居ビルに入る店の幟や看板の彩りのにぎわいが目にとびこんでくる。駅からは、猥雑な臭いもする大通りを逃げるようにまたいだ、歩道橋がかけられた。まばらだった人は、駅や繁華街のビルの隙間にすいこまれるように集まってきて、重なる。雨にぬれた桜並木は黒くひかって、さしてきた日の光は、ではじめた緑の葉を輝かせた。『ちきしょう、マスクマンどもめ…』島原は、人混みのなかへとはいっていった。『ひかえひかえひかえ! コロナマンの登場だぞ、そんな使い捨てだの手作りだので、おれのばらまくバイキンをふせげるとおもうのか? この菌タマが目にはいらぬのか!(肩を切って、歩きはじめる。)へっ、いい子いい子しててえやつらはしてりゃあいい。おとなしく、ひきこもってろ、マスクの繭のなかでまどろんで、いつまでもサナギマンでいればいい。みにくい蛾となったおれはコロナ鱗粉を世界に羽ばたかせて、ばたばた、ばたばた、太陽までのぼりつめる。地球では日食がおきる。モスラの影がドクロマークのように大地にきざまれる。黒点が、最大になる。コロナが最大規模で舞い上がり、最大の太陽風が地上にふりそそぐ。すべての生き物たちが、最大の光の風に感謝する。あまてらすおおみ神になったおれは、みなから、すべてから祝福されもとめられる命の源、菌タマになったのだ。アーメン、ザーメン、もっとふれぇ……え~い、やんじまったのか?』天気雨となったのか、細い針のような流れが頬をさした。火照った顔に、気持ちよいすがすがしさがはしった。がすぐに、それは寒気にかわった。ごぼっ、ごぼっ、と島原は咳きこんだ。アーケード通りの入り口にあるカステラ屋に並んでいた客が、あとずさりした。『けっ、そりゃてめえらにはむりだろうよ、ひきこもりの訓練うけてるわけじゃねえしな!(島原はコートの袖で、口をぬぐった。)サナギにもなれないで、よちよち、でてきたってわけか。パパママボクの三人で休暇養成してたって、虐待DVなんでもござれにしかならんしな、いい気味なもんだ、なにが核家族だ、核爆弾だ、角さん助さんだ、見ろ肛門の門どころ、そこにナニがある? 見てみろってんだ、なんにもねえじゃねえか!』駅から街のほうへと出てくる人はちらほらだった。またまばらになった歩道の赤っぽい敷石の上に、ぺっとツバをとばした。『地下鉄にサリンばらまいた連中は理科系だったからな、だからなんもねえご託にはまっちまったんだろう。ウサギ小屋から一歩でればジャパン・アズ・ナンバーワン。わんわん、犬みてえに吠えてたしな、うるさくってしょうがねえ。世界を瞑想の冥途につれてってやるからヘッドギアつけろって、無からの創造か? しょせん、ガスじゃ拡散しても感染しねえしな、無謀だったんだよ。必要なのは、サティアンじゃない。工場じゃない。培養人間だ。自然栽培だ。高利貸しみたくどんどん増やして、指数関数的な増加だ、利子だけでも支援します、吸ったぶんだけ吐き出してください、もっと、もっと、もっとまき散らすんだ!(ちっと舌打ちをして、突き当りを左に折れた。)ない袖はもうふれねえからな。ジャパン・アズ・ナンバーゼロ。振り出しにもどる。いやマイナスにふくれあがった借金にまみれて、身ぐるみもはがされて、文無しの文盲が文句も言えずに門前払いされていく、出し抜け政府から、世界政府とやらから、おまえがだ、おまえもだ、おまえも、おまえも、おもえも!(すぐにまた右手に折れると、ちょっとした人だかりにあたった。妻からいわれたスーパーは、すぐ目のまえだった。)……おれは、金をもって、買い物にきたんだっけか……』
島原史郎は、コートに突っ込んでいた左手をだした。その手には、妻からわたされた買い物のメモ用紙がある。とうふ、なっとう、もち、ヨーグルト、料理酒、トマト……右手の方も、コートからだした。無造作に折りたたんでいた布製のバックがひろがった。犬のようなウサギのような二匹がシーソーで遊んでいる白色の絵が、茶色の下地に描かれている。フランス語で、なにやら書かれていた。それを手さげて、店のなかへとはいっていった。まえの客が、自動ドアをくぐったすぐ右側のテーブルに置かれた消毒液をつけて、手をぬぐった。島原はいっしゅんためらうように体の動きをとめたが、後ろからはいってきた客の気配におされるように、消毒液のはいったボトルの頭を押して、手提げ袋を手首にまでずらして、ぬるっとした液体を片方の手のひらで受けた。両手をあわせ、ぶきようにこすってなでまわす。開いたままの自動ドアをくぐると、右側にエスカレーターが、左側にはパン屋があるのだと気づいた。くねったような通路が、商品の積みおかれたにぎやかさのうちへつづいていく。手提げをもっていたほうの腕を、肘を曲げたまままわしてみた。肩が痛んで、よくまわらなかった。「五十肩じゃねえよな……」気おくれするようにそうつぶやきかけたところで、咳がのどのところまでせりあがってきた。曲げた肘をそのまま口にもっていくと、ごぼっ、ごぼっとこぼれた。熱があるようだった。そのまま通路をまがって、棚が列をなして並んでいる店の奥へと向かう。何が、どこにあるのか、わからない。商品棚にうずもれるようにして、何度もおなじところをさ迷う。時間だけが、すぎていった。……
ようやく買い物をおえた島原は、駅前の通りにもどることはせず、店の前からつづく路地道の中にはいっていった。居酒屋や小さなレストランが、ひと一人が肩をこすりあわせてすれちがえるほどの道幅を、占領している。そこを抜けると、アーケードの中側の商店街にでる。小綺麗に展示された商品の華やかさをすり抜けてよぎり、すぐにまた路地にはいった。普段よりは人通りは少ないとはいえ、人工的な輝きの中からビル間にもれてくる日の光だけの世界にでると、薄暗く、さびれた雰囲気の中に取り残されたような感じになる。がその音の消えたトンネルのような隙間の向こうには、明るい透明な日光が注いでいる。そこは来たときに通った大通りで、燦然と輝きはじめた日の光をさえぎるように桜が枝葉をひろげていて、その下、信号待ちをする人混みができていた。一番後ろについて、横断してからまた信号をまつ。品物をいれた手提げ袋はおもたかった。肩の方へかけなおした。このままアパートへ帰って休みたかったが、大通り沿いにある本屋へ立ち寄ることにする。広い自動ドアをくぐると、四角い柱を囲むように、新刊本がうず高く山積みされている。親子連れが多いような気がした。絵本のコーナーに集まっていくようだった。新刊の棚をぐるっとまわったあとで、入り口の方へもどってエスカレーターにのった。二階には、分野にわかれて、専門的な書籍が集められている。何年か前にこの本屋はあたらしくなって、棚に置かれる本の種類が広がったような気がする。人文系の本棚のまえに、島原は立った。見覚えのある著者の名前が目に飛び込んできた。平積みにされたその白い本は、『世界史の抗争』と題されていた。
散歩
杖をもって玄関をでると、すぐ左の、開かれたままの非常扉をくぐって、階段の踊り場へと出る。青空のもと、ましたには中学校のグランドがひろがり、その向こう、校庭の上段になるように、地元ではバッケと呼んでいる野球場の高いフェンスと、人口芝のグリーンの輝きが目についてくる。十一階ある団地の六階に住んでいるので、ビル並みの向こうには、低い山々が地平線をひいているのも見えるはずだが、夏に近づいた空はそこまでは霞んでいて、いまはうかがえない。妻の父からゆずりうけた、こげ茶色の細身の杖の取っ手を、胸ほどの高さのコンクリート壁の天端にかけると、ルーティンとなっているラジオ体操をはじめた。西側のビルの群れと、北側のビルの群れの間は、バッケ野球場からせりあがる小高い山が視界をさえぎっていて、少し深い森のような中に、大学のキャンパスがエンジ色の建物を頂上にのぞかせていて、ガラス張りのようなファサードの曲面が、南よりそそぐ日の光を反射している。
数年ぶりでぶり返した腰痛のため、体操はぎこちないものとなる。子供のころおぼえたラジオ体操のさわりの部分、手足をぶらぶらさせたあとは、階段にあげた片足のかかとをのせて、バレリーナが手すりをもちいてするようなストレッチをする。スクワット、片足立ち、といった、軽く筋肉を維持するようなトレーニングも加えているが、そのさいは杖をとり、地に立つ足を三本にして、ゆっくりとおこなった。また杖をもどして、ピッチャー・モーションと、バット・スイングの動きを、太極拳のように、静かに呼吸をととのえながらくりかえす。最後はかるくジャンプして、腰を落ち着かせようとするが、恐怖心がたって、両足は浮かなかった。症状は、ぎっくり腰と同じだったが、ぴきっという、腰のかなめが切れたような音のする感覚はなかった。少し張っていて、かがむさいにはなにか筋肉がひっかかる感じはあったが、発症するまえの祭日には、子どもとキャッチボールまでできていた。それが翌々日の仕事のときに、急に腰がぬけるような、体の言うことをきかせる神経回路がオフになって力がつたわらず、どう動かしていいかもわからない混乱とともに、腰回りの筋肉が強烈な緊張ではりはじめ、あああ~と間の抜けたような痛みにうなされ叫びをあげることになったのだった。緊張の波が消えると、ふつうに歩け、どこが悪いかわからないぐらいなのだが、気を抜いて腰をまるめたり、しゃがんだりするさいに、そのマイナスの痛みというか、ブラックホールに吸い込まれていくようなとたとえたくなる激痛の波動がおそってくる。腰によいと見聞きした体操や、相撲の四股や壁を突くような押す動作が、腰痛をむしろ緩和していくと気づいたりしたから、日々そんな訓練をくりかえして数年、なんとか腰のぴきっときれる傷みはまぬかれるようになったのだとおもっていた。が、ここ一週間以上つづいた草むしりやグランドカバーの手入れで、腰の張りは極度にたっしていたのだろう。意識的には感づけなくとも、体がわかってくれるわけではない。いや、その意識に、迷いが生じていたのも確かだった。マッサージにいく回数を、濃密接触とやらになるのかもと、一度へらしていたからである。が、こうなってしまうと、もうウィルスへの恐怖どころではなかった。
階段をおりると、ピロティへつづく一階の廊下を抜け、駐輪場にもなっているその広場から表どおりへと出た。今度おおきな地震がおきたら、この柱かずの少ないピロティのところから崩れおちるだろうか? 東日本大震災のときは、そのふた月まえほど、木から落ちたが命拾いして、松葉杖をついて部屋で休んでいた。車いすからは解放されたひと月あとくらいだったろうか、六階の部屋は、かなりゆれた。タンスや冷蔵庫などにつっかえ棒や、机などもベルトでとめてあったため、家具がたおれるということはなかった。地震のあと、建物内をみてまわった。そのときは異常はなかったと記憶するが、数日後の大きな余震で、玄関門口などの弱い部分に、亀裂が走ったのに気づいた。一階のピロティのひらけた空間方向へと、いくつかの階の柱から壁につたわった、稲妻のようなひび割れが目についた。災害認定されて、家具などの破損には、保険が適用できる措置がとられた。もう建造されてから六十年近くがたつだろう、当時としてはハイカラな形をした、この区域でも一番最初の団地だった。老舗の、ゼネコンが請け負っている。南から北へとのびた一号棟は、日の光を各部屋に少しでもあてられるよう、斜めの段々に後退していくような、変わった雁列構造をしていた。それが、モダンな印象をあたえた。よそ目には、羨望の物件だった。しかし、地元の人にとっては、それでも入居がためらわれるような土地柄らしかった。一号棟と、その丘の下にある南に面した二号棟との間にある崖は、かつて防空壕がほられ、戦争がおわったあとにも、家をなくした人たちがそこで暮らしていたという。崖上は墓地で、その先には、皇室を荼毘するに指定されているという火葬場があった。私よりけっこう若い世代にも、その幼児のころの記憶があるらしい。乞食山と、地元の人はささやいていた。だから、地元の野球仲間の不動産屋は、私にこの物件は紹介しなかった。妻の気に入るアパートがみつからなかったので、駅前の、テレビコマーシャルもだしている不動産屋にかえて、みつけてもらったものだった。管理は、もと公団だった。
川のほうへくだっていく表通りをおりていく。この小高い丘とその崖下にたつ団地は、しかし戦争あとになってから、そうささやかれはじめたわけではなかった。この江戸時代にはあった通りは、職場の植木屋のほうへくだっていくと、関東大震災で下町から避難してきた人たちの町名をつけた商店街通りにでるが、かつてその近辺に住んでいた、作家の林芙美子が、散歩道として描写している。その戦前の作品では、乞食部落として記述されている。商店街にでる手前には、朝鮮人の集落があったこともしるされているが、その部落も、団地が建てられる頃まで残っていたようだ。
私は、その林芙美子が自宅のほうへとおりていった散歩道ではなく、彼女が行って来たほうへと足をむけてゆく。結局は、彼女がとおった、団地下にあるこの地域の神社から、西武線で一駅むこうにあたる、駅の名前にもなっている薬師如来を本尊とした寺のあたりへといくのだが、より遠回りに、川沿いをあるき、明治期に、哲学世界を視覚化してみせたという公園を傍目にみていくコースをとる。川沿いの児童公園では、人があふれている。緊急事態のひと月あまりの延期が明日にも表明されるといわれていた。自宅にこもるよう要請されていても、そこまで従ってみせる実感はないだろう。マスクは子供もふくめ、みなつけている。ジョキングをする人たちも、多くなったままだ。日中は、そうとう暑くなってきている。いつまでマスクをしていられるのだろう。私は、胸ポケットにいれたままだった。哲学堂わきの遊歩道では、春先に咲くツツジらにかわって、サツキの赤いつぼみがひらきはじめた。日光浴にでてきているような人たちにまじって、私も杖をついて、世界の偉人たちを象った黒い彫像をすぎてゆく。
都心を縦断する総武線の、拠点にもなっている駅へ向かう大通りへでると、しゃれた店などに出会わすが、ときおり、扉を閉めきっているままなような店のまえをとおりすぎる。このさまは、線路をこえ、解体のはじまった小学校のわきをとおり、寺と神社に覆いかぶさる木々のあいだをぬけて、駅に近づいてゆくと、なお増えていくだろう。薄手の長袖のシャツでも、もう二キロぐらいはあるいているだろうから、汗がにじみでてくる。古木といってもいい大きな桜並木が、日をさえぎってくれてはいるが、湿度がでてきているのか、じっとりとくる。風はあった。背後からこちらを勢いよく追い抜いてゆくとき、心地よくなる。雲も、多くなっているのかもしれなかったが、頭上をおおう桜の枝葉がさえぎっていて、空はみえない。道路わきの家やマンションも高層なものがおおいため、夕刻にむかうこの昼下がり、商業区域になるだろうこの界隈は、閉ざされ、暗くこもった陰影をおびていた。今朝の新聞では、隣の区の商店街でとんかつ屋を営む五十歳過ぎの主人が、焼身自殺をしたのではないか、と報道されていた。リーマンショックでバブルがはじけたとき、その発生の数年後、自殺者の数は急増した。毎年二万人ぐらいが自ら命をたっていたわけだが、それが三万人をこえた。私と一緒に草野球をしていた不動産屋の社長も、まだ幼い子どもを残しながら、車のなかで睡眠薬をのんでなくなった。資本を揚棄することを目指した社会運動で知りあった年上の塾講師は、その自殺数増加を、当の運動を創始した著作家の理論をつかってむずかしく解釈したあと、みずから命をたった。今回の騒動で、どれくらいの人が、断念するのだろうか、ウィルスに直接おかされたのでもなく、家からでるなといわれ、そのとおりこもったまま家を燃やして死んでゆく…。
都心部へむかうもうひとつの大通りとぶつかると、急に開けた感じになる。桜がひとまわり小さくなって、空が広がり、銀色のビルの連なりが日を反射し、人通りの賑わいが、目の前からいっきにやってくる。普段の祭日よりは表にでている人たちは少ないのだろうが、それでも、都会の一角であることをおもわせるに十分だった。この区の役所も、すぐ近くにあった。再開発をうけた区役所側は、道も広くなっていて、街路樹の植木もまだ新しくみえた。ゴールデンウィークがあければ、カレンダーどおり、仕事ははじまる。親方の同級生の西東京市の農家の手入れに、二日かけてうかがうことになっていた。それまでに、腰はふつうに動くようになるだろうか。私の腰がこんなふうになったとき、妻は、近所のかかりつけの医師から電話でよびだされ、心不全を宣告されていた。まえの診察で心電図をとったさい、不整脈は指摘されていたが、何か気にかかるところが医師にあったのか、再確認のためレントゲンをとりたいとの意向だったらしい。都外の産婦人科の庭の手入れをしているとき、とつぜんラインがはいって、妻から知らされたのだった。「で、それがどんな意味で、だからどうするというんだ?」と、ピンとこない私は返信した。昼めし休みのときに、検索してみる。ガンの次におおい死因で、入院になると、余命は長くて五年、末期症状とはこんなものだと書いてあるのだが、すべてが妻の症状にあてはまるようにみえた。ちょうどその二日まえ、ウィルス重症化する前兆としての症状がテレビで繰り返し報道されていて、そのチェック項目がすべてあてはまり、熱のないコロナ患者というのもあるのか、熱があったら医者にもみてもらえない現状のなか、ないのでみてもらおうとすると、非常時だからたいしたことなければ医者にはいまはいくな、と矛盾した現実の対応がうまく理解できないままでいた。「ママは、だいじょうぶか?」と、学校もなく、部屋でスマホをみてごろごろしているだけのような息子に、ラインをおくった。「心臓がわるいって」とすぐにかえってくる。「心不全、スマホで調べてみろ」とおくりかえす。「うん」、とひとことかえってくる。そのひとことのおわりは、子どもが子どものまま受け止める悲劇の表現のような気がしてきて、落ち着かなくなる。仕事をおえて、東名高速をつかって家にもどると、妻が、食卓の椅子に腰かけていた。息子は、中学時代の友達とともに、隣の区のグランドのある公園までいって、野球をしにいっているという。もらった薬をのんだら、だいぶ楽になったともいう。「痛み止めか?」ときくと、「心臓の薬」だという。ネット上でヒットしてきた情報と、自宅療養をとらせる対応の落差が腑におちず、医療にかかわる翻訳とうの実務にたずさわっているらしい友人にメールでたずねてみる。いまは心不全とは広い文脈でつかわれており、難病と指定された持病で服用しているペンタサという薬の副作用としても、心不全になるという報告があると、大学病院での症例研究のPDFファイルへのリンクをはったメールを返信してくれた。自分の父親もそういわれて、心臓カテーテル手術を受けたりしたが、今もって七十七歳で健在だとの私信を添えて。私は少し安心した。妻の両親は長命だったが、親戚には病でたおれた人がいるとその名前を数おおくあげる。妹も、白血病になった。健康をとりもどして、まだ感染がそう騒がれていないあいだ、いまこそ京都は外国人がいなくて静かだからと、旅行にもいっていた。が、流行の深刻度がましてくると、それどころではなかった。私たち普通の者がかかっても、病院はまず看てくれないでほっておかれるからと、自身は住んでいるマンション前の東大病院で治療を受けている者なのだが、四月にはいっての私の会社でもうけた仕事連休を利用しての、昨年、一昨年とたてつづけになくなった彼女たちの母、父、ふたりの墓への埋葬、東京郊外に購入した樹木葬の実施は延期にしようとなったのだった。三月当初、私はもしかして、致死にいたる相当な感染規模になるのでは、とおもっていた。だから、持病もちなのに、ずいぶん呑気なもんだな、とそう意見すると文句を言い返されるから黙っていたが、私の女房も、すでにほとんどの人がとりやめていた千葉の房総へのバス観光グルメツアーに、何かの景品であたったとかいって、ひとり喜び勇んで行ってきたのだった。三月末の、春休みを利用しての、息子と高校友達との大阪旅行は、友人の両親の勧告もあって、とりやめになった。身近なものたちがみせる深刻度は、そこから急激にあがっていった。ゴールデンウィークを利用しての、群馬と千葉の実家の庭の手入れ予定も、近所の目を忖度する私の母や弟、妻の言葉を受けて自粛することになっていた。しかし、理由はさだかにはわからないとはいえ、感染の質じたいは、予想していたほどではないのでないか、と私はおもいはじめていた。挨拶のハグがあるかないかとの文化的差異、BCGの接種のあるなし、アジア人種としての免疫的体験……いろいろ言われていたが、統計的に、欧米社会とは規模もひとまわりちがっているようにおもわれた。むしろ、その社会的対処のほうが、より決定的な深刻さを人々にあたえていくのでは、とおもわれてきた。四月半ばには、その統計上の差異ははっきりしだし、私が信頼しうる知識人たちの発言も、そう傾きかけていた。テレビでみる政治家たちは、いまこそ出番なように、この危機を嬉々として受け止めているような印象をうける。腹を決めて、受け入れるべき犠牲とその根拠を、国民にきちんと説得しうる論理を構築していく意志とは真逆の、流言にのった現状維持策、つまり、何もするなということを、声高にとなえるほど、勇敢な行動家にみえてくるからくり。おそらく、店の自粛要請を無視して工夫し、もらうだけのものをもらって生き延びる決意をもった個人経営者のほうが、この危機をのりこえることができるだろう。真に受けたものは、さきにつぶれていく。そんな光景は、かつての戦場の組織の間で、見受けられていたのではなかったろうか…。
ビルの谷間の上空を、ジャンボ機がおりてくる。もう、三時をすぎているのだろう。風は強くなってきたが、都心の真上を迂回させるほどのものではないのか。この地区の上、ひくいところは、横田空域といって、アメリカ軍の管理下にあるということだった。だから、その空域の上を、旅客機は眠気を奪うとも誘うともいえそうな、中途半端な爆音をばらまき落としてくる。もうひとつの飛行路が都心よりにもうけられていて、手入れにはいっている寺の上を、便によっては相当ひくい高度でかすめていくのだった。が、三月の試運転ではひっきりなしに通っていた飛行機の数は、ここにきて、どんどん減っていき、いまは、ほんの数便が都会の上空をかすめていくだけだった。その数少なくなった便のひとつがいま、斜めにスライスされたような白いビルの上を通過してゆく。空を裂くエンジン音が、人混みの雑音にまぎれてきえてゆく。マスクをつけた誰も、その金属の塊を気にはしないだろう。
正岐は、飛行機がすぎていった白いビルの手前まできた。デパートと一緒になった本屋にはいってみる。図書館から本が借りられず、なにか読みたい本があれば、と考えた。エスカレーターをつかって、二階の人文系のコーナーへ行こうとするが、閉鎖されている。いつもは、そこから見はじめて、ぐるっといろいろな分野をひとめぐりする。仕方ないので、一階の柱のまわりに積まれた、新刊や話題の本が置いてあるコーナーへよる。そのいっかく、日本人の著名な人たちの書籍をあつめた棚の下の段に、平積みされた白っぽい表紙に黒の字でタイトルされた本があった。時枝兆希とあったその著作者の名前には、聞き覚えがあった。手に取って、ページをめくってみる。
『世界史の抗争』(時枝兆希著 トランスミッション出版)
はじめに
みなさんはおそらく、自分が絶望しているのではないか、そう感づいているのではないかとおもいます。それは、もしかして、人類は絶滅してしまうのではないか、という、認めたくない不安からくるかもしれない。そして、もしそれが本当だとして、その原因が、私たち人類自身にあることにも感づいている。だから、もしかりに、人類が十数年後に絶滅してしまうのだとしたら、私たちは、この現在を、どうふるまって過ごしたらいいのか、と問うことは、空想ではなく、私自身の内において、現実性ある切迫した問いかけになることでしょう。もはや、人間どう生きるべきか、という一般的な哲学的な問いは、もうすぐ終わるという確実性をまえにしては、意味を失わないまでも、この状況の最中を生きている私たちの具体性の中では、説得力を弱めてしまう。生きる、ということ自体が、力を奪われてある状況なのだから。だからむしろ、過ごす、という、日常的な終活の仕草が、大切になってくる。そのとき、人は、他の人々ではなく、他ならぬこの私が、どうふるまったらいいのかを、静かな覚悟をもって自省することに直面する。私が、現実的な、あるいは実践的な希望ではなく、絶滅を逃れうるかもしれない理論的な道筋を見いだすのは、そこにおいてです。
私はかつて、中国の文学から影響を受けた日本の近代作家をとりあげて、絶滅というのはないのだ、終末というのはないのだ、と説いたことがあります。たしかに、人類がなくなっても、地球のキャパシティーはいぜん残るでしょうから、生物の絶滅なんてものはないでしょう。その論理は、人間中心主義的な、あるいは中心(目的)をもった理論という非現実的な思考に対し、多中心という自然史的現実を対置させてみたものでした。しかし、ただ一つの仮の中心にすぎぬとはいえ、こうやって、人類の絶滅が間近にせまってみると、そんな正論が空疎におもえてきます。今から真剣になって、地球環境や生態の回復と保全に努めたとしても、その影響がでるのは、百年後、千年後の話になるのは、スポーツでも、訓練の成果がでるのは三か月後、半年後であるのと同じです。もう、間にあわないのです。ならば、他ならぬこの環境、この地球、この私たち人類のあり様にアクセスできるのは、この私たちの悲惨な現象を通してしかないのか?
私は、文芸批評家としてデビューしたころ、夏目漱石の言葉として、次のような言葉を引用していました。ひとつの空間を、ふたつの物が占めることはできない、と。これは、差異という哲学的概念のあり方を、端的に表現したものですね。通俗的には、ひとりの女をふたりの男が独占することはできない、だから、どかさなくてはならない、ということで、そうして『こころ』の僕は実践し、親友を自殺においこんでしまったわけです。哲学的には、これは普遍的な命題のようなものになるでしょう。差異の原理というわけです。では、この原理は、量子論的な世界にもあてはまるのだろうか? 一般理論的に、原子よりもミクロな世界では、物質のふるまいは、この世界の現象とはちがったふるまいをする、と指摘されています。トンネル効果や、量子のもつれ、とか呼ばれる現象が典型的なものですね。物質は、壁をすり抜け、どこにあるかを観測しようとするとそのふるまい自体が物質に影響をあたえてしまい、どこにあるかの位置が計測できない、位置と運動量とを同時に見ることができるという世界の現象があてはまらない、というわけです。が、本当なのでしょうか? ここでいう本当とは、このマクロな私たちの世界での現象と、ミクロなあの世界での現象に、差異などあるのだろうか、ということです。あるとしたら、その一般理論で指摘されている、そんな現象の差異によって特定できるものなのか、ということです。逆にいえば、たとえば量子力学の計算手法によっても、ニュートン物理学で解いた以上に正確な、この私たちにとっての通常的な現象を計測することは可能なのですから、原理的には差異はない、と言い得ることにもなる、が、それは本当なのか、ということです。
差異はあるのです、が、そこにではない。
私がこの著作でやろうとしたことは、私の仕事にとって、新しいものではありません。かつての『探究』で追求した他者論を、最近の論考を加味して、量子論的な世界でも拡張してみせただけです。理論的な転回は、ここにはない。が、私が絶滅を認めたところからはじめているように、態度転換はある。しかしそのこと自体は、新しいことではない、が、そこに、決定的な差異があると、私は提起しているのです。その態度転換こそが、終末を逃れさせてくれるかもしれない理論的な道筋だ、というのです。私だけではない、みなさんが、静かな自省を迫られている、その一点において、あの世界への道筋が開かれるのだと。すれば、その世界が、この世界に、量子力学的に干渉する。
具体例で話しましょう。私たちが日常的に使うようになったスマホでは、半導体で、電子をつかまえているわけですね。電子は、量子論的なふるまいをするので、設計した通りの回路を通過してくれるか、その統御が難しい。どこかへいってしまう。それを、複雑な数式を使って、確率的に、その制御盤に追い込んでいるわけです。だけど、これは、大昔から、マンモスを追いかけていた人類がやっていたことです。獣というのは、一般に生物は、見つけようとすると、見つからないものです。気配を感じて、逃げていってしまうわけです。気配とはなんですか? 波動のことですよ。私たちの祖先は、それを利用した。獣道をしらべ、いくとおりかのパターンを確率的に予測し、落とし穴をつくり、獲物に追い込む私たちの気配を読み込ませながら、そこに追い込んでしとめる。技術のあり方としては、いまの科学者がやっていることとかわらない。しかし、技術を使う態度としてはどうですか? 獲物を捕らえたことは確率論的であり、偶然であり、僥倖であり、ゆえに、狩猟民は感謝する。科学者が、電子をとらえて、感謝してますか? してないでしょう。だから、原子力爆弾を作るまでになるのです。そこにあるのは、似て非なるものであり、それが、差異の現実性ということなのです。
この間、アメリカの国防総省が、UFOの存在を認めましたね。その意図は、直接的には、現大統領の選挙運動の一環なのでしょう。患者を救うのに、消毒液を注射すればいいとか、アホなことをいうので、UFOを信じているような支持者でもこんな大統領に任せていていいのか、と離反が起き始めたという世論がでてきた。その失い始めた一つの支持層を回復しようと、ネットですでに騒がれていた映像を公的に認めることで、大統領が交代せずにすんだら、何か秘密情報が公開されるかもしれない、と期待させるようしむけているのでしょう。しかし実際はそうだとしても、ではあの物体はなんなのか、という謎は残ります。ユング派の心理学は、それを集団幻想だとみますが、私自身は、かつて、「探究」誌上で、こういった覚えがあります。他の天体に知的生物がいるのは、論理的前提である、と。それがいる、いない、という認識論的な構えにいること自体が、その観測態度が、それを見失わせてしまう、ということです。私たちは、論理的な態度でなくてはならない。それがいる、他者が、知性体がいるということは、命題なのです。だから、なかには宇宙人との戦争を想定してしまう人もでてくるようですが、そんな心配はいりません。気配を感じれば、逃げてしまいますから。沈没船から脱出するネズミのように。観光客のまえには姿をみせないが、自然に作業を営む農家の人々の隣では、平然と餌をついばむトキのように。もしその知性体を他者ではなくエイリアンとして、異者としてみてしまうとき、私たちは、新大陸ででくわした原住民を虐殺してしまったように、それを殺すようになるでしょう。つまり、量子にせよ、宇宙人にせよ、そこに、目新しい事態があるわけではないのです。人類の世界宗教は、すでにその悲劇を取り込んでいる。そしてもう、私たちは、それを繰り返すこともできない。あとは、沈没していくだけです。
しかし、その沈没は、終末は正確なのだろうか? 私はかつてもいまも、世界宗教を倫理上の例として、よくとりあげてきました。しかし、たとえばノアの箱舟には、動物たちは乗船させてもらえましたが、植物はどうでしたか? あるいは、岩石や、土は、砂は? 水は、食料として蓄えていたかもしれません。つまりあくまで、世界宗教の範疇は、動物史なんですね。動物としての人類史です。しかしいまは、植物にも、知性があることが確認されている。知性というと、脳をもっているかどうかが問われますが、脳がなくても知的活動はできる、というか、脳を破壊されたら動けないような生物では、弱すぎる。そういう点で、植物は強いわけです。どの部分をもぎとられようが、生きていける。もしかして、ノアは、植物のその強さを見越して、わざわざ箱舟にはのせなかった、とは言えるかもしれません。しかし強いのは、植物だけなのでしょうか? 岩石の風化、砂への変化は、知的運動ではないのでしょうか? 彼らは、先を見越して、変身しているのかもしれない。砂粒は、とらえどころがない。電子をとらえた科学者はともかく、獲物を捕らえた狩猟民が感謝するように、この微粒子に感謝することが論理的命題だということは、どういうことなのか?
私がこの著作で試みたことは、これまでの世界史を、より量子論的に、唯物論的な自然へと拡張された、人類としての世界史に変更してみることでした。あくまで、私たちの、人類としての、世界史です。私たちは、他ならぬこの世界、この宇宙に生きている。この世界の法則は、この天体においてのみ通用する。言いかえれば、他の天体、他なる知性体たちを論理的に前提としたうえで、この世界の捕捉を変えてみる。ああもあり、こうもありえる、可能なる天体を前提に、この人類の世界の軌跡、世界史を変えていく試み。マルクスは、哲学者は世界をさまざまに解釈してきただけだ、重要なのはそれを変えることだ、といいました。私は、それをより正確に、こう言いかえたい。私たちは、さまざまな世界を解釈するために戦争をしてきたが、重要なのは、その世界史を変えていこうとする解釈に、態度変更を迫ることである、と。つまりは、私が提起しているのは、解釈をめぐる抗争、あくまでイデオロギー闘争です。しかしその解釈、イデオロギーは、この世界史の、人類で争われてきた世界をめぐる解釈の次元ではなく、鉱物を超えた波の天体へとむけて、自然史的な知的活動として協同しておこなわねばならない、ということです。人類の絶滅をまえに、プロレタリアートという階級的差異は意味がない。その差異へのこだわり自体が、人類としての解釈次元の現象、見かけにとらわれた異者としての、対立にすぎません。差異の原理は、その現実性は、そこにあるのではない。階級闘争ではなく、見かけを超えた天体へ干渉していくための、階層抗争にこそある。他なる天体、位相空間へ向けての、闘争の開始なのです。私たちの態度変更が、人類の世界史群の抗争の戦場を通して、量子力学的に干渉されてゆく。ひとつの空間を、ふたつのものが占めることはできない。人類の観測態度が変更され、波の揺らぎが変わり、つまりは皆さんの態度が同期し、干渉が成功したとき、この虐殺の、絶滅の世界史は、この空間から排斥される。私たちは、その闘争の現場に、参加しなくてはならない。そこに、何々があるのかは知りえていませんが、そこにいたる理論的道筋とは、そういうことです。
これはオカルトなんではないか、とみなさんはおもうかもしれませんね。しかしそうおもうとき、みなさんは、私たちが十数年後に絶滅するということを忘れている。つまり、論理的前提を見失って、またエイリアンと暮らす世界史にもどってしまっているのです。しかし、他者はいる。その知性のあり方も、多様である。それを前提にすれば、一挙手一投足がかわってくる。十数年後に終わってしまう世界で、お母さんたちは、子どもたちに受験勉強を尻たたいて教えるでしょうか? 自粛を要請された戒厳令的な世界で、いま、私たちは人見知りするように引きこもり、引っ込み思案になっている。それは、トキや、宇宙人とおなじような生態になった、ということです、世界史の抗争の場へと、私たちが近づいているということなのです。量子も、宇宙人も、トキも、私たちも、人知れないところに出没する。環境条件はそろった。そののっぴきならない世界のなかで、あなたは、どんな歴史を、どんな十年を構想することができますか?
ふろ
湯船の底にひざをついて、背中を立ててつかる。実際に湯が沈めているのは腰あたりまでなので、手ですくったお湯を肩、腰上の筋肉へとかけてあたためていく。腰を丸めて、体操すわりのようなことはできないので、こんな風呂の入り方が、もうひと月近くつづいていた。しかしそれでも、散歩でよりかたくなった筋肉はほぐれてくるように感じられて、気持ちも弛緩してくる。ただ気をぬけきってしまうと、しぜん腰は丸まってきて、またピキッと、ドイツ語では魔女の一撃というそうな、力の芯をぬいてしまう衝撃がはしりかねない。そうなってしまえば、せっかく普段の姿勢に気をつかって、ゆるんできた緊張、おさまってきた炎症がぶりかえされて、もとの症状にもどってしまう。そういえば、都知事も似たようなことを言っているな、と湯を肩にかけながら連想する。あともうちょっとのところまできています、気をゆるめたら元も子もなくなってしまいます……他県での宣言解除を間近にして、すでに都心の外れにあたるだろうアーケード街は、若い人たちを中心にごった返していたのは先週になる。昼飯どきとしてはもうおそかったが、あちこちの店先では列ができていた。「もうあきがきてますよね」と、野球仲間の焼き鳥屋の主人が言ったのは、夕食のオカズにと買いにいった一昨日だったか。それは冗談ではなく、真実な皮肉で、「しのげそうですか?」とのこちらの問いに、「借金だらけで」と、さえない真顔で答えたのだった。彼には、今年進学をひかえる子供が二人いた。首都圏でも、明日には解除されるのだろう。
膝立ちのままで前を向いているのには無理があるのか、しぜん首はうつむいてくる。いや背筋をぴんとのばし加減なのだから、むしろ顔は上向くはずだが、首筋までこってきてはと防御がはいるのか、片方の手を腰に手をあてがったまま、顎が引かれて、湯の向こうで揺れる自身の下半身をみるともなくみるようになる。水面のすぐしたで、くらげのように広がっている黒い陰毛が、波に洗われる海藻ように浮き沈みする。岩場に張り付いたウニか何かにもみえるが、脇腹からほぼまっすぐにおりる肉の断崖のか細さが、あまり命をいとなむ生き物を感じさせない。「やせたわねえ」と、いまは心臓をわるくして入院している女房が言ったのは、ウィルス騒ぎがはじまったあとのほんの数か月まえだったはずだ。「食べないようにしているから」、そう答えた私に「どうして?」ときいてきたが、それ以上言うのもはばかられて黙ってしまったのが、記憶の強さとしてなお脳裏に残っていた。一瞬、飢えという危機を体が覚えているときのほうが免疫が強くなる、というどこかできいた知識が頭に浮かんだが、その想起が相手に対する嘘ではなく、自身に対する抑圧であるとすぐに知れ、入定、という悟りとも決意とも知らぬ作法に誘われて自分がいま実践している、餓死という境地のために、もうすでにはじまっているのだとは、自分に対してもおそろしく、ましては、妻子に向かって言えるわけもない。理解されるわけもない。けれども、その覚悟とも憧憬とも感じとれるはばかりは、湯に浸かるいまもって心の底にぐつぐつと煮え立っている。いや煮え切れないで、悶々と、ぎっくり腰の衝撃とたたかっている。直してみせるという意欲は、健康という生への回復ではなく、死を慕う葛藤からきている。その葛藤は、両手をふさいだ買い物袋の重力の引っ張りが、脇腹の筋肉をのばしてほぐしてくれると知れると、風呂の残り湯をバケツいっぱいにしてあげさげするというポンプ操法ストレッチとして日課にとりいれてきた。草取りや脚立の上での立ちっぱなし、椅子に座っての長時間の物書き作業も、筋肉をひとつ縮こませる方向へと硬化させていく。だから、逆にひっぱる、伸ばす運動が、癖に固まってしまった習性を矯正させる。腰痛のときの穴掘り作業では、スコップで土をすくうときはやばいが、土を突き押す作業では、楽になっていく。土方仕事でも、ハツリ機でコンクリを突き刺して壊していく作業を無理やりつづけていると、腰痛がなおってしまうこともある。そんな運動はないかと、相撲の突きや突っ張りをストレッチにとりいれてきたのだった。そして今回、水のいれたバケツを体の横で脇腹を伸ばすようにして上下する、というのが加わった。死ぬために、体を鍛えている、まるで、三島由紀夫じゃないか、という思いもこみあがる。しかし三島の体が虚構の、虚栄の肉体だとしたら、この湯の上で隆起する腹筋の断崖は、生活の、必要な労働の産物だった。親方は、私の肉体をみて、まるでレンジャーだな、と言った。職人自身は仕事で偏った作業をつづけているので、右腕まわりだけがやけに太かったり、神輿担ぎで肩だけに瘤ができてもりあがったりして、むしろ不格好であるだろう。自分の場合は、中学の時の部活でのしごきで、軍隊式に腕立てや腹筋・背筋、終わりなきスクワットといったいじめに耐え抜いてしあがっていたのが下地で、そこに、あとからの肉体労働や、植木仕事で必要な節々が堆積してきている。暴飲暴食をするでもなく、むしろ食うことをひかえだしたこの頃だったから、腰まわりの脂肪が落ちたぶん、よりアスリートな身体になっているのかもしれない。着やせするので、見た目はか細くとも、肉体は強健だった。しかしそのぶん、歳の衰えには敏感で、正直なのかもしれない。いつまでも青春気取りがつよい、団塊世代の職人さんの強がりは鼻にきた。強がりは、醜い、嘘は、醜い、それよりか、老いを老いのまま演じる世阿弥の作法のほうが、美しくないだろうか、いや自然に死ぬまで生きながらえるのも醜い、いや、それは善くない、やることをやれたら、やることをあきらめられたら、そこを目安に、少しづつ、自らの意志で、死を作っていきたい、そんな憧れはしかし、子どものころから抱いていたような気もする。
水辺に打ちあげられた廃材かなにかのように、寄る辺なくただよう黒い揺曳のさらにむこう陰に、私の男根はあるはずだった。常に小さく、生きる意欲もないようなそれが、元気な男の子を産めたというのには、不思議な感覚がつきまとう。「おまえたつのか?」「精子がでるのかよ」とは、職人の世界にはいりたてのころ、よく酒の席で、親方はじめみなから攻撃された口癖のようなものだった。もう三十歳をひかえたころだったから、中学時代の軍隊式に鍛えられた精神と、ひたすら本を読んできた脳みその力は、そう言われつづけても動じなかった。あと一年もすれば、この人たちは何も文句が言えず、黙るようになるだろうのは、私には彼らの顔をみただけで明白だった。そのとおりになり、稼ぎ頭と呼ばれるようになって、俺の女房とやってくれてもいいんだ、と、夫婦仲をとりもってくれたらと期待されるようになるのに、何年もかからなかっただろう。遊びなれた不良あがりの職人たちの奥さんは若く、尻軽そうどころか、端正で利発そうな女性が多くみえた。そんな話を怪訝に通り過ぎていった私にも子ができたと感づいたのは、新婚旅行としていった関西での、女房の友人の家でのことだったろう。四国は香川で石工の山に登り、石切り現場の説明を職人からきけたその日は、岡山までもどり、プロテスタントの牧師の嫁にはいったという妻の友人の自宅、もと婦人警官だった彼女の住む教会の宿舎で寝泊まりしたのだった。起きてすぐに、山奥にある、大刈込みで有名な寺の庭をみる予定なのを、女房は気分が悪いからととどまり、私ひとりでいって帰ってきた夕食時、木肌や木目のはっきりした茶色い家具に囲われたただ広い食卓でかわした牧師夫婦との会話から、妻につわりがおきていると予測ができただろう。ただその場で、私は感づいただけで、意識はできなかった。おそらく、新しい環境を見慣れるのに精いっぱいだったのだろう。それからだいぶたって、たぶんは子どもが生まれてしばらくたって落ち着いてから、あああの時の会話は、牧師夫婦が、四十も半ばを過ぎた女が妊娠したのだがそれをどう思うのか、気づいているのか、と暗にこちらに知らせるなり問いただしたりするつもりの話しだったのだな、と思い出されてきたのだった。あれは、春先だったろうか、息子が生まれたのは、十月だった。女が子を宿してから、どれくらいで産み出すものなのか、いまもって私にはよくわからない。私は、腹のなかで、射精したのか、いつしたのか、できたのか、この子は、ほんとうに自分の子なのか、わからない。そのわからなさは、気になるわけではなく、情愛の生活を日々いとなんでいても、それとはべつな感覚として、宙づりにされた不思議さ、不可思議さをつきまとわせる。そしてその疎隔さは、世の中の現象として目前にあることと、同じようなこととしてかさなってくる。
散歩がてらにいったいつものマッサージの店では、ベテランがひとり常住しているだけだった。整体師として国家試験をとおってはいるのだろうが、やはり技術が未熟な者たちが幾人もいたはずだが、もう顔をみなくなって二か月はたつだろう。三つあるベッドも、中央のひとつだけをつかうだけで、あとはカーテンを閉め切ったまま、ひっそりとしている。三密とやらをふせぎ、ソーシャル・ディスタンスを設ける、とかいう世の方針に従い、お客は予約だけのひとりだけを中にいれてやる、ということなのだろう。だとしても、客がくるわけではなかった。雨で仕事休みの日、週末と、非常事態宣言のなか、私は通うこととなった。その間、店には、電話ひとつかかってくることも、ドアをあけてマッサージを頼んでくるものもなかった。この店は、全員が中国人の若者たちがやっていた。郊外や住宅街に近くなる都心部のはずれに位置する商店街通りには、いくつもの整体屋があって、客の入りをみかけることはたまにあったが、ここはさっぱりだった。一軒家も多い住宅街でもあるから、人通りが閑散とすることはない。比較的値段の安いここは、まだ腕が素人だろうという整体師もおおく、また中国の女性たちもおおいゆえか、客にも主婦風の女性や若い女の子もみかけた。がぱたりと、いなくなる。しかし私には、予約も確実にとれ、店は静かで、よかった。常住になった眼鏡の青年も、きょうの客が私ひとりで、暇をもてあましているのか、余分に熱心にやってくれる。「かたいねえ」と、日本語としてはイントネーションのありどころのちがう声音を発しながら、どうこの凝りを崩していくかと、試行錯誤をくりかえすように、やってくれる。一時間のはずが、アラーム音が鳴り終わっても、技術者としてのおさまりがよくなるまでと、つづけてくれる。凝りをほぐされながら、その痛みと気持ちよさに沈んでいきながら、なんで自分ひとりなのだろうという意識が浮上してくる。カーテンの向こう側からは、音楽がながれてくる。以前は、胡弓をかなでた中国をおもわせるようなメロディーがおおかったが、このベテラン青年ひとりになってからは、いつもおなじ、風の谷のナウシカをアレンジしたような曲になっていた。その何種類かのバージョンが、繰り返される。そのか細い旋律を、うつむきになって耳にしながら、弛緩していきそうな全身から幽体離脱でもするようにして、不可思議さの感覚がもたげてくるのだ。
湯がさめるのもおそくなった。もう、夏がくるのだろう。息子に湯冷めを注意していたのはついさっきまでのことのようにおもわれてくる。アトピーの息子は、季節の変わり目でもなくとも、すぐに風邪をひきやすい。いまは風邪でも医者にみてもらえないんだぞ、そう口をすっぱくしていたのは、逆にとおい昔のようにおもえてくる。遊びにいった息子は、まだ帰っていなかった。部屋には、誰もいない。心臓の弁がはずれたのは、地域のサッカー・クラブで三年生と一対一をやったからだ、と検査後の医者からの説明におもいあたる節でもあったのか、女房はラインをいれてきていた。おそらく、来週、手術をすることになるだろう……湯からあがるとき、黒い毛の塊が足蹴するように水をきって、しずくが、下に落ちた。
夕飯
夕飯まえの食卓について、目薬をつけながら、氾濫した河川と水没した家屋の映像をながしつづけるニュースをみていると、団地の粗大ゴミ置き場から拾ってきていた球形のソファで寝ていた息子がおきあがり、テレビの前をよぎって、「風呂はいれる?」ときいてくる。土曜の夕刻はいつも、ガソリンスタンドへバイトにいくはずなのだが、今日はないのだそうで、その理由を聞く気もおきないまま、プラタナスの葉裏の粉でなおごわごわした瞼とこぼれる涙をタオルでふいて、非常事態宣言のコロナ下でもよく仕事をつづけてくれたと一万円の報奨金をもらっていたはすだがと思い返す。コンビニのトイレが使えなくなって、スタンドで用をすましにくる人たちがおおくなって、息子は、そのトイレ掃除をしてその日の仕事を終えるのだといっていた。その息子が使用した、バイト先と高校で配布された使い捨てのマスクを回収して洗濯し、ため置きしていたものが私の植木仕事で役にたつとはおもわなかった。あてどなくコンビニの袋の中で増えていったマスクは、しかし日に二・三個は文字通り使い捨てになる街路樹の剪定作業が一週間つづいて、みななくなった。雨と汗でずぶ濡れになったマスクは、呼吸ができなくなるばかりか、口にあてがっただけで、咳がとまらなくなる。目に見えるほどの、毛ばった黄色い粒子が鼻や喉を突いてきて、匂いも、食べものが据えたようなツンとくる感じで、一・二度洗ったぐらいでは、作業着からもとれることはなかった。私が木にのぼり、三代目の若社長が高所作業車にのって外から切っていく。私のあとから、七十歳すぎの職人がつづいて登ってくる。木の下では、熊手をもって、ある日は若社長の姉の高二になる長男と、若社長の女房の大学生になる甥っ子が、またある日は、町内会の付き合いからか、近所の学生の何人かがアルバイトとしてついて来る。そしてその周りを、元請けの会社のまだ二十代だろう現場監督の青年や、入社したての女子が見上げている。「去年より予算さがって余裕がないんです」「レンタル車を早く返したいので雨でもやります。ご協力お願いします」と、土砂降りのなかでの作業後に若社長からメールがはいり、「つまり人の命より、レンタル料のほうが大事だってことですよね。アメリカの大統領だって、少しは自粛したんですけどねぇ」と、七十を過ぎて平気で木に登れといわれた職人さんとうなずきあったりもしたのだった。もう、下請けとなって手伝ってくれるよその会社もいなくなって、年寄り二人にしか頼れなくなったということなのか。
昨夜から再び降りはじめた雨は、朝になってもふりつづいていた。そして朝の段階ではなお警報だったものが、夜には家屋をのみこむ洪水として報道されていた。私が弁当を用意しているあいだ起きてきて、食卓の椅子に腰掛けてニュースを見入りはじめた妻は、子供のころ、小学校の下駄箱がよく水没したものだと語りはじめたのだった。年に五・六回は、だめになった靴をもって、靴下で校庭をあるかなくてはならなかった、とまだ回復していない声帯をふりしぼって言う。妻は、熊本が育ちだった。その地方での災害が警報されていて、夜には実際のものとなっていた。私は、去年、台風にみまわれた実家とのやりとりをおもいだしていた。利根川に近い河川が氾濫し、避難勧告がだされた夜、ネットから情報収集した私は、「避難の必要はない」と母や兄に助言したのだった。実家のすぐ北側をはしる堤防が決壊することはなかったが、その判断が正確だったのか、偶然だったのか、今もって、わだかまったままだ。「大仰にさわいで」、と私は妻から非難された。
その妻が、台所に立つ。寝室としている和室で横になっていたが、息子が起きあがる少しまえ、風呂から私があがったことを確認してからなように、やおら居間へとでてきて、「昼間からずっとこのニュース」、と子供向けのアニメの動物キャラのような甲高くはねあがった声を落としていった。心臓のオペを操作するカメラは、喉からとおされるのだとか。全身麻酔で意識がなかったわけだから、息苦しさなど感じなかったろうが、意識がもどってからの、医師が集中治療室からかけてきた電話口での応答は、ただ、ぜえぜえという息のもれる音だけが伝わってきて、そこに女性の医師の声が、「うなずいているので、わかってますよ」と重なってきたのだった。そもそも、医師が連絡をいれてきたのも、回復すべき検査数値が予定どおりでなく、そのための点滴を増やしていくことの了解を身内からとるためだった。おそらく、金銭的な件が暗黙にあったのだろう。手術まえの、執刀医から説明を受けるにあたっても、お金の件は質問しなかった。とりあえず、その心配はなかった。その代わりにか、息子には、俺の稼ぎで母親の医者代が払えてるとおもうな、おまえのじいさんが残してくれたお金があるから母親は手術をうけられる、そしてその金は、教科書にもでてくる公害で人をたくさん殺してしまった会社のものかもしれないんだぞ、と伝え、青空文庫にある有島武郎の「小さきものへ」のリンクをラインに添付し、おまえの学校でもコロナでみえてきた格差があるだろう、少しは文学を読めと書き添えて……あれから、まだひと月もたっていないだろう。退院した妻の心臓検査での数値もおもわしくないようで、それは盲腸と関係があるのかもしれないと、現在なお服用している、血液をさらさらにする薬がきれる九月はじめころに、盲腸切除の予定がたてられていた。八月のお盆には、夫婦でその説明を医師から受ける予約もはいっている。
テレビのニュースが、東京都で新たに百三十一人、三日連続で感染者数が三桁との報道にかわったころ、息子が風呂からあがってき、着替えるや食卓下の床に座りこみ、スマホをいじりはじめる。もれてくる音声から、みているものがスポーツであり、サッカーだということがしれてくる。そういえば、スポーツ専門のネット配信番組に入っていいか、と妻にきいているのを一昨日だかにまた聞きしたような気がする。妻はだめだと言っていたはずだが、自分でお金はらうからいいよね、と息子は話をうちきり、そのまま入会したのだろう。台所にも、実況をつたえる音声はもれているはずだし、息子もとつぜん「おう」だのなんだの感嘆の声をあげているのだから、わからないはずはないのだが、妻は黙ったまま台所にいつづけている。「それは、Jリーグかい?」とテーブルでさえぎられて顔のみえない床上の息子にきいてみる。「今日が、開幕か?」息子は、「再開だよ」と答えて、また「おう」と頓狂な声をあげる。「お金は、クレジットなのか?」と私はきく。「ちがうよ。コンビニで、カードを買って、そのコードを打ち込めばいいんだ。五台までだったかな、パパのスマホでも見れるよ。テレビにも、回線つなげれば見れるようになる。見る?」ときいてくる。「スマホで見てると頭痛くなるから、いいよ」と、二人で受け答えしている間も、妻が割ってはいってくることはなかった。声が、うまくだせないからだけではないだろう。勉強しろ、という勢いも伝わってこない。体力が落ちて、熱意を発揮できないだけというのではなく、入院し、手術をし、変わったのだ、と思える。死ぬことを意識したようだ。風呂上りなど、アトピーでかゆくなった体を息子がかきはじめると、塗り薬を手に取って、全身に塗りたくってやる。最近は、一日おきの学校のため、休みのときは友達とフットサルをやって筋肉痛になってくる息子の、マッサージなどもやっているようだ。「ぎゃあ!」とかの、息子の苦痛の悲鳴が、寝室で寝ている私の耳元までひびいてきた。母子関係上の気味の悪いものも感じてくるが、自分がいつ死ぬかもしれないという意識に、なにか最期の別れをこめて、我が子とスキンシップをしているような気がするのだった。
ニュースは、明日の都知事選にかわり、やがて、特集番組の、「人体VSウィルス」になる。ノーベル賞をとった教授が解説として席についている。新型コロナが人体に入り込んでいくアニメーション的な画像や、電子顕微鏡で撮影したという免疫細胞の様子などが視覚できて、私の体のなかでこんなことが展開されているのか、気づきもできないのにと、面白くなる。が、いま問題のウィルスの特徴というより、ウィルス一般の話に還元されてしまえるのではないか、とおもえてき、それはタイトルからしてそうであると気づかされる。これは新しいといいながら、実はこれまでのものと同じ、と言っているに等しい。その新しさ、特異な現象、無症状な若者たちから感染がひろがるという解釈に根拠があるのか。夜の街で、金を落としていくのは稼ぎの少ない若者たちではないだろう。免疫力の強い若者たちから若者たちへと、たとえ感染なるものが拡大していても、症状がないのならば、べつだん問題ではないだろう。感染が、免疫力の落ちた中高年にとって問題であるのが現実であるならば、その年齢でこそやはり感染者数は増えていくと、症状を訴えてくるはずの彼らの行動から知れてくるはずだ。がただ、数だけが増えていく。積極的な検査体制のもとで夜の街の若者たちの感染が明確になってきているということで、非常事態宣言を再発令する必要はないと政治は解説しているが、それは、ターゲットをしぼって検査すればどんどん出てくる、つまり、どこにでも、ほぼ誰にでもある、誰もがもっているウィールスということになるのではないか? それが、その私たちにとっての常在ウィルスとよべるものが、他の人種には本当に致命的な感染症をひきおこすのかはわからない。そこでの違いを、テレビの教授は、ファクターXとか呼ぶのだろう。番組は、四回にわたって放映されるということで、何か、新しさを示す根拠が提示されるのかもしれない。がだとしても、それはすでにネット上では伝わっているものでしかないのが、いまのメディアの状況なのだから、私は何をぼけっと見ているのやら、という気もしてくるのだった。
夕飯は、まだできてこなかった。妻が退院してきたばかりの二・三日間だけ、私がひきつづき食事をつくってみたが、家事をすることは妻にとっての存在証明にもなっているように感じられ、また実際、私のワンパターンの飯よりはバラエティーにとんでいた。なんで無理して面倒なものを試みて失敗するんだと以前はおもっていたが、いまは、そうは思えなくなっていた。食えればいい、すきっ腹がおさまればいい、というものではないのが、文化であって、社会的に評価されるわけでもない日々の用事の積み重ねのなかに、少しづつの新しさ、新しいメニューが反復されてゆく。しかしその反復も、歳とともに、病とともに、ゆっくりなペースになって、崩れていく時も、あるのかもしれない。無症状だった若者が、中高年になって、突然にか、次第にか、発症するようになったらどうだろう? 被爆や、公害の被害者のように。私は、妻や、白血病になったその妹の様をみて、もしかして、これは水俣病なんではないのか、とおもうことがあった。神経系ではなく、免疫系に症状が出るのだからそうではないことは明白なのだろうが、彼女たちは、子どものころ、加害者側の家族として、海辺でよく遊んでいたそうである。妻は、魚が好きだった。
特集番組がおわるころ、料理がでてきた。キャベツの豚肉巻き、というのか。あとは、メンマ、トマトとゴボウのドレッシング和え、カブの漬物、そしてアボガドのはいった味噌汁……「これ、変な味しない?」と、テーブルの上にスマホをたてかけて、もう試合も終わりそうなサッカー観戦をしていた息子が、箸で緑色の物体を赤茶色い味噌汁のなかからつまんでとりだし、顔のまえにもってくる。「そうかもしれない」と、妻は調子のはずれたままの声をだす。「アボガド? 俺だめなんだよ。レバーとアボガドはだめなんだ」、と妻の味噌汁のお椀のなかへとひたすら箸をもってゆく。ひとつ、またひとつとつまんでゆく。
妻は、黙ったままだった。「なんでも食えるようにならなきゃ」と私は言ったが、独り言のようになったのは、母子二人の関係に、そのままでは入っていけないほどの不透明さがでてきていることを感じているからだな、と内省されてきた。肉巻きは、ほぼ息子が次から次へと食べていった。残りがひとつになったとき、私は、少し間をあいて、席をたった。おそらく、その間を、この残りは、あまり食べていない母親の分だぞ、というメッセージだと息子は理解したのだろうか、息子も箸をその間にはださなかった。私自身、ふた巻きを茶碗一杯のご飯ですましただけで、まだ腹は減っていた。「そればっかりじゃなくて、いろいろやってな」と息子の脇を通りぬけるさい、妻のかわりなようにひと言いった。最後のひとつを、どちらが食べたのだろう? 歯をみがいているあいだ、背後の気配で感じとろうとしたが、静かなままだった。自身のおもったことをすぐに口にだす妻と知り合ったのは、社会運動の会合でだった。その運動を立ち上げた男は、組織が混乱していくなか、評議会のメールにて、「こんな女には、徹底的に冷淡にすべきだ」と告発していたのだった。みなが、賛同し、押し黙った。私は事務員として、端からそのメーリングリストをながめていた。
明日は、選挙になる。女帝と呼ばれはじめた現都知事が再選を果たすのだろう。私はおそらく、国営放送をぶっこわすと声をあげた男に、立場の考えはちがうけれども、労働者の匂いのする彼に、投票することになるのだろう。
よる
知らない道ではなく、ときおりは通ってきた駅前の商店街ではあるのだが、いざ近所に引っ越してきてきょろきょろしてみると、はじめて気にとめるような風景や店の並びであるように感ぜられる。めっきり早くなった夜の暗がりばかりにそう映るだけともいえないようだし、いつもは自転車でだったが、いまはゆっくりと歩いてみているからという、その速度の違いともおもわれなかった。やはり、通りすがりの者と、そこに身を落ち着けて暮らし始めた者との、心の有り様の違いが、眼にうつる世界を変えてしまっているのではないかという気がしてくる。行きずりの者にあっては風景でよかったものが、暮らす者にとっては、より具体的な知識である必要があった。ここに、花屋があり、煎餅屋があり、寿司屋があり、バーがあり焼きトンを食わせる飲み屋がある。いまは夕食のために家からでてきたのであるから、食い物をだす店へと目がさぐっていくが、そのうち、違う用で通り過ぎるたびに、違う目的でうろつくたびに、果ては用も目的もなくただぶらぶらさまようはめになってさえも、風景はより必要な情報となり知識となって、眼というよりは脳内を走り回った抽象物となっていくのだろう。しかし、そんなにも、ここに居ついているつもりはなかった。すくなくとも、私にとっては。
心臓の手術をおえ、血液の硬化をふせぐ薬剤効用の切れるひと月後、今度は盲腸の手術をする手はずになっていた妻は、持病のほうの潰瘍性大腸炎の悪化にともない、その悪性の液腫の可能性もあるという虫垂の切除が十一月にまで延期されると、その期間中にと、引っ越しを断行したのだった。ちょうど住んでいた団地の物件を紹介した不動産屋から暑中見舞いのはがきが届いて、手数料が半額になるとも印字されていた。それをもって不動産屋を訪れた妻は、いきなり息子が通っていた小学校の脇にある崖下の中古物件に目をつけて、この家をどうリフォームしたらいいかを説きはじめたのだった。「ほんとうに、ここがいいのか?」おもいこんだらやめられないような性分の彼女の気を、どうなだめたらいいのだろうと、私は思案した。引っ越しはいいだろう、息子が、食卓下で寝ているのだから。早めに実行するのもいいだろう、来年は、受験をむかえるのかもしれないのだから。しかしいくらなんでも、再建築不可物件の、崖上の墓下の、洪水時は水没するかもしれない地帯の物件を、格安だからとわざわざ購入する必要があるのか? おそらく、隣地の空き地は、ここから立ち退いていった家の跡地だろう。残りは、突き当りの二件、ひとつは伸び放題の植木のなかにうずもれた二階家、もうひとつは、だいぶ昔の都営アパートによくみられた薄っぺらいスレート屋根の平屋で、住人が外壁や物置のようなものを増築させていた。その二件と空き地と妻が目を付けた二階家で、四角形な澱みを作っていた。まるで、最近ヴェネチアで賞をとった監督の映画にでてきた、猟奇的な殺人犯が暮らす映画の背景設定みたいだな、と私はおもった。その映画の犯人は、一家皆殺しの決行の前提として、そんな四角形な空き地と一体となった家並みにこだわるのだった。いやさらに、四メートル幅にはたっしていない路地道の下は、川がながれているのだという。その暗渠となった道は、近所の火葬場の下をくぐり、関東大震災でのがれてきた下町の地区名をもった商店街を抜け、昭和初期まで江戸染め物をこしらえていた職人たちが集まっていた小川へとつづいていた。私の勤める植木屋も、そんな下町風情があったかつての商店街の一角にあるのだが、その職場の二件隣は、「なめくじ横丁」と無頼派の作家、檀一雄が住んでいた長屋を称して呼んだところだった。川沿いのほうには朝鮮人部落があり、崖下のほうには乞食部落があったと、そんな界隈の住人だったもう一人の作家、林芙美子は書き残していた。私たちが住んでいた団地が、地元の人たちが声をひそめていう「乞食山」にあたるのだ。住める隙間があるならばそこに潜り込んで、地を這うようにして生きる……私自身は、そんな世界でしのいできたことになる。おそらく、崖下のあの平屋の住人も、現場の人間だろう。親方の話では、地区でも一番に狂暴だった「火葬場の連中」はいなくなったそうだから、墓守ではないだろう。女房は、そこにある雰囲気に妖しさを感じてとって、惹きつけられるのかもしれない。しかしそのこと自体が、そんな世界と隣接して生きていくことの無理をあかしている。私にも、なお理解できることではないかもしれないが、三十年もそこで生きていれば、認知できた。
「この一帯は、この間みた映画にそっくりだよね。」私は言ってみた。「更地になった一角に三件が向き合っている。俺の実家も、そうだよね。空き地があって、裏には元軍人の屑屋が掘っ立て小屋を作って住んでいた。」妻は、私の実家と自身が選ぼうとしている敷地が似ているとされる評価が生理的に受付けられなかったのだろう、「ババをつかまされたのかもしれない」と、すんなりその物件をあきらめた。そして次に、高台へとかけあがった。川向うの、大会社の社長やかつての総理の邸宅がつらなる一帯の物件である。官僚たちの居住も多いことを、新宿区の少年サッカークラブの理事会にも参加していた私にはわかっていた。息子と一緒に目を付けた物件を見学にいき、「一億円をこえてたよ」と報告してくる。結局、高台の方面ではなく、水の流れる方ではあっても水没の危険指定ではない一角の借家にはいることになった。それでも、路地の突き当りであり、入り組んだ住宅地だった。
博多ラーメンを食べて家にもどると、奥のリビングで、妻がなお夕食をとっているらしかった。スマホ操作で、UberEatsから唐揚げ弁当の二人前を頼んでいた息子はみえなかった。なお空けられていない段ボールの山でうずまったキッチンやダイニングの向こうにあるリビングから、テレビの音声がもれてくる。知り合った金持ちからもらったという大画面のテレビは、息子がリモコン操作で設定をすまし、映るようになっていた。その息子は、二階の自室にいって、団地から運んできたテレビの方をひとりでみているか、スマホをのぞいているのだろう。山間の谷間に張られた鎖を伝う蟹の沢渡りのように、横這いに進んでリビングまでいってみると、これまた金持ちの知り合いからもらったという八角形の木目のはいった食卓に、ほとんど食べきれていない弁当が残っていた。テレビでは、再選された都知事が、家庭での料理も小分けにして、座席も正面に対面して食事しないようにと呼びかけている。家具のような椅子に腰かけた妻は、持病の具合はよくなってきているらしかったが、この秋になってからぶりかえしてきた感染拡大のため、また偽粘液腫の疑いある手術が来年へと延期されたのだった。頼まれていたパン屋からの食パンと、おいしそうにみえたメロンパンやカレーパンのはいったビニール袋をテーブルに置いた。まだ財布や金のはいった封筒が、どこの段ボール箱にあるのかさがせないので、弁当代も、明日の朝食費用も、息子や私がだしていた。いつになったら、片付くのか、もうこちらに来てから二日たっている。病気で力の持続しない彼女では無理があるのはわかるが、このまま段ボールの山のなかにうずもれて暮らしていくような気がしてくる。まともに動けないのだから、お任せ便にすればいいのに、と私はおもったが、引っ越しは段ボール箱への詰め込みはこちらでする節約便にしたのだった。家を買うとかいっているのに、なんでそこでケチる必要がでてくるのか、私にはわからないのだが、おかげで、とにかく箱に詰めろ、と言われつづけた。「あんたは引っ越しをしたことないのでしょ。熊本から移ってくるときにはそうしないと、もっていってくれなかったのよ!」と追い打ちをかけられる。いや駅前の長屋住まいみたいなところから団地へと引っ越すことだってやったではないか、あのときは、草野球仲間の運送屋に頼んだのだった。今回は、パンダマークの一番の大手だ。見積もりに伺うという連絡が一番に早く、電話した数時間後の夕飯時に営業マンがやってきた。仕事をおえての風呂からあがったばかりの私は、熱燗を飲んでいた。近所への引っ越しなので、二トン二台が二往復できる。人員は三名。値段をきくと、それ以上やすくなったら人件費がそうとうたたかれるみたいになるから、つまりはすでに相場通りになるのだから、他の業者からも見積もりをとって根切り交渉をするなんてことはやめて、いま段取りを組んでもらったその安上がりになる値段でいい、即決しようと酒を飲みながら妻にすすめる。妹からは、大手は高い、と助言されていたようだが、いくつもの業者と話すのが億劫になるのだろう妻は、すんなりと私の勧めを受け入れた。
「こんなの、段ボールにはいるのか? 入れる必要があるのか?」自分の書籍は、箱に詰め終わっていた。というか、そもそも大半が押し入れに押し込んでおくために、ミカン箱などに詰めこまれていた。子供のサッカーをみていたころに買っていたサッカー関連の本は、近くのブックオフへと売り払っていた。おそらく、この引っ越しをきっかけに、箱に詰めたのをよいことに、大半が古本として出されるだろう。移動が重くなることに、抵抗を感じた。身軽になりたかった。だから、家を買い、定住をしていくという考えの前提も受け入れがたかった。妻は、なお家を購入することを意欲しつづけている。そこに住まなくなったら、売り払えばいい、という。だから、中古の物件を買って、リフォームをしておくのだと。そんな成長や、これからの若い世代での購買力の反復も、私には信じがたかった。高度成長期やバブルのような時代が、近い将来もやってくるほど、安泰しているというのか? そう信じたい、というより、自分にはその破綻は降りかからないというバイアス的な希望観測にうながされているように、私にはみえた。その傾向は、藁をもすがる信仰に似た印象を受ける。だからそれは、あくまで個人的な人生上のきっかけが支えているはずだろう。彼女の場合、それは病であり、死の近さであり、その予測からくるあがきなのかもしれない。だとしたらそれは、家族といっしょに過ごしたい、ということになるのだろうか? テレビでは、アメリカの大統領選からIOC会長来日のニュースにかわっている。妻の隣の椅子で、メロンパンを食べ終えた私は、食卓をたつ。手術入院中に、妻と同じ持病を悪化させて、歴代就任記録を更新した総理は自らやめていった。かわってなりあがったばかりの新首相が、東京オリンピックへの決意だか疫病対策だかのような話をしはじめている。病の進行と処置の延期とともに、どたばたと、時代もが動いている。同期している。それは、どちらのほうへ向けてなのか、死か、生きていくことへなのか……。
十一月も半ばをすぎるというのに、暖かい日がつづいていた。仕事でも半そでになったほどだから、掛布団があつくるしく感じられる。ようやく、公共的な産業労働から解放されて、例年どおりの、年末にむけての庭の手入れになって、心の状態は落ち着いてきているはずなのに、なかなか寝付かれない日もつづいていた。新しい住居に、慣れていないせいがあるのだろう。寝室になっているこの部屋も、段ボールの山だ。駅や線路に近いのに、電車がレールをたたく音などは聞こえてこない。静かだった。実家のある群馬の子供部屋では、一キロは先にある電車や県道を走る自動車の空気を切っていく音が、なまあたたかい風とも、金属をこすっておきる波動とも聞こえて伝わってきて、それが不気味に、とくには増築して二階家になったばかりのまだ小学生のころは、不眠をながびかせるほどだった。古い平屋の家がなつかしく、悲しくなった私は、家の間取り図になにほどかの詩をしたためて、腐りにくい鉄質のお菓子の箱にいれて、押し入れの天袋によじのぼり、その天井の薄べニアをもちあげて、開けた屋根裏の暗さ、むきだした柱や梁が不思議な形をつくった空間のひと隅に、そっと置いてきたのだった。いまでも、それはあるはずだった。もしかして、地震で二階の屋根裏から階下へと転落し、中身がちらばっているのかもしれない。そこには、家への思いだけではなく、私の初恋の人への告白した一文もがまじっているだろう。私は結婚してからの、地元での同窓会で、その人とあった。レストランの会場からトイレへいく途中の、窓枠まえの荷物置き場に、中年になりかけのふたりの女性が座っていた。ひとりは、すぐにわかった。そのわかったほうの女性が、隣の女性を指さして、「誰かわかる?」ときいてきた。「わからない」私の返答は、即座であっただろう。一瞬、わからないといわれた女性は、はっとしたような表情をした。私が彼女を思いでの女の子と一致させることができたのは、数日後であっただろう。
まだ時刻は八時をすぎたばかりだろう。普段よりは、幾分が床につくのが早いかもしれない。目をつむって、先週まで住んでいた団地の寝室の、天井を脳裡によみがえらせる。白い壁紙。今年にはいって、糊がだめになってきたからか、つなぎ目から剥がれはじめていた。それを、白い養生テープで補強してある。さらに、団地のまえに住んでいた木造アパートの天井。もう、しっかりとは思い出せない。さらには、と、実家の子供部屋の天井。薄暗い真夜中の闇のなかで、板がはめこまれている。最初は、弟と一緒に寝ていた部屋のもの。そして、兄が進学のため上京したあとにはいったほうの勉強部屋。布団から、ベッドになった。そのベッドに仰向けになってみつめていた、板天井の木目。眼のようにみえる。私は、見られていた。地元の進学校にはいってまもなく、私は高校にゆけなくなった。夜、天井をみていた。朝、台所で母が用意する食器の音が子守歌にでもなるように、眠りについた。ある朝、父が、呼びに来た。「どうしたんだ?」その父の瞳は、どこをみているともしれず狂っていた。父は、入院した。いまごろ、私の息子は、この西側の寝室とは向かいの東側にある子供部屋で、何をしているだろう?
私は目をあけて、枕元のスタンドの灯りをつけて、読みかけの本を手に取る。最近この学者は、ノーベル賞をとった。ブラックホールの研究成果によるという。<私は、一つの状態ともう一つの状態の重ね合わせを、不安定な状態――それは崩壊しかかっている素粒子やウラン原子核などに少し似ている――と見なしたい。素粒子などは崩壊すると別のものになるが、その崩壊と結びついた一定の時間スケールが存在する。状態の重ね合わせが不安定だというのは一つの仮説だが、この不安定性は、私たちが十分に理解していない物理学の存在を暗示しているはずである。>(『心は量子で語れるか』ロジャー・ペンローズ著 ブルーバックス)――量子コンピューターでも利用しようとされている「もつれ」という量子の現実は、「不安定」なのだとみる。ということは、あくまで、この「収束」した私たちの現実が安定している、ということだ。量子的な世界では、生きている猫と死んでいる猫が重ねあわさっているという、多世界解釈を受け入れた方が理論的におさまりやすいと指摘されもする。そう理解されてしまうのは、まだ、私たちが宇宙を知らないからだ、生を知らないからではないか……生まれること、それ自体が量子のもつれの収束であるとしたら、問題となる猫とは、まだ生まれてない猫と、生まれている猫との重ね合わせになるはずだ。死は、ありえない。水も記憶し、金属も記憶形状するように、生まれた私たちは生きていく、まだ生まれていないものたちといっしょに。物質が、変化するだけだ。つまり、生が、変化するだけなのではないか……。弟が、父が終末期にはいったようなので、自分が施設長になった老人ホームへと移動させるとラインをよこしたのは、昨夜だった。母は、納戸となった階下の奥まった寝室で、眠りつづけているだろうか。薄闇のなかで、白黒の眼たちが、山になった段ボール箱から漏れてくる。ぎょろぎょろと、見開いた目を、重ねてくる。いくつも、いくつも……押しつぶされるような圧迫が、睡魔に変わる。
ひととき
ばっけと地元の人たちから呼ばれている川沿いのくねった道路を曲がって、すぐに縄文遺跡の遺る高台の坂道をのぼりはじめると、「こわいわね」と助手席に座った妻が言ってくる。昔は海だった坂下から切りたった崖の上へと一気にかけあがるようにアクセルを踏まないといけないから、重力で背もたれに押し付けられて斜めに上昇していくのは、どこかロケットや戦闘機にでも乗っている気分にさせられるのだろう。こちらはハンドルを握っているので力のバランス加減を保ちやすいだろうが、手ぶらでいるのは、不安になるのかもしれない。私は逆に、対向車が来たらすれ違うこともできない神社脇の狭い道を、頂上を切り開いて鎮座する大学のキャンパスを埋める大木の緑の方へと突き進みながら、黄色い軽自動車が問題なさそうなエンジン音をたてていることに安堵する。二十年使っていた普通乗用車からこのハイブリッドのものに買い替えたばかりなのだが、あまりに乗らないので、いざゴールデンウィークの帰省にと乗り込んだら、エンジンがかからなかったのだ。メーカーを呼ぶと、いまの車は安全装置とかいっぱい付いて電池を食うので、絶対量的な分は乗らないと、すぐにバッテリーがあがってしまうのだということだった。「でもそれでは、車の所有形態を考え直さなくてはなりませんよね。東京では、持ってても乗らない人とか多いんじゃないんですか?」自分では、病院への妻の送り迎えにそれなりに利用していたとおもっていたが、それぐらいでは役に立たなくなってしまうというのが環境に配慮した最新の技術らしい。そのおかげで、実家には電車で帰ることになったのだった。
崖上の一帯を占拠した大学の正門まえの幅広な道路脇に車をとめた。夕刻の四時半に待ち合わせをしていたブライアンは、まだみえなかった。後部座席にいた息子に、妻が話しかける。「ブライアンには、警察官になったことを言ったの?」「言ってないよ。」と、息子は答える。「わざわざ言う必要ないからね。」と妻はつづける。「友達とか、チェックされるんでしょ? ブライアンは、悪いことはしてないけど…」と口ごもる。「ゴールデンウィークにあう中学の友達とかの名前書いただけだよ。なんで、警察官だって言っちゃいけないの? 俺、迎えにいってくるよ。」と息子はスライドの後部ドアをあける。「じゃあ、このケーキを持っていって。」と妻が白いケーキのはいった箱を手渡す。「オーケー」と、息子は出ていった。
ブライアンと息子は、幼馴染だ。幼稚園や学校は違うのだが、公園仲間だった。フィリピン人のブライアンのほうが二才年上で、兄貴分だ。よく虫取りのやり方を息子は教わっていた。ブライアンは明るく人懐こいが、やはり日本の子供たちとは変わっているのか、いじめられていたと聞く。中学生のとき、好きな女の子に、お祭りで知り合ったテキヤの人たちを手伝うアルバイトなどで稼いだお金をあげようとして、大問題になったとも聞く。フィリピンのお母さんとの二人暮らしで、生活保護だ。高校には行かないつもりだったが、野菜などを作るのが好きだったから、夜間の農芸高校というのもあるぞと教えると、そこに入学した。高校では、一番の優秀性になった。野菜作りの熱心さが、ほかの日本の生徒とは違うのだろう。農芸高校を代表して、野菜作りコンテストみたいな、全国大会にも出場した。しかし正規の就職はしなかった。近場のファミレスで働いている。私の勤める植木職人の職場というのも念頭にあったが、厳しい環境には適さないだろう。そのままブラブラできるなら、そちらの方に可能性が開けていくチャンスを試したほうがよさそうな気がして、私は声はかけなかった。妻は、そんなフーテン的な在り方が気に入らないらしい。中学生のときも、漢字の書き取りなど勉強しろ、夜学じゃ意味がないのだから、もっと社会に出られる学歴を持たせるよう支援すべきだ、みたいな考えだった。年に一度、ブライアンの四月の誕生祝いにと、百円寿司に連れていくのが恒例になっていたのだが、コロナ流行で、社会人となったブライアンとの交流が延期になったままだった。妻は、イツキは別にブライアンと付き合う気はないのだ、もう社会階層がちがうのだから、みたいな口調で、寿司を食べにいくのも気乗りではなかった。私がショートメールを出してもブライアンから返事がこないと知ると、息子自身が、職務上はすでにアンインストールしているはずのラインで連絡をとって、ブライアンの休日に日取りをあわせることができたのだった。
息子のあとから、受け取った誕生祝のケーキをアパートに置いてくるためにもどったブライアンがやってきた。背が高く、色黒だが、眼鏡からコンタクトレンズに変えたのだろう、結構な二枚目だ。「しばらくだなあ、いつものかっぱ寿司に行くよ。」と後ろに乗り込んだブライアンに言った。「やっとコロナも下火になったからな。」
二人は、つまりはブライアンも息子も、コロナにかかっていた。ブライアンは、今年迎えた成人式の集まりでかかったらしい。そう、彼を子供のころから支援している、もと共産党の区議会議員の女性の家の庭の手入れをしているとき、聞かされた。地域の問題児の面倒を、彼女はよくみていた。「登校拒否おこした○○くん知ってる? イツキと同じクラスだった。あの子、ゲームの世界チャンピオンになって、いますごいお金持ちになってるのよ。なにがあるかわからないもんよねえ。」という話も聞かされていた。息子が学校に行くさい、妻から誘っていけとよく言われて一緒に登校していた子だ。たしかに、どんなチャンスに出会えるか、わからない世の中なのだろう。
そして息子は、警察学校にいき、そこではじまった研修中にコロナにかかったのだった。入庁式というのか、そこで患者がでたという報告は受けていたが、しばらくして、まさか自分の息子が感染するとは思っていなかった。が、安心だ。なにせ、警察の寮にいる。自宅療養の名で放置されることもないし、なにかあればすぐに対応できる前線にいることになるだろう。高校三年生の冬に、二度ほど濃厚接触者になっていたが、どちらも検査陰性で切り抜けた。妻に持病がいくつもあるから心配だったが、家を出ていってからの感染なので、むしろほっとした気になる。二日ほど熱が三十八度を超える状態だったらしいが、それ以外の症状はなく、隔離部屋での二週間を過ごしたという。四月の末頃に設定された父兄同席の入校式には間に合った。私たち夫婦も、総勢千人近くになる警視庁新入生が揃う儀式に参加した。校長先生や来賓の、聞いていて眠くなる長いお話を聞かされるのかとおもったが、そんな儀礼は単なる形だけのものとして、彩りな勲章を胸に付けた制服を着た副総監の話などは自覚的に手っ取り早くすまされて、実質重視ということなのか、あとはまだ若い先輩先生の怒鳴るような本音の激励が構内に響くのだった。強く優しくあれ! その節目節目に、敬礼、休め、などの号令がはいり、生徒たちの瞬時に揃う機敏な動きが小刻みな音楽のように伴う。緊迫した空気のなかへ、親たちが撮るスマホのシャッター音が地雷のように潜伏させられていった。
私は、なぜ近代国家のなかで、軍事パレードが必要なのかが腑に落ちてきたような気がした。二カ月ほどまえにロシア軍の侵攻からはじまり、長期化の兆候をみせはじめたウクライナでの戦争と重なってきもするのだろう。気を抜けば、狂気の渕へと落ちてしまうのだ。植木職人として高い樹木にのぼっていく私には、そんな想像が体感的につくことだった。経験の浅い若い者のなかには、木登りの中途で鳴けない雌蝉になったように、身動きが不能になってしまうものもいる。足腰がすくんでしまう。登山でいう、クライマーズハイなのだろう。植木屋の木登りでも、メンタル調整は難しい。誰がこの木を登るんだ? 頂上をみあげて、みなが押し黙る。僕が行きますよ、と私が言う時、それは今日で終わるかもしれないがまあいいや、との諦めの境地の中で、心の芯を立ち上げ堅固にしていく過程がある。集中が切れれば、落ちる。そして、私は落ちたのだった。疲労から神経が続かなくなって、魔が差した。すぐそこの枝だと思って手を伸ばすと、ずっと向こうで、届かない。天が回って揺れ、下を見ると、コンクリの屋根が迫っていた。それでも、人は地の渕から這い上がらずには生きられない。年に何度か、男気を発揮させるお祭りが儀礼化されてきたのも、自然の恵みを祝うのみでなく、その猛威を垣間見せてくる自然に立ち向かう気力を萎えさせないためだろう。人工的な国境ができてからは、鉢合わせになる緊張を迫るのは自然だけではなく、人間同士となった。体感を超えて、不自然に過密したということなのかもしれない。隣人の、他人とのちょっとした違いが、奈落の渕へと落ちる恐怖を拡大させる。自然を称えるお祭りではなく、人工的な武器で飾られた軍事パレードが、その渕へと人を沈ませない英気を維持させる装置となる。
二年つづいたウィルスの猛威のなかで、戦争という猛威がせり上がってきた。抑えられない自然を、人もろとも殺傷して消滅させようとするかのように。
自動車の後部座席で、久しぶりにあった若い二人は話をはずませている。アイフォンやアイブックの話題の延長で、時計の話になってきた。どうもブライアンは、ネットにつながる腕時計をしているのだろう。アイウォッチ、というのがあるのかどうか知らないが、心拍数やら脈までもが測れるらしい。「俺がもっていった時計、自動車の鍵なんだってよ。」と息子が妻に話をふっている。「千葉のおじいさん、ホンダの自動車に乗ってたの? 時計になったスマートキーなんだってよ。あれじゃでも、なんか変だよ。」「そうなの? でも車になんか乗ってなかったから、どっかからもらってきたのね。」「みんなGショックだよ。」「えっ、何がショック?」と妻が返すので、「まあ、警察官や自衛隊員は、衝撃があるから、そうなんだろうね。」と私が間に入る。「そうだよ」という息子の返事に、あっ、ブライアンに息子の仕事がわかってしまったかな? と思いやられる。が二人は、警察官なり自衛隊員なりの職業が秘めやかにされる社会の体裁はまだわからないだろう。なんで警察学校で、休み中の交流関係もがチェックされなくてはならないのかも、思いよらないだろう。社会の渕がそこに開いていても、なお幼い二人には、そこに落とし穴があることに気が付かない。しかしそのうち、気づくようになる。そのとき、息子は、判断を迫られる。その穴を、どう埋めるのか、対処するのか? どんな態度で、職務につくのか……私が、妻の意向に反しても、二人の付き合いを維持しようとしているのは、いわば伏線だった。おまえのホームはどこだ? 私は、息子に、その感触を忘れさせたくはなかった。ここで、幼なじみと過ごすひとときが、打ち解けた安心が、自分が返る場所を、振り返れる自分が在ることを約束させていくだろう。それは、人としての判断の、羅針盤になるはずのものだと、私は信じている。
ネタやシャリがさらに小さくなって、まるで子供のママゴト・セットのようなお寿司を満腹になるまで食べて、百円寿司の店を出た。まだ、外は明るく、夕闇までにはだいぶ間があるような気配だった。少しだけ橙に染まった空には、なお青空に浮かぶ雲の白さが輝いて見えた。また大学の正門前で車を止めると、二人は降りていった。縄文遺跡のある神社の境内で、ブライアンは畑を作っていた。それを、新宿のブライアンが作った野菜、というブランドにして仲間内で販売しているのだという。新種の粒の大きなイチゴが今の旬だ。今度は、養蜂もやるという。子供のころは、よく神社の賽銭からお金を盗んでいた。それでお祭りのお菓子を買っていた。いまは、神主さんのお墨付きで、自由に境内を使っていいことになっている。「イツキも野菜の勉強してきな」と私が言うと、「うん、歩って帰るよ。」と返事がくる。
私と妻は、そのまま先に帰宅する。神経症気味だった妻は、落ち着き始めたようにみえる。二人を連れて、あちこちの公園へと遊びにいっていた頃の心が、蘇ってきたのかもしれない。
小百合さんとの会話
まあちゃんはいくつになったら年金をもらうの、と吉永小百合似の奥さん、ずっとひとり親方の主人について草取りや掃除をいっしょにやってきている小柄の、手伝いということなのに自分たちの仕事では生活できないから年中はいっている造園屋からは巨人のように大きな主人とあわせて大さん小さんと呼ばれている彼女がきいてきた。いつまで仕事やるかによるとおもうけどもらえたとしても光熱費にもたりない額だからなと答えると、そうぜんぜんたりない死ぬまで働かなくちゃならねぇのかよってオッサンもぼやいてるのよ、と今はいっちゃんと他の庭の手入れにいかされている主人の話をだして、一間半の脚立の上の方で背は低いけれど古木の風格のある椎の木の手入れをしているその下で一面の地面を覆ったドクダミを鎌でひっかきながら、だからもう社員と同じなんだから社員にしてくれといっても年金よぶんに払うことになるのがいやでさせてくれなかったのこっちの仕事は日曜日にやってくれと言ってきながらねと顔を上向けて、まあちゃんは厚生年金にははいってないの? と声をあげてくる。親方の奥さんからは入るなら計算してあげるわよと若いとき言われたけど日雇いの稼ぎが減ってくのもなんだからはいらなかったよと答えると、あらもったいない国民年金だけじゃどうにもなんないけどもらえるときにもらっとかないともらえなくなったらいやだから六十すぎたらもう払わなくてもいいから楽だけどもらっておこうかオッサンと話してるのよ、と立ち上がり、緑色のプラスチック製の熊手で搔き集めた草をオレンジ色のプラスチック製の手箕で受けて、もう車はないのだろう駐車場のコンクリート土間においてあるナイロン製の枝葉専門の緑色の四角い袋のところまで行って詰めこんでまたもどってくる。上の方の整枝はおわってきたので一段脚立の足場を降りて、いっちゃんは植木屋さんになるまで中学卒業してからプレス工で十年以上働いていたから厚生年金八万くらいもらってるんですよとつけ加えると、あらいいじゃないと答えるので、だけど国民年金払ってなくて厚生年金があるのも知らないでいてお金のことはぜんぜん考えてなかったんですね飲むのに使わなければ家のローンだって払い終わるぐらいなんだけれどとしゃべりながら剪定鋏をいれ、これまで枝をきちんと抜いたかどうかもはっきりしない小透かしで仕上げられて密になった枝の重なりに野透かしの手加減をどれくらいにしようかと考え、帝王切開で七百グラムのあかちゃんが産まれたというつい一昨日だったかきいたいっちゃんの次女の話を思い出し、お祝いにあげたのし袋にちゃんと二万円はいっていたかなと心配になる。いっちゃんの次女はたぶん駆け落ちみたいに茨城の田舎のほうへ嫁いでいったんだとおもうよいっちゃんのアパートは四畳半の2LDKだから長男が婿にいっても夫婦娘二人では寝るところもままならないだろうからと女房に話してみたとき、だけど帝王切開で七百グラムというのは大変よたぶんその子は障害が残るかもしれないねだけど三万円は多いわよと言われたので、いっちゃんはたぶんお金に困っているとおもうんだよね一万じゃなければ三万になるんだろ奇数じゃないど駄目だとかと返答すると、いまはもう偶数でも関係なくなったのよという話に落ち着き、薄い墨汁液の筆ペンで書いていた住所と名前に20000と金額欄の四角い空白にいれて、カンマはどこにいれるのだかよくわからなくなってこのままでいいや0は四つでいんだよなと不安になったのだった。おめでとうございます、と、炎天下のアスファルトの地べたに座りこんでそれぞれの缶ジュースを飲んでいた午後三時の一服時、役所仕事の清掃局の敷地にあるヒマラヤ杉にのぼっていると下で低木を切っていたいっちゃんの受けたスマホの対応からもれ伝わってきた言葉から推論してきいてみるとそうだというので、小さんがすぐに応じたのだった。じゃあまなぶちゃんとおなじだね、と小さんは清掃局の裏の路地の向かい側の家の奥さんが差し入れてくれたオレンジの手作りシャーベットをプラスチックのスプーンですくって、産道を通らないから頭がまん丸になってくるのよと言って食べたのに、小さくてまん丸だとほんとにパンダの赤ちゃんみたいですねと上野動物園で産まれた双子パンダのニュース映像とだぶってつけ加えて言った言葉が、すでにのし袋に入れてあった三万円の中から一万円だけ抜いてあとはそのまま手をつけなかったよなと振り返ってみようとする脳裏によみがえる。手伝いにいっている造園屋の職人のまなぶちゃんの赤ちゃんの写真は脚立にのぼるまえにスマホの画面でみせてもらっていて、横浜ベイスターズのユニホームを赤ちゃんが着ていたのは、警察官になりたいといって今月その公務員試験を受ける予定でもある息子が急に横浜の大学を受けたいというのでなんでかなと考えてみたら夕食時いつものようにベイスターズの試合を生中継でみせられていたからもしかして野球がみたいからなんじゃないかと言った反応で小さんが開いてみせたのがベイスターズの公式ホームページのコマーシャルなのだった。まなぶちゃんの奥さんはサントリーの広告会社に勤めてるから広告に応募してみたら採用されたんだって可愛いわよね、と言い、このあいだサントリーの職域接種でお台場にいってモデルナ打ってきたら異物がはいってた番号のやつで、いっしょに受けたまなぶちゃんもえ~っとなったけどまだなんともないからだいじょうぶだろうって話しててと言いたしたので、注射針をワクチンの瓶に斜めに指すとゴムの破片がまざってそれは粒大きいからだいじょうぶって話になってるけどだいじょうぶなやつで二人も若い人が亡くなったらそっちのほうが問題なんじゃない? と答えたのに、そうだよねえ、と彼女は応じたのだった。
脚立の上から、庭に面した一階の部屋の様子をちらとのぞいてみる。カーテンが大きく開いているので、一人暮らしの奥さんがもう覗いてくるようなことはないだろう。手入れにはいってしばらくして、部屋掃除を請け負う業者の男性が一人、軽ワゴン車で訪れてきていた。仕事まえの造園屋での打ち合わせでは、その家の奥さんは変わっていて、カーテンの端を少しだけ開いてこっそりとずっと作業を覗いているのだと説明があった。顔をあわせた挨拶では、はっきりとした口調で話す奥さんだった。椎の木の隣にある赤松の葉はほぼみな赤茶けていて、もう次期枯れてしまうだろうと思われた。人の背丈より少しだけ高い程度だとはいえ、古びた幹は地を這うようにしてから立ち上がり、鎌首をあげた蛇のようにもみえる。ところどころに、太い枝の切り口がみえた。この夏の暑さつづきのためというより、剪定に堪えてきた庭木としては寿命に近くなったのだろう。表門から玄関への通路を挟むようにして植えられた枝垂れ紅葉も、大きくはないが古びていた。私の母親もそうだが、家に取り残された年老いた奥さんが、木が大きくなったからもっと切ってくれ、と急に言い出すことがある。いつもと変わらないのに、なんでそう言い始めるのだろうと考えてみると、腰が曲がり、背が縮んだせいで、木が大きくみえてくるのではないかと思われた。そうして木は小さくなり、必要な枝葉をなくし、弱っていくのだ。
古びた椎の木と松の木の間で、吉永小百合似の小さんが、鎌で草を刈る。
焼き鳥屋とんちゃん
ピロティに区画された団地の駐輪場から自転車をだすと、まだ西に高い陽の光が矢継ぎ早に降り注いで、シャワーを浴びたばかりの肌に、射るような痛みを覚えさせる。日向に剥き出た両腕は、二度目の真夏日になめられて黒光りしている。梅雨が宣言されるや雨がやみ、三十五度を超えていく猛暑日が続いたのだった。さっそくこれまでで一番早い梅雨明けが宣言され、追い打ちをかけるような本格的な夏がやってきたのだ。
二又路に挟まれた交番から駅へと向かう坂道に入ると、正岐は陽炎の揺れる坂の底へと潜っていった。風のように身を切る空気は熱い。沸騰するように、汗が噴き出てくる。製鉄所の地下のシェルターに身を潜めて、釜の底で煮られていくような人々の姿が、ふと連想されてきた。その戦争の地で、大統領は冬のことを心配していた。暖房の途絶えた厳冬期は乗り切れない、それまでには終結させたい……。
陽の淀みからそのまま真っすぐ駆け上がっていけば、戦前はプロレタリア通りと呼ばれもした駅前の銀座通りにでる。正岐は左斜めへの路地をさらに降りて、火葬場へと向かう道の方を進んだ。どん底になったような左手に、生垣に仕切られた火葬場が見えると、車道にかぶさった枝を元のほうから切断したばかりの桜並木に入り、そこから、今度は駆け上っていく。途中右側、だいぶ以前、もう二十年以上も前まで植木手入れにはいっていた民家がある。そこのお宅の庭にも古木となった桜があった。えっちゃんが、チェンソーでそれを小さくした。「いい形になったわよね。上手なものでしょ?」と、家の奥さんが、まだ植木職人の見習いになったばかりで、地に落ちた枝をさばくだけの正岐に聞いてきた。その後しばらくして、奥さんは老人ホームにはいっていった。そのお宅は、今はこじんまりしたアパートに建て替わっている。
坂を上りきると、車が行き交う早稲田通りへと出る。そのまま東に曲がってゆくと、もっと大きな四車線の山手通りへと交差するのだった。正岐がえっちゃんに告げた飲み屋、草野球仲間がやっている焼き鳥屋さんは、その交差点のすぐ近くにあった。セブンイレブンと、マクドナルドと、バーミヤンと地下鉄へと降りる出入口が交差点の四隅を陣取っている。もともとこの高台のような交差点は、古墳であって、そこに富士信仰に伴う富士塚が築かれ、浅間神社があった。環状六号線を構築し、道路を真っすぐに通すために、その築山を取り除いたのだそうだ。浅間神社は、この地区の地主の一人のマンションの敷地、マクドナルドの裏手へと引きこもった。山を象った溶岩石の朴石や仏像は、交差点を下っていった先に江戸中期からはあったお寺に引き取られた。そのお寺の庭を、正岐やえっちゃんが手入れしていた。が二人とも、えっちゃんはすでに、正岐ももうすぐ、この界隈の町場の植木屋を退こうとしているのだった。
正岐は歩道の中央にある分離帯、自転車と歩行者を分ける植樹帯の脇に、自転車をとめた。トレパン地の黒い半ズボンのポケットから、使い捨ての白いマスクをとりだして着け、簾ふうの暖簾をかき分けて、店のドアを開けた。
「とんちゃん、だいじょうぶかい?」 正岐はまず顔だけをのぞかせて、中をうかがった。カウンターの一番奥の席に、男がひとり座っていて、その向こうで、眼鏡をかけた坊主頭のとんちゃんの姿がみえた。
「待ってましたよ! そこのテーブルをとってますから。」と四人掛けのテーブルが三つあるうちの、壁際の奥の方の席を手招きした。マスクを外して席に向かうと、店を手伝っている奥さんが消毒液をもってやってきた。「いつもすいませんねえ」と言いながら、手を出した正岐の両手にスプレーを吹きかけた。席に着けば、カウンターの男をテーブル向こうに伺うことになる。白いTシャツに、なにやら流行りの漫画かアニメの絵が描かれているのがちらと見えた。
「もう一杯もらえっかい?」 男は、正岐より幾分年上にみえる男は、調理場にもどろうとしていた奥さんににジョッキをあずけた。そのさい、チラと、こちらを斜の眼付で覗き込むような眼の動きをみせた。正岐はどこかで、この雰囲気の暗い男と、出会ったことがあるような気がした。
「しろちゃん、ひさしぶりなのに、ピッチはやいねえ!」カウンター向こうの調理場でお通しを準備しているのだろう、とんちゃんが応じた。
「ぼくにも、ナマくださいよ。もう我慢できないや。先に飲んじゃおう。」おしぼりとお通しをテーブルに置いた奥さんが、すぐにまたもどっていった。おしぼりで手をぬぐっているあいだ、奥さんがサーバーからジョッキへとビールを注ぐ。
「お客さんはどうなの?」 正岐はおしぼりを畳んでテーブルの隅に置く。
「いやまた流行りだした、ってニュースになったでしょ。もうその日からぱたっと来なくなっちゃったよ。これなら、時間制限して援助してもらったほうがいいくらいだよ。」ととんちゃんは言う。コロナ第七波がやってきているのでは、と騒がれ始めていた。
「そんなもんかねえ」とカウンターの男が、奥さんからジョッキを受け取って、間に入るようにつぶやいた。
「そういうもんですよ。」ととんちゃんは笑いながら応じた。「しろちゃんは、仕事してないから、世の中に疎くなっちゃったんじゃないの?」
奥さんが生ビールを正岐のテーブルに置いていった。てっぺんの白い泡を口に含んだところで、開けたドアをつかんだままのえっちゃんが、顔をのぞかせた。
「まあちゃん、遅かったかな?」とテーブルに歩み寄ると、顔の半分くらいは覆っているマスクの中で、もごもごした声をだした。
「いま口につけちゃったところですよ。奥さん、生ビールもうひとつ。あと冷ややっこ二つと枝豆ひとつください。」 奥さんはテーブル脇に立ったえっちゃんの手のひらにも消毒スプレーをかけて、調理場のほうへもどった。えっちゃんが席についてマスクを外すと、日に焼けた真っ黒な笑顔があらわれた。日本の昔話や能の世界にでてくる、翁のようだなと、いつも思わされる。
「市川さんは、ここははじめてですよね?」 とんちゃんがカウンターから身を乗り出すようにしてきいてきた。透明なアクリル板が調理場とカウンターの敷居を仕切っているから、声を少し張り上げるような感じになる。「まあさんからは、よく話をきいてますよ。たくさん飲むほうなんでしょ。遠慮しないでくださいよ!」
とんちゃんは、正岐のことをまあちゃんではなく、まあさんと呼ぶ。この新宿の下町のような職人仲間の若い衆は、年上にちゃんではまずいからと、さんと言い換えて呼んでいるが、それに倣っているわけではないだろう。とんちゃんのほうが正岐より年上だ。が、野球が正岐のほうが経験者で、上手と認めているからなのだろう。
えっちゃんは奥さんから直接受け取ったジョッキをそのまま前に差し出すと、「乾杯!」と音頭をとった。
「とんちゃん、ネギマのタレ二本と、タン塩も二本おねがいね!」 正岐は注文を付け足した。
「えっちゃんは今日は、シルバーだったんですか?」 正岐もビールで喉を潤しながら、話しかけた。
「そうだよ。ハーちゃんところは、四日間で、金・土ってシルバーをやってるんだ。」とえっちゃん。
「フルで働いているんですね。僕より忙しそうですよ。だいじょうぶなんですか?」
去年いっぱいで会社をやめて、シルバー人材に登録して、体力的につづけられる仕事をしようという話だった。いっときコロナが収まったころ、懇意な隣の地区の親方も呼んで、慰労をこめた「お疲れ様会」を、えっちゃんの家族が暮らすアパートの近くの飲み屋でやったのだった。会社では、そうした席を設けることはしにくくなっていた。去年の仕事納めの酒を飲む席で、親方はえっちゃんに、俺もあと数年で引退だからそれまでもう少し頑張っていっしょにできないか、というような話をほのめかせた。がそれに親方よりいくらか年上のえっちゃんは、いやもう無理です生活保護でも…と、答えたのだった。がえっちゃんは、親方の誘いに気付いて断ったのかはわからない。親方はそう思ったろうが、『鉄道員ぽっぽや』の高倉健のような律儀な仕事人のえっちゃんに、そうした拒否ができるように正岐には思われなかった。たぶん、体力的に無理になった自分は退いて若いものに道を譲るべきだ、みたいな男気を思いつめて、もうそれしか頭に入らなくなっていたのではないか、が親方からすれば、自分とやるのがもう嫌なのかと思われただろう。それから、えっちゃんを送った飲み会から二カ月もたたずして、今度はえっちゃんから飲もうよ、と言ってきた。その間えっちゃんは、若社長のハーちゃんの方から手伝いに引き出されていた。正岐は、えっちゃんがいなくなったぶん、ひとりでか、親方といっしょに庭の手入れにおもむくことが多くなっていた。朝、会社の倉庫まえでえっちゃんと顔をあわせるときもあったが、役所仕事の多い親方の息子の若社長とは別の段取りだったので、そっちのことの方はよく知らなかった。
「いや最初、電話受けた時は、若いのがやめてるなんて知らなかったんだよ。ちょうどシルバーでも仕事がなくなってきていた時期だったから、手伝いみたいな感じならいいかって行ったら、オレひとりしかいねんだもん。」
「手伝いというより、前線になっちゃいますよね。」
えっちゃんは、う~んという感じでうなずき、ビールを飲む。
「それでさあ、」と喉を鳴らしてから、顔をあげる。「計画表ってのをみせられたんだよ。このお宅はこれまで二人工で一日とか二日とか……で、えりちゃんといっしょにやるらしいんだよ。」
「えっ?」と正岐は口につけていたジョッキをテーブルにおいて、えっちゃんを見返した。えりちゃんとは、ハーちゃんのお姉さんだ。よそに嫁いでいったが、これまで人手がたりなくなったときなど、自身の介護の仕事を休んだりして、手伝いに来ることはあった。子供が三人いて、長男は今年大学生になったらしい。
「この間、山下親方と飲んでだときは、ハーちゃんは、お寺も神社も民家も、親方の仕事は引き継がない、ぜったいやらない、と言ってたって話でしたけど……。まあ、ひとりじゃ役所仕事なんてできないでしょうけど。だけどそれ、僕とえっちゃんでやってたことを、そのままえりちゃんと二人でやって、ってことですか?」
「そうなんだよ。」とえっちゃんはまた、ビールを飲む。「この間も榎山荘でさ、去年はここ二日で終わってますから、ってハーちゃん現場からいなくなるんだけど、そういう言い方されたら、おわらせなくちゃならなくなるじゃないか。若い奴らがやってたのに。こっちは昼休みもなくしてさ。」とえっちゃんは下をむいた。えっちゃんが弱気をみせるのは、珍しい。はじめて目にすることかもしれない。やはり歳を取り、体力的にこたえてくるので、精神的にもまいってくるのかもしれない。しかも、この暑さのなかだ。
「同じようにやれるわけがないなんて、体つかってれば、わかることですよね。それで勤まるのなら、プロいらないし。」ちょっとビールを口につけてから、「計画表作ってそのまま計画どおりやれるなんて、頭でっかちだなあ。」とつぶやく。
正岐はだいぶ以前、まだハーちゃんが現場を仕切り始めて間もなくの頃、植木仕事をやりはじめたばかりのいなせな若者が、居残りなように事務机に座っているのを目にしたことがあった。「何してるんだ?」ときいてみると、今日の反省文を書かせられているのだという。改善点を提出するのだとか。若者は、戸惑った表情の内にも、何か冷ややかな感情を目の奥にみせていた。
「ハーちゃん、この間ここに飲みにきてくれてたんですよ。」
とんちゃんが、ぼそっと言ったのが聞こえた。焼き鳥を皿にのせて、奥さんがもってくる。正岐は少し間をおいてから、ネギマの方をとって、口にもっていく。
「何か、仕事のことで、言ってた?」 カウンターの方へ顔をあげて、こちらに背中をむけたしろちゃんと呼ばれた男ごしに聞く。
「俺にも、悪いところがあるんだよね、って言ってましたよ。」すると、えっちゃんが口にしていたジョッキをテーブルに置いて、声を張り上げた。
「悪いのはわかってても、何が悪いかがわかってないんだよ! だから、繰り返すんだよ!」
正岐はびっくりした。とんちゃんも、あとずさりするような驚いた表情をした。えっちゃんは、空になったジョッキを、調理場への入り口に立っていた奥さんの方へ差し出した。
「まあ、はじめてなことではないですからね。もう、何人もやめていったわけだから。」 正岐は、取り繕うように付け足した。えっちゃんは、だいぶ弱っているのだろうか。今年にはいってから、えっちゃんよりひとまわり若い奥さんは、糖尿病がひどくなって、人工透析になっていた。
「そういや、もうすぐ土用の丑の日だよね。」 少し緊張した空気をやわらげるように、とんちゃんに声をかけた。「うなぎ、できるの?」ときく。できますよ、というとんちゃんに、テーブルに置いてあるメニューをながめながら、「肝焼きってのは、にがいの?」
「にがいけど、おいしいよ。俺は好きだな。」とえっちゃんが答える。
「じゃあ、ふたつ焼いてよ。」ととんちゃんに言ってから、「えっちゃん、お代は僕も払いますからね、だいじょうぶですよ。」と、新しいビールを飲み始めたえっちゃんに言う。前回の飲み会のときは、正岐と山下親方で支払ったので、今回は自分の方から誘ったのだからと、えっちゃんが支払うと言っていたのだった。がうなぎは、少し高めだ。
「いいって、いいって。」とえっちゃんは身振りを交えてさえぎった。
店内は、こげ茶の板張りで囲われている。通りに面したビルの一階にある店への入り口以外に、外の光がはいる場所はなかったが、西向きに面した明かり窓が、夕日を目いっぱい採り入れているので、明るかった。奥隣の倉庫やトイレへとぬける、ちょっとした廊下のような空間の壁には、カレンダーやポスターが貼ってある。「ツギコメ」と大きな文字の目立つポスターもあるから、もしかしてとんちゃんは、公明党員なのかもしれない。それとも、お客にたのまれて、若者につぎ込んでいこうという政策を掲げたそのポスターがはってあるのかもしれない。美術の専門学校に通っていたがやめたという娘さんの、お化けの絵がその上にかかげられている。近くのマンションで暮らす落語の師匠が、その絵を褒めてくれたと言っていた。テレビの「笑点」のレギュラーにもなっているその落語家のサインも、天井近くに飾ってある。師匠はこの店に通う草野球仲間のために、いや胸に自分のネームが大きく入った特注のユニホームを着たいためか、自分の名を冠したカップ杯を設けたが、去年は雨、今年も雨で中止になったのだった。代わりの飲み会では、ドアから顔をだしては、小降りとなってきた空模様を見上げながら、「これならできるんじゃない?」とうらめしそうに言っていたそうだ。がその日中からの酒の席で、野球仲間たちが、子供への指導方針をめぐって熱くなった議論をはじめると、耳にうるさくなったように、店を後にしていったそうだ。
正岐はそんな議論があったという話を思い出しながら、カウンター席にうずくまったままの男の真上に飾られた写真を見あげて、顎で指すようにして、えっちゃんをうながした。
「ほらっ、この柔道の写真。」 額に入った、柔道着姿の男たちが整列するそれには、Budapest World Cupと、大きく印字されてある。
「とんちゃんは、柔道やってて、先輩にはオリンピック選手もいるんですよ。」と説明する。
とんちゃんが、うれしそうに笑う。
「締め技で、いつも首しめられてたんだって。」と正岐が付け足す。
「ええ、いじめられてばかりでねえ。」と立ち昇る白い煙に渋い目つきになりながらも、とんちゃんは笑顔を増す。
「へえ~、柔道やってたんだ、すごいなあ。」とえっちゃんが、感心するというより、どこか気後れするような小さな声でうなずいた。えっちゃんの若い頃は、まだ部活動なんてなかったのかもしれない。えっちゃんは中卒でプレス工になった。当時の新宿闘争と呼ばれた争乱のなかにいて、石を投げてたと言っていたが、どんなつもりでそこにいたのか、今の姿からはわからない。
「たくちゃんの息子さんはどうなの? もう準決勝、いった?」 正岐は草野球仲間の間でも評判になってきた、入学したばかりでレギュラーの座を奪って大会に出ている高校生のことに話をふった。チームメイトの父親は野球部出身ではなかったけれど、この地区の草野球をやりはじめた縁で、息子の方は小さい頃から大人とまじって野球をやりはじめた。中学の部活動ではなくクラブチームに所属し、高校は春の選抜甲子園に出場していた文武両道をうたう私立の進学校へと、野球推薦で入学したのだ。そこですぐに甲子園にでていた三年生の先輩から遊撃手のポジションを奪うと、この夏の西東京予選で先発選手として出場していた。
「いやまだエイトですね。この間コールド勝ちしてましたよ。そこで三塁打打ったから、たくちゃんも大喜びで、ラインがいっぱい入ってきて大変になったって言ってましたよ。」
「甲子園にいっちゃうじゃん。」と正岐がはやしたてると、
「いやあ、無理でしょ。」ととんちゃんは真剣な面持ちになって言う。「やっぱりねえ、夏は進学校には無理なんですよ。練習時間も夕方六時半までとか決まってるでしょ。ばてちゃんですよね。」
「まあ、そうかもね。わかるよ。」 正岐はうなずく。えっちゃんがまた空になったジョッキをあげて、奥さんにナマを頼んだ。
「いつも甲子園めざしてるようなチームは、夏の練習でほんとうに人が死ぬからね。毎年ひとりふたり、熱中症だかボールが頭に当たったとかで、死んだって話が流れてきたからね。だけどそれが普通で、死ぬ気でやるのが当たり前のような雰囲気があってさ…」とそこまで言うと、
「そうそう。」ととんちゃんが相槌を打つ。「締め技されてさあ、ほんとに死んじまうんじゃないかってとこまでやるんだからな!」
奥さんがうなぎの肝焼きを運んできた。店の手伝いをはじめて、まだそんな月日がたっていなかったかもしれない。コロナになってから、他の仕事が暇になって、手伝うようになったのだったか。とんちゃんは、時おり、まだ自身からは不手際に見える奥さんを叱りつけた。声が厳しいのは、やはり柔道家の訓練を受けているからだろうか。
えっちゃんは、肝焼きの串を手にして、頬張っている。とんちゃんや正岐より一回り以上年上のえっちゃんは、むしろ死ぬ気でやるというのが体質的な言葉に、身体的な価値になっているかもしれなかった。肩を入れた瞬間に脳天がいかれていくような重い植木を天秤担ぎに運んだり、剪定したあとの枝の束をひたすら担いでトラックに積み込んだり、棘だらけの枝を腕のなかに抱えたり、前身が発疹だらけになって痒くなったり刺されると電気のように痺れたりする毛虫だらけの樹にもぐったり、体力の限度や苦痛の最中を弱音ひとつもらさないのが生き様であるかのようだった。が、加齢による肉体自身の衰えのなか、なおそれを続けていくという生活は、心と体を分裂させていく。もう統一されない。えっちゃんが若い衆がいない、というとき、それは我慢という統一を自身に矛盾なく維持させてくれる補佐がいない、ということを意味していて、価値自体には変更がないのかもしれなかった。そしてそれは、えっちゃんの態度ばかりではなかった。職人の世界に入りたてのころ、正岐は仕事終わりによく酒の席につきあわされた。何の話であったか、正岐が、言うことを聞けと言ったって死ねと言われて死ぬまでするということではないでしょ、と答えたのに、親方は、「へえ~、そうなの」と、あたかもそんな常識は軽蔑するというような口調と眼差しを向けてきたのだった。
「高倉健じゃさあ、だめなんだよ。」 突然、カウンター席の男が言った。
「しろちゃん、なんだいいきなり。まさか、またはじまったんじゃんないだろうね。」
とんちゃんが一瞬とまどったあとで、ニヤニヤしながら受け継いだ。
「へっ、たしかにさ、健さんは最後は中国に息子をさがしにいって、あの朴訥とした態度があっちの庶民たちから共感されたよ。今でもスターで、人気者かもしれないな。しかしだからって、井の中の蛙が、島国の世間知らずの価値が、普遍的だとおもうな。」 男は、俯いたままだったしろちゃんは、顔をあげて、ビールをぐいっと飲みほした。「もう一杯!」
奥さんがその勢いにおされて、あわてたようにジョッキを受け取った。
「死ねって言われて、死ぬだって? 言われなくたって、死ぬんだよ!」 しろちゃんは、テーブルに座る正岐の方に振り返り、背を向けていることになるえっちゃんの頭越しに吠えたてた。「居候させてもらっただけで、流れのもんがそこの親分のために命を投げる、だって? 終身雇用は時代遅れですって、転職アプリで片足だけかけてる浮気もんが、結局は井戸に生き埋めされる蛙じゃねえか!」
「ひゃあ~」と、とんちゃんが頓狂な叫び声で応じた。「しろちゃん、まだ酒乱ははやくねえ?」
しろちゃんは、今度はカウンター向こうのとんちゃんの方を振り返った。「あいつがさ、先生さまが、おそいんだよ。待ちくたびれる、まったく!」またテーブルの方に振り返り、指さすようにジョッキを正岐の方へ傾けた。
「じゃあ聞くがさあ、植木屋さん。なんでマリウポリの製鉄所の地下に追いやられて閉じ込められたウクライナ人たちは、玉砕しなかったんだ? 正義なんだろ? 命かけなくていいのか?」身を乗り出すようにして、じろりと正岐をにらんだ。
正岐は一瞬たじろいだが、
「沖縄戦みたく、住民に手りゅう弾わたして死ね、っていうよりは、正義なんじゃないですか?」としろちゃんを見上げた。
「ほう~、情けねえとおもわねえわけか。」しろちゃんはビールを一口飲みほした。「住民を置いては逃げない。住民を楯にしてもな。それでスマホをかけて世界に助けを呼びかける。すげえなあ、なんてふてえ野郎どもだ。そうでもやって生き延びていくのが大陸の正義か? 正義は、死んでも明かすものじゃないのか?」
「生きて捕囚の辱めを受けず、のほうが、正義だということですか?」 正岐が言い返すと、一瞬、間ができた。二人はしばらく黙ったまま視線を交わした。
しろちゃんはその視線をはずすと、自分に言い聞かせるように答える。
「それが島国だって、言いてんだよ。捕虜になって、終わりか? 降伏して、終わりか? 嘘だったじゃねえか。俺たちはこうして、ビールを飲んでいる。」そして、ビールを飲んだ。
「だけど、本当かい?」 ジョッキから口を放すと、そのまま量の減ったビールをみつめた。少しの間のあとで、またいきなりなように、
「おまえの親方は、亡霊だったな?」 視線をビールに落としたまま、聞いてきた。
「亡霊?」 正岐は繰り返す。「いや、まだ生きてますよ。もう引退はするみたいですけど…ねえ、」とえっちゃんをうながした。うむ、と苦笑を返したえっちゃんも、ビールを飲みながらうなずいた。
「ちぇっ、」としろちゃんは舌を鳴らした。「ちがうよ。暴走族の名前だよ。ここらへんじゃ有名だろ。高度成長期、一世を風靡した族の番長だって。」
「ああ、スペクターのことですね?」正岐が聞き返すと、「番長はタイゾウさんだよ。親方は一緒にはじめた同級生だよ。」とえっちゃんが説明する。ちぇっ、とまた舌を鳴らすと、しろちゃんはつづけた。
「その亡霊の親方が、歳とって、最期まで自分を貫き通せるものなのか? 子分の面倒を、最後まで面倒みれるっていうのか? 途中で放棄すりゃあ、資本の都合のいい論理とおなじだぜ。使い捨てだ。生き様でも、倫理なんかでもありゃしねえ。そもそも、人が歳をとり、体が言うことをきかなくなる条件で、さらには体の言うこともわからなくなる認知症の現実で、そんなことが人に押し付けられる価値になりえるのか?」問いつめるように、正岐をみつめた。しかし…と、その目の奥で怒っているような瞳に惹きつけられるように、正岐は考えはじめた。むしろ、すでに価値に殉じていても、おかしくないのではないだろうか? 親方は、もう厄年をむかえたころから、気力がひとつ抜けて、体力も落ちて、にもかかわらず自分がやってきたお寺の庭木などにヘルメットもかぶらずのぼり、脚立にあがり、何度も落ちている。死んでても、おかしくない。そしてそれは正岐もいっちゃんも同じだ。二人とも、ちょうど厄年をむかえた四十二歳のとき、大木から落下し、一命をとりとめた。お互い、そのときの身体的な後遺症をひきずっている。自然を、時間の条件を、どこで区切るのか? 春か、夏か、秋か、冬なのか…。人は老いる、冬をむかえる、しかしそれは、生において、知識でしかないのではないか?
「俺が言っているのはよう、」としろちゃんは、こちらの考えを遮るように続ける。「今なんだよ。この瞬間的な時間においてだ、人は、それをのぞんでいるのか? いや、その死ぬまでの価値を、のぞんでいいものなのか?」 また問い詰めてくるように、しろちゃんは迫った。
正岐が答えあぐねていると、癖なように、ちぇっ、とまた舌打ちをした。
「子供のことを考えてみろよ。(しろちゃんは拳で威嚇するようにジョッキを傾けた。)経験が記憶されて意識されるでもない子供に、季節の知識もあるとおもうか? 厳しい野球の練習に耐えていくことを、前提にできるのか? 冬を乗り切れば春が来る、それを、根拠にできるのか? いやなら、やめるだけだろ。 あきたら、よそをむくだけだろ。それが、前提じゃねえか!」
「まあ、わかりますけど、」と正岐はためらいがちに、受け継いだ。「サッカーでもテニスでも、欧米のコーチは、子供をあきさせないメニューを開発していくのが仕事みたいなものですからね。」
「ああそうだ。(しろちゃんはおもむろに言う。)いやならやめることもできない、痛いならわめくこともできない、そんな価値は浅はかな強制以外のなにものでもない。やめたら終わり、負けたら終わりのトーナンメント方式など、リアルでもなんでもありゃしない。やめずに我慢して上達した雨蛙を青田買いに囲い込んでレールにのせる。ペットの犬猫でも、生まれたばかりは可愛くて高く売れるとしても、売買は禁止になってるのにな。それでもできのいい選ばれた雨蛙を自由に引きずりまわしてるのは、井の中の島民だけだ。親元を幼い頃引き離されたガキ蛙はホームシックにきゃんきゃん鳴いてもう躾けられない。自分たちで、自分の住処を、井戸を、ホームを壊していることにも気づかない。何が近代化だ? 壊れるにまかせて、新しいガキをコンベアーにのせてすり潰していく。なんで島民代表は、子供のころは世界大会でも強いのに、大人になると弱いんだ? うまいのに、弱いんだ? 謎でもなんでもありゃしない。バカなだけだよ。じゃあなら、あきないようおだてられた井の外の蛙どもが優れてるってのか? 捕虜になっても降伏しても次ありますからって人生のリーグ戦が真実だというのか? ……まあ、そうだろうぜ。命令で死ぬのではなく、自発的に死んでいくんだからな! 面白くなってチャレンジする、失敗はよくやったとほめられる、うれしくなって、本気で体当たりしていくようになる。言われねえことやるからヘマするんだなんて大人たちから怒られやしない。だから生き生きと育ち、死んでいく! マスクなんて糞くらえってな! 我慢ならんのがなんでわりい! 息苦しかったら外せばいいだろが! それが本場の民主主義だとさ。そいつらのお友達になりてんだとさ、この同調ガエルどもめ! ゲロゲロいつまで合唱してる? ゲロゲロ、ゲロゲロ、ゲロゲロ!」ビールの泡を噴き出しでもするように声をあげて、傾けていたジョッキを高くかかげた。「いっぱん庶民を、ぶっこわ~す!」
しろちゃんは、最近のN政党党首がみせるような、片手をアッパーカットで持ち上げるガッツポーズを真似てみせて、もう片方の、ジョッキを握っていた手を勢いよく口元にもっていき、残っていたビールを一気に飲み干した。「もう一杯!」
とんちゃんはあきれたように、「待って待って」と笑い声をあげながらも、困った表情を態度で示すように、腰に手をあてた。
「でも、」と、正岐は遮るように短く言った。「死ななかったんでしょ? マリウポリの人々は。(正岐はしろちゃんを見返した。)たしかに、自発的に死をおそれなかった。しかし、硫黄島の戦いみたく、玉砕もしなかった。」
「ハッハー!」としろちゃんは上向いて、爆発的な笑い声をあげた。「そこだよ、そこ!(意を得たり、とでも言うように、ぱちんと手を合わせて叩いた。)そこが、井の外の蛙たちなんだろうな! だってその野っぱらには、蛇も蜥蜴もいるからな。上空には鳥の目も光ってるぜ! つまりは、自分の価値なんて背後から食われちまうってわけさ。虐殺の大陸史だ。天下統一たって、次の瞬間にはどことも知れぬところから大群がやってきて、天下の同族を皆殺しに破壊していく。そんな野っぱらで、どうやって生きていくんだ? 死が、全滅が前提としてあるのに、どう生きたらいいの?なんてノウハウなんて小賢しい。そこで、蛇や蜥蜴と一緒に暮らすしかねえじゃねえか。それは優劣の価値問題じゃない。降参も玉砕も同じにさせられる、ニヒルで、ユーモラスな現実なんだよ。人道回廊で救出された奴らは死ななかったじゃないかって? すでに、亡霊なんだよ。生も、死も、同じになる。ペットの犬猫と一緒に育ったライオンはペットを食いはしないぜ。しかしそれは、食っちまうこととおなじだろ、ライオンは、ライオンなんだから。そのライオンの鼻先で、ペットのワンちゃんがペロっとなめられるのか、パクっと食われるのかに違いなんてない。ユーチューブの動画でまあ可愛い仲良しさんねえなんて喜んでた次の瞬間、パクッて子猫が食われちまう現実がなくなったとでもいうのか? それが、ライオンだろう、ライオンが、それだろう……いや、待てよ、まだ…まだそれは、来てねえかも知れねえけどな。」
しろちゃんは、突然瞳を内に凝らしたように押し黙った。「そう、まだ来ていない……おせえなあ…」独り言のようにつぶやいて、また黙った。正岐も、その沈黙に引きずりこまれた。話しかけるのがはばかられるような間ができた。がまたふいと顔をあげると、正岐の顔をまじまじとみつめた。陰気に返ったその表情をみて、やはり、どこかで会ったことがある、と正岐には思えてきた。
しろちゃんと呼ばれた男は、正岐をみつめながらも、どこか上の空なようにつぶやいた。「なんせ議員の七割が新人になったって言うからな。プーチン君にすれば、素人に現実を教えてやるよ、野っぱらの現実を思い知らせてやるよ、くらいなものかもしれねえな。啓蒙のつもりなんだろ。がだとしたら、本当のそれが来るのは、これからだぜ。こんなのは、悪魔を呼ぶための儀式にすぎないんだろ。だけど、それは、来るんだぜ(と顔をよせてきた。)何億匹の、悪魔を連れてな……」
そう言ったとき、店のドアの開く音がした。
暖簾をくぐって、キャップ帽をかぶり、マスクをした男があらわれた。ステッキをついていた。いつのまにか、日が沈んでいて、店内の蛍光灯が男の背景を黒く浮き出させるためか、背が高いように見えた。淡い色の反射で光る長袖のシャツに、黒のスラックスのようなものを穿いている。目が、据わっていた。それは、すぐにカウンター席のしろちゃんを見つめて、動かなかった。
しろちゃんは、内に向いた瞳を外に引きずり出されるようにして、敷居に立つ男へ振り向いた。不遜な笑いが目元に現れると、口が開いた。「それが、やっとお出ましかい。」いちど言葉を区切ると、刺すような口調の言葉を男に投げた。「おまえだよな、ヨシキ。あいつに、もと総理の暗殺をそそのかしたのは。」
正岐は、思い出した。島原史郎と時枝兆輝。もう二十年ほどまえか、兄の慎吾につきそっていってみた、ある新しい社会運動と称した組織の人たちだった。
とんとんとか…
とんとんとかとんとん、とんとんとんとんとかとんとん、とんとんとんとんとんとんとんとん……慎吾は、頭をぶるっとふるわした。向かい側の並びの席は、真ん中辺りがぽかりと空いているだけで、ほぼ埋まっていた。吊り革につかまっている人も何人かいる。その吊り下がった体が、一瞬きょろっと動かしたこちらの視線をさえぎってくる。だけど、どこかまばら、という感じがして、少しほっとして、また視線をドア側の隅の席に腰着けた自分の足元に落とした。普段なら、勤め帰りの人たちの時間帯と重なりそうだから、もっと混雑しているのかもしれない。今日は土曜日だから、まだ遊びにでかけた人が帰宅する時刻にはなお早いかもしれないから、それほど圧迫されないですんでいるのかもしれない。電車に乗ること自体が久しぶりで、しかも東京の地下鉄となれば、三十年ぶりくらいかもしれず、自身がそこに入っていけるのかが心配だった。乗り方を覚えているだろうか、ということだけではなかった。とくには、乗車というよりかはホームの上で、身に迫る恐怖が湧きおこってきて、そのまま身体が凍り付き、身動きできなくなってしまうのではないか、と想像されたのだ。細長い舞台のようなホームに立ち並んだ人々の間から、一段低い線路が見えてくる。その二本の線は、す~っと伸びて、落とし穴のようにぽんと空いた白い光の中へ消えていく。すると、押し入れの隅に押し込まれていたような記憶が机の引き出しのようにすっと引き出されて、使い忘れて捨てられたような消しゴムみたく存在感を増してくる。これは、おまえのだろ? 先が丸くなって小さくなりかけた消しゴムは訴えかけてくる。俺がわるいんじゃないよ、俺だって、君を一生懸命救ってあげたかったんだ、だけど、もう、手に取る理由が、生きる理由が、わからなくなってしまったんだ、見つからなくなってしまったんだ、俺を、そんなに責めないでくれよ、俺は……あの時、慎吾は、ホームに入ってきた電車に飛び込もうとしたのだった。「俺を死なせてくれ!」体を自分につけるようにして横を歩いていた父親が、ぎゅっと腕をつかんできた。身を振りほどこうともがく自分を、必死になって押さえつける力が伝わってきた。前を歩いていた弟の正岐が、もどり近づいてくる気配がした。「俺を死なせてくれよ! もう、だめなんだ!」もう一度、叫んだ気がする。「ばか言うな!」父親が自分を抑え込む力と、自分の膝が折れてホームに倒れ込み力が抜けていく感覚とが、一緒だった気もする。泣きそうな、悲痛な父の叫びだった。その激しい悲しさが、頭の中で木魂していた。そのあとのことはわからない。家の前で、タクシーを降りた。車が、高速で走っていくような感覚と、頭の中の、時間が滑っていくような感覚が一緒になって、ぐるぐると回転し、窓から見える風景もぐるぐるだった。そのぐるぐるの中で、両脇に密着した父親と弟の温もりが伝わっていた。そうだ、俺は、まだあの暖かい温もりを覚えているじゃないか……。
慎吾はほっとしたが、いつの間にか隣に座っていた中年男の肩が自分の肩に接しているのに気付くと、我が返ったように思い返した。なんだって俺は、とんとんとんとん考えていたんだろう? そう思いつくと、また頭の中に、とんとんという音のような言葉が渦巻くのだった。
これはあれだろう? (と、渦中のなかで意識が飛び出してきた。)太宰の短編小説の、タイトルのやつで、幻のようにどこからともなく聞こえてくるってやつじゃないか……何かやろうとすると、聞こえてきて、やる気が失せていくんだ……戦争後遺症ってやつだな、一種のうつ病なんだろうな。俺だって、敗残者として故郷に帰ってきたんだ、幻聴のひとつやふたつも聞くだろうさ。それを甘えてるっていわれてもな。直希のやつは(と三男の弟のことが思い出されてきた)、なんだってああもうるさいんだろうな。介護士をやってるっていうんなら、もっと病者への理解があってもいいじゃないか。それをあいつは呑気な患者と間違えてやがる。苦しいからこそ、怠け者になっちまってるってことがわからない。いや、そもそも俺は怠けてなんかいないじゃないか。毎日英語の授業を欠かさない。ABCもできるかどうかわからん中卒のあいつに、何が理解できるっていうんだ? それともあれか、「大いなる文学のために死んでください。自分も死にます、この戦争のために」!と太宰に書き送って散華した戦中の青年みたく、深い大義があいつにあるっていうことなのか? あいつの俺にたいする日々の嫌みは、俺の野心を超えていく高尚な思慮からやってくるとでもいうのか? たしかに、あいつは、よくわからんやつさ、何を考えていることやら。真面目なのか不真面目なのか、真っすぐなのか曲がってんのか。しかしあいつだって、どこかおかしかった時が、いっとき、行方不明になってた時があるっていうじゃないか! ならあいつだって、故郷に錦を飾れないで出戻りしてきた敗残者じゃないのか? むざむざ生き残って、あいつにだって、とんとん聞こえてきたって、おかしくないじゃないか! それを、規則正しい生活してれば、俺の苦しみは消えていく、なんて、ふざけやがって! 眠くたって、眠れないんだぞ。睡眠薬をいっぱい飲んでも、眠気に襲われながら、かっと目覚めている。夜が、真昼のように、炎天と俺の頭の中を照らすのだ。言葉の嵐が、渦を巻いて俺をメールストロムの底へと引きずり込んでゆく。何をつかんだら渦巻の中から浮上できるものやら、俺にはわからない。いつの間にか、髪は真っ白なはずだけど、坊主頭にしてるからな、俺は幼くみえるらしい。時が、歳がとまっちまったのかもしれないな……。
慎吾はふと落ちた自分のそんな想念に、身をすくめた。体を実際に縮ませたために、隣の人との接触がなくなった意識に目覚めて、ぷいと横を向いた。もう、そこには誰もいなかった。前の列の席にも、空席が目立っていた。いつのまに降りたのだろう? そして、自分はやはり取り残されている、そんな淋しさが身を包んできた。実家にもどり、子供部屋に引きこもり、軍歌をきいた。同じメロディーを何度も頭に刻み付けていくなかで、いつのまにか持たされていた携帯電話がスマートフォンというのに変わって、最近はそこに映る動画で賛美歌をきいたり、テレサ・テンの歌を繰り返し再生させた。いやそれが朝の日課になっていた。不眠症に襲われていても、それは規則正しい生活にちがいなかった。井の中に取り残された蛙だとしても、蛙はケロケロとしか鳴かないではないか、井の外に出ていった蛙たちだって、ケロケロ鳴くことしかできないではないか、ならば、なんで俺がいつも同じ古の曲で心を落ち着かせてわるいことがあろう! 自分は、外の世界の現実を知らないかもしれない。しかしそれでも、外の人間たちと同じように、ケロケロと鳴く世界とつながっているとしたら! ……ならば、俺は、淋しくないというのか? ひとりではないというのか? 生涯のうちに自分の職場と家とをつなぐ生活圏を離れることもできず、離れようともしないで、どんな支配にたいしても無関心に無自覚にゆれるように生活し、死ね! 死んでいくことこそが、どんな政治人よりも重く存在している大衆の思想であり、自立の基盤なのだ! ならば……なんで、俺は苦しんでいる? 考えて、考えて、その言葉が渦を巻き、眠られぬ夜で朝を迎える。たしかに俺は、それでも食い意地だけは張っているようだ。もうそれしか、楽しみがないかのようだ。けど、苦しんで、考えている、食うこと以外にも、考えている、考えている……なんでそれが、ばかなことだろう! ばかで、あるもんか!
慎吾はばっと席を立つと、開いた扉をさっそうとくぐっていった。急に、腹立たしくなってきた。人をばかにしやがって……そうだ、あの頃も、そう思って、俺は、あいつらと……と慎吾は突然、またぶるっと体をふるわした。あいつめ……あいつら、また人殺しを……首相を狙うなんて、どこまで本気なんだ? エスカレーターに乗り、地上へと出た。自転車道をも交えた広い歩道の向こうの大きな道路の向こうに、マクドナルドの大きな黄色いMがみえる。その真向いの少し狭めの道路の向こうには、バーミヤンというファミレスの看板がみえる。そうだ、俺は、ここで落ち合うのでいいんだ、今度こそ、あいつと、あいつらと、決着をつけてやる……慎吾は、青になった横断歩道を渡った。
葬儀
父の葬儀には、父と母の身内にあたる親戚へと連絡をしただけだから、数人が集まるだけだろう。それぞれ五人は越える兄弟姉妹のなかで育ったといっても、すでに他界している兄や姉がいるし、生きている者も高齢だから、そう来られるものでもない。自らが勤める施設で父が亡くなったときも、ほぼ事務的に処理されてゆこうとする地元の新聞への告知を、直希は断ったのだ。告知されれば、教師をしていた父の教え子たちが知ってかけつけてくるかもしれず、自ら監督となってやり始めた少年野球チームの息子たち三人の同級生たちが顔をみせに来るかもしれなかった。しかしその場に、二人の兄がいないことになるのだ。母は、仙台の実家を守っていた弟の死去後の処置をめぐり、一番下の弟が無理なことを言い出したと不平をもらしていた。父から大学に進むのにも一番世話になった末の弟が一番つれなくて葬儀にも来ないだろうと呟いていた。が、自らの息子たちが、父の葬儀の場にいないのだ。末っ子の直希だけが、葬儀を行う部屋の前の椅子に座ってうつむく母の傍らに立っていた。
父が食を口にしなくなったのであと一週間もしないで看取りになりそうだと、介護施設の担当の者から連絡が入ったのは十二月も半ばを過ぎた頃だった。別棟で仕事をしていた直希は、日勤の職務を終えるとすぐ裏にある入居施設へと向かった。まだ日暮れて間もないが、西側からは覆いかぶさるように山が迫っていたので、裏山へと向かうアスファルトの道は一気に暗くなっていた。振り返れば関東平野が一望できる開けた東の空になお青い残光がとどまっているはずだが、暗さに瞳をならすように、一歩一歩の足元を目に焼き付けるようにして坂をのぼった。街灯のところまでくると、足元から現れてきた黒い影がいきなり立ち上がって前方の道へとのびた。その行く手を仰ぎ見るように顔をあげて、父のいる部屋の灯りを確認した。
当番のインドネシアの青年から夕食のプレートを受け取ると、直希は父の横たわる部屋へと入っていった。もう一名が横になっているベッドとはカーテンで仕切られている。流動食をいれた三つのお椀をのせたプレートを壁際にあるテーブルにのせてから、父の足元の方へもどって、自動でリクライイングさせるベッドのスイッチを手に取り高さを調整させた。もう、自力で目を開けられなくなって久しい。苦しい様子はないが、一定の苦痛に固まってしまったように、片膝を少しあげたまま、動かなかった。耳も、どこまで聞こえているのか、わからない。昨年の末も、もう年を越せないのではと言われていたのだった。そうして、一年がたった。直希は消毒液で手指を洗うと、ベッド脇の机に整理されたカテーテルを袋から取り出し、痰吸引機のチューブにつなげて、スイッチをいれた。カテーテルの先を握り、いちどアルコール綿で拭ってから、すでに口を開いたままの父の顔元へその管を運んだ。まだ夜更けているわけでもないのに、静かで、蛍光灯の光がなおさら薄暗さを滲ませてくるようだった。口から喉奥へとすっと吸引の管を差し込む。管の先を折って押さえていた親指の力を緩めると、痰が切られ吸い上げられてくる音が沈黙を破裂させるように響いた。その音に感応するように、勝手に手が動いた。もう施設に泊まる老人を看るようになってからどれくらいたつだろう。何人の老人たちの世話をしてきたろう。管を握る指先の振動と音で喉の粘膜を傷つけない手加減が意識するでもなく調整された。作業をしている間、腕が、携帯用の機械と一対となったロボットのような気がしてくる。ああ~、と、父が声をあげた。管を口から取り出し、またアルコール綿でカテーテルを拭きながら、父の様子をうかがった。もう一度、管の先を入れてみる。濁った音が、数珠のようにつながってくる。まだ外国から来た研修生の身では技術が不十分なのか、だいぶ喉奥に痰が残っているようだった。いや日本の熟練した介護士でも、どこまで親身に接することができるだろうか。それは、手を抜くということではなかった。自分の腕の匙加減ひとつで、施設に入居してきた老人たちの寿命が調整されていくことがわかってくる。直希が、父を自宅の近くの施設から、空きの出た自分の山際の施設へと移動させたのも、その施設の暗黙の方針に気付いたからだった。見舞いに訪れる家族からも、言葉にはだせない意向は伝わってくる。ひとりひとりと向き合う現場の者として、自分たちはただ勤務をこなすだけだった。熟練すればするほど、頭の想念とは別に腕が、指先が、感覚が研ぎ澄まされた機械になっていく。が、その機械が、疲労や日常の忙しさからか、突如、魔が差したように鈍ることがある。ちょっとした誤作動はすぐに忘れられても、数日後には、誤嚥性の肺炎となった死として、現実はやってきた。日々、自覚されるようになっていった。その堆積は、自分が人を殺してしまったのではないかという反省を、確信犯に変えてゆく。その認めたくない悶えにあらがうように、ニヒルな無関心と、虚しい陽気さが起伏し、耐えていけない者たちは、次から次へと職を辞していった。
その日父は、よく夕食を飲み込めた。食べている途中でまた痰がからむので、吸引のカテーテルをおこないながら食事をさせた。たぶん、以前の施設で末期を予期され、昨年宣告された最期をも逃れて今にいたっているのは、自分が勤務後に立ち寄って痰の吸引を続け、父の消化のペースにあわせてスプーンを口に運んできたからなのだろう。あとから入居してきた、まだまだ元気な老人たちが、ほどなくして亡くなっていったのだった。父は、まだ肌艶もよく、痰がからめば大きな声をだせた。今年も、年を越せるかもしれない。週一の夜勤明けの休日に、看取りとして母を特別に面会させてやることができるだろう。第八波と呼ばれる新型のコロナ流感は、少しおさまってきていた。自分が父の担当者になることは施設の規則でできなかったが、状況をみての特別な計らいを処置してもらうことはできた。
しかし母と実家で暮らす長男の慎吾は、東京の知り合いに呼ばれたと家を出たきり、戻っていなかった。次男の正岐は、もう若い頃から、ほとんど連絡がつかないままだった。地元の進学校を卒業して学生として上京したその先で、兄たちに何がおこったのか、三男の直希にはわからなかった。
母は、うつむいたままだった。真ん中より少し下の毛がごそっと抜けたところがあって、そこを脇の毛で被せて、茶色い大きなヘアクリップでとめていた。父がまだ施設で息をしている間は杖もつかずに歩けていたが、本当に亡くなってみると、もう自力では立っていられなくなったように、下駄箱に立てかけてあったハイキング用のスティックを引き寄せて、すがるようになった。父と母は、同じ一月の二日が誕生日だった。米寿を迎えたその十日後の夜半、父は直希が見守るなか、息を引き取った。その静かに仕舞われた息を引き継ぐように、母が、小さな力ない息となっていった。口数も少なくなった。忌引き休暇をもらったここ数日、直希は実家に寝泊まりしながら、葬儀への手続きをおこなっていった。例年になく死者が多くなっているため、居住区の葬儀場にあきがなかった。火葬場の費用を支援から自己負担に変えて、直希の勤める施設に近い県下でも随一大きな斎場へと父の遺体を移した。忌引きの休日の最後尾まで日取りはずれたが、そうすれば、兄たちが式に間にあって駆け付けられるのではないか、という期待も持った。が母に声をかけてきた身内は、父の一つ下の弟と、母の一つ下の弟、そして父の本家を守っていた長男の息子夫婦だけだった。
葬儀の時間が近づき、直希は母を立たせて、父が眠る部屋へと歩かせた。いつよろめいて倒れるかもしれない背中に手を添えながら、白い棺桶の手前に並べられたスチールの腰掛へ座らせる。黄色と白の菊の花で波のように飾られた祭壇には、青い空を模している背景の遺影が、こちらを覗いていた。施設にいるときに撮った写真を拡大して、母の意向で、背広を着たように合成させたものだった。父にも、浴衣ではなく、直希が母の言われたとおり、背広を着せた。膝を上げたままの父にスラックスを穿かせるのは容易ではなかったが、葬儀屋の係の者と二人で、注意深くおこなった。棺桶も、膝の骨を折って押し込むわけにはいかないので、平のではなく、高さのある少し値が張るものを使うことになった。
通夜をむかえ、棺に身を横たえた父の前で、直希と母は、住職の経を聞いた。遺骨を納める寺は曹洞宗だったが、永代供養として、無宗派の形で埋葬することに母はこだわった。父には、遺書があった。そこには、そう希望することが毛筆で書かれていたのだ。しかしその家族に当てられた置手紙は、まだ父が六十を少し過ぎた歳に書かれたものだった。介護施設へ入居したあと、部屋の整理をしていたら、神棚の奥から出てきたものだった。当時のことを、直希はよく思い出すことができなかった。長男の慎吾は、帰省してそのまま精神科へと入院したが、その措置がすみ、退院しては自室に引きこもっていたのではなかったろうか。次男の正岐からは、東京の新宿のほうで植木職場に身を寄せたと連絡があったころだろうか。直希には、母を助けろ、と息子たちに当てたその遺書は驚きだった。自身の自殺を思いつめていたとしか考えられない内容だった。末っ子の自分には、父の深刻さや真剣さはすぐ腑に落ちてくるわけではなかった。が考えてみれば、教育者としての父の息子たちが世間に顔見世できるような成長をしていないことは、心残りであっただろう。仕事の件もあった。勤めていた私立大学の事務長をしていた父は、学部増設のための先頭にたっていた。国からの認可がおりないまま、新学部の建物はできあがっていた。同僚には、追い詰められて自殺してゆくものがいた。まだ中学生だった直希には、よくわからないことだった。なんとか計画は進んだが、理事長の席には予定の父ではなく、天下りの役人がやってきたということだ。父は退職し、再雇用として、裏方にまわった。そうして、何年かたったころに遺書は書かれたのだろう。
棺の前に腰かけたお坊さんの読経がはじまった。母は、うつむいたままだ。葬儀やその後の処置をめぐる母との話し合いは、父の最期の話が幾度となくあったので、だいぶ以前にすましておくことができた。だから実際の処理を進めるのは、手際よく事務的におこなえた。突如だったら、やはり母に話を聞けるような状態にはならなかったろう。そう、当然のように直希は思えてきたが、子が親をおもんぱかる気持ちと、妻が夫をおもいやる気持ちとでは、だいぶ違うはずである。それは、まずは男と女との関係であったはずである。直希には、中学生の頃からの幼馴染の恋人がいたことがあったが、独り身を選んできた自分には、長い年月をともにした男女の連れ添う気持ちが、想像できてくることとも思えなかった。父の手紙には、自分の想いを募ったものだけでなく、父の祖父にあたるのだろう、昭和のはじめに亡くなった男の家訓の写しが別封筒のなかに入っていた。子供たち八人に当てたもので、名誉のために職に就くな、投機は破産のもとであり一時で稼ごうとするな、近所隣は我が事と思って助け合え、と十か条のような箇条書きで要約されていた。最後には、辞世の歌が添えられていた。株分けし培いおきし白牡丹去年にまさりて咲くぞ嬉しき……もう一通あった。怒りは敵と思え勝事ばかり知て負くる事を知らざれば害その身にいたるおのれを責めて人を責むるな及ばざるは過ぎたるよりまされり……それは、東照公御遺訓として一般にも読めるものの抜き書きであるらしかった。
父は、母を助けろと言葉を遺し、痴呆になっていった。その痴呆の期間は、長く続いた。もう直希が三男の息子であることがわからなくなっても、なお母のことはわかっているようだった。認知症の進行を少しでもやわらげようと、父と母は区民館でおこなう詩吟や書道に通った。放浪癖がではじめて帰宅できなくなったことを契機に、まずはグループホームへと父がはいった。家に残った母は、父の最後の墨絵となったものを書斎の本棚に貼り付けて飾った。展覧会でも特別に展示され、指導した先生からも、これは相当に筆遣いになれた人でないと描けない絵だと評価されたものだった。確かに父は、次男の正岐が小学生の頃、一緒に書道をはじめてから、ひとりずっと続けていた。年賀状も、毛筆だったはずだ。その展覧会の半紙に書かれた墨絵は、大根の姿なのだったが、すぐにはそうは見えなかった。どことなく、蛸に見えた。ユーモラスだが、一筆一筆にのびのびした迫力があった。脇には俳句が添えられていたので、なぜ蛸の足のように何本もの線が引かれているのかがわかるのだった。母と育てた家庭菜園で収穫したものなのか、一本ではなく、何本かまとめて結わき吊るしているものを捉えたからなのだ。大根干す昨日と同じ風の向き……直希は、経の合間に設けられた葬儀代表の挨拶で、その絵と俳句の言葉を思い出した。もう認知症が進んでいる最中で、風を感じ、その向きを感じ、昨日と同じだと感じとる、そうした冷静な父の一面には、はじめて出会ったような気がします、通夜の席で、父親とはもくする山、乗り越えられない山なのだという住職のお話がありました、それは、もう黙ったまま語ることのなくなった父とは、みあげればいつも新しい一面をみせてくる山のような、尽きることのない目安として聳え立っている山のような存在としてあるということなのだろうと……。
父を載せた霊柩車は、山へと昇っていった。そこから連なる山峰は、中部地方をこえて、北陸までも続いているはずだった。いや列島の背骨として、それは南北に貫いているはずだった。その尖端の頂上を切り開いて建築された火葬場の駐車場からは、東北の峰を背にした赤城山の腹筋のようないくつもの尾根が赤く輝いて、開けた平野部を跨いで近づいてくるかのようだった。大きな空の真っ青さが、広げた掌で蓋をするように、冬の木々の枝先へと降りてくる。透き通った冷たい風が、なびいた。車から降りる母の手をとりながら、その温もりを冷ます風の向きが、昨日と同じ向きのものなのかどうか、直希にはわからなかった。
会合
正岐は兄の慎吾のあとを追って、階段をのぼっていったのだ。
四車線の大通りにや、その歩道にも、大都会の活気があって、思いつめて目を怒らしたような慎吾や、気後れし、おどおどしたような正岐がふいに路地道に入っても、怪しいとおもう通行人はいなかっただろう。ハイカラな看板やいかついビルの厚みが、どこか人離れした雰囲気を靄のように広げて、頻りに行き交う自動車のエンジン音も蜃気楼のように立ち上がっては消えを繰り返し、街の空気には浮ついた感覚がつきまとう。何かを、誰かを注視し気にかけるような落ち着きはやってこない。
が、ひとつ路地道に入れば、高い建物に陽をさえぎられて薄暗く、いっきに瞳孔が広がり、目の焦点がひとつに絞られてゆくような錯覚におそわれる。突然、正岐は自分が問われてくるような気がした。慎吾は、行きなれているのか、下を向いたまま、ためらいもなく、古びたビルに入り、エレベーターではなく、その乗り口の脇に空いた階段の踊り場の方へ足を運んで行った。表通りの賑やかさとは打って変わった、その暗さと静けさは、踏み段にかける足の一歩一歩を、地につけていくような重さに変えた。重い足取りは、剥げかけた灰色の壁が作る年季のいった斑模様を背景にして、なおさらと正岐を自省的にさせた。
父が、言ってきたのだった。兄の様子がおかしい、と。正岐は、父から兄のアパートの住所をおそわって、尋ねてみることにしたのだ。兄の慎吾は、大学は文学部だったが、銀行へと就職し、そこから外資系の会社へと転職をしているはずだった。慎吾はちょうど、でかけるところだった。せっぱつまったような目で、これからメンバーたちの開く集会に行くところだという。教会のこと? と正岐がきくと、それとは違う、まだ立ち上げたばかりだから、俺といっしょならおまえも参加してもかまわないだろう、いやおまえも行ってああいう話をきいておいたほうがいいかもしれない、と付け足した。そしてふと我に返ったように、「俺はプロテスタントはやめたよ。だって牧師さんとか信者さんは、俺がワンコインしか献金しないと、露骨に嫌な顔をするんだぜ。カトリックはそんなことがないんだ。みんなおおらかなんだ。」そしてまたふいに、思いつめたように下を向いた。歩き出す。ぶつぶつと、ひとりごとを呟きはじめる。「俺のことなんて……どうだっていいんだ。社会を変えることをやらなくちゃ……」
正岐は、心配にもなり、ついていくことにしたのだ。グレーの背広姿の慎吾だったが、会社に行っているようには見えなかった。日曜日なのにそんな服装であること自体が、おかしい気がした。不安を安らげるためなのか、慎吾がキリストの教会へと通っていることはだいぶ以前に聞いていた。ならばそれとは違う、何か新興の宗教にかかわりはじめたのだろうか……慎吾は、幾度か電車を乗り換えて、都内へと入っていった。皇居にも近い、大木になった街路樹の並んだ街の駅で降りた。先に歩く慎吾の背中は、物思いにふけっていた。階段をのぼってゆくその後ろ姿も、言いたい事柄が渦を巻いて混濁しながらも、じっと口を閉ざしているようだった。
慎吾は錆て剥がれたところもある鉄製のクリーム色の扉の取手に手をかけると、鍵がかかっているかを確かめるようなこともせず、そのまま引っ張って開けた。
「風向きを変える必要がある」 島原史郎が、ちょうど口をきったところだった。カーテンがあるわけでもない南側の窓から、日光が差し込んで、部屋の中が広く見えた。日の指す窓側とは反対の壁際に細長いテーブルがいくつか押し付けられていて、中古のような折りたたみのパイプ椅子が、部屋に空いた中央辺りに適当に散らばっていて、数人の男たちが座ったり、立っていた。入口とは真向いになる突き当りの壁に、大き目のホワイトボードがよりかかっている。正岐が入った左手側には、湯飲み茶わんなどの食器をしまうらしい、人の背丈くらいの古びた戸棚がうかがえた。広くもないその一室は、他に家具らしいものもないので、だだっ広く感じられる。会社の事務所にも、会議室にもみえない、まだ引っ越し途中の部屋のようだった。
島原は、二人が部屋に入ってきたことも意に介さないように、そのまま話を続けていく。「……バブルがはじけても、自殺者が増えただけだ。実質を超えた信用の膨大、架空のマネーの全額返済は物理的に不可能だ。だから、資本主義の法則に、収奪と再配の塩梅を決めることのできる国家の法則が介入する。郵政を民営化し、年金や国民の貯蓄で外資株を買い付けるように法律を変えて、金を回して救うところと切り捨てるところを振り分ける。切り捨てられて地獄に落ちていく者を、まだ世間は見殺しにしているままだ。」
そこまで話して島原は、ようやくのこと慎吾の方へ顔を向けた。「よく来たな。ということは、覚悟ができたってことか?」そんな向けられた問いに、慎吾は島原をじっと見返したままで、答えなかった。間が一つあって、「まあいいだろう」と島原は言うと、一緒にはいってきた正岐に気付いたように、「誰だ、そいつは?」と顎をしゃくった。
「弟だ。社会勉強のために、連れてきた。」 慎吾ははっきりとした口調で言った。どこか口答えさせない気迫のこもったトーンに、島原はもうひとつ間を置くと、「まあいいよ。」ともらし、「よく考えるんだな。」と、念を押すように付け加えた。そしてまた集まっている者たちの方へ顔を向けて、話をつづける。
「だからこの体たらくな風向きを変える必要がある。フランシス・フクヤマは、ソ連と社会主義圏の崩壊に、歴史の終わりを説いたが、宣言できたわけじゃない。資本と国家の統制がほどよく民主主義的におさまって永遠に落ち着いていく、もう勝負はありえない、と認識したわけじゃない。戦争が、サッカーのワールドカップに引きこもっただけだ、と言ったにすぎない。人間は、復活する。」
島原がそう言い切るように言ったところで、パイプ椅子に股を広げて座っていた大柄な中年男性が、言葉をはさんだ。
「人間が、いると? 資本と国家とネーションの三位一体の世界に、人間が入り込む余地なんてないでしょう。唯物論には、神もいなければ、人間もいないのでは?」と、論争的な意見を口にだしながら、鷹揚とした笑顔を浮かべた。
「肥田さんよ、別に借金を抱えているわけじゃないよな?」指さされて島原に言われた男は「えっ?」とのけ反るような驚きを示した。「ならばなぜおまえは、憂欝になるんだ? 死にたいなんて、ほざく? ほんとにそんな交換制度の理論で、借金取りに追われているわけでもないおまえの死の衝迫が解消されるというのか? おまえの抱えた問題が、解けるというのか?」
口ごもった肥田さんと呼ばれた男に助け舟をだすように、その斜め後ろに座っていた、薄い長めの黒いコートのようなものを羽織った長髪の青年が、間にはいった。
「だ、だ、だけど…」と、その青年は口ごもりを払いのけるように言葉を継ぐ。「社会が変わってくれないことには僕なんかどうにもならないし、来るべき社会は、人の意志なんかじゃどうにもならないんだから、社会に不満を述べるくらいはいんじゃないんですか?」
島原はどこかしどろもどろに聞こえる意見に「あっは」と一度笑ってから、「矢津らしい突っ込みはわかるが、社会に不満を述べていれば気がすむのか? ひとりや仲間内でつぶやきあって、自分たちに都合のいい社会がやってくるのを待っていると?」
矢津と呼ばれた青年が黙ったままなのを確かめると、島原はつづけた。
「革命で立ち上がったソ連邦は、父殺しを完遂することなく自壊していった。冷戦の終わりを、アメリカがとどめを刺したわけじゃない。民衆が、皇帝の代わりに就いたエリートの息の根を止めたわけでもない。頭でっかちになった父は、自力では解けない問題を抱え込んでお陀仏に果てた。世界は、違う終わり方をした。だから、終わりきらなかった歴史を、もう一度喚起させる必要がある。サッカーに引きこもった男たちを、世界の表舞台へ引きずり、狩り出す必要がある。真剣まがいの勝負ではなく、本当の真剣勝負をさせるためにだ。革命社会からバトンタッチし、金融操作にうつつを抜かした、頭でっかちだと気づいてもいない無邪気なエリート世界に、まずは歴史を再導入する。」
「つまりそれ、」と、日の当たる窓際のほうではなく、日が差さない部屋の隅の方へ立っていたので気づきにくかった女性が、口をはさんだ。「反米愛国ってことじゃないの?」背筋をすっと伸ばした中年の女性だった。
「なんで愛国になるんだ?」と島原が問いただした。すると、女性の隣でやはり椅子に座らず、手持無沙汰なように突っ立っていた青年が、「やはりそうなるんじゃないですかね?」と割って入った。
「そのエリートって、まあアメリカ社会のことになりますよね。それに真剣勝負、つまり本当に命を賭けた戦争をのぞむって話でしょ。ならばナショナリズムになるのは必須ですね。」
茶色に染めた髪を肩の上の辺りまで伸ばした中年の女性は、自分の話をさえぎった青年に不満を述べるのではなく、むしろほっとしたような明るい笑顔を浮かべた。「そうよね、槇原、そうなるよね。」
槇原と呼ばれたジーパンの青年が、それにまた言葉を足そうとすると、島原がさえぎった。
「戦争をするのは俺たちじゃない。国家どうしだ。俺たちは、そうさせるように動く、日本でなら、空気を変える、ということだ。」
槇原は、「わからないですね。」と言う。「民衆の蜂起を期待して先走った暴力で孤立的に終わるか、前衛の革命が結局はナショナリズムになるか、って落ちにしかならないでしょ。」
「いつの時代の話をしているんだ?」と島原が槇原に問うた。「いまどき、そんな革命だの暴力だのに体張る必要なんかあるのか? ネットの情報操作で十分だ。空気を変えればいんだぜ? そして国どうしでつぶしあってもらう。世界も、自然環境も、ぼろぼろになっていくのは目に見えているじゃねえか。真剣勝負だ。そこでは、死の衝迫も生命力も、いっしょだ、同じことだ。」
「つまりそれ、」とまた女性が口をはさんだ。「赤ちゃんを産むってことなんじゃないの?」
一瞬その場に間ができてから、島原がまた問いただした。「山田、なんでそうなるんだ?」
山田と呼び捨てられた女性は、困ったように槇原の方を見た。視線を受けて戸惑ったように、槇原はしどろもどろに言った。「た、たしかに、お産は、真剣勝負ですね。死ぬか生きるか……」
「でしょ?」とその助け舟に、山田はまた嬉しそうに相槌を打った。
槇原はその相槌に自信をもったように、言葉を付け足す。「赤ちゃんはビービー泣いて、ノイジーですし、世界を異質に開きますよね。戦争中でも交接があって団塊世代のベビブームにつながっていったのだから、死の谷を行くなかでの希望の原理になるかもしれないですよね。」
「いやだからそれも、」と、黙ってきいていた肥田が、言葉をはさんだ。「意識的にできるのはそういう贈与交換的な実践かもしれないとしても、結局は資本と国家とネーション的な三位一体の世界に取り込まれた話にしかならないんだから、絶望なんだよ。」と、正岐と慎吾が聞き始めた話の振出しに戻るような意見を述べた。他にも椅子に座っていた男たちがいたが、黙ったままだった。
「おまえら、」と少しの沈黙を破るように、島原が言った。「日本思想界のドンの話を真に受けることしか知らないのか? 制度になるようなでかい交換の力しか世の中にはないと思っているのか? 人間にとって、一番大切な交換は、なんだ?」
島原は、そう問うて、一同を見回した。まだ夏には早い時期だったが、閉めきった窓のためにか、議論がすすむうちには、熱くなる。島原ははじめから、Tシャツ姿だった。ズボンは、迷彩色に似たグリーンのカーゴパンツなのだろうか。ベルトではなく、腰回りをズボンについた紐で結んでいた。シャツには、何かの漫画の絵がプリントしてある。
「俺が教えて進ぜよう。それは、唾液の交換だ。」 一瞬の間があって、こらえたような笑いが集会の中に広がった。
「だからそれ、赤ちゃんてことじゃないんですか?」 槇原が笑いながら質問する。
「違うだろ、」と島原は答える。「それは、精液の交換だ。つまりは、Cだな? 俺が言っているのは、ABCのなり染めのうち、初心さを失わないAの話なんだよ。まあDまでいって、来るべき赤ちゃんが到来する、と認めてやってもいいけどな。しかし大切なのは、あくまで、Aだ。」
「だからそれは贈与でしょ。」と肥田が言う。島原が反論する。
「贈与というのは、氏族社会がどうのと、大きな物語の、制度上の話だ。氏族とは、はやりの家族人類学者によれば、民間の軍事会社のことにすぎない。」
島原は説明する。肥田は食い下がるように言う。「そうだとしても、それを高次元で反復することが必要なんじゃ…」
島原はさえぎる。「高次元って、なんなんだよ? ABCD、ってアルファベットにメタレベルってかい? まさに世界の独占企業の発想だな。だからノーベル賞に値するんだろうね。極東にまで伝播したABC哲学の成れの果ての白骨化だ。頭でっかちな、形而上学的な空回りなんだよ。俺が言ってるABCは、まさに男女の、肉体をもった人間関係のABCであり、Dである。人間ならざるものたち、微生物やウィルスを取り込んだ身内にこそある多世界との重なりこそが、俺たち人間を発生させる自然的条件の基盤だ。病気もうつるかもしれない。がそれを乗り越える抗体の発生は、超人思想を産まない、あくまで、強じんな体を作っていくだけだ。」
槇原は、「ディープ・キスが必要ってことですね?」と真顔になってきき、隣で座る山田を見た。「ふざけんなよ。」と山田は槇原をにらんだ。
島原は冗談のような話を打ち切るように言う。「それは喩えだよ。こうやって話しているだけでも、すでに他人の持っている微生物やウィルスを交換しあっている。感染しあっている。それぞれが、腸内やあちこちの体内で、それぞれの生態系をもっている。その多様さは、固有のものだ。セックスで赤ちゃん作るのが大切だからと、その生産主義が試験管ベイビーやクローンの技術にたどりつくのじゃないか。赤ん坊ができればいいのか? その人間の世代交代が歴史だというのか? もっと、内省させる。生と、死を、考えさせる。……ここからは、時枝に話をしてもらう。」と、島原は、窓のある方の部屋の壁際の隅に、パイプ椅子を運んで座っていた男の方を向いた。日差しの向こうの影に入っていたので、ドア近くに立ち尽くしていた正岐の所からはほぼ正面にあたるのに、目立たず、そこに人がいたことに気付かないでいた。薄いスポーツ風の紺のジャケットに、同じ色の紺のスラックスを穿いて足を組んでいた男は、椅子の背もたれに体をあずけ、青いシャツの前で腕組みをしながら、慎吾と正岐の方を向いていた。が、こちらを見ているのかはわからない。
彼が、時枝兆輝だった。
島原から名前を呼ばれた時枝は、組んでいた腕をほどいた。「まだわかっているわけではないが」、と広げた腕の右手の人差し指をたてた。魔法使いの指のように、それはやけに長く感じられた。枝先に止まった蜻蛉の目の前で、子供たちがそうするように、垂直に伸ばした指をゆっくりと回しながら、語りだす。その落ち着いた声も、催眠術でもかけるように、腑の底に落ちてきた。「わたしたちの意識より先に、彼らが反応している。その反応は一様ではない。彼らのそれぞれの世界が、反響しあって、その重複による重力的効果が、わたしたちに意識されるにすぎない。バタフライ効果と言われる仮説があるが、何も宇宙の果てや地球の裏側の世界での出来事の波及がわたしたちにやってくるというわけではない。わたしたち自身が、身体内部での多世界の波紋であって、バタフライ効果そのものだ。わたしたちがしなくてはならない内省と遡行は、そうした次元にかかわる。」そこで、回っていた指の動きが止まった。同時に、ゆっくりと、花が自然に開くように、グーに結ばれていた左手が開いた。「唯物論は、あくまで人に観測されて物質化された世界での構築物をあつかっているにすぎない。アインシュタインは、量子力学における観測問題を受けて、ならば人が月を見ていない時は月は存在していないのか、と問いかけた。その後の量子観測は、まさにそうだということを実験証明した。だから、量子コンピューターなどは、もう量子を見ること、観測することを敢えてしないようにして、まだ物質構築される以前の情報の確率的な複数世界を生け捕りにしようとする。が、その方策自体が、相も変わらない人間理性の横暴である。なぜなら、人は月を見たり見なかったりするかもしれないが、その身内に住むウィルスや微生物は、そもそも月を観測していないからだ。だから彼らは、まだ物質として存在していない月の波動情報をそのままとしてキャッチしている。だから、わたしたちは体の中では、月を見ずとも、その存在を前提できている。月の満ち欠けに連動する女性の生理のことを思えばいい。あるいは、海の干満。それが引力や重力によるとする理解こそが、本末転倒だ。重力自体が、彼らの世界の重なり効果なのだ。そこにおいては、生命と物質の区別はない。みな無に帰している他なるものたちの交流だからだ。」
「多世界を認めるとしても、」と槇原もまた右の人差し指をあげて、時枝を指さしてさえぎる。「その重なりが重力を発生させているなんて、科学的に証明されていることではないですよね?」
「もちろん。」と時枝は応じる。槇原が指して来た指の方向をキャッチでもするみたいに、開いていた左手を閉じた。「観測したらわからなくなる、と科学が証明しているのだから、そもそも、人にわかることではない。重力という単位自体が人間にとっての観測結果であって、仮構にすぎない。しかし観測前のものとして想定されてくる世界は、物自体として、人を統制していく理念と仮構されているわけではない。相互作用があることは、推定できるのだから。現にそう交流して生きていることを、わたしたちは知っている。」
「アニミズムですねそれは。」と槇原が人差し指を鍵のように曲げて答えた。「そもそも、量子論は、ホーリズムと親近性がありますからね。万物に霊が宿るスピリチュアリズムでしょ。」
「スピリチュアリズムとは、」と肥田が加えた。「商品による交換Cが趨勢の社会産物にすぎない。」
時枝は、今度は閉じた左手の人差し指を伸ばして、伸ばしていた右手の人差し指をしまった。そして伸ばした長い指でリズムでもとるように、上下にチクタクと振った。
「人の社会に生きているのだから、そう言ってもいい。がなんでそう解釈する必要がある? 人が緊張関係で熱くなるのはどうしてだ? 腕力や言葉のやり取り以前に、赤ん坊がある人を前に突然と泣き出すのはなぜだ? それも、霊の力によるのか? それとも、物理作用で熱が発生すると理解するのか? わたしたちはわざわざ、そんなことは考えない。」
「か、考えないほうが、いいですよね?」と矢津が相槌を打ち、「禅問答みたいだな。」と肥田がもらし、「龍樹の『中論』が量子論を一番言えてる哲学だという話もありますからね。」と槇原が応じる。その間、島原は椅子に座ったまま、腕を搔いていた。
時枝はチクタク動かしていた指を止めた。すると右手の人差し指も立てて、その伸びた両の指を、皆の方へと向けた。「科学が真理を追究するように、わたしたちもこうして、真理をめぐって議論している。ではそのそもそもの衝迫はどこからくるのか? 我が子を事故なり事件で亡くした母親は、なんでそうなったのか真実が知りたいと迫る。その衝迫はやみがたく、果てしない。どんな解釈を提示されようと、納得することはない。まだ真実がない、とわが身をすり減らしてでも真理を追究する。ならば答えは、真理をめぐる解釈、真実ではない。その衝迫がどうして起きたか、ということだ。楽園喪失したからか? 失われたものを、回復したいということなのか? 亡くなった我が子を、取り返したいということなのか? しかしそれは不可能だ。失ったのが、我が子だったのならば。しかしその衝迫は、あくまで衝迫なのだから、なだめることはできる。どうやって? 我が子が亡くなってはいない世界を作ることによってだ。社会を変えるということは、この可能なる世界を回復することに他ならない。」
「そんなこと、できるの?」と山田が口をはさんだ。「死んだ赤ちゃんがよみがえってくるなんて、逆に恐いわよね。」
「生きてても死んでても、同じなんだよ。そう言ったろう?」島原が、割って入った。「たとえばこう」と、島原はまた左腕を右手でボリボリと掻いた。「こうやって痒いからとひっかいて、いったい何匹のウィルスやら微生物が俺の体から亡くなっているのかわかりはしない。こんな程度で俺の意識は悲しむことはないが、バタフライ効果なるものはあるだろう。失われた世界は、確実にこの俺に、つまり俺の固有世界に影響を与えて変革を迫っていることは、推定できる。科学では、そんなことは証明できない。が科学の知見から、推定できる。そしてひっかきだされたウィルスや微生物とともに、彼らと共にあった俺の固有世界は失われている。が、その死の中にあっても、俺は生きている。生きているという感じ自体が、新しい可能なる世界へ向けてのバタフライ効果だ。ということは、生も死も、過去も未来も、可能性も現実も共存していることになる。」
「ぜんぜんわかんない。」と山田がせまる。「だってそれ、ぜんぜん慰めになんてならないじゃん。」と隣に立つ槇原の方を見た。「赤ちゃん亡くしたお母さん、なだめてやるんだって、さっき言ってたわよね?」
「言ってた言ってた。」と槇原がうなずいた。
「だから真剣勝負を喚起する必要があると言うんだよ。」と島原は躍起になったようにつづけた。「これを単なるお話と聞いている状態だから、慰めにもなだめにもならないんだよ。戦場で戦う兵士は、自分が死ぬことともに生きていることを突き付けられている。そこでは、そう自分をなだめる以外にない。しかしウィルスや微生物にとっては、その真剣勝負は日常茶判事だ。危機に陥った母親は、真理とは何かと衝迫にかられる。しかし、今の科学はどうだ? 科学者はどうだ? 真理なんてそっちのけで、使えりゃいいと産業技術者になり果てている。そんな体たらくだから、失われてゆくものたちへの共感もない。慰めにならないのじゃなくて、慰めがいらない、その必要性に気付けない、ということだ。だから、気づかせる。風向きを変える。空気を入れ替える。そのために、」とそこで島原は時枝の方を振り向いた。「王殺しを、復権させる。」
「王って、王様のこと?」と山田が言うと、「しょ、将棋の駒ですよね」と矢津が言い換え、「天皇のことか?」と槇原が敷衍し、「大逆事件でも起こすと?」と肥田が総括した。
「だから、」と島原が口をとがらせて、また皆の方を向いた。「もうそんなおおげさなことはいらないんだって。メディアに騒いでもらえばいんだから。」とそこで、奇妙な間を置いた。それからやおら、慎吾の方へ顔を向けた。「といっても、少なくとも、やることはある。命がけの飛躍をな。息子の前で首吊りする父親の自壊を繰り返えさすのではなく、自らの手を汚す、古典的な実践をな。」そして、慎吾をにらんだ。「戦争は、それからだ。わかるな?」
慎吾は、部屋に入って少し進んだところで突っ立ったままだった。面持ちは真剣だったが、皆の話を聞いていたのかどうか、斜め後ろからその横顔をうかがうだけでは、正岐にはわからなかった。
「もちろんわかってるさ。」と慎吾は語気を強めて言い返した。「俺は、やる時はやるよ。」
再会
いつの間にか、日は沈んだようだった。
薄暗がりになるにつれて、街灯がつき、並ぶビルの室内から光がもれてくるからか、歩行者と自転車の通路を街路樹でしきっている大きな歩道の敷石が反射してきて、夜の訪れを気づかせなかったのかもしれない。もう帰宅の時間帯にはいったのだろう、いくつもの線路が走り込む駅のビルから、人の流れがゆっくりと押し寄せてきていた。その人並みに追いやられるように、慎吾は線路をまたぐ陸橋の上へと流され、立ちすくんだ。すぐには押し返せないまま、その人混みのうしろ、駅の隣に聳え立つオレンジ色の塊を見上げた。さっきまで、なお昼の明るさをとどめた陽の光が、コンクリートのビルの胴体を洗って、囲碁の升目のような窓ガラスも照り返してきて、まるでこれから動き出す巨大な生き物みたいに、いくつもの目をもったマンションがこちらを見おろしてきたのだった。おそろしくなった慎吾は、また足早にもときた道をひき返す。そんないったりきたりを、何度つづけたのだろう。
薄暗がりに気づいて、慎吾ははじめて、自分がマスクをつけていないことに思いあたった。そうだ、まだ新型ウィルスとやらが飛び交っているんだっけ。電車の中ではわからなかったけど、暗くなると、みんなの口元が白く浮き上がってくるんだな。まるで、お化けとすれ違うみたいだ。すう~っと、消えてゆく。いやあの女の人は、じろっとにらんだぞ。俺が、どこか、おかしいのだろうか? いや俺は、マスクをしてくるのを忘れてしまったんだ。いや、そもそも、世の中のことを、覚えていたっけ?
沿道に並ぶいくつもの店が、入口を開いている。まるでそこが吸い込み口なように、ある人はそこに吸い取られ、またある人は次の吸い込み口へと消え、また吐き出されてくる。そこで吸引されないでまっすぐに道を進む人たちは、急ぐ目的が磁石にでもなっているのか、一つ方向へとやはり引きつけられるように、すう~っと行った。きょろきょろ、よろよろ、慎吾は当てのないように歩いて行く。そしてまた、地下鉄の階段が顔を出す大きな交差点へとたどり着く。その階段からも、人が噴き出ていた。交差点で落ち葉が滞留するように、人々は信号を待った。一瞬よどんだ流れに渦ができたように、慎吾は舞い回り、ふらふらと、もと来た道へとひき返す。おかしいな、なんで、俺は、たどり着けないんだろう? いや……やっぱり、ここで、いんじゃないのか? ためらって、玉すだれのような暖簾の前で立ち止まったときだった。後ろから、肩をたたかれた。
野球帽のようなものをかぶった男は、目が合うと、笑みを浮かべた。黒か灰色にみえるマスクで口を覆ったその容姿からは、すぐに誰かはわからなかった。が軽く緩んだ目元を確認して、慎吾はぎくりとした。男は、青いステッキを一歩まえに出して、店の引き戸に手をかけた。
「おまえも、呼ばれて、たんだな……」 体が重なり合うようになったその男の耳元で、ささやくことになった慎吾にはかまわず、男は戸を開けた。その左手の、やけに長い指先で、頭上から前をさえぎってくる暖簾をどけて、店の中へと半身をいれた。漏れてきた電灯の光線が、ワイシャツの水色を浮き出させると同時に、背中の広がりを黒く染めた。店の中から、やっとお出ましか、という聞き覚えのある声が響いた。「おまえだよな、ヨシキ。あいつに、焼き鳥の王冠をちょん切れとそそのかしたのは。」
慎吾はぎょっとして、思わず、時枝兆輝の背後から顔をのぞかせた。
「なんだ、二人そろって申し合わせか!」 島原史郎が頓狂な声をあげた。「とんちゃん、生ビール二つ追加してよ。秘密作戦会議がはじまるからさ。」
アクリル板の向こうにいた丸刈り頭の眼鏡の店主が、目を大きくして、びっくりした声をだす。
「えっ、しろちゃん、連れがくるなんていってなかったじゃない。困るよ。」 とんちゃんは応じた。「これからヤンキースの飲み会で何人か来るんだよ。まあさんは、ヤンキースのメンバーなんだからね。」腰に手をあてて、毅然とした態度を示す。
「もう来ないからって。それに……」と、カウンターに座っていた島原は、その向かいのテーブル席にいた二人連れのうちの、中年男の方を指さした。「そのまあさんとやらは、弟分だぜ。」
慎吾はその指先に誘われて、テーブル席の方へ目を向けた。真っ黒に日焼けした年老いた男の向かい側に、やはり真っ黒く日焼けした男がこちらを見上げていた。あっ、と慎吾は声をあげた。
外の暗みの中から顔をのぞかせた時から、正岐には、それが誰だかはわかっていた。島原史郎が、ここにいる。正岐がもう三十年近くにはなるこの界隈に、いつから居住していたのかは知れなかったが、その男がここでとぐろを巻いている。そこに、目の座ったインテリ風のあの男が現れた。その符号は、当然、兄の慎吾の存在をも、正岐には連想させてきたのだった。まだ、あの組織は、続いているのか。たしか、くじ引きで次の代表を選んでしばらくして内紛が起き、投票にかけて解散したのではなかったのか。
時枝は、ゆっくりと店に入ってきて、ステッキをカウンターに寄りかけた。別段、足が悪いようには見えなかった。もう六十近くにもなるはずであったが、老けた感じはしなかった。緩慢な動作のうちにもどこか芯が入っているようで、体自体がアンテナのように、あちこちにレーダーを張ってものを見ているようだった。ステッキを握っていた指は、やはり魔法使いのように長く、不気味な感じがした。座る前にこちらに向けた視線だけが、つかの間の優しさに緩んで、またすぐに奥に引っ込んだ。
慎吾は、まだ突っ立ったままだった。
「おまえ、ここら辺に住んでいるのかい?」
正岐は、黙ったままうなずいた。そしてとんちゃんに、「僕の兄なんですよ。」と顔を向けた。
「えっ、そうなの? 実の、お兄さん?」 それから顔をほころばせて、「杯を交わした弟分ってわけじゃないんだよね?」
奥さんが、生ビールをすでに二つ注いでいて、島原の隣のカウンター席に置いた。
「まあさんも、こう見えてヤクザだからなあ。」 とんちゃんが言っている間に、慎吾はおずおずと進み出て、時枝の隣に座った。「なんせ歌舞伎町の店のオーナーだからね。」
「保証人ですよ。」 正岐はジョッキに残っていたビールに口をつけた。
「同じようなもんでしょ。家賃払ってなかったら、払わなくちゃならないんだからね。まわりがぜんぶ、外人ですからね。危ないの。」
とんちゃんの話を耳奥にしまい込むようにして、島原が言った。
「遅かったじゃねえか。」
どぎまぎを隠せない慎吾がすぐに返した。「いやだいぶ前からこっちに着いてたんだけどさ、焼き鳥屋さんっていうのに、とんちゃんってあるからさ、違うのかとおもって通りすぎちゃったんだよ。」
とんちゃんがまたすぐに応じた。「すみませんねえ。そのひねりがネタでね。豚でなく鳥かいって、お客さんとの話がはずめばっていう営業戦略でね。」
とんちゃんはそう言って、お通しを奥さんに渡した。「だけど、こりゃ三密になっちゃうな。」
島原が「乾杯!」とジョッキを時枝と慎吾の方に向けて、「来るべき生き地獄のために!」と声をあげてから、とんちゃんに顔を向け直して言う。
「人が何人あつまろうと、この世界の、宇宙の密度は変わりはしないよ。平気だって。真空にだってエネルギーは満ちている。宇宙はどんどん加速度的に膨張してるっていうのに、そこにあるエネルギーの量は変わらないっていうんだぜ。薄くなっていくのが道理なのに、不変なんだとさ。真空から、つねに散漫にも過密にもならないように、こんこんとエネルギーは湧いてくるんだよ。だから三密なんて、気にすることはないさ。」
「また難しいことを言って。」と、立ったままのとんちゃんが、上から見おろすように応じる。「風邪ひいて熱だしたら、いやでしょが。不要不急の外出はひかえて、家にも帰らず、店で寝泊まりして営業してたんだからね。」
「えらいよとんちゃん!」 島原がジョッキをとんちゃんの方へかかげた。「その引きこもれる力こそがダークなエネルギーの源なんだよ。こんこんと湧きでる狐の化かした粒子の発生だ。まあ、ダークマターに関しては、このお隣のきざなステッキ爺さんが専門だけどな。」と、ぎょろっと島原は、時枝の方へ視線を向けた。
「というと、どのような方なんですか? 先生?」 とんちゃんは時枝の方へ顔を振ってから、また島原に向き直った。
「かつては大学に籍を置いていたが、いまは暗黒唯物論の扇動者だな。」 島原がビールを飲みながら言った。
「アンコ食うって……ここは和菓子屋さんじゃないから、そういうグルメはできませんよ。」と、とんちゃんが応じたところで、時枝が「何か焼いてもらえますか?」と言う。
とんちゃんは笑い顔で「ええもちろん」と言いながら、「ネギマにしましょうか、タレと塩、どちらにします?」と聞く。時枝が「塩」と答えるのを聞いて、「まあさんのお兄さんも、塩でいいですか?」と慎吾の方へ向き、慎吾がおどおどとうなずくのを見ると、「久しぶりに会われたんでしょ?」と肉の用意に体を動かし始めながら聞く。
正岐は、そんなカウンターでのやりとりを見ていた。皇居近くのビルで、はじめてこの二人や他の参加者と顔を合わせたあとも、慎吾のあとについて、彼らの話を何度か聞く機会があった。慎吾は、当時とくらべて、だいぶ太ったように見える。といっても顔の膨らみをみると、それが脂肪というよりは、浮腫みのようで、だからその体の膨張は、肥満からではなく、睡眠剤や精神安定剤の副作用からなのだろうと正岐は思った。兄の慎吾の体調は、まだ平常にはもどっていないのだろう。空調は効いているのに、額に、だいぶ汗を浮かべている。あれから、二十年は経つだろうのに、なお世間やあの組織との緊張を抱え込んでいるのだろうか?
慎吾は、乾杯で手にしたジョッキを手にしたままだった。テーブル席に腰かける正岐がこちらをうかがっているのに気づいたように、そのジョッキを正岐の方へ向けた。
「おれ、アルコールは駄目なんだよ。マサキ、これ、飲めるだろ?」と差し出した。
えっちゃんがそのジョッキを受け取りながら、「はじめまして。まあちゃんにはいつもお世話になってるんですよ。」と言って、正岐に手渡した。「じゃあ、何にします?」と、えっちゃんが、慎吾にきく。
「コカコーラあるかな?」 慎吾がとんちゃんに聞くと、「コーラはおいてないんですよね。」ととんちゃんが答え、じゃあ、と慎吾は考えると、「お茶みたいの。」と言う。
とんちゃんが笑いながら、「ウーロン茶でいいですね?」と顔をあげた。「久しぶりじゃ、積もる話もあるんじゃないんですか?」
慎吾は、とんちゃんと正岐の間で首を振りながら、「ここは、新宿なの、中野区なの?」と、どちらにともなく聞く。
「微妙な問題ですね。」ととんちゃんが声をだして笑った。「まえの通りの向う側が新宿。こちら側は中野。だけど意識はどうなんすかね、ヤンキースは、中井だから新宿だけど、まあさんは、新宿の落合から東中野、でまた落合の真上にある中野の上高田に引っ越したんですけど、NYのまま。中井の草野球チームの一員ですからね。」
「引っ越しといっても」と正岐が受け継ぐ。「みな職場から半径3キロ圏内だよ。」
「いいじゃないですか、」ととんちゃんが相槌をうちながら、「バッケの野球場がどれも近くて。」と付け足す。
「ちっ、」と島原が舌をならして介入した。
奥さんが、焼き鳥の皿をもってきて、カウンターのテーブルに置く。
「またお化けの話かよ。」さっそくネギマを手に取った島原が、串を口に運んで肉を嚙み切り、もぐもぐさせながら話しだす。
「墓下に広がるお化けのでる葛が谷の野っぱらには、山羊が草をはんでいた。」
島原の歌うようなリズムに、えっちゃんが「そうそ」と拍子をとるように相槌をうつ。
「いたいた。子供のころ、見たよ。葛が谷地区には、豚もいたんじゃなかったかなあ。」
えっちゃんは、妙正寺川の縁に広がる、そのばっけが原と呼ばれた、いまは地下に貯水場を湛えた人工芝の野球場になっているそこから崖をあがった、目白の文化村に通じる高台のアパートに住んでいた。両親は、もとは杉並のほうにいたらしかったが、火事にあって、こっちに引っ越してきたとのことだった。
「アナキストな詩人が飼っていたんだよ。」 島原がつづける。「いや詩人の師匠たちがそこの乞食村に住んでいたのさ。親分は仕事となれば台車に両脚をたたんで仲間を引き連れ都会にくりだす。右と左の旦那さま~、きょう~もおめぐみくださいな、って歌をうたいにな。」
「だから今でも乞食山っていうの?」と、とんちゃんが間に入る。「まあさんの住んでる団地が、その跡地なんですよね?」
「賭博場でもあったのさ。」 島原がビールを口にし、焼き鳥を流しこむようにしてごくりとする。「博徒の聖地だな。所場が開かれるときは、あちこちの街角に、見張り役が立ったらしいよ。」
「戦前の話だろう。」 時枝が言った。
「そうでもないさ。」 島原は応じる。「爆撃で家をなくしたものたちが、崖に穴を掘って暮らしていたんだ。それをどかして、モダンな高層団地ができたのさ。」
「だ、だけど……」 ウーロン茶を神妙に飲んでいた慎吾が、言葉をはさんだ。「だけど、そこに住んでるからって、なんの関係があるっていうんだい? お、俺たちの運動が、アナキストの系譜にあるからって、その詩人の何かを、受け継いでいるってわけでもないんだろう?」
「なにが化けてでてくるか、わかりゃしないぜ。」と、島原が応じた。「俺たちの運動とやらは解散した。が一度起きた出来事は、この空間に、真空にもエネルギーの痕跡を残す。遺伝されるのは、二重らせんにコード化された物質だけじゃない。ダークな、見えない境域というものがあるんだよ。そこにある暗黒マターも遺伝する、つきまとう、化けてでる。ばっけで飼ってた秋山清の山羊が、この焼き鳥になってでたって、おかしくないじゃないか?」
島原はそう言って、串にかみつき、肉を頬張った。「だけどなあ」ともぐもぐと続ける。「どうも年取ると、油っこいものはだめだな。漬物とか山菜が欲しくなるよ。」そしてとんちゃんに、「おしんこない? あと、トマトをちょうだいよ。」と言う。「日本人はあれだな、肉なんて食い始めたのは戦後もしばらくしてだから、遺伝的に肉はだめなんだろうね。歳くうと地が出てくるんじゃない?」
「それじゃあ、焼き鳥屋さんの将来がないじゃないですか?」 とんちゃんはトマトを冷蔵庫から取り出して、「トマトね。」と片手で持ち上げてみせて、確認する。
「俺は…」と、慎吾がまた食い下がるように言った。「ふざけてるんじゃないよ。だって、おまえら、また……殺したじゃないか……」
慎吾はつぶやくようになったが、一瞬、しんと間が入った。
「ニワトリの首しめたって?」と島原が沈黙を破るように言い、「そりゃそうだろう。ここは、焼き鳥屋さんなんだからさ。日本のお庭にのさばる最後のトリを、バンっとやらせて、まきあげる。カモにされた小鳥たちを、パニックに陥れて、そのままどっさり生贄にしようってか? そうだろう?」と、隣でビールを口にしている時枝の方に視線を走らせた。
「ギャラの分配も、地鶏たちの間で交換が成立していたことになる。」 時枝が目だけを動かして、島原を見返した。「それも、合意のうちに入る。」
「ほう~」と島原は考え込んでから、「つまり、認めたってわけだ。」とまた押し黙った。「まあ確かに、合意ではあるな。地方から秋風をそよがせるってわけか。」
奥さんが、おしんことトマトをもってきた。えっちゃんと正岐のテーブルにも、おしんこの小皿を置いていった。
「もっともっと、空気を入れ替える必要があるからな。」 島原は焼き鳥の串で、トマトを刺して、その赤い実を顔の前にまで持ち上げた。「とんちゃん、そろそろ換気したほうがいいんじゃないの? みなウィルスにやられちゃうよ。」
「さっきお二人さんがはいってきたときので十分でしょ。もう夜はひんやりしてくるんだから。」
とんちゃんは下を見たまま、包丁をさばいて、忙しく立ち働いている。
「空気が変わったってことね。」 島原はひとり合点がいったようにうなずいて、トマトを食べた。
「ど、どんな空気だっていうんだよ。」 慎吾が、ウーロン茶のグラスをテーブルに戻して、時枝ごしに、島原の顔をのぞきこんだ。
「どんなって、みんなでやりまくりてぇって、ことじゃないの?」
「ふざけるなよ!」と、慎吾は声をあげた。「俺にだって、想像はつくんだよ。おまえらが、たくらんでいることぐらい……」
「おまえらじゃ、ないだろう。もうみんな、挙国一致な揚げ足取り。鳥はやっぱりもも肉だろう?」 慎吾はかっと目を見開いたが、そのあとの言動を封じるように、島原がそのまま声をはりあげた。
「正義の戦争は万々歳、勝ってくるぞと勇ましく、侵略者はインベーダー、反対するひと陰謀だ、苦情があるなら9条へ、不法侵入武器よこせ、投げ銭上げ膳お膳立て、炎上上演品行方正、毎度の火種もどこ吹く風……てなもんでさ、みんな、やる気まんまんになっちゃったんじゃないの。」
「俺は、」と慎吾は唇をかんだ。「やる気なんて、ないよ! そんなこと!」
島原は、じろっと慎吾をにらんだ。「ああ、まだまだ真剣味がたりないよな。焼き鳥も焼いただけじゃなくて、七味をかけて食わんとな。ドンパチやってる当人のところに、頑張ってって、甲子園の応援しゃもじをお土産にもってくんだから、とんだソーリーだよ。失礼千万。いったい何匹の首をしめれば気がすむんだか。」
時枝が、「もう一杯もらえますか?」と、カウンターの横で待機しているような奥さんに、ジョッキを持ち上げた。
「明治以降、何人の首相経験者が殺されたとおもう?」 時枝がまるでジョッキを受け取った奥さんにでも言うように、話をつづけた。「総理経験者七名、およびそれに匹敵する地位と権力をもった者が三十人、暗殺された。その数を、『壮観』だと評する学者もいる。また一人、付け加わったわけだが。韓国の大統領経験者が、引退後に逮捕される者が多いどころではないだろう。だとすれば、その暗殺は、日本の近代以来、連綿と続いている情念のくすぶりということになる。戦国の時代から近代社会への移行にあたって噴き出てきた矛盾が、今も解決されていないということだ。自らの命をさしだして一揆を敢行した百姓でも、殿様を殺しはしなかった。ならば、その命がけの情念は、いま、どこにあるというのか?」
「そりぁ、決まってるさ。」と島原は吐き捨てるように言う。「ここにいる、小さきものたち、小鳥たちにだよ。(島原はつづける。)鳥籠だろうがブロイラーだろうが、地団駄踏むしかない自由に文句があるわけじゃない。一寸の虫にも五分の魂っていうじゃないか。明日食われるかもしれない小鳥たちにだって、気概はある。自由なんかじゃない。人を、小さき鳥たちを馬鹿にして羽をむしりとり大きな家畜にみせるイリュージョンにいつまでもひっかかっていられるか? 飛べなくたって、羽があるから鳥なんだぜ。」
「ならば、」とまた時枝が応じる。「その飛べない小鳥たちは、どうやって自分たちにも羽があるのだと知らせることができる? 羽ばたいて、飛んでみせなければ、鳥だと認められないのではないのか? 自由が問題ではないのはかまわない。が、鳥籠のなか、ブロイラーの中で餌を与えられ肥えさせられているだけなら、鳥としての気概も、魂もある人間たちなのだと、どうやって証明できるのか? 他者から、思ってもらえるのか?」
「だから、」と島原がさえぎる。「合意している、と言っただろう? このままでは、焼き鳥にされてしまうからな。おまえらやっぱり人間じゃあねえ馬鹿だから、科学実験のモルモットが似合うよって、放射能だのワクチンだの、科学調味料をふりかけられっぱなしになるからな。原爆投下まえの降伏なんて、そう簡単にさせてはもらえなかったろうよ。」
正岐はえっちゃんの肩越しに漏れてくるそんなカウンターでの話に聞き耳をたてていた。降伏をさせてもらえない、その島原の言葉に、ロシアによるウクライナ侵攻がはじまった直後、フェイスブックで訴えた自身の投稿文を正岐は思い出したのだった。
戦争
『The last day of the ″Caverna″, Latin restaurant and disco in Kabukicho, Shinjuku, Tokyo, Japan.』
そうタイトルを打って、かつての店の仲間たちに、英文と日本文のものを投降してみたのだった。
『I want to appeal to the Ukrainian people. Everyone knows that the Russian Putin has begun to invade this time. So you can surrender with confidence. In the past, the Japanese also fought a thorough fight to prolong the war, and as a result, indiscriminate carpet bombing and two atomic bombs were dropped. I don't want to see other people like that again. On TV, a Ukrainian grandmother sadly says "Surrender to Russia will kill all lives, not just our territory.” It was once thought that if the Japanese surrendered to the United States, the men would be killed and all the women would be raped. But that didn't happen. If we had surrendered earlier, many people's lives would have been saved. But Ukraine is still in time. Please survive. Surrender to war is neither the end of life nor the loss. The fight continues. Endure the intolerable, and survive. Please.
私は、ウクライナの人々に、訴えたい。今回、プーチンロシア側か、いっぽう的に侵略をはじめたのは、みなが知っている。だから、自信をもって、降伏してください。かつて日本人も、徹底抗戦して戦争をながびかせ、その結果、無差別絨毯爆撃と、原子爆弾を二つ、落とされた。もう二度と、他の人々に、そんな目にあわせたくありません。テレビでは、ウクライナのおばあさんが、ロシアに降伏したら、領土を失うだけでなく、みな殺されてしまう、と嘆いていました。日本人もかつて、アメリカに降伏したら、男は殺され、女はみなレイプされるのだとおもわされた。が、そんなことにはならなかった。もっと早く降参していたら、たくさんの人の命が助かった。しかしウクライナは、まだ間に合う。どうか、しぶとく生き抜いてください。戦争への降伏は、人生の終わりでも、負けでもない。闘いは、つづくのです。耐え難きを耐え、どうか生き延びてください。
私は思い出す、もう二十年近くまえになるだろうか、東京は新宿の、歌舞伎町にあったラテン・レストラン&ディスコを店じまいした日のことを。
経営者はフランス女性で、店長はペルー人、そして日本人の私が保証人だった。
歌舞伎町は、日本でも一番の歓楽街であって、私たちは、南米や中東からの客を相手にしていた。街は、暴力団がしのぎを削る場所だった。みかじめ料として、その組織の一つに支払うことが慣例だった。
正月の注連飾りを購入するのも、そのひとつだ。集金しにきたヤクザと、「新宿で植木職人やってる俺が保証してるんだから、それは要らない。必要なら、自分で作れる。」と言ったことがある。もちろん、慣例をやぶることはできなかった。
あるとき、イランの男たちが、アラビアン・ナイトの物語にでてくるような刀を振り回して喧嘩しはじめることがあった。集金しにくるヤクザが呼ばれたが、「見てるだけ」、と経営者は怒っていた。バーテンをしていたコロンビアの男性が、白刃取りでつかんだというエピソードもある。私も、カウンターの下に隠してあった、没収された刀を見せてもらったことはあるが、そうした事件に出くわしたことはない。
店は、十年近くは続いたのだろうか。なお日本はバブル経済の余波があったころだ。しかし、たくさんあったラテン系の店も減っていき、とうとう歌舞伎町では、私たちとヤクザの経営する店だけになっていた。客層が、中国人に変わってきていたのだ。
ヤクザの店と一騎打ちのような形になった私たちの店には、いろいろな圧力がかかった。私たちの店にいったものには、罰金が科せられたりした。
そうしたある日、経営者から電話がかかってきた。「店を閉めようとおもいます。ヤクザには、何も言っていません。だから、暴力、あるかもしれません。彼らがお金を取りに来る日に、やめます。」
私もその日、店に行くことにした。日本語のできる日本人がいたほうがいいだろう。店では、経営者のフランス女性や、ペルー人の店長がいた。彼とは、夜の荷物担ぎの仕事での仲間だった。DJでもある。食事を作っていたペルー人のおばさんや、コロンビアの青年がいたのかは、覚えていない。
フランス女性は、モップをもっていた。「これで、彼らにも、お掃除をしてもらいます。」
私は、ソファに座って、待つことにした。一時間たち、二時間たっても、ヤクザは現れない。いつしか、私は寝入ってしまった。目を覚ますと、フランス女性が言った。「やっと起きましたね。あなたが寝てたので、ヤクザは店にいれませんでした。道路で、話をしました。もう、終わりです。」
朝までには、まだ間がある時刻だった。
私たちは、降伏したのだろうか? 一騎打ちに、負けたのだろうか? そうかもしれない。彼らは、銃を持っている。私たちは、モップを持っている。だから、どうしたというのだ?
フェイスブックの友だちには、英語圏のものはいなかった。南米、フランス、そしていつからか、中東、アフリカの人々とつながることになっていった。もともとは、日本での仕事で知り合ったペルーの男や、彼らと結婚し一緒にペルーの方へ帰っていったコロンビアの女たちから、これで連絡がとりあえるから入っていてくれ、と頼まれて、わけのわからぬまま、彼らの招待メールに応答したのだった。日本が不景気になるにつれ、永住ビザを持っていた日系の者らも、日本にとどまる選択をしなかった。そんな彼ら彼女に向けて、というより、彼ら彼女を通して、ネット上の世界に訴えたのだった。
正岐は、何が言いたかったのだろう? 振り返ってみると、正岐は、ロシアの大統領であるプーチンのことを、一番に心配していたのではないかと思い出されてきた。引き続いたフェイスブック上の投稿では、プーチンはクレムリンに原子爆弾を落とすだろう、と訴えた。そう想像されてくる覚悟は、正岐には、個人的なものというより、人類的な衝迫に由来するように思われた。日本人の玉砕という思想も、たとえその作戦が実際には、指導者が己のプロとしての無能さを合理化するための拙い考えで行われたとしても、生き物総意としての意志が蛇のようにのたうったのだと思えるのだ。侍の切腹という気概や儀式が、単に個人的な意志によるのではなく、人々が狩猟を営んで暮らす太古の時代から引き継がれてきたもののように。獣のはらわたを白日の下にさらして己の潔白を示したいという作法は、いつしか己自身のはらわたをさらけ出す行為にかわっていった。ロシアの作家のドストエフスキーは、日本に残ったその切腹のあり様に興味を持って言及している。作品『白痴』でのそんな逸話と、プーチンを通して垣間見えてくる覚悟のような訴えが、正岐には重なりはじめたのだった。プーチンと何度か会ったことのあるアメリカの研究者は、プーチンはドストエフスキーの小説に出てくる主人公のような人物なのだと評していた。世界に躍り出たそんな主人公に、本当に、人類自身を破滅させるような意志を実現させていかせていいのか? 腹を切れ、と迫っていいのか?
日本でも、若者たちが、同じような衝動にのたうち始めたような事件があいついでいた。秋葉原での歩行者天国に車で突っ込んでいった通り魔事件、京都アニメーションの放火事件、大阪の精神科への放火事件、東京は京王線での放火事件、東大入学試験場まえでの殺傷事件……それらは、心理学的な用語でなのか、「拡大自殺」という言葉でくくられてもいた。彼らは、特別なのだろうか? 正岐自身、バブル期、大学は出たけれど、とアルバイトの生活に入りながら、そのような衝迫を世界に向けていなかっただろうか?
「俺だって、」と慎吾が島原の言葉を受けついだのだった。「追いつめられたうえ降伏もできなかったら、やるしかないって、やるときはやるって、やるさ……」そしてまた押し黙った。
「で、やれなかった、と。」 島原が軽蔑したような目を、慎吾に向けた。「おまえの釈明を聞いてやってもいいから、俺はおまえを呼んだ。しかしおまえ個人の釈明など、どうでもいい。日本は、日本人は勝ち目のない戦いを世界へとのぞんだ。戦わなくても屈従される、戦っても屈従させられる、しかし、戦わなかった者たちは忘れられるが、戦った者たちの記憶は残り、その戦で負けても、また未来の若者たちがその記憶を根拠に奮起する、それが歴史が示していることだ、だからいっときの負けに屈従しても、戦って負けるべきだ、そう日本軍の参謀は戦略したというA級戦犯者の記述がある。しかし、原爆を落とされてもなお徹底抗戦をつづけたとしたら、どうなっていたんだ?」
「それこそ、一億総玉砕じゃないか。」 慎吾が島原を睨み返して言う。
「そんなのは物理的に無理なんだよ。」 島原はつづけた。「一億人の死体が日本列島を埋めるだって? 訓練もされていない民間人が、刺し殺し合えるのか? 生態的にだって、みなが同じ考えと行動をおこせるなんて前提にできないだろう。ハチやアリンコに分業があるようにな。だからいずれ降伏になる。その意志があろうとなかろうと。いや降伏の意志をも示さなかったら、結局は、朝鮮半島みたく分断されたうえで、しかもクニはなくなり、ソ連と合衆国の領土になっていったのが現実的な落ちだろう。いまのウクライナだって、そうなる可能性があると言われているしな。」
「いまのウクライナの人々は、まるきり被害者じゃないか。日本人は、自分からやってしまった者じゃないか。……俺は、加害者になるのが怖くてやるのをやめたんじゃない……」
ウーロン茶の入ったグラスを両手でつかみ直して、下を向いて、慎吾はじっとみつめた。
「原子爆弾をはじめ、いまの科学技術がおおった世界のなかで、加害者と被害者の区別がありうるとおもうか?」 島原が、見下すように慎吾に言う。「ウクライナ頑張れ、って戦争に加担し、その戦争でどっちの国の者だろうが殺し合い、よその国では餓死者がではじめ、内戦がおき、因果の複雑さは露わになる。ネット上の不備が、いつ世界じゅうの現実をおびやかすかもわからない。健康のためにと打った薬が、時限爆弾のように体をむしばんでいくのかもしれない。ゴミとなった人工衛星が、いつ空から降ってくるのかもわからない。スマホをいじってた誰かちゃんにそのゴミが当たったら、その誰かちゃんは、被害者なのか? 世界頑張れ、って応援していた者なんじゃないの? 問題起きても当社は責任おいませんっていう契約書にサインして、みんなが片腕だして薬漬けになっていったんじゃないの? 誰が責任を負い、負えることができるんだ? 小さきものたちの一挙手一投足が、世界とつながってしまっているんだぜ?」
「で、だから、何が言いたいんだよ?」 慎吾がいらついたように顔をあげた。「俺は、やってないんだから、責任なんてないさ。いや、それでも……良心の呵責ってものがあるだろう? おまえにそそのかされたからって、俺は、被害者面なんて、したくはないさ。でも、加害者じゃないけど、けど……」
「もう終わってゆく世界を前に、加害被害もないだろう。」 時枝は手にしていた焼き鳥の串を皿にもどして、ビールを一口飲んだ。「全員が死んでゆくのに、なお責任がどうのこうのと争っているのは、意識が近代空間に残ったまま、ということではないのか。」
「おっ、」と島原が合いの手を打つように、声をあげた。「お得意の『世界史の抗争』か? いちおう、読んでやったよ。印税で、貢献もしてるぜ。」
「それはどうも。」と時枝は応じた。「しかし中世の人々が今の世の人々とは違う世界を見ていたように、世界が変わるということは、ありうることだろう。世界の見方が変わるだけで、世界自体は変わらないじゃないか、とカントみたく言う人も出てくるだろうが、人が生まれながらにして生き方が変わってしまう、とはしばしばあることだ。神秘体験から回心した宗教家をはじめ、UFOから降りてきた宇宙人に会って人生が変わってしまった人もいるし、読書体験が、その人の生き方を変えてしまう場合もある。その場合、単に、見方が変わっただけ、とは言えないのではないか?」
「ああ言えないよ言えない。」 島原がおしんこを串でつついて、やけになったように言い返す。「おまえの話はあれだな。」と串でとったおしんこを口にもっていった。「イエス・キリストだよ。迷える一匹の子羊みたいに、やけに具体的な喩え話がやってくる。が、神じゃないぜ。悪魔の救世主。あくまで、現実的な解でなくちゃいかんよ。小さき人々は、パンを欲しているんだからな。」
「そうとはかぎらない。(時枝はつづけた。)そういうことを、スマホを手にしている人々が示している、そう世界の見方が変わってきていることを、証しはじめているのじゃないか?」
「人はパンのみに生きるにあらず、ってか?」 島原はもぐもぐと言った。「そりゃキリストなこった。このとんちゃんのおしんこよりも、ヴァーチャルな世界の方がおいしいだって?」 島原はまたひとつ、おしんこを串でとって、見つめた。「たしかに、ありうるな。このおしんこより、スマホ失くす方が一大事だろうからな。」
「その通りだ。一大事だ。」 時枝は口を潤すように、ビールをちょっとだけ、口に含んだ。「なぜなら、そこにはその人固有の記憶が付着している。データ化され、物質的にひきだせるものが大事だというのではない。そういうものなら、クラウドに保存されてもいるだろう。だが、そのデータ総体と、スマホと一緒に過ごしてきたという一事は消えてしまう。つまりはデータの集積は、プラスアルファな余剰を人に与えている。その余分に抱え込んだものの方が、人にとって、いや生き物にとっても、大切なものだ。」
「そうなの?」 島原が、つっけんどんに言う。
「宇宙とは、余りあるものだ。」 時枝は、意に介さないようにつづけた。「全ての物質を足した総体より、宇宙は重い。」
「へっ、」と島原が鼻でふくような声をだす。「ダークマターがあるんだってか?」
「記憶とはなんだ?」 時枝は食べ終わった焼き鳥の串を、右手の長い人差し指でオーケストラの指揮棒のように持ち、チク、タク、と小さく上下に運動させた。「アリの生態の話がさっきでたが、子育ての分担作業をしていたアリだけをとりだしてみても、やはりそのうちの二割だけが働きアリとして外へとでていくようになる。申し合わせはない。アリにとって、外を出歩くとは、感染症の危険にさらされることだから、命がけの散歩だ。そういうアリでも、外敵に出会えば、右往左往し、逃げる。怖いのかもしれない。カマキリだって、人が手をだせば、歯向かってくる。怖いのかもしれない。が、生殖の役割を終えたオスは、メスに食われて死ぬ。怖くないのだろうか? なんの申し合わせもないのに、瞬時にして死を超えたコミュニケーションが成立し、総体が、生態系が納得し、プログラムに従っている。しかしそのプログラムは、データの総体を超えている。DNAに書き込まれているのではない。世界に、宇宙に書き込まれている。人はその法則を、見ることも、知ることもない。量子の観測問題として、そう推測できるだけだ。ハトだったら、目隠しされて移動されたハトは家に帰れなくなるから、どうも目の中での量子現象が、帰巣本能という集団性を実行させているらしいと推定されるだけだ。ならば、こう推定することは、飛躍なのか? ヒトも、戦争を怖がって逃げる、外敵を怖がって戦う、みなで家に帰りたくなる、けれども、メスにむしゃむしゃ食われることは、恐れてはいないと。」
島原が一瞬押し黙ったようになってから、「知るかっ」と首を振った。「俺は、カマキリは嫌いだからな。一緒にするな。」
「そ、そうだよ。」と慎吾が、おどおどした声をだした。「カマキリのオスみたく食われるのがプログラムだなんて、それじゃ、人間の意志など、問題ないというのかい?」
時枝が、慎吾の方を向いて、笑い顔をみせた。目を細めている。「やってやる、とか、戦ってやる、とか、反戦だ、とかの意志があるじゃないか。だけど、そんな意志なら、むしゃむしゃ食われているカマキリの方が、偉くないか? 真理はわからない。が、こっちのほうが格好いいとか、すごいとか、実際的な行動の方が重要な場合もあるだろう。」
「行動って……(慎吾は口ごもった。)メスに、食われるって、こと? プログラムは、宇宙は、お、オンナなのかい?」 頓狂な声をあげた。
「アダムとイブを神が創ったという場合、神は女だ、と人間的にはそういう解釈もありうる、という話は成立するだろう。が呼び名ではなく、現実が問題になっている。真理ではなく、真実が大切な場面に直面しているということだ。人間は本当は、食われることを恐れていないのではないか、ということだ。」
慎吾は、頭を振った。「わからない。俺は……」口までもっていったグラスを、またテーブルにもどした。「俺は、世界が、世の中が怖くてしょうがない。ほんとうに、食われちまうみたいじゃないか……」
正岐は、下を向いた慎吾の横顔を認めてから、こちらに背を向けた時枝の、その背筋の伸びた青い背中に、池に石ころを投げるみたく、声を落とした。
「ドストエフスキーの作品でも(と正岐はつづけた。)、待ちかまえていたクモにむしゃむしゃ食べられてしまうのが宇宙の真実だ、みたいな話がありましたね。だけど、それは、やはり怖い認識として、説かれていたように思えましたが。……」
時枝が、ゆっくりと背中の芯をねじって、上体だけをいくぶん、正岐の方へ向けた。
「それは、十九世紀の、あくまで大戦まえの近代空間での意識にすぎない。三島由紀夫は、最後の切腹で、ほんの一寸しか腹を切れなかった。無理もない。中世のような緊張した空間は消えて、弛緩した、平和な後世で無理やりな動機を作らなければならなかったのだからな。しかし、二度も世界の廃墟を目の当たりにしてきた人類は、全てをゆだねるようになる。三度目となったら、なおさらだ。世界が滅びようと、この宇宙はなくならないという当たり前の真実を、受け容れざるをえなくなる。」
正岐は首をかしげた。「建築物は亡くなっても、庭は死なない、という話に似てますね。三島由紀夫にも、『終わらない庭』という認識があるようですけど。」
時枝は正岐の方に振り返るまでのことはせず、あくまで同じ調子で言葉をついだ。
「正確には、人間の世界とともに、この宇宙も滅ぶ。死なないのは、人にはあずかり知れない宇宙だ。」……そう言ったとき、ガラッと、店のドアが開いた。
旅行
ゆっくりと、母は入ってきた。
手にした杖が、自動ドアのレールにかかった加減なのか、よろめきそうなのを見て、持っていたバックをいったん絨毯の上に置いて、母のもとへともどった。少し元気がでて、ひとりで歩けることに支障がなくなってきたとはいえ、もう、以前の、父が亡くなるまえの状態にはならないのかもしれない。あれから、半年余りがたった。その間、もはや自力での生活は、外見でも無理そうにみえるから、介護認定の検査をしてもらった。もしかして、長男の慎吾が家にいるから、それも難しくなるのか、とも危惧したが、要介護1の認定がでた。兄自身が、障害者の二級の身だから、だいじょうぶだったのだろう。
週に二日ほど、母は、デイサービスに通うことになった。認定検査を受けること自体をいやがっていたほどだから、ほんとうに通ってくれるのか、心配だったのだが、行ってみれば、けっこう楽しんでいるようだった。だいぶ以前から、風呂にはいる数もめっきり減って、むしろめったに入れなくなっていたろうから、毎週ごとに、体をお湯で温められるだけでも、生き返ったような心地がするのだろう。けれど、その道の専門職の自分には、母の靴下を履かせてやるときに目にする足の指先や、その間に、垢や埃がこびりついていることが、すぐに目についてしまう。限られた時間のなかで職務をこなしていくのだから、それは、しょうがないことだったろう。しかしその積もっていく光景は、少しずつ、心の重しになってくる。機会があれば、母を、旅行につれて、自分が風呂に入れて、体をきれいにしてあげたかった。
母が、姉に会いに行きたい、と言ったのだ。実家で姉と同居し、面倒をみてくれていた独身の弟が、癌で先になくなってしまって、独り暮らしになることは無理だろうと、もう二人いるうちの弟の一人が、遠方から宮城の多賀城市まで車で通いながら、いろいろ手配をしてくれた。姉と同居していた弟は、工場勤めをしていたからか、共産党員で、自分の死後のことを、党員の友人なのか、仲間に頼んでいた。なお身内が生きているうちの処置を他人に任せるのは不安だと、手続きにあたった弟は交渉し、あちこちと奔走した。まず、祖先から引き継いだ墓じまいをしなくてはならなかった。もう誰も、そこを見にゆける者はいない。檀家から抜ける、そう申し出ても、寺の住職は了承しなかった。母の何代か前には、日露戦争で活躍して、海軍の中将にまで出世したものがいた。兄の慎吾が、自分の精神のバランスをとるためなのか、いろいろ調べ上げて、親戚訪問などもしていたようである。ああ、永子の息子か、と、なお権威ある仕事などについているのだろうか、そう代を継承している親戚筋の者は言ったそうだ。母の実家は、当初は、仙台市のほうで、自転車屋を営んでいた。世界恐慌が来るまでは、裕福だったという。当時は、珍しく高級な乗り物だったのかもしれない。それが突然、貧乏になった。戦争が起きると、多賀城市の方へ疎開した。母は、小学校がかわり、そこではじめて鼻を垂らした同級生がいるのをみて、びっくりしたそうである。
手配の労苦を引き受けてくれていた弟の妻が、突然、泣き出したのだ。お姉さんがかわいそうだ! 先祖のひとたちに申し訳ない、ああ! わんわんと泣いた。住職は折れた。墓は、その弟夫婦の近くの墓地に移動することになった。母は、ほんとに演技がじょうずだったわよね、とのちに、回想した。
実家は取り壊され、更地にされた。売却し、入ってきた幾百万円かのお金は、兄弟姉妹で分割された。一番奔走した弟は、俺はいらないんだよ、もう使えきれないほどあるんだから、と言ったそうである。子供のころの記憶では、サラ金の取り立てみたいな仕事をしていて、自分にはあわない仕事でもういやだと言っている、という話を、聞いたことがあるような気がした。
姉も、千万円単位の預金があった。なので、それをもとに、専用の施設へと入居できることができたのだった。父が亡くなる、何年かまえのことであったか。母は、その姉と、もう最後になるだろうから、会いたい、と言ったのだった。
ロビーの受付で手続きをすませると、ラウンジのソファに腰掛けさせていた、母のもとへともどった。母は、海に面した、大きなガラス窓の向うを眺めていた。雲のとぎれから、青空がところどころ覗いている下で、青くなりきれていない白い海が、おだやかに広がっていて、その広がりを、緑色の島が、あちこちと、まるで停泊する船のように、足を止めていた。ホテルの庭の垣根が、こちらに広がってくる波の静かな連なりを四角く区切って、その内側に、刈り込まれたばかりの芝が、苔のように覆っているのが見下ろせた。モスグリーンのゆるやかな起伏ある丘には、幾本もの松の木が散在していて、中央に、赤い屋根をもった東屋があった。大きなほんものの海とそこに浮かぶ島と、手前の、小さな、海を模した自然な風景は、どこか不均衡な二つの重なりをせりあがらせて、ここに立つ自分の場所が、まさに人工的に堅固なものであることを思い起こさせてくるようだった。階下から伸びた園路が、子供が砂場で作る細長い水路のように、微妙なくねりをみせて、東屋へと続いていた。
「津波は、その庭のところまでですんだのですよ。」
いつのまにか、部屋へと案内してくれるのだろう女性が、背後に立っていて、少し事務的なニュアンスを感じさせて、言ってきた。
「島がたくさんあるから、だいじょうぶだったのですかね。」 直希は、人の気配を感じるだけにまかせて、海の方を向いたまま応じた。そうかもしれませんね、と女性は答えながら背をかがめて、絨毯上のバッグに手をのばした。母の実家のほうでは、まえの道路ひとつ向うまで、津波が押し寄せて、危なかったそうである。
エレベーターで何階か上の方へ昇ってから、部屋に通された。一通りの説明をして、女性はでていった。何をするでもなかった、風呂に、母をいれてあげればよかった。もちろん、男湯と女湯とに分かれた浴場になどは、連れていかれない。このホテルの一室の、狭い浴槽が使えればよかった。母は、畳に置かれた机の前で、背もたれのある座椅子に身を預けている。広がった窓からは、やはり海が見えた。向きが違うのか、先ほどのロビーからのものよりも、うかがえる島の塊が一方に偏っている。だから、半分、海が広く続く方向がある。日の出は、どちらからなのだろう。背の低い防潮堤が、浮かぶ島の手前に、くの字を描いている。漁船が走っている。庭が見えないからなのか、そこは、人の住む場所なような気がしてくる。
夕食の時間までにもなお間がありすぎるから、テレビのスイッチをいれて、お茶をいれた。ここまでくる間、とくべつに観光名所をめぐって、お土産屋によってなどしていないから、口にするものもなかった。袋にはいった名物の笹蒲鉾が、お茶菓子がわりなように、人の数だけ皿に置いてある。母にとっては、それが食べなれたものなのかどうかはわからないが、子供のころ、家で作った味噌汁は、赤味噌だったとは思うが、世間でいわれるような、辛口であったようには思えない。ほとんど、外食などせず、母の作ってくれた食事だけをした。コロッケやハンバーグなど、子供向けの、地方色などないような献立ばかりだったと思うが、母は、料理は上手だった。ポテトサラダなども、食べやすく、食がすすんだ。群馬の山村の地主の息子だった父とは、この母の生まれた地方で知り合ったのだ。父は、自衛隊の事務職についていた。母は、仕事ができたので、そこへ派遣されていったのだという。着物をきて、大勢の人に囲われた、神社のまえでの結婚式の集合写真が残っているが、母の話だと、その日まで、式場に払うお金はなかったのだそうだ。参加してくれる知り合いのお祝いを当てにして、集まったお金を父とその友人たちが数え、その場で決済したのだともらしていた。母は、生い立ちはそれなりの裕福さを持ったのだろうが、テレビドラマの「おしん」を自分と重ね合わせてみているところがあったかもしれない。たしかに、働きづめだった。たぶん、結婚してほぼすぐになるのだろう、父の群馬の平野部の方で、長屋のようなアパートを借りて、そこで、三人の子供たちを産んだのだった。父は、地元の高校の、簿記の教師をしはじめていた。稼いだ金の半分以上が、仲間との付き合いや酒に消えていって、わたされる生活費では、どうにもならなかったのだろう。
最初は、プラスチックの小さな部品を、プラモデルを作るときのように枠から外したり、つけたりする、内職と呼ばれるものだったかもしれない。そのクリーム色の部品の光沢の山が、記憶の片隅に積みあげられて、意識の端へと、その微かな光を匂わせてくるような気がする。それから、父が、事務型にうつったための、その補佐の仕事なのか、活字印刷のタイプを打つようになった。機織りのものとまではいかなくとも、足押しミシンよりかは大きな、いかめしい鉄の塊が机の上に載っていて、一文字ごとに刻まれた鉄の活字を組みこんで並べた鉄板が、別の棚に積み置かれている。よく使う文字の入った鉄板は、すでに機械の中に挿入されているのだろう、片手で持ったレバーを、その鉄板の上に走らせ、必要な文字の上で押して活字をすくい上げ、それを印字する紙の位置にまで走らせなおし、またレバーを叩くように押して、インクを刻み付ける。ピアノを弾くときに楽譜を読むように、目よりは少し上の位置に開かれ置かれた原稿を見ながら、一字一字、打ってゆく。挿入された鉄板の中にはない文字に出会うと、その文字が他のどの鉄板にあるかを探し出して、機械の中のものと入れ替える。打ち間違えたら、白い修正液でなおし、打ちなおす。打ち込みが、左の行先から右端の行末まで達したなら、印字の用紙が装着された丸い筒を、また左端の先頭から打ち込めるように、移動させる。ピコタン、ピコタン、ピコタン、ジー、と、その音はつづいた。いつまで続いたのだろう。朝から、中学に入るころ、父が倒れたときも、その音は、続いていただろうか。
しかしそんな父の仕事の手伝いをしながら、母は、ピアノの先生もしはじめたのだった。母は、高校進学までで、べつだん音楽をやっていたわけではなかった。ただ、あこがれて、できるようになりたかったのだろう。とにかく、ひとつ隣の、町のピアノ教室に通ったのだ。どのくらいの年数を経てなのかはわからない。がベートーベンやショパンが弾けるようになり、家で、子供たちを教えることにしたのだ。次男の正岐までが、稽古をしたことと思う。正岐が小学生は中学年のころだろうか、父の教えていた少年野球に集中するということで、自らの子供たちは、生徒にはいなくなった。それでも、いつも十人近くの生徒を抱えて、週に一度になるのか、教室を開いていた。その中からは、実際に音大に合格する女の子もでてきて、将来はピアノ専門ではなくなったようだが、京都の芸術を教える大学の、古代の遺骨から人相を復元する専門の先生になって、結婚した外国の夫をつれて、家に挨拶にきたりもしたのだった。
まだある。着物の着付け。これも一度先生について、毛筆で大書された木製の板の看板をだした。それから、父が退職し、いったん勤め先の付属の幼稚園の園長になってからは、その幼稚園の先生までした。もちろん、保育士の勉強をし、試験を受け、その資格をとったのである。付属大学の学部増設の任務を終えてから、再雇用ということで引き続き事務にあたっていた父だったが、もう時代遅れな知識になるからか、やはり精神的にまいっていたからか、顔だけの園長職務は、左遷だったのだろうという。そんな父を助けるためなのか、母も、子供たちのあいだに、交じっていったのだ。
母は、お茶をすするでもなかった。テレビの音にさそわれるように顔をそちらにあげたが、すっと、窓の向うの、海をみた。座った低い位置からは、海というより、空しかみえないかもしれない。背も、まがっている。がまがったその背を起こして、またすっと、立ち上がろうとした。座卓に手をついたところで、バッッグの整理をしていたのをやめて、その台のまわりをまわって、母のところへ寄った。膝をのばすのが億劫そうだったが、自力で起き上がると、窓のまえに置かれたテーブルの方へゆっくりと歩き、椅子に腰かけた。窓の向うの、海をみた。こんどは、はっきりと、海に浮かぶ島々も目に入っただろう。がすぐに母は、視線を下に向けて、テーブルの上を見つめるようになった。
このホテルへ乗用車で向かう途中、海岸沿いの道路を走り抜けるとき、ここまで修学旅行で歩いたんだよ、と母はこぼした。幹の太くなった何本もの赤松が、その身をくねらせて、道路に、海の方へとかぶさっていた。小さな山のような島が、その松林の間から見え隠れし、切れ切れとなった海が、穴に蓋をするように盛り上がって見えた。訪れた観光客が、いくつかの塊を作って、芋虫が体をくねらすように、もぞもぞと移動してゆく。大変だったけど、おもしろかったなあ、と、母は、何かを思い出したのかもしれない。
母は次女だったことになるのに、姉よりも、長女のようにみえた。この松島の湾に流れるいくぶん大きな川の河口先端の、見晴らしのいいホテルに来る前に、姉の入った施設に立ち寄ったのだ。用水路のような川の縁に、何棟かの二階ほどの建物が並んでいた。下火になったとはいえ、まだコロナの対策があるので、施設の中までは入れないということだった。出入口を入った玄関口、車いすでも入れるように広くはなっているので、その受付前の広間で、顔合わせ程度の話はできる、そう訪問まえに言われていた。母は、そこで持ってこられた椅子に座ってまち、しばらくして、姉が、施設の人に連れられて、やってきた。それを見届けて、過密な人の群れになるのは避けた方がいいのだろうと、職業意識が動いて、玄関を外にでた。日差しは強かった。梅雨時なはずなのに、雨は、まったく降ってこなかった。母をみたとき、背の小さな母よりさらに小さく細くなった姉は、はちきれたような笑みを皺の表へとみせた。
十分もたたなかったのではないだろうか。母は、自動ドアをくぐって、外にでてきた。うれしそうだったねえ、帰るのが、かわいそうになってきたよ。お尻をね、まだ自分でふけるんだって。弟がね、あっちの施設をさがしてひきとってもいいって言ってくれてるんだって、タエさんがね、わざわざここまで言いにきてくれたんだって、どうするんだろうねえ……母は、少し、ゆっくりなしゃべり口だったが、饒舌になった。がまた車の後ろ座席に乗り込むと、引きこもるように、押し黙った。
姉より勝気そうで、はっきりとものを言いそうな妹の母だった。アルバムで、若いころの写真を目にしたとき、土手の草むらの上に、スカートの裾を茸のように広げて座った母の、目をぱっちりあけて、前方をしかと見つめた眼差しは輝いていると思った。白黒の写真でも、その瞳が生き生きしているのがわかる。ベティーちゃんってあだ名だったのよ、といつだったか、まだ中学生の時分だろうか、教えるような口調で言われた覚えがある。明るい笑みを浮かべて、そう口にしたのではなかったろうか。しかし、東北人だからなのだろうか、対人関係では控えめだった。子供の少年野球の応援では、他の母親たちの影に隠れるように、息子たちを見守った。かかあ天下といわれる上州育ちの、他の母親たちの間では、気後れしてしまうのだろうか。父の実家を訪れ、父の母や親戚たちの話し合いを目にしたとき、まるで喧嘩をしているのかと思った、という感想も聞いたことがあるような気がする。
手持ち無沙汰になって、母の座っていた座椅子に腰掛け、お茶を飲んだ。笹蒲鉾の包装紙を引き裂いて、口にしてみる。もう何度も、母を実家に運んだついでに、その一帯にある観光スポットのような場所には立ち寄っていた。いや立ち寄るというか、素通りしながら、目にしていた。武将の勇ましい銅像のあるお城あとの公園、流れる川。思い出はかえらない、と、母が、そんな流行りの歌を口ずさんでいたことがあったことを思い出したりした。しかし子供のころは、母は、実家にほとんど帰省したことはなかったろう。一度だけだ、思い出に残るのは。まだその頃は、母の父も、母も、健在だった。黒い、着物のような和服を着て、母の母は、笑顔をみせて、話しかけてきた。たぶん、正座をして、こちらを見ていた。が話す言葉が、まったくわからない。母の弟の、自分からすれば叔父さんにあたる者の言葉は、イントネーションがこちらとは違っても、その意味を聞き取ることができた。しかし母の母の言葉は、とっかかりがなかった。おそらく、ぽかんとしていたことだろう。不思議な経験だった。何もわからない。がそのなかから突然、「かつどん」という言葉があらわれた。う~ん、と深くうなずいただろうか。しばらくして、出前で、かつ丼がでてきたからだ。
母の父は、何故なのだろう、たぶん二階からおりてきて、こちらに顔をだしたのだろうが、すぐに背中を向けて、どこかへいってしまった。記憶の中では、鴨居の下の、部屋の仕切りのところで立ったままの、後ろ姿の細長い背中がみえてくるだけだ。顔を、見た覚えがない。うん、とか、何か返事での受け答えを母との間でしたような気もするが、それきり、消えてしまった。昼についたのだから、夜になって、みなで食事をしたはずなのに、その姿をさがせられない。よみがえってくるのは、家の外の小屋のなかにあるお風呂のことで、五右衛門風呂の釜の姿だった。
夜が、まるみえだった。小屋の上からさしてくるのか、電灯のオレンジ色のもやのような光の向うに、先ほどでてきた家の引き戸がみえる。まるい鉄の湯舟の底には、簀の子がひいてあって、やけどをしないように、その板の上に両足をそろえて、かがみこむ。それも、不思議な経験だった。湯につかっているというよりかは、やはり、ゆでられているような気がしたろうか。丸く縁どられた黒い水面に、顎から先の顔だけをだして、じっと、夜の向うの家の姿をみている。今から振り返れば、まさにゆでられた蛙のようだが、そのときも実際、蛙のようなぎょろ目で、身動きもせず、湯につかったまま、その開かれた目の玉だけで浮いていたように感じていたはずだ。たぶん、小学生も、中学年のころだ。母と二人で、大宮か上野駅まで電車ででて、乗り換えてまた、鈍行電車で七時間はかけて仙台にまでいったのだ。
その母と、自分の運転する乗用車で、おそらく最後になるのだろう里帰りをしている。米寿で亡くなった父より二つ年下の母も、再来年には、そのお祝いの節目をむかえる。健康的にはそこまでゆきそうだったが、父が亡くなり、気落ちした状態がつづけば、どう転変するかはわからない。父も、ペットで買っていた犬が死んでしまってから、みるみると老化し、痴呆になり、衰弱していった。
父が、施設に入ってからは、むしろ元気になった。この家を守らなければならない、と思いはじめたのか、となり近所の人たちと、対立するようになった。女だからって、なめてるんだよ、お父さんが人がよかったから、なめてるんだよ、と強い口調で言うようになった。堺を接したお隣の小屋の屋根のへりが、こちらの金網をこえてかかっていて、雨が激しく降ると、小屋の雨どいから雨水があふれだして、家と一体となったようなこちらの物置の中にまで浸ってくることがあった。といが外れてるんだよ、こっちの敷地の上にといがあるなんて、おかしいじゃない。わたし言ってやったのよ、こちら側につけるのっておかしくないですかって。だけど、何もしないのよ。女だからって、なめてるんだよ。たしかに、水の流れがつかえたように、物置のまえで、水たまりができるようだった。しかしそれは、梅雨時でもないのに激しい雨がつづき、雨どいではさばききれない量の大雨が降るからかもしれなかった。しかし雨どいがはずれていることははずれているので、それは脚立をだして直したが、そのお隣の小屋の雨どいの流れをみると、地面に流し落とすその垂直部分のつなぎに、穴が開いていないのが見えた。旦那さん本人が手作りした、小屋なのだろう。母に報告すると、ねえそうでしょ、おかしいでしょ、黙ってちゃだめなのよ、役所に言って、直させなくちゃだめよ、言ってもきかないんだから。
越境してくる蜜柑の木のことでもそうだった。これもたしかに、金網をこえて、こちらの駐車場のところにまで、枝の山がこんもりと茂っていた。そのまま実がたくさんつくので、たわんだ下枝が頭の上くらいまで垂れ下がってくる。冬には、葉がたくさん駐車場のコンクリの上に落ちた。掃除にきりがないよ、まったく。実が欲しいものだから、枝を切らないのよ、塵取りの葉っぱをばあってお隣の庭に投げてやるんだから。お隣も、母より若いといっても、老夫婦だった。母がピアノを教えてもいた長女が一緒に暮らしていて、その息子たちが二人、家からどこかの職場に通っていた。車がなければ通勤できないとはいえ、みな、老夫婦をはじめ、一台一台、乗用車を所持していた。家の裏の屑屋の跡地を買い取って更地にし、砂利をひいたあと、息子たちの車をおかしてくれないかと声をかけられ、貸してやっていた。が息子のひとりが、遅く帰ってきて、吸い殻をその砂利の上にばらまいていくという。注意するという猶予もなく、母は、もう車をおかせないと言い張った。畑にするから、もうだめですって、言いにいって。そうして、車止めとチェーンを裏の空き地につけてやったのだ。
母は、何にたいしても、かりかりするようになった。まるでそれは、これまでドラマのおしんのように我慢していたその蓋が、はち切れて、飛んでいってしまって、抑えていた中身があふれだしてくるようだった。女だからって、なめてるんだよ、口癖のようにそう言うのは、もしかして、東北からこの関東地方へと嫁にきた母が、ずっと抱え込んでいた思いだったのかもしれない。いいかい、こっち側の家との境界はね、金網の外側がそうなの、でこちらの家との境界はね、ブロック塀の真ん中がそうなんだからね、覚えておくのよ。それは、意地になっているように思えた。
母は、窓のほうの、斜め下あたりを、ぼんやりと見ていた。その視線の先には、窓枠のなかにおさまる風景の端が見えるだろうが、母がいま、その懐かしい海と島の姿に物思いにふけっているようにはみえなかった。力のない瞳は、閉じられているかもしれない。
父の葬儀にあわせて染めた髪の茶色が、透けたカーテンを通して照れる日の光を受けて、白っぽく反射している。もつれて落ちた髪の先が、耳たぶの上にかかっている。頬の膨らみと、染みのまだら模様の落ち着きには、風格があった。
直希は、腰をあげて、横顔をみせてうつむく母に声をかける。
「お母さん、お風呂にはいるよ。」
トイレ
横になっていた。体がほてっているのは、銭湯帰りのままいつのまにか、寝込んでしまったからなのかもしれない。ということは、体が冷えずにいたということだから、夏なのかもしれない。だけど、暑く感じているわけでもないことを思えば、春や秋なのかもしれない。時間が、ゆっくりと過ぎていた。薄暗い部屋が、上京してから住み込んだアパートだとはわかっていた。足元向うの押し入れがあいていて、暗い穴が、祠のようにひっそりとしている。よく近所の猫が、知らない間に入っていて、隠れていた。正岐の頭の向う、横にと、仰向いて眠っていた自分の顔をのぞいていた。布団をかけていたときは、胸の上にも、まるまって寝ているのもいた。もう十年近く、布団は干していない。ということは、もう学生時代のことではなく、フリーターとなって、アルバイトで生活をしていたころのことなのかもしれない。布団を干そうにも、どこに? 狭い路地道に面した窓をあけて、さびれた金網にかけてみることはできる。部屋の出入口は、その金網が切れた、路地道が丁字路にあたるところにある。扉を開け放すと、銭湯や、さらにはコンクリで固められ堀の深い細長い川へとつづく商店街を抜ける路地道がくだっていて、買い物客や、川向うの高台には、大学のキャンパスもあるから、ここを抜け道として使う学生たちが、のぞいてくるかもしれない。しかし部屋は薄暗いのだから、もうじき、夜なのかもしれない。しんとしていた。押し入れの隣の、ちょっとした台所流しの窓も、破れた緑色のカーテンを暗くしていて、明るい気配がない。体が、軽くなってくる。起きようか、起きまいか、迷っていると、体が浮いた。いや、目を持った魂が抜け出たみたいに、すっと視界が上昇して、天井の高さにまでくると、見下ろしてきた。住み始めるまえから置きっぱなしの、タンスのような、勉強机がある。寝ていた頭上のあたりには、ミニコンポがある。かけっぱなしにしたままのラジオから、荘重な音楽が流れ続けていて、昭和天皇の最期を伝えていたと気づかされたこともあった。枕元の電灯の横、部屋の角には、小さな冷蔵庫がある。突き当りの、薄汚れて煤けているようになった壁。その真ん中を、引き戸がふさいでいる。視界が、その戸の方へとズームしてゆく。戸を開ければ、隣の部屋のものと共有するコンクリの土間があって、そこにスリッパを置いていたはず。右手側にまたドアがあって、トイレになっている。トイレに入れば、また、ドアがあった。それは、外の通りへと通じていた。日曜日の朝、大家さんが自転車でやってきて、外から入って、掃除をしてゆく。たまに、かちあってしまう。開けられては困るので、ドアノブをおさえて、トントンと、ノックをする。そんなときの、恐怖心のようなものが、こみあげてきた。トイレへと導くドアを、視界があけた。
正岐は、また横になっていた。天井をみている。あの時も、天井をみていたのだとおもった。父が階段をのぼってやってきて、上京するまでは兄が使っていたこの子供部屋にはいってきた。「どうして、学校にいかないんだ?」父は聞いてきて、あの時は、狂っていたのに、もう狂っていないんだな、といぶかしがると、天井がひっくり返って、壁になった。細かい銀紙のようなものがちりばめられていて、ピカピカしているから、幼稚園児くらいの子供のころ、この二階家が増改築されるまえの、平屋建ての頃のことなのだろう。「誰も信じてくれない」正岐は、その壁の方を向いて、体を丸めて、泣いていた。二段ベッドのはしごに足をかけて、顔をだした父が、「だいじょうぶだよ、そんなことないよ」と、やさしい声をかけてきた。「誰も信じてくれない」、正岐は、泣き続けたままだった。何を信じてくれというのだろう? 次男坊だった正岐は、初めての赤ん坊として溺愛された長男と、甘やかされた末っ子の間にはさまれて、母から、邪見に扱われたことがあったのだろうか? おもちゃが欲しいって、わんわん泣いて、お店の床に大の字になって動かないんだから、大変だったのよ、と言った母はそのとき、どうしたのだろうか? 男ばかり三人兄弟のなかで、正岐は、女の子がわりとなった。いつも、母について、買い物にでかけ、ご飯を作るのを手伝った。ピアノの稽古を受けた。母も、買い物でよその奥さんに出会わしたとき、この子が女の子がわりなんですよ、と話し込んでいた。その母を、殺したのだと、正岐は思い出した。父は、もういなかった。
ベッドのはしごを降りて、戸の方へと向かった。ということは、父は、戸を閉めていってくれたんだな、と思い、一度は兄が鍵をとりつけてもいた引き戸を開けた。隣の畳敷きの子供部屋とをつなげる踊り場にでて、まだ弟は寝ているのだな、と思った。二人でその部屋で眠っていた時、夜中に目覚めた正岐は、寝入った弟のまぶたを無理やりあけてみた。眼球が、ぎょろぎょろと動いていた。白、黒、と繰り返された。今はそんな時ではないだろうと、正岐は、階段下を覗き込んだ。ほの明るい暗闇のなかで、階段の底には、ほの暖かい日だまりがあるようにみえる。正岐は、す~っと降りてゆく。そうだ、あの時も、こうやって、降りて行った。降りて、どこへゆこうか? 箱のような黒いピアノが、部屋の闇の底で、輝いている。もうやなんだ、ぼくは男の子だよ! 泣きながら、ピアノを弾いていた。近所の女の子と、連弾をやる。発表会。クリスマスには、とんがり帽子をかぶって、輪になったみんながプレゼントをぐるぐると渡してまわす。ぼくのは誰のものだろう? おしっこが近くなる。リビングを仕切るドアがみえる。またす~っと、その扉を開いた。この向うに、母がいるはずだ。暗い廊下。明かりはないのに、廊下の床にならんだ板の長方形が浮き出て見える。あの時も、こうして、向かったんだ。母は、まだいるだろうか? 突き当りの洗面台の鏡は、何も映していないままだった。そこを左に折れると、左側のドアがお風呂場で、右側のドアがトイレ。母は、お風呂にいるはずだ。あの時も、そうだった。す~っとまた、トイレのドアをくぐった。和式の便器の白い底に、黄色のような、茶褐色の、粘土で作ったような大きなうんちが横たわっている。「誰がしたんだよ! もう飯なんか食ってられねえよ! こんな仕事なんかやだよ!」夜勤の荷物担ぎをしていたとき、夜の食堂に入ってきた、よその組で班長をやっている若者が叫んだ。正岐はそこで、やっていいものか迷ってきた。もう深い穴は糞尿でいっぱいで、便器の下まできていた。汲み取り屋さんにはまだ頼んでいないんだな、と思いながら、前にあったタンクのレバーを引いて、水を流した。茶色く濁った水が、底の方からどっと流れてきて、便器からあふれだしてきた。それは洪水のようになって、正岐の方に迫ってきた。
酔いが、まだ残っていた。後味の悪さを覚えながら、閉めた扉むこうの、トイレの水の流れる音を聞いた。もう昼近くになっているのだろう。寝床に使っている畳敷きの部屋には戻らず、隣の台所のあるリビングを過ぎて、奥の、勉強机や本棚を置いた部屋のカーテンを開けた。十一階建ての団地の六階からなので、青空が大きく広がって見える。ベランダのベージュ色のペンキを塗られた鉄製の手すりの少し上だけ、駅に続くマンションや駅前の高層タワーの頂上が連なっている。何年かまえまでは、ここから富士山も大きく見えた。がいまは駅前開発でできたタワーマンションがさえぎって、その裾の部分だけが、滑り台の端のように降りているのがみえるだけ。息を深く吸って、胸のむかつきを調整してみる。この後味の悪さは、昨夜、草野球仲間たちと久しぶりに飲んだアルコールのせいだけでもなく、繰り返されるというよりは、ぶりかえされてくる夢をまた見ることになったからなのだろう。
洪水の夢、竜巻に追いかけられる夢、熊に追われる夢、そして、トイレにあふれる大便の夢。いつから、そんな夢を繰り返すことになったのだろう? 山手線か何かの電車に乗って、ぐるぐると迷って、あげくは東京駅に近いと感覚されるいつもと同じ駅で慌てて降りて、そこから違う電車に乗り換えて、行き過ぎてしまったとまた草地が道端に生える郊外で降りて、田舎道から大通りへと出て、行き交う自動車の間を抜けて、混雑する人々の、買い物客であふれたビル街の中の路地道へと入る。そうだ、ここからならわかると、どうも池袋のサンシャインタワーへの街路を連想させる高層ビルの間を縫って、さびれた飲み街のような場所に迷い込んで、一軒の引き戸をあけると、そこが、上京してから一番最初に住んだアパートだったりするのだった。さっきの夢も、もしかして、そうやってたどり着いたのかもしれなかった。
正岐は、台所にもどって、コーヒーをいれようと思う。それとも、カップラーメンにしておこうか。とりあえず、ヤカンに水をいれて、お湯をたくことにする。ひとりで住むには広い2LDKの物件だった。本を読むので、たまってくると、置き所がなくなってくる。寝床と書斎が一緒になってくるのも、どこか耐えられなくなっていた。本棚や、床に積み置かれた書籍のビルのような連なりは、どこか、夢のつづきのような、洪水があふれてくるイメージを呼び起こした。それでは、寝ても覚めても、同じ世界にいるみたい。世俗の、実際の世界にいることが正岐は嫌だった。その世界を成立させているそもそもの世間が、なお正岐には嫌だった。世間は、男と女でもつれあっている。なんで談合ってあるんですかね? 正岐は、植木職人の世界に入る前は、営業をやっていて、よく仕事上の話し合いの場所を設けていたという年上の職人にきいてみた。草野球も一緒にやっている彼は、「それは女が好きだからだよ」、と端的に答える。「銀座とかでよくやったな。」と、懐かし気に付け加える。
草野球のチーム自体が、男の品定めのような場所になっていた。チームメイトの恋人なり奥さんが、年頃のまだ若い女友達をときおり連れてきて、応援にやってきた。がそれは、お見合い相手を探す一環でもあるらしいとわかってくる。そしてどうも、女の子たちは、みな正岐を指名しているらしいのだった。「いや彼は別口なんだ」と、ひそひそ声で説明しているチームメイトの声が聞こえる。ヤンキー的な若者たちが多い中で、律儀そうな正岐の姿は、目立つのかもしれない。仕事でも、自分ほどのベテランで、現場をまかされていると、接待のゴルフや酒の付き合いに巻き込まれていてもおかしくない。が正岐は別格で、いわば超然としているのだろう。みなを公平にあつかって、つるまない。作業能率が桁違いなので、不平を言ってやめられても困るからか、付き合いが悪くても、そのまま通ってきたのだった。
もしかしたら、直希も、そういうことで独り身でいるのだろうか? 正岐は、カップラーメンにお湯をつぎながら、考え始める。中学生の時から、バレンタインデーのチョコレートをけっこうもらってたから、もてないわけじゃないだろう。むしろ、一番最初に結婚してもよい感じだったのに。いつだったか、兄の慎吾に、その件を聞いてみたことがあった。「まわりの女が尻軽で、ふしだらだから、面倒になったみたいだよ。」知ったように言われたその返事は、以外な感じがした。高卒でできる仕事につく人たちの世界は、モラル的な抑制も弱いから、そんな周りになるのかな、と思ったが、大学に進学した正岐の学生時代も、実はそういう周りだったのかな、と振り返られた。まだバブル時代だった。男の方がすぐに誰と寝たと言いふらすし、女性の態度も変わるので、それはすぐにわかるけれど、正岐には気にするどころではなかった。自分のことで、精一杯だった。どうして、母を、殺してしまったのだろう?
草野球の応援にくる女の子たちも、いろいろな経験を積んでいるだろうけれど、ふしだらな感じはしない。男女まじった酒の席では、パンツをおろした男のペニスを、みなのまえで食いつく女の話もきく。芸能界にかかわっている若い衆もいるから、一度、ドラマや映画、コマーシャルでもいくつも起用されている女優がグランドにやってきたこともあった。いろいろ週刊誌で取り沙汰されるけれど、ふしだら、という感じを受けるということは、どういうことなのだろう? 彼女はその後、適応障害と診断されて、芸能活動を休止した。
しかしまだ、素人の世界のことだからマシと感じるのかもしれない。野球仲間には、やくざ者もいた。性的にもアピールのある女性がくれば、明白なターゲットとなった。銀座のクラブに勤めているという若い女性がやってきた。サラリーマンの営業時代の接待で、その界隈に詳しいあの職人さんが、その勤め先の町名を聞くだけで、そこ三流じゃん、と挑発し、彼女もそれを自覚しているからか、口ごもってうつむく。やくざ者二人が、男どうしの打ち合わせを始める。後日、ひいひい言ってたよ、と酒の席で報告がはいる。三人でやったらしかった。そんな話の数日後、その男二人のうちの一人と、彼女が街を歩いているのにでくわした。男の方と目が合ったので、正岐は自転車を止めて、挨拶をした。彼は組員ではなく、ハンサムな遊び人で、娘ばかりの子供を五人くらいもった妻帯者だった。大きな目をした彼女が、ちらっとこちらを見上げた。ふたことみこと、何か彼と話して、「じゃあいきますね」と、団地の方へ自転車を走らせた。「え~っつ!」という叫びのような声が、後ろから聞こえた。その日以来、彼女は二度と、草野球の応援に来ることはなかった。
洗脳のためのアンカーを打つように、男根を使うようだった。彼女だけではなく、他にも幾人か見てきた。目が、もうおかしくなる。中毒者になってしまうようだった。いやでいやでしょうがないのに、逃げられなくなる。その嫌な男をみると、体の芯が抜けてしまう。頭では嫌なのに、体が欲してしまって、言うことを聞かない。男の方は、それが狙いらしかった。「あなたのことは嫌いでしょうがないのに、体がだめなのよ、そう女に言わせなくてちゃだめさ」。
正岐には、遠い世界だった。しかしその世界への嫌悪は、青春時、それ以前の世界と直面した時の嫌だな、入っていきたくないな、という感じを上書きしただけだった。高校は、県下でも一番の進学校で、男子校だった。その要領のいい官僚予備軍のような世俗社会と、やくざ者や草野球の世界でみられた世間は、直結しているというか、同じ重なりに感じられた。大学になどはいれば、なおさらだった。どこもかしこも、同じだった。気味が悪かった。もしかして、そんな感じが、あの糞尿の姿となって、夢に現れてくるのかもしれなかった。
しかし気味が悪いからといって、その当人である男や女たちを、ふしだらとは受け止められなかった。嫌なのは、その個別なことではなく、それらが織り成す相のようなもので、見えてくる印象に近いものだった。世相、という言葉もある。だから、それら個別の人々と、正岐は普通には付き合えているのだし、それを成立させているものがふしだらな素材であっても、その組み合わせ次第では、もっと違った印象を与える形になるのかもしれなかった。ただそうだとしても、正岐には、そこに参加していく意欲はわかなかった。欲望自体が、空々しかった。女性を性的な眼差しでみてみても、そう見るのが普通だからと強制されているようでいて、嘘くさかった。たぶん、自分はもっと無邪気な目で、男を、女を、世間を見ていた。がその無邪気さは、許されていない。正岐には心地よい無邪気さを守るために、青春時に止まってしまった時計をそのままにして、世界から距離を置いているのかもしれない。仕事やなんやで時間をとられるほど、正岐は独りになる時間が欲しくなった。欲しいというより、本当に、頭がおかしくなってきそうで、じっくりとクールダウンしないことには、逆に病気になってしまいそうだった。そういう意味では、参加しないのではなく、参加できないのだろう。そして参加できない自分は、「え~っつ!」と叫ぶ女の子たちに、どうしようもなかった。そして男たちも、こいつはそういう奴だとわかっていて、だから、「あいつは別格だから」と言うのだろう。ペルーの友人たちの付き合いで、六本木の夜の街のなかで、歌舞伎町のやくざな世界の中で、そうやって、自分は知り合う男たちから守られてきたような気がする。「あいつは、本当に悪い奴だからつきあうな、ほっとけ」と、正岐に話しかけてくる男をマリオたちはどけた。そしてマリオたちの店をつぶしにはいったやくざ者たちもが、正岐の前でおどおどし、手を出さなかったのは、正岐が世界から距離をもった存在であることを了解してしまったからなのかもしれなかった。一緒につるまないこと、つるめないことを自覚して、世界をいつも同じ距離から、遠くから、無邪気に、無関心に、だからこその公平な近さで接することは、逆にその男たちの、世界を脅かす暴力をおさめさせ、平和へとなだめていくようだった。
正岐は、そのことをも、自覚しているのかもしれなかった。世の仕事など、する気もなかった。まだ時間があるから、暇があるから、空いた時間があるから、やっているにすぎなかった。部屋にこもり、本を読み、考えたことを書き留めている。いつかそれを、書き得る時がやって来たら、一つの形に造りあげたい。集めた材料をくねりあわせ、組固めて、彫刻を象るように、人々の思考や夢を刷新していかせる壮大な形を目に見えるようにしたい。そうすれば、ふしだらな素材たちではあっても、世界を変えていかせる印象に、衝撃になるのではなかろうか?
食卓の椅子に座って、カップラーメンをすする。昨夜の、焼き鳥屋のとんちゃんで食べたものの消化しきれていない残りが、胃の中で、また暖かいものに触れて、動き始めるような感じがする。食うことが嫌なら、食を減らせばよい、世間が嫌なら、付き合いを減らせばよい。そうやってでも、生きていかなければならない。もう五十を半ばになって、耐えていけるのだろうか? いや今まで、ここまで生きていられているのは、どうしてだろう? そっちのほうが不思議ではないか? 嫌悪、嫌悪、嫌悪……吐き気、吐き気、吐き気、憎悪――この世界とのそんな感触が、自分の自殺をふせいできているのだろうか?
ピアノ
慎吾は、鍵盤からはずれた小指と薬指が折れるように曲がって拳のようになると、そのまま叩きつけた。悲鳴のような音が割れて、誰もいない閉めきった居間に響いていって、消えた。グランドピアノの黒光が、なおさら部屋を暗くした照明のように閉ざす。ぼんやりと、消えていった音響が木霊をかえしてくるように、家具の輪郭や置物のたぐいが慎吾の視界に浮き上がってきた。空になった、天井まである備えつけの本棚、そこには箱に入った日本文学や世界の文学全集、思想全集が並べられていた。母に言われるままに、直希が市の清掃局へと持ち運んで処分した。そうしたら、なんで捨ててしまったの、せっかく読もうとしていたのに、と直希は小言を言われていた。空いた棚のところどころには、その代わりに、お土産で買ったりもらったりした人形が飾られている。上の段には、三人の子供が小さいころに、野球やテニスで獲得したトロフィーが溶けたような金属色でくすんでいる。このピアノも、引き取ってもらう手配ができているとのことだった。箱型のピアノから大きなグランドピアノへと取り換えるさいは、防音設備の整った部屋の庭へ通じたガラス戸の方から入れられることができたけれど、もう庭の木も大きくなって、戸の前をふさいでいる。ふたを開けると竪琴のように大きな羽を広げるピアノは、ピアノ教室のための部屋には入りきらなかったので、居間の真ん中へと据えられたのだった。
慎吾は、大学生の頃に、独学でやり直し始めたのだ。小学生のころ、母から教わってはいたけれど、ブルグミュラー教科書の最後の、エリーゼのためにが弾けた程度だった。それ以来、やってはいなかった。いまやってみたくなったのは、たたまれた黒い羽の羽ばたきをもう一度目にしたかったからだろうか? 自宅に帰ってくるたびに、ひたすら練習した。ショパンの革命を弾けるようになった。その有名な曲の、下流から上流へとさかのぼる魚群の奔流のような指の動きが上達するにつれ、自分も天へと舞い上がっていくような気がしてきた。高揚した気分そのままなように、文学部だったけれど、バブル真っ最中の銀行へと就職した。地方の銀行だった。それで満足したわけではなかった。もっと俺は上昇できる、現金の最終確認で俺の窓口から十円盗んで揚げ足を取りいじめてくる奴らを見返してやれる。そうして、外資系の会社の経理部長としてトラヴァーユした。それでも奴らは、そのアメリカの大会社と手を組んで俺を追い落とそうとした。尾行し、盗聴をしかけ、悪い噂をながさせる。あいつはバナナだ、中を白く見せたがっている黄色いバナナだ、英語と日本語で、俺の耳に飛び込んできた。鍵盤の音に変わって、声が、洞窟の中の残響のように俺の脳みその中で渦巻いた。妄想なんかじゃない、幻聴じゃない、あれは、ほんとうの話で、ほんとうの声だったんだ!
母と、弟の直希は、母の実家のあった宮城の方に行っていた。留守宅にひとりでいた慎吾は、久しぶりにピアノを弾いてみたのだ。統合失調症と診断された病気以来、もう弾いてみたことはなかった。ピアノを処分するからね、と直希から確認されていたので、ならばこの誰もいなくなった居間で思う存分弾いてみようという望みのようなものが湧きあがった。が、もう指が動かない。もともと、小さな手だった。その手を思い切り開いて思い切り素早く動かさなければ、鍵盤を渡っていけなかった。まるで自分の人生のように、指は折れた。「音大にいったらどうなの?」学生時代、女友達に言われたそんな言葉が、よみがえってきた。あれは、どんな意味だったろう?
慎吾は、スプリングのような原理で伸び縮みする椅子から立ち上がった。子供の頃は、丸くて、くるくる回すと高くなったり低くなったりする紫色の椅子だったな、と思い出されてきた。小用をたそうと、居間から洗面所へと通じるドアの方へ向かい、取っ手をつかむ。金属質の冷っとした感覚が、外に目をやらせた。花模様の絵柄の彫られた曇りガラス製の玄関から、日の光が曇り空のように広がってくる。まだ夕刻にはなっていないはずだが、晴れなのか、曇りなのか、わからない。カーテンは、閉め切っていた。雨戸は、その開け閉めは自分の役割として言われていたので、まだ暗いうちの早朝にすませていた。朝食は、近所のコンビニへいって、お結びを買ってくる。そしてすぐに、英語の勉強がてらもあって、映画の『ゴッド・ファザー』のビデオを見る。もう何十度、何百回と見ていることになる。ほぼ毎日、見ている。あきないのかい、と母に言われても、新しい番組は緊張してしまって、見ることはできない。俺は、病気なんだ、それでも一日一日を頑張って生きている、それなのに、なんでできないああしろこうしろって言われなければならないんだ?
慎吾は廊下にでると、南側をふさぐ半開きのままの襖から、母の寝起きする部屋をのぞいてみた。掛布団がめくれたままの、ベッドが見える。もともとその部屋は、床の間のある客間だったのだが、いつの間にか、炬燵もおかれ、母が過ごす部屋に変わったのだ。西側にある、食卓の置かれた台所の北側の、奥まった部屋を父とともに使っていたのに、そこから表へと出てきたのだ。あの日の当たらない薄暗い部屋に、両扉で開く鏡台があり、子供のころは、内職していたタイピングの機械などもあったはずだ。お父さんは、居間の備え付き本棚が延びている北側の窓のところに机を置いて書斎がわりとしていた。お父さんがいなくなって、まるで岩戸の奥に隠れていたようなお母さんがでてきて、口うるさくなった。父がいない、いつの間にか、お父さんはいなくなった、いや俺は、なんでお父さんがいなくなったのか、知っているじゃないか、抑圧するな! いやそれも俺の幻なのか?……あいつが、ほんとうに、やったというのか? わからない、わからなくなっちまった……俺の病気の、妄想なのか?
便器の内側には、まるでそんな妄想の破片のように、茶褐色の塊が飛び散って、こびりついている。朝方した、自分の大便の飛沫なのだろうと、慎吾はわかっていた。何度も、母から、そして直希からも、小言を言われていたからだ。当初は俺じゃない、と言い張っていたが、その汚れが、自分の薬の副作用で、便が下痢気味になることからくる汚れであると認めざるをえなくなった。それらは、その散らばった断片は、俺のばらまく現実なのだ。慎吾は小便で、その断片を洗い流そうとする。落ちるものもあれば、落ちないものもある。これも薬の副作用なのか、のどが渇いて、水が欲しくなるのだ。ペットボトルに水をいれて、いつも手元においていなければならない。俺は、何に渇いているっていうんだろう?
トイレの汚れはそのままにして、慎吾は自分の部屋にむかった。ピアノの脇を通り過ぎて、階段をのぼってゆく。のぼり切った左側の、開け放したままだった引き戸をくぐって、すぐ右わきのベッドの上へと、仰向けに体をあずけた。ベッドのクッションが軽く反発して体を浮かせると、そのまま天井の木目の渦へと、自分が吸い込まれていきそうな感覚になった。
この子供部屋は、慎吾が大学に通うため上京したあとは、すぐ下の弟の正岐の部屋になっていた。また慎吾がもどってきたときには、誰も使っていなかった、いや正岐の使ったままの跡が残っていた。退院して久しぶりに自分のベッドに横たわったとき、どこか違う感じがした。ベッドの置かれた場所が、違っている、移動していることに気づいた。そう気づけることが、ふと、はじめて自分を安心させて、いままで、自分はやっぱり病気だったんだな、と納得させてきた。入院のあいだ、自分がどこにいるのかさえ、わからなかった。殺風景な部屋の鍵はかけられていた。いや、紐か何かで拘束されていて、身動きもできなかった記憶がかすかにある。何かわめいていたのだろうか? 注射で、大人しくさせていたんだろう。俺は、大人しくなった。病院を移された。お父さんが、入院していたところだとあとで知った。自分がいたところは、一度はいったら出てこられなくなると有名な病院だったそうだ。だけど、俺は出てきた。そして、お父さんが狂って入っていた家から近い病院に俺も入ったんだ。ならば、そのときまでは、お父さんは、生きていたってことになるんだが……そこで、殺されたのだろうか? 遺書があったと、直希が言っていたような気がする。ならば、ほんとうは、自殺だったのか? いや……そうやって、そう見せつけて、あいつらが、そうやったということか? 俺は……とにかく、ベッドを、まえ俺が寝ていた場所に移動した。北側の窓のところから、隣の子供部屋とを仕切る襖の手前のこの場所に、いつもいた場所に……だけど、そこに、もうお父さんは、いなかったんだ……。
アーメン! と慎吾は渦を巻いた天井に叫んだ。あわれみの神、来れたまえ! 慎吾は怒鳴るように、聖歌を歌う。声を張り上げて、天に、誰かに、聞いてもらいたかった。学生中のころ通い始めたプロテスタントの教会では、賛美歌と呼んでいた。いつくしみ深き友なるイエスは、われらの弱さを知れて憐れむ……もうどちらの歌を歌っているのかわからなくなった。張り上げた大声は、隣近所をもふるわして、苦情が来るからよしなさいと母から言われても、胸が張り裂けてくる。だって、その隣近所の子供たちだって、苦しんでるじゃないか! すぐ東となりの父母世代からみれば孫にあたる娘さんも、市役所に勤めていたのにいまは家に引きこもってでてこないみたいだというし、その隣のお宅の直希より三つ年下の末っ子も、家にこもりきりになって、去年だったか、家の中で暴力沙汰でもおこしたのか、パトカーが来て警察官がきて、通りを逃げるその末っ子を猛然と追いかけていったのをお母さんは見たという。南側の畑の先にあるお宅では、小学校は違ったからとくに仲がよかったわけでもない自分よりひとつ年下の長男も、十年近くまえだから五十歳をすぎてから自殺したと近所に伝わっていた。ときおり朝早く、まるで髪を長くしたイエス・キリストみたく、まだ暗い道を歩いて、コンビニで食べ物を買って帰ってくるみたいだとお母さんは言っていた。なんだかあっちにもこっちにも、俺みたいのが家に隠れているじゃないか。老齢化したこの地方の住宅地で、あっちにもこっちにも、世の中で挫折したまま立ち直れなくなったものたちがうじゃうじゃしているじゃないか。俺は、黙ってなんかいられない! だから俺は……俺はもう、活動なんてできないけれど、訴えることはできる、歌ってわめいて、戦ってやる! 花も蕾の若桜、五尺の命をひっさげて、国の大事に殉ずるは、我ら学徒の面目ぞ、ああ紅の血は燃ゆる、ああ紅の血は燃ゆる!
慎吾の歌は、いつの間にか、軍歌に変わっていった。そしてそれがいつものように、テレサ・テンの歌に変わってゆく……愛をつぐなえば別れになるけど、こんな女でも忘れないでね、優しすぎたのあなた、子供みたいなあなた、あすは他人同志になるけれど……あれは、どんな意味だったんだろうなあ? と、慎吾はまた思い返した。
おなじテニス部だった。そのサークル活動とは別に、文学の趣味も共有できた。好きな作家は違っていた。慎吾は、川端康成や三島由紀夫のある種の作品が好きだった。彼女の方は、出版されたばかりの村上春樹の『ノルウェーの森』を読んで、好むようになったと言っていた。慎吾は現代文学には疎かったけれど、彼女が読むのだからと、読んでみた。鼠だの羊だのが、なんで出てくるのかわからない。一〇〇%の恋愛小説を歌った作品も、慎吾は石坂洋二郎の作品も好きでよく読んでいるのだったが、比べたら、その物語のどこが純愛なのだかわからない。女の子は、病気じゃないか、と思った。結核とか体の病ではなくて、精神病になっていく心の病をとりあげたのが新しいということなのだろうか? だけど男の方は、蜘蛛みたくみえる。中学くらいのクラスの中に、一人はこういう男子がいるものだという気がした。クラスの華である一番手や二番手の女の子にあこがれるのはあきらめて、四番手以下の、あまりぱっとしない普通のような女の子がよってくるのを待っている。わざと軟弱な擬態をして、声かけすいような大人しさでじっとして、細いけどねばねばした網を張り巡らせて、ひっかかってくるのを待ち構えている。かかってきたら、雨に濡れた体を羽織ってやるように粘つく網をからませて、食べきるまでは放さない。それから次の獲物。思春期まえのあこがれの男子は、あんまり女子に興味がいかないで、スポーツなんかに精出している。華ある女子も、なんだか見えを張っているだけのように見える。だから、奥手を捨てて、一番すすんでいくのはそんな普通かそれ以下のような男の子や女の子たち。普通とされる劣等感が、コアな動きを伏流させて、不良とレッテル張られた男女はもう、目に見える塊で底に沈殿していく。本能のようなカーストが、こっそりと、世の中の下地をつくってゆく。大学生ともなれば、そのヒエラルキーは自然体となっている。理想を体現するセレブな男女、普通の壁、落ちこぼれ……彼女は、俺を憐れんで、体を開いてくれたんだろうか? 「音大にいったら?」というのも、世俗の階層に不適応な俺の一途な想いを揶揄しただけだったのだろうか? 俺は……証明してやりたかった、俺だって、二枚目でもないぶきっちょな俺だって、世俗の中で生きていける、だから、二流の大学から銀行に行き、他のエリートと張り合う外資系の企業にいき……俺が、俺自身が病の男の子になっちまった。もう、昭和でなく、平成だったんだなあ。大手会社から内定もらえる基準も、外見を気にする、異性とのコミュニケーション能力がある、ユーモアを解する、友だちが多い、みたいな美的判断が成績以上に重視されるようになったっていうじゃないか。下の階級からの這い上がりは、生まれつきの顔や育ちの振る舞いで選別されてしまうって。セレブ同士の結婚、アスリート同士の結婚、遺伝子なんだか環境なんだかわからない。カネと地位を得ても、顔がよくなければ生理的な本能で疎んじられてしまう。いつの間にか令和になって、俺に近い年頃の男が天皇になって、技術的な能力なんてAIで代用できるんだから、これからはなおさら人間的な魅力ですって……俺は、だめなやつなのか? 一生懸命やってきたのに、それがだめだっていうのか? 遺伝環境的に、はじめから見込みがなかったっていうのか? 父親が狂ったから、俺も狂うっていうのか? ……それがわかってるから、俺は、お父さんをやっちまったのだろうか? いやそうじゃない。俺は、殺せなかった……いやそうじゃない、そんな遺伝のために、俺はあいつらといっしょに活動したわけじゃない……。
日が沈みかけているようだった。閉めたカーテンから漏れる光に、暗闇がまぎれこんでいる。雨戸を閉めにいかなくちゃな、と慎吾は思った。そう思えるなら、自分はまだ狂ってなどいないのではないか、と思えてきた。しかし、ベッドから起き上がることはできなかった。薄暗さの中へ沈んでいった木目の渦をまた逆巻かせるように、瞬きを繰り返した。それでも、あいつは、やったんだ……慎吾は考えつづけた。「君はもっと表にでる必要がある」なんて、俺と同じようにあいつらにそそのかされたにせよ、総理大臣を撃ち殺してしまったんだ。父親を通り越して……なんで、お父さんじゃなかったのだろう? お母さんを苦しめたのは、総理以前に、親父じゃないのか? 母親たちが大挙して新参の宗教に入っていったのは、家に居座っていた父親のせいじゃないのか? 二世問題とかなんとか言う前に、なんで女たちは、狂ってたんだ? なんで病の女の子たちが、蜘蛛の巣の網に引っかかっていったんだ? ねばねばの網に絡まれて食われるほうが、気楽になれるのだろうか?
慎吾は慣れないスマホの操作で、テロ決行者を検索してみて読んだツイッターの文というのを思い越した。家族への連絡ようにと持たされた携帯電話の時もそうだったが、慎吾は普段、電源を切っていた。高校の同窓生や施設仲間との間で、フェイスブックやツイッターなどに参加し、たまには自分の意見を投稿してみるくらいにはなっていた。けれど、投稿してすぐに電源を切った。世間にいつも繋がっていることは、そう思うだけで恐ろしいことだった。常に迫害されているような、強迫観念がとりついた。自分から発信したら、引きこもる。断続的というよりは、非接続でなければ、身が持たない気がした。承認されることには、あとから身をすくませる恐ろしさがやってくる。
検索の中で、中年にあたるのだろうその男は、DNAの多様性を認めるように、軟弱な男子も救われるべき、その遺伝子も保存されるべきことを説いていた。これまでの事実として、男女関係はインフラとして機能している。男に女を配給する世界共通の事態として、貧乏子沢山の苦痛が現実だった。その現実の中で、女も生まれてきた。それを一定の豊かさを得た後の世代が無視して、女性こそがどのDNAを残すかの選択肢を持っていると思い込むのは権力的である、そう権力的に振る舞うことで、軟弱な遺伝子を殺しているのだ、世界を貧弱にしているのだ。女性問題が全てではない。憎むべき対象は、男女関係をもインフラの一部として取り込んでいるこの社会全てに対してである。この俺の思想を卑小化するな!
慎吾は、自分が事実、軟弱の部類に入ってしまうということを、認めざるをえなかった。DNAという言い方はよくわからないけれど、自分の子供を世に残すことができないで終わってしまうのは、淋しい気もする。子供の頃は、父親とマンツーマンで、テレビ漫画の『巨人の星』でのように、思い込んだら命がけの特訓を受けていた。少年野球では、ストライクが入らず、ファーボールをだすと、お父さんはタイムをとって俺をベンチに呼んで、気を付けをさせ、ビンタが飛んだ。俺はまだ、あの痛さを覚えている。次男の正岐は黙って交代させられただけだった、三男の直希ともなれば、なんにもなしだ。なんで俺だけ……男子進学高の部活では天文部に入り、大学では、やはり女子のヒラヒラしたスカート姿にあこがれて、テニスのサークルに入った。その選択自体が、俺の育ちに対する反抗であり、だからそのまま、軟弱の道への選択になっていったのだろうか? テニスは上手なほうだったけど、俺は、やはりさえない奴だったのだろう、今現に、こうした病人生活をしているのだから。障害者認定の階級を審査で落とされたら、俺の老後なんてありはしない。いやそもそも、この病気になったものは、六十を過ぎて亡くなっていくのが平均寿命みたいだ。もうこんな弱者の毎日が、三十年! 俺の子孫なんて、俺には残しちゃ悪いような気がしてくる。……だけど、彼は、あいつは認めない……それは、まだ若いからか? 血気さんかな余力があるから、おだてにのってもと総理の暗殺を企てられたのか? お父さんでなく……いや、そういえば、あのメンバーのお父さんも自殺していたんだっけ? エリート土建業の世界で、気がふれて、自殺に追い込まれていった、ならば、俺と同じじゃないか? あいつがお父さんを通り越していったのも、父親を翻弄させたこの世界そのものを変革させていこうと試みたからか? そして俺には、そこまでできなかった……俺は、軟弱そのままだったんだ……
焦点の定まらない慎吾の視線が、部屋をさまよった。壁に備え付けの戸棚つきの本棚にも、机の上にも、床にも一面、この三十年読んできた本が積み重なっていた。部屋を視察に来た施設の担当者によれば、整頓されている方だという。本は、専門的なものではなく、自己啓発や実用的な書籍が多かった。小説の類は、同じものを繰り返し読んだ。淡い、恋の話のもの以外は、受け付けなかった。西日の濃さを滲ませた微光が、本の表紙を照り返させる。厚手のカーテンの隙間から部屋を斜めに区切った光の線は、昼と夜とをぼんやりと区別しているようだった。それは、生と死の堺も、ぼんやりと重ね合わせていることを暗示しているように思えた。実際、慎吾には自殺の衝迫が時おり、昼の明るさの真っ最中にやってきた。一度起こると、数日その衝動は続いて、また昼の光のどこかに消えていった。昼の中に夜があり、そして夜は、睡眠薬の助けがなければ、眠ることはできなかった。ということは、真実の世界は、昼の背後にぼんやり隠れている夜ということなのだろうか?
その夜の壁際が、西日の反射の中で、少し動いたような気がした。目が動いて見て、ぎくりとした。部屋の角には蜘蛛の巣があるようだった。その透明な反射の中で、姿の見えない小さな目が慎吾を発見し、じっと見つめているような気がした。がそうわかると、なんだかほっとするような気もしてくる。このままあの蜘蛛に食べられてしまっても、気楽で、気持ちよいような気がしてくる。「人はむしゃむしゃ食べられることを望んでいるのではないか?」焼き鳥屋で、時枝が言った言葉が思い返されてくる。たしかに、その蜘蛛が雌だったら、なおのこといいに違いない! 軟弱な俺なんか、雌どもの栄養にでもなったほうがましさ! ……でも、餌食にもなれないってことか? いや、そもそも……もしかして、彼女は俺を、つまみ食いしただけなのか?
慎吾は、頭が混乱してきた。もう眠れない夜が、やってきたのだろうか? 雨戸を閉めにいかなくちゃ……いや、あいつらの話は、もっとすっ飛んでいたぞ。人間の性差も、ニモと同じだって。クマノミは、一番大きな体をしたものが雌になる。他はみな雄だ。その雌が死ねば、二番目に大きなものが、雌になる。性の決定は、DNAじゃない。しかし、ならばどうやって二番目に体の大きな雄は、俺が二番だって、わかるんだ? 俺が二番目だから今度は俺が女王だ! って無理やり体重増やして自己主張しその地位を獲得するわけじゃあるまい。この現実は、蟻や蜂の生態でも同じだと。戦闘蟻をのぞいてしまっても、働き蟻の中からまた同じ割合の戦闘蟻がでてくる。そいつらは、主体的に志願したのだろうか? そうでないとしたら、どうやって選択されるんだ? コミュニケーションがあるのか? 俺が雌になるよ、今度は俺が戦ってくるよ、って? そうじゃあない、男女の性差とは両極の磁力であって、人はこの間を生態環境的に揺れ動く、どんな人間もこの両極の磁力の影響のもとにある、LGBTとはその力の差配のことであって、それは絶えず振動している。生きるに必要なのは自己の同一性を確立することではなく、その振動のエネルギーに身を任せることで世界に参加していく意志と、その技術を身につけることである! ……じゃあなんで、王殺しが必要だったんだっけ? あいつは、そそのかし、あいつは、島原は、なんで親父をやる必要があったんだ? それは、主体的な実践ではないのか? 世の中騒がせて、何をたくらんでいるんだ? 男たちの間で、なんで騒いでいるんだ? ……焼き鳥屋でのどんちゃん騒ぎが思い返されてきた。時枝や島原の議論に弟の正岐が巻き込まれているなか、がらっと開いた店のドアから、がたいのいい男たちがどやどやと入ってきたのだった。
男たち
「あれっ、まあちゃんめずらしいじゃん。」 四角い眼鏡の、ちょっと短めの七三分けのような髪型にした、背の大きな大工の親方のアキさんが、奥の壁際のテーブル席にいた正岐をまず見つけて、言ってきた。入口から入れば、そこが一番正面のようになって、目に映るのだろう。そしてアキさんからは背を向けていることになっているのが誰だかわかると、「あらっ、えっちゃんもですか? これはお疲れ様です。」と少しかしこまった調子で頭をさげる。
「まあちゃんも市川さんも(とえっちゃんの苗字で呼びながら)、会社やめるんだって?」と、アキさんの隣の、さらに大きな背をした男が言ってくる。草野球チームでの、若き頃は左のエースで四番を打っていた、組員の横花さんだ。「送別会かい。」と区切ってから、「やっぱハーじゃ(と植木屋の三代目の呼び名をあげながら)だめなんかね。」と太い息をもらすように言う。天井にもつきそうな二人の後ろには、同じ草野球仲間の若い衆が二人ほど、入口でせき止められるように立っていた。
横花さんは目ざといような視線を店の席にまわして、カウンターの一番奥で背を向けていた男があげた顔をみると、「あれっ、シロ、おまえまたこんなところでたむろしてんのかよ!」とつかつかと歩み寄り、「また変なアニメのTシャツなんかきやがって!」と、バシっと島原の肩を殴るようにたたいた。その音がでるほどの勢いで目の前をよぎっていった太い腕の動きに、慎吾は度肝を抜かれたのだった。「痛っ、」と島原はうめいている。
「ちょっと三密になりますけど、残りのテーブル席をつなげてやってくださいね。」と、とんちゃんが厨房から声をはりあげた。若い男たちがテーブルや座席を動かし始めたあいだ、奥さんが消毒液をもって、突っ立ったままでいる男の方へやってきた。
「すいませんけど……」 その奥さんの言葉に、差し出された消毒スプレーのノズルが向けられているのを見て、「撃つの?」と横花さんが奥さんにすごむような演技をみせる。
「ヨコバナ(とアキさんが一語一語を区切るように名前を呼んで)、洗われてやれよ、きたねえだろが。」 するとすかさず「洗ってきたよ。」と横花さんはスボンのチャックをおろそうとしはじめる。奥さんはくるっと背中を向けた。
「あれっ、洗ってくれないの?」とまたきょとんとした演技を横花さんはみせる。「股下のポニョ、きれいにしてくれるんじゃないの?」
とんちゃんがすぐに仲介にはいる。「やめてくださいよまったく。ここはソープじゃなくて焼き鳥屋ですからね。」
「ほんとしょうもねえなあ」とアキさんがあきれたように言い、「おまえの串ざきにするぞ。」と口をとがらせる。
「石鹸で喰われるのはいいけど、焼かれるのはたまらねえな」と、できたテーブル席に腰かけ、「奥さん、なまなま、生でいこうよ。」と厨房の奥にひきこもった彼女に言った。
慎吾は目をきょろきょろさせていたのだった。立っていた皆が席についたので、店の中はまた開けたような空間をみせて落ち着いてきたが、それでも威圧してくるような活気がみなぎっている。正岐の方をみると、一緒なように笑っている。奥さんが生ビールのジョッキを、新しくできた席に人数分を運びおわると、さっそくアキさんが「ではおつかれさま」と早口で言って飲み干し始めた。
「あと何人くるの?」と、ジョッキから口を放すが早いか横花さんがとんちゃんの方へ顔を向けてきく。
「三人くらいじゃないかなあ。」とその返事をきくまでもないように、むかい席に座っている若い衆の一人に言う。「山下、ベリは来るのか?」
山下という若い衆(と言っても四十代になっている精悍な男だったが)は、う~んとうなってから、「きいてる?」と隣の席のケイくんに尋ねた。
「来るんじゃないんすかね。」とケイくんは答えた。二人はともにアキさんのところで見習いから勤めたことのある大工さんだった。いまは山下くんは独立し、ケイくんは他の会社で働いていた。宮大工あがりのアキさんのところでは、息子ふたりが工務店を手伝っていた。
正岐はお通しも運びおえた奥さんが過ぎていくのをみて、若い衆の山下くんの方へ声をかけた。
「古本屋さんのところは、もう終わったのかい?」
坊主頭を不精に伸ばせたままに任せているような山下くんは「ああもうとっくですよ。」と答える。正岐は、早稲田通り沿いにある古本屋の旦那さんから、アパートの内装修理をしてくれる大工を知っているかと聞かれて、山下くんを紹介していたのだった。
「まあちゃんとこも、忙しいの?」とアキさんがきいてきた。
「忙しいっていっても、ひとりでできることやるだけですからね。まあ、ちょっと前までは、ハーちゃんの街路樹の手伝いで大変でしたけど。」と斜め向かいのテーブル席で向かい合うことになるアキさんに答えた。そのアキさんの背中の向うのカウンター席で、兄の慎吾が目を大きく開いて、驚いたような表情をみせてこちらを見ているのがうかがえた。その隣の席では、時枝の背中が、サンゴ礁に広がる静かな海の底のように、シャツの青を落ち着かせている。
「ああ、別々にやってるんだってな。」とアキさんが言いたし、「まあちゃんも独立だよ。」と言う。
「こちらの方が、」とそこでとんちゃんが割って入った。「まあさんの、実のお兄さんなんですよ。」と慎吾を紹介した。
「あっ、そうなの?」とアキさんは背中をねじって、慎吾の方へ体をむけた。同じように、隣の席の横花さんも、体をねじった。
「じゃあ、」とアキさんは間をおいてから、ちらっとその隣の時枝の方にも視線をあてて、「俺たちとはちがって頭いんでしょ?」と慎吾の方へ言葉を投げる。
「頭って……」 慎吾は面食らった。自分が二流の大学出であることを思い起こした。
「もしかして二人ともタカタカ?」と横花さんが口をはさんだ。「まあちゃんが頭いいのはわかってたけど、タカタカだとは思ってなかったよ(と、旧制中学からつづく地方の高校名をあげた)。いまフクダとかナカソネの他に、誰か政治家いるの?」とジョッキを口に運んだ。
「う~ん、有名どころは、下村ハクブンですかね。統一教会問題でひっかかった。」
「へえ~、」と横花さんは声をあげてから、「おいっ、おまえ知らねえだろ?」とケイくんの方へ顔を向けた。ケイくんは苦笑いを返す。
「この間、栃木の方の護国神社で集会があったからいったんだよ。(と横花さんはつづけた。)だいぶ集まったよ。二百人くらい来たんじゃないかな。」
アキさんが引き継ぐ。「組稼業じゃ食えねえからって、団体作ったって? 何人いるの?」
「八人かな。」と横花さんは答える。
「岡島さんとこは?」とアキさんが聞き返すと、「だからその流れで」と横花さんは言う。岡島さんとは、老舗の右翼団体の会長の名前だ。草野球の対戦相手チームの監督をやっていて、球場には街宣カーでやってくることもあったという。
「そういやまあちゃん、まだ外人とつきあいあるの?」とふと、アキさんは正岐のほうへ顔を向けて、鋭い視線を投げる。「赤尾敏が生きてりゃ歌舞伎町に外人なんかいれやしねんだけどな。」と返事をきくまでもなく言って、口をつぐんだ。
一瞬できた間に、奥さんがテーブルに焼き鳥のセットを置いていって、とんちゃんが作業で下を向いたまま、アクリル版ごしでも聞こえるように声をはりあげた。
「シロちゃんの息子さんは、おまわりさんになったんですよ。」
「ほう~っ、」と横花さんが応じた。「シロ! よかったじゃないか。警察とやくざと右翼は同じなんだよ。愛国心のある、いい息子に育ってよかったな!」
「へっ!」と島原も声をはりあげた。「左の翼もなくちゃ飛べないだろが。どっちも同じ胴体国体から生えている。同じなんだよ! だけどな、ココロは翼なんかなくたって飛べるもんだぜ。」
「たましい、って言ってほしいな。」と横花さんが応じる。「女心なんてどうでもいいからな。俺たちはタマシイで生きている。」
「おまえのタマは金玉のタマだろ?」とアキさんが口をだす。「そのタマで何人の女を鳴かせたんだか。ほんとにおまえのタマとってやりたいよ。」
「真珠なんかはいってないぜ。(と横花さんはアキさんの方を向いた。)純金そのものよ。まあ、ここんとこ、戦争で金の値段がどんどんあがってるみてえだから、俺の生もんの株も上がってるかもしれねえけどな。」
「だからよ、」と島原も負けじとばかりに口をだす。「玉とること自体には意味なんかねえんだよ。金玉なくした国体なんてLGBTQなんだからさ、変体だろ? ヘンタイ相手にどうするかが問題なんだよ。」
「ぼくオカマ好きですけどね。」 生ビールをちょびちょび飲んでいた山下くんが言った。
「はっ?」と今度は横花さんは山下くんの方を見た。「山下、おまえ、俺に釜ほってくれと?」
「な、なに言ってんですか。(と山下くんはびびったように言う)やめてくださいよ。」
「だろ?(と間髪いれずに横花さんは答える。)肛門に突っ込まれたら、歩けなくなるぜ。」とまた島原の方を向いた。「でシロ、LBQってなんだ? バーベキューみたいなものか?」
「だからヘンタイの一種だと言ってるじゃないか。」 島原は口をとがらせる。
「食えねえってことか。」横花さんはつづける。「だけどおまえだって、男らしく責任とったじゃないか。できちゃった婚だろ?」
「あっ?」 島原が面食らったような表情をした。
「奥さんはね、」と、とんちゃんが仲介に入るように言った。「ダンサーだったんですよ。」
「ストリップ?」と横花さんが目を向いた。「俺にもみせろよ。歌舞伎町のどこ? ニューワールド?」
「いやアートですよ。」 とんちゃんが困ったように、すぐに付け足した。「自分で作ってやるやつですよ。」
「だから子供つくったんじゃないの?」 横花さんの答えに、とんちゃんは苦笑いした。
「ほんとにおまえらの話は、」とアキさんもあきれたように笑って言った。「崇高じゃないよな。魂がぜんぜんこもってないわ。」
「だからトカトントンなんだよ。」 島原が言う。それにアキさんが「あ?」と反応して、島原をにらみつけた。
「いまどきよう、玄翁で釘打ちする大工なんていねえよ。インパクトでバシバシ打ってくもんだ。」
「だから言ってるじゃん。」と島原もにらみを返す。「パツンパツンって三八式で突撃するのか、機関銃で打ちまくるのか、その戦い方が問題だって。相手はもはや両翼もつ国体じゃない、手足をもがれた変体だぜ。ウクライナでどでかいドンパチがはじまって、また王冠をかぶろうと企てるかつての文明国が復興しようと、そいつらも幻肢を見ているだけだ。トントン大工さんの強迫観念なんだよ。王殺しが必要なのは、それが幻聴であることを目に見せてやるためだ。」
「幻聴じゃない!」 慎吾がそこで、突然と叫び声をあげた。「俺には聞こえるんだ、リアルなんだよ、ほんとうさ!」慎吾は上体をおこして、隣の時枝ごしに、島原の方へ苦痛にゆがんだ顔を差し向けた。「とんとんとんとん、俺の心臓をたたいて脈打たせる金槌の音が呼びかけてくるんだよ。俺は生きている、おまえも生きている、とんとん、そうだろ? 扉を叩くような音が、俺を振り向かせるんだ。俺にはわかった、いまわかった、とんとんって、俺の心の扉を開かせようとしているのはお父さんなんだって。死んでなんかいやしなかったんだ。島原、おまえはやっていない。本当は、殺してなんかいやしないんだ。殺されたように暗示をかけて、俺に幻をみさせていただけなんだ。むしろそのことを教えてくれたのが、親父が叩くトンカチの音だ!」
アキさんが、きょとんとした目を正岐に向けて言ってきた。
「まあちゃんのお父さんも、大工さんだったの?」
正岐は心配そうに慎吾を見てから、アキさんの方を向いた。「いえいえ、教師ですよ。途中から事務方にまわりましたけど。」
「父親ってのはなあ、」と島原がおさまらないように口をはさむ。「死んでから存在しだすんだよ。ハムレットの亡霊みたくな。だから必要な作業は、ゴースト・バスターズだろが。なあ、兆輝?」 そして隣で黙ったままビールを飲んでいる時枝を語気強く呼んだ。
「人に養育されるから(と時枝は島原の方へ顔を向けず、口にしたビールを咀嚼するようにゆっくりと言う)、父だの母だの葛藤を呼び起こす心が発生するのだろう。」
「で?」 とまた沈黙に入ろうとする時枝に追い打ちをかけるように、島原は問いただす。「バイオテクノロジーやAI機能に比重を置く社会がそのまま発展していったら、どうなるだろうな?」 時枝は独りごとのようにつぶやいた。
「それは質問か?」 島原はまた問いつめた。反応が切れた間に我慢できなくなったように、島原がつづけた。「要は、クローンで生まれてAIで育てられた問題なき子供たちは、ほんとうに人間なのか、という今風の問いかけだな? 歴史の終わりとして、哲学者たちは憂いている。それでおまえの考えは、答えはなんだ?」
「母子密着とは、」 時枝は答えた。「量子もつれのことだ。」
今度は島原が間をおいてから、「はっ?」と言う。その間の抜けたような島原の顔をつと見返してから、時枝はまた前を向いて切りだす。「竹宮恵子の漫画に『地球へ…』があったじゃないか? クローンやAIは問題を解決しない。人との繋がりは、量子次元で起きている。類は友を呼ぶ。たしか、おまえの母親と奥さんの母親は、同じ仙台市の同じ小学校にいたっていうじゃないか。母子関係が推察させてくるものは、物理・生物学的な物質次元を超えている。それは『地球へ…』でも描かれたように、テレパシーの世界を垣間見せる。」
島原はなおさら目を見張って時枝をみて、押し黙った。
「サケやハトの帰巣本能も、目の中にある量子的な物質の働きがあるのではないかと追及されているじゃないか。サケやハトに、精神分析が成立するか?」 時枝はそう付け足して、島原を見た。
「ふん」と島原は鼻をならした。「おまえの意見は、やはりそこに落ちるんだな。暗黒唯物論か。」考え込むように間をおいてから、「そういえば、」と言う。「女房と息子は、熟睡しながら会話をしてたときあったな。同じ夢をみていると想定しないと、成立しない会話なんだぜ。」
その時、正岐が割って入った。「その母親というのは、お母さんのことなんですか?」
また一瞬できた間に、時枝が入って言った。「もちろん、実際の母親とは別次元の話になる。母親を通した方がつかみやすい、ということだ、強度の違いはあれ、ビッグバンが本当なら、すべての物質はもつれているはずだろう。みな、何かの片割れだ。」
「そういう理論が、」と正岐は食い下がりでもするように言葉を急いだ。「実際の母子密着と、どう実践的につながるのですか? お母さんは…(と口よどんでから言う)、殺さなくていいのですか?」
時枝の背中に、緊張が走ったように見えた。青いサンゴ礁に、さざ波が立つ。波紋が空気を伝わって、島原の手にしたジョッキの中の小麦色を泡立たせる。ざぶん、と、グラスの中で音がたったように、急き立てられるようにして、島原が正岐の方を振り向いた。
「王様をやっちまえば、王女さまは狂っちまうんだよ。(振り上げたジョッキから、波打ったビールがこぼれでた。)一方の磁極が崩れれば、もう磁場自体がくるくるパーだ。ハムレトの母ちゃんだってそうだろ? 陽と陰、男と女、もちつもたれつ、それが量子だか漁師だか俺は知らんが、ハンターのターゲットはレディーじゃない。陰に隠れた獲物ではなく、陽に狙いやすい奴を仕留めるのが鉄則だ。」
「そんなんで、」と時枝の向うから、慎吾が身を乗り出した。「ほんとうにお父さんをやったっていうのか!」悲痛になった声でまくしたてる。「俺にはおまえらの御託なんか結局はわかりはしないさ。実践に一歩踏み出す勇気だってなかったさ。だけどな、そうためらわせるとんとかの音に、真実が木霊していたらどうなるんだ? 気力を奪われて立ち止まった俺のすくんだ足にこそ、正当な意味と方向が孕んでいたとしたらどうなんだ? 俺は、自分の情けなさを正当化するつもりなんかない。俺は病気になって、代償を払っているじゃないか。ひとりで、動けなくて、子供部屋に引きこもって、ただそれだけでも、そこにだって、引き受けている責任、引き継いでいる歴史みたいのもあるんじゃないのか? …俺は、やれなかった、俺は…だって、それ以前から不能もいいとこだ。女の子をまえにしたって、まともにできやしなかった。だけど、それは、……ほんとうに情けないことなのか?」
慎吾が唐突に押し黙って、また席に尻を落としたところで、島原が吐き捨てるように言う。
「長男は父親から厳しくされるだけでなく、母親からは過剰な愛情がそそがれるもんなんだよ。はじめて手にした子なんだからな。それで、インポにされちまったってことさ。日本じゃ、父の介入も手薄だから、去勢が成立せず、中途半端な半立ちのままだってことだ。しかし(と島原は語気を強めた)、それでも子はやらなくちゃならない。ここが日本でも、相手にしているのは世界だ、まずその戦場に参加しなくちゃならない。王だろうが天皇だろうが、結局そんなものは地方の封建領主にすぎない。ねらう首は、皇帝に決まってるじゃねえか。」
正岐は、うつむいたまま自分の殻に入ってしまったような慎吾に目をやってから、「それで、」と島原の方を向いた。「世界や皇帝に近づくための回路として、王を、父親を殺してみる象徴行為みたいのが必要だと?」
「へえ~、」と島原も正岐の方を向いた。「要約するってかい? まあいいだろう。そういうことだ。」
「参加して、どうするんですか? 積極的な平和外交ってものですか? それとも復讐とか、報復ですか? 過去に奪われた名誉を、回復するためですか?」
「しゃくにさわるからだろう。」島原はぶっきらぼうに言う。「大人しく黙ったままなのが、いいのか?」
「僕の経験では、」と正岐はつづけた。「不能は、力になると思うんですね。夜勤の荷物担ぎのバイト現場で僕はボスだったから、そこで友人になった南米の男たちが開いた夜の店で、いろいろな国の女性たちを提供された。まだ日本に来たばかりの十五歳のコロンビアからの女の子だったり、アメリカ大統領の奥さんみたいなルーマニアの美人だったり、ひるまない高貴さでしゃんと座るロシア女性だったり。男といざこざを起こした店の経営者のフランス女性も、街に立つ女たちを説得するために新しい男として僕を連れ歩いて披露していきました。けれど、僕はそんな交換にのらなかった。ニヒルで不能になったものに、関心などおきようがない。心が動かない。しかし世界に乗らないことが、女たちや、暴力を扱う男たちの間をふくめても、なんだか力をもつようになっていった気がするんです。そこで僕は実験してみた。みなから木偶の坊と言われるかもしれない身を誠実にさらすことがあの暴力うずまく世界でどう機能してゆくのか? 戦いやすれ違いからのどたばたに便乗するのではない、むしろそれを抑えて冷静にさせてゆく可能なる説得力が発揮されていったような気がするんです。だから不能にも、力があると思うんですよ。」
正岐の言葉が切れたことを確認するような間をおいてから、島原が口をだした。
「要約するとだな、そりゃ、憲法9条のことだな。だろう?」と次には時枝の方を向いた。
時枝は顔色ひとつ変えずに、事務的なように応じる。
「9条の不戦の誓いには、陽と陰の二面性が曖昧なまま癒着している。戦いには敗れても真実は自分たちにあることを白日の下にさらそうとする男の気概としての切腹の倫理、それともう一つが、敗戦での不能にこそ新しい希望があるのだとする女たちの原理だ。戦いの論理が破綻してこそ平和への道を切り開いていけるという女たちの期待だ。しかしどちらにせよ、まだ母子密着の実際次元にからめとられているままだ。わが子が戦争にとられるのが嫌なだけだろう。」
「というと、」と島原が顔をしかめて言う。「母殺しも必要だって?」
「結論としては(と時枝は話を打ち切るように決然と言葉をついだ)、高次元に飛躍することだ。」
「だから、」と正岐が話を打ち切らせないよう言葉をついだ。「どうすればいいというんです?」
時枝は立ち上がり、ちらっと正岐の方をみた。「もっと絶望することだ。」そう言うと、取り出した財布から札を一枚抜き取って、島原のカウンター席の方へ置いた。
「もう帰るのか?」と島原は見上げた。それには答えず、時枝は背を向けた。「待て!」と島原は出入口の引き戸を開けて出ていこうとする時枝を追った。が入れ替わりのように、数人の男たちが、またどやどやと入ってきた。島原はがんっと肩をぶつけられ、よろめいた。
「あっ、ごめん、シロちゃんじゃん、また飲んでる!」と入ってきたばかりの男が言った。「ベリ、おせえよ!」と横山さんが怒鳴った。出入口に近い方のテーブル席では、島原らの話の間、それとは別に、どんちゃん騒ぎで盛り上がっていた。
「すみません! 仕事いまおわったんで!」とベリさんも声をはりあげた。
横山さんはそれには応じず、ベリさんの隣に立つカツマを見つけると、
「カツマ、おまえこの間あったときより、さらに禿げ上がってねえか?」
カツマくんは苦笑いしながら、「この間って、昨日もあったじゃないですか。変わってないですよ。」
「いや2ミリ、すすんでる。」横山さんは言う。
「一日で2ミリか。」とアキさんが受けた。「二十代ではじまってもう十年以上たつんだから、ほんとうはないんじゃねえ?」
「カツマ、それズラか?」横山さんは鋭くにらむ。カツマくんの苦笑いは凍りつく。その棒立ちになったままのカツマの横を、肩をおさえた島原が通り過ぎた。
「シロ!」と横山さんが呼び止める。「仲間が増えたじゃねえか。オタッキー同士で、話がはずむじゃないか。」
「違いますよ。」とカツマくんは苦笑いを融かして弁解するように言う。「シロちゃんはアニメだけど、ぼくはアイドルですから。」
「同じようなもんだろ。」と横山さんは負けじと応じる。そしてカウンター席にもどった島原のTシャツを指さして、「じゃ、あれなんだ?」とカツマを問いただす。
「リヴァイじゃないですかね。『進撃の巨人』の。」
島原の白地のTシャツには、ざっくらばんな髪型をした男が、椅子に座って本を読んでいる姿が描かれていた。床にも、本が山になって積み上げられている。
「知ってんじゃん。」と横花さんは畳みかけた。
「人気漫画なんだから、誰だって知ってるでしょ。」とカツマくん。
「俺は知らねえぞ。俺が知ってるのは、進撃の巨根だ。」
アキさんが笑いながら、
「あれっ、さっきポニョとかって言ってなかった? もうでっかくなったの?」
「たしかめる?」と横花さんが挑発にのるように聞き返す。
「お~い、」とアキさんはすかさず応じ、若い衆に呼びかけながら、「空いた串何本ある? 巨人をたおすぞ。」
横花さんは「わかったよ。」と苦笑いを浮かべながら、「大人しくしてるよ。ポニョのままだからさ。」
島原は、話題になったTシャツの絵柄に一瞬目をあてた。床に積み置かれた本の描写が、おそらく障碍者だろう者たちと一緒にやった本の返品作業のアルバイトのことを思い起こさせた。バブルはじけるまえの、二十代のはじめころのことだろうか。ふっと、また一瞬気が抜けると、妻はなんで自分のために、ユニクロで安売りされたこんなアニメのTシャツを買ってくるのだろうという疑問が浮かんで、消えた。同時に、とんちゃんに、夕ご飯のおかずを買いに来てもいたのだと思い出した。
「とんちゃん、できてる?」 島原は、煙のあがった厨房にいるとんちゃんをみあげた。
「ああ。できてますよ。もう包装できますよ。」 と眼鏡の向うの目を細めてとんちゃんは言う。
「じゃあ、おあいそしてくれる?」 島原のその言葉が聞こえたのか、横花さんが口をだしてくる。
「シロ、逃げるのか? まだバーベキュー食ってねえだろ?」そしてとんちゃんの方に片手をあげて、「とんちゃん、バーベキューたのむよ。」
とんちゃんは笑いながら、「うちはだから焼き鳥屋で、ウシなんておいてませんよ。」
「炭はあるだろ。」と横花さん。
「そりゃありますよ。」と今度は笑いを止めて、「シロちゃんの奥さんは、病気なんですよ。やばいんですからね。シロちゃん、早く帰ってあげなよ。夕ご飯作ってあげないと。」
ラジオ体操
岳父の遺した茶色のプラスティック製の杖を、傘立てからとって、木目の入った玄関扉の長く垂直に落ちたアルミ製のハンドルを押して、家を出る。煤けた赤レンガの塀の向う、小高い丘に生える竹藪の葉が、朝日を透かしてちらちらとしている。お盆と台風がいっしょに過ぎてから、一時フェーン現象とやらで猛烈な暑さをぶり返したけれど、その次週となると、どこか秋の気配も混じった、涼しさが感じられた。グレーのタイルを貼ったポーチ左手側に移植したハナズオウの丸くて大きな葉が茂って、かぶさってくる。塀に入れこまれたポストから新聞をとって下駄箱の上に置いてから、南側の庭へと向かう。門扉の右手側の、植木鉢の苗木からやっと成木へと成長をしはじめたような檸檬の木が、薄緑色の光沢をもった葉裏を兎の耳のように立てている。その横の紫陽花の葉は、暑い日照りが続いていたためか、あちこちで焦げ茶色に変色している。杖の先で緑色のコンクリート平板をつつきながら、刈り払い機で刈ったばかりの芝の上をわたった。わたる通路の東側の植え込み地のつづきに、背の高くなりはじめた木瓜が、ヘクソカズラの蔓に巻きつかれて、丸く広がっている。
芝庭の真ん中あたりに、家庭菜園の畑を作ってみていた。二畳ほどを四角く区切って、芝をはがして、拾ってきた玉石で囲った。その囲いの角には、妻の要望で、いろは紅葉の幼木を植えていた。遺影の置かれた日本間の前であったから、大きくなれば、日差しをさえぎる陰をつくり、夜には障子の透かし向こうに、やわらかな影絵をゆらめかせるだろう。畑の半分には、庭手入れのお客さんからもらったブルーベリーの木を二本、家側に並べていた。黒い実が、いくつか収穫できたが、だいぶんは赤い小さな花柄のような粒のままだった。野菜の生育も、まだまだだった。近所の公園などから集めてきた枯葉をすき込んでいたが、栄養土が足りないのだろう。ミニトマトもなり始めはよいが、しばらくすると実のつきがわるくなる。ナスやキュウリもそうだった。来年はという思いから、家の残飯を干して、物置横につくった腐葉土箱をコンポストとしても兼用させて、そこに放り込んで、土作りのようなものもはじめている。もともとここら辺りは、田んぼだったそうで、粘土質というのか、水はけがよくないようにうかがえる。裏山からの斜面つづきでもあるのだろう、築五十年にはなるヘーベルハウスの家をリフォームした際、設計士から家が南側に傾いている、と指摘された。土台からは直せないから、床だけを平にしての処置となった。
東西に流れる芝庭の西側は、物干し場になっていて、その向うの突き当りの隣地に接した芝の切れ目の空き地も玉石で囲って、植え込み地をつくり、もともとあった花菖蒲やシャガを集めて植えていた。春先には、色とりどりな花を咲かせて、たのしませてくれる。いまは、地から突き出たような細長い葉が林立していて、その隙間に、紫蘇の葉が縮れた姿をみせている。
物干し台と、建物の南側をぐるっと囲んだ犬走との間にたたずんで、芝地の一か所をよくのぞいてみる。まだ芽が出てこないようだった。おそらく芝が建物にせり上がってくるのを防ぐために両親が使っていた赤煉瓦を再利用して囲みをつくり、そこに淡いピンク色の砂利石を敷いて、犬走として芝の侵出を防ぐ効果としたが、その犬走と芝との境界に、妻が玉すだれを植え込んでいたのだった。ちょうど四十九日の十二月に、そこに植え替えてから数か月ほどの玉すだれの白い可憐な一輪が咲いた。その日は、漠然と過ごしたが、二日後だったか、ふと、玉すだれが咲くのは夏だったと思い当たった。背筋がぞくっとし、スマホでその花言葉をさがした。便りがある……まざまざと、去年のお盆に入院し、退院してから亡くなる前のひと月にもたたない間に、庭の隅にあったその玉すだれを植え替えていた、そのうずくまってしゃがんでいた妻の後ろ姿がよみがえった。背中を丸めて、じっと地面に植えたばかりの玉すだれを眺めていた。なんでそんなところに植えるんだ、そう思ったが、口にはしなかった。妻が亡くなり、その四十九日の出来事を経てからは、なおさら、なんでそんなところに植え替えたのだろうという疑問が強くなっていった。そしてまた夏が近づき、日当たりのいいリビングの窓際のソファから、部屋の奥の方の椅子へと読書の場所をかえたとき、とつぜんその理由が迫ってきた。妻は、日向ぼっこするように読書する私の位置から玉すだれの花が見えるようにと、移し替えたのだ。あなたはやっぱりこの場所が好きなのね、ソファに座った私に、確認するように聞いてきた妻の言葉もが、まざまざとよみがえってきた。
もうすぐ、一周忌になる。去年の今頃、その年の一月になくなった父の初盆の墓参りにと、実家の群馬へと帰省しようとした朝、妻は台所で倒れていた。意識はしっかりし、言葉もはっきりとしゃべることができた。が身動きができない。体を抱き上げてとりあえず布団まで運ぼうとしたが、重くて無理だった。ここまで動けないのはただ事ではないと、救急に連絡をいれようとスマホを手にした。「救急車なんか呼ぶなよ。」妻は語気の強い調子で言い切った。一瞬ためらいがおきたが、「呼ぶ」と断定的に言い放ち、電話をかけたのだ。
診断は、常在的なウィルスであるブドウ球菌が、心臓の手術跡の傷口から体内に入り、脊髄に巣を作っているのではないかということだった。新型コロナ・ウィルスが流行り始めたころ、妻は弁膜症を起こし、心臓の手術を受けていた。人工の弁や筋にするまでには至らなかったが、数年経たここにきて、弁の閉まりに不備が起き、血液の逆流がうかがえ、もう一度、人工のものに取り換える再手術をするかどうかの見極めのため、東京の方のかかりつけの大学病院で、定期的な診察を受けている最中でもあった。救急で担ぎ込まれた病院には、腰痛などの外科治療しかできなかったため、そのかかりつけ病院へと移送された。入院は、一か月半ほどつづいた。抗原剤を使った治療で、血液から菌がなくなったと確認されて、ようやく出てこれた。そしてそれからひと月もたたない十月の半ば過ぎに、脳出血で倒れた翌日に、妻は亡くなった。
その亡くなるまえに植えた玉すだれは、今年に入って、まだその細長い濃い光沢をもった葉をのぞかせてはいなかった。球根なのだから、まだ芝生の下に埋まっているにちがいない。芝が伸びすぎて、抑え込んでいるのかもしれないと、この実家になった千葉の家へと息子が帰省してくるのにあわせて、芝を刈ったのだった。息子の二十歳の誕生日を三人で祝った五日後に、妻は亡くなった。遺骨はなお、妻の座っていた椅子を使って作った簡易祭壇の下におさまっている。母のいない成人式を中学の同級生と祝ったときのスーツ姿の息子の写真を、しばらくの間、微笑む遺影の下に飾っていた。Vサインをする息子を包み込むその笑顔の写真は、甥っ子の、妻の妹の息子の結婚式の日に撮ったものだった。三年ほどまえになるのか。相続の手続きを自身でやっていくさい、手伝ってくれていた妹さんは、原因不明の脳出血だった姉の死因はこれなのではないかと、医学シンポジウムでのある学者の論文へのリンクをラインで知らせてきた。それは、感染性心内膜炎と新型コロナ・ウィルス感染症との関連を事実的な症例から報告したもので、ウィルスが脳内を通るさい、血管を損傷させて出血を引き起こすことになるケースがある、という指摘だった。妻が、実際のコロナ・ウィルスで脳がやられたということはないだろう。感染はまぬがれたし、ワクチン接種による人為的な感染だとしても、一度も打たない私を尻目にしていたが、二回目の接種でやめていたから、だいぶ時期がずれている。ただ、心臓から感染したブドウ球菌が脳内の細かい血管を損傷させていたということはあるのかもしれない。
帰省してきた息子は畳にひざまずき、りんを鳴らして線香をあげた。その翌日、免許をとったばかりの息子の運転で、まず東京は小平の霊園に樹木葬した妻の両親を弔い、それから群馬の山寺へ永代供養された私の父の墓参りへとむかったのだった。……妻にとって、はたして、この千葉が故郷だったろうか? 妻はこちらに移ったばかりの高校生の時の日記に、私に故郷はない、と記していた。妻は、九州は熊本の水俣の生まれだった。妻も私と同様、地元の成人式には参加していないようだった。
新しくガン吹きされて間もない白い外装の建物の反射は、芝の広がりをも反映させて、庭を明るくさせていた。日の当たる南面には、両親が暮らしていたころは紫木蓮や金木犀、山茶花などがあったが、生前にすべて根本から伐採されていて、リフォームのさい、残った根株をスコップで掘り起こしてどかし、ススキ畑のようになっていた地面を掘り、砂利をひいて、手練りしたコンクリで、二台分の駐車場を自力で作ったのだった。縦列駐車するうち、普段は軽トラックのほうが前だが、一昨日の帰省のために軽乗用車のほうが門の近くになっている。そのアコーディオン式の門も、外構は植木屋の自分でできるからと、自身で錆びて倒れていた鉄製の門を撤去し、新しく設置しなおしたものだった。真夏の暑い最中の作業だったので、何度もめげそうになった。内装のデザインや壁、襖、床板の産地と樹種、照明器具の選択などは、妻が妹と相談しながらやっていた。そうして仕上がって、一年ほど暮らしただけで、妻は亡くなったのだ。
官庁街と同区内にある郊外のこの地は、住宅街になっていった。市原市の五井の社宅からここに引っ越してきた頃は、まわりに建物がほとんどなかったことが遺されたアルバムからうかがえた。裏山も崩して宅地になったのよと言っていたそのふもとにあたる舗装路を、杖を突きながら歩いてゆく。半ペタ残った山の頂上には、背の高い大きな鉄塔が、頭上高くに太い電線を幾本も走らせ、その平行線でできる四角形が青い空を区切っていた。高圧線の真下には家はなく、鉄塔のまわりが荒れた竹藪になっているのだった。数年前の台風の直撃時、市町村は違ったがこの大きな鉄塔が曲がって倒れ、この近辺も一週間ほどの停電をよぎなくされていた。山というより丘であるから、大雨の土砂崩れが起きても、ふもとに並ぶ建物が流されることはないだろう。しかし山から下りる水脈を根切りして宅地が造成されていったのだから、年明け早々におきた能登の地震での災害で露わになったように、地下水が滞留して暴れ、液状化の危険が我が家にもあるのだろうか、と気がかりにもなる。並ぶ家々の庭の手入れは、頼まれるようになっていた。
だから杖をつき、一軒一軒の庭木の伸び具合を、確認するように歩くことになる。フランス料理のシェフをしている男性の車はないから、朝早い仕出し作業をするためにもう出勤したのだろう。門扉横の柿の木は、梅雨でも雨知らずに暑さがつづいたためだろう、剪定あとから生えてきた若枝が、徒長枝のようにつんつんと勢いをつけている。刈った草も、もう膝頭くらいまでのびている。その作業をしている最中に、お隣の家からも声をかけられ、この夏が終われば手入れにはいることになっている。もう、チラシ配りをする必要はなかった。印刷屋に頼むと、最低注文の枚数も多いし、値段もはるから、自分で練った文章の背景にオープンソースで取得したイラストを挿入させて、ネット上の操作でそのデータを読み込ませて発注できるものにしたのだった。まずは近所の歩いていける範囲から、一軒一軒、ポスティングをしていった。半径三キロくらいの東西南北を歩き回った。空き家がおおくなっていることに気づく。いくつかの路線が交差する駅近くなのに、路地道が入り組んでいる。二車線の大道路近辺の宅地の庭より、ちょっと外れに位置することになった昔の街道筋の方に雰囲気がある。妻の実家と付き合いのあった家や、すぐご近所の家からは声がかかったが、なかなか手ごたえがでなかった。それは、淋しい、みじめな気もする、孤独になってゆく地道な散歩だった。YouTubeでみたある起業家の話によると、造園業のポスティングは百軒配って一軒の反応くらいの割合で、それは他の業種と比較したらずっとよいとのことだった。実際、千枚配って十軒くらいだったろう。年があけて、また手入れ時期が近づくと、自転車でゆける範囲、十キロ四方へと範囲を広げた。秋から年末までの手入れ数はなんとなく埋まってくる感じにはなってきたが、春先からのお客も獲得しなくてはならない。妻がお盆の帰省時に入院していた夏の終わり頃からも、チラシ配りのポスティング作業を仕事合間につづけて、今日はここの辺りを配っていると、スマホで撮った風景写真とともに、ラインで報告をあげていた。
ただ自身で得たお客の庭手入れ仕事だけではなく、独立した翌年の春からは、東京の方への手伝い作業にもゆくことになった。以前雇われていたところではなく、そこから手伝いにゆくこともあった郊外の造園屋へだった。週に二日ほどやることにした。高速の混雑状態もわからず、自身の体力もどれくらいあるのかも見極める必要があった。もう若くない。チラシには、初老を迎え、女房の実家にて独立、と謳っていた。それは意図的な操作でもあったが、案の定、電話をかけてくる人はほぼみな女性だった。業界の付き合いとは違う道筋を拡げてゆくのが望みだった。男たちの世界にうずもれている、女たちの世界を発掘してみたかった。
猛暑のなかの作業がきつくなってきたため、自身のネットワークから入ってくる手入れ仕事は九月にまわしていた。このお盆休みが終われば、男たちの業界付き合いとしての手伝い仕事ということになるのか、東京の方へ早起きしてゆくことになる。その地区としては老舗になるだろう造園会社はしかし、背の小さな女性によって仕切られているところがあった。どこか女優の吉永小百合に似ている彼女は、掃除専門で、手入れをするわけではなかった。しかし背の大きな夫とともに、この会社では、三代目の若い後継者をこえて、一番の古巣になっていたから、各家庭のことをよく知っていた。家のご主人や奥さんも、彼女と気さくな世間話をすることが、いいひと時を持てる張り合いになっていたかもしれない。この会社の手伝いにはじめて派遣されてからもう三十年近くたつから、私においても、二十歳後半からの知り合いだった。
妻が亡くなって、いつしか彼女に相談するようになっていった。いや相談というよりも、こちらの悲しむ気持ちを察して、彼女が身の内話をもらすようになって、その話が、妻をよりよく理解させてゆく慰めとなってくる。同じ長女だからなのか、どちらも果敢で、気性が激しい。彼女は自身には離婚の経歴があることを教えてくれた。まあちゃんには想像できないでしょうけど、わたし、怖いのよ、と付け加えた。しかしそれと同じセリフを、妻からも聞いたことがあった。妻には、一回り年下の私と出会い結婚するまで、その経歴はなかったが、それまでの妻の人生に、何があったのか、まだ引っ越しの片付けの終わっていなかった段ボール箱の山の中から見出された、中学生の頃からの手紙、十七歳から書き始められた日記、二十六歳から付けられはじめた手帳等によって、その内省的な思考の起伏や行動の記録が、詳らかといっていいほどにまでわかっていた。打ちのめされながら、そのほとんどに目を通し終えたのが、ここ最近なのだ。
その妻も、吉永小百合似の彼女も、植木職人を夫に迎えることで落ち着いた。妻は二人姉妹だったが、妻より三つほど年下になる彼女は三人姉妹だった。父がどうしても男の子が欲しいということで、四人目を作り、弟が生まれたそうだ。その弟が彼女の誕生日に、ラインでおめでとうの通知をよこしてきた、というのを聞いて、そんなことするの、と驚くと、姉が三人もいると女の気持ちがわかって要領よくなるのだという。彼女は、クラスの名が星組や月組といった宝塚のような、どうも良妻賢母を作る女子高に通っていたらしい。妻も、熊本へと出て、男女共学の中高一貫の私立高校に入り、女子寮に入ったが、残してあったそこの校則や寮の規則を読むと、進学を目指させるためのどこか修道院のようだった。だから、千葉の県立の高校へと転入すると、そこの「のんき」さに戸惑い、逆に自分を抑えるようになっていったらしい。
植木仕事を夫と一緒にするようになっていった彼女は、妻の話をきくにつれ、まあちゃんと結婚したのは正解だったとおもうわ、と言う。「正解」という言葉が当初は奇妙に感じられたが、妻の日記を読んでからは、何かを真摯に求める試行錯誤な真剣さを突きつけられて、痛々しさが胸に突き刺さる。彼女はそんな真剣さの地続きなように、一月前、職場から離れていった。私と一緒に手入れ作業をしていた彼女の夫が、二間の脚立から落ちて怪我をしてしまったのだ。骨折し、腿の付け根の骨が、股関節から外れた。事故の労災の適用をめぐって、会社ともめたあげく、彼女は三十年以上にわたり手伝いに入っていたそこをやめる決断をくだした。独立していたといっても、ほぼそこが稼ぎの柱だった。家のローン払いもまだ終えていなかったが、彼女は決然と手を切ったのだ。
竹藪のつきるあたりで、路地道はゆるやかに曲がって、ラジオ体操で集まる公園へとでる。その曲がり角のお宅は、大工だったそうで、旦那さんは四十を過ぎて亡くなってしまって、奥さんが息子と二人で暮らしていた。もう七十にはなる奥さんは、心配してくれたのか、あちこちに声をかけ、庭の手入れ仕事をもってきてくれた。自宅の庭は、菜園の場所になって、土がきれいに盛り上がって整列し、マルチングのビニールシートが覆ってあったりした。デコポンの木だけはもう届かなくなってしまったといって、丸く刈り込まれていたその柑橘の剪定をたのまれた。
公園には、すでにお年寄りたちが集まっていた。竹藪の方の道からは一段と高台になったその広場の中央に、折り畳み椅子を置いてラジオをのせている。杖の先で階段を押し当てながら、おはようございます、と数段のぼった先の手すりにもたれている男性に挨拶をする。妻の父も、このラジオ体操に参加していた。遺品整理をしているとき、この階段の右手の植え込みに大きく広がった夾竹桃を背にした、その頃の集団写真がでてきた。赤い花が咲いているから、夏なのだろう。写真に印字された日付をみると、十年ほどまえのようだ。後列に杖を持って立つ岳父が一番の年寄で、整列するほかの人たちは、ほとんどが女性のその姿は、なお若々しかった。そこに写っている何人もが、言うことの聞かなくなってきた体を押して、今日も集まっている。岳父はそれから数年後、先だった妻の後を追うようにして、九十歳半ばで亡くなったが、最後は階段をのぼれなくなったので、皆が体操している姿を、下から見上げるようにして見ていたそうである。
お年寄りたちは、階段左手側の欅の下にあるベンチのまわりを囲んでいた。中心となってやっている女性がベンチに座って、三々五々なように集まってきたお年寄りの中央に、薄茶色の毛をふさふささせた、ゴールデンレッドリバーのポンちゃんがいる。ポンズというのが名前だったが、みなから呼びやすいようにそう呼ばれている。まだだよ、待て、とベンチに座ったままの女性が、足を投げ出しお腹を地に着けてお座りするポンちゃんに、しわがれた声をかけ、はい、おりこうさん、と袋からとりだした犬用の餌を鼻先に差しだす。ポンちゃんを連れた奥さんからも、犬の散歩ネットワークを通じて、この地区外のお宅を何軒か紹介されていた。一軒は警視庁の署長の地位に就いていたこともある人で、隣に住む娘さんから、亡くなった父の庭の木が近所迷惑になるからと、門脇に聳えて立つ萱の木を伐採してほしいとたのまれたのだった。自分の息子も、東京の方で現場のおまわりさんをやっているんですよと告げると、何か縁があるのかもしれませんね、だけど危険だから、心配でしょ? と聞いてくる。それはもちろんですよ、と答える。高校の部活動も途中でやめたほうだから、警官の学校など無事卒業できるものなのかな、と疑っていたが、訓練を終え、勤務につきだすと、まあおもしろいよ、と口にする。ほらっ、むかしの爆破事件の犯人がちょっとまえ捕まったじゃない、指名手配のポスターはがしてたら、事件が管轄の地区であったからカメラマンがいっぱいいてさ、俺も写真撮られたよ、そのポスターとっておいてあるんだけど、パパいる? と息子は無邪気に言ってきた。その男は、五十年近くを現場労働の住み込みアパートに潜伏していて、彼に心を寄せる女性も現れたそうだが拒み、病院で息を引き取るまえに名乗り出たのだ。もし、四十五歳になった妻が私に泣きついてこなかったら、私も一生をその男のように引きこもって終えることになったのかもしれない。いらないよ、息子に答えた。
犬を真ん中に、円陣を組んだ女たちは談笑に忙しかった。おはようございますの挨拶を投げても、彼女たちには聞こえない。広場をよぎって、奥のマテバシイの脇にあるベンチに杖を置いていると、南側の坂道から続く出入口を滑るようにして、サクラが走ってくる。夏用の可愛らしい女の子の服を着た、シーズーという種類なのか、獅子に似た小さな白い犬だった。飛ぶようにして円陣の外周までゆくと、振り向いた女性の前でころっとお腹をだして寝返った。あららこの子は、と振り向いた女性はしゃがんで、サクラのお腹をなでる。円陣の中では、一番元気のいい女性だった。冬の間は毛糸帽にマスクをした完全武装でいたが、今は長めの白髪を小さな背の肩幅に揺らしていた。いつも皆に冗談を言ったり、ちょっかいをだしていた。私のところにも黒飴を配りに来たときなど、野球選手振りかぶって投げたあ、とか言って差し出した。体操の番組になるまでの少しの間、ストレッチやスクワットなどをしているのだが、その中に、野球のピッチャーのワインドアップモーションを、太極拳のようにゆっくりとやることを取り入れていたのだ。しかし彼女のその声は、どこかおずおずとだった。
円陣とは離れて、ひとり公園の中をゆっくりと歩いて回る女性もいる。公園を斜めによぎる男性と、ストレッチをする私と彼女の三人がちょうど交差するさい、会話が生じる時がある。キャップ帽をかぶったおそらく八十を超えているだろう男性は、これからのラジオ体操はあなたが背負って立つ、とか言ってきたが、当初仕事がまだなかったので体力を落としてはいけないと腕立てやダッシュをやっていたのを、集まってくる老人たちの目の前でそんなトレーニングは控えたほうがいいだろうと、一緒にラジオにあわせてやるようになった成り行きだった。第二体操まできちんとやると、実際にだいぶ筋肉がほぐれて、可動がよくなるので、そのままつづけることにしたのだ。早朝からの出勤が多くなってきたので参加は週末だけになってきたから、もう背負って立つなどという気負いを私に向けることもないだろうし、そもそも、私より若い世代が歳をとって、ラジオ体操に集まることなどを想定できもしないだろう。男性は、絵を描いたり工作をしたりする趣味人として老後をすごしていた。町内での展示会のときは、理事たちから先生とも呼ばれている。「よっ、色男」と老人は言って通り過ぎる。園内を回っていた女性も「そうそう」と言って過ぎてゆく。彼女の夫もたまに一緒にやってきて、私を見本にやっているとのことで、「体操の先生」と呼んでいるそうだった。古物商で、全国をまわっているらしい。
また坂道の方の入口から、柴犬がのっそりと歩いてきた。コテツと言うので、こてっつぁんと皆から呼ばれている。旦那さんが毎日散歩させている。まだ六十代の旦那さんとは、ここより少し広い地域で作られたソフトボールチームで一緒にプレーすることになった。引っ越し早々、私が野球経験者だと知れると、近所で責任者をやっている牛乳屋さんがやってきて、妻を説得していった。日曜日ごとに、隣の地区の小学校で練習をしていた。高齢者のチームだから、八月の暑い今の時期は休みになっている。
「暑くて大変ですよね。」と、放したこてっつぁんのリードを手持ち無沙汰に揺らしながら、真っ黒に日に焼けたこちらの肌を確認するように見てから、旦那さんが声をかけてくる。この時期はもう頭ものぼせてますよ、と答えながら、結構日に焼けている旦那さんの半袖下の腕をこちらも見て、自動車の整備工場はどうも経営している方でいつも室内事務仕事らしいので、ならばその肌の黒さは、実家が君津の方の漁師だったというから、その海育ちの名残りということなのかな、と思い直してみる。こてっつぁ~ん、とまた元気のいい声が円陣の方から聞こえてくる。立ち止まっては歩き、立ち止まっては歩きを繰り返しながらすすむコテツは、ラジオの置かれた広場の中央で足をとめる。いつもそうだった。それ以上進んで、円陣の方へは近づくことはなかった。円陣の方が割れて、コテツに近づいてくる流れができる。もう齢だからなのか、こてっつぁんは、ほとんど鳴かなかった。大人しい表情で、しゅんと黙っている。餌を鼻先に突き出しても、まず匂いを嗅ぐ。後ろにまわった女性が尻尾をさわると、いきなり怒ったようなワンという太い声をあげた。老いた女たちの笑いが、ダスト舗装された公園の白い輝きの上にそよいだ。
新しい朝が来たことを告げる体操の歌が流れはじめた。日差しは強く、ひとり日向側に立って、まわす裸の二の腕に、棘のような熱が刺さりひりひりする。円陣は広がり、南側と北側の日影に数人の男たちが並び、女たちは東側の日影に並んでいた。ただなおベンチに座った女性のまわりでは、元気のいい白髪の女性をはじめ、幾人かがまるで渦巻の中心であるような小さな輪を作ったままでいて、犬とじゃれあっている。夏休みだからか、小学生くらいの女子と男子も交っている。二十人くらいにはなるだろうか。ラジオの掛け声と、湧いて起こるおしゃべりがぶつかって、渦の中をまわってゆくようだった。しわがれた声が、ラジオのノイズのようにあふれて、泡立つ。もし妻が、この円陣に加わっていたら、という想念が湧く。おそらく、渦に現れては消えていく泡沫のひとつにはなれなかっただろう。朝起きるのが苦手だとか、もう病気がちだったということをこえて、彼女は大きな渦から派生したもう一つの小さな渦として別れ、もう一つの大きな渦になろうと、力尽きていったのではないか……いや彼女は、この高校生の頃にやってきたこの地にもどって、また大きな渦へと還ろうとしていたかもしれない。がそれは、許されなかった。私が許さなかっただけではなく、彼女自身が、帰れるはずもなかった。
思うに、貴方は多数派です。孤立した多数派でしょう。貴方の考えていることは異常ではなく、多くの人が思っているあきらめであり、世間や社会やその管理にししゃげてしまっている感覚なのですね。そんな意味であたりまえな社会人だってことに気づきました。それを大人というのかもしれません。「人と同じ」ということが連帯意識でなく、あきらめとして眠るのは、何も貴方だけでなく多くの人が暗黙のうちに感じてるものなのですね。
多数派という蔑称をつかったために、批難がましくも、またはきどってるとも言われましょうが、貴方が正統でありそう考えるのが妥当なんだってことに気づきました。貴方に変わって欲しいとは言えなくなってきました。しかし理解はしません。私はそのひとりになろうともなれるとも思えません。(「誰モガソウ思ッテイルンダ」ト貴方がイウのが聞コエル。ココが堂々メグリノ起点デスネ。説得ハモウ放棄シマス。)
たぶん私は又そんな人と出会うでしょう。そして貴方より辛辣なことを言われるのでしょう。それでもいい。なりさがった私をみるよりいい。
以上所信表明を終わります。
ではいつまでもお元気で さようなら S.58 9.13
その日も、太陽は厳しく照っていたのにちがいない。白黒写真のアルバムのなかで、十二歳の妻は、聳え立つ松の太い幹に寄りかかって、遠くを見つめていた。ブラウスの袖を幾分かめくって後ろ手に回し、短めのスカートからは、健康そうな両足がすくっと伸びて、地の上でくねって這う竜のような根を踏みしめていた。二十歳の頃のひたむきで痛々しい体験を通して、二十五歳の妻の開き直った決意は、その後も小舟のように揺れては座礁したけれども、傷口から流れ込む荒波を乗り越えて、私のもとへとやってきたのだ。何かがあったのだろうとは当たり前のように思っても、その航海を知っていたわけではなかった。そして結婚してからの二十年の二人の生活は、肩凝りのようなしこりを作っていた。それをほぐし、また二人の出会いを反復することで新しく作りなおしていく老後へ向けての独立であり、引っ越しであるはずだった。しかし妻は、そのやり直しの猶予を与えてくれなかった。代わりに、まるで宿題のように、手記の山が与えられた。それは、彼女の航海の出発地こそを見つめなおすことを示唆していた。
陣内社宅の坂上の小山から遠くをのぞんだ少女の目には、これから渡ってゆくことになる自身の航海のことなど映るはずもなかっただろう。しかし笑顔で見通すその瞳には、父の勤める工場の煙突から吐き出される煙のむこう、妹と遊んだ百間の港をこえて、不知火の海が広がっていたはずである。そこにはすでに、彼女の小さな渦が、かすかな波紋をひろげはじめていたのだ。まださざ波にすぎないその寄る辺なさの向う、茫洋と浮かんだ天草の島々は、彼女のまなざしに宿る光を、どう受け止めていたのだろう。
島原史郎は、妻が寄りかかったその松の根本に自分も立って、たしかめて見たいと思った。
葬儀――「テロリストになる代わりに」
先週の22日夕刻、夫の私や息子、そして妹に見守られながら、いく子は亡くなった。
前日の土曜夕刻、持病とは別の、脳内出血によるものだった。
一昨日27日、身内や、娘時代のいく子を知っている近所の人たち、ダンス仲間やその先生、東京中野区在住時の地域活動仲間、いく子を慕っていた息子の小・中学時代の友人たち、そして息子の職場の警視庁の方々等によって見送られた。
葬儀は、無宗教形式と呼ばれるものでおこなった。
子供の頃からこれまでの、アルバム編集のDVDスライド、献花のあと、「あいさつ」とタイトルされたいく子の公演動画上映後、ひきつづき、喪主のあいさつとして、私が彼女と共演した。
※
今日は、いく子のためにお集まりいただき、ありがとうございます。
私は、おばさんになってからのいく子しかしりません。彼女が四十すぎ、私が三十すぎに、出会いました。葬儀のサービスとして、アルバムスライドを編集してくれるというので、まだ彼女の実家へと引っ越して一年あまりにしかならない家の押し入れから、積みおかれたままのアルバムを取り出してみていますと、可愛いというか、彼女は、クラスの華だったのではないかと思います。活発で、外交的で、優秀でもあったでしょう。しかしそんな彼女は、四十五まで結婚しなかった。私と写ったスライドでは美人に見えるところもありましたが、あれは写真うつりがいいので、実際は、おばさんです。彼女は、良家のお嬢さんでもあったから、お見合いもあったでしょう。が、彼女はそれをこばんだ。そして、ダンスを選んだ。
配布された案内のカードには、私と彼女は、芸術のグループで出会ったと書いてありますが、そのグループはそのまえに、世の中を変えていこうという、社会運動のなかの芸術部門でした。その創立者は、去年だったか、アメリカの研究所がだしている「哲学のノーベル賞」と呼ばれるものを、アジア人としてはじめて受賞しています。運動は2年で解散しました。
結婚前だったか、あとだったか、彼女の公演をはじめてみたそのタイトルは、「テロリストになる代わりに」、というものでした。クラスの華だった女の子に、何がおこったのでしょう? 私は、その組織の中で、彼女のことを、遅れてきた永田洋子かとおもいました。おそらく、世の中にでていくにあたって、彼女は、何か認識を、普通にはいけない認識をもったのだとおもいます。
息子が、警察官になりました。最初の勤務地が、銀座あたりだったので、勤務早々、あの息子と同年代ぐらいの若者たちがおこした、銀座の強盗事件に出くわし、現場にかけつけました。話によると、その主犯格の18歳の若者には、家族がなかったそうです。まさに「家なき子」たちが借家にあつまって、電気も、ガスも、水道も止められ、寝るだけのために集まっていたそうです。是枝監督の『万引き家族』も、まさに「家なき子」たちが同居して万引きによって生計をたてているというものでしたね。そして『家なき子』という映画は、二十年以上も前ですか、子役だった安達裕実という女優の、「同情するなら金をくれ」というセリフがはやりましたね。それから、何もかわっていない! 犯罪は、起きたものは、とりしまることができます。しかしその発生を、どうやって防ぐことができるのか? 私はいま、テロや犯罪を呼び込むような新興の宗教につけこまれるスキだらけですよ! この悲しみは、防ぐことができない。だから、犯罪やテロが発生する「代わりに」、彼女はダンサーになった。
しかし、子供が成長し、彼女は踊らなくなった。視聴していただいた先ほどの公演が、最後だったようにおもいます。
人間は、考える葦である、という言葉があります。つまり、考えることをやめたら、人は葦のように枯れてしまう。物書きは物を書くことで考え、絵描きは絵を描くことで考え、ダンサーは踊ることで考える。書くことを、描くことを、踊ることをやめてしまえば、死んでしまう。だけど、おまえは生きているじゃないか? ダンサーなのか? 生きてるじゃねえか? 私は、そう問い詰めたこともあったかもしれません。が、私は間違っていた。
いく子の最後の日です。ちょうど夕食を作っていた時でした。近所のアパートに住んでいるお年寄りが、道に落ちていたといって、財布を家に届けにきたのです。班長の看板が門にかかっているので、こちらに持ってきたということでした。いく子が対応し、彼女は交番にゆくことにした。私はその夜、夜回り隊の当番でした。が雨が降ってきたようで、中止になって、家にいたのです。帰りがちょっと遅くなってるような気がしたので、迎えに行こうかとおもいました。がそのうちに、玄関の鍵の音がガチャガチャし、ほっとしました。いく子は、靴が濡れたのでしょう、靴をもって台所にまでやってきて、台所のドアを開けて、外に靴を干そうとしたようでした。まるで幽霊のように歩いてくるので、変な気がしました。ドアを開け放したまま、靴を持ったままもどって、台所の椅子に腰かけました。そのときはじめて私は(テレビから)顔をあげていく子の顔をみました。みてすぐに、認知症になっているというか、おかしくなっていると気づきました。「交番いってきたんだよね?」「俺のことわかる?」「自分の名前がわかる?」いく子は、何も答えませんでした。目を見開いたまま、私をみている。医師の話によると、言葉をつかさどる領域近くから出血したということですので、何を言っているかわからなかったのでしょう。だけど、視覚はあって、私のことを認識できていたのかもしれません。私はかけつけて、頭をなぜた。そのうち、脱力したように私の腕の中に倒れてきたので、床に寝かせました。途中で転んで頭をぶつけたのかもしれないとおもって、その近所の交番に電話をかけました。こちらの住所をいうと、最近の何丁目のものでなく、昔の千何番とかの住所を書いていたことがわかった。交番のおまわりさんもすぐに察して、電話はこれで間違いないですか、と確認してくる。電話は新しいものでした。つまり、古い記憶と新しい記憶がごっちゃになっている。帰ってこれなかったら、行方不明だった。気力で、帰ってきてくれた。私のいるところまで、もどってきてくれた。そして崩れた。それが、彼女のダンスだったのです。私は、間違っていた。彼女は、私に、身を以って、何かを伝えた。人として、大切なものがあるのではないかと、自分の体を使って、私に、私たちに、伝えてきたのだとおもいます。彼女は、最後まで、ダンサーだった。
これが、二人の最後の共演になりました。どうも、ご視聴、ありがとうございます。(ブログ 『ダンス&パンセ』2023.10.29)
2025年3月4日 発行 初版
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1967年生まれ。植木職人。 自著;『曖昧な時節の最中で』(近代文藝社)・『書かれるべきでない小説のためのエピローグ』(新風舎) *カニングハムは、「振り付けするとはダンサーがぶつからないようにすることだ」と言っている。盆栽に象徴される日本の植木の仕立ての技術とは、枝が交差し絡み、ぶつからないよう偶然を準備していくことにある。自然に気づかれないで、いかに生起してくるaccidentを馴化していくかの工夫なのだ。たとえ西洋のトピアリーのような造形をめざさないことに文化的な価値の規定を受けていようと、そこには特殊にとどまらない普遍的な対応がある。芥川が「筋のない話」として日本の私小説の困難な特異さと歴史的前衛性を洞察したことが、日本の植木職人の技術のなかにも潜在するのである。